古典ライブラリー

今鏡 第四「藤波の上」 第37章

宇治の川瀬

師通の子、富家殿藤原忠実。白河院と親しかったが、娘泰子の入内をめぐって院の怒りを買い、内覧を止められた。院の寵愛した祇園女御、その養女待賢門院の話、忠実の人柄と晩年、そして祇園女御のゆかりで栄えた平正盛・忠盛父子と、殿上をめぐる人々の逸話が語られる。

  1. 1後のち後のちのちののの二條にでう二條にでうにじょう殿どの殿どのどのののの御おん御おんおんつぎにつぎにつぎにははは、、、近ちか近ちかちかくくくとておはしましゝとておはしましゝとておわしましし、、、入道にふだう入道にふだうにゅうどうおとゞおほぢのおとゞおほぢのおとどおおじの大殿おほとの大殿おほとのおおとの、、、御子みこ御子みこみこにしにしにし參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまふとふとうと聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまひきひきいき。。。御母おほんはは御母おほんははおおんはははははののの右みぎ右みぎみぎのおとゞののおとゞののおとどの御おん御おんおんむすめなりむすめなりむすめなり。。。
  2. 2此こ此ここのおとゞののおとゞののおとどの御名みな御名みなみなははは忠實ただざね忠實ただざねただざねとぞきこえとぞきこえとぞきこえ給たま給たまたまひしひしいし。。。康やす康やすやす和わ和わわ元年ぐわんねん元年ぐわんねんがんねん閏うるふ閏うるふうるう九月くぐわつ九月くぐわつくがつ廿八日にじふはちにち廿八日にじふはちにちにじゅうはちにち、、、內覽ないらん內覽ないらんないらんののの宣旨せんじ宣旨せんじせんじかうぶりかうぶりこうぶり給たま給たまたまひきひきいき。。。御おん御おんおんとしとしとし廿二にじふに廿二にじふににじゅうに、、、同おな同おなおなじじじ二年にねん二年にねんにねん七月しちぐわつ七月しちぐわつしちがつ十七日じふしちにち十七日じふしちにちじゅうしちにち、、、右大臣うだいじん右大臣うだいじんうだいじんにならせたまひきにならせたまひきにならせたまいき。。。
  3. 3大將だいしやう大將だいしやうだいしょうももも猶なほ猶なほなおかけさせかけさせかけさせ給たま給たまたまへりきへりきえりき。。。天てん天てんてん永えい永えいえい三年さんねん三年さんねんさんねん十二月じふにぐわつ十二月じふにぐわつじゅうにがつ十四日じふよつか十四日じふよつかじゅうよっか、、、太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじんになりになりになり給たま給たまたまひきひきいき。。。はじめはじめはじめははは宇治うぢ宇治うぢうじののの川瀨波かはせなみ川瀨波かはせなみかわせなみしづかにてしづかにてしずかにて、、、白河しらかは白河しらかはしらかわののの水みづ水みづみずへへへだてなくおはしましゝかばだてなくおはしましゝかばだてなくおわしまししかば、、、富家殿ふけどの富家殿ふけどのふけどのつくりつくりつくり給たま給たまたまひてひていて、、、院ゐん院ゐんいんわたらせわたらせわたらせ給たま給たまたまひけるにひけるにいけるに、、、宇治川うぢがは宇治川うぢがはうじがわにあそびのにあそびのにあそびの船ふね船ふねふね、、、歌うた歌うたうたうたひてうたひてうたいて、、、波なみ波なみなみににに浮うか浮うかうかびなどしてびなどしてびなどして、、、いといといと面白おもしろ面白おもしろおもしろくあそばせくあそばせくあそばせ給たま給たまたまひけるひけるいける。。。
  4. 4といひしといひしといいしをををのこのこのこ、、、歌うた歌うたうたうたひうたひうたい、、、そのそのその時とき時ときときこうたうなどいひしこうたうなどいひしこうとうなどいいし、、、船ふね船ふねふねににに乘の乘ののりりり具ぐ具ぐぐしてしてして、、、うたつかうまつりけるとかやうたつかうまつりけるとかやうたつこうまつりけるとかや。。。其そ其そそのたびのたびのたび人々ひとびと人々ひとびとひとびとににに、、、歌うた歌うたうたよませさせよませさせよませさせ給たま給たまたまはざりけるはざりけるわざりけるをぞをぞをぞ、、、くちをしくなどくちをしくなどくちおしくなど申まう申まうもうすすす人ひと人ひとひともありけるもありけるもありける。。。
  5. 5かやうのかやうのかようの所ところ所ところところにわたらせにわたらせにわたらせ給たま給たまたまひてひていて、、、何なに何なになにとなきとなきとなき御おん御おんおんあそびもあそびもあそびも、、、古ふる古ふるふるききき跡あと跡あとあとにもにもにも似に似ににぬぬぬ御心みこころ御心みこころみこころなるべしなるべしなるべし。。。かやうにてかやうにてかようにて過す過すすぎさせぎさせぎさせ給たま給たまたまひしにひしにいしに、、、保ほう保ほうほう安やす安やすやす元年ぐわんねん元年ぐわんねんがんねん十一月じふいちぐわつ十一月じふいちぐわつじゅういちがつ十二日じふににち十二日じふににちじゅうににちにやありけんにやありけんにやありけん。。。
  6. 6夜よ夜よよをををこめてこめてこめて院ゐん院ゐんいんよりとてよりとてよりとて「「「のおとゞのおとゞのおとど俄にはか俄にはかにわかにまゐりにまゐりにまいり給たま給たまたまへへえ」」」。。。ととと御使おほんつかひ御使おほんつかひおおんつかいありてありてありて、、、おとゞおとゞおとど內覽ないらん內覽ないらんないらんとゞむべきとゞむべきとどむべき由よし由よしよしををを、、、仰おほ仰おほおおせせせ下くだ下くだくだししし給たま給たまたまひけりひけりいけり。。。白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいんうせさせうせさせうせさせ給たま給たまたまひてひていて、、、鳥羽とば鳥羽とばとばノノノ院ゐん院ゐんいん世よ世よよををを知し知ししらせらせらせ給たま給たまたまひしひしいし時とき時ときときにぞにぞにぞ、、、富家ふけ富家ふけふけよりよりより出い出いいでさせでさせでさせ給たま給たまたまひしひしいし。。。
  7. 7待賢門院たいけんもんゐん待賢門院たいけんもんゐんたいけんもんいんをををさなくおはしましゝさなくおはしましゝさなくおわしまししををを、、、白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいん養やしな養やしなやしなひひい奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまひてひていて、、、鳥羽とば鳥羽とばとばノノノ院ゐん院ゐんいん位くらゐ位くらゐくらいにおはしましゝにおはしましゝにおわしましし、、、女御にようご女御にようごにょうごにたてまつりにたてまつりにたてまつり給たま給たまたまふふうほどにほどにほどに、、、入道にふだう入道にふだうにゅうどうおほきおとゞのおほきおとゞのおおきおとどの御おん御おんおんむすめむすめむすめ、、、女御にようご女御にようごにょうごににに奉たてまつ奉たてまつたてまつらんとらんとらんと、、、せさせせさせせさせ給たま給たまたまふとふとうと聞き聞ききこゆるによりてこゆるによりてこゆるによりて、、、關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくうちとめうちとめうちとめ申まう申まうもうさせさせさせ給たま給たまたまふとぞふとぞうとぞ聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。
  8. 8白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいんののの御世みよ御世みよみよににに、、、きさききさききさき御息所みやすんどころ御息所みやすんどころみやすんどころなどかくれさせなどかくれさせなどかくれさせ給たま給たまたまひてひていて、、、さるさるさるかた〴〵もおはせざりしにかた〴〵もおはせざりしにかたがたもおわせざりしに、、、ときこえときこえときこえ給たま給たまたまふふう人ひと人ひとひとおはしましきおはしましきおわしましき。。。そのそのその人ひと人ひとひと待賢門院たいけんもんゐん待賢門院たいけんもんゐんたいけんもんいんをばをばをば、、、養やしな養やしなやしなひひい奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまひてひていて、、、院ゐん院ゐんいんももも御おん御おんおんむすめとてむすめとてむすめとて、、、もてなしきこえさせもてなしきこえさせもてなしきこえさせ給たま給たまたまひしなりひしなりいしなり。。。
  9. 9そのそのその白川殿しらかはどの白川殿しらかはどのしらかわどのあさましきあさましきあさましき御おん御おんおんすぐせおはしけるすぐせおはしけるすぐせおわしける人ひと人ひとひとなるべしなるべしなるべし。。。宣旨せんじ宣旨せんじせんじなどなどなどははは下くだ下くだくだされざりけれどもされざりけれどもされざりけれども、、、世よ世よよののの人ひと人ひとひとははは祇園ぎをん祇園ぎをんぎおんののの女御にようご女御にようごにょうごとぞとぞとぞ申まう申まうもうすめりしすめりしすめりし。。。もとよりかのもとよりかのもとよりかの院ゐん院ゐんいんののの、、、うちのうちのうちの局つぼね局つぼねつぼねわたりにおはしけるわたりにおはしけるわたりにおわしけるををを、、、はつかにはつかにはつかに御覽ごらん御覽ごらんごらんじつけさせじつけさせじつけさせ給たま給たまたまひてひていて、、、ののの寵愛ちようあい寵愛ちようあいちょうあいひとりのみなりひとりのみなりひとりのみなり。。。
  10. 10たゞたゞただ人ひと人ひとひとにおはせざるべしにおはせざるべしにおわせざるべし。。。賀茂かも賀茂かもかもののの女御にようご女御にようごにょうごととと世よ世よよにににはははいひていひていいて、、、うれしきうれしきうれしき、、、いはひいはひいわいをををとてとてとて、、、姉弟後あねおとうとのち姉弟後あねおとうとのちあねおとうとのちにつゞきてにつゞきてにつづきて、、、聞き聞ききこえしがこえしがこえしが、、、それそれそれははは彼か彼かかのやしろのつかさのやしろのつかさのやしろのつかさ、、、がむすめどもにてがむすめどもにてがむすめどもにて、、、女房にようばう女房にようばうにょうぼうににに參まゐ參まゐまいりたりしかばりたりしかばりたりしかば、、、御目おほんめ御目おほんめおおんめ近ちか近ちかちかかりしかりしかりしををを、、、これこれこれははは、、、はつかにはつかにはつかに御覽ごらん御覽ごらんごらんじつけられてじつけられてじつけられて、、、それがやうにそれがやうにそれがようにはははなくてなくてなくて、、、これこれこれははは殊こと殊ことことののの外ほか外ほかほかににに、、、おもきさまにおもきさまにおもきさまに聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまひきひきいき。。。
  11. 11かのかのかの御おん御おんおんさだにてさだにてさだにて、、、そのそのその女院にようゐん女院にようゐんにょういんもならびなくおはしましきもならびなくおはしましきもならびなくおわしましき。。。代々よよ代々よよよよののの國母こくも國母こくもこくもにておはしましければにておはしましければにておわしましければ、、、理ことわ理ことわことわりとりとりとははは申まう申まうもうしながらしながらしながら、、、いかばかりかいかばかりかいかばかりかははは榮さか榮さかさかえさせえさせえさせ給たま給たまたまひしひしいし。。。
  12. 12をさなくてをさなくておさなくてははは、、、白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおんふところにふところにふところに御足おほんあし御足おほんあしおおんあしさしいれてさしいれてさしいれて、、、ひるもひるもひるも御殿おほとの御殿おほとのおおとのごもりたればごもりたればごもりたれば、、、殿との殿とのとのなどまゐらせなどまゐらせなどまいらせ給たま給たまたまひたるにもひたるにもいたるにも、、、「「「こゝにずちなきこゝにずちなきここにずちなき事こと事ことことののの侍はべ侍はべはべりてりてりて、、、えええ自おの自おのおのづからづからずから申まう申まうもうさずさずさず」」」。。。
  13. 13などいらへてぞおはしましけるなどいらへてぞおはしましけるなどいらえてぞおわしましける。。。おとなにならせおとなにならせおとなにならせ給たま給たまたまひてもひてもいても、、、類たぐ類たぐたぐひなくひなくひなく聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいんかくれさせかくれさせかくれさせ給たま給たまたまひてこそひてこそいてこそ、、、ほいのほいのほいの如ごと如ごとごとくくく、、、殿どの殿どのどののののたてまつりたてまつりたてまつり給たま給たまたまひてひていて、、、女御にようご女御にようごにょうごののの宣旨せんじ宣旨せんじせんじかうぶりかうぶりこうぶり給たま給たまたまふふう。。。
  14. 14皇后宮くわうごうぐう皇后宮くわうごうぐうこうごうぐうにたちにたちにたち給たま給たまたまひてのちひてのちいてのちははは、、、院號ゐんがう院號ゐんがういんごう聞き聞ききこえさせこえさせこえさせ給たま給たまたまひてひていて、、、高陽かや高陽かやかやノノノ院ゐん院ゐんいんととと申まう申まうもうしきしきしき。。。院ゐん院ゐんいんののの後のち後のちのちまゐりまゐりまいり給たま給たまたまへるにへるにえるに、、、女御にようご女御にようごにょうごののの宣旨せんじ宣旨せんじせんじははは、、、これやこれやこれや始はじ始はじはじめにてめにてめにて侍はべ侍はべはべりけんりけんりけん。。。
  15. 15后きさき后きさききさきののの宮みや宮みやみやのののはじめつはじめつはじめつ方かた方かたかたももも、、、宇治うぢ宇治うぢうじののの御幸みゆき御幸みゆきみゆきありてありてありて、、、皇后宮くわうごうぐう皇后宮くわうごうぐうこうごうぐうひきつゞきていらせひきつゞきていらせひきつづきていらせ給たま給たまたまひしひしいし、、、うるはしきうるはしきうるわしき行啓ぎやうけい行啓ぎやうけいぎょうけいのやうにのやうにのようにははは侍はべ侍はべはべらでらでらで、、、皆みな皆みなみな狩衣かりぎぬ狩衣かりぎぬかりぎぬににに風流ふりう風流ふりうふりゅうなどしてなどしてなどして、、、女房にようばう女房にようばうにょうぼうののの車くるま車くるまくるまいろ〳〵にいろ〳〵にいろいろに、、、もみぢのもみぢのもみじの匂にほ匂にほにおひひい出い出いいだしてだしてだして、、、雜仕ざふし雜仕ざふしぞうしなどもなどもなども皆みな皆みなみな車くるま車くるまくるまにのりてなんにのりてなんにのりてなん侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。
  16. 16さき〴〵さき〴〵さきざき白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいんののの御時おほんとき御時おほんときおおんときははは、、、雜仕ざふし雜仕ざふしぞうしははは皆みな皆みなみな馬むま馬むまうまにのりてにのりてにのりて、、、透笠すかしがさ透笠すかしがさすかしがさたゞのたゞのただの笠かさ笠かさかさなどきてなどきてなどきて、、、いくらともなくこそつゞきていくらともなくこそつゞきていくらともなくこそつづきて侍はべ侍はべはべりしかりしかりしか。。。これこれこれははは車くるま車くるまくるまにてにてにて、、、これぞこれぞこれぞはじめてはじめてはじめて侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。
  17. 17后きさき后きさききさきののの宮みや宮みやみやにににははは、、、冠かうぶり冠かうぶりこうぶりにてこそにてこそにてこそ、、、常つね常つねつねははは人々候ひとびとさふら人々候ひとびとさふらひとびとそうろうふふうををを、、、これこれこれははは侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。
  18. 18此こ此ここののの富家ふけ富家ふけふけのおとゞのおとゞのおとどははは、、、御おん御おんおんみめもみめもみめもふとりふとりふとり、、、淸きよ淸きよきよらかにらかにらかに、、、御聲おほんこゑ御聲おほんこゑおおんこえいといといとうつくしくてうつくしくてうつくしくて、、、年老としお年老としおとしおいさせいさせいさせ給たま給たまたまふまでふまでうまで、、、細ほそ細ほそほそくきよらかにおはしましきくきよらかにおはしましきくきよらかにおわしましき。。。朗詠らうえい朗詠らうえいろうえいなどえならずなどえならずなどえならず、、、せさせせさせせさせ給たま給たまたまふふう。。。
  19. 19又箏またさう又箏またさうまたそうのことのことのことははは、、、すべてならびなくおはしましきすべてならびなくおはしましきすべてならびなくおわしましき。。。歌うた歌うたうたはさまでもはさまでもわさまでも聞き聞ききこえさせこえさせこえさせ給たま給たまたまはざりしにはざりしにわざりしに、、、宇治うぢ宇治うぢうじにこもりゐさせにこもりゐさせにこもりいさせ給たま給たまたまへりしへりしえりし時とき時ときときぞぞぞ、、、
  20. 20さほさほさお川がは川がはがわののの流なが流ながながれたえせぬれたえせぬれたえせぬ身み身みみなれどもなれどもなれどもうきうきうき瀨せ瀨せせにあひてにあひてにあいて沈しづ沈しづしずみぬるかなみぬるかなみぬるかな
  21. 21とよませとよませとよませ給たま給たまたまひけるとかやひけるとかやいけるとかや。。。ふみのさたなどふみのさたなどふみのさたなどははは、、、常つね常つねつねにせさせにせさせにせさせ給たま給たまたまふともきこえざりしかどもふともきこえざりしかどもうともきこえざりしかども、、、天台止觀てんだいしくわん天台止觀てんだいしくわんてんだいしかんとかいふとかいふとかいう文ふみ文ふみふみをぞをぞをぞ、、、とかいひてとかいひてとかいいて、、、杉生すぎふ杉生すぎふすぎうののの法橋ほつけう法橋ほつけうほっきょうといひしにといひしにといいしに、、、本ほん本ほんほん書ふみ書ふみふみばかりばかりばかりははは傳つた傳つたつたへさせへさせえさせ給たま給たまたまひてけりひてけりいてけり。。。
  22. 22日毎ひごと日毎ひごとひごとににに參まゐ參まゐまいりてりてりて候さふら候さふらそうらひければひければいければ、、、まぎらはしきまぎらはしきまぎらわしき日ひ日ひひももも、、、よふけてなどよふけてなどようけてなど思おも思おもおもひひい出い出いいださせださせださせ給たま給たまたまひつゝひつゝいつつ、、、年とし年としとしをををわたりてぞわたりてぞわたりてぞ、、、よみよみよみはははてさせてさせてさせ給たま給たまたまひけるひけるいける。。。眞言しんごん眞言しんごんしんごんももも好この好このこのみみみ、、、さだせさせさだせさせさだせさせ給たま給たまたまひけるとひけるといけると聞き聞ききこえきこえきこえき。。。
  23. 23年とし年としとしよらせよらせよらせ給たま給たまたまひてひていてははは、、、御足おほんあし御足おほんあしおおんあしのかなはせのかなはせのかなわせ給たま給たまたまはざりしかばはざりしかばわざりしかば、、、乘の乘ののりてりてりて、、、ひかれひかれひかれ給たま給たまたまひひい、、、又また又またまた御輿みこし御輿みこしみこしなどにてぞなどにてぞなどにてぞ院ゐん院ゐんいんにもにもにも參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまひけるひけるいける。。。御おん御おんおんぐしおろさせぐしおろさせぐしおろさせ給たま給たまたまひてひていて、、、奈良なら奈良ならならにてもにてもにても、、、御受戒ごじゆかい御受戒ごじゆかいごじゅかいせさせせさせせさせ給たま給たまたまひきひきいき。。。
  24. 24御名みな御名みなみなはははとぞとぞとぞ聞き聞ききこえさせこえさせこえさせ給たま給たまたまひしひしいし。。。いづれのたびもいづれのたびもいずれのたびも、、、院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおんともにぞともにぞともにぞ、、、御受戒ごじゆかい御受戒ごじゆかいごじゅかいせさせせさせせさせ給たま給たまたまひけるひけるいける。。。御子みこ御子みこみこののののおとゞののおとゞののおとどの事こと事ことことおはせしゆかりにおはせしゆかりにおわせしゆかりに、、、奈良なら奈良ならならにおはしましゝがにおはしましゝがにおわしまししが、、、宇治殿うぢどの宇治殿うぢどのうじどのへへへははは入い入いいらせらせらせ給たま給たまたまはははででで、、、おはしましゝおはしましゝおわしまししををを、、、法性寺殿ほふしやうじどの法性寺殿ほふしやうじどのほっしょうじどのににに、、、御消息おほんせうそこ御消息おほんせうそこおおんしょうそこありければありければありければ、、、とくとくとく京きやう京きやうきょうののの方かた方かたかたへへへいらせいらせいらせ給たま給たまたまへとへとえと、、、御おん御おんおんかへりごとかへりごとかえりごと申まう申まうもうさせさせさせ給たま給たまたまひければひければいければ、、、よろこびよろこびよろこび給たま給たまたまひてひていて、、、年とし年としとしごろのごろのごろの御中おほんなか御中おほんなかおおんなかももも直なほ直なほなおらせらせらせ給たま給たまたまひてひていて、、、とてときめかせとてときめかせとてときめかせ給たま給たまたまひしひしいし人ひと人ひとひとののの、、、都みやこ都みやこみやこののの北きた北きたきたににに、、、雲林院うりんゐん雲林院うりんゐんうりんいんかかか知足院ちそくゐん知足院ちそくゐんちそくいんかにかにかに侍はべ侍はべはべるなるるなるるなる堂だう堂だうどうにぞおはしてにぞおはしてにぞおわして、、、うせさせうせさせうせさせ給たま給たまたまひにしひにしいにし。。。
  25. 25そのそのその播磨はりま播磨はりまはりまとかとかとか聞き聞ききこえしこえしこえし人ひと人ひとひとははは、、、世よ世よよにたぐひなきにたぐひなきにたぐいなき、、、さいはひさいはひさいわい人ひと人ひとひとになむおはすめるになむおはすめるになむおわすめる。。。白川殿しらかはどの白川殿しらかはどのしらかわどのににに、、、唯同ただおな唯同ただおなただおなじさまなるはしめにやおはしけんじさまなるはしめにやおはしけんじさまなるわしめにやおわしけん。。。後のち後のちのちにににははは女院にようゐん女院にようゐんにょういんののの、、、はしたものなどいふはしたものなどいふはしたものなどいう事こと事ことことになりになりになり、、、つぎにつぎにつぎに女房にようばう女房にようばうにょうぼうになりなどしておはすとぞになりなどしておはすとぞになりなどしておわすとぞ聞き聞ききこえられしこえられしこえられし。。。
  26. 26今いま今いまいまにかしこきにかしこきにかしこき人ひと人ひとひとにてにてにて、、、法性寺殿ほふしやうじどの法性寺殿ほふしやうじどのほっしょうじどのののの、、、三井寺みゐでら三井寺みゐでらみいでらののの僧都そうづ僧都そうづそうずののの君きみ君きみきみ、、、養やしな養やしなやしなひましてひましていまして、、、昔むかし昔むかしむかしににに變かは變かはかわらぬらぬらぬ有樣ありさま有樣ありさまありさまにてなんにてなんにてなん、、、聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべるなるるなるるなる。。。
  27. 27かのかのかの白川殿しらかはどの白川殿しらかはどのしらかわどのとてとてとて祇園ぎをん祇園ぎをんぎおんにおはせしにおはせしにおわせしははは、、、ゆかりまでさりがたくゆかりまでさりがたくゆかりまでさりがたく、、、院ゐん院ゐんいんにおぼしめされておはせしににおぼしめされておはせしににおぼしめされておわせしに、、、始はじ始はじはじめつかためつかためつかた、、、平氏へいじ平氏へいじへいじのののといひしといひしといいし、、、參まゐ參まゐまいりりり仕つか仕つかつこうまつりければうまつりければうまつりければ、、、隱岐守おきのかみ隱岐守おきのかみおきのかみなどいひけるもなどいひけるもなどいいけるも、、、後のち後のちのちにににははは然しか然しかしかるべきるべきるべき國々くにぐに國々くにぐにくにぐにのつかさなどのつかさなどのつかさなど、、、なりたりけれどなりたりけれどなりたりけれど、、、なほなほなおののの人ひと人ひとひとにてありけれどにてありけれどにてありけれど、、、そのそのその子こ子ここよりぞよりぞよりぞ院ゐん院ゐんいんののの殿上人てんじやうびと殿上人てんじやうびとてんじょうびとにてにてにて、、、四位しゐ四位しゐしい五位ごゐ五位ごゐごいののの舞人まひびと舞人まひびとまいびとなどしけれどもなどしけれどもなどしけれども、、、內うち內うちうちののの殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうははは、、、えせざりけるにえせざりけるにえせざりけるに、、、五節ごせち五節ごせちごせちたてまつりけるたてまつりけるたてまつりける年とし年としとし、、、受領ずりやう受領ずりやうずりょういまいまいまひとりひとりひとり、、、などいひしがなどいひしがなどいいしが父ちち父ちちちちなりしなりしなりし、、、殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうゆるされたりしかばゆるされたりしかばゆるされたりしかば、、、忠盛ただもり忠盛ただもりただもり、、、
  28. 28おもひきやおもひきやおもいきや雲井くもゐ雲井くもゐくもいののの月つき月つきつきをををよそによそによそに見み見みみててて心こころ心こころこころのやみにのやみにのやみに迷まよ迷まよまよふべしとふべしとうべしとははは
  29. 29とぞきこえしとぞきこえしとぞきこえし。。。其そ其そそののの殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうゆるされたりしゆるされたりしゆるされたりしははは、、、院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおんめのとごめのとごめのとご、、、知綱ともつな知綱ともつなともつなといひしがといひしがといいしがうまごなればうまごなればうまごなれば、、、いとほしみあるべきいとほしみあるべきいとおしみあるべき上うへ上うへうえににに、、、近ちか近ちかちかくつかはせくつかはせくつかわせ給たま給たまたまふふう女房にようばう女房にようばうにょうぼうののの、、、心こころ心こころこころばへなどおぼしめしゆるされたるばへなどおぼしめしゆるされたるばえなどおぼしめしゆるされたる者もの者ものものにてありしがにてありしがにてありしが、、、子こ子ここなどあまたなどあまたなどあまた生う生ううみたりければみたりければみたりければ、、、殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうせさせんとせさせんとせさせんと思おぼ思おぼおぼしめしながらしめしながらしめしながら、、、辨べん辨べんべん近衞こんゑ近衞こんゑこんえのすけなどにもあらでのすけなどにもあらでのすけなどにもあらで、、、忽たちまち忽たちまちたちまちににに殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうせんもせんもせんも、、、いかゞとおぼしめしていかゞとおぼしめしていかがとおぼしめして、、、ののの使つかひ使つかひつかいにつかはしけるにつかはしけるにつかわしけるををを、、、鳥羽とば鳥羽とばとばノノノ院ゐん院ゐんいんののの新院しんゐん新院しんゐんしんいんととと申まう申まうもうしておはしましゝしておはしましゝしておわしましし程ほど程ほどほどににに、、、長輔ながすけ長輔ながすけながすけときこえしときこえしときこえし兵衞ひやうゑ兵衞ひやうゑひょうえノノノ佐すけ佐すけすけをををつかつかつかはははさんとさんとさんと、、、申まう申まうもうさせさせさせ給たま給たまたまひければひければいければ、、、かのかのかの御方おほんかた御方おほんかたおおんかたににに申まう申まうもうさせさせさせ給たま給たまたまふことさりがたくてふことさりがたくてうことさりがたくて、、、さらばさらばさらば爲忠ためただ爲忠ためただためただははは、、、今年ことし今年ことしことしののの五節ごせち五節ごせちごせちをををたてまつれとてぞたてまつれとてぞたてまつれとてぞ殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうはははゆるされけるゆるされけるゆるされける。。。
  30. 30餘あま餘あまあまりふとれりしかばにやりふとれりしかばにやりうとれりしかばにや。。。口くち口くちくちかわくかわくかわく病やま病やまやまひしてひしてひして、、、十年じふねん十年じふねんじゅうねんばかりこもりゐながらばかりこもりゐながらばかりこもりいながら、、、四位しゐ四位しゐしいののの正下しやうげ正下しやうげしょうげまでのぼりしもまでのぼりしもまでのぼりしも、、、三條さんでう三條さんでうさんじょう烏え烏ええ丸殿まろどの丸殿まろどのまろどの作つく作つくつくりたりしたびりたりしたびりたりしたびははは、、、男をとこ男をとこおとここそこもりたれどもこそこもりたれどもこそこもりたれども、、、女をんな女をんなおんなののの宮仕みやづか宮仕みやづかみやずかへへえをををすればすればすれば、、、加階かかい加階かかいかかいはははゆるしたぶとゆるしたぶとゆるしたぶと仰おほ仰おほおおせらるとてせらるとてせらるとて、、、顯賴あきより顯賴あきよりあきよりののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんははわ、、、大原おほはら大原おほはらおおはらうとくおぼゆとぞうとくおぼゆとぞうとくおぼゆとぞ、、、よろこびいふとてよろこびいふとてよろこびいうとて、、、戲たはぶ戲たはぶたわぶれられけるれられけるれられける。。。
  31. 31左京さきやう左京さきやうさきょうのかみのかみのかみのいはれけるのいはれけるのいわれけるははは、、、大夫だいぶ大夫だいぶだいぶののの大工だいく大工だいくだいくなるべしなるべしなるべし。。。二條にでう二條にでうにじょうののの大宮おほみや大宮おほみやおおみやつくりてもつくりてもつくりても加階かかい加階かかいかかいししし、、、そのそのその御堂造みだうつく御堂造みだうつくみどうつくりてもりてもりても、、、またまたまた院ゐん院ゐんいんののの御所ごしよ御所ごしよごしょつくりてもつくりてもつくりても加階かかい加階かかいかかいすすす。。。
  32. 32といはれけるとといはれけるとといわれけると聞き聞ききこえしにあはせてこえしにあはせてこえしにあわせて、、、木工もく木工もくもくノノノ權頭ごんのかみ權頭ごんのかみごんのかみをぞをぞをぞ、、、かけづかさにしたりしかけづかさにしたりしかけずかさにしたりし。。。がつかさなればとてがつかさなればとてがつかさなればとて、、、なりたりけるとかやなりたりけるとかやなりたりけるとかや。。。
  33. 33そのそのその人ひと人ひとひとまだまだまだ幼をさな幼をさなおさなきききほどなりけるにほどなりけるにほどなりけるに、、、白河しらかは白河しらかはしらかわののの法皇ほふわう法皇ほふわうほうおうののの、、、六位ろくゐ六位ろくゐろくいののの殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうしたりけるにしたりけるにしたりけるに、、、それがしとそれがしとそれがしと召め召めめしけるしけるしけるををを、、、人ひと人ひとひとののの召め召めめししし次つ次つつぎければぎければぎければ、、、「「「藤原ふぢはら藤原ふぢはらふじわらののの、、、異姓いしやう異姓いしやういしょうになるになるになるははは、、、あしきあしきあしき事こと事ことことなりなりなり」」」とてとてとて、、、もとのもとのもとの姓しやう姓しやうしょうになるべきになるべきになるべき由よし由よしよし、、、仰おほ仰おほおおせられけるもせられけるもせられけるも、、、猶なほ猶なほなおむかしのむかしのむかしの、、、御おん御おんおんいとほしみのいとほしみのいとおしみの、、、殘のこ殘のこのこりけるとぞりけるとぞりけるとぞ聞き聞ききこえしこえしこえし。。。
  34. 34爲章ためあき爲章ためあきためあきといひしといひしといいし人ひと人ひとひとももも、、、本もと本もともとはははためのりといひけるためのりといひけるためのりといいけるををを、、、白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいんのためあきらとのためあきらとのためあきらと召め召めめしたりけるよりしたりけるよりしたりけるより、、、かはりたるとかやかはりたるとかやかわりたるとかや。。。おほぢのおほぢのおおじの高大貳かうだいに高大貳かうだいにこうだいにははは、、、なりのりといひしかどもなりのりといひしかどもなりのりといいしかども、、、此こ此ここのころそののころそののころその末すゑ末すゑすえははは、、、むねあきらなどいへるむねあきらなどいへるむねあきらなどいえるははは、、、召め召めめしけるよりしけるよりしけるより改あらた改あらたあらたまりたるとかやまりたるとかやまりたるとかや。。。
  35. 35白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいんははは、、、はかなきこともはかなきこともはかなきことも仰おほ仰おほおおせらるゝせらるゝせらるる言こと言ことことののの、、、かくぞとゞまりけるかくぞとゞまりけるかくぞとどまりける。。。又また又またまた御心みこころ御心みこころみこころののの敏びん敏びんびんくおはしましてくおはしましてくおわしまして、、、時とき時ときときののの程ほど程ほどほどににに、、、おもはしおもはしおもわし定さだ定さださだめけるめけるめけるははは、、、といひしがといひしがといいしが、、、式部しきぶ式部しきぶしきぶノノノ丞じよう丞じようじょうののの藏人くらうど藏人くらうどくろうどなりしなりしなりし時とき時ときとき、、、女房にようばう女房にようばうにょうぼうののの局つぼね局つぼねつぼねののの前まへ前まへまえにゐてにゐてにいて、、、ものなどものなどものなど申まう申まうもうしけるにしけるにしけるに、、、殿どの殿どのどのまゐらせまゐらせまいらせ給たま給たまたまふとてふとてうとて、、、庭には庭にはにわにおりてにおりてにおりて居ゐ居ゐいければければければ、、、女房にようばう女房にようばうにょうぼうまゐりてまゐりてまいりて關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくののの參まゐ參まゐまいりりり候さふら候さふらそうろうふなどふなどうなど申まう申まうもうしければしければしければ、、、「「「關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくならばさきこそならばさきこそならばさきこそ逐お逐おおはははめめめ。。。をこのものをこのものおこのものははは、、、兄あに兄あにあにののの知綱ともつな知綱ともつなともつなががが參まゐ參まゐまいるるるををを、、、いふにこそあらめいふにこそあらめいうにこそあらめ」」」。。。
  36. 36ととと仰おほ仰おほおおせられけるにせられけるにせられけるに、、、伯耆守はうきのかみ伯耆守はうきのかみほうきのかみののの參まゐ參まゐまいられたりけるとぞられたりけるとぞられたりけるとぞ、、、女房にようばう女房にようばうにょうぼう語かた語かたかたられけるられけるられける。。。かのかのかの雲井くもゐ雲井くもゐくもいののの月つき月つきつきよめりしよめりしよめりし忠盛ただもり忠盛ただもりただもりははは、、、中々なかなか中々なかなかなかなかににに院ゐん院ゐんいんかくれさせかくれさせかくれさせ給たま給たまたまひてのちにぞひてのちにぞいてのちにぞ、、、いつしかいつしかいつしか殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうゆるされたりしゆるされたりしゆるされたりし。。。
  37. 37そのそのその時とき時ときとき、、、殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうののの硯すずり硯すずりすずりのののはははこにこにこに、、、かきつけられたりけるかきつけられたりけるかきつけられたりける歌うた歌うたうたありけりとありけりとありけりと聞き聞ききこえしこえしこえしははは、、、みなもとなのるみなもとなのるみなもとなのる雲くも雲くもくもののの上うへ上うへうえはははなにさへのぼるなりけりとかやなにさへのぼるなりけりとかやなにさえのぼるなりけりとかや。。。
  38. 38忘わす忘わすわすれておぼえれておぼえれておぼえ侍はべ侍はべはべらずらずらず。。。山城やましろ山城やましろやましろととと伊勢いせ伊勢いせいせととと、、、源みなもと源みなもとみなもとととと平たひら平たひらたいらとととををを、、、對たい對たいたいしたるやうにぞしたるやうにぞしたるようにぞ聞き聞ききこえしこえしこえし。。。同おな同おなおなじじじ折をり折をりおりににに殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうしたりけるしたりけるしたりける人ひと人ひとひとののの事こと事ことことなるべしなるべしなるべし。。。そのそのその平氏へいじ平氏へいじへいじののの子こ子ここどもどもども、、、二人ふたり二人ふたりふたりならびてならびてならびて藏人くらうど藏人くらうどくろうどになりなどせしもになりなどせしもになりなどせしも、、、平氏へいじ平氏へいじへいじのおほきおとゞのおほきおとゞのおおきおとどははは、、、白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいんののの御時おほんとき御時おほんときおおんときははは、、、などいひてなどいひてなどいいて、、、院ゐん院ゐんいんののの六位ろくゐ六位ろくゐろくいののの殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうしたりしかどもしたりしかどもしたりしかども、、、うるはしくうるはしくうるわしくはははなさせなさせなさせ給たま給たまたまはははででで、、、かうぶりかうぶりこうぶり給たま給たまたまはははりてりてりて、、、兵衞ひやうゑ兵衞ひやうゑひょうえノノノ佐すけ佐すけすけになりたりしもになりたりしもになりたりしも、、、藏人くらうど藏人くらうどくろうどははは、、、なほかたきなほかたきなおかたき事こと事ことことととと聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。
  39. 39さてさてさて又また又またまたかのかのかの宇佐使うさのつかひ宇佐使うさのつかひうさのつかいににに下くだ下くだくだられしられしられし、、、兵衞ひやうゑ兵衞ひやうゑひょうえノノノ佐すけ佐すけすけははは在方ありかた在方ありかたありかたととと聞き聞ききこえしこえしこえし人ひと人ひとひとののの聟むこ聟むこむこなりしがなりしがなりしが、、、心こころ心こころこころざしやなかりけんざしやなかりけんざしやなかりけん。。。離はな離はなはなれにしかばれにしかばれにしかば、、、いとくちをしくていとくちをしくていとくちおしくて、、、なほなほなお御おん御おんおんきそくにてきそくにてきそくにて、、、ふたゝびまでふたゝびまでふたたびまで、、、とりよせたりしかどもとりよせたりしかどもとりよせたりしかども、、、えええ住す住すすみみみ果は果ははてざりしかばてざりしかばてざりしかば、、、世よ世よよににに歌うた歌うたうたにさへにさへにさえうたひてありしうたひてありしうたいてありしををを、、、院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおんめのとめのとめのと子こ子ここののの、、、帥そつ帥そつそつののの子こ子ここなれどもなれどもなれども、、、ふたゝびまでふたゝびまでふたたびまで床とこ床とことこさりたるあやまりにやさりたるあやまりにやさりたるあやまりにや。。。
  40. 40國くに國くにくにののの司つかさ司つかさつかさなりしなりしなりしをもをもをもとらせとらせとらせ給たま給たまたまひてひていて、、、ふるふるふる里さと里さとさとのせうとにのせうとにのしょうとに、、、天あめ天あめあめののの橋立はしだて橋立はしだてはしだてもわたりにしもわたりにしもわたりにしははは、、、かのかのかの宮內卿くないきやう宮內卿くないきやうくないきょう平氏へいじ平氏へいじへいじののの、、、むこになれりしいとほしみのむこになれりしいとほしみのむこになれりしいとおしみの、、、殘のこ殘のこのこれるなるべしれるなるべしれるなるべし。。。
  41. 41そのそのそのふるふるふる里さと里さとさとににに、、、住す住すすみわたるみわたるみわたる人ひと人ひとひとときこえしもときこえしもときこえしも、、、世よ世よよののの中なか中なかなかによめるによめるによめる歌うた歌うたうたなどなどなど、、、きこえきこえきこえ侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。歌うた歌うたうたははは忘わす忘わすわすれておぼえれておぼえれておぼえ侍はべ侍はべはべらずらずらず。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

後の二条殿の御次には、近ごろ富家殿といらした入道殿(忠実)を、祖父の大殿(師実)が御子になさったと聞こえました。御母は大宮右大臣(俊家)の御娘です。この大臣の御名は忠実と申し上げました。康和元年閏九月二十八日に内覧の宣旨をお受けになりました。御年二十二。同じ二年七月十七日に右大臣におなりになりました。大将もなお兼ねていらっしゃいました。天永三年十二月十四日に太政大臣におなりになりました。初めは宇治の川瀬の波も静かで、白河の水にも隔てなく(院とも親しく)いらしたので、富家殿をお造りになって、院がお出ましになった時、宇治川に遊びの船を出し、歌をうたって波に浮かんだりして、たいそう趣深くお遊びになりました。盛定という男が歌をうたい、その時「こうたう」などと言った者を船に乗せて連れて、歌をお仕えしたとか。その時、人々に歌を詠ませなさらなかったのを、残念だなどと申す人もありました。このような所にお出ましになって、何ということもないお遊びも、古い例にも似ないお心でありましょう。このように過ごしておられたのに、保安元年十一月十二日でしたでしょうか、夜明け前に院からといって「堀川大臣(俊房)は急いで参られよ」とお使いがあって、大臣(忠実)の内覧を止めるべき旨を仰せ下されました。白河院がお亡くなりになって、鳥羽院が世をお治めになった時に、富家から出仕なさいました。待賢門院が幼くていらしたのを白河院が養育なさって、鳥羽院が位にいらした時に女御として差し上げなさったころ、入道太政大臣(忠実)の御娘を女御に差し上げようとなさると聞こえたことによって、関白(の内覧)を止め申し上げなさったと聞きました。

白河院の御代に、后や御息所などがお亡くなりになって、そういう方々もいらっしゃらなかったところに、白川殿と申し上げる方がいらっしゃいました。その人が待賢門院を養育なさって、院も御娘として大切にお扱いになったのです。その白川殿は、あきれるほどのご宿運がおありになった方なのでしょう。宣旨などは下されなかったけれども、世の人は祇園女御と申したようです。もとからあの院の内裏の局のあたりにいらしたのを、ちらりとお見つけになって、三千の寵愛を一身に受けたのです。普通の人ではいらっしゃらないのでしょう。賀茂女御と世に言われて、「うれしき」「いはひ」といって、姉妹が後に続いて評判になりましたが、それはあの社の神官重助の娘たちで、女房として参っていたので、お目に近かったのを、こちらはちらりとお見つけになって、それとは違って、ことのほか重々しく評判になられました。その方のお計らいで、あの女院(待賢門院)も並ぶ者なくいらっしゃいました。代々の国母でいらっしゃったので、当然とは申しながら、どれほど栄えなさったことでしょう。幼い時は白河院の御懐に御足を差し入れて、昼もお休みになっていたので、殿(忠実)などが参られた時にも、「ここにどうしようもない事情がありまして、自分からは申せません」などとお答えになっていました。成人なさっても、比べるもののないほどと評判でした。白河院がお亡くなりになってからこそ、ご本意どおり、殿の姫君(泰子)を差し上げなさって、女御の宣旨をお受けになります。皇后宮にお立ちになった後は、院号を受けられて高陽院と申し上げました。院(鳥羽)が退位なさった後に入内なさったのに、女御の宣旨というのは、これが初めてでしたでしょうか。后の宮の初めのころも、宇治への御幸があって、皇后宮も引き続いていらっしゃいましたが、正式の行啓のようではなく、皆狩衣に風流などをして、女房の車は色とりどりに紅葉の匂いの衣を出して、雑仕女なども皆車に乗っていました。前々の白河院の御時は、雑仕女は皆馬に乗って、透笠や普通の笠などを着て、数知れず続いていたものでした。これは車で、これが初めてでした。后の宮では、いつもは人々は冠でお仕えするのに、これは布衣になさっていました。

この富家の大臣は、お顔立ちも太り、清らかで、お声がたいそう美しくて、年をお取りになるまで細く清らかでいらっしゃいました。朗詠などもこの上なくみごとになさいます。また箏の琴は、まったく並ぶ者がないほどでいらっしゃいました。歌はそれほど評判ではなかったのに、宇治に籠もっていらした時に、

さほ川の流れたえせぬ身なれどもうき瀨にあひて沈みぬるかな

とお詠みになったとか。学問のことなどは、いつもなさっているとも聞こえなかったけれども、天台止観とかいう書を、皇覚とかいって杉生の法橋といった僧に、本文だけはお伝え受けになりました。毎日参ってお仕えしたので、忙しい日も夜が更けてからなどと思い出されて、年をまたいで読み終えられたのでした。真言もお好みになって、修法をなさったと聞きました。年をお取りになってからは、おみ足がご不自由だったので、円座に乗って引かれたり、また御輿などで院にも参られました。出家なさって、奈良でも御受戒なさいました。御名は円理と申し上げました。どの時も、院のお供として御受戒なさいました。御子の左大臣(頼長)の事件があったゆかりで奈良にいらしたのが、宇治殿には入られずにいらしたのを、法性寺殿(忠通)にお手紙があったので、早く京の方へお入りくださいとお返事を申し上げなさったので、喜ばれて、長年の御仲も直られて、播磨といって寵愛なさった人の、都の北の雲林院か知足院かにあるという堂においでになって、お亡くなりになりました。その播磨とか申した人は、世に比べるもののない幸運の人でいらっしゃるようです。白川殿とまったく同じような始まりでいらしたのでしょうか。後には女院の端女などということになり、次には女房になったりしていらっしゃると聞こえました。今も立派な人で、法性寺殿の御子の三井寺の僧都の君(覚忠か)を養育なさって、昔に変わらないご様子でいると聞いております。

あの白川殿といって祇園にいらした方は、ゆかりの人々まで(院に)大切にされていらしたところ、初めのころ、平氏の正盛という者が参ってお仕えしたので、隠岐守などと言っていたのも、後にはしかるべき国々の国司などにもなったけれども、なお下北面の人であったが、その子(忠盛)からは院の殿上人となって、四位・五位の舞人などをしたけれども、内裏の昇殿はできなかったところ、五節の舞姫を奉った年、受領のもう一人、為盛・為業などといった者の父(為忠)が昇殿を許されたので、忠盛が、

おもひきや雲井の月をよそに見て心のやみに迷ふべしとは

と申したと聞きました。その昇殿を許された人(為忠)は、院の御乳母子の知綱という者の孫なので、かわいがられるはずである上に、(院が)近くお使いになっていた女房で、心ばえなどをお認めになっていた者が、子などを大勢産んだので、昇殿させようとお思いになりながら、弁官や近衛次将などでもなくて、いきなり昇殿させるのもどうかとお思いになって、宇佐の使に遣わそうとしたところ、鳥羽院が新院と申し上げていらしたころ、長輔と申した兵衛佐を遣わそうと申されたので、あちらのお申し出は断りがたくて、それならば為忠は今年の五節の舞姫を奉れということで、昇殿を許されたのでした。あまりに太っていたからでしょうか、口が渇く病気になって、十年ほど籠もっていながら、四位の正下にまで上ったのも、三条烏丸殿を造った時は、「男は籠もっているけれども、女が宮仕えをしているので、加階は許してやる」とおっしゃったということで、顕頼の中納言は「大原(為忠の住まい)を疎く思う(いや、大いにありがたいだろう)」と、喜びを言うといって冗談を言われました。左京大夫顕輔の言われたことには、「大夫の大工というべきだ。二条の大宮(令子)の御所を造っても加階し、その御堂を造っても、また院の御所を造っても加階する」と言われたと聞こえたのに合わせて、木工権頭を兼官にしていました。貫之の官職だからといって、なったとか。

その人がまだ幼いころ、白河法皇が六位の殿上をしていた時に、「それがし」と召したのを、人が取り次いだところ、「藤原(に改めて)異姓になるのはよくないことだ」といって、もとの姓に戻るべきだとおっしゃったのも、やはり昔のかわいがりが残っていたのだと聞こえました。為章といった人も、もとはためのりといったのを、白河院がためあきらと呼ばれたことから変わったとか。祖父の高大弐はなりのりといったけれども、このごろその子孫がむねあきらなどと言っているのは、(院が)呼ばれたことから改まったとか。白河院は、何気なくおっしゃるお言葉も、このように残ったのです。またお心が鋭くていらして、とっさに見当をつけられたことには、信濃守惟明という者が式部丞の蔵人だった時、女房の局の前に座って何か申していたところ、「殿がお参りになる」といって庭に下りて控えていたので、女房が参って「関白が参られます」などと申し上げたところ、「関白ならば先払いをするはずだ。愚か者は、兄の知綱が参るのを言っているのだろう」とおっしゃったところ、(本当に)伯耆守(知綱)が参られたのだと女房が語られました。あの雲井の月を詠んだ忠盛は、かえって院がお亡くなりになった後に、早くも昇殿を許されたのでした。その時、殿上の硯箱に書きつけられた歌があったと聞いたのは、「みなもとなのる雲の上は名にさへのぼるなりけり」とかいうものでした。(上の句は)忘れて覚えておりません。山城と伊勢、源と平とを対にしたように聞こえました。同じ折に昇殿した人のことでしょう。その平氏の子どもが二人並んで蔵人になったりしたのも、平氏の太政大臣(清盛)は白河院の御時には非蔵人などといって、院の六位の殿上をしたけれども、正式にはおさせにならず、叙爵して兵衛佐になったのも、蔵人はやはり難しいことと聞きました。さてまた、あの宇佐使に下られた兵衛佐(長輔)は、在方と申した人の聟でしたが、愛情がなかったのでしょうか、離れてしまったので、たいそう残念がって、なお院のご意向で二度まで呼び戻したけれども、住み通せなかったので、世間で歌にまでうたわれていたのを、院の御乳母子で帥の子ではあるけれども、二度まで床を去った過ちのためでしょうか、国司であったのも取り上げられて、古里の兄弟に天の橋立(丹後)も渡したのは、あの宮内卿平氏の聟になっていたかわいがりが残っていたからでしょう。その古里に住み続けている人と聞こえた人も、世の中で詠んだ歌などが聞こえました。歌は忘れて覚えておりません。

意訳

藤原忠実は、父師通の早世で二十二歳で内覧となったが、白河院の院政のもとで実権は弱かった。娘泰子の入内をめぐって白河院の不興を買い、保安元年(1120)に内覧を止められ、宇治に籠居した。章題の「宇治の川瀬」は、「宇治の川瀬波しづかにて、白河の水へだてなく」と、院との良好な関係を川の流れにたとえた言葉による。

白河院の寵愛を受けた祇園女御(白川殿)は、待賢門院璋子を養女として育てた。幼い璋子が白河院の懐に足を入れて昼寝をしていたという話は、二人の親密さを示す有名な逸話である。白河院の死後、泰子はようやく入内して高陽院となった。

忠実は美声で朗詠や箏にすぐれ、天台止観を学ぶなど仏教にも熱心だった。保元の乱で子の頼長が敗れたのち、長年不和だった長男忠通と和解し、寵愛した播磨のもとで没した。

後半は祇園女御のゆかりで栄えた人々。平正盛は女御に仕えたことから受領となり、その子忠盛は院の殿上人となった。内裏の昇殿をめぐる忠盛の「おもひきや」の歌、太った体で病に籠もりながら妻の宮仕えのおかげで昇進した為忠、白河院の命名でかわった名、院の鋭い勘、清盛の非蔵人時代の話などが、次々と語られる。平氏台頭の前史として興味深い記事である。

語釈・文法注

富家殿
藤原忠実(1078〜1162)。師通の子で、祖父師実の養子。宇治の富家殿に住んだので富家殿と呼ばれる。
大宮の右のおとゞ
藤原俊家。忠実の母全子の父。
盛定
歌うたい(今様の歌い手)。伝未詳。
堀川のおとゞ
源俊房。忠実の内覧停止の宣下を務めた。
白川殿
祇園女御。白河院の寵愛を受けた女性。出自は未詳。待賢門院を養女とし、平忠盛(清盛の実母を女御の妹とする説もある)を後援した。
三千の寵愛ひとりのみなり
白居易「長恨歌」の「後宮の佳麗三千人、三千の寵愛一身に在り」による。
重助
賀茂社の神官。娘たちが白河院に仕え、賀茂女御と呼ばれた。
殿の姫君
藤原泰子。忠実の娘。鳥羽上皇の皇后。高陽院。
ほうい
布衣。狩衣。冠ではなく烏帽子をかぶる略装。
皇覺
杉生法橋皇覚。天台の学僧。
わらふだ
円座。わらなどで編んだ丸い敷物。
圓理
忠実の法名。
御子の左のおとゞ
藤原頼長(1120〜1156)。忠実の次男。保元の乱で敗死。
播磨
忠実の寵愛した女性。
平氏の正盛
平正盛(?〜1121?)。清盛の祖父。白河院の北面の武士として受領を歴任した。
下北面
院の御所の北面に詰めて警護にあたる武士のうち、身分の低い者。
爲盛爲業などいひしが父
藤原為忠(?〜1136)。為業(寂念)・為経(寂超、今鏡の作者とされる)の父。
宇佐の使
宇佐八幡宮への勅使。
左京のかみ顯輔
藤原顕輔(1090〜1155)。顕季の子。歌人。『詞花和歌集』の撰者。
貫之がつかさ
紀貫之が木工権頭であったこと。
信濃守惟明
藤原惟明。
非藏人
蔵人所で見習いとして仕える者。

文法

いと面白くあそばせ給ひける
係り結びではなく、連体形で終わる余情の表現。
え自づから申さず
自分からは申し上げることができない。
大原うとくおぼゆ
戯れの言葉。為忠の住む大原(大いにの意をかけるか)を疎く思う、と反語的に喜びを言うか。意未詳。

和歌

さほ川の流れたえせぬ身なれどもうき瀨にあひて沈みぬるかな

詠者
藤原忠実
状況
内覧を止められ、宇治に籠居していたときの歌。

修辞

掛詞
「うき瀬」に「憂き瀬」をかけ、「沈み」に不遇に沈む意をかける。
縁語
「流れ」「瀬」「沈み」。
さほ川
佐保川。藤原氏の氏神春日社に近い川で、藤原氏の家の流れをたとえる。

おもひきや雲井の月をよそに見て心のやみに迷ふべしとは

詠者
平忠盛
状況
他の受領が昇殿を許されたのに、自分は許されなかったときの歌。

修辞

掛詞
「雲井」に空と宮中をかける。
対比
「雲井の月」と「心のやみ」。

解説

藤原為忠は、今鏡の作者とされる藤原為経(寂超)の父である。今鏡がこの章で為忠の昇殿の事情や、太った体での病気、妻の宮仕えのおかげの昇進など、身内の話を詳しく、ややおかしみをこめて記しているのは、作者自身に近い人物だからとも考えられる。

平正盛・忠盛父子が院の近臣として台頭した経緯は、平氏政権の成立を考えるうえで重要である。今鏡は、その始まりを祇園女御とのゆかりに求めている。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、168〜178頁(コマ99–104)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日