古典ライブラリー

今鏡 第六「藤波の下」 第58章

志賀のみそぎ

巻六の結び。待賢門院の産んだ皇子・皇女たち。足の立たないまま十六歳で出家して亡くなった三の宮、嵯峨天皇の皇子隠君子の故事、仁和寺の覚性法親王の歌と金泥一切経の供養、早世した禧子内親王、上西門院統子内親王が斎院として唐崎で禊をした時の実行の歌が語られる。

  1. 1春宮大夫とうぐうのだいぶ春宮大夫とうぐうのだいぶとうぐうのだいぶののの御末おほんすゑ御末おほんすゑおおんすえののの、、、かくかくかく榮さか榮さかさかえええ給たま給たまたまふふう事こと事ことことももも、、、みかどのみかどのみかどの御おん御おんおんゆかりなればゆかりなればゆかりなれば、、、女院にようゐん女院にようゐんにょういんののの御事おほんこと御事おほんことおおんことこそこそこそ申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべるべけれどるべけれどるべけれど、、、そのそのその御有樣おほんありさま御有樣おほんありさまおおんありさまははは、、、さきにさきにさきに申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべりぬりぬりぬ。。。
  2. 2そのそのその生う生ううみみみ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまへるへるえる宮々みやみや宮々みやみやみやみやははは一いち一いちいちののの御子みこ御子みこみこははは讃岐さぬき讃岐さぬきさぬきノノノ院ゐん院ゐんいんにおはしますにおはしますにおわします。。。二に二ににののの御子みこ御子みこみこははは御目おほんめ御目おほんめおおんめくらくなりくらくなりくらくなり給たま給たまたまひてひていて、、、幼をさな幼をさなおさなくてかくれくてかくれくてかくれ給たま給たまたまひにきひにきいにき。。。ののの御子みこ御子みこみこははは若宮わかみや若宮わかみやわかみやととと申まう申まうもうしておはしましゝしておはしましゝしておわしましし、、、幼をさな幼をさなおさなくよりなえさせくよりなえさせくよりなえさせ給たま給たまたまひてひていて、、、起お起おおきききふしもふしもふしも人ひと人ひとひとのまゝにてのまゝにてのままにて、、、ものもものもものも仰おほ仰おほおおせられでおはしましゝせられでおはしましゝせられでおわしましし、、、十六じふろく十六じふろくじゅうろくにてにてにて御おん御おんおんぐしおろさせぐしおろさせぐしおろさせ給たま給たまたまひてひていて、、、うせさせうせさせうせさせ給たま給たまたまひにきひにきいにき。。。
  3. 3御おん御おんおんみめもみめもみめもうつくしううつくしううつくしゅう、、、御おん御おんおんぐしもぐしもぐしも長なが長ながながくおはしましけりくおはしましけりくおわしましけり。。。むかしむかしむかし綱つな綱つなつな宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうのののののの歌うた歌うたうたににに、、、
  4. 4たらちねたらちねたらちねはははいかにあはれといかにあはれといかにあわれと思おも思おもおもふらんふらんうらん三年さんねん三年さんねんさんねんににに成な成ななりぬりぬりぬ足あし足あしあしたゝずしてたゝずしてたたずして
  5. 5とよまれたるもとよまれたるもとよまれたるも、、、子こ子ここにおはしましけるにおはしましけるにおわしましける宮みや宮みやみやののの如ごと如ごとごとくこそくこそくこそははは聞き聞ききこえさせたまへこえさせたまへこえさせたまえ。。。昔むかし昔むかしむかしもかゝるもかゝるもかかる類たぐ類たぐたぐひおはせぬにひおはせぬにひおわせぬにはははあらぬにやあらぬにやあらぬにや。。。嵯峨さが嵯峨さがさがののの帝みかど帝みかどみかどののの御子みこ御子みこみこににに、、、君子くんし君子くんしくんしととと申まう申まうもうしけるしけるしける御子みこ御子みこみこははは、、、御耳みみ御耳みみみみにいかなるにいかなるにいかなる事こと事ことことのおはしけるとかやのおはしけるとかやのおわしけるとかや。。。
  6. 6扨さて扨さてさて嵯峨さが嵯峨さがさがにこもりゐにこもりゐにこもりい給たま給たまたまひてひていて、、、ひきものゝうちにたれこめてひきものゝうちにたれこめてひきもののうちにたれこめて、、、人ひと人ひとひとにもにもにも見み見みみえええ給たま給たまたまはははででで、、、わらわらわらはははにてぞおはしけるにてぞおはしけるにてぞおわしける。。。此こ此ここののの頃ころ頃ころころならばならばならば法師ほふし法師ほふしほうしにぞなりにぞなりにぞなり給たま給たまたまはははましましまし。。。
  7. 7昔むかし昔むかしむかしはははかくぞおはしけるかくぞおはしけるかくぞおわしける。。。心こころ心こころこころももも敏びん敏びんびんくいとまもおはするまゝにくいとまもおはするまゝにくいとまもおわするままに、、、よろづのよろづのよろずの文ふみ文ふみふみををを披ひら披ひらひらききき見み見みみ給たま給たまたまひければひければいければ、、、身み身みみののの御才おほんざえ御才おほんざえおおんざえ人ひと人ひとひとにすぐれにすぐれにすぐれ給たま給たまたまひておはしましけるにひておはしましけるにいておわしましけるに、、、やんごとなきやんごとなきやんごとなき博士はかせ博士はかせはかせのみちのみちのみちををを遂つひ遂つひついけけけ給たま給たまたまひけるひけるいける時とき時ときとき、、、相しやう相しやうしょうののの宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうととと聞き聞ききこえけるこえけるこえける人ひと人ひとひとののの、、、かのかのかの博士はかせ博士はかせはかせになりになりになり給たま給たまたまひけるにひけるにいけるに、、、小屋をや小屋をやおやとかいふとかいふとかいう所ところ所ところところ、、、立た立たたちちち寄よ寄よよりとぶらひりとぶらひりとぶらい奉たてまつ奉たてまつたてまつられけるにられけるにられけるに、、、難がた難がたがたきこときこときこと侍はべ侍はべはべりけるりけるりけるをばをばをば、、、駒こま駒こまこまをををはやはやはやめてめてめて、、、かのかのかの嵯峨さが嵯峨さがさがににに詣まう詣まうもうでてぞでてぞでてぞ、、、問と問ととひひい奉たてまつ奉たてまつたてまつりけるりけるりける。。。
  8. 8みかどのみかどのみかどの御子みこ御子みこみこにもにもにも、、、かやうなるかやうなるかようなる樣々さまざま樣々さまざまさまざまおはしけりおはしけりおわしけり。。。これこれこれははは、、、佛ほとけ佛ほとけほとけののの道みち道みちみちににに入い入いいらせらせらせ給たま給たまたまひたればひたればいたれば、、、後のち後のちのちののの世よ世よよののの契ちぎ契ちぎちぎりはむすばせりはむすばせりわむすばせ給たま給たまたまふらんふらんうらん。。。
  9. 9このこのこの宮みや宮みやみやあかごにおはしましけるあかごにおはしましけるあかごにおわしましける時とき時ときとき、、、絕た絕たたえいりえいりえいり給たま給たまたまへりければへりければえりければ、、、行尊僧正ぎやうそんそうじやう行尊僧正ぎやうそんそうじやうぎょうそんそうじょう祈いの祈いのいのりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつられけるにられけるにられけるに、、、白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいん位くらゐ位くらゐくらいにつきにつきにつき給たま給たまたまふべくふべくうべくははは、、、いきかへりいきかへりいきかえり給たま給たまたまへとへとえと、、、仰おほ仰おほおおせられけるせられけるせられけるほどにほどにほどに直なほ直なほなおらせらせらせ給たま給たまたまひければひければいければ、、、たのもしくたのもしくたのもしく人ひと人ひとひとももも思おも思おもおもひあへりけるにひあへりけるにいあえりけるに、、、そのかひなくおはしましけるそのかひなくおはしましけるそのかいなくおわしましける、、、いかにいかにいかに侍はべ侍はべはべるにかるにかるにか。。。
  10. 10なえさせなえさせなえさせ給たま給たまたまひたりともひたりともいたりとも、、、御命おほんいのち御命おほんいのちおおんいのちははは十とを十とをとおにあまりておはしますべくにあまりておはしますべくにあまりておわしますべく、、、又また又またまたひとのしるしもひとのしるしもひとのしるしもたふとたふととうとくおはすればくおはすればくおわすれば、、、直なほ直なほなおらせらせらせ給たま給たまたまへどもへどもえども位くらゐ位くらゐくらいはははべちのことなるべしべちのことなるべしべちのことなるべし。。。
  11. 11第四だいし第四だいしだいしののの御子みこ御子みこみこははは、、、今いま今いまいまののの一院いちゐん一院いちゐんいちいんにおはしますにおはしますにおわします、、、第だい第だいだい五ご五ごごのみこのみこのみこははは仁にん仁にんにんノノノ親王しんわう親王しんわうしんのうととと申まう申まうもうしゝしゝしし、、、わらわらわらはははよりよりより出家しゆつけ出家しゆつけしゅっけししし給たま給たまたまひてひていて、、、仁和寺にんなじ仁和寺にんなじにんなじののの法ほふ法ほふほう親王しんわう親王しんわうしんのうととと申まう申まうもうすなるべしすなるべしすなるべし。。。
  12. 12きさきばらのきさきばらのきさきばらの宮みや宮みやみや、、、法師ほふし法師ほふしほうしにならせにならせにならせ給たま給たまたまふふう事こと事ことこと、、、ありがたきことゝありがたきことゝありがたきことと申まう申まうもうせどもせどもせども、、、佛ほとけ佛ほとけほとけののの道みち道みちみちををを重おも重おもおもくせさせくせさせくせさせ給たま給たまたまふふう、、、いとめでたきことなるべしいとめでたきことなるべしいとめでたきことなるべし。。。このこのこの宮みや宮みやみやいとよきいとよきいとよき人ひと人ひとひとにおはしてにおはしてにおわして、、、眞言しんごん眞言しんごんしんごんよくよくよく習なら習ならならひひい給たま給たまたまひひい、、、御手おほんて御手おほんておおんてもかゝせたまひもかゝせたまひもかかせたまい、、、詩し詩ししつくりつくりつくり歌うた歌うたうたよみなどもよくしたまひきよみなどもよくしたまひきよみなどもよくしたまいき。。。
  13. 13そのそのその御歌みうた御歌みうたみゅうた多おほ多おほおおくくく侍はべ侍はべはべるるる中なか中なかなかににに、、、、、、出い出いいででで給たま給たまたまひけるにひけるにいけるに、、、有明ありあけ有明ありあけありあけののの月つき月つきつきおもしろかりけるにおもしろかりけるにおもしろかりけるに、、、
  14. 14このまもるこのまもるこのまもる有明ありあけ有明ありあけありあけののの月つき月つきつきのおくらずのおくらずのおくらずははは獨ひとり獨ひとりひとりややや秋あき秋あきあきのみねのみねのみねををを越こ越ここえましえましえまし
  15. 15とよみとよみとよみ給たま給たまたまへるとかやへるとかやえるとかや。。。又また又またまた、、、
  16. 16夏なつ夏なつなつのよのよのよはははたゞたゞただ時とき時ときときのまもながむればやがてのまもながむればやがてのまもながむればやがて有明ありあけ有明ありあけありあけののの月つき月つきつきをををこそこそこそ見み見みみれれれ
  17. 17などよませなどよませなどよませ給たま給たまたまへりへりえり。。。またまたまた若わか若わかわかくおはせしにくおはせしにくおわせしに、、、このこのこの一二いちに一二いちにいちに年とせ年とせとせがさきにがさきにがさきに、、、うせさせうせさせうせさせ給たま給たまたまひにきひにきいにき。。。四十一二しじふいちに四十一二しじふいちにしじゅういちににやおはしけんにやおはしけんにやおわしけん。。。惜を惜をおしくもしくもしくも、、、おはしますおはしますおわします御齡おほんよはひ御齡おほんよはひおおんよわいににに、、、定さだ定さださだめなきめなきめなき世よ世よよののの恨うら恨うらうらめしきなるべしめしきなるべしめしきなるべし。。。
  18. 18又何事またなにごと又何事またなにごとまたなにごとももも、、、よにおはぬよにおはぬよにおわぬほどのほどのほどの人ひと人ひとひとととと聞き聞ききききき侍はべ侍はべはべりしけにやりしけにやりしけにや。。。うせうせうせ給たま給たまたまはんとてのはんとてのわんとての頃ころ頃ころころ、、、ののの一切經いつさいきやう一切經いつさいきやういっさいきょうかきいだしてかきいだしてかきいだして、、、高野かうや高野かうやこうやにてにてにて供養くやう供養くやうくようししし給たま給たまたまひけるにひけるにいけるに、、、ひえのひえのひえの山やま山やまやまののの憲けん憲けんけん僧都そうづ僧都そうづそうずををを、、、院ゐん院ゐんいんににに申まう申まうもうしししうけさせうけさせうけさせ給たま給たまたまひてひていて、、、導師だうし導師だうしどうしにてにてにて供養くやう供養くやうくようせさせせさせせさせ給たま給たまたまひけりひけりいけり。。。
  19. 19そのそのその時とき時ときとき院ゐん院ゐんいんににに御おん御おんおんものまうでにものまうでにものもうでに、、、具ぐ具ぐぐせさせせさせせさせ給たま給たまたまふべかりけるとかやふべかりけるとかやうべかりけるとかや。。。殊こと殊ことことにえらびたまひてにえらびたまひてにえらびたまいて、、、あらぬあらぬあらぬ方かた方かたかたののの僧そう僧そうそうなりともなりともなりとも能よ能よよくくく說と說とときつべききつべききつべきをををととと、、、おぼしけんもいとおぼしけんもいとおぼしけんもいとたふとたふととうとししし。。。
  20. 20こがねのこがねのこがねの文字もじ文字もじもじをもをもをも、、、院ゐん院ゐんいん女院にようゐん女院にようゐんにょういんなどなどなどはははなちたてまつりてなちたてまつりてなちたてまつりてははは、、、ありがたきありがたきありがたき事こと事ことことををを、、、おぼろげのおぼろげのおぼろげの御心みこころ御心みこころみこころざしにざしにざしにはははあらざるべしあらざるべしあらざるべし。。。
  21. 21女宮をんなみや女宮をんなみやおんなみやははは一品いつぽん一品いつぽんいっぽんノノノ宮みや宮みやみやとておはしましゝとておはしましゝとておわしまししははは、、、ノノノ內親王ないしんわう內親王ないしんわうないしんのうとてとてとて、、、賀茂かも賀茂かもかものいつきにのいつきにのいつきに立た立たたちちち給たま給たまたまへりしへりしえりし、、、御おん御おんおんなやみにてなやみにてなやみにて、、、程ほど程ほどほどなくなくなく出い出いいででで給たま給たまたまひにきひにきいにき。。。長なが長ながなが承うけたまは承うけたまはうけたまわ二年にねん二年にねんにねん十月じふぐわつ十月じふぐわつじゅうがつ十一日じふいちにち十一日じふいちにちじゅういちにち、、、御おん御おんおんとしとしとし十二じふに十二じふにじゅうににてかくれさせにてかくれさせにてかくれさせ給たま給たまたまひにきひにきいにき。。。
  22. 22いつきのいつきのいつきのほどなくおりさせほどなくおりさせほどなくおりさせ給たま給たまたまふためしあれどもふためしあれどもうためしあれども、、、まだまだまだ本院ほんゐん本院ほんゐんほんいんにもつかせにもつかせにもつかせ給たま給たまたまはははででで、、、かくかくかく出い出いいでさせでさせでさせ給たま給たまたまふふう事こと事ことことはははいとあさましきいとあさましきいとあさましき事こと事ことこととぞきこえとぞきこえとぞきこえ侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。
  23. 23廿七日にじふしちにち廿七日にじふしちにちにじゅうしちにち奏そう奏そうそうとてとてとて、、、このよしこのよしこのよし內裏うち內裏うちうちににに奏そう奏そうそうすればすればすれば、、、三日みか三日みかみかはははとてとてとて、、、御殿おほとの御殿おほとのおおとののみすもおろされのみすもおろされのみすもおろされ、、、何事なにごと何事なにごとなにごとももも聲こゑ聲こゑこえたてゝたてゝたてて、、、奏そう奏そうそうするするする事こと事ことことなどなどなど侍はべ侍はべはべらざりけりらざりけりらざりけり。。。
  24. 24みかどみかどみかどははは御おん御おんおんいもいもいもうとにおはしませばうとにおはしませばうとにおわしませば、、、御服おほんぶく御服おほんぶくおおんぶくたてまつりなどしけりたてまつりなどしけりたてまつりなどしけり。。。紋もん紋もんもんもなきもなきもなき御冠みかがふり御冠みかがふりみかがうり、、、纓えい纓えいえいなどなどなど聞き聞ききこえてこえてこえて、、、年とし年としとし中なか中なかなか行事ぎやうじ行事ぎやうじぎょうじののの障子しやうじ障子しやうじしょうじのもとにてぞのもとにてぞのもとにてぞ奉たてまつ奉たてまつたてまつりけるりけるりける。。。
  25. 25みかどみかどみかどははは日ひ日ひひののの數かず數かずかずををを、、、月つき月つきつきなみのかはりにせさせなみのかはりにせさせなみのかわりにせさせ給たま給たまたまふなればふなればうなれば、、、三日みか三日みかみか御おん御おんおんぶくとぞぶくとぞぶくとぞ聞き聞ききこえけるこえけるこえける。。。次つぎ次つぎつぎののの姫宮ひめみや姫宮ひめみやひめみやははは、、、又また又またまたさきのさきのさきの齋院さいゐん齋院さいゐんさいいんとてとてとて、、、ノノノ內親王ないしんわう內親王ないしんわうないしんのうととと申まう申まうもうしゝしゝしし、、、後のち後のちのちにににははは統とう統とうとう子こ子こことあらためさせとあらためさせとあらためさせ給たま給たまたまひたるとぞきこえさせひたるとぞきこえさせいたるとぞきこえさせ給たま給たまたまひしひしいしははは、、、大だい大だいだい治ぢ治ぢじ元年ぐわんねん元年ぐわんねんがんねん七月しちぐわつ七月しちぐわつしちがつ廿三日にじふさんにち廿三日にじふさんにちにじゅうさんにちにににうまれさせうまれさせうまれさせ給たま給たまたまひてひていて、、、八月はちぐわつ八月はちぐわつはちがつににに親王しんわう親王しんわうしんのうののの宣旨せんじ宣旨せんじせんじかぶりかぶりかぶり給たま給たまたまひきひきいき。。。
  26. 26長なが長ながなが承うけたまは承うけたまはうけたまわ元年ぐわんねん元年ぐわんねんがんねん六月ろくぐわつ六月ろくぐわつろくがつ卅さんじふ卅さんじふさんじゅう日ひ日ひひ、、、いつきいつきいつき出い出いいでさせでさせでさせ給たま給たまたまひてひていて、、、保ほう保ほうほう元げん元げんげん三年さんねん三年さんねんさんねん二月にぐわつ二月にぐわつにがつ皇后宮くわうごうぐう皇后宮くわうごうぐうこうごうぐうにたゝせたまふにたゝせたまふにたたせたまう。。。上西門院じやうさいもんゐん上西門院じやうさいもんゐんじょうさいもんいんととと申まう申まうもうすなるべしすなるべしすなるべし。。。永えい永えいえい曆りやく曆りやくりやく二年にねん二年にねんにねん二月にぐわつ二月にぐわつにがつ十七日じふしちにち十七日じふしちにちじゅうしちにち、、、御おん御おんおんぐしおろさせぐしおろさせぐしおろさせ給たま給たまたまふとふとうと聞き聞ききこえきこえきこえき。。。
  27. 27后きさき后きさききさきにたゝせにたゝせにたたせ給たま給たまたまふときこえしふときこえしうときこえしははは、、、みかどのみかどのみかどの御母おほんはは御母おほんははおおんははににに、、、なぞならへなぞならへなぞならえ申まう申まうもうさせさせさせ給たま給たまたまふとぞきこえさせふとぞきこえさせうとぞきこえさせ給たま給たまたまふふう。。。ののの例れい例れいれいにやにやにや侍はべ侍はべはべらんらんらん。。。このこのこの女院にようゐん女院にようゐんにょういんののの、、、さきのさきのさきの齋院さいゐん齋院さいゐんさいいん御おん御おんおんはははらへせさせらへせさせらえせさせ給たま給たまたまひしひしいし時とき時ときとき、、、御おん御おんおんをををぢのぢのじの太政だいじやう太政だいじやうだいじょうのおとゞのよみのおとゞのよみのおとどのよみ給たま給たまたまへるへるえる、、、
  28. 28昨日きのふ昨日きのふきのう川がは川がはがわにせしみそぎしがのにせしみそぎしがのにせしみそぎしがの浦波うらなみ浦波うらなみうらなみたちぞかへたるたちぞかへたるたちぞかえたる
  29. 29ととと侍はべ侍はべはべりけるとなんりけるとなんりけるとなん。。。秋あき秋あきあきののの事こと事ことことなりけるになりけるになりけるに、、、かりごろもかりごろもかりごろもおの〳〵おの〳〵おのおの、、、萩はぎ萩はぎはぎ、、、龍膽りうたん龍膽りうたんりゅうたんなどいとなどいとなどいと珍めづ珍めづめずらしきにらしきにらしきに、、、逢坂あふさか逢坂あふさかおうさかのせきのせきのせきうちうちうち越こ越ここえてえてえて、、、山やま山やまやまのけしきみづのけしきみづのけしきみず海うみ海うみうみなどなどなど、、、いとおもしろくていとおもしろくていとおもしろくて、、、御祓おほんはらへ御祓おほんはらへおおんはらえのところにのところにのところにははは、、、かたのやうなるかりやにかたのやうなるかりやにかたのようなるかりやに、、、色いろ色いろいろ、、、水みづ水みづみずのみどりのみどりのみどり見み見みみえわきてえわきてえわきて、、、心こころ心こころこころあらんあらんあらん人ひと人ひとひとははは、、、いかなるいかなるいかなる言こと言ことことのののはもはもはも、、、いひとゞめまほしきにいひとゞめまほしきにいいとどめまほしきに、、、おとゞのおとゞのおとどの御歌みうた御歌みうたみゅうたたけたかくいとやさしくこそたけたかくいとやさしくこそたけたかくいとやさしくこそ聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべりしかりしかりしか。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

春宮大夫(公実)の御子孫がこのように栄えていらっしゃるのも、帝の御縁なので、女院(待賢門院)の御事こそ申し上げるべきですが、その御有様は先に申し上げました。そのお産みになった宮々は、一の御子は讃岐院(崇徳)でいらっしゃいます。二の御子は御目が見えなくなられて、幼くしてお亡くなりになりました。三の御子は若宮と申していらしたが、幼い時から足が萎えていらして、起き伏しも人の手を借りて、ものもおっしゃらずにいらしたが、十六歳で御髪をおろされて亡くなられました。御容貌も美しく、御髪も長くていらっしゃいました。昔、朝綱宰相の日本紀竟宴の歌に、

父母はどれほど不憫に思っていることだろう。三年になってしまった、足が立たないままで。

と詠まれたのも、蛭子でいらした(神の)宮のようだと聞こえます。昔もこのような例がおありにならなかったわけではないのでしょうか。嵯峨の帝の御子で隠君子と申し上げた御子は、御耳にどんなことがおありだったのでしょうか。それで嵯峨に籠居なさって、引き物(帳)の内に閉じこもって、人にも会われずに、童姿でいらっしゃいました。今ならば法師になられたことでしょう。昔はこのようでいらしたのです。心も聡く暇もおありになるままに、あらゆる書物を開いてご覧になったので、身の学才は人にすぐれていらっしゃったが、尊い博士の道を修められた時、広相の宰相と申し上げた人が、その博士になられた時、小屋とかいう所に立ち寄ってお見舞い申し上げたが、難しいことがありました時には、馬を急がせてあの嵯峨に参って、お尋ね申し上げたのでした。帝の御子にも、このようないろいろな方がいらっしゃいました。この方(三の宮)は仏道にお入りになったので、来世の縁は結ばれたことでしょう。

この宮が赤子でいらした時、息が絶えてしまわれたので、行尊僧正がお祈り申し上げたところ、(行尊が)「白河院(の御孫)が位におつきになるはずならば、生き返られよ」と仰せられたうちにお治りになったので、頼もしく人も思い合ったのに、その甲斐もなくていらしたのは、どうしたことでしょうか。萎えていらしても御命は十余年おありになるはずで、また(行尊という)人の霊験も尊くいらっしゃるので、お治りになっても、位は別のことなのでしょう。第四の御子は今の一院(後白河)でいらっしゃいます。第五の御子は本仁親王と申し上げた方で、童の時から出家されて、仁和寺の法親王と申し上げるのでしょう。后腹の宮が法師におなりになることはめったにないことと申しますが、仏道を重んじられたのは、たいそうめでたいことでしょう。この宮はたいそうよい方でいらっしゃって、真言をよく習われ、字もお書きになり、詩作り・歌詠みなどもよくなさいました。その御歌が多くございます中に、箕面に籠って出ていらした時に、有明の月が趣深かったので、

木の間を漏れる有明の月が送ってくれなかったら、私はひとりで秋の峰を越えたことだろう。

とお詠みになったとか。また、

夏の夜は、ほんのわずかの間でも眺めていると、そのまま有明の月を見ることになる。

などとお詠みになりました。まだお若くていらしたのに、この一、二年前に亡くなられました。四十一、二歳でいらしたでしょうか。惜しいお年なのに、定めない世が恨めしいことでしょう。また何事も世に並ぶ者がないほどの人と聞きましたからでしょうか、亡くなられようとするころ、金泥の一切経を書き上げて、高野山で供養なさった時、比叡山の澄憲僧都を院(後白河)にお願いして(借り受け)、導師として供養させなさいました。その時、院のお参りにお供させなさるはずだったとか。とりわけお選びになって、違う宗派の僧であってもよく説法できる者をとお思いになったのも、たいそう尊いことです。金の文字(の一切経)も、院・女院などを除いてはめったにないことなのに、並一通りのお志ではないのでしょう。

女宮で一品宮としていらしたのは、禧子内親王といって、賀茂の斎院にお立ちになったが、ご病気で程なく退下なさいました。長承二年(1133)十月十一日、御年十二歳でお亡くなりになりました。斎院が程なく退下なさる例はあるけれども、まだ本院(紫野の斎院)にもお入りにならないで、このように退下なさることは、たいそう嘆かわしいことと聞こえました。二十七日に薨奏といって、このことを内裏に奏上したので、三日間は廃朝といって、御殿の御簾も下ろされ、何事も声を立てて奏上することなどはありませんでした。帝(崇徳)は御妹でいらっしゃるので、御服喪をなさいました。紋もない御冠、縄纓などと聞こえて、年中行事の障子のもとでお召しになりました。帝は日の数を月の数の代わりになさるので、三日の御服喪と聞こえました。次の姫宮は、また前の斎院として、恂子内親王と申し上げた方で、後には統子と改められたと聞こえましたが、大治元年(1126)七月二十三日にお生まれになって、八月に親王の宣旨をこうむられました。長承元年(1132)六月三十日、斎院を退下なさって、保元三年(1158)二月に皇后宮にお立ちになりました。上西門院と申し上げるのでしょう。永暦二年(1161)二月十七日、御髪をおろされたと聞こえました。后にお立ちになったと聞こえたのは、帝(後白河)の御母になぞらえ申し上げなさったと聞こえます。六条院(郁芳門院)の例でございましょうか。この女院が前の斎院として唐崎の御祓をなさった時、御叔父の太政大臣(実行)がお詠みになった歌、

昨日までは賀茂の御手洗川でしていた禊を、今日は志賀の浦でなさり、波も(斎院の禊の波から)立ち替わったことだ。

とあったということです。秋のことだったので、狩衣もそれぞれ萩・竜胆などの色目でたいそう珍しく、逢坂の関を越えて、山の景色や湖などがたいそう趣深くて、御祓の場所には、形ばかりの仮屋に、斎垣の朱の色と水の緑とがくっきりと見分けられて、心ある人ならどんな言葉でも書きとめたいところに、大臣の御歌は格調高く、たいそう優雅に聞こえました。

意訳

巻六「藤波の下」の最終章。閑院流の繁栄の源である待賢門院の子どもたちが語られる。三の宮通仁親王は生まれつき足が不自由で、十六歳で出家して亡くなった。語り手は大江朝綱の歌や、嵯峨天皇の皇子隠君子の故事を引いて、障害を持った皇子たちに思いを寄せている。

五の宮覚性法親王は仁和寺の門跡となり、歌人としても知られた。金泥の一切経を書いて高野山で供養する際、比叡山の澄憲を導師に招いた、宗派を超えた心の広さがたたえられる。

章題の「志賀のみそぎ」は、上西門院統子内親王が斎院を退下した後、唐崎で行った禊の際に、叔父の実行が詠んだ歌による。秋の湖畔に朱の斎垣と水の緑が映える情景描写で、巻六は美しく閉じられる。

語釈・文法注

三の御子
通仁親王(1124〜1129)。鳥羽天皇の皇子。母は待賢門院。※没年については諸説あり、本文では十六歳で出家して亡くなったとする。
朝綱宰相
大江朝綱(886〜957)。学者・文人。
日本紀の歌
日本紀竟宴和歌。『日本書紀』の講読が終わった後の宴で、書紀の人物を題に詠んだ歌。
蛭子
伊奘諾・伊奘冉の子。三年たっても足が立たなかったので、葦の舟に乗せて流されたという。
隱君子
源融ではなく、嵯峨天皇の皇子源某。耳が不自由で嵯峨に隠棲し、学問に通じていたという。
廣相の宰相
橘広相(837〜890)。文章博士。
本仁ノ親王
覚性法親王(1129〜1169)。鳥羽天皇の皇子。仁和寺門跡。歌人。
みのお
箕面。摂津国の山。修験の霊地。
澄憲僧都
澄憲(1126〜1203)。信西の子。比叡山の僧。説法の名手。
金泥の一切經
金粉を膠で溶いた金泥で書いた一切経。
禧子ノ內親王
禧子内親王(1122〜1133)。鳥羽天皇の皇女。賀茂斎院。
薨奏
皇族や高官の死を天皇に奏上すること。
廢朝
天皇が政務を執らないこと。服喪の儀礼。
繩纓
冠の纓(後ろに垂らす部分)を縄のようにしたもの。喪中に用いた。
恂子ノ內親王
統子内親王(1126〜1189)。鳥羽天皇の皇女。賀茂斎院。のち上西門院。
六條院
郁芳門院媞子内親王。白河天皇の皇女で、堀河天皇の准母として皇后となった。
からさき
唐崎。近江国の琵琶湖西岸。斎院の禊が行われた。
みたらし川
御手洗川。賀茂社の境内を流れる川。斎院の禊が行われた。
いがき
斎垣。神域を囲む垣。

文法

此の頃ならば法師にぞなり給はまし
「まし」は反実仮想。今ならば法師になられたことだろう。
おくらずは
「送らずは」。送ってくれなかったら。

和歌

たらちねはいかにあはれと思ふらん三年に成りぬ足たゝずして

詠者
大江朝綱
状況
日本紀竟宴で、蛭子を題に詠んだ歌。

修辞

枕詞的用法
「たらちね」は親(ここでは父母)の意。

このまもる有明の月のおくらずは獨や秋のみねを越えまし

詠者
覚性法親王
状況
箕面の山に籠って出てきた時、有明の月が趣深かったので詠んだ歌。

修辞

擬人法
月が道を送ってくれるものとする。
反実仮想
「ずは…まし」で、月がなかったらと仮定する。

夏のよはたゞ時のまもながむればやがて有明の月をこそ見れ

詠者
覚性法親王
状況
夏の夜の短さを詠んだ歌。

昨日までみたらし川にせしみそぎしがの浦波たちぞかへたる

詠者
藤原実行
状況
上西門院が斎院を退下した後、唐崎で禊をした時に詠んだ歌。

修辞

掛詞
「たちぞかへたる」に波が立ち返ることと、斎院から立場が替わったことをかける。
対比
賀茂の御手洗川と志賀の浦とを対比する。

解説

巻六は高松殿腹の頼宗・能信・長家の子孫から閑院流へと語り進め、待賢門院の子どもたちで閉じる。華やかな繁栄の陰にある病や早世を丁寧に描くところに、今鏡の語り手のまなざしがうかがえる。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、285〜290頁(コマ157–160)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日