今鏡 第五「藤波の中」 第45章
花の山
師実の子、花山院左大臣藤原家忠。右大将の地位を白河院が宗通に与えようとした時、堀河天皇は「人の耳驚くばかりの官は、よくためらって世の人の言を聞くべし」と答え、家忠が大将となった。家忠の子孫(花山院家)や、師実の他の子たちの家系が語られる。
- 1大殿大殿おおとののをのこのをのこのおのこ公達公達きんだちははは、、、後後のちののの二條二條にじょう殿殿どのののの次次つぎににに、、、花山花山かざんノノノ院院いんののの左左ひだりのおとゞのおとゞのおとどとてとてとて、、、大臣大臣おとどののの大將大將だいしょうにてにてにて、、、久久ひさしくしくしくののの上上うえにておはしきにておはしきにておわしき。。。其其そののの御母御母おおんははははは、、、ととと聞聞きこえしこえしこえし源氏源氏げんじのむすめののむすめののむすめの腹腹はらにおはすにおはすにおわす。。。
- 2此此このおとゞのおとゞのおとど、、、關白關白かんぱくにもなりにもなりにもなり給給たまふべきふべきうべき人人ひとにおはすれどにおはすれどにおわすれど、、、御兄御兄おおんあにののの二條二條にじょう殿殿どのののの御子御子みこ、、、富家富家ふけののの入道入道にゅうどうおとゞのおとゞのおとどの、、、大殿大殿おおとののののうまごにおはするうまごにおはするうまごにおわする上上うえににに、、、御子御子みこにしたてまつりにしたてまつりにしたてまつり給給たまひてひていて、、、關白關白かんぱくつぎつぎつぎ給給たまへればへればえれば、、、大殿大殿おおとののおはしましゝのおはしましゝのおわしましし代代よよりよりより、、、「「「ふけふけふけ殿殿どのをををたのみましてあれたのみましてあれたのみましてあれ」」」。。。
- 3ととと仰仰おおせられせられせられ掟掟おきてさせてさせてさせ給給たまひければひければいければ、、、何事何事なにごとももも申申もうししし合合あわせつゝせつゝせつつ過過すぎぎぎ給給たまへりけるにへりけるにえりけるに、、、富家殿富家殿ふけどの關白關白かんぱくになりになりになり給給たまひてひていて、、、大將大將だいしょうのきのきのき給給たまへりけるへりけるえりけるををを、、、白河白河しらかわノノノ院院いんののの御御おんおぼえにておぼえにておぼえにて、、、大納言大納言だいなごんなるべしとなるべしとなるべしと聞聞きこえければこえければこえければ、、、このおとゞこのおとゞこのおとど、、、富家殿富家殿ふけどのににに、、、いかゞしいかゞしいかがし侍侍はべるべきとるべきとるべきと申申もうしあはせしあはせしあわせ給給たまひければひければいければ、、、「「「いかにもいかにもいかにも力力ちから及及およばぬばぬばぬ事事ことにこそあめれにこそあめれにこそあめれ。。。さるにてもさるにてもさるにても、、、もしもしもし少少すこしのつまともやなるとしのつまともやなるとしのつまともやなると、、、ににに志志こころざしををを見見みえええ申申もうししし給給たまへへえ。。。このこのこの家家いえにいとなきにいとなきにいとなき事事ことなれどなれどなれど」」」などなどなど侍侍はべりければりければりければ、、、誠誠まことににに然侍然侍しかはべるるる事事こととてとてとて、、、申申もうししし入入いれれれ給給たまへりければへりければえりければ、、、思思おもひがけぬひがけぬいがけぬ御心御心みこころざしなどざしなどざしなど聞聞きこえこえこえ給給たまひけるひけるいけるほどにほどにほどに、、、白河白河しらかわノノノ院院いん、、、のおとゞのおとゞのおとど、、、頭頭かしらノノノ辨辨べんにおはしけるにおはしけるにおわしける時時とき、、、「「「きときときと參參まいれれれ」」」ととと侍侍はべりけれりけれりけれははは、、、おそくやおぼしめすらんとおそくやおぼしめすらんとおそくやおぼしめすらんと、、、恐恐おそれおぼしけれどれおぼしけれどれおぼしけれど、、、いといといと快快かいききき御御おんけしきにてけしきにてけしきにて、、、堀河堀河ほりかわのみかどのみかどのみかど位位くらいにおはしましゝにおはしましゝにおわしましし時時とき、、、內內うちへへへ參參まいりてりてりて申申もうせとてせとてせとて、、、「「「大將大將だいしょうあきてあきてあきて侍侍はべるにるにるに、、、宗通宗通むねみちをををなしなしなし侍侍はべらんとらんとらんと思思おもひひい給給たまふるなりふるなりうるなり。。。幼幼おさなくよりおほしたてくよりおほしたてくよりおおしたて侍侍はべりてりてりて、、、さりがたくさりがたくさりがたく思思おもふふう餘餘あまりになんなどりになんなどりになんなど奏奏そうせよせよせよ」」」。。。
- 4ととと侍侍はべりければりければりければ、、、わづらはしきわづらはしきわずらわしき事事ことにかゝりぬとにかゝりぬとにかかりぬと思思おもひながらひながらいながら、、、參參まいりりり給給たまへりけるにへりけるにえりけるに、、、內內うちははは御笛御笛おおんふえ吹吹ふかせかせかせ給給たまひてひていて、、、聞聞きこしめしもこしめしもこしめしも入入いれざりけるれざりけるれざりけるををを、、、ひまひまひま伺伺うかがひてひてひて、、、かくかくかく奏奏そうししし給給たまひければひければいければ、、、御返事御返事おおんかえりごともなくてもなくてもなくて、、、なほなほなお笛笛ふえ吹吹ふかせたまひてかせたまひてかせたまいて、、、入入いらせらせらせ給給たまひにけるひにけるいにけるををを、、、いそぎていそぎていそぎて御返事御返事おおんかえりごと申申もうせとせとせと侍侍はべりつるものりつるものりつるものをををととと思思おもひてひていて、、、おどろかしおどろかしおどろかし申申もうされければされければされければ、、、出出いでさせでさせでさせ給給たまひてひていて、、、「「「いかさまにもいかさまにもいかさまにも、、、御計御計おおんはからひにこそらひにこそらいにこそ侍侍はべらめらめらめ。。。かくかくかく仰仰おおせつかはすべしともせつかはすべしともせつかわすべしとも思思おもふたまへふたまへうたまえ侍侍はべらずらずらず。。。かゝるかゝるかかる仰仰おおせせせ侍侍はべればればれば、、、恐恐おそれながられながられながら申申もうししし侍侍はべるになんるになんるになん。。。昔昔むかしうけたまはりうけたまはりうけたまわり侍侍はべりしりしりし仰仰おおせにせにせに、、、世世よのまつりごとのまつりごとのまつりごとははは、、、司召司召つかさめしにあるべきなりにあるべきなりにあるべきなり。。。然然しかあればあればあれば大臣大臣おとど大將大將だいしょうなどよりなどよりなどより始始はじめてめてめて、、、のまつりごとまでのまつりごとまでのまつりごとまで、、、人人ひとののの耳耳みみおどろくばかりのおどろくばかりのおどろくばかりの官官つかさをばをばをば、、、能能よくためらひてくためらひてくためらいて、、、世世よののの人人ひとのいのいのいはははんことんことんことををを聞聞きくべきなりとくべきなりとくべきなりと、、、うけたまはりうけたまはりうけたまわり侍侍はべりしよりりしよりりしより、、、いとかしこきいとかしこきいとかしこき仰仰おおせなりとせなりとせなりと、、、心心こころののの底底そこににに思思おもひひい給給たまへてなんまかりすぎへてなんまかりすぎえてなんまかりすぎ侍侍はべるるる。。。このこのこの大將大將だいしょうののの事事ことははは、、、然然しかるべきにとりてるべきにとりてるべきにとりて、、、家忠家忠いえただこそこそこそ、、、關白關白かんぱくののの子子こにてにてにて侍侍はべるるる上上うえににに、、、位位くらいももも上﨟上﨟じょうろうににに侍侍はべるるるををを、、、越越こえええ侍侍はべらんやらんやらんや。。。いかゞといかゞといかがと思思おもうたまふるにうたまふるにうたまうるに、、、下﨟下﨟げろうなりともなりともなりとも、、、身身みののの才才さいなどすぐれなどすぐれなどすぐれ侍侍はべらばらばらば、、、其其そのかたともおぼえのかたともおぼえのかたともおぼえ侍侍はべるべきにるべきにるべきに、、、それもまさりたるそれもまさりたるそれもまさりたる事事ことももも侍侍はべらずらずらず、、、いかにもいかにもいかにも御計御計おおんはからひにらひにらいに侍侍はべるべしとるべしとるべしと申申もうせせせ」」」。。。
- 5とのとのとの給給たまはせければはせければわせければ、、、歸歸かえりりり參參まいられられられ侍侍はべりけるにりけるにりけるに、、、いそぎいそぎいそぎ問問とはせはせわせ給給たまひけるにひけるにいけるに、、、かくとかくとかくと申申もうしければしければしければ、、、院院いんきかせきかせきかせ給給たまひてひていて、、、「「「しばししばししばし候候そうらへへえ」」」。。。とてとてとて重重かさねてねてねて召召めしてしてして、、、「「「えもいはずのたまはするものかなえもいはずのたまはするものかなえもいわずのたまわするものかな。。。誠誠まことににに理理ことわりなりりなりりなり」」」とてとてとて、、、家忠仰家忠仰いえただおおせせせ下下くだすべきよしすべきよしすべきよし侍侍はべりてぞりてぞりてぞ。。。このおとゞこのおとゞこのおとど大將大將だいしょうにににははは成成なりりり給給たまひけるひけるいける。。。
- 6此此このおとゞののおとゞののおとどの御子御子みこははは、、、中納言忠宗中納言忠宗ちゅうなごんただむねととと申申もうしきしきしき。。。そのそのその中納言中納言ちゅうなごんははわ、、、播磨守定綱播磨守定綱はりまのかみさだつなととと聞聞きこえしむすめのこえしむすめのこえしむすめの腹腹はらにおはしきにおはしきにおわしき。。。中納言中納言ちゅうなごんいとよきいとよきいとよき人人ひとにぞおはせしにぞおはせしにぞおわせし。。。
- 7ののの中納言中納言ちゅうなごんとならびとならびとならび給給たまひてひていて、、、五位五位ごいノノノ藏人藏人くろうど十年十年じゅうねんばかりばかりばかり、、、藏人藏人くろうどノノノ頭頭とうにてもにてもにても十年十年じゅうねんなどやおはしけんなどやおはしけんなどやおわしけん。。。二十年二十年にじゅうねんのののにてにてにて、、、ふたりふたりふたりながらながらながら、、、同同おなじやうにじやうにじょうに仕仕つかへへえ給給たまひしにひしにいしに、、、昔昔むかしにもにもにも耻耻はぢずぢずじず、、、末末すえののの世世よにににははは、、、有有ありがたきりがたきりがたき職事職事しきじとてとてとて、、、惜惜おしまれまれまれ給給たまふふうほどにほどにほどに、、、なか〳〵おそくなか〳〵おそくなかなかおそく昇昇のぼりたまふとぞりたまふとぞりたまうとぞ、、、痛痛いたみみみ給給たまひけるひけるいける。。。
- 8宰相宰相さいしょう中納言中納言ちゅうなごんまでまでまで、、、同同おなじやうにならびてのぼりじやうにならびてのぼりじょうにならびてのぼり給給たまひきひきいき。。。ののの中納言中納言ちゅうなごんははわ、、、中宮中宮ちゅうぐうノノノ權權けんノノノ大夫大夫だいぶととと聞聞きこえこえこえ給給たまひきひきいき。。。そのそのその中納言中納言ちゅうなごんののの御子御子みこははは、、、修理修理すりのかみのかみのかみ家保家保いえやすととと聞聞きこえしこえしこえしはらにおはするはらにおはするはらにおわする公達公達きんだち、、、花山花山かざんノノノ院院いんのおほきおとゞのおほきおとゞのおおきおとど、、、又中納言忠親又中納言忠親またちゅうなごんただちかなどなどなど申申もうしてしてして、、、おやのおやのおやの御子御子みこなればなればなれば、、、よきかんだちめたちにぞよきかんだちめたちにぞよきかんだちめたちにぞ、、、おはするときこえおはするときこえおわするときこえ給給たまふふう。。。
- 9ののの中納言中納言ちゅうなごん、、、これもこれもこれも親親おやたちのおはせしやうにたちのおはせしやうにたちのおわせしょうに、、、雅兼雅兼まさかねののの子子こののの、、、雅賴雅賴まさよりののの中納言中納言ちゅうなごんととと、、、藏人藏人くろうどノノノ頭頭とうにならびてにならびてにならびて、、、宰相宰相さいしょう中納言中納言ちゅうなごんにもにもにも、、、同同おなじやうにじやうにじょうにうちつゞきのぼりうちつゞきのぼりうちつづきのぼり給給たまふなるもいとふなるもいとうなるもいとかひ〴〵しくかひ〴〵しくかいがいしく、、、忠雅忠雅ただまさのおとゞのおとゞのおとどははは、、、三位中將三位中將さんみちゅうじょう大臣大臣おとど大將大將だいしょうなどなどなど歷歷へたまひてたまひてたまいて、、、おほきおとゞまでおほきおとゞまでおおきおとどまで至至いたりりり給給たまへりへりえり。。。
- 10そのそのその御子御子みこにおはするなるにおはするなるにおわするなる、、、ののの中納言中納言ちゅうなごんははわ、、、家成家成いえなりののの中納言中納言ちゅうなごんののの、、、むすめのむすめのむすめの腹腹はらにやおはすらんにやおはすらんにやおわすらん。。。それもそれもそれも、、、三位三位さんみののの中將中將ちゅうじょうなどきこえなどきこえなどきこえ給給たまひきひきいき。。。中宮中宮ちゅうぐうノノノ權權けんノノノ大夫大夫だいぶののの兄兄このかみにてにてにて、、、播磨播磨はりまノノノ介忠兼介忠兼すけただかねといふといふという人人ひともおはしけりもおはしけりもおわしけり。。。
- 11弟弟おとうとののの中納言中納言ちゅうなごんののの上達部上達部かんだちめになりたまひてのちになりたまひてのちになりたまいてのち、、、親親おやのおのおのおほいどのほいどのほいどの大將大將だいしょうをををたてまつりてたてまつりてたてまつりて、、、少將少將しょうしょうにににはじめてなしはじめてなしはじめてなし申申もうししし給給たまひけるとかやひけるとかやいけるとかや。。。そのそのその少將少將しょうしょうののの子子こににに、、、光家光家みついえとかとかとか聞聞きこえこえこえ給給たまひけるひけるいけるををを、、、大臣殿大臣殿おおいどのののの御子御子みこにしにしにし給給たまひてひていて、、、殿上殿上てんじょうししし給給たまへりけるへりけるえりける。。。
- 12侍從侍從じじゅうにおはしけるにおはしけるにおわしけるをばをばをば、、、侍從侍從じじゅうとぞとぞとぞ人人ひとははは申申もうしけるしけるしける。。。親親おやはははかくれてかくれてかくれて、、、子子このあらはれたるとかなるべしのあらはれたるとかなるべしのあらわれたるとかなるべし。。。そのおやのそのおやのそのおやの少將少將しょうしょうははは子子こよりのちによりのちによりのちに、、、殿上殿上てんじょうもしもしもし給給たまひけるとかやひけるとかやいけるとかや。。。
- 13おおおほいどのゝほいどのゝほいどのの三郞三郞さぶろうにてにてにてははは、、、按察按察あぜちののの大納言大納言だいなごんととと申申もうしておはしきしておはしきしておわしき。。。二位二位にいノノノ大納言大納言だいなごんとぞとぞとぞ申申もうしゝしゝしし。。。二位二位にいノノノ宰相宰相さいしょうなどなどなど申申もうしつけたりけるとぞしつけたりけるとぞしつけたりけるとぞ。。。そのそのその御母御母おおんははははは美濃守基貞美濃守基貞みののかみもとさだのむすめなりのむすめなりのむすめなり。。。
- 14そのそのその大納言大納言だいなごんののの御御おんむすめむすめむすめ、、、公實公實きんざねののの春宮春宮とうぐうノノノ大夫大夫だいぶのおのおのおほいぎみのほいぎみのほいぎみのはらにおはせしはらにおはせしはらにおわせしををを、、、院院いんののの宮宮みやとておはしましゝにとておはしましゝにとておわしまししに參參まいりりり給給たまひてひていて、、、二條二條にじょうのみかどのみかどのみかどををを生生うみみみ奉奉たてまつりてかくれりてかくれりてかくれ給給たまひにきひにきいにき。。。
- 15后后きさきををを贈贈おくられられられ給給たまひきひきいき。。。父父ちちののの大納言大納言だいなごんははわ、、、おほきおとゞおほきおとゞおおきおとど贈贈おくられられられ給給たまへるとぞへるとぞえるとぞ。。。そのそのその贈后贈后ぞうごうのののひとつひとつひとつ御御おんはははらにおはすなりらにおはすなりらにおわすなり。。。此此こののの頃頃ごろははは、、、ののの左左ひだりのおとゞときこえのおとゞときこえのおとどときこえ給給たまふふう。。。
- 16二條院二條院にじょういんののの御御おんをををぢにておはせしぢにておはせしじにておわせし上上うえににに、、、人人ひとがらもがらもがらもはか〴〵しくはか〴〵しくはかばかしくおはするにやおはするにやおわするにや。。。良良よききき上達部上達部かんだちめとぞきこえたまふめるとぞきこえたまふめるとぞきこえたまうめる。。。おやのおやのおやの大納言殿大納言殿だいなごんどのももも、、、兄兄あにののの中納言中納言ちゅうなごん殿殿どのももも、、、物物ものなどかきなどかきなどかき給給たまふふう事事ことおはせずとおはせずとおわせずと聞聞きこえしにこえしにこえしに、、、是是これれれははは、、、ふみにもたづさはりふみにもたづさはりふみにもたずさわり給給たまへるとぞへるとぞえるとぞ聞聞きこえたまふこえたまふこえたまう。。。
- 17御子御子みこににに中將中將ちゅうじょうのきみおはすなるのきみおはすなるのきみおわすなる、、、淸隆淸隆きよたかののの中納言中納言ちゅうなごんのむすめののむすめののむすめのはらにやおはすらんはらにやおはすらんはらにやおわすらん。。。
- 18このこのこの大臣殿大臣殿おおいどのののの御兄御兄おおんあにどもどもども、、、多多おおくおはするなるべしくおはするなるべしくおわするなるべし。。。經定經定つねさだののの中納言中納言ちゅうなごんははわ、、、治部卿治部卿じぶきょう通俊通俊みちとしのむすめののむすめののむすめの腹腹はらにおはしけるとぞにおはしけるとぞにおわしけるとぞ聞聞きこえしこえしこえし。。。そのそのその次次つぎににに、、、ののの中納言中納言ちゅうなごんととと聞聞きこえこえこえ給給たまふもふもうも、、、左左ひだりのおとゞののおとゞののおとどの御兄御兄おおんあににおはするなるべしにおはするなるべしにおわするなるべし。。。
- 19二條二條にじょうのおほぎさいののおほぎさいののおおぎさいの宮宮みやののの女房女房にょうぼうののの御子御子みこにおはせしにおはせしにおわせしををを、、、彼彼かののの宮宮みやののの養養やしなはせはせわせ給給たまひてひていて、、、はるわかはるわかはるわか君君きみととと聞聞きこえしこえしこえし、、、此此こののの頃頃ごろははは前前さきのノノノ中納言中納言ちゅうなごん民部卿民部卿みんぶきょうになりになりになり給給たまふとかやふとかやうとかや。。。
- 20按察按察あぜちののの大納言大納言だいなごんののの御子御子みこははは、、、多多おおくおはしけるとぞくおはしけるとぞくおわしけるとぞ聞聞きこえしこえしこえし。。。大侍從大侍從おおじじゅうなどいひてもおはしきなどいひてもおはしきなどいいてもおわしき。。。仁和寺仁和寺にんなじににに靜經僧都靜經僧都じょうきょうそうずととと聞聞きこえたまひしこえたまひしこえたまいしははは、、、よきよきよき眞言眞言しんごん師師しにてにてにて、、、しるしあるしるしあるしるしある人人ひととぞとぞとぞ聞聞きこえこえこえ給給たまひしひしいし。。。
- 21おほとのゝおほとのゝおおとのの四郞四郞しろうにやあたりにやあたりにやあたり給給たまひけんひけんいけん。。。按察按察あぜちののの一一ひとつはらにつはらにつわらにののの大納言大納言だいなごんととと申申もうしゝしゝしし、、、小野小野おのののの宮宮みやとぞきこえとぞきこえとぞきこえ給給たまひしひしいし。。。兄兄あにののの殿殿どのよりもよりもよりも、、、文字文字もじなどかきたまひしにやなどかきたまひしにやなどかきたまいしにや。。。
- 22檢非違使檢非違使けびいしののの別當別當べっとうなどしなどしなどし給給たまひきひきいき。。。大殿大殿おおとのののの五郞五郞ごろうにやおはしけんにやおはしけんにやおわしけん。。。ののの大納言大納言だいなごん、、、四條四條しじょうののの民部卿民部卿みんぶきょうとぞきこえとぞきこえとぞきこえ給給たまひしひしいし。。。そのそのその御母御母おおんはは遠江守遠江守とおとうみのかみ永永えい信信のぶががが子子こににに、、、藏人藏人くろうどおりておりておりて、、、つかさもなかりしにやつかさもなかりしにやつかさもなかりしにや。。。
- 23永業永業ながなりととと聞聞きこえしこえしこえし人人ひとのむすめののむすめののむすめのはらにおはすはらにおはすはらにおわす。。。そのそのその民部卿民部卿みんぶきょうののの御子御子みこどもあまたおはしきどもあまたおはしきどもあまたおわしき。。。ののの中納言中納言ちゅうなごんととと申申もうしゝしゝしし、、、筑紫筑紫つくしののの帥帥そつになりになりになり給給たまへりしかとよへりしかとよえりしかとよ。。。
- 24神樂神樂かぐらののの笛笛ふえをぞをぞをぞよくよくよく吹吹ふききき給給たまひけるとひけるといけるとうけたまはりしうけたまはりしうけたまわりし。。。そのそのその御子御子みこににに、、、六角六角ろくかくののの宰相家通宰相家通さいしょういえみちととと申申もうすなるすなるすなるははは、、、重通重通しげみちのあぜちののあぜちののあぜちの大納言大納言だいなごんののの養養やしなひひい申申もうししし給給たまひけるとぞひけるとぞいけるとぞ聞聞きこえこえこえ給給たまふふう。。。
現代語訳
大殿(師実)の男の公達は、後の二条殿の次に、花山院の左大臣家忠といって、大臣の大将として長く一の上(筆頭の大臣)でいらっしゃいました。その御母は、美濃守頼国と申した源氏の娘の腹でいらっしゃいます。この大臣は関白にもなられるはずの人でいらっしゃったけれども、御兄の二条殿の御子の富家の入道殿(忠実)が大殿の孫でいらっしゃる上に、(大殿が)御養子になさって関白を継がれたので、大殿が生きていらした代から「富家殿を頼みにしておれ」とおっしゃり取り決めていらしたので、何事も相談しながら過ごしておられたところ、富家殿が関白になられて大将を退かれたのを、白河院のご寵愛で宗通大納言がなるだろうと聞こえたので、この大臣が富家殿に、どうしたらよいでしょうと相談なさったところ、「何とも力の及ばないことのようだ。それにしても、もしや少しの手がかりにもなるかと、中宮(篤子)に心を寄せていることをお見せ申し上げなさい。この家では例のないことだけれど」などとおっしゃったので、まことにそのとおりだといって申し入れなさったところ、思いがけないお心寄せなどをいただいていたうちに、白河院が、宗忠公が頭弁でいらした時、「すぐに参れ」とおっしゃったので、遅いとお思いになっているだろうかと恐れていらしたけれども、たいそうご機嫌よく、堀河天皇が在位でいらした時、内裏へ参って申せといって、「大将が空いておりますので、宗通を任じようと存じます。幼い時から育てまして、捨てがたく思うあまりのことです、などと奏上せよ」とおっしゃったので、面倒なことにかかわってしまったと思いながら参られたところ、帝は御笛をお吹きになっていて、お聞き入れにならなかったのを、すきをうかがってこのように奏上なさったところ、お返事もなくて、なお笛をお吹きになって、奥へお入りになってしまったのを、「急いでお返事を申せと仰せられたのに」と思って、お促し申されたところ、出ていらして、「何にせよ、院のお計らいでございましょう。このように仰せ遣わされるべきこととも存じません。このような仰せがありましたので、恐れながら申し上げるのです。昔承りました仰せに、世の政治は司召(任官)にあるべきである。だから大臣・大将などをはじめとして、靫負(衛門府)の官人まで、人の耳を驚かすほどの官職は、よくためらって、世の人の言うことを聞くべきである、と承りましてから、まことに恐れ多い仰せだと心の底に思って過ごしてまいりました。この大将のことは、しかるべき人としては、家忠こそ関白の子である上に、位も上臈でありますのを、越えてよいものでしょうか。どうかと存じますが、下臈であっても、学才などがすぐれておりましたら、その方面とも思われましょうが、それもまさっていることもございません。何にせよお計らいのとおりであるべきだと申せ」とおっしゃったので、帰り参られたところ、急いでお尋ねになったので、こうと申し上げたところ、院はお聞きになって、「しばらく待っていよ」といって、重ねてお召しになって、「何とも言いようもないほどうまくおっしゃるものだな。まことに道理だ」といって、家忠を任じるよう仰せ下されることになって、この大臣は大将におなりになったのでした。
この大臣の御子は中納言忠宗と申しました。その中納言は播磨守定綱と申した人の娘の腹でいらっしゃいました。中納言はたいそうよい人でいらっしゃいました。雅兼中納言と並ばれて、五位蔵人を十年ほど、蔵人頭としても十年などいらっしゃったでしょうか。二十年の職事として、お二人とも同じようにお仕えになったので、昔にも恥じず、末世にはめったにない職事として惜しまれたあまりに、かえって昇進が遅かったと気の毒がられました。宰相・中納言まで同じように並んで上られました。忠宗中納言は中宮権大夫と申し上げました。その中納言の御子は、修理大夫家保と申した人の娘の腹でいらっしゃる公達で、花山院の太政大臣忠雅、また中納言忠親などと申して、親の御子なので、よい公卿たちでいらっしゃると評判です。忠親中納言は、これも親たちがいらしたように、雅兼の子の雅頼中納言と蔵人頭に並んで、宰相・中納言にも同じように続いて上られたのもたいそう甲斐甲斐しく、忠雅公は三位中将・大臣・大将などを経て、太政大臣にまで至られました。
その御子でいらっしゃる兼雅中納言は、家成中納言の娘の腹でいらっしゃるでしょうか。それも三位中将などと申し上げました。中宮権大夫(忠宗)の兄に、播磨介忠兼という人もいらっしゃいました。弟の中納言が公卿になられた後、父の大臣が大将の職を(返上して)差し上げて、少将に初めてお任じ申し上げたとか。その少将の子で光家とか申し上げた方を、大臣殿(家忠)の御養子になさって、昇殿なさいました。侍従でいらしたのを、「鹿の子侍従」と人は申しました。親は隠れて子が表に出ている、というのでしょう。その親の少将は、子より後に昇殿もなさったとか。大殿の三男としては、按察大納言経実と申していらっしゃいました。二位大納言と申しました。二位宰相などとも申していたとか。その御母は美濃守基貞の娘です。その大納言の御娘は、公実春宮大夫の長女の腹でいらしたのを、院(後白河)が宮でいらしたときに入内されて、二条天皇をお産みしてお亡くなりになりました。后を追贈されました。父の大納言は太政大臣を追贈されたとか。その贈后と同じ腹でいらっしゃる方が、このごろの経宗左大臣と申し上げます。二条院の御叔父でいらした上に、人柄もしっかりしていらっしゃるのでしょうか、よい公卿と評判のようです。父の大納言殿も兄の中納言殿も、ものをお書きになること(学問)はなかったと聞きましたが、この方は書物にも携わっていらっしゃると聞こえます。御子に中将の君がいらっしゃるそうですが、清隆中納言の娘の腹でいらっしゃるでしょうか。
この大臣殿の御兄たちも多くいらっしゃるのでしょう。経定中納言は治部卿通俊の娘の腹でいらしたと聞きました。その次に光忠中納言と申し上げる方も、左大臣の御兄でいらっしゃるのでしょう。二条の大后の宮(令子内親王)の女房の御子でいらしたのを、その宮が養育なさって、春若君と申しました。このごろは前中納言・民部卿になられたとか。按察大納言の御子は多くいらしたと聞きました。大侍従などといっていらした方もありました。仁和寺に静経僧都と申し上げた方は、よい真言師で、霊験のある人と聞きました。大殿の四男にあたられたでしょうか、按察と同じ腹で良実大納言と申し上げた方は、小野宮と申し上げました。兄の殿よりも文字などをお書きになったのでしょうか、検非違使の別当などをなさいました。大殿の五男でいらしたでしょうか、忠教大納言は、四条の民部卿と申し上げました。その御母は遠江守永信の子で、蔵人を下りて官職もなかったのでしょうか、永業と申した人の娘の腹でいらっしゃいます。その民部卿の御子たちも大勢いらっしゃいました。忠基中納言と申し上げた方は、筑紫の帥になられたのでしたね。神楽の笛をよくお吹きになったと承りました。その御子で六角の宰相家通と申す方は、重通按察大納言が養育なさったと聞こえます。
意訳
師実の子家忠は、関白にもなれる身分だったが、甥の忠実が師実の養子として関白を継いだため、一の上(筆頭大臣)にとどまった。右大将の後任をめぐって、白河院は寵臣の宗通を推したが、院の使者宗忠に対して、若い堀河天皇は、笛を吹きながら黙っていたのち、「人の耳驚くばかりの官は、能くためらひて、世の人の言はんことを聞くべし」という教えを引いて、上臈の家忠を越えるべきではないと答えた。院はこれを聞いて感心し、家忠を大将とした。
この逸話は、若い天皇の見識と、白河院の度量とを同時に伝えている。章題の「花の山」は、家忠が花山院家の祖であることによる。
後半は家忠の子孫(忠宗・忠雅・兼雅ら花山院家)、師実の三男経実の子孫(経宗・光忠ら)、四男良実、五男忠教とその子らの系譜。経宗が二条天皇の叔父として左大臣に至ったことにも触れる。
語釈・文法注
- 花山ノ院の左のおとゞ家忠
- 藤原家忠(1062〜1136)。師実の子。左大臣。花山院家の祖。
- 一の上
- 太政官の筆頭の公卿。通常は左大臣。
- 美濃守賴國
- 源頼国(?〜1058)。清和源氏。
- 宗通大納言
- 藤原宗通(1071〜1120)。白河院の寵臣。
- 中宮
- 篤子内親王。堀河天皇の中宮。第14章参照。
- 宗忠
- 藤原宗忠。日記『中右記』の作者。当時は頭弁。
- 靱負
- 衛門府。
- 中納言忠宗
- 藤原忠宗(1087〜1133)。家忠の子。
- 雅兼の中納言
- 源雅兼(1079〜1143)。
- 職事
- 蔵人頭・五位蔵人など、蔵人所の役人。
- 忠雅
- 藤原忠雅(1124〜1193)。忠宗の子。太政大臣。
- 中納言忠親
- 藤原忠親(1131〜1195)。日記『山槐記』を残した。今鏡の作者とする説もある。
- 兼雅
- 藤原兼雅(1148〜1200)。忠雅の子。
- かのこ侍從
- 鹿の子侍従。親(鹿)は隠れて子が現れることに戯れたあだ名。
- 按察の大納言經實
- 藤原経実。師実の子。二条天皇の母懿子の父。
- 經宗の左のおとゞ
- 藤原経宗。経実の子。第25章参照。
- 光忠の中納言
- 藤原光忠(1116〜1179)。
- 良實の大納言
- 藤原良実(?〜1150?)。
- 忠敎の大納言
- 藤原忠教(1076〜1141)。師実の子。四条民部卿。
- 忠基の中納言
- 藤原忠基(1099〜1162)。忠教の子。大宰権帥。
文法
- ふけ殿をたのみましてあれ
- 「頼みまして」は「頼みましてあれ」。頼みにしておれ。
- えもいはずのたまはするものかな
- 何とも言えずすばらしくおっしゃるものだな。
解説
堀河天皇の言葉に引かれる「世のまつりごとは司召にあるべきなり」は、父白河天皇の教えとされる。白河院は自らの言葉を逆手に取られた形だが、潔く認めた。今鏡は、院と天皇との理想的な関係を示す逸話として描いている。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、213〜219頁(コマ121–124)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日