今鏡 第七「村上の源氏」 第64章
紫のゆかり
顕房の長男、久我太政大臣雅実は、学才はなかったが世に重んじられ、白河院にも関白忠実にも遠慮しない人だった。息子雅定が石清水臨時祭の一の舞を宗能に奪われると腹を立てて籠居し、忠実の大饗の尊者を約束されながら門を閉ざして断った。白河院が雅実の娘を召した時の素っ気ない返事、絹の数も知らない鷹揚さ、病気平癒の布施の悪馬の話などが語られる。
- 1中宮中宮ちゅうぐうののの御御おんせうとたちせうとたちしょうとたち、、、男男おとこももも僧僧そうもももさま〳〵おほくおはしましきさま〳〵おほくおはしましきさまさまおおくおわしましき。。。太政大臣太政大臣だいじょうだいじん實實みのおとゞとのおとゞとのおとどと申申もうしゝしゝししははは、、、中宮中宮ちゅうぐうののの一一ひとつつつ御御おんはははらからにてらからにてらからにて、、、六條六條ろくじょうののの右右みぎのおとゞののおとゞののおとどの太郞太郞たろうにおはしきにおはしきにおわしき。。。
- 2そのそのその御母御母おおんはは治部卿治部卿じぶきょう隆俊隆俊たかとしののの中納言中納言ちゅうなごんのむすめなりのむすめなりのむすめなり。。。久我久我こがのおほきおとゞとのおほきおとゞとのおおきおとどと申申もうしきしきしき。。。いといといと御身御身おおんみのざえなどのざえなどのざえなどははは、、、おはせざりしかどおはせざりしかどおわせざりしかど、、、世世よににに重重おもくくく思思おもはれたるはれたるわれたる人人ひとにぞおはせしにぞおはせしにぞおわせし。。。
- 3父父ちちおとゞわがまゝなるおとゞわがまゝなるおとどわがままなる御心御心みこころにてにてにて、、、ひが〳〵しきひが〳〵しきひがひがしき事事ことどもどもども、、、したまひけるにもしたまひけるにもしたまいけるにも、、、このおとゞこのおとゞこのおとど參參まいりりり給給たまひければひければいければ、、、とゞまりたまひけりとゞまりたまひけりとどまりたまいけり。。。白河白河しらかわノノノ院院いんももも、、、耻耻はぢさせぢさせじさせ給給たまへりけるとこそへりけるとこそえりけるとこそ聞聞きこえこえこえ侍侍はべりしかりしかりしか。。。
- 4醍醐醍醐だいごよりよりより、、、僧正僧正そうじょうののの申申もうさるゝことなどさるゝことなどさるることなど侍侍はべりけるりけるりけるををを、、、此此このおとゞにのおとゞにのおとどに、、、仰仰おおせられせられせられ合合あわせければせければせければ、、、「「「知知しるるる所所ところなどなどなど幾幾いくばくもばくもばくも侍侍はべらねばらねばらねば、、、さぶらふさぶらふさぶらう者者ものどもにどもにどもに申申もうしつけてしつけてしつけて、、、づかさづかさづかさなどいふなどいふなどいう事事ことははは、、、えええ知知しりりり給給たまはぬことになんはぬことになんわぬことになん」」」。。。
- 5などなどなど侍侍はべりければりければりければ、、、「「「いといといと耻耻はずかしくあるかなかしくあるかなかしくあるかな」」」。。。ととと仰仰おおせられけりせられけりせられけり。。。
- 6堀河堀河ほりかわのみかどののみかどののみかどの御時御時おおんとき、、、子子こののの少將少將しょうしょうとてとてとて、、、右右みぎのおとゞのおとゞのおとど、、、石淸水石淸水いわしみずのののししし給給たまふべかりけるにふべかりけるにうべかりけるに、、、ノノノ御門御門みかどののの內內うちのおとゞのおとゞのおとど、、、少將少將しょうしょうとておはするとておはするとておわするははは、、、上﨟上﨟じょうろうなりけれどなりけれどなりけれど、、、一一いちののの舞舞まははわ、、、中中なかノノノ院院いんぞぞぞ仰仰おおせられんずらんとせられんずらんとせられんずらんと、、、おぼしけるにおぼしけるにおぼしけるに、、、ののの大殿大殿おおとのののの、、、關白關白かんぱくにおはするににおはするににおわするに、、、みかどもみかどもみかども憚憚はばかりてりてりて、、、宗宗むね能能よしののの一一いちののの舞舞まししし給給たまへりければへりければえりければ、、、久我久我こがのおとゞのおとゞのおとど聞聞ききつけきつけきつけ給給たまひてひていて、、、子子こののの少將少將しょうしょうをばをばをば呼呼よびとゞめてびとゞめてびとどめて、、、腹腹はらだちてこもりだちてこもりだちてこもり給給たまひければひければいければ、、、みかどもいたませみかどもいたませみかどもいたませ給給たまひてひていて、、、心心こころゆるさむとてゆるさむとてゆるさむとて、、、ををを給給たまはせたりければはせたりければわせたりければ、、、然然しかあらばあらばあらば、、、出出いでありかざらんもでありかざらんもでありかざらんも便便びんなしとてなしとてなしとて、、、慶慶よろこびびび申申もうしなどせられけるにしなどせられけるにしなどせられけるに、、、關白關白かんぱくどのどのどの對面對面たいめんしたまひてしたまひてしたまいて、、、「「「ことのついでなればことのついでなればことのついでなれば申申もうすぞすぞすぞ。。。大饗大饗だいきょうにににははは、、、おとゞおとゞおとどににに申申もうさむずるなりさむずるなりさむずるなり。。。其其そののの由由よしきこえしるべきなりきこえしるべきなりきこえしるべきなり」」」。。。
- 7などありてなどありてなどありて、、、賴賴たのみておはしけるみておはしけるみておわしける程程ほどににに、、、そのそのその日日ひになりてになりてになりて、、、見見みせにせにせに遣遣つかはしたりければはしたりければわしたりければ、、、御物忌御物忌おおんものいみにてにてにて、、、門門かどさしておはしければさしておはしければさしておわしければ、、、ののの大納言大納言だいなごんをぞをぞをぞ、、、尊者尊者そんじゃにににははは呼呼よびびび給給たまひけるひけるいける。。。
- 8ののの宮宮みやははは、、、むけにむけにむけに下下くだりたるりたるりたる世世よかなかなかな。。。とてとてとて、、、泣泣なかせかせかせ給給たまひけるとかやひけるとかやいけるとかや。。。臨時臨時りんじののの祭祭まつりののの一一いちののの舞舞ま、、、少將少將しょうしょうのしのしのし給給たまはぬはぬわぬ、、、やすからぬやすからぬやすからぬ心心こころにてにてにて、、、かくたがへかくたがへかくたがえ給給たまふなりけりふなりけりうなりけり。。。
- 9そのそのその入道入道にゅうどう右右みぎのおとゞのおとゞのおとど、、、宰相宰相さいしょうののの中將中將ちゅうじょうととと申申もうしゝしゝしし時時とき、、、實能實能さねよしのおとゞののおとゞののおとどの、、、三位三位さんみノノノ中將中將ちゅうじょうとておはせしとておはせしとておわせし、、、越越こえてえてえて中納言中納言ちゅうなごんになりになりになり給給たまひけるにもひけるにもいけるにも、、、太政太政だいじょうのおとゞのおとゞのおとど、、、院院いんををを恨恨うらみみみ申申もうししし給給たまふとふとうと聞聞きかせかせかせ給給たまひてひていて、、、「「「中宮中宮ちゅうぐうのせうとにてのせうとにてのしょうとにて、、、うちのせさせうちのせさせうちのせさせ給給たまふふう。。。事事ことかなかなかな」」」。。。
- 10ととと仰仰おおせられながらせられながらせられながら、、、長長なが忠忠ただののの宰相宰相さいしょう、、、左大辨左大辨さだいべんにてにてにて中納言中納言ちゅうなごんになりたりけるになりたりけるになりたりけるををを、、、「「「子子こををを辨辨べんになさんとになさんとになさんと申申もうしけるものしけるものしけるものををを」」」とてとてとて、、、中納言中納言ちゅうなごんにてにてにて七八日七八日なのかようかばかりやありけんばかりやありけんばかりやありけん。。。
- 11長長なが忠忠ちゅうをばをばをば、、、大藏卿大藏卿おおくらきょうになしてになしてになして、、、子子こののの能能よし忠忠ちゅうをばをばをば辨辨べんになしてぞになしてぞになしてぞ、、、中中なかノノノ院院いんののの宰相中將宰相中將さいしょうのちゅうじょうははは、、、中納言中納言ちゅうなごんになりになりになり給給たまふとふとうとうけうけうけ給給たまはははりしりしりし。。。
- 12白河白河しらかわノノノ院院いん、、、盛盛もり重重しげとてありしとてありしとてありしををを御使御使おおんつかいにてにてにて、、、太政太政だいじょうのおとゞにのおとゞにのおとどに、、、「「「何事何事なにごとももも、、、思思おもふふう事事ことのかなはぬのかなはぬのかなわぬはははなきになきになきに、、、上﨟上﨟じょうろう女房女房にょうぼうなんなんなん、、、心心こころにかなはぬことにかなはぬことにかなわぬことはははあるあるあるををを、、、思思おもひかけずひかけずいかけず上﨟上﨟じょうろう女房女房にょうぼうをををまうけたるまうけたるもうけたる事事ことなんなんなん侍侍はべるるる」」」。。。
- 13ととと、、、仰仰おおせられたりければせられたりければせられたりければ、、、「「「いかなるいかなるいかなる人人ひとののの事事ことにかにかにか」」」ととと問問とひひい給給たまふにふにうに、、、外外ほか腹腹はらののの姫君姫君ひめぎみのおはしけるのおはしけるのおわしける御事御事おおんことなりけりなりけりなりけり。。。それそれそれををを聞聞きききき給給たまひてひていて、、、御後見御後見おおんうしろみ呼呼よびてびてびて、、、「「「そのそのその姫君姫君ひめぎみのもとのもとのもとへへへ、、、さたしやるさたしやるさたしやる事事ことどもどもどもははは怠怠おこたらぬからぬからぬか」」」。。。
- 14ととと問問とひひい給給たまへばへばえば、、、さらにさらにさらに怠怠おこたりりり侍侍はべらずらずらず。。。ととと申申もうすにすにすに、、、「「「今今いまはははそのさたあるまじそのさたあるまじそのさたあるまじ」」」。。。とありければとありければとありければ、、、御使御使おおんつかいももも後見後見うしろみももも、、、いといといと思思おもはずにはずにわずに思思おもへりけりへりけりえりけり。。。
- 15「「「御御おんかへりいかゞかへりいかゞかえりいかが」」」ととと申申もうしければしければしければ、、、「「「うけうけうけ給給たまはははりぬりぬりぬ」」」。。。とばかりとばかりとばかり申申もうししし給給たまひけりひけりいけり。。。院院いんはははともかくものともかくものともかくもの給給たまはざりけりとなんはざりけりとなんわざりけりとなん。。。かやうにかやうにかように院院いんにもにもにも關白關白かんぱくにもにもにも憚憚はばかりりり給給たまはぬはぬわぬ人人ひとにおはしけりにおはしけりにおわしけり。。。
- 16御心御心みこころのあてなるあまりにのあてなるあまりにのあてなるあまりに、、、物物ものののの數數かずももも、、、こまかにこまかにこまかに知知しりりり給給たまはざりけるにやはざりけるにやわざりけるにや。。。納殿納殿おさめどのするさぶらひするさぶらひするさぶらい人人ひとのもとにのもとにのもとに、、、きぬせさせにやれとありければきぬせさせにやれとありければきぬせさせにやれとありければ、、、「「「二二ふたつがつがつが料料りょうにににははは、、、ふたふたふた匹匹ぴきなんなんなん遣遣つかわしつるしつるしつる」」」。。。
- 17ととと申申もうしければしければしければ、、、「「「一一ひとつつつをををこそこそこそ、、、二二に匹匹ぴきにてにてにてはすれはすれはすれ」」」。。。とのたまひてとのたまひてとのたまいて、、、驚驚おどろききき給給たまひけるにひけるにいけるに、、、內內うち匠匠しょうのすけなにがしといふにのすけなにがしといふにのすけなにがしというに、、、問問とひひい給給たまひければひければいければ、、、同同おなじさまにじさまにじさまに申申もうしけるにこそしけるにこそしけるにこそ、、、「「「さささはははえええ知知しらざりけるにこそらざりけるにこそらざりけるにこそ」」」。。。
- 18ととと、、、折折おれれれ給給たまひけれひけれいけれ。。。これこれこれをををいへいへいえ人人ひと、、、語語かたりあひけるりあひけるりあいけるをををきゝてきゝてききて、、、延延のといふといふという近衞近衞こんえ舍人舍人とねりははは、、、「「「いづれのいづれのいずれの國國くにのきぬとかのきぬとかのきぬとかををを、、、こまかにきりなどせさせこまかにきりなどせさせこまかにきりなどせさせ給給たまふふう所所ところもおはしますものもおはしますものもおわしますものををを」」」などいひけるなどいひけるなどいいける、、、いといといと耻耻はずかしくこそかしくこそかしくこそ。。。
- 19このおこのおこのおほいまうちぎみほいまうちぎみほいもうちぎみ、、、おこりごゝちわづらひおこりごゝちわづらひおこりごこちわずらい給給たまひけるにひけるにいけるに、、、白河白河しらかわノノノ院院いんよりよりより平等院平等院びょうどういんののの僧正僧正そうじょうをををつかはしてつかはしてつかわして、、、祈祈いのらせらせらせ給給たまひけるにひけるにいけるに、、、おこたりたるおこたりたるおこたりたる布施布施ふせ馬馬うまをををひきひきひき給給たまひけるひけるいける、、、大方大方おおかたいひしらぬいひしらぬいいしらぬ惡惡あ馬馬うまになむになむになむ侍侍はべりければりければりければ、、、院院いんきこしめしてきこしめしてきこしめして、、、「「「われこそわれこそわれこそ布施布施ふせももも得得うべけれべけれべけれ」」」。。。
- 20ととと、、、盛盛もり重重しげといひしといひしといいしををを遣遣つかはしてはしてわして、、、仰仰おおせられければせられければせられければ、、、院院いんにありがたきものにありがたきものにありがたきもの參參まいらせんとてらせんとてらせんとて、、、武藏武藏むさしののの大德大德だいとこ賴賴よりがつくりたるがつくりたるがつくりたる、、、小弓小弓こゆみ一一ひとひねりしたるひねりしたるひねりしたるををを取取とりいでてりいでてりいでて、、、漆漆しつのきらめきたるさしてのきらめきたるさしてのきらめきたるさして、、、すりまはしてすりまはしてすりまわして、、、錦錦にしきのゆづかとりすてゝのゆづかとりすてゝのゆずかとりすてて、、、みちのくにみちのくにみちのくに紙紙かみしてしてしてひきひきひき卷卷まきてきてきて、、、錦錦にしきののの袋袋ふくろにもにもにも入入いれずれずれず、、、唯唯ただみちのくにみちのくにみちのくに紙紙かみにつゝみてにつゝみてにつつみて、、、たてまつられたりければたてまつられたりければたてまつられたりければ、、、いといといと珍珍めずらしきものなりとらしきものなりとらしきものなりと、、、たちかへりたちかへりたちかえり仰仰おおせられけるとぞきゝせられけるとぞきゝせられけるとぞきき侍侍はべりしりしりし。。。
現代語訳
中宮(賢子)の御兄弟たちは、男も僧もさまざまに大勢いらっしゃいました。太政大臣雅実の大臣と申し上げた方は、中宮と同じ御腹のご兄弟で、六条の右大臣(顕房)の長男でいらっしゃいました。その御母は治部卿隆俊の中納言の娘です。久我の太政大臣と申し上げました。身の学才などはたいしておありでなかったけれど、世に重く思われていた人でいらっしゃいました。父の大臣がわがままなご気性で、ひねくれたことなどをなさった時にも、この大臣が参られると、おやめになりました。白河院も気がねなさったと聞こえました。醍醐(寺)から僧正が申されることなどがありましたのを、この大臣にご相談なさったところ、「(院が)お知りになる所(荘園)など幾らもございませんので、仕える者どもに申しつけてあり、下司などということは、ご存じないことでございましょう」などと申したので、「たいそう恥ずかしいことだな」と仰せられました。
堀河の帝の御代、子の少将で、入道右大臣(雅定)が石清水(臨時祭)の舞人をなさることになった時、中御門の内大臣(宗能)が少将でいらしたのは上臈だったけれど、一の舞は中院(雅定)に仰せられるだろうと(雅実は)お思いになっていたのに、知足院の大殿(忠実)が関白でいらしたので、帝も遠慮されて、宗能が一の舞をなさったので、久我の大臣はお聞きつけになって、子の少将を呼び止めて、腹を立てて籠居なさったので、帝も気の毒に思われて、機嫌を直させようと加階をお与えになったところ、そうであれば出歩かないのも不都合だといって、お礼を申し上げたりなさった時、関白殿がお会いになって、「事のついでだから申すが、(私の)大饗には大臣を尊者にお願いしようと思う。そのことを承知しておいてほしい」などとあって、(関白は)頼みにしていらしたが、その日になって(使いを)見にやったところ、(雅実は)物忌みといって門を閉ざしていらしたので、俊明の大納言を尊者にお呼びになりました。四条の宮(寛子)は「ひどく落ちぶれた世だこと」といってお泣きになったとか。臨時の祭の一の舞を(わが子の)少将がなさらなかったのが不愉快な心で、このように違えなさったのでした。その入道右大臣が宰相中将と申した時、実能の大臣が三位中将でいらしたのが(雅定を)越えて中納言になられた時にも、太政大臣が院を恨み申されていると(院は)お聞きになって、「(実能は)中宮(璋子)の兄で、帝(鳥羽)がなさったことだ。どうしようもないことだな」と仰せられながら、長忠の宰相が左大弁で中納言になったのを、「子を弁にしようと申していたのに」といって、中納言で七、八日ほどいたでしょうか、長忠を大蔵卿にして、子の能忠を弁にして、(その空きに)中院の宰相中将は中納言になられたと承りました。
白河院が盛重という者を御使いとして、太政大臣に「何事も思うことがかなわないことはないのに、上臈女房だけは心にかなわないことがあったが、思いがけず上臈女房を得たことがございます」と仰せられたので、「どのような人のことか」とお尋ねになると、外腹の姫君がいらっしゃったことでした。それをお聞きになって、家の後見を呼んで、「その姫君のもとへ取り計らって送っている物は怠っていないか」とお尋ねになると、「少しも怠っておりません」と申すので、「今はそのような世話はいらないだろう」とあったので、御使いも後見も、たいそう意外に思いました。「お返事はどうしましょう」と申したところ、「承った」とだけ申されました。院はとやかくおっしゃらなかったということです。このように院にも関白にも遠慮なさらない人でいらっしゃいました。お心が上品すぎて、物の数も細かくはご存じなかったのでしょうか。納殿の侍のもとに、絹(の衣)を作らせにやれとあったところ、「二つ分の材料には二匹を遣わしました」と申したので、「一つを二匹で作るものだ」とおっしゃって驚かれたので、内匠助の誰それという者にお尋ねになったところ、同じように申したので、「それではわからなかったのだ」と折れられたのでした。これを家の人が語り合っていたのを聞いて、兼延という近衛舎人は「どこの国の絹かまで、細かく区別させなさる所もありますのに」などと言ったのは、たいそう恥ずかしいことです。
この大臣が瘧病を患われた時、白河院から平等院の僧正(行尊)を遣わしてお祈りさせなさったが、治ったお礼の布施として馬を引いて与えられたのが、何とも言いようのない悪い馬でございましたので、院がお聞きになって、「私こそ布施を受け取るべきだ」と、盛重といった者を遣わして仰せられたので、院に珍しいものを差し上げようといって、武蔵の大徳隆頼が作った、小弓の弓束の下を一ひねりした物を取り出して、漆の光ったところを擦り回して、錦の弓束を取り捨てて、陸奥紙で巻いて、錦の袋にも入れず、ただ陸奥紙に包んで差し上げられたところ、たいそう珍しい物だと、折り返し仰せられたと聞きました。
意訳
久我太政大臣雅実は村上源氏の嫡流で、久我家の祖となった。学才はなかったが、気位が高く、白河院にも関白忠実にも遠慮せず、父顕房のわがままも雅実が参上すれば収まったという。
息子雅定が石清水臨時祭の一の舞を宗能に奪われると、雅実は関白忠実が帝に働きかけたと見て腹を立てた。忠実の大饗に尊者として招かれながら、当日は物忌みと称して門を閉ざした。章題の「紫のゆかり」は、中宮(賢子)の兄弟であるという縁故を指すのであろう。
白河院が雅実の外腹の娘を召したと知らせてきた時も、雅実は「承った」とだけ答え、娘への仕送りを止めさせた。絹の数も知らないおっとりした大臣が、病気平癒の布施に悪馬を贈ったことを院にとがめられると、珍しい小弓を飾りもつけずに献上して院を喜ばせた。
語釈・文法注
- 太政大臣雅實
- 源雅実(1059〜1127)。顕房の子。久我太政大臣。久我家の祖。
- しもづかさ
- 下司。荘園の現地の管理者。
- 入道右のおとゞ
- 源雅定。雅実の子。第51章参照。
- 石淸水の舞人
- 石清水臨時祭で東遊を舞う人。一の舞はその筆頭。
- 中ノ御門の內のおとゞ
- 藤原宗能。第49章参照。
- 知足院の大殿
- 藤原忠実(1078〜1162)。当時の関白。
- 加階
- 位階を上げること。
- 尊者
- 大饗の主賓。
- 俊明の大納言
- 源俊明。
- 四條の宮
- 藤原寛子。頼通の娘。後冷泉天皇の皇后。忠実の大叔母。
- ずちなき
- 術なし。どうしようもない。
- 兼延
- 近衛舎人。
- ゆづか
- 弓束。弓を握る部分。
- 武藏の大德隆賴
- 弓作りの名手の僧か。伝未詳。
文法
- いと耻かしくあるかな
- たいそう恥ずかしいことだな。雅実の言葉に恐縮した白河院の言葉。
- むけに下りたる世かな
- 「むげに」はひどく。ひどく落ちぶれた世だ。
解説
院政期の最高権力者白河院に対しても臆さない雅実の姿は、村上源氏の誇りの高さを示している。今鏡は、その鷹揚さと頑固さを好意的に描いている。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、311〜316頁(コマ170–173)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日