今鏡 第六「藤波の下」 第52章
雁がね
宗通の子、侍従大納言成通は、笛・歌・今様・蹴鞠・馬術・早業と、あらゆる芸に秀でた。忍んで通った女房の家の侍たちに待ち伏せされると、堂々と正装して現れ、女房をもらい受けて出て行った。白河院の寵愛、述懐の歌、涙もろい人柄、弟の重通の薫る香などが語られる。
- 1かのかのかの九條九條くじょうノノノ民部卿民部卿みんぶきょうののの四郞四郞しろうにやおはしけんにやおはしけんにやおわしけん。。。侍從大納言侍從大納言じじゅうのだいなごんととと申申もうすこそすこそすこそ、、、よろづのよろづのよろずの事事こと、、、能能よし多多おおくくく聞聞きこえええ給給たまひしかひしかいしか。。。笛笛ふえ歌歌うた詩詩しなどなどなど、、、其其そのきこえおはしてのきこえおはしてのきこえおわして、、、歌歌うたひひい給給たまふふう事事こと、、、類類たぐひなきひなきひなき人人ひとにおはしきにおはしきにおわしき。。。
- 2又又また足足あしにおはするにおはするにおわする事事ことももも、、、昔昔むかしもありがたきことになんもありがたきことになんもありがたきことになん侍侍はべりけるりけるりける。。。大方大方おおかたことにことにことに力力ちからいれいれいれ給給たまへるさまへるさまえるさま、、、ゆゆしくおはしけりゆゆしくおはしけりゆゆしくおわしけり。。。鞠鞠まりももも千千せん日日ひかゝずならしかゝずならしかかずならし給給たまひけりひけりいけり。。。
- 3今樣今樣いまようももも、、、碁碁ご盤盤ばんににに碁碁ご石石いしををを百百ひゃくかぞかぞかぞへおきてへおきてへおきて、、、うるはしくうるはしくうるわしく裝束裝束そうぞくししし給給たまひてひていて、、、帶帶おびなどもとかでなどもとかでなどもとかで、、、「「「のみのりはのみのりはのみのりわしな〴〵にしな〴〵にしなじなに」」」といふといふという同同おなじじじ歌歌うたををを、、、一夜一夜ひとよにもゝかへりにもゝかへりにももかえり數數かずへてへてえて、、、百百ひゃく夜夜よ謠謠うたひひひ給給たまひなどしけりひなどしけりいなどしけり。。。
- 4馬馬うまににに乘乘のりりり給給たまふふう事事ことももも、、、すぐれておはしけりすぐれておはしけりすぐれておわしけり。。。白川白川しらかわののの御幸御幸みゆきににに、、、馬馬うまののの川川がわににに伏伏ふしたりけるにしたりけるにしたりけるに、、、鞍鞍くらののの上上うえにすぐにたちにすぐにたちにすぐにたち給給たまひてひていて、、、つゆぬれつゆぬれつゆぬれ給給たまふふう所所ところおはせざりけるもおはせざりけるもおわせざりけるも、、、ことことこと人人ひとならばならばならば水水みずにこそにこそにこそうちうちうち入入いれられましかれられましかれられましか。。。
- 5大大おおかたかたかた早早はや業業ごうをををさへさへさへ並並ならびなくしびなくしびなくし給給たまひければひければいければ、、、そりそりそり返返かえりたるりたるりたる履履ふはははきてきてきて、、、のののほこぎのほこぎのほこぎの上上うえあゆみたまひあゆみたまひあゆみたまい、、、車車くるまのまへのまへのまえうしろうしろうしろ、、、ついぢのついぢのついじのうらうへうらうへうろうえ、、、とゞこほるとゞこほるとどこおる所所ところおはせざりけるおはせざりけるおわせざりける、、、餘餘あまりにりにりに到到いたらぬらぬらぬ隈隈くまもおはせざりければもおはせざりければもおわせざりければ、、、宮內卿宮內卿くないきょう賢賢けんととと聞聞きこえられしこえられしこえられし人人ひとののの許許もとなりけるなりけるなりける女房女房にょうぼうににに、、、しのびてしのびてしのびてよる〳〵よる〳〵よるよる樣樣さまをやをやをやつしてつしてつして、、、通通かよひひひ給給たまひけるひけるいけるををを、、、さぶらひどもさぶらひどもさぶらいども、、、いかなるいかなるいかなるものゝふものゝふもののふののの、、、局局つぼねへへへいかにかといかにかといかにかと思思おもひてひていて、、、窺窺うかがひてひてひて、、、あしたにあしたにあしたに出出いでんでんでんををを討討うちちち伏伏ふせんといひせんといひせんといい、、、支支ささ度度わたしあへりければしあへりければしあえりければ、、、女房女房にょうぼういみじくいみじくいみじく思思おもひなげきてひなげきていなげきて、、、例例れいののの日暮日暮ひくれにければれにければれにければ、、、おはしたりけるにおはしたりけるにおわしたりけるに、、、泣泣なくくく〳〵〳〵なくこのこのこの次第次第しだいををを語語かたりければりければりければ、、、「「「いと〳〵いと〳〵いといと苦苦くるしかるまじきしかるまじきしかるまじき事事ことなりなりなり。。。きときときと歸歸かえりこんりこんりこん」」」。。。とてとてとて出出いででで給給たまひにけりひにけりいにけり。。。
- 6女房女房にょうぼうのいへるのいへるのいえる如如ごとくにくにくに門門もんどもさしまはしてどもさしまはしてどもさしまわして、、、さき〴〵にもさき〴〵にもさきざきにも似似にずずず、、、嚴嚴きびしげなりければしげなりければしげなりければ、、、人人ひとなかりけるなかりけるなかりける方方かたのついぢのついぢのついじををを、、、やす〳〵とやす〳〵とやすやすと越越こえておはしにけりえておはしにけりえておわしにけり。。。
- 7女房女房にょうぼうははは、、、かくかくかく聞聞ききておはしぬればきておはしぬればきておわしぬれば、、、又又またはははよもよもよも歸歸かえりりり給給たまはじとはじとわじと思思おもひけるひけるいけるほどにほどにほどに、、、とばかりありてとばかりありてとばかりありて袋袋ふくろををを手手てづからもちてづからもちてずからもちて、、、又又またををを越越こえてかへりえてかへりえてかえり入入いりりり給給たまひにけりひにけりいにけり。。。
- 8あしたにあしたにあしたにははは此此このさぶらひどものさぶらひどものさぶらいども、、、いづらいづらいずら〳〵〳〵いずらとそゞめきあひたるにとそゞめきあひたるにとそぞめきあいたるに、、、日日ひさしさしさし出出いづるまでづるまでずるまで出出いでたまはざりければでたまはざりければでたまわざりければ、、、さぶらひどもさぶらひどもさぶらいども杖杖つえなどもちてなどもちてなどもちて、、、打打うちちち伏伏ふせんずるせんずるせんずる設設もうけけけをををしてしてして、、、目目めをををつけあへりけるにつけあへりけるにつけあえりけるに、、、殊殊ことののの外外ほかににに日日ひ高高たかくなりてくなりてくなりて、、、まづまづまず烏帽子烏帽子えぼうしのさきのさきのさきををを、、、さしさしさし出出いだしだしだし給給たまひけりひけりいけり。。。
- 9次次つぎにににののの水干水干すいかんののの袖袖そでのののはしはしはしをををさしさしさし出出いだされければだされければだされければ、、、あああははは、、、すでにとてすでにとてすでにとて、、、おの〳〵すみやきあへりけるおの〳〵すみやきあへりけるおのおのすみやきあえりける程程ほどににに、、、そのそのその後後のち、、、新新あたらしきしきしき履履くつをををさしさしさし出出いだしてだしてだして、、、緣緣えんにおきにおきにおき給給たまひけりひけりいけり。。。
- 10こここはははいかにといかにといかにと見見みるるる程程ほどににに、、、いといといと淸淸きよらかなるらかなるらかなる直衣直衣のうしににに、、、織物織物おりものののの指貫指貫さしぬき着着きててて歩歩あゆみみみ出出いででで給給たまひければひければいければ、、、このさぶらひどもこのさぶらひどもこのさぶらいども逃逃にげまどひげまどひげまどい、、、土土どをををほりてほりてほりてひざまづきけりひざまづきけりひざまずきけり。。。
- 11履履くつをををはははきてきてきて庭庭にわにおりてにおりてにおりて、、、北北きたののの對對たいのののうしろうしろうしろをををあゆみあゆみあゆみ參參まいりければりければりければ、、、つつつぼね〴〵たちさわぎけりぼね〴〵たちさわぎけりぼねぼねたちさわぎけり。。。中門中門ちゅうもんののの廊廊ろうにのぼりにのぼりにのぼり給給たまひけるにひけるにいけるに、、、宮內卿宮內卿くないきょうもたゝずみありかれけるがもたゝずみありかれけるがもたたずみありかれけるが、、、急急いそぎぎぎ入入いりてりてりて裝束裝束そうぞくしてしてして、、、出出いででで會會あひひい申申もうされてされてされて、、、「「「こここはははいかなるいかなるいかなる事事ことにかにかにか」」」。。。
- 12とさわぎければとさわぎければとさわぎければ、、、「「「べちのべちのべちの事事ことにににははは侍侍はべらずらずらず。。。日日ひごろごろごろ女房女房にょうぼうののの許許もとへへへ、、、とき〴〵しのびてとき〴〵しのびてときどきしのびて通通かよひひひ侍侍はべりつるりつるりつるををを、、、さぶらひのさぶらひのさぶらいの打打うちちち伏伏ふせんとせんとせんと申申もうすよしすよしすよしうけたまはりてうけたまはりてうけたまわりて、、、そのそのその怠怠おこたりりり申申もうさんとてなんさんとてなんさんとてなん參參まいりつるりつるりつる」」」。。。
- 13ととと侍侍はべりければりければりければ、、、宮內卿宮內卿くないきょうおほきにさわぎておほきにさわぎておおきにさわぎて、、、「「「このこのこの科科とがはははいかゞあがひいかゞあがひいかがあがい侍侍はべるべきるべきるべき」」」。。。ととと申申もうされければされければされければ、、、「「「べちのべちのべちの御御おんあがひあがひあがい侍侍はべるまじるまじるまじ。。。彼彼かののの女房女房にょうぼうををを給給たまはははりてりてりて、、、出出いででで侍侍はべらんらんらん」」」。。。
- 14とありければとありければとありければ、、、さうなきことにてさうなきことにてそうなきことにて御車御車みくるまどものどものどもの人人ひとなどなどなどははは、、、かちにてかちにてかちにて門門もんのとにのとにのとに設設もうけたりければけたりければけたりければ、、、具具ぐしてしてして出出いででで給給たまひけりひけりいけり。。。女房女房にょうぼうさぶらひさぶらひさぶらい、、、すべてすべてすべて家家いえのののうちこぞりてうちこぞりてうちこぞりて、、、めづらかなることにてぞめづらかなることにてぞめずらかなることにてぞ侍侍はべりけるりけるりける。。。
- 15からからから國國くにににに都都みやこ王王おうなどなどなど申申もうしけんしけんしけん人人ひとももも、、、かくやおはしけむかくやおはしけむかくやおわしけむ。。。
- 16大方大方おおかたははは心心こころわかくなどおはしてわかくなどおはしてわかくなどおわして、、、始始はじめてめてめて人人ひとのむこにおはせしのむこにおはせしのむこにおわせしをををりもりもりも、、、調度調度ちょうどののの厨子厨子ずしかきいだしてかきいだしてかきいだして、、、師師しのわらのわらのわらはははののの、、、御御おんおぼえなるにおぼえなるにおぼえなるに給給たまひなどしひなどしいなどし給給たまひけりひけりいけり。。。
- 17上達部上達部かんだちめになりになりになり給給たまひてもひてもいても、、、賀茂詣賀茂詣かももうでににに、、、檳榔檳榔びろうににに靑靑あおすだれかけなどしすだれかけなどしすだれかけなどし給給たまひしひしいし、、、始始はじめたるめたるめたる事事ことにににはははあらねどもあらねどもあらねども、、、さやうにさやうにさように好好このみみみ給給たまひけるなるべしひけるなるべしいけるなるべし。。。
- 18若若わか盛盛さかりりりははは左中將左中將さちゅうじょうとてとてとて、、、すきものすきものすきもの、、、やさしきやさしきやさしき殿上人殿上人てんじょうびとののの名高名高なたかきにておはしききにておはしききにておわしき。。。五節五節ごせちなどになどになどにははは、、、雲雲くものののうへうへうえ、、、皆皆みなそのそのその御御おんまゝなるやうにぞまゝなるやうにぞままなるようにぞ侍侍はべりけるりけるりける。。。
- 19何何いずれのれのれの年年としにかにかにか。。。五節五節ごせちににに藏人藏人くろうどノノノ頭頭かしらたちのたちのたちの舞舞まひひい給給たまはざりければはざりければわざりければ、、、殿上人殿上人てんじょうびとたちたちたちはやはやはやみてみてみて、、、いかにぞやいかにぞやいかにぞや歌歌うたひひい給給たまはざりけるにはざりけるにわざりけるに、、、右右う兵衞兵衞ひょうえノノノ督督かみ公行公行きんゆきののの、、、まだまだまだ別當別當べっとうののの兵衞兵衞ひょうえノノノ佐佐すけなどなどなど申申もうしけんしけんしけん。。。
- 20そのそのその人人ひとををを表表しるしにおしにおしにおし立立たてゝてゝてて、、、成通成通なりみちののの中將中將ちゅうじょうかくれてかくれてかくれて歌歌うたひひい給給たまひけるひけるいけるををを、、、頭頭かしらノノノ辨辨べんうれへうれへうれえ申申もうされたりければされたりければされたりければ、、、そのそのその折折おりにぞにぞにぞ、、、御御おんかしこまりにてかしこまりにてかしこまりにて、、、しばししばししばし籠籠こもりゐりゐりい給給たまへりしへりしえりし。。。
- 21白河白河しらかわノノノ院院いんにににははは御御おんいとほしみのいとほしみのいとおしみの人人ひとにておはしきにておはしきにておわしき。。。殿上人殿上人てんじょうびとののの中中なかにににははは、、、唯唯ただひとりひとりひとりゆるされておはすとぞゆるされておはすとぞゆるされておわすとぞ聞聞きこえしこえしこえし。。。雪雪ゆきふりのふりのふりの御幸御幸みゆきににに、、、狩衣狩衣かりぎぬををを着着き給給たまへりとてへりとてえりとて、、、こゝろえぬことにこゝろえぬことにこころえぬことに仰仰おおせらるゝときゝてせらるゝときゝてせらるるとききて、、、遠遠とおとてとてとて侍侍はべりしりしりし檢非違使檢非違使けびいしののの、、、まだわらまだわらまだわらはははにてにてにて、、、御前御前おまえにもにもにも、、、近近ちかくつかはせくつかはせくつかわせ給給たまひしにひしにいしに、、、「「「わびわびわび申申もうすよしきかせすよしきかせすよしきかせ參參まいらせよらせよらせよ」」」。。。
- 22とのとのとの給給たまひければひければいければ、、、はかなくうちいだしてはかなくうちいだしてはかなくうちいだして、、、「「「成通成通なりみちこそこそこそひきわたのひきわたのひきわたの事事こと、、、かしこまりてかしこまりてかしこまりて申申もうししし候候そうらへへえ」」」。。。ととと申申もうしたりければしたりければしたりければ、、、あしよしのあしよしのあしよしの御御おんけしきけしきけしきはははなくてなくてなくて、、、誠誠まことににに奇怪奇怪きかいなりとぞなりとぞなりとぞ、、、仰仰おおせられけるせられけるせられける。。。
- 23近衞近衞こんえのすけなどのすけなどのすけなどははは、、、うすものなどうすものなどうすものなど、、、花花はなのいろのいろのいろ、、、紅葉紅葉もみじのかたなどのかたなどのかたなど、、、染染そめつけらるべかりけるめつけらるべかりけるめつけらるべかりけるををを、、、ひきわたのひきわたのひきわたの麁麁あら々々わかしくしくしく、、、思思おもほしめしけるにやほしめしけるにやおしめしけるにや。。。
- 24讃岐讃岐さぬきノノノ院院いんのくらゐののくらゐののくらいの御時御時おおんとき、、、十五首十五首じゅうごしゅののの歌歌うた、、、人々人々ひとびとによませによませによませ給給たまひけるにひけるにいけるに、、、述懷述懷じゅっかいといふといふという題題だいをををよみよみよみ給給たまふとてふとてうとて、、、
- 25白河白河しらかわののの流流ながれれれをををたのむたのむたのむ心心こころをばをばをばたれかたれかたれかははは汲汲くみてそらにみてそらにみてそらに知知しるべきるべきるべき
- 26ととと講講こうぜられけるぜられけるぜられける時時とき、、、むしろこぞりてむしろこぞりてむしろこぞりて、、、あはれとあはれとあわれと思思おもひあへりけりひあへりけりいあえりけり。。。涙涙なみだぐむぐむぐむ人人ひともありけるとかやもありけるとかやもありけるとかや。。。おおおほかたほかたほかた、、、歌歌うたなどもなどもなども、、、をかしくよみをかしくよみおかしくよみ給給たまひきひきいき。。。かへるかへるかえる雁雁かりのののうたにうたにうたに、、、
- 27こゑせずこゑせずこえせずはははいかでしらましいかでしらましいかでしらまし春霞春霞はるがすみへへへだつるそらにだつるそらにだつるそらに歸歸かえるるる雁雁かりがねがねがね
- 28とよみとよみとよみ給給たまへるもへるもえるも、、、淸淸きよらかにきこえらかにきこえらかにきこえ侍侍はべりりり。。。戀戀こいののの歌歌うたどもゝどもゝどもも、、、「「「こひせよとてもこひせよとてもこいせよとても生生うまれざりけりまれざりけりまれざりけり」」」。。。またまたまた「「「ふるふるふる白雪白雪しらゆきのかたもなくのかたもなくのかたもなく」」」、、、などわがなどわがなどわが心心こころよりよりより思思おもひいだしひいだしいいだし給給たまへるなるべしへるなるべしえるなるべし。。。
- 29ととと聞聞きこえていとをかしこえていとをかしこえていとおかし。。。詩詩しなどもよくなどもよくなどもよく心得心得こころえ給給たまへりけるなるべしへりけるなるべしえりけるなるべし。。。左大辨左大辨さだいべん宰相宰相さいしょう業業わざといふといふという博士博士はかせののの語語かたられけるられけるられけるははは、、、「「「詩詩しのことなどのことなどのことなど、、、いはるゝきけばいはるゝきけばいわるるきけば、、、なにがしなにがしなにがし千里千里ちさとなどもなどもなども作作つくりたるりたるりたる優優ゆうにきこえてにきこえてにきこえて、、、心心こころすむわざになんあるすむわざになんあるすむわざになんある。。。萬里萬里ばんりととと云云いふになりぬればふになりぬればうになりぬれば、、、またいふにもおよばずまたいふにもおよばずまたいうにもおよばず。。。などあるなどあるなどあるははは、、、いといといと興興きょうありありあり」」」などぞなどぞなどぞはべりけるはべりけるはべりける。。。餘餘あまりねりねりね泣泣なきやすきやうにぞおはしけるきやすきやうにぞおはしけるきやすきょうにぞおわしける。。。
- 30鳥羽鳥羽とばにてにてにて、、、白河院白河院しらかわいん事事こと御覽御覽ごらんじけるにじけるにじけるに、、、瀧口瀧口たきぐちなにがしとかいふなにがしとかいふなにがしとかいう者者もの、、、射射いむとしけるにむとしけるにむとしけるに、、、兄兄このかみににに似似にてつてつてつはもはもはものゝおぼえあるのゝおぼえあるののおぼえある家家いえののの者者ものにてにてにて侍侍はべるなるがるなるがるなるが、、、的的まとたてたてたてはべりけるはべりけるはべりけるををを見見みててて、、、「「「弟弟おとうとのいかにのいかにのいかに、、、兄兄あにののの的的まとたてによるかたてによるかたてによるか。。。いとやさしきいとやさしきいとやさしき事事ことなりなりなり」」」。。。
- 31とてとてとて、、、なきなきなき給給たまひければひければいければ、、、ノノノ帥帥そつははは、、、「「「行行ゆ兼兼かねがやぶさめがやぶさめがやぶさめ射射いむにむにむに、、、公公く兼兼かねががが的的まとたてんたてんたてん、、、あはれなるべきあはれなるべきあわれなるべき事事ことかかかははは」」」。。。とぞとぞとぞ侍侍はべりけるりけるりける。。。またあるまたあるまたある源氏源氏げんじのむさののむさののむさの、、、やさしくやさしくやさしく歌歌うたよみあそびなどしけるによみあそびなどしけるによみあそびなどしけるに、、、指貫指貫さしぬきのくゝりのせばくのくゝりのせばくのくくりのせばく見見みえければえければえければ、、、「「「おのづからのおのづからのおのずからの事事こともあらばもあらばもあらば、、、さささははは、、、きとあげんずるかきとあげんずるかきとあげんずるか」」」。。。
- 32などいひてもなどいひてもなどいいても涙涙なみだぐみぐみぐみ給給たまひけりひけりいけり。。。またまたまた三井寺三井寺みいでらににに侍侍はべりけるりけるりける山伏山伏やまぶしののの、、、になれりけるとになれりけるとになれりけると語語かたらひたまひてもらひたまひてもらいたまいても、、、「「「山伏山伏やまぶしゆかしくゆかしくゆかしくははは、、、それがしそれがしそれがし見見みよよよ。。。などいふらんこそなどいふらんこそなどいうらんこそ、、、のすがたのすがたのすがた、、、ゆかしけれゆかしけれゆかしけれ」」」。。。
- 33などいひてもなどいひてもなどいいても、、、うちしぐれうちしぐれうちしぐれ給給たまひけりとひけりといけりと聞聞きこえこえこえ給給たまひきひきいき。。。やすきやすきやすき事事ことももも物物ものをををほむるほむるほむる心心こころにてにてにて、、、かくなんおはしけるかくなんおはしけるかくなんおわしける。。。弟弟おとうとののの按察按察あぜちののの大納言大納言だいなごんととと聞聞きこえこえこえ給給たまひしひしいしははは、、、みめなどみめなどみめなどははは似通似通にかよひひひ給給たまへりけるがへりけるがえりけるが、、、いまいまいま少少すこしにほひありてしにほひありてしにおいありて、、、あいつかはしきあいつかはしきあいつかわしきやうにぞおはしけるやうにぞおはしけるようにぞおわしける。。。
- 34いといといと能能よしなどなどなどはははおはせねどもおはせねどもおわせねども、、、笙笙しょうののの笛笛ふえ吹吹ふききき、、、琵琶琵琶びわひきひきひき給給たまひきひきいき。。。法性寺殿法性寺殿ほっしょうじどのにぞにぞにぞ、、、常常つねはははしたしくさぶらはせしたしくさぶらはせしたしくさぶらわせ給給たまひけるにひけるにいけるに、、、殿殿どのももも此此こののの大納言大納言だいなごんももも、、、過過すぎておはするのちなどもぎておはするのちなどもぎておわするのちなども、、、なつかしくなつかしくなつかしく、、、さとさとさと薰薰かおるるる香香かぞおはしけるぞおはしけるぞおわしける。。。
- 35兵部卿兵部卿ひょうぶきょうかかかをををるるる大將大將だいしょうなどおぼえなどおぼえなどおぼえ給給たまひけるなるべしひけるなるべしいけるなるべし。。。このこのこのふたりふたりふたりののの大納言大納言だいなごんたちたちたち、、、御子御子みこもおはせでもおはせでもおわせで、、、みなみなみな人人ひとののの子子こをぞをぞをぞ養養やしなひひい給給たまひけるひけるいける。。。
現代語訳
あの九条の民部卿(宗通)の四男でいらしたでしょうか、侍従大納言成通と申した方こそ、あらゆることに多くの才能があると評判でいらっしゃいました。笛・歌・詩など、その評判がおありで、今様を歌われることは類のない方でいらっしゃいました。また鞠足(蹴鞠の名手)でいらっしゃることも、昔にもめったにないことでございました。だいたい物事に力を入れなさる様子が、並々でなくいらっしゃいました。鞠も千日欠かさずに稽古なさいました。今様も、碁盤に碁石を百数えて置いて、きちんと装束をなさって、帯なども解かずに、「釈迦の御法は品々に」という同じ歌を一夜に百回数えて、百夜歌われたりしました。馬に乗られることも、すぐれていらっしゃいました。白河の御幸で、馬が川に伏してしまった時に、鞍の上にまっすぐ立たれて、少しも濡れたところがおありでなかったのも、ほかの人なら水に落とされたことでしょう。だいたい早業までも並ぶ者なくなさったので、反り返った履をはいて高欄の架木の上を歩かれ、牛車の前後や築地の内外を、とどこおるところもおありでなかった。あまりに行き届かない所もおありでなかったので、宮内卿有賢と申し上げた人のもとにいた女房に、忍んで夜な夜な姿をやつして通っていらしたのを、侍たちが、どんな武士が局へ(通うのか)と思って、うかがって「朝出てくるところを打ち伏せてやろう」と言って準備し合っていたので、女房はたいそう思い嘆いて、いつものように日が暮れて(成通が)いらしたので、泣く泣くこの次第を語ったところ、「まったく困ることではない。すぐに帰ってこよう」といってお出になりました。
女房の言ったとおりに門々を閉めまわして、以前とも違って厳重な様子だったので、人のいない方の築地を、やすやすと越えて出て行かれました。女房は、こう聞いて出て行かれたのだから、もう二度とお帰りにはなるまいと思っていたところ、しばらくして袋を手ずから持って、また築地を越えて帰って入ってこられました。翌朝、この侍たちが「どこだ、どこだ」とざわめき合っていたが、日が差し出るまでお出にならなかったので、侍たちは杖などを持って打ち伏せる用意をして、目をつけ合っていたところ、意外にも日が高くなってから、まず折烏帽子の先を差し出されました。次に柿色の水干の袖の端を差し出されたので、「あっ、いよいよだ」といって、それぞれ勇み立っていたところ、その後、新しい履を差し出して縁に置かれました。これはどうしたことかと見ていると、たいそう美しい直衣に、織物の指貫を着て歩み出てこられたので、この侍たちは逃げまどい、土を掘るようにしてひざまずきました。履をはいて庭に下り、北の対の後ろを歩いて参られたので、局々は大騒ぎになりました。中門の廊に上られると、宮内卿もぶらぶらしていらしたが、急いで入って装束をして、出てお会い申し上げて、「これはどうしたことでしょう」と騒いだので、「特別のことではございません。日ごろ女房のもとへ時々忍んで通っておりましたのを、侍が打ち伏せようと申していると承りまして、そのお詫びを申し上げようと参ったのです」とおっしゃったので、宮内卿はおおいに騒いで、「この罪はどのように償えばよいでしょう」と申されたので、「特別の償いはいりません。あの女房をいただいて退出しましょう」とおっしゃったので、言うまでもないことで、御車の供の人などは徒歩で門の外に待たせてあったので、(女房を)連れて出て行かれました。女房も侍も、家の中じゅうが、珍しいことだと思ったのでした。唐土の江都王などと申したという人も、このようでいらしたのでしょうか。
だいたいお心が若々しくなどいらっしゃって、初めて人の婿になられた折も、調度の厨子を担ぎ出して、ご寵愛の呪師の童にお与えになったりしました。上達部になられても、賀茂詣に檳榔の車に青簾をかけたりなさったのは、初めてのことではないけれど、そのようなことをお好みになったのでしょう。若い盛りは左中将として、風流人、優雅な殿上人として名高くていらっしゃいました。五節などの時には、宮中は皆この方の思うままのようでございました。何年のことでしたか、五節に蔵人頭たちが舞われなかったので、殿上人たちはやめて、どうしたことか歌われなかったところ、右兵衛督公行が、まだ別当の兵衛佐などと申したでしょうか、その人を表に押し立てて、成通の中将が隠れて歌われたのを、頭弁が訴え申し上げたので、その時に謹慎として、しばらく籠居なさっていました。白河院にはご寵愛の人でいらっしゃいました。殿上人の中では、ただ一人禁色を許されていらっしゃると聞こえました。雪の日の御幸に、引綿の狩衣を着ていらしたといって、(院が)不心得なことだと仰せられていると聞いて、資遠といった検非違使がまだ童で御前近くに召し使われていたのに、「お詫び申し上げると(院に)お聞かせ申せ」とおっしゃったので、(童は)無邪気に口に出して、「成通が、引綿のことを恐縮して申しております」と申し上げたところ、(院は)良いとも悪いとものご様子はなくて、「まことにけしからぬ」と仰せられたそうです。近衛の次将などは、固織や薄物などに花の色や紅葉の形などを染めつけるべきなのに、引綿が粗野だとお思いになったのでしょうか。
讃岐院(崇徳)が在位の御時、十五首の歌を人々にお詠ませになった時、「述懐」という題をお詠みになるといって、
白河の流れを頼みとするように白河院を頼りにしてきた私の心を、誰が汲み取って、自然と知ってくれるでしょうか。
と披講された時、座の人々がこぞってしみじみと感じ合いました。涙ぐむ人もいたとか。だいたい歌なども趣深くお詠みになりました。帰る雁の歌に、
声を立てなければ、どうして知ることができただろう。春霞が隔てている空を帰ってゆく雁を。
とお詠みになったのも、すっきりと聞こえます。恋の歌も、「こひせよとても生まれざりけり」、また「ふる白雪のかたもなく」など、ご自分の心から思い出されたのでしょう、と評判で、たいそう趣深いことです。詩などもよく心得ていらしたのでしょう。左大弁宰相顕業という博士が語られたのは、「(成通が)詩のことなどを言われるのを聞くと、『誰それが千里(という語)なども作っているのが優雅に聞こえて、心が澄むわざである。万里というようになれば、また言うまでもない』などとおっしゃるのは、たいそう興がある」などと(語ったそうです)。たいそう涙もろいご様子でいらっしゃいました。
鳥羽で白河院が流鏑馬ということをご覧になった時、滝口の誰それとかいう者が射ようとしたが、兄と同じく武勇の評判のある家の者だそうですが、(兄が)的を立てていましたのを見て、「弟がどうしたことか、兄が的を立てているのに頼るとは。たいそう殊勝なことだ」といってお泣きになったので、二条の帥(長実)は、「行兼が流鏑馬を射るのに公兼が的を立てるのが、しみじみ感じるようなことだろうか」と言ったそうです。またある源氏の武者が、優雅に歌を詠み遊びなどしていたのに、指貫の括りが狭く見えたので、「万一のことがあったら、それでは、さっと(裾を)上げるつもりなのか」などと言っても涙ぐまれました。また三井寺にいました山伏が法橋になったとお話しになっても、「『山伏を見たいなら、誰それを見よ』などと言われるのこそ、大峰(で修行した)姿が慕わしいのだ」などと言っても、涙を落とされたと聞こえました。たやすいことでも物を褒める心で、このようにいらっしゃいました。弟の按察大納言重通と申し上げた方は、容貌などは似通っていらっしゃったが、もう少し華やかさがあって、愛嬌のある様子でいらっしゃいました。たいして芸能などはおありでなかったけれども、笙の笛を吹き、琵琶を弾かれました。法性寺殿(忠通)にいつも親しくお仕えしていらっしゃったが、殿もこの大納言も、通り過ぎていらした後なども、慕わしく、さっと薫る香がおありでした。(源氏物語の)匂兵部卿・薫大将などのように思われたのでしょう。このお二人の大納言たちは、御子もいらっしゃらないで、皆人の子を養っていらっしゃいました。
意訳
藤原成通は院政期を代表する多芸の人で、とくに蹴鞠では「鞠聖」と称された。今様を百夜歌い通し、鞠を千日欠かさず蹴ったという努力の人でもあった。
女房のもとに通っていたところを侍たちに待ち伏せされた話は、今鏡でも屈指の痛快な逸話。成通は築地を越えて自邸から正装を取ってきて、翌朝、身分を明らかにして堂々と現れ、主人の有賢に女房をもらい受けて去った。
章題の「雁がね」は帰雁の歌による。成通は涙もろく、ささいなことにも感動して泣く人だった。語り手は、こうした心の柔らかさも物を褒める心の表れとして好意的に描く。弟の重通は、源氏物語の匂宮・薫のように良い香りをただよわせていたという。
語釈・文法注
- 侍從大納言成通
- 藤原成通(1097〜1162?)。宗通の子。蹴鞠の名手で「鞠聖」と呼ばれた。
- 今樣
- 平安中期から流行した新しい歌謡。七五調四句が多い。
- 鞠足
- 蹴鞠をする人。蹴鞠の名手。
- 釋迦のみのりはしな〴〵に
- 今様の一節。
- 勾欄のほこぎ
- 高欄(欄干)の一番上の横木。
- ついぢ
- 築地。土を固めて造った塀。
- 宮內卿有賢
- 源有賢(1070〜1139)。楽人として知られた。
- 折烏帽子
- 頂を折り曲げた烏帽子。略式。
- 柿の水干
- 柿色に染めた水干。身分の低い者や忍びの姿。
- 江都王
- 中国の伝説的な色好みの王か。未詳。
- 呪師
- 法会の後などで呪術的な芸を演じた芸能者。
- 色ゆるされて
- 禁色(天皇の許しがなければ着られない色の衣服)を許されること。
- ひきわたの狩衣
- 真綿を入れた狩衣か。
- 資遠
- 検非違使。伝未詳。
- かとり
- 固織。目を細かく固く織った絹。
- 左大辨宰相顯業
- 藤原顕業(1090〜1148)。文章博士。
- やぶさめ
- 流鏑馬。馬を走らせながら的を射る武芸。
- 二條ノ帥
- 藤原長実。
- 法橋
- 僧位の一つ。法印・法眼に次ぐ。
- 大峯
- 大峰山。修験道の聖地。
- 按察の大納言重通
- 藤原重通(1099〜1161)。宗通の子。
- にほふ兵部卿かをる大將
- 源氏物語の匂宮と薫。ともに良い香りをただよわせる人物として描かれる。
文法
- いと〳〵苦しかるまじき事なり
- まったく困ることではない。
- こはいかにと見る程に
- これはどうしたことかと見ていると。
- ひきわたの麁々しく、思ほしめしけるにや
- 「麁々し」は粗野だ。引綿の狩衣を粗野だとお思いになったのだろうか。
和歌
白河の流れをたのむ心をばたれかは汲みてそらに知るべき
- 詠者
- 藤原成通
- 状況
- 崇徳天皇の十五首歌会で「述懐」の題で詠んだ歌。
修辞
- 掛詞
- 「白河」に白河の川と白河院をかける。
- 縁語
- 「流れ」「汲み」は川の縁語。
こゑせずはいかでしらまし春霞へだつるそらに歸る雁がね
- 詠者
- 藤原成通
- 状況
- 帰雁を詠んだ歌。
解説
成通の逸話は『古今著聞集』や『十訓抄』にも多く収められている。今鏡の語り手は、その超人的な技芸と、涙もろく優しい人柄の両面を生き生きと描き出している。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、245〜252頁(コマ137–141)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日