古典ライブラリー

今鏡 第二「すべらぎの中」 第14章

玉章

白河天皇の第二皇子、堀河天皇の御代。笛にすぐれ、和歌を好んだ天皇のもとで、艶書合や堀河百首が催された。源俊頼の連歌の逸話を交えつつ、叔母篤子内親王を中宮とし、女御苡子の死を悼んだ歌を残した天皇は、在位二十一年、二十九歳で崩御した。

  1. 1のみかどのみかどのみかどははは、、、白河しらかは白河しらかはしらかわののの法皇ほふわう法皇ほふわうほうおうののの第二だいに第二だいにだいにののの御子みこ御子みこみこにおはしましきにおはしましきにおわしましき。。。そのそのその御母おほんはは御母おほんははおおんはは、、、贈ぞう贈ぞうぞう太皇太后宮たいくわうたいこうぐう太皇太后宮たいくわうたいこうぐうたいこうたいこうぐう中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうなりなりなり。。。關白太政大臣師實くわんぱくだいじやうだいじんもろざね關白太政大臣師實くわんぱくだいじやうだいじんもろざねかんぱくだいじょうだいじんもろざねのおとゞののおとゞののおとどの御おん御おんおんむすめむすめむすめ、、、誠まこと誠まことまことにににははは、、、右大臣うだいじん右大臣うだいじんうだいじん源げん源げんげん顯あらは顯あらはあらわ房ばう房ばうぼうのおとゞののおとゞののおとどの御おん御おんおんむすめなりむすめなりむすめなり。。。
  2. 2このみかどこのみかどこのみかど、、、承うけたまは承うけたまはうけたまわ曆りやく曆りやくりやく三年さんねん三年さんねんさんねんつちのとつちのとつちのと未ひつじ未ひつじひつじ、、、二月にぐわつ二月にぐわつにがつ十日とをか十日とをかとおか生う生ううまれさせまれさせまれさせ給たま給たまたまへりへりえり。。。應おう應おうおう德とく德とくとく三年さんねん三年さんねんさんねん十一月じふいちぐわつ十一月じふいちぐわつじゅういちがつ廿六日にじふろくにち廿六日にじふろくにちにじゅうろくにち位くらゐ位くらゐくらいにつかせにつかせにつかせ給たま給たまたまふふう。。。御おん御おんおんとしとしとし八や八ややつつつ、、、このみかどこのみかどこのみかど御心みこころ御心みこころみこころばへあてにやさしくおはしましけりばへあてにやさしくおはしましけりばえあてにやさしくおわしましけり。。。
  3. 3そのそのその中なか中なかなかににに、、、笛ふえ笛ふえふえをををすぐれてすぐれてすぐれて吹ふ吹ふふかせかせかせ給たま給たまたまひてひていて、、、あさあさあさ夕ゆふべ夕ゆふべゆうべににに御おん御おんおんあそびあればあそびあればあそびあれば、、、ののの名對面なだいめん名對面なだいめんなだいめんなどなどなど申まう申まうもうすもすもすも、、、調子てうし調子てうしちょうしたかうとてたかうとてたこうとて、、、曉あかつき曉あかつきあかつきになるになるになるをををりもありけりりもありけりりもありけり。。。
  4. 4そのそのその御時おほんとき御時おほんときおおんとき、、、笛ふえ笛ふえふえふきふきふき給たま給たまたまふふう殿上人てんじやうびと殿上人てんじやうびとてんじょうびとももも、、、笛ふえ笛ふえふえののの師し師ししなどなどなど皆みな皆みなみな「「「かのかのかの御時おほんとき御時おほんときおおんとき給たま給たまたまはははりたるりたるりたるふみなりふみなりふみなり」」」。。。などいひてなどいひてなどいいて、、、末すゑ末すゑすえののの世よ世よよまでまでまで持も持ももちあはれちあはれちあわれ侍はべ侍はべはべるなりるなりるなり。。。といふといふという笙しやう笙しやうしょうのののふえふきふえふきふえうき、、、御おん御おんおんおぼえにておぼえにておぼえにて、、、夏なつ夏なつなつははは所ところ所ところところににに氷こほり氷こほりこおりめしてめしてめして賜たま賜たまたまふふう。。。
  5. 5おのづからなきおのづからなきおのずからなき折をり折をりおりありけるにありけるにありけるにははは、、、すゞしきすゞしきすずしき御扇おほんあふぎ御扇おほんあふぎおおんおうぎなりとてなりとてなりとて、、、たまはせなどせさせたまはせなどせさせたまわせなどせさせ給たま給たまたまひけりひけりいけり。。。のおほきおとゞのおほきおとゞのおおきおとど、、、近衞こんゑ近衞こんゑこんえのすけにおはしけるのすけにおはしけるのすけにおわしけるほどなどほどなどほどなど、、、夜よ夜よよもすがらもすがらもすがら御笛おほんふえ御笛おほんふえおおんふえふかせふかせふかせ給たま給たまたまひてぞあかさせひてぞあかさせいてぞあかさせ給たま給たまたまひけるひけるいける。。。
  6. 6をもをもをもたぐひなくよませたぐひなくよませたぐいなくよませ給たま給たまたまひてひていて、、、さつきのさつきのさつきの頃ころ頃ころころ、、、つれ〴〵におぼしめしけるにやつれ〴〵におぼしめしけるにやつれずれにおぼしめしけるにや。。。歌うた歌うたうたよむよむよむ男女なんによ男女なんによなんにょ、、、よみかよみかよみかはははさせてさせてさせて御覽ごらん御覽ごらんごらんじけりじけりじけり。。。大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごん、、、中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんなどよりなどよりなどより始はじ始はじはじめてめてめて、、、などいふなどいふなどいう人々ひとびと人々ひとびとひとびとももも、、、さま〴〵のさま〴〵のさまざまの薄樣うすやう薄樣うすやううすようににに、、、かきてやりかきてやりかきてやり給たま給たまたまひけりひけりいけり。。。
  7. 7女をんな女をんなおんなはははノノノ內侍ないし內侍ないしないし、、、四條しでう四條しでうしじょうノノノ宮みや宮みやみやののの筑前ちくぜん筑前ちくぜんちくぜん、、、高倉たかくら高倉たかくらたかくらののの一宮いちのみや一宮いちのみやいちのみやののの紀伊きい紀伊きいきい、、、ノノノ齋宮さいぐう齋宮さいぐうさいぐうのゆりのゆりのゆり花はな花はなはな、、、皇后宮くわうごうぐう皇后宮くわうごうぐうこうごうぐうののの肥後ひご肥後ひごひご、、、津つ津つつののの君きみ君きみきみなどいふなどいふなどいう、、、ところ〴〵のところ〴〵のところどころの女房にようばう女房にようばうにょうぼう、、、わわわれも〳〵とれも〳〵とれもれもと返かへ返かへかえしあへりしあへりしあえり。。。
  8. 8又女またをんな又女またをんなまたおんなのののうらみたるうらみたるうらみたる歌うた歌うたうたよみてよみてよみて、、、男をとこ男をとこおとこのがりやりなどしたるのがりやりなどしたるのがりやりなどしたる、、、堀河院ほりかはのゐん堀河院ほりかはのゐんほりかわのいんのののとてとてとて、、、末すゑ末すゑすえののの世よ世よよまでとゞまりてまでとゞまりてまでとどまりて、、、よきよきよき歌うた歌うたうたはははおほくおほくおおく撰集せんじふ撰集せんじふせんしゅうなどになどになどに入い入いいれるなるべしれるなるべしれるなるべし。。。
  9. 9にてぞにてぞにてぞ、、、講かう講かうこうじてきこしめしけるじてきこしめしけるじてきこしめしける。。。又また又またまた時とき時ときときのののうたよみうたよみうたよみ十四人じふよにん十四人じふよにんじゅうよにんににに、、、、、、おの〳〵におの〳〵におのおのに奉たてまつ奉たてまつたてまつらせらせらせ給たま給たまたまひけりひけりいけり。。。男をとこ男をとこおとこをををんなんなんな僧そう僧そうそうなどなどなど、、、歌人うたびと歌人うたびとうたびとみなみなみな名な名ななあらはれたるあらはれたるあらわれたる人々ひとびと人々ひとびとひとびとなりなりなり。。。
  10. 10題だい題だいだいははは匡房まさふさ匡房まさふさまさふさののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんぞたてまつりけるぞたてまつりけるぞたてまつりける。。。このこのこの世よ世よよののの人ひと人ひとひと、、、歌うた歌うたうたよむなかだちによむなかだちによむなかだちにははは、、、それなむせらるなるそれなむせらるなるそれなむせらるなる。。。作つく作つくつくられられられ侍はべ侍はべはべりけるころりけるころりけるころ、、、殿上人てんじやうびと殿上人てんじやうびとてんじょうびとにににあてられあてられあてられ侍はべ侍はべはべりけるにりけるにりけるに、、、俊賴としより俊賴としよりとしより歌人うたびと歌人うたびとうたびとにておはしけるににておはしけるににておわしけるに、、、百首歌ひやくしゆのうた百首歌ひやくしゆのうたひゃくしゅのうたあんぜむとすればあんぜむとすればあんぜむとすれば、、、いついついつ文字もじ文字もじもじにににははは華鬘けまん華鬘けまんけまんとのみおかるゝととのみおかるゝととのみおかるると聞き聞ききかせたまひてかせたまひてかせたまいて、、、ふびんのふびんのふびんの事こと事ことことかなとてかなとてかなとて、、、のぞかせのぞかせのぞかせ給たま給たまたまひけるとぞひけるとぞいけるとぞ、、、きこえきこえきこえ侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。
  11. 11いづれのいづれのいずれの頃ごろ頃ごろごろにかありけむにかありけむにかありけむ。。。南殿なでん南殿なでんなでんかかか仁壽殿じじゆうでん仁壽殿じじゆうでんじじゅうでんかにてかにてかにて、、、御覽ごらん御覽ごらんごらんじつかはしけるにじつかはしけるにじつかわしけるに、、、誰た誰たたれにかれにかれにか有あ有あありけむりけむりけむ、、、殿上人てんじやうびと殿上人てんじやうびとてんじょうびとののの參まゐ參まゐまいりてりてりて、、、殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうにのぼりてゐたりければにのぼりてゐたりければにのぼりていたりければ、、、
  12. 12雲くも雲くもくものののうへにうへにうえに雲くも雲くもくものののうへうへうえ人ひと人ひとひとのぼりゐぬのぼりゐぬのぼりいぬ
  13. 13ととと仰おほ仰おほおおせられけるにせられけるにせられけるに、、、俊賴としより俊賴としよりとしよりのきみのきみのきみ、、、
  14. 14候さふら候さふらそうらひもせでひもせでいもせで
  15. 15ととと付つ付つつけられたりけるけられたりけるけられたりけるををを、、、詞ことば詞ことばことばとゞこほりたりととゞこほりたりととどこおりたりと聞き聞ききこゆれどこゆれどこゆれど、、、心こころ心こころこころばせもあるばせもあるばせもある事こと事ことことととと聞き聞ききこゆめりこゆめりこゆめり。。。歌うた歌うたうたののの風情ふぜい風情ふぜいふぜい、、、いたづらにいたづらにいたずらにうするうするうする事こと事ことことなりとてなりとてなりとて、、、連歌れんが連歌れんがれんがをばをばをば大方おほかた大方おほかたおおかたせられざりけりとせられざりけりとせられざりけりと聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべりしにりしにりしに、、、金葉集きんえふしふ金葉集きんえふしふきんようしゅうにぞいとしもなきにぞいとしもなきにぞいとしもなき、、、多おほ多おほおおくくく集あつ集あつあつめられたるめられたるめられたる。。。
  16. 16いたづらにいたづらにいたずらに出い出いいできたるできたるできたるををを、、、惜をし惜をしおしまれまれまれ侍はべ侍はべはべるなるべしるなるべしるなるべし。。。ののの君きみ君きみきみががが連歌れんが連歌れんがれんがははわ、、、「「「つきくさのつきくさのつきくさのうつしのもとのくつわうつしのもとのくつわうつしのもとのくつわ虫むし虫むしむし」」」、、、などしたるなどしたるなどしたるをををいふいふいう也なり也なりなり。。。
  17. 17又また又またまた「「「からかどやこのみかどともたゝくかなからかどやこのみかどともたゝくかなからかどやこのみかどともたたくかな」」」。。。などなどなど侍はべ侍はべはべりけりりけりりけり。。。木工もく木工もくもくノノノ頭かしら頭かしらかしら俊賴としより俊賴としよりとしよりももも、、、高陽院かやのゐん高陽院かやのゐんかやのいんののの大殿おほとの大殿おほとのおおとののののひめひめひめ君きみ君きみきみととと聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまひしひしいし時とき時ときとき、、、作つく作つくつくりてりてりて奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまへりとかへりとかえりとか聞きこ聞きこきこゆるゆるゆる、、、和歌わか和歌わかわかのよむべきのよむべきのよむべきやうなどやうなどようなど侍はべ侍はべはべるるるふみにふみにふみにははは、、、ののの中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうののの連歌れんが連歌れんがれんが、、、伊勢いせ伊勢いせいせノノノ大輔たいふ大輔たいふたいふががが、、、「「「こここはははえもいはぬえもいはぬえもいわぬ花はな花はなはなののの色いろ色いろいろかなかなかな」」」。。。
  18. 18ととと付つ付つつけたるけたるけたる事こと事ことことなどなどなど、、、いといといと優いう優いうゆうなることにこそなることにこそなることにこそ侍はべ侍はべはべるなればるなればるなれば、、、連歌れんが連歌れんがれんがをもをもをも、、、うけぬことにうけぬことにうけぬことに、、、ひとへにしひとへにしひとえにし給たま給たまたまふともふともうとも聞き聞ききこえずこえずこえず。。。おおおほかたほかたほかたははは、、、見み見みみるるる事聞ことき事聞こときこときくくく事こと事ことことにつけてにつけてにつけて、、、かねてぞよみまうけられけるかねてぞよみまうけられけるかねてぞよみもうけられける。。。
  19. 19當座たうざ當座たうざとうざによむによむによむことことことはははすくなくすくなくすくなく、、、とかきてぞとかきてぞとかきてぞ侍はべ侍はべはべりつるりつるりつる。。。さてさてさて侍はべ侍はべはべりけるにやりけるにやりけるにや。。。家集かしふ家集かしふかしゅうににに、、、きゝときゝきゝときゝききときき給たま給たまたまへりけるとおぼゆることへりけるとおぼゆることえりけるとおぼゆることををを、、、よみよみよみ集あつ集あつあつめられめられめられ侍はべ侍はべはべるめりるめりるめり。。。
  20. 20これこれこれははは連歌れんが連歌れんがれんがのついでにのついでにのついでに、、、うけたまはりしことうけたまはりしことうけたまわりしことををを申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべるになむるになむるになむ。。。
  21. 21さてさてさて此こ此ここののの御時おほんとき御時おほんときおおんときににに、、、御息所みやすんどころ御息所みやすんどころみやすんどころははは、、、これかれこれかれこれかれ定さだ定さださだめられめられめられ給たま給たまたまへりけれどもへりけれどもえりけれども、、、御おん御おんおんをばをばをばののの前齋院さきのさいゐん前齋院さきのさいゐんさきのさいいんぞぞぞににに參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまひてひていて、、、中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうにたちにたちにたち給たま給たまたまひしひしいし。。。殊こと殊ことことののの外ほか外ほかほかののの御おん御おんおんよはひなれどよはひなれどよわいなれど、、、幼をさな幼をさなおさなくよりくよりくより類たぐ類たぐたぐひなくひなくひなく見み見みみとりたてまつらせとりたてまつらせとりたてまつらせ給たま給たまたまひてひていて、、、たゞたゞただ四し四ししののの宮みや宮みやみやをををとかやとかやとかや、、、おぼせりければにやおぼせりければにやおぼせりければにや侍はべ侍はべはべりけんりけんりけん。。。
  22. 22參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまひけるひけるいける夜よ夜よよももも、、、いとあはぬいとあはぬいとあわぬ事こと事ことことにてにてにて、、、御車みくるま御車みくるまみくるまにもたてまつらざりければにもたてまつらざりければにもたてまつらざりければ、、、曉近あかつきちか曉近あかつきちかあかつきちかくなるまでぞくなるまでぞくなるまでぞ、、、心こころ心こころこころもとなくもとなくもとなくはべりけるはべりけるはべりける。。。鳥羽とば鳥羽とばとばののの帝みかど帝みかどみかどののの御母おほんはは御母おほんははおおんははののの女御にようご女御にようごにょうごどのもどのもどのも參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまひてひていて、、、院ゐん院ゐんいんもてなしきこえさせもてなしきこえさせもてなしきこえさせ給たま給たまたまへばへばえば、、、はなやかにおはしましゝかどもはなやかにおはしましゝかどもはなやかにおわしまししかども、、、中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうはははつきせぬつきせぬつきせぬ御心みこころ御心みこころみこころざしになむざしになむざしになむ、、、きこえさせきこえさせきこえさせ給たま給たまたまひしひしいし。。。女御にようご女御にようごにょうごうせさせうせさせうせさせ給たま給たまたまひてのころひてのころいてのころ、、、
  23. 23梓弓あづさゆみ梓弓あづさゆみあずさゆみはははるのるのるの山やま山やまやまべのかすみこそべのかすみこそべのかすみこそ戀こひ戀こひこいしきしきしき人ひと人ひとひとのかたみなりけれのかたみなりけれのかたみなりけれ
  24. 24とよませとよませとよませ給たま給たまたまへりけるこそへりけるこそえりけるこそ、、、あはれにあはれにあわれに御おん御おんおんなさけなさけなさけ多おほ多おほおおくきこえくきこえくきこえ侍はべ侍はべはべりしかりしかりしか。。。
  25. 25末すゑ末すゑすえののの世よ世よよのみかどのみかどのみかど、、、廿一にじふいち廿一にじふいちにじゅういち年とし年としとしまでたもたせまでたもたせまでたもたせ給たま給たまたまふふう、、、いとありがたきいとありがたきいとありがたき事こと事ことことなりなりなり。。。時とき時ときときののの人ひと人ひとひとををを得え得ええさせさせさせ給たま給たまたまへるへるえる、、、誠まこと誠まことまことにさかりなりけりにさかりなりけりにさかりなりけり。。。一いち一いちいちのかみにてのかみにてのかみにてののの左ひだり左ひだりひだりのおとゞのおとゞのおとど、、、物もの物ものものかくかくかく宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうにてにてにて通俊みちとし通俊みちとしみちとし、、、匡房まさふさ匡房まさふさまさふさ、、、藏人くらうど藏人くらうどくろうどノノノ頭とう頭とうとうにてにてにて季仲すゑなか季仲すゑなかすえなかありありあり。。。
  26. 26昔むかし昔むかしむかしににに耻は耻ははぢぬぢぬじぬ世よ世よよなりなりなり。。。などぞおほせられけるなどぞおほせられけるなどぞおおせられける。。。みち〳〵のみち〳〵のみちみちの博士はかせ博士はかせはかせももも、、、すぐれたるすぐれたるすぐれたる人ひと人ひとひと、、、多おほ多おほおおかるかるかる世よ世よよになむになむになむ侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。このみかどこのみかどこのみかど、、、みそぢにだにみそぢにだにみそじにだに滿み滿みみたせたせたせ給たま給たまたまはぬはぬわぬ、、、世よ世よよののの惜をし惜をしおしみたてまつるみたてまつるみたてまつる事こと事ことこと、、、限かぎ限かぎかぎりなかるべしりなかるべしりなかるべし。。。
  27. 27そのそのその御おん御おんおんありさまありさまありさま、、、內侍ないし內侍ないしないしのすけのすけのすけとかとかとか聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまひしひしいし、、、こまかにかゝれたるこまかにかゝれたるこまかにかかれたるふみふみふみ侍はべ侍はべはべりとかやりとかやりとかや。。。人ひと人ひとひとのよまれしのよまれしのよまれしををを、、、ひとかへりひとかへりひとかえりははは聞き聞ききききき侍はべ侍はべはべりしりしりし、、、このこのこの中なか中なかなかにもにもにも、、、御覽ごらん御覽ごらんごらんじてやおはしますらんじてやおはしますらんじてやおわしますらん。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

堀河天皇は、白河法皇の第二皇子でいらっしゃいました。その御母は贈太皇太后宮賢子中宮です。関白太政大臣師実公の御娘で、本当は右大臣源顕房公の御娘です。この帝は承暦三年己未の二月十日にお生まれになりました。応徳三年十一月二十六日に位におつきになります。御年八歳。この帝はお心が上品で優美でいらっしゃいました。その中でも、笛をすぐれてお吹きになって、朝夕に管弦のお遊びがあるので、滝口の武士が名のりを申すのも、(笛の)調子が高いといって、夜明けになることもありました。その御時に笛を吹きなさった殿上人も、笛の師なども皆、「あの御時にいただいた楽譜だ」などと言って、後の世まで持ち合っております。時元という笙の笛吹きはご寵愛を受けて、夏は御厨子所に氷を取り寄せてお与えになります。たまたま氷のない時には、涼しい御扇だといってお与えになったりしました。宗輔の太政大臣が近衛の次将でいらしたころなど、一晩中御笛をお吹きになって夜を明かされました。

和歌も比べるものがないほどお詠みになって、五月のころ、所在なくお思いになったのでしょうか、歌を詠む男女に詠み交わさせてご覧になりました。大納言公実・中納言国信などをはじめとして、俊頼などという人々も、さまざまな薄様の紙に書いて贈りなさいました。女は周防内侍、四条宮の筑前、高倉の一宮の紀伊、前斎宮のゆり花、皇后宮の肥後、津の君などという、あちこちの女房が、我も我もと返歌し合いました。また女が恨んだ歌を詠んで男のもとへ贈りなどしたのは、堀河院の艶書合といって後の世まで残って、よい歌は多く撰集などに入っているでしょう。二間で披講してお聞きになりました。また当代の歌詠み十四人に、百首歌をそれぞれ奉らせなさいました。男・女・僧など、歌人として皆名の知られた人々です。題は匡房中納言が奉りました。今の世の人が歌を詠む手本には、それを用いているようです。尊勝寺が造られたころ、殿上人に華鬘(の調進)が割り当てられたところ、俊頼は歌人でいらしたのに、百首歌を考えようとすると、五文字(初句)には華鬘とばかり置いてしまうとお聞きになって、気の毒なことだといって、(割り当てから)お除きになったと聞きました。

いつのころでありましたでしょうか、南殿か仁寿殿かで、(帝が)ご覧になっていたところ、誰であったか、殿上人が参って殿上の間にのぼって座っていたので、

雲のうへに雲のうへ人のぼりゐぬ

とおっしゃったところ、俊頼の君が、

しもさぶらひに候ひもせで

と付けられたのを、言葉はぎこちないと聞こえるけれども、機転がきいていると聞こえるようです。(俊頼は)歌の風情がむだに失われることだといって、連歌はほとんどなさらなかったと聞いておりましたのに、金葉集にはつまらない連歌が多く集められています。むだに出来たものを惜しまれたのでしょう。基俊の君の連歌は、「つきくさのうつしのもとのくつわ虫」などとしたものをいうのです。また「からかどやこのみかどともたたくかな」などとありました。木工頭俊頼も、高陽院の大殿(忠実)の姫君(泰子)と申し上げた時に作って差し上げなさったとかいう、和歌の詠み方などを記した書物には、道信中将の連歌に伊勢大輔が「こはえもいはぬ花の色かな」と付けたことなどを、たいそう優美なことと書いていますので、連歌も嫌って、全くなさらなかったとも聞こえません。たいていは、見ること聞くことにつけて、前もって詠みためておかれました。その場で詠むことは少なく、擬作と書いてありました。そうしておかれたのでしょうか、家集に、聞いたことを聞いたままにと思われることを詠み集めておられるようです。これは連歌のついでに、うかがったことを申し上げたのです。

さてこの御時に、御息所は誰かれと定められなさいましたけれども、御叔母の前斎院(篤子内親王)が女御として入内なさって、中宮にお立ちになりました。ことのほかのお年(の差)でしたが、幼い時から比べるものもないほど大切にお世話申し上げなさって、ただ四の宮(篤子)をと思っていらしたからでしょうか。入内なさる夜も、たいそう気が進まないことで、御車にもお乗りにならなかったので、明け方近くなるまで気がかりなことでございました。鳥羽の帝の御母の女御殿(苡子)も入内なさって、院(白河)が大切にお扱い申し上げなさったので、華やかでいらっしゃいましたが、中宮には尽きないご愛情を寄せておられると評判でした。女御がお亡くなりになったころ、

梓弓はるの山べのかすみこそ戀しき人のかたみなりけれ

とお詠みになったのは、しみじみと情け深く聞こえました。末の世の帝で二十一年も世を保たれたのは、まことにめったにないことです。時の人材を得ていらしたのも、まことに盛んでした。一の上(筆頭の大臣)として堀河左大臣(俊房)、文章にすぐれた宰相として通俊・匡房、蔵人頭として季仲がいる。昔に恥じない世だ、などとおっしゃいました。諸道の博士も、すぐれた人が多い世でございました。この帝が三十歳にもならずに(崩御されたのを)、世の人が惜しみ申し上げることは限りもないでしょう。そのご様子は、典侍の讃岐とか申し上げた方が、細かく書かれた書物があるとか。人が読まれたのを、一度は聞きました。この中にも、ご覧になった方がいらっしゃるでしょう。

意訳

堀河天皇は八歳で即位し、父白河院の院政のもとで在位した。今鏡は、政治よりも天皇の風雅を描くことに力を注ぐ。笛の名手で、楽人時元に氷がなければ扇を与え、近衛次将の宗輔と夜通し笛を吹いたという逸話は、音楽を愛した天皇の人柄をよく伝えている。章題の「玉章」は、艶書合の恋文(玉章)による。

康和四年(1102)の艶書合は、男女の歌人が恋文の歌を贈答し合う趣向の催しで、堀河百首(堀河院御時百首和歌)は、のちの百首歌の規範となった。俊頼が華鬘の調進で歌作りに支障をきたしていると聞き、その負担を免じた話には、歌人を大切にする天皇の配慮がうかがえる。

「雲のうへに雲のうへ人のぼりゐぬ」に俊頼が付けた「しもさぶらひに候ひもせで」は、「雲の上(殿上)」と「下侍(しもさぶらい)」を対比した機知の句。語り手はここから話を広げ、俊頼の連歌観や基俊の連歌、俊頼髄脳に見える道信と伊勢大輔の連歌にまで触れている。

後半は后妃の話。堀河天皇は十九歳年上の叔母篤子内親王を中宮とし、深く愛した。一方、白河院の意向で入内した苡子は鳥羽天皇を産んでまもなく亡くなり、天皇は「梓弓」の歌で哀悼した。最後は、人材に恵まれた御代をたたえ、二十九歳での崩御を惜しんで、『讃岐典侍日記』に触れて結ぶ。

語釈・文法注

堀河のみかど
第七十三代堀河天皇(1079〜1107)。名は善仁。
賢子中宮
藤原賢子。源顕房の娘で、藤原師実の養女。
瀧口の名對面
宮中を警護する滝口の武士が、夜、清涼殿の前で名のりをすること。
時元
豊原時元(1058〜1123)。笙の名手。
みづし所
御厨子所。天皇の食事を調える所。
宗輔のおほきおとゞ
藤原宗輔(1077〜1162)。笛の名手。太政大臣。
大納言公實
藤原公実(1053〜1107)。閑院流。待賢門院の父。
中納言國信
源国信(1069〜1111)。歌人。
俊賴
源俊頼(1055〜1129)。歌人。『金葉和歌集』の撰者。歌論書『俊頼髄脳』を著した。
周防ノ內侍
周防内侍。後冷泉から堀河までの四代に仕えた女房歌人。
艷書合
男女の歌人が恋文の歌を贈答し合う形の歌合。康和四年(1102)閏五月に行われた。
二間
清涼殿の、夜の御殿の東にある部屋。
百首歌
堀河百首。十四人(のち十六人)の歌人が、匡房の定めた百の題で詠んだ。
尊勝寺
堀河天皇の御願寺。六勝寺の一つ。康和四年(1102)供養。
華鬘
仏前を飾る装飾具。造営の際、殿上人に調進が割り当てられた。
しもさぶらひ
下侍。殿上の間の南にある、侍臣の控える所。「雲の上」に対していう。
基俊
藤原基俊(1060〜1142)。歌人。俊頼と並ぶ歌壇の重鎮。
和歌のよむべきやうなど侍るふみ
『俊頼髄脳』。藤原忠実の娘泰子(のちの高陽院)のために書かれた歌論書。
道信の中將
藤原道信(972〜994)。歌人。
擬作
その場で詠んだ形をとるが、前もって作っておいた歌。
前齋院
篤子内親王(1060〜1114)。後三条天皇の皇女で、堀河天皇の叔母。十九歳年上で中宮となった。
女御どの
藤原苡子(1076〜1103)。藤原実季の娘。鳥羽天皇を産んで亡くなった。
堀河の左のおとゞ
源俊房(1035〜1121)。師房の子。左大臣。
內侍のすけ讃岐
藤原長子。讃岐典侍。堀河天皇の発病から崩御までを記した『讃岐典侍日記』の作者。

文法

持ちあはれ侍るなり
「あはれ」は「あへ(合ふ)」の誤りか。持ち合っております。
もてかしづき
大切に世話をする。
御車にもたてまつらざりければ
「たてまつる」は「乗る」の尊敬語。

和歌

雲のうへに雲のうへ人のぼりゐぬ

詠者
堀河天皇
状況
殿上人が殿上の間に上って座っているのを見て、天皇が詠みかけた連歌の上の句。

修辞

掛詞
「雲のうへ」に宮中と、文字どおりの雲の上をかける。

しもさぶらひに候ひもせで

詠者
源俊頼
状況
天皇の上の句に付けた下の句。

修辞

対比
「雲のうへ」に「しも(下)」を対させ、下侍に控えもせずに上ったことを機知的にとがめる。

梓弓はるの山べのかすみこそ戀しき人のかたみなりけれ

詠者
堀河天皇
状況
女御苡子が亡くなったころ詠んだ歌。

修辞

枕詞
「梓弓」は「はる」にかかる。
見立て
火葬の煙を、春の山辺の霞にたとえ、亡き人の形見とする。

解説

堀河天皇の御代(1086〜1107)は、白河院政の初期にあたるが、天皇は政務にも熱心で、人材に恵まれた。今鏡が並べる俊房・通俊・匡房・季仲は、それぞれ政界と学問の第一人者である。

『讃岐典侍日記』は、堀河天皇に仕えた藤原長子が、天皇の病と崩御を克明に記した作品。今鏡の語り手が「人のよまれしを、ひとかへりは聞き侍りし」と言うのは、当時この日記が読み聞かせの形で享受されていたことを示す貴重な証言である。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、67〜72頁(コマ48–51)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日