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今鏡 第七「村上の源氏」 第59章

うたたね

巻七「村上源氏」の始まり。天皇や摂関の母方として、藤原氏に並んで栄えた村上源氏が語られる。具平親王の子師房が源姓を得て、その子俊房・顕房の兄弟が並んで大臣となった。白河天皇が大臣の人選に迷い、大江匡房の進言で兄俊房を選んだ話、盲目の相人が弟顕房の子孫の繁栄を予言した話、顕房の従者盛重の機転などが語られる。

  1. 1藤波ふぢなみ藤波ふぢなみふじなみののの御流おほんながれ御流おほんながれおおんながれれのれのれの榮さか榮さかさかえええ給たま給たまたまふのみにあらずふのみにあらずうのみにあらず、、、みかどみかどみかど一いち一いちいちののの人ひと人ひとひとののの御母おほんはは御母おほんははおおんはは方かた方かたかたにににははは、、、近ちか近ちかちかくくくははは源氏げんじ源氏げんじげんじののの公きん公きんきんだちこそだちこそだちこそ、、、よきよきよき上達部かんだちめ上達部かんだちめかんだちめどもどもどもはははおはすなれおはすなれおわすなれ。。。堀河ほりかは堀河ほりかはほりかわののの帝みかど帝みかどみかどののの御母おほんはは御母おほんははおおんははののの中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうははは、、、おほとのゝおほとのゝおおとのの御子みこ御子みこみことてとてとて參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまへれどへれどえれど、、、誠まこと誠まことまことははは六條ろくでう六條ろくでうろくじょうののの右みぎ右みぎみぎのおとゞののおとゞののおとどの御女おほんむすめ御女おほんむすめおおんむすめなりなりなり。。。
  2. 2きさきのきさきのきさきの御事おほんこと御事おほんことおおんことははは帝みかど帝みかどみかどのついでにのついでにのついでに申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべりぬりぬりぬ。。。そのゆかりのそのゆかりのそのゆかりの有樣ありさま有樣ありさまありさま、、、源げん源げんげんをををたづぬればたづぬればたずぬれば、、、いとやんごとなくなんいとやんごとなくなんいとやんごとなくなん侍はべ侍はべはべるるる。。。村上むらかみ村上むらかみむらかみのみかどののみかどののみかどの御子みこ御子みこみこににに、、、ののの親王しんわう親王しんわうしんのうととと申まう申まうもうしゝしゝししははは、、、六條ろくでう六條ろくでうろくじょうののの宮みや宮みやみやともともとも後のち後のちのちノノノ中書王ちゆうしよわう中書王ちゆうしよわうちゅうしょおうともともとも申まう申まうもうすすす、、、このこのこの御事おほんこと御事おほんことおおんことなりなりなり。。。
  3. 3ふみふみふみ作つく作つくつくらせらせらせ給たま給たまたまふことふことうこと、、、世よ世よよにすぐれにすぐれにすぐれ給たま給たまたまへりきへりきえりき。。。御歌みうた御歌みうたみゅうたももも世々よよ世々よよよよののの集しふ集しふしゅうどもにどもにどもに見み見みみえええ侍はべ侍はべはべるらんるらんるらん。。。そのそのその御子みこ御子みこみこににに、、、土御門つちみかど土御門つちみかどつちみかどののの右みぎ右みぎみぎのおとゞとのおとゞとのおとどと申まう申まうもうしゝしゝししははは、、、始はじ始はじはじめてめてめて、、、源みなもと源みなもとみなもとののの姓しやう姓しやうしょう得え得ええさせさせさせ給たま給たまたまひてひていて、、、のおとゞとのおとゞとのおとどと聞き聞ききこえさせこえさせこえさせ給たま給たまたまひきひきいき。。。
  4. 4御身おほんみ御身おほんみおおんみのざえものざえものざえも高たか高たかたかくくく文ふみ文ふみふみ作つく作つくつくらせたまふらせたまふらせたまう方かた方かたかたもすぐれもすぐれもすぐれ給たま給たまたまひてひていて、、、ののの御狩みかり御狩みかりみかりののの歌うた歌うたうたののの序ついで序ついでついでなどなどなど、、、人ひと人ひとひとののの口くち口くちくちににに侍はべ侍はべはべるなりるなりるなり。。。又また又またまた月つき月つきつきののの歌うた歌うたうたこそこそこそ、、、心こころ心こころこころにしみてにしみてにしみて聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべりしかりしかりしか。。。
  5. 5有明ありあけ有明ありあけありあけののの月つき月つきつきまつまつまつ程ほど程ほどほどのののうたゝねうたゝねうたたねははは山やま山やまやまのののはははのみぞのみぞのみぞ夢ゆめ夢ゆめゆめににに見み見みみえけるえけるえける
  6. 6すき〳〵しきすき〳〵しきすきすきしき方かた方かたかたのみにあらずのみにあらずのみにあらず、、、ののの御日記おほんにつき御日記おほんにつきおおんにっきとてとてとて、、、世よ世よよののの中なか中なかなかののの鑑かんが鑑かんがかんがとなんうけとなんうけとなんうけ給たま給たまたまはるはるわる。。。みかどみかどみかど一いち一いちいちののの人ひと人ひとひとののの御おん御おんおんよそひどもよそひどもよそいども、、、そのそのその中なか中なかなかにぞにぞにぞ多おほ多おほおおくくく侍はべ侍はべはべるなるるなるるなる。。。
  7. 7御堂みだう御堂みだうみどうののの御女おほんむすめ御女おほんむすめおおんむすめははは、、、おほくきさきおほくきさきおおくきさき、、、國母こくも國母こくもこくもにてのみおはしますににてのみおはしますににてのみおわしますに、、、此こ此ここののの殿どの殿どのどのののの北きた北きたきたののの方かた方かたかたのみこそのみこそのみこそ、、、たゝたゝたた人ひと人ひとひとはははおはしませばおはしませばおわしませば、、、いと〳〵やんごとなしいと〳〵やんごとなしいといとやんごとなし。。。
  8. 8そのそのその御おん御おんおんはははらにらにらに、、、堀川ほりかは堀川ほりかはほりかわののの左ひだり左ひだりひだりのおとゞのおとゞのおとど房ばう房ばうぼう、、、六條ろくでう六條ろくでうろくじょうののの右みぎ右みぎみぎのおとゞのおとゞのおとど房ばう房ばうぼうととと申まう申まうもうしてしてして、、、兄いろせ兄いろせいろせおとうとおとうとおとうと並なら並ならならびたまへりきびたまへりきびたまえりき。。。堀川殿ほりかはどの堀川殿ほりかはどのほりかわどのははは、、、才學さいがく才學さいがくさいがく高たか高たかたかくおはしてくおはしてくおわして、、、文ふみ文ふみふみ作つく作つくつくりたまふりたまふりたまう事こと事ことことすぐれてすぐれてすぐれて聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまひきひきいき。。。
  9. 9六條ろくでう六條ろくでうろくじょう殿どの殿どのどのははは、、、歌うた歌うたうたよみにぞおはしてよみにぞおはしてよみにぞおわして、、、判はう判はうほうなどしなどしなどし給たま給たまたまひきひきいき。。。世よ世よよのおぼえのおぼえのおぼえ兄いろせ兄いろせいろせよりもまさりよりもまさりよりもまさり給たま給たまたまひてひていて、、、大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんののの大將だいしやう大將だいしやうだいしょう、、、中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうののの御親おほんおや御親おほんおやおおんおやにておはせしににておはせしににておわせしに、、、大臣おとど大臣おとどおとどあきてあきてあきて侍はべ侍はべはべりけるりけるりけるををを、、、白河しらかは白河しらかはしらかわののの帝みかど帝みかどみかどおぼしわづらはせおぼしわづらはせおぼしわずらわせ給たま給たまたまひてひていて、、、日ひ日ひひごろごろごろ過す過すすぎけるにぎけるにぎけるに、、、ののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんににに、、、仰おほ仰おほおおせられあはせければせられあはせければせられあわせければ、、、「「「堀川ほりかは堀川ほりかはほりかわののの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんをををなさせなさせなさせ給たま給たまたまへへえ」」」。。。
  10. 10とととうちいだしてうちいだしてうちいだして申まう申まうもうしければしければしければ、、、みかどみかどみかど仰おほ仰おほおおせられけるせられけるせられけるははは、、、「「「弟おとうと弟おとうとおとうとなれどもなれどもなれども、、、左大將さだいしやう左大將さだいしやうさだいしょう中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうののの御おん御おんおんおやにておやにておやにて、、、此こ此ここのたびならずのたびならずのたびならずははは、、、法師ほふし法師ほふしほうしにならんといふなりにならんといふなりにならんというなり。。。またまたまた上﨟じやうらふ上﨟じやうらふじょうろうどもどもども有あ有あありてりてりて、、、われこそなるべれわれこそなるべれわれこそなるべれ。。。などいへばなどいへばなどいえば、、、それもそれもそれも捨す捨すすてがたきなりてがたきなりてがたきなり」」」。。。
  11. 11ととと仰おほ仰おほおおせられければせられければせられければ、、、「「「大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごん大臣おとど大臣おとどおとどになりになりになり侍はべ侍はべはべるるる事こと事ことことははは、、、必かならず必かならずかならずしもしもしも、、、一二いちに一二いちにいちにといふことといふことということ侍はべ侍はべはべらずらずらず。。。なるべきなるべきなるべき人ひと人ひとひとをををえりてえりてえりて、、、なされなされなされ侍はべ侍はべはべるなりるなりるなり。。。又また又またまた國くに國くにくにののの司つかさ司つかさつかさ歷へ歷へへたるたるたる人ひと人ひとひといかゞいかゞいかが」」」。。。
  12. 12などなどなど申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべりければりければりければ「「「のおとゞものおとゞものおとども讃岐さぬき讃岐さぬきさぬき守かみ守かみかみぞかしぞかしぞかし」」」。。。ととと仰おほ仰おほおおせられければせられければせられければ、、、江え江ええ師し師しし申まう申まうもうしけるしけるしけるははは、、、「「「博士はかせ博士はかせはかせはははべちのことにべちのことにべちのことに侍はべ侍はべはべりりり。。。又また又またまた才學さいがく才學さいがくさいがく高たか高たかたかくくく侍はべ侍はべはべらんらんらん兄このかみ兄このかみこのかみををを、、、大臣おとど大臣おとどおとどになさせになさせになさせ給たま給たまたまはんにはんにわんに、、、出家しゆつけ出家しゆつけしゅっけするおとうとするおとうとするおとうとはははよによによに侍はべ侍はべはべらじらじらじ」」」。。。
  13. 13ととと申まう申まうもうしければしければしければ、、、堀川殿ほりかはどの堀川殿ほりかはどのほりかわどのはははなりなりなり給たま給たまたまへりけるとぞへりけるとぞえりけるとぞ。。。六條ろくでう六條ろくでうろくじょうのおとゞのおとゞのおとどははは、、、そのそのその後のち後のちのちにぞなりにぞなりにぞなり給たま給たまたまひしひしいし。。。中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうののの御おん御おんおんおやおやおや、、、堀河ほりかは堀河ほりかはほりかわのみかどののみかどののみかどの御おん御おんおんおほぢにておほぢにておおじにて、、、いとめでたくおはしきいとめでたくおはしきいとめでたくおわしき。。。
  14. 14後のち後のちのちにににははは大將だいしやう大將だいしやうだいしょうをばをばをば、、、のおとゞののおとゞののおとどの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんにおはせしににおはせしににおわせしに、、、讓ゆづ讓ゆづゆずりりり申まう申まうもうししし給たま給たまたまひてひていて、、、行幸ぎやうかう行幸ぎやうかうぎょうこうににに仕つか仕つかつこうまつりうまつりうまつり給たま給たまたまへりしこそへりしこそえりしこそ、、、いとめづらかにいとめづらかにいとめずらかに侍はべ侍はべはべりしかりしかりしか。。。
  15. 15遲おそ遲おそおそくくく參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまひてひていて、、、道みち道みちみちにてにてにて車くるま車くるまくるまよりおりてよりおりてよりおりて、、、馬むま馬むまうまにのりにのりにのり給たま給たまたまひしかばひしかばいしかば、、、大將殿だいしやうどの大將殿だいしやうどのだいしょうどのよりよりよりはじめてはじめてはじめて、、、皆みな皆みなみなおりおりおり給たま給たまたまへりしにへりしにえりしに、、、重しげ重しげしげといひしがといひしがといいしが、、、左衞門さゑもん左衞門さゑもんさえもんノノノ尉じよう尉じようじょうなりしとなりしとなりしと、、、行ゆ行ゆゆ利り利りりといふといふという隨身ずいじん隨身ずいじんずいじんののの、、、陣ぢん陣ぢんじんにつかうまつりしにつかうまつりしにつこうまつりしををを、、、馬むま馬むまうまにのせてにのせてにのせて、、、さきにさきにさきに具ぐ具ぐぐせさせたまへりければせさせたまへりければせさせたまえりければ、、、なほなほなお大將だいしやう大將だいしやうだいしょうにてわたりにてわたりにてわたり給たま給たまたまふとぞふとぞうとぞ見み見みみえけるえけるえける。。。
  16. 16このあにおとうとのおこのあにおとうとのおこのあにおとうとのおほいどのほいどのほいどの、、、少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうにおはしけるにおはしけるにおわしける時とき時ときとき、、、治部卿ぢぶきやう治部卿ぢぶきやうじぶきょう、、、御おん御おんおんむこにとりむこにとりむこにとり申まう申まうもうさんとさんとさんと思おも思おもおもひてひていて、、、そのそのその時とき時ときとき目め目めめしひたるしひたるしいたるありけるにありけるにありけるに、、、「「「彼か彼かかののの二人ふたり二人ふたりふたりいかゞいかゞいかが相さう相さうそうしたてまつりたるしたてまつりたるしたてまつりたる」」」。。。
  17. 17ととと問と問ととはれければはれければわれければ、、、「「「ともにともにともに能よ能よよくおはしますくおはしますくおわします。。。皆みな皆みなみな大臣おとど大臣おとどおとどにいたりにいたりにいたり給たま給たまたまふべきふべきうべき人ひと人ひとひとなりなりなり」」」。。。といひけるといひけるといいけるををを、、、「「「いづれかいづれかいずれか世よ世よよにににはははあひあひあい給たま給たまたまふべきふべきうべき」」」。。。ととと問と問ととはれけるにはれけるにわれけるに、、、「「「おとうとおとうとおとうとははは、、、末すゑ末すゑすえ廣ひろ廣ひろひろくくく、、、みかどみかどみかど一いち一いちいちののの人ひと人ひとひとももも、、、出い出いいできできでき給たま給たまたまふべきふべきうべき相さう相さうそうおはすおはすおわす」」」。。。
  18. 18ととと申まう申まうもうしければしければしければ、、、六條ろくでう六條ろくでうろくじょう殿どの殿どのどのをををとりとりとり申まう申まうもうしたるとぞきゝしたるとぞきゝしたるとぞきき侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。其そ其そそのかひありてのかひありてのかいありて、、、みかどみかどみかど關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくももも、、、そのそのその御末おほんすゑ御末おほんすゑおおんすえよりよりより出い出いいできできでき給たま給たまたまへりへりえり。。。雪ゆき雪ゆきゆきふりのみゆきにふりのみゆきにふりのみゆきに、、、おそくおそくおそく參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまひてひていて、、、「「「雪ゆき雪ゆきゆき見み見みみんとしもいそがれぬかなんとしもいそがれぬかなんとしもいそがれぬかな」」」。。。
  19. 19とよみたまへるこそとよみたまへるこそとよみたまえるこそ、、、いとやさしくいとやさしくいとやさしく、、、昔むかし昔むかしむかしのこゝちしのこゝちしのここちし侍はべ侍はべはべれれれ。。。よるよるよる女をんな女をんなおんなののの許もと許もともとにわたりにわたりにわたり給たま給たまたまへりけるにへりけるにえりけるに、、、かねてもなくてかねてもなくてかねてもなくて、、、門もん門もんもんににに車くるま車くるまくるまののの絕た絕たたえずたちければえずたちければえずたちければ、、、それそれそれををを召め召めめしてしてして出い出いいでたまひければでたまひければでたまいければ、、、盛もり盛もりもり重しげ重しげしげといひしがといひしがといいしが、、、出い出いいでさせたまふでさせたまふでさせたまう道みち道みちみちににに、、、常つね常つねつねはははふしたりければふしたりければふしたりければ、、、かならずおくれかならずおくれかならずおくれ奉たてまつ奉たてまつたてまつつるつるつる事こと事ことことなかりけるになかりけるになかりけるに、、、ゐなかさぶらひとゐなかさぶらひといなかさぶらいと、、、盛もり盛もりもり重しげ重しげしげとととふたりふたりふたりともにともにともに具ぐ具ぐぐしてしてして、、、出い出いいででで給たま給たまたまひけるにひけるにいけるに、、、馬むま馬むまうまににに乘の乘ののれりけるれりけるれりける者もの者ものものののの、、、おりざりければおりざりければおりざりければ、、、ゐなかゐなかいなか人ひと人ひとひと、、、ともしたるついともしたるついともしたるつい松まつ松まつまつしてしてして、、、うちおとさんとしけるうちおとさんとしけるうちおとさんとしけるををを、、、猛たけ猛たけたけきききものゝふものゝふもののふどもどもども、、、多おほ多おほおおくくく具ぐ具ぐぐしたりけるがしたりけるがしたりけるが、、、御車みくるま御車みくるまみくるまによらんとしけるによらんとしけるによらんとしけるををを、、、盛もり盛もりもり重しげ重しげしげ御車みくるま御車みくるまみくるまのもとにてのもとにてのもとにて、、、「「「皇后宮くわうごうぐう皇后宮くわうごうぐうこうごうぐうノノノ大夫だいぶ大夫だいぶだいぶ殿どの殿どのどののおはしますぞのおはしますぞのおわしますぞ。。。過あやま過あやまあやまちちち仕つか仕つかつこうまつるなうまつるなうまつるな」」」。。。
  20. 20といひければといひければといいければ、、、まどひおりてまどひおりてまどいおりて、、、「「「皆みな皆みなみな々びと々びとびとまかりのきねまかりのきねまかりのきね」」」。。。といひければといひければといいければ、、、過す過すすぎぎぎ給たま給たまたまひにけりひにけりいにけり。。。次つぎ次つぎつぎののの日ひ日ひひののの夕暮ゆふぐれ夕暮ゆふぐれゆうぐれににに、、、治ぢ治ぢじといひしといひしといいし武者むしや武者むしやむしゃののの、、、おおおほいどのほいどのほいどのへへへ參まゐ參まゐまいりてりてりて、、、御門みかど御門みかどみかどののの方かた方かたかたにてにてにて、、、盛もり盛もりもり重へ重へえたづねたづねたずね出い出いいだしてだしてだして「「「よべかしこくよべかしこくよべかしこく御おん御おんおん恩おん恩おんおんかぶりてかぶりてかぶりて、、、過あやま過あやまあやまちちちをををつかうまつるらんにつかうまつるらんにつこうまつるらんに」」」とてとてとて、、、かしこまりかしこまりかしこまり申まう申まうもうしにしにしに參まゐ參まゐまいりたるりたるりたる也なり也なりなり。。。
  21. 21「「「かくとかくとかくとはははななな申まう申まうもうししし給たま給たまたまひそひそいそ」」」。。。といひけれどといひけれどといいけれど、、、おおおほいほいほい殿どの殿どのどのににに申まう申まうもうしたりければしたりければしたりければ、、、召め召めめしてみきすゝめなどしたまひけるとぞしてみきすゝめなどしたまひけるとぞしてみきすすめなどしたまいけるとぞ。。。盛もり盛もりもり重しげ重しげしげががが子こ子ここ盛もり盛もりもり道みち道みちみちといひしといひしといいしははは語かた語かたかたりけるりけるりける。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

藤原氏の御流れが栄えていらっしゃるばかりではなく、帝や一の人(摂関)の御母方としては、近ごろは源氏の公達にこそ、よい上達部たちがいらっしゃるようです。堀河の帝の御母、賢子中宮は、大殿(師実)の御子として入内なさったけれど、本当は六条の右大臣(顕房)の御娘です。后の御事は帝の(話の)ついでに申し上げました。その御縁の有様は、源をたどれば、たいそう尊いのでございます。村上の帝の御子で中務の親王と申し上げた方は、六条の宮とも後中書王とも申し上げる、この方のことです。詩をお作りになることは、世にすぐれていらっしゃいました。御歌も代々の撰集に見えておりましょう。その御子で、土御門の右大臣と申し上げた方は、初めて源の姓を得られて、師房の大臣と申し上げました。身の学才も高く、詩をお作りになる方面もすぐれていらして、「野の御狩」の歌の序などは、人の口に(伝わって)おります。また月の歌こそ、心にしみて聞こえました。

有明の月を待つ間のうたた寝には、(月が出るはずの)山の端ばかりが夢に見えたことだ。

風流の方面ばかりでなく、「土御門の御日記」といって、世の中の手本と承っております。帝や一の人のご装束などが、その中に多くございますそうです。御堂(道長)の御娘は多くは后や国母でいらっしゃるのに、この殿(師房)の北の方だけが臣下(の妻)でいらっしゃるので、たいそう尊いことです。その御腹に、堀川の左大臣俊房、六条の右大臣顕房と申して、兄弟が並んでいらっしゃいました。堀川殿は学才が高くていらして、詩をお作りになることがすぐれていると評判でした。六条殿は歌詠みでいらして、歌合の判などをなさいました。世の評判は兄よりもまさっていらして、大納言で大将、中宮の御親でいらっしゃった時に、大臣の欠員がございましたのを、白河の帝が思い悩まれて日が過ぎたが、匡房の中納言にご相談なさったところ、「堀川の大納言(俊房)を任じなさいませ」と言い出して申したので、帝が仰せられたのは、「(顕房は)弟だけれども、左大将で中宮の親であって、今度でなければ法師になろうと言っているのだ。また上臈たちもいて、自分こそなるべきだなどと言うので、それも捨てがたいのだ」と仰せられたので、「大納言が大臣になることは、必ずしも一番・二番ということはございません。なるべき人を選んで任じられるのです。また国司を経た人はどうでしょうか」などと申したので、「菅原の大臣(道真)も讃岐守だったではないか」と仰せられたので、江帥(匡房)が申したのは、「博士は別のことでございます。また学才の高うございます兄を大臣になさるのに、出家する弟は、まさかおりますまい」と申したので、堀川殿がなられたのだそうです。六条の大臣は、その後になられました。中宮の御親、堀河の帝の御祖父として、たいそうめでたくいらっしゃいました。後には大将を太政大臣(雅実)が大納言でいらした時に譲り申されて、行幸にお仕えになったのは、たいそう珍しいことでございました。遅れて参られて、道で車から降りて馬にお乗りになったので、大将殿(雅実)をはじめとして皆(馬から)降りられたが、盛重といった者が左衛門尉であったのと、行利という随身が陣に仕えていたのを、跳ね馬に乗せて先に連れて行かれたので、やはり大将として通っていかれるように見えました。

この兄弟の大臣が少将でいらした時、隆俊治部卿が婿に迎え申そうと思って、その時盲目の人相見がいたのに、「あの二人をどう見立て申したか」と問われたところ、「どちらもよくいらっしゃいます。二人とも大臣に至られるはずの人です」と言ったので、「どちらが栄えなさるはずか」と問われると、「弟は子孫が広く栄え、帝や一の人も出てこられるはずの相がおありです」と申したので、六条殿を婿にお迎えしたと聞きました。その甲斐があって、帝も関白も、その御子孫から出てこられました。雪の日の御幸に遅れて参られて、「雪見んとしもいそがれぬかな」とお詠みになったのこそ、たいそう優雅で、昔の心地がいたします。夜、女のもとへお出かけになった時、前もっての用意もなくて、門にいつも止めてあった車を召してお出になったところ、盛重といった者が、(殿が)お出かけになる道にいつも伏していたので、必ず後れ申し上げることはなかったが、田舎侍と盛重と二人を連れてお出かけになったところ、馬に乗っていた者が(下馬の礼をとって)降りなかったので、田舎者がともしている松明で打ち落とそうとしたのを、猛々しい武士たちを大勢連れていた(相手)が御車に寄ってこようとしたので、盛重が御車のそばで「皇后宮大夫殿がいらっしゃるのだぞ。粗相をするな」と言ったところ、慌てて降りて、「皆々、退け」と言ったので、お通り過ぎになりました。次の日の夕暮れに、頼治といった武者が大臣の邸に参って、御門の方で盛重を探し出して、「昨夜は畏れ多くも御恩をこうむって、粗相をいたすところでしたのに(お許しいただきました)」といって、お詫び申し上げに参ったのです。「このことは(殿に)申し上げないでください」と言ったけれど、(盛重が)大臣に申し上げたところ、(頼治を)召して酒を勧めたりなさったそうです。盛重の子の盛道という者が語ったことです。

意訳

巻七「村上源氏」は、村上天皇の皇子具平親王に始まる源氏の一門を語る。師房は道長の娘を妻とし、その子俊房・顕房の兄弟は並んで大臣となった。顕房の娘賢子が白河天皇の中宮として堀河天皇を産んだことで、村上源氏は天皇の外戚となった。章題の「うたたね」は師房の歌による。

白河天皇は大臣の人選に迷い、寵臣の顕房と兄の俊房のどちらにするか大江匡房に相談した。匡房は「学才の高い兄を大臣にしても、弟が出家することはまさかないでしょう」と、天皇の心配を軽くかわして兄を推した。

盲目の相人が「弟の子孫から帝や関白が出る」と予言し、隆俊は顕房を婿に選んだ。実際に顕房の子孫からは堀河天皇が、また娘を通じて関白も出た。従者盛重が夜道で主人の名を名のって争いを避け、相手の武者が翌日詫びに来た話は、院政期の主従関係を伝えて興味深い。

語釈・文法注

賢子の中宮
藤原賢子(1057〜1084)。源顕房の娘で、藤原師実の養女。白河天皇の中宮。堀河天皇の母。
中務の親王
具平親王(964〜1009)。村上天皇の皇子。後中書王。学者・文人として名高い。
師房のおとゞ
源師房(1008〜1077)。具平親王の子。村上源氏の祖。土御門右大臣。
野の御狩の歌の序
師房が書いた和歌の序。
土御門の御日記
師房の日記『土右記』。
堀川の左のおとゞ俊房
源俊房(1035〜1121)。師房の子。左大臣。
六條の右のおとゞ顯房
源顕房(1037〜1094)。師房の子。右大臣。賢子の父。
匡房の中納言
大江匡房(1041〜1111)。学者。江帥と呼ばれた。
菅原のおとゞ
菅原道真。讃岐守を経て右大臣に至った。
太政のおとゞ
源雅実(1059〜1127)。顕房の子。太政大臣。
盛重
藤原盛重。顕房の家人。のち白河院に仕えた。
あがり馬
跳ね上がる癖のある馬。
隆俊治部卿
源隆俊(1025〜1075)。顕房の妻の父。
相人
人相を見る人。
賴治
源頼治。武者。

文法

出家するおとうとはよに侍らじ
「よに…じ」で、まさか…ないだろう。
過ち仕うまつるな
粗相をするな。

和歌

有明の月まつ程のうたゝねは山のはのみぞ夢に見えける

詠者
源師房
状況
有明の月を待つ間にうたた寝をした時の歌。

修辞

趣向
月を待つ心が夢にまで現れ、月の出る山の端ばかりが夢に見えたとする。

解説

今鏡が藤原氏の列伝に続けて村上源氏に一巻を割いているのは、院政期に源氏が外戚として大きな力を持ったことの反映である。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、291〜296頁(コマ160–163)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日