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今鏡 第二「すべらぎの中」 第18章

春のしらべ

待賢門院の産んだ崇徳天皇の御代。幼いころから和歌を好み、かくし題・紙燭の歌など趣向をこらした歌会を催した。花の宴や、天承二年の臨時客の盛儀も語られる。しかし世の実権は鳥羽院にあり、歌合も思うにまかせなかった。

  1. 1仁和寺にんなじ仁和寺にんなじにんなじののの女院にようゐん女院にようゐんにょういんののの御腹おほんはら御腹おほんはらおおんはらのののののの御子みこ御子みこみこははは、、、位くらゐ位くらゐくらいおりさせおりさせおりさせ給たま給たまたまひてひていて、、、新院しんゐん新院しんゐんしんいんときこえさせときこえさせときこえさせ給たま給たまたまひしひしいし。。。後のち後のちのちににに讃岐さぬき讃岐さぬきさぬきにおはしましゝかばにおはしましゝかばにおわしまししかば、、、讃岐さぬき讃岐さぬきさぬきのみかどとこそのみかどとこそのみかどとこそ聞きこ聞きこきこえさせえさせえさせ給たま給たまたまふらめなふらめなうらめな。。。
  2. 2御母おほんはは御母おほんははおおんはは女院にようゐん女院にようゐんにょういんははは中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうととと申まう申まうもうしきしきしき。。。公實きんざね公實きんざねきんざね大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんののの第三だいさん第三だいさんだいさんののの御おん御おんおんむすめむすめむすめ也なり也なりなり。。。鳥羽とば鳥羽とばとばノノノ院ゐん院ゐんいんののの位くらゐ位くらゐくらいにおはしましゝにおはしましゝにおわしましし時とき時ときとき、、、法皇ほふわう法皇ほふわうほうおうののの御おん御おんおんむすめとてむすめとてむすめとて、、、參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまへりきへりきえりき。。。
  3. 3此こ此ここのみかどのみかどのみかど元げん元げんげん永えい永えいえい二年にねん二年にねんにねん己おの己おのおの亥ゐ亥ゐい五月さつき五月さつきさつき十八日じふはちにち十八日じふはちにちじゅうはちにちににに、、、生うま生うまうまれさせれさせれさせ給たま給たまたまへりへりえり。。。保ほう保ほうほう安やす安やすやす四年よねん四年よねんよねん正月しやうぐわつ正月しやうぐわつしょうがつ廿八日にじふはちにち廿八日にじふはちにちにじゅうはちにちににに位くらゐ位くらゐくらいににに卽つ卽つつかせかせかせ給たま給たまたまふふう。。。大だい大だいだい治ぢ治ぢじ四年よねん四年よねんよねん御元服ごげんぷく御元服ごげんぷくごげんぷくせさせせさせせさせ給たま給たまたまへりへりえり。。。御おん御おんおんとしとしとし十一じふいち十一じふいちじゅういち、、、法性寺ほふしやうじ法性寺ほふしやうじほっしょうじのおほきおとゞののおほきおとゞののおおきおとどの御おん御おんおんむすめむすめむすめ、、、女御にようご女御にようごにょうごににに參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまひてひていて、、、中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうににに立た立たたちちち給たま給たまたまひしひしいし、、、ととと申まう申まうもうすすす御事おほんこと御事おほんことおおんことなりなりなり。。。
  4. 4時とき時ときときののの攝政せつしやう攝政せつしやうせっしょうののの御女おほんむすめ御女おほんむすめおおんむすめ、、、きさきのきさきのきさきの宮みや宮みやみやにおはしますにおはしますにおわします。。。白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいん、、、鳥羽とば鳥羽とばとばノノノ院ゐん院ゐんいん、、、おやおほぢとておはしますおやおほぢとておはしますおやおおじとておわします。。。御母おほんはは御母おほんははおおんはは女院にようゐん女院にようゐんにょういんならぶならぶならぶ人ひと人ひとひとなくておはしましゝかばなくておはしましゝかばなくておわしまししかば、、、御おん御おんおんせうとのせうとのしょうとの、、、ノノノ督かみ督かみかみ通季みちすゑ通季みちすゑみちすえ、、、右衞門うゑもん右衞門うゑもんうえもんノノノ督かみ督かみかみ實行さねゆき實行さねゆきさねゆき左兵衞さひやうゑ左兵衞さひやうゑさひょうえノノノ督かみ督かみかみ實能さねよし實能さねよしさねよしなどなどなど申まう申まうもうしてしてして、、、帝みかど帝みかどみかどののの御おん御おんおんをををぢにてぢにてじにて、、、ゆるされてゆるされてゆるされて、、、常つね常つねつねににに參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまふふう。。。そのそのその公達きんだち公達きんだちきんだち近衞こんゑ近衞こんゑこんえのすけにてのすけにてのすけにて、、、あさあさあさ夕ゆふ夕ゆふゆうさぶらひさぶらひさぶらい給たま給たまたまふふう。。。
  5. 5みかどのみかどのみかどの御心みこころ御心みこころみこころばへばへばえ絕た絕たたえたるえたるえたる事こと事ことことをををつぎつぎつぎ、、、古ふる古ふるふるきあときあときあとををを興おこ興おこおこさむとおもほしめせりさむとおもほしめせりさむとおもおしめせり。。。幼をさな幼をさなおさなくおはしましけるよりくおはしましけるよりくおわしましけるより歌うた歌うたうたををを好この好このこのませませませ給たま給たまたまひてひていて、、、朝夕あさゆふ朝夕あさゆふあさゆうさぶらふさぶらふさぶらう人々ひとびと人々ひとびとひとびとににに、、、題だい題だいだいよませよませよませ、、、ののの歌うた歌うたうた、、、うちてうちてうちて響ひゞ響ひゞひびきのきのきのうちによめうちによめうちによめ。。。
  6. 6などさへなどさへなどさへ仰おほ仰おほおおせられてせられてせられて、、、常つね常つねつねははは和歌わか和歌わかわかののの會ゑ會ゑえぞせさせぞせさせぞせさせ給たま給たまたまひけるひけるいける。。。さのみさのみさのみうち〳〵にやうち〳〵にやうちうちにやはははとてとてとて、、、花はな花はなはなののの宴えん宴えんえんせさせせさせせさせ給たま給たまたまひけるにひけるにいけるに、、、松まつ松まつまつににに遙はるか遙はるかはるかなるなるなる齡よはひ齡よはひよわいををを契ちぎ契ちぎちぎるるる。。。
  7. 7といふといふという題だい題だいだいにてにてにて上達部かんだちめ上達部かんだちめかんだちめ束帶そくたい束帶そくたいそくたいにてにてにて、、、殿どの殿どのどのよりよりよりはじめてはじめてはじめて、、、參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまひけりひけりいけり。。。まづまづまず御おん御おんおんあそびありてあそびありてあそびありて、、、關白殿くわんぱくどの關白殿くわんぱくどのかんぱくどのことことことひきひきひき給たま給たまたまふふう、、、花園はなぞの花園はなぞのはなぞののおとゞのおとゞのおとど、、、そのそのその時とき時ときとき右大臣うだいじん右大臣うだいじんうだいじんにてにてにて琵琶びは琵琶びはびわひきひきひき給たま給たまたまふふう。。。
  8. 8中なか中なかなかノノノ院ゐん院ゐんいんののの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごん笙しやう笙しやうしょうのののふえふえふえ、、、右衞門うゑもん右衞門うゑもんうえもんノノノ佐すけ佐すけすけ俄にはか俄にはかにわかににに殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうゆるされてゆるされてゆるされて、、、篳篥ひちりき篳篥ひちりきひちりき仕つか仕つかつこうまつりけりうまつりけりうまつりけり。。。拍子ひやうし拍子ひやうしひょうしはははノノノ御門みかど御門みかどみかど大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごん宗忠むねただ宗忠むねただむねただ、、、笛ふえ笛ふえふえははは成通なりみち成通なりみちなりみち實衡さねひら實衡さねひらさねいらなどのなどのなどの程ほど程ほどほどにやおはしけんにやおはしけんにやおわしけん。。。
  9. 9季成すゑなり季成すゑなりすえなりののの中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょう、、、和琴わごん和琴わごんわごんなどぞきゝなどぞきゝなどぞきき侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。序じよ序じよじょはははののの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごん師賴もろより師賴もろよりもろよりぞかきぞかきぞかき給たま給たまたまひけるひけるいける。。。講師かうじ講師かうじこうじははは實光さねみつ實光さねみつさねみつ、、、御製ぎよせい御製ぎよせいぎょせいのののははは誰た誰たたれにかれにかれにか侍はべ侍はべはべりけんりけんりけん。。。常つね常つねつねののの御歌みうた御歌みうたみゅうたどもどもどもははは、、、朝夕あさゆふ朝夕あさゆふあさゆうののの事こと事ことことなりしになりしになりしに、、、つねのつねのつねの御製ぎよせい御製ぎよせいぎょせいなどきこえなどきこえなどきこえ侍はべ侍はべはべりしにりしにりしに、、、珍めづ珍めづめずらしくありがたきらしくありがたきらしくありがたき御歌みうた御歌みうたみゅうたどもどもども、、、多おほ多おほおおくきこえくきこえくきこえ侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。遠とほ遠とほとおくくく山やま山やまやまののの花はな花はなはなをををたづぬたづぬたずぬ。。。といふといふという事こと事ことことををを、、、
  10. 10たづねつるたづねつるたずねつる花はな花はなはなのあたりになりにけりのあたりになりにけりのあたりになりにけり匂にほ匂にほにおふにしるしふにしるしうにしるし春はる春はるはるののの山風やまかぜ山風やまかぜやまかぜ
  11. 11などよませなどよませなどよませ給たま給たまたまへりしへりしえりしははは、、、世よ世よよののの末すゑ末すゑすえにありがたしとぞにありがたしとぞにありがたしとぞ人ひと人ひとひとははは申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべりけるりけるりける。。。まだまだまだ幼をさな幼をさなおさなくおはしましゝくおはしましゝくおわしましし時とき時ときとき、、、
  12. 12こゝこゝここをををこそこそこそ雲くも雲くもくもののの上うへ上うへうえとととははは思おも思おもおもひつれひつれいつれ高たか高たかたかくもくもくも月つき月つきつきのすみのぼるかなのすみのぼるかなのすみのぼるかな
  13. 13などよませなどよませなどよませ給たま給たまたまへりしよりへりしよりえりしより、、、かやうのかやうのかようの御歌みうた御歌みうたみゅうたのみぞおほくのみぞおほくのみぞおおく侍はべ侍はべはべるなるるなるるなる。。。これらおのづからこれらおのづからこれらおのずから傳つた傳つたつたへへえ聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべるにこそあれるにこそあれるにこそあれ。。。
  14. 14天てん天てんてん承うけたまは承うけたまはうけたまわ二年にねん二年にねんにねん三月さんぐわつ三月さんぐわつさんがつにやにやにや侍はべ侍はべはべりけむりけむりけむ。。。せさせせさせせさせ給たま給たまたまひきひきいき。。。臨時りんじ臨時りんじりんじののの祭まつり祭まつりまつりののの試樂しがく試樂しがくしがくのさまになむのさまになむのさまになむ侍はべ侍はべはべりけるりけるりける。。。淸涼殿せいりやうでん淸涼殿せいりやうでんせいりょうでんのみすおろしてのみすおろしてのみすおろして、、、孫庇まごびさし孫庇まごびさしまごびさしににに御倚子ごいし御倚子ごいしごいしたてゝたてゝたてて、、、みかどみかどみかど御直衣おほんなほし御直衣おほんなほしおおんのうしにておはしますにておはしますにておわします。。。
  15. 15北きた北きたきたののの廊らう廊らうろうのののとりのけてとりのけてとりのけて、、、御簾みす御簾みすみすかけてかけてかけて、、、きさいのきさいのきさいの宮みや宮みやみやののの女房にようばう女房にようばうにょうぼううちいでのうちいでのうちいでの衣ごろも衣ごろもごろもさま〴〵にさま〴〵にさまざまに出い出いいだされたりだされたりだされたり。。。二間ふたま二間ふたまふたまにににははは中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうおはしますおはしますおわします。。。左右さいう左右さいうさゆうののの舞人まひびと舞人まひびとまいびとかさねのよそひしてかさねのよそひしてかさねのよそいして、、、ににに集あつ集あつあつまれりまれりまれり。。。
  16. 16樂がく樂がくがくののの行事ぎやうじ行事ぎやうじぎょうじ、、、季成すゑなり季成すゑなりすえなりののの中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうぞぞぞ承う承ううけたまはりてせられけるけたまはりてせられけるけたまわりてせられける。。。春はる春はるはるのしらべのしらべのしらべ、、、まづまづまずははは吹ふ吹ふふきいだしてきいだしてきいだして、、、春はる春はるはるののの庭には庭にはにわといふといふという樂がく樂がくがくをををなんなんなん奏そう奏そうそうしてしてして參まゐ參まゐまいりけるりけるりける。。。
  17. 17みかどみかどみかど出い出いいでさせでさせでさせ給たま給たまたまひてひていて、、、關白殿くわんぱくどの關白殿くわんぱくどのかんぱくどの右みぎ右みぎみぎのおとゞよりのおとゞよりのおとどよりはじめてはじめてはじめて、、、簀す簀すすののの子こ子ここにさぶらひにさぶらひにさぶらい給たま給たまたまふふう。。。宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうははは例れい例れいれいののの事こと事ことことなればなればなればにおはしけりにおはしけりにおわしけり。。。然しか然しかしかるべきまひるべきまひるべきまい人ひと人ひとひとどもどもども、、、笛ふえ笛ふえふえののの師し師ししなどなどなど賞じやう賞じやうじょうかぶりけるかぶりけるかぶりける中なか中なかなかににに、、、成通なりみち成通なりみちなりみちののの宰相中將さいしやうのちゆうじやう宰相中將さいしやうのちゆうじやうさいしょうのちゅうじょうとておはしけるとておはしけるとておわしける、、、わざとわざとわざと遙はる遙はるはるかにかにかに北きた北きたきたののの方かた方かたかたにめぐりてにめぐりてにめぐりて、、、もとまさといふもとまさといふもとまさという笛ふえ笛ふえふえののの師し師ししかぶりかぶりかぶり賜たま賜たまたまはれるはれるわれる、、、よろこびよろこびよろこび云い云いいひにおはしたりけるこそひにおはしたりけるこそいにおわしたりけるこそ、、、いとやさしくいとやさしくいとやさしく侍はべ侍はべはべりけれりけれりけれ。。。
  18. 18百首歌ひやくしゆのうた百首歌ひやくしゆのうたひゃくしゅのうたなどもなどもなども、、、人々ひとびと人々ひとびとひとびとによませさせによませさせによませさせ給たま給たまたまひけりひけりいけり。。。又また又またまた撰集せんじふ撰集せんじふせんしゅうなどせさせなどせさせなどせさせ給たま給たまたまふとふとうと聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。かばかりかばかりかばかり好この好このこのませませませ給たま給たまたまふにふにうに、、、歌合うたあはせ歌合うたあはせうたあわせ侍はべ侍はべはべらざりけるこそらざりけるこそらざりけるこそ、、、くちをしくくちをしくくちおしく侍はべ侍はべはべりしかりしかりしか。。。
  19. 19古ふる古ふるふるききき事こと事ことことどもどもども興おこ興おこおこさんのさんのさんの御志おほんこころざし御志おほんこころざしおおんこころざしはははおはしましながらおはしましながらおわしましながら、、、世よ世よよををを心こころ心こころこころにえまかせさせにえまかせさせにえまかせさせ給たま給たまたまはははででで、、、院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおんまゝなればまゝなればままなれば、、、易やす易やすやすききき事こと事ことこともかなはせもかなはせもかなわせ給たま給たまたまはずなんおはしましけるはずなんおはしましけるわずなんおわしましける。。。
  20. 20歌うた歌うたうたよませよませよませ給たま給たまたまふにつけてふにつけてうにつけて、、、朝夕あさゆふ朝夕あさゆふあさゆうさぶらはれけるさぶらはれけるさぶらわれける修理すりの修理すりのすりのノノノ權けん權けんけんノノノ大夫だいぶ大夫だいぶだいぶ、、、三位さんみ三位さんみさんみせさせむとてせさせむとてせさせむとて、、、德大寺とくだいじ德大寺とくだいじとくだいじのおとゞにつけてのおとゞにつけてのおとどにつけて、、、院ゐん院ゐんいんににに見み見みみせせせ參まゐ參まゐまいらせよとてらせよとてらせよとて、、、
  21. 21我わ我わわががが宿やど宿やどやどにににひともとたてるひともとたてるひともとたてるあはれといかゞあはれといかゞあわれといかが思おも思おもおもはざるべきはざるべきわざるべき
  22. 22とぞよませとぞよませとぞよませ給たま給たまたまひけるとひけるといけると聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

仁和寺の女院(待賢門院)がお産みになった第一皇子は、位をお下りになって新院と申し上げました。後に讃岐においでになったので、讃岐の帝と申し上げるのでしょうね。御母女院は中宮璋子と申し上げました。公実大納言の第三の御娘です。鳥羽院が位にいらした時、法皇の御娘として入内なさいました。この帝は元永二年己亥五月十八日にお生まれになりました。保安四年正月二十八日に位におつきになります。大治四年に御元服なさいました。御年十一。法性寺の太政大臣(忠通)の御娘が女御として入内なさって、中宮にお立ちになったのが、皇嘉門院と申し上げる方です。時の摂政の御娘が后の宮でいらっしゃいます。白河院・鳥羽院が、祖父・父としていらっしゃいます。御母女院も並ぶ人もなくていらっしゃったので、御兄の侍従中納言実隆、左衛門督通季、右衛門督実行、左兵衛督実能などと申して、帝の御叔父として、直衣での参内を許されて、いつも参上なさいます。その公達も近衛の次将として、朝夕お仕えなさいます。

帝のお心は、絶えたことを継ぎ、古い伝統を復興しようとお思いになっていました。幼くていらした時から和歌をお好みになって、朝夕お仕えする人々に隠し題を詠ませ、紙燭の歌(紙燭が燃え尽きるまでに詠む歌)や、金椀を打ってその響きの消えないうちに詠め、などとまでおっしゃって、いつも和歌の会をなさいました。そう内々ばかりでもと、花の宴をなさった時に、「松に遥かなる齢を契る」という題で、公卿が束帯で、殿(忠通)をはじめとして参上なさいました。まず管弦のお遊びがあって、関白殿が琴をお弾きになり、花園の大臣がその時右大臣で琵琶をお弾きになります。中院の大納言(雅定)は笙の笛、右衛門佐季兼は急に昇殿を許されて篳篥をお勤めしました。拍子は中御門大納言宗忠、笛は成通・実衡などでいらしたでしょうか。季成の中将が和琴などと聞きました。序は堀川大納言師頼がお書きになりました。講師は左大弁実光、御製の講師は誰でしたでしょうか。ふだんの御歌は朝夕のことでしたが、ふだんの御製などが聞こえてまいりますと、珍しくすばらしい御歌が多く聞こえてまいりました。「遠く山の花を尋ぬ」という題を、

たづねつる花のあたりになりにけり匂ふにしるし春の山風

などとお詠みになったのは、末の世にめったにないことだと人は申しました。まだ幼くていらした時に、

こゝをこそ雲の上とは思ひつれ高くも月のすみのぼるかな

などとお詠みになってから、このような御歌ばかりが多いそうです。これらは自然と伝え聞いたものでございます。

天承二年三月でございましたでしょうか、臨時客をなさいました。臨時の祭の試楽のような様子でございました。清涼殿の御簾を下ろして、孫庇に御倚子を立てて、帝は御直衣でいらっしゃいます。北の廊の立蔀を取り除いて御簾を掛け、后の宮の女房の打出の衣がさまざまに出されていました。二間には中宮がいらっしゃいます。左右の舞人は襲の装束をして、月華門に集まりました。楽の行事は重通と季成の中将が承って務められました。まず春の調べを吹き出して、「春の庭」という楽を奏して参上しました。帝がお出ましになって、関白殿・右大臣をはじめとして簀子にお控えになります。宰相は例のことなので長橋にいらっしゃいました。しかるべき舞人や笛の師などが褒賞を受けた中に、成通の宰相中将という方が、わざわざ遠く北の方を回って、もとまさという笛の師が冠(叙位)を賜ったお祝いを言いにいらしたのは、たいそう優雅なことでした。百首歌なども人々に詠ませなさいました。また撰集などもなさると聞きました。これほどお好みになったのに、歌合がなかったのは残念なことでした。古い事を復興しようというお志はおありになりながら、世を思うようになさることができず、院(鳥羽)の御意のままなので、たやすいこともおできにならなかったのです。歌をお詠みになるにつけて、朝夕お仕えしていた修理権大夫行宗を三位にさせようとして、徳大寺の大臣(実能)に託して、院にお見せせよということで、

我が宿にひともとたてる翁草あはれといかゞ思はざるべき

とお詠みになったと聞きました。

意訳

崇徳天皇は五歳で即位し、在位十八年に及んだが、その間、政治の実権は白河院、次いで鳥羽院にあった。母待賢門院の兄弟(閑院流の実隆・通季・実行・実能)が天皇の叔父として重んじられ、その一族が近衛次将として仕えた。

崇徳天皇は和歌を深く愛し、隠し題、紙燭の歌、金椀の響きの消えぬうちに詠む歌など、さまざまな趣向の歌会を催した。「たづねつる」の歌は花の香りで山の花のありかを知る優美な歌で、幼時の「こゝをこそ」の歌は、宮中より高く澄みのぼる月に、天皇の志の高さを思わせる。章題の「春のしらべ」は臨時客の楽による。

天承二年(1132)の臨時客は、清涼殿を会場に舞楽を奏した盛儀だった。しかし語り手は、天皇が古例の復興を望みながら、院の意向のままで「易き事もかなはせ給はず」と、歌合さえ思うにまかせなかった無念を記す。行宗を三位にと院に訴える「翁草」の歌は、天皇でありながら人事一つ思うようにならない立場をよく表している。

語釈・文法注

一の御子
第七十五代崇徳天皇(1119〜1164)。名は顕仁。保元の乱に敗れて讃岐に流され、讃岐院と呼ばれた。
璋子
藤原璋子。待賢門院。
皇嘉門院
藤原聖子(1122〜1181)。忠通の娘で、崇徳天皇の中宮。
侍從中納言實隆
藤原実隆(1079〜1127)。待賢門院の兄。
左衞門ノ督通季
藤原通季(1090〜1128)。西園寺家の祖。
直衣ゆるされて
直衣(平服)のままで参内することを許されること。特別の待遇。
かくし題
題の語を歌の中に詠みこみ、表に出さずに隠す技巧。
紙燭の歌
紙燭(こよりに油をしみこませた灯火)が燃え尽きるまでに詠む歌。
かなまり
金椀。金属製の椀。打ち鳴らしてその響きが消えないうちに詠ませた。
季兼
藤原季兼。伝未詳。
中ノ御門大納言宗忠
藤原宗忠(1062〜1141)。日記『中右記』の作者。
堀川の大納言師賴
源師頼(1068〜1139)。俊房の子。
左大辨實光
藤原実光(1069〜1147)。
臨時客
ここでは臨時の祭の試楽になぞらえた宴。
立蔀
目隠しのための衝立状の板塀。
月華門
紫宸殿の南庭の西の門。
重通
藤原重通(1099〜1161)。宗通の子。
長橋
清涼殿と紫宸殿をつなぐ渡り廊下。
修理ノ權ノ大夫行宗
源行宗(1064〜1143)。歌人。崇徳天皇の歌壇の中心の一人。
翁草
キク科の草。「翁」に老人の行宗をたとえる。

文法

讃岐のみかどとこそ聞えさせ給ふらめな
「こそ…らめ」の係り結びに終助詞「な」。そう申し上げるのでしょうね。
匂ふにしるし
「しるし」は形容詞「著し」の終止形。(花の香りが)匂うのではっきりわかる。
世を心にえまかせさせ給はで
「え…で」は不可能。世を思うままにおできにならずに。

和歌

たづねつる花のあたりになりにけり匂ふにしるし春の山風

詠者
崇徳天皇
状況
「遠く山の花を尋ぬ」という題で詠んだ歌。『詞花和歌集』にも入る。

修辞

嗅覚による発見
花の姿は見えないが、春の山風に乗る香りで、尋ねる花のあたりに来たことを知る。

こゝをこそ雲の上とは思ひつれ高くも月のすみのぼるかな

詠者
崇徳天皇
状況
幼いころに月を詠んだ歌。

修辞

掛詞
「雲の上」に宮中と天上、「すみ」に「澄み」と「住み」をかける。

我が宿にひともとたてる翁草あはれといかゞ思はざるべき

詠者
崇徳天皇
状況
老歌人源行宗を三位にさせたいと、徳大寺実能を通じて鳥羽院に見せた歌。

修辞

見立て
宮中に一本立つ「翁草」に老臣行宗をたとえ、その長年の奉仕をあわれと思ってほしいと訴える。

解説

崇徳天皇は在位中から和歌の会を盛んに催し、譲位後には『久安百首』を詠進させ、藤原顕輔に『詞花和歌集』を撰ばせた。今鏡が「撰集などせさせ給ふ」と言うのはこれをさす。崇徳院歌壇は、のちの新古今時代につながる重要な場であった。

「易き事もかなはせ給はず」という語り手の言葉には、保元の乱に至る崇徳院の不遇への同情がにじんでいる。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、87〜92頁(コマ58–61)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日