古典ライブラリー

今鏡 第七「村上の源氏」 第60章

堀河の流れ

堀川左大臣俊房の子孫。長男師頼は博学で歌を早く詠み、恋した女に百首を一晩で詠み上げたが、女は姿を消した。次男師時は日記を膨大に書き残し、妻を六、七人持って夜ごとに巡った。孫の師仲・師俊、曾孫の寛勝僧都の名説法など、学問と才芸の家として六代続いた一門が語られる。

  1. 1堀川ほりかは堀川ほりかはほりかわののの左ひだり左ひだりひだりのおとゞののおとゞののおとどの御子みこ御子みこみこははは、、、太郞たらう太郞たらうたろうにてにてにてははは大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんとておはせしとておはせしとておわせし、、、御母おほんはは御母おほんははおおんはは中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょう實さね實さねさね基き基ききののの君きみ君きみきみののの御おん御おんおんむすめなりむすめなりむすめなり。。。文ふみ文ふみふみなどなどなど博はか博はかはかくくく習なら習ならならひひい給たま給たまたまひてひていて、、、ざえおはするざえおはするざえおわする人ひと人ひとひとにておはしきにておはしきにておわしき。。。
  2. 2中辨ちゆうべん中辨ちゆうべんちゅうべんよりよりより宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうになりになりになり給たま給たまたまひてひていて、、、宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうにてにてにて、、、前さき前さきさきののの右う右うう兵衞ひやうゑ兵衞ひやうゑひょうえノノノ督かみ督かみかみとてとてとて、、、年とし年としとし久ひさ久ひさひさしくおはしきしくおはしきしくおわしき。。。年とし年としとしよりてぞよりてぞよりてぞ、、、中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごん大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんなどになどになどに引ひ引ひひ續つゞ續つゞつづきてきてきて、、、程ほど程ほどほどなくなりなくなりなくなり給たま給たまたまひしひしいし。。。
  3. 3近衞こんゑ近衞こんゑこんえのみかどのみかどのみかど、、、東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうにたゝせにたゝせにたたせ給たま給たまたまひしかばひしかばいしかば、、、母はは母ははははきさきのきさきのきさきの御おん御おんおんゆかりにてゆかりにてゆかりにて、、、大夫だいぶ大夫だいぶだいぶになりになりになり給たま給たまたまへりきへりきえりき。。。歌うた歌うたうたをぞをぞをぞ口くち口くちくち疾と疾ととくよみくよみくよみ給たま給たまたまひけるひけるいける。。。早はや早はやはやくけさうしくけさうしくけそうし給たま給たまたまふふう女をんな女をんなおんなののの、、、よみよみよみ給たま給たまたまひたらばひたらばいたらば、、、逢あ逢ああはんといふありけるにはんといふありけるにわんというありけるに、、、題だい題だいだいをををうちよりうちよりうちより出い出いいだしたりけるにだしたりけるにだしたりけるに從したが從したがしたがひてひていて、、、よひよりよひよりよいより曉あかつき曉あかつきあかつきになるになるになるほどにほどにほどに、、、よみよみよみはははててて給たま給たまたまひたりけるにひたりけるにいたりけるに、、、女をんな女をんなおんなかくれにけるぞかくれにけるぞかくれにけるぞ、、、いとくちをしかりけるいとくちをしかりけるいとくちおしかりける。。。
  4. 4ノノノ內侍ないし內侍ないしないしがゆかりなりければがゆかりなりければがゆかりなりければ、、、內侍ないし內侍ないしないしのとがにぞのとがにぞのとがにぞ聞き聞ききくくく人申ひとまう人申ひとまうひともうしけるしけるしける。。。大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんののの御子みこ御子みこみこははは能よし能よしよしののの辨べん辨べんべんとてとてとて、、、若狹守わかさのかみ若狹守わかさのかみわかさのかみ通かよ通かよかよ宗そう宗そうそうのむすめののむすめののむすめのはらにおはしきはらにおはしきはらにおわしき。。。
  5. 5そのそのその兄弟はらから兄弟はらからはらからににに、、、師し師しし敎をし敎をしおし師光もろみつ師光もろみつもろみつなどきこえなどきこえなどきこえ給たま給たまたまふふう。。。三井寺みゐでら三井寺みゐでらみいでらににに證しよう證しようしょう禪ぜん禪ぜんぜん已講いかう已講いかういこうとてとてとて、、、よきよきよき智者ちしや智者ちしやちしゃおはしけるおはしけるおわしける、、、うせうせうせ給たま給たまたまひにけりひにけりいにけり。。。師光もろみつ師光もろみつもろみつははは小野をの小野をのおのノノノ宮みや宮みやみやののの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごん能よし能よしよし實み實みみのののうまごにてうまごにてうまごにて、、、小野をの小野をのおのノノノ宮みや宮みやみやののの侍從じじゆう侍從じじゆうじじゅうなどなどなど申まう申まうもうすにやすにやすにや。。。
  6. 6大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんののの次つぎ次つぎつぎののの御弟おほんおとうと御弟おほんおとうとおおんおとうとももも、、、時とき時ときときののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんととと申まう申まうもうしゝしゝしし、、、そのそのその母はゝ母はゝはは侍從宰相じじゆうのさいしやう侍從宰相じじゆうのさいしやうじじゅうのさいしょう平たひら平たひらたいらのむすめなりのむすめなりのむすめなり。。。それもそれもそれも詩し詩ししなどよくなどよくなどよく作つく作つくつくりりり給たま給たまたまふなるべしふなるべしうなるべし。。。
  7. 7大藏卿おほくらきやう大藏卿おほくらきやうおおくらきょう匡房まさふさ匡房まさふさまさふさととと申まう申まうもうしゝしゝしし博士はかせ博士はかせはかせののの申まう申まうもうされけるされけるされけるははは、、、このこのこの君きみ君きみきみははは、、、詩し詩ししののの心得こころえ心得こころえこころえてよくてよくてよく作つく作つくつくりりり給たま給たまたまふとぞふとぞうとぞ、、、ほめきこえけるほめきこえけるほめきこえける。。。からのからのからの文ふみ文ふみふみものしものしものし給たま給たまたまへるへるえる事こと事ことことははは、、、兄このかみ兄このかみこのかみにににははは劣おと劣おとおとりりり給たま給たまたまへりけれどへりけれどえりけれど、、、日記にき日記にきにきなどなどなど量はか量はかはかりなくりなくりなく、、、かきつめかきつめかきつめ給たま給たまたまひてひていて、、、此こ此ここののの世よ世よよにさばかりにさばかりにさばかり多おほ多おほおおくくく記き記ききせるせるせる人ひと人ひとひとなくぞなくぞなくぞ侍はべ侍はべはべるなるるなるるなる。。。
  8. 8そのそのその文ふみ文ふみふみどもどもどもははは、、、うせうせうせ給たま給たまたまひてのちひてのちいてのち、、、鳥羽とば鳥羽とばとばノノノ院ゐん院ゐんいんめしてめしてめして、、、ののの北殿きただの北殿きただのきただのにおかせにおかせにおかせ給たま給たまたまへりけるにへりけるにえりけるに、、、權大夫ごんのだいぶ權大夫ごんのだいぶごんのだいぶとかきつけられたるとかきつけられたるとかきつけられたる櫃びつ櫃びつびつどもどもども、、、數かず數かずかずしらずぞしらずぞしらずぞ侍はべ侍はべはべりけるりけるりける。。。
  9. 9宗むね宗むねむね茂しげ茂しげしげ菅すが菅すがすが軒のき軒のきのきなどいひしがくさうのなどいひしがくさうのなどいいしがくそうのなりしなりしなりし時とき時ときときははは、、、此こ此ここののの君きみ君きみきみ弟子でし弟子でしでしにおはしてにおはしてにおわして、、、車くるま車くるまくるまなどなどなど貸か貸かかしたまへりければしたまへりければしたまえりければ、、、ののの車くるま車くるまくるまははは、、、上﨟じやうらふ上﨟じやうらふじょうろう次第しだい次第しだいしだいにこそたつなるにこそたつなるにこそたつなるををを、、、中將殿どの中將殿どのどのののの車くるま車くるまくるまとてとてとて、、、牛飼うしかひ牛飼うしかひうしかい一ひと一ひとひとつにつにつに立た立たたてゝてゝてて爭あらそ爭あらそあらそひなどしけるひなどしけるいなどしける。。。
  10. 10歌うた歌うたうたよみにもおはしてよみにもおはしてよみにもおわして、、、兄あに兄あにあにののの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんももも、、、このこのこの君きみ君きみきみももも、、、堀河院ほりかはのゐん堀河院ほりかはのゐんほりかわのいんののの百首ひやくしゆ百首ひやくしゆひゃくしゅなどよみなどよみなどよみ給たま給たまたまへりへりえり。。。隆たか隆たかたか宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうははは、、、大だい大だいだい辨べん辨べんべんにてにてにて中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんにならんとしけるにもにならんとしけるにもにならんとしけるにも、、、宰相中將さいしやうのちゆうじやう宰相中將さいしやうのちゆうじやうさいしょうのちゅうじょうなれどもなれどもなれども、、、大だい大だいだい辨べん辨べんべんににに劣おと劣おとおとらずらずらず何事なにごと何事なにごとなにごともつかへもつかへもつかえ、、、ののの執と執とと筆ふで筆ふでふでなどもすればなどもすればなどもすれば、、、うれへとゞめなどしうれへとゞめなどしうれえとどめなどし給たま給たまたまひけるひけるいける。。。
  11. 11大方おほかた大方おほかたおおかたののの物もの物ものものののの上手じやうず上手じやうずじょうずにてにてにて、、、鳥羽とば鳥羽とばとばののの御堂みだう御堂みだうみどうののの池いけ池いけいけ堀ほ堀ほほりりり、、、山やま山やまやま造つく造つくつくりなどりなどりなど、、、とりもちてさたしとりもちてさたしとりもちてさたし給たま給たまたまふとぞふとぞうとぞ聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。をぞをぞをぞ多おほ多おほおおくもちくもちくもち給たま給たまたまへるとへるとえると、、、うけたまはりしうけたまはりしうけたまわりし、、、六ろく六ろくろく七人しちにん七人しちにんしちにんととと持も持ももちちち給たま給たまたまへりけるへりけるえりけるををを、、、夜每よごと夜每よごとよごとににに皆みな皆みなみなおはしわたしけるとかやおはしわたしけるとかやおわしわたしけるとかや。。。
  12. 12冬ふゆ冬ふゆふゆははは炭すみ炭すみすみなどなどなどをもをもをもたせてたせてたせて、、、火ひ火ひひおこしたるおこしたるおこしたる、、、消き消ききえがたにえがたにえがたにははは出い出いいでつゝでつゝでつつ、、、よもすがらありきたまひてよもすがらありきたまひてよもすがらありきたまいて、、、朝あさ朝あさあさいいいををを午うま午うまうま時とき時ときときなどまでせられけるとぞなどまでせられけるとぞなどまでせられけるとぞ、、、さてさてさて其そ其そそのののうへどもうへどもうえども、、、皆みな皆みなみな中なか中なかなかよくてよくてよくて、、、いひかはしつゝぞおはしけるいひかはしつゝぞおはしけるいいかわしつつぞおわしける。。。
  13. 13このこのこの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんののの御子みこ御子みこみこははは、、、中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうノノノ大夫だいぶ大夫だいぶだいぶ師し師しし忠たゞ忠たゞただのむすめののむすめののむすめのはらにはらにはらに、、、中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんとておはするとておはするとておわする、、、右衞門うゑもん右衞門うゑもんうえもんノノノ督かみ督かみかみのいくさおこしたりしのいくさおこしたりしのいくさおこしたりし折をり折をりおり、、、あづまにあづまにあずまに流なが流ながながされされされ給たま給たまたまひてひていて、、、歸かへ歸かへかえりのぼりておはすとぞりのぼりておはすとぞりのぼりておわすとぞ。。。
  14. 14このこのこの兄いろせ兄いろせいろせどもどもども、、、少納言せうなごん少納言せうなごんしょうなごん大藏卿おほくらきやう大藏卿おほくらきやうおおくらきょうなどきこゆるなどきこゆるなどきこゆる、、、あまたおはしきあまたおはしきあまたおわしき。。。おおおほいどのゝほいどのゝほいどのの御子みこ御子みこみこははは、、、入道にふだう入道にふだうにゅうどう中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんとておはしきとておはしきとておわしき。。。大だい大だいだい辨べん辨べんべんののの宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうよりよりより中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんになりてになりてになりて、、、治部卿ぢぶきやう治部卿ぢぶきやうじぶきょうなどなどなど申まう申まうもうしゝしゝしし程ほど程ほどほどににに、、、御病おほんやまひ御病おほんやまひおおんやまいによりてによりてによりて、、、かしらおろしかしらおろしかしらおろし給たま給たまたまひてひていて、、、たうのもとのたうのもとのとうのもとの入道にふだう入道にふだうにゅうどう中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんとぞきこえとぞきこえとぞきこえ給たま給たまたまひしひしいし。。。
  15. 15それもそれもそれも物もの物ものものよくよくよく習なら習ならならひひい給たま給たまたまひてひていて、、、詩し詩ししなどよくなどよくなどよく作つく作つくつくりりり給たま給たまたまふふう。。。歌うた歌うたうたよみにもおはしきよみにもおはしきよみにもおわしき。。。このこのこの兄いろせ兄いろせいろせおとうとたちおとうとたちおとうとたち、、、かやうにおはするかやうにおはするかようにおわする、、、理ことわ理ことわことわりとりとりと申まう申まうもうしながらしながらしながら、、、いとありがたくなんいとありがたくなんいとありがたくなん。。。
  16. 16延喜えんぎ延喜えんぎえんぎ天曆てんりやく天曆てんりやくてんりゃく二代にだい二代にだいにだいのみかどのみかどのみかど、、、かしこきかしこきかしこき御世みよ御世みよみよにおはしますにおはしますにおわします上うへ上うへうえににに、、、ふみふみふみ作つく作つくつくらせらせらせ給たま給たまたまふふう方かた方かたかたももも、、、たへにおはしますにたへにおはしますにたえにおわしますに、、、中務なかつかさ中務なかつかさなかつかさののの宮みや宮みやみや、、、又また又またまたすぐれすぐれすぐれ給たま給たまたまへりけりへりけりえりけり。。。
  17. 17土御門殿つちみかどどの土御門殿つちみかどどのつちみかどどの、、、堀川殿ほりかはどの堀川殿ほりかはどのほりかわどのあひつぎてあひつぎてあいつぎて、、、御身おほんみ御身おほんみおおんみのざえのざえのざえ、、、文ふみ文ふみふみ作つく作つくつくらせらせらせ給たま給たまたまふふう方かた方かたかたももも、、、すぐれすぐれすぐれ給たま給たまたまへるにへるにえるに、、、土御門殿つちみかどどの土御門殿つちみかどどのつちみかどどのははは才さい才さいさいすぐれすぐれすぐれ、、、堀川殿ほりかはどの堀川殿ほりかはどのほりかわどのははは、、、ふみふみふみ作つく作つくつくりりり給たま給たまたまふことふことうこと、、、すぐれておはすとぞきこえすぐれておはすとぞきこえすぐれておわすとぞきこえ給たま給たまたまひけるひけるいける。。。
  18. 18このこのこの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごん中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんたちたちたち、、、かくかくかく仕つか仕つかつかへたまひてへたまひてえたまいて、、、六ろく六ろくろく代よ代よよかくおはするかくおはするかくおわする、、、いといといと有あ有あありがたくやんごとなしりがたくやんごとなしりがたくやんごとなし。。。このこのこの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごん中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごん殿どの殿どのどのたちのたちのたちの詩し詩ししももも歌うた歌うたうたももも、、、集しふ集しふしゅうどもにどもにどもに多おほ多おほおおくくく侍はべ侍はべはべらんらんらん。。。
  19. 19中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんののの御子みこ御子みこみこははは少納言せうなごん少納言せうなごんしょうなごんになりになりになり給たま給たまたまへりしへりしえりし、、、後のち後のちのちははは大宮おほみや大宮おほみやおおみや亮すけ亮すけすけとぞきこえけるとぞきこえけるとぞきこえける。。。そのおとうとそのおとうとそのおとうとははは、、、勝すぐ勝すぐすぐ僧都そうづ僧都そうづそうずとてとてとて、、、山やま山やまやまにおはしけるこそにおはしけるこそにおわしけるこそ、、、あめつちといふあめつちといふあめつちという女房にようばう女房にようばうにょうぼうののの、、、みめよきがみめよきがみめよきが生う生ううみきこえたりければにやみきこえたりければにやみきこえたりければにや。。。
  20. 20みめもいときよらにみめもいときよらにみめもいときよらに、、、心こころ心こころこころばへもいとばへもいとばえもいとつき〳〵しきつき〳〵しきつきつきしき學生がくしやう學生がくしやうがくしょうにてにてにて、、、山やま山やまやまののの題だい題だいだいなどいふなどいふなどいう事こと事ことこともしたまひけるにもしたまひけるにもしたまいけるに、、、あるべかしくいあるべかしくいあるべかしくいはははまほしきさまにまほしきさまにまほしきさまに、、、いとめでたくこそおはしけれいとめでたくこそおはしけれいとめでたくこそおわしけれ。。。
  21. 21說法せつぽふ說法せつぽふせっぽうよくしよくしよくし給たま給たまたまひけるにひけるにいけるに、、、人ひと人ひとひとにすぐれてもにすぐれてもにすぐれても、、、聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまはざりしかどはざりしかどわざりしかど、、、あるあるある所ところ所ところところにてにてにて、、、阿彌陀佛あみだぶつ阿彌陀佛あみだぶつあみだぶつ釋しやく釋しやくしゃくししし給たま給たまたまひしこそひしこそいしこそ、、、法文ほふもん法文ほふもんほうもんのかぎりしのかぎりしのかぎりし給たま給たまたまへばへばえば、、、聞き聞きききしらぬきしらぬきしらぬ人ひと人ひとひとははは、、、何なに何なになにともともとも思おも思おもおもふまじきふまじきうまじきををを、、、男をとこ男をとこおとこももも女をんな女をんなおんなももも、、、身み身みみにしみてにしみてにしみてたふとたふととうとがりがりがり申まう申まうもうしてしてして、、、聞き聞きききしりたるきしりたるきしりたるははは、、、かばかりのことなしとかばかりのことなしとかばかりのことなしと思おも思おもおもひあへりひあへりいあえり。。。
  22. 22台だい台だいだい大師だいし大師だいしだいしののの經きやう經きやうきょうををを釋しやく釋しやくしゃくししし給たま給たまたまふにふにうに、、、つのつのつの法文ほふもん法文ほふもんほうもんにてにてにて、、、はじめはじめはじめ如是こと如是ことことよりよりより、、、經きやう經きやうきょうのすゑまでのすゑまでのすえまで、、、句く句くくごとにごとにごとに釋しやく釋しやくしゃくししし給たま給たまたまへばへばえば、、、そのそのその流なが流ながながれれれををを汲く汲くくまんまんまん人ひと人ひとひと、、、法ほふ法ほふほうをををとかんとかんとかん其そ其そそのあとのあとのあとををを思おも思おもおもふべければとてふべければとてうべければとて、、、はじめにはじめにはじめにははは因緣いんえん因緣いんえんいんえんなどいひてなどいひてなどいいて、、、さま〳〵のさま〳〵のさまさまの阿彌陀佛あみだぶつ阿彌陀佛あみだぶつあみだぶつをををときてときてときて、、、むかしむかしむかし物もの物ものものがたりがたりがたり說と說ととききき具ぐ具ぐぐしつゝしつゝしつつ、、、何事なにごと何事なにごとなにごとももも我わ我わわががが心こころ心こころこころよりよりより外ほか外ほかほかのことものやのことものやのことものやはははあるあるある。。。
  23. 23事こと事ことことののの心こころ心こころこころをををしらぬしらぬしらぬははは、、、いとかひなしいとかひなしいとかいなし。。。朝夕あさゆふ朝夕あさゆふあさゆうによそのによそのによその寳ぼう寳ぼうぼうをををかぞかぞかぞふるになんあるべきふるになんあるべきふるになんあるべき。。。などなどなど說と說ととききき給たま給たまたまひしひしいし、、、思おも思おもおもひかけずひかけずいかけず、、、うけたまはりしこそうけたまはりしこそうけたまわりしこそ、、、世々よよ世々よよよよののの罪つみ罪つみつみももも滅ほろ滅ほろほろびぬらんかしとおぼえびぬらんかしとおぼえびぬらんかしとおぼえ侍はべ侍はべはべりしかりしかりしか。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

堀川の左大臣(俊房)の御子は、長男としては師頼大納言という方がいらしたが、御母は中将実基の君の御娘です。学問など広く習われて、学才のある人でいらっしゃいました。中弁から宰相になられて、平の宰相で前右兵衛督として長年いらっしゃいました。年をとってから、中納言・大納言などに引き続いて、程なくなられました。近衛の帝が東宮にお立ちになったので、母后(美福門院)の御縁で(春宮)大夫になられました。歌を早くお詠みになりました。以前懸想なさった女で、「百首詠んでくださったら逢いましょう」と言う人がいたので、題を(女が)内から出したのに従って、宵から暁になるころまでに詠み終えられたのに、女は姿を隠してしまったのは、たいそう残念なことでした。周防内侍の縁者だったので、内侍のせいだと聞く人は申しました。大納言の御子は師能の弁といって、若狭守通宗の娘の腹でいらっしゃいました。その兄弟に、師教・師光などと申し上げる方がいます。三井寺に証禅已講といって、よい智者がいらしたが、亡くなられました。師光は小野宮の大納言能実の孫で、小野宮の侍従などと申すのでしょうか。大納言の次の御弟も、師時の中納言と申した方で、その母は侍従宰相基平の娘です。この方も詩などをよくお作りになったのでしょう。

大蔵卿匡房と申した博士が申されたのは、「この君は詩の心を心得てよくお作りになる」と、褒め申し上げたそうです。漢籍を学ばれたことは兄には劣っていらしたけれど、日記などは量り知れないほど書き集められて、この世にあれほど多く記した人はないそうです。その書物どもは、亡くなられた後、鳥羽院が召して鳥羽の北殿に置かれたが、「権大夫」と書きつけられた櫃が数知れずございました。宗茂・菅軒などといった者が学生の上官であった時は、この君が弟子でいらして車などをお貸しになったので、外記の車は上臈の順に立てるものなのに、「中将殿の車だ」といって、牛飼が一番に立てて争ったりしました。歌詠みでもいらして、兄の大納言もこの君も、「堀河院百首」などをお詠みになりました。為隆宰相が大弁として中納言になろうとした時にも、「(自分は)宰相中将だけれども、大弁に劣らず何事も務め、除目の執筆などもするのだから」と、訴えて止めたりなさいました。だいたい何事にも上手で、鳥羽の御堂の池掘りや築山造りなども、取り仕切ってなさったと聞こえました。たいそう奥方を多く持っていらっしゃると承りましたが、六、七人と持っていらっしゃったのを、毎夜皆のところに通われたとか。冬は炭などを持たせて、火をおこしておいたのが消えかかるころには出て行き、一晩中歩き回られて、朝寝を昼ごろまでなさったそうです。そしてその奥方たちは皆仲がよくて、便りを交わし合っていらっしゃいました。

この中納言(師時)の御子は、中宮大夫師忠の娘の腹に、師仲中納言といっていらっしゃるが、右衛門督(信頼)が戦を起こした折に東国に流されて、帰り上っていらっしゃるとか。この方の兄たちに、少納言・大蔵卿などと申す方が大勢いらっしゃいました。大臣(俊房)の御子には、入道中納言師俊という方がいらっしゃいました。大弁の宰相から中納言になって、治部卿などと申したころに、ご病気によって出家なさって、「塔の本の入道中納言」と申し上げました。この方も物をよく習われて、詩などをよくお作りになります。歌詠みでもいらっしゃいました。この兄弟たちがこのようでいらっしゃるのは、道理とは申しながら、たいそうめったにないことです。延喜・天暦の二代の帝が賢い御代でいらっしゃった上に、詩をお作りになる方面もすぐれていらしたところに、中務の宮(具平親王)がまたすぐれていらっしゃいました。土御門殿(師房)・堀川殿(俊房)と相次いで、身の学才も、詩をお作りになる方面もすぐれていらしたが、土御門殿は学才がすぐれ、堀川殿は詩作がすぐれていらっしゃると評判でした。この大納言・中納言たちがこのようにお仕えなさって、六代もこのようでいらっしゃるのは、たいそうめったになく尊いことです。この大納言・中納言殿たちの詩も歌も、撰集に多くございましょう。中納言(師俊)の御子は少納言になられた方で、後は大宮亮と申しました。その弟は寛勝僧都といって、比叡山にいらっしゃったのこそ、「あめつち」という容貌のよい女房がお産み申したからでしょうか、容貌もたいそう美しく、心ばえもたいそうふさわしい学僧で、比叡山の探題などということもなさったが、あるべき姿で、言いたいとおりの様子で、たいそうすばらしくいらっしゃいました。説法をよくなさったが、人にすぐれていると評判になるほどではなかったけれど、ある所で阿弥陀仏を解釈なさったのは、法文の限りをなさったので、聞いてわからない人は何とも思わないはずなのに、男も女も身にしみて尊がり申して、聞いてわかる人は、これほどのことはないと思い合いました。天台大師が経を解釈なさるのに、四つの法門で、初めの「如是」から経の終わりまで句ごとに解釈なさったので、その流れを汲む人は、法を説くにもその跡を思うべきだからといって、初めには因縁などを言って、さまざまの阿弥陀仏を説いて、昔物語も説き添えながら、「何事も我が心より外のものがあろうか。物事の本質を知らないのは、たいそう甲斐のないことだ。朝夕に他人の宝を数えるようなものであろう」などとお説きになったのを、思いがけず承ったのこそ、代々の罪も滅びたことだろうと思われました。

意訳

俊房の子孫は学問と文才の家として続いた。長男師頼は歌を早く詠み、女に求められた百首を一晩で詠み上げたが、女は姿を消してしまった。章題の「堀河の流れ」は、堀川左大臣俊房の家系であることによる。

次男師時は日記『長秋記』の作者で、膨大な日記が鳥羽院に召し上げられたという。妻を六、七人持って毎晩巡り、炭火が消えるころに次へ移り、朝寝は昼まで、それでも妻たちは仲がよかったという話はユーモラスである。

語り手は、延喜・天暦の帝から具平親王・師房・俊房を経て、師頼・師時の世代まで「六代」にわたって学問の家が続いたことをたたえる。最後は曾孫の寛勝僧都が阿弥陀仏について説いた名説法で結ばれる。

語釈・文法注

師賴大納言
源師頼(1070〜1139)。俊房の子。
ひら宰相
近衛中将や大弁などを兼ねない、ただの参議。
周防ノ內侍
平安後期の女流歌人。百人一首「春の夜の夢ばかりなる手枕に」の作者。
師能の辨
源師能。師頼の子。
師時の中納言
源師時(1077〜1136)。俊房の子。日記『長秋記』の作者。
侍從宰相基平
源基平(1026〜1064)。小一条院の子。
鳥羽の北殿
鳥羽離宮の御所の一つ。
上官
太政官の弁官・外記・史などの役人。ここでは学生(大学寮の学生)の上席。
外記
太政官の書記官。
堀河院の百首
堀河院百首(1105年ごろ)。十六人の歌人が百首ずつ詠んだ。
爲隆宰相
藤原為隆(1070〜1130)。
除目の執筆
除目で任官者の名を書き入れる役。
うへ
妻。
師仲中納言
源師仲(1116〜1172)。師時の子。平治の乱に加わって流罪となった。
入道中納言師俊
源師俊(1080〜1141)。俊房の子。
寛勝僧都
師俊の子。比叡山の学僧。
探題
論議の場で論題を出し、判定する役。
天台大師
智顗(538〜597)。中国天台宗の開祖。
四つの法文
天台大師が経を解釈する際に用いた四つの方法(因縁釈・約教釈・本迹釈・観心釈)。

文法

女かくれにけるぞ、いとくちをしかりける
女が姿を隠してしまったのは、たいそう残念なことだった。
何事も我が心より外のことものやはある
何事も自分の心の外にあるものがあろうか、いやない。反語。

解説

師時の日記『長秋記』は今日まで伝わり、院政期の重要な史料となっている。今鏡は、その膨大さが鳥羽院の関心を引いたことを伝えている。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、296〜301頁(コマ163–165)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日