今鏡 第六「藤波の下」 第55章
梅の木のもと
公実の子、太政大臣実行は不遇の時期を経て、父の死後に出世し、長寿を保って太政大臣に至った。父の死に際して基俊と交わした梅の歌が章題の由来。弟の通季、実行の子の内大臣公教の人柄、公教の子孫、通季の子孫、天台座主仁実と白河院の臨終の念仏の話などが語られる。
- 1春宮大夫春宮大夫とうぐうのだいぶののの三郞三郞さぶろうにやあたりにやあたりにやあたり給給たまふらんふらんうらん。。。これもこれもこれも美濃美濃みの守守かみのむすめののむすめののむすめの腹腹はらにおはせしにおはせしにおわせし、、、太政大臣太政大臣だいじょうだいじんのおとゞのおとゞのおとどははは、、、學問學問がくもんもしもしもし給給たまひたるひたるいたる人人ひとにておはせしにておはせしにておわせし上上うえににに、、、たちゐのたちゐのたちいの振舞振舞ふるまいひなどめでたくひなどめでたくいなどめでたく、、、よきよきよき上達部上達部かんだちめにてぞおはしけるにてぞおはしけるにてぞおわしける。。。
- 2四位四位しいししし給給たまひてひていて、、、前前さきのノノノ少納言少納言しょうなごんにてにてにて、、、いつとなくおはしければいつとなくおはしければいつとなくおわしければ、、、おやのおやのおやの春宮春宮とうぐうノノノ大夫大夫だいぶ殿殿どのははは身身みののの才才さいなどもありなどもありなどもあり、、、よきよきよき者者ものにてあるににてあるににてあるに、、、くちをしくくちをしくくちおしく、、、とのみとのみとのみ歎歎なげききき給給たまひけるにひけるにいけるに、、、うせたまひてうせたまひてうせたまいて後後のち、、、中辨中辨ちゅうべんにもにもにも、、、藏人藏人くろうどノノノ頭頭とうにもなりにもなりにもなり給給たまひければひければいければ、、、身身みののの時時ときなかりしなかりしなかりしをををのみのみのみ、、、見見みえええ奉奉たてまつりてとぞりてとぞりてとぞ、、、思思おもひひい出出いでつゝのたまはせけるでつゝのたまはせけるでつつのたまわせける。。。
- 3おやのおやのおやの御病御病おおんやまいひのひのひのほどなどもほどなどもほどなども、、、、、、常常つねはははあつかひきこえあつかひきこえあつかいきこえ給給たまひけるにひけるにいけるに、、、うせうせうせ給給たまひてのちひてのちいてのち、、、ののの君君きみとぶらひにおはしてとぶらひにおはしてとぶらいにおわして、、、梅梅うめののの枝枝えだにむすびつけられけるにむすびつけられけるにむすびつけられける、、、
- 4むかしむかしむかし見見みしあるじがほにてしあるじがほにてしあるじがおにて梅梅うめがえのがえのがえの花花はなだにだにだに我我われにれにれに物語物語ものがたりせよせよせよ
- 5ととと侍侍はべりければりければりければ、、、このおとゞのこのおとゞのこのおとどの御御おんかへしかへしかえし、、、
- 6根根ねにかへるにかへるにかえる花花はなののの姿姿すがたのゆかしくのゆかしくのゆかしくははは唯唯ただををを形見形見かたみとととははは見見みよよよ
- 7とぞとぞとぞ侍侍はべりけるりけるりける。。。弟弟おとうとののの左衞門左衞門さえもんノノノ督督かみよりよりより下﨟下﨟げろうにてにてにて、、、頭頭とうにてならびにてならびにてならび給給たまへるにへるにえるに、、、頭頭かしらノノノ中將中將ちゅうじょうははは上﨟上﨟じょうろうにておはしけれどにておはしけれどにておわしけれど、、、このこのこの兄兄あにははは才才ざえもおはしもおはしもおわし、、、命命いのちもながくてもながくてもながくて、、、おほきおとゞまでいたりおほきおとゞまでいたりおおきおとどまでいたり給給たまへるへるえる、、、いとめでたしいとめでたしいとめでたし。。。
- 8院院いんくらゐにおはしましゝくらゐにおはしましゝくらいにおわしましし時時とき、、、行行おこなはせはせわせ給給たまふにふにうに、、、詩詩し作作つくりてりてりて參參まいらんとしらんとしらんとし給給たまふふうををを、、、御子御子みこののの內內うちのおとゞのおとゞのおとどははは「「「さらでさらでさらで侍侍はべりなんりなんりなん。。。年年としもあまりもあまりもあまり積積つもりりり給給たまひひい、、、御御おんありきもかなひありきもかなひありきもかない給給たまはぬにはぬにわぬに、、、見苦見苦みぐるししし」」」。。。
- 9ととと諫諫いさめめめ申申もうししし給給たまひければひければいければ、、、ノノノ院院いん入道入道にゅうどうおとゞにおとゞにおとどに「「「內大臣內大臣ないだいじんのかくのかくのかく申申もうししし侍侍はべるるるははは、、、いかゞいかゞいかが」」」ととと申申もうししし合合あわせせせ給給たまひければひければいければ、、、「「「かならずかならずかならず參參まいらせらせらせ給給たまふべきことなりふべきことなりうべきことなり。。。おぼろげにおぼろげにおぼろげに侍侍はべらぬらぬらぬ事事ことなるになるになるに、、、帝帝みかどののの御御おんをををぢにおはしましてぢにおはしましてじにおわしまして、、、おほきおとゞのおほきおとゞのおおきおとどの參參まいらせらせらせ給給たまはざらんはざらんわざらん、、、くちをしくくちをしくくちおしく侍侍はべりりり」」」。。。
- 10などなどなど侍侍はべりげればりげればりげれば、、、うまごのうまごのうまごの長長ながののの大納言大納言だいなごんののの、、、宰相宰相さいしょうノノノ中將中將ちゅうじょうととと申申もうしゝにしゝにししに、、、かゝりてこそかゝりてこそかかりてこそ參參まいりりり給給たまひけれひけれいけれ。。。御御おんぐしおろしぐしおろしぐしおろし給給たまひしもひしもいしも、、、中中なかノノノ院院いんにかくとにかくとにかくと申申もうししし給給たまひければひければいければ、、、「「「しかしかしか侍侍はべるまじきるまじきるまじき事事ことにやとこそにやとこそにやとこそ、、、思思おもひひい給給たまへてへてえて過過すぎぎぎ侍侍はべれれれ。。。おぼしめしおぼしめしおぼしめし立立たつならばつならばつならば、、、いとめでたきいとめでたきいとめでたき事事ことににに侍侍はべりりり。。。同同おなじくじくじくははは障障さわりなきりなきりなき程程ほどににに、、、とくとくとく侍侍はべらんらんらん、、、めでたきことめでたきことめでたきこと」」」とのとのとの給給たまはせければはせければわせければ、、、入道入道にゅうどうししし給給たまひてぞひてぞいてぞうせうせうせ給給たまひにしひにしいにし。。。
- 11弟弟おとうとののの左衞門左衞門さえもんノノノ督督かみははは、、、御御おんこゑめでたくこゑめでたくこえめでたく、、、うたうたうたををを能能よくくく謠謠うたひひひ給給たまひてひていて、、、成通成通なりみちののの大納言大納言だいなごんにもにもにも、、、とり〳〵にぞとり〳〵にぞとりとりにぞ申申もうしけるしけるしける。。。そのそのその左衞門左衞門さえもんノノノ督督かみととと申申もうしゝしゝししははは、、、春宮大夫春宮大夫とうぐうのだいぶののの四郞四郞しろうにておはせしなるべしにておはせしなるべしにておわせしなるべし。。。
- 12みめもみめもみめも淸淸きよらにらにらに、、、おほきにおほきにおおきにふとりたるふとりたるふとりたる人人ひとにておはしきにておはしきにておわしき。。。母母ははははは二位二位にいののの御子御子みこにてにてにて、、、むかひばらにておはせしかばむかひばらにておはせしかばむかいばらにておわせしかば、、、兄兄このかみをもをもをもこえてこえてこえて、、、頭頭かしらノノノ中將中將ちゅうじょう、、、頭頭かしらノノノ辨辨べんにてにてにて、、、ならびておはしきならびておはしきならびておわしき。。。
- 13殊殊ことののの外外ほかににに世世よにあひたるにあひたるにあいたる人人ひとにてにてにて、、、通季通季みちすえ信信のぶ道道みちとてとてとて、、、、、、立立たちちち並並ならびびび給給たまひけるにひけるにいけるに、、、信信のぶ通通つうののの君君きみはははちひさくちひさくちいさく、、、これこれこれははは大大おおきにおはすればきにおはすればきにおわすれば、、、母母ははののの二位二位にい殿殿どの、、、「「「これこれこれはははいづれかゝたいづれかゝたいずれかかたははは」」」ととと申申もうしたまひければしたまひければしたまいければ、、、白河白河しらかわノノノ院院いんははは「「「男男おとこののの大大おおきなるきなるきなるははは、、、あしきことかあしきことかあしきことかははは」」」。。。とぞとぞとぞ仰仰おおせられけるせられけるせられける。。。
- 14實行實行さねゆきののの太政太政だいじょうのおとゞののおとゞののおとどの御子御子みこははは、、、內大臣內大臣ないだいじんととと申申もうしきしきしき。。。修理修理すりのかみのかみのかみ顯季顯季あきすえととと申申もうしゝしゝしし女女おんなのののはらにおはすはらにおはすはらにおわす。。。そのそのその御母御母おおんははははは、、、歌歌うたよみにおはしきよみにおはしきよみにおわしき。。。少將少將しょうしょう公敎公敎きんのりののの母母ははとてとてとて、、、集集しゅうなどになどになどに多多おおくおはすめりくおはすめりくおわすめり。。。
- 15「「「ののの山山やまははは春春はるををを知知しるらんるらんるらん」」」。。。などこそいうになどこそいうになどこそいうに聞聞きこえこえこえ侍侍はべれれれ。。。內內うちのおとゞのおとゞのおとどははは、、、若若わかくよりみめくよりみめくよりみめ心心こころばへもばへもばえも、、、思思おもひあがりたるけしきにぞおはしけるひあがりたるけしきにぞおはしけるいあがりたるけしきにぞおわしける。。。
- 16藏人藏人くろうどののの少將少將しょうしょう、、、四位四位しいののの少將少將しょうしょうなどなどなど申申もうしゝしゝしし程程ほど、、、左右左右さゆうののの御手御手おおんてのののうらにうらにうらに香香かになるまでになるまでになるまで、、、たきたきたき物物ものしめてしめてしめて、、、月出月出つきいだだしたるだしたるだしたる扇扇おうぎににに、、、なつかしきなつかしきなつかしき程程ほどににに染染そめたるめたるめたる狩衣狩衣かりぎぬなどなどなど着着き給給たまひてひていて、、、さきさきさき花花はなやかにおはせてやかにおはせてやかにおわせて、、、夕夕ゆうつつつ方方かたなどになどになどに、、、常常つねににに三條三條さんじょう室町室町むろまち殿殿どのににに、、、院院いん女院女院にょういんなどおはしますなどおはしますなどおわしますかた〳〵にかた〳〵にかたかたに參參まいりりり給給たまへばへばえば、、、女房女房にょうぼうなどなどなどははは、、、四位四位しいノノノ少將少將しょうしょうののの時時ときになりにたりなどぞになりにたりなどぞになりにたりなどぞ、、、いはれけるとぞいはれけるとぞいわれけるとぞ聞聞きこえしこえしこえし。。。
- 17才才さいなどもおはしなどもおはしなどもおわし、、、笛笛ふえもよくもよくもよく吹吹ふききき給給たまひきひきいき。。。心心こころばへなどおとなしくてばへなどおとなしくてばえなどおとなしくて、、、公事公事くじなどもなどもなども能能よくくく勤勤つとめめめ給給たまふふう。。。世世よのさだなどものさだなどものさだなども能能よくおはせしくおはせしくおわせしををを、、、世世よののの人人ひとののの樣樣さまににに、、、あながちなるあながちなるあながちなる追從追從ついしょうもしもしもし給給たまはずなどおはしければにやはずなどおはしければにやわずなどおわしければにや。。。
- 18家家いえなどなどなどははは叶叶かなひひい給給たまはははでぞでぞでぞ有有ありけるりけるりける。。。藏人藏人くろうどノノノ頭頭かしら檢非違使檢非違使けびいしののの別當別當べっとうなどしなどしなどし給給たまひしもひしもいしも、、、いといといと能能よくおはしけりくおはしけりくおわしけり。。。左大將左大將さだいしょうなどなどなど申申もうすすすほどほどほど、、、鳥羽院鳥羽院とばいんののの御御おんうしろみうしろみうしろみ、、、院院いんののの內內うちとりさたしとりさたしとりさたし給給たまひしかどもひしかどもいしかども、、、我我われとれとれと國國くにひとつもひとつもひとつも知知しりりり給給たまはずはずわず。。。
- 19賢人賢人さかしびとにぞおはすめりしにぞおはすめりしにぞおわすめりし。。。てゝのてゝのてての太政太政だいじょうのおとゞよりものおとゞよりものおとどよりも、、、さきにさきにさきにうせうせうせ給給たまひにしひにしいにし、、、大方大方おおかたおとなしきおとなしきおとなしきやうにやうにようにふるまひてふるまひてふるまいて、、、藏人藏人くろうどノノノ頭頭とうになりになりになり給給たまへりしにへりしにえりしに、、、弟弟おとうとにおはせしにおはせしにおわせしののの、、、辨辨べんにににはじめてなりてはじめてなりてはじめてなりて、、、額額がくのかぶりになしのかぶりになしのかぶりになし給給たまひければひければいければ、、、われもわれもわれも今今いまははは厚厚あつ額額がくにせんとてにせんとてにせんとて、、、同同おなじやうにしてじやうにしてじょうにして、、、內內うちににに參參まいりりり給給たまへるにへるにえるに、、、成通成通なりみち宰相宰相さいしょうノノノ中將中將ちゅうじょうにににはじめてなりてはじめてなりてはじめてなりて、、、しばししばししばしははは額額がくののの冠冠こうぶりにてとやおぼしけんにてとやおぼしけんにてとやおぼしけん。。。
- 20內內うちににに參參まいりりり給給たまひてひていて、、、頭頭かしらノノノ中將中將ちゅうじょうのかぶりのかぶりのかぶりををを見見み給給たまひてひていて、、、額額がくににに扇扇おうぎさしかくしてさしかくしてさしかくして、、、まかりいでまかりいでまかりいで給給たまひてひていて、、、やがてやがてやがて厚厚あつ額額がくになりておはしけりになりておはしけりになりておわしけり。。。成通成通なりみちののの御心御心みこころばへばへばえははは、、、世世よのさだのさだのさだをばをばをばいたくもいたくもいたくも好好このみみみ給給たまはははででで、、、公事公事くじなどなどなどははは識識しき者者ものにおはせしかどにおはせしかどにおわせしかど、、、世世よのまめなるのまめなるのまめなる事事ことははは取取とりいられぬりいられぬりいられぬ御心御心みこころにやにやにや。。。
- 21藏人藏人くろうどノノノ頭頭かしらももも、、、檢非違使檢非違使けびいしののの別當別當べっとうももも歷歷へ給給たまはずはずわず。。。侍從大納言侍從大納言じじゅうのだいなごんなどいひてなどいひてなどいいて過過すぎぎぎ給給たまひにきひにきいにき。。。
- 22公敎公敎きんのりのおのおのおほいほいほい殿殿どのははは、、、三條三條さんじょうののの內大臣內大臣ないだいじんともともとも高倉高倉たかくらのおとゞとものおとゞとものおとどとも申申もうすなるべしすなるべしすなるべし。。。三條三條さんじょうのおとゞのおとゞのおとどははは能能よし長長ながのおとゞのおとゞのおとどををを申申もうしゝかばしゝかばししかば、、、いひかふるなるべしいひかふるなるべしいいかうるなるべし。。。
- 23高倉高倉たかくらのおとゞののおとゞののおとどの姫君姫君ひめぎみ、、、淸隆淸隆きよたかののの中納言中納言ちゅうなごんのむすめののむすめののむすめのはらにおはするはらにおはするはらにおわする、、、院院いんののの女御女御にょうごにたてまつりにたてまつりにたてまつり給給たまへりへりえり。。。今今いまののの女御女御にょうごととと申申もうすなるべしすなるべしすなるべし、、、御名御名みなこそいとやさしくこそいとやさしくこそいとやさしく聞聞きこえこえこえ侍侍はべれれれ。。。
- 24そのそのその弟弟おとうとののの姫君姫君ひめぎみははは、、、父父ちちおとゞうせおとゞうせおとどうせ給給たまひてのちひてのちいてのち、、、おほぢのおほきおとゞおほぢのおほきおとゞおおじのおおきおとど、、、さたしさたしさたし給給たまひてひていて、、、ののの攝政攝政せっしょう殿殿どの、、、右右みぎのおとゞなどのおとゞなどのおとどなど聞聞きこえさせこえさせこえさせ給給たまひしひしいし時時ときまゐりたまひてまゐりたまひてまいりたまいて、、、北北きたののの政所政所まんどころとぞきこえとぞきこえとぞきこえ給給たまふふう。。。
- 25男男おとこ公達公達きんだちははは、、、同同おなじじじ御御おんはははらにおはするらにおはするらにおわする、、、大納言大納言だいなごん房房ぼうととと申申もうすこそすこそすこそ、、、內內うちのおとゞうせのおとゞうせのおとどうせ給給たまひてひていて後後のち、、、三位三位さんみののの中將中將ちゅうじょうになりになりになり給給たまふふう。。。殊殊ことののの外外ほかののの御榮御榮おおんさかえなるべしえなるべしえなるべし。。。
- 26末末すえののの子子こにおはすれどにおはすれどにおわすれど、、、むかひばらなればむかひばらなればむかいばらなれば、、、兄兄いろせ二人二人ふたりにまさりにまさりにまさり給給たまへるなるべしへるなるべしえるなるべし。。。左衞門左衞門さえもんノノノ督督かみととと申申もうすすすははは中納言中納言ちゅうなごんにておはすなりにておはすなりにておわすなり。。。此此こののの頃頃ころみめよきみめよきみめよき上達部上達部かんだちめときこえときこえときこえ給給たまふふう。。。
- 27またまたまた笛笛ふえももも吹吹ふききき給給たまひてひていて、、、御御おんおやのあとつぎおやのあとつぎおやのあとつぎ給給たまふとぞふとぞうとぞ。。。みかどのみかどのみかどの御御おん師師しにもおはすとにもおはすとにもおわすと聞聞きこえこえこえ給給たまふふう。。。神樂神樂かぐらなどもなどもなどもうたひうたひうたい給給たまひてひていて、、、ののの御神樂御神樂みかぐらにもにもにも、、、拍子拍子ひょうしとりとりとり給給たまふときこえふときこえうときこえ給給たまふふう。。。
- 28そのそのその御兄御兄おおんあににてにてにて左大辨左大辨さだいべんののの宰相宰相さいしょう實實さね綱綱つなととと申申もうすなるすなるすなる、、、ふみなどにたづさはりふみなどにたづさはりふみなどにたずさわり給給たまひてひていて、、、辨辨べんにもなりにもなりにもなり給給たまふなるべしふなるべしうなるべし。。。僧僧そう公達公達きんだちももも法眼法眼ほうげんなどなどなど申申もうしてしてして、、、山山やまにおはすなりにおはすなりにおわすなり。。。
- 29又又また石山石山いしやまののの座主座主ざすなどもきこえなどもきこえなどもきこえ給給たまふふう。。。內內うちのおとゞののおとゞののおとどの御御おん次次つぎににに、、、右右う兵衞兵衞ひょうえノノノ督督かみ公行公行きんゆきととと申申もうしゝしゝしし、、、御弟御弟おおんおとうとのおはせしのおはせしのおわせし、、、宰相宰相さいしょうまでなりまでなりまでなり給給たまひてわかくてかくれひてわかくてかくれいてわかくてかくれ給給たまひにきひにきいにき。。。
- 30才才さいなどもおはしけるにやなどもおはしけるにやなどもおわしけるにや。。。辨辨べんなどにてもなどにてもなどにても仕仕つかへたまひきへたまひきえたまいき。。。歌歌うたこそよくよみこそよくよみこそよくよみ給給たまひけれひけれいけれ。。。そのそのその御子御子みこににに顯親顯親あきちかののの播磨播磨はりま守守かみのむすめののむすめののむすめの腹腹はらににに、、、前前さきのノノノ大納言大納言だいなごん實實さね長長ながととと申申もうすおはすなりすおはすなりすおわすなり。。。
- 31みめよきみめよきみめよき上達部上達部かんだちめにぞおはすなるにぞおはすなるにぞおわすなる。。。いりこもりいりこもりいりこもり給給たまへるへるえる若若わかききき人人ひとたちのたちのたちの、、、いかにいかにいかに侍侍はべるよにかるよにかるよにか。。。實實さね慶慶けい法眼法眼ほうげんとてとてとて山山やまにおはしけるもにおはしけるもにおわしけるも、、、うせうせうせ給給たまひにけりひにけりいにけり。。。
- 32右右う兵衞兵衞ひょうえノノノ督督かみののの御弟御弟おおんおとうとににに民部大輔民部大輔みんぶのたいう公公く宗宗むねととと聞聞きこえこえこえ給給たまふおはしきふおはしきうおわしき。。。うつしごゝろもなくてうつしごゝろもなくてうつしごころもなくて、、、常常つねにににはもはもはものゝけにてのゝけにてののけにてうせうせうせ給給たまひにきひにきいにき。。。みめなどもよくおはしけるとみめなどもよくおはしけるとみめなどもよくおわしけると聞聞きこえこえこえ給給たまひきひきいき。。。
- 33皆同皆同みなおなじじじ御御おんはははらからにぞおはしけるらからにぞおはしけるらからにぞおわしける。。。顯季顯季あきすえののの三位三位さんみのむすめののむすめののむすめの御御おんはははらにおはしけりらにおはしけりらにおわしけり。。。
- 34左衞門左衞門さえもんノノノ督督かみ通季通季みちすえととと申申もうしゝしゝしし中納言中納言ちゅうなごんののの御子御子みこににに、、、按察按察あぜちののの大納言大納言だいなごんととと申申もうすおはすなりすおはすなりすおわすなり。。。詩詩しなどもつくりなどもつくりなどもつくり給給たまふなりふなりうなり。。。くびのくびのくびの御病御病おおんやまいひひひ重重おもくおはすればにやくおはすればにやくおわすればにや。。。
- 35たび〳〵つかさもたび〳〵つかさもたびたびつかさも辭辭じししし給給たまひてひていて、、、前前さきのノノノ大納言大納言だいなごんにておはすとぞにておはすとぞにておわすとぞ。。。其其そののの御子御子みこににに中將中將ちゅうじょう侍從侍從じじゅうなどおはすなりなどおはすなりなどおわすなり。。。通通かよ基基もと大藏卿大藏卿おおくらきょうのむすめののむすめののむすめの腹腹はらにおはすとぞにおはすとぞにおわすとぞ。。。
- 36前前さきのノノノ少將少將しょうしょう公公く重重しげととと申申もうすもすもすも、、、左衞門左衞門さえもんノノノ督督かみののの御子御子みこなりなりなり。。。歌歌うたよみよみよみ給給たまふとぞふとぞうとぞ。。。又又また山山やまににに法印法印ほういんなどなどなど申申もうしておはすなりしておはすなりしておわすなり。。。このこのこの人々人々ひとびとののの御御おんいもいもいもうとにうとにうとに、、、ののの御方御方おおんかたととと申申もうしてしてして、、、白河院白河院しらかわいんののの御御おんおぼえしおぼえしおぼえし給給たまふふう人人ひとにおはせしにおはせしにおわせし、、、後後のちにににははは德大寺德大寺とくだいじののの左左ひだりのおとゞののおとゞののおとどの御子御子みこ、、、二人二人ふたりうみうみうみ給給たまへりきへりきえりき。。。
- 37今今いまののの公公く保保ほののの大納言大納言だいなごんにおはすなりにおはすなりにおわすなり。。。いまいまいまひとりひとりひとりははは、、、山山やまににに僧都僧都そうずととと申申もうすとぞすとぞすとぞ。。。左衞門左衞門さえもんノノノ督督かみののの次次つぎにににははは、、、山山やまののの座主座主ざす實實みととと申申もうしゝしゝしし、、、おなじおなじおなじ御御おんはははらにおはせしかばらにおはせしかばらにおわせしかば、、、山山やま僧僧そうなどなどなどははは二位二位にいノノノ僧正僧正そうじょうなどぞなどぞなどぞ申申もうすなるすなるすなる。。。
- 38いといといと能能よしはははすぐれたるもおはせざりけれどもすぐれたるもおはせざりけれどもすぐれたるもおわせざりけれども、、、心心こころばへかしこくおはせしかばにやばへかしこくおはせしかばにやばえかしこくおわせしかばにや。。。世世よのおぼえなどもすぐれのおぼえなどもすぐれのおぼえなどもすぐれ給給たまへりけるにやへりけるにやえりけるにや。。。世世よののの末末すえにさばかりのにさばかりのにさばかりの天天てん台台だい座主座主ざすははは、、、かたくなんかたくなんかたくなん侍侍はべるるる。。。
- 39山山やまのやんごとなきのやんごとなきのやんごとなき堂堂どうどものどものどもの破破やぶれたるもれたるもれたるも、、、多多おおくくく作作つくりたてりたてりたて、、、大衆大衆だいしゅなどのなかになどのなかになどのなかに、、、すこしもすこしもすこしもふようなるふようなるふようなるをばをばをば、、、能能よくしたゝめなどせられければくしたゝめなどせられければくしたためなどせられければ、、、世世よのためのためのため、、、かのかのかの山山やまのためのためのため、、、そのそのその時時ときはははおだやかになんおだやかになんおだやかになん聞聞きこえこえこえ侍侍はべりしりしりし。。。
- 40ののの二二に度度どうまれうまれうまれ給給たまふといふふといふうという事事ことももも侍侍はべりけるとかやりけるとかやりけるとかや。。。白河白河しらかわノノノ院院いんのかくれさせのかくれさせのかくれさせ給給たまひけるにひけるにいけるに、、、七月七日七月七日しちがつなのか俄俄にわかににに御心御心みこころちそこなひてちそこなひてちそこないて、、、つとめてよりつとめてよりつとめてより、、、などきこえてなどきこえてなどきこえて、、、定定さだかにものなどかにものなどかにものなど仰仰おおせられざりけるにせられざりけるにせられざりけるに、、、今今いまはははかくとかくとかくと見見みえさせえさせえさせ給給たまひけるひけるいける時時とき、、、かねてよりかねてよりかねてよりのぬしにのぬしにのぬしに、、、念佛念佛ねんぶつかならずすゝめよとかならずすゝめよとかならずすすめよと、、、仰仰おおせられおきたりければせられおきたりければせられおきたりければ、、、かくなんうけかくなんうけかくなんうけ給給たまはははりしとりしとりしと、、、爲爲ため業業わざといふがといふがというが母母ははしてしてして、、、たび〳〵たび〳〵たびたび申申もうしけれどしけれどしけれど、、、ののの宮宮みやなどなどなど、、、佛佛ほとけ頂頂ちょう尊勝陀羅尼尊勝陀羅尼そんしょうだらにとのみとのみとのみ仰仰おおせられてせられてせられて、、、「「「これおなじことなりこれおなじことなりこれおなじことなり」」」。。。
- 41とのたまはせけれどとのたまはせけれどとのたまわせけれど、、、かねてかねてかねてうけうけうけ給給たまはははりたるにりたるにりたるに、、、違違たがひておぼえけるにひておぼえけるにいておぼえけるに、、、このこのこの僧正僧正そうじょうののの「「「南南みなみ無無な阿彌陀佛阿彌陀佛あみだぶつ」」」ととと高高たかくくく申申もうししし給給たまへりけるなんへりけるなんえりけるなん。。。うれしかりしうれしかりしうれしかりし」」」。。。
- 42とこそのちにとこそのちにとこそのちに聞聞きこえけれこえけれこえけれ。。。そのそのその僧正僧正そうじょうははは、、、座主座主ざすなどもなどもなども辭辭じししし給給たまひてひていて、、、坂本坂本さかもとににに井井いといふといふという所所ところにこもりゐてにこもりゐてにこもりいて、、、四十四十よそじにあまりてにあまりてにあまりてうせうせうせ給給たまひにけりひにけりいにけり。。。
現代語訳
春宮大夫(公実)の三男にあたられたでしょうか。この方も美濃守の娘の腹でいらした太政大臣実行の大臣は、学問もなさった人でいらした上に、立ち居振る舞いなども立派で、よい上達部でいらっしゃいました。四位になられて、前少納言のままいつまでもいらっしゃったので、親の春宮大夫殿は、「身の才などもあり、よい者なのに、残念だ」とばかり嘆いていらっしゃったが、(父が)亡くなられた後、中弁にも蔵人頭にもなられたので、「(父には)自分の不遇な時ばかりをお見せして」と、思い出してはおっしゃったそうです。親のご病気の間なども、着の身着のままで寝て、いつもお世話申し上げていらしたが、亡くなられた後、基俊の君が弔問にいらして、梅の枝に結びつけられた歌、
昔見た主人のような顔をして咲いている梅の枝の花よ、せめておまえだけでも私に(昔の)物語をしておくれ。
とありましたので、この大臣のご返歌、
根に帰る花(亡き父)の姿を慕わしく思うなら、ただこの木のもと(子である私)を形見と見てください。
とありました。弟の左衛門督(通季)より下臈で、(ともに)蔵人頭として並ばれた時、頭中将(通季)は上臈でいらしたけれど、この兄は学才もおありで、命も長くて、太政大臣にまで至られたのは、たいそうめでたいことです。
院(崇徳)が在位でいらした時、内宴を行われるのに、(実行が)詩を作って参上しようとなさったのを、御子の内大臣(公教)は「おやめになったほうがよいでしょう。お年もたいそう重ねられ、お出歩きもままならないのに、見苦しいことです」と諫め申し上げなさったので、中院の入道大臣(雅定)に「内大臣がこのように申しますのは、どうでしょう」と相談なさったところ、「必ず参上なさるべきことです。並々でない(晴れの)ことなのに、帝の御叔父でいらっしゃって、太政大臣が参上なさらないのは残念でございます」などとありましたので、孫の実長の大納言が宰相中将と申した時に、寄りかかって参上なさったのでした。御髪をおろされた時も、中院にこうと申されたところ、「そうはなさるまいと存じて過ごしておりました。思い立たれたのなら、たいそうめでたいことです。同じことなら、支障のないうちに早くなさるのが、めでたいことです」とおっしゃったので、出家なさってから亡くなられました。弟の左衛門督は、御声がすばらしく、歌(朗詠など)をよく歌われて、成通の大納言とも、それぞれに(すぐれている)と申しました。その左衛門督通季と申した方は、春宮大夫の四男でいらしたのでしょう。容貌も美しく、大きく太った人でいらっしゃいました。母は二位(光子)の御子で、正妻腹でいらしたので、兄をも越えて、頭中将・頭弁として(信通と)並んでいらっしゃいました。ことのほか時流に乗った人で、通季・信通といって、一対でいらしたが、立ち並ばれた時に、信通の君は小さく、この方は大きくいらっしゃったので、母の二位殿が「これはどちらが見劣りしますか」と申し上げなさったところ、白河院は「男が大きいのは、悪いことだろうか」と仰せられたそうです。
実行の太政大臣の御子は、内大臣公教と申し上げました。修理大夫顕季と申した人の娘の腹でいらっしゃいます。その御母は歌詠みでいらっしゃいました。「少将公教の母」として、撰集などに多く入っていらっしゃるようです。「常磐の山は春を知るらん」などは優雅に聞こえます。内大臣は、若い時から容貌も心ばえも、気位の高い様子でいらっしゃいました。蔵人少将・四位少将などと申したころ、左右の御手のひらにも香が移るほど薫物をたきしめて、月を描いた扇に、慕わしいほどに染めた狩衣などをお召しになって、先払いも華やかにして、夕方などに、いつも三条室町殿に院・女院などがいらっしゃる方々へ参上なさると、女房などは「四位少将の時刻になった」などと言ったと聞こえました。学才などもおありで、笛もよくお吹きになりました。心ばえなども落ち着いていて、公事などもよくお勤めになりました。世の評定などにも明るくていらしたのに、世の人のように無理な追従もなさらなかったからでしょうか、家の繁栄などはかなわれませんでした。蔵人頭・検非違使別当などをなさった時も、たいそうよくいらっしゃいました。左大将などと申したころ、鳥羽院の御後見として院の中を取り仕切っていらしたけれども、自分から国一つも知行なさいませんでした。賢人でいらしたようです。父の太政大臣より先に亡くなられました。だいたい落ち着いたようにふるまって、蔵人頭になられた時、弟でいらした公行が弁に初めてなって、厚額の冠になさったので、自分も今は厚額にしようといって同じようにして内裏に参られたところ、成通が宰相中将に初めてなって、しばらくは透額の冠で(いよう)とお思いになったのでしょうか、内裏に参られて、頭中将(公教)の冠をご覧になって、額に扇を差して隠して退出なさって、すぐに厚額になっていらっしゃいました。成通のお心ばえは、世の評定をあまりお好みにならず、公事などは識者でいらしたけれど、世の実務的なことには取り合わないお心だったのでしょうか、蔵人頭も検非違使別当も経られずに、侍従大納言などと言われて過ごされました。
公教の大臣は、三条の内大臣とも高倉の大臣とも申し上げるのでしょう。三条の大臣は能長の大臣を申したので、言い換えるのでしょう。高倉の大臣の姫君で、清隆の中納言の娘の腹でいらっしゃる方は、院(後白河)の女御として入内させなさいました。今は梅壺の女御と申し上げるのでしょうが、御名こそたいそう優雅に聞こえます。その妹の姫君は、父の大臣が亡くなられた後、祖父の太政大臣(実行)が取り計らわれて、今の摂政殿(基房)が右大臣などと申し上げた時に嫁がれて、北の政所と申し上げます。男の公達では、同じ御腹でいらっしゃる大納言実房と申す方こそ、内大臣が亡くなられた後、三位中将になられました。ことのほかのご繁栄でしょう。末の子でいらっしゃるけれど、正妻腹なので、兄二人にまさっていらっしゃるのでしょう。左衛門督実国と申す方は中納言でいらっしゃいます。このごろ容貌のよい上達部と評判です。また笛もお吹きになって、御親の跡を継いでいらっしゃるとか。帝(高倉天皇)の御師でもいらっしゃると聞こえます。神楽なども歌われて、清暑堂の御神楽でも拍子をとられると聞こえます。その御兄で左大弁宰相実綱と申す方は、学問に携わって、弁にもなられたのでしょう。僧の公達も法眼などと申して、比叡山にいらっしゃいます。また石山の座主なども聞こえます。内大臣の御次に、右兵衛督公行と申した御弟がいらっしゃったが、宰相までなられて、若くて亡くなられました。学才などもおありだったのでしょうか、弁などとしてもお仕えになりました。歌こそよくお詠みになりました。その御子に、顕親の播磨守の娘の腹に、前大納言実長と申す方がいらっしゃいます。容貌のよい上達部でいらっしゃるようです。籠居していらっしゃる若い人たちがいるとは、どういう世の中なのでしょうか。実慶法眼といって比叡山にいらした方も亡くなられました。右兵衛督の御弟に、民部大輔公宗と申し上げる方がいらっしゃいました。正気もなくて、いつもは物の怪のせいで亡くなられました。容貌などもよくいらしたと聞こえました。皆同じ御兄弟でいらっしゃいました。顕季三位の娘の御腹でいらっしゃいました。
左衛門督通季と申した中納言の御子に、按察大納言公通と申す方がいらっしゃいます。詩などもお作りになるそうです。首のご病気が重くていらっしゃるからでしょうか、たびたび官職も辞されて、前大納言でいらっしゃるとか。その御子に中将・侍従などがいらっしゃいます。通基大蔵卿の娘の腹でいらっしゃるとか。前少将公重と申す方も、左衛門督の御子です。歌をお詠みになるとか。また比叡山に法印などと申していらっしゃいます。この人々の御妹に、廊の御方と申して、白河院のご寵愛を受けていらした方が、後には徳大寺の左大臣(実能)の御子を二人お産みになりました。今の公保の大納言でいらっしゃいます。もう一人は比叡山で僧都と申すとか。左衛門督の次には、比叡山の座主仁実と申した方が同じ御腹でいらしたので、山の僧などは「二位の僧正」などと申すそうです。たいして才能はすぐれてもいらっしゃらなかったけれども、心ばえが賢くていらっしゃったからでしょうか、世の評判などもすぐれていらしたのでしょうか。末世にあれほどの天台座主は、めったにございません。比叡山の尊い堂々の破損したのも多く造り立て、大衆などの中で少しでも不用(乱暴)な者を、よく取り締まったりなさったので、世のため、あの山のため、その時は穏やかだと聞こえました。伝教大師が再び生まれられたということもあったとか。白河院がお亡くなりになった時、七月七日に急にご気分を損なわれて、早朝から霍乱などと聞こえて、はっきりとものなども仰せられなかったが、今はもうこれまでとお見えになった時、前々から忠盛のぬしに「念仏を必ず勧めよ」と仰せおかれていたので、(忠盛は)「このように承りました」と、為業という者の母を通じてたびたび申し上げたけれど、仁和寺の宮(覚法法親王)などは、仏頂尊勝陀羅尼ばかりを仰せられて、「これも同じことだ」とおっしゃったけれど、前々から承っていたことと違うと思っていたところ、この僧正が「南無阿弥陀仏」と高らかに申されたのは、うれしかった、と後に(忠盛が)語ったそうです。その僧正は、座主なども辞されて、坂本の梶井という所に籠居して、四十余歳で亡くなられました。
意訳
実行は父公実の生前は不遇だったが、父の死後に昇進を重ね、長寿にも恵まれて太政大臣に至った。章題の「梅の木のもと」は、基俊の弔問の歌に対する実行の返歌「唯このもとを形見とは見よ」による。「このもと」に「木の下」と「子のもと」をかけ、亡父の形見として自分を見てほしいと答えた。
老齢の実行が崇徳天皇の内宴に参上しようとして息子に止められた話、白河院が大柄な通季を「男の大きなるはあしきことかは」と庇った話など、人柄のにじむ逸話が続く。
公教は気位が高く、身だしなみに凝る貴公子だったが、追従を嫌い、鳥羽院の後見として院中を取り仕切りながら私腹を肥やさない賢人だった。章の最後は、白河院の臨終に際して、天台座主仁実が「南無阿弥陀仏」と高く唱え、院の遺志に沿う念仏を勧めたことを、平忠盛が喜んだという話で結ばれる。
語釈・文法注
- 太政大臣實行
- 藤原実行(1080〜1162)。公実の子。八条太政大臣。
- まろぶし
- 着替えもせずに着たまま寝ること。
- 基俊の君
- 藤原基俊。歌人。第49章参照。
- 唯このもとを
- 「このもと」に「木の下」と「子のもと(子である私)」をかける。
- 內宴
- 正月に宮中の仁寿殿で行われた私的な宴。文人が詩を作った。
- 中ノ院入道おとゞ
- 源雅定。第51章参照。
- 實長の大納言
- 藤原実長(1130〜1182)。公行の子。実行の孫。
- 左衞門ノ督通季
- 藤原通季(1090〜1128)。公実の子。西園寺家の祖。
- ひとて
- 一対。一組。
- 內大臣公敎
- 藤原公教(1103〜1160)。実行の子。三条内大臣。
- 常磐の山は春を知るらん
- 公教の母の歌の句。
- 厚額のかぶり
- 額(冠の前部)を厚く作った冠。年配者や上位者が用いた。
- 透額の冠
- 額に透かしのある冠。若者が用いた。
- 梅壺の女御
- 藤原琮子(1145〜1231)。公教の娘。後白河天皇の女御。
- 今の攝政殿
- 藤原基房(1145〜1230)。忠通の子。
- 大納言實房
- 藤原実房(1147〜1225)。公教の子。
- 左衞門ノ督實國
- 藤原実国(1140〜1183)。公教の子。笛の名手。
- 淸暑堂の御神樂
- 大嘗祭の後、清暑堂で行われた神楽。
- 右兵衞ノ督公行
- 藤原公行(1105〜1148)。実行の子。
- 按察の大納言公通
- 藤原公通(1117〜1173)。通季の子。
- 廊の御方
- 通季の妹。白河院に仕え、のち実能との間に公保らを産んだ。
- 山の座主仁實
- 仁実(1091〜1131)。公実の子。天台座主。
- 傳敎大師
- 最澄(767〜822)。天台宗の開祖。
- 霍亂
- 激しい吐き下しを伴う急病。
- 忠盛
- 平忠盛(1096〜1153)。清盛の父。白河院・鳥羽院に仕えた。
- 仁和寺の宮
- 覚法法親王(1091〜1153)。白河天皇の皇子。
- 梶井
- 比叡山麓の坂本にあった天台宗の門跡寺院。
文法
- 身の時なかりしをのみ、見え奉りて
- 自分の不遇な時ばかりを(父に)お見せして。
- さらで侍りなん
- そうしないでいるのがよいでしょう。
- 男の大きなるは、あしきことかは
- 男が大きいのは悪いことだろうか、いや悪くない。反語。
和歌
むかし見しあるじがほにて梅がえの花だに我れに物語せよ
- 詠者
- 藤原基俊
- 状況
- 公実が亡くなった後、弔問に訪れて梅の枝に結びつけて実行に贈った歌。
修辞
- 擬人法
- 梅の花を昔の主人のような顔をしたものとして語りかける。
根にかへる花の姿のゆかしくは唯このもとを形見とは見よ
- 詠者
- 藤原実行
- 状況
- 基俊の弔問の歌への返歌。
修辞
- 掛詞
- 「このもと」に「木の下」と「子のもと」をかける。
- 比喩
- 散って根に帰る花を亡き父にたとえる。
解説
仁実の話に出てくる忠盛は清盛の父で、白河院の近臣だった。今鏡が書かれた時代は平家の全盛期であり、その祖が院の臨終に立ち会ったことを伝える貴重な記事である。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、263〜272頁(コマ146–151)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日