今鏡 第六「藤波の下」 第54章
竹のよ
天皇の母方の家として、九条殿師輔の十男公季に始まる閑院流が語り起こされる。公成の子実季は鳥羽天皇の外祖父。その子春宮大夫公実は、笛も吹かないのに笛を腰に差す風流人で、郭公を尋ねた夜明けに女車と連歌を交わした。娘の待賢門院の話、子の実隆・実兼らの逸話が続く。
- 1みかどみかどみかど關白關白かんぱくににに次次つぎぎぎ奉奉たてまつりてりてりてははは、、、御母御母おおんはは方方かたののの君君きみたちこそたちこそたちこそ、、、皆皆みな世世よにしかるべきにしかるべきにしかるべき人人ひとにておはすめれにておはすめれにておわすめれ。。。九條九條くじょう殿殿どのののの御子御子みこののの中中なかににに、、、三郞三郞さぶろうにおはしましゝにおはしましゝにおわしましし、、、關白關白かんぱくたえずせさせたえずせさせたえずせさせ給給たまふふう。。。
- 2十十じゅう郞郞ろうにあまりにあまりにあまり給給たまへりしへりしえりし、、、のおほきおとゞののおほきおとゞののおおきおとどの末末すえこそこそこそ、、、關白關白かんぱくはははししし給給たまはははねともねともねとも、、、打打うちつゞきちつゞきちつづき帝帝みかどののの御御おんをををぢにてぢにてじにて、、、さるべきさるべきさるべき人人人人ひとびとおはすめればおはすめればおわすめれば、、、そのそのその御有樣御有樣おおんありさま申申もうさんとてさんとてさんとて、、、まづまづまず帝帝みかどののの御母御母おおんはは方方かたををを申申もうしつゞけしつゞけしつづけ侍侍はべるなりるなりるなり。。。
- 3朱雀院朱雀院すざくいん、、、村上村上むらかみののの御御おんおほぢおほぢおおじははは、、、堀川殿堀川殿ほりかわどの。。。冷泉院冷泉院れいぜいいん、、、圓融院圓融院えんゆういんののの御御おんおほぢおほぢおおじははは九條九條くじょう殿殿どの。。。花山花山かざんノノノ院院いんのののははは一條一條いちじょう殿殿どの。。。一條一條いちじょうノノノ院院いん、、、三條三條さんじょうノノノ院院いんのののははは東三條殿東三條殿ひがしさんじょうどの。。。
- 4後一條後一條ごいちじょうノノノ院院いん、、、後後のち朱朱す雀雀すずめノノノ院院いん、、、後冷泉後冷泉ごれいぜいノノノ院院いんこのこのこの三代三代さんだいののの御御おんおほぢおほぢおおじははは御堂御堂みどうののの入道入道にゅうどう殿殿どの。。。このこのこの十代十代じゅうだいのみかどのみかどのみかどははは宣宣のたま公公こうととと申申もうすすす堀川殿堀川殿ほりかわどのののの、、、ひとつひとつひとつ御末御末おおんすえなりなりなり。。。
- 5後後のち三條三條さんじょうノノノ院院いんこそこそこそ母方母方ははかたももも、、、みかどのみかどのみかどの御子御子みこにておはしませどにておはしませどにておわしませど、、、御母御母おおんはは陽明門院陽明門院ようめいもんいんははは、、、御堂御堂みどうののの御孫御孫おおんうまごにておはしませばにておはしませばにておわしませば、、、一一ひとつつつ御流御流おおんながれれなりれなりれなり。。。白河白河しらかわノノノ院院いんののの御御おんおほぢおほぢおおじ、、、閑院閑院かんいんののの春宮大夫春宮大夫とうぐうのだいぶののの同同おなじじじ流流ながれにおはしますれにおはしますれにおわしますををを、、、誠誠まことののの御御おんおやおやおやははは、、、閑院閑院かんいんののの左兵衞左兵衞さひょうえノノノ督督かみ、、、このこのこの同同おなじじじ御流御流おおんながれれなれどれなれどれなれど、、、東三條殿東三條殿ひがしさんじょうどのののの御末御末おおんすえにににはははおはせでおはせでおわせで、、、そのそのその御御おんおとうとのおとうとのおとうとの、、、閑院閑院かんいんのおとゞののおとゞののおとどの御末御末おおんすえなりなりなり。。。
- 6このこのこの閑院閑院かんいんのおほきおとゞののおほきおとゞののおおきおとどの御御おんうまごにおはせしうまごにおはせしうまごにおわせし、、、左兵衞左兵衞さひょうえのかみののかみののかみの御御おんすゑすゑすえ、、、うちつゞきうちつゞきうちつづき帝帝みかどののの御御おんおほぢにおはすおほぢにおはすおおじにおわす。。。このこのこの公成公成きんなりののの左兵衞左兵衞さひょうえノノノ督督かみののの御子御子みこ按察按察あぜちののの大納言大納言だいなごんははは、、、鳥羽鳥羽とばノノノ院院いんののの御御おんおほぢなりおほぢなりおおじなり。。。
- 7このこのこの大納言大納言だいなごんののの太郞太郞たろうにににははは、、、春宮大夫春宮大夫とうぐうのだいぶととと申申もうしきしきしき。。。經經へ平平たいらののの大貳大貳だいにのむすめののむすめののむすめの腹腹はらにおはすにおはすにおわす。。。みめもみめもみめも淸淸きよらかにらかにらかに、、、和歌和歌わかなどもなどもなども能能よくよみたまふときこえくよみたまふときこえくよみたまうときこえ給給たまひきひきいき。。。
- 8笛笛ふえ吹吹ふきこときこときことひきなどしひきなどしひきなどし給給たまはざりけれどはざりけれどわざりけれど、、、紅梅紅梅こうばい紙紙かみににに卷卷まきたるきたるきたるふゑふゑふえ腰腰こしにさしてにさしてにさして、、、爪爪つまおほしてぞおはしけるおほしてぞおはしけるおおしてぞおわしける。。。ことことこと人人ひとのさやうにおはせばのさやうにおはせばのさようにおわせば、、、人人ひともあざけるべきにもあざけるべきにもあざけるべきに、、、能能よくなりくなりくなり給給たまひぬればひぬればいぬれば、、、科科とがなくいうにぞなくいうにぞなくいうにぞ見見みえええ侍侍はべりしりしりし。。。
- 9若若わかくおはしけるくおはしけるくおわしけるほどにやほどにやほどにや。。。ののの馬場馬場むまばににに郭公郭公ほととぎす尋尋たずねにねにねに、、、夜夜よをををこめておはしたりければこめておはしたりければこめておわしたりければ、、、女房女房にょうぼうぐるまのぐるまのぐるまの、、、雜色雜色ぞうしき一人一人ひとり具具ぐしたるしたるしたる、、、さきにさきにさきに立立たてりけるにてりけるにてりけるに、、、ほとゝぎすほとゝぎすほととぎすははは啼啼なかでかでかで、、、やう〳〵やう〳〵ようよう明明あけゆくけゆくけゆく程程ほどににに、、、のたゝきければのたゝきければのたたきければ女女おんなののの車車くるまよりよりより、、、
- 10いかにせんいかにせんいかにせん待待またぬたぬたぬ水鷄水鷄くいなはははたゝくなりたゝくなりたたくなり
- 11といひおくりといひおくりといいおくり侍侍はべりければりければりければ、、、
- 12山山やまほとゝぎすかゝらましかばほとゝぎすかゝらましかばほととぎすかからましかば
- 13とつけてとつけてとつけて返返かえしたまひにけりしたまひにけりしたまいにけり。。。女女おんなははは誰誰たれにかありけんれにかありけんれにかありけん。。。うけうけうけ給給たまはははりしりしりし。。。いかにもやさしくいかにもやさしくいかにもやさしく侍侍はべりけることかなりけることかなりけることかな。。。此此こののの世世よにににははは、、、さやうのことありさやうのことありさようのことあり難難がたくぞあるべきくぞあるべきくぞあるべき。。。
- 14よみよみよみ給給たまへるへるえる歌歌うたおおおほかるほかるほかる中中なかににに、、、いとやさしくきこえいとやさしくきこえいとやさしくきこえ侍侍はべりしりしりし、、、
- 15思思おもひひい出出いづやありしづやありしずやありし其其そのよののよののよの吳竹吳竹くれたけのあさましかりしのあさましかりしのあさましかりしふしふしふし所所ところかなかなかな
- 16とよみとよみとよみ給給たまへるこそへるこそえるこそ、、、いづくにかいばみいづくにかいばみいずくにかいばみ給給たまひけるにかひけるにかいけるにか侍侍はべりけんりけんりけん。。。音音おとしてしてして來來らいののの導師導師どうしなどやなどやなどや、、、をがみけむとさへをがみけむとさへおがみけむとさえ、、、思思おもひやられひやられいやられ侍侍はべるるる。。。
- 17そのおそのおそのおほいほいほい君君きみははは、、、經實經實つねざねののの大納言大納言だいなごんのののうへうへうえ、、、そのそのその次次つぎははは、、、花園花園はなぞのののの左左ひだりのおとゞののおとゞののおとどの北北きたののの方方かた、、、三三さんののの君君きみははは、、、におはしますにおはしますにおわします。。。つぎざまにつぎざまにつぎざまに、、、まさりまさりまさり給給たまへるへるえる事事ことををを、、、「「「まろがまろがまろが姉姉あねあらましかばあらましかばあらましかば、、、夫夫ぶなどいひてなどいひてなどいいて、、、たきゞおへるたきゞおへるたきぎおえる賤賤しずのののをををににに具具ぐするするする人人ひとにやあらましにやあらましにやあらまし」」」。。。
- 18などのたまはせけるとなどのたまはせけるとなどのたまわせけると聞聞きこえしこえしこえし。。。さしものたまはぬことさしものたまはぬことさしものたまわぬことををを、、、人人ひとのいはせのいはせのいわせ侍侍はべるにもるにもるにも有有ありけんりけんりけん。。。又又またさやうのことさやうのことさようのことははは戯戯たわぶれたまれたまれたまはははんんん、、、さもさもさも侍侍はべりけんりけんりけん。。。
- 19皆皆みな此此こののの御母御母おおんははののの二位二位にいののの御御おんはははらなりらなりらなり。。。春宮大夫春宮大夫とうぐうのだいぶののの太郞太郞たろうにてにてにてははは、、、ととと申申もうしておはしきしておはしきしておわしき。。。そのそのその御御おんはははははは美濃守基貞美濃守基貞みののかみもとさだののの御女御女おおんむすめなりなりなり。。。
- 20このこのこの中納言中納言ちゅうなごん、、、人人ひとがらがらがらははは良良らくおはしけるにやくおはしけるにやくおわしけるにや。。。院院いんににに和歌和歌わかののの會會えせさせたまひけるにせさせたまひけるにせさせたまいけるに、、、歌人歌人うたびとにまじりてにまじりてにまじりて歌歌うたかきたるかきたるかきたる、、、むねにもむねにもむねにも入入いれれれ、、、ひきそばめなどひきそばめなどひきそばめなどはしはしはし給給たまはははでいつとなくでいつとなくでいつとなく捧捧ささげておはしければげておはしければげておわしければ、、、御弟御弟おおんおとうとののの、、、のおとゞのおとゞのおとど、、、そのそのその折折おりまだまだまだ中納言中納言ちゅうなごんなどにやおはしけんなどにやおはしけんなどにやおわしけん。。。
- 21見見み給給たまひてひていて、、、このこのこの人人ひとははは歌歌うたなどもよみなどもよみなどもよみ給給たまはぬにとおぼつかなくてはぬにとおぼつかなくてわぬにとおぼつかなくて、、、「「「御歌御歌みゅうた見見み給給たまへへえ侍侍はべらばやらばやらばや」」」。。。ととと申申もうししし給給たまひければひければいければ、、、「「「何何なにごとのごとのごとの給給たまふぞふぞうぞ。。。前前さきのノノノ左衞門左衞門さえもんノノノ佐佐すけひがことせられんやひがことせられんやひがことせられんやははは」」」。。。
- 22とのとのとの給給たまひけるひけるいける、、、をかしかりしとぞをかしかりしとぞおかしかりしとぞ侍侍はべりけるりけるりける。。。基俊基俊もととしののの君君きみ、、、すぐれたるすぐれたるすぐれたる歌歌うたよみなんよみなんよみなん、、、「「「よきよきよき歌歌うたなるべしとのなるべしとのなるべしとの給給たまふにこそふにこそうにこそ」」」。。。とととはははきこゆれどきこゆれどきこゆれど、、、歌歌うたののの道道みちははは善善よきにつけきにつけきにつけ、、、惡惡あしきにつけてしきにつけてしきにつけて、、、しゝあひてしゝあひてししあいて、、、我我われもたびたびにれもたびたびにれもたびたびに、、、人人ひとにもにもにも見見みせあはせなどすることせあはせなどすることせあわせなどすることををを、、、我我わがえぬことがえぬことがえぬことははは、、、かくおはするかくおはするかくおわする事事ことなりなりなり。。。
- 23其其そののの子子こにてにてにて、、、冷泉冷泉れいぜいののの宰相宰相さいしょう隆隆たかとておはせしとておはせしとておわせし、、、若若わかくてくてくて、、、後後のち少將少將しょうしょうときこえしときこえしときこえし、、、若若わか殿上人殿上人てんじょうびとのいうなるにておはしきのいうなるにておはしきのいうなるにておわしき。。。其其そののの弟弟おとうとににに、、、兵衞兵衞ひょうえノノノ佐佐すけ成成なり隆隆たかとておはしけるとておはしけるとておわしける、、、まだまだまだ幼幼おさなくてくてくて、、、かくれかくれかくれ給給たまひにきひにきいにき。。。
- 24ことことこと御腹御腹おおんはらにやにやにや。。。奈良奈良ならににに覺珍覺珍かくちん法印法印ほういんととと申申もうしゝしゝししははは、、、當時當時とうじおはすおはすおわす。。。才才さいあるあるある人人ひとととと聞聞きこえこえこえ給給たまひきひきいき。。。春宮大夫春宮大夫とうぐうのだいぶののの二郞二郞じろうにおはせしにやにおはせしにやにおわせしにや、、、大宮大宮おおみやのすけのすけのすけ兼兼かねとかとかとか聞聞きこえてこえてこえて、、、後後のちににに刑部卿刑部卿ぎょうぶきょうなどなどなど申申もうすおはしきすおはしきすおわしき。。。
- 25このこのこの御中御中おおんなかににに上達部上達部かんだちめなどにえなどにえなどにえ成成なりりり給給たまはざりきはざりきわざりき。。。そのそのその御女御女おおんむすめのあのあのあはははのかみのかみのかみ朝朝あさ綱綱つなととと聞聞きこえしむすめのこえしむすめのこえしむすめの腹腹はらにおはしけるにおはしけるにおわしける、、、女院女院にょういんににに參參まいりりり給給たまへりけるがへりけるがえりけるが、、、鳥羽鳥羽とばノノノ院院いんしのびてしのびてしのびて物物ものなどなどなど仰仰おおせらるゝせらるゝせらるる事事ことありてありてありて、、、法皇法皇ほうおうののの出出いださせださせださせ給給たまひけるとぞひけるとぞいけるとぞ聞聞きこえこえこえ侍侍はべりしりしりし。。。
現代語訳
帝と関白に次いでは、御母方の君たちこそ、皆世にしかるべき人でいらっしゃるようです。九条殿(師輔)の御子の中で、三男でいらした方(兼家)の子孫が関白を絶えず務めていらっしゃいます。十男以上にあたられた閑院の太政大臣(公季)の子孫こそ、関白はなさらないけれども、引き続いて帝の御叔父として、しかるべき人々がいらっしゃるようなので、その御有様を申し上げようと、まず帝の御母方を順に申し上げるのです。朱雀院・村上(天皇)の御祖父は堀川殿(基経)。冷泉院・円融院の御祖父は九条殿(師輔)。花山院のは一条殿(伊尹)。一条院・三条院のは東三条殿(兼家)。後一条院・後朱雀院・後冷泉院、この三代の御祖父は御堂の入道殿(道長)。この十代の帝は、昭宣公と申す堀川殿の一つの御子孫です。後三条院こそ母方も帝の御子(禎子内親王)でいらっしゃるけれど、御母の陽明門院は御堂(道長)の御孫でいらっしゃるので、一つの御流れです。白河院の御祖父は閑院の春宮大夫(能信)と同じ流れでいらっしゃるが、本当の御親は閑院の左兵衛督公成で、この同じ御流れだけれど、東三条殿の御子孫ではいらっしゃらず、その御弟の閑院の大臣(公季)の御子孫です。この閑院の太政大臣の御孫でいらした左兵衛督の御子孫が、引き続いて帝の御祖父でいらっしゃいます。この公成の左兵衛督の御子、按察大納言実季は、鳥羽院の御祖父です。
この大納言の長男には、春宮大夫公実と申し上げました。経平の大弐の娘の腹でいらっしゃいます。容貌も美しく、和歌などもよくお詠みになると評判でした。笛を吹いたり琴を弾いたりはなさらなかったけれど、紅梅色の陸奥紙に巻いた笛を腰に差し、琴爪を指にはめていらっしゃいました。ほかの人がそのようになさったら人も嘲るはずなのに、立派になられたので、とがめられることもなく優雅に見えました。若くいらしたころでしょうか、右近の馬場に郭公を尋ねに、夜深くお出かけになったところ、女房の車で雑色を一人連れたものが先に立っていたが、郭公は鳴かないで、だんだん夜が明けてゆくころに、水鶏が戸をたたくように鳴いたので、女の車から、
どうしましょう。待ってもいない水鶏はたたいて鳴くようです。
と言い送りましたので、
(待っている)山郭公がこのように鳴いてくれたら(よいのに)。
と付けてお返しになりました。女は誰だったのでしょう。百合花(という女房)だろうかと承りました。いかにも優雅でありましたことよ。今の世には、そのようなことはめったにないでしょう。お詠みになった歌が多い中に、たいそう優雅に聞こえましたのは、
思い出しますか。あの夜の呉竹の節(よ)のような、あきれるほどひどかった臥し所を。
とお詠みになったのこそ、どこでのぞき見をなさったのでしょうか。唐臼の音がして、当来の導師(弥勒)などを拝んだのだろうかとまで、思いやられます。その(公実の)長女は経実大納言の奥方、その次は花園の左大臣(有仁)の北の方、三の君は待賢門院でいらっしゃいます。順々にまさっていらっしゃることを、(待賢門院が)「私の姉がもしいたら、夫などといって、薪を背負う賤しい男に連れ添う人だったでしょうね」などとおっしゃったと聞こえました。そうもおっしゃらないことを、人が言わせているのかもしれません。またそのようなことは冗談でおっしゃったのでしょう、そうでもあったのでしょう。皆この御母、光子の二位の御腹です。春宮大夫の長男としては、侍従中納言実隆と申していらっしゃいました。その御母は美濃守基貞の御娘です。この中納言は、人柄はよくいらっしゃったのでしょうか。院で和歌の会をなさった時、歌人に混じって歌を書いた(懐紙)を、懐にも入れず、隠したりもなさらないで、いつまでも捧げていらっしゃったので、御弟の太政大臣(実行)が、その時まだ中納言などでいらしたでしょうか、ご覧になって、この人は歌なども詠まれないのにと気がかりで、「御歌を拝見したいものです」と申されたところ、「何をおっしゃるのか。前左衛門佐(基俊)が間違ったことをなさるだろうか」とおっしゃったのが、おかしかったと(いうことです)。基俊の君という、すぐれた歌詠みが、「よい歌であろう」とおっしゃったのでしょう、とは聞こえるけれど、歌の道は、良いにつけ悪いにつけて、何度も考え合わせて、自分でもたびたび人にも見せ合わせなどするものなのに、自分ができないことには、このようでいらっしゃるのです。その子として、冷泉の宰相公隆という方がいらしたが、若くて、後少将と申した、若い殿上人の優雅な方でいらっしゃいました。その弟に、兵衛佐成隆という方がいらしたが、まだ幼くて亡くなられました。別の御腹でしょうか、奈良に覚珍法印と申した方は、今もいらっしゃいます。学才のある人と聞こえました。春宮大夫の次男でいらしたでしょうか、大宮亮実兼とか申して、後に刑部卿などと申す方がいらっしゃいました。この御一門の中で、上達部などにはなられませんでした。その御娘で、阿波守朝綱と申した人の娘の腹でいらした方が、女院(待賢門院)に仕えていらしたが、鳥羽院がひそかにお言葉をかけられることがあって、法皇(白河院)が(宮仕えから)出されてしまったと聞こえました。
意訳
巻六の後半は、天皇の外戚として栄えた閑院流(藤原公季の子孫)を語る。歴代天皇の外祖父を列挙し、白河天皇以後は公成・実季の家系が外戚になったことを示す。章題の「竹のよ」は、公実の「呉竹のあさましかりしふし所」の歌による。
公実は笛も吹かないのに笛を腰に差す風流人で、郭公を聞きに出た夜明けに、女車から「いかにせん待たぬ水鶏はたゝくなり」と上の句を詠みかけられ、「山ほとゝぎすかゝらましかば」と見事に付けた。短連歌の機知を示す話である。
公実の三女璋子が待賢門院で、鳥羽天皇の中宮として崇徳・後白河天皇を産んだ。待賢門院が「姉がいたら薪を背負う男の妻だったろう」と冗談を言ったという話は、三姉妹が順に良い縁に恵まれたことをふまえる。実隆が歌会で、自分では読めない歌を基俊の作だから良いはずだと言った話は、歌の心得のない者への皮肉として語られている。
語釈・文法注
- 閑院のおほきおとゞ
- 藤原公季(957〜1029)。師輔の子。閑院流の祖。
- 昭宣公
- 藤原基経(836〜891)。堀川殿。最初の関白。
- 左兵衞ノ督公成
- 藤原公成(999〜1043)。公季の孫。白河天皇の母茂子の実父。
- 按察の大納言實季
- 藤原実季(1035〜1091)。公成の子。鳥羽天皇の母苡子の父。
- 春宮大夫公實
- 藤原公実(1053〜1107)。実季の子。待賢門院の父。
- みちのくに紙
- 陸奥国産の厚手の上質な紙。檀紙。
- こと爪
- 琴を弾く時に指にはめる爪。
- 右近の馬場
- 平安京の北辺にあった右近衛府の馬場。郭公の名所。
- 水鷄のたゝきければ
- 水鶏の鳴き声は戸をたたく音に似ているとされた。
- ゆりばな
- 女房の名か。未詳。
- からうす
- 唐臼。足で踏んで穀物をつく臼。
- 當來の導師
- 未来に現れて衆生を救う仏、弥勒菩薩。
- 待賢門院
- 藤原璋子(1101〜1145)。公実の娘。鳥羽天皇の中宮。崇徳・後白河天皇の母。
- 光子の二位
- 藤原光子(1060〜1121)。公実の妻。堀河・鳥羽天皇の乳母。
- 侍從中納言實隆
- 藤原実隆(1079〜1127)。公実の子。
- 太政のおとゞ
- 藤原実行(1080〜1162)。公実の子。太政大臣。
- 冷泉の宰相公隆
- 藤原公隆(1103〜1150)。実隆の子。
- 大宮のすけ實兼
- 藤原実兼。公実の子。
文法
- かゝらましかば
- 「ましかば」は反実仮想。このように(鳴いて)くれたらよいのに。
- ひがことせられんやは
- 間違ったことをなさるだろうか、いやなさるまい。反語。
和歌
いかにせん待たぬ水鷄はたゝくなり
- 詠者
- 女房
- 状況
- 郭公を待つ夜明けに、水鶏が鳴いたのを聞いて、女車から公実に詠みかけた上の句。
修辞
- 連歌
- 上の句だけを詠みかけ、相手に下の句を付けさせる短連歌。
山ほとゝぎすかゝらましかば
- 詠者
- 藤原公実
- 状況
- 女房の上の句に付けた下の句。
修辞
- 連歌
- 待たない水鶏と、待っている郭公とを対比して付けた。
思ひ出づやありし其のよの吳竹のあさましかりしふし所かな
- 詠者
- 藤原公実
- 状況
- 女に贈った歌。
修辞
- 掛詞
- 「よ」に「夜」と竹の「節(よ)」、「ふし」に竹の「節」と「臥し」をかける。
- 縁語
- 「吳竹」「よ」「ふし」は竹の縁語。
解説
閑院流は白河・鳥羽・崇徳・後白河の四代にわたって外戚となり、摂関家に代わる新たな権門となった。今鏡は、その祖として公実の人柄を風流に描いている。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、258〜263頁(コマ144–146)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日