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今鏡 第五「藤波の中」 第40章

藤の初花

忠通の子たち。長男の六条摂政基実は十六歳で関白となったが二十四歳で早世した。弟の今の摂政基房は、叔父頼長やその子たちが失脚したため、二十二歳で摂政・氏長者となった。語り手は、摂関家の母方が多く源氏であることに注目し、藤原氏の繁栄を祝う。

  1. 1前さきの前さきのさきのノノノ右大臣うだいじん右大臣うだいじんうだいじんとてとてとて、、、近ちか近ちかちかくおはしましゝくおはしましゝくおわしまししははは、、、法性寺ほふしやうじ法性寺ほふしやうじほっしょうじのおとゞののおとゞののおとどの太郞たらう太郞たらうたろうにぞおはしましゝにぞおはしましゝにぞおわしましし。。。御母おほんはは御母おほんははおおんはは從二位じゆにゐ從二位じゆにゐじゅにい源げん源げんげんノノノととと申まう申まうもうしきしきしき。。。國信くにざね國信くにざねくにざねととと申まう申まうもうしゝしゝしし、、、中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんのむすめにぞおはしますなるのむすめにぞおはしますなるのむすめにぞおわしますなる。。。
  2. 2このおとゞのこのおとゞのこのおとどの御名みな御名みなみなははは、、、とぞとぞとぞ申まう申まうもうすとすとすとうけうけうけ給たま給たまたまはははりしりしりし。。。いづれのいづれのいずれの御時おほんとき御時おほんときおおんときののの例れい例れいれいとかとかとか。。。左衞門さゑもん左衞門さゑもんさえもんノノノ督かみ督かみかみなどなどなど聞き聞ききこえさせこえさせこえさせ給たま給たまたまひしにひしにいしに、、、其そ其そそののの後のち後のちのち大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごん右大臣うだいじん右大臣うだいじんうだいじんなどになどになどに、、、成な成なならせらせらせ給たま給たまたまへりきへりきえりき。。。
  3. 3折をり折をりおりふしふしふし、、、あきあはざりけるにやあきあはざりけるにやあきあわざりけるにや。。。大將だいしやう大將だいしやうだいしょうにににはははならせならせならせ給たま給たまたまはざりしかとよはざりしかとよわざりしかとよ。。。二條にでう二條にでうにじょうのみかどのみかどのみかど、、、位くらゐ位くらゐくらいにつかせにつかせにつかせ給たま給たまたまひしにひしにいしに、、、父ちゝ父ちゝちちおとゞのおとゞのおとどの讓ゆづ讓ゆづゆずりにてりにてりにて、、、保ほう保ほうほう元げん元げんげん三年さんねん三年さんねんさんねん八月はちぐわつ八月はちぐわつはちがつ十六日じふろくにち十六日じふろくにちじゅうろくにち、、、關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくになりになりになり給たま給たまたまふふう。。。
  4. 4御おん御おんおんとしとしとし十六じふろく十六じふろくじゅうろくとぞきこえとぞきこえとぞきこえ侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。昔むかし昔むかしむかしよりかくきびよりかくきびよりかくきびはははにてにてにて、、、なりなりなり給たま給たまたまへるへるえる一いち一いちいちののの人ひと人ひとひと、、、これやこれやこれや始はじ始はじはじめにておはしますらんめにておはしますらんめにておわしますらん。。。からからから國くに國くにくににににといひけるといひけるといいける人ひと人ひとひとははは、、、十二じふに十二じふにじゅうににてぞにてぞにてぞ大臣おとど大臣おとどおとどになりになりになり給たま給たまたまひけるひけるいける。。。
  5. 5世よ世よよののの人ひと人ひとひとをををさなしともさなしともさなしとも申まう申まうもうさゞりけりさゞりけりさざりけり。。。人ひと人ひとひとがらによるべきがらによるべきがらによるべき事こと事ことことにこそにこそにこそ侍はべ侍はべはべるめれるめれるめれ。。。永えい永えいえい曆りやく曆りやくりやく元年ぐわんねん元年ぐわんねんがんねん八月はちぐわつ八月はちぐわつはちがつ十一日じふいちにち十一日じふいちにちじゅういちにち右大臣うだいじん右大臣うだいじんうだいじんにのぼりにのぼりにのぼり給たま給たまたまふふう。。。永えい永えいえい萬よろづ萬よろづよろず元年ぐわんねん元年ぐわんねんがんねん六月ろくぐわつ六月ろくぐわつろくがつみかどのみかどのみかどの御位おほんくらゐ御位おほんくらゐおおんくらいみこにみこにみこに讓ゆづ讓ゆづゆずりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつらせらせらせ給たま給たまたまひしひしいし日ひ日ひひ、、、攝政せつしやう攝政せつしやうせっしょうにならせにならせにならせ給たま給たまたまふふう。。。
  6. 6同おな同おなおなじじじ二年にねん二年にねんにねん七月しちぐわつ七月しちぐわつしちがつ廿六日にじふろくにち廿六日にじふろくにちにじゅうろくにち、、、御年おほんとし御年おほんとしおおんとし二十にじふ二十にじふにじゅう四し四ししにてにてにて、、、かくれさせかくれさせかくれさせ給たま給たまたまひにきひにきいにき。。。大臣おとど大臣おとどおとどのくらゐにてのくらゐにてのくらいにて十年じふねん十年じふねんじゅうねんおはしましきおはしましきおわしましき。。。このおとゞこのおとゞこのおとど御おん御おんおんみめもみめもみめも肥こ肥ここえきよらにおはしましきえきよらにおはしましきえきよらにおわしましき。。。
  7. 7又また又またまた、、、手て手ててなどもなどもなども昔むかし昔むかしむかしののの跡あと跡あとあとつぎまさせつぎまさせつぎまさせ給たま給たまたまへりけりへりけりえりけり。。。いとめでたくいとめでたくいとめでたく聞き聞きききたてまつりしきたてまつりしきたてまつりしほどにほどにほどに、、、夢ゆめ夢ゆめゆめのやうにてかくれさせのやうにてかくれさせのようにてかくれさせ給たま給たまたまひにしひにしいにし、、、いとかなしくこそいとかなしくこそいとかなしくこそ。。。
  8. 8去年こぞ去年こぞこぞははは二條にでう二條にでうにじょうのみかどのみかどのみかど、、、ことしことしことしはははこのこのこの殿どの殿どのどのののの御事おほんこと御事おほんことおおんこと、、、折をり折をりおりふしふしふし心こころ心こころこころあらんあらんあらん人ひと人ひとひとははは、、、思おも思おもおもひひい知し知ししりぬべきりぬべきりぬべき世よ世よよなるべしなるべしなるべし。。。贈ぞう贈ぞうぞう太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじん正じやう正じやうじょう一ひと一ひとひと位くらゐ位くらゐくらいなどなどなど、、、後のち後のちのちににに添そ添そそへへえ奉たてまつ奉たてまつたてまつられられられはべりとぞはべりとぞはべりとぞ、、、聞き聞ききこえたまふこえたまふこえたまう。。。
  9. 9きのきのきのふふふ今日けふ今日けふきょうのちごにのちごにのちごに、、、おはしますおはしますおわしますををを、、、昔語むかしがたり昔語むかしがたりむかしがたりりにりにりにうけうけうけ給たま給たまたまはるやうにはるやうにわるように覺おぼ覺おぼおぼえてえてえて、、、いとあはれにかなしくいとあはれにかなしくいとあわれにかなしく侍はべ侍はべはべりりり。。。六條ろくでう六條ろくでうろくじょうノノノ攝政せつしやう攝政せつしやうせっしょうととと申まう申まうもうすなるべしすなるべしすなるべし。。。又また又またまた中なか中なかなかののの攝政せつしやう攝政せつしやうせっしょう殿どの殿どのどのととと申まう申まうもうすすす人ひと人ひとひとももも侍はべ侍はべはべりりり。。。
  10. 10太郞たらう太郞たらうたろうにおはせしかどもにおはせしかどもにおわせしかども、、、ノノノ關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくととと申まう申まうもうしゝしゝしし樣さま樣さまさまなるべしなるべしなるべし。。。
  11. 11このこのこの次つぎ次つぎつぎののの一いち一いちいちののの人ひと人ひとひとははは、、、今いま今いまいまののの攝政せつしやう攝政せつしやうせっしょうのおとゞにおはしますのおとゞにおはしますのおとどにおわします。。。御母おほんはは御母おほんははおおんはははははこれもこれもこれも國信くにざね國信くにざねくにざねののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんののの三さん三さんさんののの君きみ君きみきみにぞおはするにぞおはするにぞおわする。。。御名みな御名みなみなはははととと聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまふふう。。。三位さんみ三位さんみさんみししし給たま給たまたまへるとぞへるとぞえるとぞ。。。
  12. 12一いち一いちいちののの人ひと人ひとひと藤氏とうじ藤氏とうじとうじののの御おん御おんおんはははららら、、、多おほ多おほおおくくくははは源氏げんじ源氏げんじげんじにおはしますにおはしますにおわします。。。然しか然しかしかるべきるべきるべき事こと事ことことにぞにぞにぞ侍はべ侍はべはべるるる。。。宇治殿うぢどの宇治殿うぢどのうじどの二條にでう二條にでうにじょう殿どの殿どのどのののの御母おほんはは御母おほんははおおんははははは、、、一條いちでう一條いちでういちじょうののの左大臣さだいじん左大臣さだいじんさだいじんののの御おん御おんおんむすめむすめむすめ、、、後のち後のちのちののの二條にでう二條にでうにじょうののの關白殿くわんぱくどの關白殿くわんぱくどのかんぱくどのははは、、、土御門つちみかど土御門つちみかどつちみかどののの右みぎ右みぎみぎのおとゞののおとゞののおとどの御おん御おんおんむすめむすめむすめ、、、法性寺殿ほふしやうじどの法性寺殿ほふしやうじどのほっしょうじどのははは六條ろくでう六條ろくでうろくじょうののの右大臣うだいじん右大臣うだいじんうだいじん、、、此こ此ここののの殿どの殿どのどのふたところふたところふたところははは、、、源中納言げんちゆうなごん源中納言げんちゆうなごんげんちゅうなごんののの姫君ひめぎみ姫君ひめぎみひめぎみふたところにおはしませばふたところにおはしませばふたところにおわしませば、、、藤氏とうじ藤氏とうじとうじははは一いち一いちいちののの人ひと人ひとひとにてにてにて、、、源氏げんじ源氏げんじげんじははは御母おほんはは御母おほんははおおんはは方かた方かたかたやんごとなしやんごとなしやんごとなし。。。
  13. 13御流おほんながれ御流おほんながれおおんながれれかたがたあらまほしくもれかたがたあらまほしくもれかたがたあらまほしくも侍はべ侍はべはべるかなるかなるかな。。。今いま今いまいまののの世よ世よよののの事こと事ことこと、、、新あたら新あたらあたらしくしくしく申まう申まうもうさでもさでもさでも侍はべ侍はべはべるべけれどるべけれどるべけれど、、、ことのことのことの續つゞ續つゞつづきなればきなればきなれば、、、申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべるになんるになんるになん。。。
  14. 14このおとゞこのおとゞこのおとど永えい永えいえい曆りやく曆りやくりやく元年ぐわんねん元年ぐわんねんがんねん八月はちぐわつ八月はちぐわつはちがつ十一日じふいちにち十一日じふいちにちじゅういちにち、、、內大臣ないだいじん內大臣ないだいじんないだいじんにならせにならせにならせ給たま給たまたまひてひていて、、、同おな同おなおなじじじ月左大將つきさだいしやう月左大將つきさだいしやうつきさだいしょうかけさせかけさせかけさせ給たま給たまたまひきひきいき。。。同おな同おなおなじじじ二年にねん二年にねんにねん九月十三日くぐわつじふさんにち九月十三日くぐわつじふさんにちくがつじゅうさんにち、、、左大臣さだいじん左大臣さだいじんさだいじんにのぼらせにのぼらせにのぼらせ給たま給たまたまひてひていて、、、永えい永えいえい萬よろづ萬よろづよろず二年にねん二年にねんにねん七月しちぐわつ七月しちぐわつしちがつ二十七日にじふしちにち二十七日にじふしちにちにじゅうしちにち、、、攝政せつしやう攝政せつしやうせっしょうにならせにならせにならせ給たま給たまたまふふう。。。
  15. 15御おん御おんおんとしとしとし廿二にじふに廿二にじふににじゅうににおはしましきにおはしましきにおわしましき。。。やがてやがてやがて藤氏とうじ藤氏とうじとうじののの長者ちやうじや長者ちやうじやちょうじゃにならせにならせにならせ給たま給たまたまひきひきいき。。。仁にん仁にんにん安やす安やすやす三年さんねん三年さんねんさんねん二月にぐわつ二月にぐわつにがつ、、、當今たうぎん當今たうぎんとうぎん位くらゐ位くらゐくらいににに卽つ卽つつかせかせかせ給たま給たまたまひしにひしにいしに、、、又また又またまた攝政せつしやう攝政せつしやうせっしょうにならせにならせにならせ給たま給たまたまふふう。。。いとやんごとなくいとやんごとなくいとやんごとなく、、、おはしましけるおはしましけるおわしましける御榮おほんさか御榮おほんさかおおんさかえなりえなりえなり。。。
  16. 16御兄おほんあに御兄おほんあにおおんあにののの攝政せつしやう攝政せつしやうせっしょう殿どの殿どのどのももも、、、宇治うぢ宇治うぢうじののの左ひだり左ひだりひだりのおとゞものおとゞものおとども、、、其そ其そそののの御子みこ御子みこみこのののももも、、、長者ちやうじや長者ちやうじやちょうじゃつぎつぎつぎ給たま給たまたまひてひていて、、、久ひさ久ひさひさしくおはしまさばしくおはしまさばしくおわしまさば、、、一いち一いちいちののの人ひと人ひとひとののの御子みこ御子みこみこなりともなりともなりとも、、、大臣おとど大臣おとどおとどにこそならせにこそならせにこそならせ給たま給たまたまふともふともうとも、、、必かならず必かならずかならずしもしもしも、、、家いへ家いへいえのあとつがせのあとつがせのあとつがせ給たま給たまたまふふう事こと事ことことかたきかたきかたきををを、、、このこのこの御報おほんむくい御報おほんむくいおおんむくいにやにやにや、、、押お押おおされさせされさせされさせ給たま給たまたまひけんひけんいけん。。。
  17. 17皆みな皆みなみな夢ゆめ夢ゆめゆめになりてになりてになりて、、、かくかくかく忽たちまち忽たちまちたちまちににに攝政せつしやう攝政せつしやうせっしょうにならせたまひにならせたまひにならせたまい、、、藤氏とうじ藤氏とうじとうじののの長者ちやうじや長者ちやうじやちょうじゃにおはしますにおはしますにおわします。。。「「「ののの山やま山やまやまののの朝日あさひ朝日あさひあさい」」」ははは、、、かねてかねてかねて照て照ててらさせらさせらさせ給たま給たまたまひけんひけんいけん。。。御身おほんみ御身おほんみおおんみののの才さい才さいさい幼をさな幼をさなおさなくよりすぐれておはしますとてくよりすぐれておはしますとてくよりすぐれておわしますとて、、、內宴ないえん內宴ないえんないえんののの詩し詩ししなどもなどもなども、、、兄このかみ兄このかみこのかみをををさしおきさしおきさしおき奉たてまつ奉たてまつたてまつりてりてりて、、、そのそのその席むしろ席むしろむしろにさしいらせにさしいらせにさしいらせ給たま給たまたまひきひきいき。。。
  18. 18御心みこころ御心みこころみこころばへあるべかしくばへあるべかしくばえあるべかしく、、、まだまだまだ若わか若わかわかくおはしますにくおはしますにくおわしますに、、、公事くじ公事くじくじをもをもをも能よ能よよくくく行おこな行おこなおこなはせたまふはせたまふわせたまう。。。おとなしくおはしますなりおとなしくおはしますなりおとなしくおわしますなり。。。ほどなくほどなくほどなく作つく作つくつくりいださせりいださせりいださせ給たま給たまたまひてひていて、、、上達部かんだちめ上達部かんだちめかんだちめ殿上人てんじやうびと殿上人てんじやうびとてんじょうびとなどなどなど詩し詩ししつくりつくりつくり歌うた歌うたうたたてまつりなどしてたてまつりなどしてたてまつりなどして、、、昔むかし昔むかしむかしののの一いち一いちいちののの人ひと人ひとひとののの御有樣おほんありさま御有樣おほんありさまおおんありさまにににははは、、、いつしかおはしますいつしかおはしますいつしかおわします。。。
  19. 19心こころ心こころこころあるあるある人ひと人ひとひと、、、いかばかりかいかばかりかいかばかりかははは、、、賞ほ賞ほほめたてまつるらんめたてまつるらんめたてまつるらん。。。みかどにみかどにみかどに貸か貸かかししし奉たてまつ奉たてまつたてまつらせらせらせ給たま給たまたまひてひていて、、、內裏うち內裏うちうちになりなどしになりなどしになりなどし侍はべ侍はべはべらんもらんもらんも、、、世よ世よよののの爲ため爲ためためももも、、、いといといとはえ〴〵しきはえ〴〵しきはえばえしき事こと事ことことにこそにこそにこそ侍はべ侍はべはべるなれるなれるなれ。。。
  20. 20ゆくゆくゆく末すゑ末すゑすえ思おも思おもおもひやられさせひやられさせいやられさせ給たま給たまたまひてひていて、、、然しか然しかしかるべきるべきるべき事こと事ことことととと、、、世よ世よよののの爲ため爲ためためももも、、、たのもしくこそたのもしくこそたのもしくこそうけたまはれうけたまはれうけたまわれ。。。此こ此ここののの二人ふたり二人ふたりふたりののの攝政せつしやう攝政せつしやうせっしょう殿どの殿どのどのたちたちたち、、、皆みな皆みなみな御子みこ御子みこみこおはしますなればおはしますなればおわしますなれば、、、藤ふぢ藤ふぢふじなみのあとなみのあとなみのあと絕た絕たたえずえずえず、、、ののの流なが流ながながれれれ久ひさ久ひさひさしかるべきしかるべきしかるべき御有樣おほんありさま御有樣おほんありさまおおんありさまなるべしなるべしなるべし。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

摂政前右大臣として近ごろまでいらしたのは、法性寺の大臣の長男でいらっしゃいました。御母は従二位源信子と申しました。国信と申した中納言の娘でいらっしゃるそうです。この大臣の御名は基実と申すと承りました。いつの御時の例でしょうか、左衛門督などと申し上げていた後に、大納言・右大臣などにおなりになりました。たまたま空きがなかったのでしょうか、大将にはおなりにならなかったでしょうか。二条天皇が位におつきになった時、父大臣の譲りで、保元三年八月十一日に関白になられます。御年十六と聞きました。昔からこれほど幼くておなりになった摂関は、これが初めてでいらっしゃるでしょうか。唐の国に甘羅という人は、十二歳で大臣になったそうです。世の人も幼いとは申さなかったそうです。人柄によるべきことのようです。永暦元年八月十一日に右大臣にお上りになります。永万元年六月、帝が位を皇子(六条)にお譲りになった日、摂政におなりになります。同じ二年七月二十六日、御年二十四でお亡くなりになりました。大臣の位に十年いらっしゃいました。この大臣はお顔立ちも太って美しくていらっしゃいました。また字なども昔の跡を継いで上手でいらっしゃいました。たいそうすばらしくお聞きしていたのに、夢のようにお亡くなりになったのは、まことに悲しいことです。去年は二条天皇、今年はこの殿のことと、折につけ心ある人は思い知るはずの世でありましょう。贈太政大臣正一位なども後に添えられたと聞こえます。昨日今日の幼子でいらっしゃる(御子)のを、昔語りに聞くように思われて、まことにしみじみと悲しいことです。六条摂政と申し上げるのでしょう。また中の摂政殿と申す人もいます。長男でいらしたけれども、中関白(道隆)と申したようなものでしょう。

この次の摂関は、今の摂政の大臣(基房)でいらっしゃいます。御母もこの国信中納言の三女でいらっしゃいます。御名は国子と申し上げます。三位に叙されたとか。摂関の藤原氏の御母は、多くは源氏でいらっしゃいます。しかるべきことです。宇治殿・二条殿の御母は一条左大臣(雅信)の御娘、後の二条関白殿は土御門右大臣(師房)の御娘、法性寺殿は六条右大臣(顕房)の御娘、この殿お二方は源中納言(国信)の姫君お二方でいらっしゃるので、藤原氏は摂関として、源氏は御母方として尊いのです。御流れはどちらも好ましいことでございますね。今の世のことは、改めて申さなくてもよいのですが、話の続きなので申し上げます。

この大臣は永暦元年八月十一日に内大臣になられて、同じ月に左大将を兼ねられました。同じ二年九月十三日に左大臣にお上りになって、永万二年七月二十七日に摂政におなりになります。御年二十二でいらっしゃいました。すぐに藤氏の長者におなりになりました。仁安三年二月、今上(高倉)が位におつきになった時も、また摂政におなりになります。まことに尊くていらっしゃるお栄えです。御兄の摂政殿(基実)も、宇治の左大臣(頼長)も、その御子の大将殿(兼長)も、長者を継いで長く生きていらしたら、摂関の御子であっても、大臣にこそおなりになっても、必ずしも家の跡をお継ぎになることは難しいのに、この方の御運に押されなさったのでしょうか、皆夢となって、このようにたちまち摂政におなりになり、藤氏の長者でいらっしゃいます。「三笠の山の朝日」は、前もって照らしていらしたのでしょう。ご自身の学才は幼いころからすぐれていらっしゃるとて、内宴の詩なども、兄をさしおいて、その席に加わられました。お心ばえもしっかりしていて、まだお若いのに、公事をもよく行われます。大人びていらっしゃるのです。閑院をまもなく造り上げられて、公卿・殿上人などが詩を作り歌を奉ったりして、昔の摂関のご様子に早くもなっていらっしゃいます。心ある人はどれほどほめ申し上げることでしょう。帝にお貸し申し上げて内裏になったりするのも、世のためにもまことに晴れがましいことでございます。将来が思いやられて、しかるべきことと、世のためにも頼もしく承ります。このお二人の摂政殿たちは、皆御子がいらっしゃるので、藤波の跡は絶えず、佐保川の流れも長く続くはずのご様子でありましょう。

意訳

忠通の長男基実は、保元三年(1158)十六歳で関白となり、六条天皇の摂政を務めたが、仁安元年(1166)二十四歳で没した。近衛家の祖である。弟基房は二十二歳で摂政・氏長者を継いだ(松殿家の祖)。章題の「藤の初花」は、若い二人の摂政の家を、藤の花の咲き初めにたとえたもの。

語り手は、摂関家の母方が源雅信・源師房・源顕房・源国信と、代々源氏であることに注目し、「藤氏は一の人にて、源氏は御母方やんごとなし」と、両家の結びつきを好ましいものとして語る。

基房については、兄基実や叔父頼長、その子兼長らが早世・失脚したことで摂関の地位が転がり込んだことを「この御報にや押されさせ給ひけん」と運命の巡りとして語り、閑院の造営などの事績をたたえ、藤原氏の繁栄が続くことを祝って章を結ぶ。

語釈・文法注

基實
藤原基実(1143〜1166)。忠通の長男。近衛家の祖。六条摂政。
從二位源ノ信子
源信子。源国信の娘。基実の母。
甘羅
戦国時代の秦の人。十二歳で上卿に任じられたという。
中ノ關白
藤原道隆。兼家の長男。
今の攝政のおとゞ
藤原基房(1145〜1230)。忠通の子。松殿家の祖。今鏡成立時の摂政。
國子
源国子。源国信の娘。基房の母。
其の御子の大將殿
藤原兼長(1138〜1158)。頼長の子。保元の乱で流され、配所で没した。
三笠の山の朝日
藤原氏の繁栄をたとえる言葉。
閑院
基房が造営した邸宅。のちに内裏(里内裏)として用いられた。
佐保川の流れ
藤原氏の流れのたとえ。佐保川は春日山から流れる川。

文法

ならせ給はざりしかとよ
「とよ」は詠嘆。おなりにならなかったのだったよ。
あらまほしくも侍るかな
理想的である。好ましい。

解説

今鏡は嘉応二年(1170)時点での「今」を語るため、基房は現職の摂政として描かれる。のちの治承三年(1179)の平清盛のクーデターで、基房は解任・配流されることになるが、ここではまだ前途洋々たる若い摂政である。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、190〜194頁(コマ110–112)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日