古典ライブラリー

今鏡 第二「すべらぎの中」 第12章

紅葉のみかり

白河天皇の御代。二十歳で即位し、譲位後も堀河・鳥羽・崇徳三代にわたって院政を行い、五十六年間国政をとった。法勝寺の九重塔や鳥羽殿を造るなど、豪壮を好んだ。和歌を重んじて後拾遺集・金葉集を撰ばせ、大井川の御幸や承暦の歌合、父の五十の賀を催した。

  1. 1ノノノ院ゐん院ゐんいんははは後のち後のちのち三條さんでう三條さんでうさんじょうノノノ院ゐん院ゐんいんののの一いち一いちいちののの御子みこ御子みこみこにおはしましきにおはしましきにおわしましき。。。そのそのその御母おほんはは御母おほんははおおんはは贈皇后宮ぞうくわうごうぐう贈皇后宮ぞうくわうごうぐうぞうこうごうぐうととと申まう申まうもうすすす。。。權大納言ごんだいなごん權大納言ごんだいなごんごんだいなごん能信よしのぶ能信よしのぶよしのぶののの御おん御おんおんむすめとてむすめとてむすめとて、、、後のち後のちのち三條さんでう三條さんでうさんじょうノノノ院ゐん院ゐんいんののの東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうにおはしましゝにおはしましゝにおわしましし、、、御息所みやすんどころ御息所みやすんどころみやすんどころににに參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまへりきへりきえりき。。。
  2. 2誠まこと誠まことまことにににははは閑院かんゐん閑院かんゐんかんいんののの左兵衞さひやうゑ左兵衞さひやうゑさひょうえノノノ督かみ督かみかみののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんののの女をんな女をんなおんななりなりなり。。。此こ此ここののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんののの御おん御おんおんいもいもいもうとうとうとははは、、、能信よしのぶ能信よしのぶよしのぶののの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんののの北きた北きたきたののの方かた方かたかたなりなりなり。。。このみかどこのみかどこのみかど天喜てんぎ天喜てんぎてんぎ元年ぐわんねん元年ぐわんねんがんねんみづのとのみづのとのみずのとの巳み巳みみ六月ろくぐわつ六月ろくぐわつろくがつ廿日はつか廿日はつかはつこ生う生ううまれさせたまひまれさせたまひまれさせたまい、、、延の延のの久ひさ久ひさひさ元年ぐわんねん元年ぐわんねんがんねん四月しぐわつ四月しぐわつしがつ廿八日にじふはちにち廿八日にじふはちにちにじゅうはちにちににに東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうにたゝせにたゝせにたたせ給たま給たまたまふふう。。。
  3. 3御おん御おんおんとしとしとし十七じふしち十七じふしちじゅうしち、、、同おな同おなおなじきじきじき四年よねん四年よねんよねん十二月じふにぐわつ十二月じふにぐわつじゅうにがつ八日やうか八日やうかようか、、、位くらゐ位くらゐくらいにつかせにつかせにつかせ給たま給たまたまふふう。。。御おん御おんおんとしとしとし二十はたち二十はたちはたちにやおはしましけむにやおはしましけむにやおわしましけむ。。。位くらゐ位くらゐくらい讓ゆづ讓ゆづゆずりたてまつらせりたてまつらせりたてまつらせ給たま給たまたまひてひていて、、、次つぎ次つぎつぎののの年とし年としとしののの五月さつき五月さつきさつきににに後のち後のちのち三條さんでう三條さんでうさんじょうノノノ院ゐん院ゐんいんかくれさせかくれさせかくれさせ給たま給たまたまひにしかばひにしかばいにしかば、、、國くに國くにくにのまつりごとのまつりごとのまつりごと、、、廿一にじふいち廿一にじふいちにじゅういちののの御年おほんとし御年おほんとしおおんとしよりよりより、、、みづからしらせみづからしらせみずからしらせ給たま給たまたまひてひていて、、、位くらゐ位くらゐくらいにおはしますにおはしますにおわします事こと事ことこと十四年じふよねん十四年じふよねんじゅうよねんなりしになりしになりしに、、、三十四さんじふし三十四さんじふしさんじゅうしにてにてにて位くらゐ位くらゐくらいおりさせおりさせおりさせ給たま給たまたまひてのちひてのちいてのち、、、七十しちじふ七十しちじふしちじゅう七しち七しちしちまでおはしましゝかばまでおはしましゝかばまでおわしまししかば五十いそぢ五十いそぢいそじ六年ろくねん六年ろくねんろくねん、、、國くに國くにくにのまつりごとのまつりごとのまつりごとをををせさせせさせせさせ給たま給たまたまへりきへりきえりき。。。
  4. 4のみかどのみかどのみかどははは卅さんじふ卅さんじふさんじゅう三年さんねん三年さんねんさんねんたもたせたまへりしかどもたもたせたまへりしかどもたもたせたまえりしかども、、、位くらゐ位くらゐくらいののの御おん御おんおんかぎりかぎりかぎり也なり也なりなり。。。ははは八十一はちじふいち八十一はちじふいちはちじゅういちまでおはしましゝかどもまでおはしましゝかどもまでおわしまししかども、、、院ゐん院ゐんいんののの後のち後のちのち久ひさ久ひさひさしくてしくてしくて、、、世よ世よよをばをばをばしらせしらせしらせ給たま給たまたまはざりきはざりきわざりき。。。
  5. 5此こ此ここののの院ゐん院ゐんいんははは、、、父ちゝ父ちゝちちののの太上天皇だいじやうてんわう太上天皇だいじやうてんわうだいじょうてんのう世よ世よよをををしらせしらせしらせ給たま給たまたまひしひしいし事こと事ことこと、、、いくばくもおはしまさずいくばくもおはしまさずいくばくもおわしまさず。。。さきのさきのさきの御おん御おんおんなごりにてなごりにてなごりにて、、、ののの人ひと人ひとひとのわがまゝにのわがまゝにのわがままに、、、行おこな行おこなおこなひひい給たま給たまたまふもおはせねばふもおはせねばうもおわせねば、、、若わか若わかわかくよりくよりくより世よ世よよをををしらせしらせしらせ給たま給たまたまひてひていて、、、院ゐん院ゐんいんののの後のち後のちのちははは、、、堀河ほりかは堀河ほりかはほりかわノノノ院ゐん院ゐんいんノノノ院ゐん院ゐんいんノノノ院ゐん院ゐんいん。。。
  6. 6御子みこ御子みこみこうまごひゝごうまごひゝごうまごいいご、、、うちつゞきうちつゞきうちつづき三代さんだい三代さんだいさんだいのみかどののみかどののみかどの御世みよ御世みよみよ、、、法皇ほふわう法皇ほふわうほうおうののの御おん御おんおんまつりごとのまゝまつりごとのまゝまつりごとのまま也なり也なりなり、、、かくかくかく久ひさ久ひさひさしくしくしく世よ世よよををを知し知ししらせらせらせ給たま給たまたまふふう事こと事ことことははは、、、昔むかし昔むかしむかしももも類たぐ類たぐたぐひなきひなきひなき御有樣おほんありさま御有樣おほんありさまおおんありさまなりなりなり。。。
  7. 7二條にでう二條にでうにじょうのおとゞぞのおとゞぞのおとどぞ、、、「「「おりおりおり位くらゐ位くらゐくらいのみかどののみかどののみかどの門もん門もんもんににに、、、車くるま車くるまくるま立た立たたつるやうやつるやうやつるようやはははあるあるある」」」。。。などのたまはせけるなどのたまはせけるなどのたまわせける。。。それかくれそれかくれそれかくれ給たま給たまたまひてひていて後のち後のちのちははは、、、少すこ少すこすこしもいきおとなどたつるしもいきおとなどたつるしもいきおとなどたつる人ひと人ひとひとやややははは侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。
  8. 8このみかどこのみかどこのみかど、、、日ひ日ひひににに生う生ううまれさせまれさせまれさせ給たま給たまたまひたるとぞひたるとぞいたるとぞ聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。又また又またまた誠まこと誠まことまことにやありけむにやありけむにやありけむ。。。御おん御おんおんめのとのめのとのめのとのももも、、、かんかんかん日ひ日ひひににに參まゐ參まゐまいりそめられたりけるとかやりそめられたりけるとかやりそめられたりけるとかや。。。
  9. 9されどもされどもされども末すゑ末すゑすえのさかえのさかえのさかえ給たま給たまたまふことふことうこと、、、此こ此ここののの頃ころ頃ころころまでいやまさりにおはすめりまでいやまさりにおはすめりまでいやまさりにおわすめり。。。あしきあしきあしき日ひ日ひひ參まゐ參まゐまいれりともれりともれりとも聞き聞ききこえざりしこえざりしこえざりし。。。今いま今いまいまひとりのひとりのひとりの御おん御おんおんめのとのめのとのめのとの、、、知綱ともつな知綱ともつなともつなのぬしののぬしののぬしの御母おほんはは御母おほんははおおんははにていますがりしにていますがりしにていますがりしははは、、、日野三位ひののさんみ日野三位ひののさんみひののさんみのむすめにてのむすめにてのむすめにて、、、世よ世よよおぼえもおぼえもおぼえも殊こと殊ことことののの外ほか外ほかほかににに聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまひしかどもひしかどもいしかども、、、みかどのみかどのみかどの五いつ五いついつつにおはしましゝつにおはしましゝつにおわしましし年とし年としとし、、、かのめのとかのめのとかのめのと、、、かくれられにしかばかくれられにしかばかくれられにしかば、、、二位にゐ二位にゐにいのみのみのみ雙なら雙ならならびなくおはすめりびなくおはすめりびなくおわすめり。。。
  10. 10宿世すくせ宿世すくせすくせかしこければかしこければかしこければ、、、あしきあしきあしき日ひ日ひひもさはりなかるべしもさはりなかるべしもさわりなかるべし。。。しかあらざらんしかあらざらんしかあらざらん人ひと人ひとひとははは、、、いかゞいかゞいかが其そ其そそのまねもせむのまねもせむのまねもせむ。。。從二位親子じゆにゐちかこ從二位親子じゆにゐちかこじゅにいちかこののの草子合さうしあはせ草子合さうしあはせそうしあわせとてとてとて、、、人々ひとびと人々ひとびとひとびとよきよきよき歌うた歌うたうたどもよみてどもよみてどもよみて侍はべ侍はべはべるもるもるも、、、いとやさしくこそいとやさしくこそいとやさしくこそ聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべりしかりしかりしか。。。
  11. 11このこのこの帝みかど帝みかどみかどははは、、、御心みこころ御心みこころみこころばへたけくもばへたけくもばえたけくも、、、やさしくもおはしましけるさまやさしくもおはしましけるさまやさしくもおわしましけるさまははは、、、後のち後のちのち三條さんでう三條さんでうさんじょうノノノ院ゐん院ゐんいんにぞにぞにぞ似に似にに奉たてまつ奉たてまつたてまつらせらせらせ給たま給たまたまへりけるへりけるえりける。。。さればゆゝしくさればゆゝしくさればゆゆしく事々ことごと事々ことごとことごとしきさまにぞしきさまにぞしきさまにぞ、、、好この好このこのませませませ給たま給たまたまひけるひけるいける。。。
  12. 12ののの御寺みてら御寺みてらみてらももも、、、勝すぐ勝すぐすぐれておほきにれておほきにれておおきに、、、やおもてこゝのこしのやおもてこゝのこしのやおもてここのこしの塔たふ塔たふとうなどなどなど建た建たたてさせてさせてさせ給たま給たまたまひひい、、、百體ひやくたい百體ひやくたいひゃくたいののの御佛みほとけ御佛みほとけみほとけなどなどなど常つね常つねつねははは供養くやう供養くやうくようせさせせさせせさせ給たま給たまたまふふう。。。百臺ひやくだい百臺ひやくだいひゃくだいののの御おん御おんおんあかしあかしあかしををを、、、一度ひとたび一度ひとたびひとたびににに、、、程ほど程ほどほどなくなくなく供そな供そなそなふるふるふる、、、ふりうおぼしめしよりてふりうおぼしめしよりてふりゅうおぼしめしよりて、、、前栽せんざい前栽せんざいせんざいのあなたにのあなたにのあなたに、、、物もの物ものものののの具ぐ具ぐぐかくしおきてかくしおきてかくしおきて、、、あづかりあづかりあずかり百人ひやくにん百人ひやくにんひゃくにんめしてめしてめして、、、一度ひとたび一度ひとたびひとたびにたてまつらせにたてまつらせにたてまつらせ給たま給たまたまひけるにひけるにいけるに、、、事こと事ことこと行おこな行おこなおこなひけるひけるいける人ひと人ひとひと、、、心こころ心こころこころももも得え得ええででで少々せうせう少々せうせうしょうしょうまづともしなどしたりけるまづともしなどしたりけるまずともしなどしたりけるをもをもをも、、、むづからせむづからせむずからせ給たま給たまたまひてひていて、、、更さら更さらさらににに一度ひとたび一度ひとたびひとたびにともされなどせられけりにともされなどせられけりにともされなどせられけり。。。
  13. 13鳥羽とば鳥羽とばとばなどなどなどをもをもをも廣ひろ廣ひろひろくこめてくこめてくこめて、、、さま〴〵さま〴〵さまざま池いけ池いけいけ山やま山やまやまなどなどなど、、、こぢたくせさせこぢたくせさせこじたくせさせ給たま給たまたまへりへりえり。。。後のち後のちのち三條さんでう三條さんでうさんじょうノノノ院ゐん院ゐんいんははは、、、御修法みしほ御修法みしほみしおせさせせさせせさせ給たま給たまたまひてもひてもいても、、、國くに國くにくにやそこなはれぬらんなどやそこなはれぬらんなどやそこなわれぬらんなど仰おほ仰おほおおせられせられせられ、、、圓宗寺ゑんしゆうじ圓宗寺ゑんしゆうじえんしゅうじをもをもをも、、、こぢたくこぢたくこじたくははは造つく造つくつくらせらせらせ給たま給たまたまはずはずわず。。。
  14. 14ののの文ふみ文ふみふみ帝みかど帝みかどみかどののの露臺ろだい露臺ろだいろだい造つく造つくつくらんとしらんとしらんとし給たま給たまたまひてひていて、、、國くに國くにくに堪た堪たたへじなどいひてとゞめへじなどいひてとゞめえじなどいいてとどめ給たま給たまたまひひい、、、女御にようご女御にようごにょうご愼夫人しんぶにん愼夫人しんぶにんしんぶにんにににははは、、、裾すそ裾すそすそもももひかせずひかせずひかせず。。。御帳みちやう御帳みちやうみちょうのかたびらにものかたびらにものかたびらにも、、、あやなきあやなきあやなきをををせられけるせられけるせられける御心みこころ御心みこころみこころなるべしなるべしなるべし。。。おの〳〵おの〳〵おのおの時とき時ときときににに從したが從したがしたがふべきにやあらむふべきにやあらむうべきにやあらむ。。。
  15. 15白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいんははは御弓おほんゆみ御弓おほんゆみおおんゆみなどもなどもなども上手じやうず上手じやうずじょうずにておはしましけるにやにておはしましけるにやにておわしましけるにや。。。池いけ池いけいけののの鳥とり鳥とりとりををを射い射いいたりしかばたりしかばたりしかば、、、故院こゐん故院こゐんこいんのむづからせのむづからせのむずからせ給たま給たまたまひしなどひしなどいしなど、、、仰おほ仰おほおおせられけるとかやせられけるとかやせられけるとかや。。。まだまだまだ東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうのわかのわかのわか宮みや宮みやみやととと申まう申まうもうしけるしけるしける時とき時ときときよりよりより、、、和歌わか和歌わかわかをもをもをも重おも重おもおもくせさせたまひてくせさせたまひてくせさせたまいて、、、位くらゐ位くらゐくらいにてもにてもにてもあつめさせあつめさせあつめさせ給たま給たまたまふふう。。。
  16. 16院ゐん院ゐんいんののの後のち後のちのちもももえらばせえらばせえらばせ給たま給たまたまへりへりえり。。。いづれにもいづれにもいずれにも御製ぎよせい御製ぎよせいぎょせいどもどもども多おほ多おほおおくくく侍はべ侍はべはべるめりるめりるめり。。。承うけたまは承うけたまはうけたまわ保ほう保ほうほう三年さんねん三年さんねんさんねん十月じふぐわつ十月じふぐわつじゅうがつ廿四日にじふしにち廿四日にじふしにちにじゅうしにち、、、にみゆきせさせにみゆきせさせにみゆきせさせ給たま給たまたまひてひていて、、、嵯峨野さがの嵯峨野さがのさがのににに遊あそ遊あそあそばせばせばせ給たま給たまたまひひい、、、御狩みかり御狩みかりみかりなどせさせなどせさせなどせさせ給たま給たまたまふふう。。。そのたびのそのたびのそのたびの御歌みうた御歌みうたみゅうた、、、
  17. 17大井川おほゐがは大井川おほゐがはおおいがわふるきふるきふるき流なが流ながながれれれををを尋たづ尋たづたずねきてあらしのねきてあらしのねきてあらしの山やま山やまやまののの紅葉もみぢ紅葉もみぢもみじをぞをぞをぞ見み見みみるるる
  18. 18などよませなどよませなどよませ給たま給たまたまへるへるえる、、、むかしのこゝちしてむかしのこゝちしてむかしのここちして、、、いとやさしくおはしましきいとやさしくおはしましきいとやさしくおわしましき。。。承曆二年じようりやくにねん承曆二年じようりやくにねんじょうりゃくにねん四月しぐわつ四月しぐわつしがつ廿八日にじふはちにち廿八日にじふはちにちにじゅうはちにち、、、殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうのののせさせせさせせさせ給たま給たまたまふふう。。。判者はんざ判者はんざはんざはははノノノ右みぎ右みぎみぎのおとゞのおとゞのおとど、、、皇后宮くわうごうぐう皇后宮くわうごうぐうこうごうぐう大夫だいぶ大夫だいぶだいぶととと申まう申まうもうしゝしゝしし時とき時ときときせさせせさせせさせ給たま給たまたまひきひきいき。。。
  19. 19歌人うたびと歌人うたびとうたびとどもどもども時とき時ときときにあひにあひにあい、、、よきよきよき歌うた歌うたうたももも多おほ多おほおおくくく侍はべ侍はべはべるなりるなりるなり。。。歌うた歌うたうたのよしあしのよしあしのよしあしはははさることにてさることにてさることにて、、、事こと事ことことざまのざまのざまの儀式ぎしき儀式ぎしきぎしきなどなどなど、、、えもいはぬえもいはぬえもいわぬ事こと事ことことにてにてにて、、、天德歌合てんとくうたあはせ天德歌合てんとくうたあはせてんとくうたあわせ、、、承曆歌合しようりやくうたあはせ承曆歌合しようりやくうたあはせしょうりゃくうたあわせをををこそこそこそははは、、、むねとあるむねとあるむねとある歌合うたあはせ歌合うたあはせうたあわせにににははは、、、世よ世よよののの末すゑ末すゑすえまでまでまで思おも思おもおもひてひていて侍はべ侍はべはべるなれるなれるなれ。。。
  20. 20又また又またまたからからから國くに國くにくにののの歌うた歌うたうたをもをもをも、、、もてあそばせもてあそばせもてあそばせ給たま給たまたまへりへりえり。。。朗詠らうえい朗詠らうえいろうえい集しふ集しふしゅうににに入い入いいりたるりたるりたる詩し詩ししののの殘のこ殘のこのこりのりのりの句く句くくををを、、、ながらたづねながらたづねながらたずね具ぐ具ぐぐせさせせさせせさせ給たま給たまたまふふう事こと事ことことももも、、、おぼしめしよりておぼしめしよりておぼしめしよりて、、、匡房まさふさ匡房まさふさまさふさ中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんなむなむなむ、、、集あつ集あつあつめられめられめられ侍はべ侍はべはべりけるりけるりける。。。
  21. 21そのそのその中なか中なかなかにさにさにさ月つき月つきつきののの蟬せみ蟬せみせみののの聲こゑ聲こゑこえははは、、、なにのなにのなにの秋あき秋あきあきををを送おく送おくおくるとかやいふるとかやいふるとかやいう詩し詩ししののの、、、殘のこ殘のこのこりのりのりの句く句くくをををえたづねえたづねえたずね出い出いいださゞりけるださゞりけるださざりける程ほど程ほどほどににに、、、あるあるある人ひと人ひとひとこれなんとてこれなんとてこれなんとて、、、たてまつりたりければたてまつりたりければたてまつりたりければ、、、見み見みみ給たま給たまたまひてひていて、、、「「「これこそこれこそこれこそ此こ此ここののの殘のこ殘のこのこりともりともりとも、、、おぼえおぼえおぼえ侍はべ侍はべはべらねらねらね」」」。。。
  22. 22ととと奏そう奏そうそうしけるしけるしける後のち後のちのちににに、、、仁和寺にんなじ仁和寺にんなじにんなじののの宮みや宮みやみやなりけるなりけるなりける手本てほん手本てほんてほんののの中なか中なかなかににに、、、誠まこと誠まことまことののの詩し詩しし、、、いできたりけるなどぞいできたりけるなどぞいできたりけるなどぞ聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。又また又またまた本朝秀句ほんてうしうく本朝秀句ほんてうしうくほんちょうしゅうくととと申まう申まうもうすなるすなるすなる書ふみ書ふみふみののの後のち後のちのちしつがせしつがせしつがせ給たま給たまたまふとてふとてうとてははは、、、ノノノ入道にふだう入道にふだうにゅうどうおとゞにえらばせたてまつりおとゞにえらばせたてまつりおとどにえらばせたてまつり給たま給たまたまふとぞふとぞうとぞうけうけうけ給たま給たまたまはははりしりしりし。。。
  23. 23さてさてさて其そ其そそのののふみのふみのふみの名な名ななははは、、、續本朝秀句ぞくほんてうしうく續本朝秀句ぞくほんてうしうくぞくほんちょうしゅうくととと申まう申まうもうしてしてして、、、みまきみまきみまき、、、なさけおほくなさけおほくなさけおおく撰えら撰えらえらばせばせばせ給たま給たまたまへるへるえるふみふみふみ也なり也なりなり。。。五十いそぢ五十いそぢいそじののの御賀おほんが御賀おほんがおおんがこそめでたくこそめでたくこそめでたくははは侍はべ侍はべはべりけれりけれりけれ。。。康やす康やすやす和わ和わわ四年よねん四年よねんよねん三月さんぐわつ三月さんぐわつさんがつ十八日じふはちにち十八日じふはちにちじゅうはちにち、、、堀河ほりかは堀河ほりかはほりかわのみかどのみかどのみかど、、、鳥羽とば鳥羽とばとばににに行幸ぎやうかう行幸ぎやうかうぎょうこうせさせせさせせさせ給たま給たまたまひてひていて、、、父ちゝ父ちゝちちののの法皇ほふわう法皇ほふわうほうおうののの五十いそぢ五十いそぢいそじののの御おん御おんおんよはひよはひよわいををを、、、よろこびよろこびよろこび給たま給たまたまふなりふなりうなり。。。
  24. 24舞人まひびと舞人まひびとまいびと樂人がくにん樂人がくにんがくにんなどなどなどははは殿上人てんじやうびと殿上人てんじやうびとてんじょうびと中少將ちゆうせうしやう中少將ちゆうせうしやうちゅうしょうしょう、、、さま〴〵さま〴〵さまざま左右さいう左右さいうさゆうのしらべしのしらべしのしらべし給たま給たまたまひきひきいき。。。童舞わらはまひ童舞わらはまひわらわまい三人さんにん三人さんにんさんにん、、、胡飮酒こんじゆ胡飮酒こんじゆこんじゅ、、、陵王りやうわう陵王りやうわうりょうおう、、、納蘇利なそり納蘇利なそりなそりなむなむなむ侍はべ侍はべはべりけるりけるりける。。。そのそのその中なか中なかなかににに胡飮酒こんじゆ胡飮酒こんじゆこんじゅははは源氏げんじ源氏げんじげんじののの若君わかぎみ若君わかぎみわかぎみなむなむなむ舞ま舞ままひひい給たま給たまたまひしひしいし。。。
  25. 25袖そで袖そでそでふりふりふり給たま給たまたまふさまふさまうさま、、、天童てんどう天童てんどうてんどうののの下くだ下くだくだりたるりたるりたる樣さま樣さまさまにてにてにて、、、此こ此ここののの世よ世よよののの人ひと人ひとひとのしわざともなくのしわざともなくのしわざともなく、、、めもあやになむめもあやになむめもあやになむ侍はべ侍はべはべりけるりけるりける。。。御おん御おんおんぞかづけぞかづけぞかずけ給たま給たまたまへるへるえるをばをばをば御おん御おんおんおやのおやのおやの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんとてとてとて、、、太政だいじやう太政だいじやうだいじょうのおのおのおほいほいほい殿との殿とのとのおはせしぞおはせしぞおわせしぞ、、、とりてとりてとりて拜はい拜はいはいししし給たま給たまたまひけるひけるいける。。。そのそのその若君わかぎみ若君わかぎみわかぎみははは、、、ノノノ院ゐん院ゐんいんののの大將だいしやう大將だいしやうだいしょうととと聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまひしなるべしひしなるべしいしなるべし。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

白河院は後三条院の第一皇子でいらっしゃいました。その御母は贈皇后宮茂子と申します。権大納言能信の御娘ということで、後三条院が東宮でいらした時に御息所として入内なさいました。本当は閑院の左兵衛督公成中納言の娘です。この中納言の御妹は、能信大納言の北の方です。この帝は天喜元年癸巳の六月二十日にお生まれになり、延久元年四月二十八日に東宮にお立ちになります。御年十七。同じ四年十二月八日に位におつきになります。御年二十でいらっしゃいましたでしょうか。位をお譲りになって、翌年の五月に後三条院がお亡くなりになったので、国の政治を二十一歳の御年から御自らお執りになって、位にいらっしゃったのが十四年でしたが、三十四歳で位をお下りになってから、七十七歳まで生きていらっしゃったので、五十六年間、国の政治をなさいました。延喜の帝(醍醐天皇)は三十三年世を保たれましたが、それは在位の間だけです。陽成院は八十一歳まで生きていらっしゃいましたが、退位後が長くて、世をお治めにはなりませんでした。この院は、父の太上天皇が世をお治めになったのは、いくらもありませんでした。(父院の)前代からの御威光の名残で、摂関がわがままに政治を行うこともなかったので、若い時から世をお治めになって、退位後は、堀河院・鳥羽院・讃岐院と、御子・孫・曾孫と続く三代の帝の御世も、法皇の御政治のままでした。このように長く世をお治めになるのは、昔にも例のないご様子です。後二条の大臣(師通)は、「退位した帝の門に車を立てる(参上する)などということがあるものか」などとおっしゃいました。その方が亡くなられた後は、少しでも勢いを張る人がいたでしょうか。

この帝は坎日にお生まれになったと聞きました。また本当でしょうか、御乳母の二位も、坎日に初めて参上されたとか。けれども子孫の栄えなさることは、このごろまでますますまさっていらっしゃるようです。悪い日に参ったとも聞こえませんでした。もう一人の御乳母で、知綱の母でいらした方は、日野三位の娘で、世間の評判もことのほかよかったのですが、帝が五歳でいらした年に、その乳母がお亡くなりになったので、二位だけが並ぶ者もないようでいらっしゃいます。前世の宿縁がすぐれているので、悪い日も差し支えないのでしょう。そうでない人は、どうしてそのまねができましょう。従二位親子の草子合といって、人々がよい歌を詠んでいますのも、たいそう優雅に聞こえました。

この帝が、お心が勇ましくも優美でもいらしたご様子は、後三条院に似ていらっしゃいました。ですから、堂々と仰々しい様子をお好みになりました。白河の御寺(法勝寺)も、とりわけ大きく、八角九重の塔などをお建てになり、百体の仏などを常に供養なさいます。百基の御灯明を一度に手早く供えるという趣向を思いつかれて、植え込みの向こうに道具を隠しておき、係の者を百人呼んで、一度に奉らせなさったところ、行事を取り仕切る人が心得ずに、少し先に灯したりしたのをも、ご機嫌を損ねられて、改めて一度に灯させなどなさいました。鳥羽なども広く囲いこんで、さまざまに池や築山などを大がかりにお造りになりました。後三条院は、五壇の御修法をなさっても、国が損なわれるのではないかなどとおっしゃって、円宗寺も大げさにはお造りになりませんでした。漢の文帝が露台を造ろうとなさったが、国が費用に堪えないだろうといってやめられ、寵愛した慎夫人にも裳の裾を引かせず、御帳の帷にも模様のないものを用いられたのと同じお心でありましょう。それぞれ時世に従うべきなのでしょうか。

白河院は弓なども上手でいらっしゃったのでしょうか。池の鳥を射たところ、故院(後三条)がご機嫌を損ねられたなどとおっしゃったとか。まだ東宮の若宮と申し上げていた時から和歌を重んじられて、在位中にも後拾遺集を集めさせなさいます。院となられた後も金葉集を撰ばせなさいました。どちらにも御製が多くあるようです。承保三年十月二十四日、大井川に行幸なさって、嵯峨野でお遊びになり、鷹狩などをなさいます。その時の御歌、

大井川ふるき流れを尋ねきてあらしの山の紅葉をぞ見る

などとお詠みになったのは、昔の心地がして、たいそう優雅でいらっしゃいました。承暦二年四月二十八日、殿上の歌合をなさいます。判者は六条右大臣(顕房)で、皇后宮大夫と申し上げていた時に務められました。歌人たちは時を得て、よい歌も多くあります。歌のよしあしはともかくとして、催しの儀式などが何とも言えないほど立派で、天徳の歌合と承暦の歌合とを、代表的な歌合として、後の世まで思っているのです。

また唐の国の歌(漢詩)もお好みになりました。和漢朗詠集に入っている詩の残りの句を、四韻の詩の全体まで探して揃えようとお思いつきになって、匡房中納言が集められました。その中で「五月の蝉の声は、何の秋を送る」とかいう詩の残りの句を探し出せなかったところ、ある人がこれだと言って差し上げたので、江帥(匡房)が見て、「これがこの残りの句とも思われません」と奏上した後に、仁和寺の宮にあった手本の中から、本当の詩が出てきたなどと聞きました。また本朝秀句と申す書の続編をお作らせになるということで、法性寺入道殿(忠通)にお撰ばせになったと承りました。そしてその書の名は続本朝秀句と申して、三巻で、情趣豊かにお撰ばせになった書です。五十の御賀こそすばらしいものでした。康和四年三月十八日、堀河天皇が鳥羽に行幸なさって、父の法皇の五十歳をお祝いになったのです。舞人・楽人などは殿上人や中将・少将で、さまざまに左方・右方の楽を奏されました。童舞は三人で、胡飲酒・陵王・納蘇利がありました。その中で胡飲酒は源氏の若君が舞いなさいました。袖をひるがえされる様子は、天童が下ってきたようで、この世の人のしわざとも思えず、目もまばゆいほどでした。御衣を肩に掛けて賜ったのを、御親の大納言で、太政大臣でいらした方(雅実)が受け取って拝舞なさいました。その若君は、中院の大将と申し上げた方(雅定)でありましょう。

意訳

白河天皇の生涯を概観する章。白河院は在位十四年、退位後も堀河・鳥羽・崇徳の三代にわたって院政を行い、あわせて五十六年間政治を執った。父後三条の時代に摂関家の力が抑えられていたため、若くして親政を行えたことが、長い院政の基盤となった。藤原師通の「おり位のみかどの門に車立つるやうやはある」という言葉は、院政に抵抗した摂関家の最後の意地を伝えている。

坎日(凶日)に生まれた天皇と、坎日に出仕した乳母藤原親子とが、ともに栄えた話は、運勢を気にする当時の風潮と、それを越える「宿世」の考え方を示している。

白河院は豪壮を好み、法勝寺の八角九重塔や鳥羽殿を造営した。倹約を旨とした父後三条や漢の文帝と対比しつつ、語り手は「おのおの時に従ふべきにやあらむ」と、どちらとも決めかねている。

後半は文化事業。後拾遺集・金葉集の撰集、承保三年の大井川御幸、承暦二年(1078)の内裏歌合、匡房による朗詠集の詩の補完、続本朝秀句の撰集、そして康和四年(1102)の鳥羽殿での五十の賀が語られる。章題の「紅葉のみかり」は、大井川御幸の紅葉の歌による。

語釈・文法注

白河ノ院
第七十二代白河天皇(1053〜1129)。名は貞仁。院政を始めた。
茂子
藤原茂子(?〜1062)。藤原公成の娘で、能信の養女。白河天皇を産んだが、即位前に亡くなった。
公成
藤原公成(999〜1043)。閑院流。
延喜のみかど
醍醐天皇(885〜930)。在位三十三年。
陽成院
陽成天皇(868〜949)。在位八年で退位し、八十二歳まで生きた。
一の人
摂政・関白。
讚岐ノ院
崇徳院。保元の乱で讃岐に流されたので讃岐院と呼ばれた。
後二條のおとゞ
藤原師通(1062〜1099)。関白。白河院政に批判的だった。
かん日
坎日。陰陽道で万事に凶とされる日。
御めのとの二位
藤原親子。白河天皇の乳母で従二位。藤原顕季の母。
白河の御寺
法勝寺。白河天皇の御願寺で、八角九重塔が建てられた。六勝寺の筆頭。
鳥羽
鳥羽殿。白河院が京の南の鳥羽に造営した離宮。
五壇御修法
五大明王を五つの壇に祀って同時に行う密教の修法。
漢の文帝
前漢の文帝(在位前180〜前157)。倹約で知られる。露台(見晴らし台)の建設を、費用が百金かかると聞いてやめた。
後拾遺
『後拾遺和歌集』。第四番目の勅撰集。白河天皇の命で藤原通俊が撰び、応徳三年(1086)に成った。
金葉集
『金葉和歌集』。第五番目の勅撰集。白河院の命で源俊頼が撰んだ。
大井川
京都の嵐山のふもとを流れる川。紅葉の名所。
殿上の歌合
承暦二年(1078)四月二十八日の内裏歌合。天徳四年の歌合とともに晴儀の歌合の代表とされる。
六條ノ右のおとゞ
源顕房(1037〜1094)。師房の子。白河天皇の中宮賢子の実父。
四韻
八句の律詩。四つの韻をふむ。
江帥
大江匡房。大宰権帥となったので江帥と呼ばれた。
法性寺ノ入道おとゞ
藤原忠通(1097〜1164)。関白。法性寺殿と呼ばれた。
中ノ院の大將
源雅定(1094〜1162)。雅実の子。中院右大臣。

文法

おはしましけむ
「けむ」は過去推量。いらっしゃったのであろうか。
こぢたく
「こちたし」の連用形。ことごとしく、大げさに。
むづからせ給ひて
「むづかる」は機嫌を損ねる、不快に思う。

和歌

大井川ふるき流れを尋ねきてあらしの山の紅葉をぞ見る

詠者
白河天皇
状況
承保三年(1076)十月の大井川御幸で詠んだ歌。

修辞

掛詞
「ふるき流れ」に、大井川の古い流れと、宇多・醍醐天皇の大井川御幸の先例をかける。
縁語
「流れ」「尋ね」。

解説

白河院政は、摂関家に代わって上皇が国政を握る新しい政治形態の始まりであった。今鏡は、白河院を「たけくもやさしくも」ある人として描き、権力者としての豪壮さと、和歌・漢詩を愛する風雅とを併せ語っている。

康和四年の五十の賀で胡飲酒を舞った源雅定は、平等院行幸(第8章)で胡飲酒を舞った雅実の子である。村上源氏の親子二代が同じ舞で晴れの場を飾ったことを、語り手は印象深く書き留めている。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、55〜60頁(コマ42–45)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日