今鏡 第六「藤波の下」 第49章
唐人の遊び
頼宗の子孫、宗忠と宗輔の兄弟。中御門右大臣宗忠は催馬楽の名手で、老人たちが集って詩を作る唐風の尚歯会を催した。弟の太政大臣宗輔は笛を極めたが風変わりな人で、菊や牡丹を育て、蜂を飼いならして名をつけて呼んだという。宗忠の子宗能、俊家の子の歌人基俊らにも話が及ぶ。
- 1按察按察あぜちののの御子御子みこにてにてにて、、、備備び中中なか守守かみ實實さね綱綱つなといひしといひしといいし博士博士はかせののの女女おんなのののはらにはらにはらに、、、右大臣右大臣うだいじんのおとゞのおとゞのおとど、、、またまたまた堀川堀川ほりかわののの左左ひだりのおとゞののおとゞののおとどの御御おんむすめのむすめのむすめのはらにはらにはらに、、、太政太政だいじょうのおとゞのおとゞのおとどなどなどなど、、、近近ちかくまでおはしきくまでおはしきくまでおわしき。。。
- 2右右みぎのおとゞのおとゞのおとどははは中中なかノノノ御門御門みかどのおとゞとてのおとゞとてのおとどとて、、、馬馬うま樂樂がくののの上手上手じょうずにおはしてにおはしてにおわして、、、御遊御遊おおんあそびびなどにびなどにびなどにははは、、、常常つねににに拍子拍子ひょうしとりとりとり給給たまひけりひけりいけり。。。才學才學さいがくおはしておはしておわして、、、齒齒は會會えとてとてとて、、、年老年老としおいたるいたるいたる時時ときののの詩詩し作作つくりのなゝたりりのなゝたりりのななたり集集あつまりてまりてまりて、、、文文ふみ作作つくるるる事事こと行行おこなひたまひきひたまひきいたまいき。。。
- 3からからから國國くににてにてにてははは、、、ぞぞぞ序序ついでかきかきかき給給たまひてひていて、、、行行おこなひひい給給たまひけりひけりいけり。。。このこのこの國國くににににははは、、、これこれこれ加加くわへてへてえて、、、三三みたびになりにけりたびになりにけりたびになりにけり。。。からくににからくににからくににははは、、、ふたゝびまでまさりたるふたゝびまでまさりたるふたたびまでまさりたる事事ことににに聞聞きこえこえこえ侍侍はべりしにりしにりしに、、、近近ちかくくくわたりたるからわたりたるからわたりたるから人人ひとののの、、、またまたまた後後のちににに行行おこなひたるひたるいたる、、、もてわたりたりけるとぞもてわたりたりけるとぞもてわたりたりけるとぞ聞聞きききき侍侍はべりしりしりし。。。
- 4年年としののの老老おいたるいたるいたるををを、、、上﨟上﨟じょうろうにてにてにて、、、庭庭にわににに居居い並並ならびてびてびて詩詩し作作つくりなどりなどりなど遊遊あそぶぶぶ事事ことにぞにぞにぞ侍侍はべるなるるなるるなる。。。此此このたびのたびのたびははは諸諸しょ陵陵りょうノノノ頭頭かしら康康やすといふといふという翁翁おきな、、、一一いちののの座座ざにてにてにて、、、そのそのその次次つぎにこのおとゞにこのおとゞにこのおとど、、、大納言大納言だいなごんとておはしけんとておはしけんとておわしけん。。。
- 5いとやさしくいとやさしくいとやさしく侍侍はべりしりしりし、、、藏人藏人くろうどノノノ頭頭こうべよりよりより始始はじめてめてめて、、、殿上人殿上人てんじょうびとしてしてして、、、からからから人人ひとののの遊遊あそびのびのびの如如ごとくくく、、、此此こののの世世よののの事事ことともともとも見見みえざりけりえざりけりえざりけり。。。弟弟おとうとののの宗輔宗輔むねすけのおほきおとゞのおほきおとゞのおおきおとどははは笛笛ふえをぞをぞをぞ極極きわめめめ給給たまひけるひけるいける。。。
- 6あまりあまりあまり心心こころばへばへばえふるめきてふるめきてふるめきて、、、このこのこの世世よののの人人ひとにににはははたがひたがひたがい給給たまへりけりへりけりえりけり。。。菊菊きくややや牡丹牡丹ぼたんなどなどなど、、、めでたくめでたくめでたく大大おおきにきにきに作作つくりりり立立たてゝてゝてて好好このみもちみもちみもち、、、院院いんにもにもにも奉奉たてまつりなどしてりなどしてりなどして、、、こと〳〵のこと〳〵のことことの世世よののの用用よう事事ことなどなどなど、、、いといといと申申もうししし給給たまふふう事事ことなかりけりなかりけりなかりけり。。。
- 7餘餘あまりりり足足あしぞぞぞ早早はやくおはするとてくおはするとてくおわするとて、、、御供御供おおんともののの人人ひとももも追追おひつきひつきいつき申申もうさゞりけりさゞりけりさざりけり。。。思思おもひかけぬことにひかけぬことにいかけぬことにははは、、、蜂蜂はちといひてといひてといいて、、、人人ひとさすさすさす蟲蟲むしをををなんなんなん好好このみみみ飼飼かひひい給給たまひけるひけるいける。。。
- 8かうなるかうなるこうなる紙紙かみなどになどになどに蜜蜜みつぬりてぬりてぬりて、、、さゝげてありきさゝげてありきささげてありき給給たまへばへばえば、、、幾幾いくらともなくらともなくらともなく飛飛とびきてびきてびきて、、、遊遊あそびけれどびけれどびけれど、、、大方大方おおかたつゆさしつゆさしつゆさし奉奉たてまつることせざりけりることせざりけりることせざりけり。。。足足あし高高たか、、、角角つのみじかみじかみじか、、、はねまだらなどいふはねまだらなどいふはねまだらなどいう名名なつけてつけてつけて、、、呼呼よばれければばれければばれければ、、、召召めしにしにしに從從したがひてひていて聞聞ききしりてなんきしりてなんきしりてなん來來きつゝつゝつつ群群むれゐけるれゐけるれいける。。。
- 9人人ひとももも、、、いといといと定定さだめめめ給給たまはざりけるにやはざりけるにやわざりけるにや、、、幼幼おさなきめのわらきめのわらきめのわらはべはべはべをぞをぞをぞ、、、あまたあまたあまた御御おんふところにふところにふところにははは伏伏ふせておはしけるせておはしけるせておわしける。。。知知しりりり給給たまふふう所所ところよりよりより、、、何何なにもてくらんとももてくらんとももてくらんとも知知しりりり給給たまはははででで、、、預預あずかりたるりたるりたる者者ものなどなどなど、、、取取とりいづることあればりいづることあればりいずることあれば、、、「「「こここはははいづくなりつるぞいづくなりつるぞいずくなりつるぞ」」」などいひてなどいひてなどいいて、、、よによによに喜喜よろこびたまひけりとぞびたまひけりとぞびたまいけりとぞ。。。
- 10おやおやおやははは大臣大臣おとどにもなりにもなりにもなり給給たまはざりしかどもはざりしかどもわざりしかども、、、此此こののの二人二人ふたりははは、、、高高たかくくく至至いたりりり給給たまへりきへりきえりき。。。
- 11中中なか御門御門みかどののの右右みぎのおとゞのおとゞのおとど宗忠宗忠むねただののの御子御子みこははは、、、能能よしののの內大臣內大臣ないだいじんととと聞聞きこえこえこえ給給たまふふう。。。美濃美濃みの守守かみ行行ゆ房房ぼうののの女女おんなののの腹腹はらにやおはすらんにやおはすらんにやおわすらん。。。大臣大臣おとどももも辭辭じししし給給たまひてひていて御御おんぐしおろしてぐしおろしてぐしおろして、、、まだおはすとぞまだおはすとぞまだおわすとぞうけたまはるうけたまはるうけたまわる。。。
- 12おとなしきおとなしきおとなしき人人ひとだにだにだに此此こののの世世よにににはははおはせずおはせずおわせず。。。いかなるにかいかなるにかいかなるにか。。。わかきわかきわかき人人ひとのみのみのみ、、、上達部上達部かんだちめにもおはするにもおはするにもおわする世世よににに、、、やそとせにややそとせにややそとせにや餘餘あまりりり給給たまひぬらんひぬらんいぬらん。。。ひとりひとりひとり殘殘のこりたまへるとぞりたまへるとぞりたまえるとぞ。。。
- 13宰相宰相さいしょうノノノ中將中將ちゅうじょうなどなどなど申申もうしゝしゝしし程程ほど、、、ゆるされておはしけるとかやゆるされておはしけるとかやゆるされておわしけるとかや。。。讃岐讃岐さぬきののの帝帝みかどののの御時御時おおんとき、、、御身御身おおんみしたしきしたしきしたしき上達部上達部かんだちめにもおはせぬににもおはせぬににもおわせぬに、、、思思おもひかけずなどきこえきひかけずなどきこえきいかけずなどきこえき。。。
- 14關白關白かんぱくかなとかなとかなと、、、あざけるあざけるあざける人人ひとなどもおはしけるとかやなどもおはしけるとかやなどもおわしけるとかや。。。大方大方おおかたははは事事ことににに明明あきらかにらかにらかに、、、はか〴〵しくおはしてはか〴〵しくおはしてはかばかしくおわして、、、御御おんさかしらなどもさかしらなどもさかしらなども、、、したまへばなるべししたまへばなるべししたまえばなるべし。。。
- 15易易やすきことなれどもきことなれどもきことなれども、、、幼幼おさなくおはしますくおはしますくおわします帝帝みかどなどなどなど、、、常常つねにににははは、、、五節五節ごせちののの臺臺だいののの試試こころみなどにみなどにみなどに、、、出出いでさせでさせでさせ給給たまふふう事事ことまれなるにまれなるにまれなるに、、、讃岐讃岐さぬきのみかどのみかどのみかど、、、おとなにならせおとなにならせおとなにならせ給給たまひてひていて、、、はじめてはじめてはじめて出出いでさせでさせでさせ給給たまひしにひしにいしに、、、御御おん指貫指貫さしぬきははは、、、何何なにののの紋紋もんといふといふという事事ことももも、、、ののの藏人藏人くろうどおぼつかなくおもへるにおぼつかなくおもへるにおぼつかなくおもえるに、、、地地じににに窠窠かののの紋紋もんぞかしなどぞかしなどぞかしなど、、、藏人藏人くろうどノノノ頭頭とうにおはせしにおはせしにおわせし時時とき、、、のたまひなどしてのたまひなどしてのたまいなどして、、、さやうのさやうのさようの事事こと、、、明明あきらかにおはしきらかにおはしきらかにおわしき。。。
- 16みかどのみかどのみかどの御御おん指貫指貫さしぬきたてまつるたてまつるたてまつる事事ことははは、、、ひとゝせにひとゝせにひととせに唯唯ただひとひとひと度度たびぞおはしませばぞおはしませばぞおわしませば、、、おぼつかなくおぼつかなくおぼつかなく思思おもへるもへるもえるも、、、ことわりなるべしことわりなるべしことわりなるべし。。。このおとゞもこのおとゞもこのおとども催催もよお馬馬うま樂樂がくののの上手上手じょうずにおはしてにおはしてにおわして、、、御聲御聲おおんこえめでたくおはすとぞめでたくおはすとぞめでたくおわすとぞ。。。
- 17そのそのその御子御子みこははは、、、贈贈ぞう左大臣左大臣さだいじん實實みののの御御おんむすめのむすめのむすめのはらにはらにはらに、、、中納言中納言ちゅうなごんとておはすとぞとておはすとぞとておわすとぞ。。。
- 18右右みぎのおとゞののおとゞののおとどの御子御子みこははは宗宗むね成成ぜいののの左大辨左大辨さだいべんののの宰相宰相さいしょうとておはしきとておはしきとておわしき。。。又又また刑部刑部おさかべ少輔少輔しょう宗宗むね重重しげとてとてとて、、、琵琶琵琶びわひきひきひき給給たまふふう人人ひとぞおはしけるぞおはしけるぞおわしける。。。何事何事なにごとののの侍侍はべりけるにかりけるにかりけるにか。。。夜夜よ河原河原かわらにてにてにて、、、はかなくなりはかなくなりはかなくなり給給たまひにけりひにけりいにけり。。。
- 19いかなるかたきいかなるかたきいかなるかたきをもをもをもちちち給給たまへりけるにかへりけるにかえりけるにか。。。又又また山科寺山科寺やましなでらににに僧都僧都そうずととと申申もうしゝもしゝもししも、、、皆同皆同みなおなじじじ御御おんはははらなるべしらなるべしらなるべし。。。そのそのその僧都僧都そうずこそすぐれたるこそすぐれたるこそすぐれたる智者智者ちしゃにおはすとにおはすとにおわすとうけうけうけ給給たまはははりしかりしかりしか。。。
- 20法法ほうももも能能よくくく說說とききき給給たまふとてふとてうとて、、、鳥羽鳥羽とばノノノ院院いんなどにてもなどにてもなどにても、、、御講御講みこうつとめつとめつとめ給給たまひきひきいき。。。宗輔宗輔むねすけのおほきおとゞののおほきおとゞののおおきおとどの御子御子みこははは、、、前前さきのノノノ大納言大納言だいなごん兵部卿兵部卿ひょうぶきょうととと申申もうすとかやすとかやすとかや。。。笛笛ふえもおやのもおやのもおやの殿殿とのばかりばかりばかりはははおはせずやあらんおはせずやあらんおわせずやあらん。。。
- 21吹吹ふきたまふとぞきたまふとぞきたまうとぞ申申もうすめるすめるすめる。。。大宮大宮おおみやののの右右みぎのおとゞののおとゞののおとどの公達公達きんだちあまたおはしきあまたおはしきあまたおわしき。。。宰相中將宰相中將さいしょうのちゅうじょう兼兼かねととと申申もうしゝしゝしし、、、そのそのその御子御子みこににに、、、少將少將しょうしょうおはしきおはしきおわしき。。。宰相宰相さいしょうののの弟弟おとうとににに、、、ののの前前さきのノノノ左衞門左衞門さえもんノノノ佐佐すけととと申申もうしゝしゝししははは、、、下野下野しもつけ守守かみ順順じゅん業業わざときこえしむすめのときこえしむすめのときこえしむすめの腹腹はらにやおはしけんにやおはしけんにやおわしけん。。。
- 22そのそのその左衞門左衞門さえもんノノノ佐佐すけははは、、、歌歌うたよみよみよみ詩詩しつくりにておはすとつくりにておはすとつくりにておわすと聞聞きこえこえこえ侍侍はべりしがりしがりしが、、、さばかりのさばかりのさばかりの人人ひとののの、、、五位五位ごいにてやみにてやみにてやみ給給たまひにしこそくちをしくひにしこそくちをしくいにしこそくちおしく、、、餘餘あまりすぐれてりすぐれてりすぐれて、、、人人ひとににに似似にぬぬぬ事事ことなどのけにやなどのけにやなどのけにや有有ありけんりけんりけん。。。
- 23「「「はもはもはもるるる淸水淸水しみずいくむすびしついくむすびしついくむすびしつ」」」。。。などよみなどよみなどよみ給給たまへるぞかしへるぞかしえるぞかし。。。九十九十くじゅうばかりまでおはしきばかりまでおはしきばかりまでおわしき。。。七七しちののの翁翁おきなにもにもにも入入いりりり給給たまへりけるとぞきこえへりけるとぞきこええりけるとぞきこえ侍侍はべりしりしりし。。。
- 24山山やまののの座主座主ざす慶慶けいときこえしもときこえしもときこえしも、、、大宮大宮おおみやのおとゞののおとゞののおとどの御子御子みことぞきこえしとぞきこえしとぞきこえし。。。大大だい乘乘の坊坊ぼうとかやとかやとかや申申もうしけんしけんしけん。。。
現代語訳
按察(宗俊)の御子として、備中守実綱といった博士の娘の腹に右大臣宗忠の大臣、また堀川の左大臣(俊房)の御娘の腹に太政大臣宗輔など、近ごろまでいらっしゃいました。右大臣(宗忠)は中御門の大臣といって、催馬楽の名手でいらして、御遊びなどでは、いつも拍子をとられました。学才がおありで、尚歯会といって、年老いた詩作りの七人が集まって詩を作る催しを行われました。唐土では白楽天が序を書かれて行われたのです。この国では、これを加えて三度になりました。唐土では二度までだったのにまさっていることだと聞こえましたが、近ごろ渡ってきた唐人が、また後に(唐土で)行ったものを持って渡ってきたと聞きました。年老いた者を上座にして、庭に居並んで詩を作るなどして遊ぶことだそうです。この度は諸陵頭為康という翁が一の座で、その次にこの大臣が大納言としていらしたのでしょう。たいそう優雅でございましたが、蔵人頭をはじめとして殿上人が相伴して、唐人の遊びのようで、この世のこととも見えませんでした。弟の宗輔の太政大臣は、笛を極められました。あまりに心ばえが古風で、この世の人とは違っていらっしゃいました。菊や牡丹などを見事に大きく作り育てて好んで持ち、院にも献上などして、ほかの世の用事などは、少しも申し上げなさることがありませんでした。あまりに足が早くいらっしゃるので、お供の人も追いつき申し上げられませんでした。思いがけないことには、蜂といって人を刺す虫を好んでお飼いになりました。香を焚きしめた紙などに蜜を塗って捧げ持って歩かれると、数知れず飛んできて遊んだけれど、およそ少しも刺し申し上げることはしませんでした。足高・角短・羽まだらなどという名をつけてお呼びになると、呼ばれるままに聞き分けて、やって来ては群がっていました。奥方などという人も、ちゃんとお決めにならなかったのでしょうか、幼い女の子たちを大勢、御懐に寝かせていらっしゃいました。ご領地から何を持ってくるかもご存じなくて、預かっている者などが取り出すことがあると、「これはどこから来たのか」などと言って、たいそうお喜びになったとか。親(宗俊)は大臣にもなられなかったけれども、この二人は高い位に至られました。
中御門の右大臣宗忠の御子は、宗能の内大臣と申し上げます。美濃守行房の娘の腹でいらっしゃるでしょうか。大臣も辞されて御髪をおろして、まだご存命と承っております。年配の人さえこの世にはいらっしゃらないのに、どうしたことでしょうか。若い人ばかりが上達部でいらっしゃる世に、八十歳を越えられたでしょうか、ただ一人残っていらっしゃるとか。宰相中将などと申したころ、直衣(での参内)を許されていらしたとか。讃岐の帝(崇徳)の御代に、帝と御身近な上達部でもいらっしゃらないのに、思いがけないことだなどと聞こえました。「わきの関白(傍らの関白)だな」とあざける人などもいらしたとか。だいたい物事に明るく、しっかりしていらして、出過ぎたことなどもなさったからでしょう。たやすいことですが、幼くいらっしゃる帝などは、五節の帳台の試みなどにお出ましになることはめったにないのに、讃岐の帝が大人になられて初めてお出ましになった時、御指貫は何の紋かということも、納殿の蔵人がよくわからないでいたのに、「霰地に窠の紋だよ」などと、(宗能が)蔵人頭でいらした時におっしゃったりして、そのようなことに明るくいらっしゃいました。帝が御指貫をお召しになることは、一年にただ一度でいらっしゃるので、わからなく思うのも道理でしょう。この大臣も催馬楽の名手でいらして、御声がすばらしくていらっしゃるとか。その御子は、贈左大臣長実の御娘の腹に、中納言としていらっしゃるとか。
右大臣(宗忠)の御子は、宗成の左大弁の宰相としていらっしゃいました。また刑部少輔宗重といって、琵琶を弾かれる人がいらっしゃいました。何があったのでしょうか、夜、河原で亡くなられてしまいました。どんな敵をお持ちだったのでしょう。また山科寺(興福寺)に覚静僧都と申した方も、皆同じ御腹なのでしょう。その僧都こそ、すぐれた智者でいらっしゃると承りました。仏法もよくお説きになるといって、鳥羽院などでも御講をお勤めになりました。宗輔の太政大臣の御子は、前大納言兵部卿と申すとか。笛も親の殿ほどではいらっしゃらないのでしょうか、(それでも)お吹きになると申すようです。大宮の右大臣(俊家)の公達は大勢いらっしゃいました。宰相中将師兼と申した方には、御子に少将がいらっしゃいました。宰相の弟に、基俊の前左衛門佐と申した方は、下野守順業と聞こえた人の娘の腹でいらしたでしょうか。その左衛門佐は、歌詠み・詩作りでいらっしゃると聞こえましたが、あれほどの人が五位で終わられたのは残念で、あまりにすぐれていて、人に似ないことなどのせいだったのでしょうか。「いはもる清水いくむすびしつ」などとお詠みになったのですよ。九十歳ほどまで生きていらっしゃいました。七人の翁(尚歯会)にも入られたと聞こえました。比叡山の座主寛慶と聞こえた方も、大宮の大臣の御子と聞こえました。大乗坊とか申したでしょうか。
意訳
中御門右大臣宗忠は日記『中右記』で知られる人物。保延元年(1135)、白河の自邸で尚歯会を催した。尚歯会は唐の白楽天が始めた、老人を敬って詩を作る会で、日本では貞観・安和に続く三度目とされる。章題の「唐人の遊び」はこれによる。
弟の宗輔は笛の名手だが、蜂を飼いならして名をつけて呼び、女の子たちを懐に寝かせ、自分の領地から何が届くかも知らないという、浮世離れした人物として描かれる。「蜂飼大臣」の名で後世にも伝えられた。
宗忠の子宗能は長寿で、今鏡の「今」にも八十を越えて健在だった。俊家の子基俊は、歌人・詩人として名高かったが五位にとどまった。藤原俊成の師としても知られる。
語釈・文法注
- 右大臣宗忠
- 藤原宗忠(1062〜1141)。宗俊の子。日記『中右記』の作者。中御門右大臣。
- 太政のおとゞ宗輔
- 藤原宗輔(1077〜1162)。宗俊の子。笛の名手。蜂を飼ったことで知られる。
- 催馬樂
- 古代の民謡を雅楽風に編曲した歌謡。
- 尙齒會
- 老人を敬い、七人の老人が集まって詩を作る会。唐の白居易が始めた。
- 白樂天
- 白居易(772〜846)。唐の詩人。
- 諸陵ノ頭爲康
- 三善為康(1049〜1139)。算博士。『朝野群載』の編者。
- 垣下
- 主客の相伴をする役。
- うへ
- 奥方。正妻。
- 宗能の內大臣
- 藤原宗能(1085〜1170)。宗忠の子。
- 直衣ゆるされて
- 直衣での参内を許されること。特別の待遇。
- わきの關白
- 関白のかたわらで政治に口出しする者、の意のあだ名。
- 五節の帳臺の試み
- 新嘗祭の五節の舞の前に、天皇が常寧殿で舞姫の舞を見る儀式。
- 納殿
- 宮中の宝物・衣服などを納める所。
- 霰地に窠の紋
- 霰(小さな四角)を敷き詰めた地に、窠(瓜を輪切りにしたような形)の文様。
- 贈左大臣長實
- 藤原長実(1075〜1133)。美福門院得子の父。
- 覺靜僧都
- 宗忠の子。興福寺の僧。
- 宰相中將師兼
- 藤原師兼(1048〜1081)。俊家の子。
- 基俊
- 藤原基俊(1060〜1142)。俊家の子。歌人。俊成の師。
- いはもる淸水いくむすびしつ
- 基俊の歌の句。
- 山の座主寬慶
- 寛慶(1044〜1123)。俊家の子。天台座主。
文法
- こと〳〵の世の用事など、いと申し給ふ事なかりけり
- 「いと…なし」で、少しも…ない。
- 御さかしらなども、したまへばなるべし
- 「さかしら」は、出過ぎたふるまい。
解説
蜂を飼う宗輔の話は『十訓抄』などにも見え、宗輔は「蜂飼の大臣」と呼ばれた。今鏡の語り手はこうした変わり者を、あきれながらも好意的に描いている。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、231〜235頁(コマ130–132)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日