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今鏡 第七「村上の源氏」 第63章

有栖川

賢子中宮の皇女たちの御所の奥ゆかしさ。二条大宮令子内親王の御所では、月夜に忍んで立ち聞きした成通らが、箏の爪音や源氏物語を読む声を聞いた。女房摂津の機知に富んだ言葉、土御門斎院禛子内親王の御所での「水の上の花」の歌会と、堀川の君の歌、雅定の有栖川の歌が語られる。

  1. 1このこのこの中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうののの姫宮ひめみや姫宮ひめみやひめみや、、、二條にでう二條にでうにじょうののの大宮おほみや大宮おほみやおおみやとてとてとて、、、女院にようゐん女院にようゐんにょういんののの御おん御おんおんおとうとおはしましゝおとうとおはしましゝおとうとおわしましし、、、ノノノ內親王ないしんわう內親王ないしんわうないしんのうとてとてとて、、、齋院さいゐん齋院さいゐんさいいんになりになりになり給たま給たまたまひてひていて、、、後のち後のちのちにににははは鳥羽とば鳥羽とばとばノノノ院ゐん院ゐんいんののの御母おほんはは御母おほんははおおんははとてとてとて、、、皇后宮くわうごうぐう皇后宮くわうごうぐうこうごうぐうになりになりになり給たま給たまたまひてひていて、、、大宮おほみや大宮おほみやおおみやにあがらせにあがらせにあがらせ給たま給たまたまひにきひにきいにき。。。
  2. 2いといといと心こころ心こころこころにくきにくきにくき宮みや宮みやみやのののうちとうちとうちと聞き聞ききききき侍はべ侍はべはべりしりしりしははは、、、侍從大納言じじゆうのだいなごん侍從大納言じじゆうのだいなごんじじゅうのだいなごん、、、三條さんでう三條さんでうさんじょうのおとゞなどのおとゞなどのおとどなど、、、まだまだまだ下﨟げらふ下﨟げらふげろうにおはせしにおはせしにおわせし時とき時ときとき、、、月つき月つきつきのあかゝりけるのあかゝりけるのあかかりける夜よ夜よよ、、、さまやつしてさまやつしてさまやつして、、、宮みや宮みやみやばらばらばらををを、、、忍しの忍しのしのびてびてびて立た立たたちちち聞き聞きききたまひけるにきたまひけるにきたまいけるに、、、あるあるあるははは皆みな皆みなみなねいりなどしたるもねいりなどしたるもねいりなどしたるも有あ有あありけりりけりりけり。。。
  3. 3このこのこの宮みや宮みやみやににに入い入いいりたまひければりたまひければりたまいければ、、、西にし西にしにしののの對たい對たいたいののの方かた方かたかた、、、しづまりたるけしきにてしづまりたるけしきにてしずまりたるけしきにて、、、人々ひとびと人々ひとびとひとびと皆みな皆みなみなねたるにやとねたるにやとねたるにやと、、、おぼしかりけるにおぼしかりけるにおぼしかりけるに、、、奧おく奧おくおくののの方かた方かたかたににに、、、わざとわざとわざとはははなくてなくてなくて、、、箏さう箏さうそうのことののことののことの、、、、、、絕た絕たたえええ〳〵〳〵たえきこえけりきこえけりきこえけり。。。
  4. 4いとやさしくいとやさしくいとやさしく聞き聞ききこえけるにこえけるにこえけるに、、、北きた北きたきたののの方かた方かたかたのつまなるのつまなるのつまなる局つぼね局つぼねつぼね、、、妻戶つまど妻戶つまどつまどたてたりければたてたりければたてたりければ、、、月つき月つきつきももも見み見みみぬにやとおぼしけるにぬにやとおぼしけるにぬにやとおぼしけるに、、、うちにうちにうちに源氏げんじ源氏げんじげんじよみてよみてよみて、、、こそいみじけれこそいみじけれこそいみじけれ。。。
  5. 5葵あふひ葵あふひあおいはははしかありなどきこえけりしかありなどきこえけりしかありなどきこえけり。。。臺盤所だいばんどころ臺盤所だいばんどころだいばんどころののの方かた方かたかたにににははは、、、さゞれさゞれさざれ石いし石いしいしまきてまきてまきて、、、拾ひり拾ひりひりふふう音おと音おとおとなどきこえけるなどきこえけるなどきこえけるをぞをぞをぞ、、、昔むかし昔むかしむかしののの宮みや宮みやみやばらもばらもばらも、、、かくやありけんとかくやありけんとかくやありけんと侍はべ侍はべはべりけるりけるりける。。。
  6. 6またまたまた古ふる古ふるふるききき歌うた歌うたうたよみよみよみ、、、津つ津つつののの御おん御おんおんといふといふという、、、又また又またまた六條ろくでう六條ろくでうろくじょうとてとてとて、、、若わか若わかわかきききうたよみなどありてうたよみなどありてうたよみなどありて、、、をりふしにつけてをりふしにつけておりふしにつけて、、、心こころ心こころこころにくきにくきにくき御おん御おんおんたちたちたち、、、多おほ多おほおおくくく侍はべ侍はべはべりけりりけりりけり。。。爲忠ためただ爲忠ためただためただといひしがといひしがといいしが子こ子ここののの、、、業わざ業わざわざといひしにやといひしにやといいしにや。。。
  7. 7いづれにかありけんいづれにかありけんいずれにかありけん。。。かのかのかの宮みや宮みやみやによるによるによる參まゐ參まゐまいりてりてりて、、、御おん御おんおんたちあそびけるにたちあそびけるにたちあそびけるに、、、爲忠ためただ爲忠ためただためただ國くに國くにくににまかりけるにまかりけるにまかりける程ほど程ほどほどなりけるになりけるになりけるに、、、年老としお年老としおとしおいたるいたるいたる聲こゑ聲こゑこえにてにてにて、、、「「「ととと天あめ天あめあめののの橋立はしだて橋立はしだてはしだてととと、、、いづれまさりていづれまさりていずれまさりて覺おぼ覺おぼおぼえさせえさせえさせ給たま給たまたまひしひしいし。。。とたよりにとたよりにとたよりに傳つた傳つたつたへたまへへたまへえたまえ」」」。。。
  8. 8などいひけるなどいひけるなどいいけるををを、、、後のち後のちのちににに、、、又また又またまたあるごたちあるごたちあるごたち、、、「「「かくかくかく言こと言ことことづてしづてしずてし給たま給たまたまふふう人ひと人ひとひとをばをばをば、、、誰た誰たたれとかれとかれとか知し知ししりたまひたるりたまひたるりたまいたる」」」。。。といひければといひければといいければ、、、「「「八橋やつはし八橋やつはしやつわし天あめ天あめあめののの橋立はしだて橋立はしだてはしだてなどなどなど侍はべ侍はべはべりけるにりけるにりけるに、、、心得こころえ心得こころえこころえ侍はべ侍はべはべりぬりぬりぬ」」」。。。
  9. 9といひけるといひけるといいけるををを、、、次つぎ次つぎつぎののの日ひ日ひひ、、、「「「よべよべよべ心こころ心こころこころえたりといはれしこそえたりといはれしこそえたりといわれしこそ、、、猶なほ猶なほなおそのそのその人ひと人ひとひとののの如ごと如ごとごとくおぼゆれくおぼゆれくおぼゆれ」」」などいひけるなどいひけるなどいいけるをををきゝてきゝてききて、、、攝つ攝つつ津つ津つつののの御おん御おんおんとりもあへずとりもあへずとりもあえず、、、「「「心得こころえ心得こころえこころえずのことやずのことやずのことや。。。八橋やつはし八橋やつはしやつわしなどいなどいなどいはははんからにんからにんからに、、、われとやわれとやわれとや心得こころえ心得こころえこころえべきべきべき。。。橋はし橋はしはしといはゞこそといはゞこそといわばこそ、、、われとわれとわれとははは知し知ししらめらめらめ」」」。。。といひけるもといひけるもといいけるも、、、をかしくをかしくおかしく。。。
  10. 10又また又またまた土御門つちみかど土御門つちみかどつちみかどののの齋院さいゐん齋院さいゐんさいいんととと申まう申まうもうしてしてして、、、ノノノ內親王ないしんわう內親王ないしんわうないしんのうとておはしきとておはしきとておわしき。。。そのそのその齋院さいゐん齋院さいゐんさいいんははは、、、常つね常つねつねににに法のり法のりのりののの筵えん筵えんえんなどなどなどひらかせひらかせひらかせ給たま給たまたまひてひていて、、、法文ほふもん法文ほふもんほうもんのことなどのことなどのことなど、、、僧そう僧そうそう參まゐ參まゐまいりあひてりあひてりあいて、、、たふとたふととうとききき事こと事ことことどもどもども侍はべ侍はべはべりけりりけりりけり。。。
  11. 11入道にふだう入道にふだうにゅうどう中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんなどまゐりつゝなどまゐりつゝなどまいりつつ、、、もてなしきこえもてなしきこえもてなしきこえ給たま給たまたまひけるとかやひけるとかやいけるとかや。。。歌うた歌うたうたなどもなどもなども、、、人々ひとびと人々ひとびとひとびとまゐりてよむまゐりてよむまいりてよむ折をり折をりおりももも侍はべ侍はべはべりけりりけりりけり。。。水みづ水みづみずのののうへのうへのうえの花はな花はなはなといふといふという題だい題だいだいををを、、、時とき時ときときののの歌うた歌うたうたよみどもよみどもよみども、、、參まゐ參まゐまいりてよみけるにりてよみけるにりてよみけるに、、、女房にようばう女房にようばうにょうぼうののの歌うた歌うたうた、、、とり〳〵にをかしかりければとり〳〵にをかしかりければとりとりにおかしかりければ、、、木工もく木工もくもくノノノ頭かしら頭かしらかしらももも、、、むしろにつらなりてむしろにつらなりてむしろにつらなりて、、、「「「このこのこのうたうたうたははは、、、圍碁ゐご圍碁ゐごいご侍はべ侍はべはべらんらんらん」」」。。。
  12. 12などなどなど、、、とり〳〵にとり〳〵にとりとりに褒はう褒はうほうめられけるとぞめられけるとぞめられけるとぞ。。。其そ其そそのののひとりひとりひとりははは、、、堀川ほりかは堀川ほりかはほりかわノノノ君きみ君きみきみとてとてとて、、、ノノノ伯はく伯はくはくのむすめのおはせしのむすめのおはせしのむすめのおわせしうたうたうた、、、
  13. 13雪ゆき雪ゆきゆきとちるとちるとちる花はな花はなはなののの下した下したしたゆくゆくゆく山水やまみづ山水やまみづやまみずのさえぬやのさえぬやのさえぬや春はる春はるはるのしるしなるらんのしるしなるらんのしるしなるらん
  14. 14またまたまた
  15. 15春風はるかぜ春風はるかぜはるかぜにきしのにきしのにきしの櫻さくら櫻さくらさくらののの散ち散ちちるまゝにいとゞるまゝにいとゞるままにいとど咲さ咲ささきそふきそふきそう浪なみ浪なみなみののの花はな花はなはなかなかなかな
  16. 16このこのこの外ほか外ほかほかもきゝもきゝもきき侍はべ侍はべはべりしかどりしかどりしかど、、、忘わす忘わすわすれにけりれにけりれにけり。。。入道にふだう入道にふだうにゅうどう治部卿ぢぶきやう治部卿ぢぶきやうじぶきょうののの、、、「「「嵐あらし嵐あらしあらしややや峯みね峯みねみねをををわたるらんわたるらんわたるらん」」」。。。とよみとよみとよみ給たま給たまたまふふう、、、そのたびのそのたびのそのたびの歌うた歌うたうたなりなりなり。。。白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいん歌うた歌うたうたどもめしよせてどもめしよせてどもめしよせて、、、御覽ごらん御覽ごらんごらんじなどせさせじなどせさせじなどせさせ給たま給たまたまひけりひけりいけり。。。
  17. 17一ひと一ひとひとノノノ院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおんむすめなればにやむすめなればにやむすめなればにや。。。殊こと殊ことことののの外ほか外ほかほかににに、、、あるべかしくぞあるべかしくぞあるべかしくぞ、、、宮みや宮みやみやのののうちうちうち侍はべ侍はべはべりけるりけるりける。。。女房にようばう女房にようばうにょうぼう中なか中なかなか﨟らふ﨟らふろうになりぬればになりぬればになりぬれば、、、みづからみづからみずから、、、さぶらひにさぶらひにさぶらいに物もの物ものものいひなどいひなどいいなどはせざりけりとぞきこえはせざりけりとぞきこえはせざりけりとぞきこえ侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。
  18. 18このこのこの齋院さいゐん齋院さいゐんさいいんかくれさせかくれさせかくれさせ給たま給たまたまひてのちひてのちいてのち、、、そのあとにそのあとにそのあとに、、、ののの齋院さいゐん齋院さいゐんさいいんつぎてつぎてつぎて、、、すみすみすみ給たま給たまたまひけるこそひけるこそいけるこそ、、、昔むかし昔むかしむかしおぼしいでておぼしいでておぼしいでて中なか中なかなかノノノ院ゐん院ゐんいんののの入道にふだう入道にふだうにゅうどうおとゞよみおとゞよみおとどよみ給たま給たまたまひけるひけるいける、、、
  19. 19ははは同おな同おなおなじじじ流なが流ながながれとれとれと思おも思おもおもへどもへどもえども昔むかし昔むかしむかしのかげののかげののかげの見み見みみえばこそあらめえばこそあらめえばこそあらめ

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

この中宮(賢子)の姫宮で二条の大宮といって、女院(郁芳門院)の御妹でいらっしゃった方は、令子内親王といって、斎院になられて、後には鳥羽院の御母(准母)として皇后宮になられて、太皇太后宮に上られました。たいそう奥ゆかしい宮の内だと聞きましたのは、侍従大納言(成通)や三条の大臣(実房?公教)などが、まだ下臈でいらした時、月の明るかった夜、姿をやつして宮々の御所を忍んで立ち聞きなさったところ、ある所は皆寝入ったりしていました。この宮にお入りになったところ、西の対の方は静まった様子で、人々は皆寝たのかとお思いになったが、奥の方に、わざとらしくなく箏の琴を爪で鳴らして、とぎれとぎれに聞こえました。たいそう優雅に聞こえたので、北の方の端の局が妻戸を閉めていたので、月も見ないのかとお思いになったところ、中で源氏物語を読んで、「賢木の巻こそすばらしい。葵の巻はそうでもない」などと聞こえました。台盤所の方では、小石を撒いて乱碁を拾う音などが聞こえたのを、「昔の宮々の御所もこのようであったろうか」と(言った)そうです。また古い歌詠みの摂津の御という者や、また六条といって若い歌詠みなどがいて、折々につけて奥ゆかしい女房たちが多くおりました。為忠といった人の子の為業といった者でしょうか、どちらでしたか、その宮に夜参って、女房たちと遊んでいた時、為忠が任国に下っていたころだったが、年老いた声で「八橋と天の橋立と、どちらがまさって思われましたか、と便りに伝えてください」などと言ったのを、後にまたある女房が「このように言づてをなさった人を、誰だとお分かりになったのですか」と言ったので、「八橋・天の橋立などとありましたので、分かりました」と言ったのを、次の日、「昨夜わかったと言われたのこそ、やはりその人(摂津)のように思われる」などと言ったのを聞いて、摂津の御がすかさず、「心得ないことを。八橋などと言ったからといって、私だと分かるものですか。長柄の橋と言ったならこそ、私だと分かるでしょうが」と言ったのも、趣深いことです。

また土御門の斎院と申して、禛子内親王という方がいらっしゃいました。その斎院はいつも法会の席などを開かれて、法文のことなどで僧たちが参り集まって、尊いことがありました。雅兼入道中納言などが参っては、おもてなし申し上げなさったとか。歌なども人々が参って詠む折もありました。「水の上の花」という題を、当時の歌詠みたちが参って詠んだ時、女房の歌がそれぞれに趣深かったので、木工頭俊頼も座に連なっていて、「この歌は、囲碁ならば持(引き分け)にするのがよいでしょう」などと、それぞれに褒められたそうです。その一人は堀川の君といって、顕仲の伯の娘でいらした方の歌、

雪のように散る花の下を流れてゆく山の水が冷たくないのは、春のしるしなのだろうか。

また、

春風に岸の桜が散るにつれて、いっそう咲き添う波の花であることよ。

このほかにも聞きましたけれど、忘れてしまいました。入道治部卿(雅兼)が「嵐や峯をわたるらん」とお詠みになったのも、その時の歌です。白河院は歌どもを召し寄せてご覧になったりなさいました。一の院(後三条院)の御娘だからでしょうか、ことのほかきちんとしていたのが、宮の内でございました。女房は中臈になると、自分で侍に物を言ったりはしなかったと聞こえました。この斎院がお亡くなりになった後、その跡に堀河の斎院(官子内親王)が継いでお住みになったのこそ、昔を思い出して中院の入道大臣(雅定)がお詠みになった歌、

有栖川は同じ流れだと思うけれど、昔(の斎院)の影が見えるならばこそ(よいのに)。

意訳

賢子の皇女令子内親王(二条大宮)の御所は、奥ゆかしい雰囲気で知られた。月夜に忍んで立ち聞きした若い貴族たちは、箏の爪音、源氏物語の「賢木」と「葵」の巻を比べ合う声、乱碁を拾う音を聞き、昔の宮廷のようだと感じた。

老女房摂津は、「八橋と天の橋立」と言っただけで自分だと分かるものか、「長柄の橋」なら分かるだろうが、と切り返した。長柄の橋は古くから朽ちたものの代名詞であり、老いた自分を当てこする洒落である。

土御門斎院禛子内親王の御所でも歌会や法会が催された。章題の「有栖川」は、斎院の御所近くを流れる有栖川を詠んだ雅定の歌による。斎院が代わっても同じ流れだが、昔の斎院の面影は見えない、と懐旧の情を詠む。

語釈・文法注

令子ノ內親王
令子内親王(1078〜1144)。白河天皇の皇女。賀茂斎院を経て、鳥羽天皇の准母として皇后、のち太皇太后。二条大宮。
つまならし
琴の爪で音を鳴らすこと。
榊こそいみじけれ。葵はしかあり
源氏物語の「賢木」の巻と「葵」の巻を比べて評している。
らんご
乱碁。碁石を撒いて拾い合う遊び。
攝津の御
令子内親王に仕えた女房。歌人。
爲業
藤原為業。為忠の子。のち出家して寂念と号した。
八橋
三河国の歌枕。『伊勢物語』の東下りで知られる。
ながらの橋
長柄の橋。摂津国の歌枕。古くて朽ちたものの代表とされた。摂津の国にあることにも掛ける。
禛子ノ內親王
禛子内親王(1081〜1156)。白河天皇の皇女。賀茂斎院。土御門斎院。
雅兼入道中納言
源雅兼。第45章参照。
木工ノ頭俊賴
源俊頼(1055〜1129)。歌人。『金葉集』の撰者。
かたみせん
持(じ)。歌合や囲碁で引き分けのこと。
顯仲ノ伯
源顕仲(1058〜1138)。顕房の子。神祇伯。歌人。
堀河の齋院
官子内親王。白河天皇の皇女。
ありすがは
有栖川。賀茂斎院の御所(紫野)の近くを流れる川。

文法

われとは知らめ
「こそ…め」の結び。私だと分かるでしょうが。
見えばこそあらめ
見えるならばこそよいだろうが(見えないのが悲しい)。

和歌

雪とちる花の下ゆく山水のさえぬや春のしるしなるらん

詠者
堀川(源顕仲の娘)
状況
土御門斎院の歌会で「水の上の花」の題で詠んだ歌。

修辞

見立て
散る桜を雪に見立てる。
対比
雪のように見えても水が冷たくないことに、春を感じる。

春風にきしの櫻の散るまゝにいとゞ咲きそふ浪の花かな

詠者
堀川(源顕仲の娘)
状況
同じく「水の上の花」の題で詠んだ歌。

修辞

見立て
水面に散った桜の花びらを「波の花」に見立てる。

ありすがは同じ流れと思へども昔のかげの見えばこそあらめ

詠者
源雅定
状況
土御門斎院の死後、別の斎院がその御所に住んだ時に、昔を偲んで詠んだ歌。

修辞

掛詞
「かげ」に水に映る影と、斎院の面影をかける。

解説

皇女たちの御所は、女房たちの教養と機知が花開く文化サロンだった。源氏物語の巻の優劣を論じる声が聞こえたという話は、院政期に源氏物語がいかに愛読されていたかを伝えている。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、308〜311頁(コマ169–170)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日