古典ライブラリー

今鏡 第四「藤波の上」 第28章

藤波

巻四「藤波の上」の始まり。天皇の歴史に続いて、藤原氏の大臣たちの列伝に移る。まず流れの源として道長と、その娘たち――上東門院彰子・三条天皇の中宮妍子・後一条天皇の中宮威子・東宮妃嬉子――と孫娘たちの生涯が語られる。

  1. 1世繼よつぎ世繼よつぎよつぎははは、、、入道にふだう入道にふだうにゅうどうおほきおとゞのおほきおとゞのおおきおとどの御榮おほんさか御榮おほんさかおおんさかえええ申まう申まうもうさんとてさんとてさんとて、、、そのそのその御事おほんこと御事おほんことおおんことこまかにこまかにこまかに申まう申まうもうしたればしたればしたれば、、、そのそのその後のち後のちのちよりよりより申まう申まうもうすべけれどすべけれどすべけれど、、、水上みなかみ水上みなかみみなかみあらはれぬあらはれぬあらわれぬははは流なが流ながながれのおぼつかなければれのおぼつかなければれのおぼつかなければ、、、まづまづまず入道にふだう入道にふだうにゅうどうおとゞのおとゞのおとどの御有樣おほんありさま御有樣おほんありさまおおんありさま、、、おろ〳〵おろ〳〵おろおろ申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべるべきなりるべきなりるべきなり。。。
  2. 2入道にふだう入道にふだうにゅうどう前さきの前さきのさきのノノノ太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじん道長みちなが道長みちながみちながのおとゞのおとゞのおとどははは、、、ののの五郞ごらう五郞ごらうごろう、、、ののの右みぎ右みぎみぎのおとゞののおとゞののおとどの御孫おほんうまご御孫おほんうまごおおんうまごなりなりなり。。。一條いちでう一條いちでういちじょうノノノ院ゐん院ゐんいん、、、三條さんでう三條さんでうさんじょうノノノ院ゐん院ゐんいん、、、後一條ごいちでう後一條ごいちでうごいちじょうノノノ院ゐん院ゐんいん、、、三代さんだい三代さんだいさんだいののの關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくにおはしますにおはしますにおわします。。。
  3. 3五十四ごじふし五十四ごじふしごじゅうしののの御おん御おんおんとしとしとし御おん御おんおんぐしおろさせぐしおろさせぐしおろさせ給たま給たまたまひてひていて、、、萬壽まんじゆ萬壽まんじゆまんじゅ四年よねん四年よねんよねん十二月じふにぐわつ十二月じふにぐわつじゅうにがつ四日よか四日よかよか、、、六十ろくじふ六十ろくじふろくじゅう二に二にににてかくれさせにてかくれさせにてかくれさせ給たま給たまたまふふう。。。をのこをのこおのこ君きみ君きみきみ、、、女君をんなぎみ女君をんなぎみおんなぎみ、、、あまたおはしましきあまたおはしましきあまたおわしましき。。。女君をんなぎみ女君をんなぎみおんなぎみ、、、第一だいいち第一だいいちだいいちのののははは、、、上東門院じやうとうもんゐん上東門院じやうとうもんゐんじょうとうもんいんととと申まう申まうもうしてしてして、、、後一條ごいちでう後一條ごいちでうごいちじょうノノノ院ゐん院ゐんいん、、、後のち後のちのち朱す朱すす雀すずめ雀すずめすずめノノノ院ゐん院ゐんいん、、、二代にだい二代にだいにだいのみかどののみかどののみかどの御母おほんはは御母おほんははおおんははなりなりなり。。。
  4. 4つぎにつぎにつぎに第二だいに第二だいにだいにののの御おん御おんおんむすめむすめむすめははは、、、三條さんでう三條さんでうさんじょうノノノ院ゐん院ゐんいんののの中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐう妍子けんし妍子けんしけんしととと申まう申まうもうしきしきしき。。。陽明門院やうめいもんゐん陽明門院やうめいもんゐんようめいもんいんののの御母おほんはは御母おほんははおおんははなりなりなり。。。第四だいし第四だいしだいしははは後一條ごいちでう後一條ごいちでうごいちじょうノノノ院ゐん院ゐんいんののの中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐう威子ゐし威子ゐしいしととと申まう申まうもうすすす。。。二條にでう二條にでうにじょうノノノ院ゐん院ゐんいんととと、、、後のち後のちのち三條さんでう三條さんでうさんじょうノノノ院ゐん院ゐんいんののの皇后宮くわうごうぐう皇后宮くわうごうぐうこうごうぐうとのとのとの御母おほんはは御母おほんははおおんははなりなりなり。。。
  5. 5第六だいろく第六だいろくだいろくののの君きみ君きみきみははは、、、後冷泉ごれいぜい後冷泉ごれいぜいごれいぜいノノノ院ゐん院ゐんいんののの御母おほんはは御母おほんははおおんはは、、、內侍ないし內侍ないしないしのかみのかみのかみ嬉子きし嬉子きしきしととと申まう申まうもうしきしきしき。。。これこれこれ皆みな皆みなみなののの御おん御おんおんはははらなりらなりらなり。。。男君をとこぎみ男君をとこぎみおとこぎみだちだちだち、、、太郞たらう太郞たらうたろうははは宇治うぢ宇治うぢうじのおほきおとゞのおほきおとゞのおおきおとど、、、次つぎ次つぎつぎははは二條にでう二條にでうにじょう殿どの殿どのどの、、、またおなじまたおなじまたおなじ御おん御おんおんはははらからなりらからなりらからなり。。。
  6. 6堀川ほりかは堀川ほりかはほりかわののの右みぎ右みぎみぎのおとゞのおとゞのおとど、、、閑院かんゐん閑院かんゐんかんいんののの東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐう大夫だいぶ大夫だいぶだいぶ、、、のののうまのかみうまのかみうまのかみ、、、三條さんでう三條さんでうさんじょうのののこのこのこの四よ四よよところところところははは、、、殿どの殿どのどのののの御おん御おんおんはははらのらのらの君きみ君きみきみだちなりだちなりだちなり。。。このこのこの御おん御おんおんはははらにらにらに女君二所をんなぎみふたところ女君二所をんなぎみふたところおんなぎみふたところおはしきおはしきおわしき。。。
  7. 7ひとりひとりひとりははは一條いちでう一條いちでういちじょうノノノ院ゐん院ゐんいんとてとてとて、、、東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうよりよりより院ゐん院ゐんいんにならせにならせにならせ給たま給たまたまへりしへりしえりし、、、女御にようご女御にようごにょうごににに參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまへりきへりきえりき。。。今いま今いまいまひとりひとりひとりははは、、、土御門つちみかど土御門つちみかどつちみかどののの右みぎ右みぎみぎのおとゞののおとゞののおとどの北きた北きたきたののの方かた方かたかたなりなりなり。。。昔むかし昔むかしむかしももも今いま今いまいまももも、、、かゝるかゝるかかる御榮おほんさか御榮おほんさかおおんさかえええはははありがたきなるべしありがたきなるべしありがたきなるべし。。。
  8. 8上東門院じやうとうもんゐん上東門院じやうとうもんゐんじょうとうもんいんははは、、、一條いちでう一條いちでういちじょうノノノ院ゐん院ゐんいんのきさきのきさきのきさき、、、二代にだい二代にだいにだいののの帝みかど帝みかどみかどののの御母おほんはは御母おほんははおおんははなりなりなり。。。御有樣おほんありさま御有樣おほんありさまおおんありさまさきにこまかにさきにこまかにさきにこまかに申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべりぬりぬりぬ。。。次つぎ次つぎつぎににに妍子けんし妍子けんしけんしととと申まう申まうもうすすすははは、、、女院にようゐん女院にようゐんにょういんとおなじとおなじとおなじ御おん御おんおんはははらからにおはしますらからにおはしますらからにおわします。。。
  9. 9寬弘くわんこう寬弘くわんこうかんこう元年ぐわんねん元年ぐわんねんがんねん十一月じふいちぐわつ十一月じふいちぐわつじゅういちがつ、、、內侍ないし內侍ないしないしのかみになりのかみになりのかみになり給たま給たまたまひてひていて、、、やがてやがてやがて正四位下じやうしゐのげ正四位下じやうしゐのげじょうしいのげせさせせさせせさせ給たま給たまたまふふう。。。十二月じふにぐわつ十二月じふにぐわつじゅうにがつににに三位さんみ三位さんみさんみにあがらせにあがらせにあがらせ給たま給たまたまふふう。。。七年しちねん七年しちねんしちねん正月しやうぐわつ正月しやうぐわつしょうがつににに二位にゐ二位にゐにいにのぼりにのぼりにのぼり給たま給たまたまひてひていて、、、同おな同おなおなじじじ年二月としにぐわつ年二月としにぐわつとしにがつににに、、、三條さんでう三條さんでうさんじょうノノノ院ゐん院ゐんいん東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうととと申まう申まうもうしゝしゝしし女御にようご女御にようごにょうごににに參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまふふう。。。
  10. 10位くらゐ位くらゐくらいににに卽つ卽つつかせかせかせ給たま給たまたまひてひていて、、、寬弘くわんこう寬弘くわんこうかんこう八年はちねん八年はちねんはちねん八月はちぐわつ八月はちぐわつはちがつににに、、、女御にようご女御にようごにょうごののの宣旨せんじ宣旨せんじせんじかうぶりかうぶりこうぶり給たま給たまたまふふう。。。長和ちやうわ長和ちやうわちょうわ元年ぐわんねん元年ぐわんねんがんねん二月にぐわつ二月にぐわつにがつ十四日じふよつか十四日じふよつかじゅうよっか、、、中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうににに立た立たたちちち給たま給たまたまふふう。。。みかどみかどみかど位くらゐ位くらゐくらいさらせさらせさらせ給たま給たまたまひてひていて、、、寬仁くわんにん寬仁くわんにんかんにん二年にねん二年にねんにねん十月じふぐわつ十月じふぐわつじゅうがつ十六日じふろくにち十六日じふろくにちじゅうろくにち、、、皇太后宮くわうたいこうぐう皇太后宮くわうたいこうぐうこうたいこうぐうにあがりにあがりにあがり給たま給たまたまふふう。。。
  11. 11萬壽まんじゆ萬壽まんじゆまんじゅ四年よねん四年よねんよねん九月くぐわつ九月くぐわつくがつ十四日じふよつか十四日じふよつかじゅうよっか、、、三十四さんじふし三十四さんじふしさんじゅうしにてにてにて御おん御おんおんぐしおろしてぐしおろしてぐしおろして、、、やがてそのやがてそのやがてその日ひ日ひひかくれさせかくれさせかくれさせ給たま給たまたまひにきひにきいにき。。。ののの皇太后宮くわうたいこうぐう皇太后宮くわうたいこうぐうこうたいこうぐうととと申まう申まうもうすすす。。。ののの帥そつ帥そつそつくだりくだりくだり給たま給たまたまひけるにひけるにいけるに、、、このこのこの宮みや宮みやみやよりよりより扇あふぎ扇あふぎおうぎたまはすとてたまはすとてたまわすとて、、、
  12. 12すゞしさすゞしさすずしさははは松原まつばら松原まつばらまつばらまさるともそふるまさるともそふるまさるともそうる扇あふぎ扇あふぎおうぎののの風かぜ風かぜかぜななな忘わす忘わすわすれそれそれそ
  13. 13このこのこの宮みや宮みやみやののの御おん御おんおんはははらにらにらに、、、三條さんでう三條さんでうさんじょうノノノ院ゐん院ゐんいんののの姫宮ひめみや姫宮ひめみやひめみやおはしますおはしますおわします。。。そのそのその宮みや宮みやみや禎子ていし禎子ていしていしノノノ內親王ないしんわう內親王ないしんわうないしんのうととと申まう申まうもうしてしてして、、、治安ぢあん治安ぢあんじあん三年さんねん三年さんねんさんねん一品いつぽん一品いつぽんいっぽんののの宮みや宮みやみやととと申まう申まうもうすすす。。。萬壽まんじゆ萬壽まんじゆまんじゅ四年よねん四年よねんよねん三月さんぐわつ三月さんぐわつさんがつ廿三日にじふさんにち廿三日にじふさんにちにじゅうさんにち、、、後朱雀院ごすざくゐん後朱雀院ごすざくゐんごすざくいんののの東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうととと申まう申まうもうしゝしゝしし時とき時ときとき、、、參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまひきひきいき。。。
  14. 14御年おほんとし御年おほんとしおおんとし十五じふご十五じふごじゅうごにぞおはしましゝにぞおはしましゝにぞおわしましし。。。みかどみかどみかど位くらゐ位くらゐくらいにつかせにつかせにつかせ給たま給たまたまひてひていて、、、皇后宮くわうごうぐう皇后宮くわうごうぐうこうごうぐうにたゝせにたゝせにたたせ給たま給たまたまふふう。。。後のち後のちのちにあらためてにあらためてにあらためて中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうととと申まう申まうもうしきしきしき。。。帝みかど帝みかどみかどののの御おん御おんおんついでについでについでに且かつ且かつかつははは申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべりぬりぬりぬ。。。
  15. 15後のち後のちのち三條さんでう三條さんでうさんじょうノノノ院ゐん院ゐんいんののの御母おほんはは御母おほんははおおんはは、、、陽明門院やうめいもんゐん陽明門院やうめいもんゐんようめいもんいんととと申まう申まうもうすすす、、、このこのこの御事おほんこと御事おほんことおおんことなりなりなり。。。このこのこの女院にようゐん女院にようゐんにょういんののの御おん御おんおんはははらにらにらに、、、女宮をんなみや女宮をんなみやおんなみやたちおはしましきたちおはしましきたちおわしましき。。。ノノノ內親王ないしんわう內親王ないしんわうないしんのうとてとてとて、、、長元ちやうげん長元ちやうげんちょうげん九年くねん九年くねんくねん十一月じふいちぐわつ十一月じふいちぐわつじゅういちがつ二十八日にじふはちにち二十八日にじふはちにちにじゅうはちにち、、、伊勢いせ伊勢いせいせのいつきとのいつきとのいつきと聞き聞ききこえさせこえさせこえさせ給たま給たまたまへりしへりしえりし、、、一品いつぽん一品いつぽんいっぽんにのぼらせにのぼらせにのぼらせ給たま給たまたまへりきへりきえりき。。。
  16. 16次つぎ次つぎつぎののの姫宮ひめみや姫宮ひめみやひめみやははは、、、ノノノ內親王ないしんわう內親王ないしんわうないしんのうととと申まう申まうもうしきしきしき。。。長元ちやうげん長元ちやうげんちょうげん九年くねん九年くねんくねん霜月しもつき霜月しもつきしもつきののの頃ころ頃ころころ、、、賀茂かも賀茂かもかものいつきとのいつきとのいつきと聞き聞ききこえしこえしこえしほどにほどにほどに、、、まかりまかりまかり出い出いいででで給たま給たまたまひけるひけるいける後のち後のちのち、、、天喜五年てんぎごねん天喜五年てんぎごねんてんぎごねんなどにやありけむなどにやありけむなどにやありけむ。。。
  17. 17ながながなが月つき月つきつきののの比ごろ比ごろごろ、、、いづこともなくいづこともなくいずこともなく失う失ううせせせ給たま給たまたまひにければひにければいにければ、、、宮みや宮みやみやののの內うち內うちうちののの人ひと人ひとひと、、、いかにすべしともなくていかにすべしともなくていかにすべしともなくて、、、明あか明あかあかししし暮くら暮くらくらしけるしけるしける程ほど程ほどほどににに、、、三條さんでう三條さんでうさんじょうわたりなるわたりなるわたりなる所ところ所ところところににに住す住すすみみみ給たま給たまたまふなりけりふなりけりうなりけり。。。
  18. 18初はじ初はじはじめめめははは人ひと人ひとひとののの扇あふぎ扇あふぎおうぎににに、、、ひとひとひと文字もじ文字もじもじをををののの書ふみ書ふみふみきたまへりけるきたまへりけるきたまえりけるををを、、、女をんな女をんなおんなののの書ふみ書ふみふみききき添そ添そそへさせへさせえさせ給たま給たまたまへりければへりければえりければ、、、をとこをとこおとこ又また又またまた見み見みみててて、、、ひとつひとつひとつ添そ添そそへへえ給たま給たまたまふにふにうに、、、たがひにたがひにたがいに添そ添そそへたまひけるへたまひけるえたまいけるほどにほどにほどに、、、歌うた歌うたうたひとつにひとつにいとつに、、、かきかきかきはははてたまひけるよりてたまひけるよりてたまいけるより心こころ心こころこころ通かよ通かよかよひてひてひて、、、「「「夢ゆめ夢ゆめゆめかうつゝかかうつゝかこうつつか」」」なるなるなる事こと事ことこともいできてもいできてもいできて、、、心こころ心こころこころややや合あは合あはあわせせせ給たま給たまたまへりけんへりけんえりけん。。。
  19. 19負お負おおひひい出い出いいだしたてまつりてだしたてまつりてだしたてまつりて、、、やがてさてやがてさてやがてさて住す住すすみみみ給たま給たまたまひけりひけりいけり。。。おとこおとこおとこ咎とが咎とがとがあるべしなどあるべしなどあるべしなど聞き聞ききこえけれどこえけれどこえけれど、、、人ひと人ひとひとがらのがらのがらの品しな品しなしなももも、、、身み身みみののの才さい才さいさいなどもおはしてなどもおはしてなどもおわして、、、世よ世よよもゆるしもゆるしもゆるし聞き聞ききこゆるばかりなりけるにやこゆるばかりなりけるにやこゆるばかりなりけるにや。。。
  20. 20もろともにもろともにもろともに心こころ心こころこころををを合あは合あはあわせせせ給たま給たまたまへればにやありけんへればにやありけんえればにやありけん。。。さてこそさてこそさてこそ住す住すすみみみ給たま給たまたまひけれひけれいけれ。。。男をとこ男をとこおとこそのそのその程ほど程ほどほどははは、、、宰相中將さいしやうのちゆうじやう宰相中將さいしやうのちゆうじやうさいしょうのちゅうじょうなどなどなど申まう申まうもうしけるとかやしけるとかやしけるとかや。。。後のち後のちのちにににははは、、、右みぎ右みぎみぎのおとゞまでなりのおとゞまでなりのおとどまでなり給たま給たまたまへりきへりきえりき。。。
  21. 21入道にふだう入道にふだうにゅうどうおとゞのおとゞのおとどの第四だいし第四だいしだいしののの御おん御おんおんむすめむすめむすめ、、、後一條ごいちでう後一條ごいちでうごいちじょうノノノ院ゐん院ゐんいんののの中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐう威子ゐし威子ゐしいしととと申まう申まうもうしきしきしき。。。これもこれもこれも同おな同おなおなじじじ御おん御おんおんはははららら、、、鷹司殿たかつかさどの鷹司殿たかつかさどのたかつかさどのののの御おん御おんおんむすめなりむすめなりむすめなり。。。寬弘くわんこう寬弘くわんこうかんこう九年くねん九年くねんくねんににに、、、內侍ないし內侍ないしないしのかみになりたまひてのかみになりたまひてのかみになりたまいて、、、後一條ごいちでう後一條ごいちでうごいちじょうノノノ院ゐん院ゐんいんくらゐのくらゐのくらいの御時おほんとき御時おほんときおおんとき、、、女御にようご女御にようごにょうごににに參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまふふう。。。
  22. 22寬仁くわんにん寬仁くわんにんかんにん二年にねん二年にねんにねん十月じふぐわつ十月じふぐわつじゅうがつににに、、、きさきにたちきさきにたちきさきにたち給たま給たまたまふふう。。。長元ちやうげん長元ちやうげんちょうげん九年くねん九年くねんくねんににに、、、御おん御おんおんぐしおろさせぐしおろさせぐしおろさせ給たま給たまたまふふう。。。同おな同おなおなじじじ九月くぐわつ九月くぐわつくがつにかくれさせにかくれさせにかくれさせ給たま給たまたまひにきひにきいにき。。。帝みかど帝みかどみかどははは四月しぐわつ四月しぐわつしがつにににうせさせうせさせうせさせ給たま給たまたまひひい。。。
  23. 23后きさき后きさききさきははは九月くぐわつ九月くぐわつくがつにかくれさせにかくれさせにかくれさせ給たま給たまたまひしひしいし、、、いといといと悲かな悲かなかなしかりししかりししかりし御事おほんこと御事おほんことおおんことぞかしぞかしぞかし。。。そのそのその御おん御おんおんはははてにてにてに、、、さはるさはるさわる事こと事ことこと有あ有あありてりてりて、、、江侍從がうじじゆう江侍從がうじじゆうごうじじゅう參まゐ參まゐまいらざりけるらざりけるらざりけるををを、、、人ひと人ひとひとののの、、、などまゐらざりしぞとなどまゐらざりしぞとなどまいらざりしぞと申まう申まうもうしたりければしたりければしたりければ、、、
  24. 24わがわがわが身み身みみにににははは悲かな悲かなかなしきしきしき事こと事ことことのつきせねばのつきせねばのつきせねば昨日きのふ昨日きのふきのうをををはははてとてとてと思おも思おもおもはざりけりはざりけりわざりけり
  25. 25とぞとぞとぞ聞き聞ききこえけるこえけるこえける。。。此こ此ここののの后きさき后きさききさきののの生う生ううみたてまつりみたてまつりみたてまつり給たま給たまたまへるへるえる姫宮ひめみや姫宮ひめみやひめみや、、、章しやう章しやうしょう子こ子ここノノノ內親王ないしんわう內親王ないしんわうないしんのうととと申まう申まうもうしゝしゝしし、、、二條にでう二條にでうにじょうノノノ院ゐん院ゐんいんととと申まう申まうもうすすす、、、このこのこの御事おほんこと御事おほんことおおんことなりなりなり。。。後冷泉ごれいぜい後冷泉ごれいぜいごれいぜいノノノ院ゐん院ゐんいん東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうにおはしましゝにおはしましゝにおわしましし時とき時ときとき、、、參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまひてひていて永承元年えいしようぐわんねん永承元年えいしようぐわんねんえいしょうがんねん七月しちぐわつ七月しちぐわつしちがつににに、、、中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうにたゝせにたゝせにたたせ給たま給たまたまふふう。。。
  26. 26治ぢ治ぢじ曆りやく曆りやくりやく四年よねん四年よねんよねん四月しぐわつ四月しぐわつしがつににに皇太后くわうたいこう皇太后くわうたいこうこうたいこうにあがらせにあがらせにあがらせ給たま給たまたまひきひきいき。。。內うち內うちうちににに參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまひてひていて、、、藤壺ふぢつぼ藤壺ふぢつぼふじつぼにおはしましけるににおはしましけるににおわしましけるに、、、故こ故ここ中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうののの、、、これにおはしましゝこれにおはしましゝこれにおわしましし事こと事ことことなどなどなど、、、思おも思おもおもひひい出い出いいだしてだしてだして、、、出羽いでは出羽いではいでわノノノ辨べん辨べんべんががが涙なみだ涙なみだなみだつゝみあへざりければつゝみあへざりければつつみあえざりければ、、、ノノノ三位さんみ三位さんみさんみ、、、
  27. 27しのびねのしのびねのしのびねの涙なみだ涙なみだなみだなかけそかくばかりせはしとなかけそかくばかりせはしとなかけそかくばかりせわしと思おも思おもおもふころのたもとにふころのたもとにうころのたもとに
  28. 28とよまれとよまれとよまれ侍はべ侍はべはべりければりければりければ、、、出羽いでは出羽いではいでわノノノ辨べん辨べんべん、、、
  29. 29春はる春はるはるののの日ひ日ひひにかへらざりせばいにしへのにかへらざりせばいにしへのにかえらざりせばいにしえの袂たもと袂たもとたもとながらやながらやながらや朽く朽くくちちちはははてなましてなましてなまし
  30. 30とぞとぞとぞ返かへ返かへかえししし侍はべ侍はべはべりけるりけるりける。。。
  31. 31ののの內親王ないしんわう內親王ないしんわうないしんのうととと申まう申まうもうすもすもすも、、、又また又またまた同おな同おなおなじじじ御おん御おんおんはははらにおはしますらにおはしますらにおわします。。。長元ちやうげん長元ちやうげんちょうげん四年よねん四年よねんよねんににに、、、賀茂かも賀茂かもかものいつきにてのいつきにてのいつきにて、、、同おな同おなおなじじじ九年くねん九年くねんくねんににに出い出いいでさせたまひてでさせたまひてでさせたまいて、、、永えい永えいえい承うけたまは承うけたまはうけたまわ六年ろくねん六年ろくねんろくねん十一月じふいちぐわつ十一月じふいちぐわつじゅういちがつ、、、後のち後のちのち三條さんでう三條さんでうさんじょうノノノ院ゐん院ゐんいん東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうにおはしましゝにおはしましゝにおわしましし、、、女御にようご女御にようごにょうごににに參まゐ參まゐまいらせたまひきらせたまひきらせたまいき。。。
  32. 32御おん御おんおんとしとしとし廿三にじふさん廿三にじふさんにじゅうさん、、、承うけたまは承うけたまはうけたまわ保ほう保ほうほう元年ぐわんねん元年ぐわんねんがんねん六月ろくぐわつ六月ろくぐわつろくがつ廿二日にじふににち廿二日にじふににちにじゅうににち、、、皇后宮くわうごうぐう皇后宮くわうごうぐうこうごうぐうにたちにたちにたち給たま給たまたまふふう。。。延の延のの久ひさ久ひさひさ五年ごねん五年ごねんごねん四月しぐわつ四月しぐわつしがつ廿一日にじふいちにち廿一日にじふいちにちにじゅういちにち、、、御おん御おんおんぐしおろさせぐしおろさせぐしおろさせ給たま給たまたまひしひしいし同おな同おなおなじじじ日ひ日ひひ、、、やがてやがてやがて同おな同おなおなじやうにならせじやうにならせじょうにならせ給たま給たまたまひしひしいし、、、いとあはれにいとあはれにいとあわれに、、、契ちぎ契ちぎちぎりりり申まう申まうもうさせさせさせ給たま給たまたまひけるひけるいける御おん御おんおんすぐせなりすぐせなりすぐせなり。。。
  33. 33后きさき后きさききさきののの位くらゐ位くらゐくらいはもはもはもとにかはらせとにかはらせとにかわらせ給たま給たまたまはずはずわず。。。入道にふだう入道にふだうにゅうどう殿どの殿どのどのののの第六だいろく第六だいろくだいろくののの君きみ君きみきみははは、、、後冷泉ごれいぜい後冷泉ごれいぜいごれいぜいノノノ院ゐん院ゐんいんののの御母おほんはは御母おほんははおおんははにおはしますにおはしますにおわします。。。みかどのみかどのみかどの御おん御おんおんついでについでについでに申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべりぬりぬりぬ。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

世継は、入道太政大臣(道長)の御栄えを申そうとして、そのことを詳しく申しましたので、その後のことから申すべきですが、水源がはっきりしないと流れがわかりにくいので、まず入道殿のご様子を、おおよそ申し上げましょう。

入道前太政大臣道長公は、大入道殿(兼家)の五男で、九条右大臣(師輔)の御孫です。一条院・三条院・後一条院の三代の関白(内覧・摂政)でいらっしゃいます。五十四歳で出家なさって、万寿四年十二月四日、六十二歳でお亡くなりになります。男君・女君が大勢いらっしゃいました。女君の第一は上東門院と申して、後一条院・後朱雀院の二代の帝の御母です。次に第二の御娘は三条院の中宮で妍子と申しました。陽明門院の御母です。第四の御娘は後一条院の中宮で威子と申します。二条院(章子内親王)と、後三条院の皇后宮(馨子内親王)との御母です。第六の君は後冷泉院の御母で、尚侍嬉子と申しました。これは皆鷹司殿(倫子)の腹です。男君たちは、長男は宇治の太政大臣(頼通)、次は二条殿(教通)で、これも同じ腹のご兄弟です。堀川右大臣(頼宗)・閑院の東宮大夫(能信)・無動寺の馬頭(顕信)・三条の民部卿(長家)の四人は、高松殿(明子)の腹の君たちです。この腹に女君がお二人いらっしゃいました。一人は、小一条院が東宮から院におなりになった方の女御として入内なさいました(寛子)。もう一人は土御門右大臣(師房)の北の方です(尊子)。昔も今も、これほどのお栄えはめったにないことでしょう。

上東門院は一条院の后で、二代の帝の御母です。そのご様子は先に詳しく申し上げました。次に妍子と申すのは、女院と同じご兄弟でいらっしゃいます。寛弘元年十一月に尚侍になられて、すぐに正四位下に叙されます。十二月に三位にお上りになります。七年正月に二位にのぼられて、同じ年の二月に、三条院が東宮と申し上げていた時の女御として入内なさいます。(三条院が)位におつきになって、寛弘八年八月に女御の宣旨をお受けになります。長和元年二月十四日、中宮にお立ちになります。帝が位をお退きになって、寛仁二年十月十六日、皇太后宮にお上りになります。万寿四年九月十四日、三十四歳で出家して、その日のうちにお亡くなりになりました。枇杷殿の皇太后宮と申します。隆家の帥が(大宰府に)下られた時、この宮から扇をお与えになるとて、

すゞしさはいきの松原まさるともそふる扇の風な忘れそ

この宮の腹に三条院の姫宮がいらっしゃいます。その宮は禎子内親王と申して、治安三年に一品の宮と申し上げます。万寿四年三月二十三日、後朱雀院が東宮と申し上げていた時に入内なさいました。御年十五でいらっしゃいました。帝が位におつきになって、皇后宮にお立ちになります。後に改めて中宮と申し上げました。帝のお話のついでにも一部申し上げました。後三条院の御母、陽明門院と申すのはこの方です。この女院の腹に女宮たちがいらっしゃいました。良子内親王といって、長元九年十一月二十八日に伊勢の斎宮と申し上げた方で、一品にお上りになりました。

次の姫宮は娟子内親王と申しました。長元九年十一月ごろ、賀茂の斎院と申し上げていましたが、退下なさった後、天喜五年ごろでしたでしょうか、九月ごろ、どこへともなく姿を消してしまわれたので、宮の内の人々はどうしたらよいかもわからずに日を送っていたところ、三条あたりの所に住んでいらっしゃるのでした。初めは人の扇に、一文字を男がお書きになったのを、女(娟子)が書き添えなさったので、男がまた見て一字添えなさり、互いに書き添えていくうちに、歌一首を書き上げてしまわれたことから心が通じて、「夢かうつつか」というようなこと(逢瀬)もあって、心を合わせなさったのでしょうか、(男が娟子を)背負い出し申し上げて、そのまま住まわれたのでした。男にはとがめがあるはずだなどと噂されたけれども、人柄の品格も身の才などもおありになって、世間も許して差し上げるほどだったのでしょうか。お二人で心を合わせていらしたからでしょうか、そのまま住まわれたのでした。男はその時は宰相中将などと申したとか。後には右大臣にまでおなりになりました。

入道殿の第四の御娘は、後一条院の中宮で威子と申し上げました。これも同じ腹、鷹司殿の御娘です。寛弘九年に尚侍になられて、後一条院の在位の時に女御として入内なさいます。寛仁二年十月に后にお立ちになります。長元九年に出家なさいます。同じ九月にお亡くなりになりました。帝は四月にお亡くなりになり、后は九月にお亡くなりになったのは、まことに悲しいことでした。その一周忌に、差し障りがあって江侍従が参らなかったのを、ある人が「どうして参らなかったのか」と申したので、

わが身には悲しき事のつきせねば昨日をはてと思はざりけり

と申しました。この后がお産みになった姫宮で、章子内親王と申し上げた方は、二条院と申し上げるこの方のことです。後冷泉院が東宮でいらした時に入内なさって、永承元年七月に中宮にお立ちになります。治暦四年四月に皇太后にお上りになりました。内裏に入られて藤壺にいらした時、故中宮(威子)がここにいらしたことなどを思い出して、出羽弁が涙をこらえきれずにいたので、大弐三位が、

しのびねの涙なかけそかくばかりせはしと思ふころのたもとに

と詠まれたので、出羽弁は、

春の日にかへらざりせばいにしへの袂ながらや朽ちはてなまし

と返しました。

馨子内親王と申すのも、また同じ腹でいらっしゃいます。長元四年に賀茂の斎院となって、同じ九年に退下なさって、永承六年十一月、後三条院が東宮でいらした時の女御として入内なさいました。御年二十三。承保元年六月二十二日、皇后宮にお立ちになります。延久五年四月二十一日、(後三条院が)出家なさった同じ日に、すぐに同じように(出家)なさったのは、まことにしみじみとした、契り合われたご宿縁です。后の位はもとのままお変わりになりませんでした。入道殿の第六の君は、後冷泉院の御母でいらっしゃいます。帝のお話のついでに申し上げました。

意訳

巻四から巻六「藤波」は、藤原氏の摂関家とその諸流の列伝である。語り手は、『大鏡』の世継がすでに道長の栄華を語ったことを断りつつ、「水上あらはれぬは流れのおぼつかなければ」と、源流としての道長から語り始める。章題の「藤波」は、藤原氏を藤の花の波にたとえた言葉。

道長の娘たちは、彰子・妍子・威子・嬉子と、次々に天皇・東宮の后妃となり、さらにその娘たち(禎子・章子・馨子)も后となった。語り手は「昔も今もかかる御栄えはありがたき」と、その栄華の大きさをたたえる。

中で異彩を放つのが、禎子の娘娟子内親王の話である。元斎院の娟子が、扇に一字ずつ書き添えて歌を詠み合ったことから源俊房と恋に落ち、背負われて駆け落ちしたという。物語のような恋愛譚を、語り手は「世もゆるし聞こゆるばかり」と寛容に記している。

語釈・文法注

大入道殿
藤原兼家(929〜990)。道長の父。摂政・関白。
九條の右のおとゞ
藤原師輔(908〜960)。兼家の父。右大臣。
鷹司殿
源倫子(964〜1053)。道長の正妻。左大臣源雅信の娘。
高松殿
源明子(?〜1049)。道長の妻。源高明の娘。
無動寺のうまのかみ
藤原顕信(994〜1027)。右馬頭のとき出家し、比叡山無動寺に住んだ。
三條の民部卿
藤原長家(1005〜1064)。御子左家の祖。
小一條ノ院とて
小一条院の女御となった道長の娘、寛子(999〜1025)。
隆家の帥
藤原隆家(979〜1044)。伊周の弟。大宰権帥として刀伊の入寇を撃退した。
いきの松原
筑前国の歌枕。生の松原。大宰府に下る隆家にちなむ。
批把殿
枇杷殿。妍子の御所。底本は「批把殿」と刷る。
良子ノ內親王
良子内親王(1029〜1077)。後朱雀天皇と禎子内親王の皇女。伊勢斎宮。
娟子ノ內親王
娟子内親王(1032〜1103)。賀茂斎院を退いたのち、源俊房と密通し、駆け落ちした。
男
源俊房。師房の子。のちに左大臣(底本は「右のおとど」)。
大貳ノ三位
大弐三位。紫式部の娘、藤原賢子。後冷泉天皇の乳母。
馨子の內親王
馨子内親王(1029〜1093)。後一条天皇と威子の皇女。後三条天皇の皇后。

文法

水上あらはれぬは
「水上」は水源。源がはっきりしないと流れ(子孫)がわかりにくい、というたとえ。
負ひ出だしたてまつりて
背負って連れ出し申し上げて。『伊勢物語』六段の芥川の話を思わせる。
批把殿
底本の表記のまま。「枇杷殿」。

和歌

すゞしさはいきの松原まさるともそふる扇の風な忘れそ

詠者
皇太后妍子
状況
大宰権帥として筑紫に下る藤原隆家に扇を与えたときの歌。

修辞

掛詞
「いき」に地名の「生の松原」と「行き」をかける。

わが身には悲しき事のつきせねば昨日をはてと思はざりけり

詠者
江侍従
状況
中宮威子の一周忌に参らなかったわけを問われて詠んだ歌。

修辞

掛詞
「はて」に一周忌の「果て」と、悲しみの「果て」をかける。

しのびねの涙なかけそかくばかりせはしと思ふころのたもとに

詠者
大弐三位
状況
章子内親王が藤壺に入り、亡き威子をしのんで涙する出羽弁に詠みかけた歌。

春の日にかへらざりせばいにしへの袂ながらや朽ちはてなまし

詠者
出羽弁
状況
大弐三位の歌への返し。

修辞

反実仮想
「せば…まし」。春の日(章子の入内)に返らなかったら、昔の涙の袂のまま朽ちてしまっただろう。

解説

今鏡の列伝の部(巻四〜巻八)は、『大鏡』の大臣列伝にならうものだが、政治家としての事績よりも、人物の逸話や和歌を中心に描く点に特徴がある。

娟子内親王と源俊房の駆け落ちは、康平元年(1058)ごろのことで、『栄花物語』にも見える。俊房は一時勅勘を受けたが、のちに左大臣に至った。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、133〜139頁(コマ81–84)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日