今鏡 第四「藤波の上」 第34章
小野のみゆき
教通の娘たち。後朱雀天皇の女御生子は歌合を催し、三女歓子は後冷泉天皇の皇后となった。出家した歓子は比叡山麓の小野に籠もり、雪の朝に不意に訪れた白河院を、袖口を二十に分けた出し衣と銀の酒器で迎えて、院を感嘆させた。
- 1大大だい二條二條にじょう殿殿どののののははは、、、後後のち朱朱す雀雀すずめノノノ院院いんののの女御女御にょうごにおはせしにおはせしにおわせし、、、院院いんうせさせうせさせうせさせ給給たまひてひていて、、、七八年七八年しちわちねんばかりやありけむばかりやありけむばかりやありけむ。。。御御おんぐしおろしぐしおろしぐしおろし給給たまひてひていて、、、十餘年十餘年じゅうよねんばかりすぎてばかりすぎてばかりすぎて、、、うせうせうせ給給たまひにきひにきいにき。。。
- 2長久長久ちょうきゅう二年二年にねんににに歌合歌合うたあわせせさせせさせせさせ給給たまへりしにへりしにえりしに、、、良暹良暹りょうせん法師法師ほうしののの人人ひとにかはりてにかはりてにかわりて、、、
- 3みがくれてすだくみがくれてすだくみがくれてすだくかはづかはづかわずのもろのもろのもろ聲聲こえにさわぎぞにさわぎぞにさわぎぞ渡渡わたうきうきうき草草くさ
- 4とよめるとよめるとよめる、、、このこのこの歌合歌合うたあわせのののうたなりうたなりうたなり。。。ののの君君きみははは、、、「「「おのがおのがおのが影影かげをやをやをや友友ともととと見見みるらんるらんるらん」」」とよみとよみとよみ、、、ははは、、、「「「いのちいのちいのちはははことのことのことの數數かずならずならずならず」」」とよめるとよめるとよめる、、、かやうのよきかやうのよきかようのよき歌歌うたどもどもども多多おおくくく侍侍はべりりり。。。
- 5天喜天喜てんぎ元年元年がんねん御御おんぐしおろしぐしおろしぐしおろし給給たまひてひていて、、、治治じ曆曆りやく四年四年よねんにぞにぞにぞうせさせうせさせうせさせ給給たまひにしひにしいにし。。。弘徽殿弘徽殿こきでんののの女御女御にょうごととと申申もうしきしきしき。。。おなじおなじおなじ御時御時おおんとき、、、內侍內侍ないしのかみのかみのかみととと申申もうしゝもしゝもししも、、、世世よににに久久ひさしくおはしましきしくおはしましきしくおわしましき。。。
- 6第二第二だいにののの御御おんむすめにやおはしけんむすめにやおはしけんむすめにやおわしけん。。。ののの君君きみははは後冷泉後冷泉ごれいぜいノノノ院院いんののの女御女御にょうごににに參參まいりてりてりて、、、きさきにきさきにきさきに立立たちちち給給たまひてひていて、、、皇后宮皇后宮こうごうぐうととと申申もうしきしきしき。。。のちにのちにのちに皇太后宮皇太后宮こうたいこうぐうにあがりてにあがりてにあがりて、、、承承うけたまわ保保ほう元年元年がんねんののの秋秋あき、、、御御おんぐしおろしぐしおろしぐしおろし給給たまひてきひてきいてき。。。
- 7猶猶なおきさきのきさきのきさきの位位くらいにてにてにて、、、比叡比叡ひえののの山山やまのののふもとふもとふもと、、、といふといふという里里さとににに籠籠こもりゐさせりゐさせりいさせ給給たまひてひていて、、、都都みやこののの外外ほかににに、、、行行おこなひすましひすましいすまし給給たまへりきへりきえりき。。。雪雪ゆきおもしろくおもしろくおもしろく積積つもりたるあしたにりたるあしたにりたるあしたに、、、白河白河しらかわノノノ院院いんにみゆきなどもやあらんとにみゆきなどもやあらんとにみゆきなどもやあらんと思思おもひてひていて、、、あるあるある殿上人殿上人てんじょうびと、、、馬馬うまひかせてまゐりひかせてまゐりひかせてまいり給給たまへりけるにへりけるにえりけるに、、、院院いん「「「いといといと面白面白おもしろききき雪雪ゆきかなかなかな」」」。。。
- 8ととと仰仰おおせられてせられてせられて、、、雪雪ゆき御覽御覽ごらんぜんとおぼしめしたりけるにぜんとおぼしめしたりけるにぜんとおぼしめしたりけるに、、、馬馬うまぐしてぐしてぐして參參まいりたるりたるりたる、、、いみじくいみじくいみじく感感かんぜさせぜさせぜさせ給給たまひてひていて、、、御隨身御隨身みずいじんのまゐりたりけるのまゐりたりけるのまいりたりける、、、ひとりひとりひとり御供御供おおんともにてにてにて、、、俄俄にわかににに御幸御幸みゆき有有ありけるにりけるにりけるに、、、北山北山きたやまのかたざまにのかたざまにのかたざまに、、、わたらせわたらせわたらせ給給たまひければひければいければ、、、そのそのその御隨身御隨身みずいじん、、、ふとふとふと思思おもひよりてひよりていよりて、、、もしもしもし小野小野おののきさきののきさきののきさきの、、、山山やまずみしずみしずみし給給たまふなどふなどうなどへやへやへや、、、わたらせわたらせわたらせ給給たまはんずらんはんずらんわんずらん。。。
- 9ととと思思おもひてひていて、、、かのかのかの宮宮みやにまうでにまうでにもうで仕仕つこうまつるうまつるうまつる者者ものにやにやにや侍侍はべりけんりけんりけん。。。俄俄にわかにしのびてにしのびてにしのびて「「「みゆきのけさみゆきのけさみゆきのけさ侍侍はべるるる、、、そなたざまにそなたざまにそなたざまに渡渡わたらせらせらせ給給たまふふう。。。もしそのもしそのもしその御御おんわたりなどわたりなどわたりなどへやへやへや侍侍はべらんずらんらんずらんらんずらん」」」。。。
- 10ととと告告つげきこえければげきこえければげきこえければ、、、かのかのかの入道入道にゅうどうののの宮宮みや、、、そのそのその御用意御用意ごよういありてありてありて、、、法花堂法花堂ほっけどうにににしづやかにしづやかにしずやかに讀讀よませさせませさせませさせ給給たまひてひていて、、、庭庭にわののの上上うえいさゝかいさゝかいささか人人ひとのあとのあとのあとふみなどもせずふみなどもせずふみなどもせず。。。
- 11十具十具とおぐばかりばかりばかり有有ありけるりけるりけるををを、、、中中なかよりきりてよりきりてよりきりて、、、袖二十出袖二十出そではたちいだださんださんださん用意用意よういありけるありけるありけるををを、、、「「「もしもしもし入入いりてりてりて御覽御覽ごらんずるずるずる事事ことももも侍侍はべらんらんらん。。。いといといと見苦見苦みぐるしくやしくやしくや」」」。。。
- 12ととと女房女房にょうぼう申申もうしけれどしけれどしけれど、、、きりてきりてきりて出出いだしだしだし給給たまひけるにひけるにいけるに、、、既既すでにわたらせたまひてにわたらせたまひてにわたらせたまいて、、、ののの間間まににに、、、御車御車みくるまたてさせたてさせたてさせ給給たまひてひていて、、、かくとやかくとやかくとや侍侍はべりけんりけんりけん。。。さやうにさやうにさように侍侍はべりけるりけるりける程程ほどににに、、、着着きたるわらたるわらたるわらははは二人二人ふたり、、、ひとりひとりひとりははは白白しろがねのがねのがねの銚子銚子ちょうしににに、、、みきみきみき入入いれてもてれてもてれてもて參參まいりりり、、、いまいまいま一人一人ひとりはははしろがねのしろがねのしろがねの折敷折敷おしきににに、、、こがねのこがねのこがねの盃盃さかずきすゑてすゑてすえて、、、さかなにてさかなにてさかなにて、、、出出いだしだしだし給給たまへりければへりければえりければ、、、御御おんとものとものともの殿上人殿上人てんじょうびと、、、とりてとりてとりて參參まいりてりてりて、、、いとめづらしきいとめづらしきいとめずらしき御用意御用意ごよういににに侍侍はべりけりりけりりけり。。。
- 13かへらせかへらせかえらせ給給たまひてのちひてのちいてのち、、、「「「かしこくかしこくかしこく內內うちををを御覽御覽ごらんぜでぜでぜで、、、かへらせかへらせかえらせ給給たまひぬひぬいぬ」」」。。。などなどなど御御おんたちたちたち申申もうしければしければしければ、、、「「「雪雪ゆき見見みににに渡渡わたりりり給給たまひてひていて、、、入入いりりり給給たまふふう人人ひとやややはははあるあるある」」」。。。
- 14とぞのたまはせけるとぞのたまはせけるとぞのたまわせける。。。月月つきををを雪雪ゆきともきこえともきこえともきこえ侍侍はべりりり。。。さてさてさて院院いんよりよりより御使御使おおんつかいありてありてありて、、、いといといと心心こころぐるしくぐるしくぐるしく、、、おもひやりたてまつるにおもひやりたてまつるにおもいやりたてまつるに、、、うちいでなどこそうちいでなどこそうちいでなどこそ用意用意よういしてしてして、、、有有ありがたくりがたくりがたく持持もたせたせたせ給給たまへりけれへりけれえりけれ。。。
- 15とてとてとて、、、美濃美濃みの國國くにとかやとかやとかや。。。御庄御庄みしょうののの劵奉劵奉けんたてまつらせらせらせ給給たまへりければへりければえりければ、、、參參まいりつかうまつるりつかうまつるりつこうまつる、、、をとこをとこおとこ女女おんな、、、これかれこれかれこれかれ望望のぞみけれどみけれどみけれど、、、御幸御幸みゆき告告つげきこえけるげきこえけるげきこえける隨身隨身ずいじんににに、、、預預あずけたまひけるとぞけたまひけるとぞけたまいけるとぞ聞聞きききき侍侍はべりしりしりし。。。
- 16そのそのその舍人舍人とねりののの名名なははは、、、信定信定のぶさだとかやとかやとかや。。。殿上人殿上人てんじょうびとははは何某何某なにがしののの辨辨べんとかやとかやとかや。。。たしかにもたしかにもたしかにも聞聞きききき侍侍はべらざりきらざりきらざりき。。。そのそのその小野小野おのののの寺寺てらなどなどなどははは、、、猶遺猶遺なおのこりてりてりて三昧行三昧行さんまいおこなふふう僧僧そうももも、、、まだかすかにまだかすかにまだかすかに侍侍はべるなりるなりるなり。。。
- 17后后きさきまだおはしましけるまだおはしましけるまだおわしましける折折おり、、、夕立夕立ゆうだちのそらのそらのそら物物ものおそろしくおそろしくおそろしく、、、鳴鳴なるるる神神かみおどろ〳〵しかりけるにおどろ〳〵しかりけるにおどろおどろしかりけるに、、、御經御經おおんきょうよみてゐさせよみてゐさせよみていさせ給給たまへりけるへりけるえりけるををを、、、神落神落かみおちてちてちて、、、御經御經おおんきょうなどもなどもなども紙紙かみののの所所ところばかりばかりばかり燒燒やけてけてけて、、、文字文字もじはははのこりのこりのこり、、、御身御身おおんみにににははは露露つゆののの事事こともおはしまさゞりけるもおはしまさゞりけるもおわしまさざりける、、、いといといとたふとたふととうとくくく、、、あさましきあさましきあさましき事事こととぞとぞとぞ聞聞きききき侍侍はべりしりしりし。。。
- 18うせうせうせ給給たまひけるひけるいける時時ときももも、、、いといといとたふとたふととうとくてくてくて、、、淨土淨土じょうどにまゐりにまゐりにまいり給給たまふとぞふとぞうとぞ申申もうししし侍侍はべりしりしりし。。。大大だい二條二條にじょうののの君君きみたちかくなりたちかくなりたちかくなり。。。
現代語訳
大二条殿の女君は、後朱雀院の女御でいらした方(生子)で、院がお亡くなりになって七、八年ほどでしたでしょうか、出家なさって、十余年ほど過ぎてお亡くなりになりました。長久二年に歌合をなさった時、良暹法師が人に代わって、
みがくれてすだくかはづのもろ聲にさわぎぞ渡るゐでのうき草
と詠んだのは、この歌合の歌です。兼長の君は「おのが影をや友と見るらん」と詠み、永成法師は「いのちはことの数ならず」と詠んだ、このようなよい歌が多くあります。天喜元年に出家なさって、治暦四年にお亡くなりになりました。弘徽殿の女御と申し上げました。同じ御時、尚侍真子と申し上げた方も、長生きなさいました。第二の御娘でいらしたでしょうか。三の君は後冷泉院の女御として入内して、后にお立ちになって皇后宮と申し上げました。後に皇太后宮にお上りになって、承保元年の秋に出家なさいました。なお后の位のままで、比叡山のふもとの小野という里に籠もっていらして、都の外で勤行に専念なさいました。雪が趣深く積もった朝、白河院に行幸などもあろうかと思って、ある殿上人が馬を引かせて参られたところ、院が「たいそう趣深い雪だな」とおっしゃって、雪をご覧になろうとお思いになっていたので、馬を連れて参ったのをたいそう感心なさって、参っていた御随身一人をお供に、急に御幸があったところ、北山の方へお出かけになったので、その御随身がふと思いついて、もしや小野の后の山住まいをなさっている所などへお出かけになるのではないかと思って、その宮に参ってお仕えする者だったのでしょうか、急いでこっそりと「今朝御幸があります。そちらの方へお出かけになります。もしやそちらへでもいらっしゃるのではないでしょうか」とお知らせしたので、その入道の宮は、その心づもりをなさって、法華堂で三昧経を静かに読ませなさって、庭の上には少しも人の足跡を踏ませたりもしません。打出の衣が十具ほどあったのを、真ん中から切って、袖口を二十出そうと用意したところ、「もし(院が)中に入ってご覧になることもございましょう。たいそう見苦しいのでは」と女房が申したけれども、切って出しなさったところに、すでにお着きになって、階隠の間に御車を立てさせなさって、こうと(来訪を)告げられたのでしょうか。そうしているうちに、汗衫を着た童女が二人、一人は銀の銚子に御酒を入れて持って参り、もう一人は銀の折敷に金の盃を据えて、大柑子を肴として出しなさったので、お供の殿上人が受け取って(院に)差し上げて、まことに珍しいお心づかいでございました。お帰りになった後、「よくぞ中をご覧にならずにお帰りになりました」などと女房たちが申したので、(歓子は)「雪見においでになって、中まで入る人などいるものですか」とおっしゃいました。月のことを雪とも申します(月見の御幸だったとも言います)。さて院からお使いがあって、「たいそうお気の毒に思いやり申し上げていたのに、打出の衣などまで用意して、めったにないほどお持ちでいらっしゃった」といって、美濃国とかの荘園の券をお贈りになったので、お仕えする男女がこれかれ望んだけれども、御幸をお知らせした随身にお預けになったと聞きました。その舎人の名は信定とか。殿上人は何某の弁とか。確かには聞いておりません。その小野の寺などは今も残っていて、三昧を行う僧も、まだわずかにいるそうです。后がまだ生きていらした折、夕立の空が恐ろしく、雷がすさまじく鳴っていた時、経を読んでいらしたところに雷が落ちて、御経なども紙の所だけが焼けて、文字は残り、御身には少しのお怪我もなかったのは、まことに尊く、驚くべきことと聞きました。お亡くなりになった時も、たいそう尊いご様子で、浄土に参られたと申しました。大二条殿の君たちはこのようです。
意訳
教通の娘生子は後朱雀天皇の女御となり、長久二年(1041)に歌合を催した。良暹の代作「みがくれて」の歌など、すぐれた歌が多く詠まれた。三女歓子は後冷泉天皇の皇后となり、出家後は比叡山麓の小野に住んで小野皇太后と呼ばれた。
章題の「小野のみゆき」は、雪の朝の白河院の御幸の話による。随身の機転で来訪を知った歓子は、庭の雪に足跡をつけさせず、十具の打出の衣を切って二十の袖口を出し、銀の銚子と金の盃で酒をすすめた。中に入らずに帰った院について、「雪見に渡り給ひて、入り給ふ人やはある」と言った歓子の言葉に、雪の風情を壊すまいとする美意識がうかがえる。第30章の俊綱の伏見の話と対をなす、雪の朝のもてなしの逸話である。
院は感心して荘園を贈り、歓子はそれを、来訪を知らせた随身に与えた。雷が落ちても経文の文字が残り、身にも障りがなかったという話とともに、歓子の徳の高さが語られる。
語釈・文法注
- 大二條殿の女君
- 藤原生子(1014〜1068)。教通の長女。後朱雀天皇の女御。弘徽殿女御。
- ゐでのうき草
- 井手(山城国の歌枕)の浮草。蛙とともに詠まれる。
- 兼長の君
- 藤原兼長(?〜1074)。歌人。
- 永成法師
- 永成。歌人。
- 內侍のかみ眞子
- 藤原真子。教通の娘。後冷泉天皇の尚侍。
- 三の君
- 藤原歓子(1021〜1102)。教通の三女。後冷泉天皇の皇后。小野皇太后。
- 小野
- 比叡山の西麓、今の京都市左京区八瀬・大原のあたり。
- 三昧經
- 法華三昧の修行で読む経。
- うちいで十具
- 打出の衣(出し衣)十組。一組を切って袖口を二つにし、二十の袖口を見せた。
- 階隱の間
- 寝殿の正面の階段の上に張り出した屋根の下。車を寄せる所。
- かざみ
- 汗衫。童女の正装の上着。
- 大柑子
- 大きな蜜柑。
文法
- 入り給ふ人やはある
- 反語。中に入る人などいようか(いない)。
- 月を雪ともきこえ侍り
- 雪見ではなく月見の御幸だったとも伝えられる、の意。
和歌
みがくれてすだくかはづのもろ聲にさわぎぞ渡るゐでのうき草
- 詠者
- 良暹(代作)
- 状況
- 長久二年、弘徽殿女御生子の歌合で、人に代わって詠んだ歌。
修辞
- 歌枕
- 井手。山吹と蛙の名所。
- 因果
- 水に隠れて鳴く蛙の声に、浮草が揺れて騒ぐ、と見立てる。
解説
小野皇太后歓子の雪の朝の逸話は、『古今著聞集』などにも見え、王朝の女性の教養と心ばえを示す話として名高い。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、158〜161頁(コマ94–95)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日