今鏡 第七「村上の源氏」 第65章
新枕
雅実の子孫。顕通の子雅通、天台座主明雲。次男の中院右大臣雅定は笙の名手で、名笛「まじりまろ」を伝え、家の舞「胡飲酒」を極めた。笛と舞の伝承をめぐる楽人たちの逸話、通わなくなった女が別の男に嫁いだと聞いて贈った「新枕」の歌、郭公の連歌、潔い出家が語られる。
- 1このおとゞのこのおとゞのこのおとどの御子御子みこははは、、、大納言大納言だいなごん通通かよととと申申もうしてしてして、、、父父ちちおとゞよりもさきにおとゞよりもさきにおとどよりもさきにうせうせうせ給給たまひにきひにきいにき。。。其其そののの御子御子みこははは、、、今今いまののの內大臣內大臣ないだいじん通通つうののの大將大將だいしょうととと申申もうすなるべしすなるべしすなるべし。。。
- 2此此こののの大將大將だいしょうののの御母御母おおんははははは、、、能能よし俊俊しゅんののの治部卿治部卿じぶきょうのむすめにやおはすらんのむすめにやおはすらんのむすめにやおわすらん。。。又又また此此こののの御兄御兄おおんあにににに、、、つのかみつのかみつのかみ廣廣ひろ綱綱つなのむすめののむすめののむすめのはらにはらにはらに、、、山山やまののの座主座主ざす權權けん僧正僧正そうじょうとてとてとて、、、今今いまにおはすなるこそにおはすなるこそにおわすなるこそ、、、世世よののの末末すえにににははは、、、かやうなるかやうなるかようなる天天てん台台だい座主座主ざすはははおはしがたくうけたまはれおはしがたくうけたまはれおわしがたくうけたまわれ。。。
- 3我我わががが道道みちののの法文法文ほうもんをもをもをも深深ふかくくく學學まなびびび給給たまふふう。。。かた〳〵かた〳〵かたかた世世よにににたふとたふととうとくてくてくて、、、御心御心みこころばへもばへもばえも重重おもくおはするにやくおはするにやくおわするにや。。。山山やまのののうへこぞりてうへこぞりてうえこぞりて、、、もちゐもちゐもちい奉奉たてまつりたるとかやりたるとかやりたるとかや。。。
- 4うちつゞきたもつうちつゞきたもつうちつづきたもつ人人ひと、、、ありがたくきこえありがたくきこえありがたくきこえ給給たまふにふにうに、、、などなどなど鐘鐘かねならしてならしてならして、、、起起おこるるる事事ことだにだにだに侍侍はべらぬとかやらぬとかやらぬとかや。。。又又また太政太政だいじょうのおとゞののおとゞののおとどの御子御子みこにてにてにてははは、、、右大臣右大臣うだいじん雅雅まさ定定じょうととと申申もうしてしてして、、、さきにもさきにもさきにも舞人舞人まいびとののの事事こと申申もうししし侍侍はべるるる。。。
- 5中中なかノノノ院院いんのおとゞとておはしきのおとゞとておはしきのおとどとておわしき。。。御母御母おおんははははは賀賀がノノノ兵衞兵衞ひょうえとかいひしがいもとかいひしがいもとかいいしがいもうとにてうとにてうとにて、、、下﨟下﨟げろう女房女房にょうぼうにおはせしかどにおはせしかどにおわせしかど、、、兄兄あにののの大納言大納言だいなごんよりもよりもよりも、、、おぼえもおはしもてなしおぼえもおはしもてなしおぼえもおわしもてなし申申もうししし給給たまひきひきいき。。。
- 6此此このおとゞのおとゞのおとどははは、、、ざえもおはしてざえもおはしてざえもおわして、、、公事公事くじなどもなどもなども能能よくくく仕仕つかへへえ給給たまひけりひけりいけり。。。笙笙しょうののの笛笛ふえなどすぐれなどすぐれなどすぐれ給給たまへりけるへりけるえりける、、、とてとてとて侍侍はべりしりしりしををを、、、少少すこしもたかへずしもたかへずしもたかえず、、、うつしうつしうつし給給たまへるとぞへるとぞえるとぞ。。。
- 7笛笛ふえをもをもをも、、、傳傳つたへへえ給給たまへりへりえり。。。まじりまろとまじりまろとまじりまろとははは、、、からのからのからの竹竹たけやまとのやまとのやまとの竹竹たけののの中中なかににに、、、すぐれたるねなるすぐれたるねなるすぐれたるねなるををを、、、選選えらびびび作作つくりたるとなんりたるとなんりたるとなん。。。まじりまろといふまじりまろといふまじりまろという笙笙しょうののの笛笛ふえははは二二ふたつぞつぞつぞ侍侍はべるなるるなるるなる。。。
- 8時元時元ときもとががが兄兄このかみにてにてにて、、、忠忠ただといひしもといひしもといいしも作作つくりつたへりつたへりつたえ侍侍はべるなりるなりるなり。。。むらといひてむらといひてむらといいて、、、祭祭まつりなどいふなどいふなどいう祭祭まつりわたるものゝわたるものゝわたるものの、、、吹吹ふきてわたりけるきてわたりけるきてわたりける笛笛ふえののの、、、響響ひびききき殊殊ことなるなるなる竹竹たけのまじりてのまじりてのまじりて、、、聞聞きこえこえこえ侍侍はべりければりければりければ、、、棧敷棧敷さじきにてにてにて、、、時時とき忠忠ただよびよせてよびよせてよびよせて、、、「「「かゝるかゝるかかるはれはれはれにににははは、、、同同おなじくじくじくははは、、、かやうのかやうのかようの笛笛ふえをををこそこそこそ吹吹ふかめかめかめ」」」。。。
- 9とてとてとて、、、我我わががが笛笛ぶえにとりかへてにとりかへてにとりかえて、、、「「「我我われれれをばをばをば見知見知みしりたるらんりたるらんりたるらん。。。後後のちにとりかへんにとりかへんにとりかえん」」」。。。といひければといひければといいければ、、、むらのをのこむらのをのこむらのおのこ喜喜よろこびてびてびて、、、「「「皆皆みな見知見知みしりりり奉奉たてまつれりれりれり」」」。。。
- 10とてとてとて、、、とりかへたりけるとりかへたりけるとりかえたりけるををを、、、すぐれたるすぐれたるすぐれたる響響ひびきありけるきありけるきありける竹竹たけをををぬきかへてぬきかへてぬきかえて、、、えならずえならずえならず調調しらべたてゝたびたりければべたてゝたびたりければべたててたびたりければ、、、喜喜よろこびてかへしえてなんびてかへしえてなんびてかえしえてなん侍侍はべりけるりけるりける。。。
- 11そのまじりまろそのまじりまろそのまじりまろははは、、、時時とき忠忠ただががが子子こののの時時とき秀秀しゅうといひしがといひしがといいしが傳傳つたへへえ侍侍はべりしりしりしををを、、、子子こももも侍侍はべらざりしかばらざりしかばらざりしかば、、、此此こののの頃頃ごろははは誰誰たれかれかれか傳傳つたへへえ侍侍はべらんらんらん。。。時時とき忠忠ただははは刑部刑部おさかべノノノ丞丞じょう光光ひかりといひしといひしといいし源氏源氏げんじのむさののむさののむさの、、、好好このみみみ侍侍はべりしにりしにりしに敎敎おしへてへてえて、、、そのそのその笛笛ふえををを、、、元元もとよりとりこめてよりとりこめてよりとりこめて侍侍はべりけるりけるりけるほどにほどにほどに、、、義義よし光光ひかりあづまのあづまのあずまの方方かたへへへまかりけるにまかりけるにまかりけるに、、、時時とき忠忠ただももも「「「いかでかいかでかいかでか、、、年年としごろのごろのごろのほいにほいにほいに送送おくりりり申申もうさゞらんさゞらんさざらん」」」。。。
- 12とてとてとて、、、はる〳〵とはる〳〵とはるはると行行ゆきけるきけるきけるををを、、、このこのこの笛笛ふえののの事事ことををを思思おもふにやとやふにやとやうにやとや心得心得こころえけんけんけん。。。我我わががが身身みはははいかでもいかでもいかでも有有ありなんりなんりなん。。。道道みちののの人人ひとにてにてにて、、、このこのこの笛笛ふえをををいかでかいかでかいかでか傳傳つたへざらんとてへざらんとてえざらんとて、、、返返かえしたびたりければしたびたりければしたびたりければ、、、それよりこそそれよりこそそれよりこそ、、、暇暇いとま請請こひてかへりのぼりにけれひてかへりのぼりにけれひてかえりのぼりにけれ。。。
- 13其其そののの笛笛ふえをををかくたしなみたれどもかくたしなみたれどもかくたしなみたれども、、、時元時元ときもと若若わかかりけるかりけるかりける時時とき、、、武武む能能よしといひてといひてといいて、、、えならずえならずえならず笛笛ふえ調調ちょうぶるぶるぶる道道みちのものありけるがのものありけるがのものありけるが、、、年年としたけてたけてたけて、、、よるよるよる道道みちたど〳〵しきにたど〳〵しきにたどたどしきに、、、時元時元ときもと手手てをををひきつゝひきつゝひきつつ、、、まかりければまかりければまかりければ、、、いといといとうれしくうれしくうれしく思思おもひてひていて、、、えならずえならずえならず調調ちょうぶるやうどもぶるやうどもぶるようども傳傳つたへてへてえて侍侍はべりければにやりければにやりければにや。。。
- 14いといといと殊殊ことなるねあるなるねあるなるねある笛笛ぶえになんになんになん侍侍はべるなるるなるるなる。。。このこのこの右右みぎのおとゞのおとゞのおとど、、、かゝるかゝるかかる傳傳つたへおはするのみにもあらずへおはするのみにもあらずえおわするのみにもあらず、、、家家いえののの事事ことにてにてにてまひまひまい給給たまふことふことうこと、、、いみじくいみじくいみじく其其そののの道道みち得得え給給たまひてひていて、、、心心こころことにおはしけることにおはしけることにおわしける、、、其其そののの舞舞まいももも忠忠ただとてありしとてありしとてありし舞人舞人まいびとののの、、、連連つらといひしとといひしとといいしと挑挑いどみてみてみて、、、祇園祇園ぎおんののの會會えににに、、、はやしのはやしのはやしの日日かとかとかとか。。。
- 15殺殺ころされにければされにければされにければ、、、方方かた近近ちか方方かたなどいひしもなどいひしもなどいいしも、、、まだいといまだいといまだいといはははけなくてけなくてけなくて、、、習習ならひもひもいも傳傳つたへねばへねばえねば、、、大大だい政政じょうのおとゞののおとゞののおとどの、、、忠忠ただ方方かたにににははは敎敎おしへたまへるぞかしへたまへるぞかしえたまえるぞかし。。。
- 16然然しかあれどもあれどもあれども、、、このおこのおこのおほいどのばかりほいどのばかりほいどのばかりははは、、、えええ傳傳つたへざるべしへざるべしえざるべし。。。政政じょう連連つらははは出雲出雲いずもににに流流ながされてされてされて、、、彼彼かののの國國くにののの司司つかさのくだりたるにものくだりたるにものくだりたるにも敎敎おしへへへ、、、又又また子子こののの友友とも貞貞さだとかいふもとかいふもとかいうも、、、京京きょうへへへのぼりてのぼりてのぼりて、、、顯仲顯仲あきなかとかいひしとかいひしとかいいし中納言中納言ちゅうなごんにもにもにも、、、敎敎おしへなどすとへなどすとえなどすと聞聞ききしかどもきしかどもきしかども、、、此此このおのおのおほいどのゝほいどのゝほいどのの傳傳つたへへえ給給たまへるばかりへるばかりえるばかりははは、、、いかでかいかでかいかでか侍侍はべらんらんらん。。。
- 17兄兄あにののの忠忠ただ方方かたははは、、、胡飮酒胡飮酒こんじゅをををつたへつたへつたえ、、、弟弟おとうとののの近近ちか方方かたははは、、、採桑老採桑老さいそうろうををを天王寺天王寺てんのうじののの公公く貞貞さだといひしにといひしにといいしに傳傳つたへてへてえて、、、此此こののの頃頃ごろははは、、、そのそのその子子こどものどものどもの兄弟兄弟あにおと、、、筋筋すじ別別わかれてれてれて舞舞まひひいはべるとなんはべるとなんはべるとなん。。。
- 18忠忠ただ方方かた近近ちか方方かた、、、といふといふという舞舞まししし侍侍はべりしりしりしははは、、、おとうとおとうとおとうとははは、、、兄兄あにののの型型かたををを踏踏ふまぬさまにまぬさまにまぬさまに舞舞まひひい侍侍はべりしりしりしははは、、、めづらしきめづらしきめずらしき事事ことににに侍侍はべりしりしりしををを、、、子子こどもどもどもはははいかゞいかゞいかが侍侍はべるらんとるらんとるらんと、、、ゆかしくゆかしくゆかしく。。。
- 19このこのこの右右みぎのおとゞのおとゞのおとどははは、、、御心御心みこころばへなどすなほにてばへなどすなほにてばえなどすなおにて、、、いとらうあるいとらうあるいとろうある人人ひとにておはしけるにておはしけるにておわしける上上うえににに、、、後後のちののの世世よののの事事ことなどなどなど、、、おぼしとりたるおぼしとりたるおぼしとりたる心心こころにやにやにや。。。わづらはしきわづらはしきわずらわしき事事こともおはせでもおはせでもおわせで、、、いとをかしきいとをかしきいとおかしき人人ひとにぞおはせしにぞおはせしにぞおわせし。。。
- 20まだまだまだ若若わかくおはせしくおはせしくおわせし比比ごろにやにやにや。。。伊豫伊豫いよののの御御おんといふといふという女女おんなををを、、、かたらひかたらひかたらい給給たまひけるにひけるにいけるに、、、物物もののたまひのたまひのたまい絕絕たえてえてえて、、、ほどほどほど經經へぬぬぬほどにほどにほどに、、、山城山城やましろののの前前さきののの司司つかさなるなるなる人人ひとになれぬときゝてになれぬときゝてになれぬとききて、、、やりやりやり給給たまへりけるへりけるえりける御歌御歌みゅうたこそこそこそ、、、いとらうありていとらうありていとろうありて、、、をかしくきゝをかしくきゝおかしくきき侍侍はべりしかりしかりしか。。。
- 21まことにやみとせもまたでまことにやみとせもまたでまことにやみとせもまたで山城山城やましろののの伏見伏見ふしみののの里里さとににににににひひひするするする
- 22ととと侍侍はべりけるりけるりける。。。むかしむかしむかし物語物語ものがたり見見みるるる心心こころちしてちしてちして、、、いとやさしくこそいとやさしくこそいとやさしくこそうけうけうけ給給たまはははりしかりしかりしか。。。おおおほかたほかたほかた歌歌うたよみにおはしきよみにおはしきよみにおわしき。。。殿上人殿上人てんじょうびとにおはせしにおはせしにおわせし時時とき、、、石淸水石淸水いわしみずののの臨時臨時りんじののの祭祭まつりののの使使つかいしたまへりけるにしたまへりけるにしたまえりけるに、、、そのそのその宮宮みやにてにてにて、、、御神樂御神樂みかぐらなどなどなどはははてゝてゝてて、、、まかりいでまかりいでまかりいで給給たまひけるひけるいける程程ほどににに、、、松松まつのこずゑにのこずゑにのこずえに郭公郭公ほととぎすのなきけるのなきけるのなきけるををを聞聞ききたまひてきたまひてきたまいて、、、俊賴俊賴としよりののの君君きみののの、、、陪從陪從べいじゅうにておはしけるににておはしけるににておわしけるに、、、「「「殿殿どの、、、これこれこれはははきゝきゝきき給給たまふやふやうや」」」。。。
- 23ととと侍侍はべりければりければりければ、、、「「「思思おもひかけぬひかけぬいかけぬ春春はるなけばこそなけばこそなけばこそはべめれはべめれはべめれ」」」。。。ととと心心こころとくとくとく答答こたへへえ給給たまひけるこそひけるこそいけるこそ、、、いとしもなきいとしもなきいとしもなき歌歌うたよみよみよみ給給たまひたらむにひたらむにいたらむにははは、、、遙遙はるかににに優優まさりてりてりて聞聞きこえけるこえけるこえける。。。
- 24中納言中納言ちゅうなごん、、、このこのこの料料りょうによみおきによみおきによみおき給給たまひけるにやとさへおぼえてひけるにやとさへおぼえていけるにやとさえおぼえて。。。又又またきゝきゝきき給給たまひておどろかしひておどろかしいておどろかし給給たまふもふもうも、、、いうにこそいうにこそいうにこそ侍侍はべりけれりけれりけれ。。。かやうにおはせんかやうにおはせんかようにおわせん人人ひと、、、いとありがたくいとありがたくいとありがたく侍侍はべりりり。。。
- 25出家出家しゅっけなどしなどしなどし給給たまひしこそひしこそいしこそ。。。いといといと淸淸きよげにげにげに、、、めでたくうけたまはりしかめでたくうけたまはりしかめでたくうけたまわりしか。。。べちのべちのべちの御御おんやまひなどもなくてやまひなどもなくてやまいなどもなくて、、、たゞこのたゞこのただこの世世よはははかくてかくてかくて、、、後後のちののの世世よののの御御おんためとてためとてためとて、、、右大臣右大臣うだいじん左大將左大將さだいしょうかへしたてまつりてかへしたてまつりてかえしたてまつりて、、、かはりかはりかわり給給たまはんなどいふはんなどいふわんなどいう御設御設おおんもうけもなくてけもなくてけもなくて、、、中中なかノノノ院院いんにてかしらおろしてにてかしらおろしてにてかしらおろして、、、籠籠こもりゐたまへりしこそりゐたまへりしこそりいたまえりしこそ、、、いといといと心心こころにくゝにくゝにくく侍侍はべりしかりしかりしか。。。
- 26御子御子みこもおはせねばもおはせねばもおわせねば、、、兄兄あにののの御子御子みこ、、、今今いまののの內內うちのおとゞのおとゞのおとど、、、又又また雅兼雅兼まさかねののの入道入道にゅうどう中納言中納言ちゅうなごんののの御子御子みこ、、、房房ぼうののの大納言大納言だいなごん、、、養養やしなひひい給給たまへるかひありてへるかひありてえるかいありて、、、位位くらい高高たかくくく、、、おの〳〵なりおの〳〵なりおのおのなり給給たまへりへりえり。。。
- 27御能御能おおんのうどもどもどもをををつぎつぎつぎ給給たまはぬぞくちをしくはぬぞくちをしくわぬぞくちおしく侍侍はべるるる。。。內內うちのおとゞののおとゞののおとどの御子御子みこももも少將少將しょうしょうとてとてとてふたりふたりふたりおはすなりおはすなりおわすなり。。。
現代語訳
この大臣(雅実)の御子は大納言顕通と申して、父大臣より先に亡くなられました。その御子は今の内大臣雅通の大将と申し上げるのでしょう。この大将の御母は、能俊の治部卿の娘でいらっしゃるでしょうか。またこの方の御兄に、摂津守広綱の娘の腹に、比叡山の座主明雲権僧正といって今いらっしゃる方こそ、末世にはこのような天台座主はなかなかいらっしゃらないと承ります。我が宗の法文も深く学んでおられます。あれこれ世に尊くて、お心ばえも重々しくていらっしゃるのでしょうか、山の上の者がこぞって重んじ申し上げているとか。引き続いて(座主の地位を)保つ人はめったにないと聞こえるのに、大衆などが鐘を鳴らして騒ぎ立てることさえございませんとか。また太政大臣(雅実)の御子としては右大臣雅定と申して、先にも舞人のことを申しました中院の大臣という方がいらっしゃいました。御母は加賀兵衛とかいった者の妹で、下臈の女房でいらしたけれど、兄の大納言(顕通)よりも寵愛もあって、大切にお扱い申し上げなさいました。この大臣は学才もおありで、公事などもよくお務めになりました。笙の笛などにすぐれていらしたが、時元という者がおりましたのを、少しも違えずに写し取られたとか。「まじりまろ」という笛をも伝えていらっしゃいました。まじりまろとは、唐の竹と日本の竹の中で、すぐれた音のものを選んで作ったものだそうです。まじりまろという笙の笛は二つあるそうです。時元の兄で時忠といった者も作って伝えたそうです。村人が稲荷祭などという祭の行列で吹いて通った笛に、響きが格別な竹が混じって聞こえましたので、(時忠が)桟敷で呼び寄せて、「このような晴れの場には、同じことならこのような笛をこそ吹くがよい」といって、自分の笛と取り替えて、「私のことは知っているだろう。後で取り替えよう」と言ったので、村の男は喜んで「皆存じ上げております」といって取り替えたのを、すぐれた響きのある竹を抜き替えて、見事に調律して返してやったので、(男は)喜んで返してもらったのでした。
そのまじりまろは、時忠の子の時秀といった者が伝えておりましたが、子もおりませんでしたので、このごろは誰が伝えていることでしょう。時忠は刑部丞義光といった源氏の武者が好んでおりましたので(笙を)教えて、その笛を元から取り込んでおりましたところ、義光が東国へ下った時、時忠も「どうして、長年の本意として送り申し上げずにいられようか」といって、はるばると付いて行ったのを、この笛のことを思っているのだろうと心得たのでしょうか、「我が身はどうなってもよい。道の人として、この笛をどうして伝えずにいられようか」といって返してやったので、そこで暇乞いをして帰り上ったのでした。その笛をこのように大切にしていたけれど、時元が若かった時、武能といって見事に笛を奏でる道の者がいたが、年老いて夜道がおぼつかなかったので、時元が手を引いて行ったので、たいそう嬉しく思って、見事に奏でる秘伝などを伝えたからでしょうか、たいそう格別な音のある笛だそうです。この右大臣(雅定)は、このような伝えがおありなだけでなく、家の芸として胡飲酒をお舞いになることは、たいそうその道を会得されて、格別でいらっしゃいましたが、その舞も、資忠といった舞人が政連といった者と競って、祇園会の囃子の日とかに殺されたので、(その子の)忠方・近方などといった者もまだたいそう幼くて習い伝えていなかったので、太政大臣(雅実)が忠方にはお教えになったのですよ。そうではあるけれども、この大臣(雅定)ほどには伝えられないでしょう。政連は出雲に流されて、その国の国司が下った時にも教え、また子の友貞とかいう者も京へ上って、顕仲とかいった中納言にも教えたりしたと聞いたけれども、この大臣の伝えていらっしゃるほどのことは、どうしてございましょうか。兄の忠方は胡飲酒を伝え、弟の近方は採桑老を天王寺の公貞といった者に伝えて、このごろはその子どもの兄弟が筋を分けて舞っているそうです。忠方・近方が落蹲という舞をしました時、弟は兄の型を踏まないように舞いましたのは珍しいことでしたが、子どもたちはどうでしょうかと知りたく思います。
この右大臣は、お心ばえなども素直で、たいそう洗練された人でいらっしゃった上に、後世のことなどを悟っていらしたお心からでしょうか、面倒なこともおありでなく、たいそう風雅な人でいらっしゃいました。まだお若くていらしたころでしょうか、伊予の御という女と懇ろになっていらしたが、便りが途絶えて程もないうちに、山城の前の国司である人と結ばれたと聞いて、贈られた御歌こそ、たいそう洗練されていて、趣深く聞きました。
本当だろうか。三年も待たずに、山城の伏見の里で新枕を交わしているというのは。
とありました。昔物語を見る心地がして、たいそう優雅に承りました。だいたい歌詠みでいらっしゃいました。殿上人でいらした時、石清水臨時祭の勅使をなさった時、その宮で御神楽などが終わって退出なさるころに、松の梢で郭公が鳴いたのをお聞きになって、俊頼の君が陪従でいらしたので、「むくの守殿、これはお聞きになりましたか」とおっしゃったところ、「思ひかけぬ春なけばこそはべめれ(思いがけない春に鳴いたからでしょう)」と即座にお答えになったのこそ、たいしたこともない歌をお詠みになったのよりは、はるかにまさって聞こえました。四条中納言(定頼)がこのために詠んでおかれたのだろうかとさえ思われて。また(郭公を)お聞きになって(俊頼に)声をかけられたのも、優雅なことでございました。このようでいらっしゃる人は、たいそうめったにいません。出家などなさったのこそ、たいそう清らかで、すばらしいと承りました。特別のご病気などもなくて、ただこの世はこのようにして、後世のためにといって、右大臣・左大将を返上されて、代わって(誰かを)任じようなどという御用意もなく、中院で髪をおろして籠居されたのこそ、たいそう奥ゆかしゅうございました。御子もいらっしゃらなかったので、兄の御子、今の内大臣(雅通)、また雅兼の入道中納言の御子の定房の大納言を養っていらした甲斐があって、それぞれ位高くなられました。(雅定の)芸能の数々を継がれないのが残念でございます。内大臣の御子も少将として二人いらっしゃるそうです。
意訳
雅定は笙の名手で、唐と日本の竹から選りすぐった名笛「まじりまろ」を伝え、村上源氏の家の舞「胡飲酒」を極めた。楽人たちの秘曲伝授の逸話――村人の笛の良い竹を抜き取った時忠、東国に下る弟子の源義光を追った時忠、老楽人の手を引いて秘伝を授かった時元――が、生き生きと語られる。
笛の秘伝をめぐる源義光(新羅三郎)の話は有名で、『古今著聞集』などにも見える。義光は後三年の役に向かう途中、追ってきた時秋(本書では時忠)に足柄山で秘曲を伝えたという。
章題の「新枕」は、雅定が別れた女に贈った「まことにや」の歌による。三年待たずに新しい男と枕を交わすのか、という皮肉を、『伊勢物語』の「あらたまの年の三年を待ちわびて」をふまえて優雅に詠んでいる。
語釈・文法注
- 大納言顯通
- 源顕通(1081〜1122)。雅実の子。
- 內大臣雅通
- 源雅通(1118〜1175)。顕通の子。
- 山の座主明雲權僧正
- 明雲(1115〜1184)。顕通の子。天台座主。
- 大衆
- 寺院の僧たち。比叡山の大衆はしばしば強訴を行った。
- 加賀ノ兵衞
- 女房の名。
- 時元
- 豊原時元(1058〜1123)。笙の名手。
- まじりまろ
- 笙の名器の名。唐と日本の竹を交ぜて作ったという。
- 時忠
- 豊原時忠。時元の兄。笙の名手。
- 稻荷祭
- 伏見稲荷大社の祭。
- 刑部ノ丞義光
- 源義光(1045〜1127)。新羅三郎。笙を時忠(時秋とも)に習った。
- 胡飮酒
- 舞楽の曲名。胡人が酒に酔って舞う様を表す。
- 資忠
- 多資忠(1046〜1100)。舞人。山村政連に殺された。
- 政連
- 山村政連。舞人。
- 忠方近方
- 多忠方・多近方。資忠の子。
- 落蹲
- 舞楽の曲名。
- にひ枕
- 新枕。初めて男女が共寝すること。
- むくのかうの殿
- 「むつのかみ」か。陪従の源俊頼への呼びかけ。
- 四條中納言
- 藤原定頼(995〜1045)。歌人。
- 定房の大納言
- 源定房(1130〜1188)。雅兼の子。雅定の養子。
文法
- 我が身はいかでも有りなん
- 自分の身はどうなってもかまわないだろう。
- ゆかしく
- 知りたく思う。「ゆかしく(侍る)」の省略。
和歌
まことにやみとせもまたで山城の伏見の里ににひ枕する
- 詠者
- 源雅定
- 状況
- 途絶えていた女が別の男と結ばれたと聞いて贈った歌。
修辞
- 本歌
- 『伊勢物語』二十四段「あらたまの年の三年を待ちわびてただ今宵こそ新枕すれ」。
- 掛詞
- 「伏見」に地名と「伏し見る(共寝する)」をかける。
解説
芸道の秘伝をめぐる逸話は今鏡の大きな魅力の一つ。笙・笛・舞の伝承の系譜を、楽人たちの人間くさいエピソードとともに書き留めている。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、316〜322頁(コマ173–176)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日