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今鏡 第五「藤波の中」 第44章

苔の衣

師通の子孫。三条の悪宰相家政の子雅教は出家して高野山に入り、その子の少将公房も二条天皇の崩御を機に出家した。語り手は、若い公達が世を捨てた昔の例――遍昭、源顕基、高光少将、照る中将成信と光る少将重家など――を挙げて、公房の出家を哀れむ。

  1. 1後のち後のちのちののの二條にでう二條にでうにじょう殿どの殿どのどのののの御子みこ御子みこみこにににははは、、、富家ふけ富家ふけふけののの入道にふだう入道にふだうにゅうどうおほきおとゞおほきおとゞおおきおとど、、、そのそのその御弟おほんおとうと御弟おほんおとうとおおんおとうとにてにてにて、、、、、、とておはしきとておはしきとておわしき。。。但馬たぢま但馬たぢまたじまノノノ守良綱かみよしつな守良綱かみよしつなかみよしつなといひしがといひしがといいしが女をんな女をんなおんなのののはらにおはすはらにおはすはらにおわす。。。
  2. 2そのそのその宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうののの御心みこころ御心みこころみこころばへのばへのばえの、、、きききはははだかにおはしけるにやだかにおはしけるにやだかにおわしけるにや。。。三條さんでう三條さんでうさんじょうのあくのあくのあく宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうとぞとぞとぞ人ひと人ひとひとははは申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。そのそのその御子みこ御子みこみこにににははは、、、顯隆あきたか顯隆あきたかあきたかののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんのむすめののむすめののむすめのはらにおはせしはらにおはせしはらにおわせし、、、ののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんととと申まう申まうもうしゝしゝしし、、、身み身みみののの御おん御おんおんざえざえざえ廣ひろ廣ひろひろくおはしけるくおはしけるくおわしける。。。
  3. 3つかさつかさつかさをもをもをも返かへ返かへかえしたてまつりしたてまつりしたてまつり給たま給たまたまひてひていて、、、かしらおろしてかしらおろしてかしらおろして、、、高野かうや高野かうやこうやにおはすとにおはすとにおわすと聞き聞ききききき侍はべ侍はべはべりしりしりし、、、そのそのその御子みこ御子みこみこにてにてにて、、、少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうふたりふたりふたりおはすなるおはすなるおわすなる。。。前さき前さきさきののの美作守顯能みまさかのかみあきよし美作守顯能みまさかのかみあきよしみまさかのかみあきよしととと聞き聞ききこえしがこえしがこえしが女をんな女をんなおんなのののはらにやおはすらんはらにやおはすらんはらにやおわすらん。。。
  4. 4弟おとうと弟おとうとおとうとののの少將公房せうしやうきんふさ少將公房せうしやうきんふさしょうしょうきんふさときこえときこえときこえ給たま給たまたまふふう、、、二條にでう二條にでうにじょうのみかどかくれさせのみかどかくれさせのみかどかくれさせ給たま給たまたまひてひていて、、、世よ世よよをををはははかなくおもほしとりてかなくおもほしとりてかなくおもおしとりて、、、高野かうや高野かうやこうや山やま山やまやまにのぼりてにのぼりてにのぼりて、、、かしらおろしてかしらおろしてかしらおろして住す住すすみみみ給たま給たまたまふなればふなればうなれば、、、御親おほんおや御親おほんおやおおんおやののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんももも、、、それにそれにそれに引ひ引ひひかれてかれてかれて、、、深ふか深ふかふかききき山やま山やまやまにもにもにも、、、住す住すすみたまへるなるべしみたまへるなるべしみたまえるなるべし。。。
  5. 5昔むかし昔むかしむかしこそこそこそ若わか若わかわかききき近衞こんゑ近衞こんゑこんえのすけなどのすけなどのすけなど、、、世よ世よよをををのがれてのがれてのがれて山やま山やまやまににに住す住すすみみみ給たま給たまたまふとふとうとははは、、、古ふる古ふるふるききき物語ものがたり物語ものがたりものがたりにもにもにも聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべれれれ。。。まさにまさにまさに是こ是ここれこそあはれにれこそあはれにれこそあわれに悲かな悲かなかなしくしくしく、、、ののの、、、深草ふかくさ深草ふかくさふかくさののの御時藏人おほんときくらうど御時藏人おほんときくらうどおおんときくろうどノノノ頭とう頭とうとうにておはしけるがにておはしけるがにておわしけるが、、、夜晝仕よるひるつか夜晝仕よるひるつかよるいるつかうまつりてうまつりてうまつりて、、、諒闇りやうあん諒闇りやうあんりょうあんになりにければになりにければになりにければ、、、悲かな悲かなかなしびにしびにしびに堪た堪たたへずへずえず。。。
  6. 6御おん御おんおんぐしおろしぐしおろしぐしおろし給たま給たまたまひてひていて「「「ののの衣ころも衣ころもころもかわきがたくかわきがたくかわきがたく」」」、、、入道にふだう入道にふだうにゅうどう中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごん、、、後一條ごいちでう後一條ごいちでうごいちじょうノノノ院ゐん院ゐんいんののの御忌おほんいみ御忌おほんいみおおんいみににに、、、帝みかど帝みかどみかどををを戀こ戀ここひひひ奉たてまつ奉たてまつたてまつりてりてりて、、、世よ世よよをををそむきてそむきてそむきて、、、深ふか深ふかふかききき山やま山やまやまにすみにすみにすみ給たま給たまたまひけんにもひけんにもいけんにも、、、おくれぬあはれさにこそおくれぬあはれさにこそおくれぬあわれさにこそ聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまふめれふめれうめれ。。。
  7. 7昔むかし昔むかしむかしはははいかばかりかいかばかりかいかばかりかははは、、、かやうのかやうのかようの人ひと人ひとひと聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまひしひしいし。。。九條くでう九條くでうくじょう殿どの殿どのどのののの御子みこ御子みこみこ、、、、、、始はじ始はじはじめめめははは橫川よかは橫川よかはよかわにすみにすみにすみ給たま給たまたまひてひていて、、、「「「枝えだ枝えだえだにのこれるにのこれるにのこれる」」」などいふなどいふなどいう御歌みうた御歌みうたみゅうたきこえきこえきこえ侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。
  8. 8後のち後のちのちにににははは多武たうの多武たうのとうのノノノ峯みね峯みねみねにおはしきにおはしきにおわしき。。。又また又またまたととと聞き聞ききこえたまひしこえたまひしこえたまいし源氏げんじ源氏げんじげんじののの、、、一條いちでう一條いちでういちじょうのおとゞののおとゞののおとどの御子みこ御子みこみこ、、、大原おほはら大原おほはらおおはらののの御室おむろ御室おむろおむろなどきこえてなどきこえてなどきこえて、、、やんごとなきやんごとなきやんごとなき眞言しんごん眞言しんごんしんごん師し師ししにおはしきにおはしきにおわしき。。。
  9. 9又また又またまた村上むらかみ村上むらかみむらかみののの兵部卿ひやうぶきやう兵部卿ひやうぶきやうひょうぶきょう致いた致いたいた平たひら平たひらたいらのみこののみこののみこの、、、ののの中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょう、、、又また又またまた堀川ほりかは堀川ほりかはほりかわ關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくのののうまごにやおはしけむうまごにやおはしけむうまごにやおわしけむ。。。ののの少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうとてとてとて、、、左大臣さだいじん左大臣さだいじんさだいじんのののひとりひとりひとり子こ子ここにおはせしにおはせしにおわせし、、、もろともにもろともにもろともに佛道ぶつだう佛道ぶつだうぶつどうににに一ひと一ひとひとつつつ御心みこころ御心みこころみこころににに、、、契ちぎ契ちぎちぎりりり申まう申まうもうししし給たま給たまたまひてひていて、、、三井寺みゐでら三井寺みゐでらみいでらのののあざりのあざりのあざりの室しつ室しつしつにおはしてにおはしてにおわして、、、世よ世よよをををそむきなんとそむきなんとそむきなんと、、、のたまひければのたまひければのたまいければ、、、名高なたか名高なたかなたかくおはするくおはするくおわする君きみ君きみきみだちにおはするにだちにおはするにだちにおわするに、、、便びん便びんびんなくなくなく侍はべ侍はべはべりなんとりなんとりなんと否いな否いないなびびび申まう申まうもうしけれどしけれどしけれど、、、かねてかねてかねて御おん御おんおんぐしぐしぐしをををきりておはしければきりておはしければきりておわしければ、、、慶祚きやうそ慶祚きやうそきょうそ阿闍梨あざり阿闍梨あざりあざり、、、ゆるしゆるしゆるし聞き聞ききこえてけりこえてけりこえてけり。。。
  10. 10照て照ててるるる中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょう、、、光ひか光ひかひかるるる少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうなどなどなど申まう申まうもうしけるとかやしけるとかやしけるとかや。。。中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうははは廿三にじふさん廿三にじふさんにじゅうさん、、、今いま今いまいまひとりひとりひとりははは廿五にじふご廿五にじふごにじゅうごにおはしけるとかやにおはしけるとかやにおわしけるとかや。。。ののの御夢おほんゆめ御夢おほんゆめおおんゆめににに、、、重家しげいへ重家しげいへしげいえののの消息せうそこ消息せうそこしょうそことてとてとて、、、世よ世よよをををそむきなんといふそむきなんといふそむきなんという事こと事ことこと、、、のたまへりけるのたまへりけるのたまえりけるををを、、、御堂みだう御堂みだうみどうのおとゞののおとゞののおとどの御許おほんもと御許おほんもとおおんもとにおはしあひてにおはしあひてにおわしあいて、、、「「「かゝるかゝるかかる夢ゆめ夢ゆめゆめこそこそこそ見侍みはべ見侍みはべみわべりつれりつれりつれ」」」ととと、、、語かた語かたかたりきこえりきこえりきこえ給たま給たまたまひければひければいければ、、、少將せうしやう少將せうしやうしょうしょううちうちうち笑わら笑わらわらひてひていて、、、まさしきまさしきまさしき御夢おほんゆめ御夢おほんゆめおおんゆめににに侍はべ侍はべはべりりり。。。
  11. 11然しか然しかしか思おも思おもおもふなどのたまはせけるふなどのたまはせけるうなどのたまわせける、、、次つぎ次つぎつぎののの夜よ夜よよ、、、寺じ寺じじののの大だい大だいだい阿闍梨あざり阿闍梨あざりあざりののの房ばう房ばうぼうへへへおはしたるとなんおはしたるとなんおわしたるとなん。。。年とし年としとしごろのごろのごろの御心みこころ御心みこころみこころざしのざしのざしの上うへ上うへうえににに、、、時とき時ときときののの一いち一いちいちののの人ひと人ひとひとののの、、、わづらひわづらひわずらい給たま給たまたまふだにふだにうだに、、、人ひと人ひとひともたゆむもたゆむもたゆむ事こと事ことこと多おほ多おほおおくくく、、、世よ世よよのたのみなきのたのみなきのたのみなきやうにやうにように、、、覺おぼ覺おぼおぼえたまふえたまふえたまう事こと事ことことののの、、、心こころ心こころこころぼそくおぼえぼそくおぼえぼそくおぼえ給たま給たまたまひてひていて、、、さばかりさばかりさばかり惜を惜をおしかるべきしかるべきしかるべき公達きんだち公達きんだちきんだちののの、、、そのそのその御年おほんとし御年おほんとしおおんとしのののほどにほどにほどに、、、おもほしとりおもほしとりおもおしとり、、、行おこな行おこなおこなひすましひすましいすまし給たま給たまたまへりしへりしえりし、、、あはれなどいふあはれなどいふあわれなどいう言ごん言ごんごんももも、、、よろしかりしことぞかしよろしかりしことぞかしよろしかりしことぞかし。。。
  12. 12此こ此ここののの事こと事ことことををを、、、又また又またまた人ひと人ひとひとののの申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべりしりしりしははは、、、齊信公任俊賢行成ただのぶきんたふとしかたゆきなり齊信公任俊賢行成ただのぶきんたふとしかたゆきなりただのぶきんとうとしかたゆきなりときこえときこえときこえ給たま給たまたまひしひしいし大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんたちたちたち、、、ののの座ざ座ざざにてにてにて、、、世よ世よよののの定さだ定さださだめなどしたまひけるめなどしたまひけるめなどしたまいけるををを、、、立た立たたちちち聞き聞ききききき給たま給たまたまひてひていて、、、位くらゐ位くらゐくらい高たか高たかたかくのぼらんとくのぼらんとくのぼらんと思おも思おもおもふふうははは、、、身み身みみののの耻はぢ耻はぢはじををを知し知ししらぬにこそありけれらぬにこそありけれらぬにこそありけれ。。。
  13. 13かやうにかやうにかように、、、後のち後のちのちののの世よ世よよをぞをぞをぞ思おも思おもおもひとるべかりけるひとるべかりけるいとるべかりける。。。などなどなど思おも思おもおもひてひていて出い出いいでたまひけるでたまひけるでたまいける夜よ夜よよ、、、重家しげいへ重家しげいへしげいえののの少將せうしやう少將せうしやうしょうしょう、、、御親おほんおや御親おほんおやおおんおやののの大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのににに、、、いとまいとまいとま申まう申まうもうししし給たま給たまたまひけるひけるいけるををを、、、大方おほかた大方おほかたおおかたとゞめらるべきけしきもとゞめらるべきけしきもとどめらるべきけしきも、、、なかりければなかりければなかりければ、、、えとゞめえとゞめえとどめ給たま給たまたまはざりけるともはざりけるともわざりけるとも聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。
  14. 14行成大納言ゆきなりだいなごん行成大納言ゆきなりだいなごんゆきなりだいなごんののの御日記おほんにつき御日記おほんにつきおおんにっきにににははは、、、さきにさきにさきに申まう申まうもうしつるやうにぞしつるやうにぞしつるようにぞ侍はべ侍はべはべるなるるなるるなる。。。これこれこれはははことことこと人ひと人ひとひとののの語かた語かたかたりりりはべりしなりはべりしなりはべりしなり。。。四條大納言しでうのだいなごん四條大納言しでうのだいなごんしじょうのだいなごんののの御歌おほんうた御歌おほんうたおおんうたなどなどなど侍はべ侍はべはべりしかとよりしかとよりしかとよ。。。
  15. 15御集ぎよしふ御集ぎよしふぎょしゅうなどになどになどにははは見み見みみえええ侍はべ侍はべはべらんらんらん。。。又また又またまたののの入道にふだう入道にふだうにゅうどう中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんののの御子みこ御子みこみこ、、、成房なりふさ成房なりふさなりうさののの中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうののの君きみ君きみきみももも、、、おやのおやのおやの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんののの同おな同おなおなじじじ深ふか深ふかふかききき谷たに谷たにたにににに入い入いいりりり居ゐ居ゐいつゝつゝつつ、、、室むろ室むろむろならべてならべてならべて行おこな行おこなおこなひひい給たま給たまたまひしぞかしひしぞかしいしぞかし。。。
  16. 16義懷よしちか義懷よしちかよしちかののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごん、、、ののの辨べん辨べんべん、、、このこのこのふたりふたりふたりははは、、、花山くわさん花山くわさんかざんノノノ院ゐん院ゐんいんののの折をり折をりおり、、、かしらおろしかしらおろしかしらおろし給たま給たまたまへりきへりきえりき。。。四條しでう四條しでうしじょうののの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんののの御歌みうた御歌みうたみゅうた、、、辨べん辨べんべんのだいとこのもとにのだいとこのもとにのだいとこのもとに、、、
  17. 17さゞさゞさざ浪なみ浪なみなみやしがのやしがのやしがの浦風うらかぜ浦風うらかぜうらかぜいかばかりいかばかりいかばかり心こころ心こころこころのののうちのすゞしかるらんうちのすゞしかるらんうちのすずしかるらん
  18. 18ととと聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべりしりしりし、、、昔むかし昔むかしむかしこそさかりなるこそさかりなるこそさかりなる人ひと人ひとひとののの、、、かやうなるかやうなるかようなるははは聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまひしかひしかいしか。。。近ちか近ちかちかききき世よ世よよにににははは、、、かゝるかゝるかかる人ひと人ひとひとももも聞き聞ききこえたまはぬこえたまはぬこえたまわぬををを、、、このこのこのののの少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうこそこそこそ、、、あはれにあはれにあわれに悲かな悲かなかなしくしくしく聞き聞ききこえたまへこえたまへこえたまえ。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

後の二条殿(師通)の御子には、富家の入道太政大臣(忠実)、その御弟で宰相中将家政、少納言家隆がいらっしゃいました。但馬守良綱という者の娘の腹でいらっしゃいます。その宰相(家政)はお心ばえが際立っていらしたのでしょうか、人は「三条の悪宰相」と申しました。その御子には、顕隆中納言の娘の腹でいらした雅教中納言と申し上げた方は、学才が広くていらっしゃいました。官職もお返しして、出家して高野山にいらっしゃると聞きました。その御子として少将が二人いらっしゃるそうです。前美作守顕能と申した人の娘の腹でいらっしゃるでしょうか。弟の少将公房と申し上げる方は、二条天皇がお亡くなりになって、世をはかなくお悟りになって、高野山にのぼって出家して住んでいらっしゃるので、御父の中納言も、それに引かれて深い山に住んでいらっしゃるのでしょう。昔こそ若い近衛の次将などが世を逃れて山に住まわれるとは古い物語にも聞こえますが、まさにこれこそしみじみと悲しく、花山僧正(遍昭)が深草の帝の御時に蔵人頭でいらしたのが、夜も昼もお仕えして、帝が崩御されたので、悲しみに堪えず、出家なさって「苔の衣かわきがたく」と詠み、入道中納言(顕基)が後一条院の御忌に帝を恋い申し上げて世を背き、深い山に住まわれたのにも劣らないしみじみとした心に思われます。

昔はどれほどこのような人が聞こえたことでしょう。九条殿(師輔)の御子の高光少将は、初めは横川に住まわれて、「ただかばかりぞ枝にのこれる」などという御歌が聞こえました。後には多武峰にいらっしゃいました。また少将時叙と申し上げた源氏で、一条大臣(雅信)の御子は、大原の御室などと申し上げて、尊い真言師でいらっしゃいました。また村上天皇の皇子兵部卿致平親王の御子の成信中将、また堀川関白(兼通)の孫でいらしたでしょうか、重家少将といって左大臣(顕光)の一人子でいらした方が、ともに仏道に心を一つにして約束なさって、三井寺の慶祚阿闍梨の房においでになって、「世を背きたい」とおっしゃったので、名高くいらっしゃる公達なので、具合が悪いでしょうとお断り申し上げたけれども、前もって御髪を切っていらしたので、慶祚阿闍梨はお許し申し上げたのでした。照る中将・光る少将などと申したとか。中将は二十三、もう一人は二十五でいらしたとか。行成大納言の御夢に、重家の手紙として、「世を背きたい」ということをおっしゃっていたのを、御堂の大臣(道長)のもとで一緒になった時、「このような夢を見ました」とお話しになったところ、少将は笑って、「まさしく正夢でございます。そう思っております」などとおっしゃったその次の夜、三井寺の大阿闍梨の房へいらしたということです。長年のお志の上に、時の摂関(道長)がご病気になられただけでも、人々も気がゆるむことが多く、世が頼りないように思われることが心細く思われて、あれほど惜しむべき公達が、その御年ごろに思い定めて勤行に専念なさったのは、「あはれ」などという言葉でもまだ言い足りないことでした。

このことを、また別の人が申しましたのは、斉信・公任・俊賢・行成と申し上げた大納言たちが、陣の座で世の定めなどをなさっていたのを立ち聞きなさって、「位高く上ろうと思うのは、身の恥を知らないことだったのだ。このように後世のことを思い定めるべきだったのだ」などと思って出られた夜、重家少将が御父の大臣殿にいとまを申し上げたところ、全くとどめられそうな様子もなかったので、おとどめにならなかったとも聞きました。行成大納言の御日記には、先に申したとおりにあるそうです。こちらは別の人が語ったことです。四条大納言(公任)の御歌などもあったでしょうか。御集などには見えるでしょう。また飯室の入道中納言(義懐)の御子成房中将の君も、父の中納言と同じ深い谷に入って、庵室を並べて勤行なさったのでした。義懐中納言と惟成弁、この二人は花山院の(出家の)折に出家なさいました。四条大納言の御歌で、弁の大徳のもとに、

さゞ浪やしがの浦風いかばかり心のうちのすゞしかるらん

と聞こえました。昔こそ盛りの人がこのように(出家)することは聞こえたけれども、近ごろはこのような人も聞こえないのに、この公房少将こそ、しみじみと悲しく思われます。

意訳

師通の子家政は気性が激しく「三条の悪宰相」と呼ばれた。その子雅教は学才にすぐれたが、子の少将公房が二条天皇の崩御を機に出家すると、自らも出家して高野山に入った。

語り手は、主君の死を悲しんで出家した遍昭・源顕基をはじめ、高光少将(藤原高光)、源時叙、照る中将源成信と光る少将藤原重家など、若くして世を捨てた貴公子たちの話を次々に挙げる。章題の「苔の衣」は、遍昭の歌「みな人は花の衣になりぬなり苔のたもとよかわきだにせよ」による。

成信と重家の出家は、長保三年(1001)、道長の病の折の出来事で、行成の日記『権記』にも見える。語り手は異説も紹介しつつ、その出家を「あはれ」でも言い足りないと述べる。最後に公任が出家した惟成に贈った「さゞ浪や」の歌を引き、近ごろはこのような出家は聞かれないのに、公房の出家こそ哀れだと結ぶ。

語釈・文法注

宰相中將家政
藤原家政(1080〜1115)。師通の子。
少納言家隆
藤原家隆。師通の子。
雅敎の中納言
藤原雅教(1113〜1175)。家政の子。出家して高野山に入った。
少將公房
藤原公房。雅教の子。二条天皇の崩御後に出家した。
花山僧正
遍昭。仁明天皇の崩御に際して出家した。第6章参照。
苔の衣かわきがたく
遍昭の歌「みな人は花の衣になりぬなり苔のたもとよかわきだにせよ」をふまえる。苔の衣は僧衣。
高光少將
藤原高光(?〜994)。師輔の子。三十六歌仙の一人。比叡山横川で出家し、のち多武峰に住んだ。
たゞかばかりぞ枝にのこれる
高光の出家にかかわる歌の句。
少將時叙
源時叙。源雅信の子。出家して大原に住み、寂源と号した。
成信の中將
源成信(979〜?)。致平親王の子。美貌で「照る中将」と呼ばれた。
重家の少將
藤原重家(977〜?)。顕光の子。「光る少将」と呼ばれた。
慶祚
慶祚(955〜1019)。三井寺の僧。
行成大納言
藤原行成(972〜1027)。能書家。日記『権記』を残した。
陣の座
内裏の左右近衛陣に設けられた公卿の会議の座。
飯室の入道中納言
藤原義懐(957〜1008)。花山天皇の叔父。天皇の出家に従って出家した。
惟成の辨
藤原惟成(953〜989)。花山天皇の近臣。天皇とともに出家した。

文法

きはだかにおはしけるにや
「きはだか」は際立って激しい性格。
よろしかりしことぞかし
「よろし」は、まだ不十分で、言い尽くせない、の意。

和歌

さゞ浪やしがの浦風いかばかり心のうちのすゞしかるらん

詠者
藤原公任
状況
花山天皇の出家に従って出家した藤原惟成に贈った歌。

修辞

枕詞
「さゞ浪や」は「しが(志賀)」にかかる。
掛詞
「すゞし」に風の涼しさと、心の清らかさをかける。

解説

今鏡は嘉応二年の「今」に起きた公房の出家を、平安中期の貴公子たちの出家と並べて語ることで、その意味を際立たせている。保元・平治の乱を経た時代の無常感がうかがえる章である。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、208〜212頁(コマ119–121)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日