古典ライブラリー

今鏡 第二「すべらぎの中」 第13章

釣せぬ浦々

白河院は人の任官にけじめをつけ、学才のある者を重んじた。藤原顕隆の機知を喜び、顕頼の不備は厳しくとがめる。金泥の一切経を書写させ、殺生を禁じて漁や狩りを絶やした。娘の郁芳門院の死を嘆いて出家し、大治四年七月七日に崩御した。

  1. 1此こ此ここののの御時おほんとき御時おほんときおおんときぞぞぞ、、、昔むかし昔むかしむかしのあとのあとのあとををを起お起おおこさせこさせこさせ給たま給たまたまふふう事こと事ことことははは多おほ多おほおおくくく侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。人ひと人ひとひとののの官くわん官くわんかんなどなさせなどなさせなどなさせ給たま給たまたまふふう事こと事ことことももも、、、よしありてよしありてよしありて、、、たたたはやはやはやすくもなさせすくもなさせすくもなさせ給たま給たまたまはざりけりはざりけりわざりけり。。。
  2. 2六條ろくでう六條ろくでうろくじょうののの修理すり修理すりすり大夫だいぶ大夫だいぶだいぶといひしといひしといいし人ひと人ひとひと、、、世よ世よよのおぼえありておはせしにのおぼえありておはせしにのおぼえありておわせしに、、、といひしといひしといいし博士はかせ博士はかせはかせののの、、、「「「などなどなど殿どの殿どのどのはははにににはははならせならせならせ給たま給たまたまはぬぞはぬぞわぬぞ。。。宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうになるになるになる道みち道みちみちははは七なな七ななななつつつ侍はべ侍はべはべるなりるなりるなり。。。中なか中なかなかににに三位さんみ三位さんみさんみにおはすめりにおはすめりにおわすめり。。。又また又またまた五國いつくに五國いつくにいつくに治をさ治をさおさめたるめたるめたる人ひと人ひとひとももも、、、成な成ななるとこそるとこそるとこそははは見み見みみえええ侍はべ侍はべはべれれれ」」」。。。
  3. 3といひけれといひけれといいけれははは、、、「「「顯季あきすゑ顯季あきすゑあきすえももも、、、さおもひてさおもひてさおもいて、、、御氣色みけしき御氣色みけしきみけしきとりたりしかばとりたりしかばとりたりしかば、、、「「「それもそれもそれもかくうへのかくうへのかくうえの事こと事ことことなりなりなり」」」。。。ととと仰おほ仰おほおおせられしかばせられしかばせられしかば、、、申まう申まうもうすにもおよばでやみにきすにもおよばでやみにきすにもおよばでやみにき」」」。。。
  4. 4とぞいはれとぞいはれとぞいわれ侍はべ侍はべはべりけるりけるりける。。。またまたまたののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんといひしといひしといいし人ひと人ひとひと、、、世よ世よよにににはははよるのよるのよるの關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくなどなどなど聞き聞ききこえしもこえしもこえしも、、、「「「辨べん辨べんべんになさむとになさむとになさむと思おも思おもおもふにふにうに、、、詩し詩しし作つく作つくつくらでらでらではははいかゞあらむいかゞあらむいかがあらむ。。。四韻詩しゐんのし四韻詩しゐんのししいんのし作つく作つくつくるるる者もの者ものものこそこそこそ辨べん辨べんべんにににはははなれなれなれ」」」。。。
  5. 5ととと仰おほ仰おほおおせられければせられければせられければ、、、おどろきておどろきておどろきて好この好このこのみなどせられけりみなどせられけりみなどせられけり。。。事こと事ことことににに明あき明あきあきらかにおはしましてらかにおはしましてらかにおわしまして、、、はかなきことはかなきことはかなきことをもをもをも、、、はえ〴〵しくはえ〴〵しくはえばえしく感かん感かんかんぜさせぜさせぜさせ給たま給たまたまふふう。。。又また又またまたやすきやすきやすき事こと事ことことをもをもをも、、、きびしくなむおはしましけるきびしくなむおはしましけるきびしくなむおわしましける。。。
  6. 6いづれのいづれのいずれの山やま山やまやまとかとかとか。。。御祈おほんいの御祈おほんいのおおんいのりのりのりの賞行しやうおこな賞行しやうおこなしょうおこなはむとおぼされけるにはむとおぼされけるにわむとおぼされけるに、、、たゞたゞただ御布施おほんふせ御布施おほんふせおおんふせばかりばかりばかり給たま給たまたまはむはむわむははは、、、懇ねんごろ懇ねんごろねんごろにおぼしめすにおぼしめすにおぼしめす本意ほい本意ほいほいなかるべしなかるべしなかるべし。。。などなどなど寄よ寄よよせおかむこそかひあるべきにせおかむこそかひあるべきにせおかむこそかいあるべきに、、、さすがさせるさすがさせるさすがさせる事こと事ことことなくてなくてなくて、、、さるさるさる事こと事ことこともたもたもたはやはやはやすかるべしとすかるべしとすかるべしと、、、おぼしわづらはせおぼしわづらはせおぼしわずらわせ給たま給たまたまへるへるえるををを、、、顯隆あきたか顯隆あきたかあきたかののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごん、、、「「「しかしかしか侍はべ侍はべはべらららははは、、、たゞこのたびたゞこのたびただこのたび阿闍梨あざり阿闍梨あざりあざりののの宣旨せんじ宣旨せんじせんじををを下くだ下くだくださせさせさせ給たま給たまたまひてひていて、、、ながくよせらるゝながくよせらるゝながくよせらるる事こと事ことことはははなくてなくてなくて候さふら候さふらそうらへかしへかしえかし」」」。。。
  7. 7ととと申まう申まうもうされければされければされければ、、、「「「誠まこと誠まことまことにしかこそあるべかりけれにしかこそあるべかりけれにしかこそあるべかりけれ。。。己おの己おのおのれなからましかばれなからましかばれなからましかば、、、我わ我わわれいかゞせましれいかゞせましれいかがせまし」」」。。。とぞとぞとぞ、、、かひがひしくかひがひしくかいがいしく感かん感かんかんぜさせぜさせぜさせ給たま給たまたまひけるひけるいける。。。
  8. 8そのそのその子こ子ここのののといひしといひしといいし中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんをもをもをも、、、夢ゆめ夢ゆめゆめににに手て手ててをををひかれてゆくとひかれてゆくとひかれてゆくと見み見みみたりしものたりしものたりしものををを、、、などなどなど仰おほ仰おほおおせられてせられてせられて、、、殊こと殊ことことののの外ほか外ほかほかにおもほしめせりけるにおもほしめせりけるにおもおしめせりける人ひと人ひとひとにてにてにて、、、書ふみ書ふみふみののの函はこ函はこはこなどなどなどひきさげなどするひきさげなどするひきさげなどする事こと事ことことをもをもをも、、、下くだ下くだくだらうなどめしてらうなどめしてろうなどめして、、、持も持ももたせさせたせさせたせさせ給たま給たまたまふなどふなどうなど、、、重おも重おもおもくおもほしめせりけるにくおもほしめせりけるにくおもおしめせりけるに、、、五位ごゐ五位ごゐごいノノノ藏人くらうど藏人くらうどくろうどにてにてにて、、、ののの目錄もくろく目錄もくろくもくろくとかとかとか奏そう奏そうそうせられけるにせられけるにせられけるに、、、御覽ごらん御覽ごらんごらんじてじてじて、、、あらゝかにあらゝかにあららかに裂さ裂ささかせかせかせ給たま給たまたまひてひていて、、、かへしたびければかへしたびければかえしたびければ、、、何事なにごと何事なにごとなにごとにかとにかとにかと恐おそ恐おそおそれれれ思おも思おもおもひてひていて、、、まかりいでてまかりいでてまかりいでて、、、そのそのその後のち後のちのち父ちゝ父ちゝちちののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんまゐりたりけるにぞまゐりたりけるにぞまいりたりけるにぞ、、、「「「ははは、、、津つ津つつののの國くに國くにくにのののももも、、、まだまだまだ勘かんが勘かんがかんがへぬものへぬものへぬものをばをばをば、、、いかでいかでいかで目錄もくろく目錄もくろくもくろくににに入い入いいれてれてれて、、、たてまつりけるぞたてまつりけるぞたてまつりけるぞ」」」。。。
  9. 9ととと仰おほ仰おほおおせられなどしてせられなどしてせられなどして、、、さやうのさやうのさようの事こと事ことことももも、、、かくなむおはしけるかくなむおはしけるかくなむおわしける。。。
  10. 10法文ほふもん法文ほふもんほうもんなどなどなどをもをもをも誠まこと誠まことまことしくしくしく習なら習ならならはせはせわせ給たま給たまたまひけるにこそひけるにこそいけるにこそ。。。ににに、、、六十卷ろくじふくわん六十卷ろくじふくわんろくじっかんといひてといひてといいて、、、法華經ほけきやう法華經ほけきやうほけきょうののの心こころ心こころこころとけるとけるとける文ふみ文ふみふみうけさせうけさせうけさせ給たま給たまたまへりけるにへりけるにえりけるに、、、西にし西にしにしののの京きやう京きやうきょうににに籠こも籠こもこもりゐりゐりい給たま給たまたまひてひていて、、、比叡ひえ比叡ひえひえののの山やま山やまやまののの大衆だいしゆ大衆だいしゆだいしゅのゆるさゞりければのゆるさゞりければのゆるさざりければ、、、さてさてさて居ゐ居ゐい給たま給たまたまへりけるへりけるえりける所ところ所ところところ、、、とぶらはせとぶらはせとぶらわせ給たま給たまたまひけりひけりいけり。。。
  11. 11西院さいゐん西院さいゐんさいいんのののほとけほとけほとけ、、、をがませをがませおがませ給たま給たまたまふついでとてぞふついでとてぞうついでとてぞ、、、御幸みゆき御幸みゆきみゆきありけるありけるありける。。。御法みのり御法みのりみのりのためものためものためも、、、人ひと人ひとひとのためものためものためも、、、面目めんぼく面目めんぼくめんぼくありけるとなんありけるとなんありけるとなん聞き聞ききききき侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。金泥こんでい金泥こんでいこんでいのののかゝせかゝせかかせ給たま給たまたまへるもへるもえるも、、、もろこしにももろこしにももろこしにも類たぐ類たぐたぐひすくなくやとひすくなくやとひすくなくやと聞き聞ききこえしこえしこえし。。。
  12. 12そのそのその後のち後のちのちこそこそこそ、、、このこのこの國くに國くにくににもにもにも、、、あまたあまたあまた聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべれれれ。。。このこのこの院ゐん院ゐんいんのしのしのしはじめさせはじめさせはじめさせ給たま給たまたまへるなりへるなりえるなり。。。又また又またまたきとしきとしきとし生い生いいけるものゝけるものゝけるものの命いのち命いのちいのちをををすくはせすくはせすくわせ給たま給たまたまひてひていて、、、かくれさせかくれさせかくれさせ給たま給たまたまふまでおはしましきふまでおはしましきうまでおわしましき。。。
  13. 13五月さつき五月さつきさつきのさやまにのさやまにのさやまに、、、賤しづ賤しづしずのののをもをもをもなくなくなく、、、秋あき秋あきあきののの夕ゆふ夕ゆふゆうぐれぐれぐれ浦うら浦うらうらににに釣つり釣つりつりするあまもするあまもするあまも絕た絕たたえにきえにきえにき。。。おのづからおのづからおのずから網あみ網あみあみなどなどなど持も持ももたるあまのたるあまのたるあまの笘屋とまや笘屋とまやとまやもあればもあればもあれば、、、とりとりとり出い出いいだしてたくなだしてたくなだしてたくなはははののの殘のこ殘のこのこるもなくるもなくるもなく烟けぶ烟けぶけぶりとなりぬりとなりぬりとなりぬ。。。
  14. 14もたるもたるもたる主ぬし主ぬしぬしはははいひしらぬめどもみていひしらぬめどもみていいしらぬめどもみて、、、罪つみ罪つみつみをををかぶるかぶるかぶる事こと事ことことかずなしかずなしかずなし。。。ののの御厨みくりや御厨みくりやみくりやばかりぞゆるされてばかりぞゆるされてばかりぞゆるされて、、、かたのやうにかたのやうにかたのように備そな備そなそなへてへてえて、、、そのそのその外ほか外ほかほかははは、、、殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうののの臺盤だいばん臺盤だいばんだいばんなどもなどもなどもにかはるにかはるにかわる事こと事ことことなかりけりなかりけりなかりけり。。。
  15. 15位くらゐ位くらゐくらいにおはしましゝにおはしましゝにおわしましし時とき時ときときははは、、、ののの御事おほんこと御事おほんことおおんことなげかせなげかせなげかせ給たま給たまたまひてひていて、、、多おほ多おほおおくのくのくの御堂みだう御堂みだうみどうどもどもども作つく作つくつくらせらせらせ給たま給たまたまひきひきいき。。。院ゐん院ゐんいんののの後のち後のちのちははは、、、そのそのその御おん御おんおんむすめのむすめのむすめのかくれさせかくれさせかくれさせ給たま給たまたまへりしこそへりしこそえりしこそ、、、限かぎ限かぎかぎりなくなげかせりなくなげかせりなくなげかせ給たま給たまたまひてひていて、、、御おん御おんおんぐしもおろさせぐしもおろさせぐしもおろさせ給たま給たまたまひしぞかしひしぞかしいしぞかし。。。
  16. 16四十五六しじふごろく四十五六しじふごろくしじゅうごろくののの程ほど程ほどほどにやにやにや、、、おはしましけむおはしましけむおわしましけむ。。。御おん御おんおんなげきのあまりになげきのあまりになげきのあまりに、、、世よ世よよをばをばをばのがれさせのがれさせのがれさせ給たま給たまたまへりしかどもへりしかどもえりしかども、、、御受戒ごじゆかい御受戒ごじゆかいごじゅかいなどなどなどははは聞き聞ききこえさせこえさせこえさせ給たま給たまたまはははででで、、、佛道ぶつだう佛道ぶつだうぶつどうののの御名みな御名みなみななどもおはしまさゞりけるにやなどもおはしまさゞりけるにやなどもおわしまさざりけるにや。。。
  17. 17敎王房けうわうばう敎王房けうわうばうきょうおうぼうときこえしときこえしときこえし山やま山やまやまののの座主ざす座主ざすざす、、、御祈おほんいの御祈おほんいのおおんいのりのりのりの祭文さいもん祭文さいもんさいもんににに、、、御名みな御名みなみなののの事こと事ことこと申まう申まうもうされけるにされけるにされけるに、、、「「「いまだいまだいまだ付つけ付つけつけかぬかぬかぬ」」」。。。ととと仰おほ仰おほおおせられければせられければせられければ、、、「「「其そ其そそののの心こころ心こころこころををを得え得ええ侍はべ侍はべはべりてこそりてこそりてこそ、、、申まう申まうもうしあげしあげしあげ侍はべ侍はべはべらめらめらめ」」」。。。ととと申まう申まうもうされけるとかやされけるとかやされけるとかや。。。
  18. 18そのそのその後のち後のちのち久ひさ久ひさひさしくしくしく世よ世よよををを治をさ治をさおさめさせめさせめさせ給たま給たまたまひしひしいし程ほど程ほどほどににに、、、七月七日しちぐわつなぬか七月七日しちぐわつなぬかしちがつなのか俄にはか俄にはかにわかににに御心みこころ御心みこころみこころ地ぢ地ぢじそこなはせそこなはせそこなわせ給たま給たまたまひてひていて、、、などきこえしなどきこえしなどきこえしほどにほどにほどに、、、月日つきひ月日つきひつきいももも歷へ歷へへさせさせさせ給たま給たまたまはははででで、、、やがてかくれさせやがてかくれさせやがてかくれさせ給たま給たまたまひにしかばひにしかばいにしかば、、、そらのけしきもそらのけしきもそらのけしきも、、、常つね常つねつねにににはははかはりてかはりてかわりて、、、風雨ふうう風雨ふううふううののの音おと音おとおともももおどろ〳〵しくおどろ〳〵しくおどろおどろしく、、、日ひ日ひひををを重かさ重かさかさねてねてねて世よ世よよのなげきものなげきものなげきもうちそへたるうちそへたるうちそえたる心地ここち心地ここちここちしてしてして侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。
  19. 19あさましきあさましきあさましき心こころ心こころこころのののうちにもうちにもうちにも、、、すき〴〵しかりしすき〴〵しかりしすきずきしかりし人ひと人ひとひとにてにてにて、、、平氏へいじ平氏へいじへいじののの刑部卿ぎやうぶきやう刑部卿ぎやうぶきやうぎょうぶきょうときこえしときこえしときこえし、、、このこのこの折をり折をりおり何なに何なになにのかみとかのかみとかのかみとか申まう申まうもうしけむしけむしけむ。。。そのそのその歌うた歌うたうたとてとてとて傳つた傳つたつたへへえ聞き聞ききききき侍はべ侍はべはべりしりしりし、、、
  20. 20又また又またまたもこむもこむもこむ秋あき秋あきあきをををまつべきまつべきまつべき七夕たなばた七夕たなばたたなばたのわかるゝだにもいかゞのわかるゝだにもいかゞのわかるるだにもいかが悲かな悲かなかなしきしきしき
  21. 21とかやとかやとかや。。。鳥羽とば鳥羽とばとばノノノ院ゐん院ゐんいんのおとゞのおとゞのおとど、、、攝政せつしやう攝政せつしやうせっしょう殿との殿とのとのなどのなどのなどの、、、わかきわかきわかき御おん御おんおんすがたにすがたにすがたに御衣みけし御衣みけしみけしどもどもども染そ染そそめさせめさせめさせ給たま給たまたまひてひていて、、、御忌おほんいみ御忌おほんいみおおんいみののの程ほど程ほどほど、、、佛ほとけ佛ほとけほとけののの道みち道みちみちのことのことのこと、、、とぶらひとぶらひとぶらい申まう申まうもうさせさせさせ給たま給たまたまふふう。。。いづれのいづれのいずれの程ほど程ほどほどににに、、、たれかよませたれかよませたれかよませ給たま給たまたまひけるとかやひけるとかやいけるとかや。。。
  22. 22いかにしていかにしていかにして消き消ききえにしえにしえにし秋あき秋あきあきのしらのしらのしら露つゆ露つゆつゆをををはははちすのちすのちすの上うへ上うへうえののの玉たま玉たまたまととと磨みが磨みがみがかむかむかむ
  23. 23といふといふという御歌みうた御歌みうたみゅうた侍はべ侍はべはべりけるとなむりけるとなむりけるとなむ。。。鳥羽殿とばどの鳥羽殿とばどのとばどのははは、、、このこのこの法皇ほふわう法皇ほふわうほうおうののの作つく作つくつくらせらせらせ給たま給たまたまへればへればえれば、、、さやうにやさやうにやさようにや申まう申まうもうさむとさむとさむと、、、おもへりしかどもおもへりしかどもおもえりしかども、、、白河しらかは白河しらかはしらかわにもにもにもかた〴〵かた〴〵かたがた御所ごしよ御所ごしよごしょどもどもども侍はべ侍はべはべりしかりしかりしかははは、、、白河院しらかはゐん白河院しらかはゐんしらかわいんとぞさだめとぞさだめとぞさだめ參まゐ參まゐまいらせけるらせけるらせける。。。
  24. 24此こ此ここのみかどののみかどののみかどの御母おほんはは御母おほんははおおんははははは、、、東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうののの御息所みやすんどころ御息所みやすんどころみやすんどころとてとてとて、、、うせさせうせさせうせさせ給たま給たまたまへればへればえれば、、、延の延のの久ひさ久ひさひさ三年さんねん三年さんねんさんねん五月さつき五月さつきさつき十八日じふはちにち十八日じふはちにちじゅうはちにち、、、從二位じゆにゐ從二位じゆにゐじゅにいおくりたてまつらせおくりたてまつらせおくりたてまつらせ給たま給たまたまふふう。。。位くらゐ位くらゐくらいにつかせにつかせにつかせ給たま給たまたまひてひていて、、、同おな同おなおなじきじきじき五年ごねん五年ごねんごねん五月さつき五月さつきさつき六日むゆか六日むゆかむゆか、、、皇后宮くわうごうぐう皇后宮くわうごうぐうこうごうぐうおくりおくりおくり奉たてまつ奉たてまつたてまつらせらせらせ給たま給たまたまふふう。。。
  25. 25國忌こき國忌こきこきみさゝきなどおかれてみさゝきなどおかれてみささきなどおかれて、、、おなじきおなじきおなじき日ひ日ひひ、、、能信よしのぶ能信よしのぶよしのぶののの大納言殿だいなごんどの大納言殿だいなごんどのだいなごんどの、、、おほきおとゞおほきおとゞおおきおとど、、、おほきおほきおおき一ひと一ひとひとつのつのつの位くらゐ位くらゐくらい贈おく贈おくおくらせらせらせ給たま給たまたまふふう。。。御息所みやすんどころ御息所みやすんどころみやすんどころののの御母おほんはは御母おほんははおおんはは、、、秘子やすこ秘子やすこやすこととと申まう申まうもうしゝにもしゝにもししにも、、、おほきおほきおおきひとつのひとつのひとつの位くらゐ位くらゐくらいををを贈おく贈おくおくりりり給たま給たまたまふふう、、、これこれこれはははきびのきびのきびの中なか中なかなかのつかさのつかさのつかさ、、、知光ともみつ知光ともみつともみつのぬしのむすめなりのぬしのむすめなりのぬしのむすめなり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

この御時に、昔の伝統を復興なさることが多くありました。人を官職におつけになることも、理由があって、たやすくはおつけになりませんでした。六条の修理大夫顕季という人が、院の信任が厚くていらしたところ、敦光という博士が、「どうして殿は宰相にならないのですか。宰相になる道は七つあるそうです。その中に三位でいらっしゃることが含まれているようです。また五か国を治めた人もなれると見えます」と言ったので、「顕季もそう思って院のご意向をうかがったところ、『それも物を書くうえでのことだ(学才がなければならない)』とおっしゃったので、申し上げるまでもなくやめてしまった」と言われました。また顕隆の中納言という人は、世間では「夜の関白」などと呼ばれた人ですが、「弁官にしようと思うのに、詩を作れなくてはどうだろう。四韻の詩を作れる者こそ弁官にはなれるのだ」とおっしゃったので、驚いて詩作に励んだりされました。物事に明らかでいらして、ちょっとしたことでも華やかにお褒めになります。また簡単なことにも厳しくていらっしゃいました。どこの山とか、御祈祷の褒賞をしようとお思いになったが、ただ御布施だけを与えるのでは、心をこめてお思いになる本意に合わないだろう。阿闍梨の職などを寄進しておけば甲斐があるのに、さすがにそれほどのことでもなくて、そういうことも軽々しくなるだろうと、思い悩んでいらしたところ、顕隆の中納言が、「それならば、ただこの度だけの阿闍梨の宣旨をお下しになって、永く寄進なさることはなしにしてください」と申されたので、「まことにそうあるべきだった。お前がいなかったら、私はどうしただろう」と、甲斐甲斐しくお褒めになりました。その子の顕頼という中納言をも、夢で手を引かれて行くのを見たのに、などとおっしゃって、格別にお目をかけた人で、書物の箱などを提げることさえも、下臈などを呼んで持たせなさるなど、重んじていらっしゃいましたが、五位蔵人として除目の目録とかを奏上された時、ご覧になって、荒々しく破られて、お返しになったので、何事かと恐れて退出し、その後、父の中納言(顕隆)が参上した時に、「大外記師遠は、摂津国の公文もまだ審査していないのに、どうして目録に入れて差し上げたのか」とおっしゃったりして、そのようなことにも、このように厳しくていらっしゃいました。

仏典などもまじめにお習いになったのです。良真座主から、六十巻という、法華経の意味を説いた書の講義をお受けになっていましたが、(座主が)西の京に籠もっていらして、比叡山の大衆が許さなかったので、そのまま籠もっていらした所を、お訪ねになりました。西院の仏を拝むついでということで、御幸がありました。仏法のためにも、人のためにも、名誉なことであったと聞きました。金泥の一切経をお書かせになったのも、唐にも例が少ないのではないかと評判になりました。その後こそ、この国にもたくさん聞こえますが、それはこの院が始められたのです。また生きとし生けるものの命をお救いになって、お亡くなりになるまで(殺生禁断を)続けられました。五月の狭山に、火をともして鹿を狩る賤の男もいなくなり、秋の夕暮れに浦で釣りをする漁師も絶えてしまいました。たまたま網などを持っている漁師の苫屋があれば、取り出して焼き、網の縄が残らず煙となりました。持っていた主はひどい目にあって、罪をこうむることが数知れませんでした。神の御厨だけは許されて、形ばかりに供えて、その他は、殿上の食膳なども六斎日と変わることがありませんでした。位にいらした時は、中宮(賢子)のことをお嘆きになって、多くの御堂をお造りになりました。退位後は、その御娘の郁芳門院がお亡くなりになったのをこの上なくお嘆きになって、出家までなさったのでした。四十五、六歳のころでいらっしゃいましたでしょうか。お嘆きのあまりに世をお捨てになったのですが、御受戒などはなさらず、仏道の御名(法名)などもおありにならなかったのでしょうか。教王房と申した比叡山の座主が、御祈祷の祭文に御名のことを申されたところ、「まだ付けていない」とおっしゃったので、「そのおつもりを承ってから、申し上げましょう」と申されたとか。

その後、長く世をお治めになっていたところ、七月七日に急に御気分が悪くなられて、御霍乱などと聞こえるうちに、日も経たずに、そのままお亡くなりになったので、空の様子もふだんとは変わって、風雨の音もすさまじく、日を重ねて世の嘆きもいっそう加わったような心地がしました。あきれるほど悲しい中にも、風流を好んだ人で、平氏の刑部卿忠盛と申した人が、その時は何の守とか申したでしょうか、その人の歌として伝え聞きました、

又もこむ秋をまつべき七夕のわかるゝだにもいかゞ悲しき

とか。鳥羽院、花園の大臣(有仁)、摂政殿(忠通)などが、若いお姿で御衣を墨染めにお染めになって、御忌の間、仏事の供養を申し上げなさいます。いつのころに、どなたがお詠みになったのでしょうか、

いかにして消えにし秋のしら露をはちすの上の玉と磨かむ

という御歌があったということです。鳥羽殿はこの法皇がお造りになったので、(院号を)そう申し上げようかと思ったけれども、白河にもあちこちに御所がありましたので、白河院とお定め申し上げました。この帝の御母は、東宮の御息所として亡くなられたので、延久三年五月十八日に従二位を追贈申し上げなさいます。(白河天皇が)位におつきになって、同じ五年五月六日に皇后宮を追贈申し上げなさいます。国忌や御陵などが置かれて、同じ日に、能信大納言殿に太政大臣・正一位を贈られます。御息所の御母、藤原秘子と申した方にも正一位をお贈りになります。この方は備中守知光の娘です。

意訳

白河院の人事の厳しさを示す逸話が並ぶ。顕季が宰相(参議)を望んでも、学才がないとして許されず、顕隆には詩を作れなければ弁官になれないと告げる。一方で顕隆の機転を「己れなからましかば」と喜び、その子顕頼が不備のある目録を奏上すると、目の前で破り捨てる。人をよく見て、褒めるときは華やかに、とがめるときは厳しくという院の人柄が描かれる。

院は深く仏法に帰依し、金泥一切経の書写を始めたほか、殺生禁断を徹底した。狩猟や漁が禁じられて網が焼かれ、漁民が罪をこうむったという記述は、仏法の理想と民の暮らしとの衝突を、語り手が率直に記したものである。章題の「釣せぬ浦々」はここによる。

愛娘郁芳門院の死を悲しんで出家したが、受戒も法名もなかったという話は、院の出家が悲しみによる衝動的なものであったことを伝える。大治四年(1129)七月七日の崩御の場面では、平忠盛の七夕の歌と、遺された人々の歌が引かれ、一つの時代の終わりが哀切に語られる。

語釈・文法注

顯季
藤原顕季(1055〜1123)。白河院の乳母子で近臣。歌人。六条修理大夫。
敦光
藤原敦光(1063〜1144)。文章博士。藤原明衡の子。
宰相になる道は七つ
参議に任じられる資格。大弁・近衛中将・蔵人頭・五か国の国守・三位などの七つの経歴をいう。
物かくうへの事
文章を書く学才に関わること。参議には漢文の素養が求められた。
顯隆
藤原顕隆。白河院の近臣で、院の信任が厚く「夜の関白」と呼ばれた。
阿闍梨
密教で、伝法灌頂を受けた高僧の職位。寺に阿闍梨の定員を置くことは大きな名誉だった。
顯賴
藤原顕頼(1094〜1148)。顕隆の子。
除目の目錄
官職の任命(除目)のための候補者の一覧。
大外記師遠
中原師遠(1070〜1130)。外記の長官。
公文
国司が提出する公文書。
良眞座主
良真(1022〜1096)。天台座主。山門の衆徒と対立し、西京に籠もった。
金泥の一切經
仏典のすべてを金泥で書写したもの。
生きとし生けるものゝ命をすくはせ給ひて
白河院は晩年に殺生禁断令を出し、狩猟・漁労を厳しく禁じた。
ともしする
照射(ともし)。夏の夜、火をともして鹿をおびき寄せて射る狩り。
神の御厨
神社に供える魚などを納める領地。
六齋
六斎日。月のうち八・十四・十五・二十三・二十九・三十日の六日で、精進潔斎する日。
中宮
藤原賢子(1057〜1084)。源顕房の娘で、師実の養女。白河天皇の中宮で、堀河天皇の母。白河天皇は深く寵愛し、その死を嘆いた。
郁芳門院
媞子内親王(1076〜1096)。白河天皇と賢子の皇女。二十一歳で亡くなった。
御霍亂
暑気あたりによる急病。
忠盛
平忠盛(1096〜1153)。清盛の父。武士として初めて昇殿を許された。歌人でもあった。
花園のおとゞ
源有仁(1103〜1147)。後三条天皇の孫で、白河院の猶子。花園左大臣。
藤原秘子
藤原祉子。藤原知光の娘で、能信の妻。茂子の養母。底本は「秘子」と刷る。

文法

いひけれは
底本は濁点を付けないが「いひければ」。
己れなからましかば、我れいかゞせまし
反実仮想「ましかば〜まし」。お前がいなかったら、私はどうしただろう。
御心地こそなはせ給ひて
「そこなふ」に尊敬の「せ給ふ」。底本は「御心地そこなはせ」。
侍りしかは
底本は濁点を付けないが「侍りしかば」。

和歌

又もこむ秋をまつべき七夕のわかるゝだにもいかゞ悲しき

詠者
平忠盛
状況
七月七日に崩御した白河院を悼んで詠んだ歌。

修辞

対比
来年の秋にはまた逢える七夕の別れでさえ悲しいのに、二度と逢えない別れはどれほどか、と言外に嘆く。

いかにして消えにし秋のしら露をはちすの上の玉と磨かむ

詠者
未詳
状況
白河院の御忌のころ詠まれた歌。

修辞

見立て
院の死を秋の白露が消えたことにたとえ、極楽の蓮の葉の上の玉として磨きたい(往生を願う)と詠む。
縁語
「露」「はちす」「玉」。

解説

白河院の殺生禁断は、晩年の大治年間を中心に厳しく行われ、全国で漁網が焼かれたと伝えられる。今鏡はこれを院の慈悲深さとして記しつつ、漁民が罪をこうむったことも書き留めており、記述は単純な礼賛にとどまっていない。

「鳥羽院」と呼ぶか「白河院」と呼ぶかを議論したという院号の話は、院の御所が白河(法勝寺の周辺)と鳥羽の双方にあったことを示している。鳥羽の名は孫の鳥羽院が用いることになった。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、61〜66頁(コマ45–48)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日