今鏡 第五「藤波の中」 第43章
かざり太刀
忠実の次男、宇治左大臣藤原頼長。博学で厳格な人で、公事に遅れる者の家を壊させるほどだった。父忠実の寵愛を受けて兄忠通から氏長者を奪ったが、保元の乱で崇徳院に味方して敗れ、流れ矢に当たって死んだ。子の師長は配流から帰って大納言・大将となり、箏と琵琶の名手として知られる。
- 1富家富家ふけののの入道入道にゅうどうおとゞのおとゞのおとどの御子御子みこははは、、、法性寺法性寺ほっしょうじのおほきおとゞのおほきおとゞのおおきおとど、、、次次つぎにににははは宇治宇治うじののの左左ひだりのおとゞのおとゞのおとどときこえときこえときこえ給給たまへりしへりしえりし、、、女君女君おんなぎみははは高陽高陽かやノノノ院院いんととと申申もうすすす。。。子子こ皇后宮皇后宮こうごうぐうととと聞聞きこえたまひきこえたまひきこえたまいき。。。
- 2法性寺殿法性寺殿ほっしょうじどのののの一一ひとつつつ御御おんはははらのらのらの姉姉あねにておはしましきにておはしましきにておわしましき。。。長長なが承承うけたまわ三年三年さんねん三月三月さんがつのころのころのころ、、、后后きさきににに立立たちちち給給たまふふう。。。御年御年おおんとし四十四十よそじととと聞聞きこえきこえきこえき。。。保延五年保延五年ほうえんごねん院號院號いんごう得得えさせさせさせ給給たまひきひきいき。。。
- 3左左ひだりのおとゞのおとゞのおとど、、、御母御母おおんはははははといひしがといひしがといいしが女女おんなにやおはしけんにやおはしけんにやおわしけん。。。其其そののの左左ひだりのおとゞのおとゞのおとどははは、、、御御おんみめもよくおはしみめもよくおはしみめもよくおわし、、、御身御身おおんみののの才才ざえももも廣廣ひろききき人人ひとになんになんになん聞聞きこえこえこえ給給たまひしひしいし。。。
- 4堀川堀川ほりかわののの大納言大納言だいなごんににに、、、とかとかとか聞聞きこゆるこゆるこゆるふみふみふみ、、、受受うけけけ傳傳つたへさせへさせえさせ給給たまへりけりへりけりえりけり。。。そのそのそのふみふみふみははは、、、匡房匡房まさふさののの中納言中納言ちゅうなごんよりよりより傳傳つたはははりてりてりて、、、讀讀よみみみ傳傳つたへたるへたるえたる人人ひと、、、かたくかたくかたく侍侍はべるなるるなるるなるををを、、、このこのこの殿殿どのぞぞぞ傳傳つたへさせへさせえさせ給給たまへりけるへりけるえりける。。。
- 5今今いまははは師師しののの傳傳つたへもへもえも絕絕たえたるにこそえたるにこそえたるにこそ侍侍はべるなれるなれるなれ。。。かやうにしてかやうにしてかようにして、、、さま〴〵のさま〴〵のさまざまのふみどもふみどもふみども讀讀よませたまひませたまひませたまい、、、僧僧そうののの讀讀よむむむふみもふみもふみも、、、などいふなどいふなどいう書書ふみ、、、奈良奈良ならののの僧僧そうどもにどもにどもに、、、尋尋たずねさせねさせねさせ給給たまふとかやふとかやうとかや聞聞きこえきこえきこえき。。。
- 6笙笙しょうののの笛笛ふえをぞをぞをぞ、、、御遊御遊おおんあそびびにびにびにははは吹吹ふかせかせかせ給給たまふときこえふときこえうときこえ給給たまひしひしいし。。。御手御手おおんてかゝせかゝせかかせ給給たまふふう事事ことをぞをぞをぞ、、、わざとわざとわざと書書ふみきやつさせきやつさせきやつさせ給給たまひけるにやひけるにやいけるにや。。。兄兄あにののの殿殿どのににに、、、いかにもいかにもいかにも劣劣おとらんずればらんずればらんずれば、、、などおぼしたりけるなどおぼしたりけるなどおぼしたりけるををを、、、法性寺殿法性寺殿ほっしょうじどのははは、、、「「「われわれわれははは詩詩しももも作作つくるやうにるやうにるように、、、覺覺おぼゆるものゆるものゆるものををを、、、さてさてさてははは詩詩しをぞをぞをぞ作作つくらるまじきならるまじきならるまじきな」」」。。。
- 7とぞとぞとぞ仰仰おおせられけるとかやせられけるとかやせられけるとかや聞聞きこえこえこえ侍侍はべりしりしりし。。。法性寺法性寺ほっしょうじ修理修理すりせさせせさせせさせ給給たまひひい、、、塔塔とうののの燒燒やけたるけたるけたる作作つくらせらせらせ給給たまひてひていて、、、すがやかにすがやかにすがやかに、、、いとめでたくいとめでたくいとめでたく侍侍はべりきりきりき。。。日記日記にきなどなどなど博博はかくたづねさせくたづねさせくたずねさせ給給たまひひい行行おこなはせはせわせ給給たまふこともふこともうことも、、、古古ふるききき事事ことをををおこしおこしおこし、、、上達部上達部かんだちめののの着座着座ちゃくざとかしとかしとかし給給たまはぬはぬわぬをもをもをも、、、皆皆みな催催もよおしつけなどしてしつけなどしてしつけなどして、、、おほやけおほやけおおやけ私私わたくしにつけてにつけてにつけて、、、何事何事なにごともいみじくもいみじくもいみじく、、、嚴嚴きびしきしきしき人人ひとにてぞおはせしにてぞおはせしにてぞおわせし。。。道道みちにあふにあふにあう人人ひときびしくきびしくきびしく耻耻はぢがましきことぢがましきことじがましきこと多多おおくくく聞聞きこえきこえきこえき。。。
- 8公事公事くじおこなひおこなひおこない給給たまふにふにうに付付つけてけてけて、、、遲遲おそくくく參參まいるるる人人ひと、、、さはりさはりさわり申申もうすすす人人ひとなどなどなどをばをばをば、、、家燒家燒いえやききき毀毀こぼちなどせられけりちなどせられけりちなどせられけり。。。奈良奈良ならににに僧都僧都そうずととと聞聞きこえしこえしこえし名僧名僧みょうそうののの、、、ににに障障さわりりり申申もうしければしければしければ、、、京京きょうののの宿房毀宿房毀しゅくぼうこぼちけるにちけるにちけるに、、、山山やまににに忠胤僧都忠胤僧都ちゅういんそうずととと聞聞きこえしとこえしとこえしと、、、たたたはははぶれがたきにてぶれがたきにてぶれがたきにて、、、みめみめみめ論論ろんじてじてじて、、、もろともにもろともにもろともに、、、我我われこそれこそれこそ鬼鬼おになどいひつゝなどいひつゝなどいいつつ、、、歌歌うたよみかはしけるによみかはしけるによみかわしけるに、、、これこれこれをををきゝてきゝてききて、、、濟圓濟圓さいえんがりいひつかはしけるがりいひつかはしけるがりいいつかわしける、、、
- 9誠誠まことにやにやにや君君きみがつかやがつかやがつかやをををこぼつなるこぼつなるこぼつなる世世よにににははは有有ありけりりけりりけり
- 10返返かえししし
- 11やぶられてたちしのぶべきやぶられてたちしのぶべきやぶられてたちしのぶべき方方かたぞなきぞなきぞなき君君きみをぞをぞをぞ賴賴たのむかくれむかくれむかくれかせかせかせ
- 12とぞきこえとぞきこえとぞきこえ侍侍はべりけるりけるりける。。。又女又女またおんな怨怨うらぜさせぜさせぜさせ給給たまふこともふこともうこともあら〳〵しくぞあら〳〵しくぞあらあらしくぞ、、、聞聞きこえこえこえ侍侍はべりけるりけるりける。。。をををなどいふなどいふなどいう、、、深深ふかききき色色いろ好好このみとかやみとかやみとかや思思おもはせはせわせ給給たまひけるにひけるにいけるに、、、よるよるよる俄俄にわかにおはしたりければにおはしたりければにおわしたりければ、、、かくれてかくれてかくれて思思おもひかけぬひかけぬいかけぬ者者ものののの、、、うしろなどにうしろなどにうしろなどに有有ありけるりけるりけるををを、、、守範守範もりのり、、、經範經範つねのりなどいふなどいふなどいう人人ひとどもしてどもしてどもして、、、索索もとめなどしてめなどしてめなどして、、、かくれのあやしのかくれのあやしのかくれのあやしの方方かたまでまでまで見見みけれどけれどけれど、、、えええ索索もとめめめ得得えでかへりでかへりでかえり給給たまひてひていて、、、又又またののの晝晝ひるあらぬさまにてあらぬさまにてあらぬさまにて、、、かくかくかくわたらせわたらせわたらせ給給たまへるとへるとえると侍侍はべりければりければりければ、、、このたびこのたびこのたびははは出出いであひであひであい奉奉たてまつりりり、、、たいめしけるにもたいめしけるにもたいめしけるにも、、、昔昔むかし今今いまののの物語物語ものがたりなどしてなどしてなどして、、、ことことことうるはしくうるはしくうるわしく、、、歸歸かえりりり出出いでさせでさせでさせ給給たまひにけりひにけりいにけり。。。
- 13ふたゝびながらふたゝびながらふたたびながら、、、世世よつかざりしなどぞいひけるとつかざりしなどぞいひけるとつかざりしなどぞいいけると、、、人人ひとははは語語かたりりり侍侍はべりしりしりし。。。
- 14このこのこの御御おん童名童名わらわなはははあやぎみとあやぎみとあやぎみと申申もうしけるにしけるにしけるに、、、富家殿富家殿ふけどの法性寺殿法性寺殿ほっしょうじどの、、、親親おや子子こののの御中御中おおんなか、、、後後のちにこそたがはせにこそたがはせにこそたがわせ給給たまへりしかへりしかえりしか。。。始始はじめめめははは左左ひだりのおとゞのおとゞのおとど、、、御子御子みこにせさせにせさせにせさせ奉奉たてまつりりり給給たまひけるひけるいける頃頃ころ、、、餝太刀餝太刀かざりたちもたせたてまつらせもたせたてまつらせもたせたてまつらせ給給たまひけるにひけるにいけるに、、、
- 15代々代々よよをををへてへてへて傳傳つたへてもたるへてもたるえてもたる餝太刀餝太刀かざりたち
- 16とよませとよませとよませ給給たまへりけるへりけるえりける程程ほどににに、、、末末すえにににははは御心御心みこころどもたがひてどもたがひてどもたがいて、、、このこのこの弟弟おとうとののの左左ひだりのおとゞのおとゞのおとどををを、、、院院いんととと共共ともにににひきひきひき給給たまひてひていて、、、藤氏藤氏とうじののの長者長者ちょうじゃをもをもをもとりてとりてとりて、、、これになしたてまつりこれになしたてまつりこれになしたてまつり給給たまふふう。。。
- 17まうでなどまうでなどもうでなどははは、、、一一いちののの人人ひとこそこそこそ多多おおくしくしくし給給たまふふうををを、、、兄兄あにののの殿殿どのをををおきておきておきて、、、このこのこの左左ひだりのおのおのおほいどのゝほいどのゝほいどのの、、、賀茂賀茂かもまうでとてまうでとてもうでとて、、、世世よののの營營いとなみなるにみなるにみなるに、、、東三條殿東三條殿ひがしさんじょうどのなどなどなどをもをもをも取取とりりり返返かえしてしてして、、、かぎなどのなかりけるにやかぎなどのなかりけるにやかぎなどのなかりけるにや。。。
- 18御倉御倉みくらののの戶戶とわりなどぞしわりなどぞしわりなどぞし給給たまふときこえふときこえうときこえ侍侍はべりしりしりし。。。ふたりふたりふたり並並ならびてびてびて、、、內覽內覽ないらんののの宣旨宣旨せんじなどかうぶりなどかうぶりなどこうぶり給給たまひひい、、、隨身隨身ずいじん給給たまはははりなどしりなどしりなどし給給たまひきひきいき。。。かゝるかゝるかかる程程ほどににに、、、鳥羽鳥羽とばノノノ院院いんうせさせうせさせうせさせ給給たまひてひていて、、、讚岐讚岐さぬきノノノ院院いんととと左左ひだりのおとゞとのおとゞとのおとどと御心御心みこころ合合あわせてせてせて、、、このこのこの院院いんののの位位くらいにおはしまししにおはしまししにおわしましし時時とき、、、白河白河しらかわのののノノノ御門殿御門殿みかどどのにてにてにて、、、いくさしいくさしいくさし給給たまひしにひしにいしに、、、帝帝みかどののの御守御守おおんまもりつよくてりつよくてりつよくて、、、左左ひだりのおとゞものおとゞものおとども、、、馬馬うまににに乘乘のりてりてりて出出いででで給給たまひけるひけるいける程程ほどににに、、、誰誰たれがれがれが射奉射奉いたてまつりたりけるにかりたりけるにかりたりけるにか。。。
- 19矢矢やにあたりにあたりにあたり給給たまひたりけるがひたりけるがいたりけるが、、、奈良奈良ならににに逃逃にげておはしてげておはしてげておわして、、、程程ほどなくうせなくうせなくうせ給給たまひにきひにきいにき。。。
- 20そのそのその公公きんだちだちだち、、、右大將右大將うだいしょうととと聞聞きこえたまひしこえたまひしこえたまいし、、、御母御母おおんははははは、、、師俊師俊もろとしののの中納言中納言ちゅうなごんののの御御おんむすめなりむすめなりむすめなり。。。そのそのその大將殿大將殿だいしょうどのははは、、、御御おんみめこそいとみめこそいとみめこそいと淸淸きよらにらにらに、、、餘餘あまりぞりぞりぞふとりふとりふとり給給たまひてやおはしましけんひてやおはしましけんいてやおわしましけん。。。
- 21御心御心みこころばへもいとばへもいとばえもいとうつくしくおはしけりうつくしくおはしけりうつくしくおわしけり。。。次次つぎににに中納言中納言ちゅうなごん中將中將ちゅうじょうととと申申もうしゝしゝししははは、、、みちのくのみちのくのみちのくの守信雅守信雅かみのぶまさときこえしときこえしときこえし、、、御御おんうまごにやおはすらんうまごにやおはすらんうまごにやおわすらん。。。そのそのその御弟御弟おおんおとうとははは、、、中將中將ちゅうじょうととと申申もうしけるしけるしける。。。
- 22それもそれもそれも入道入道にゅうどう中納言中納言ちゅうなごんののの女女おんなののの御御おんはははらなるべしらなるべしらなるべし。。。皆皆みな流流ながされたまひてされたまひてされたまいて、、、浦々浦々うろうらにおはせしににおはせしににおわせしに、、、中納言中將殿中納言中將殿ちゅうなごんちゅうじょうどのははは、、、歸歸かえりのぼりりのぼりりのぼり給給たまひてひていて大納言大納言だいなごんになりになりになり、、、大將大將だいしょうなどにおはすめりなどにおはすめりなどにおわすめり。。。
- 23身身みののの御才御才おおんざえなどもなどもなども、、、幼幼おさなくよりよきくよりよきくよりよき人人ひとにておはしますとにておはしますとにておわしますと、、、聞聞きこえこえこえ給給たまひきひきいき。。。琵琶琵琶びわはははすべてすべてすべて上手上手じょうずにておはしますとぞにておはしますとぞにておわしますとぞ聞聞きこえこえこえ給給たまふふう。。。都都みやこわかれてわかれてわかれて、、、土佐土佐とさノノノ國國くにへへへおはしけるにおはしけるにおわしけるに、、、これもりとかやいふこれもりとかやいふこれもりとかやいう陪從陪從べいじゅう、、、御送御送おおんおくりにりにりに參參まいりけるりけるりける道道みちにてにてにて、、、箏箏そうのことのえならぬのことのえならぬのことのえならぬ、、、調調しらべべべ傳傳つたへへえ給給たまふとてふとてうとて、、、そのそのそのふみのふみのふみの奧奧おくににに、、、歌歌うたよみよみよみ給給たまへりけるこそへりけるこそえりけるこそ、、、あはれにあはれにあわれに悲悲かなしくうけしくうけしくうけ給給たまはははりしかりしかりしか。。。
- 24をしへをしへをしへ置置おくかたみくかたみくかたみををを深深ふかくしのばなむくしのばなむくしのばなむ身身みはははののの波波なみにながれぬにながれぬにながれぬ
- 25とかやぞきゝとかやぞきゝとかやぞきき侍侍はべりしりしりし。。。靑海靑海せいがいははは彼彼かののの調調しらべのべのべの心心こころなるべしなるべしなるべし。。。いといといと悲悲かなしくしくしく、、、やさしくやさしくやさしく侍侍はべりけることかなりけることかなりけることかな。。。もろこしにもろこしにもろこしに、、、むかしむかしむかしといひけるといひけるといいける人人ひとののの、、、琴琴ことのすぐれたるのすぐれたるのすぐれたる調調しらべべべををを、、、このこのこの世世よならぬならぬならぬ人人ひとににに傳傳つたへへえ習習ならひてひていて、、、ひとりひとりひとり知知しれりけるれりけるれりけるををを、、、とかやいひけるとかやいひけるとかやいいける琴琴ことひきのひきのひきの、、、あながちにあながちにあながちに習習ならはむといひけれどもはむといひけれどもわむといいけれども、、、ないがしろにないがしろにないがしろに思思おもひてひていて、、、ゆるさゞりけるゆるさゞりけるゆるさざりける程程ほどににに、、、罪罪つみをををかうぶりけるかうぶりけるこうぶりける時時とき、、、このこのこの調調しらべのべのべの、、、長長ながくくく絕絕たえぬるえぬるえぬる事事ことをををこそこそこそ、、、悲悲かなしみしみしみ痛痛いたみけれみけれみけれ。。。
- 26此此こののの琴琴ことののの調調しらべべべををを傳傳つたへへえ給給たまひけんことこそひけんことこそいけんことこそ、、、かしこくかしこくかしこく賴賴たのもしくももしくももしくも、、、うけうけうけ給給たまはははりしかりしかりしか。。。琵琶琵琶びわこそすぐれこそすぐれこそすぐれ給給たまへりとへりとえりと聞聞きこえこえこえ給給たまへりしかへりしかえりしか。。。箏箏そうのことのことのことをもをもをも、、、かくかくかく極極きわめさせめさせめさせ給給たまひてひていて、、、御御おんおほぢのおほぢのおおじの跡跡あとをををつがせつがせつがせ給給たまふふう、、、いとやさしくこそいとやさしくこそいとやさしくこそ、、、うけうけうけ給給たまはははりりり侍侍はべれれれ。。。
- 27かくてかくてかくて年年としへてへてへて後後のち、、、歸歸かえりのぼりりのぼりりのぼり給給たまへるにへるにえるに、、、二條二條にじょうのみかどのみかどのみかど、、、琵琶琵琶びわををを好好このませませませ給給たまひてひていて召召めしければしければしければ、、、參參まいらせらせらせ給給たまひてひていて、、、といふといふという樂樂がくをぞをぞをぞひきひきひき給給たまひけるとひけるといけると、、、傳傳つたへへえうけたまはるうけたまはるうけたまわる。。。
- 28さてさてさて元元もとのかずののかずののかずの外外ほかののの大納言大納言だいなごんにくにくにくはははゝりゝりはり給給たまひてひていて、、、うちうちうち續續つづききき大將大將だいしょうかけかけかけ給給たまへるなるべしへるなるべしえるなるべし。。。其其そののの外外ほかののの公公きんだちだちだちははは、、、皆皆みなうら〳〵にてかくれうら〳〵にてかくれうらうらにてかくれ給給たまひにけりひにけりいにけり。。。
- 29いといといと悲悲かなしくしくしく、、、いかにあはれにいかにあはれにいかにあわれに主主ぬしももも人人ひともおぼしけんもおぼしけんもおぼしけん。。。このこのこの奈良奈良ならにおはせしにおはせしにおわせし禪師禪師ぜんじののの君君きみももも、、、還還かえりのぼりりのぼりりのぼり給給たまひてひていて後後のち、、、うせうせうせ給給たまひにけりひにけりいにけり。。。唯唯ただごとゝもごとゝもごととも覺覺おぼえええ給給たまはぬはぬわぬ御有樣御有樣おおんありさまなりなりなり。。。
- 30このこのこの左左ひだりのおとゞのおとゞのおとどははは、、、近衞近衞こんえののの帝帝みかどののの御時御時おおんとき、、、女御女御にょうごたてまつりたてまつりたてまつり給給たまへりきへりきえりき。。。大炊大炊おおいノノノ御門御門みかどののの右大臣右大臣うだいじん、、、公能公能きんよしのおとゞののおとゞののおとどの三三さんノノノ君君きみををを御子御子みこにしにしにし給給たまひてひていて、、、たてまつりたてまつりたてまつり給給たまひてひていて、、、皇后宮皇后宮こうごうぐう子子ことぞとぞとぞ申申もうしゝしゝしし。。。
- 31そのそのその左左ひだりのおとゞののおとゞののおとどの北北きたののの方方かたははは、、、大炊大炊おおいノノノ御門御門みかどのおとゞののおとゞののおとどの御妹御妹おおんいもうとなればなればなれば、、、そのゆかりにそのゆかりにそのゆかりに、、、御子御子みこにしにしにし給給たまへるなるべしへるなるべしえるなるべし。。。此此このころのころのころははは、、、大宮大宮おおみやとぞきこえさせとぞきこえさせとぞきこえさせ給給たまひけるひけるいける。。。
現代語訳
富家の入道殿(忠実)の御子は、法性寺の太政大臣(忠通)、次には宇治の左大臣で頼長と申し上げた方、女君は高陽院と申します。泰子皇后宮と申し上げました。法性寺殿と同じ腹の姉でいらっしゃいました。長承三年三月ごろ、后にお立ちになります。御年四十と聞きました。保延五年に院号をお受けになりました。左大臣の御母は、土佐守盛実という者の娘でいらしたでしょうか。その左大臣は、お顔立ちもよく、学才も広い人と評判でした。堀川大納言(師頼)から、前書とかいう書物を受け伝えられました。その書物は匡房中納言から伝わって、読み伝えた人もめったにいないそうですが、この殿がお伝えになったのです。今は師の伝えも絶えてしまったそうです。このようにして、さまざまの書物をお読みになり、僧の読む書物も、因明などという書を奈良の僧たちにお尋ねになったとか聞きました。笙の笛を御遊にはお吹きになったと聞きました。字をお書きになることは、わざと崩してお書きになったのでしょうか。兄の殿にどうしても劣るだろうから、などとお思いになっていたのを、法性寺殿は「私は詩も作るように思われるのに、それでは詩を作るまいというのだな」とおっしゃったとか聞きました。法性寺を修理させ、焼けた塔を造らせなさって、手際よく、まことにすばらしいことでした。日記などを広く調べて行われることも、古いことを復興し、公卿の着座とかをしない人も皆催促したりして、公私につけて何事も立派で厳しい人でいらっしゃいました。道で会う人を厳しく恥をかかせることが多いと聞きました。
公事を行われるにつけて、遅く参る人や差し障りを申す人などは、家を焼き壊したりなさいました。奈良に済円僧都と申した名僧が公請を辞退したので、京の宿坊を壊したところ、比叡山に忠胤僧都と申した人と、からかい合う仲で、顔立ちを論じて、互いに「自分こそ鬼だ」などと言いながら歌を詠み交わしていたので、忠胤がこれを聞いて済円のもとに言い送った歌、
誠にや君がつかやをこぼつなる世にはまされるこゝめ有りけり
返し
やぶられてたちしのぶべき方ぞなき君をぞ賴むかくれ簑かせ
と聞こえました。また女性をお恨みになることも荒々しいと聞きました。いはひをなどという者は、深い色好みとかお思いになっていたところ、夜急においでになったので、思いがけない男が隠れて後ろなどにいたのを、守範・経範などという者たちに探させて、隠れられそうな怪しい所まで見たけれども、探し出せずにお帰りになって、翌日の昼、別人のような様子で、またおいでになったところ、今度は出てお会いして、対面した時も昔今の話などして、きちんとしたまま帰ってお出になりました。「二度とも世間並みにはならなかった」などと言ったと、人は語りました。
この方の幼名はあや君と申しましたが、富家殿と法性寺殿の親子の御仲は、後にこそ違われたのでした。初めは左大臣を(忠通の)御養子にさせ申し上げなさったころ、飾り太刀を持たせ申し上げなさった時に、
代々をへて傳へてもたる餝太刀のいしつきもせずあやおぼしめせ
とお詠みになったのに、末には御心どもが違って、この弟の左大臣を院とともにひいきなさって、藤氏の長者も(忠通から)取って、この人になさいました。賀茂詣などは、摂関が多くなさるのを、兄の殿をさしおいて、この左大臣殿が賀茂詣といって世の大事として、東三条殿なども取り返して、鍵などがなかったのでしょうか、御倉の戸を壊したりなさったと聞きました。二人並んで内覧の宣旨をお受けになり、随身を賜ったりなさいました。そうするうちに、鳥羽院がお亡くなりになって、讃岐院と左大臣とが心を合わせて、この院(後白河)が在位でいらした時、白河の大炊御門殿で戦をなさったところ、帝の御守りが強くて、左大臣も馬に乗ってお出になったところ、誰が射申し上げたのでしょうか、矢に当たられたのが、奈良に逃げていらして、まもなくお亡くなりになりました。
その公達で、右大将兼長と申し上げた方の御母は、師俊中納言の御娘です。その大将殿は、お顔立ちこそたいそう清らかで、ただ太りすぎていらっしゃったでしょうか。お心ばえもたいそうかわいらしくていらっしゃいました。次に中納言中将師長と申し上げた方は、陸奥守信雅と申した方の御孫でいらっしゃるでしょうか。その御弟は中将隆長と申しました。それも入道中納言の娘の腹でありましょう。皆流されなさって浦々にいらしたのに、中納言中将殿は帰り上られて大納言になり、大将などでいらっしゃるようです。学才なども、幼い時からすぐれた人でいらっしゃると評判でした。琵琶はまったく名手でいらっしゃると評判です。都を離れて土佐国へいらした時、これもりとかいう陪従がお送りに参った道で、箏のこの上ない調べを伝えなさるとて、その書物の奥に歌をお詠みになったのは、しみじみと悲しく承りました。
をしへ置くかたみを深くしのばなむ身は靑海の波にながれぬ
とか聞きました。青海はあの調べの心でありましょう。たいそう悲しく優雅なことでございました。唐の国に昔、嵆叔夜という人が、琴のすぐれた調べをこの世ならぬ人から伝え習って、一人だけ知っていたのを、袁孝尼とかいう琴弾きが、しきりに習いたいと言ったけれども、軽んじて許さなかったうちに、罪をこうむった時、この調べが長く絶えてしまうことをこそ悲しみ嘆いたのでした。この琴の調べをお伝えになったことこそ、賢く頼もしくも承りました。琵琶こそすぐれていらっしゃると評判でしたが、箏の琴をもこのように極められて、祖父(忠実)の跡を継がれたのは、まことに優雅なことと承っております。こうして年を経て帰り上られたところ、二条天皇が琵琶をお好みになってお召しになったので、参られて、賀王恩という楽をお弾きになったと伝え承っています。そして元の定員の外の大納言に加わられて、続いて大将を兼ねられたのでしょう。そのほかの公達は、皆浦々で亡くなられました。まことに悲しく、主も人もどれほどしみじみとお思いになったことでしょう。この奈良にいらした禅師の君も、帰り上られた後、お亡くなりになりました。ただごととも思われないご様子です。この左大臣は、近衛天皇の御時、女御を差し上げなさいました。大炊御門右大臣公能公の三女を養女になさって差し上げなさって、皇后宮多子と申し上げました。その左大臣の北の方は、大炊御門大臣の御妹なので、その縁で御養女になさったのでしょう。このごろは大宮と申し上げるそうです。
意訳
藤原頼長は、和漢の学に通じた当代一の学者で、厳格な性格から「悪左府」と呼ばれた。公事に遅れる者や公請を辞退する僧の家を壊させたという話は、その苛烈さを伝える。済円と忠胤の歌の贈答は、その出来事を機知で笑いに変えたもの。
幼名「あや君」の頼長に、父忠実が飾り太刀を与えて「いしつきもせずあやおぼしめせ」と詠んだ歌は、「石突き」に「いしつき(厭きる)」、「あや」に幼名をかけて、末長い愛を誓う。章題の「かざり太刀」はこの歌による。しかし父と兄の仲が裂け、頼長は父の後押しで氏長者を奪い、ついには保元の乱で崇徳院と結んで敗死する。
頼長の子師長は土佐に流されたが、配所に向かう途中、陪従の惟盛に箏の秘曲を伝え、「をしへ置く」の歌を添えた。秘曲の断絶を嘆いた嵆康の故事と対比され、師長が秘曲を伝え残した賢明さがたたえられる。のちに師長は許されて帰京し、太政大臣に至った琵琶の名手である。
語釈・文法注
- 宇治の左のおとゞ賴長
- 藤原頼長(1120〜1156)。忠実の次男。左大臣。悪左府と呼ばれた。日記『台記』を残した。
- 泰子皇后宮
- 藤原泰子(1095〜1155)。忠実の娘。鳥羽上皇の皇后。高陽院。
- 土佐守盛實
- 藤原盛実。頼長の母の父。
- 前書
- 前漢書(漢書)の講読の秘伝か。大江匡房から源師頼に伝わったという。
- 因明
- 仏教の論理学。
- 濟圓僧都
- 興福寺の学僧。第20章参照。
- 忠胤僧都
- 比叡山の学僧。
- 公請
- 朝廷から法会などに招かれること。
- こゝめ
- 小人。また醜い顔のたとえ。「鬼」と互いに呼び合ったことをふまえる。
- かくれ簑
- 着ると姿が見えなくなるという蓑。
- いはひを
- 女性の名。伝未詳。
- いしつき
- 石突き。太刀の鞘の先端の金具。「いし(厭し)つき」をかける。
- 賀茂まうで
- 賀茂詣。摂関が四月の賀茂祭の前に賀茂社に参詣する儀式。
- 大炊ノ御門殿
- 白河北殿。保元の乱で崇徳上皇方の本拠となった。
- 右大將兼長
- 藤原兼長。頼長の長男。保元の乱で出雲に流され、配所で没した。
- 中納言中將師長
- 藤原師長(1138〜1192)。頼長の次男。土佐に流され、のち許されて太政大臣。琵琶・箏の名手。
- 中將隆長
- 藤原隆長。頼長の子。伊豆に流された。
- 靑海
- 青海波の調べ。箏の秘曲の名か。
- 嵇叔夜
- 魏の嵆康(223〜262)。竹林の七賢の一人。琴曲「広陵散」の唯一の伝承者で、処刑される時、その曲が絶えることを嘆いた。
- 袁孝尼
- 嵆康から広陵散を学びたいと願った人。
- 賀王恩
- 雅楽の曲名。
- 皇后宮多子
- 藤原多子。第20章参照。
文法
- 作らるまじきな
- 「る」は可能か自発。作るまいというのだな。
- 世つかざりし
- 「世づく」は男女の仲になる。二度とも男女の仲にはならなかった。
- いしつきもせず
- 「石突き」と「厭き(いしつき)もせず」の掛詞。
和歌
誠にや君がつかやをこぼつなる世にはまされるこゝめ有りけり
- 詠者
- 忠胤
- 状況
- 頼長が済円の京の宿坊を壊させたと聞いて、済円に贈った戯れの歌。
修辞
- 掛詞
- 「つかや」に「塚屋(宿坊)」をかける。
- 戯れ
- 自分たちを鬼にたとえ合っていたのをふまえ、鬼の住みかを壊す、さらに恐ろしい「こゝめ」がいた、と頼長を戯れにいう。
やぶられてたちしのぶべき方ぞなき君をぞ賴むかくれ簑かせ
- 詠者
- 済円
- 状況
- 忠胤の歌への返し。
修辞
- 戯れ
- 宿を壊されて隠れる所もないから、鬼のあなたのかくれ蓑を貸してほしい、と応じる。
代々をへて傳へてもたる餝太刀のいしつきもせずあやおぼしめせ
- 詠者
- 藤原忠実
- 状況
- 幼い頼長(あや君)に飾り太刀を与えたときの歌。
修辞
- 掛詞
- 「いしつき」に太刀の「石突き」と「厭き」、「あや」に頼長の幼名をかける。
をしへ置くかたみを深くしのばなむ身は靑海の波にながれぬ
- 詠者
- 藤原師長
- 状況
- 土佐へ流される途中、陪従に箏の秘曲を伝え、その書の奥に記した歌。
修辞
- 掛詞
- 「靑海」に秘曲の名と青い海をかけ、「ながれ」に波に流れる意と流罪をかける。
解説
頼長は日記『台記』に、学問への熱意と厳格な規範意識とを書き残している。今鏡は、その厳しさを語りつつも、学才を惜しむ筆致で描いている。
師長は帰京後、琵琶の名手として「妙音院」と称され、楽書『三五要録』『仁智要録』を著した。今鏡が成立したころは権大納言・大将であった。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、201〜208頁(コマ115–119)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日