今鏡 第六「藤波の下」 第50章
旅寝の床
俊家の末子、民部卿宗通は白河院の寵臣で、「あこまろの大納言」と呼ばれた。行尊僧正が泊まって忘れていった床(寝具)を返す時の歌が伝わる。宗通の子信通の早世、宗通と俊家の家に取りついた物の怪の話――土地を奪われた者たちの怨念――が語られる。
- 1末末すえののの子子こにやおはしけむにやおはしけむにやおわしけむ。。。大納言大納言だいなごんののの民部卿民部卿みんぶきょうととと申申もうしゝこそしゝこそししこそ、、、大宮大宮おおみやどののどののどのの御子御子みこにににははは、、、むねとむねとむねと時時ときめきめきめき給給たまひしかひしかいしか。。。末末すえももも廣廣ひろくくく榮榮さかえええ給給たまへりへりえり。。。白河白河しらかわノノノ院院いんののの御御おんおぼえのおぼえのおぼえの人人ひとにおはしきにおはしきにおわしき。。。
- 2あこまろのあこまろのあこまろの大納言大納言だいなごんとぞとぞとぞ聞聞きこえこえこえ侍侍はべりしりしりし。。。歌歌うたをもをもをもをかしくよみをかしくよみおかしくよみ給給たまひけるにこそひけるにこそいけるにこそ。。。のよゐしてのよゐしてのよいして、、、侍侍はべりけるりけるりけるををを、、、つかはすとてつかはすとてつかわすとて、、、よみよみよみ給給たまふこそふこそうこそ、、、いといといと昔昔むかしののの心心こころちしてちしてちして、、、
- 3草枕草枕くさまくらさこそかりねのとこならめけさしもおきてさこそかりねのとこならめけさしもおきてさこそかりねのとこならめけさしもおきて歸歸かえるべしやるべしやるべしやははは
- 4返返かえしししははは劣劣おとりたりけるにやりたりけるにやりたりけるにや。。。えええ聞聞きききき侍侍はべらざりきらざりきらざりき。。。そのそのその公達公達きんだちははは、、、ののの三位三位さんみのむすめののむすめののむすめの腹腹はらににに多多おおくおはしきくおはしきくおわしき。。。通通かよノノノ宰相宰相さいしょうノノノ中將中將ちゅうじょうととと申申もうしゝしゝしし、、、笛笛ふえののの上手上手じょうずにておはしけりにておはしけりにておわしけり。。。
- 5是是これれれははは世世よののの覺覺おぼえおはすとえおはすとえおわすと聞聞きこえこえこえ給給たまひきひきいき。。。白河白河しらかわノノノ院院いんののの殿上人殿上人てんじょうびとににに、、、武者武者むしゃののの裝束裝束しょうぞくせさせてせさせてせさせて御覽御覽ごらんじけるにじけるにじけるに、、、目目め結結ゆいののの水干水干すいかんきてきてきて、、、負負おひひい給給たまへりけるこそへりけるこそえりけるこそ、、、しなすぐれておはしけるにやしなすぐれておはしけるにやしなすぐれておわしけるにや。。。
- 6ことことこと人人ひとははは、、、ともともとも人人ひとののの樣樣さまにてにてにて、、、此此こののの君君きみこそあるじなどいはむやうにこそあるじなどいはむやうにこそあるじなどいわむように、、、おはしけるとおはしけるとおわしけると人人ひとののの申申もうしゝしゝしし、、、ひがことにやひがことにやひがことにや。。。はやはやはやみしてみしてみして亡亡うせせせ給給たまひにけりとぞひにけりとぞいにけりとぞ聞聞きききき侍侍はべりしりしりし。。。いといといと人人ひとののの死死しなぬやまひにこそなぬやまひにこそなぬやまいにこそ、、、常常つねはははきゝきゝきき侍侍はべるにるにるに。。。
- 7大方大方おおかたははは此此こののの末末すえののの、、、御御おん。。。民部卿民部卿みんぶきょうのののうせうせうせ給給たまひけるひけるいけるほどにもほどにもほどにも、、、「「「正正じょうがありつるがありつるがありつるははは、、、まだあるかまだあるかまだあるか」」」。。。などのなどのなどの給給たまはせければはせければわせければ、、、「「「さもさもさも侍侍はべらずらずらず。。。はかなくなりてはかなくなりてはかなくなりて、、、年年とし歷歷へ侍侍はべりにしりにしりにし者者ものののの、、、いかでかいかでかいかでか侍侍はべらんらんらん」」」。。。
- 8などなどなど人申人申ひともうしければしければしければ、、、「「「うやかきてうやかきてうやかきて、、、まさしくありつるものまさしくありつるものまさしくありつるものををを」」」。。。とのとのとの給給たまひけるひけるいけるははは、、、そのそのその家家いえ正正じょうといふがといふがというが親親おやのゆづりたるのゆづりたるのゆずりたる所所ところををを、、、とりとりとり給給たまひけるひけるいけるををを、、、辛辛からくくく思思おもひけるひけるいける程程ほどににに「「「文文ふみををを奉奉たてまつれれれ。。。預預あずけんけんけん」」」。。。
- 9などなどなど侍侍はべりければりければりければ、、、喜喜よろこびてびてびて奉奉たてまつりけれどりけれどりけれど、、、預預あずからざりけるとぞからざりけるとぞからざりけるとぞ聞聞ききききはべりしはべりしはべりし。。。家家いえ正正じょうとととははは、、、さねしげとてさねしげとてさねしげとて式部式部しきぶノノノ大夫大夫だいぶとかとかとか聞聞きこゆるがこゆるがこゆるが、、、をぢになんきこえしをぢになんきこえしおじになんきこえし。。。
- 10故故こ宰相宰相さいしょううせうせうせ給給たまひけるにもひけるにもいけるにも、、、「「「卿卿きょう殿殿とのおはしまさねばおはしまさねばおわしまさねば、、、候候そうらはんとてなんはんとてなんわんとてなん」」」。。。といひてといひてといいて出出いできたりけるとかやできたりけるとかやできたりけるとかや。。。さてそのさてそのさてその所所ところははは、、、むすめむすめむすめ尋尋たずねねね出出いだしてかへさるなどきこえだしてかへさるなどきこえだしてかえさるなどきこえ侍侍はべりしりしりし、、、後後のちいかゞいかゞいかが侍侍はべりけんりけんりけん。。。
- 11これならずこれならずこれならず大宮大宮おおみやのおのおのおほいどのゝほいどのゝほいどのの、、、ものゝけなどいふものゝけなどいふもののけなどいう者者ものももも侍侍はべるがるがるが、、、年老年老としおいたりけるいたりけるいたりける僧僧そうのしるのしるのしる所所ところ侍侍はべりけるりけるりけるををを、、、それもそれもそれも妨妨さまたげげげ給給たまひければひければいければ、、、參參まいりてりてりて中門中門ちゅうもんののの廊廊ろうににに、、、つとめてよりつとめてよりつとめてより、、、日日ひたくるまでたくるまでたくるまで居居いたりけれどたりけれどたりけれど、、、家人家人けにんももも御御おんけしきにやよりけんけしきにやよりけんけしきにやよりけん。。。
- 12申申もうしもつがざりけるしもつがざりけるしもつがざりけるををを、、、民部卿民部卿みんぶきょう幼幼おさなくてくてくて、、、うつくしきわかうつくしきわかうつくしきわか君君きみののの、、、遊遊あそびありきびありきびありき給給たまふにふにうに、、、このこのこの僧僧そうのいとほしくのいとほしくのいとおしくつく〴〵とつく〴〵とつくずくと居居おりければりければりければ、、、訪訪とぶらひてらひてらいて、、、われわれわれ申申もうさんとてさんとてさんとて、、、殿殿どのににに申申もうししし給給たまひければひければいければ、、、人人ひと出出いだしてだしてだして問問とはせはせわせ給給たまひけるにひけるにいけるに、、、「「「しか〴〵のしか〴〵のしかじかの所所ところのことのことのことうたへうたへうたえ申申もうししし侍侍はべるるる」」」。。。
- 13などなどなど申申もうしければしければしければ、、、そのそのその由由よしあるあるある事事ことなどなどなど、、、こまかにこまかにこまかに云云いひひい出出いだしだしだし給給たまへりけるへりけるえりけるををを、、、「「「ことわりのことわりのことわりの侍侍はべらんらんらんははは、、、とかくとかくとかく申申もうすべくもすべくもすべくも侍侍はべらずらずらず。。。年年としごろもごろもごろも知知しるべくてこそるべくてこそるべくてこそ、、、久久ひさしくもしりしくもしりしくもしり侍侍はべらめらめらめ。。。何何なにかかかははは申申もうすべからずすべからずすべからず。。。命命みことののの絕絕たえええ侍侍はべりなむずるりなむずるりなむずる事事ことのかなしくてのかなしくてのかなしくて」」」、、、ととと申申もうしければしければしければ、、、いはれのあればとていはれのあればとていわれのあればとて、、、かなひかなひかない侍侍はべらざりければらざりければらざりければ、、、「「「いかにもいかにもいかにも命命みこと絕絕たえええ侍侍はべりなんとすりなんとすりなんとす。。。たゞしたゞしただし若君若君わかぎみをばをばをばなさけおはしませばなさけおはしませばなさけおわしませば、、、守守まもりりり奉奉たてまつらんらんらん」」」ととと。。。
- 14申申もうしけれどしけれどしけれど、、、それもそれもそれも、、、ものゝけにものゝけにもののけに出出いでけるでけるでけるををを、、、「「「守守まもらんといひしらんといひしらんといいしははは」」」などありければなどありければなどありければ、、、「「「さささ申申もうししし契契ちぎりりり思思おもううう給給たまふればふればうれば、、、守守まもりりり奉奉たてまつるにるにるに、、、そのそのその御御おんゆかりとゆかりとゆかりと思思おもふによりてふによりてうによりて、、、おのづからおのづからおのずから參參まいりよるなりりよるなりりよるなり」」」とぞとぞとぞ云云いひけるひけるいける。。。
- 15宰相中將宰相中將さいしょうのちゅうじょうののの公公きんだちだちだちははは三位三位さんみのむすめののむすめののむすめの腹腹はらににに、、、通通かよ中將中將ちゅうじょうととと聞聞きこえこえこえ給給たまひしひしいし、、、つかさもつかさもつかさも辭辭じししし給給たまへりしへりしえりし、、、法師法師ほうしになりておはするとぞになりておはするとぞになりておわするとぞ。。。ことはらことはらことはらののの今一今一いまひと人人ひとおはするとかやおはするとかやおわするとかや。。。
- 16二人二人ふたりながらながらながら、、、いよのいよのいよの入道入道にゅうどうとぞきこえとぞきこえとぞきこえ給給たまひしひしいし、、、思思おもひかけぬやうなるひかけぬやうなるいかけぬようなる御名御名みななるべしなるべしなるべし。。。
現代語訳
(俊家の)末の子でいらしたでしょうか、大納言宗通の民部卿と申した方こそ、大宮殿(俊家)の御子の中では、とりわけ時めいていらっしゃいました。子孫も広く栄えていらっしゃいます。白河院のご寵愛の人でいらっしゃいました。「あこまろの大納言」と申しました。歌も趣深くお詠みになったようです。行尊僧正が宿直をして、床(寝具)を忘れて帰りましたのを届けるといってお詠みになった歌こそ、たいそう昔風の趣がして、
旅寝の仮の床だとしても、今朝それを置いたまま起きて帰ってしまってよいものでしょうか。
返歌は劣っていたのでしょうか、聞くことができませんでした。その公達は、顕季三位の娘の腹に大勢いらっしゃいました。信通の宰相中将と申した方は、笛の名手でいらっしゃいました。この方は世の評判がおありだと聞こえました。白河院が殿上人に武者の装束をさせてご覧になった時、滋目結の水干を着て胡籙を背負っていらしたのこそ、品格がすぐれていらしたのでしょうか。ほかの人々は供の者のようで、この君こそ主人などと言いそうな様子でいらっしゃったと人が申しましたが、間違いでしょうか。瘧病で亡くなられたと聞きました。たいして人の死なない病だと、いつもは聞いておりますのに。
だいたいこの御一族は、物の怪が強くていらっしゃるのでしょうか。民部卿(宗通)が亡くなられた時にも、「家正がいたが、まだいるか」などとおっしゃったので、「そうではございません。亡くなって年を経ました者が、どうしておりましょう」などと人が申すと、「うやうやしくひざまずいて、確かにいたのに」とおっしゃったのは、その家正という者が親の譲った土地を(宗通が)お取りになったのを、つらく思っていたところに、「寄進状を差し出せ。預けよう(管理を任せよう)」などとあったので、喜んで差し出したけれど、預けられなかったからだと聞きました。家正というのは、実重といって式部大夫とか聞こえる者の叔父と聞こえました。故宰相(信通)が亡くなられた時にも、(家正の霊が)「卿殿(宗通)がいらっしゃらないので、(代わりに)お仕えしようと思いまして」といって出てきたとか。それでその土地は、娘を探し出して返されたなどと聞こえましたが、その後どうでしたでしょうか。
このほかにも、大宮の大臣(俊家)の物の怪などという者もありますが、年老いた僧が知行している所がありましたのを、それも(俊家が)妨げなさったので、(僧が)参上して中門の廊に朝から日が高くなるまで座っていたけれど、家人も(主人の)ご機嫌をうかがってでしょうか、取り次ぎもしなかったのを、民部卿(宗通)が幼くて、かわいらしい若君として遊び歩いていらしたが、この僧が気の毒にもしみじみと座っていたので、声をかけて、「私が申し上げよう」といって殿に申し上げなさったので、人を出してお尋ねになったところ、「これこれの所のことを訴え申し上げます」などと申したので、そのいわれのあることなどを詳しく言い出されたのを、「道理がございますなら、とやかく申すべきでもございません。長年知行すべき道理があってこそ、長く知行もしてまいりました。どうして申し上げずにおられましょう。命が絶えてしまうようなことが悲しくて」と申したので、理由があるからといって(聞き入れず)、かなわなかったので、「どうしても命が絶えてしまうでしょう。ただし若君は情けがおありなので、お守り申しましょう」と申したけれど、それも物の怪となって出てきたので、「守ろうと言ったのは(どうしたのだ)」などと言われると、「そう申し約束したと存じておりますので、お守り申し上げておりますが、その御縁と思うことによって、自然と参り寄るのです」と言ったそうです。宰相中将(信通)の公達は、基隆三位の娘の腹に、行通中将と申した方は、官職も辞されて、法師になっていらっしゃるとか。別の腹にもう一人いらっしゃるとか。お二人とも伊予の入道と申しました。思いがけないような御名でしょう。
意訳
宗通は白河院の寵臣で、幼名をとって「あこまろの大納言」と呼ばれた。章題の「旅寝の床」は、行尊僧正が泊まって忘れた寝具を返す時の、宗通の歌による。
宗通の子信通は武者姿もりっぱな貴公子だったが、ふつうは死なないとされた瘧病で若死にした。語り手は、この一族には物の怪が強いのだろうと述べる。
土地を奪われて恨みを抱いた家正の霊は、宗通の臨終にも、信通の死にも現れた。俊家に土地を妨げられた老僧は、幼い宗通の優しさに感じて「若君は守ろう」と約束したが、物の怪となった後も、その縁ゆえに近寄ってしまうのだと語った。荘園をめぐる争いが怨霊を生む、院政期の社会がうかがえる話である。
語釈・文法注
- 大納言宗通
- 藤原宗通(1071〜1120)。俊家の子。白河院の寵臣。
- 行尊僧正
- 行尊(1055〜1135)。三井寺の僧。歌人。百人一首「もろともにあはれと思へ山桜」の作者。
- とこわすれ
- 寝具(床)を忘れること。
- 顯季の三位
- 藤原顕季(1055〜1123)。六条藤家の祖。歌人。
- 信通ノ宰相ノ中將
- 藤原信通(1091〜1120)。宗通の子。笛の名手。
- 滋目結の水干
- 細かい絞り染めの水干。
- やなぐひ
- 胡籙。矢を入れて背負う武具。
- わらはやみ
- 瘧病(おこり)。周期的に発熱する病。
- ものゝけ
- 人に取りついて病気や死をもたらす霊。
- 家正
- 伝未詳。宗通に土地を奪われた者。
- よせ文
- 寄進状。土地を有力者に寄進する文書。寄進した土地の管理を任されるのが通例だった。
- 基隆三位
- 藤原基隆(1075〜1132)。
- 行通中將
- 藤原行通。信通の子。
文法
- さこそかりねのとこならめ
- 「こそ…め」の逆接。仮の床だとしても。
- 申しもつがざりける
- 取り次ぎもしなかった。
和歌
草枕さこそかりねのとこならめけさしもおきて歸るべしやは
- 詠者
- 藤原宗通
- 状況
- 泊まった行尊僧正が寝具(床)を忘れて帰ったのを、届ける時に添えた歌。
修辞
- 枕詞
- 「草枕」は旅寝にかかる。
- 掛詞
- 「おきて」に「起きて」と「置きて」をかける。
解説
院政期には荘園の寄進がさかんに行われ、土地をめぐる争いも絶えなかった。この章の物の怪の話は、そうした争いの犠牲者の怨念として語られており、今鏡には珍しく暗い影を帯びている。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、236〜239頁(コマ133–134)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日