古典ライブラリー

今鏡 第六「藤波の下」 第53章

ますみの影

高松殿腹の道長の子、閑院春宮大夫能信は、養女茂子が白河天皇を産んだことで天皇の外祖父となった。詩と歌、後三条天皇の皇女たち、養子能長の子孫、出家した顕信、歌人の長家とその子孫――とりわけ歌の家を興した俊成が、崇徳院に歌を奉って院の殿上を許された話などが語られる。

  1. 1閑院かんゐん閑院かんゐんかんいんののの春宮大夫とうぐうのだいぶ春宮大夫とうぐうのだいぶとうぐうのだいぶととと申まう申まうもうすもすもすも、、、高松たかまつ高松たかまつたかまつののの御おん御おんおんはははらなりらなりらなり。。。贈ぞう贈ぞうぞう太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじんととと申まう申まうもうすすす。。。白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおんおほぢおほぢおおじののの御おん御おんおんおやにておやにておやにて、、、誠まこと誠まことまことののの御おん御おんおんむすめにこそおはしまさねどもむすめにこそおはしまさねどもむすめにこそおわしまさねども、、、いとやんごとなしいとやんごとなしいとやんごとなし。。。
  2. 2このこのこの殿どの殿どのどのははは詩し詩ししなどなどなど作つく作つくつくらせらせらせ給たま給たまたまひけるとてひけるとていけるとて、、、人ひと人ひとひとののの語かた語かたかたりりり侍はべ侍はべはべりしりしりしははは、、、「「「はるにとめるはるにとめるはるにとめる山やま山やまやまののの月つき月つきつきははは、、、かうべにあたりてしろしかうべにあたりてしろしこうべにあたりてしろし」」」。。。とぞきこえとぞきこえとぞきこえ侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。
  3. 3まだまだまだ忘わす忘わすわすれれれ侍はべ侍はべはべらぬらぬらぬ、、、これこれこれはははふみふみふみををを題だい題だいだいにてにてにて作つく作つくつくりりり給たま給たまたまへるにへるにえるに、、、漢かん漢かんかんとかいふとかいふとかいう人ひと人ひとひととぞいひしとぞいひしとぞいいし。。。所ところ所ところところののの名な名なななどなどなどをもをもをも、、、さすがにさすがにさすがに、、、たど〳〵しくなんたど〳〵しくなんたどたどしくなん申まう申まうもうしゝしゝしし。。。またまたまた御歌みうた御歌みうたみゅうたもももうけうけうけ給たまは給たまはたまわりきりきりき。。。
  4. 4くもりなきくもりなきくもりなき鏡かがみ鏡かがみかがみののの光ひかり光ひかりひかります〳〵にます〳〵にますますに照て照ててらさんらさんらさん影かげ影かげかげにかくれざらめやにかくれざらめやにかくれざらめや
  5. 5ととと白河院しらかはゐん白河院しらかはゐんしらかわいんののの御事おほんこと御事おほんことおおんことををを、、、ノノノ大輔たいふ大輔たいふたいふよみよみよみ侍はべ侍はべはべりけるりけるりける、、、そのそのその御返おほんかへし御返おほんかへしおおんかえししとぞきこえしとぞきこえしとぞきこえ侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいん一ひと一ひとひとつつつ御おん御おんおんはははらのらのらの御おん御おんおんいもいもいもうとうとうとははは、、、仁和寺にんなじ仁和寺にんなじにんなじののの一品いつぽん一品いつぽんいっぽんノノノ宮みや宮みやみやとてとてとて、、、近ちか近ちかちかくまでおはしましきくまでおはしましきくまでおわしましき。。。
  6. 6子こ子ここ內親王ないしんわう內親王ないしんわうないしんのうととと申まう申まうもうすなるべしすなるべしすなるべし。。。後のち後のちのち三條さんでう三條さんでうさんじょうノノノ院ゐん院ゐんいんうせさせうせさせうせさせ給たま給たまたまひしひしいし時とき時ときとき、、、そのそのその日ひ日ひひ御おん御おんおんぐしおろさせぐしおろさせぐしおろさせ給たま給たまたまひてひていて、、、仁和寺にんわじ仁和寺にんわじにんなじににに住す住すすませたまひきませたまひきませたまいき。。。さておはしましゝかどもさておはしましゝかどもさておわしまししかども、、、年とし年としとしごとにごとにごとに、、、賜たま賜たまたまはははらせらせらせ給たま給たまたまひきひきいき。。。
  7. 7そのそのその御おん御おんおんおとうとにおとうとにおとうとに、、、伊勢いせ伊勢いせいせのいつきにておはせしのいつきにておはせしのいつきにておわせし、、、三品さんぽん三品さんぽんさんぽんしたまへりしたまへりしたまえり。。。子こ子ここノノノ內親王ないしんわう內親王ないしんわうないしんのうときこえきときこえきときこえき。。。樋ひ樋ひひノノノ口ぐち口ぐちぐちののの齋宮さいぐう齋宮さいぐうさいぐうととと申まう申まうもうすなるべしすなるべしすなるべし。。。次つぎ次つぎつぎににに賀茂かも賀茂かもかものいつきのいつきのいつき、、、ノノノ內親王ないしんわう內親王ないしんわうないしんのうときこえときこえときこえ給たま給たまたまひしひしいし、、、御惱おほんなや御惱おほんなやおおんなやみによりてみによりてみによりて、、、延の延のの久ひさ久ひさひさ四年よねん四年よねんよねん七月しちぐわつ七月しちぐわつしちがつににに罷まか罷まかまかりいでりいでりいで給たま給たまたまひきひきいき。。。
  8. 8富ふ富ふふノノノ小路こうぢ小路こうぢこうじののの齋院さいゐん齋院さいゐんさいいんとぞとぞとぞ申まう申まうもうすめりしすめりしすめりし。。。齋宮さいぐう齋宮さいぐうさいぐうはははしはすにしはすにしわすに出い出いいででで給たま給たまたまひきひきいき。。。そのおとうとにてそのおとうとにてそのおとうとにてノノノ內親王ないしんわう內親王ないしんわうないしんのうととと申まう申まうもうしゝもしゝもししも、、、皆同みなおな皆同みなおなみなおなじじじ御おん御おんおんはははらからなりらからなりらからなり。。。始はじ始はじはじめめめ延の延のの久ひさ久ひさひさ元年ぐわんねん元年ぐわんねんがんねん、、、賀茂かも賀茂かもかものいつきにのいつきにのいつきに立た立たたちちち給たま給たまたまひてひていて、、、同おな同おなおなじじじ五年ごねん五年ごねんごねんににに院ゐん院ゐんいんうせさせうせさせうせさせ給たま給たまたまひしかばひしかばいしかば、、、前さきの前さきのさきのノノノ齋院さいゐん齋院さいゐんさいいんにておはしましゝににておはしましゝににておわしまししに、、、女院にようゐん女院にようゐんにょういんののの御おん御おんおん讓ゆづ讓ゆづゆずににに御おん御おんおん封ふう封ふうふうなどなどなど給たま給たまたまはははらせたまへりしらせたまへりしらせたまえりし程ほど程ほどほどににに、、、堀河ほりかは堀河ほりかはほりかわののの帝みかど帝みかどみかどののの御時おほんとき御時おほんときおおんとき、、、后きさき后きさききさきにたちにたちにたち給たま給たまたまひきひきいき。。。
  9. 9みかどよりみかどよりみかどよりははは、、、御おん御おんおんとしとしとし殊こと殊ことことののの外ほか外ほかほかにおとなにおはしければにおとなにおはしければにおとなにおわしければ、、、世よ世よよにににうたふうたふうたう歌うた歌うたうたなんなんなんはべりけるとかやはべりけるとかやはべりけるとかや。。。
  10. 10春宮大夫とうぐうのだいぶ春宮大夫とうぐうのだいぶとうぐうのだいぶ殿どの殿どのどのははは誠まこと誠まことまことののの御子みこ御子みこみこもおはせねばもおはせねばもおわせねば、、、三條さんでう三條さんでうさんじょうののの內大臣ないだいじん內大臣ないだいじんないだいじん長なが長ながながのおとゞののおとゞののおとどの甥をひ甥をひおいにおはするにおはするにおわするをぞをぞをぞ、、、子こ子ここにしたてまつりにしたてまつりにしたてまつり給たま給たまたまひけるひけるいける。。。誠まこと誠まことまことにににははは堀川殿ほりかはどの堀川殿ほりかはどのほりかわどのののの御子みこ御子みこみこにおはすにおはすにおわす。。。
  11. 11これもこれもこれも帥そつ帥そつそつ殿どの殿どのどのののの御女おほんむすめ御女おほんむすめおおんむすめのののはらなりはらなりはらなり。。。このこのこの內うち內うちうちのおとゞののおとゞののおとどの御子みこ御子みこみこははは、、、中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごん長なが長ながながととと申まう申まうもうしゝしゝししははは、、、贈ぞう贈ぞうぞう三位さんみ三位さんみさんみ濟さい濟さいさい政じやう政じやうじょうののの女をんな女をんなおんなのののはらなりはらなりはらなり。。。彈正だんじやう彈正だんじやうだんじょうノノノ尹ゐん尹ゐんいんになりになりになり給たま給たまたまへりしかばへりしかばえりしかば、、、尹ゐん尹ゐんいんののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんとぞとぞとぞ申まう申まうもうしゝしゝしし。。。
  12. 12三さん三さんさん井ゐ井ゐいでらにでらにでらに僧都そうづ僧都そうづそうずとてとてとて、、、御子みこ御子みこみこおはすとぞおはすとぞおわすとぞ。。。尹ゐん尹ゐんいんののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんののの弟おとうと弟おとうとおとうと、、、大藏卿おほくらきやう大藏卿おほくらきやうおおくらきょう忠たゞ忠たゞただとておはしきとておはしきとておわしき。。。母はは母ははははははは昭せう昭せうしょう登と登とと親王しんわう親王しんわうしんのうののの女をんな女をんなおんななりなりなり。。。大だい大だいだい辨べん辨べんべんののの宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうよりよりより、、、中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんになりておはせしになりておはせしになりておわせしほどにほどにほどに、、、中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんををを奉たてまつ奉たてまつたてまつりてりてりて、、、われわれわれ大藏卿おほくらきやう大藏卿おほくらきやうおおくらきょうになりになりになり、、、子こ子ここををを辨べん辨べんべんになされになされになされ侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。
  13. 13石山いしやま石山いしやまいしやまノノノ辨べん辨べんべんとぞとぞとぞ申まう申まうもうすめりしすめりしすめりし。。。賀茂かも賀茂かもかもにぞにぞにぞ限かぎ限かぎかぎりなくりなくりなく仕つか仕つかつこうまつられしうまつられしうまつられし。。。中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんまでなどまでなどまでなど夢ゆめ夢ゆめゆめににに見み見みみられたりけるとかやられたりけるとかやられたりけるとかや。。。其そ其そそののの子こ子ここははは左さ左ささ少すこ少すこすこ辨べん辨べんべん忠たゞ忠たゞただととと申まう申まうもうしゝしゝしし、、、詩し詩ししなどなどなど能よ能よよくくく作つく作つくつくりりり給たま給たまたまひつひついつ。。。
  14. 14心こころ心こころこころさときさときさとき人ひと人ひとひとになんおはしけるになんおはしけるになんおわしける。。。若わか若わかわかくてくてくて疾と疾ととくうせくうせくうせ給たま給たまたまひにきひにきいにき。。。少將せうしやう少將せうしやうしょうしょう人ひと人ひとひと道みち道みちみち有あり有ありあり家いへ家いへいえときこえしときこえしときこえし人ひと人ひとひとののの子こ子ここににに、、、このこのこの辨べん辨べんべんののの同おな同おなおなじじじ名な名ななつきたるがつきたるがつきたるが、、、わづらひけるわづらひけるわずらいける程ほど程ほどほどににに、、、公く公くく伊い伊いい法印ほふいん法印ほふいんほういんといふといふという人ひと人ひとひとににに、、、祈いの祈いのいのりりりをををつけたりけるがつけたりけるがつけたりけるが、、、同おな同おなおなじじじ名な名ななにてとりかへられたるとぞにてとりかへられたるとぞにてとりかえられたるとぞ、、、世よ世よよにににはははいひあへりしいひあへりしいいあえりし。。。
  15. 15其そ其そそのとりかへのとりかへのとりかえ人ひと人ひとひとははは、、、まだおはすとかやまだおはすとかやまだおわすとかや。。。大藏卿おほくらきやう大藏卿おほくらきやうおおくらきょうののの弟おとうと弟おとうとおとうとににに、、、山やま山やまやまののの座主ざす座主ざすざす豪がう豪がうごうととと申まう申まうもうすもおはしきすもおはしきすもおわしき。。。南みなみ南みなみみなみ勝すぐ勝すぐすぐ坊ばう坊ばうぼうとぞとぞとぞ申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。又また又またまた律師りつし律師りつしりつしなどいひてなどいひてなどいいて二人ふたり二人ふたりふたりばかりおはしきばかりおはしきばかりおわしき。。。
  16. 16又また又またまた四位しゐ四位しゐしいののの侍從じじゆう侍從じじゆうじじゅう宗むね宗むねむね信のぶ信のぶのぶととと申まう申まうもうすもおはしきすもおはしきすもおわしき。。。其そ其そそののの子こ子ここははは仁和寺にんわじ仁和寺にんわじにんなじににに僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょうとてとてとて、、、東寺とうじ東寺とうじとうじノノノ長者ちやうじや長者ちやうじやちょうじゃにてにてにて此こ此ここののの頃ごろ頃ごろごろおはすとぞおはすとぞおわすとぞ。。。尹ゐん尹ゐんいんののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんののの同おな同おなおなじじじ腹はら腹はらはらにおはせしにおはせしにおわせし三條さんでう三條さんでうさんじょうのおとゞののおとゞののおとどの御おん御おんおんむすめむすめむすめははは、、、白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいん東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうにおはしましゝにおはしましゝにおわしましし時とき時ときとき、、、御息所みやすんどころ御息所みやすんどころみやすんどころととと聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまひしひしいし、、、みかどみかどみかど位くらゐ位くらゐくらいにつかせにつかせにつかせ給たま給たまたまひてひていて、、、延の延のの久ひさ久ひさひさ五年ごねん五年ごねんごねん女御にようご女御にようごにょうごののの宣旨せんじ宣旨せんじせんじかうぶりかうぶりこうぶり給たま給たまたまひきひきいき。。。
  17. 17子こ子ここののの女御にようご女御にようごにょうごときこえきときこえきときこえき。。。姫宮ひめみや姫宮ひめみやひめみょ生う生ううみみみ奉たてまつ奉たてまつたてまつりてりてりて後のち後のちのち、、、內うち內うちうちへもへもへも參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまはずなりにきはずなりにきわずなりにき。。。承香殿しようきやうでん承香殿しようきやうでんじょうきょうでんののの女御にようご女御にようごにょうごとやとやとや申まう申まうもうしけんしけんしけん。。。御おん御おんおんむすめのむすめのむすめの子こ子ここノノノ內親王ないしんわう內親王ないしんわうないしんのうににに伊勢いせ伊勢いせいせにいつきにてにいつきにてにいつきにて下くだ下くだくだらせらせらせ給たま給たまたまひしにひしにいしに、、、具ぐ具ぐぐししし奉たてまつ奉たてまつたてまつりてぞおはしけるりてぞおはしけるりてぞおわしける。。。
  18. 18七十しちじふ七十しちじふしちじゅうににに餘あま餘あまあまりてりてりてうせたまひにきうせたまひにきうせたまいにき。。。このこのこの女御にようご女御にようごにょうごははは、、、またまたまた何なに何なになにとかやとかやとかや申まう申まうもうすすす御名みな御名みなみなおはしきおはしきおわしき。。。
  19. 19春宮とうぐう春宮とうぐうとうぐうノノノ大夫だいぶ大夫だいぶだいぶののの御弟おほんおとうと御弟おほんおとうとおおんおとうとににに同おな同おなおなじじじ高松たかまつ高松たかまつたかまつののの御腹おほんはら御腹おほんはらおおんはらののの、、、無動寺むどうじ無動寺むどうじむどうじののの右う右うう馬むま馬むまうまノノノ頭かしら頭かしらかしら入道にふだう入道にふだうにゅうどう信のぶ信のぶのぶののの君きみ君きみきみときこえときこえときこえ給たま給たまたまひしひしいし、、、そのそのその御名みな御名みなみなははは長なが長ながなが禪ぜん禪ぜんぜんとぞとぞとぞ申まう申まうもうすなるすなるすなる。。。十八じふはち十八じふはちじゅうはちにてこのにてこのにてこの世よ世よよをををおぼしおぼしおぼし捨す捨すすてゝてゝてて、、、比叡ひえ比叡ひえひえののの山やま山やまやまににに籠こも籠こもこもらせらせらせ給たま給たまたまひしひしいし、、、たふとたふととうとくあはれになどくあはれになどくあわれになど申まう申まうもうすもおろかなりすもおろかなりすもおろかなり。。。
  20. 20昔むかし昔むかしむかしののの物語ものがたり物語ものがたりものがたりどもにこまかにどもにこまかにどもにこまかに侍はべ侍はべはべればればれば、、、さのみやさのみやさのみやははは繰く繰くくりかへしりかへしりかえし申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべらんらんらん。。。家いへ家いへいえののの民部卿みんぶきやう民部卿みんぶきやうみんぶきょうととと申まう申まうもうすもすもすも、、、やがてやがてやがて高松たかまつ高松たかまつたかまつののの御おん御おんおんはははらなりらなりらなり。。。御歌みうた御歌みうたみゅうたどもこそどもこそどもこそうけたまはりしかうけたまはりしかうけたまわりしか。。。
  21. 21「「「庭には庭にはにわしろたへのしろたへのしろたえの霜しも霜しもしもととと見み見みみえつゝえつゝえつつ」」」などよみなどよみなどよみ給たま給たまたまへるもへるもえるも、、、このこのこの御歌おほんうた御歌おほんうたおおんうたとこそきゝとこそきゝとこそきき侍はべ侍はべはべりしかりしかりしか。。。このこのこの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんののの御子みこ御子みこみこ忠家ただいへ忠家ただいへただいえ大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごん、、、祐いう祐いうゆう家いへ家いへいえ中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんなどなどなど申まう申まうもうしておはしきしておはしきしておわしき。。。
  22. 22母はは母はははははははみなみなみな美濃守基貞みののかみもとさだ美濃守基貞みののかみもとさだみののかみもとさだのむすめとぞのむすめとぞのむすめとぞ。。。大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんののの御子みこ御子みこみこにてにてにて、、、もとたゞもとたゞもとただ、、、忠たゞ忠たゞただ二人ふたり二人ふたりふたりののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんおはしきおはしきおわしき。。。それそれそれははは經輔つねすけ經輔つねすけつねすけののの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんのむすめののむすめののむすめの御おん御おんおんはははらなりらなりらなり。。。
  23. 23俊しゆん俊しゆんしゅん忠たゞ忠たゞただののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんははわ、、、それもそれもそれも歌うた歌うたうたよみよみよみ給たま給たまたまふときこえふときこえうときこえ給たま給たまたまひきひきいき。。。堀河ほりかは堀河ほりかはほりかわノノノ院ゐん院ゐんいんののの御時おほんとき御時おほんときおおんとき、、、男をとこ男をとこおとこをををんなのんなのんなのかはしにもかはしにもかわしにも、、、よみよみよみ給たま給たまたまへるとこそへるとこそえるとこそ聞き聞ききききき侍はべ侍はべはべりしかりしかりしか。。。そのそのその中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんののの公達きんだち公達きんだちきんだちははは、、、民部大輔みんぶのたいふ民部大輔みんぶのたいふみんぶのたいう忠たゞ忠たゞただ成なり成なりなりととと聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまひしひしいし、、、又また又またまた成なり成なりなり三位さんみ三位さんみさんみとてもおはすなりとてもおはすなりとてもおわすなり。。。
  24. 24伊豫守いよのかみ伊豫守いよのかみいよのかみ敦家あついへ敦家あついへあついえのむすめののむすめののむすめのはらとぞはらとぞはらとぞ。。。そのそのその三位さんみ三位さんみさんみののの御歌みうた御歌みうたみゅうたももも、、、此こ此ここののの頃ごろ頃ごろごろののの上手じやうず上手じやうずじょうずにおはすとかやにおはすとかやにおわすとかや。。。歌うた歌うたうたののの判はう判はうほうなどしなどしなどし給たま給たまたまふとこそふとこそうとこそ聞き聞ききききき侍はべ侍はべはべれれれ。。。このこのこの三位さんみ三位さんみさんみ、、、讚岐さぬき讚岐さぬきさぬきのみかどののみかどののみかどの御時おほんとき御時おほんときおおんとき、、、殿上人てんじやうびと殿上人てんじやうびとてんじょうびとにおはしけるがにおはしけるがにおわしけるが、、、みかどみかどみかど位くらゐ位くらゐくらいおりおりおり給たま給たまたまひてのちひてのちいてのち、、、院ゐん院ゐんいんののの殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうをををししし給たま給たまたまはざりければはざりければわざりければ、、、
  25. 25雲井くもゐ雲井くもゐくもいよりなれしよりなれしよりなれし山路やまぢ山路やまぢやまじををを今更いまさら今更いまさらいまさらにかすみにかすみにかすみへだてゝなげくへだてゝなげくへだててなげく春はる春はるはるかなかなかな
  26. 26とよみてとよみてとよみて、、、敎長のりなが敎長のりながのりながノノノ卿きやう卿きやうきょうにつけてにつけてにつけて、、、奉たてまつ奉たてまつたてまつられられられ侍はべ侍はべはべりければりければりければ、、、御返事おほんかへりごと御返事おほんかへりごとおおんかえりごとはははなくてなくてなくて、、、やがてやがてやがて殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょう仰おほ仰おほおおせせせ下くだ下くだくだされけるとぞされけるとぞされけるとぞ。。。撰集せんじふ撰集せんじふせんしゅうにににははは、、、「「「何なに何なになにののの暮くれ暮くれくれををを待ま待ままつらむつらむつらむ」」」。。。
  27. 27とかやいふとかやいふとかやいう歌うた歌うたうたぞいりてぞいりてぞいりて侍はべ侍はべはべるなるるなるるなる。。。そのそのその兄このかみ兄このかみこのかみにににののの大だい大だいだい僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょうとてとてとて、、、經へ經へへたふとたふととうとくよみくよみくよみ給たま給たまたまふおはすなりときこえふおはすなりときこえうおわすなりときこえ給たま給たまたまふふう。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

閑院の春宮大夫と申し上げる方も、高松殿の御腹です。贈太政大臣能信と申し上げます。白河院の御祖父、贈皇后宮(茂子)の御親で、本当の御娘ではいらっしゃらないけれども、たいそう尊い方です。この殿は詩などをお作りになったといって、人が語りましたのは、「春に富める山の月は、頭にあたりて白し」と聞こえました。まだ忘れておりません、これは書物を題にしてお作りになったもので、呉漢とかいう人(のこと)だと言いました。(出てくる)所の名なども、さすがにおぼつかなく申しました。また御歌も承りました。

曇りのない鏡の光がますます照らすように、(白河天皇の)ますます照らす御光の陰に、隠れないことがありましょうか(私もその恩恵をこうむりましょう)。

と、白河院の御事を伊勢大輔が詠みました(歌への)、その御返歌と聞こえました。白河院と同じ御腹の御妹は、仁和寺の一品宮といって、近ごろまでいらっしゃいました。聡子内親王と申し上げるのでしょう。後三条院がお亡くなりになった時、その日に御髪をおろされて、仁和寺にお住まいになりました。そうしていらっしゃったけれども、毎年、年官・年爵などを賜っていらっしゃいました。その御妹に、伊勢の斎宮でいらした方は、三品になられました。俊子内親王と申し上げました。樋口の斎宮と申し上げるのでしょう。次に賀茂の斎院の、佳子内親王と申し上げた方は、ご病気によって、延久四年(1072)七月に退出なさいました。富小路の斎院と申したようです。斎宮は十二月に退出なさいました。その御妹で篤子内親王と申し上げた方も、皆同じ御腹のご兄弟です。初め延久元年に賀茂の斎院にお立ちになって、同じ五年に院(後三条)がお亡くなりになったので、前斎院でいらっしゃったところ、叔母の女院(陽明門院)の御譲りで准三后・御封などを賜っていらっしゃったうちに、堀河の帝の御代に后にお立ちになりました。帝よりは御年がことのほか年上でいらっしゃったので、世に歌われる歌があったとか。

春宮大夫殿は本当の御子もいらっしゃらなかったので、三条の内大臣能長の大臣が甥でいらっしゃるのを、養子にしてお迎えなさいました。本当は堀川殿(頼宗)の御子でいらっしゃいます。この方も帥殿(伊周)の御娘の腹です。この内大臣の御子で、中納言基長と申し上げた方は、贈三位済政の娘の腹です。弾正尹になられたので、尹の中納言と申しました。三井寺に僧都として御子がいらっしゃるとか。尹の中納言の弟に、大蔵卿長忠という方がいらっしゃいました。母は昭登親王の娘です。大弁の宰相から中納言になっていらしたうちに、中納言を返上して、自分は大蔵卿になり、子を弁に任じられたのでした。石山の弁と申したようです。賀茂の神にこの上なくお仕えされました。中納言までなる、などと夢に見られたとか。その子は左少弁能忠と申した方で、詩などをよくお作りになりました。聡明な人でいらっしゃいました。若くて早く亡くなられました。少将入道有家と申した人の子に、この弁と同じ名のついた者が病気になったので、公伊法印という人に祈祷を頼んだところ、同じ名なので取り替えられてしまったのだと、世間では言い合いました。その取り替えられた人(有家の子)は、まだご存命とか。大蔵卿の弟に、比叡山の座主仁豪と申し上げる方もいらっしゃいました。南勝坊と申しました。また律師などといって、二人ほどいらっしゃいました。また四位の侍従宗信と申し上げる方もいらっしゃいました。その子は仁和寺に禎喜僧正といって、東寺の長者として今いらっしゃるとか。尹の中納言と同じ腹でいらした三条の大臣の御娘は、白河院が東宮でいらした時に御息所と申し上げた方で、帝が即位なさって、延久五年に女御の宣旨をこうむられました。道子の女御と申し上げました。姫宮をお産みして後、内裏へも参られなくなりました。承香殿の女御と申したでしょうか。御娘の善子内親王が伊勢の斎宮として下られた時に、お連れ申し上げていらっしゃいました。七十を過ぎて亡くなられました。この女御には、また何とか申す御名がおありでした。

春宮大夫(能信)の御弟で同じ高松殿の御腹の、無動寺の右馬頭入道顕信の君と申し上げた方は、その法名を長禅と申すそうです。十八歳でこの世をお捨てになって比叡山に籠られたのは、尊くしみじみとしてなどと申すのも言い足りません。昔の物語どもに詳しくございますので、そうむやみに繰り返し申し上げることもありますまい。長家の民部卿と申し上げる方も、やはり高松殿の御腹です。御歌をいくつも承りました。「庭しろたへの霜と見えつつ」などとお詠みになったのも、この方の御歌だと聞いております。この大納言の御子に、忠家大納言、祐家中納言などと申していらっしゃいました。母は皆美濃守基貞の娘とか。(忠家)大納言の御子として、基忠・俊忠のお二人の中納言がいらっしゃいました。それは経輔大納言の娘の御腹です。俊忠の中納言は、この方も歌をお詠みになると聞こえました。堀河院の御代に、男女の恋文の交わし合い(艶書合)にもお詠みになったと聞きました。その中納言の公達は、民部大輔忠成と申し上げた方、また俊成三位という方もいらっしゃるそうです。伊予守敦家の娘の腹とか。その三位の御歌も、今の名手でいらっしゃるとか。歌合の判などもなさると聞いております。この三位は、讃岐の帝(崇徳)の御代に殿上人でいらっしゃったが、帝が譲位なさって後、院の殿上をお許しにならなかったので、

宮中から通い慣れた山路を、今さら霞に隔てられて(院の御所に昇れずに)嘆く春であることです。

と詠んで、教長卿に託して差し上げられたところ、お返事はなくて、すぐに(院の)殿上を仰せ下されたとか。撰集には、「あやしや何の暮を待つらむ」とかいう歌が入っているそうです。その兄に比叡山の大僧正(快修)といって、経を尊くお読みになる方がいらっしゃると聞こえます。

意訳

道長と明子(高松殿)の子能信は、頼通・教通と対立して後三条天皇を支え、養女茂子が産んだ白河天皇の外祖父となった。章題の「ますみの影」は、伊勢大輔が白河天皇の世を曇りない鏡にたとえた歌と、能信の返歌による。

後三条天皇の皇女たち(聡子・俊子・佳子・篤子)、能信の養子能長の子孫(基長・長忠・能忠ら)、能長の娘で白河天皇の女御となった道子など、閑院流以前の能信の系統が語られる。同名の病人の身代わりに死んだと噂された能忠の話は、今鏡には珍しい怪異譚である。

高松殿腹の顕信は十八歳で出家した(『大鏡』『栄花物語』に詳しい)。長家の子孫からは俊忠、そして俊成が出て、御子左家として歌の家となる。俊成が崇徳院に歌を奉って院の殿上を許された話は、今鏡が書かれた当時の歌壇の第一人者を伝えて興味深い。

語釈・文法注

贈太政大臣能信
藤原能信(995〜1065)。道長の子。後三条天皇の擁立に尽くし、閑院春宮大夫と呼ばれた。
贈皇后宮
藤原茂子(?〜1062)。能信の養女。後三条天皇の妃で、白河天皇の母。
吳漢
後漢の光武帝の功臣。
伊勢ノ大輔
平安中期の女流歌人。「いにしへの奈良の都の八重桜」の作者。
聰子內親王
聡子内親王(1050〜1131)。後三条天皇の皇女。
つかさくらゐ
年官・年爵。皇族などに与えられた、官職や位を推薦する権利。
俊子ノ內親王
俊子内親王(1056〜1132)。後三条天皇の皇女。伊勢斎宮。
佳子ノ內親王
佳子内親王(1057〜1130)。後三条天皇の皇女。賀茂斎院。
篤子ノ內親王
篤子内親王(1060〜1114)。後三条天皇の皇女。堀河天皇の中宮。天皇より十九歳年上だった。
おばの女院
陽明門院禎子内親王。後三条天皇の母。
准三后
太皇太后・皇太后・皇后に准じる待遇。
三條の內大臣能長
藤原能長(1022〜1082)。頼宗の子で、能信の養子。
中納言基長
藤原基長(1043〜1107)。能長の子。
大藏卿長忠
藤原長忠(1047〜1126)。能長の子。
左少辨能忠
藤原能忠。長忠の子。
山の座主仁豪
仁豪(1051〜1121)。能長の子。天台座主。
禎喜僧正
禎喜(1099〜1183)。東寺長者。
道子の女御
藤原道子(1042〜1132)。能長の娘。白河天皇の女御。
善子ノ內親王
善子内親王(1077〜1132)。白河天皇の皇女。伊勢斎宮。
顯信
藤原顕信(994〜1027)。道長の子。十九歳で出家した(諸説ある)。
長家の民部卿
藤原長家(1005〜1064)。道長の子。御子左家の祖。
俊忠
藤原俊忠(1073〜1123)。歌人。俊成の父。
男をんなの文かはし
堀河院艶書合(1102)。男女が恋文の歌を贈答した歌合。
俊成三位
藤原俊成(1114〜1204)。歌人。『千載和歌集』の撰者。定家の父。
あやしや何の暮を待つらむ
俊成の歌「思ひ寝の夢の浮橋…」とは別。詞花集の恋歌の句か。
山の大僧正
快修(1100〜1172)。俊忠の子。天台座主。

文法

かくれざらめや
隠れないことがあろうか、いや隠れる(恩恵をこうむる)。反語。
さのみやは繰りかへし申し侍らん
そうむやみに繰り返し申しましょうか、いや申しません。

和歌

くもりなき鏡の光ます〳〵に照らさん影にかくれざらめや

詠者
藤原能信
状況
伊勢大輔が白河天皇の御代を詠んだ歌への返歌。

修辞

見立て
天皇の徳を曇りのない鏡の光に見立てる。
掛詞
「ます〳〵」に「真澄(ますみ)」の鏡を響かせる。

雲井よりなれし山路を今更にかすみへだてゝなげく春かな

詠者
藤原俊成
状況
崇徳院の譲位後、院の殿上を許されなかった時に、藤原教長を通じて奉った歌。

修辞

掛詞
「雲井」に空と宮中をかける。
比喩
霞に隔てられることで、院の御所に昇れない身を表す。

解説

俊成は今鏡成立の嘉応二年(1170)ごろ、歌壇の中心にいた。語り手が「此の頃の上手」と言うのは、まさに同時代の評価である。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、253〜258頁(コマ141–144)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日