古典ライブラリー

今鏡 第四「藤波の上」 第30章

伏見の雪の朝

頼通の子たち。後継の師実、四条宮寛子、そして伏見に山荘を構えた修理大夫橘俊綱。俊綱は頼通の実子ながら上達部になれなかったが、風流で知られ、雪の朝に突然訪れた師実を、見事な趣向でもてなした。石田の山荘や泰憲の名簿の話も添えられる。

  1. 1大將殿だいしやうどの大將殿だいしやうどのだいしょうどのののの外ほか外ほかほかののの公達きんだち公達きんだちきんだちははは、、、おほとのゝおほとのゝおおとののひとつひとつひとつ御おん御おんおんはははらにおはしましきらにおはしましきらにおわしましき。。。おほおほおお殿どの殿どのどのののの御末おほんすゑ御末おほんすゑおおんすえこそこそこそははは、、、一いち一いちいちののの人ひと人ひとひとつがせつがせつがせ給たま給たまたまふめれふめれうめれ。。。そのそのその御報おほんむくい御報おほんむくいおおんむくいににに押お押おおされてされてされて、、、大將殿だいしやうどの大將殿だいしやうどのだいしょうどのもとくかくれもとくかくれもとくかくれ給たま給たまたまひけるにこそひけるにこそいけるにこそ。。。
  2. 2女君をんなぎみ女君をんなぎみおんなぎみははは後のち後のちのち朱す朱すす雀すずめ雀すずめすずめノノノ院ゐん院ゐんいんののの中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうににに奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまへりしへりしえりしははは、、、誠まこと誠まことまことののの御子みこ御子みこみこにおはしまさでにおはしまさでにおわしまさで、、、式部卿しきぶきやう式部卿しきぶきやうしきぶきょうののの宮みや宮みやみやののの御子みこ御子みこみこなりしになりしになりしに、、、誠まこと誠まことまことののの御おん御おんおんむすめむすめむすめははは、、、四條しでう四條しでうしじょうノノノ宮みや宮みやみやととと申まう申まうもうしきしきしき。。。
  3. 3大將殿だいしやうどの大將殿だいしやうどのだいしょうどののののひとつひとつひとつ御腹おほんはら御腹おほんはらおおんはらなりなりなり。。。伏見ふしみ伏見ふしみふしみののの修理すり修理すりすりのかみのかみのかみ、、、ときこえしときこえしときこえし人ひと人ひとひとももも、、、ひとつひとつひとつ御おん御おんおんはははらにおはしきらにおはしきらにおわしき。。。其そ其そそのののはははととと、、、あひぐしあひぐしあいぐし給たま給たまたまへりければへりければえりければ、、、俊綱としつな俊綱としつなとしつなののの君きみ君きみきみ、、、御子みこ御子みこみこにておはしけれどにておはしけれどにておわしけれど、、、けざやかならぬけざやかならぬけざやかならぬ程ほど程ほどほどなりければにやなりければにやなりければにや。。。
  4. 4猶俊遠なほとしとほ猶俊遠なほとしとほなおとしとおのぬしののぬしののぬしの子こ子ここののの定ぢやう定ぢやうじょうにてにてにて、、、橘たちばな橘たちばなたちばなののの俊綱としつな俊綱としつなとしつなとてぞおはせしとてぞおはせしとてぞおわせし。。。後のち後のちのちになほになほになお殿どの殿どのどのののの御子みこ御子みこみことてとてとて、、、藤原ふぢはら藤原ふぢはらふじわらになりになりになり給たま給たまたまひきひきいき。。。直衣なほし直衣なほしのうしなどなどなど着き着ききられけるられけるられけるをもをもをも、、、橘直衣たちばななほし橘直衣たちばななほしたちばなのうしとぞとぞとぞ人ひと人ひとひとははは申まう申まうもうしけるしけるしける。。。
  5. 5まめやかになりてまめやかになりてまめやかになりて後のち後のちのち、、、大殿おほとの大殿おほとのおおとの、、、ノノノ大だい大だいだい僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょう、、、四條宮しでうのみや四條宮しでうのみやしじょうのみやなどなどなどははは、、、同おな同おなおなじじじ御おん御おんおんはははらなれどらなれどらなれど、、、修理すり修理すりすりのかみのかみのかみははは、、、下﨟げらふ下﨟げらふげろうにてやみにてやみにてやみ給たま給たまたまひにしぞかしひにしぞかしいにしぞかし。。。上達部かんだちめ上達部かんだちめかんだちめにだにえなられざりけるにだにえなられざりけるにだにえなられざりける、、、猶なほ猶なほなお世よ世よよのあがりたるにやのあがりたるにやのあがりたるにや。。。
  6. 6からくやおぼしけんとぞからくやおぼしけんとぞからくやおぼしけんとぞ、、、おぼえおぼえおぼえはべりしはべりしはべりし。。。されどもされどもされども近江守有佐あふみのかみありすけ近江守有佐あふみのかみありすけおうみのかみありすけといひしといひしといいし人ひと人ひとひとははは、、、後のち後のちのち三條さんでう三條さんでうさんじょうノノノ院ゐん院ゐんいんののの誠まこと誠まことまことにににははは御子みこ御子みこみこととと聞き聞ききこえしかどこえしかどこえしかど、、、讚岐守顯綱さぬきのかみあきつな讚岐守顯綱さぬきのかみあきつなさぬきのかみあきつなののの子こ子ここにてこそにてこそにてこそ、、、やまれにしかやまれにしかやまれにしか。。。
  7. 7といふといふという名な名ななももも、、、みかどのみかどのみかどの御手おほんて御手おほんておおんてにてにてにて、、、扇あふぎ扇あふぎおうぎにかゝせたまひてにかゝせたまひてにかかせたまいて、、、母はは母ははははのののノノノ內侍ないし內侍ないしないしににに賜たま賜たまたまへりけるへりけるえりける。。。堀河ほりかは堀河ほりかはほりかわののの右みぎ右みぎみぎのおとゞのおとゞのおとどははは、、、中務なかつかさ中務なかつかさなかつかさノノノ少輔せう少輔せうしょう有佐ありすけ有佐ありすけありすけががが道みち道みちみちにあひてにあひてにあいて、、、おりておりておりて居ゐ居ゐいたりつるこそたりつるこそたりつるこそ、、、いとほしくおぼえつれいとほしくおぼえつれいとおしくおぼえつれ。。。
  8. 8院ゐん院ゐんいんにたがはずにたがはずにたがわず似に似にに奉たてまつ奉たてまつたてまつりたるさまなどりたるさまなどりたるさまなど有あ有あありけりとりけりとりけりと聞き聞ききこえしかどこえしかどこえしかど、、、それそれそれはははさてこそやまれにしかさてこそやまれにしかさてこそやまれにしか。。。此こ此ここのすりのかみのすりのかみのすりのかみははは、、、橘たちばな橘たちばなたちばなをををかへられしかばかへられしかばかえられしかば、、、なほなほなお關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくののの御子みこ御子みこみこなるべしなるべしなるべし。。。
  9. 9このこのこの修理すり修理すりすりのかみののかみののかみの、、、昔尾張むかしをはり昔尾張むかしをはりむかしおわりノノノ國くに國くにくにににに俊綱としつな俊綱としつなとしつなといひけるといひけるといいけるひじりにておはしけるひじりにておはしけるひじりにておわしけるををを、、、ののの社やしろ社やしろやしろのつかさののつかさののつかさの、、、ないがしろなることのないがしろなることのないがしろなることの有あ有あありければりければりければ、、、生う生ううまれかはりてまれかはりてまれかわりて、、、そのそのその國くに國くにくにののの守かみ守かみかみになりてになりてになりて、、、かのかのかの國くに國くにくにににに下くだ下くだくだるまゝにるまゝにるままに、、、熱田あつた熱田あつたあつたにまうでてにまうでてにもうでて、、、そのそのその大宮おほみや大宮おほみやおおみや司つかさ司つかさつかさとかとかとかををを、、、かなしくかなしくかなしく、、、せためられなどしければせためられなどしければせためられなどしければ、、、過あやま過あやまあやまちなきちなきちなき者もの者ものものををを、、、かくつかまつるよとかくつかまつるよとかくつかまつるよと、、、神かみ神かみかみににに申まう申まうもうしけるしけるしける夢ゆめ夢ゆめゆめににに、、、昔むかし昔むかしむかしすんがすんがすんがうといひてうといひてうといいて有あ有あありしりしりし、、、ひじりのひじりのひじりの法施ほふせ法施ほふせほうせををを、、、年とし年としとしごろごろごろ得え得ええさせざりしかばさせざりしかばさせざりしかば、、、いかにもえいかにもえいかにもえ咎とが咎とがとがむまじきとぞむまじきとぞむまじきとぞ見み見みみたりけるたりけるたりける。。。
  10. 10然しか然しかしかならんためにならんためにならんために、、、國くに國くにくにののの司つかさ司つかさつかさのしなにのしなにのしなに、、、生う生ううまれたまひけるにこそまれたまひけるにこそまれたまいけるにこそ。。。さすがさすがさすが昔むかし昔むかしむかしののの行おこな行おこなおこなひのひのいの力ちから力ちからちからににに、、、關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくののの御子みこ御子みこみこにてもおはするなるべしにてもおはするなるべしにてもおわするなるべし。。。「「「われもわれもわれも昔むかし昔むかしむかしそのそのその物もの物ものものをををさめたりきさめたりきさめたりき」」」などいひてなどいひてなどいいて、、、鏡かがみ鏡かがみかがみとりとりとり出い出いいださせなどせられけるださせなどせられけるださせなどせられける、、、たゞたゞただ人ひと人ひとひとにににはははおはせざるべしおはせざるべしおわせざるべし。。。
  11. 11大殿おほとの大殿おほとのおおとのののの伏見ふしみ伏見ふしみふしみへへへおはしましたりけるもおはしましたりけるもおわしましたりけるも、、、すゞろなるすゞろなるすずろなる所ところ所ところところへへへおはしますまじきにおはしますまじきにおわしますまじきに、、、雪ゆき雪ゆきゆきのののふりたりけるつとめてふりたりけるつとめてふりたりけるつとめて、、、俊綱としつな俊綱としつなとしつながいたくがいたくがいたく伏見ふしみ伏見ふしみふしみふけらかすにふけらかすにふけらかすに、、、俄にはか俄にはかにわかににに行ゆ行ゆゆきてきてきて見み見みみんとてんとてんとて、、、播磨守師信はりまのかみもろのぶ播磨守師信はりまのかみもろのぶはりまのかみもろのぶといふといふという人ひと人ひとひとばかりばかりばかり御供おほんとも御供おほんともおおんともにてにてにて、、、俄にはか俄にはかにわかにわたらせにわたらせにわたらせ給たま給たまたまひたりければひたりければいたりければ、、、思おも思おもおもひもよらぬひもよらぬいもよらぬ事こと事ことことにてにてにて、、、門もん門もんもんををを叩たた叩たたたたきけれどきけれどきけれど、、、むごにあけざりければむごにあけざりければむごにあけざりければ、、、人々ひとびと人々ひとびとひとびといかにといかにといかにと思おも思おもおもひけりひけりいけり。。。
  12. 12かばかりのかばかりのかばかりの雪ゆき雪ゆきゆきのあしたにのあしたにのあしたに、、、さらぬさらぬさらぬ人ひと人ひとひとののの家いへ家いへいえならんにてだにならんにてだにならんにてだに、、、かやうのかやうのかようの折節をりふし折節をりふしおりふしなどなどなどははは、、、そのそのその用意ようい用意よういよういあるべきにあるべきにあるべきに、、、いいいはははんやんやんや殿どの殿どのどののわたりのわたりのわたり給たま給たまたまへるにへるにえるに、、、かた〴〵かた〴〵かたがた思おも思おもおもはずにはずにわずに思おも思おもおもへるにへるにえるに、、、あけたるあけたるあけたる者もの者ものものににに、、、おそくあけたるおそくあけたるおそくあけたる由よし由よしよしかうづありければかうづありければこうずありければ、、、「「「雪ゆき雪ゆきゆきををを踏ふ踏ふふみみみ侍はべ侍はべはべらじとてらじとてらじとて、、、山やま山やまやまをををめぐりめぐりめぐり侍はべ侍はべはべるるる」」」ととと申まう申まうもうしければしければしければ、、、元もと元もともとよりあけよりあけよりあけ設まう設まうもうけけけ、、、又また又またまたとりあへずとりあへずとりあえず急いそ急いそいそぎあけたらむよりもぎあけたらむよりもぎあけたらむよりも、、、ねんにねんにねんに興きよう興きようきょうあるあるある由よし由よしよし、、、人々ひとびと人々ひとびとひとびといひけるとかいひけるとかいいけるとか。。。
  13. 13修理すり修理すりすりのかみさわぎいでのかみさわぎいでのかみさわぎいで、、、雪ゆき雪ゆきゆき御覽ごらん御覽ごらんごらんじてじてじて、、、御物語おほんものがたり御物語おほんものがたりおおんものがたりなどせさせなどせさせなどせさせ給たま給たまたまふふうほどにほどにほどに、、、「「「かくかくかくわたらせわたらせわたらせ給たま給たまたまひたるにひたるにいたるに、、、いでいでいで然しか然しかしかるべきあるじなどつかまつれるべきあるじなどつかまつれるべきあるじなどつかまつれ」」」。。。
  14. 14ととと催もよほ催もよほもよおしければしければしければ、、、俊綱としつな俊綱としつなとしつな、、、「「「今贄殿參いまにへどのまゐ今贄殿參いまにへどのまゐいまにえどのまいりりり侍はべ侍はべはべりなんりなんりなん」」」。。。ととと申まう申まうもうしければしければしければ、、、「「「人ひと人ひとひとにもにもにも知し知ししられでられでられで、、、わたらせわたらせわたらせ給たま給たまたまひたればひたればいたれば、、、まゐるまゐるまいる事こと事ことことあるまじあるまじあるまじ。。。日ひ日ひひもももやう〳〵たけてやう〳〵たけてようようたけて、、、いかでかいかでかいかでか御設おほんまう御設おほんまうおおんもうけなくてあらんけなくてあらんけなくてあらん」」」。。。
  15. 15といひければといひければといいければ、、、殿笑とのわら殿笑とのわらとのわらはせはせわせ給たま給たまたまひてひていて、、、「「「たゞせめよたゞせめよただせめよ」」」などなどなど仰おほ仰おほおおせられけるせられけるせられける程ほど程ほどほどににに、、、家いへ家いへいえののの司つかさ司つかさつかさなるあきまさといひてなるあきまさといひてなるあきまさといいて、、、光俊有重みつとしありしげ光俊有重みつとしありしげみつとしありしげなどいふなどいふなどいう學生がくしやう學生がくしやうがくしょうののの親おや親おやおやなりしなりしなりしをををのこのこのこ、、、けしきけしきけしき聞き聞ききこえければこえければこえければ、、、修理すり修理すりすりのかみのかみのかみ立た立たたちちち出い出いいでてでてでて、、、かへりかへりかえり參まゐ參まゐまいりてりてりて「「「あるじしてあるじしてあるじして、、、きこしめさすべききこしめさすべききこしめさすべきやうやうよう侍はべ侍はべはべらざるなりらざるなりらざるなり。。。御臺みだい御臺みだいみだいなどのなどのなどの新あたら新あたらあたらしきもしきもしきも、、、かくかくかく御覽ごらん御覽ごらんごらんずるずるずる山やま山やまやまのあなたののあなたののあなたの庫くら庫くらくらにおきこめてにおきこめてにおきこめて侍はべ侍はべはべればればれば便びん便びんびんなくなくなく、、、とりいづべきとりいづべきとりいずべきやうやうよう侍はべ侍はべはべらずらずらず。。。あらあらあらはははににに侍はべ侍はべはべるるるははは、、、皆人みなひと皆人みなひとみなひとののの用もち用もちもちゐたるゐたるいたる」」」よしよしよし申まう申まうもうしければしければしければ、、、「「「何なに何なになにののの憚はゞか憚はゞかはばかりかあらんりかあらんりかあらん。。。たゞたゞただ取と取ととりりり出い出いいだせだせだせ」」」ととと仰おほ仰おほおおせられければせられければせられければ、、、さばとてさばとてさばとて立た立たたちちち出い出いいでてでてでて、、、取と取ととりりり出い出いいだされけるにだされけるにだされけるに、、、色々いろいろ色々いろいろいろいろののの狩裝束かりしやうぞく狩裝束かりしやうぞくかりしょうぞくしたるしたるしたる、、、伏見ふしみ伏見ふしみふしみさぶらひさぶらひさぶらい十人じふにん十人じふにんじゅうにん、、、、、、いひしらぬいひしらぬいいしらぬ染そ染そそめまぜしたるかたびらめまぜしたるかたびらめまぜしたるかたびら、、、くゝりくゝりくくり、、、かけとぢなどしたるかけとぢなどしたるかけとじなどしたる雜仕ざふし雜仕ざふしぞうし、、、十人じふにん十人じふにんじゅうにんひきつれてひきつれてひきつれて、、、倉くら倉くらくらのかぎのかぎのかぎ持も持ももちたるちたるちたるをををのこのこのこ、、、先さき先さきさきにたちてわたるにたちてわたるにたちてわたる程ほど程ほどほどににに、、、雪ゆき雪ゆきゆきにににはははえてえてえて、、、わざとかねてしたるやうなりけりわざとかねてしたるやうなりけりわざとかねてしたるようなりけり。。。
  16. 16先さき先さきさきににに跡あと跡あとあとふみつけたるふみつけたるふみつけたるををを、、、しりにつゞきたるしりにつゞきたるしりにつづきたる男女なんによ男女なんによなんにょ、、、同おな同おなおなじあとじあとじあとをををふみてゆきけりふみてゆきけりふみてゆきけり。。。かへさにかへさにかえさにははは、、、御臺高坏みだいたかつき御臺高坏みだいたかつきみだいたかつき、、、しろがねのしろがねのしろがねの銚子てうし銚子てうしちょうしなどなどなど、、、一ひと一ひとひとつづつさげてつづつさげてつづつさげて持も持ももちたるちたるちたるははは、、、このたびこのたびこのたびはははしりにたちてかへりぬしりにたちてかへりぬしりにたちてかえりぬ。。。
  17. 17かゝるかゝるかかる程ほど程ほどほどににに、、、上達部かんだちめ上達部かんだちめかんだちめ殿上人てんじやうびと殿上人てんじやうびとてんじょうびと、、、藏人所くらうどどころ藏人所くらうどどころくろうどどころののの家司けいし家司けいしけいし、、、職事しきじ職事しきじしきじ御隨身みずいじん御隨身みずいじんみずいじんなどなどなど、、、さま〴〵にさま〴〵にさまざまに參まゐ參まゐまいりこみたりけるにりこみたりけるにりこみたりけるに、、、このこのこの里さと里さとさとかのかのかの里さと里さとさと、、、所々ところどころ所々ところどころところどころにいひしらぬにいひしらぬにいいしらぬ供そな供そなそなへへへどもどもども、、、目め目めめもあやなりけりもあやなりけりもあやなりけり。。。
  18. 18師信もろのぶ師信もろのぶもろのぶ「「「いかにかくいかにかくいかにかくははは俄にはか俄にはかにわかにせられにせられにせられ侍はべ侍はべはべるぞるぞるぞ。。。かねてかねてかねて夢ゆめ夢ゆめゆめなどなどなど見侍みはべ見侍みはべみわべりけるかりけるかりけるか」」」。。。などなどなど、、、戲たはぶ戲たはぶたわぶれれれ申まう申まうもうしければしければしければ、、、俊綱としつな俊綱としつなとしつなののの君きみ君きみきみははは、、、「「「いかでかゝるいかでかゝるいかでかかる山里やまざと山里やまざとやまざとににに、、、かやうのかやうのかようの事こと事ことこと、、、侍はべ侍はべはべらんらんらん用意ようい用意よういよういなくてなくてなくてははは侍はべ侍はべはべるべきるべきるべき」」」。。。などぞなどぞなどぞ申まう申まうもうされけるされけるされける。。。
  19. 19伏見ふしみ伏見ふしみふしみにてにてにてははは、、、時とき時ときときののの歌うた歌うたうたよみどもよみどもよみども集つど集つどつどへてへてへて、、、和歌わか和歌わかわかののの會ゑ會ゑえたゆるよなかりけりたゆるよなかりけりたゆるよなかりけり。。。伏見ふしみ伏見ふしみふしみののの會ゑ會ゑえとてとてとて、、、幾いく幾いくいくらともなくらともなくらともなく積つ積つつもりてなんあなるもりてなんあなるもりてなんあなる。。。「「「音羽おとは音羽おとはおとわののの山やま山やまやまのけさのけさのけさはははかすめるかすめるかすめる」」」などよまれたるなどよまれたるなどよまれたる、、、いといといと優いう優いうゆうににに侍はべ侍はべはべるかしるかしるかし。。。
  20. 20かやうにかやうにかように、、、もてもてもて興きよう興きようきょうぜらるゝぜらるゝぜらるる餘あま餘あまあまりにりにりに、、、ふけらかしふけらかしふけらかし參まゐ參まゐまいらせられけるにこそらせられけるにこそらせられけるにこそ。。。四條しでう四條しでうしじょうノノノ宮みや宮みやみやののの女房にようばう女房にようばうにょうぼうあまたあまたあまた、、、あそびてあそびてあそびて、、、暮く暮くくれぬさきにかへりれぬさきにかへりれぬさきにかえり給たま給たまたまひければひければいければ、、、修理すり修理すりすりのかみのかみのかみ、、、
  21. 21都みやこ都みやこみやこ人ひと人ひとひとくるればかへるくるればかへるくるればかえる今いま今いまいまよりよりよりはははふしみのふしみのふしみの里さと里さとさとののの名な名ななをもをもをもたのまじたのまじたのまじ
  22. 22となむよみとなむよみとなむよみ給たま給たまたまひけるひけるいける。。。白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいん、、、「「「一いち一いちいちにおもしろきにおもしろきにおもしろき所ところ所ところところははは、、、いづこかあるいづこかあるいずこかある」」」。。。ととと問と問ととはせはせわせ給たま給たまたまひければひければいければ、、、「「「一いち一いちいちにににはははこそこそこそ侍はべ侍はべはべれれれ」」」「「「次つぎ次つぎつぎにににははは」」」ととと仰おほ仰おほおおせられければせられければせられければ、、、「「「高陽かや高陽かやかやノノノ院ゐん院ゐんいんぞぞぞ候さふら候さふらそうろうふらんふらんうらん」」」。。。
  23. 23ととと申まう申まうもうすにすにすに「「「第三だいさん第三だいさんだいさんににに鳥羽とば鳥羽とばとばありなんやありなんやありなんや」」」。。。ととと仰おほ仰おほおおせられければせられければせられければ、、、「「「鳥羽殿とばどの鳥羽殿とばどのとばどのははは君きみ君きみきみのかくしなさせのかくしなさせのかくしなさせ給たま給たまたまひたればこそひたればこそいたればこそ侍はべ侍はべはべれれれ。。。地形眺望ちぎやうてうばう地形眺望ちぎやうてうばうちぎょうちょうぼうなどなどなど、、、いとなきいとなきいとなき所ところ所ところところなりなりなり。。。第三だいさん第三だいさんだいさんにににははは、、、俊綱としつな俊綱としつなとしつなががが伏見候ふしみさふら伏見候ふしみさふらふしみそうろうふらんふらんうらん」」」。。。
  24. 24とぞとぞとぞ申まう申まうもうされけるされけるされける。。。ことことこと人ひと人ひとひとならばいとならばいとならばいと申まう申まうもうしにくきことなりかししにくきことなりかししにくきことなりかし。。。高陽かや高陽かやかやノノノ院ゐん院ゐんいんにににはははあらであらであらで、、、平等院びやうどうゐん平等院びやうどうゐんびょうどういんととと申まう申まうもうすすす人ひと人ひとひともありもありもあり。。。伏見ふしみ伏見ふしみふしみにににははは、、、山やま山やまやまみちみちみちをををつくりてつくりてつくりて、、、然しか然しかしかるべきをりふしにるべきをりふしにるべきおりふしにははは、、、たびたびたび人ひと人ひとひとをををしたてゝしたてゝしたてて、、、とほされければとほされければとおされければ。。。さるさるさる面白おもしろ面白おもしろおもしろききき事こと事ことことなかりけりなかりけりなかりけり。。。
  25. 25大だい大だいだい僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょうまだまだまだ若わか若わかわかくおはしけるくおはしけるくおわしける時とき時ときとき、、、御母おほんはは御母おほんははおおんはは贈ぞう贈ぞうぞう二位にゐ二位にゐにいののの、、、宇治殿うぢどの宇治殿うぢどのうじどのににに、、、「「「僧都そうづ僧都そうづそうずののの御房ごばう御房ごばうごぼうののの、、、まだまだまだ我わ我わわががが房ばう房ばうぼうももも持も持ももたせたせたせ給たま給たまたまはははででで、、、あひずみにておはしますなるにあひずみにておはしますなるにあいずみにておわしますなるに、、、房ばう房ばうぼうをををさだしてさだしてさだして、、、たてまつらせたてまつらせたてまつらせ給たま給たまたまへかしへかしえかし」」」。。。
  26. 26ととと申まう申まうもうされければされければされければ、、、ののの民部卿みんぶきやう民部卿みんぶきやうみんぶきょう、、、近江あふみ近江あふみおうみ守かみ守かみかみなりけるがなりけるがなりけるが、、、參まゐ參まゐまいりたりけるにりたりけるにりたりけるに、、、「「「こゝなるこゝなるここなる小こ小ここ僧そう僧そうそうののの、、、房ばう房ばうぼうををを持も持ももたざるにたざるにたざるに、、、草庵さうあん草庵さうあんそうあんひとつむすびてひとつむすびてひとつむすびて、、、とらせられなんやとらせられなんやとらせられなんや」」」。。。
  27. 27ととと仰おほ仰おほおおせられければせられければせられければ、、、「「「作つく作つくつくりりり侍はべ侍はべはべらんらんらん。。。いとやすきことにいとやすきことにいとやすきことに侍はべ侍はべはべりりり。。。泰憲やすのり泰憲やすのりやすのりがたちにがたちにがたちに仕つか仕つかつこうまつるうまつるうまつる、、、石田いしだ石田いしだいしだととと申まう申まうもうすすす家いへ家いへいえこそこそこそ、、、寺てら寺てらてらももも近ちか近ちかちかくてくてくて、、、おはしまさんにもおはしまさんにもおわしまさんにも、、、つれ〴〵なぐさみぬべきつれ〴〵なぐさみぬべきつれずれなぐさみぬべき所ところ所ところところはははさぶらへさぶらへさぶらえ。。。堂だう堂だうどうなどもなどもなども侍はべ侍はべはべりてりてりて見み見みみよきよきよき所ところ所ところところなりなりなり」」」。。。
  28. 28ととと申まう申まうもうしけれしけれしけれははは、、、殿どの殿どのどのははは「「「ゆゆしきゆゆしきゆゆしき報むく報むくむくありけるありけるありける小こ小ここ僧そう僧そうそうかなかなかな。。。それそれそれははは、、、こよなきこよなきこよなき事こと事ことことにこそあらめにこそあらめにこそあらめ」」」。。。とてすゑたてまつりとてすゑたてまつりとてすえたてまつり給たま給たまたまへりけるとぞへりけるとぞえりけるとぞ。。。泰憲やすのり泰憲やすのりやすのりののの民部卿みんぶきやう民部卿みんぶきやうみんぶきょうははは、、、おほとのゝおほとのゝおおとのの中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうなどなどなど申まう申まうもうしてしてして、、、いいいはははけなくおはしけるにけなくおはしけるにけなくおわしけるに、、、大將殿だいしやうどの大將殿だいしやうどのだいしょうどのなどまだなどまだなどまだ世よ世よよにおはしましけるにおはしましけるにおわしましける程ほど程ほどほどははは、、、殿どの殿どのどのももも人ひと人ひとひともおもりかにもおもりかにもおもりかに思おも思おもおもひたてまつらるゝひたてまつらるゝいたてまつらるる事こと事ことこともなかりけるもなかりけるもなかりける折をり折をりおり、、、をををとりいだしてとりいだしてとりいだして、、、手て手ててうつしにたてまつりてうつしにたてまつりてうつしにたてまつりて、、、「「「泰憲やすのり泰憲やすのりやすのりががが名簿みやうぶ名簿みやうぶみょうぶえさせえさせえさせ給たま給たまたまへらんへらんえらんははは、、、さりともよしあるべきさりともよしあるべきさりともよしあるべき事こと事ことことなりなりなり。。。思おも思おもおもふやうありてふやうありてうようありて、、、たてまつるなりたてまつるなりたてまつるなり」」」。。。
  29. 29ととと申まう申まうもうしけれしけれしけれははは、、、宇治うぢ宇治うぢうじにまゐらせにまゐらせにまいらせ給たま給たまたまひてひていて、、、「「「かくこそかくこそかくこそ仕つか仕つかつこうまつりたれうまつりたれうまつりたれ」」」。。。ととと申まう申まうもうさせさせさせ給たま給たまたまひけるにこそひけるにこそいけるにこそ、、、おぼえおぼえおぼえはははつかせつかせつかせ給たま給たまたまひけれひけれいけれ。。。とぞきゝとぞきゝとぞきき侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。誠まこと誠まことまことにやにやにやはべりけんはべりけんはべりけん。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

大将殿(通房)以外の公達は、大殿(師実)と同じ腹でいらっしゃいました。大殿の御子孫こそが、摂関を継いでいらっしゃるようです。その御運勢に押されて、大将殿も早くお亡くなりになったのでしょう。女君で後朱雀院の中宮に差し上げなさった方(嫄子)は、本当の御子ではなく、式部卿宮(敦康親王)の御子でしたが、本当の御娘は四条宮と申し上げました。大殿と同じ腹です。伏見の修理大夫で俊綱と申し上げた人も、同じ腹でいらっしゃいました。その御母(祇子)は、贈二位で讃岐守俊遠と夫婦になっていらしたので、俊綱の君は、(頼通の)御子でいらしたけれども、はっきりしない時だったからでしょうか、やはり俊遠の子ということで、橘俊綱としていらっしゃいました。後にやはり殿の御子ということで、藤原におなりになりました。直衣などを着ておられたのも、人は「橘直衣」と申しました。正式に(頼通の子と)なった後も、大殿・宇治大僧正(覚円)・四条宮などは同じ腹ですのに、修理大夫は下臈のままで終わってしまわれたのです。上達部にさえなれなかったのは、やはり世の中が昔とは変わったからでしょうか。つらくお思いになったことだろうと思われました。けれども近江守有佐という人は、後三条院の本当の御子と噂されたけれども、讃岐守顕綱の子のままで終わってしまわれました。有佐という名も、帝の御手で扇にお書きになって、母の侍従内侍にお与えになったのです。堀河右大臣(頼宗)が、「中務少輔有佐が道で会って、(馬から)降りて控えていたのが、たいそう気の毒に思われた。院にそっくりに似申し上げた様子などがあった」と言われたと聞きましたが、その人はそのままで終わってしまったのです。この修理大夫は、橘(の姓)を変えられたので、やはり関白の御子なのでしょう。この修理大夫が、昔、尾張国で俊綱(すんがう)という聖でいらしたのを、熱田の社の神官がないがしろにしたことがあったので、生まれ変わって、その国の守となって、その国に下るとすぐ熱田に参詣して、その大宮司とかを手ひどく責めたりしたので、(大宮司が)「罪のない者をこのような目にあわせるとは」と神に訴えたところ、夢に、「昔すんがうといった聖の法施を、長年受け取らせなかったのだから、とても咎めることはできない」と見たのでした。そうなるために、国司の身分に生まれなさったのでしょう。さすがに昔の修行の力で、関白の御子でもいらっしゃるのでしょう。「私も昔その物を納めた」などと言って、鏡を取り出させたりなさったのは、普通の人ではいらっしゃらないのでしょう。

大殿(師実)が伏見へおいでになったのも、何でもない所へいらっしゃるはずもないのに、雪の降った翌朝、俊綱がひどく伏見を自慢するので、急に行って見ようとして、播磨守師信という人だけをお供に、急にお移りになったので、思いもよらないことで、門を叩いたけれども、なかなか開けなかったので、人々はどうしたことかと思いました。これほどの雪の朝に、ほかの人の家でさえ、このような折には用意があるはずなのに、まして殿がおいでになったのにと、それぞれ意外に思っていたところ、開けた者に、遅く開けたわけを問いただしたところ、「雪を踏むまいとして、山を回ってまいりました」と申したので、もとから開けて待っているよりも、また取るものも取りあえず急いで開けるよりも、格別に興があることだと人々が言ったとか。修理大夫が慌てて出て来て、雪をご覧になり、お話などなさるうちに、師信が「こうしておいでになったのだから、さあ、しかるべきもてなしなどをせよ」と促したので、俊綱が「今、贄殿(料理の係)が参りましょう」と申したところ、「人にも知られずにおいでになったのだから、贄殿が参ることはあるまい。日もだんだん高くなって、どうしてもてなしがなくてよいものか」と言ったので、殿はお笑いになって、「ただ責めよ」などとおっしゃるうちに、家司のあきまさといって、光俊・有重などという学生の父親だった男が、様子を伝えたので、修理大夫は立って出て、帰って参って「おもてなしをして召し上がっていただけるようなことはございません。御膳台なども新しいものは、ご覧のとおり山の向こうの蔵にしまいこんでありますので、具合が悪く、取り出すこともできません。表に出ているものは、皆人の使い古したものです」と申したので、「何の遠慮があろう。ただ取り出せ」とおっしゃったので、それではといって立って出て、取り出されたところ、色とりどりの狩装束を着た伏見の侍十人と、色とりどりの袙に、言いようもなく染め分けた帷子を、括り・掛け綴じなどした雑仕女十人を引き連れて、蔵の鍵を持った男が先に立って渡っていくと、雪に映えて、わざわざ前もって用意したかのようでした。先に足跡を踏みつけたのを、後に続く男女が同じ跡を踏んで行きました。帰りには、御膳台・高坏・銀の銚子などを一つずつ提げて持った者は、今度は後ろに立って帰りました。そうするうちに、公卿・殿上人・蔵人所の家司・職事・御随身などが、さまざまに参り込んできたので、この里あの里、あちこちで言いようもない御膳が目もまばゆいほどでした。師信が「どうしてこうも急にできたのですか。前もって夢でも見たのですか」などと冗談を申したところ、俊綱の君は「どうしてこのような山里に、こうしたことのための用意がなくてよいでしょうか」などと申されました。

伏見では、当時の歌詠みたちを集めて、和歌の会が絶える時がありませんでした。伏見の会といって、数え切れないほど積もっているそうです。「音羽の山のけさはかすめる」などと詠まれたのは、たいそう優雅なことですね。このように風流を楽しまれるあまりに、(大殿にも)自慢申し上げられたのでしょう。四条宮の女房が大勢遊びに来て、日が暮れないうちに帰られたので、修理大夫が、

都人くるればかへる今よりはふしみの里の名をもたのまじ

とお詠みになりました。白河院が「第一に趣深い所はどこか」とお尋ねになったので、「第一には石田でございます」。「次には」とおっしゃったので、「高陽院でございましょう」と申したところ、「第三に鳥羽はどうか」とおっしゃったので、「鳥羽殿は君がこのようにお造りになったからこそでございます。地形や眺望などは、何ということもない所です。第三には、俊綱の伏見でございましょう」と申されました。ほかの人ならたいそう申し上げにくいことですね。高陽院ではなく、平等院と申す人もあります。伏見には山道を造って、しかるべき折には旅人を仕立てて通らせたので、これほど趣深いことはありませんでした。

大僧正(覚円)がまだお若くていらした時、御母の贈二位(祇子)が宇治殿に、「僧都の御房が、まだご自分の僧房もお持ちにならず、相住みでいらっしゃるそうなので、房をお世話して差し上げてください」と申されたので、泰憲の民部卿が近江守であったのが参上したところに、(頼通が)「ここにいる小僧が房を持っていないので、草庵を一つ結んで与えてくれないか」とおっしゃったところ、「お造りしましょう。たやすいことでございます。泰憲の館としてお仕えしております石田と申す家こそ、寺も近くて、お住まいになるにも所在なさが慰められそうな所でございます。堂などもあって見栄えのよい所です」と申したので、殿は「たいそうな果報のある小僧だな。それはこの上ないことだろう」と言って、(覚円を)住まわせなさったということです。泰憲の民部卿は、大殿(師実)が中将などと申し上げてまだ幼くていらした時、大将殿(通房)などがまだ生きていらした間は、殿(頼通)も人々も(師実を)重く思い申し上げることもなかった折に、名簿を取り出して、手ずから差し上げて、「泰憲の名簿をお受け取りくださったら、きっとよいことがあるはずです。思うところがあって差し上げるのです」と申したので、(師実が)宇治に参って「このようにお仕えしてくれました」と申し上げなさったので、(頼通の)信任がつかれたのでした、と聞きました。本当でございましたでしょうか。

意訳

頼通の子のうち、通房は早世し、摂関家は師実が継いだ。一方、同じ母祇子から生まれた橘俊綱は、母が橘俊遠の妻であったため俊遠の子として育てられ、のちに頼通の子と認められたものの、上達部にはなれなかった。語り手は「猶世のあがりたるにや(世が下ったからか)」と、その不遇に同情している。後三条天皇の落胤とされる有佐の話も並べられる。

俊綱の前世を熱田の聖とする話は、仏教的な因果応報の考え方をよく示している。

章題の「伏見の雪の朝」は、雪の朝に突然訪れた師実を、俊綱が見事にもてなした話による。雪を踏むまいと山を回って門を開けた門番、蔵まで雪の中に一筋の足跡をつけて往復する侍と雑仕女の列、たちまち整うもてなし――そのすべてが計算された趣向であり、俊綱の風流の極みを示している。白河院に名所を問われて、自分の伏見を第三に挙げた話も、その自負をよく伝える。

語釈・文法注

其の御母
藤原祇子(?〜1053)。頼通の妻。師実・寛子・覚円・俊綱の母。
伏見の修理のかみ、俊綱
橘俊綱(1028〜1094)。頼通の子で、橘俊遠の養子。伏見に山荘を営み、歌人たちと交流した。作庭記の作者とも。
讃岐守俊遠
橘俊遠。俊綱の養父。
宇治ノ大僧正
覚円(1031〜1098)。頼通の子。天台座主。
近江守有佐
藤原有佐(?〜1099)。後三条天皇の落胤といわれた。藤原顕綱の子として育った。
侍從ノ內侍
後三条天皇に仕えた女房。有佐の母。
熱田の社
尾張国の熱田神宮。
播磨守師信
藤原師信。師実の家司。
贄殿
食物を調える所。またその係。
あこめ
袙。表着と下着の間に着る衣。
石田
山城国宇治郡石田(いしだ)。今の京都市伏見区。泰憲の山荘があった。
泰憲の民部卿
藤原泰憲(1007〜1081)。近江守・民部卿。
名簿
主従関係を結ぶとき、自分の名や官位を記して差し出す札。

文法

けざやかならぬ程
はっきりしない時期。俊綱の実父が誰か公にされていなかったころ。
ねんに興ある
「念に」か。格別に、ことさらに。
猶世のあがりたるにや
「世があがる」は、時代が昔になる、の意だが、ここは世が下って(変わって)、の意か。

和歌

都人くるればかへる今よりはふしみの里の名をもたのまじ

詠者
橘俊綱
状況
四条宮の女房たちが伏見に遊びに来て、日暮れ前に帰ってしまったので詠んだ歌。

修辞

掛詞
「ふしみ」に地名の「伏見」と「伏し見(共寝)」をかけ、名を頼りにできないと戯れる。

解説

橘俊綱は、平安時代後期を代表する数寄者の一人で、伏見の山荘は歌会の場として名高かった。日本最古の庭園書『作庭記』の著者とする説もある。今鏡の雪の朝の話は、その美意識を具体的に伝える貴重な逸話である。

泰憲が若い師実に名簿を差し出して主従を結んだ話は、まだ兄通房の陰にいた師実の将来を見込んだ先見の明を示すとともに、摂関家の家人関係の成り立ちを伝えている。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、142〜149頁(コマ86–89)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日