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今鏡 第七「村上の源氏」 第64章

紫のゆかり

顕房の長男、久我太政大臣雅実は、学才はなかったが世に重んじられ、白河院にも関白忠実にも遠慮しない人だった。息子雅定が石清水臨時祭の一の舞を宗能に奪われると腹を立てて籠居し、忠実の大饗の尊者を約束されながら門を閉ざして断った。白河院が雅実の娘を召した時の素っ気ない返事、絹の数も知らない鷹揚さ、病気平癒の布施の悪馬の話などが語られる。

  1. 1中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうののの御おん御おんおんせうとたちせうとたちしょうとたち、、、男をとこ男をとこおとこももも僧そう僧そうそうもももさま〳〵おほくおはしましきさま〳〵おほくおはしましきさまさまおおくおわしましき。。。太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじん實み實みみのおとゞとのおとゞとのおとどと申まう申まうもうしゝしゝししははは、、、中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうののの一ひと一ひとひとつつつ御おん御おんおんはははらからにてらからにてらからにて、、、六條ろくでう六條ろくでうろくじょうののの右みぎ右みぎみぎのおとゞののおとゞののおとどの太郞たらう太郞たらうたろうにおはしきにおはしきにおわしき。。。
  2. 2そのそのその御母おほんはは御母おほんははおおんはは治部卿ぢぶきやう治部卿ぢぶきやうじぶきょう隆俊たかとし隆俊たかとしたかとしののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんのむすめなりのむすめなりのむすめなり。。。久我こが久我こがこがのおほきおとゞとのおほきおとゞとのおおきおとどと申まう申まうもうしきしきしき。。。いといといと御身おほんみ御身おほんみおおんみのざえなどのざえなどのざえなどははは、、、おはせざりしかどおはせざりしかどおわせざりしかど、、、世よ世よよににに重おも重おもおもくくく思おも思おもおもはれたるはれたるわれたる人ひと人ひとひとにぞおはせしにぞおはせしにぞおわせし。。。
  3. 3父ちゝ父ちゝちちおとゞわがまゝなるおとゞわがまゝなるおとどわがままなる御心みこころ御心みこころみこころにてにてにて、、、ひが〳〵しきひが〳〵しきひがひがしき事こと事ことことどもどもども、、、したまひけるにもしたまひけるにもしたまいけるにも、、、このおとゞこのおとゞこのおとど參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまひければひければいければ、、、とゞまりたまひけりとゞまりたまひけりとどまりたまいけり。。。白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいんももも、、、耻は耻ははぢさせぢさせじさせ給たま給たまたまへりけるとこそへりけるとこそえりけるとこそ聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべりしかりしかりしか。。。
  4. 4醍醐だいご醍醐だいごだいごよりよりより、、、僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょうののの申まう申まうもうさるゝことなどさるゝことなどさるることなど侍はべ侍はべはべりけるりけるりけるををを、、、此こ此ここのおとゞにのおとゞにのおとどに、、、仰おほ仰おほおおせられせられせられ合あは合あはあわせければせければせければ、、、「「「知し知ししるるる所ところ所ところところなどなどなど幾いく幾いくいくばくもばくもばくも侍はべ侍はべはべらねばらねばらねば、、、さぶらふさぶらふさぶらう者もの者ものものどもにどもにどもに申まう申まうもうしつけてしつけてしつけて、、、づかさづかさづかさなどいふなどいふなどいう事こと事ことことははは、、、えええ知し知ししりりり給たま給たまたまはぬことになんはぬことになんわぬことになん」」」。。。
  5. 5などなどなど侍はべ侍はべはべりければりければりければ、、、「「「いといといと耻はづ耻はづはずかしくあるかなかしくあるかなかしくあるかな」」」。。。ととと仰おほ仰おほおおせられけりせられけりせられけり。。。
  6. 6堀河ほりかは堀河ほりかはほりかわのみかどののみかどののみかどの御時おほんとき御時おほんときおおんとき、、、子こ子ここののの少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうとてとてとて、、、右みぎ右みぎみぎのおとゞのおとゞのおとど、、、石淸水いはしみづ石淸水いはしみづいわしみずのののししし給たま給たまたまふべかりけるにふべかりけるにうべかりけるに、、、ノノノ御門みかど御門みかどみかどののの內うち內うちうちのおとゞのおとゞのおとど、、、少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうとておはするとておはするとておわするははは、、、上﨟じやうらふ上﨟じやうらふじょうろうなりけれどなりけれどなりけれど、、、一いち一いちいちののの舞ま舞ままははわ、、、中なか中なかなかノノノ院ゐん院ゐんいんぞぞぞ仰おほ仰おほおおせられんずらんとせられんずらんとせられんずらんと、、、おぼしけるにおぼしけるにおぼしけるに、、、ののの大殿おほとの大殿おほとのおおとのののの、、、關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくにおはするににおはするににおわするに、、、みかどもみかどもみかども憚はゞか憚はゞかはばかりてりてりて、、、宗むね宗むねむね能よし能よしよしののの一いち一いちいちののの舞ま舞ままししし給たま給たまたまへりければへりければえりければ、、、久我こが久我こがこがのおとゞのおとゞのおとど聞き聞きききつけきつけきつけ給たま給たまたまひてひていて、、、子こ子ここののの少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうをばをばをば呼よ呼よよびとゞめてびとゞめてびとどめて、、、腹はら腹はらはらだちてこもりだちてこもりだちてこもり給たま給たまたまひければひければいければ、、、みかどもいたませみかどもいたませみかどもいたませ給たま給たまたまひてひていて、、、心こころ心こころこころゆるさむとてゆるさむとてゆるさむとて、、、ををを給たま給たまたまはせたりければはせたりければわせたりければ、、、然しか然しかしかあらばあらばあらば、、、出い出いいでありかざらんもでありかざらんもでありかざらんも便びん便びんびんなしとてなしとてなしとて、、、慶よろこ慶よろこよろこびびび申まう申まうもうしなどせられけるにしなどせられけるにしなどせられけるに、、、關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくどのどのどの對面たいめん對面たいめんたいめんしたまひてしたまひてしたまいて、、、「「「ことのついでなればことのついでなればことのついでなれば申まう申まうもうすぞすぞすぞ。。。大饗だいきやう大饗だいきやうだいきょうにににははは、、、おとゞおとゞおとどににに申まう申まうもうさむずるなりさむずるなりさむずるなり。。。其そ其そそののの由よし由よしよしきこえしるべきなりきこえしるべきなりきこえしるべきなり」」」。。。
  7. 7などありてなどありてなどありて、、、賴たの賴たのたのみておはしけるみておはしけるみておわしける程ほど程ほどほどににに、、、そのそのその日ひ日ひひになりてになりてになりて、、、見み見みみせにせにせに遣つか遣つかつかはしたりければはしたりければわしたりければ、、、御物忌おほんものいみ御物忌おほんものいみおおんものいみにてにてにて、、、門かど門かどかどさしておはしければさしておはしければさしておわしければ、、、ののの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんをぞをぞをぞ、、、尊者そんじや尊者そんじやそんじゃにににははは呼よ呼よよびびび給たま給たまたまひけるひけるいける。。。
  8. 8ののの宮みや宮みやみやははは、、、むけにむけにむけに下くだ下くだくだりたるりたるりたる世よ世よよかなかなかな。。。とてとてとて、、、泣な泣ななかせかせかせ給たま給たまたまひけるとかやひけるとかやいけるとかや。。。臨時りんじ臨時りんじりんじののの祭まつり祭まつりまつりののの一いち一いちいちののの舞ま舞まま、、、少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうのしのしのし給たま給たまたまはぬはぬわぬ、、、やすからぬやすからぬやすからぬ心こころ心こころこころにてにてにて、、、かくたがへかくたがへかくたがえ給たま給たまたまふなりけりふなりけりうなりけり。。。
  9. 9そのそのその入道にふだう入道にふだうにゅうどう右みぎ右みぎみぎのおとゞのおとゞのおとど、、、宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうののの中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうととと申まう申まうもうしゝしゝしし時とき時ときとき、、、實能さねよし實能さねよしさねよしのおとゞののおとゞののおとどの、、、三位さんみ三位さんみさんみノノノ中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうとておはせしとておはせしとておわせし、、、越こ越ここえてえてえて中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんになりになりになり給たま給たまたまひけるにもひけるにもいけるにも、、、太政だいじやう太政だいじやうだいじょうのおとゞのおとゞのおとど、、、院ゐん院ゐんいんををを恨うら恨うらうらみみみ申まう申まうもうししし給たま給たまたまふとふとうと聞き聞ききかせかせかせ給たま給たまたまひてひていて、、、「「「中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうのせうとにてのせうとにてのしょうとにて、、、うちのせさせうちのせさせうちのせさせ給たま給たまたまふふう。。。事こと事ことことかなかなかな」」」。。。
  10. 10ととと仰おほ仰おほおおせられながらせられながらせられながら、、、長なが長ながなが忠たゞ忠たゞただののの宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょう、、、左大辨さだいべん左大辨さだいべんさだいべんにてにてにて中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんになりたりけるになりたりけるになりたりけるををを、、、「「「子こ子ここををを辨べん辨べんべんになさんとになさんとになさんと申まう申まうもうしけるものしけるものしけるものををを」」」とてとてとて、、、中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんにてにてにて七八日なぬかやうか七八日なぬかやうかなのかようかばかりやありけんばかりやありけんばかりやありけん。。。
  11. 11長なが長ながなが忠ちう忠ちうちゅうをばをばをば、、、大藏卿おほくらきやう大藏卿おほくらきやうおおくらきょうになしてになしてになして、、、子こ子ここののの能よし能よしよし忠ちう忠ちうちゅうをばをばをば辨べん辨べんべんになしてぞになしてぞになしてぞ、、、中なか中なかなかノノノ院ゐん院ゐんいんののの宰相中將さいしやうのちゆうじやう宰相中將さいしやうのちゆうじやうさいしょうのちゅうじょうははは、、、中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんになりになりになり給たま給たまたまふとふとうとうけうけうけ給たま給たまたまはははりしりしりし。。。
  12. 12白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいん、、、盛もり盛もりもり重しげ重しげしげとてありしとてありしとてありしををを御使おほんつかひ御使おほんつかひおおんつかいにてにてにて、、、太政だいじやう太政だいじやうだいじょうのおとゞにのおとゞにのおとどに、、、「「「何事なにごと何事なにごとなにごとももも、、、思おも思おもおもふふう事こと事ことことのかなはぬのかなはぬのかなわぬはははなきになきになきに、、、上﨟じやうらふ上﨟じやうらふじょうろう女房にようばう女房にようばうにょうぼうなんなんなん、、、心こころ心こころこころにかなはぬことにかなはぬことにかなわぬことはははあるあるあるををを、、、思おも思おもおもひかけずひかけずいかけず上﨟じやうらふ上﨟じやうらふじょうろう女房にようばう女房にようばうにょうぼうをををまうけたるまうけたるもうけたる事こと事ことことなんなんなん侍はべ侍はべはべるるる」」」。。。
  13. 13ととと、、、仰おほ仰おほおおせられたりければせられたりければせられたりければ、、、「「「いかなるいかなるいかなる人ひと人ひとひとののの事こと事ことことにかにかにか」」」ととと問と問ととひひい給たま給たまたまふにふにうに、、、外ほか外ほかほか腹はら腹はらはらののの姫君ひめぎみ姫君ひめぎみひめぎみのおはしけるのおはしけるのおわしける御事おほんこと御事おほんことおおんことなりけりなりけりなりけり。。。それそれそれををを聞き聞ききききき給たま給たまたまひてひていて、、、御後見おほんうしろみ御後見おほんうしろみおおんうしろみ呼よ呼よよびてびてびて、、、「「「そのそのその姫君ひめぎみ姫君ひめぎみひめぎみのもとのもとのもとへへへ、、、さたしやるさたしやるさたしやる事こと事ことことどもどもどもははは怠おこた怠おこたおこたらぬからぬからぬか」」」。。。
  14. 14ととと問と問ととひひい給たま給たまたまへばへばえば、、、さらにさらにさらに怠おこた怠おこたおこたりりり侍はべ侍はべはべらずらずらず。。。ととと申まう申まうもうすにすにすに、、、「「「今いま今いまいまはははそのさたあるまじそのさたあるまじそのさたあるまじ」」」。。。とありければとありければとありければ、、、御使おほんつかひ御使おほんつかひおおんつかいももも後見うしろみ後見うしろみうしろみももも、、、いといといと思おも思おもおもはずにはずにわずに思おも思おもおもへりけりへりけりえりけり。。。
  15. 15「「「御おん御おんおんかへりいかゞかへりいかゞかえりいかが」」」ととと申まう申まうもうしければしければしければ、、、「「「うけうけうけ給たま給たまたまはははりぬりぬりぬ」」」。。。とばかりとばかりとばかり申まう申まうもうししし給たま給たまたまひけりひけりいけり。。。院ゐん院ゐんいんはははともかくものともかくものともかくもの給たま給たまたまはざりけりとなんはざりけりとなんわざりけりとなん。。。かやうにかやうにかように院ゐん院ゐんいんにもにもにも關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくにもにもにも憚はゞか憚はゞかはばかりりり給たま給たまたまはぬはぬわぬ人ひと人ひとひとにおはしけりにおはしけりにおわしけり。。。
  16. 16御心みこころ御心みこころみこころのあてなるあまりにのあてなるあまりにのあてなるあまりに、、、物もの物ものものののの數かず數かずかずももも、、、こまかにこまかにこまかに知し知ししりりり給たま給たまたまはざりけるにやはざりけるにやわざりけるにや。。。納殿をさめどの納殿をさめどのおさめどのするさぶらひするさぶらひするさぶらい人ひと人ひとひとのもとにのもとにのもとに、、、きぬせさせにやれとありければきぬせさせにやれとありければきぬせさせにやれとありければ、、、「「「二ふた二ふたふたつがつがつが料れう料れうりょうにににははは、、、ふたふたふた匹ぴき匹ぴきぴきなんなんなん遣つかは遣つかはつかわしつるしつるしつる」」」。。。
  17. 17ととと申まう申まうもうしければしければしければ、、、「「「一ひと一ひとひとつつつをををこそこそこそ、、、二に二にに匹ぴき匹ぴきぴきにてにてにてはすれはすれはすれ」」」。。。とのたまひてとのたまひてとのたまいて、、、驚おどろ驚おどろおどろききき給たま給たまたまひけるにひけるにいけるに、、、內うち內うちうち匠しやう匠しやうしょうのすけなにがしといふにのすけなにがしといふにのすけなにがしというに、、、問と問ととひひい給たま給たまたまひければひければいければ、、、同おな同おなおなじさまにじさまにじさまに申まう申まうもうしけるにこそしけるにこそしけるにこそ、、、「「「さささはははえええ知し知ししらざりけるにこそらざりけるにこそらざりけるにこそ」」」。。。
  18. 18ととと、、、折を折をおれれれ給たま給たまたまひけれひけれいけれ。。。これこれこれをををいへいへいえ人ひと人ひとひと、、、語かた語かたかたりあひけるりあひけるりあいけるをををきゝてきゝてききて、、、延の延ののといふといふという近衞こんゑ近衞こんゑこんえ舍人とねり舍人とねりとねりははは、、、「「「いづれのいづれのいずれの國くに國くにくにのきぬとかのきぬとかのきぬとかををを、、、こまかにきりなどせさせこまかにきりなどせさせこまかにきりなどせさせ給たま給たまたまふふう所ところ所ところところもおはしますものもおはしますものもおわしますものををを」」」などいひけるなどいひけるなどいいける、、、いといといと耻はづ耻はづはずかしくこそかしくこそかしくこそ。。。
  19. 19このおこのおこのおほいまうちぎみほいまうちぎみほいもうちぎみ、、、おこりごゝちわづらひおこりごゝちわづらひおこりごこちわずらい給たま給たまたまひけるにひけるにいけるに、、、白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいんよりよりより平等院びやうどうゐん平等院びやうどうゐんびょうどういんののの僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょうをををつかはしてつかはしてつかわして、、、祈いの祈いのいのらせらせらせ給たま給たまたまひけるにひけるにいけるに、、、おこたりたるおこたりたるおこたりたる布施ふせ布施ふせふせ馬むま馬むまうまをををひきひきひき給たま給たまたまひけるひけるいける、、、大方おほかた大方おほかたおおかたいひしらぬいひしらぬいいしらぬ惡あ惡ああ馬むま馬むまうまになむになむになむ侍はべ侍はべはべりければりければりければ、、、院ゐん院ゐんいんきこしめしてきこしめしてきこしめして、、、「「「われこそわれこそわれこそ布施ふせ布施ふせふせももも得う得ううべけれべけれべけれ」」」。。。
  20. 20ととと、、、盛もり盛もりもり重しげ重しげしげといひしといひしといいしををを遣つか遣つかつかはしてはしてわして、、、仰おほ仰おほおおせられければせられければせられければ、、、院ゐん院ゐんいんにありがたきものにありがたきものにありがたきもの參まゐ參まゐまいらせんとてらせんとてらせんとて、、、武藏むさし武藏むさしむさしののの大德だいとこ大德だいとこだいとこ賴より賴よりよりがつくりたるがつくりたるがつくりたる、、、小弓こゆみ小弓こゆみこゆみ一ひと一ひとひとひねりしたるひねりしたるひねりしたるををを取と取ととりいでてりいでてりいでて、、、漆しつ漆しつしつのきらめきたるさしてのきらめきたるさしてのきらめきたるさして、、、すりまはしてすりまはしてすりまわして、、、錦にしき錦にしきにしきのゆづかとりすてゝのゆづかとりすてゝのゆずかとりすてて、、、みちのくにみちのくにみちのくに紙かみ紙かみかみしてしてしてひきひきひき卷ま卷ままきてきてきて、、、錦にしき錦にしきにしきののの袋ふくろ袋ふくろふくろにもにもにも入い入いいれずれずれず、、、唯ただ唯ただただみちのくにみちのくにみちのくに紙かみ紙かみかみにつゝみてにつゝみてにつつみて、、、たてまつられたりければたてまつられたりければたてまつられたりければ、、、いといといと珍めづ珍めづめずらしきものなりとらしきものなりとらしきものなりと、、、たちかへりたちかへりたちかえり仰おほ仰おほおおせられけるとぞきゝせられけるとぞきゝせられけるとぞきき侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

中宮(賢子)の御兄弟たちは、男も僧もさまざまに大勢いらっしゃいました。太政大臣雅実の大臣と申し上げた方は、中宮と同じ御腹のご兄弟で、六条の右大臣(顕房)の長男でいらっしゃいました。その御母は治部卿隆俊の中納言の娘です。久我の太政大臣と申し上げました。身の学才などはたいしておありでなかったけれど、世に重く思われていた人でいらっしゃいました。父の大臣がわがままなご気性で、ひねくれたことなどをなさった時にも、この大臣が参られると、おやめになりました。白河院も気がねなさったと聞こえました。醍醐(寺)から僧正が申されることなどがありましたのを、この大臣にご相談なさったところ、「(院が)お知りになる所(荘園)など幾らもございませんので、仕える者どもに申しつけてあり、下司などということは、ご存じないことでございましょう」などと申したので、「たいそう恥ずかしいことだな」と仰せられました。

堀河の帝の御代、子の少将で、入道右大臣(雅定)が石清水(臨時祭)の舞人をなさることになった時、中御門の内大臣(宗能)が少将でいらしたのは上臈だったけれど、一の舞は中院(雅定)に仰せられるだろうと(雅実は)お思いになっていたのに、知足院の大殿(忠実)が関白でいらしたので、帝も遠慮されて、宗能が一の舞をなさったので、久我の大臣はお聞きつけになって、子の少将を呼び止めて、腹を立てて籠居なさったので、帝も気の毒に思われて、機嫌を直させようと加階をお与えになったところ、そうであれば出歩かないのも不都合だといって、お礼を申し上げたりなさった時、関白殿がお会いになって、「事のついでだから申すが、(私の)大饗には大臣を尊者にお願いしようと思う。そのことを承知しておいてほしい」などとあって、(関白は)頼みにしていらしたが、その日になって(使いを)見にやったところ、(雅実は)物忌みといって門を閉ざしていらしたので、俊明の大納言を尊者にお呼びになりました。四条の宮(寛子)は「ひどく落ちぶれた世だこと」といってお泣きになったとか。臨時の祭の一の舞を(わが子の)少将がなさらなかったのが不愉快な心で、このように違えなさったのでした。その入道右大臣が宰相中将と申した時、実能の大臣が三位中将でいらしたのが(雅定を)越えて中納言になられた時にも、太政大臣が院を恨み申されていると(院は)お聞きになって、「(実能は)中宮(璋子)の兄で、帝(鳥羽)がなさったことだ。どうしようもないことだな」と仰せられながら、長忠の宰相が左大弁で中納言になったのを、「子を弁にしようと申していたのに」といって、中納言で七、八日ほどいたでしょうか、長忠を大蔵卿にして、子の能忠を弁にして、(その空きに)中院の宰相中将は中納言になられたと承りました。

白河院が盛重という者を御使いとして、太政大臣に「何事も思うことがかなわないことはないのに、上臈女房だけは心にかなわないことがあったが、思いがけず上臈女房を得たことがございます」と仰せられたので、「どのような人のことか」とお尋ねになると、外腹の姫君がいらっしゃったことでした。それをお聞きになって、家の後見を呼んで、「その姫君のもとへ取り計らって送っている物は怠っていないか」とお尋ねになると、「少しも怠っておりません」と申すので、「今はそのような世話はいらないだろう」とあったので、御使いも後見も、たいそう意外に思いました。「お返事はどうしましょう」と申したところ、「承った」とだけ申されました。院はとやかくおっしゃらなかったということです。このように院にも関白にも遠慮なさらない人でいらっしゃいました。お心が上品すぎて、物の数も細かくはご存じなかったのでしょうか。納殿の侍のもとに、絹(の衣)を作らせにやれとあったところ、「二つ分の材料には二匹を遣わしました」と申したので、「一つを二匹で作るものだ」とおっしゃって驚かれたので、内匠助の誰それという者にお尋ねになったところ、同じように申したので、「それではわからなかったのだ」と折れられたのでした。これを家の人が語り合っていたのを聞いて、兼延という近衛舎人は「どこの国の絹かまで、細かく区別させなさる所もありますのに」などと言ったのは、たいそう恥ずかしいことです。

この大臣が瘧病を患われた時、白河院から平等院の僧正(行尊)を遣わしてお祈りさせなさったが、治ったお礼の布施として馬を引いて与えられたのが、何とも言いようのない悪い馬でございましたので、院がお聞きになって、「私こそ布施を受け取るべきだ」と、盛重といった者を遣わして仰せられたので、院に珍しいものを差し上げようといって、武蔵の大徳隆頼が作った、小弓の弓束の下を一ひねりした物を取り出して、漆の光ったところを擦り回して、錦の弓束を取り捨てて、陸奥紙で巻いて、錦の袋にも入れず、ただ陸奥紙に包んで差し上げられたところ、たいそう珍しい物だと、折り返し仰せられたと聞きました。

意訳

久我太政大臣雅実は村上源氏の嫡流で、久我家の祖となった。学才はなかったが、気位が高く、白河院にも関白忠実にも遠慮せず、父顕房のわがままも雅実が参上すれば収まったという。

息子雅定が石清水臨時祭の一の舞を宗能に奪われると、雅実は関白忠実が帝に働きかけたと見て腹を立てた。忠実の大饗に尊者として招かれながら、当日は物忌みと称して門を閉ざした。章題の「紫のゆかり」は、中宮(賢子)の兄弟であるという縁故を指すのであろう。

白河院が雅実の外腹の娘を召したと知らせてきた時も、雅実は「承った」とだけ答え、娘への仕送りを止めさせた。絹の数も知らないおっとりした大臣が、病気平癒の布施に悪馬を贈ったことを院にとがめられると、珍しい小弓を飾りもつけずに献上して院を喜ばせた。

語釈・文法注

太政大臣雅實
源雅実(1059〜1127)。顕房の子。久我太政大臣。久我家の祖。
しもづかさ
下司。荘園の現地の管理者。
入道右のおとゞ
源雅定。雅実の子。第51章参照。
石淸水の舞人
石清水臨時祭で東遊を舞う人。一の舞はその筆頭。
中ノ御門の內のおとゞ
藤原宗能。第49章参照。
知足院の大殿
藤原忠実(1078〜1162)。当時の関白。
加階
位階を上げること。
尊者
大饗の主賓。
俊明の大納言
源俊明。
四條の宮
藤原寛子。頼通の娘。後冷泉天皇の皇后。忠実の大叔母。
ずちなき
術なし。どうしようもない。
兼延
近衛舎人。
ゆづか
弓束。弓を握る部分。
武藏の大德隆賴
弓作りの名手の僧か。伝未詳。

文法

いと耻かしくあるかな
たいそう恥ずかしいことだな。雅実の言葉に恐縮した白河院の言葉。
むけに下りたる世かな
「むげに」はひどく。ひどく落ちぶれた世だ。

解説

院政期の最高権力者白河院に対しても臆さない雅実の姿は、村上源氏の誇りの高さを示している。今鏡は、その鷹揚さと頑固さを好意的に描いている。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、311〜316頁(コマ170–173)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日