今鏡 第六「藤波の下」 第56章
花散る庭の面
公実の子、徳大寺左大臣実能は、温和で優雅な人柄の歌人。閑院流で久しく絶えていた大臣・大将の道を開き、兄の実行らを越えて大将となった。実行と雅定が大臣になった日の祝賀の対照的な様子、実能の子の右大臣公能の美声と詩才の逸話が語られる。
- 1春宮大夫春宮大夫とうぐうのだいぶののの六六ろく郞郞ろうにやおはすらんにやおはすらんにやおわすらん。。。左大臣左大臣さだいじんのおとゞのおとゞのおとど、、、これもこれもこれも左衞門左衞門さえもんノノノ督督かみ、、、山山やまののの座主座主ざす、、、女院女院にょういんなどのなどのなどの一一ひとつつつ御御おんはははらからにてらからにてらからにて、、、二位二位にいののの御子御子みこにおはすにおはすにおわす。。。
- 2大炊大炊おおいノノノ御門御門みかどのおとゞとものおとゞとものおとどとも德大寺德大寺とくだいじのおとゞとものおとゞとものおとどとも申申もうすなるべしすなるべしすなるべし。。。御御おんみめもみめもみめも心心こころばへもたばへもたばえもたをやをやをやかにかにかに、、、いとよきいとよきいとよき人人ひとにおはしきにおはしきにおわしき。。。兄兄いろせよりもなつかしくよりもなつかしくよりもなつかしく、、、優優ゆうなるなるなる人人ひとにおはせしにおはせしにおわせしををを、、、ふみなどふみなどふみなど作作つくりりり給給たまふふう事事ことはははおはせねどおはせねどおわせねど、、、歌歌うたなどよくよみなどよくよみなどよくよみ給給たまひきひきいき。。。
- 3戀戀こいののの歌歌うたののの中中なかにもにもにも、、、いうにいうにいうに聞聞きこえこえこえ侍侍はべりしりしりしははは、、、「「「うつゝにつらきうつゝにつらきうつつにつらき心心こころなりともなりともなりとも」」」またまたまた「「「命命いのちだにだにだにはははかなからずかなからずかなからずははは」」」などもなどもなども聞聞きこえこえこえ侍侍はべりきりきりき。。。又又また「「「思思おもふばかりのふばかりのうばかりの色色いろにいでばにいでばにいでば」」」などよきなどよきなどよき歌歌うたとこそきゝとこそきゝとこそきき侍侍はべれれれ。。。
- 4又又また「「「あひみしあひみしあいみし夜夜よはははののの嬉嬉うれしさにしさにしさに」」」などもなどもなども聞聞きこえこえこえ侍侍はべりきりきりき。。。聲聲こえもよくおはしけるにやもよくおはしけるにやもよくおわしけるにや。。。御遊御遊おおんあそびびにびにびにははは、、、拍子拍子ひょうしとりとりとり給給たまふなどぞふなどぞうなどぞうけうけうけ給給たまはははりしりしりし。。。「「「こそこそこそ花花はなののの」」」などいふもなどいふもなどいうも、、、このこのこの御歌御歌おおんうたとこそおぼえとこそおぼえとこそおぼえ侍侍はべれれれ。。。
- 5世世よのおぼえものおぼえものおぼえも殊殊ことののの外外ほかにおはしきにおはしきにおわしき。。。むかひばらにておはするむかひばらにておはするむかいばらにておわする上上うえににに、、、人人ひとがらよくおはすればにやがらよくおはすればにやがらよくおわすればにや。。。三位三位さんみノノノ中將中將ちゅうじょう歷歷へ給給たまへるもへるもえるも殊殊ことののの外外ほかののの御御おんおぼえなりおぼえなりおぼえなり。。。
- 6此此こののの頃頃ごろこそこそこそ、、、多多おおくきこえたまへくきこえたまへくきこえたまえ。。。關白關白かんぱくつぎつぎつぎ給給たまふべきふべきうべき人人ひとなどなどなど放放はなちてちてちてははは、、、さることもさることもさることも侍侍はべらぬにらぬにらぬに、、、いとめづらしくいとめづらしくいとめずらしく侍侍はべりきりきりき。。。大納言大納言だいなごんののの大將大將だいしょうになりになりになり給給たまへりしもへりしもえりしも、、、近近ちかくたゞびとのくたゞびとのくただびとの成成なりりり給給たまふこともなきにふこともなきにうこともなきに、、、いといといと珍珍めずらかになんらかになんらかになん侍侍はべりしりしりし。。。
- 7左大臣左大臣さだいじんまでなりまでなりまでなり給給たまへるへるえる、、、閑院閑院かんいんのおとゞののおとゞののおとどの後後のちははは、、、四代四代しだいなりなりなり絕絕たえたまへるにえたまへるにえたまえるに、、、このこのこの殿殿どのののの大將大將だいしょうににに成成なりりり始始はじめたまひてめたまひてめたまいて、、、兄兄あにののの太政太政だいじょうのおとゞのおとゞのおとど、、、このこのこの左左ひだりのおとゞのおとゞのおとど、、、右大臣右大臣うだいじん内内ない大臣大臣おとどになりになりになりはじめはじめはじめ給給たまひてひていて、、、公達公達きんだちもももおの〳〵なりおの〳〵なりおのおのなり給給たまへりへりえり。。。
- 8兄兄あにののの太政太政だいじょうのおとゞのおとゞのおとど、、、按察按察あぜちののの大納言大納言だいなごんとておはせしとておはせしとておわせし、、、大將大將だいしょう弟弟おとうとになられてになられてになられて、、、籠籠こもりりり給給たまひしにひしにいしに、、、一一いちののの大納言大納言だいなごん、、、二二にののの大納言大納言だいなごん實行實行さねゆき、、、三三さんにてにてにて雅雅まさ定定さだ、、、第四第四だいし實能實能さねよしののの大納言大納言だいなごんおはせしおはせしおわせし、、、上﨟上﨟じょうろう三人三人さんにんをををおきておきておきて、、、大將大將だいしょうになりになりになり給給たまひしかばひしかばいしかば、、、實行實行さねゆき、、、雅雅まさ定定さだ二人二人ふたりははは、、、入入いりりり籠籠こもりておはせしりておはせしりておわせしををを、、、中中なかノノノ院院いんののの源源げん大納言大納言だいなごん雅雅まさ定定さだ、、、左大將左大將さだいしょうににに成成なりりり給給たまひてひていて後後のちこそこそこそ、、、實行實行さねゆき、、、雅雅まさ定定さだ、、、右大臣右大臣うだいじん、、、內大臣內大臣ないだいじんになりになりになり給給たまひしかひしかいしか。。。
- 9いづれのいづれのいずれの中納言中納言ちゅうなごんとかのとかのとかの、、、まづまづまず右右みぎのおとゞののおとゞののおとどの御御おん慶慶よろこびにびにびに、、、おはしたりければおはしたりければおわしたりければ、、、其其そののの家家いえののの門門もんににに、、、うまうまうま車車くるま多多おおくたちなみてくたちなみてくたちなみて、、、俄俄にわかににに足足あしたつとてたつとてたつとて、、、異異こと門門もんよりよりより入入いりたるにりたるにりたるに、、、見見みやりたればやりたればやりたれば、、、かくれのかくれのかくれの方方かたまでまでまで、、、引引ひきつくろひてきつくろひてきつくろいて、、、男女男女なんにょいろ〳〵にとりさうずきていろ〳〵にとりさうずきていろいろにとりそうずきて、、、掃掃はききき拭拭のごひなどしてひなどしてひなどして、、、ゆゝしくゆゝしくゆゆしく花花はなやかにやかにやかに見見みえけるにえけるにえけるに、、、かくとかくとかくと申申もうししし入入いれたればれたればれたれば、、、久久ひさしうありてしうありてしゅうありて、、、烏帽子烏帽子えぼうし直衣直衣のうしにてにてにて、、、物語物語ものがたりりまめやかにりまめやかにりまめやかに聞聞きこえてこえてこえて、、、院院いんののの御心御心みこころざしざしざし忝忝かたじけなくなどいひてくなどいひてくなどいいて、、、はなうちかみてはなうちかみてはのうちかみて喜喜よろこびのびのびの涙涙なみだおしのごひつゝおしのごひつゝおしのごいつつ、、、忍忍しのびあへぬびあへぬびあえぬ御氣色御氣色みけしきなるになるになるに、、、ほどもほどもほども歷歷へぬればぬればぬれば、、、やう〳〵やう〳〵ようよう退退しりぞききき出出いでてでてでて、、、次次つぎににに中中なかノノノ院院いんににに渡渡わたりてりてりて、、、內內うちのおとゞののおとゞののおとどの、、、御御おんよろこびよろこびよろこび申申もうししし給給たまひければひければいければ、、、中門中門ちゅうもんののの廊廊ろうににに、、、犬犬いぬののの足足あしがたがたがた八八やつつつ九九ここのつありてつありてつありて、、、さりげなるさりげなるさりげなる氣色氣色けしきもせずもせずもせず、、、さぶらひさぶらひさぶらい呼呼よびびび出出いだしてだしてだして、、、申申もうしいれたればしいれたればしいれたれば、、、使使つかいにとりつゞきてにとりつゞきてにとりつづきて、、、尻尻しりなるなるなる狩衣狩衣かりぎぬにてにてにて出出いででで給給たまひてひていて、、、慶慶よろこびにびにびに渡渡わたりりり給給たまへるかへるかえるか。。。
- 10大臣大臣おとどははは、、、などなどなど申申もうしてしてして大事大事だいじおおおほかりほかりほかり。。。何何なにかかか、、、さとぶらひさとぶらひさとぶらい給給たまふなどふなどうなど云云いひちらしてやみひちらしてやみいちらしてやみ給給たまひにけりひにけりいにけり。。。ふたりふたりふたりののの人人ひとののの變變かわられたりしられたりしられたりし樣樣さまこそとこそとこそと語語かたられけるとなんられけるとなんられけるとなん。。。
- 11德大寺德大寺とくだいじのおとゞののおとゞののおとどの御子御子みこははは、、、右大臣右大臣うだいじんのおとゞのおとゞのおとど、、、そのそのその御御おんはゝはゝはは按察按察あぜち中納言中納言ちゅうなごんととと聞聞きこえしむすめにおはすこえしむすめにおはすこえしむすめにおわす。。。此此このおとゞのおとゞのおとど管絃管絃かんげんももも身身みののの才才ざえももも、、、かたがたおはすとかたがたおはすとかたがたおわすと聞聞きこえきこえきこえき。。。
- 12親親おやおほぢなどおほぢなどおおじなどははは、、、ざえおはせぬにざえおはせぬにざえおわせぬに、、、詩詩しなどなどなど作作つくりりり給給たまひひい、、、みめもみめもみめも心心こころばへもばへもばえも、、、いといといと優優ゆうなるなるなる人人ひとにぞおはしけるにぞおはしけるにぞおわしける。。。中納言中納言ちゅうなごんののの大將大將だいしょうになりてになりてになりて、、、右大臣右大臣うだいじんまでなりまでなりまでなり給給たまへりきへりきえりき。。。
- 13このおとゞこのおとゞこのおとどははは、、、若若わかくよりくよりくより聲聲こえもももうつくしくおはしましてうつくしくおはしましてうつくしくおわしまして、、、藏人藏人くろうどノノノ少將少將しょうしょうなどいひてなどいひてなどいいて、、、五節五節ごせちののの醉醉えいののの今樣今樣いまようなどになどになどに「「「」」」うたひたまひけるうたひたまひけるうたいたまいける。。。
- 14內侍所內侍所ないしどころののの御神樂御神樂みかぐらののの、、、拍子拍子ひょうしとりなどしとりなどしとりなどし給給たまひけるもひけるもいけるも、、、ほそきほそきほそき御聲御聲おおんこえ、、、いとをかしくぞいとをかしくぞいとおかしくぞ侍侍はべりけるりけるりける。。。むねとむねとむねとははは詩詩し作作つくりりり給給たまふふう事事ことををを好好このみてみてみて、、、中將中將ちゅうじょうなどなどなど聞聞きこえこえこえ給給たまひしひしいし時時とき、、、ののの人人ひとののの夢夢ゆめににに、、、久久ひさしくこそしくこそしくこそ詩詩しなどなどなど講講こうずるずるずる人人ひとなけれなけれなけれ。。。
- 15とのたまはすとてとのたまはすとてとのたまわすとて、、、徑徑みち只只ただ靑靑あお草草くさとかいふとかいふとかいう詩詩し、、、博士博士はかせ學生學生がくしょうなどなどなど、、、あまたあまたあまた詣詣もうでてでてでて講講こうじけるにじけるにじけるに、、、年二十年二十としわたちにすこしにすこしにすこし餘餘あまりりり給給たまへるわかきへるわかきえるわかき殿上人殿上人てんじょうびとののの、、、みめかたちいとをかしくてみめかたちいとをかしくてみめかたちいとおかしくて、、、上上うえののの御衣御衣みけしなどなどなど、、、なよらかになよらかになよらかに着着きなしなしなし給給たまへるにへるにえるに、、、細細ぼそ太刀太刀たちなどなどなど、、、しなやかにてしなやかにてしなやかにて、、、まじりまじりまじり給給たまへるへるえる、、、神神かみもいかゞもいかゞもいかが御覽御覽ごらんずらむとぞおぼえけるずらむとぞおぼえけるずらむとぞおぼえける。。。
- 16次第次第しだいににに朗詠朗詠ろうえいししし給給たまへりけるへりけるえりける中中なかににに、、、花花はなやかなるやかなるやかなる御聲御聲おおんこえしてしてして、、、「「「綺綺きののの重重しげ衣衣ころもたるたるたる」」」とととうちうちうち出出いでたまへりけるでたまへりけるでたまえりける、、、年老年老としおいたるいたるいたる人人ひとなどなどなど涙涙なみだをををさへながしてさへながしてさえながして、、、むしろこぞりてむしろこぞりてむしろこぞりて、、、めでめでめで思思おもへりへりえり。。。
- 17またまたまた讃岐讃岐さぬきのみかどのみかどのみかど、、、位位くらいにおはしましけるにおはしましけるにおわしましける時時とき、、、きさいのきさいのきさいの宮宮みやののの御方御方おおんかたにてにてにて、、、管絃管絃かんげんするするする殿上人殿上人てんじょうびとどもどもども召召めしてしてして、、、よもすがらよもすがらよもすがら遊遊あそばせばせばせ給給たまひけるにひけるにいけるに、、、大殿大殿おおとのもおはしましてもおはしましてもおわしまして、、、朗詠朗詠ろうえい仕仕つかまつつれとつれとつれと仰仰おおせられけるにせられけるにせられけるに、、、このおとゞのこのおとゞのこのおとどの、、、中將中將ちゅうじょうなどなどなど申申もうしけるしけるしける時時ときににに、、、「「「公公く望望のぞががが周周しゅう文文ふみにあへるにあへるにあえる」」」ととと出出いだしだしだし給給たまへりけるこそへりけるこそえりけるこそ。。。
- 18御聲御聲おおんこえもももうつくしううつくしううつくしゅう、、、みかどみかどみかど一一いちののの人人ひとののの事事ことにてにてにて、、、其其そのよしあることののよしあることののよしあることの、、、優優ゆうににに聞聞きこえこえこえ侍侍はべりけるりけるりける。。。藏人藏人くろうどノノノ頭頭こうべよりよりより宰相宰相さいしょうになりになりになり給給たまひしにひしにいしに、、、中將中將ちゅうじょうをぞをぞをぞ、、、もとのもとのもとの事事ことなればなればなれば、、、かけかけかけ給給たまふべかりしにふべかりしにうべかりしに、、、道道みちををを歷歷へんとにやんとにやんとにや。。。
- 19右大辨右大辨うだいべんになりになりになり給給たまへりきへりきえりき。。。いといといと身身みにもおひにもおひにもおい給給たまはずなどはずなどわずなど、、、思思おもふふう人人ひともありけるにもありけるにもありけるに、、、侍從侍從じじゅうになりそへになりそへになりそえ給給たまひてひていて、、、太刀太刀たちはははききき給給たまへるなどへるなどえるなど、、、心心こころのまゝにおはせしさまのまゝにおはせしさまのままにおわせしさま、、、事事ことにつけてあらまほしくおはしきにつけてあらまほしくおはしきにつけてあらまほしくおわしき。。。
- 20藏人藏人くろうどノノノ頭頭とうにおはせしにおはせしにおわせし時時ときももも、、、殿上殿上てんじょうののの寸寸すん物物ものししし、、、日記日記にきののの辛櫃辛櫃からびつににに日日ひ每每ごとににに日記日記にきかきていれなどしてかきていれなどしてかきていれなどして、、、ふるきふるきふるき事事ことををを興興おこさんとしさんとしさんとし給給たまふとぞきこえふとぞきこえうとぞきこえ給給たまひしひしいし。。。
現代語訳
春宮大夫(公実)の六男でいらっしゃるでしょうか、左大臣実能の大臣は、この方も左衛門督(通季)・比叡山の座主(仁実)・女院(待賢門院)などと同じ御兄弟で、二位(光子)の御子でいらっしゃいます。大炊御門の大臣とも徳大寺の大臣とも申し上げるのでしょう。容貌も心ばえも穏やかで、たいそうよい人でいらっしゃいました。兄よりも親しみやすく優雅な人でいらしたが、詩などをお作りになることはなかったけれど、歌などはよくお詠みになりました。恋の歌の中でも優雅に聞こえましたのは、「うつつにつらき心なりとも」、また「命だにはかなからずは」なども聞こえました。また「思ふばかりの色にいでば」などはよい歌だと聞いております。また「あひみし夜はの嬉しさに」なども聞こえました。声もよくていらしたのでしょうか、御遊びでは拍子をとられたりしたと承りました。「庭こそ花の」などというのも、この方の御歌と覚えております。世の評判もことのほかでいらっしゃいました。正妻腹でいらっしゃる上に、人柄がよくていらっしゃるからでしょうか。三位中将を経られたのも、ことのほかのご寵愛です。このごろでこそ多く聞こえますが、関白を継がれるはずの人などを除いては、そのようなこともございませんでしたのに、たいそう珍しいことでございました。大納言で大将になられたのも、近ごろは臣下の人がなられることもないのに、たいそう珍しいことでございました。左大臣にまでなられたのは、閑院の大臣(公季)の後は四代も絶えていらしたのに、この殿が大将になり始められて、兄の太政大臣(実行)、この左大臣が、右大臣・内大臣になり始められて、公達もそれぞれ(大臣に)なられました。兄の太政大臣が按察大納言でいらした時、大将に弟がなられて籠居なさったが、一の大納言忠教、二の大納言実行、三で雅定、第四に実能の大納言がいらっしゃったが、上臈三人を差し置いて大将になられたので、実行・雅定の二人は籠居していらしたのを、中院の源大納言雅定が左大将になられて後にこそ、実行・雅定は右大臣・内大臣になられたのでした。
どこかの中納言とかが、まず右大臣(実行)のお祝いにいらしたところ、その家の門に馬や車が多く立ち並んで、急に四足門を建てるといって別の門から入ったので、見渡すと、隅の方まで手入れをして、男女がいろいろに着飾って、掃いたり拭いたりして、たいそう華やかに見えたが、こうと申し入れると、しばらくして烏帽子・直衣で(出てきて)、物語をねんごろにして、「院のお志がかたじけない」などと言って、鼻をかんで喜びの涙をぬぐいながら、こらえきれないご様子なので、時も経ったので、そろそろ退出して、次に中院に行って、内大臣(雅定)のお祝いを申し上げたところ、中門の廊に犬の足跡が八つ九つあって、何でもない様子で、侍を呼び出して申し入れると、使いに続いて半尻の狩衣で出ていらして、「お祝いにおいでくださったのですか。大臣は大饗などといって大変なことが多いのです。なんの、そのようにご訪問くださるとは」などと言い散らして終わってしまわれました。「お二人の違っていらしたさまこそ(おもしろかった)」と語られたということです。
徳大寺の大臣(実能)の御子は右大臣公能の大臣で、その御母は按察中納言顕隆と申した人の娘でいらっしゃいます。この大臣は管絃も身の才も、あれこれおありだと聞こえました。親や祖父などは学才がおありでなかったのに、詩などをお作りになり、容貌も心ばえも、たいそう優雅な人でいらっしゃいました。中納言で大将になって、右大臣にまでなられました。この大臣は若い時から声も美しくていらして、蔵人少将などと言われたころ、五節の淵酔の今様などで「権現」を歌われました。内侍所の御神楽で拍子をとったりなさったのも、細い御声がたいそう趣深くございました。主には詩をお作りになることを好んで、中将などと申し上げた時、北野(天神)が人の夢に「久しく詩などを講じる人がいない」とおっしゃったといって、「野径只青草」とかいう詩を、博士や学生など大勢が参詣して講じた時、年二十を少し過ぎた若い殿上人で、容貌がたいそう美しく、上の御衣などをしなやかに着こなして、細太刀・平緒なども優美で、混じっていらっしゃったのは、神もどのようにご覧になっただろうと思われました。順に朗詠なさった中で、華やかな御声で「羅綺の重衣たる」と歌い出されたので、年老いた人などは涙まで流して、座の者がこぞってほめそやしました。また讃岐の帝(崇徳)が在位でいらした時、后の宮の御方で、管絃をする殿上人たちを召して夜通し遊ばれた時、大殿(忠通)もいらして、「朗詠を仕れ」と仰せられたので、この大臣が中将などと申した時に、「大公望が周文にあへる」と歌い出されたのこそ、御声も美しく、帝と一の人のことで、そのいわれのあることが優雅に聞こえました。蔵人頭から宰相になられた時、中将を元の官なので兼ねられるはずだったのに、(文官の)道を経ようとしてでしょうか、右大弁になられました。たいそう身にも似合わないなどと思う人もいたが、侍従を兼ねられて太刀を帯びていらしたなど、思いのままでいらっしゃったさまは、何事につけても理想的でいらっしゃいました。蔵人頭でいらした時も、殿上の一種物をし、日記の唐櫃に毎日日記を書いて入れたりして、古いことを復興しようとなさったと聞こえました。
意訳
実能は待賢門院の同母兄で、穏やかな人柄の歌人。閑院流では公季以来絶えていた大臣・大将の地位を、実能が大将になったことで回復し、兄実行らも大臣に昇った。章題の「花散る庭の面」は、実能の歌「庭こそ花の」による。
実行と雅定が同時に大臣になった日、祝いに訪れた中納言が見たのは対照的な光景だった。実行の家は門を新築し、男女が着飾って大騒ぎで、実行は院の恩に感涙していた。一方、雅定の家は犬の足跡が残るほどふだんのままで、雅定は略装で出てきて「大臣は面倒が多い」と言い散らした。
実能の子公能は美声で、北野天満宮で詩を講じた時、二十歳過ぎの若さで「羅綺の重衣たる」を朗詠し、老人たちを涙させた。蔵人頭の時には殿上の一種物を復活し、毎日日記を書くなど、古い儀礼の復興にも努めた。
語釈・文法注
- 左大臣實能
- 藤原実能(1096〜1157)。公実の子。徳大寺家の祖。
- 庭こそ花の
- 実能の歌の句。章題「花散る庭の面」はこれによる。
- 一の大納言忠敎
- 藤原忠教。師実の子。第45章参照。
- 四足
- 四足門。門柱の前後に控え柱を四本立てた格式の高い門。
- 半尻
- 後ろの裾を短く仕立てた狩衣。
- 大饗
- 大臣に任じられた時などに催す大宴会。
- 右大臣公能
- 藤原公能(1115〜1161)。実能の子。
- 按察中納言顯隆
- 藤原顕隆(1072〜1129)。白河院の近臣。
- 五節の淵醉
- 五節の際に清涼殿で催される酒宴。今様などを歌った。
- 權現
- 今様の曲名。
- 北野
- 北野天満宮。菅原道真をまつる。
- 野徑只靑草
- 詩の題か句。未詳。
- 平緒
- 束帯の時に太刀を佩くための帯。
- 羅綺の重衣たる
- 『和漢朗詠集』の菅原道真の詩句「羅綺の重衣たる、情無きことを機婦に妬む」。
- 大公望が周文にあへる
- 『和漢朗詠集』の句。太公望が周の文王に見いだされた故事。君臣の出会いを詠む。
- 一寸物
- 一種物。殿上人が一品ずつ料理や酒を持ち寄る宴。
文法
- さることも侍らぬに
- そのようなこともございませんのに。
- ゆゝしく花やかに見えける
- 「ゆゆし」は程度がはなはだしい意。たいそう華やかに見えた。
解説
実行と雅定の大臣就任の場面は、同じ慶事に対する二人の態度の違いを鮮やかに描き分けた、今鏡でも印象的な場面である。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、272〜277頁(コマ151–153)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日