古典ライブラリー

今鏡 第五「藤波の中」 第43章

かざり太刀

忠実の次男、宇治左大臣藤原頼長。博学で厳格な人で、公事に遅れる者の家を壊させるほどだった。父忠実の寵愛を受けて兄忠通から氏長者を奪ったが、保元の乱で崇徳院に味方して敗れ、流れ矢に当たって死んだ。子の師長は配流から帰って大納言・大将となり、箏と琵琶の名手として知られる。

  1. 1富家ふけ富家ふけふけののの入道にふだう入道にふだうにゅうどうおとゞのおとゞのおとどの御子みこ御子みこみこははは、、、法性寺ほふしやうじ法性寺ほふしやうじほっしょうじのおほきおとゞのおほきおとゞのおおきおとど、、、次つぎ次つぎつぎにににははは宇治うぢ宇治うぢうじののの左ひだり左ひだりひだりのおとゞのおとゞのおとどときこえときこえときこえ給たま給たまたまへりしへりしえりし、、、女君をんなぎみ女君をんなぎみおんなぎみははは高陽かや高陽かやかやノノノ院ゐん院ゐんいんととと申まう申まうもうすすす。。。子こ子ここ皇后宮くわうごうぐう皇后宮くわうごうぐうこうごうぐうととと聞き聞ききこえたまひきこえたまひきこえたまいき。。。
  2. 2法性寺殿ほふしやうじどの法性寺殿ほふしやうじどのほっしょうじどのののの一ひと一ひとひとつつつ御おん御おんおんはははらのらのらの姉あね姉あねあねにておはしましきにておはしましきにておわしましき。。。長なが長ながなが承うけたまは承うけたまはうけたまわ三年さんねん三年さんねんさんねん三月さんぐわつ三月さんぐわつさんがつのころのころのころ、、、后きさき后きさききさきににに立た立たたちちち給たま給たまたまふふう。。。御年おほんとし御年おほんとしおおんとし四十よそぢ四十よそぢよそじととと聞き聞ききこえきこえきこえき。。。保延五年ほうえんごねん保延五年ほうえんごねんほうえんごねん院號ゐんがう院號ゐんがういんごう得え得ええさせさせさせ給たま給たまたまひきひきいき。。。
  3. 3左ひだり左ひだりひだりのおとゞのおとゞのおとど、、、御母おほんはは御母おほんははおおんはははははといひしがといひしがといいしが女をんな女をんなおんなにやおはしけんにやおはしけんにやおわしけん。。。其そ其そそののの左ひだり左ひだりひだりのおとゞのおとゞのおとどははは、、、御おん御おんおんみめもよくおはしみめもよくおはしみめもよくおわし、、、御身おほんみ御身おほんみおおんみののの才ざえ才ざえざえももも廣ひろ廣ひろひろききき人ひと人ひとひとになんになんになん聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまひしひしいし。。。
  4. 4堀川ほりかは堀川ほりかはほりかわののの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんににに、、、とかとかとか聞き聞ききこゆるこゆるこゆるふみふみふみ、、、受う受ううけけけ傳つた傳つたつたへさせへさせえさせ給たま給たまたまへりけりへりけりえりけり。。。そのそのそのふみふみふみははは、、、匡房まさふさ匡房まさふさまさふさののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんよりよりより傳つた傳つたつたはははりてりてりて、、、讀よ讀よよみみみ傳つた傳つたつたへたるへたるえたる人ひと人ひとひと、、、かたくかたくかたく侍はべ侍はべはべるなるるなるるなるををを、、、このこのこの殿どの殿どのどのぞぞぞ傳つた傳つたつたへさせへさせえさせ給たま給たまたまへりけるへりけるえりける。。。
  5. 5今いま今いまいまははは師し師ししののの傳つた傳つたつたへもへもえも絕た絕たたえたるにこそえたるにこそえたるにこそ侍はべ侍はべはべるなれるなれるなれ。。。かやうにしてかやうにしてかようにして、、、さま〴〵のさま〴〵のさまざまのふみどもふみどもふみども讀よ讀よよませたまひませたまひませたまい、、、僧そう僧そうそうののの讀よ讀よよむむむふみもふみもふみも、、、などいふなどいふなどいう書ふみ書ふみふみ、、、奈良なら奈良ならならののの僧そう僧そうそうどもにどもにどもに、、、尋たづ尋たづたずねさせねさせねさせ給たま給たまたまふとかやふとかやうとかや聞き聞ききこえきこえきこえき。。。
  6. 6笙しやう笙しやうしょうののの笛ふえ笛ふえふえをぞをぞをぞ、、、御遊おほんあそび御遊おほんあそびおおんあそびびにびにびにははは吹ふ吹ふふかせかせかせ給たま給たまたまふときこえふときこえうときこえ給たま給たまたまひしひしいし。。。御手おほんて御手おほんておおんてかゝせかゝせかかせ給たま給たまたまふふう事こと事ことことをぞをぞをぞ、、、わざとわざとわざと書ふみ書ふみふみきやつさせきやつさせきやつさせ給たま給たまたまひけるにやひけるにやいけるにや。。。兄あに兄あにあにののの殿どの殿どのどのににに、、、いかにもいかにもいかにも劣おと劣おとおとらんずればらんずればらんずれば、、、などおぼしたりけるなどおぼしたりけるなどおぼしたりけるををを、、、法性寺殿ほふしやうじどの法性寺殿ほふしやうじどのほっしょうじどのははは、、、「「「われわれわれははは詩し詩ししももも作つく作つくつくるやうにるやうにるように、、、覺おぼ覺おぼおぼゆるものゆるものゆるものををを、、、さてさてさてははは詩し詩ししをぞをぞをぞ作つく作つくつくらるまじきならるまじきならるまじきな」」」。。。
  7. 7とぞとぞとぞ仰おほ仰おほおおせられけるとかやせられけるとかやせられけるとかや聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。法性寺ほふしやうじ法性寺ほふしやうじほっしょうじ修理すり修理すりすりせさせせさせせさせ給たま給たまたまひひい、、、塔たふ塔たふとうののの燒や燒ややけたるけたるけたる作つく作つくつくらせらせらせ給たま給たまたまひてひていて、、、すがやかにすがやかにすがやかに、、、いとめでたくいとめでたくいとめでたく侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。日記にき日記にきにきなどなどなど博はか博はかはかくたづねさせくたづねさせくたずねさせ給たま給たまたまひひい行おこな行おこなおこなはせはせわせ給たま給たまたまふこともふこともうことも、、、古ふる古ふるふるききき事こと事ことことをををおこしおこしおこし、、、上達部かんだちめ上達部かんだちめかんだちめののの着座ちやくざ着座ちやくざちゃくざとかしとかしとかし給たま給たまたまはぬはぬわぬをもをもをも、、、皆みな皆みなみな催もよほ催もよほもよおしつけなどしてしつけなどしてしつけなどして、、、おほやけおほやけおおやけ私わたくし私わたくしわたくしにつけてにつけてにつけて、、、何事なにごと何事なにごとなにごともいみじくもいみじくもいみじく、、、嚴きび嚴きびきびしきしきしき人ひと人ひとひとにてぞおはせしにてぞおはせしにてぞおわせし。。。道みち道みちみちにあふにあふにあう人ひと人ひとひときびしくきびしくきびしく耻は耻ははぢがましきことぢがましきことじがましきこと多おほ多おほおおくくく聞き聞ききこえきこえきこえき。。。
  8. 8公事くじ公事くじくじおこなひおこなひおこない給たま給たまたまふにふにうに付つ付つつけてけてけて、、、遲おそ遲おそおそくくく參まゐ參まゐまいるるる人ひと人ひとひと、、、さはりさはりさわり申まう申まうもうすすす人ひと人ひとひとなどなどなどをばをばをば、、、家燒いへや家燒いへやいえやききき毀こほ毀こほこぼちなどせられけりちなどせられけりちなどせられけり。。。奈良なら奈良ならならににに僧都そうづ僧都そうづそうずととと聞き聞ききこえしこえしこえし名僧みやうそう名僧みやうそうみょうそうののの、、、ににに障さは障さはさわりりり申まう申まうもうしければしければしければ、、、京きやう京きやうきょうののの宿房毀しゆくばうこほ宿房毀しゆくばうこほしゅくぼうこぼちけるにちけるにちけるに、、、山やま山やまやまににに忠胤僧都ちゆういんそうづ忠胤僧都ちゆういんそうづちゅういんそうずととと聞き聞ききこえしとこえしとこえしと、、、たたたはははぶれがたきにてぶれがたきにてぶれがたきにて、、、みめみめみめ論ろん論ろんろんじてじてじて、、、もろともにもろともにもろともに、、、我わ我わわれこそれこそれこそ鬼おに鬼おにおになどいひつゝなどいひつゝなどいいつつ、、、歌うた歌うたうたよみかはしけるによみかはしけるによみかわしけるに、、、これこれこれをををきゝてきゝてききて、、、濟圓さいゑん濟圓さいゑんさいえんがりいひつかはしけるがりいひつかはしけるがりいいつかわしける、、、
  9. 9誠まこと誠まことまことにやにやにや君きみ君きみきみがつかやがつかやがつかやをををこぼつなるこぼつなるこぼつなる世よ世よよにににははは有あ有あありけりりけりりけり
  10. 10返かへ返かへかえししし
  11. 11やぶられてたちしのぶべきやぶられてたちしのぶべきやぶられてたちしのぶべき方かた方かたかたぞなきぞなきぞなき君きみ君きみきみをぞをぞをぞ賴たの賴たのたのむかくれむかくれむかくれかせかせかせ
  12. 12とぞきこえとぞきこえとぞきこえ侍はべ侍はべはべりけるりけるりける。。。又女またをんな又女またをんなまたおんな怨うら怨うらうらぜさせぜさせぜさせ給たま給たまたまふこともふこともうこともあら〳〵しくぞあら〳〵しくぞあらあらしくぞ、、、聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべりけるりけるりける。。。をををなどいふなどいふなどいう、、、深ふか深ふかふかききき色いろ色いろいろ好この好このこのみとかやみとかやみとかや思おも思おもおもはせはせわせ給たま給たまたまひけるにひけるにいけるに、、、よるよるよる俄にはか俄にはかにわかにおはしたりければにおはしたりければにおわしたりければ、、、かくれてかくれてかくれて思おも思おもおもひかけぬひかけぬいかけぬ者もの者ものものののの、、、うしろなどにうしろなどにうしろなどに有あ有あありけるりけるりけるををを、、、守範もりのり守範もりのりもりのり、、、經範つねのり經範つねのりつねのりなどいふなどいふなどいう人ひと人ひとひとどもしてどもしてどもして、、、索もと索もともとめなどしてめなどしてめなどして、、、かくれのあやしのかくれのあやしのかくれのあやしの方かた方かたかたまでまでまで見み見みみけれどけれどけれど、、、えええ索もと索もともとめめめ得え得ええでかへりでかへりでかえり給たま給たまたまひてひていて、、、又また又またまたののの晝ひる晝ひるひるあらぬさまにてあらぬさまにてあらぬさまにて、、、かくかくかくわたらせわたらせわたらせ給たま給たまたまへるとへるとえると侍はべ侍はべはべりければりければりければ、、、このたびこのたびこのたびははは出い出いいであひであひであい奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、たいめしけるにもたいめしけるにもたいめしけるにも、、、昔むかし昔むかしむかし今いま今いまいまののの物語ものがたり物語ものがたりものがたりなどしてなどしてなどして、、、ことことことうるはしくうるはしくうるわしく、、、歸かへ歸かへかえりりり出い出いいでさせでさせでさせ給たま給たまたまひにけりひにけりいにけり。。。
  13. 13ふたゝびながらふたゝびながらふたたびながら、、、世よ世よよつかざりしなどぞいひけるとつかざりしなどぞいひけるとつかざりしなどぞいいけると、、、人ひと人ひとひとははは語かた語かたかたりりり侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。
  14. 14このこのこの御おん御おんおん童名わらはな童名わらはなわらわなはははあやぎみとあやぎみとあやぎみと申まう申まうもうしけるにしけるにしけるに、、、富家殿ふけどの富家殿ふけどのふけどの法性寺殿ほふしやうじどの法性寺殿ほふしやうじどのほっしょうじどの、、、親おや親おやおや子こ子ここののの御中おほんなか御中おほんなかおおんなか、、、後のち後のちのちにこそたがはせにこそたがはせにこそたがわせ給たま給たまたまへりしかへりしかえりしか。。。始はじ始はじはじめめめははは左ひだり左ひだりひだりのおとゞのおとゞのおとど、、、御子みこ御子みこみこにせさせにせさせにせさせ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまひけるひけるいける頃ころ頃ころころ、、、餝太刀かざりたち餝太刀かざりたちかざりたちもたせたてまつらせもたせたてまつらせもたせたてまつらせ給たま給たまたまひけるにひけるにいけるに、、、
  15. 15代々よよ代々よよよよをををへてへてへて傳つた傳つたつたへてもたるへてもたるえてもたる餝太刀かざりたち餝太刀かざりたちかざりたち
  16. 16とよませとよませとよませ給たま給たまたまへりけるへりけるえりける程ほど程ほどほどににに、、、末すゑ末すゑすえにににははは御心みこころ御心みこころみこころどもたがひてどもたがひてどもたがいて、、、このこのこの弟おとうと弟おとうとおとうとののの左ひだり左ひだりひだりのおとゞのおとゞのおとどををを、、、院ゐん院ゐんいんととと共とも共ともともにににひきひきひき給たま給たまたまひてひていて、、、藤氏とうじ藤氏とうじとうじののの長者ちやうじや長者ちやうじやちょうじゃをもをもをもとりてとりてとりて、、、これになしたてまつりこれになしたてまつりこれになしたてまつり給たま給たまたまふふう。。。
  17. 17まうでなどまうでなどもうでなどははは、、、一いち一いちいちののの人ひと人ひとひとこそこそこそ多おほ多おほおおくしくしくし給たま給たまたまふふうををを、、、兄あに兄あにあにののの殿どの殿どのどのをををおきておきておきて、、、このこのこの左ひだり左ひだりひだりのおのおのおほいどのゝほいどのゝほいどのの、、、賀茂かも賀茂かもかもまうでとてまうでとてもうでとて、、、世よ世よよののの營いとな營いとないとなみなるにみなるにみなるに、、、東三條殿ひがしさんでうどの東三條殿ひがしさんでうどのひがしさんじょうどのなどなどなどをもをもをも取と取ととりりり返かへ返かへかえしてしてして、、、かぎなどのなかりけるにやかぎなどのなかりけるにやかぎなどのなかりけるにや。。。
  18. 18御倉みくら御倉みくらみくらののの戶と戶ととわりなどぞしわりなどぞしわりなどぞし給たま給たまたまふときこえふときこえうときこえ侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。ふたりふたりふたり並なら並ならならびてびてびて、、、內覽ないらん內覽ないらんないらんののの宣旨せんじ宣旨せんじせんじなどかうぶりなどかうぶりなどこうぶり給たま給たまたまひひい、、、隨身ずいじん隨身ずいじんずいじん給たま給たまたまはははりなどしりなどしりなどし給たま給たまたまひきひきいき。。。かゝるかゝるかかる程ほど程ほどほどににに、、、鳥羽とば鳥羽とばとばノノノ院ゐん院ゐんいんうせさせうせさせうせさせ給たま給たまたまひてひていて、、、讚岐さぬき讚岐さぬきさぬきノノノ院ゐん院ゐんいんととと左ひだり左ひだりひだりのおとゞとのおとゞとのおとどと御心みこころ御心みこころみこころ合あは合あはあわせてせてせて、、、このこのこの院ゐん院ゐんいんののの位くらゐ位くらゐくらいにおはしまししにおはしまししにおわしましし時とき時ときとき、、、白河しらかは白河しらかはしらかわのののノノノ御門殿みかどどの御門殿みかどどのみかどどのにてにてにて、、、いくさしいくさしいくさし給たま給たまたまひしにひしにいしに、、、帝みかど帝みかどみかどののの御守おほんまも御守おほんまもおおんまもりつよくてりつよくてりつよくて、、、左ひだり左ひだりひだりのおとゞものおとゞものおとども、、、馬むま馬むまうまににに乘の乘ののりてりてりて出い出いいででで給たま給たまたまひけるひけるいける程ほど程ほどほどににに、、、誰た誰たたれがれがれが射奉いたてまつ射奉いたてまついたてまつりたりけるにかりたりけるにかりたりけるにか。。。
  19. 19矢や矢ややにあたりにあたりにあたり給たま給たまたまひたりけるがひたりけるがいたりけるが、、、奈良なら奈良ならならににに逃に逃ににげておはしてげておはしてげておわして、、、程ほど程ほどほどなくうせなくうせなくうせ給たま給たまたまひにきひにきいにき。。。
  20. 20そのそのその公きん公きんきんだちだちだち、、、右大將うだいしやう右大將うだいしやううだいしょうととと聞き聞ききこえたまひしこえたまひしこえたまいし、、、御母おほんはは御母おほんははおおんははははは、、、師俊もろとし師俊もろとしもろとしののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんののの御おん御おんおんむすめなりむすめなりむすめなり。。。そのそのその大將殿だいしやうどの大將殿だいしやうどのだいしょうどのははは、、、御おん御おんおんみめこそいとみめこそいとみめこそいと淸きよ淸きよきよらにらにらに、、、餘あま餘あまあまりぞりぞりぞふとりふとりふとり給たま給たまたまひてやおはしましけんひてやおはしましけんいてやおわしましけん。。。
  21. 21御心みこころ御心みこころみこころばへもいとばへもいとばえもいとうつくしくおはしけりうつくしくおはしけりうつくしくおわしけり。。。次つぎ次つぎつぎににに中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごん中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうととと申まう申まうもうしゝしゝししははは、、、みちのくのみちのくのみちのくの守信雅かみのぶまさ守信雅かみのぶまさかみのぶまさときこえしときこえしときこえし、、、御おん御おんおんうまごにやおはすらんうまごにやおはすらんうまごにやおわすらん。。。そのそのその御弟おほんおとうと御弟おほんおとうとおおんおとうとははは、、、中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうととと申まう申まうもうしけるしけるしける。。。
  22. 22それもそれもそれも入道にふだう入道にふだうにゅうどう中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんののの女をんな女をんなおんなののの御おん御おんおんはははらなるべしらなるべしらなるべし。。。皆みな皆みなみな流なが流ながながされたまひてされたまひてされたまいて、、、浦々うらうら浦々うらうらうろうらにおはせしににおはせしににおわせしに、、、中納言中將殿ちゆうなごんちゆうじやうどの中納言中將殿ちゆうなごんちゆうじやうどのちゅうなごんちゅうじょうどのははは、、、歸かへ歸かへかえりのぼりりのぼりりのぼり給たま給たまたまひてひていて大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんになりになりになり、、、大將だいしやう大將だいしやうだいしょうなどにおはすめりなどにおはすめりなどにおわすめり。。。
  23. 23身み身みみののの御才おほんざえ御才おほんざえおおんざえなどもなどもなども、、、幼をさな幼をさなおさなくよりよきくよりよきくよりよき人ひと人ひとひとにておはしますとにておはしますとにておわしますと、、、聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまひきひきいき。。。琵琶びは琵琶びはびわはははすべてすべてすべて上手じやうず上手じやうずじょうずにておはしますとぞにておはしますとぞにておわしますとぞ聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまふふう。。。都みやこ都みやこみやこわかれてわかれてわかれて、、、土佐とさ土佐とさとさノノノ國くに國くにくにへへへおはしけるにおはしけるにおわしけるに、、、これもりとかやいふこれもりとかやいふこれもりとかやいう陪從べいじゆう陪從べいじゆうべいじゅう、、、御送おほんおく御送おほんおくおおんおくりにりにりに參まゐ參まゐまいりけるりけるりける道みち道みちみちにてにてにて、、、箏さう箏さうそうのことのえならぬのことのえならぬのことのえならぬ、、、調しら調しらしらべべべ傳つた傳つたつたへへえ給たま給たまたまふとてふとてうとて、、、そのそのそのふみのふみのふみの奧おく奧おくおくににに、、、歌うた歌うたうたよみよみよみ給たま給たまたまへりけるこそへりけるこそえりけるこそ、、、あはれにあはれにあわれに悲かな悲かなかなしくうけしくうけしくうけ給たま給たまたまはははりしかりしかりしか。。。
  24. 24をしへをしへをしへ置お置おおくかたみくかたみくかたみををを深ふか深ふかふかくしのばなむくしのばなむくしのばなむ身み身みみはははののの波なみ波なみなみにながれぬにながれぬにながれぬ
  25. 25とかやぞきゝとかやぞきゝとかやぞきき侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。靑海せいがい靑海せいがいせいがいははは彼か彼かかののの調しら調しらしらべのべのべの心こころ心こころこころなるべしなるべしなるべし。。。いといといと悲かな悲かなかなしくしくしく、、、やさしくやさしくやさしく侍はべ侍はべはべりけることかなりけることかなりけることかな。。。もろこしにもろこしにもろこしに、、、むかしむかしむかしといひけるといひけるといいける人ひと人ひとひとののの、、、琴こと琴ことことのすぐれたるのすぐれたるのすぐれたる調しら調しらしらべべべををを、、、このこのこの世よ世よよならぬならぬならぬ人ひと人ひとひとににに傳つた傳つたつたへへえ習なら習ならならひてひていて、、、ひとりひとりひとり知し知ししれりけるれりけるれりけるををを、、、とかやいひけるとかやいひけるとかやいいける琴こと琴ことことひきのひきのひきの、、、あながちにあながちにあながちに習なら習ならならはむといひけれどもはむといひけれどもわむといいけれども、、、ないがしろにないがしろにないがしろに思おも思おもおもひてひていて、、、ゆるさゞりけるゆるさゞりけるゆるさざりける程ほど程ほどほどににに、、、罪つみ罪つみつみをををかうぶりけるかうぶりけるこうぶりける時とき時ときとき、、、このこのこの調しら調しらしらべのべのべの、、、長なが長ながながくくく絕た絕たたえぬるえぬるえぬる事こと事ことことをををこそこそこそ、、、悲かな悲かなかなしみしみしみ痛いた痛いたいたみけれみけれみけれ。。。
  26. 26此こ此ここののの琴こと琴ことことののの調しら調しらしらべべべををを傳つた傳つたつたへへえ給たま給たまたまひけんことこそひけんことこそいけんことこそ、、、かしこくかしこくかしこく賴たの賴たのたのもしくももしくももしくも、、、うけうけうけ給たま給たまたまはははりしかりしかりしか。。。琵琶びは琵琶びはびわこそすぐれこそすぐれこそすぐれ給たま給たまたまへりとへりとえりと聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまへりしかへりしかえりしか。。。箏さう箏さうそうのことのことのことをもをもをも、、、かくかくかく極きは極きはきわめさせめさせめさせ給たま給たまたまひてひていて、、、御おん御おんおんおほぢのおほぢのおおじの跡あと跡あとあとをををつがせつがせつがせ給たま給たまたまふふう、、、いとやさしくこそいとやさしくこそいとやさしくこそ、、、うけうけうけ給たま給たまたまはははりりり侍はべ侍はべはべれれれ。。。
  27. 27かくてかくてかくて年とし年としとしへてへてへて後のち後のちのち、、、歸かへ歸かへかえりのぼりりのぼりりのぼり給たま給たまたまへるにへるにえるに、、、二條にでう二條にでうにじょうのみかどのみかどのみかど、、、琵琶びは琵琶びはびわををを好この好このこのませませませ給たま給たまたまひてひていて召め召めめしければしければしければ、、、參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまひてひていて、、、といふといふという樂がく樂がくがくをぞをぞをぞひきひきひき給たま給たまたまひけるとひけるといけると、、、傳つた傳つたつたへへえうけたまはるうけたまはるうけたまわる。。。
  28. 28さてさてさて元もと元もともとのかずののかずののかずの外ほか外ほかほかののの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんにくにくにくはははゝりゝりはり給たま給たまたまひてひていて、、、うちうちうち續つゞ續つゞつづききき大將だいしやう大將だいしやうだいしょうかけかけかけ給たま給たまたまへるなるべしへるなるべしえるなるべし。。。其そ其そそののの外ほか外ほかほかののの公きん公きんきんだちだちだちははは、、、皆みな皆みなみなうら〳〵にてかくれうら〳〵にてかくれうらうらにてかくれ給たま給たまたまひにけりひにけりいにけり。。。
  29. 29いといといと悲かな悲かなかなしくしくしく、、、いかにあはれにいかにあはれにいかにあわれに主ぬし主ぬしぬしももも人ひと人ひとひともおぼしけんもおぼしけんもおぼしけん。。。このこのこの奈良なら奈良ならならにおはせしにおはせしにおわせし禪師ぜんじ禪師ぜんじぜんじののの君きみ君きみきみももも、、、還かへ還かへかえりのぼりりのぼりりのぼり給たま給たまたまひてひていて後のち後のちのち、、、うせうせうせ給たま給たまたまひにけりひにけりいにけり。。。唯ただ唯ただただごとゝもごとゝもごととも覺おぼ覺おぼおぼえええ給たま給たまたまはぬはぬわぬ御有樣おほんありさま御有樣おほんありさまおおんありさまなりなりなり。。。
  30. 30このこのこの左ひだり左ひだりひだりのおとゞのおとゞのおとどははは、、、近衞こんゑ近衞こんゑこんえののの帝みかど帝みかどみかどののの御時おほんとき御時おほんときおおんとき、、、女御にようご女御にようごにょうごたてまつりたてまつりたてまつり給たま給たまたまへりきへりきえりき。。。大炊おほひ大炊おほひおおいノノノ御門みかど御門みかどみかどののの右大臣うだいじん右大臣うだいじんうだいじん、、、公能きんよし公能きんよしきんよしのおとゞののおとゞののおとどの三さん三さんさんノノノ君きみ君きみきみををを御子みこ御子みこみこにしにしにし給たま給たまたまひてひていて、、、たてまつりたてまつりたてまつり給たま給たまたまひてひていて、、、皇后宮くわうごうぐう皇后宮くわうごうぐうこうごうぐう子こ子こことぞとぞとぞ申まう申まうもうしゝしゝしし。。。
  31. 31そのそのその左ひだり左ひだりひだりのおとゞののおとゞののおとどの北きた北きたきたののの方かた方かたかたははは、、、大炊おほひ大炊おほひおおいノノノ御門みかど御門みかどみかどのおとゞののおとゞののおとどの御妹おほんいもうと御妹おほんいもうとおおんいもうとなればなればなれば、、、そのゆかりにそのゆかりにそのゆかりに、、、御子みこ御子みこみこにしにしにし給たま給たまたまへるなるべしへるなるべしえるなるべし。。。此こ此ここのころのころのころははは、、、大宮おほみや大宮おほみやおおみやとぞきこえさせとぞきこえさせとぞきこえさせ給たま給たまたまひけるひけるいける。。。

引用の仕方

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現代語訳

富家の入道殿(忠実)の御子は、法性寺の太政大臣(忠通)、次には宇治の左大臣で頼長と申し上げた方、女君は高陽院と申します。泰子皇后宮と申し上げました。法性寺殿と同じ腹の姉でいらっしゃいました。長承三年三月ごろ、后にお立ちになります。御年四十と聞きました。保延五年に院号をお受けになりました。左大臣の御母は、土佐守盛実という者の娘でいらしたでしょうか。その左大臣は、お顔立ちもよく、学才も広い人と評判でした。堀川大納言(師頼)から、前書とかいう書物を受け伝えられました。その書物は匡房中納言から伝わって、読み伝えた人もめったにいないそうですが、この殿がお伝えになったのです。今は師の伝えも絶えてしまったそうです。このようにして、さまざまの書物をお読みになり、僧の読む書物も、因明などという書を奈良の僧たちにお尋ねになったとか聞きました。笙の笛を御遊にはお吹きになったと聞きました。字をお書きになることは、わざと崩してお書きになったのでしょうか。兄の殿にどうしても劣るだろうから、などとお思いになっていたのを、法性寺殿は「私は詩も作るように思われるのに、それでは詩を作るまいというのだな」とおっしゃったとか聞きました。法性寺を修理させ、焼けた塔を造らせなさって、手際よく、まことにすばらしいことでした。日記などを広く調べて行われることも、古いことを復興し、公卿の着座とかをしない人も皆催促したりして、公私につけて何事も立派で厳しい人でいらっしゃいました。道で会う人を厳しく恥をかかせることが多いと聞きました。

公事を行われるにつけて、遅く参る人や差し障りを申す人などは、家を焼き壊したりなさいました。奈良に済円僧都と申した名僧が公請を辞退したので、京の宿坊を壊したところ、比叡山に忠胤僧都と申した人と、からかい合う仲で、顔立ちを論じて、互いに「自分こそ鬼だ」などと言いながら歌を詠み交わしていたので、忠胤がこれを聞いて済円のもとに言い送った歌、

誠にや君がつかやをこぼつなる世にはまされるこゝめ有りけり

返し

やぶられてたちしのぶべき方ぞなき君をぞ賴むかくれ簑かせ

と聞こえました。また女性をお恨みになることも荒々しいと聞きました。いはひをなどという者は、深い色好みとかお思いになっていたところ、夜急においでになったので、思いがけない男が隠れて後ろなどにいたのを、守範・経範などという者たちに探させて、隠れられそうな怪しい所まで見たけれども、探し出せずにお帰りになって、翌日の昼、別人のような様子で、またおいでになったところ、今度は出てお会いして、対面した時も昔今の話などして、きちんとしたまま帰ってお出になりました。「二度とも世間並みにはならなかった」などと言ったと、人は語りました。

この方の幼名はあや君と申しましたが、富家殿と法性寺殿の親子の御仲は、後にこそ違われたのでした。初めは左大臣を(忠通の)御養子にさせ申し上げなさったころ、飾り太刀を持たせ申し上げなさった時に、

代々をへて傳へてもたる餝太刀のいしつきもせずあやおぼしめせ

とお詠みになったのに、末には御心どもが違って、この弟の左大臣を院とともにひいきなさって、藤氏の長者も(忠通から)取って、この人になさいました。賀茂詣などは、摂関が多くなさるのを、兄の殿をさしおいて、この左大臣殿が賀茂詣といって世の大事として、東三条殿なども取り返して、鍵などがなかったのでしょうか、御倉の戸を壊したりなさったと聞きました。二人並んで内覧の宣旨をお受けになり、随身を賜ったりなさいました。そうするうちに、鳥羽院がお亡くなりになって、讃岐院と左大臣とが心を合わせて、この院(後白河)が在位でいらした時、白河の大炊御門殿で戦をなさったところ、帝の御守りが強くて、左大臣も馬に乗ってお出になったところ、誰が射申し上げたのでしょうか、矢に当たられたのが、奈良に逃げていらして、まもなくお亡くなりになりました。

その公達で、右大将兼長と申し上げた方の御母は、師俊中納言の御娘です。その大将殿は、お顔立ちこそたいそう清らかで、ただ太りすぎていらっしゃったでしょうか。お心ばえもたいそうかわいらしくていらっしゃいました。次に中納言中将師長と申し上げた方は、陸奥守信雅と申した方の御孫でいらっしゃるでしょうか。その御弟は中将隆長と申しました。それも入道中納言の娘の腹でありましょう。皆流されなさって浦々にいらしたのに、中納言中将殿は帰り上られて大納言になり、大将などでいらっしゃるようです。学才なども、幼い時からすぐれた人でいらっしゃると評判でした。琵琶はまったく名手でいらっしゃると評判です。都を離れて土佐国へいらした時、これもりとかいう陪従がお送りに参った道で、箏のこの上ない調べを伝えなさるとて、その書物の奥に歌をお詠みになったのは、しみじみと悲しく承りました。

をしへ置くかたみを深くしのばなむ身は靑海の波にながれぬ

とか聞きました。青海はあの調べの心でありましょう。たいそう悲しく優雅なことでございました。唐の国に昔、嵆叔夜という人が、琴のすぐれた調べをこの世ならぬ人から伝え習って、一人だけ知っていたのを、袁孝尼とかいう琴弾きが、しきりに習いたいと言ったけれども、軽んじて許さなかったうちに、罪をこうむった時、この調べが長く絶えてしまうことをこそ悲しみ嘆いたのでした。この琴の調べをお伝えになったことこそ、賢く頼もしくも承りました。琵琶こそすぐれていらっしゃると評判でしたが、箏の琴をもこのように極められて、祖父(忠実)の跡を継がれたのは、まことに優雅なことと承っております。こうして年を経て帰り上られたところ、二条天皇が琵琶をお好みになってお召しになったので、参られて、賀王恩という楽をお弾きになったと伝え承っています。そして元の定員の外の大納言に加わられて、続いて大将を兼ねられたのでしょう。そのほかの公達は、皆浦々で亡くなられました。まことに悲しく、主も人もどれほどしみじみとお思いになったことでしょう。この奈良にいらした禅師の君も、帰り上られた後、お亡くなりになりました。ただごととも思われないご様子です。この左大臣は、近衛天皇の御時、女御を差し上げなさいました。大炊御門右大臣公能公の三女を養女になさって差し上げなさって、皇后宮多子と申し上げました。その左大臣の北の方は、大炊御門大臣の御妹なので、その縁で御養女になさったのでしょう。このごろは大宮と申し上げるそうです。

意訳

藤原頼長は、和漢の学に通じた当代一の学者で、厳格な性格から「悪左府」と呼ばれた。公事に遅れる者や公請を辞退する僧の家を壊させたという話は、その苛烈さを伝える。済円と忠胤の歌の贈答は、その出来事を機知で笑いに変えたもの。

幼名「あや君」の頼長に、父忠実が飾り太刀を与えて「いしつきもせずあやおぼしめせ」と詠んだ歌は、「石突き」に「いしつき(厭きる)」、「あや」に幼名をかけて、末長い愛を誓う。章題の「かざり太刀」はこの歌による。しかし父と兄の仲が裂け、頼長は父の後押しで氏長者を奪い、ついには保元の乱で崇徳院と結んで敗死する。

頼長の子師長は土佐に流されたが、配所に向かう途中、陪従の惟盛に箏の秘曲を伝え、「をしへ置く」の歌を添えた。秘曲の断絶を嘆いた嵆康の故事と対比され、師長が秘曲を伝え残した賢明さがたたえられる。のちに師長は許されて帰京し、太政大臣に至った琵琶の名手である。

語釈・文法注

宇治の左のおとゞ賴長
藤原頼長(1120〜1156)。忠実の次男。左大臣。悪左府と呼ばれた。日記『台記』を残した。
泰子皇后宮
藤原泰子(1095〜1155)。忠実の娘。鳥羽上皇の皇后。高陽院。
土佐守盛實
藤原盛実。頼長の母の父。
前書
前漢書(漢書)の講読の秘伝か。大江匡房から源師頼に伝わったという。
因明
仏教の論理学。
濟圓僧都
興福寺の学僧。第20章参照。
忠胤僧都
比叡山の学僧。
公請
朝廷から法会などに招かれること。
こゝめ
小人。また醜い顔のたとえ。「鬼」と互いに呼び合ったことをふまえる。
かくれ簑
着ると姿が見えなくなるという蓑。
いはひを
女性の名。伝未詳。
いしつき
石突き。太刀の鞘の先端の金具。「いし(厭し)つき」をかける。
賀茂まうで
賀茂詣。摂関が四月の賀茂祭の前に賀茂社に参詣する儀式。
大炊ノ御門殿
白河北殿。保元の乱で崇徳上皇方の本拠となった。
右大將兼長
藤原兼長。頼長の長男。保元の乱で出雲に流され、配所で没した。
中納言中將師長
藤原師長(1138〜1192)。頼長の次男。土佐に流され、のち許されて太政大臣。琵琶・箏の名手。
中將隆長
藤原隆長。頼長の子。伊豆に流された。
靑海
青海波の調べ。箏の秘曲の名か。
嵇叔夜
魏の嵆康(223〜262)。竹林の七賢の一人。琴曲「広陵散」の唯一の伝承者で、処刑される時、その曲が絶えることを嘆いた。
袁孝尼
嵆康から広陵散を学びたいと願った人。
賀王恩
雅楽の曲名。
皇后宮多子
藤原多子。第20章参照。

文法

作らるまじきな
「る」は可能か自発。作るまいというのだな。
世つかざりし
「世づく」は男女の仲になる。二度とも男女の仲にはならなかった。
いしつきもせず
「石突き」と「厭き(いしつき)もせず」の掛詞。

和歌

誠にや君がつかやをこぼつなる世にはまされるこゝめ有りけり

詠者
忠胤
状況
頼長が済円の京の宿坊を壊させたと聞いて、済円に贈った戯れの歌。

修辞

掛詞
「つかや」に「塚屋(宿坊)」をかける。
戯れ
自分たちを鬼にたとえ合っていたのをふまえ、鬼の住みかを壊す、さらに恐ろしい「こゝめ」がいた、と頼長を戯れにいう。

やぶられてたちしのぶべき方ぞなき君をぞ賴むかくれ簑かせ

詠者
済円
状況
忠胤の歌への返し。

修辞

戯れ
宿を壊されて隠れる所もないから、鬼のあなたのかくれ蓑を貸してほしい、と応じる。

代々をへて傳へてもたる餝太刀のいしつきもせずあやおぼしめせ

詠者
藤原忠実
状況
幼い頼長(あや君)に飾り太刀を与えたときの歌。

修辞

掛詞
「いしつき」に太刀の「石突き」と「厭き」、「あや」に頼長の幼名をかける。

をしへ置くかたみを深くしのばなむ身は靑海の波にながれぬ

詠者
藤原師長
状況
土佐へ流される途中、陪従に箏の秘曲を伝え、その書の奥に記した歌。

修辞

掛詞
「靑海」に秘曲の名と青い海をかけ、「ながれ」に波に流れる意と流罪をかける。

解説

頼長は日記『台記』に、学問への熱意と厳格な規範意識とを書き残している。今鏡は、その厳しさを語りつつも、学才を惜しむ筆致で描いている。

師長は帰京後、琵琶の名手として「妙音院」と称され、楽書『三五要録』『仁智要録』を著した。今鏡が成立したころは権大納言・大将であった。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、201〜208頁(コマ115–119)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日