今鏡 第三「すべらぎの下」 第20章
男山
巻三「すべらぎの下」の始まり。鳥羽院は藤原長実の娘得子(美福門院)を寵愛し、二人の皇女ののち、石清水の般若会などの祈りのかいあって保延五年に皇子(近衛天皇)が生まれる。皇子は崇徳天皇の養子として東宮に立ち、三歳で即位した。
- 1鳥羽鳥羽とばののの帝帝みかど、、、御位御位おおんくらいののの御時御時おおんときよりよりより、、、參參まいりたまへりしきさきりたまへりしきさきりたまえりしきさきははは、、、御子御子みこたちあまたたちあまたたちあまた生生うみみみ奉奉たてまつりてりてりて、、、位位くらいおりさせたまひしかばおりさせたまひしかばおりさせたまいしかば、、、女院女院にょういんととと申申もうしておはしましきしておはしましきしておわしましき。。。
- 2法皇法皇ほうおうののの養養やしなひたてまつりてひたてまつりていたてまつりて、、、はたもてかしづきはたもてかしづきはたもてかしずき給給たまひしにひしにいしに、、、法皇法皇ほうおうおはしまさでおはしまさでおわしまさで後後のち、、、のきさきのきさきのきさき參參まいりりり給給たまひてひていて、、、御御おんかた〴〵いどましげなれどもかた〴〵いどましげなれどもかたがたいどましげなれども、、、院院いんにににはははいづいづいず方方かたにもにもにも、、、うときやうにてのみうときやうにてのみうときょうにてのみ、、、おはしましゝにおはしましゝにおわしまししに、、、しのびてしのびてしのびて參參まいりりり給給たまへるへるえる御方御方おおんかたおはしましておはしましておわしまして、、、やゝやゝやや朝朝あさまつりごともまつりごともまつりごとも怠怠おこたらせらせらせ給給たまふさまにてふさまにてうさまにて、、、夜夜よがれさせがれさせがれさせ給給たまふふう事事ことなかるべしなかるべしなかるべし。。。
- 3いとやんごとなきいとやんごとなきいとやんごとなき際際きわにににはははあらねどあらねどあらねど、、、にてにてにて御親御親おおんおやはははおはしけるにおはしけるにおわしけるに、、、母北母北はわきたののの方方かたははは、、、源氏源氏げんじののの堀河堀河ほりかわのおとゞののおとゞののおとどの女女おんなにおはしけるにおはしけるにおわしける上上うえににに、、、類類たぐひなくかしづきひなくかしづきひなくかしずき聞聞きこえてえてえて、、、たゞたゞただ人人ひとにににはははえゆるさじとえゆるさじとえゆるさじと、、、もてあつかはれけるもてあつかはれけるもてあつかわれける程程ほどににに、、、中納言中納言ちゅうなごんかくれかくれかくれ侍侍はべりけるりけるりける後後のち、、、院院いんににに元元もとよりおぼしめしつゝよりおぼしめしつゝよりおぼしめしつつ過過すぐしぐしぐし給給たまひけんひけんいけん。。。
- 4かのかのかの父父ちちののの御忌御忌おおんいみなどなどなど過過すぎけるまゝにぎけるまゝにぎけるままに、、、しのびてしのびてしのびて御消息御消息おおんしょうそこ有有ありてりてりて、、、かくれつゝかくれつゝかくれつつ參參まいりりり給給たまひけるひけるいけるほどにほどにほどに、、、日日ひにそへてにそへてにそえて類類たぐひなきひなきひなき御志御志おおんこころざしにてにてにて、、、ときめきときめきときめき給給たまふふうほどにほどにほどに、、、たゞならぬたゞならぬただならぬ事事ことさへおはしければさへおはしければさえおわしければ、、、御祈御祈おおんいのりりりおどろ〳〵しきまでおどろ〳〵しきまでおどろおどろしきまで、、、かた〴〵せさせかた〴〵せさせかたがたせさせ給給たまふふう程程ほどににに、、、うみたてまつらせうみたてまつらせうみたてまつらせ給給たまへればへればえれば、、、珍珍めずらしきらしきらしきをばをばをば喜喜よろこびながらびながらびながら、、、男男おとこにおはしまさぬにおはしまさぬにおわしまさぬをぞをぞをぞ、、、くちをしうおぼしめしたるにくちをしうおぼしめしたるにくちおしゅうおぼしめしたるに、、、又又まと生生うみたてまつりみたてまつりみたてまつり給給たまへるもへるもえるも、、、同同おなじさまなればじさまなればじさまなれば、、、まめやかにくちをしうおぼしめしたれどまめやかにくちをしうおぼしめしたれどまめやかにくちおしゅうおぼしめしたれど、、、さすがさすがさすが、、、いかゞはせんにていかゞはせんにていかがわせんにて、、、おはしますなるべしおはしますなるべしおわしますなるべし。。。
- 5姉宮姉宮あねみやをばをばをば宇治宇治うじのきさきのきさきのきさき、、、御子御子みこおはしまさぬにあはせておはしまさぬにあはせておわしまさぬにあわせて、、、きおとゞのきおとゞのきおとどの御心御心みこころとゞむとにやとゞむとにやとどむとにや。。。このこのこの宮宮みやにむかへにむかへにむかえ申申もうさせたまひてさせたまひてさせたまいて、、、養養やしなひひい申申もうさせさせさせ給給たまふふう。。。
- 6後後のちににに生生うまれさせまれさせまれさせ給給たまへるへるえるをばをばをば、、、院院いんにみづからにみづからにみずから養養やしなひたてまつりひたてまつりいたてまつり給給たまふふう。。。御母御母おおんははきさききさききさき、、、しばししばししばしはははあのあのあの御方御方おおんかたなどなどなど申申もうしておはしましゝしておはしましゝしておわしましし程程ほどににに、、、三位三位さんみのくらゐそへさせのくらゐそへさせのくらいそえさせ給給たまひてひていて、、、このこのこの御事御事おおんことをををのみのみのみ類類たぐひなきひなきひなき御御おんもてなしなればもてなしなればもてなしなれば、、、世世よののの人人ひとならびなくならびなくならびなく見見みたてまつれるにたてまつれるにたてまつれるに、、、又又またたゞならぬたゞならぬただならぬ事事ことおはしませばおはしませばおわしませば、、、此此こののの度度たびさへさへさえ、、、うちつゞかせうちつゞかせうちつづかせ給給たまはんもはんもわんも、、、くちをしきくちをしきくちおしき上上うえににに、、、おぼしめしおぼしめしおぼしめしはははからふからふからう事事ことやあらむやあらむやあらむ。。。
- 7をとこをとこおとこ宮生宮生みやうみたてまつりみたてまつりみたてまつり給給たまふべきふべきうべき御祈御祈おおんいのりりり、、、いひしらずいひしらずいいしらず營營いとなませませませ給給たまふふう。。。石淸水石淸水いわしみずににになどいひてなどいひてなどいいて、、、山山やま三井寺三井寺みいでらなどのなどのなどの、、、やんごとなきやんごとなきやんごとなき智慧智慧ちえ深深ふかききき僧僧そうどもどもども參參まいりゐてりゐてりいて、、、日日ひごろごろごろ法文法文ほうもんのそこのそこのそこをををきききはははめてめてめて、、、行行おこなはせはせわせ給給たまふふう。。。
- 8ノノノ中納言中納言ちゅうなごんといふといふという人人ひと、、、御後見御後見おおんうしろみにてにてにて、、、都都みやこののの事事ことももも大事大事だいじなれどなれどなれど、、、かのかのかの宮宮みやににに日日ひごろごろごろ籠籠こもりてりてりて、、、御御おんかはりにやかはりにやかわりにや。。。日毎日毎ひごとににに、、、束帶束帶そくたいにてにてにて御講催御講催みこうもよおししし行行おこなはれけるはれけるわれけるををを、、、わわわれも〳〵とれも〳〵とれもれもと御法御法みのりときてときてときて、、、祈祈いのりりり申申もうされけるされけるされける中中なかににに、、、忠春忠春ちゅうしゅんとかきこえしがとかきこえしがとかきこえしが、、、「「「ののの西西にしにににはははうみのうみのうみの宮宮みや、、、御產御產ごさん平安平安さきたのみありたのみありたのみあり。。。鳳城鳳城ほうじょうののの南南みなみにににははは、、、皇子皇子みこ誕誕たん生生う疑疑うたがひなしひなしいなし」」」。。。
- 9ととと申申もうしたりけるとなむしたりけるとなむしたりけるとなむ聞聞きききき侍侍はべりしりしりし。。。ののの濟圓濟圓さいえんといひしといひしといいし僧都僧都そうず、、、さきのさきのさきの日日ひ、、、このこのこの心心こころをををしたりけるにしたりけるにしたりけるに、、、めでたしなどめでたしなどめでたしなど聞聞きこえけるこえけるこえけるををを、、、山山やまににに忠春忠春ちゅうしゅん已講已講いこうときこえしがときこえしがときこえしが、、、後後のちののの日日ひ、、、かやうにむすびなしていひけるかやうにむすびなしていひけるかようにむすびなしていいける。。。
- 10とり〴〵にえもとり〴〵にえもとりどりにえも云云いはずなむはずなむわずなむ、、、きこえきこえきこえ侍侍はべりけるりけるりける。。。はてのはてのはての日日ひははは、、、上達部上達部かんだちめ引引ひきつれまゐりてきつれまゐりてきつれまいりて、、、御布施御布施おおんふせとりとりとり、、、御神樂御神樂みかぐらなどせらるなどせらるなどせらる。。。上達部上達部かんだちめ、、、歌歌うたももも笛笛ふえもももおの〳〵おの〳〵おのおの心心こころをををつくしてつくしてつくして、、、のやうなりのやうなりのようなり。。。
- 11かやうにかやうにかように云云いひひい知知しらぬらぬらぬ御祈御祈おおんいのりどもりどもりども有有ありけるりけるりける程程ほどににに、、、保延五年保延五年ほうえんごねんにやにやにや侍侍はべりけむりけむりけむ。。。己己つちのとののの未未ひつじののの年年とし五月五月さつき十八日十八日じゅうはちにち、、、よになくけうらなるよになくけうらなるよになくきょうらなる玉玉たま宮宮みや、、、うまれさせうまれさせうまれさせ給給たまひぬればひぬればいぬれば、、、院院いんのののうちさらなりうちさらなりうちさらなり。。。
- 12世世よののの中中なかももも動動うごくまでくまでくまで、、、歡歡よろこびあへるさまびあへるさまびあえるさま、、、いいいはははんかたなしんかたなしんかたなし。。。未未ひつじののの時時ときばかりなればばかりなればばかりなれば、、、御祈御祈おおんいのりのりのりの僧僧そう、、、御前御前おまえににに參參まいりゐたるにりゐたるにりいたるに、、、おの〳〵おの〳〵おのおの御馬御馬みまひきひきひき、、、女房女房にょうぼうのよそほひなどたまはすのよそほひなどたまはすのよそおいなどたまわす。。。
- 13仁和寺仁和寺にんなじののの法法ほう親王親王しんのう、、、山山やまののの座主座主ざすなどなどなど、、、僧綱僧綱そうごう給給たまはははりりり、、、さま〴〵のさま〴〵のさまざまの賞賞じょうどもどもども有有ありてりてりて、、、まかでまかでまかで給給たまひぬひぬいぬ。。。御御おんうぶうぶうぶ養養やしなひひい七夜七夜ななよなどなどなど、、、關白殿關白殿かんぱくどのよりよりよりはじめてはじめてはじめて參參まいりりり給給たまひてひていて、、、御遊御遊おおんあそびびどもありびどもありびどもあり。。。
- 14御湯殿御湯殿おおんゆどの南南みなみおもてにしつらひておもてにしつらひておもてにしつらいて、、、うちうちうち五位五位ごい六位六位ろくいしらがさねにしらがさねにしらがさねに立立たちならべりちならべりちならべり。。。男男おとこ宮宮みやにおはしませばにおはしませばにおわしませば、、、文文ふみよみよみよみ式部式部しきぶ大輔大輔たいふ左中辨左中辨さちゅうべんなどいふなどいふなどいう博士博士はかせ、、、大大だい外記外記げきとかいふとかいふとかいう者者もの、、、明經博士明經博士みょうぎょうはかせとてとてとて、、、、、、あけのころもあけのころもあけのころも、、、袖袖そでをををつらねてつらねてつらねて、、、うちかはりつゝうちかはりつゝうちかわりつつ、、、日毎日毎ひごとによむけしきによむけしきによむけしき、、、いいいはははんかたなくめでたしんかたなくめでたしんかたなくめでたし。。。
- 15御子御子みこののの御祈御祈おおんいのりりりはじめてせさせはじめてせさせはじめてせさせ給給たまひひい、、、ののの御祓御祓おおんはらえへにへにえに、、、辨辨べんゆげひのすけゆげひのすけゆげいのすけ、、、五位五位ごいののの藏人藏人くろうどなどなどなど、、、時時ときにあへるにあへるにあえる七人七人しちにん、、、御御おんころもころもころも宮取宮取みやとりてりてりて立立たつつつほどほどほど、、、おぼろげのおぼろげのおぼろげの上達部上達部かんだちめなどもなどもなども、、、あふべくもなかりけりあふべくもなかりけりあうべくもなかりけり。。。
- 16御御おんめのとにめのとにめのとにははは、、、二條二條にじょうののの關白關白かんぱくののの御子御子みこににに、、、宰相宰相さいしょうノノノ中將中將ちゅうじょうといひしといひしといいし人人ひとのむすめのむすめのむすめ、、、內頭藏內頭藏くらのかみをををとこにてあればとこにてあればとこにてあれば、、、えらばれてえらばれてえらばれて養養やしなひひい奉奉たてまつるなるべしるなるべしるなるべし。。。日日ひににに添添そへてへてえて、、、めづらかなるちごのめづらかなるちごのめずらかなるちごの御御おんかたちなるにつけてもかたちなるにつけてもかたちなるにつけても、、、いかでかすがやかにいかでかすがやかにいかでかすがやかに、、、みこのみこのみこの宮宮みやにもにもにも、、、位位くらいにもとおぼせどもにもとおぼせどもにもとおぼせども、、、后腹后腹きさきばらににに、、、御子御子みこたちあまたおはしますたちあまたおはしますたちあまたおわしますををを、、、さしさしさし超超こゆべきならねばゆべきならねばゆべきならねば、、、おもほしめしわづらふおもほしめしわづらふおもおしめしわずらう程程ほどににに、、、當當とう帝帝みかどののの御子御子みこになしになしになし奉奉たてまつりりり給給たまふふう事事こといできていできていできて、、、みなみなみな月月つきののの廿六日廿六日にじゅうろくにち、、、御子御子みこ內內うちへへへいらせいらせいらせ給給たまふふう。。。
- 17御御おんともにともにともに上達部上達部かんだちめ、、、殿上人殿上人てんじょうびとえらびてえらびてえらびて、、、帝帝みかどのみゆきにものみゆきにものみゆきにも心心こころことなりことなりことなり。。。都都みやこのののうちうちうち、、、車車くるまもさりあへずもさりあへずもさりあえず、、、見見みるものるものるもの所所ところもなきもなきもなき程程ほどになむになむになむはべりけるはべりけるはべりける。。。
- 18內內うちへへへ入入いらせらせらせ給給たまふにふにうに、、、宣旨宣旨せんじなどなどなど、、、藏人藏人くろうどおほせつゝおほせつゝおおせつつ、、、旣旣すでににに參參まいらせらせらせ給給たまひてひていて、、、ををを御母御母おおんははにてにてにて、、、まだまだまだ御子御子みこももも生生うませませませ給給たまはははねばねばねば、、、めづらしくめづらしくめずらしく養養やしなひひい申申もうさせたまふさせたまふさせたまう。。。
- 19きさきのきさきのきさきの親親おやにてにてにてははは、、、關白殿關白殿かんぱくどのおはしませばおはしませばおわしませば、、、御子御子みこのおほぢにてのおほぢにてのおおじにて、、、かた〴〵かた〴〵かたがた、、、帝帝みかどももも后后きさきももも、、、御子御子みこおはしまさぬにおはしまさぬにおわしまさぬに、、、院院いんももも御心御心みこころゆかせゆかせゆかせ給給たまひてひていて、、、いといといと心心こころよきよきよき事事こといできていできていできて、、、いつしかいつしかいつしか八月八月はちがつ十七日十七日じゅうしちにち、、、東宮東宮とうぐうにたゝせにたゝせにたたせ給給たまふふう。。。
- 20昭陽舍昭陽舍しょうようしゃににに御御おんしつらひありてしつらひありてしつらいありて渡渡わたらせらせらせ給給たまふふう。。。大夫大夫だいぶにににははは堀川堀川ほりかわののの大納言大納言だいなごんなりなりなり給給たまふふう。。。御母御母おおんははのののをををぢにおはしてぢにおはしてじにおわして、、、殊殊ことににに撰撰えらばせばせばせ給給たまへるなりへるなりえるなり。。。御母御母おおんはは、、、ののの宣旨宣旨せんじかぶりかぶりかぶり給給たまふふう。。。
- 21ねがひのねがひのねがいの御御おんまゝなりまゝなりままなり。。。男男おとこ宮宮みやのののうれしさもうれしさもうれしさも、、、いふいふいうばかりなきばかりなきばかりなきうへうへうえににに、、、御御おんみめもみめもみめも御心御心みこころばへもばへもばえも、、、いといといとうつくしううつくしううつくしゅう、、、此此こののの世世よのものにもあらずのものにもあらずのものにもあらず、、、さかしくおとなしくてさかしくおとなしくてさかしくおとなしくて、、、日日ひののの御座御座ござににに事事ことあるあるある每每ごとににに、、、大夫大夫だいぶののの抱抱いだきまゐらせきまゐらせきまいらせ給給たまへるにもへるにもえるにも、、、泣泣なきなどしきなどしきなどし給給たまはずはずわず、、、ゐさせゐさせいさせ給給たまふふうほどにほどにほどにははは、、、御御おんしとねのしとねのしとねの上上うえににに、、、ひとりゐさせひとりゐさせひとりいさせ給給たまひてひていて、、、おとなのやうにおはしませばおとなのやうにおはしませばおとなのようにおわしませばかひ〴〵しくかひ〴〵しくかいがいしく、、、見見みたてまつるたてまつるたてまつる人人ひとももも、、、歡歡よろこびのびのびの涙涙なみだおさへがたかりけりおさへがたかりけりおさえがたかりけり。。。
- 22かくてかくてかくて同同おなじじじ七年七年しちねん十二月十二月じゅうにがつ七日七日なぬか、、、御年御年おおんとし三三みつにてつにてつにて、、、位位くらい讓讓ゆずりりり申申もうさせさせさせ給給たまふふう。。。近近ちかくくくははは五五いつつなどにてぞつなどにてぞつなどにてぞ、、、卽卽つかせかせかせ給給たまへどもへどもえども、、、心心こころもとなさにやもとなさにやもとなさにや。。。すがやかにゐさせすがやかにゐさせすがやかにいさせ給給たまひぬひぬいぬ。。。
- 23御母御母おおんはは女御女御にょうご殿殿どの、、、皇后宮皇后宮こうごうぐうににに立立たたせたせたせ給給たまふふう。。。御御おんとしとしとし二十五二十五にじゅうごにやにやにや。。。御御おん卽卽つ位位くらい大嘗會大嘗會だいじょうえなどなどなど、、、心心こころことにことにことに世世よももも靡靡なびきてなむきてなむきてなむ見見みえええ侍侍はべりけるりけるりける。。。おとなにならせおとなにならせおとなにならせ給給たまふまゝにふまゝにうままに、、、御有樣然御有樣然おおんありさましかるべきるべきるべき前前さきののの世世よののの御契御契おおんちぎりとりとりと見見みえたまへりえたまへりえたまえり。。。
- 24攝政攝政せっしょう殿殿どのののの御弟御弟おおんおとうとののの左左ひだりのおとゞのおとゞのおとど、、、女御女御にょうごたてまつらせたてまつらせたてまつらせ給給たまひてひていて、、、皇后宮皇后宮こうごうぐうにたちにたちにたち給給たまひぬひぬいぬ。。。猶足猶足なおたずらやずらやずらや覺覺おぼしめすらむしめすらむしめすらむ。。。院院いんよりよりより御御おんさたせさせたまひてさたせさせたまひてさたせさせたまいて、、、ののの大納言大納言だいなごんのむすめのむすめのむすめ、、、關白殿關白殿かんぱくどのののの御子御子みことてとてとて、、、北北きたののの政所政所まんどころののの、、、御兄御兄おおんあに人人ひとのむすめなればのむすめなればのむすめなれば、、、御子御子みこにしにしにし奉奉たてまつりりり給給たまふふう。。。
- 25御御おんかた〴〵かた〴〵かたがたはな〴〵はな〴〵はなばなととと、、、いどみがほなるべしいどみがほなるべしいどみがおなるべし。。。殿殿どののあにのあにのあに弟弟おとうとののの御中御中おおんなか、、、善善よくもおはしまさねばくもおはしまさねばくもおわしまさねば、、、宮宮みやもいとゞもいとゞもいとど隔隔へだておておておほかるにほかるにほかるに、、、關白殿關白殿かんぱくどのははは、、、うちのうちのうちのひとつにてひとつにてひとつにて、、、ひとへにひとへにひとえに中宮中宮ちゅうぐうのみのぼらせのみのぼらせのみのぼらせ給給たまひてひていて、、、皇后宮皇后宮こうごうぐうののの御御おんかたかたかたははは、、、踈踈うとくおはしましけるくおはしましけるくおわしましける。。。
- 26かくてかくてかくて年年としふるふるふるほどにほどにほどに御母御母おおんははきさききさききさき院號院號いんごうありてありてありて、、、女院女院にょういんとておはしませばとておはしませばとておわしませば、、、院院いんのきさきののきさきののきさきの女院女院にょういん、、、三人三人さんにんおはしますおはしますおわします。。。內內うちにににはははきさききさききさきふたりふたりふたり立立たちちち給給たまひてひていて、、、いといといとかた〴〵かた〴〵かたがた多多おおくおはするころなるべしくおはするころなるべしくおわするころなるべし。。。
現代語訳
鳥羽の帝が位にいらした時から入内していらした后(待賢門院)は、御子たちを多くお産みになって、(帝が)位をお下りになったので、女院と申し上げていらっしゃいました。法皇(白河)が養女としてお育てになり、またこの上なく大切になさっていましたが、法皇がお亡くなりになった後、宇治の后(高陽院泰子)が入内なさって、お方々は張り合うようでしたが、院(鳥羽)はどちらにも疎遠なご様子でばかりいらっしゃったところ、ひそかに参られたお方がいらして、朝の政務も少し怠られるほどで、夜離れなさることもなかったでしょう。それほど高貴な家柄ではないけれども、中納言(長実)として御父がいらっしゃって、母北の方は源氏の堀河大臣(俊房)の娘でいらした上に、この上なく大切にお育てして、普通の臣下には決して許すまいと扱っておられたうちに、中納言が亡くなった後、院は以前からお心にかけながら過ごしておられたのでしょう。その父の喪などが過ぎるとすぐに、ひそかにお手紙があって、人目を忍んで参られるうちに、日増しに比べるもののないご寵愛で時めかれるうちに、ご懐妊さえなさったので、御祈祷を大げさなほどあれこれとおさせになるうちに、皇女をお産みになったので、珍しいことは喜びながらも、男でいらっしゃらないのを残念にお思いになっていたところ、また(次に)お産みになったのも同じ(女宮)だったので、本当に残念にお思いになったけれども、さすがに、どうしようもないとお思いになっていたのでしょう。
姉宮(叡子内親王)は宇治の后が、御子がいらっしゃらないのに合わせて、大殿(忠実)のお心をこちらに留めようとしてでしょうか、ご自分の宮にお迎え申し上げて、養育なさいます。後にお生まれになった方(暲子内親王)は、院が御自ら養育なさいます。御母后(得子)は、しばらくは「あの御方」などと申し上げていらっしゃいましたが、三位の位をお加えになって、この方ばかりを比べるもののないほど大切になさるので、世の人も並ぶ者がないと見申し上げていたところ、またご懐妊なさったので、今度もまた続いて(女宮で)いらっしゃったら残念な上に、お考えになることがあったのでしょうか、男宮をお産みになるための御祈祷を、言いようもないほど営ませなさいます。石清水で般若会などといって、比叡山・三井寺などの尊く智慧深い僧たちが参り集まって、何日も経文の奥義を究めて行わせなさいます。帥中納言(顕頼)という人が御後見として、都の仕事も大事だけれども、その宮(石清水)に何日も籠もって、(院の)御代わりでしょうか、毎日束帯で御講を催し行われたところ、我も我もと仏法を説いて祈り申された中に、忠春とか申した僧が、「鼇海の西には宇美の宮、御産平安の頼みあり。鳳城の南には男山、皇子誕生疑いなし」と申し上げたと聞きました。奈良の済円という僧都が、前の日にこの趣向をしたのを、すばらしいなどと評判になっていたのを、比叡山の忠春已講と申した人が、後の日にこのように結びつけて言ったのです。それぞれに何とも言えずすばらしいと評判になりました。最後の日は、公卿が連れ立って参って、御布施を取り、御神楽などが行われます。公卿たちは歌も笛もそれぞれ心を尽くして、清暑堂の御神楽のようでした。
このように言いようもない御祈祷があったところ、保延五年でしたでしょうか、己未の年の五月十八日に、世にまたとなく清らかな玉のような男宮がお生まれになったので、院の中は言うまでもありません。世の中も揺れ動くほど喜び合うさまは言いようもありません。未の刻ごろだったので、御祈祷の僧が御前に参っていたのに、それぞれ御馬を引き、女房の装束などをお与えになります。仁和寺の法親王(覚法)、比叡山の座主(行玄)などは僧綱の位を賜り、さまざまの褒賞があって退出なさいました。御産養や七夜の祝いなどには、関白殿をはじめとして参られて、管弦のお遊びがあります。御湯殿の儀は南面に設けて、弦打ちの五位・六位が白襲で立ち並びました。男宮でいらっしゃるので、読書の役は式部大輔・左中弁などという博士、大外記とかいう者、明経博士などで、橡の袍、緋の袍の袖を連ねて、代わる代わる毎日読む様子は言いようもなくめでたいことでした。御子の御祈祷を初めておさせになり、七瀬の御祓には、弁官・靫負佐・五位蔵人など、時めいている七人が御衣の宮を取って立つさまは、ふつうの公卿なども及ぶべくもありませんでした。御乳母には、二条関白(師通)の御子の宰相中将(家政)という人の娘で、内蔵頭(清隆)を夫にしている人が選ばれて、養育申し上げるのでしょう。日に添えて、珍しいほど美しい幼子のご容貌であるにつけても、何とかしてすぐに東宮にも位にもとお思いになるけれども、后腹に御子たちが大勢いらっしゃるのを越えるわけにもいかないので、お悩みになるうちに、今上(崇徳)の御子としてさし上げることになって、六月二十六日、御子は内裏にお入りになります。お供の公卿・殿上人を選んで、帝の行幸にもまさる格別さです。都の中は車も避けきれず、見物する所もないほどでございました。内裏にお入りになるのに、輦車の宣旨などを蔵人が仰せ下して、すでに参られて、中宮(聖子)を御母として、まだ御子もお産みになっていないので、珍しくもご養育なさいます。后の父としては関白殿(忠通)がいらっしゃるので、御子の祖父となって、いずれにしても、帝も后も御子がいらっしゃらないところに、院もご満足なさって、たいそう好ましいことになって、早くも八月十七日に東宮にお立ちになります。昭陽舎にお部屋をしつらえてお移りになります。東宮大夫には堀川大納言(師頼)がおなりになります。御母の叔父でいらして、特にお選びになったのです。御母は女御の宣旨をお受けになります。願いどおりです。男宮のうれしさも言いようもない上に、お顔立ちもお心ばえもたいそうかわいらしく、この世のものとも思えず、賢く大人びていて、昼の御座で儀式があるたびに、大夫がお抱き申し上げても泣いたりなさらず、お座りになる時には、御褥の上にひとりでお座りになって、大人のようでいらっしゃるので、頼もしく、拝見する人も喜びの涙をおさえがたいほどでした。
こうして同じ七年十二月七日、御年三歳で(崇徳天皇から)位をお譲りになります。近ごろは五歳などで即位なさるのに、待ち遠しさにでしょうか、すんなりと位におつきになりました。御母の女御殿は皇后宮にお立ちになります。御年二十五でしたでしょうか。御即位や大嘗会などは、格別に世もなびき従っているように見えました。大人におなりになるにつれて、そのご様子は、しかるべき前世の宿縁と見えました。摂政殿(忠通)の御弟の左大臣(頼長)が女御(多子)を入内させなさって、皇后宮にお立ちになりました。それでもまだ足りないとお思いになったのでしょうか、院のお取り計らいで、大宮大納言(伊通)の娘を、関白殿の御子として――北の政所(宗子)の御兄の娘なので――御養女にしてさし上げなさいます(呈子)。お方々は華々しく張り合うようでした。殿(忠通)と弟(頼長)の御仲がよくなかったので、宮(皇后多子)もいっそう隔てが多く、関白殿は内裏と一体となって、ひたすら中宮(呈子)ばかりが参上なさって、皇后宮のほうは疎遠でいらっしゃいました。こうして年がたつうちに、御母后(得子)に院号があって女院(美福門院)でいらっしゃるので、院の后の女院が三人(待賢門院・高陽院・美福門院)いらっしゃいます。内裏には后が二人立っていらして、たいそうお方々の多いころでありましょう。
意訳
美福門院藤原得子は、中納言藤原長実の娘で、身分は高くなかったが、鳥羽院の寵愛を一身に受けた。今鏡は、その出会いから二人の皇女の誕生までを、『源氏物語』の桐壺更衣を思わせる筆致で描いている。
男子誕生を祈る石清水の般若会で、忠春が「鳳城の南には男山、皇子誕生疑ひなし」と、石清水のある男山の地名に「男」をかけて祈った句は、機知に富む祈願の言葉として評判になった。章題の「男山」はここによる。
保延五年(1139)に生まれた体仁親王(近衛天皇)は、崇徳天皇の養子として東宮に立ち、三歳で即位した。生後まもない皇子の、泣きもせず大人びた様子が、喜びとともに描かれる。後半では、近衛天皇の后をめぐって、藤原忠通と弟頼長がそれぞれ養女を入内させて争ったことが語られ、のちの保元の乱につながる摂関家の内紛が示されている。
語釈・文法注
- 宇治のきさき
- 高陽院藤原泰子(1095〜1155)。藤原忠実の娘で、鳥羽院の皇后。
- 中納言
- 藤原長実(1075〜1133)。美福門院の父。のちに左大臣を追贈された。
- 女宮
- 叡子内親王(1135〜1148)。鳥羽院と美福門院の第一皇女。高陽院に養われた。
- 大きおとゞ
- 藤原忠実(1078〜1162)。泰子の父。
- 般若會
- 大般若経を講読する法会。
- 帥ノ中納言
- 藤原顕頼。美福門院の従兄弟にあたる。
- 鼇海の西にはうみの宮
- 鼇海(大海)の西、筑前国の宇美八幡宮。神功皇后が応神天皇を産んだ地とされ、安産の神として知られる。
- 鳳城の南には男山
- 鳳城(都)の南にある男山。石清水八幡宮がある。「男」の名にかけて皇子誕生を祈る。
- 奈良の濟圓
- 興福寺の僧。
- 淸暑堂
- 大内裏の豊楽院の殿舎。大嘗会の後の御神楽が行われた。
- をのこ宮
- 体仁親王。のちの近衛天皇(1139〜1155)。
- 弦うち
- 鳴弦。弓の弦を鳴らして邪気をはらう儀式。
- つるばみのころも
- 橡(どんぐり)で染めた黒い袍。四位以上の位袍。
- 七瀨の御祓へ
- 七か所の川の瀬で行う祓え。
- てぐるまの宣旨
- 輦車の宣旨。宮中で人の引く車に乗ることを許す宣旨。
- 中宮
- 藤原聖子。崇徳天皇の中宮。のちの皇嘉門院。
- 女御
- 藤原多子(1140〜1201)。藤原公能の娘で頼長の養女。近衛天皇の皇后、のちに二条天皇にも入内して「二代の后」と呼ばれた。
- 大宮の大納言のむすめ
- 藤原呈子(1131〜1176)。藤原伊通の娘で、忠通の養女。近衛天皇の中宮。のちの九条院。
文法
- 夜がれさせ給ふ事なかるべし
- 「夜がる」は男が女のもとへ夜に通わなくなること。
- いかゞはせんにて
- どうしようもない、ということで。
解説
近衛天皇の即位(永治元年〈1141〉)にあたって、崇徳天皇は体仁親王を養子としていたにもかかわらず、譲位の宣命では「皇太弟」とされた(第19章)。今鏡はこの章では、皇子誕生の喜びと幼帝の愛らしさを中心に描き、政治的な事情にはあまり立ち入らない。
近衛天皇の後宮では、忠通の養女呈子と頼長の養女多子とが並び立ち、摂関家の兄弟の対立が后の争いとして表面化した。多子はのちに二条天皇にも入内し、「二代の后」として知られる(第24章)。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、96〜103頁(コマ63–66)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日