古典ライブラリー

今鏡 第六「藤波の下」 第49章

唐人の遊び

頼宗の子孫、宗忠と宗輔の兄弟。中御門右大臣宗忠は催馬楽の名手で、老人たちが集って詩を作る唐風の尚歯会を催した。弟の太政大臣宗輔は笛を極めたが風変わりな人で、菊や牡丹を育て、蜂を飼いならして名をつけて呼んだという。宗忠の子宗能、俊家の子の歌人基俊らにも話が及ぶ。

  1. 1按察あぜち按察あぜちあぜちののの御子みこ御子みこみこにてにてにて、、、備び備びび中なか中なかなか守かみ守かみかみ實さね實さねさね綱つな綱つなつなといひしといひしといいし博士はかせ博士はかせはかせののの女をんな女をんなおんなのののはらにはらにはらに、、、右大臣うだいじん右大臣うだいじんうだいじんのおとゞのおとゞのおとど、、、またまたまた堀川ほりかは堀川ほりかはほりかわののの左ひだり左ひだりひだりのおとゞののおとゞののおとどの御おん御おんおんむすめのむすめのむすめのはらにはらにはらに、、、太政だいじやう太政だいじやうだいじょうのおとゞのおとゞのおとどなどなどなど、、、近ちか近ちかちかくまでおはしきくまでおはしきくまでおわしき。。。
  2. 2右みぎ右みぎみぎのおとゞのおとゞのおとどははは中なか中なかなかノノノ御門みかど御門みかどみかどのおとゞとてのおとゞとてのおとどとて、、、馬むま馬むまうま樂がく樂がくがくののの上手じやうず上手じやうずじょうずにおはしてにおはしてにおわして、、、御遊おほんあそび御遊おほんあそびおおんあそびびなどにびなどにびなどにははは、、、常つね常つねつねににに拍子ひやうし拍子ひやうしひょうしとりとりとり給たま給たまたまひけりひけりいけり。。。才學さいがく才學さいがくさいがくおはしておはしておわして、、、齒は齒はは會ゑ會ゑえとてとてとて、、、年老としお年老としおとしおいたるいたるいたる時とき時ときときののの詩し詩しし作つく作つくつくりのなゝたりりのなゝたりりのななたり集あつ集あつあつまりてまりてまりて、、、文ふみ文ふみふみ作つく作つくつくるるる事こと事ことこと行おこな行おこなおこなひたまひきひたまひきいたまいき。。。
  3. 3からからから國くに國くにくににてにてにてははは、、、ぞぞぞ序ついで序ついでついでかきかきかき給たま給たまたまひてひていて、、、行おこな行おこなおこなひひい給たま給たまたまひけりひけりいけり。。。このこのこの國くに國くにくににににははは、、、これこれこれ加くは加くはくわへてへてえて、、、三み三みみたびになりにけりたびになりにけりたびになりにけり。。。からくににからくににからくににははは、、、ふたゝびまでまさりたるふたゝびまでまさりたるふたたびまでまさりたる事こと事ことことににに聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべりしにりしにりしに、、、近ちか近ちかちかくくくわたりたるからわたりたるからわたりたるから人ひと人ひとひとののの、、、またまたまた後のち後のちのちににに行おこな行おこなおこなひたるひたるいたる、、、もてわたりたりけるとぞもてわたりたりけるとぞもてわたりたりけるとぞ聞き聞ききききき侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。
  4. 4年とし年としとしののの老お老おおいたるいたるいたるををを、、、上﨟じやうらふ上﨟じやうらふじょうろうにてにてにて、、、庭には庭にはにわににに居ゐ居ゐい並なら並ならならびてびてびて詩し詩しし作つく作つくつくりなどりなどりなど遊あそ遊あそあそぶぶぶ事こと事ことことにぞにぞにぞ侍はべ侍はべはべるなるるなるるなる。。。此こ此ここのたびのたびのたびははは諸しよ諸しよしょ陵りよう陵りようりょうノノノ頭かしら頭かしらかしら康やす康やすやすといふといふという翁おきな翁おきなおきな、、、一いち一いちいちののの座ざ座ざざにてにてにて、、、そのそのその次つぎ次つぎつぎにこのおとゞにこのおとゞにこのおとど、、、大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんとておはしけんとておはしけんとておわしけん。。。
  5. 5いとやさしくいとやさしくいとやさしく侍はべ侍はべはべりしりしりし、、、藏人くらうど藏人くらうどくろうどノノノ頭かうべ頭かうべこうべよりよりより始はじ始はじはじめてめてめて、、、殿上人てんじやうびと殿上人てんじやうびとてんじょうびとしてしてして、、、からからから人ひと人ひとひとののの遊あそ遊あそあそびのびのびの如ごと如ごとごとくくく、、、此こ此ここののの世よ世よよののの事こと事ことことともともとも見み見みみえざりけりえざりけりえざりけり。。。弟おとうと弟おとうとおとうとののの宗輔むねすけ宗輔むねすけむねすけのおほきおとゞのおほきおとゞのおおきおとどははは笛ふえ笛ふえふえをぞをぞをぞ極きは極きはきわめめめ給たま給たまたまひけるひけるいける。。。
  6. 6あまりあまりあまり心こころ心こころこころばへばへばえふるめきてふるめきてふるめきて、、、このこのこの世よ世よよののの人ひと人ひとひとにににはははたがひたがひたがい給たま給たまたまへりけりへりけりえりけり。。。菊きく菊きくきくややや牡丹ぼたん牡丹ぼたんぼたんなどなどなど、、、めでたくめでたくめでたく大おほ大おほおおきにきにきに作つく作つくつくりりり立た立たたてゝてゝてて好この好このこのみもちみもちみもち、、、院ゐん院ゐんいんにもにもにも奉たてまつ奉たてまつたてまつりなどしてりなどしてりなどして、、、こと〳〵のこと〳〵のことことの世よ世よよののの用よう用ようよう事こと事ことことなどなどなど、、、いといといと申まう申まうもうししし給たま給たまたまふふう事こと事ことことなかりけりなかりけりなかりけり。。。
  7. 7餘あま餘あまあまりりり足あし足あしあしぞぞぞ早はや早はやはやくおはするとてくおはするとてくおわするとて、、、御供おほんとも御供おほんともおおんともののの人ひと人ひとひとももも追お追おおひつきひつきいつき申まう申まうもうさゞりけりさゞりけりさざりけり。。。思おも思おもおもひかけぬことにひかけぬことにいかけぬことにははは、、、蜂はち蜂はちはちといひてといひてといいて、、、人ひと人ひとひとさすさすさす蟲むし蟲むしむしをををなんなんなん好この好このこのみみみ飼か飼かかひひい給たま給たまたまひけるひけるいける。。。
  8. 8かうなるかうなるこうなる紙かみ紙かみかみなどになどになどに蜜みつ蜜みつみつぬりてぬりてぬりて、、、さゝげてありきさゝげてありきささげてありき給たま給たまたまへばへばえば、、、幾いく幾いくいくらともなくらともなくらともなく飛と飛ととびきてびきてびきて、、、遊あそ遊あそあそびけれどびけれどびけれど、、、大方おほかた大方おほかたおおかたつゆさしつゆさしつゆさし奉たてまつ奉たてまつたてまつることせざりけりることせざりけりることせざりけり。。。足あし足あしあし高たか高たかたか、、、角つの角つのつのみじかみじかみじか、、、はねまだらなどいふはねまだらなどいふはねまだらなどいう名な名ななつけてつけてつけて、、、呼よ呼よよばれければばれければばれければ、、、召め召めめしにしにしに從したが從したがしたがひてひていて聞き聞きききしりてなんきしりてなんきしりてなん來き來ききつゝつゝつつ群む群むむれゐけるれゐけるれいける。。。
  9. 9人ひと人ひとひとももも、、、いといといと定さだ定さださだめめめ給たま給たまたまはざりけるにやはざりけるにやわざりけるにや、、、幼をさな幼をさなおさなきめのわらきめのわらきめのわらはべはべはべをぞをぞをぞ、、、あまたあまたあまた御おん御おんおんふところにふところにふところにははは伏ふ伏ふふせておはしけるせておはしけるせておわしける。。。知し知ししりりり給たま給たまたまふふう所ところ所ところところよりよりより、、、何なに何なになにもてくらんとももてくらんとももてくらんとも知し知ししりりり給たま給たまたまはははででで、、、預あづか預あづかあずかりたるりたるりたる者もの者ものものなどなどなど、、、取と取ととりいづることあればりいづることあればりいずることあれば、、、「「「こここはははいづくなりつるぞいづくなりつるぞいずくなりつるぞ」」」などいひてなどいひてなどいいて、、、よによによに喜よろこ喜よろこよろこびたまひけりとぞびたまひけりとぞびたまいけりとぞ。。。
  10. 10おやおやおやははは大臣おとど大臣おとどおとどにもなりにもなりにもなり給たま給たまたまはざりしかどもはざりしかどもわざりしかども、、、此こ此ここののの二人ふたり二人ふたりふたりははは、、、高たか高たかたかくくく至いた至いたいたりりり給たま給たまたまへりきへりきえりき。。。
  11. 11中なか中なかなか御門みかど御門みかどみかどののの右みぎ右みぎみぎのおとゞのおとゞのおとど宗忠むねただ宗忠むねただむねただののの御子みこ御子みこみこははは、、、能よし能よしよしののの內大臣ないだいじん內大臣ないだいじんないだいじんととと聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまふふう。。。美濃みの美濃みのみの守かみ守かみかみ行ゆ行ゆゆ房ばう房ばうぼうののの女をんな女をんなおんなののの腹はら腹はらはらにやおはすらんにやおはすらんにやおわすらん。。。大臣おとど大臣おとどおとどももも辭じ辭じじししし給たま給たまたまひてひていて御おん御おんおんぐしおろしてぐしおろしてぐしおろして、、、まだおはすとぞまだおはすとぞまだおわすとぞうけたまはるうけたまはるうけたまわる。。。
  12. 12おとなしきおとなしきおとなしき人ひと人ひとひとだにだにだに此こ此ここののの世よ世よよにににはははおはせずおはせずおわせず。。。いかなるにかいかなるにかいかなるにか。。。わかきわかきわかき人ひと人ひとひとのみのみのみ、、、上達部かんだちめ上達部かんだちめかんだちめにもおはするにもおはするにもおわする世よ世よよににに、、、やそとせにややそとせにややそとせにや餘あま餘あまあまりりり給たま給たまたまひぬらんひぬらんいぬらん。。。ひとりひとりひとり殘のこ殘のこのこりたまへるとぞりたまへるとぞりたまえるとぞ。。。
  13. 13宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうノノノ中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうなどなどなど申まう申まうもうしゝしゝしし程ほど程ほどほど、、、ゆるされておはしけるとかやゆるされておはしけるとかやゆるされておわしけるとかや。。。讃岐さぬき讃岐さぬきさぬきののの帝みかど帝みかどみかどののの御時おほんとき御時おほんときおおんとき、、、御身おほんみ御身おほんみおおんみしたしきしたしきしたしき上達部かんだちめ上達部かんだちめかんだちめにもおはせぬににもおはせぬににもおわせぬに、、、思おも思おもおもひかけずなどきこえきひかけずなどきこえきいかけずなどきこえき。。。
  14. 14關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくかなとかなとかなと、、、あざけるあざけるあざける人ひと人ひとひとなどもおはしけるとかやなどもおはしけるとかやなどもおわしけるとかや。。。大方おほかた大方おほかたおおかたははは事こと事ことことににに明あき明あきあきらかにらかにらかに、、、はか〴〵しくおはしてはか〴〵しくおはしてはかばかしくおわして、、、御おん御おんおんさかしらなどもさかしらなどもさかしらなども、、、したまへばなるべししたまへばなるべししたまえばなるべし。。。
  15. 15易やす易やすやすきことなれどもきことなれどもきことなれども、、、幼をさな幼をさなおさなくおはしますくおはしますくおわします帝みかど帝みかどみかどなどなどなど、、、常つね常つねつねにににははは、、、五節ごせち五節ごせちごせちののの臺だい臺だいだいののの試こころ試こころこころみなどにみなどにみなどに、、、出い出いいでさせでさせでさせ給たま給たまたまふふう事こと事ことことまれなるにまれなるにまれなるに、、、讃岐さぬき讃岐さぬきさぬきのみかどのみかどのみかど、、、おとなにならせおとなにならせおとなにならせ給たま給たまたまひてひていて、、、はじめてはじめてはじめて出い出いいでさせでさせでさせ給たま給たまたまひしにひしにいしに、、、御おん御おんおん指貫さしぬき指貫さしぬきさしぬきははは、、、何なに何なになにののの紋もん紋もんもんといふといふという事こと事ことことももも、、、ののの藏人くらうど藏人くらうどくろうどおぼつかなくおもへるにおぼつかなくおもへるにおぼつかなくおもえるに、、、地ぢ地ぢじににに窠くわ窠くわかののの紋もん紋もんもんぞかしなどぞかしなどぞかしなど、、、藏人くらうど藏人くらうどくろうどノノノ頭とう頭とうとうにおはせしにおはせしにおわせし時とき時ときとき、、、のたまひなどしてのたまひなどしてのたまいなどして、、、さやうのさやうのさようの事こと事ことこと、、、明あき明あきあきらかにおはしきらかにおはしきらかにおわしき。。。
  16. 16みかどのみかどのみかどの御おん御おんおん指貫さしぬき指貫さしぬきさしぬきたてまつるたてまつるたてまつる事こと事ことことははは、、、ひとゝせにひとゝせにひととせに唯ただ唯ただただひとひとひと度たび度たびたびぞおはしませばぞおはしませばぞおわしませば、、、おぼつかなくおぼつかなくおぼつかなく思おも思おもおもへるもへるもえるも、、、ことわりなるべしことわりなるべしことわりなるべし。。。このおとゞもこのおとゞもこのおとども催もよほ催もよほもよお馬むま馬むまうま樂がく樂がくがくののの上手じやうず上手じやうずじょうずにおはしてにおはしてにおわして、、、御聲おほんこゑ御聲おほんこゑおおんこえめでたくおはすとぞめでたくおはすとぞめでたくおわすとぞ。。。
  17. 17そのそのその御子みこ御子みこみこははは、、、贈ぞう贈ぞうぞう左大臣さだいじん左大臣さだいじんさだいじん實み實みみののの御おん御おんおんむすめのむすめのむすめのはらにはらにはらに、、、中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんとておはすとぞとておはすとぞとておわすとぞ。。。
  18. 18右みぎ右みぎみぎのおとゞののおとゞののおとどの御子みこ御子みこみこははは宗むね宗むねむね成ぜい成ぜいぜいののの左大辨さだいべん左大辨さだいべんさだいべんののの宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうとておはしきとておはしきとておわしき。。。又また又またまた刑部おさかべ刑部おさかべおさかべ少輔せう少輔せうしょう宗むね宗むねむね重しげ重しげしげとてとてとて、、、琵琶びは琵琶びはびわひきひきひき給たま給たまたまふふう人ひと人ひとひとぞおはしけるぞおはしけるぞおわしける。。。何事なにごと何事なにごとなにごとののの侍はべ侍はべはべりけるにかりけるにかりけるにか。。。夜よ夜よよ河原かはら河原かはらかわらにてにてにて、、、はかなくなりはかなくなりはかなくなり給たま給たまたまひにけりひにけりいにけり。。。
  19. 19いかなるかたきいかなるかたきいかなるかたきをもをもをもちちち給たま給たまたまへりけるにかへりけるにかえりけるにか。。。又また又またまた山科寺やましなでら山科寺やましなでらやましなでらににに僧都そうづ僧都そうづそうずととと申まう申まうもうしゝもしゝもししも、、、皆同みなおな皆同みなおなみなおなじじじ御おん御おんおんはははらなるべしらなるべしらなるべし。。。そのそのその僧都そうづ僧都そうづそうずこそすぐれたるこそすぐれたるこそすぐれたる智者ちしや智者ちしやちしゃにおはすとにおはすとにおわすとうけうけうけ給たま給たまたまはははりしかりしかりしか。。。
  20. 20法ほふ法ほふほうももも能よ能よよくくく說と說ととききき給たま給たまたまふとてふとてうとて、、、鳥羽とば鳥羽とばとばノノノ院ゐん院ゐんいんなどにてもなどにてもなどにても、、、御講みかう御講みかうみこうつとめつとめつとめ給たま給たまたまひきひきいき。。。宗輔むねすけ宗輔むねすけむねすけのおほきおとゞののおほきおとゞののおおきおとどの御子みこ御子みこみこははは、、、前さきの前さきのさきのノノノ大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごん兵部卿ひやうぶきやう兵部卿ひやうぶきやうひょうぶきょうととと申まう申まうもうすとかやすとかやすとかや。。。笛ふえ笛ふえふえもおやのもおやのもおやの殿との殿とのとのばかりばかりばかりはははおはせずやあらんおはせずやあらんおわせずやあらん。。。
  21. 21吹ふ吹ふふきたまふとぞきたまふとぞきたまうとぞ申まう申まうもうすめるすめるすめる。。。大宮おほみや大宮おほみやおおみやののの右みぎ右みぎみぎのおとゞののおとゞののおとどの公達きんだち公達きんだちきんだちあまたおはしきあまたおはしきあまたおわしき。。。宰相中將さいしやうのちゆうじやう宰相中將さいしやうのちゆうじやうさいしょうのちゅうじょう兼かね兼かねかねととと申まう申まうもうしゝしゝしし、、、そのそのその御子みこ御子みこみこににに、、、少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうおはしきおはしきおわしき。。。宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうののの弟おとうと弟おとうとおとうとににに、、、ののの前さきの前さきのさきのノノノ左衞門さゑもん左衞門さゑもんさえもんノノノ佐すけ佐すけすけととと申まう申まうもうしゝしゝししははは、、、下野しもつけ下野しもつけしもつけ守かみ守かみかみ順じゆん順じゆんじゅん業わざ業わざわざときこえしむすめのときこえしむすめのときこえしむすめの腹はら腹はらはらにやおはしけんにやおはしけんにやおわしけん。。。
  22. 22そのそのその左衞門さゑもん左衞門さゑもんさえもんノノノ佐すけ佐すけすけははは、、、歌うた歌うたうたよみよみよみ詩し詩ししつくりにておはすとつくりにておはすとつくりにておわすと聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべりしがりしがりしが、、、さばかりのさばかりのさばかりの人ひと人ひとひとののの、、、五位ごゐ五位ごゐごいにてやみにてやみにてやみ給たま給たまたまひにしこそくちをしくひにしこそくちをしくいにしこそくちおしく、、、餘あま餘あまあまりすぐれてりすぐれてりすぐれて、、、人ひと人ひとひとににに似に似ににぬぬぬ事こと事ことことなどのけにやなどのけにやなどのけにや有あ有あありけんりけんりけん。。。
  23. 23「「「はもはもはもるるる淸水しみづ淸水しみづしみずいくむすびしついくむすびしついくむすびしつ」」」。。。などよみなどよみなどよみ給たま給たまたまへるぞかしへるぞかしえるぞかし。。。九十くじふ九十くじふくじゅうばかりまでおはしきばかりまでおはしきばかりまでおわしき。。。七しち七しちしちののの翁おきな翁おきなおきなにもにもにも入い入いいりりり給たま給たまたまへりけるとぞきこえへりけるとぞきこええりけるとぞきこえ侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。
  24. 24山やま山やまやまののの座主ざす座主ざすざす慶けい慶けいけいときこえしもときこえしもときこえしも、、、大宮おほみや大宮おほみやおおみやのおとゞののおとゞののおとどの御子みこ御子みこみことぞきこえしとぞきこえしとぞきこえし。。。大だい大だいだい乘の乘のの坊ばう坊ばうぼうとかやとかやとかや申まう申まうもうしけんしけんしけん。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

按察(宗俊)の御子として、備中守実綱といった博士の娘の腹に右大臣宗忠の大臣、また堀川の左大臣(俊房)の御娘の腹に太政大臣宗輔など、近ごろまでいらっしゃいました。右大臣(宗忠)は中御門の大臣といって、催馬楽の名手でいらして、御遊びなどでは、いつも拍子をとられました。学才がおありで、尚歯会といって、年老いた詩作りの七人が集まって詩を作る催しを行われました。唐土では白楽天が序を書かれて行われたのです。この国では、これを加えて三度になりました。唐土では二度までだったのにまさっていることだと聞こえましたが、近ごろ渡ってきた唐人が、また後に(唐土で)行ったものを持って渡ってきたと聞きました。年老いた者を上座にして、庭に居並んで詩を作るなどして遊ぶことだそうです。この度は諸陵頭為康という翁が一の座で、その次にこの大臣が大納言としていらしたのでしょう。たいそう優雅でございましたが、蔵人頭をはじめとして殿上人が相伴して、唐人の遊びのようで、この世のこととも見えませんでした。弟の宗輔の太政大臣は、笛を極められました。あまりに心ばえが古風で、この世の人とは違っていらっしゃいました。菊や牡丹などを見事に大きく作り育てて好んで持ち、院にも献上などして、ほかの世の用事などは、少しも申し上げなさることがありませんでした。あまりに足が早くいらっしゃるので、お供の人も追いつき申し上げられませんでした。思いがけないことには、蜂といって人を刺す虫を好んでお飼いになりました。香を焚きしめた紙などに蜜を塗って捧げ持って歩かれると、数知れず飛んできて遊んだけれど、およそ少しも刺し申し上げることはしませんでした。足高・角短・羽まだらなどという名をつけてお呼びになると、呼ばれるままに聞き分けて、やって来ては群がっていました。奥方などという人も、ちゃんとお決めにならなかったのでしょうか、幼い女の子たちを大勢、御懐に寝かせていらっしゃいました。ご領地から何を持ってくるかもご存じなくて、預かっている者などが取り出すことがあると、「これはどこから来たのか」などと言って、たいそうお喜びになったとか。親(宗俊)は大臣にもなられなかったけれども、この二人は高い位に至られました。

中御門の右大臣宗忠の御子は、宗能の内大臣と申し上げます。美濃守行房の娘の腹でいらっしゃるでしょうか。大臣も辞されて御髪をおろして、まだご存命と承っております。年配の人さえこの世にはいらっしゃらないのに、どうしたことでしょうか。若い人ばかりが上達部でいらっしゃる世に、八十歳を越えられたでしょうか、ただ一人残っていらっしゃるとか。宰相中将などと申したころ、直衣(での参内)を許されていらしたとか。讃岐の帝(崇徳)の御代に、帝と御身近な上達部でもいらっしゃらないのに、思いがけないことだなどと聞こえました。「わきの関白(傍らの関白)だな」とあざける人などもいらしたとか。だいたい物事に明るく、しっかりしていらして、出過ぎたことなどもなさったからでしょう。たやすいことですが、幼くいらっしゃる帝などは、五節の帳台の試みなどにお出ましになることはめったにないのに、讃岐の帝が大人になられて初めてお出ましになった時、御指貫は何の紋かということも、納殿の蔵人がよくわからないでいたのに、「霰地に窠の紋だよ」などと、(宗能が)蔵人頭でいらした時におっしゃったりして、そのようなことに明るくいらっしゃいました。帝が御指貫をお召しになることは、一年にただ一度でいらっしゃるので、わからなく思うのも道理でしょう。この大臣も催馬楽の名手でいらして、御声がすばらしくていらっしゃるとか。その御子は、贈左大臣長実の御娘の腹に、中納言としていらっしゃるとか。

右大臣(宗忠)の御子は、宗成の左大弁の宰相としていらっしゃいました。また刑部少輔宗重といって、琵琶を弾かれる人がいらっしゃいました。何があったのでしょうか、夜、河原で亡くなられてしまいました。どんな敵をお持ちだったのでしょう。また山科寺(興福寺)に覚静僧都と申した方も、皆同じ御腹なのでしょう。その僧都こそ、すぐれた智者でいらっしゃると承りました。仏法もよくお説きになるといって、鳥羽院などでも御講をお勤めになりました。宗輔の太政大臣の御子は、前大納言兵部卿と申すとか。笛も親の殿ほどではいらっしゃらないのでしょうか、(それでも)お吹きになると申すようです。大宮の右大臣(俊家)の公達は大勢いらっしゃいました。宰相中将師兼と申した方には、御子に少将がいらっしゃいました。宰相の弟に、基俊の前左衛門佐と申した方は、下野守順業と聞こえた人の娘の腹でいらしたでしょうか。その左衛門佐は、歌詠み・詩作りでいらっしゃると聞こえましたが、あれほどの人が五位で終わられたのは残念で、あまりにすぐれていて、人に似ないことなどのせいだったのでしょうか。「いはもる清水いくむすびしつ」などとお詠みになったのですよ。九十歳ほどまで生きていらっしゃいました。七人の翁(尚歯会)にも入られたと聞こえました。比叡山の座主寛慶と聞こえた方も、大宮の大臣の御子と聞こえました。大乗坊とか申したでしょうか。

意訳

中御門右大臣宗忠は日記『中右記』で知られる人物。保延元年(1135)、白河の自邸で尚歯会を催した。尚歯会は唐の白楽天が始めた、老人を敬って詩を作る会で、日本では貞観・安和に続く三度目とされる。章題の「唐人の遊び」はこれによる。

弟の宗輔は笛の名手だが、蜂を飼いならして名をつけて呼び、女の子たちを懐に寝かせ、自分の領地から何が届くかも知らないという、浮世離れした人物として描かれる。「蜂飼大臣」の名で後世にも伝えられた。

宗忠の子宗能は長寿で、今鏡の「今」にも八十を越えて健在だった。俊家の子基俊は、歌人・詩人として名高かったが五位にとどまった。藤原俊成の師としても知られる。

語釈・文法注

右大臣宗忠
藤原宗忠(1062〜1141)。宗俊の子。日記『中右記』の作者。中御門右大臣。
太政のおとゞ宗輔
藤原宗輔(1077〜1162)。宗俊の子。笛の名手。蜂を飼ったことで知られる。
催馬樂
古代の民謡を雅楽風に編曲した歌謡。
尙齒會
老人を敬い、七人の老人が集まって詩を作る会。唐の白居易が始めた。
白樂天
白居易(772〜846)。唐の詩人。
諸陵ノ頭爲康
三善為康(1049〜1139)。算博士。『朝野群載』の編者。
垣下
主客の相伴をする役。
うへ
奥方。正妻。
宗能の內大臣
藤原宗能(1085〜1170)。宗忠の子。
直衣ゆるされて
直衣での参内を許されること。特別の待遇。
わきの關白
関白のかたわらで政治に口出しする者、の意のあだ名。
五節の帳臺の試み
新嘗祭の五節の舞の前に、天皇が常寧殿で舞姫の舞を見る儀式。
納殿
宮中の宝物・衣服などを納める所。
霰地に窠の紋
霰(小さな四角)を敷き詰めた地に、窠(瓜を輪切りにしたような形)の文様。
贈左大臣長實
藤原長実(1075〜1133)。美福門院得子の父。
覺靜僧都
宗忠の子。興福寺の僧。
宰相中將師兼
藤原師兼(1048〜1081)。俊家の子。
基俊
藤原基俊(1060〜1142)。俊家の子。歌人。俊成の師。
いはもる淸水いくむすびしつ
基俊の歌の句。
山の座主寬慶
寛慶(1044〜1123)。俊家の子。天台座主。

文法

こと〳〵の世の用事など、いと申し給ふ事なかりけり
「いと…なし」で、少しも…ない。
御さかしらなども、したまへばなるべし
「さかしら」は、出過ぎたふるまい。

解説

蜂を飼う宗輔の話は『十訓抄』などにも見え、宗輔は「蜂飼の大臣」と呼ばれた。今鏡の語り手はこうした変わり者を、あきれながらも好意的に描いている。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、231〜235頁(コマ130–132)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日