今鏡 第六「藤波の下」 第51章
弓の音
宗通の次男、太政大臣伊通は詩文と書にすぐれたが、口の悪い皮肉屋として知られた。宰相のまま上臈を越えられて官を返上し、牛車を大路で焼いて籠居したが、やがて異例の昇進で中納言となる。籠居の折に借りた弓を返す時の歌、娘の九条院呈子の歌などが語られる。
- 1そのそのその宗通宗通むねみちののの大納言大納言だいなごんののの次郞次郞じろうにおはせしにおはせしにおわせし、、、太政大臣太政大臣だいじょうだいじん通通つうのおとゞおはしきのおとゞおはしきのおとどおわしき。。。詩詩しなどなどなど作作つくりりり給給たまふかたふかたうかた、、、いとよくおはしけりいとよくおはしけりいとよくおわしけり。。。手手てもよくかきもよくかきもよくかき給給たまひけりひけりいけり。。。
- 2よきよきよき上達部上達部かんだちめとておはしけるにとておはしけるにとておわしけるに、、、あまりいちあまりいちあまりいちはやはやはやくてくてくて、、、世世よののの物物ものいひにてぞおはしけるいひにてぞおはしけるいいにてぞおわしける。。。こもりゐこもりゐこもりい給給たまへりしへりしえりし折折おりももも、、、御幸御幸みゆきなどなどなど見見み給給たまひてひていてははは「「「大夫大夫だいぶ變變へんじてじてじて、、、百百ひゃく殿上人殿上人てんじょうびとになりにけりになりにけりになりにけり」」」。。。
- 3などのたまひなどのたまひなどのたまい、、、またまたまた「「「籠籠こもりゐたるりゐたるりいたるははは苦苦くるしからねどしからねどしからねど、、、世世よににに交交まじらららはははまほしきことまほしきことまほしきことははは、、、人人ひとのいたくのいたくのいたく烏帽子烏帽子えぼうしのしりのしりのしり高高たかくあげたるにくあげたるにくあげたるに、、、うなじのくぼにゆひてうなじのくぼにゆひてうなじのくぼにゆいて、、、出出いでんとおもふなりでんとおもふなりでんとおもうなり」」」。。。
- 4などなどなど、、、世世よににに似似にぬやうにのたまひけりぬやうにのたまひけりぬようにのたまいけり。。。またまたまた右衞門右衞門うえもんノノノ督督かみ、、、武者武者むしゃおこしてのちおこしてのちおこしてのち、、、除目除目じもくををを行行おこなへりしへりしえりし見見み給給たまひてひていてははは、、、「「「などなどなど、、、ははは官官がんもならぬにかあらんもならぬにかあらんもならぬにかあらん。。。井井いこそこそこそ人人ひとははは多多おおくくく殺殺ころしたれしたれしたれ」」」。。。
- 5などなどなど、、、かやうのことかやうのことかようのことをををのみのみのみ、、、ののの給給たまふふう人人ひとになんおはしけるになんおはしけるになんおわしける。。。籠籠こもりりり居居い給給たまひしひしいし事事ことははは、、、宰相宰相さいしょうにおはせしににおはせしににおわせしに、、、われよりわれよりわれより上﨟上﨟じょうろう四人四人よたり中納言中納言ちゅうなごんになれるにになれるにになれるに、、、我我われれれひとりひとりひとり殘殘のこりたりりたりりたり。。。
- 6譬譬たとひひひ上﨟上﨟じょうろうなりともなりともなりとも、、、後後のちににに宰相宰相さいしょうになりたるになりたるになりたる人人ひともありもありもあり。。。我我われこそれこそれこそ成成なるべきにるべきにるべきに、、、ひとりならずとてひとりならずとてひとりならずとて、、、宰相宰相さいしょうをもをもをも、、、兵衞兵衞ひょうえノノノ督督かみをもをもをも中宮中宮ちゅうぐうノノノ權大夫權大夫ごんのだいぶをもをもをも、、、皆皆みなたてまつりてたてまつりてたてまつりて、、、久久ひさしくしくしく籠籠こもりりり給給たまへりきへりきえりき。。。
- 7人人ひとににに越越こえられたるえられたるえられたる事事こともなしもなしもなし。。。ことことこと人人ひとならばさてもおはすべけれどもならばさてもおはすべけれどもならばさてもおわすべけれども、、、腹立腹立はらだちてちてちて籠籠こもりりり給給たまへりしにへりしにえりしに、、、、、、宰相宰相さいしょうののの太郞太郞たろう子子こにおはせしにおはせしにおわせし、、、讚岐讚岐さぬきののの帝帝みかどののの、、、御御おんおぼえにおはせしおぼえにおはせしおぼえにおわせし程程ほどににに、、、太政大臣太政大臣だいじょうだいじん、、、さきのさきのさきの宰相宰相さいしょうにてにてにて、、、なりもかへらでなりもかへらでなりもかえらで、、、中納言中納言ちゅうなごんになりになりになり給給たまひきひきいき。。。
- 8ののの座座ざののの除目除目じもくににに、、、上達部上達部かんだちめになるになるになる例例れいははは、、、これやこれやこれや始始はじめにてめにてめにて侍侍はべりけんとぞりけんとぞりけんとぞ聞聞きききき侍侍はべりしりしりし。。。內內うちよりよりより院院いんににに申申もうさせさせさせ給給たまひひい、、、「「「はからはせたまへとはからはせたまへとはからわせたまえと、、、關白關白かんぱくにおほせられよにおほせられよにおおせられよ」」」。。。
- 9などなどなど申申もうさせたまひけるにやさせたまひけるにやさせたまいけるにや。。。さまでさまでさまで御御おんけしきもあしくもなかりければけしきもあしくもなかりければけしきもあしくもなかりければ、、、なさむとせさせなさむとせさせなさむとせさせ給給たまふふうををを、、、法性寺法性寺ほっしょうじのおとゞのおとゞのおとど關白關白かんぱくにてにてにて、、、あるまじきことゝあるまじきことゝあるまじきこととたび〳〵たび〳〵たびたび申申もうさせさせさせ給給たまひければひければいければ、、、いつとなくしぶらせいつとなくしぶらせいつとなくしぶらせ給給たまひけれどひけれどいけれど、、、院院いんにににたび〳〵たび〳〵たびたび御使御使おおんつかいなどありてなどありてなどありて、、、陣陣じんののの座座ざにてにてにて中納言中納言ちゅうなごんになりになりになり給給たまひにきひにきいにき。。。
- 10御前御前おまえにてにてにて行行おこなはるゝはるゝわるる除目除目じもくにこそにこそにこそ、、、上達部上達部かんだちめはははなさるなるになさるなるになさるなるに、、、これよりこれよりこれよりはじまりてはじまりてはじまりて、、、此此こののの頃頃ごろはははさてなさるゝとぞさてなさるゝとぞさてなさるるとぞ聞聞きこえこえこえ侍侍はべるるる。。。うへのうへのうえの御兄御兄おおんあに人人ひとなればなればなれば、、、殿殿どのにににはははさりがたくおはすべけれどさりがたくおはすべけれどさりがたくおわすべけれど、、、例例れいなきなきなき事事ことととと申申もうさせさせさせ給給たまひけるにこそひけるにこそいけるにこそ。。。
- 11官官つかさをもをもをも返返かえしたてまつりてしたてまつりてしたてまつりて、、、入入いりこもりりこもりりこもり給給たまひけるひけるいける時時とき、、、ののの車車くるまやぶりてやぶりてやぶりて、、、家家いえののの前前さきののの大宮大宮おおみやおもてのおもてのおもての大路大路おおじにてにてにて、、、とりいだしてとりいだしてとりいだして燒燒やききき失失うしなひたまひけるひたまひけるいたまいけるははは、、、ののの日日ひにてにてにて侍侍はべりけるとかやりけるとかやりけるとかや。。。
- 12さてさてさて紺紺こんののの水干水干すいかんににに、、、くれなゐのくれなゐのくれないの衣衣ころもとかとかとか着着きててて、、、馬馬うまにてにてにてへへへ、、、かねとかいふあそびがりかねとかいふあそびがりかねとかいうあそびがり、、、おはしけるおはしけるおわしける道道みちににに、、、鳥羽鳥羽とばののの櫻櫻さくらをををなんなんなん好好よききき給給たまひけるひけるいける。。。
- 13かくてかくてかくて月日月日つきいをををわたりてありかんとわたりてありかんとわたりてありかんと思思おもふとふとうと、、、院院いんののの御御おんおぼえなりしおぼえなりしおぼえなりし中納言中納言ちゅうなごんににに消息消息しょうそこししし給給たまひければひければいければ、、、さもとおぼしめしけれどさもとおぼしめしけれどさもとおぼしめしけれど、、、うちうちうち任任まかせてもえなくてせてもえなくてせてもえなくて、、、みかどのせさせみかどのせさせみかどのせさせ給給たまふふう、、、あかざりけるなるべしあかざりけるなるべしあかざりけるなるべし。。。
- 14さきのさきのさきの宰相宰相さいしょうにてにてにて中納言中納言ちゅうなごんになるになるになる例例れいなきなきなき事事ことなれどなれどなれど、、、國國くにののの宇治宇治うじににに籠籠こもりゐてりゐてりいて、、、前前さきのノノノ中納言中納言ちゅうなごんよりよりより大納言大納言だいなごんになりたるになりたるになりたる事事ことののの准准じゅんらへつべきによりてぞらへつべきによりてぞらえつべきによりてぞ成成なりりり給給たまひけるひけるいける。。。
- 15宰相宰相さいしょうにまづかへしなさんとにまづかへしなさんとにまずかえしなさんと御氣色御氣色みけしきありけるありけるありけるををを、、、さてさてさてはははありかんともなかりければありかんともなかりければありかんともなかりければ、、、かたきことなりとかたきことなりとかたきことなりと侍侍はべりけるなるべしりけるなるべしりけるなるべし。。。さていりこもりさていりこもりさていりこもり給給たまひしひしいし時時とき、、、ノノノ院院いん大將大將だいしょうまだまだまだ中納言中納言ちゅうなごんなどなどなど申申もうしゝしゝしし折折おりにやにやにや。。。
- 16そのそのその弓弓ゆみをををかりかりかり給給たまへりけるがへりけるがえりけるが、、、つかさたてまつりてつかさたてまつりてつかさたてまつりて、、、返返かえしたまふとてしたまふとてしたまうとて、、、
- 17とゝせとゝせととせ餘餘あまりりり手手てならしたりしならしたりしならしたりし梓弓梓弓あずさゆみ返返かえすにつけてねぞなかれけるすにつけてねぞなかれけるすにつけてねぞなかれける
- 18とととはべりけるかへしにはべりけるかへしにはべりけるかえしに、、、中中なかノノノ院院いん、、、
- 19さりとてもさりとてもさりとても思思おもひなひないな捨捨すてそてそてそ梓弓梓弓あずさゆみひきかへすひきかへすひきかえす世世よももも有有ありもこそすれりもこそすれりもこそすれ
- 20ととと侍侍はべりけるかひありてりけるかひありてりけるかいありて、、、右衞門右衞門うえもんノノノ督督かみになりになりになり給給たまへりきへりきえりき。。。御御おんむすめむすめむすめ近衞近衞こんえのみかどののみかどののみかどの御時御時おおんとき、、、女御女御にょうごにまゐりにまゐりにまいり給給たまへりしへりしえりし、、、后后きさきにたちにたちにたち給給たまひてひていて、、、帝帝みかどかくれさせかくれさせかくれさせ給給たまひにしかばひにしかばいにしかば、、、御御おんぐしおろしぐしおろしぐしおろし給給たまひてけりひてけりいてけり。。。
- 21ノノノ院院いんととと申申もうすなるべしすなるべしすなるべし。。。法性寺殿法性寺殿ほっしょうじどのののの御子御子みことてとてとて參參まいりりり給給たまへれどへれどえれど、、、誠誠まことにににはははこのこのこの御子御子みこなればなればなれば、、、いとめでたきいとめでたきいとめでたき御名御名みななりなりなり。。。きさきにきさきにきさきにははは立立たちちち給給たまへれどへれどえれど、、、院院いんののの御女御女おおんむすめ、、、一一いちののの人人ひとのなどならぬのなどならぬのなどならぬははは、、、かたきかたきかたき事事ことにてぞにてぞにてぞ侍侍はべるなるるなるるなる。。。
- 22御御おんみめもみめもみめも御御おんけはひもけはひもけわいも、、、いとらうあるいとらうあるいとろうある人人ひとになんおはすとてになんおはすとてになんおわすとて、、、鳥羽鳥羽とばノノノ院院いんもいともいともいと有有ありりり難難がたくとぞくとぞくとぞほめさせほめさせほめさせ給給たまひけるひけるいける。。。近衞近衞こんえのみかどのかくれさせのみかどのかくれさせのみかどのかくれさせ給給たまひてひていて、、、御御おんぐしおろしたまひてまたのぐしおろしたまひてまたのぐしおろしたまいてまたの年年とし、、、五月五月さつきのいつかののいつかののいつかの日日ひ、、、にたてまつらせにたてまつらせにたてまつらせ給給たまひけるひけるいける、、、
- 23あやめあやめあやめ草草くさひきたがへたるひきたがへたるひきたがえたる袂袂たもとにににははは昔昔むかしをををこふるねぞかゝりけるこふるねぞかゝりけるこうるねぞかかりける
- 24御御おんかへしかへしかえし
- 25さもこそさもこそさもこそははは同同おなじじじ袂袂たもとののの色色いろならめかはらぬねならめかはらぬねならめかわらぬねをもをもをもかけてけるかなかけてけるかなかけてけるかな
- 26ととと侍侍はべりけるとぞりけるとぞりけるとぞ聞聞きこえこえこえ侍侍はべりしりしりし。。。
- 27太政太政だいじょうのおとゞののおとゞののおとどの太郞太郞たろうにておはせしにておはせしにておわせし、、、宰相宰相さいしょうとてとてとてうせうせうせ給給たまひにきひにきいにき。。。そのそのその宰相宰相さいしょうははは二郞二郞じろうかかか太郞太郞たろうかにおはすとてかにおはすとてかにおわすとて、、、おほぢのおほぢのおおじの大納言殿大納言殿だいなごんどの、、、ぎみとわらぎみとわらぎみとわらははは名名なをををつけつけつけ申申もうししし給給たまひけりひけりいけり。。。
- 28そのそのその宰相宰相さいしょうののの御子御子みこははは、、、此此こののの頃頃ころ通通つうののの少將少將しょうしょうととと申申もうすなるすなるすなる、、、侍從大納言侍從大納言じじゅうのだいなごんののの子子こにしにしにし給給たまひておはしけりひておはしけりいておわしけり。。。またもまたもまたも御子御子みこはははおはすとぞおはすとぞおわすとぞ。。。中納言中納言ちゅうなごんととと申申もうしゝしゝししははは、、、顯隆顯隆あきたかののの中納言中納言ちゅうなごんのむすめののむすめののむすめの腹腹はらにてにてにて、、、むかひばらとてむかひばらとてむかいばらとて、、、むねとしむねとしむねとし給給たまひしかばひしかばいしかば、、、兄兄あにののの宰相宰相さいしょうよりもよりもよりも、、、ときめきときめきときめき給給たまひきひきいき。。。
- 29あにおとゝあにおとゝあにおとと皆皆みな笛笛ふえをぞをぞをぞ吹吹ふききき給給たまひしひしいし。。。ふたりふたりふたりながらおながらおながらおほいほいほい殿殿どのよりさきによりさきによりさきに、、、かくれかくれかくれ給給たまひにきひにきいにき、、、伊實伊實これざねののの中納言中納言ちゅうなごんののの子子こににに、、、少將少將しょうしょう侍從侍從じじゅうなどなどなど申申もうしておはすなりしておはすなりしておわすなり。。。
- 30宗通宗通むねみちののの大納言大納言だいなごんののの三郞三郞さぶろうにてにてにて、、、通通かよ前前さきのノノノ備後守備後守びんごのかみとておはしきとておはしきとておわしき。。。文文ふみのかたものかたものかたも知知しりりり給給たまひきひきいき。。。箏箏そうのことのことのこと琵琶琵琶びわなどなどなど、、、ならびなくすぐれておはしけるならびなくすぐれておはしけるならびなくすぐれておわしけるををを、、、兵衞兵衞ひょうえノノノ佐佐すけよりよりより四位四位しいししし給給たまひてひていて、、、このこのこの御中御中おおんなかににに上達部上達部かんだちめにもなりにもなりにもなり給給たまはざりしぞくちをしきはざりしぞくちをしきわざりしぞくちおしき。。。
- 31さやうのさやうのさようの道道みちのすぐれのすぐれのすぐれ給給たまへるにつけてもへるにつけてもえるにつけても、、、色色いろめきすぐしめきすぐしめきすぐし給給たまへりけるにやへりけるにやえりけるにや。。。
現代語訳
その宗通の大納言の次男でいらした方が、太政大臣伊通の大臣です。詩などをお作りになる方面は、たいそうすぐれていらっしゃいました。字もお上手でした。よい上達部でいらっしゃったけれど、あまりに鋭くて、世の毒舌家でいらっしゃいました。籠居していらした時も、御幸などをご覧になっては「百大夫が化けて、百人の殿上人になってしまった」などとおっしゃり、また「籠居しているのは苦しくないが、世間に交わりたいのは、人がひどく烏帽子の後ろを高く上げているのに、(自分は)うなじのくぼに結って出かけてやろうと思うからだ」などと、世間離れしたようにおっしゃいました。また信頼右衛門督が武者を起こして(平治の乱)、その後に除目を行ったのをご覧になっては、「どうして井戸は官職にならないのだろう。井戸こそ人を大勢殺しているのに」などと、このようなことばかりおっしゃる人でいらっしゃいました。籠居なさったわけは、宰相でいらした時、自分より上臈の四人が中納言になったのに、自分一人が残った。たとえ上臈であっても後から宰相になった人もいる。自分こそなるべきなのに一人だけならなかったといって、宰相も、兵衛督も、中宮権大夫も、皆返上して、長く籠居なさったのでした。人に越えられたこともない(のに)。ほかの人ならそのままでいらっしゃるはずだけれども、腹を立てて籠居なさっていたところ、為通が、宰相(伊通)の長男でいらして、讃岐の帝(崇徳)のご寵愛でいらしたころに、(伊通は)太政大臣(へと至る人だが、この時)前宰相のまま、宰相に戻りもせずに中納言になられました。陣の座の除目で上達部になる例は、これが初めでございましたろうと聞きました。帝から院(鳥羽院)に申し上げなさり、「お計らいくださいと関白に仰せください」などと申し上げなさったのでしょうか。それほどご機嫌も悪くなかったので、(院は)任じようとなさったが、法性寺の大臣(忠通)が関白で、あってはならないことだとたびたび申し上げなさったので、いつまでもためらっていらしたけれど、院からたびたび御使いなどがあって、陣の座で中納言になられたのでした。御前で行われる除目でこそ上達部は任じられるものなのに、これから始まって、このごろはそのように任じられると聞こえます。(忠通の)奥方の御兄なので、殿(忠通)としては避けがたい間柄でいらっしゃるはずだけれど、例のないことだと申し上げなさったのでしょう。
官職を返上して籠居なさった時、檳榔毛の車を壊して、家の前の大宮大路で取り出して焼き捨てなさったのは、節会の日だったとか。そして紺の水干に紅の衣とかを着て、馬で川尻へ、かねとかいう遊女のもとへいらした道で、鳥羽の桜を愛されました。「こうして月日を過ごして出歩こうと思う」と、院のご寵愛であった中納言に手紙をなさったので、(院は)もっともだとお思いになったけれど、簡単にはかなえられなくて、帝がなさったのも、(院には)物足りなかったのでしょう。前宰相から中納言になる例はないことだけれど、隆国が宇治に籠居して、前中納言から大納言になったことになぞらえることができるということで、なられたのでした。まず宰相に戻そうという御意向があったのを、それでは出歩くこともできないと思ったので、難しいことだと(伊通が)申したのでしょう。さて籠居なさった時、中院の大将(雅定)がまだ中納言などと申した折でしょうか、その弓を借りていらしたのを、官職を返上して(弓も)お返しになるといって、
十年余りも手に慣らしてきた梓弓を返すにつけても、弦の音ならぬ泣き声が、思わず出てしまうことです。
とありました返歌に、中院(雅定)が、
そうであっても、思い捨ててはいけません。梓弓を引き返すように、世が引き返す(よい時がめぐってくる)こともあるかもしれないのですから。
とありました甲斐があって、(伊通は)右衛門督になられたのでした。御娘が近衛の帝の御代に女御として入内なさった方は、后にお立ちになって、帝がお亡くなりになったので、御髪をおろされました。九条院と申し上げるのでしょう。法性寺殿(忠通)の御子として入内なさったけれど、本当はこの(伊通の)御子なので、たいそうめでたい御名です。后にはお立ちになったけれど、院の御娘や一の人の(御娘)などでない方は、難しいことでございます。御容貌もご様子も、たいそう洗練された方でいらっしゃるといって、鳥羽院もたいそうめったにないとお褒めになりました。近衛の帝がお亡くなりになって、御髪をおろされた翌年、五月五日に、皇嘉門院に差し上げなさった歌、
菖蒲を引くのとは引き違えた(喪服の)袂には、昔を恋い慕う泣き声(菖蒲の根)がかかっていることです。
御返歌
あなたも私も同じ(喪服の)袂の色なのでしょう。変わらない泣き声(菖蒲の根)をかけてくださったことです。
とありましたと聞こえました。
太政大臣(伊通)の長男でいらした方は、宰相として亡くなられました。その宰相は次男か長男かでいらっしゃるといって、祖父の大納言殿(宗通)が「自他君」と童名をおつけ申し上げなさいました。その宰相の御子は、このごろ泰通の少将と申す方で、侍従大納言(成通)が養子になさっていらっしゃいました。ほかにも御子がいらっしゃるとか。伊実中納言と申した方は、顕隆中納言の娘の腹で、正妻腹といって大切になさったので、兄の宰相よりも時めいていらっしゃいました。兄弟とも皆笛をお吹きになりました。お二人とも、大殿(伊通)より先に亡くなられました。伊実中納言の子に、少将・侍従などと申していらっしゃるようです。宗通の大納言の三男として、季通前備後守という方がいらっしゃいました。学問の方面も心得ていらっしゃいました。箏の琴・琵琶などは並ぶ者なくすぐれていらっしゃったのに、兵衛佐から四位になられて、この御一門の中で上達部にもなられなかったのは残念なことです。そのような道にすぐれていらっしゃるにつけても、好色に過ごしすぎていらしたのでしょうか。
意訳
藤原伊通は宗通の子で、のちに太政大臣に至り、為政の心得を説いた『大槐秘抄』を著した。口が悪く、平治の乱後の除目を見て「井戸こそ人を多く殺したのに、なぜ官職にならないのか」と皮肉ったという話は有名である。
宰相の時、上臈四人が中納言に昇進したのに自分だけ取り残されたことに怒って官を返上し、愛用の牛車を大路で焼き捨てて籠居した。章題の「弓の音」は、この時に借りていた弓を返して詠んだ歌と、雅定の慰めの返歌による。
のち伊通は前宰相から一足飛びに中納言となった。陣の座の除目で公卿に任じられた初めの例という。娘の呈子は忠通の養女として近衛天皇の中宮となり(九条院)、天皇の崩御後に出家した。
語釈・文法注
- 太政大臣伊通
- 藤原伊通(1093〜1165)。宗通の子。太政大臣。『大槐秘抄』の著者。
- 百大夫
- 遊女や傀儡が祀った神。御幸に供奉する殿上人を遊女の神に見立てて皮肉った。
- 信賴右衞門ノ督
- 藤原信頼(1133〜1160)。平治の乱を起こし、斬られた。
- 井は官もならぬにかあらん
- 平治の乱で多くの人が井戸に投げ込まれて死んだことをふまえた皮肉。
- 爲通
- 藤原為通(1112〜1154)。伊通の子。崇徳天皇の寵臣。
- 陣の座の除目
- 本来、公卿の任命は天皇の御前の除目で行われたが、陣の座(公卿の会議の場)で任じられた。
- 檳榔毛の車
- 檳榔の葉を裂いて屋根を葺いた牛車。上級貴族が用いた。
- 節會
- 宮中の儀式の日の宴会。
- 川尻
- 淀川の河口。遊女の集まる所として知られた。
- 隆國
- 源隆国。宇治に籠居した後、大納言になった。第48章参照。
- 中ノ院大將
- 源雅定(1094〜1162)。中院右大臣。
- 九條ノ院
- 藤原呈子(1131〜1176)。伊通の娘。忠通の養女として近衛天皇の中宮となった。
- 皇嘉門院
- 藤原聖子(1122〜1182)。忠通の娘。崇徳天皇の中宮。
- 自他ぎみ
- 「自他君」。次男とも長男ともつかない(どちらでもある)という意の童名か。
- 泰通の少將
- 藤原泰通(1147〜1210)。成通の養子。
- 伊實中納言
- 藤原伊実(1126〜1160)。伊通の子。
- 季通
- 藤原季通。宗通の子。箏・琵琶の名手。
文法
- ひきかへす世も有りもこそすれ
- 「もこそ」は、…するかもしれない。
- なりもかへらで
- (宰相に)なり返りもしないで。
和歌
とゝせ餘り手ならしたりし梓弓返すにつけてねぞなかれける
- 詠者
- 藤原伊通
- 状況
- 官を返上して籠居した時、借りていた弓を源雅定に返して詠んだ歌。
修辞
- 掛詞
- 「ね」に弓の弦の「音」と泣く「音」をかける。
- 縁語
- 「梓弓」「返す」「ね(音)」は弓の縁語。
さりとても思ひな捨てそ梓弓ひきかへす世も有りもこそすれ
- 詠者
- 源雅定
- 状況
- 伊通の歌への返歌。
修辞
- 縁語
- 「梓弓」「ひき」は縁語。
- 掛詞
- 「ひきかへす」に弓を引き返すことと、世の運が引き返すことをかける。
あやめ草ひきたがへたる袂には昔をこふるねぞかゝりける
- 詠者
- 九条院呈子
- 状況
- 近衛天皇崩御の翌年の端午の節句に、同じく夫を亡くした皇嘉門院に贈った歌。
修辞
- 掛詞
- 「ね」に菖蒲の「根」と泣く「音」をかける。
さもこそは同じ袂の色ならめかはらぬねをもかけてけるかな
- 詠者
- 皇嘉門院
- 状況
- 九条院への返歌。
修辞
- 掛詞
- 「ね」に「根」と「音」をかける。
解説
伊通は今鏡の中でもとりわけ個性的な人物として描かれる。毒舌や奇行の数々は、硬直した官僚社会への批判とも読める。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、239〜244頁(コマ134–137)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日