古典ライブラリー

今鏡 第三「すべらぎの下」 第26章

花園のにほひ

二条天皇は、母を早く失い、美福門院に養われて仁和寺で学んだ。美福門院の養子として東宮・天皇となり、末世の賢王とたたえられたが、二十三歳で病に倒れ、幼い六条天皇に譲位して崩じた。六条天皇はわずか二歳で即位した。

  1. 1そのみかどのそのみかどのそのみかどの御母おほんはは御母おほんははおおんはは、、、生う生ううみおきみおきみおき奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまひてひていて、、、うせうせうせ給たま給たまたまひにしよりひにしよりいにしより、、、鳥羽とば鳥羽とばとばののの女院にようゐん女院にようゐんにょういん養やしな養やしなやしなひたてまつりひたてまつりいたてまつり給たま給たまたまひてひていて、、、幼をさな幼をさなおさなくおはしましゝくおはしましゝくおわしましし時とき時ときときははは、、、仁和寺にんわじ仁和寺にんわじにんなじにおはしましてにおはしましてにおわしまして、、、ののの宮みや宮みやみやののの御弟子おほんでし御弟子おほんでしおおんでしにてにてにて、、、ノノノ頌しよう頌しようしょうなどなどなど、、、さとくさとくさとく讀よ讀よよませたまひてませたまひてませたまいて、、、ぢく〳〵ぢく〳〵じくじく讀よ讀よよみつくさせみつくさせみつくさせ給たま給たまたまひてひていて、、、そのこゝろそのこゝろそのこころ說と說とときあらはせるきあらはせるきあらわせるふみどもふみどもふみどもをををさへさへさへ、、、傳つた傳つたつたへへえうけさせうけさせうけさせ給たま給たまたまひてひていて、、、智惠ちゑ智惠ちゑちえ深ふか深ふかふかくおはしましけりくおはしましけりくおわしましけり。。。
  2. 2院ゐん院ゐんいん位くらゐ位くらゐくらいににに卽つ卽つつかせかせかせ給たま給たまたまひしかばひしかばいしかば、、、當今たうぎん當今たうぎんとうぎんののの一いち一いちいちののの宮みや宮みやみやにておはしますにておはしますにておわします上うへ上うへうえににに、、、美福門院びふくもんゐん美福門院びふくもんゐんびふくもんいんののの御養おほんやしな御養おほんやしなおおんやしなひひい子こ子ここにてにてにて、、、近衞こんゑ近衞こんゑこんえのみかどののみかどののみかどの御おん御おんおんかはりともおぼしめしてかはりともおぼしめしてかわりともおぼしめして、、、このこのこの宮みや宮みやみやににに位くらゐ位くらゐくらいをもをもをも讓ゆづ讓ゆづゆずらせらせらせ給たま給たまたまへらんとへらんとえらんと、、、計はか計はかはからはせらはせらわせ給たま給たまたまひければひければいければ、、、都みやこ都みやこみやこへへへかへりかへりかえり出い出いいでさせでさせでさせ給たま給たまたまひてひていて、、、みこのみやみこのみやみこのみや、、、たからのたからのたからの位くらゐ位くらゐくらいなどなどなど、、、傳つた傳つたつたへさせへさせえさせ給たま給たまたまへりきへりきえりき。。。
  3. 3末すゑ末すゑすえののの世よ世よよのののにおはしますとこそにおはしますとこそにおわしますとこそ、、、うけうけうけ給たま給たまたまはははりしかりしかりしか。。。御心みこころ御心みこころみこころばへもばへもばえも深ふか深ふかふかくおはしましくおはしましくおわしまし、、、動うご動うごうごかしかしかし難がた難がたがたくなむおはしましけるくなむおはしましけるくなむおわしましける。。。廿三にじふさん廿三にじふさんにじゅうさんにおはしましゝにおはしましゝにおわしましし御年おほんとし御年おほんとしおおんとし、、、御病おほんやまひ御病おほんやまひおおんやまい重おも重おもおもくてくてくて、、、若宮わかみや若宮わかみやわかみやにゆづりにゆづりにゆずり申まう申まうもうさせさせさせ給たま給たまたまひてひていて、、、幾いく幾いくいくばくもおはしまさゞりきばくもおはしまさゞりきばくもおわしまさざりき。。。
  4. 4よきよきよき人ひと人ひとひとははは、、、時世ときよ時世ときよときよにもあはせにもあはせにもあわせ給たま給たまたまはははででで、、、久ひさ久ひさひさしくもおはしまさゞりけるにやしくもおはしまさゞりけるにやしくもおわしまさざりけるにや。。。末すゑ末すゑすえののの世よ世よよ、、、いとくちをしくいとくちをしくいとくちおしく、、、みかどのみかどのみかどの御位おほんくらゐ御位おほんくらゐおおんくらいははは限かぎ限かぎかぎりあるりあるりある事こと事ことことなれどなれどなれど、、、あまりあまりあまり世よ世よよををを疾と疾ととくくく受う受ううけけけ取と取ととりておはしましけるにやりておはしましけるにやりておわしましけるにや。。。
  5. 5又また又またまた太上天皇だいじやうてんわう太上天皇だいじやうてんわうだいじょうてんのう朝あした朝あしたあしたにのぞませにのぞませにのぞませ給たま給たまたまふふう、、、常つね常つねつねののの事こと事ことことなるになるになるに、、、御心みこころ御心みこころみこころにもかなはせにもかなはせにもかなわせ給たま給たまたまはずはずわず、、、世よ世よよのみだれのみだれのみだれ直なほ直なほなおさせさせさせ給たま給たまたまふふう程ほど程ほどほどといひながらといひながらといいながら、、、あまりにあまりにあまりに侍はべ侍はべはべりけるにやりけるにやりけるにや。。。
  6. 6善よ善よよくおはしましゝみかどとてくおはしましゝみかどとてくおわしまししみかどとて、、、世よ世よよももも惜をし惜をしおしみみみ奉たてまつ奉たてまつたてまつるときこえるときこえるときこえ侍はべ侍はべはべりりり。。。ノノノ院ゐん院ゐんいんとぞとぞとぞ申まう申まうもうすなるすなるすなる。。。古ふる古ふるふるききき后きさき后きさききさきののの御名みな御名みなみななれどなれどなれど、、、をとこをとこおとこ女をんな女をんなおんなかはらせかはらせかわらせ給たま給たまたまへればへればえれば、、、混まが混まがまがはははせせせ給たま給たまたまふまじきなるべしふまじきなるべしうまじきなるべし。。。されどされどされど同おな同おなおなじじじ御名みな御名みなみなははは古ふる古ふるふるくもくもくも侍はべ侍はべはべらぬにやらぬにやらぬにや。。。
  7. 7此こ此ここのみかどののみかどののみかどの御母おほんはは御母おほんははおおんははははは大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごん經實つねざね經實つねざねつねざねののの御おん御おんおんむすめむすめむすめ、、、そのそのその御母おほんはは御母おほんははおおんはは、、、東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐう大夫だいぶ大夫だいぶだいぶののの御おん御おんおんむすめなりむすめなりむすめなり。。。そのそのその大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんののの中なか中なかなかののの君きみ君きみきみははは、、、ののの右みぎ右みぎみぎのおとゞののおとゞののおとどの北きた北きたきたののの方かた方かたかたなればなればなれば、、、あねのあねのあねの姫宮ひめみや姫宮ひめみやひめみやををを子こ子ここにしてにしてにして、、、院ゐん院ゐんいんののの今いま今いまいま宮みや宮みやみやとておはしましゝにとておはしましゝにとておわしまししに、、、たてまつられたりしなりたてまつられたりしなりたてまつられたりしなり。。。
  8. 8このみかどこのみかどこのみかど、、、生う生ううみおきみおきみおき奉たてまつ奉たてまつたてまつりてりてりてうせたまひにきうせたまひにきうせたまいにき。。。后きさき后きさききさきののの位くらゐ位くらゐくらい贈おく贈おくおくられられられ給たま給たまたまひてひていて、、、贈ぞう贈ぞうぞう皇太后宮くわうたいこうぐう皇太后宮くわうたいこうぐうこうたいこうぐうととと申まう申まうもうすなるべしすなるべしすなるべし。。。御おん御おんおんおやのおやのおやの按察大納言あぜちのだいなごん按察大納言あぜちのだいなごんあぜちのだいなごんももも、、、おほきおとゞおほきおとゞおおきおとど、、、おほきおほきおおき一ひと一ひとひとつのつのつの位くらゐ位くらゐくらいおくられおくられおくられ給たま給たまたまへるとなむうけへるとなむうけえるとなむうけ給たま給たまたまはるはるわる。。。
  9. 9さるさるさる事こと事ことことやあらんともやあらんともやあらんとも知し知ししらでらでらで、、、うせうせうせ給たま給たまたまひにしかどもひにしかどもいにしかども、、、やんごとなきやんごとなきやんごとなき位くらゐ位くらゐくらいそへられそへられそえられ給たま給たまたまへりへりえり。。。御末おほんすゑ御末おほんすゑおおんすえののの盛さか盛さかさかりなるべしりなるべしりなるべし。。。はかなくてはかなくてはかなくて、、、消き消ききえさせえさせえさせ給たま給たまたまひにしひにしいにし露つゆ露つゆつゆののの御命おほんいのち御命おほんいのちおおんいのちももも、、、后贈きさきおく后贈きさきおくきさきおくられられられ給たま給たまたまへばへばえば、、、いきていきていきて成な成ななりりり給たま給たまたまへるもへるもえるも昔むかし昔むかしむかしがたりになりぬればがたりになりぬればがたりになりぬれば、、、殘のこ殘のこのこりりり給たま給たまたまふふう御名みな御名みなみなははは、、、同おな同おなおなじじじ事こと事ことことなるべしなるべしなるべし。。。
  10. 10彼か彼かかののの讓ゆづ讓ゆづゆずられておはしましゝみかどられておはしましゝみかどられておわしまししみかどははは、、、ととと申まう申まうもうしてしてして、、、まだまだまだ幼をさな幼をさなおさなくてくてくて、、、太上天皇だいじやうてんわう太上天皇だいじやうてんわうだいじょうてんのうとておはしますとておはしますとておわします也なり也なりなり。。。二條にでう二條にでうにじょうノノノ院ゐん院ゐんいんののの御子みこ御子みこみこ、、、ふたりふたりふたりおはしますなるおはしますなるおわしますなる御中おほんなか御中おほんなかおおんなかににに、、、第二だいに第二だいにだいにのみこにおはしますなるべしのみこにおはしますなるべしのみこにおわしますなるべし。。。
  11. 11御母おほんはは御母おほんははおおんははこと〴〵にこと〴〵にことごとに聞き聞ききこえさせこえさせこえさせ給たま給たまたまひきひきいき。。。このこのこの帝みかど帝みかどみかどののの御母おほんはは御母おほんははおおんはは、、、德大寺とくだいじ德大寺とくだいじとくだいじののの左大臣さだいじん左大臣さだいじんさだいじんののの御おん御おんおんむすめとむすめとむすめと申まう申まうもうすめりしもすめりしもすめりしも、、、うるはしきうるはしきうるわしき女御にようご女御にようごにょうごなどになどになどに、、、參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまへるにあらでへるにあらでえるにあらで、、、忍しの忍しのしのびてびてびて僅わづか僅わづかわずかににに參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまへるなるべしへるなるべしえるなるべし。。。
  12. 12さればさればされば、、、たしかにもえうけたしかにもえうけたしかにもようけ給たま給たまたまはははりりり侍はべ侍はべはべらずらずらず。。。帝みかど帝みかどみかど尋たづ尋たづたずねいでねいでねいで奉たてまつ奉たてまつたてまつりてりてりて後のち後のちのち、、、中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐう養やしな養やしなやしなひひい奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまひてひていて、、、母后ははきさき母后ははきさきははきさきにおはしますなりにおはしますなりにおわしますなり。。。永えい永えいえい萬よろづ萬よろづよろず元年ぐわんねん元年ぐわんねんがんねん六月ろくぐわつ六月ろくぐわつろくがつ廿五日にじふごにち廿五日にじふごにちにじゅうごにち、、、位くらゐ位くらゐくらいににに卽つ卽つつかせかせかせ給たま給たまたまふふう。。。
  13. 13御おん御おんおんとしとしとし二ふた二ふたふたつつつ、、、世よ世よよをををたもたせたもたせたもたせ給たま給たまたまふふう事こと事ことこと三年さんねん三年さんねんさんねんにやおはしますらむにやおはしますらむにやおわしますらむ。。。一院いちゐん一院いちゐんいちいんおぼしめしおきつるおぼしめしおきつるおぼしめしおきつる事こと事ことことにてにてにて、、、東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうににに位くらゐ位くらゐくらいををを讓ゆづ讓ゆづゆずりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまひてひていて、、、まだまだまだ、、、幼をさな幼をさなおさなくおはしますにくおはしますにくおわしますに、、、太上天皇だいじやうてんわう太上天皇だいじやうてんわうだいじょうてんのうととと申まう申まうもうすもすもすも、、、いとやんごとなしいとやんごとなしいとやんごとなし。。。
  14. 14御年おほんとし御年おほんとしおおんとし二ふた二ふたふたつにてつにてつにて、、、位くらゐ位くらゐくらいにつかせにつかせにつかせ給たま給たまたまふふう事こと事ことこと、、、これやこれやこれや初はじ初はじはじめにておはしますらんめにておはしますらんめにておわしますらん。。。近衞こんゑ近衞こんゑこんえののの帝みかど帝みかどみかどははは、、、三み三みみつにてつにてつにて初はじ初はじはじめてめてめて卽つ卽つつかせかせかせ給たま給たまたまふとふとうと申まう申まうもうしゝもしゝもししも、、、はじめたるはじめたるはじめたる事こと事ことこととこそとこそとこそうけたまはりしかうけたまはりしかうけたまわりしか。。。
  15. 15多おほ多おほおおくくくははは五いつ五いついつつなどにてぞつなどにてぞつなどにてぞ卽つ卽つつかせかせかせ給たま給たまたまふふう、、、からからから國くに國くにくににににははは、、、一ひと一ひとひとつなるつなるつなる例れい例れいれいもおはしましけりとかもおはしましけりとかもおわしましけりとか聞き聞ききこえきこえきこえき。。。
  16. 16このみかどのこのみかどのこのみかどの御母おほんはは御母おほんははおおんはは、、、いまのいまのいまの中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐう子こ子ここととと申まう申まうもうしてしてして、、、法性寺ほふしやうじ法性寺ほふしやうじほっしょうじののの入道にふだう入道にふだうにゅうどう、、、前さき前さきさきのおほきおとゞののおほきおとゞののおおきおとどの御おん御おんおんむすめにおはしますむすめにおはしますむすめにおわします。。。前さき前さきさきののの上うへ上うへうえ野の野のののかみのかみのかみ源げん源げんげんノノノ顯俊あきとし顯俊あきとしあきとしのむすめののむすめののむすめの御腹おほんはら御腹おほんはらおおんはらとなんとなんとなん。。。
  17. 17みかどのみかどのみかどの誠まこと誠まことまことののの御母おほんはは御母おほんははおおんははののの事こと事ことことははは、、、さきにさきにさきに申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべりぬりぬりぬ。。。このこのこの中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐう、、、二條にでう二條にでうにじょうのみかどおはしまさねどものみかどおはしまさねどものみかどおわしまさねども、、、今いま今いまいまのこくもとてのこくもとてのこくもとて、、、猶なほ猶なほなお內うち內うちうちにおはしませばにおはしませばにおわしませば、、、昔むかし昔むかしむかしにかはれるにかはれるにかわれる事こと事ことことなくなむなくなむなくなむ、、、おはしましけるおはしましけるおわしましける。。。
  18. 18臨時りんじ臨時りんじりんじののの祭まつり祭まつりまつりののの四位しゐ四位しゐしいのののににに、、、ときこゆるときこゆるときこゆる人ひと人ひとひと、、、催もよほ催もよほもよおしいだされてしいだされてしいだされて、、、參まゐ參まゐまいられたりけるにられたりけるにられたりけるに、、、先帝せんだい先帝せんだいせんだいののの御時おほんとき御時おほんときおおんときははは雲くも雲くもくもののの上人うへびと上人うへびとうえびとなりけれどなりけれどなりけれど、、、このこのこの世よ世よよにににははは、、、まだまだまだ殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうもせねばもせねばもせねば、、、たちやすらひてたちやすらひてたちやすらいて、、、北きた北きたきたののの陣ぢん陣ぢんじんののの方かた方かたかたにめぐりてにめぐりてにめぐりて、、、后きさき后きさききさきののの宮みや宮みやみやのおはしますのおはしますのおわします、、、御おん御おんおんたちのたちのたちの町まち町まちまちなどなどなど見み見みみるにるにるに、、、またまたまた殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうのかたざまへのかたざまへのかたざまえ參まゐ參まゐまいりてりてりて、、、遙はる遙はるはるかにかにかに見み見みみわたしなどしけるにもわたしなどしけるにもわたしなどしけるにも、、、昔むかし昔むかしむかしにかはりたるにかはりたるにかわりたる事こと事ことこともなくもなくもなく、、、馴な馴ななれならひたりしれならひたりしれならいたりし人ひと人ひとひとどものどものどもの見み見みみえければえければえければ、、、后きさき后きさききさきののの御方おほんかた御方おほんかたおおんかたののの人ひと人ひとひとににに、、、物もの物ものものなどなどなど申まう申まうもうしけるついでにしけるついでにしけるついでに、、、檜扇ひあふぎ檜扇ひあふぎひおうぎののの、、、片かた片かたかたつまつまつまををを折を折をおりてかきつけてりてかきつけてりてかきつけて、、、ごたちのごたちのごたちの中なか中なかなかににに申まう申まうもうしいれさせけるしいれさせけるしいれさせける。。。
  19. 19むかしむかしむかし見み見みみしししのかけはしかはらねどのかけはしかはらねどのかけわしかわらねど我わ我わわががが身一みひと身一みひとみひとつのとだえつのとだえつのとだえ也なり也なりなりけりけりけり」」」
  20. 20いとやさしくいとやさしくいとやさしく侍はべ侍はべはべるるる事こと事ことことときこえときこえときこえ侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

その帝(二条)の御母が、お産みになってお亡くなりになってから、鳥羽の女院(美福門院)が養育なさって、幼くていらした時は仁和寺にいらっしゃって、五の宮(覚性法親王)の御弟子として、倶舎の頌などを賢くお読みになり、軸ごとに読み尽くされて、その意味を説き明かした書物まで伝え受けられて、智慧が深くていらっしゃいました。院(後白河)が位におつきになったので、今上の第一皇子でいらっしゃる上に、美福門院の御養子として、近衛天皇の御代わりともお思いになって、この宮に位をも譲らせようとお計らいになったので、都へ帰り出られて、東宮の位、帝の位などをお伝えになりました。末世の賢王でいらっしゃると承りました。お心ばえも深くていらして、揺るがしがたくていらっしゃいました。二十三歳でいらした御年に、御病気が重くて、若宮(六条)に位をお譲りになって、いくらも生きていらっしゃいませんでした。よい人は時世にも恵まれず、長くも生きていらっしゃらなかったのでしょうか。末世はまことに残念で、帝の位は限りのあることだけれども、あまりにも早く世を受け取っていらしたからでしょうか。また太上天皇が朝政に臨まれるのは常のことなのに、(院とは)お心も合わず、世の乱れを直される時とはいいながら、度が過ぎていたのでしょうか。よくいらした帝だということで、世も惜しみ申し上げていると聞きます。二条院と申し上げるそうです。古い后の御名(二条院章子内親王)だけれども、男と女で違っていらっしゃるので、混同されることはないでしょう。けれども同じ御名で、それほど古い時代の方でもないのに。

この帝の御母は大納言経実の御娘で、その御母は東宮大夫公実の御娘です。その大納言の次女は花園右大臣(有仁)の北の方なので、姉の姫君を養女にして、院(後白河)が今宮と申し上げていらした時に差し上げられたのです。この帝をお産みになってお亡くなりになりました。后の位を追贈されて、贈皇太后宮懿子と申し上げるのでしょう。御父の按察大納言(経実)も太政大臣・正一位を追贈されたと承っています。そんなこともあろうとは知らずに亡くなられたけれども、尊い位を加えられたのです。御子孫の盛りなのでしょう。はかなく消えてしまわれた露の御命も、后の位を追贈されたので、生きて后になられた方も昔語りになってしまえば、残る御名は同じことでしょう。あの(位を)譲られていらした帝は、新院と申し上げて、まだ幼くて太上天皇でいらっしゃるのです。二条院の御子は二人いらっしゃるうち、第二皇子でいらっしゃるのでしょう。御母はそれぞれ別と申しました。この帝の御母は徳大寺左大臣(実能)の御娘と申すようでしたが、正式の女御などとして入内なさったのではなく、ひそかにわずかに参られた方なのでしょう。ですから、確かにはお聞きしておりません。帝が探し出されて後、中宮(育子)が養育なさって、母后でいらっしゃるのです。永万元年六月二十五日に位におつきになります。御年二歳。世を保たれたのは三年でいらっしゃったでしょうか。一院(後白河)がお考えになっていたことで、東宮に位をお譲りになって、まだ幼くていらっしゃるのに、太上天皇と申し上げるのも、まことに尊いことです。御年二歳で位におつきになることは、これが初めてでいらっしゃるでしょう。近衛天皇が三歳で初めて即位なさったと申したのも、初めてのことと承りました。多くは五歳などで即位なさいます。唐の国には一歳の例もあったとか聞きました。

この帝の御母(准母)は、今の中宮育子と申して、法性寺入道前太政大臣(忠通)の御娘でいらっしゃいます。前上野守源顕俊の娘を母とするそうです。帝の本当の御母のことは、先に申しました。この中宮は、二条天皇がいらっしゃらなくなっても、今の国母として、なお内裏にいらっしゃるので、昔と変わることなくいらっしゃいました。臨時の祭の四位の陪従に、清輔と申す人が召し出されて参ったところ、先帝の御時は殿上人だったけれども、この御代にはまだ昇殿もしていないので、ためらって、北の陣の方に回って、后の宮のいらっしゃる、女房たちの局町などを見ると、また殿上の方へ参って、遠くから見わたしなどしたにつけても、昔と変わったこともなく、慣れ親しんだ人たちが見えたので、后の御方の人に何か申したついでに、檜扇の片端を折って書きつけて、女房たちの中に差し入れさせた歌、

むかし見し雲のかけはしかはらねど我が身一つのとだえ也けり

たいそう優雅なことと聞きました。

意訳

二条天皇は、母懿子を生後まもなく失い、美福門院に養われ、仁和寺の覚性法親王のもとで仏典を学んだ。美福門院の養子として東宮となり、即位した。語り手は「末の世の賢王」とたたえ、父後白河院と対立しながら親政を志したことを、「御心にもかなはせ給はず」と遠回しに記している。

二条天皇は永万元年(1165)、二十三歳で病のため、二歳の皇子(六条天皇)に譲位し、まもなく崩じた。母懿子に后の位が追贈されたことについて、語り手は、生きて后になった人も死後は昔語りになるのだから、残る名は同じだと慰めている。章題の「花園のにほひ」は、母方の花園左大臣有仁の家にちなむ。

最後に、二条天皇の中宮育子のもとを訪れた藤原清輔の歌が引かれる。先帝の時には殿上人だったのに、新帝のもとでは昇殿を許されていない我が身の不遇を、「雲のかけはし」の途絶えにたとえて詠んだ優雅な歌である。

語釈・文法注

五の宮
覚性法親王。鳥羽院の第五皇子で仁和寺の門跡。
倶舍ノ頌
『倶舎論』の偈頌。仏教の基礎教学。
末の世の賢王
末世にすぐれた天皇。二条天皇は政治に熱心で、後白河院の院政に対抗して親政を行った。
二條ノ院
二条天皇の院号。後冷泉天皇の中宮章子内親王も二条院と呼ばれた(第3章)。
東宮大夫公實
藤原公実。第14章参照。
花園の右のおとゞ
源有仁。
懿子
藤原懿子。二条天皇の母。
新院
六条院。二条天皇の第二皇子。母は伊岐致遠の娘(徳大寺実能の娘とする説もある)。
中宮育子
藤原育子(1146〜1173)。忠通の娘(実は藤原実能の娘とも)。二条天皇の中宮で、六条天皇の准母。
淸輔
藤原清輔(1104〜1177)。歌人・歌学者。顕輔の子。『袋草紙』の著者。
陪從
神楽の楽人。臨時の祭で地下の楽人を務める。
局町
女房の局(部屋)が並ぶ所。
雲のかけはし
宮中の階段。昇殿の道のたとえ。

文法

ぢく〳〵
軸ごとに。一巻ずつ。
混はせ給ふまじきなるべし
「まがふ」に尊敬の「せ給ふ」。混同されることはないであろう。
なさけ多く
ここでは「いとやさしく」。

和歌

むかし見し雲のかけはしかはらねど我が身一つのとだえ也けり

詠者
藤原清輔
状況
先帝二条天皇の時は殿上人だったが、六条天皇の御代にはまだ昇殿を許されていない身で、臨時の祭に陪従として参り、中宮育子の女房に贈った歌。

修辞

見立て
「雲のかけはし」に、宮中の階段(昇殿)をたとえる。
対比
昔と変わらない宮中と、自分だけが途絶えた身とを対比する。

解説

六条天皇は二歳で即位し、五歳で叔父の高倉天皇に譲位した。今鏡成立時には、まだ幼い上皇(新院)であった。語り手が「今の世の事は憚り多かる」と言いながら語るのは、現に生きている人々のことだからである。

藤原清輔の歌は『新古今和歌集』にも採られている。今鏡は、華やかな宮廷の陰に不遇をかこつ歌人の姿も書き留めている。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、126〜130頁(コマ78–80)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日