今鏡 第五「藤波の中」 第44章
苔の衣
師通の子孫。三条の悪宰相家政の子雅教は出家して高野山に入り、その子の少将公房も二条天皇の崩御を機に出家した。語り手は、若い公達が世を捨てた昔の例――遍昭、源顕基、高光少将、照る中将成信と光る少将重家など――を挙げて、公房の出家を哀れむ。
- 1後後のちののの二條二條にじょう殿殿どのののの御子御子みこにににははは、、、富家富家ふけののの入道入道にゅうどうおほきおとゞおほきおとゞおおきおとど、、、そのそのその御弟御弟おおんおとうとにてにてにて、、、、、、とておはしきとておはしきとておわしき。。。但馬但馬たじまノノノ守良綱守良綱かみよしつなといひしがといひしがといいしが女女おんなのののはらにおはすはらにおはすはらにおわす。。。
- 2そのそのその宰相宰相さいしょうののの御心御心みこころばへのばへのばえの、、、きききはははだかにおはしけるにやだかにおはしけるにやだかにおわしけるにや。。。三條三條さんじょうのあくのあくのあく宰相宰相さいしょうとぞとぞとぞ人人ひとははは申申もうししし侍侍はべりしりしりし。。。そのそのその御子御子みこにににははは、、、顯隆顯隆あきたかののの中納言中納言ちゅうなごんのむすめののむすめののむすめのはらにおはせしはらにおはせしはらにおわせし、、、ののの中納言中納言ちゅうなごんととと申申もうしゝしゝしし、、、身身みののの御御おんざえざえざえ廣廣ひろくおはしけるくおはしけるくおわしける。。。
- 3つかさつかさつかさをもをもをも返返かえしたてまつりしたてまつりしたてまつり給給たまひてひていて、、、かしらおろしてかしらおろしてかしらおろして、、、高野高野こうやにおはすとにおはすとにおわすと聞聞きききき侍侍はべりしりしりし、、、そのそのその御子御子みこにてにてにて、、、少將少將しょうしょうふたりふたりふたりおはすなるおはすなるおわすなる。。。前前さきののの美作守顯能美作守顯能みまさかのかみあきよしととと聞聞きこえしがこえしがこえしが女女おんなのののはらにやおはすらんはらにやおはすらんはらにやおわすらん。。。
- 4弟弟おとうとののの少將公房少將公房しょうしょうきんふさときこえときこえときこえ給給たまふふう、、、二條二條にじょうのみかどかくれさせのみかどかくれさせのみかどかくれさせ給給たまひてひていて、、、世世よをををはははかなくおもほしとりてかなくおもほしとりてかなくおもおしとりて、、、高野高野こうや山山やまにのぼりてにのぼりてにのぼりて、、、かしらおろしてかしらおろしてかしらおろして住住すみみみ給給たまふなればふなればうなれば、、、御親御親おおんおやののの中納言中納言ちゅうなごんももも、、、それにそれにそれに引引ひかれてかれてかれて、、、深深ふかききき山山やまにもにもにも、、、住住すみたまへるなるべしみたまへるなるべしみたまえるなるべし。。。
- 5昔昔むかしこそこそこそ若若わかききき近衞近衞こんえのすけなどのすけなどのすけなど、、、世世よをををのがれてのがれてのがれて山山やまににに住住すみみみ給給たまふとふとうとははは、、、古古ふるききき物語物語ものがたりにもにもにも聞聞きこえこえこえ侍侍はべれれれ。。。まさにまさにまさに是是これこそあはれにれこそあはれにれこそあわれに悲悲かなしくしくしく、、、ののの、、、深草深草ふかくさののの御時藏人御時藏人おおんときくろうどノノノ頭頭とうにておはしけるがにておはしけるがにておわしけるが、、、夜晝仕夜晝仕よるいるつかうまつりてうまつりてうまつりて、、、諒闇諒闇りょうあんになりにければになりにければになりにければ、、、悲悲かなしびにしびにしびに堪堪たへずへずえず。。。
- 6御御おんぐしおろしぐしおろしぐしおろし給給たまひてひていて「「「ののの衣衣ころもかわきがたくかわきがたくかわきがたく」」」、、、入道入道にゅうどう中納言中納言ちゅうなごん、、、後一條後一條ごいちじょうノノノ院院いんののの御忌御忌おおんいみににに、、、帝帝みかどををを戀戀こひひひ奉奉たてまつりてりてりて、、、世世よをををそむきてそむきてそむきて、、、深深ふかききき山山やまにすみにすみにすみ給給たまひけんにもひけんにもいけんにも、、、おくれぬあはれさにこそおくれぬあはれさにこそおくれぬあわれさにこそ聞聞きこえこえこえ給給たまふめれふめれうめれ。。。
- 7昔昔むかしはははいかばかりかいかばかりかいかばかりかははは、、、かやうのかやうのかようの人人ひと聞聞きこえこえこえ給給たまひしひしいし。。。九條九條くじょう殿殿どのののの御子御子みこ、、、、、、始始はじめめめははは橫川橫川よかわにすみにすみにすみ給給たまひてひていて、、、「「「枝枝えだにのこれるにのこれるにのこれる」」」などいふなどいふなどいう御歌御歌みゅうたきこえきこえきこえ侍侍はべりきりきりき。。。
- 8後後のちにににははは多武多武とうのノノノ峯峯みねにおはしきにおはしきにおわしき。。。又又またととと聞聞きこえたまひしこえたまひしこえたまいし源氏源氏げんじののの、、、一條一條いちじょうのおとゞののおとゞののおとどの御子御子みこ、、、大原大原おおはらののの御室御室おむろなどきこえてなどきこえてなどきこえて、、、やんごとなきやんごとなきやんごとなき眞言眞言しんごん師師しにおはしきにおはしきにおわしき。。。
- 9又又また村上村上むらかみののの兵部卿兵部卿ひょうぶきょう致致いた平平たいらのみこののみこののみこの、、、ののの中將中將ちゅうじょう、、、又又また堀川堀川ほりかわ關白關白かんぱくのののうまごにやおはしけむうまごにやおはしけむうまごにやおわしけむ。。。ののの少將少將しょうしょうとてとてとて、、、左大臣左大臣さだいじんのののひとりひとりひとり子子こにおはせしにおはせしにおわせし、、、もろともにもろともにもろともに佛道佛道ぶつどうににに一一ひとつつつ御心御心みこころににに、、、契契ちぎりりり申申もうししし給給たまひてひていて、、、三井寺三井寺みいでらのののあざりのあざりのあざりの室室しつにおはしてにおはしてにおわして、、、世世よをををそむきなんとそむきなんとそむきなんと、、、のたまひければのたまひければのたまいければ、、、名高名高なたかくおはするくおはするくおわする君君きみだちにおはするにだちにおはするにだちにおわするに、、、便便びんなくなくなく侍侍はべりなんとりなんとりなんと否否いなびびび申申もうしけれどしけれどしけれど、、、かねてかねてかねて御御おんぐしぐしぐしをををきりておはしければきりておはしければきりておわしければ、、、慶祚慶祚きょうそ阿闍梨阿闍梨あざり、、、ゆるしゆるしゆるし聞聞きこえてけりこえてけりこえてけり。。。
- 10照照てるるる中將中將ちゅうじょう、、、光光ひかるるる少將少將しょうしょうなどなどなど申申もうしけるとかやしけるとかやしけるとかや。。。中將中將ちゅうじょうははは廿三廿三にじゅうさん、、、今今いまひとりひとりひとりははは廿五廿五にじゅうごにおはしけるとかやにおはしけるとかやにおわしけるとかや。。。ののの御夢御夢おおんゆめににに、、、重家重家しげいえののの消息消息しょうそことてとてとて、、、世世よをををそむきなんといふそむきなんといふそむきなんという事事こと、、、のたまへりけるのたまへりけるのたまえりけるををを、、、御堂御堂みどうのおとゞののおとゞののおとどの御許御許おおんもとにおはしあひてにおはしあひてにおわしあいて、、、「「「かゝるかゝるかかる夢夢ゆめこそこそこそ見侍見侍みわべりつれりつれりつれ」」」ととと、、、語語かたりきこえりきこえりきこえ給給たまひければひければいければ、、、少將少將しょうしょううちうちうち笑笑わらひてひていて、、、まさしきまさしきまさしき御夢御夢おおんゆめににに侍侍はべりりり。。。
- 11然然しか思思おもふなどのたまはせけるふなどのたまはせけるうなどのたまわせける、、、次次つぎののの夜夜よ、、、寺寺じののの大大だい阿闍梨阿闍梨あざりののの房房ぼうへへへおはしたるとなんおはしたるとなんおわしたるとなん。。。年年としごろのごろのごろの御心御心みこころざしのざしのざしの上上うえににに、、、時時ときののの一一いちののの人人ひとののの、、、わづらひわづらひわずらい給給たまふだにふだにうだに、、、人人ひともたゆむもたゆむもたゆむ事事こと多多おおくくく、、、世世よのたのみなきのたのみなきのたのみなきやうにやうにように、、、覺覺おぼえたまふえたまふえたまう事事ことののの、、、心心こころぼそくおぼえぼそくおぼえぼそくおぼえ給給たまひてひていて、、、さばかりさばかりさばかり惜惜おしかるべきしかるべきしかるべき公達公達きんだちののの、、、そのそのその御年御年おおんとしのののほどにほどにほどに、、、おもほしとりおもほしとりおもおしとり、、、行行おこなひすましひすましいすまし給給たまへりしへりしえりし、、、あはれなどいふあはれなどいふあわれなどいう言言ごんももも、、、よろしかりしことぞかしよろしかりしことぞかしよろしかりしことぞかし。。。
- 12此此こののの事事ことををを、、、又又また人人ひとののの申申もうししし侍侍はべりしりしりしははは、、、齊信公任俊賢行成齊信公任俊賢行成ただのぶきんとうとしかたゆきなりときこえときこえときこえ給給たまひしひしいし大納言大納言だいなごんたちたちたち、、、ののの座座ざにてにてにて、、、世世よののの定定さだめなどしたまひけるめなどしたまひけるめなどしたまいけるををを、、、立立たちちち聞聞きききき給給たまひてひていて、、、位位くらい高高たかくのぼらんとくのぼらんとくのぼらんと思思おもふふうははは、、、身身みののの耻耻はじををを知知しらぬにこそありけれらぬにこそありけれらぬにこそありけれ。。。
- 13かやうにかやうにかように、、、後後のちののの世世よをぞをぞをぞ思思おもひとるべかりけるひとるべかりけるいとるべかりける。。。などなどなど思思おもひてひていて出出いでたまひけるでたまひけるでたまいける夜夜よ、、、重家重家しげいえののの少將少將しょうしょう、、、御親御親おおんおやののの大臣殿大臣殿おおいどのににに、、、いとまいとまいとま申申もうししし給給たまひけるひけるいけるををを、、、大方大方おおかたとゞめらるべきけしきもとゞめらるべきけしきもとどめらるべきけしきも、、、なかりければなかりければなかりければ、、、えとゞめえとゞめえとどめ給給たまはざりけるともはざりけるともわざりけるとも聞聞きこえこえこえ侍侍はべりきりきりき。。。
- 14行成大納言行成大納言ゆきなりだいなごんののの御日記御日記おおんにっきにににははは、、、さきにさきにさきに申申もうしつるやうにぞしつるやうにぞしつるようにぞ侍侍はべるなるるなるるなる。。。これこれこれはははことことこと人人ひとののの語語かたりりりはべりしなりはべりしなりはべりしなり。。。四條大納言四條大納言しじょうのだいなごんののの御歌御歌おおんうたなどなどなど侍侍はべりしかとよりしかとよりしかとよ。。。
- 15御集御集ぎょしゅうなどになどになどにははは見見みえええ侍侍はべらんらんらん。。。又又またののの入道入道にゅうどう中納言中納言ちゅうなごんののの御子御子みこ、、、成房成房なりうさののの中將中將ちゅうじょうののの君君きみももも、、、おやのおやのおやの中納言中納言ちゅうなごんののの同同おなじじじ深深ふかききき谷谷たにににに入入いりりり居居いつゝつゝつつ、、、室室むろならべてならべてならべて行行おこなひひい給給たまひしぞかしひしぞかしいしぞかし。。。
- 16義懷義懷よしちかののの中納言中納言ちゅうなごん、、、ののの辨辨べん、、、このこのこのふたりふたりふたりははは、、、花山花山かざんノノノ院院いんののの折折おり、、、かしらおろしかしらおろしかしらおろし給給たまへりきへりきえりき。。。四條四條しじょうののの大納言大納言だいなごんののの御歌御歌みゅうた、、、辨辨べんのだいとこのもとにのだいとこのもとにのだいとこのもとに、、、
- 17さゞさゞさざ浪浪なみやしがのやしがのやしがの浦風浦風うらかぜいかばかりいかばかりいかばかり心心こころのののうちのすゞしかるらんうちのすゞしかるらんうちのすずしかるらん
- 18ととと聞聞きこえこえこえ侍侍はべりしりしりし、、、昔昔むかしこそさかりなるこそさかりなるこそさかりなる人人ひとののの、、、かやうなるかやうなるかようなるははは聞聞きこえこえこえ給給たまひしかひしかいしか。。。近近ちかききき世世よにににははは、、、かゝるかゝるかかる人人ひとももも聞聞きこえたまはぬこえたまはぬこえたまわぬををを、、、このこのこのののの少將少將しょうしょうこそこそこそ、、、あはれにあはれにあわれに悲悲かなしくしくしく聞聞きこえたまへこえたまへこえたまえ。。。
現代語訳
後の二条殿(師通)の御子には、富家の入道太政大臣(忠実)、その御弟で宰相中将家政、少納言家隆がいらっしゃいました。但馬守良綱という者の娘の腹でいらっしゃいます。その宰相(家政)はお心ばえが際立っていらしたのでしょうか、人は「三条の悪宰相」と申しました。その御子には、顕隆中納言の娘の腹でいらした雅教中納言と申し上げた方は、学才が広くていらっしゃいました。官職もお返しして、出家して高野山にいらっしゃると聞きました。その御子として少将が二人いらっしゃるそうです。前美作守顕能と申した人の娘の腹でいらっしゃるでしょうか。弟の少将公房と申し上げる方は、二条天皇がお亡くなりになって、世をはかなくお悟りになって、高野山にのぼって出家して住んでいらっしゃるので、御父の中納言も、それに引かれて深い山に住んでいらっしゃるのでしょう。昔こそ若い近衛の次将などが世を逃れて山に住まわれるとは古い物語にも聞こえますが、まさにこれこそしみじみと悲しく、花山僧正(遍昭)が深草の帝の御時に蔵人頭でいらしたのが、夜も昼もお仕えして、帝が崩御されたので、悲しみに堪えず、出家なさって「苔の衣かわきがたく」と詠み、入道中納言(顕基)が後一条院の御忌に帝を恋い申し上げて世を背き、深い山に住まわれたのにも劣らないしみじみとした心に思われます。
昔はどれほどこのような人が聞こえたことでしょう。九条殿(師輔)の御子の高光少将は、初めは横川に住まわれて、「ただかばかりぞ枝にのこれる」などという御歌が聞こえました。後には多武峰にいらっしゃいました。また少将時叙と申し上げた源氏で、一条大臣(雅信)の御子は、大原の御室などと申し上げて、尊い真言師でいらっしゃいました。また村上天皇の皇子兵部卿致平親王の御子の成信中将、また堀川関白(兼通)の孫でいらしたでしょうか、重家少将といって左大臣(顕光)の一人子でいらした方が、ともに仏道に心を一つにして約束なさって、三井寺の慶祚阿闍梨の房においでになって、「世を背きたい」とおっしゃったので、名高くいらっしゃる公達なので、具合が悪いでしょうとお断り申し上げたけれども、前もって御髪を切っていらしたので、慶祚阿闍梨はお許し申し上げたのでした。照る中将・光る少将などと申したとか。中将は二十三、もう一人は二十五でいらしたとか。行成大納言の御夢に、重家の手紙として、「世を背きたい」ということをおっしゃっていたのを、御堂の大臣(道長)のもとで一緒になった時、「このような夢を見ました」とお話しになったところ、少将は笑って、「まさしく正夢でございます。そう思っております」などとおっしゃったその次の夜、三井寺の大阿闍梨の房へいらしたということです。長年のお志の上に、時の摂関(道長)がご病気になられただけでも、人々も気がゆるむことが多く、世が頼りないように思われることが心細く思われて、あれほど惜しむべき公達が、その御年ごろに思い定めて勤行に専念なさったのは、「あはれ」などという言葉でもまだ言い足りないことでした。
このことを、また別の人が申しましたのは、斉信・公任・俊賢・行成と申し上げた大納言たちが、陣の座で世の定めなどをなさっていたのを立ち聞きなさって、「位高く上ろうと思うのは、身の恥を知らないことだったのだ。このように後世のことを思い定めるべきだったのだ」などと思って出られた夜、重家少将が御父の大臣殿にいとまを申し上げたところ、全くとどめられそうな様子もなかったので、おとどめにならなかったとも聞きました。行成大納言の御日記には、先に申したとおりにあるそうです。こちらは別の人が語ったことです。四条大納言(公任)の御歌などもあったでしょうか。御集などには見えるでしょう。また飯室の入道中納言(義懐)の御子成房中将の君も、父の中納言と同じ深い谷に入って、庵室を並べて勤行なさったのでした。義懐中納言と惟成弁、この二人は花山院の(出家の)折に出家なさいました。四条大納言の御歌で、弁の大徳のもとに、
さゞ浪やしがの浦風いかばかり心のうちのすゞしかるらん
と聞こえました。昔こそ盛りの人がこのように(出家)することは聞こえたけれども、近ごろはこのような人も聞こえないのに、この公房少将こそ、しみじみと悲しく思われます。
意訳
師通の子家政は気性が激しく「三条の悪宰相」と呼ばれた。その子雅教は学才にすぐれたが、子の少将公房が二条天皇の崩御を機に出家すると、自らも出家して高野山に入った。
語り手は、主君の死を悲しんで出家した遍昭・源顕基をはじめ、高光少将(藤原高光)、源時叙、照る中将源成信と光る少将藤原重家など、若くして世を捨てた貴公子たちの話を次々に挙げる。章題の「苔の衣」は、遍昭の歌「みな人は花の衣になりぬなり苔のたもとよかわきだにせよ」による。
成信と重家の出家は、長保三年(1001)、道長の病の折の出来事で、行成の日記『権記』にも見える。語り手は異説も紹介しつつ、その出家を「あはれ」でも言い足りないと述べる。最後に公任が出家した惟成に贈った「さゞ浪や」の歌を引き、近ごろはこのような出家は聞かれないのに、公房の出家こそ哀れだと結ぶ。
語釈・文法注
- 宰相中將家政
- 藤原家政(1080〜1115)。師通の子。
- 少納言家隆
- 藤原家隆。師通の子。
- 雅敎の中納言
- 藤原雅教(1113〜1175)。家政の子。出家して高野山に入った。
- 少將公房
- 藤原公房。雅教の子。二条天皇の崩御後に出家した。
- 花山僧正
- 遍昭。仁明天皇の崩御に際して出家した。第6章参照。
- 苔の衣かわきがたく
- 遍昭の歌「みな人は花の衣になりぬなり苔のたもとよかわきだにせよ」をふまえる。苔の衣は僧衣。
- 高光少將
- 藤原高光(?〜994)。師輔の子。三十六歌仙の一人。比叡山横川で出家し、のち多武峰に住んだ。
- たゞかばかりぞ枝にのこれる
- 高光の出家にかかわる歌の句。
- 少將時叙
- 源時叙。源雅信の子。出家して大原に住み、寂源と号した。
- 成信の中將
- 源成信(979〜?)。致平親王の子。美貌で「照る中将」と呼ばれた。
- 重家の少將
- 藤原重家(977〜?)。顕光の子。「光る少将」と呼ばれた。
- 慶祚
- 慶祚(955〜1019)。三井寺の僧。
- 行成大納言
- 藤原行成(972〜1027)。能書家。日記『権記』を残した。
- 陣の座
- 内裏の左右近衛陣に設けられた公卿の会議の座。
- 飯室の入道中納言
- 藤原義懐(957〜1008)。花山天皇の叔父。天皇の出家に従って出家した。
- 惟成の辨
- 藤原惟成(953〜989)。花山天皇の近臣。天皇とともに出家した。
文法
- きはだかにおはしけるにや
- 「きはだか」は際立って激しい性格。
- よろしかりしことぞかし
- 「よろし」は、まだ不十分で、言い尽くせない、の意。
和歌
さゞ浪やしがの浦風いかばかり心のうちのすゞしかるらん
- 詠者
- 藤原公任
- 状況
- 花山天皇の出家に従って出家した藤原惟成に贈った歌。
修辞
- 枕詞
- 「さゞ浪や」は「しが(志賀)」にかかる。
- 掛詞
- 「すゞし」に風の涼しさと、心の清らかさをかける。
解説
今鏡は嘉応二年の「今」に起きた公房の出家を、平安中期の貴公子たちの出家と並べて語ることで、その意味を際立たせている。保元・平治の乱を経た時代の無常感がうかがえる章である。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、208〜212頁(コマ119–121)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日