古典ライブラリー

今鏡 第六「藤波の下」 第55章

梅の木のもと

公実の子、太政大臣実行は不遇の時期を経て、父の死後に出世し、長寿を保って太政大臣に至った。父の死に際して基俊と交わした梅の歌が章題の由来。弟の通季、実行の子の内大臣公教の人柄、公教の子孫、通季の子孫、天台座主仁実と白河院の臨終の念仏の話などが語られる。

  1. 1春宮大夫とうぐうのだいぶ春宮大夫とうぐうのだいぶとうぐうのだいぶののの三郞さぶらう三郞さぶらうさぶろうにやあたりにやあたりにやあたり給たま給たまたまふらんふらんうらん。。。これもこれもこれも美濃みの美濃みのみの守かみ守かみかみのむすめののむすめののむすめの腹はら腹はらはらにおはせしにおはせしにおわせし、、、太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじんのおとゞのおとゞのおとどははは、、、學問がくもん學問がくもんがくもんもしもしもし給たま給たまたまひたるひたるいたる人ひと人ひとひとにておはせしにておはせしにておわせし上うへ上うへうえににに、、、たちゐのたちゐのたちいの振舞ふるまひ振舞ふるまひふるまいひなどめでたくひなどめでたくいなどめでたく、、、よきよきよき上達部かんだちめ上達部かんだちめかんだちめにてぞおはしけるにてぞおはしけるにてぞおわしける。。。
  2. 2四位しゐ四位しゐしいししし給たま給たまたまひてひていて、、、前さきの前さきのさきのノノノ少納言せうなごん少納言せうなごんしょうなごんにてにてにて、、、いつとなくおはしければいつとなくおはしければいつとなくおわしければ、、、おやのおやのおやの春宮とうぐう春宮とうぐうとうぐうノノノ大夫だいぶ大夫だいぶだいぶ殿どの殿どのどのははは身み身みみののの才さい才さいさいなどもありなどもありなどもあり、、、よきよきよき者もの者ものものにてあるににてあるににてあるに、、、くちをしくくちをしくくちおしく、、、とのみとのみとのみ歎なげ歎なげなげききき給たま給たまたまひけるにひけるにいけるに、、、うせたまひてうせたまひてうせたまいて後のち後のちのち、、、中辨ちゆうべん中辨ちゆうべんちゅうべんにもにもにも、、、藏人くらうど藏人くらうどくろうどノノノ頭とう頭とうとうにもなりにもなりにもなり給たま給たまたまひければひければいければ、、、身み身みみののの時とき時ときときなかりしなかりしなかりしをををのみのみのみ、、、見み見みみえええ奉たてまつ奉たてまつたてまつりてとぞりてとぞりてとぞ、、、思おも思おもおもひひい出い出いいでつゝのたまはせけるでつゝのたまはせけるでつつのたまわせける。。。
  3. 3おやのおやのおやの御病おほんやまひ御病おほんやまひおおんやまいひのひのひのほどなどもほどなどもほどなども、、、、、、常つね常つねつねはははあつかひきこえあつかひきこえあつかいきこえ給たま給たまたまひけるにひけるにいけるに、、、うせうせうせ給たま給たまたまひてのちひてのちいてのち、、、ののの君きみ君きみきみとぶらひにおはしてとぶらひにおはしてとぶらいにおわして、、、梅うめ梅うめうめののの枝えだ枝えだえだにむすびつけられけるにむすびつけられけるにむすびつけられける、、、
  4. 4むかしむかしむかし見み見みみしあるじがほにてしあるじがほにてしあるじがおにて梅うめ梅うめうめがえのがえのがえの花はな花はなはなだにだにだに我わ我わわれにれにれに物語ものがたり物語ものがたりものがたりせよせよせよ
  5. 5ととと侍はべ侍はべはべりければりければりければ、、、このおとゞのこのおとゞのこのおとどの御おん御おんおんかへしかへしかえし、、、
  6. 6根ね根ねねにかへるにかへるにかえる花はな花はなはなののの姿すがた姿すがたすがたのゆかしくのゆかしくのゆかしくははは唯ただ唯ただただををを形見かたみ形見かたみかたみとととははは見み見みみよよよ
  7. 7とぞとぞとぞ侍はべ侍はべはべりけるりけるりける。。。弟おとうと弟おとうとおとうとののの左衞門さゑもん左衞門さゑもんさえもんノノノ督かみ督かみかみよりよりより下﨟げらふ下﨟げらふげろうにてにてにて、、、頭とう頭とうとうにてならびにてならびにてならび給たま給たまたまへるにへるにえるに、、、頭かしら頭かしらかしらノノノ中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうははは上﨟じやうらふ上﨟じやうらふじょうろうにておはしけれどにておはしけれどにておわしけれど、、、このこのこの兄あに兄あにあにははは才ざえ才ざえざえもおはしもおはしもおわし、、、命いのち命いのちいのちもながくてもながくてもながくて、、、おほきおとゞまでいたりおほきおとゞまでいたりおおきおとどまでいたり給たま給たまたまへるへるえる、、、いとめでたしいとめでたしいとめでたし。。。
  8. 8院ゐん院ゐんいんくらゐにおはしましゝくらゐにおはしましゝくらいにおわしましし時とき時ときとき、、、行おこな行おこなおこなはせはせわせ給たま給たまたまふにふにうに、、、詩し詩しし作つく作つくつくりてりてりて參まゐ參まゐまいらんとしらんとしらんとし給たま給たまたまふふうををを、、、御子みこ御子みこみこののの內うち內うちうちのおとゞのおとゞのおとどははは「「「さらでさらでさらで侍はべ侍はべはべりなんりなんりなん。。。年とし年としとしもあまりもあまりもあまり積つも積つもつもりりり給たま給たまたまひひい、、、御おん御おんおんありきもかなひありきもかなひありきもかない給たま給たまたまはぬにはぬにわぬに、、、見苦みぐる見苦みぐるみぐるししし」」」。。。
  9. 9ととと諫いさ諫いさいさめめめ申まう申まうもうししし給たま給たまたまひければひければいければ、、、ノノノ院ゐん院ゐんいん入道にふだう入道にふだうにゅうどうおとゞにおとゞにおとどに「「「內大臣ないだいじん內大臣ないだいじんないだいじんのかくのかくのかく申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべるるるははは、、、いかゞいかゞいかが」」」ととと申まう申まうもうししし合あは合あはあわせせせ給たま給たまたまひければひければいければ、、、「「「かならずかならずかならず參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまふべきことなりふべきことなりうべきことなり。。。おぼろげにおぼろげにおぼろげに侍はべ侍はべはべらぬらぬらぬ事こと事ことことなるになるになるに、、、帝みかど帝みかどみかどののの御おん御おんおんをををぢにおはしましてぢにおはしましてじにおわしまして、、、おほきおとゞのおほきおとゞのおおきおとどの參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまはざらんはざらんわざらん、、、くちをしくくちをしくくちおしく侍はべ侍はべはべりりり」」」。。。
  10. 10などなどなど侍はべ侍はべはべりげればりげればりげれば、、、うまごのうまごのうまごの長なが長ながながののの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんののの、、、宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうノノノ中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうととと申まう申まうもうしゝにしゝにししに、、、かゝりてこそかゝりてこそかかりてこそ參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまひけれひけれいけれ。。。御おん御おんおんぐしおろしぐしおろしぐしおろし給たま給たまたまひしもひしもいしも、、、中なか中なかなかノノノ院ゐん院ゐんいんにかくとにかくとにかくと申まう申まうもうししし給たま給たまたまひければひければいければ、、、「「「しかしかしか侍はべ侍はべはべるまじきるまじきるまじき事こと事ことことにやとこそにやとこそにやとこそ、、、思おも思おもおもひひい給たま給たまたまへてへてえて過す過すすぎぎぎ侍はべ侍はべはべれれれ。。。おぼしめしおぼしめしおぼしめし立た立たたつならばつならばつならば、、、いとめでたきいとめでたきいとめでたき事こと事ことことににに侍はべ侍はべはべりりり。。。同おな同おなおなじくじくじくははは障さは障さはさわりなきりなきりなき程ほど程ほどほどににに、、、とくとくとく侍はべ侍はべはべらんらんらん、、、めでたきことめでたきことめでたきこと」」」とのとのとの給たま給たまたまはせければはせければわせければ、、、入道にふだう入道にふだうにゅうどうししし給たま給たまたまひてぞひてぞいてぞうせうせうせ給たま給たまたまひにしひにしいにし。。。
  11. 11弟おとうと弟おとうとおとうとののの左衞門さゑもん左衞門さゑもんさえもんノノノ督かみ督かみかみははは、、、御おん御おんおんこゑめでたくこゑめでたくこえめでたく、、、うたうたうたををを能よ能よよくくく謠うた謠うたうたひひひ給たま給たまたまひてひていて、、、成通なりみち成通なりみちなりみちののの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんにもにもにも、、、とり〳〵にぞとり〳〵にぞとりとりにぞ申まう申まうもうしけるしけるしける。。。そのそのその左衞門さゑもん左衞門さゑもんさえもんノノノ督かみ督かみかみととと申まう申まうもうしゝしゝししははは、、、春宮大夫とうぐうのだいぶ春宮大夫とうぐうのだいぶとうぐうのだいぶののの四郞しらう四郞しらうしろうにておはせしなるべしにておはせしなるべしにておわせしなるべし。。。
  12. 12みめもみめもみめも淸きよ淸きよきよらにらにらに、、、おほきにおほきにおおきにふとりたるふとりたるふとりたる人ひと人ひとひとにておはしきにておはしきにておわしき。。。母はは母ははははははは二位にゐ二位にゐにいののの御子みこ御子みこみこにてにてにて、、、むかひばらにておはせしかばむかひばらにておはせしかばむかいばらにておわせしかば、、、兄このかみ兄このかみこのかみをもをもをもこえてこえてこえて、、、頭かしら頭かしらかしらノノノ中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょう、、、頭かしら頭かしらかしらノノノ辨べん辨べんべんにてにてにて、、、ならびておはしきならびておはしきならびておわしき。。。
  13. 13殊こと殊ことことののの外ほか外ほかほかににに世よ世よよにあひたるにあひたるにあいたる人ひと人ひとひとにてにてにて、、、通季みちすゑ通季みちすゑみちすえ信のぶ信のぶのぶ道みち道みちみちとてとてとて、、、、、、立た立たたちちち並なら並ならならびびび給たま給たまたまひけるにひけるにいけるに、、、信のぶ信のぶのぶ通つう通つうつうののの君きみ君きみきみはははちひさくちひさくちいさく、、、これこれこれははは大おほ大おほおおきにおはすればきにおはすればきにおわすれば、、、母はは母ははははののの二位にゐ二位にゐにい殿どの殿どのどの、、、「「「これこれこれはははいづれかゝたいづれかゝたいずれかかたははは」」」ととと申まう申まうもうしたまひければしたまひければしたまいければ、、、白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいんははは「「「男をとこ男をとこおとこののの大おほ大おほおおきなるきなるきなるははは、、、あしきことかあしきことかあしきことかははは」」」。。。とぞとぞとぞ仰おほ仰おほおおせられけるせられけるせられける。。。
  14. 14實行さねゆき實行さねゆきさねゆきののの太政だいじやう太政だいじやうだいじょうのおとゞののおとゞののおとどの御子みこ御子みこみこははは、、、內大臣ないだいじん內大臣ないだいじんないだいじんととと申まう申まうもうしきしきしき。。。修理すり修理すりすりのかみのかみのかみ顯季あきすゑ顯季あきすゑあきすえととと申まう申まうもうしゝしゝしし女をんな女をんなおんなのののはらにおはすはらにおはすはらにおわす。。。そのそのその御母おほんはは御母おほんははおおんははははは、、、歌うた歌うたうたよみにおはしきよみにおはしきよみにおわしき。。。少將せうしやう少將せうしやうしょうしょう公敎きんのり公敎きんのりきんのりののの母はは母ははははとてとてとて、、、集しふ集しふしゅうなどになどになどに多おほ多おほおおくおはすめりくおはすめりくおわすめり。。。
  15. 15「「「ののの山やま山やまやまははは春はる春はるはるををを知し知ししるらんるらんるらん」」」。。。などこそいうになどこそいうになどこそいうに聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべれれれ。。。內うち內うちうちのおとゞのおとゞのおとどははは、、、若わか若わかわかくよりみめくよりみめくよりみめ心こころ心こころこころばへもばへもばえも、、、思おも思おもおもひあがりたるけしきにぞおはしけるひあがりたるけしきにぞおはしけるいあがりたるけしきにぞおわしける。。。
  16. 16藏人くらうど藏人くらうどくろうどののの少將せうしやう少將せうしやうしょうしょう、、、四位しゐ四位しゐしいののの少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうなどなどなど申まう申まうもうしゝしゝしし程ほど程ほどほど、、、左右さいう左右さいうさゆうののの御手おほんて御手おほんておおんてのののうらにうらにうらに香か香かかになるまでになるまでになるまで、、、たきたきたき物もの物ものものしめてしめてしめて、、、月出つきいだ月出つきいだつきいだだしたるだしたるだしたる扇あふぎ扇あふぎおうぎににに、、、なつかしきなつかしきなつかしき程ほど程ほどほどににに染そ染そそめたるめたるめたる狩衣かりぎぬ狩衣かりぎぬかりぎぬなどなどなど着き着きき給たま給たまたまひてひていて、、、さきさきさき花はな花はなはなやかにおはせてやかにおはせてやかにおわせて、、、夕ゆふ夕ゆふゆうつつつ方かた方かたかたなどになどになどに、、、常つね常つねつねににに三條さんでう三條さんでうさんじょう室町むろまち室町むろまちむろまち殿どの殿どのどのににに、、、院ゐん院ゐんいん女院にようゐん女院にようゐんにょういんなどおはしますなどおはしますなどおわしますかた〳〵にかた〳〵にかたかたに參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまへばへばえば、、、女房にようばう女房にようばうにょうぼうなどなどなどははは、、、四位しゐ四位しゐしいノノノ少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうののの時とき時ときときになりにたりなどぞになりにたりなどぞになりにたりなどぞ、、、いはれけるとぞいはれけるとぞいわれけるとぞ聞き聞ききこえしこえしこえし。。。
  17. 17才さい才さいさいなどもおはしなどもおはしなどもおわし、、、笛ふえ笛ふえふえもよくもよくもよく吹ふ吹ふふききき給たま給たまたまひきひきいき。。。心こころ心こころこころばへなどおとなしくてばへなどおとなしくてばえなどおとなしくて、、、公事くじ公事くじくじなどもなどもなども能よ能よよくくく勤つと勤つとつとめめめ給たま給たまたまふふう。。。世よ世よよのさだなどものさだなどものさだなども能よ能よよくおはせしくおはせしくおわせしををを、、、世よ世よよののの人ひと人ひとひとののの樣さま樣さまさまににに、、、あながちなるあながちなるあながちなる追從ついしよう追從ついしようついしょうもしもしもし給たま給たまたまはずなどおはしければにやはずなどおはしければにやわずなどおわしければにや。。。
  18. 18家いへ家いへいえなどなどなどははは叶かな叶かなかなひひい給たま給たまたまはははでぞでぞでぞ有あ有あありけるりけるりける。。。藏人くらうど藏人くらうどくろうどノノノ頭かしら頭かしらかしら檢非違使けびゐし檢非違使けびゐしけびいしののの別當べつたう別當べつたうべっとうなどしなどしなどし給たま給たまたまひしもひしもいしも、、、いといといと能よ能よよくおはしけりくおはしけりくおわしけり。。。左大將さだいしやう左大將さだいしやうさだいしょうなどなどなど申まう申まうもうすすすほどほどほど、、、鳥羽院とばゐん鳥羽院とばゐんとばいんののの御おん御おんおんうしろみうしろみうしろみ、、、院ゐん院ゐんいんののの內うち內うちうちとりさたしとりさたしとりさたし給たま給たまたまひしかどもひしかどもいしかども、、、我わ我わわれとれとれと國くに國くにくにひとつもひとつもひとつも知し知ししりりり給たま給たまたまはずはずわず。。。
  19. 19賢人さかしびと賢人さかしびとさかしびとにぞおはすめりしにぞおはすめりしにぞおわすめりし。。。てゝのてゝのてての太政だいじやう太政だいじやうだいじょうのおとゞよりものおとゞよりものおとどよりも、、、さきにさきにさきにうせうせうせ給たま給たまたまひにしひにしいにし、、、大方おほかた大方おほかたおおかたおとなしきおとなしきおとなしきやうにやうにようにふるまひてふるまひてふるまいて、、、藏人くらうど藏人くらうどくろうどノノノ頭とう頭とうとうになりになりになり給たま給たまたまへりしにへりしにえりしに、、、弟おとうと弟おとうとおとうとにおはせしにおはせしにおわせしののの、、、辨べん辨べんべんにににはじめてなりてはじめてなりてはじめてなりて、、、額がく額がくがくのかぶりになしのかぶりになしのかぶりになし給たま給たまたまひければひければいければ、、、われもわれもわれも今いま今いまいまははは厚あつ厚あつあつ額がく額がくがくにせんとてにせんとてにせんとて、、、同おな同おなおなじやうにしてじやうにしてじょうにして、、、內うち內うちうちににに參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまへるにへるにえるに、、、成通なりみち成通なりみちなりみち宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうノノノ中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうにににはじめてなりてはじめてなりてはじめてなりて、、、しばししばししばしははは額がく額がくがくののの冠かうぶり冠かうぶりこうぶりにてとやおぼしけんにてとやおぼしけんにてとやおぼしけん。。。
  20. 20內うち內うちうちににに參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまひてひていて、、、頭かしら頭かしらかしらノノノ中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうのかぶりのかぶりのかぶりををを見み見みみ給たま給たまたまひてひていて、、、額がく額がくがくににに扇あふぎ扇あふぎおうぎさしかくしてさしかくしてさしかくして、、、まかりいでまかりいでまかりいで給たま給たまたまひてひていて、、、やがてやがてやがて厚あつ厚あつあつ額がく額がくがくになりておはしけりになりておはしけりになりておわしけり。。。成通なりみち成通なりみちなりみちののの御心みこころ御心みこころみこころばへばへばえははは、、、世よ世よよのさだのさだのさだをばをばをばいたくもいたくもいたくも好この好このこのみみみ給たま給たまたまはははででで、、、公事くじ公事くじくじなどなどなどははは識しき識しきしき者もの者ものものにおはせしかどにおはせしかどにおわせしかど、、、世よ世よよのまめなるのまめなるのまめなる事こと事ことことははは取と取ととりいられぬりいられぬりいられぬ御心みこころ御心みこころみこころにやにやにや。。。
  21. 21藏人くらうど藏人くらうどくろうどノノノ頭かしら頭かしらかしらももも、、、檢非違使けびゐし檢非違使けびゐしけびいしののの別當べつたう別當べつたうべっとうももも歷へ歷へへ給たま給たまたまはずはずわず。。。侍從大納言じじゆうのだいなごん侍從大納言じじゆうのだいなごんじじゅうのだいなごんなどいひてなどいひてなどいいて過す過すすぎぎぎ給たま給たまたまひにきひにきいにき。。。
  22. 22公敎きんのり公敎きんのりきんのりのおのおのおほいほいほい殿どの殿どのどのははは、、、三條さんでう三條さんでうさんじょうののの內大臣ないだいじん內大臣ないだいじんないだいじんともともとも高倉たかくら高倉たかくらたかくらのおとゞとものおとゞとものおとどとも申まう申まうもうすなるべしすなるべしすなるべし。。。三條さんでう三條さんでうさんじょうのおとゞのおとゞのおとどははは能よし能よしよし長なが長ながながのおとゞのおとゞのおとどををを申まう申まうもうしゝかばしゝかばししかば、、、いひかふるなるべしいひかふるなるべしいいかうるなるべし。。。
  23. 23高倉たかくら高倉たかくらたかくらのおとゞののおとゞののおとどの姫君ひめぎみ姫君ひめぎみひめぎみ、、、淸隆きよたか淸隆きよたかきよたかののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんのむすめののむすめののむすめのはらにおはするはらにおはするはらにおわする、、、院ゐん院ゐんいんののの女御にようご女御にようごにょうごにたてまつりにたてまつりにたてまつり給たま給たまたまへりへりえり。。。今いま今いまいまののの女御にようご女御にようごにょうごととと申まう申まうもうすなるべしすなるべしすなるべし、、、御名みな御名みなみなこそいとやさしくこそいとやさしくこそいとやさしく聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべれれれ。。。
  24. 24そのそのその弟おとうと弟おとうとおとうとののの姫君ひめぎみ姫君ひめぎみひめぎみははは、、、父ちゝ父ちゝちちおとゞうせおとゞうせおとどうせ給たま給たまたまひてのちひてのちいてのち、、、おほぢのおほきおとゞおほぢのおほきおとゞおおじのおおきおとど、、、さたしさたしさたし給たま給たまたまひてひていて、、、ののの攝政せつしやう攝政せつしやうせっしょう殿どの殿どのどの、、、右みぎ右みぎみぎのおとゞなどのおとゞなどのおとどなど聞き聞ききこえさせこえさせこえさせ給たま給たまたまひしひしいし時とき時ときときまゐりたまひてまゐりたまひてまいりたまいて、、、北きた北きたきたののの政所まんどころ政所まんどころまんどころとぞきこえとぞきこえとぞきこえ給たま給たまたまふふう。。。
  25. 25男をとこ男をとこおとこ公達きんだち公達きんだちきんだちははは、、、同おな同おなおなじじじ御おん御おんおんはははらにおはするらにおはするらにおわする、、、大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごん房ばう房ばうぼうととと申まう申まうもうすこそすこそすこそ、、、內うち內うちうちのおとゞうせのおとゞうせのおとどうせ給たま給たまたまひてひていて後のち後のちのち、、、三位さんみ三位さんみさんみののの中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうになりになりになり給たま給たまたまふふう。。。殊こと殊ことことののの外ほか外ほかほかののの御榮おほんさか御榮おほんさかおおんさかえなるべしえなるべしえなるべし。。。
  26. 26末すゑ末すゑすえののの子こ子ここにおはすれどにおはすれどにおわすれど、、、むかひばらなればむかひばらなればむかいばらなれば、、、兄いろせ兄いろせいろせ二人ふたり二人ふたりふたりにまさりにまさりにまさり給たま給たまたまへるなるべしへるなるべしえるなるべし。。。左衞門さゑもん左衞門さゑもんさえもんノノノ督かみ督かみかみととと申まう申まうもうすすすははは中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんにておはすなりにておはすなりにておわすなり。。。此こ此ここののの頃ころ頃ころころみめよきみめよきみめよき上達部かんだちめ上達部かんだちめかんだちめときこえときこえときこえ給たま給たまたまふふう。。。
  27. 27またまたまた笛ふえ笛ふえふえももも吹ふ吹ふふききき給たま給たまたまひてひていて、、、御おん御おんおんおやのあとつぎおやのあとつぎおやのあとつぎ給たま給たまたまふとぞふとぞうとぞ。。。みかどのみかどのみかどの御おん御おんおん師し師ししにもおはすとにもおはすとにもおわすと聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまふふう。。。神樂かぐら神樂かぐらかぐらなどもなどもなどもうたひうたひうたい給たま給たまたまひてひていて、、、ののの御神樂みかぐら御神樂みかぐらみかぐらにもにもにも、、、拍子ひやうし拍子ひやうしひょうしとりとりとり給たま給たまたまふときこえふときこえうときこえ給たま給たまたまふふう。。。
  28. 28そのそのその御兄おほんあに御兄おほんあにおおんあににてにてにて左大辨さだいべん左大辨さだいべんさだいべんののの宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょう實さね實さねさね綱つな綱つなつなととと申まう申まうもうすなるすなるすなる、、、ふみなどにたづさはりふみなどにたづさはりふみなどにたずさわり給たま給たまたまひてひていて、、、辨べん辨べんべんにもなりにもなりにもなり給たま給たまたまふなるべしふなるべしうなるべし。。。僧そう僧そうそう公達きんだち公達きんだちきんだちももも法眼ほふげん法眼ほふげんほうげんなどなどなど申まう申まうもうしてしてして、、、山やま山やまやまにおはすなりにおはすなりにおわすなり。。。
  29. 29又また又またまた石山いしやま石山いしやまいしやまののの座主ざす座主ざすざすなどもきこえなどもきこえなどもきこえ給たま給たまたまふふう。。。內うち內うちうちのおとゞののおとゞののおとどの御おん御おんおん次つぎ次つぎつぎににに、、、右う右うう兵衞ひやうゑ兵衞ひやうゑひょうえノノノ督かみ督かみかみ公行きんゆき公行きんゆききんゆきととと申まう申まうもうしゝしゝしし、、、御弟おほんおとうと御弟おほんおとうとおおんおとうとのおはせしのおはせしのおわせし、、、宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうまでなりまでなりまでなり給たま給たまたまひてわかくてかくれひてわかくてかくれいてわかくてかくれ給たま給たまたまひにきひにきいにき。。。
  30. 30才さい才さいさいなどもおはしけるにやなどもおはしけるにやなどもおわしけるにや。。。辨べん辨べんべんなどにてもなどにてもなどにても仕つか仕つかつかへたまひきへたまひきえたまいき。。。歌うた歌うたうたこそよくよみこそよくよみこそよくよみ給たま給たまたまひけれひけれいけれ。。。そのそのその御子みこ御子みこみこににに顯親あきちか顯親あきちかあきちかののの播磨はりま播磨はりまはりま守かみ守かみかみのむすめののむすめののむすめの腹はら腹はらはらににに、、、前さきの前さきのさきのノノノ大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごん實さね實さねさね長なが長ながながととと申まう申まうもうすおはすなりすおはすなりすおわすなり。。。
  31. 31みめよきみめよきみめよき上達部かんだちめ上達部かんだちめかんだちめにぞおはすなるにぞおはすなるにぞおわすなる。。。いりこもりいりこもりいりこもり給たま給たまたまへるへるえる若わか若わかわかききき人ひと人ひとひとたちのたちのたちの、、、いかにいかにいかに侍はべ侍はべはべるよにかるよにかるよにか。。。實さね實さねさね慶けい慶けいけい法眼ほふげん法眼ほふげんほうげんとてとてとて山やま山やまやまにおはしけるもにおはしけるもにおわしけるも、、、うせうせうせ給たま給たまたまひにけりひにけりいにけり。。。
  32. 32右う右うう兵衞ひやうゑ兵衞ひやうゑひょうえノノノ督かみ督かみかみののの御弟おほんおとうと御弟おほんおとうとおおんおとうとににに民部大輔みんぶのたいふ民部大輔みんぶのたいふみんぶのたいう公く公くく宗むね宗むねむねととと聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまふおはしきふおはしきうおわしき。。。うつしごゝろもなくてうつしごゝろもなくてうつしごころもなくて、、、常つね常つねつねにににはもはもはものゝけにてのゝけにてののけにてうせうせうせ給たま給たまたまひにきひにきいにき。。。みめなどもよくおはしけるとみめなどもよくおはしけるとみめなどもよくおわしけると聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまひきひきいき。。。
  33. 33皆同みなおな皆同みなおなみなおなじじじ御おん御おんおんはははらからにぞおはしけるらからにぞおはしけるらからにぞおわしける。。。顯季あきすゑ顯季あきすゑあきすえののの三位さんみ三位さんみさんみのむすめののむすめののむすめの御おん御おんおんはははらにおはしけりらにおはしけりらにおわしけり。。。
  34. 34左衞門さゑもん左衞門さゑもんさえもんノノノ督かみ督かみかみ通季みちすゑ通季みちすゑみちすえととと申まう申まうもうしゝしゝしし中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんののの御子みこ御子みこみこににに、、、按察あぜち按察あぜちあぜちののの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんととと申まう申まうもうすおはすなりすおはすなりすおわすなり。。。詩し詩ししなどもつくりなどもつくりなどもつくり給たま給たまたまふなりふなりうなり。。。くびのくびのくびの御病おほんやまひ御病おほんやまひおおんやまいひひひ重おも重おもおもくおはすればにやくおはすればにやくおわすればにや。。。
  35. 35たび〳〵つかさもたび〳〵つかさもたびたびつかさも辭じ辭じじししし給たま給たまたまひてひていて、、、前さきの前さきのさきのノノノ大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんにておはすとぞにておはすとぞにておわすとぞ。。。其そ其そそののの御子みこ御子みこみこににに中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょう侍從じじゆう侍從じじゆうじじゅうなどおはすなりなどおはすなりなどおわすなり。。。通かよ通かよかよ基もと基もともと大藏卿おほくらきやう大藏卿おほくらきやうおおくらきょうのむすめののむすめののむすめの腹はら腹はらはらにおはすとぞにおはすとぞにおわすとぞ。。。
  36. 36前さきの前さきのさきのノノノ少將せうしやう少將せうしやうしょうしょう公く公くく重しげ重しげしげととと申まう申まうもうすもすもすも、、、左衞門さゑもん左衞門さゑもんさえもんノノノ督かみ督かみかみののの御子みこ御子みこみこなりなりなり。。。歌うた歌うたうたよみよみよみ給たま給たまたまふとぞふとぞうとぞ。。。又また又またまた山やま山やまやまににに法印ほふいん法印ほふいんほういんなどなどなど申まう申まうもうしておはすなりしておはすなりしておわすなり。。。このこのこの人々ひとびと人々ひとびとひとびとののの御おん御おんおんいもいもいもうとにうとにうとに、、、ののの御方おほんかた御方おほんかたおおんかたととと申まう申まうもうしてしてして、、、白河院しらかはゐん白河院しらかはゐんしらかわいんののの御おん御おんおんおぼえしおぼえしおぼえし給たま給たまたまふふう人ひと人ひとひとにおはせしにおはせしにおわせし、、、後のち後のちのちにににははは德大寺とくだいじ德大寺とくだいじとくだいじののの左ひだり左ひだりひだりのおとゞののおとゞののおとどの御子みこ御子みこみこ、、、二人ふたり二人ふたりふたりうみうみうみ給たま給たまたまへりきへりきえりき。。。
  37. 37今いま今いまいまののの公く公くく保ほ保ほほののの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんにおはすなりにおはすなりにおわすなり。。。いまいまいまひとりひとりひとりははは、、、山やま山やまやまににに僧都そうづ僧都そうづそうずととと申まう申まうもうすとぞすとぞすとぞ。。。左衞門さゑもん左衞門さゑもんさえもんノノノ督かみ督かみかみののの次つぎ次つぎつぎにににははは、、、山やま山やまやまののの座主ざす座主ざすざす實み實みみととと申まう申まうもうしゝしゝしし、、、おなじおなじおなじ御おん御おんおんはははらにおはせしかばらにおはせしかばらにおわせしかば、、、山やま山やまやま僧そう僧そうそうなどなどなどははは二位にゐ二位にゐにいノノノ僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょうなどぞなどぞなどぞ申まう申まうもうすなるすなるすなる。。。
  38. 38いといといと能よし能よしよしはははすぐれたるもおはせざりけれどもすぐれたるもおはせざりけれどもすぐれたるもおわせざりけれども、、、心こころ心こころこころばへかしこくおはせしかばにやばへかしこくおはせしかばにやばえかしこくおわせしかばにや。。。世よ世よよのおぼえなどもすぐれのおぼえなどもすぐれのおぼえなどもすぐれ給たま給たまたまへりけるにやへりけるにやえりけるにや。。。世よ世よよののの末すゑ末すゑすえにさばかりのにさばかりのにさばかりの天てん天てんてん台だい台だいだい座主ざす座主ざすざすははは、、、かたくなんかたくなんかたくなん侍はべ侍はべはべるるる。。。
  39. 39山やま山やまやまのやんごとなきのやんごとなきのやんごとなき堂だう堂だうどうどものどものどもの破やぶ破やぶやぶれたるもれたるもれたるも、、、多おほ多おほおおくくく作つく作つくつくりたてりたてりたて、、、大衆だいしゆ大衆だいしゆだいしゅなどのなかになどのなかになどのなかに、、、すこしもすこしもすこしもふようなるふようなるふようなるをばをばをば、、、能よ能よよくしたゝめなどせられければくしたゝめなどせられければくしたためなどせられければ、、、世よ世よよのためのためのため、、、かのかのかの山やま山やまやまのためのためのため、、、そのそのその時とき時ときときはははおだやかになんおだやかになんおだやかになん聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。
  40. 40ののの二に二にに度ど度どどうまれうまれうまれ給たま給たまたまふといふふといふうという事こと事ことことももも侍はべ侍はべはべりけるとかやりけるとかやりけるとかや。。。白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいんのかくれさせのかくれさせのかくれさせ給たま給たまたまひけるにひけるにいけるに、、、七月七日しちぐわつなぬか七月七日しちぐわつなぬかしちがつなのか俄にはか俄にはかにわかににに御心みこころ御心みこころみこころちそこなひてちそこなひてちそこないて、、、つとめてよりつとめてよりつとめてより、、、などきこえてなどきこえてなどきこえて、、、定さだ定さださだかにものなどかにものなどかにものなど仰おほ仰おほおおせられざりけるにせられざりけるにせられざりけるに、、、今いま今いまいまはははかくとかくとかくと見み見みみえさせえさせえさせ給たま給たまたまひけるひけるいける時とき時ときとき、、、かねてよりかねてよりかねてよりのぬしにのぬしにのぬしに、、、念佛ねんぶつ念佛ねんぶつねんぶつかならずすゝめよとかならずすゝめよとかならずすすめよと、、、仰おほ仰おほおおせられおきたりければせられおきたりければせられおきたりければ、、、かくなんうけかくなんうけかくなんうけ給たま給たまたまはははりしとりしとりしと、、、爲ため爲ためため業わざ業わざわざといふがといふがというが母はは母ははははしてしてして、、、たび〳〵たび〳〵たびたび申まう申まうもうしけれどしけれどしけれど、、、ののの宮みや宮みやみやなどなどなど、、、佛ほとけ佛ほとけほとけ頂ちやう頂ちやうちょう尊勝陀羅尼そんしようだらに尊勝陀羅尼そんしようだらにそんしょうだらにとのみとのみとのみ仰おほ仰おほおおせられてせられてせられて、、、「「「これおなじことなりこれおなじことなりこれおなじことなり」」」。。。
  41. 41とのたまはせけれどとのたまはせけれどとのたまわせけれど、、、かねてかねてかねてうけうけうけ給たま給たまたまはははりたるにりたるにりたるに、、、違たが違たがたがひておぼえけるにひておぼえけるにいておぼえけるに、、、このこのこの僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょうののの「「「南みなみ南みなみみなみ無な無なな阿彌陀佛あみだぶつ阿彌陀佛あみだぶつあみだぶつ」」」ととと高たか高たかたかくくく申まう申まうもうししし給たま給たまたまへりけるなんへりけるなんえりけるなん。。。うれしかりしうれしかりしうれしかりし」」」。。。
  42. 42とこそのちにとこそのちにとこそのちに聞き聞ききこえけれこえけれこえけれ。。。そのそのその僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょうははは、、、座主ざす座主ざすざすなどもなどもなども辭じ辭じじししし給たま給たまたまひてひていて、、、坂本さかもと坂本さかもとさかもとににに井ゐ井ゐいといふといふという所ところ所ところところにこもりゐてにこもりゐてにこもりいて、、、四十よそぢ四十よそぢよそじにあまりてにあまりてにあまりてうせうせうせ給たま給たまたまひにけりひにけりいにけり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

春宮大夫(公実)の三男にあたられたでしょうか。この方も美濃守の娘の腹でいらした太政大臣実行の大臣は、学問もなさった人でいらした上に、立ち居振る舞いなども立派で、よい上達部でいらっしゃいました。四位になられて、前少納言のままいつまでもいらっしゃったので、親の春宮大夫殿は、「身の才などもあり、よい者なのに、残念だ」とばかり嘆いていらっしゃったが、(父が)亡くなられた後、中弁にも蔵人頭にもなられたので、「(父には)自分の不遇な時ばかりをお見せして」と、思い出してはおっしゃったそうです。親のご病気の間なども、着の身着のままで寝て、いつもお世話申し上げていらしたが、亡くなられた後、基俊の君が弔問にいらして、梅の枝に結びつけられた歌、

昔見た主人のような顔をして咲いている梅の枝の花よ、せめておまえだけでも私に(昔の)物語をしておくれ。

とありましたので、この大臣のご返歌、

根に帰る花(亡き父)の姿を慕わしく思うなら、ただこの木のもと(子である私)を形見と見てください。

とありました。弟の左衛門督(通季)より下臈で、(ともに)蔵人頭として並ばれた時、頭中将(通季)は上臈でいらしたけれど、この兄は学才もおありで、命も長くて、太政大臣にまで至られたのは、たいそうめでたいことです。

院(崇徳)が在位でいらした時、内宴を行われるのに、(実行が)詩を作って参上しようとなさったのを、御子の内大臣(公教)は「おやめになったほうがよいでしょう。お年もたいそう重ねられ、お出歩きもままならないのに、見苦しいことです」と諫め申し上げなさったので、中院の入道大臣(雅定)に「内大臣がこのように申しますのは、どうでしょう」と相談なさったところ、「必ず参上なさるべきことです。並々でない(晴れの)ことなのに、帝の御叔父でいらっしゃって、太政大臣が参上なさらないのは残念でございます」などとありましたので、孫の実長の大納言が宰相中将と申した時に、寄りかかって参上なさったのでした。御髪をおろされた時も、中院にこうと申されたところ、「そうはなさるまいと存じて過ごしておりました。思い立たれたのなら、たいそうめでたいことです。同じことなら、支障のないうちに早くなさるのが、めでたいことです」とおっしゃったので、出家なさってから亡くなられました。弟の左衛門督は、御声がすばらしく、歌(朗詠など)をよく歌われて、成通の大納言とも、それぞれに(すぐれている)と申しました。その左衛門督通季と申した方は、春宮大夫の四男でいらしたのでしょう。容貌も美しく、大きく太った人でいらっしゃいました。母は二位(光子)の御子で、正妻腹でいらしたので、兄をも越えて、頭中将・頭弁として(信通と)並んでいらっしゃいました。ことのほか時流に乗った人で、通季・信通といって、一対でいらしたが、立ち並ばれた時に、信通の君は小さく、この方は大きくいらっしゃったので、母の二位殿が「これはどちらが見劣りしますか」と申し上げなさったところ、白河院は「男が大きいのは、悪いことだろうか」と仰せられたそうです。

実行の太政大臣の御子は、内大臣公教と申し上げました。修理大夫顕季と申した人の娘の腹でいらっしゃいます。その御母は歌詠みでいらっしゃいました。「少将公教の母」として、撰集などに多く入っていらっしゃるようです。「常磐の山は春を知るらん」などは優雅に聞こえます。内大臣は、若い時から容貌も心ばえも、気位の高い様子でいらっしゃいました。蔵人少将・四位少将などと申したころ、左右の御手のひらにも香が移るほど薫物をたきしめて、月を描いた扇に、慕わしいほどに染めた狩衣などをお召しになって、先払いも華やかにして、夕方などに、いつも三条室町殿に院・女院などがいらっしゃる方々へ参上なさると、女房などは「四位少将の時刻になった」などと言ったと聞こえました。学才などもおありで、笛もよくお吹きになりました。心ばえなども落ち着いていて、公事などもよくお勤めになりました。世の評定などにも明るくていらしたのに、世の人のように無理な追従もなさらなかったからでしょうか、家の繁栄などはかなわれませんでした。蔵人頭・検非違使別当などをなさった時も、たいそうよくいらっしゃいました。左大将などと申したころ、鳥羽院の御後見として院の中を取り仕切っていらしたけれども、自分から国一つも知行なさいませんでした。賢人でいらしたようです。父の太政大臣より先に亡くなられました。だいたい落ち着いたようにふるまって、蔵人頭になられた時、弟でいらした公行が弁に初めてなって、厚額の冠になさったので、自分も今は厚額にしようといって同じようにして内裏に参られたところ、成通が宰相中将に初めてなって、しばらくは透額の冠で(いよう)とお思いになったのでしょうか、内裏に参られて、頭中将(公教)の冠をご覧になって、額に扇を差して隠して退出なさって、すぐに厚額になっていらっしゃいました。成通のお心ばえは、世の評定をあまりお好みにならず、公事などは識者でいらしたけれど、世の実務的なことには取り合わないお心だったのでしょうか、蔵人頭も検非違使別当も経られずに、侍従大納言などと言われて過ごされました。

公教の大臣は、三条の内大臣とも高倉の大臣とも申し上げるのでしょう。三条の大臣は能長の大臣を申したので、言い換えるのでしょう。高倉の大臣の姫君で、清隆の中納言の娘の腹でいらっしゃる方は、院(後白河)の女御として入内させなさいました。今は梅壺の女御と申し上げるのでしょうが、御名こそたいそう優雅に聞こえます。その妹の姫君は、父の大臣が亡くなられた後、祖父の太政大臣(実行)が取り計らわれて、今の摂政殿(基房)が右大臣などと申し上げた時に嫁がれて、北の政所と申し上げます。男の公達では、同じ御腹でいらっしゃる大納言実房と申す方こそ、内大臣が亡くなられた後、三位中将になられました。ことのほかのご繁栄でしょう。末の子でいらっしゃるけれど、正妻腹なので、兄二人にまさっていらっしゃるのでしょう。左衛門督実国と申す方は中納言でいらっしゃいます。このごろ容貌のよい上達部と評判です。また笛もお吹きになって、御親の跡を継いでいらっしゃるとか。帝(高倉天皇)の御師でもいらっしゃると聞こえます。神楽なども歌われて、清暑堂の御神楽でも拍子をとられると聞こえます。その御兄で左大弁宰相実綱と申す方は、学問に携わって、弁にもなられたのでしょう。僧の公達も法眼などと申して、比叡山にいらっしゃいます。また石山の座主なども聞こえます。内大臣の御次に、右兵衛督公行と申した御弟がいらっしゃったが、宰相までなられて、若くて亡くなられました。学才などもおありだったのでしょうか、弁などとしてもお仕えになりました。歌こそよくお詠みになりました。その御子に、顕親の播磨守の娘の腹に、前大納言実長と申す方がいらっしゃいます。容貌のよい上達部でいらっしゃるようです。籠居していらっしゃる若い人たちがいるとは、どういう世の中なのでしょうか。実慶法眼といって比叡山にいらした方も亡くなられました。右兵衛督の御弟に、民部大輔公宗と申し上げる方がいらっしゃいました。正気もなくて、いつもは物の怪のせいで亡くなられました。容貌などもよくいらしたと聞こえました。皆同じ御兄弟でいらっしゃいました。顕季三位の娘の御腹でいらっしゃいました。

左衛門督通季と申した中納言の御子に、按察大納言公通と申す方がいらっしゃいます。詩などもお作りになるそうです。首のご病気が重くていらっしゃるからでしょうか、たびたび官職も辞されて、前大納言でいらっしゃるとか。その御子に中将・侍従などがいらっしゃいます。通基大蔵卿の娘の腹でいらっしゃるとか。前少将公重と申す方も、左衛門督の御子です。歌をお詠みになるとか。また比叡山に法印などと申していらっしゃいます。この人々の御妹に、廊の御方と申して、白河院のご寵愛を受けていらした方が、後には徳大寺の左大臣(実能)の御子を二人お産みになりました。今の公保の大納言でいらっしゃいます。もう一人は比叡山で僧都と申すとか。左衛門督の次には、比叡山の座主仁実と申した方が同じ御腹でいらしたので、山の僧などは「二位の僧正」などと申すそうです。たいして才能はすぐれてもいらっしゃらなかったけれども、心ばえが賢くていらっしゃったからでしょうか、世の評判などもすぐれていらしたのでしょうか。末世にあれほどの天台座主は、めったにございません。比叡山の尊い堂々の破損したのも多く造り立て、大衆などの中で少しでも不用(乱暴)な者を、よく取り締まったりなさったので、世のため、あの山のため、その時は穏やかだと聞こえました。伝教大師が再び生まれられたということもあったとか。白河院がお亡くなりになった時、七月七日に急にご気分を損なわれて、早朝から霍乱などと聞こえて、はっきりとものなども仰せられなかったが、今はもうこれまでとお見えになった時、前々から忠盛のぬしに「念仏を必ず勧めよ」と仰せおかれていたので、(忠盛は)「このように承りました」と、為業という者の母を通じてたびたび申し上げたけれど、仁和寺の宮(覚法法親王)などは、仏頂尊勝陀羅尼ばかりを仰せられて、「これも同じことだ」とおっしゃったけれど、前々から承っていたことと違うと思っていたところ、この僧正が「南無阿弥陀仏」と高らかに申されたのは、うれしかった、と後に(忠盛が)語ったそうです。その僧正は、座主なども辞されて、坂本の梶井という所に籠居して、四十余歳で亡くなられました。

意訳

実行は父公実の生前は不遇だったが、父の死後に昇進を重ね、長寿にも恵まれて太政大臣に至った。章題の「梅の木のもと」は、基俊の弔問の歌に対する実行の返歌「唯このもとを形見とは見よ」による。「このもと」に「木の下」と「子のもと」をかけ、亡父の形見として自分を見てほしいと答えた。

老齢の実行が崇徳天皇の内宴に参上しようとして息子に止められた話、白河院が大柄な通季を「男の大きなるはあしきことかは」と庇った話など、人柄のにじむ逸話が続く。

公教は気位が高く、身だしなみに凝る貴公子だったが、追従を嫌い、鳥羽院の後見として院中を取り仕切りながら私腹を肥やさない賢人だった。章の最後は、白河院の臨終に際して、天台座主仁実が「南無阿弥陀仏」と高く唱え、院の遺志に沿う念仏を勧めたことを、平忠盛が喜んだという話で結ばれる。

語釈・文法注

太政大臣實行
藤原実行(1080〜1162)。公実の子。八条太政大臣。
まろぶし
着替えもせずに着たまま寝ること。
基俊の君
藤原基俊。歌人。第49章参照。
唯このもとを
「このもと」に「木の下」と「子のもと(子である私)」をかける。
內宴
正月に宮中の仁寿殿で行われた私的な宴。文人が詩を作った。
中ノ院入道おとゞ
源雅定。第51章参照。
實長の大納言
藤原実長(1130〜1182)。公行の子。実行の孫。
左衞門ノ督通季
藤原通季(1090〜1128)。公実の子。西園寺家の祖。
ひとて
一対。一組。
內大臣公敎
藤原公教(1103〜1160)。実行の子。三条内大臣。
常磐の山は春を知るらん
公教の母の歌の句。
厚額のかぶり
額(冠の前部)を厚く作った冠。年配者や上位者が用いた。
透額の冠
額に透かしのある冠。若者が用いた。
梅壺の女御
藤原琮子(1145〜1231)。公教の娘。後白河天皇の女御。
今の攝政殿
藤原基房(1145〜1230)。忠通の子。
大納言實房
藤原実房(1147〜1225)。公教の子。
左衞門ノ督實國
藤原実国(1140〜1183)。公教の子。笛の名手。
淸暑堂の御神樂
大嘗祭の後、清暑堂で行われた神楽。
右兵衞ノ督公行
藤原公行(1105〜1148)。実行の子。
按察の大納言公通
藤原公通(1117〜1173)。通季の子。
廊の御方
通季の妹。白河院に仕え、のち実能との間に公保らを産んだ。
山の座主仁實
仁実(1091〜1131)。公実の子。天台座主。
傳敎大師
最澄(767〜822)。天台宗の開祖。
霍亂
激しい吐き下しを伴う急病。
忠盛
平忠盛(1096〜1153)。清盛の父。白河院・鳥羽院に仕えた。
仁和寺の宮
覚法法親王(1091〜1153)。白河天皇の皇子。
梶井
比叡山麓の坂本にあった天台宗の門跡寺院。

文法

身の時なかりしをのみ、見え奉りて
自分の不遇な時ばかりを(父に)お見せして。
さらで侍りなん
そうしないでいるのがよいでしょう。
男の大きなるは、あしきことかは
男が大きいのは悪いことだろうか、いや悪くない。反語。

和歌

むかし見しあるじがほにて梅がえの花だに我れに物語せよ

詠者
藤原基俊
状況
公実が亡くなった後、弔問に訪れて梅の枝に結びつけて実行に贈った歌。

修辞

擬人法
梅の花を昔の主人のような顔をしたものとして語りかける。

根にかへる花の姿のゆかしくは唯このもとを形見とは見よ

詠者
藤原実行
状況
基俊の弔問の歌への返歌。

修辞

掛詞
「このもと」に「木の下」と「子のもと」をかける。
比喩
散って根に帰る花を亡き父にたとえる。

解説

仁実の話に出てくる忠盛は清盛の父で、白河院の近臣だった。今鏡が書かれた時代は平家の全盛期であり、その祖が院の臨終に立ち会ったことを伝える貴重な記事である。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、263〜272頁(コマ146–151)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日