古典ライブラリー

今鏡 第五「藤波の中」 第45章

花の山

師実の子、花山院左大臣藤原家忠。右大将の地位を白河院が宗通に与えようとした時、堀河天皇は「人の耳驚くばかりの官は、よくためらって世の人の言を聞くべし」と答え、家忠が大将となった。家忠の子孫(花山院家)や、師実の他の子たちの家系が語られる。

  1. 1大殿おほとの大殿おほとのおおとののをのこのをのこのおのこ公達きんだち公達きんだちきんだちははは、、、後のち後のちのちののの二條にでう二條にでうにじょう殿どの殿どのどのののの次つぎ次つぎつぎににに、、、花山くわさん花山くわさんかざんノノノ院ゐん院ゐんいんののの左ひだり左ひだりひだりのおとゞのおとゞのおとどとてとてとて、、、大臣おとど大臣おとどおとどののの大將だいしやう大將だいしやうだいしょうにてにてにて、、、久ひさ久ひさひさしくしくしくののの上うへ上うへうえにておはしきにておはしきにておわしき。。。其そ其そそののの御母おほんはは御母おほんははおおんははははは、、、ととと聞き聞ききこえしこえしこえし源氏げんじ源氏げんじげんじのむすめののむすめののむすめの腹はら腹はらはらにおはすにおはすにおわす。。。
  2. 2此こ此ここのおとゞのおとゞのおとど、、、關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくにもなりにもなりにもなり給たま給たまたまふべきふべきうべき人ひと人ひとひとにおはすれどにおはすれどにおわすれど、、、御兄おほんあに御兄おほんあにおおんあにののの二條にでう二條にでうにじょう殿どの殿どのどのののの御子みこ御子みこみこ、、、富家ふけ富家ふけふけののの入道にふだう入道にふだうにゅうどうおとゞのおとゞのおとどの、、、大殿おほとの大殿おほとのおおとののののうまごにおはするうまごにおはするうまごにおわする上うへ上うへうえににに、、、御子みこ御子みこみこにしたてまつりにしたてまつりにしたてまつり給たま給たまたまひてひていて、、、關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくつぎつぎつぎ給たま給たまたまへればへればえれば、、、大殿おほとの大殿おほとのおおとののおはしましゝのおはしましゝのおわしましし代よ代よよよりよりより、、、「「「ふけふけふけ殿どの殿どのどのをををたのみましてあれたのみましてあれたのみましてあれ」」」。。。
  3. 3ととと仰おほ仰おほおおせられせられせられ掟おき掟おきおきてさせてさせてさせ給たま給たまたまひければひければいければ、、、何事なにごと何事なにごとなにごとももも申まう申まうもうししし合あは合あはあわせつゝせつゝせつつ過す過すすぎぎぎ給たま給たまたまへりけるにへりけるにえりけるに、、、富家殿ふけどの富家殿ふけどのふけどの關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくになりになりになり給たま給たまたまひてひていて、、、大將だいしやう大將だいしやうだいしょうのきのきのき給たま給たまたまへりけるへりけるえりけるををを、、、白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおんおぼえにておぼえにておぼえにて、、、大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんなるべしとなるべしとなるべしと聞き聞ききこえければこえければこえければ、、、このおとゞこのおとゞこのおとど、、、富家殿ふけどの富家殿ふけどのふけどのににに、、、いかゞしいかゞしいかがし侍はべ侍はべはべるべきとるべきとるべきと申まう申まうもうしあはせしあはせしあわせ給たま給たまたまひければひければいければ、、、「「「いかにもいかにもいかにも力ちから力ちからちから及およ及およおよばぬばぬばぬ事こと事ことことにこそあめれにこそあめれにこそあめれ。。。さるにてもさるにてもさるにても、、、もしもしもし少すこ少すこすこしのつまともやなるとしのつまともやなるとしのつまともやなると、、、ににに志こころざし志こころざしこころざしををを見み見みみえええ申まう申まうもうししし給たま給たまたまへへえ。。。このこのこの家いへ家いへいえにいとなきにいとなきにいとなき事こと事ことことなれどなれどなれど」」」などなどなど侍はべ侍はべはべりければりければりければ、、、誠まこと誠まことまことににに然侍しかはべ然侍しかはべしかはべるるる事こと事ことこととてとてとて、、、申まう申まうもうししし入い入いいれれれ給たま給たまたまへりければへりければえりければ、、、思おも思おもおもひがけぬひがけぬいがけぬ御心みこころ御心みこころみこころざしなどざしなどざしなど聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまひけるひけるいけるほどにほどにほどに、、、白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいん、、、のおとゞのおとゞのおとど、、、頭かしら頭かしらかしらノノノ辨べん辨べんべんにおはしけるにおはしけるにおわしける時とき時ときとき、、、「「「きときときと參まゐ參まゐまいれれれ」」」ととと侍はべ侍はべはべりけれりけれりけれははは、、、おそくやおぼしめすらんとおそくやおぼしめすらんとおそくやおぼしめすらんと、、、恐おそ恐おそおそれおぼしけれどれおぼしけれどれおぼしけれど、、、いといといと快くわい快くわいかいききき御おん御おんおんけしきにてけしきにてけしきにて、、、堀河ほりかは堀河ほりかはほりかわのみかどのみかどのみかど位くらゐ位くらゐくらいにおはしましゝにおはしましゝにおわしましし時とき時ときとき、、、內うち內うちうちへへへ參まゐ參まゐまいりてりてりて申まう申まうもうせとてせとてせとて、、、「「「大將だいしやう大將だいしやうだいしょうあきてあきてあきて侍はべ侍はべはべるにるにるに、、、宗通むねみち宗通むねみちむねみちをををなしなしなし侍はべ侍はべはべらんとらんとらんと思おも思おもおもひひい給たま給たまたまふるなりふるなりうるなり。。。幼をさな幼をさなおさなくよりおほしたてくよりおほしたてくよりおおしたて侍はべ侍はべはべりてりてりて、、、さりがたくさりがたくさりがたく思おも思おもおもふふう餘あま餘あまあまりになんなどりになんなどりになんなど奏そう奏そうそうせよせよせよ」」」。。。
  4. 4ととと侍はべ侍はべはべりければりければりければ、、、わづらはしきわづらはしきわずらわしき事こと事ことことにかゝりぬとにかゝりぬとにかかりぬと思おも思おもおもひながらひながらいながら、、、參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまへりけるにへりけるにえりけるに、、、內うち內うちうちははは御笛おほんふえ御笛おほんふえおおんふえ吹ふ吹ふふかせかせかせ給たま給たまたまひてひていて、、、聞き聞ききこしめしもこしめしもこしめしも入い入いいれざりけるれざりけるれざりけるををを、、、ひまひまひま伺うかゞ伺うかゞうかがひてひてひて、、、かくかくかく奏そう奏そうそうししし給たま給たまたまひければひければいければ、、、御返事おほんかへりごと御返事おほんかへりごとおおんかえりごともなくてもなくてもなくて、、、なほなほなお笛ふえ笛ふえふえ吹ふ吹ふふかせたまひてかせたまひてかせたまいて、、、入い入いいらせらせらせ給たま給たまたまひにけるひにけるいにけるををを、、、いそぎていそぎていそぎて御返事おほんかへりごと御返事おほんかへりごとおおんかえりごと申まう申まうもうせとせとせと侍はべ侍はべはべりつるものりつるものりつるものをををととと思おも思おもおもひてひていて、、、おどろかしおどろかしおどろかし申まう申まうもうされければされければされければ、、、出い出いいでさせでさせでさせ給たま給たまたまひてひていて、、、「「「いかさまにもいかさまにもいかさまにも、、、御計おほんはか御計おほんはかおおんはからひにこそらひにこそらいにこそ侍はべ侍はべはべらめらめらめ。。。かくかくかく仰おほ仰おほおおせつかはすべしともせつかはすべしともせつかわすべしとも思おも思おもおもふたまへふたまへうたまえ侍はべ侍はべはべらずらずらず。。。かゝるかゝるかかる仰おほ仰おほおおせせせ侍はべ侍はべはべればればれば、、、恐おそ恐おそおそれながられながられながら申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべるになんるになんるになん。。。昔むかし昔むかしむかしうけたまはりうけたまはりうけたまわり侍はべ侍はべはべりしりしりし仰おほ仰おほおおせにせにせに、、、世よ世よよのまつりごとのまつりごとのまつりごとははは、、、司召つかさめし司召つかさめしつかさめしにあるべきなりにあるべきなりにあるべきなり。。。然しか然しかしかあればあればあれば大臣おとど大臣おとどおとど大將だいしやう大將だいしやうだいしょうなどよりなどよりなどより始はじ始はじはじめてめてめて、、、のまつりごとまでのまつりごとまでのまつりごとまで、、、人ひと人ひとひとののの耳みみ耳みみみみおどろくばかりのおどろくばかりのおどろくばかりの官つかさ官つかさつかさをばをばをば、、、能よ能よよくためらひてくためらひてくためらいて、、、世よ世よよののの人ひと人ひとひとのいのいのいはははんことんことんことををを聞き聞ききくべきなりとくべきなりとくべきなりと、、、うけたまはりうけたまはりうけたまわり侍はべ侍はべはべりしよりりしよりりしより、、、いとかしこきいとかしこきいとかしこき仰おほ仰おほおおせなりとせなりとせなりと、、、心こころ心こころこころののの底そこ底そこそこににに思おも思おもおもひひい給たま給たまたまへてなんまかりすぎへてなんまかりすぎえてなんまかりすぎ侍はべ侍はべはべるるる。。。このこのこの大將だいしやう大將だいしやうだいしょうののの事こと事ことことははは、、、然しか然しかしかるべきにとりてるべきにとりてるべきにとりて、、、家忠いへただ家忠いへただいえただこそこそこそ、、、關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくののの子こ子ここにてにてにて侍はべ侍はべはべるるる上うへ上うへうえににに、、、位くらゐ位くらゐくらいももも上﨟じやうらふ上﨟じやうらふじょうろうににに侍はべ侍はべはべるるるををを、、、越こ越ここえええ侍はべ侍はべはべらんやらんやらんや。。。いかゞといかゞといかがと思おも思おもおもうたまふるにうたまふるにうたまうるに、、、下﨟げらふ下﨟げらふげろうなりともなりともなりとも、、、身み身みみののの才さい才さいさいなどすぐれなどすぐれなどすぐれ侍はべ侍はべはべらばらばらば、、、其そ其そそのかたともおぼえのかたともおぼえのかたともおぼえ侍はべ侍はべはべるべきにるべきにるべきに、、、それもまさりたるそれもまさりたるそれもまさりたる事こと事ことことももも侍はべ侍はべはべらずらずらず、、、いかにもいかにもいかにも御計おほんはか御計おほんはかおおんはからひにらひにらいに侍はべ侍はべはべるべしとるべしとるべしと申まう申まうもうせせせ」」」。。。
  5. 5とのとのとの給たま給たまたまはせければはせければわせければ、、、歸かへ歸かへかえりりり參まゐ參まゐまいられられられ侍はべ侍はべはべりけるにりけるにりけるに、、、いそぎいそぎいそぎ問と問ととはせはせわせ給たま給たまたまひけるにひけるにいけるに、、、かくとかくとかくと申まう申まうもうしければしければしければ、、、院ゐん院ゐんいんきかせきかせきかせ給たま給たまたまひてひていて、、、「「「しばししばししばし候さふら候さふらそうらへへえ」」」。。。とてとてとて重かさ重かさかさねてねてねて召め召めめしてしてして、、、「「「えもいはずのたまはするものかなえもいはずのたまはするものかなえもいわずのたまわするものかな。。。誠まこと誠まことまことににに理ことわ理ことわことわりなりりなりりなり」」」とてとてとて、、、家忠仰いへただおほ家忠仰いへただおほいえただおおせせせ下くだ下くだくだすべきよしすべきよしすべきよし侍はべ侍はべはべりてぞりてぞりてぞ。。。このおとゞこのおとゞこのおとど大將だいしやう大將だいしやうだいしょうにににははは成な成ななりりり給たま給たまたまひけるひけるいける。。。
  6. 6此こ此ここのおとゞののおとゞののおとどの御子みこ御子みこみこははは、、、中納言忠宗ちゆうなごんただむね中納言忠宗ちゆうなごんただむねちゅうなごんただむねととと申まう申まうもうしきしきしき。。。そのそのその中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんははわ、、、播磨守定綱はりまのかみさだつな播磨守定綱はりまのかみさだつなはりまのかみさだつなととと聞き聞ききこえしむすめのこえしむすめのこえしむすめの腹はら腹はらはらにおはしきにおはしきにおわしき。。。中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんいとよきいとよきいとよき人ひと人ひとひとにぞおはせしにぞおはせしにぞおわせし。。。
  7. 7ののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんとならびとならびとならび給たま給たまたまひてひていて、、、五位ごゐ五位ごゐごいノノノ藏人くらうど藏人くらうどくろうど十年じふねん十年じふねんじゅうねんばかりばかりばかり、、、藏人くらうど藏人くらうどくろうどノノノ頭とう頭とうとうにてもにてもにても十年じふねん十年じふねんじゅうねんなどやおはしけんなどやおはしけんなどやおわしけん。。。二十年にじふねん二十年にじふねんにじゅうねんのののにてにてにて、、、ふたりふたりふたりながらながらながら、、、同おな同おなおなじやうにじやうにじょうに仕つか仕つかつかへへえ給たま給たまたまひしにひしにいしに、、、昔むかし昔むかしむかしにもにもにも耻は耻ははぢずぢずじず、、、末すゑ末すゑすえののの世よ世よよにににははは、、、有あ有あありがたきりがたきりがたき職事しきじ職事しきじしきじとてとてとて、、、惜をし惜をしおしまれまれまれ給たま給たまたまふふうほどにほどにほどに、、、なか〳〵おそくなか〳〵おそくなかなかおそく昇のぼ昇のぼのぼりたまふとぞりたまふとぞりたまうとぞ、、、痛いた痛いたいたみみみ給たま給たまたまひけるひけるいける。。。
  8. 8宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょう中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんまでまでまで、、、同おな同おなおなじやうにならびてのぼりじやうにならびてのぼりじょうにならびてのぼり給たま給たまたまひきひきいき。。。ののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんははわ、、、中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうノノノ權けん權けんけんノノノ大夫だいぶ大夫だいぶだいぶととと聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまひきひきいき。。。そのそのその中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんののの御子みこ御子みこみこははは、、、修理すり修理すりすりのかみのかみのかみ家保いへやす家保いへやすいえやすととと聞き聞ききこえしこえしこえしはらにおはするはらにおはするはらにおわする公達きんだち公達きんだちきんだち、、、花山くわさん花山くわさんかざんノノノ院ゐん院ゐんいんのおほきおとゞのおほきおとゞのおおきおとど、、、又中納言忠親またちゆうなごんただちか又中納言忠親またちゆうなごんただちかまたちゅうなごんただちかなどなどなど申まう申まうもうしてしてして、、、おやのおやのおやの御子みこ御子みこみこなればなればなれば、、、よきかんだちめたちにぞよきかんだちめたちにぞよきかんだちめたちにぞ、、、おはするときこえおはするときこえおわするときこえ給たま給たまたまふふう。。。
  9. 9ののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごん、、、これもこれもこれも親おや親おやおやたちのおはせしやうにたちのおはせしやうにたちのおわせしょうに、、、雅兼まさかね雅兼まさかねまさかねののの子こ子ここののの、、、雅賴まさより雅賴まさよりまさよりののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんととと、、、藏人くらうど藏人くらうどくろうどノノノ頭とう頭とうとうにならびてにならびてにならびて、、、宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょう中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんにもにもにも、、、同おな同おなおなじやうにじやうにじょうにうちつゞきのぼりうちつゞきのぼりうちつづきのぼり給たま給たまたまふなるもいとふなるもいとうなるもいとかひ〴〵しくかひ〴〵しくかいがいしく、、、忠雅ただまさ忠雅ただまさただまさのおとゞのおとゞのおとどははは、、、三位中將さんみちゆうじやう三位中將さんみちゆうじやうさんみちゅうじょう大臣おとど大臣おとどおとど大將だいしやう大將だいしやうだいしょうなどなどなど歷へ歷へへたまひてたまひてたまいて、、、おほきおとゞまでおほきおとゞまでおおきおとどまで至いた至いたいたりりり給たま給たまたまへりへりえり。。。
  10. 10そのそのその御子みこ御子みこみこにおはするなるにおはするなるにおわするなる、、、ののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんははわ、、、家成いへなり家成いへなりいえなりののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんののの、、、むすめのむすめのむすめの腹はら腹はらはらにやおはすらんにやおはすらんにやおわすらん。。。それもそれもそれも、、、三位さんみ三位さんみさんみののの中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうなどきこえなどきこえなどきこえ給たま給たまたまひきひきいき。。。中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうノノノ權けん權けんけんノノノ大夫だいぶ大夫だいぶだいぶののの兄このかみ兄このかみこのかみにてにてにて、、、播磨はりま播磨はりまはりまノノノ介忠兼すけただかね介忠兼すけただかねすけただかねといふといふという人ひと人ひとひともおはしけりもおはしけりもおわしけり。。。
  11. 11弟おとうと弟おとうとおとうとののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんののの上達部かんだちめ上達部かんだちめかんだちめになりたまひてのちになりたまひてのちになりたまいてのち、、、親おや親おやおやのおのおのおほいどのほいどのほいどの大將だいしやう大將だいしやうだいしょうをををたてまつりてたてまつりてたてまつりて、、、少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうにににはじめてなしはじめてなしはじめてなし申まう申まうもうししし給たま給たまたまひけるとかやひけるとかやいけるとかや。。。そのそのその少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうののの子こ子ここににに、、、光家みついへ光家みついへみついえとかとかとか聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまひけるひけるいけるををを、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのののの御子みこ御子みこみこにしにしにし給たま給たまたまひてひていて、、、殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうししし給たま給たまたまへりけるへりけるえりける。。。
  12. 12侍從じじゆう侍從じじゆうじじゅうにおはしけるにおはしけるにおわしけるをばをばをば、、、侍從じじゆう侍從じじゆうじじゅうとぞとぞとぞ人ひと人ひとひとははは申まう申まうもうしけるしけるしける。。。親おや親おやおやはははかくれてかくれてかくれて、、、子こ子ここのあらはれたるとかなるべしのあらはれたるとかなるべしのあらわれたるとかなるべし。。。そのおやのそのおやのそのおやの少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうははは子こ子ここよりのちによりのちによりのちに、、、殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうもしもしもし給たま給たまたまひけるとかやひけるとかやいけるとかや。。。
  13. 13おおおほいどのゝほいどのゝほいどのの三郞さぶらう三郞さぶらうさぶろうにてにてにてははは、、、按察あぜち按察あぜちあぜちののの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんととと申まう申まうもうしておはしきしておはしきしておわしき。。。二位にゐ二位にゐにいノノノ大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんとぞとぞとぞ申まう申まうもうしゝしゝしし。。。二位にゐ二位にゐにいノノノ宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうなどなどなど申まう申まうもうしつけたりけるとぞしつけたりけるとぞしつけたりけるとぞ。。。そのそのその御母おほんはは御母おほんははおおんははははは美濃守基貞みののかみもとさだ美濃守基貞みののかみもとさだみののかみもとさだのむすめなりのむすめなりのむすめなり。。。
  14. 14そのそのその大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんののの御おん御おんおんむすめむすめむすめ、、、公實きんざね公實きんざねきんざねののの春宮とうぐう春宮とうぐうとうぐうノノノ大夫だいぶ大夫だいぶだいぶのおのおのおほいぎみのほいぎみのほいぎみのはらにおはせしはらにおはせしはらにおわせしををを、、、院ゐん院ゐんいんののの宮みや宮みやみやとておはしましゝにとておはしましゝにとておわしまししに參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまひてひていて、、、二條にでう二條にでうにじょうのみかどのみかどのみかどををを生う生ううみみみ奉たてまつ奉たてまつたてまつりてかくれりてかくれりてかくれ給たま給たまたまひにきひにきいにき。。。
  15. 15后きさき后きさききさきををを贈おく贈おくおくられられられ給たま給たまたまひきひきいき。。。父ちゝ父ちゝちちののの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんははわ、、、おほきおとゞおほきおとゞおおきおとど贈おく贈おくおくられられられ給たま給たまたまへるとぞへるとぞえるとぞ。。。そのそのその贈后ぞうごう贈后ぞうごうぞうごうのののひとつひとつひとつ御おん御おんおんはははらにおはすなりらにおはすなりらにおわすなり。。。此こ此ここののの頃ごろ頃ごろごろははは、、、ののの左ひだり左ひだりひだりのおとゞときこえのおとゞときこえのおとどときこえ給たま給たまたまふふう。。。
  16. 16二條院にでうゐん二條院にでうゐんにじょういんののの御おん御おんおんをををぢにておはせしぢにておはせしじにておわせし上うへ上うへうえににに、、、人ひと人ひとひとがらもがらもがらもはか〴〵しくはか〴〵しくはかばかしくおはするにやおはするにやおわするにや。。。良よ良よよききき上達部かんだちめ上達部かんだちめかんだちめとぞきこえたまふめるとぞきこえたまふめるとぞきこえたまうめる。。。おやのおやのおやの大納言殿だいなごんどの大納言殿だいなごんどのだいなごんどのももも、、、兄あに兄あにあにののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごん殿どの殿どのどのももも、、、物もの物ものものなどかきなどかきなどかき給たま給たまたまふふう事こと事ことことおはせずとおはせずとおわせずと聞き聞ききこえしにこえしにこえしに、、、是こ是ここれれれははは、、、ふみにもたづさはりふみにもたづさはりふみにもたずさわり給たま給たまたまへるとぞへるとぞえるとぞ聞き聞ききこえたまふこえたまふこえたまう。。。
  17. 17御子みこ御子みこみこににに中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうのきみおはすなるのきみおはすなるのきみおわすなる、、、淸隆きよたか淸隆きよたかきよたかののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんのむすめののむすめののむすめのはらにやおはすらんはらにやおはすらんはらにやおわすらん。。。
  18. 18このこのこの大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのののの御兄おほんあに御兄おほんあにおおんあにどもどもども、、、多おほ多おほおおくおはするなるべしくおはするなるべしくおわするなるべし。。。經定つねさだ經定つねさだつねさだののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんははわ、、、治部卿ぢぶきやう治部卿ぢぶきやうじぶきょう通俊みちとし通俊みちとしみちとしのむすめののむすめののむすめの腹はら腹はらはらにおはしけるとぞにおはしけるとぞにおわしけるとぞ聞き聞ききこえしこえしこえし。。。そのそのその次つぎ次つぎつぎににに、、、ののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんととと聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまふもふもうも、、、左ひだり左ひだりひだりのおとゞののおとゞののおとどの御兄おほんあに御兄おほんあにおおんあににおはするなるべしにおはするなるべしにおわするなるべし。。。
  19. 19二條にでう二條にでうにじょうのおほぎさいののおほぎさいののおおぎさいの宮みや宮みやみやののの女房にようばう女房にようばうにょうぼうののの御子みこ御子みこみこにおはせしにおはせしにおわせしををを、、、彼か彼かかののの宮みや宮みやみやののの養やしな養やしなやしなはせはせわせ給たま給たまたまひてひていて、、、はるわかはるわかはるわか君きみ君きみきみととと聞き聞ききこえしこえしこえし、、、此こ此ここののの頃ごろ頃ごろごろははは前さきの前さきのさきのノノノ中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごん民部卿みんぶきやう民部卿みんぶきやうみんぶきょうになりになりになり給たま給たまたまふとかやふとかやうとかや。。。
  20. 20按察あぜち按察あぜちあぜちののの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんののの御子みこ御子みこみこははは、、、多おほ多おほおおくおはしけるとぞくおはしけるとぞくおわしけるとぞ聞き聞ききこえしこえしこえし。。。大侍從おほじじゆう大侍從おほじじゆうおおじじゅうなどいひてもおはしきなどいひてもおはしきなどいいてもおわしき。。。仁和寺にんわじ仁和寺にんわじにんなじににに靜經僧都じやうきやうそうづ靜經僧都じやうきやうそうづじょうきょうそうずととと聞き聞ききこえたまひしこえたまひしこえたまいしははは、、、よきよきよき眞言しんごん眞言しんごんしんごん師し師ししにてにてにて、、、しるしあるしるしあるしるしある人ひと人ひとひととぞとぞとぞ聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまひしひしいし。。。
  21. 21おほとのゝおほとのゝおおとのの四郞しらう四郞しらうしろうにやあたりにやあたりにやあたり給たま給たまたまひけんひけんいけん。。。按察あぜち按察あぜちあぜちののの一ひと一ひとひとつはらにつはらにつわらにののの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんととと申まう申まうもうしゝしゝしし、、、小野をの小野をのおのののの宮みや宮みやみやとぞきこえとぞきこえとぞきこえ給たま給たまたまひしひしいし。。。兄あに兄あにあにののの殿どの殿どのどのよりもよりもよりも、、、文字もじ文字もじもじなどかきたまひしにやなどかきたまひしにやなどかきたまいしにや。。。
  22. 22檢非違使けびゐし檢非違使けびゐしけびいしののの別當べつたう別當べつたうべっとうなどしなどしなどし給たま給たまたまひきひきいき。。。大殿おほとの大殿おほとのおおとのののの五郞ごらう五郞ごらうごろうにやおはしけんにやおはしけんにやおわしけん。。。ののの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごん、、、四條しでう四條しでうしじょうののの民部卿みんぶきやう民部卿みんぶきやうみんぶきょうとぞきこえとぞきこえとぞきこえ給たま給たまたまひしひしいし。。。そのそのその御母おほんはは御母おほんははおおんはは遠江守とほたふみのかみ遠江守とほたふみのかみとおとうみのかみ永えい永えいえい信のぶ信のぶのぶががが子こ子ここににに、、、藏人くらうど藏人くらうどくろうどおりておりておりて、、、つかさもなかりしにやつかさもなかりしにやつかさもなかりしにや。。。
  23. 23永業ながなり永業ながなりながなりととと聞き聞ききこえしこえしこえし人ひと人ひとひとのむすめののむすめののむすめのはらにおはすはらにおはすはらにおわす。。。そのそのその民部卿みんぶきやう民部卿みんぶきやうみんぶきょうののの御子みこ御子みこみこどもあまたおはしきどもあまたおはしきどもあまたおわしき。。。ののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんととと申まう申まうもうしゝしゝしし、、、筑紫つくし筑紫つくしつくしののの帥そつ帥そつそつになりになりになり給たま給たまたまへりしかとよへりしかとよえりしかとよ。。。
  24. 24神樂かぐら神樂かぐらかぐらののの笛ふえ笛ふえふえをぞをぞをぞよくよくよく吹ふ吹ふふききき給たま給たまたまひけるとひけるといけるとうけたまはりしうけたまはりしうけたまわりし。。。そのそのその御子みこ御子みこみこににに、、、六角ろくかく六角ろくかくろくかくののの宰相家通さいしやういへみち宰相家通さいしやういへみちさいしょういえみちととと申まう申まうもうすなるすなるすなるははは、、、重通しげみち重通しげみちしげみちのあぜちののあぜちののあぜちの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんののの養やしな養やしなやしなひひい申まう申まうもうししし給たま給たまたまひけるとぞひけるとぞいけるとぞ聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまふふう。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

大殿(師実)の男の公達は、後の二条殿の次に、花山院の左大臣家忠といって、大臣の大将として長く一の上(筆頭の大臣)でいらっしゃいました。その御母は、美濃守頼国と申した源氏の娘の腹でいらっしゃいます。この大臣は関白にもなられるはずの人でいらっしゃったけれども、御兄の二条殿の御子の富家の入道殿(忠実)が大殿の孫でいらっしゃる上に、(大殿が)御養子になさって関白を継がれたので、大殿が生きていらした代から「富家殿を頼みにしておれ」とおっしゃり取り決めていらしたので、何事も相談しながら過ごしておられたところ、富家殿が関白になられて大将を退かれたのを、白河院のご寵愛で宗通大納言がなるだろうと聞こえたので、この大臣が富家殿に、どうしたらよいでしょうと相談なさったところ、「何とも力の及ばないことのようだ。それにしても、もしや少しの手がかりにもなるかと、中宮(篤子)に心を寄せていることをお見せ申し上げなさい。この家では例のないことだけれど」などとおっしゃったので、まことにそのとおりだといって申し入れなさったところ、思いがけないお心寄せなどをいただいていたうちに、白河院が、宗忠公が頭弁でいらした時、「すぐに参れ」とおっしゃったので、遅いとお思いになっているだろうかと恐れていらしたけれども、たいそうご機嫌よく、堀河天皇が在位でいらした時、内裏へ参って申せといって、「大将が空いておりますので、宗通を任じようと存じます。幼い時から育てまして、捨てがたく思うあまりのことです、などと奏上せよ」とおっしゃったので、面倒なことにかかわってしまったと思いながら参られたところ、帝は御笛をお吹きになっていて、お聞き入れにならなかったのを、すきをうかがってこのように奏上なさったところ、お返事もなくて、なお笛をお吹きになって、奥へお入りになってしまったのを、「急いでお返事を申せと仰せられたのに」と思って、お促し申されたところ、出ていらして、「何にせよ、院のお計らいでございましょう。このように仰せ遣わされるべきこととも存じません。このような仰せがありましたので、恐れながら申し上げるのです。昔承りました仰せに、世の政治は司召(任官)にあるべきである。だから大臣・大将などをはじめとして、靫負(衛門府)の官人まで、人の耳を驚かすほどの官職は、よくためらって、世の人の言うことを聞くべきである、と承りましてから、まことに恐れ多い仰せだと心の底に思って過ごしてまいりました。この大将のことは、しかるべき人としては、家忠こそ関白の子である上に、位も上臈でありますのを、越えてよいものでしょうか。どうかと存じますが、下臈であっても、学才などがすぐれておりましたら、その方面とも思われましょうが、それもまさっていることもございません。何にせよお計らいのとおりであるべきだと申せ」とおっしゃったので、帰り参られたところ、急いでお尋ねになったので、こうと申し上げたところ、院はお聞きになって、「しばらく待っていよ」といって、重ねてお召しになって、「何とも言いようもないほどうまくおっしゃるものだな。まことに道理だ」といって、家忠を任じるよう仰せ下されることになって、この大臣は大将におなりになったのでした。

この大臣の御子は中納言忠宗と申しました。その中納言は播磨守定綱と申した人の娘の腹でいらっしゃいました。中納言はたいそうよい人でいらっしゃいました。雅兼中納言と並ばれて、五位蔵人を十年ほど、蔵人頭としても十年などいらっしゃったでしょうか。二十年の職事として、お二人とも同じようにお仕えになったので、昔にも恥じず、末世にはめったにない職事として惜しまれたあまりに、かえって昇進が遅かったと気の毒がられました。宰相・中納言まで同じように並んで上られました。忠宗中納言は中宮権大夫と申し上げました。その中納言の御子は、修理大夫家保と申した人の娘の腹でいらっしゃる公達で、花山院の太政大臣忠雅、また中納言忠親などと申して、親の御子なので、よい公卿たちでいらっしゃると評判です。忠親中納言は、これも親たちがいらしたように、雅兼の子の雅頼中納言と蔵人頭に並んで、宰相・中納言にも同じように続いて上られたのもたいそう甲斐甲斐しく、忠雅公は三位中将・大臣・大将などを経て、太政大臣にまで至られました。

その御子でいらっしゃる兼雅中納言は、家成中納言の娘の腹でいらっしゃるでしょうか。それも三位中将などと申し上げました。中宮権大夫(忠宗)の兄に、播磨介忠兼という人もいらっしゃいました。弟の中納言が公卿になられた後、父の大臣が大将の職を(返上して)差し上げて、少将に初めてお任じ申し上げたとか。その少将の子で光家とか申し上げた方を、大臣殿(家忠)の御養子になさって、昇殿なさいました。侍従でいらしたのを、「鹿の子侍従」と人は申しました。親は隠れて子が表に出ている、というのでしょう。その親の少将は、子より後に昇殿もなさったとか。大殿の三男としては、按察大納言経実と申していらっしゃいました。二位大納言と申しました。二位宰相などとも申していたとか。その御母は美濃守基貞の娘です。その大納言の御娘は、公実春宮大夫の長女の腹でいらしたのを、院(後白河)が宮でいらしたときに入内されて、二条天皇をお産みしてお亡くなりになりました。后を追贈されました。父の大納言は太政大臣を追贈されたとか。その贈后と同じ腹でいらっしゃる方が、このごろの経宗左大臣と申し上げます。二条院の御叔父でいらした上に、人柄もしっかりしていらっしゃるのでしょうか、よい公卿と評判のようです。父の大納言殿も兄の中納言殿も、ものをお書きになること(学問)はなかったと聞きましたが、この方は書物にも携わっていらっしゃると聞こえます。御子に中将の君がいらっしゃるそうですが、清隆中納言の娘の腹でいらっしゃるでしょうか。

この大臣殿の御兄たちも多くいらっしゃるのでしょう。経定中納言は治部卿通俊の娘の腹でいらしたと聞きました。その次に光忠中納言と申し上げる方も、左大臣の御兄でいらっしゃるのでしょう。二条の大后の宮(令子内親王)の女房の御子でいらしたのを、その宮が養育なさって、春若君と申しました。このごろは前中納言・民部卿になられたとか。按察大納言の御子は多くいらしたと聞きました。大侍従などといっていらした方もありました。仁和寺に静経僧都と申し上げた方は、よい真言師で、霊験のある人と聞きました。大殿の四男にあたられたでしょうか、按察と同じ腹で良実大納言と申し上げた方は、小野宮と申し上げました。兄の殿よりも文字などをお書きになったのでしょうか、検非違使の別当などをなさいました。大殿の五男でいらしたでしょうか、忠教大納言は、四条の民部卿と申し上げました。その御母は遠江守永信の子で、蔵人を下りて官職もなかったのでしょうか、永業と申した人の娘の腹でいらっしゃいます。その民部卿の御子たちも大勢いらっしゃいました。忠基中納言と申し上げた方は、筑紫の帥になられたのでしたね。神楽の笛をよくお吹きになったと承りました。その御子で六角の宰相家通と申す方は、重通按察大納言が養育なさったと聞こえます。

意訳

師実の子家忠は、関白にもなれる身分だったが、甥の忠実が師実の養子として関白を継いだため、一の上(筆頭大臣)にとどまった。右大将の後任をめぐって、白河院は寵臣の宗通を推したが、院の使者宗忠に対して、若い堀河天皇は、笛を吹きながら黙っていたのち、「人の耳驚くばかりの官は、能くためらひて、世の人の言はんことを聞くべし」という教えを引いて、上臈の家忠を越えるべきではないと答えた。院はこれを聞いて感心し、家忠を大将とした。

この逸話は、若い天皇の見識と、白河院の度量とを同時に伝えている。章題の「花の山」は、家忠が花山院家の祖であることによる。

後半は家忠の子孫(忠宗・忠雅・兼雅ら花山院家)、師実の三男経実の子孫(経宗・光忠ら)、四男良実、五男忠教とその子らの系譜。経宗が二条天皇の叔父として左大臣に至ったことにも触れる。

語釈・文法注

花山ノ院の左のおとゞ家忠
藤原家忠(1062〜1136)。師実の子。左大臣。花山院家の祖。
一の上
太政官の筆頭の公卿。通常は左大臣。
美濃守賴國
源頼国(?〜1058)。清和源氏。
宗通大納言
藤原宗通(1071〜1120)。白河院の寵臣。
中宮
篤子内親王。堀河天皇の中宮。第14章参照。
宗忠
藤原宗忠。日記『中右記』の作者。当時は頭弁。
靱負
衛門府。
中納言忠宗
藤原忠宗(1087〜1133)。家忠の子。
雅兼の中納言
源雅兼(1079〜1143)。
職事
蔵人頭・五位蔵人など、蔵人所の役人。
忠雅
藤原忠雅(1124〜1193)。忠宗の子。太政大臣。
中納言忠親
藤原忠親(1131〜1195)。日記『山槐記』を残した。今鏡の作者とする説もある。
兼雅
藤原兼雅(1148〜1200)。忠雅の子。
かのこ侍從
鹿の子侍従。親(鹿)は隠れて子が現れることに戯れたあだ名。
按察の大納言經實
藤原経実。師実の子。二条天皇の母懿子の父。
經宗の左のおとゞ
藤原経宗。経実の子。第25章参照。
光忠の中納言
藤原光忠(1116〜1179)。
良實の大納言
藤原良実(?〜1150?)。
忠敎の大納言
藤原忠教(1076〜1141)。師実の子。四条民部卿。
忠基の中納言
藤原忠基(1099〜1162)。忠教の子。大宰権帥。

文法

ふけ殿をたのみましてあれ
「頼みまして」は「頼みましてあれ」。頼みにしておれ。
えもいはずのたまはするものかな
何とも言えずすばらしくおっしゃるものだな。

解説

堀河天皇の言葉に引かれる「世のまつりごとは司召にあるべきなり」は、父白河天皇の教えとされる。白河院は自らの言葉を逆手に取られた形だが、潔く認めた。今鏡は、院と天皇との理想的な関係を示す逸話として描いている。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、213〜219頁(コマ121–124)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日