今鏡 第二「すべらぎの中」 第16章
白河の花の宴
堀河天皇の第一皇子、鳥羽天皇の御代。白河院の在世中は本院・新院が同じ御所に住み、保安五年の白河の花見の御幸は、女房たちの華麗な出し車とともに世に比べるもののない盛儀となった。雪見の御幸もあった。鳥羽院は笛にすぐれ、穏やかな人柄であった。
- 1ノノノ院院いんははは堀河堀河ほりかわののの先帝先帝せんだいののの第一第一だいいちののの皇子皇子みこ、、、御母御母おおんはは贈贈ぞう皇太后宮皇太后宮こうたいこうぐう子子こととと申申もうしきしきしき。。。實季大納言實季大納言さねすえだいなごんののの御御おんむすめなりむすめなりむすめなり。。。このみかどこのみかどこのみかど康和五年康和五年こうわごねんみづのとみづのとみずのと未未ひつじ、、、正月正月しょうがつ十六日十六日じゅうろくにち生生うまれさせまれさせまれさせ給給たまへりへりえり。。。
- 2八月八月はちがつ十七日十七日じゅうしちにち東宮東宮とうぐうにたちにたちにたち給給たまひてひていて、、、嘉嘉か承承うけたまわ二年二年にねん七月七月しちがつ十九日十九日じゅうくにち位位くらいにつかせにつかせにつかせ給給たまふふう。。。天天てん永永えい四年四年よねん正月正月しょうがつ一日一日ついたち御元服御元服ごげんぷくせさせせさせせさせ給給たまひきひきいき。。。十六十六じゅうろく年年とし位位くらいにおはしましてにおはしましてにおわしまして、、、一一いちののの御子御子みこにゆづりにゆづりにゆずり申申もうさせさせさせ給給たまひきひきいき。。。
- 3白河白河しらかわののの法皇法皇ほうおうのおはしましゝのおはしましゝのおわしましし限限かぎりりりははは、、、世世よののの中中なかののの御御おんまつりまつりまつり事事ことなかりしになかりしになかりしに、、、彼彼かののの院院いんうせさせうせさせうせさせ給給たまひてひていて後後のちははは、、、ひとへにひとへにひとえに世世よををを知知しらせらせらせ給給たまひてひていて、、、廿廿にじゅう八年八年はちねんぞおはしましゝぞおはしましゝぞおわしましし。。。
- 4白河白河しらかわノノノ院院いんおはしましゝおはしましゝおわしましし程程ほどははは、、、新院新院しんいんとてとてとて、、、ひとつひとつひとつ院院いんににに御御おんかた〴〵にてかた〴〵にてかたがたにて、、、室町室町むろまち殿殿どのにぞおはしましゝにぞおはしましゝにぞおわしましし。。。又女又女またおんな院院いんののの御御おんかたとてかたとてかたとて、、、三院三院さんいんののの御御おんかたかたかた、、、いといといとはははなやかにてなやかにてなやかにて、、、若宮若宮わかみや姫宮姫宮ひめみやたちたちたち、、、皆皆みなひとつにおはしましきひとつにおはしましきひとつにおわしましき。。。
- 5本院本院ほんいん新院新院しんいん、、、常常つねにににははは、、、一一ひとつつつ御車御車みくるまにてにてにて、、、御幸御幸みゆきせさせせさせせさせ給給たまへばへばえば、、、法皇法皇ほうおうののの御車御車みくるまなれどなれどなれど、、、さきにさきにさきに御隨身御隨身みずいじんぐせさせぐせさせぐせさせ給給たまへりきへりきえりき。。。
- 6保安五年保安五年ほうあんごねんにやにやにや侍侍はべりけむりけむりけむ。。。きさらぎにきさらぎにきさらぎに侍侍はべりしりしりし年年とし、、、白河白河しらかわののの花花はな御覽御覽ごらんぜさせぜさせぜさせ給給たまふとてふとてうとて、、、御幸御幸みゆきせさせせさせせさせ給給たまひしこそひしこそいしこそ、、、世世よにたぐひなきにたぐひなきにたぐいなき事事ことにににははは侍侍はべりしかりしかりしか。。。
- 7法皇法皇ほうおうももも院院いんももも、、、ひとつひとつひとつ御車御車みくるまにたてまつりてにたてまつりてにたてまつりて、、、御隨身御隨身みずいじんににに、、、錦錦にしき縫縫ぬひものひものいもの、、、色色いろ色色いろにたちにたちにたち重重かさねたるにねたるにねたるに、、、上達部上達部かんだちめ、、、殿上人殿上人てんじょうびと、、、狩裝束狩裝束かりしょうぞくにてにてにて、、、さま〴〵にさま〴〵にさまざまに色色いろをををつくしてつくしてつくして、、、わわわれも〳〵とれも〳〵とれもれもと詞詞ことばももも及及およはははずずず。。。
- 8太政太政だいじょうのおとゞものおとゞものおとども御馬御馬みまにてにてにて、、、それそれそれははは直衣直衣のうしにかうぶりにてにかうぶりにてにこうぶりにて仕仕つこうまつりうまつりうまつり給給たまへりへりえり。。。
- 9院院いんののの御車御車みくるまののの後後のちににに、、、待賢門院待賢門院たいけんもんいんひきつゞきておはしますひきつゞきておはしますひきつづきておわします。。。女房女房にょうぼうのいだしのいだしのいだし車車くるまののの、、、しろがねこがねにしかへされたりしろがねこがねにしかへされたりしろがねこがねにしかえされたり。。。女院女院にょういんののの御車御車みくるまのしりにのしりにのしりにははは皆皆みなくれなゐのくれなゐのくれないの十十とおばかりなるばかりなるばかりなる出出いだされてだされてだされて、、、紅紅くれないのののうちぎぬうちぎぬうちぎぬ、、、櫻櫻さくら萠黃萠黃もえぎのののうううはははぎぎぎ、、、赤色赤色あかいろののの唐衣唐衣からころもににに、、、しろがねこがねしろがねこがねしろがねこがねをををのべてのべてのべて、、、くわんのくわんのかんの紋紋もんおかれておかれておかれて、、、地地じずりのずりのずりの裳裳もにもにもにも、、、かねかねかねをををのべてのべてのべて、、、洲濱洲濱すわま、、、鶴龜鶴龜つるかめをををしたるにしたるにしたるに、、、裳裳もののの腰腰こしにもしろがねにもしろがねにもしろがねをををのべてのべてのべて、、、うううはははざしざしざしははは、、、玉玉たまをををつらぬきてかざられつらぬきてかざられつらぬきてかざられ侍侍はべりけるりけるりける。。。
- 10吉田吉田よしだののの齋宮齋宮さいぐうののの御御おんはははゝやゝやはや、、、乘乘のりりり給給たまへりけんとぞへりけんとぞえりけんとぞ聞聞きこえええ侍侍はべりしりしりし。。。又又また車車くるま十輛十輛じゅうりょうなれなれなれははは、、、四十人四十人しじゅうにんののの女房女房にょうぼうおもひ〳〵におもひ〳〵におもいおもいに、、、裝裝よそひどもひどもひども心心こころををを盡盡つくしてしてして、、、けふけふきょうばかりばかりばかりははは制制せいもやぶれてぞもやぶれてぞもやぶれてぞ侍侍はべりけるりけるりける。。。
- 11あるあるあるはははつにほひにてつにほひにてつにおいにて、、、紫紫むらさき、、、紅紅くれない、、、もえぎもえぎもえぎ、、、山吹山吹やまぶき、、、すすすはははううう、、、廿五廿五にじゅうごかさねたるにかさねたるにかさねたるに、、、うちぎぬうちぎぬうちぎぬ、、、うううはははぎぎぎ、、、裳裳も唐衣唐衣からころも、、、皆皆みなかねかねかねをををのべてのべてのべて、、、紋紋もんにおかれにおかれにおかれ侍侍はべりけりりけりりけり。。。
- 12あるあるあるははは柳柳やなぎさくらさくらさくらをををまぜかさねてまぜかさねてまぜかさねて、、、上上うえはははおりおりおり物物もの、、、うらうらうらはははうちうちうち物物ものにしてにしてにして、、、裳裳もののの腰腰こしにににははは、、、錦錦にしきににに玉玉たまをををつらぬきてつらぬきてつらぬきて、、、「「「玉玉たまにもぬけるにもぬけるにもぬける春春はるののの柳柳やなぎかかか」」」。。。
- 13といふといふという歌歌うた、、、「「「柳柳やなぎさくらさくらさくらをををこきまぜてこきまぜてこきまぜて」」」、、、といふといふという歌歌うたののの心心こころなりなりなり。。。裳裳もはははえびえびえび染染ぞめををを地地じをををむすびてむすびてむすびて、、、月月つきのやどりたるやうにのやどりたるやうにのやどりたるように、、、鏡鏡かがみををを下下したにすかしてにすかしてにすかして、、、「「「花花はなのかゞみとなるのかゞみとなるのかがみとなる水水みずははは」」」、、、とせられたりとせられたりとせられたり。。。
- 14からぎぬにからぎぬにからぎぬにははは、、、日日ひをををいだしていだしていだして、、、「「「たゞたゞただ春春はるののの日日ひにまかせたらなんにまかせたらなんにまかせたらなん」」」。。。といふといふという歌歌うたののの心心こころなりなりなり。。。あるあるあるははは唐衣唐衣からころもににに錦錦にしきをををしてしてして、、、櫻櫻さくらののの花花はなをををつけてつけてつけて、、、うすきうすきうすき綿綿わたをををあさぎにあさぎにあさぎに染染そめてめてめて上上うえにににひきてひきてひきて、、、「「「野野のべのべのべの霞霞かすみはははつゝめどもつゝめどもつつめども」」」、、、といふといふという歌歌うたののの心心こころなりなりなり。。。
- 15袴袴はかまもももうちばかまにてうちばかまにてうちばかまにて、、、花花はなををを付付つけたりけりけたりけりけたりけり。。。このこぼれてにほふこのこぼれてにほふこのこぼれてにおうははは、、、七七しちののの宮宮みやなどなどなど申申もうすすす御母御母おおんははのよそひとぞきゝのよそひとぞきゝのよそいとぞきき侍侍はべりしりしりし。。。
- 16御車御車みくるまぞぞぞひのひのひの、、、狩衣狩衣かりぎぬ袴袴はかまなどなどなど、、、いろ〳〵のいろ〳〵のいろいろの紋紋もん押押おしなどしてしなどしてしなどして、、、かゞやきあへるにかゞやきあへるにかがやきあえるに、、、はははといふものもといふものもというものも、、、あしつあしつあしつをををなどにやなどにやなどにや、、、よりあはせたるよりあはせたるよりあわせたる。。。
- 17色色いろまじはれるみすのまじはれるみすのまじわれるみすの掛掛かけけけ緖緖おなどのやうになどのやうになどのように、、、かなかなかな物物ものふさなどふさなどふさなどゆら〳〵とかざりてゆら〳〵とかざりてゆらゆらとかざりて、、、何事何事なにごとももも常常つねなくかゞやきあへりなくかゞやきあへりなくかがやきあえり。。。攝政攝政せっしょう殿殿どのははは御車御車みくるまにてにてにて、、、隨身隨身ずいじんなどきらめかしなどきらめかしなどきらめかし給給たまへりしさまへりしさまえりしさま、、、申申もうすもおろかなりすもおろかなりすもおろかなり。。。
- 18法勝寺法勝寺ほっしょうじにわたらせにわたらせにわたらせ給給たまひてひていて、、、花花はな御覽御覽ごらんじめぐりてじめぐりてじめぐりて、、、白河白河しらかわ殿殿どのにわたらせにわたらせにわたらせ給給たまひてひていて、、、御御おんあそびありてあそびありてあそびありて、、、上達部上達部かんだちめののの座座ざににに、、、御御おんかはらけかはらけかわらけたび〳〵すゝめさせたび〳〵すゝめさせたびたびすすめさせ給給たまひてひていて、、、おの〳〵おの〳〵おのおの歌歌うたたてまつられたてまつられたてまつられ侍侍はべりけるりけるりける。。。
- 19序序じょははは花園花園はなぞののおとゞぞかきのおとゞぞかきのおとどぞかき給給たまひけるひけるいける。。。となんうけとなんうけとなんうけ給給たまはははりりり侍侍はべりしりしりし。。。新院新院しんいんののの御製御製ぎょせいなどなどなど、、、集集しゅうにいりてにいりてにいりて侍侍はべるとかやるとかやるとかや。。。女房女房にょうぼうのののうたなどうたなどうたなどさま〴〵にさま〴〵にさまざまに侍侍はべりけるとぞりけるとぞりけるとぞ聞聞きききき侍侍はべりしりしりし。。。
- 20よろづよろづよろず代代よのためしとのためしとのためしと見見みゆるゆるゆる花花はなののの色色いろをををうつしとゞめようつしとゞめようつしとどめよ白川白川しらかわののの水水みず
- 21などぞよませなどぞよませなどぞよませ侍侍はべりけるとりけるとりけると聞聞ききききはべりしはべりしはべりし。。。御寺御寺みてらののの花花はな、、、雪雪ゆきのあしたなどのやうにのあしたなどのやうにのあしたなどのように、、、咲咲さきつらなりたるきつらなりたるきつらなりたる上上うえににに、、、わざとかねてわざとかねてわざとかねて外外ほかのののをもをもをも散散ちらしてらしてらして、、、庭庭にわにしかれたりけるにやにしかれたりけるにやにしかれたりけるにや。。。
- 22牛牛うしのつめもかくれのつめもかくれのつめもかくれ、、、車車くるまのあとものあとものあとも入入いるるるほどにほどにほどに花花はなつもりたるにつもりたるにつもりたるに、、、こずゑのこずゑのこずえの花花はなももも、、、雪雪ゆきのさかりにのさかりにのさかりにふるやうにぞふるやうにぞふるようにぞ侍侍はべりけるとぞりけるとぞりけるとぞ、、、傳傳つたへへえうけうけうけ給給たまはははりしだにりしだにりしだに、、、思思おもひやられひやられいやられ侍侍はべりきりきりき。。。まいてまいてまいて見見み給給たまへりけんへりけんえりけん人人ひとこそおもひやられこそおもひやられこそおもいやられ侍侍はべれれれ。。。
- 23そのそのその後後のちいづれのいづれのいずれの年年としにかにかにか侍侍はべりけんりけんりけん。。。雪雪ゆきののの御幸御幸みゆきせさせせさせせさせ給給たまひしにひしにいしに、、、たび〳〵たび〳〵たびたび晴晴はれつゝれつゝれつつ、、、けふけふきょう〳〵と〳〵とけうと聞聞きこえけるこえけるこえけるほどほどほど、、、俄俄にわかににに侍侍はべりけるにりけるにりけるに、、、船岡船岡ふなおかのかたのかたのかた、、、御覽御覽ごらんじめぐりてじめぐりてじめぐりて、、、法皇法皇ほうおうももも院院いんももも都都みやこのののうちにうちにうちにははは、、、ひとつひとつひとつ御車御車みくるまにたてまつりてにたてまつりてにたてまつりて、、、新院新院しんいん御直衣御直衣おおんのうしににに、、、くれなゐのくれなゐのくれないのうちうちうち御衣御衣みけし出出いださせださせださせ給給たまひてひていて、、、御馬御馬みまにたてまつりけるこそにたてまつりけるこそにたてまつりけるこそ、、、いとめづらしくいとめづらしくいとめずらしく繪繪えにもかゝまほしくにもかゝまほしくにもかかまほしく侍侍はべりけれりけれりけれ。。。
- 24ののの大宮大宮おおみやののの女房女房にょうぼう、、、いだしいだしいだし車車くるまににに、、、菊菊きくもみじのもみじのもみじの色々色々いろいろなるなるなる衣衣きぬどもどもども出出いだしたるにだしたるにだしたるに、、、うへうへうえ下下したににに、、、白白しろききき衣衣きぬをををかさねてかさねてかさねて、、、縫縫ぬひあはせたれひあはせたれいあわせたれははは、、、ほころびほころびほころびははは多多おおくくく、、、ぬひめぬひめぬいめはははすくなくてすくなくてすくなくて、、、あつぎぬのわたなどのやうにてあつぎぬのわたなどのやうにてあつぎぬのわたなどのようにて、、、こぼれいでたるがこぼれいでたるがこぼれいでたるが、、、菊紅葉菊紅葉きくもみじのののうへにうへにうえに、、、雪雪ゆきのののふりおけるやうにてふりおけるやうにてふりおけるようにて、、、五車五車いつくるまたてつゞけたてつゞけたてつづけ侍侍はべりけるこそいとりけるこそいとりけるこそいと見所見所みどころおほくおほくおおく侍侍はべりけれりけれりけれ。。。
- 25此此こののの帝帝みかど、、、御心御心みこころはははいといたくいといたくいといたく好好よかせかせかせ給給たまふふう事事ことはははなくてなくてなくて、、、御心御心みこころばへばへばえうるはしくうるはしくうるわしく、、、御御おんみめもみめもみめも淸淸きよらにらにらに、、、功德功德くどくののの道道みちだうしもだうしもどうしも御祈御祈おおんいのりりりをををのみせさせのみせさせのみせさせ給給たまひきひきいき。。。
- 26御笛御笛おおんふえをぞをぞをぞ、、、えならずえならずえならず吹吹ふかせかせかせ給給たまひてひていて、、、堀河堀河ほりかわノノノ院院いんにもにもにも、、、劣劣おとらずやおはしましけむらずやおはしましけむらずやおわしましけむ。。。樂樂らくなどもなどもなども、、、盡盡つくしてしてして知知しらせらせらせ給給たまふふう。。。御笛御笛おおんふえのねものねものねも、、、あいつかはしくあいつかはしくあいつかわしく、、、すゞしきすゞしきすずしきやうにぞおはしましけるやうにぞおはしましけるようにぞおわしましける。。。
- 27、、、公能公能きんよしなどなどなど申申もうしゝおしゝおししおほいどのほいどのほいどの、、、、、、などなどなど申申もうすすす中納言中納言ちゅうなごんなどなどなど皆皆みな御弟子御弟子おおんでしなりとぞきゝなりとぞきゝなりとぞきき侍侍はべりしりしりし。。。例例れいならぬならぬならぬ御御おんこゝちこゝちここち、、、久久ひさしくならせしくならせしくならせ給給たまひてひていて、、、世世よなどなどなど心心こころぼそくおぼしめしけるにやぼそくおぼしめしけるにやぼそくおぼしめしけるにや。。。
- 28ののの左左ひだりのおとゞにやのおとゞにやのおとどにや。。。花花はなをををりてりてりて給給たまはすとてはすとてわすとて、、、御歌御歌みゅうた侍侍はべりけるりけるりける、、、
- 29心心こころあらばにほひあらばにほひあらばにおいをををそへよそへよそえよ櫻花櫻花さくらばなのちののちののちの春春はるをばをばをばいつかいつかいつか見見みるべきるべきるべき
- 30となんよませとなんよませとなんよませ給給たまけるけるける。。。
現代語訳
鳥羽院は堀河の先帝の第一皇子で、御母は贈皇太后宮茨子(苡子)と申し上げました。実季大納言の御娘です。この帝は康和五年癸未の正月十六日にお生まれになりました。八月十七日に東宮にお立ちになって、嘉承二年七月十九日に位におつきになります。天永四年正月一日に御元服なさいました。十六年位にいらっしゃって、第一皇子(崇徳)にお譲りになりました。白河法皇が生きていらっしゃった間は、世の中の政治をお執りにならなかったのですが、その院がお亡くなりになった後は、ひたすら世をお治めになって、二十八年いらっしゃいました。白河院が生きていらした間は、本院・新院といって、同じ一つの院にそれぞれのお住まいを持って、三条室町殿にいらっしゃいました。待賢門院もまた女院の御方として、三院の御方々がたいそう華やかで、若宮・姫宮たちも、皆一緒にいらっしゃいました。本院と新院は、いつもは一つの御車で御幸なさるので、法皇の御車ではあるけれども、先に(新院の)御随身を連れていらっしゃいました。
保安五年でございましたでしょうか、二月に閏月があった年、白河の花をご覧になるということで御幸なさったのは、世に比べるもののないことでございました。法皇も院も一つの御車にお乗りになって、御随身には錦や縫い物を色とりどりに重ねて着せ、公卿・殿上人は狩装束で、さまざまに色を尽くして、我も我もと(着飾ったさまは)言葉も及びません。久我の太政大臣(雅実)も御馬で、この方は直衣に冠でお仕えなさいました。
院の御車の後に、待賢門院が引き続いていらっしゃいます。女房の出し車の打出の衣は、金銀で飾り立てられていました。女院の御車の後ろには、皆紅の衣を十枚ほど重ねたのが出されて、紅の打衣、桜萌黄の表着、赤色の唐衣に、金銀の箔を延べて冠の紋を置かれ、地摺の裳にも金箔を延べて洲浜や鶴亀の模様をしてあり、裳の腰にも銀を延べて、上刺しは玉を貫いて飾ってありました。吉田斎宮の御母が乗っていらしたと聞きました。また出し車は十両なので、四十人の女房が思い思いに装束に心を尽くして、今日だけは禁制も破られていました。ある者は五つ匂いで、紫・紅・萌黄・山吹・蘇芳を二十五枚重ねて、打衣・表着・裳・唐衣に皆金箔を延べて紋に置いてありました。ある者は柳と桜を混ぜ重ねて、表は織物、裏は打物にして、裳の腰には錦に玉を貫いて、「玉にもぬける春の柳か」という歌、「柳さくらをこきまぜて」という歌の心です。裳は葡萄染を地にして海賦の模様を結び、月が宿っているように鏡を下に透かして、「花のかがみとなる水は」と見立てていました。唐衣には日の形を出して、「ただ春の日にまかせたらなん」という歌の心です。ある者は唐衣に錦をつけて、桜の花をつけ、薄い綿を浅葱に染めて上に引いて、「野べの霞はつつめども」という歌の心です。袴も打袴にして、花を付けていました。この「こぼれてにほふ」の装いは、七の宮などと申す方の御母の装いだと聞きました。
御車添いの者の狩衣や袴なども、いろいろの紋を押しなどして輝き合っているところに、遣り縄というものも、葦手緒などでしょうか、縒り合わせてあります。色の混じった御簾の掛け緒などのように、金具や房などをゆらゆらと飾って、何もかもいつもと違って輝き合っていました。摂政殿(忠通)は御車で、随身などをきらびやかに装わせていらしたさまは、言葉では言い尽くせません。法勝寺にお渡りになって花をご覧になって回り、白河殿にお移りになってお遊びがあって、公卿の座に御杯をたびたび勧めなさって、それぞれが歌を奉られました。序は花園の大臣(有仁)がお書きになった、と承りました。新院の御製などは、勅撰集に入っているとか。女房の歌などもさまざまにあったと聞きました。
よろづ代のためしと見ゆる花の色をうつしとゞめよ白川の水
などとお詠みになったと聞きました。御寺の花が、雪の朝などのように咲き連なっている上に、わざと前もってほかの花も散らして、庭に敷いてあったのでしょうか。牛の爪も隠れ、車の跡も入るほどに花が積もっていて、梢の花も、雪の盛りに降るようであったと、伝え聞いただけでも思いやられました。まして実際にご覧になった人のことが思いやられます。
その後、いつの年でしたか、雪見の御幸をなさいましたが、たびたび晴れてしまって、今日か今日かと言っていたところ、急に(雪が)降りましたので、西山・船岡のあたりをご覧になって回り、法皇も院も都の中では一つの御車にお乗りになって、新院は御直衣に紅の打衣をお出しになって、御馬にお乗りになったのは、たいそう珍しく、絵にも描きたいほどでございました。二条大宮(令子内親王)の女房の出し車に、菊や紅葉の色とりどりの衣を出してあるのに、上下に白い衣を重ねて縫い合わせてあったので、ほころびは多く縫い目は少なくて、厚衣の綿などのようにこぼれ出ているのが、菊や紅葉の上に雪の降り積もったようで、五両の車を続けて立てたのは、たいそう見どころが多くございました。この帝は、お心はひどく風流に凝られることはなくて、お気立てが整っていて、お顔立ちも美しく、功徳の道や御祈祷ばかりをなさいました。笛をこの上なくみごとにお吹きになって、堀河院にも劣らなかったでしょう。音楽なども奥義を究めてご存じでした。御笛の音も愛嬌があって、涼しげでいらっしゃいました。公教・公能などと申した大臣、伊実・成通などと申す中納言などは皆御弟子だと聞きました。ふだんと違う御病気が長くなられて、世が心細くお思いになったのでしょうか、徳大寺の左大臣(実能)にでしょうか、花を折ってお与えになるとて、御歌がありました。
心あらばにほひをそへよ櫻花のちの春をばいつか見るべき
とお詠みになりました。
意訳
鳥羽天皇は五歳で即位したが、祖父白河院が在世の間は政治に関わらず、白河院の死後、院政を行って二十八年間国政を執った。白河院の在世中は、本院(白河)・新院(鳥羽)・待賢門院が三条室町殿に同居し、一つの車で外出するほど親密であった。
保安五年(1124)閏二月の白河花見御幸は、院政期の華やかさを象徴する盛儀である。待賢門院とその女房たちの出し車は、金銀の箔を延べ、玉を貫き、古歌の心を装束の意匠に表すなど、贅を尽くしたもので、「今日ばかりは制も破れて」と、過差の禁制さえ破られたことが記される。章題の「白河の花の宴」はこの御幸による。
女房たちの装束は、「玉にもぬける春の柳か」(遍昭)、「柳桜をこきまぜて」(素性)など古今集の名歌を図案化したもので、歌の心を衣装で表現する王朝の美意識をよく伝えている。
雪見の御幸での令子内親王の女房の、白い衣で菊や紅葉を覆った出し衣も趣向をこらしたもの。最後に鳥羽院の人柄が語られ、笛の名手で多くの弟子を持ったこと、病の中で「心あらば」の歌を詠んだことで結ばれる。
語釈・文法注
- 鳥羽ノ院
- 第七十四代鳥羽天皇(1103〜1156)。名は宗仁。
- 茨子
- 藤原苡子。底本は「茨子」と刷る。藤原実季の娘で、鳥羽天皇を産んで亡くなった。
- 本院新院
- 本院は白河法皇、新院は鳥羽上皇。
- 三條室町殿
- 三条室町にあった白河院の御所。
- 待賢門院
- 藤原璋子(1101〜1145)。藤原公実の娘で、白河院の養女として鳥羽天皇の中宮となった。崇徳・後白河天皇の母。
- 閏月
- 保安五年(1124)は二月に閏月があった。
- こがの太政のおとゞ
- 源雅実。久我太政大臣と呼ばれた。
- いだし車
- 女房が乗り、簾の下から衣の裾や袖を出して飾りとした牛車。
- うちいで
- 打出。出し衣(いだしぎぬ)。簾の下から出した衣の端。
- 五つにほひ
- 同系統の色を濃淡に五枚重ねた襲の色目。
- かいふ
- 海賦。波・貝・海藻など海辺の景物を描いた模様。
- やりなは
- 遣り縄。牛車の牛をつなぐ縄。
- 西山船岡
- 京の西の山々と、北の船岡山。
- 二條の大宮
- 令子内親王。白河天皇の皇女で、鳥羽天皇の准母として太皇太后となった。
- 公敎
- 藤原公教(1103〜1160)。閑院流。
- 伊實
- 藤原伊実(1115〜1160)。
- 成通
- 藤原成通(1097〜?)。蹴鞠・笛・今様の名手。
- 德大寺の左のおとゞ
- 藤原実能(1096〜1157)。待賢門院の兄。徳大寺家の祖。
文法
- 詞も及はず
- 底本は濁点を付けないが「及ばず」。
- 十輛なれは
- 底本は濁点を付けないが「なれば」。
- 縫ひあはせたれは
- 底本は濁点を付けないが「たれば」。
- あいつかはしく
- 「あいぎやうづかし(愛敬づかし)」か。愛嬌があって親しみやすい。
和歌
よろづ代のためしと見ゆる花の色をうつしとゞめよ白川の水
- 詠者
- 未詳
- 状況
- 保安五年の白河花見御幸で詠まれた歌。
修辞
- 掛詞
- 「うつし」に、水に映す意と、後の世に写し伝える意をかける。
- 掛詞
- 「白川」は地名と、白く澄んだ川の水をかける。
心あらばにほひをそへよ櫻花のちの春をばいつか見るべき
- 詠者
- 鳥羽院
- 状況
- 病が長引いて心細く思っていたころ、徳大寺実能に桜の枝を折って与えたときの歌。
修辞
- 擬人法
- 桜に「心あらば」と呼びかけ、いつ見られるかわからない来年の春の分まで美しく匂えと願う。
解説
白河花見御幸は、『今鏡』の中でも最も華やかな場面の一つで、院政期の宮廷文化の頂点を示すものとしてしばしば引かれる。女房装束の描写は、当時の服飾史の資料としても貴重である。
鳥羽院の院政(1129〜1156)の末期には、待賢門院と美福門院、崇徳院と後白河天皇、藤原忠通と頼長との対立が深まり、院の死の直後に保元の乱が起こる。この章の穏やかな描写は、その前の平穏な時代の記憶でもある。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、76〜81頁(コマ53–55)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日