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今鏡 第六「藤波の下」 第48章

絵合の歌

巻六「藤波の下」の始まり。道長の高松殿腹の子、堀川右大臣頼宗は歌人として知られた。娘の麗景殿女御の萩の歌、その子孫の系譜が語られる。孫の宗俊大納言は笙の名手で、師の時光から秘曲「大食調の入調」を授かる夜、大極殿の柱の陰に笛の名手武能が立ち聞きしていたという逸話が伝わる。

  1. 1ののの御おん御おんおんはははらのらのらの公達きんだち公達きんだちきんだちののの御流おほんながれ御流おほんながれおおんながれれれれ皆みな皆みなみな申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべりぬりぬりぬ。。。ののの御腹おほんはら御腹おほんはらおおんはらののの、、、堀川ほりかは堀川ほりかはほりかわののの右大臣うだいじん右大臣うだいじんうだいじん宗そう宗そうそうのおとゞこそのおとゞこそのおとどこそ、、、關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくにににはははなりなりなり給たま給たまたまはざりしかどもはざりしかどもわざりしかども、、、女御にようご女御にようごにょうごたてまつりなどしたてまつりなどしたてまつりなどし給たま給たまたまひひい、、、末すゑ末すゑすえののの公達きんだち公達きんだちきんだちももも、、、近ちか近ちかちかくまでくまでくまで位くらゐ位くらゐくらい高たか高たかたかくおはするくおはするくおわする、、、あまたあまたあまた聞き聞ききこえたまひしかこえたまひしかこえたまいしか。。。
  2. 2このおとゞこのおとゞこのおとど、、、御堂みだう御堂みだうみどうののの第二だいに第二だいにだいにののの御子みこ御子みこみこにおはすにおはすにおわす。。。御おん御おんおんはゝはゝははははは、、、西にし西にしにしノノノ宮みや宮みやみやののの左大臣さだいじん左大臣さだいじんさだいじん明あけ明あけあけのおとゞののおとゞののおとどの御おん御おんおんむすめむすめむすめ也なり也なりなり。。。永えい永えいえい承うけたまは承うけたまはうけたまわ二年にねん二年にねんにねん八月はちぐわつ八月はちぐわつはちがつ一日ついたち一日ついたちついたち、、、內大臣ないだいじん內大臣ないだいじんないだいじんになりになりになり給たま給たまたまふふう。。。
  3. 3御年おほんとし御年おほんとしおおんとし五十四ごじふし五十四ごじふしごじゅうし、、、大將だいしやう大將だいしやうだいしょうもとのまゝにかけもとのまゝにかけもとのままにかけ給たま給たまたまひきひきいき。。。康やす康やすやす平へい平へいへい三年さんねん三年さんねんさんねんににに右大臣うだいじん右大臣うだいじんうだいじんになりになりになり給たま給たまたまひきひきいき。。。御年おほんとし御年おほんとしおおんとし七十しちじふ七十しちじふしちじゅう三み三みみととと聞き聞ききこえきこえきこえき。。。和歌わか和歌わかわかののの道みち道みちみちむかしにむかしにむかしに耻は耻ははぢずおはしきぢずおはしきじずおわしき。。。
  4. 4歌うた歌うたうたよみよみよみははは兼かね兼かねかね盛もり盛もりもり、、、堀川ほりかは堀川ほりかはほりかわのおのおのおほいほいほい殿どの殿どのどの、、、千載せんざい千載せんざいせんざいののの一ひと一ひとひと遇あ遇ああとかやとかやとかや、、、あるあるある人申ひとまう人申ひとまうひともうししし侍はべ侍はべはべりけるとりけるとりけると申まう申まうもうししし出い出いいだしたるだしたるだしたる、、、人ひと人ひとひとはははえええ聞き聞ききききき侍はべ侍はべはべらずらずらず。。。御集ぎよしふ御集ぎよしふぎょしゅうにもすぐれたるにもすぐれたるにもすぐれたる歌うた歌うたうた多おほ多おほおおくきこえくきこえくきこえ、、、撰集せんじふ撰集せんじふせんしゅうにもあまたにもあまたにもあまた入い入いいりりり給たま給たまたまへりへりえり。。。
  5. 5いたくいたくいたく人ひと人ひとひとののの口くち口くちくちならしならしならし侍はべ侍はべはべるるる御歌みうた御歌みうたみゅうたははわ、、、花紅葉はなもみぢ花紅葉はなもみぢはなもみじ七夕たなばた七夕たなばたたなばた千鳥ちどり千鳥ちどりちどりなどなどなど、、、數かず數かずかず知し知ししらずらずらず聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべるめりるめりるめり。。。中なか中なかなかにもにもにも戀こひ戀こひこいののの歌うた歌うたうたははわ、、、いたくいたくいたく人ひと人ひとひとののの口くち口くちくちずさびにもずさびにもずさびにも侍はべ侍はべはべるるる、、、多おほ多おほおおくよみくよみくよみ給たま給たまたまへりきへりきえりき。。。
  6. 6「「「はははうらなしうらなしうらなし」」」などよみなどよみなどよみ給たま給たまたまへるぞかしへるぞかしえるぞかし。。。このこのこの御歌みうた御歌みうたみゅうたのさまのさまのさまははは、、、めづらしきめづらしきめずらしき心こころ心こころこころををを先さき先さきさきにしにしにし給たま給たまたまへるなるべしへるなるべしえるなるべし。。。
  7. 7ののの內うち內うちうちのおとゞののおとゞののおとどの御おん御おんおんむすめのむすめのむすめの腹はら腹はらはらににに、、、君きみ君きみきみたちあまたおはしきたちあまたおはしきたちあまたおわしき。。。後のち後のちのち朱す朱すす雀すずめ雀すずめすずめノノノ院ゐん院ゐんいんののの御時おほんとき御時おほんときおおんとき、、、女御にようご女御にようごにょうごににに奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまへりしへりしえりし、、、ののの女御にようご女御にようごにょうごととと申まう申まうもうすなるべしすなるべしすなるべし。。。
  8. 8みかどかくれさせみかどかくれさせみかどかくれさせ給たま給たまたまひてひていて後のち後のちのち、、、里さと里さとさとにまかりいでにまかりいでにまかりいで給たま給たまたまへりけるにへりけるにえりけるに、、、植う植ううゑおきゑおきえおき給たま給たまたまへりけるへりけるえりける萩はぎ萩はぎはぎををを、、、またのまたのまたの年とし年としとしののの秋あき秋あきあき、、、人ひと人ひとひとのののをををりてりてりて侍はべ侍はべはべりけるりけるりけるををを見み見みみ給たま給たまたまひてひていて、、、よみよみよみ給たま給たまたまひけるひけるいける、、、
  9. 9こぞよりもこぞよりもこぞよりも色いろ色いろいろこそこそこそ濃こ濃ここけれけれけれ萩はぎ萩はぎはぎののの花はな花はなはな淚なみだ淚なみだなみだののの雨あめ雨あめあめのかゝるのかゝるのかかる秋あき秋あきあきにににははは
  10. 10そのそのその女御にようご女御にようごにょうごののの生う生ううみみみ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまへりけるへりけるえりける姫君ひめぎみ姫君ひめぎみひめぎみ、、、のいつきとのいつきとのいつきと聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまひきひきいき。。。このこのこの宮みや宮みやみや繪ゑ繪ゑえ合あはせ合あはせあわせししし給たま給たまたまひしにひしにいしに、、、「「「卯う卯ううののの花はな花はなはなさけるさけるさける玉たま玉たまたま川がは川がはがわののの里さと里さとさと」」」とととがよめるがよめるがよめるははは名高なたか名高なたかなたかききき歌うた歌うたうたにににはべるなりはべるなりはべるなり。。。
  11. 11三さん三さんさんののの君きみ君きみきみははは後のち後のちのち三條さんでう三條さんでうさんじょうノノノ院ゐん院ゐんいんののの東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうととと申まう申まうもうしゝしゝしし時とき時ときとき、、、御息所みやすんどころ御息所みやすんどころみやすんどころにまゐりにまゐりにまいり給たま給たまたまへりきへりきえりき。。。このおとゞのこのおとゞのこのおとどの太郞たらう太郞たらうたろうにてにてにてははは、、、賴たの賴たのたの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんおはしきおはしきおわしき。。。御おん御おんおんはゝはゝははははは、、、女御にようご女御にようごにょうごのののひとつひとつひとつ御おん御おんおんはははらなりらなりらなり。。。
  12. 12いといといと末すゑ末すゑすえのののはははかばかしきもかばかしきもかばかしきも、、、おはせぬなるべしおはせぬなるべしおわせぬなるべし。。。次つぎ次つぎつぎにににははは右大臣うだいじん右大臣うだいじんうだいじん家いへ家いへいえのおとゞのおとゞのおとど、、、大宮おほみや大宮おほみやおおみやののの右みぎ右みぎみぎのおとゞときこえのおとゞときこえのおとどときこえ給たま給たまたまひきひきいき。。。このこのこの御末おほんすゑ御末おほんすゑおおんすえ多おほ多おほおおくくく榮さか榮さかさかえさせえさせえさせ給たま給たまたまふめりふめりうめり。。。
  13. 13そのそのその御子みこ御子みこみこははは俊しゆん俊しゆんしゅんののの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごん、、、御母おほんはは御母おほんははおおんははははは宇治うぢ宇治うぢうじ大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごん國くに國くにくにののの女をんな女をんなおんななりなりなり。。。管絃くわんげん管絃くわんげんかんげんののの道みち道みちみちすぐれておはしけるすぐれておはしけるすぐれておわしける、、、といふといふという笙しやう笙しやうしょうののの笛ふえ笛ふえふえふきにふきにふきに習なら習ならならひひい給たま給たまたまひけるにひけるにいけるに、、、調でう調でうじょうののの入い入いい調てう調てうちょうをををいま〳〵とていま〳〵とていまいまとて、、、年とし年としとし經へ經へへててて敎をし敎をしおしへへへ申まう申まうもうさゞりけるさゞりけるさざりける程ほど程ほどほどににに雨あめ雨あめあめかぎりなくふりてかぎりなくふりてかぎりなくうりて、、、くらやみしげかりけるくらやみしげかりけるくらやみしげかりける夜よ夜よよいできていできていできて、、、今宵こよひ今宵こよひこよいかのものかのものかのもの敎をし敎をしおしへたてまつらんとへたてまつらんとえたてまつらんと申まう申まうもうしければしければしければ、、、歡よろこ歡よろこよろこびてとくとびてとくとびてとくと、、、ののの給たま給たまたまひけるひけるいけるををを、、、「「「殿どの殿どのどののののうちにてうちにてうちにてははは、、、おのづからおのづからおのずから聞き聞ききくくく人ひと人ひとひともももはべらんはべらんはべらん。。。へへへわたらせわたらせわたらせ給たま給たまたまへへえ」」」。。。
  14. 14といひければといひければといいければ、、、さらにさらにさらにうしなどうしなどうしなど取と取ととりりり寄よ寄よよせておはしけるにせておはしけるにせておわしけるに、、、「「「御供おほんとも御供おほんともおおんともにににははは人ひと人ひとひと侍はべ侍はべはべらでありなんらでありなんらでありなん。。。時光ときみつ時光ときみつときみつひとりひとりひとり」」」とてとてとて、、、簑笠みのかさ簑笠みのかさみのかさきてなむきてなむきてなむ有あ有あありけるりけるりける。。。
  15. 15大極殿だいごくでん大極殿だいごくでんだいごくでんにおはしたるににおはしたるににおわしたるに、、、「「「猶なほ猶なほなおおぼつかなくおぼつかなくおぼつかなく侍はべ侍はべはべりりり」」」。。。とてとてとて續つゞ續つゞつづ松まつ松まつまつとりてとりてとりて、、、更さら更さらさらににに火ひ火ひひともしてともしてともして見み見みみければければければ、、、柱はしら柱はしらはしらににに簑みの簑みのみのきたるきたるきたる者もの者ものものののの立た立たたちそひたるちそひたるちそいたる有あ有あありけりりけりりけり。。。
  16. 16彼か彼かかれれれははは誰た誰たたれぞとれぞとれぞと、、、問と問ととひければひければいければ、、、能よし能よしよしとなのりければとなのりければとなのりければ、、、さればこそとてさればこそとてさればこそとて、、、そのそのその夜よ夜よよははは敎をし敎をしおしへへへ申まう申まうもうさでさでさで歸かへ歸かへかえりにけりとりにけりとりにけりと申まう申まうもうすすす人ひと人ひとひともありきもありきもありき。。。又また又またまたかばかりかばかりかばかり心こころ心こころこころざしざしざし有あ有あありとてりとてりとて、、、敎をし敎をしおしへけりともきこえへけりともきこええけりともきこえ侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。それはひがごとにやそれはひがごとにやそれわいがごとにや侍はべ侍はべはべりけんりけんりけん。。。
  17. 17かのかのかの武む武むむ能よし能よしよしももも其そ其そそののの道みち道みちみちののの上手じやうず上手じやうずじょうずなりけるになりけるになりけるに、、、誰た誰たたれにかおはしけんれにかおはしけんれにかおわしけん。。。一いち一いちいちののの人ひと人ひとひとののの「「「誰た誰たたれにれにれに習なら習ならならひたるぞひたるぞいたるぞ」」」。。。ととと問と問ととはせたまひければはせたまひければわせたまいければ、、、「「「道みち道みちみちのものにもあらぬのものにもあらぬのものにもあらぬ法師ほふし法師ほふしほうしとかとかとか。。。能よ能よよくくく習なら習ならならひたるものありけるになんひたるものありけるになんいたるものありけるになん、、、傳つた傳つたつたへてへてえて侍はべ侍はべはべるるる」」」。。。
  18. 18などなどなど申まう申まうもうしければしければしければ、、、「「「なほなほなお時光ときみつ時光ときみつときみつががが弟子でし弟子でしでしになるべきなりになるべきなりになるべきなり」」」。。。ととと仰おほ仰おほおおせせせうけうけうけ給たま給たまたまはははりてりてりて、、、かきてかきてかきて彼か彼かかれがれがれが家いへ家いへいえにいたりてにいたりてにいたりて、、、それがしそれがしそれがし參まゐ參まゐまいりたりといはせければりたりといはせければりたりといわせければ、、、いどみていどみていどみて、、、年とし年としとしごろかやうにもごろかやうにもごろかようにも見み見みみえぬえぬえぬ者もの者ものものとてとてとて、、、驚おどろ驚おどろおどろきてきてきて呼よ呼よよびびび入い入いいれければれければれければ、、、時光ときみつ時光ときみつときみつははは出で出ででににに、、、ふえつくろひてふえつくろひてふえつくろいて居ゐ居ゐいたりけるにたりけるにたりけるに、、、武む武むむ能よし能よしよし庭には庭にはにわにゐてのぼらざりければにゐてのぼらざりければにいてのぼらざりければ、、、袖そで袖そでそでのののはははたたたをををひきてひきてひきて、、、のぼせていかにとのぼせていかにとのぼせていかにと問と問ととひければひければいければ、、、「「「殿どの殿どのどののおほせにてのおほせにてのおおせにて、、、御弟子おほんでし御弟子おほんでしおおんでしににに參まゐ參まゐまいりたるなりりたるなりりたるなり」」」。。。
  19. 19といへばといへばといえば、、、いといといと心こころ心こころこころゆきてゆきてゆきて「「「何なに何なになにをををかかか習なら習ならならひひい給たま給たまたまふべきふべきうべき」」」。。。といふにといふにというに「「「大食たいしよく大食たいしよくたいしょく調でう調でうじょうののの入い入いい調てう調てうちょうなんなんなん、、、まだまだまだ知し知ししらぬものにてらぬものにてらぬものにて、、、うけうけうけ給たま給たまたまはははらんとらんとらんと、、、思おも思おもおもひたまふるひたまふるいたまうる」」」。。。
  20. 20といふにといふにというに、、、けしきかはりてけしきかはりてけしきかわりて、、、太郞たらう太郞たらうたろう子こ子ここににに侍はべ侍はべはべりけるりけるりける里さと里さとさとががが前まへ前まへまえなりけるなりけるなりけるををを、、、「「「此こ此ここのわらのわらのわらはははににに敎をし敎をしおしへへへ侍はべ侍はべはべりてりてりて後のち後のちのちにこそにこそにこそ、、、ことことこと人ひと人ひとひとにににははは授さづ授さづさずけたてまつらめけたてまつらめけたてまつらめ。。。これこれこれははは忽たちまち忽たちまちたちまちにおぼしよるまじきにおぼしよるまじきにおぼしよるまじき事こと事ことこと」」」。。。
  21. 21ととと云い云いいひければひければいければ、、、このこのこの君きみ君きみきみ傳つた傳つたつたへられんことへられんことえられんこと、、、たちまちのたちまちのたちまちの事こと事ことことにあらじとてにあらじとてにあらじとて、、、名簿みやうぶ名簿みやうぶみょうぶとりかへしてとりかへしてとりかえして、、、歸かへ歸かへかえりりり出い出いいでてでてでて、、、年とし年としとし經へ經へへけるけるける後のち後のちのち、、、心こころ心こころこころ深ふか深ふかふかくうかゞひてくうかゞひてくうかがいて、、、聞き聞ききかんとするなりけりかんとするなりけりかんとするなりけり。。。
  22. 22昔むかし昔むかしむかしののの物もの物ものものののの師し師ししははは、、、かくなんかくなんかくなん心こころ心こころこころ深ふか深ふかふかくてくてくて、、、たたたはやはやはやすくもすくもすくも授さづ授さづさずけざりけるけざりけるけざりける。。。そのそのその大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんははわ、、、さやうにさやうにさように道みち道みちみちをををたしなみてたしなみてたしなみて、、、やんごとなくなんおはしけるやんごとなくなんおはしけるやんごとなくなんおわしける。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

鷹司殿(倫子)の御腹の公達の御流れは、皆申し上げました。高松殿(明子)の御腹の、堀川の右大臣頼宗の大臣こそ、関白にはなられなかったけれども、女御を入内させなどなさり、末の公達も、近ごろまで位が高くていらっしゃる方が、大勢聞こえなさいました。この大臣は、御堂(道長)の第二の御子でいらっしゃいます。御母は西宮の左大臣高明の大臣の御娘です。永承二年(1047)八月一日、内大臣になられました。御年五十四で、大将も元のままに兼ねていらっしゃいました。康平三年(1060)に右大臣になられました。御年七十三と聞こえました。和歌の道では昔にも恥じない方でいらっしゃいました。「歌詠みは貫之・兼盛、堀川のおおい殿(頼宗)は千載一遇の人」とかいうことを、ある人が申したと話す人がいましたが、(その人が誰かは)私は聞いておりません。御家集にもすぐれた歌が多く聞こえ、勅撰集にも大勢入っていらっしゃいます。たいそう人が口ずさみ慣れている御歌は、花・紅葉・七夕・千鳥など数知れず聞こえるようです。中でも恋の歌は、たいそう人の口ずさみにもなっているものを、多くお詠みになりました。「恋はうらなし」などとお詠みになったのですよ。この御歌の様子は、珍しい趣向を第一になさったのでしょう。

帥の内大臣(伊周)の御娘の腹に、君たちが大勢いらっしゃいました。後朱雀院の御代に、女御として入内させなさった方は、麗景殿の女御と申し上げたのでしょう。帝がお亡くなりになった後、里に退出なさっていたところ、(宮中に)植えておかれた萩を、翌年の秋、人が折って持ってきましたのをご覧になって、お詠みになった歌、

去年よりも色が濃いことだ、萩の花よ。涙の雨がかかるこの秋には。

その女御がお産みになった姫君は、賀茂の斎院と申し上げました。この宮(禖子内親王)が歌合をなさった時に、「卯の花さける玉川の里」と相模が詠んだのは、名高い歌でございます。三の君は、後三条院が東宮と申し上げた時に、御息所として参られました。この大臣(頼宗)の長男としては、兼頼中納言がいらっしゃいました。御母は女御と同じ御腹です。(その)末にはかばかしい方もいらっしゃらないのでしょう。次には右大臣俊家の大臣で、大宮の右大臣と申し上げました。この方の御末は多く栄えていらっしゃるようです。

その(俊家の)御子は宗俊の大納言で、御母は宇治大納言隆国の娘です。管絃の道にすぐれていらっしゃったが、時光という笙の笛の吹き手に習っておられたところ、(時光は)大食調の入調(という秘曲)を、今か今かと(待たせて)年を経ても教え申し上げなかったが、雨がこの上なく降って真っ暗な夜にやって来て、「今夜あの曲をお教えいたしましょう」と申したので、(宗俊は)喜んで「早く」とおっしゃったところ、「お邸の中では、自然と聞く人もおりましょう。大極殿へお出でください」と言ったので、改めて牛車などを取り寄せてお出かけになったところ、「お供には人がいなくてよいでしょう。時光一人で」といって、蓑笠を着て(お供して)いました。大極殿にいらしたところ、「やはり気がかりでございます」といって、松明を取って改めて火をともして見たところ、柱に蓑を着た者が寄り添って立っていたのでした。「あれは誰だ」と問うたところ、武能と名のったので、「やはりそうか」といって、その夜はお教え申し上げずに帰ってしまった、と申す人もいました。また、これほどの志があるのならといって教えた、とも聞こえました。それは間違いだったのでしょうか。

その武能もその道の名手だったが、どなたでしたでしょうか、一の人(摂関)が「誰に習ったのか」とお尋ねになったところ、「その道の専門家でもない法師とかで、よく習った者がおりましたので、その者から伝えております」などと申したので、「やはり時光の弟子になるべきだ」という仰せを承って、名簿を書いて時光の家に行き、「誰それが参りました」と取り次がせたところ、(時光は)張り合って、長年このように訪ねても来なかった者だといって驚いて呼び入れたところ、時光は放出の間で笛の手入れをして座っていたが、武能が庭にいて上がらなかったので、袖の端を引いて上がらせ、「どうしたのか」と問うと、「殿の仰せで、御弟子に参ったのです」と言うので、たいそう満足して「何をお習いになりたいのか」と言うと、「大食調の入調を、まだ知らない曲なので、教えていただきたいと存じます」と言うと、顔色が変わって、長男でございました公里が前にいたのを(指して)、「この子に教えました後でこそ、ほかの人にはお授け申しましょう。これはすぐにお考えになるべきことではありません」と言ったので、「この君に伝えられるのは、すぐのことではあるまい」と思って、名簿を取り返して帰って行き、何年も経った後に、心深く機会をうかがって聞こうとしたのでした。

昔の芸道の師は、このように用心深くて、たやすくは授けなかったものです。その大納言(宗俊)は、そのように道に励んで、尊くいらっしゃいました。

意訳

巻六「藤波の下」は、道長のもう一人の妻、源明子(高松殿)の子孫を語る。その筆頭が堀川右大臣頼宗で、関白にはならなかったが、歌人として名高かった。章題の「絵合の歌」は、頼宗の孫娘禖子内親王の歌合で相模が詠んだ名歌にちなむ。

頼宗の娘、麗景殿女御延子は後朱雀天皇の女御。天皇の崩御後、宮中に植えた萩を見て、涙の雨に色が濃くなったと詠んだ。

頼宗の孫、宗俊は笙の名手。師の時光が秘曲を伝えようとした雨の夜、大極殿まで出かけたところ、柱の陰に笛の名手武能が蓑を着て立ち聞きしていた。後に武能が正式に弟子入りを願っても、時光は長男公里に教えるまではと断った。芸道の秘伝がいかに大切にされたかを伝える逸話である。

語釈・文法注

鷹司殿
源倫子。道長の正妻。頼通・教通・彰子らの母。
高松の御腹
源明子。道長のもう一人の妻。高松殿と呼ばれた。
堀川の右大臣賴宗
藤原頼宗(993〜1065)。道長の子。歌人。
西ノ宮の左大臣高明
源高明(914〜983)。醍醐天皇の皇子。安和の変で失脚した。
貫之兼盛
紀貫之と平兼盛。ともに著名な歌人。
戀はうらなし
頼宗の恋の歌の句。
帥の內のおとゞ
藤原伊周(974〜1010)。道隆の子。大宰権帥に左遷された。
麗景殿の女御
藤原延子(1016〜1095)。頼宗の娘。後朱雀天皇の女御。
賀茂のいつき
禖子内親王(1039〜1096)。後朱雀天皇の皇女。歌合を多く催した。
相模
平安中期の女流歌人。「卯の花さける玉川の里」は「見渡せば波のしがらみかけてけり卯の花さける玉川の里」。
兼賴中納言
藤原兼頼(1014〜1063)。頼宗の子。
右大臣俊家
藤原俊家(1019〜1082)。頼宗の子。大宮右大臣。
宗俊の大納言
藤原宗俊(1046〜1097)。俊家の子。笙の名手。
宇治大納言隆國
源隆国(1004〜1077)。『宇治大納言物語』の編者とされる。
時光
豊原時光。笙の名手。
大食調の入調
大食調(雅楽の調子の一つ)の秘曲。
大極殿
大内裏の正殿。夜は人けがなかった。
武能
大神武能か。笛の名手。
名簿
弟子入りや臣従の際に差し出す、名を書いた札。
放出
寝殿造で、母屋から外へ張り出した部屋。
公里
豊原公里。時光の子。

文法

いま〳〵とて
「今教えよう、今教えよう」と言って延ばしているうちに。
さればこそ
やはりそうだったか。予想が当たった時の言葉。

和歌

こぞよりも色こそ濃けれ萩の花淚の雨のかゝる秋には

詠者
麗景殿女御(藤原延子)
状況
後朱雀天皇の崩御後、宮中に植えておいた萩を折って見せられて詠んだ歌。

修辞

見立て
悲しみの涙を雨に見立て、その雨で萩の色が濃くなったとする。

解説

今鏡には芸道の秘伝をめぐる逸話が多い。この章の時光と武能の話は、雨の夜の大極殿という舞台設定もあいまって、物語的な緊張感にあふれている。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、226〜231頁(コマ128–130)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日