今鏡 第六「藤波の下」 第57章
宮城野
徳大寺右大臣公能の娘たち。長女忻子は後白河天皇の皇后、次女は出家、三女多子は頼長の養女として近衛天皇の皇后となり、のちに二条天皇にも再び入内して「二代の后」となった。多子の「思ひきや」の歌、その教養と、姉の上西門院と並んだ時の装束の美しさ、公能の子実定・実家・実守ら徳大寺家の公達が語られる。
- 1此此このおとゞののおとゞののおとどの御御おんむすめむすめむすめ、、、俊俊しゅん忠忠ただ中納言中納言ちゅうなごんのむすめののむすめののむすめの腹腹はらににに、、、四人四人よたりおはすときこえおはすときこえおわすときこえ給給たまふふう。。。おおおほいほいほい君君きみはははいまのいまのいまの皇后宮皇后宮こうごうぐうにおはしますとぞにおはしますとぞにおわしますとぞ。。。このこのこの院院いんののの位位くらいののの御時御時おおんときににに、、、きさきにきさきにきさきに立立たちちち給給たまひしひしいし、、、御名御名みなはははととと申申もうすなるべしすなるべしすなるべし。。。
- 2そのそのその次次つぎににに姫君姫君ひめぎみおはしきおはしきおわしき。。。「「「きさききさききさきふたりふたりふたりののの中中なかにておぼろげのにておぼろげのにておぼろげの御御おん振舞振舞ふるまいあるまじあるまじあるまじ。。。佛佛ほとけののの道道みちにこそにこそにこそははは、、、入入いらせらせらせ給給たまはははめめめ」」」。。。ととと故故こおおおほいほいほい殿殿どののたまはせければのたまはせければのたまわせければ、、、それにたがはずそれにたがはずそれにたがわず、、、若若わかくおはすなるにくおはすなるにくおわすなるに、、、御御おんぐしおろしぐしおろしぐしおろし給給たまひたるひたるいたる、、、ととと聞聞きききき侍侍はべるるる、、、いとあはれにいとあはれにいとあわれに、、、このこのこの御事御事おおんことををを誰誰たれかよみれかよみれかよみ給給たまへるとかやへるとかやえるとかや。。。
- 3ののの秋秋あきののの野中野中のなかのののみなへしなべてのみなへしなべてのみなえしなべての花花はなにまじるべきかにまじるべきかにまじるべきかははは
- 4とぞとぞとぞ聞聞きききき侍侍はべりしりしりし。。。誠誠まことにいとありがたくにいとありがたくにいとありがたく、、、契契ちぎりおきりおきりおき給給たまふともふともうとも、、、そのまゝにおぼしなりそのまゝにおぼしなりそのままにおぼしなり給給たまふふう、、、いと〳〵ありがたくいと〳〵ありがたくいといとありがたく物物ものししし給給たまふふう御心御心みこころなるべしなるべしなるべし。。。
- 5ののの君君きみははは宇治宇治うじののの左左ひだりのおとゞののおとゞののおとどの北北きたののの方方かたののの、、、父父ちちおとゞのおとゞのおとどの御御おんいもいもいもうとにおはすればうとにおはすればうとにおわすれば御子御子みこにしたてまつりにしたてまつりにしたてまつり給給たまひてひていて、、、近衞近衞こんえのみかどののみかどののみかどの御時御時おおんとき、、、姉宮姉宮あねみやよりさきによりさきによりさきに、、、十一十一じゅういちにてにてにて后后きさきににに立立たちちち給給たまへりへりえり。。。
- 6近衞近衞こんえのみかどものみかどものみかども此此こののの宮宮みやももも、、、そのかみまだそのかみまだそのかみまだ幼幼おさなくおはしましゝくおはしましゝくおわしまししほどにほどにほどに、、、のおほきおとゞののおほきおとゞののおおきおとどの御御おんむすめむすめむすめををを、、、鳥羽鳥羽とばノノノ院院いん、、、などのなどのなどの御御おんさたにてさたにてさたにて、、、女御女御にょうごにたてまつりたまへりにたてまつりたまへりにたてまつりたまえり。。。
- 7法性寺法性寺ほっしょうじのおとゞののおとゞののおとどの北北きたののの方方かたははは、、、九條九條くじょうのおほきおとゞののおほきおとゞののおおきおとどの御御おんいもいもいもうとにおはすればうとにおはすればうとにおわすれば、、、御子御子みことてとてとて、、、うらうへよりうらうへよりうろうえより心心こころひとつにてひとつにてひとつにて、、、たてまつりたてまつりたてまつり給給たまへりしにへりしにえりしに、、、宇治宇治うじののの左左ひだりのおとゞのおとゞのおとど、、、年年としごろごろごろははは兄兄あにののの法性寺法性寺ほっしょうじのおとゞよりものおとゞよりものおとどよりも、、、世世よにあひにあひにあい給給たまへりしにへりしにえりしに、、、餘餘あまりにおはせしけにやりにおはせしけにやりにおわせしけにや。。。
- 8さすがにさすがにさすがにひとつにもひとつにもひとつにもおしおしおしはりはりはり給給たまはざりしにはざりしにわざりしに、、、今參今參いままいりりり給給たまひたるひたるいたる中宮中宮ちゅうぐうのみのみのみ、、、ひとつにおはしますひとつにおはしますひとつにおわします事事ことにてにてにて、、、父父ちちののの伊伊い通通つうのおとゞものおとゞものおとども、、、大納言大納言だいなごんなどなどなど申申もうしてしてして、、、常常つねににに候候そうらひひい給給たまふふう。。。
- 9關白殿關白殿かんぱくどのももも宇治宇治うじのおとゞものおとゞものおとども、、、心心こころよからぬさまにてよからぬさまにてよからぬさまにて隔隔へだててて多多おおかりけるかりけるかりける程程ほどににに、、、みかどもかくれさせみかどもかくれさせみかどもかくれさせ給給たまひひい、、、左左ひだりのおとゞものおとゞものおとどもうせうせうせ給給たまひてひていて、、、年年としふるふるふるほどにほどにほどに、、、二條二條にじょうののの帝帝みかどののの御時御時おおんとき、、、あながちにあながちにあながちに御御おんせうそこせうそこしょうそこ有有ありければりければりければ、、、父父ちちおとゞにもおとゞにもおとどにも、、、かた〳〵かた〳〵かたかた申申もうしかへさせしかへさせしかえさせ給給たまひけれどもひけれどもいけれども、、、しのびたるさまにてしのびたるさまにてしのびたるさまにて、、、參參まいらせたてまつりらせたてまつりらせたてまつり給給たまへりけるにへりけるにえりけるに、、、むかしのむかしのむかしの御御おんすまひもすまひもすまいも同同おなじさまにてじさまにてじさまにて、、、雲井雲井くもいののの月月つきももも、、、光光ひかりかはらずおぼえさせりかはらずおぼえさせりかわらずおぼえさせ給給たまひければひければいければ、、、
- 10思思おもひきやうきみながらにめぐりきてひきやうきみながらにめぐりきていきょうきみながらにめぐりきて同同おなじじじ雲井雲井くもいののの月月つきををを見見みんとんとんとははは
- 11とぞとぞとぞ、、、思思おもひかけずひかけずいかけず、、、傳傳つたへへえうけうけうけ給給たまはははりしりしりし。。。かやうにかやうにかように聞聞きこえさせこえさせこえさせ給給たまひしひしいしほどにほどにほどに、、、みかどもみかどもみかども亦亦またかくれさせかくれさせかくれさせ給給たまひてひていて、、、世世よももも心細心細こころぼそくおぼえさせくおぼえさせくおぼえさせ給給たまひけるにひけるにいけるに、、、例例れいならずおはしませばならずおはしませばならずおわしませば、、、などきこえてなどきこえてなどきこえて、、、御御おんぐしおろさせぐしおろさせぐしおろさせ給給たまひけるひけるいける、、、御御おんとしとしとし廿五廿五にじゅうご六六ろくばかりのばかりのばかりの御御おんほどにほどにほどに、、、おはしけるにやとぞおはしけるにやとぞおわしけるにやとぞ聞聞きこえさせこえさせこえさせ給給たまひしひしいし。。。
- 12このこのこの宮宮みや、、、何事何事なにごともえんなるかたもえんなるかたもえんなるかた、、、なさけなさけなさけ多多おおくおはしましてくおはしましてくおわしまして、、、御手御手おおんてうつくしうかゝせうつくしうかゝせうつくしゅうかかせ給給たまふふう。。。繪繪えをををさへなべてのさへなべてのさえなべての筆筆ふでだちにもあらずなんだちにもあらずなんだちにもあらずなん、、、おはしますなるおはしますなるおわしますなる。。。
- 13またほにまたほにまたおに出出いでてでてでて、、、ことことこと琵琶琵琶びわなどなどなどひかせひかせひかせ給給たまふことふことうことははは、、、聞聞きこえさせこえさせこえさせ給給たまはははねどねどねど、、、優優すぐれたるれたるれたる人人ひとににに劣劣おとらせらせらせ給給たまはすはすわす。。。物物もののねものねものねも、、、能能よくきゝしらせくきゝしらせくききしらせ給給たまひたるとかやひたるとかやいたるとかや。。。
- 14御御おんせうとたちせうとたちしょうとたち參參まいりりり給給たまひたるにもひたるにもいたるにも、、、御帳御帳みちょうおましなどこそあらめおましなどこそあらめおましなどこそあらめ。。。候候そうろうふふう人々人々ひとびとまでまでまで、、、よろづめやすくよろづめやすくよろずめやすく、、、もてつけたるもてつけたるもてつけたる樣樣さまにてにてにて、、、人人ひと參參まいるとてるとてるとて、、、今更今更いまさらににに臺盤所臺盤所だいばんどころとかくひきつくろひとかくひきつくろひとかくいきつくろい、、、御御おん几帳几帳きちょうおしいでなどせでおしいでなどせでおしいでなどせで、、、かねてかねてかねて用意用意よういやあらんやあらんやあらん。。。
- 15心心こころにくゝぞおはしますなるにくゝぞおはしますなるにくくぞおわしますなる。。。故故こ左左ひだりのおとゞものおとゞものおとども、、、中中なかにとりわきてにとりわきてにとりわきて、、、御心御心みこころにつかせにつかせにつかせ給給たまふとてぞふとてぞうとてぞ、、、御子御子みこににに養養やしなひひい申申もうさせたまひけるさせたまひけるさせたまいける。。。かやうになさけかやうになさけかようになさけ多多おおくくく、、、おはしますことおはしますことおわしますことをやをやをや聞聞きかせかせかせ給給たまひけんひけんいけん。。。
- 16二條二條にじょうノノノ院院いんののの御時御時おおんときもあながちにもあながちにもあながちに御御おんけしきけしきけしき侍侍はべりけるなるべしりけるなるべしりけるなるべし。。。このこのこの宮宮みやたちたちたち、、、おやのおやのおやの御子御子みこにおはしませばにおはしませばにおわしませば、、、ことわりとことわりとことわりとははは申申もうしながらしながらしながら、、、なべてならぬなべてならぬなべてならぬ御姿御姿おおんすがたなんおはしますなるなんおはしますなるなんおわしますなる。。。
- 17誰誰たれもとれもとれもと申申もうしながらしながらしながら、、、ののの御姉御姉おおんあねにおはしますなるにおはしますなるにおわしますなる女院女院にょういんこそこそこそ、、、すぐれておはしますさますぐれておはしますさますぐれておわしますさまははは、、、ならぶならぶならぶ御御おんかた〳〵かたくおはしますなるにかた〳〵かたくおはしますなるにかたかたかたくおわしますなるに、、、今今いまののの皇后宮皇后宮こうごうぐうにやにやにや。。。
- 18いづれにかおはしますらんいづれにかおはしますらんいずれにかおわしますらん。。。參參まいらせらせらせ給給たまへりけるにへりけるにえりけるに、、、人人ひとののの見見み比比くらべまゐらせけるこそべまゐらせけるこそべまいらせけるこそ、、、とり〳〵にいとをかしくとり〳〵にいとをかしくとりとりにいとおかしく、、、見見みえさせえさせえさせ給給たまひけれひけれいけれ。。。女院女院にょういんははは白白しろききき御衣御衣みけし、、、十十とおにあまりてにあまりてにあまりて重重かさなりたるになりたるになりたるに、、、菊菊きくのののうつろひたるうつろひたるうつろいたる、、、白白しろききき二重二重ふたえおりおりおり物物もののののうううはははぎたてまつりてぎたてまつりてぎたてまつりて、、、三尺三尺さんじゃくののの御御おん几帳几帳きちょうのののうちにゐさせうちにゐさせうちにいさせ給給たまへりけるにへりけるにえりけるに、、、皇后宮皇后宮こうごうぐうははは、、、うへうへうえ赤赤あかいろにていろにていろにて、、、下下したあさあさあさ黃黃もみ、、、中中なかはははじもみぢのじもみぢのじもみじの、、、十十とおばかりばかりばかり重重かさなりたるになりたるになりたるに、、、うううはははぎにぎにぎに同同おなじいろにじいろにじいろに、、、やがてやがてやがて濃濃こきききえびえびえびめのめのめの小袿小袿こうちきののの、、、色々色々いろいろなるなるなる紅葉紅葉もみじうちうちうち散散ちりたるりたるりたるふたへふたへふたえ織物織物おりものたてまつりたりけるたてまつりたりけるたてまつりたりけるををを、、、見見み參參まいらせたるらせたるらせたる人人ひとののの語語かたりけるとなんりけるとなんりけるとなん。。。
- 19さてさてさて此此こののの大炊大炊おおいノノノ御門御門みかどののの右右みぎのおとゞのをのこのおとゞのをのこのおとどのおのこ君君きみははは、、、太郞太郞たろうにてにてにてははは三位三位さんみノノノ中將中將ちゅうじょうととと申申もうしゝしゝしし、、、宮宮みやたちのたちのたちの同同おなじじじ御御おんはははらにおはするらにおはするらにおわする、、、大納言大納言だいなごん定定じょうととと申申もうすなりすなりすなり、、、つかさもつかさもつかさも辭辭じししし給給たまひてひていて籠籠こもりりり給給たまへるとかやへるとかやえるとかや。。。
- 20さばかりのさばかりのさばかりの英英えい雄雄おにおはするににおはするににおわするに、、、人人ひとをををこそこそこそ超超こえええ給給たまふべきふべきうべきををを、、、人人ひとににに超超こえられえられえられ給給たまひければひければいければ、、、位位くらいにかへてにかへてにかえて超超こえかへしえかへしえかえし給給たまへるへるえる、、、いとことわりといとことわりといとことわりと聞聞きこえこえこえ侍侍はべりりり。。。
- 21詩詩しなどもなどもなども作作つくりりり給給たまひひい、、、歌歌うたもよくよみもよくよみもよくよみ給給たまふとぞふとぞうとぞ。。。御聲御聲おおんこえなどもなどもなどもうつくしうてうつくしうてうつくしゅうて、、、おやのおやのおやの御御おんあとつぎあとつぎあとつぎ給給たまひてひていて、、、御神樂御神樂みかぐらののの拍子拍子ひょうしなどもとりなどもとりなどもとり給給たまひひい、、、今樣今樣いまようなどもなどもなども能能よくくく謠謠うたひひひ給給たまふなるべしふなるべしうなるべし。。。
- 22籠籠こもりりり給給たまへるもあたらしくへるもあたらしくえるもあたらしく侍侍はべるるる事事ことかなかなかな。。。次次つぎににに三位三位さんみノノノ中將中將ちゅうじょう家家いえととと申申もうすなるすなるすなるははは、、、藏人藏人くろうどノノノ頭頭こうべよりよりより、、、宰相宰相さいしょうになりになりになり給給たまひたらんにもひたらんにもいたらんにも、、、なか〳〵まさりてなか〳〵まさりてなかなかまさりて、、、なべてならずなべてならずなべてならず聞聞きこえこえこえ侍侍はべりりり。。。
- 23琴琴ことなどなどなど能能よくひきたまひくひきたまひくいきたまい、、、御聲御聲おおんこえもすぐれてもすぐれてもすぐれて、、、これもこれもこれも今樣今樣いまよう神樂神樂かぐら、、、うたひうたひうたい給給たまふときこえふときこえうときこえ給給たまふふう。。。このこのこの御弟御弟おおんおとうとににに頭頭かしらノノノ中將中將ちゅうじょう守守かみととと聞聞きこえこえこえ給給たまふもふもうも、、、やまとやまとやまと琴琴ことなどなどなど習習ならひひい傳傳つたへたまへりへたまへりえたまえり。。。
- 24このこのこの君君きみたちたちたち、、、皆皆みな才才さいなどもおはしてなどもおはしてなどもおわして、、、からやまとのからやまとのからやまとの文文ふみなどなどなど作作つくりりり給給たまふふう。。。御御おんみめもみめもみめも昔昔むかしののの匂匂におひひい殘殘のこりてりてりて、、、此此こののの頃頃ころすぐれすぐれすぐれ給給たまへるへるえる御有樣御有樣おおんありさまどもにおはすとどもにおはすとどもにおわすと聞聞きこえこえこえ給給たまふふう。。。
- 25又又またいづれのいづれのいずれの御御おんはははらにかおはすらんらにかおはすらんらにかおわすらん。。。山山やまににに法眼法眼ほうげんとておはすととておはすととておわすと聞聞きこえこえこえ給給たまふふう。。。またまたまた院院いんののの姫宮姫宮ひめみょ生生うみみみ奉奉たてまつりりり給給たまへるへるえる姫君姫君ひめぎみもおはすとぞもおはすとぞもおわすとぞ。。。
- 26まことやまことやまことや北北きたののの方方かたののの御御おんはははらにやらにやらにや。。。侍從侍從じじゅうとておはすなるとておはすなるとておわすなるははは、、、頭頭かしらノノノ中將中將ちゅうじょう御子御子みこにしにしにし給給たまふとぞふとぞうとぞ、、、德大寺德大寺とくだいじのおとゞののおとゞののおとどの二郞二郞じろうにににははは、、、中中なかノノノ御門御門みかどののの右右みぎのおとゞののおとゞののおとどの御御おんむすめのむすめのむすめのはらにはらにはらに、、、親親おやののの宰相中將宰相中將さいしょうのちゅうじょうとておはしきとておはしきとておわしき。。。
- 27疾疾とくうせくうせくうせ給給たまひにきひにきいにき。。。次次つぎににに一條一條いちじょうののの大納言大納言だいなごん保保ほうととと申申もうすなるすなるすなる、、、左衞門左衞門さえもんノノノ督督かみののの姫君姫君ひめぎみ、、、廊廊ろうののの御方御方おおんかたととと申申もうすすす御御おんはははらなりらなりらなり。。。當時當時とうじ大納言大納言だいなごんにおはすなりにおはすなりにおわすなり。。。父父ちちおとゞにおとゞにおとどに御御おんみめみめみめははは少少すこししし似似に給給たまへるとかやへるとかやえるとかや。。。
- 28同同おなじじじ御御おんはははらにらにらに公公く雲雲くも僧都僧都そうずとてとてとて山山やまにおはすなりにおはすなりにおわすなり。。。異異ことはははらのらのらの御子御子みこ僧僧そうにてにてにて三井寺三井寺みいでらなどにおはすとぞなどにおはすとぞなどにおわすとぞ。。。春宮大夫春宮大夫とうぐうのだいぶののの末末すえののの御子御子みこははは民部卿民部卿みんぶきょうととと申申もうしておはしきしておはしきしておわしき。。。
- 29琴琴ことにてぞにてぞにてぞ、、、御遊御遊おおんあそびびにびにびにはははまじりまじりまじり給給たまひけるとひけるといけると聞聞きききき侍侍はべりしりしりし。。。右京右京うきょうのかみのかみのかみ道道みち家家いえのむすめののむすめののむすめのはらにおはすはらにおはすはらにおわす。。。文文ふみののの方方かたももも習習ならひひい給給たまへりけりへりけりえりけり。。。そのそのその御子御子みこににに、、、左衞門左衞門さえもんノノノ督督かみ光光ひかりととと申申もうすなるこそすなるこそすなるこそ、、、才才さいなどもおはしてなどもおはしてなどもおわして、、、詩詩しつくりつくりつくり給給たまひひい、、、歌歌うたもよみてよきもよみてよきもよみてよき人人ひとととと聞聞きききき奉奉たてまつるにるにるに、、、これもこれもこれも前前さきののの中納言中納言ちゅうなごんなどなどなどうけうけうけ給給たまはるこそはるこそわるこそ。。。
- 30いかにいかにいかに侍侍はべるるる世世よののの中中なかにかにかにか。。。このこのこの御母御母おおんはは顯賴顯賴あきよりののの民部卿民部卿みんぶきょうのむすめとぞのむすめとぞのむすめとぞ。。。みめもみめもみめも殊殊ことによきによきによき上達部上達部かんだちめにてにてにて、、、ちゝのちゝのちちの大納言大納言だいなごんにににはははまさりまさりまさり給給たまへりとぞへりとぞえりとぞ。。。聲聲こえよくよくよく神樂神樂かぐらなどもなどもなども、、、うたひうたひうたい給給たまふとかふとかうとか。。。
- 31これもゆゝしくこれもゆゝしくこれもゆゆしく、、、大大おおきなるきなるきなる人人ひとにてにてにて、、、御御おんをををぢのぢのじの通季通季みちすえ左衞門左衞門さえもんノノノ督督かみののの御御おんたけにたけにたけに、、、いといといと劣劣おとりりり給給たまはずとぞはずとぞわずとぞうけうけうけ給給たまはるはるわる。。。すべてよきすべてよきすべてよき人人ひとにこそにこそにこそ。。。若若わかくてもくてもくても、、、てゝのてゝのてての世世よおぼえよりおぼえよりおぼえよりははは殊殊ことののの外外ほかににに殿上殿上てんじょうにゆるされたるにゆるされたるにゆるされたる、、、近衞近衞こんえつかさにてぞおはしけるつかさにてぞおはしけるつかさにてぞおわしける。。。
現代語訳
この大臣(公能)の御娘は、俊忠中納言の娘の腹に四人いらっしゃると聞こえます。長女は今の皇后宮でいらっしゃるとか。この院(後白河)が在位の御時に后にお立ちになった方で、御名は忻子と申し上げるのでしょう。その次に姫君がいらっしゃいました。「后が二人の間にあって、並一通りのお振る舞いはあるまい。仏の道にこそお入りになるのがよい」と故大臣(公能)がおっしゃったので、それにたがわず、若くていらっしゃるのに御髪をおろされたと聞きますが、たいそうしみじみとしたことに、この御事を誰がお詠みになったのでしょうか、
宮城野の秋の野中の女郎花は、ありふれた花の中に混じるべきでしょうか(いや、混じるべきではない)。
と聞きました。まことにたいそうめったにないことで、(親が)約束しておかれたとしても、そのとおりに決心なさったのは、本当にめったにないご立派なお心なのでしょう。
三の君(多子)は、宇治の左大臣(頼長)の北の方が父大臣(公能)の御妹でいらっしゃるので、(頼長が)養女になさって、近衛の帝の御代に、姉宮(忻子)より先に、十一歳で后にお立ちになりました。近衛の帝もこの宮も、そのころまだ幼くていらっしゃったころに、九条の太政大臣(伊通)の御娘(呈子)を、鳥羽院・女院(美福門院)などのお計らいで女御として入内させなさいました。法性寺の大臣(忠通)の北の方は九条の太政大臣の御妹でいらっしゃるので、(呈子を忠通の)御子として、内外から心を一つにして入内させなさったが、宇治の左大臣は、長年兄の法性寺の大臣よりも時流に乗っていらっしゃったのに、あまりのことだったからでしょうか、さすがに一方的に押し切ることもなさらなかったが、新しく入内なさった中宮(呈子)の方ばかりが一つ(帝のお気に入り)でいらっしゃることになって、父の伊通の大臣も、大納言などと申して、いつもお仕えしていらっしゃいました。関白殿も宇治の大臣も、不仲な様子で隔てが多かったうちに、帝もお亡くなりになり、左大臣も亡くなられて、年を経るうちに、二条の帝の御代に、強いてお便りがあったので、父大臣にも(多子は)あれこれ辞退申し上げなさったけれども、忍んだ様子で入内させ申し上げなさったところ、昔のお住まいも同じ様子で、宮中の月も光が変わらないようにお思いになったので、
思いもしなかった。つらい身のまま再びめぐってきて、同じ宮中の月を見ようとは。
と、思いがけず伝え聞きました。このように申し上げていらしたうちに、帝もまたお亡くなりになって、世も心細くお思いになったので、ご気分がすぐれないなどと聞こえて、御髪をおろされたのは、御年二十五、六ほどでいらしたかと聞こえました。
この宮は、何事も優美な方面に情趣深くいらっしゃって、字を美しくお書きになります。絵までも並の筆づかいではなくていらっしゃるそうです。また表立って琴・琵琶などをお弾きになることは聞こえないけれど、すぐれた人に劣られません。楽の音もよく聞き分けていらっしゃるとか。御兄たちが参上なさった時にも、御帳台や御座などはともかく、仕える人々まで、万事見苦しくなく整った様子で、人が参るからといって、今さら台盤所をあれこれ取り繕ったり、御几帳を押し出したりなどせず、前もって用意があるのでしょうか、奥ゆかしくいらっしゃるそうです。故左大臣(頼長)も、中でもとりわけお心にかなうといって養女になさったのでした。このように情趣深くいらっしゃることをお聞きになったのでしょうか、二条院の御代にも強いてご意向があったのでしょう。この宮たちは、(公能という)親の御子でいらっしゃるので当然とは申しながら、並々でないお姿でいらっしゃるそうです。誰もがすぐれていると申しながら、院(後白河)の御姉でいらっしゃる女院(上西門院)こそ、すぐれていらっしゃるさまは並ぶ方々もないほどでいらっしゃるのに、今の皇后宮(忻子)でしたか、どちらでいらしたでしょうか、参上なさった時に、人が見比べ申し上げたのが、それぞれにたいそう美しくお見えになりました。女院は白い御衣を十枚余り重ねたところに、菊の移ろった色の小袿、白い二重織物の表着をお召しになって、三尺の御几帳の内に座っていらしたところ、皇后宮は、表は赤色で、下は浅黄、中は黄紅葉の衣を十枚ほど重ねたところに、表着も同じ色で、そのまま濃い葡萄染の小袿の、色とりどりの紅葉を散らした二重織物をお召しになっていたのを、拝見した人が語ったということです。
さて、この大炊御門の右大臣(公能)の男君は、長男としては三位中将と申した方で、宮たちと同じ御腹でいらっしゃる大納言実定と申す方が、官職も辞されて籠居なさっているとか。あれほどの英才でいらっしゃるのに、人を越えられるはずなのに、人に越えられなさったので、位と引き換えに越え返されたのは、まことに道理と聞こえます。詩などもお作りになり、歌もよくお詠みになるとか。御声なども美しくて、親の御跡を継がれて、御神楽の拍子などもとられ、今様などもよく歌われるのでしょう。籠居なさっているのも惜しいことでございますね。次に三位中将実家と申す方は、蔵人頭から宰相になられたとしても、それよりもかえってまさって、並々でないと聞こえます。大和琴などをよくお弾きになり、御声もすぐれて、この方も今様・神楽を歌われると聞こえます。この御弟に頭中将実守と申し上げる方も、大和琴などを習い伝えていらっしゃいます。この君たちは、皆学才などもおありで、漢詩や和歌などをお作りになります。御容貌も昔のつやが残って、このごろすぐれていらっしゃる御有様でいらっしゃると聞こえます。また、どの御腹でいらっしゃるのでしょうか、比叡山に法眼としていらっしゃると聞こえます。また院(後白河)の姫宮をお産み申し上げた姫君もいらっしゃるとか。
そういえば北の方の御腹でしょうか、侍従としていらっしゃる方は、頭中将(実守)が養子になさっているとか。徳大寺の大臣(実能)の次男には、中御門の右大臣(宗忠)の御娘の腹に、公親の宰相中将という方がいらっしゃいました。早く亡くなられました。次に一条の大納言公保と申す方は、左衛門督(通季)の姫君で廊の御方と申す方の御腹です。今は大納言でいらっしゃいます。父大臣に御容貌は少し似ていらっしゃるとか。同じ御腹に公雲僧都といって、比叡山にいらっしゃいます。別の腹の御子は僧として三井寺などにいらっしゃるとか。春宮大夫(公実)の末の御子は、民部卿季成と申していらっしゃいました。和琴で御遊びには加わられたと聞きました。右京大夫道家の娘の腹でいらっしゃいます。学問の方面も習われました。その御子に左衛門督公光と申す方こそ、学才などもおありで、詩を作られ、歌も詠んで、よい人と聞いておりますのに、この方も前中納言などと承るのは、どういう世の中なのでしょうか。この御母は顕頼の民部卿の娘とか。容貌もとりわけよい上達部で、父の大納言にはまさっていらっしゃるとか。声もよく、神楽なども歌われるとか。この方もたいそう大柄な人で、御叔父の通季左衛門督の御背丈にも少しも劣られないと承ります。すべてよい人なのでしょう。若くても、父の世の評判よりはことのほか殿上で重んじられた近衛の官人でいらっしゃいました。
意訳
徳大寺公能の娘たちは、それぞれに数奇な運命をたどった。長女忻子は後白河天皇の皇后、次女は「后二人の間で並の暮らしはできまい」という父の言葉どおり出家した。章題の「宮城野」は、この次女の出家を詠んだ「宮城野の秋の野中のをみなへし」の歌による。
三女多子は叔母の夫頼長の養女となって十一歳で近衛天皇の皇后となったが、忠通も伊通の娘呈子を養女として入内させ、兄弟の対立の場となった。近衛天皇の崩御後、二条天皇が強いて多子を迎え、史上初の「二代の后」となった。多子が再入内して詠んだ「思ひきや」の歌は、『平家物語』にも引かれて有名である。
公能の子実定(のちの後徳大寺左大臣)は、百人一首の「ほととぎす鳴きつる方をながむれば」の作者。弟に越えられた時に官を辞して籠居し、のち大納言に返り咲いた。実家・実守ら兄弟も、和琴や今様にすぐれた教養人だった。
語釈・文法注
- 忻子
- 藤原忻子(1134〜1209)。公能の娘。後白河天皇の皇后。
- 宮城野
- 陸奥国の歌枕。萩の名所。
- をみなへし
- 女郎花。秋の七草の一つ。ここでは出家した姫君をたとえる。
- 三の君
- 藤原多子(1140〜1201)。公能の娘。頼長の養女として近衛天皇の皇后となり、のち二条天皇にも入内した。
- 九條のおほきおとゞの御むすめ
- 藤原呈子(九条院)。伊通の娘。第51章参照。
- 女院
- 美福門院得子。近衛天皇の母。
- 院の御姉におはしますなる女院
- 上西門院統子内親王。後白河天皇の同母姉。第58章参照。
- 小袿
- 女房装束の略装で、表着の上に着る丈の短い衣。
- えび染め
- 葡萄染。赤みのある紫色。
- 大納言實定
- 藤原実定(1139〜1191)。公能の子。歌人。後徳大寺左大臣。
- 三位ノ中將實家
- 藤原実家(1145〜1193)。公能の子。
- やまと琴
- 和琴。日本古来の六弦の琴。
- 頭ノ中將實守
- 藤原実守(1147〜1185)。公能の子。
- 公親の宰相中將
- 藤原公親(1121〜1160)。実能の子。
- 一條の大納言公保
- 藤原公保(1132〜1176)。実能の子。
- 民部卿季成
- 藤原季成(1102〜1165)。公実の子。
- 東琴
- 和琴。
- 左衞門ノ督公光
- 藤原公光(1130〜1178)。季成の子。
文法
- なべての花にまじるべきかは
- 「かは」は反語。ありふれた花に混じるべきだろうか、いや混じるべきではない。
- 思ひきや
- 思っただろうか、いや思いもしなかった。反語。
和歌
宮城野の秋の野中のをみなへしなべての花にまじるべきかは
- 詠者
- 作者未詳
- 状況
- 后となった姉妹の間にいて出家した、公能の次女を詠んだ歌。
修辞
- 比喩
- 女郎花を姫君にたとえ、並の花(並の人生)に混じるべきではないとする。
思ひきやうきみながらにめぐりきて同じ雲井の月を見んとは
- 詠者
- 藤原多子
- 状況
- 近衛天皇の崩御後、二条天皇に再び入内して、昔と変わらない宮中の月を見て詠んだ歌。
修辞
- 掛詞
- 「雲井」に空と宮中をかける。
- 反語
- 「思ひきや」で、思いもしなかった再入内への感慨を表す。
解説
多子の二代の后は前例のないことで、『平家物語』巻一「二代后」にも詳しく語られる。今鏡は政治的な事情よりも、多子の教養と情趣を中心に描いている。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、278〜284頁(コマ154–157)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日