今鏡 第二「すべらぎの中」 第11章
御法の師
後三条天皇は東宮時代から仏法を深く学び、僧の薬智を召して教えを問うた。東宮時代は頼通との不和から身の危うさを感じることも多く、検非違使別当の参上に宮中が騒いだこともあった。後半では、天皇の母陽明門院の生涯と歌が語られる。
- 1むかしみこのむかしみこのむかしみこの宮宮みやにおはしましゝにおはしましゝにおわしましし時時ときよりよりより、、、法法のりののの道道みちをもをもをも深深ふかくくく知知しろしめされけりろしめされけりろしめされけり。。。勝範座主勝範座主しょうはんざすといふといふという人人ひと、、、參參まいりりり給給たまへりけるにへりけるにえりけるに、、、「「「・・・止觀止觀しかんかねかねかね學學まなびたらんびたらんびたらん僧僧そうののの、、、俗俗ぞくのののふみもふみもふみも心得心得こころえたらんたらんたらん、、、一人一人ひとりたてまつれたてまつれたてまつれ。。。さるべきさるべきさるべき僧僧そうのおのづからたのみたるがなきにのおのづからたのみたるがなきにのおのずからたのみたるがなきに」」」。。。
- 2ととと仰仰おおせられければせられければせられければ、、、「「「かねたるかねたるかねたるははは、、、常常つねののの事事ことにてあまたにてあまたにてあまた侍侍はべりりり。。。からのからのからの文文ふみののの心心こころしりたるしりたるしりたる者者ものこそありがたくこそありがたくこそありがたく侍侍はべれれれ。。。さるにてもさるにてもさるにても、、、尋尋たずねてねてねて申申もうししし侍侍はべらむらむらむ」」」。。。
- 3とてとてとて歸歸かえりてりてりてといふといふという僧僧そうをぞをぞをぞ奉奉たてまつられけるにられけるにられけるに、、、わざとわざとわざと取取とりつくろひてりつくろひてりつくろいて車車くるまなどなどなどをもをもをも借借かされざりけるにやされざりけるにやされざりけるにや。。。ににに馬馬うまにのりたるにのりたるにのりたる僧僧そうののの、、、座主座主ざすのもとよりとてのもとよりとてのもとよりとて參參まいりたりければりたりければりたりければ、、、召召めしよせてしよせてしよせて、、、御簾御簾みすごしにたいめせさせごしにたいめせさせごしにたいめせさせ給給たまひけるにひけるにいけるに、、、蒔繪蒔繪まきえののの御硯御硯おおんすずりののの函函はこのののふたにふたにふたに、、、止觀止觀しかんののの一一いちののの卷卷まきをををおきておきておきて、、、さしさしさし出出いださせださせださせ給給たまひてひていて、、、讀讀よませてませてませて問問とはせはせわせ給給たまひければひければいければ、、、明明あきらかにらかにらかに說說とききき聞聞きかせかせかせ參參まいらせけりらせけりらせけり。。。
- 4眞言眞言しんごんののの事事ことははは、、、ふみふみふみはははなくてなくてなくて唯問唯問ただとはせはせわせ給給たまひければひければいければ、、、事事ことののの有樣有樣ありさま、、、又又また申申もうししし述述のべなどしけりべなどしけりべなどしけり。。。其其そののの後後のち、、、俗俗ぞくののの文文ふみのことのことのことををを、、、仰仰おおせられければせられければせられければ、、、注文注文ちゅうもんにあはせつゝにあはせつゝにあわせつつ、、、それもあへしらひそれもあへしらひそれもあえしらい申申もうしけりしけりしけり。。。
- 5末末すえつつつ方方かたににに、、、「「「極樂極樂ごくらくとととといづれといづれといずれををを願願ねがふふう」」」。。。とのとのとの給給たまはせければはせければわせければ、、、「「「いづれいづれいずれをもをもをも望望のぞみかけみかけみかけ侍侍はべらずらずらず。。。たゞたゞただ日日ひ每每ごとににに法華經法華經ほけきょう一部一部いちぶなどなどなど行行おこなひひい侍侍はべるるるををを、、、怠怠おこたらでらでらでののの世世よまでまでまで、、、しししはべらばやとはべらばやとはべらばやと思思おもひひい給給たまへてへてえて、、、大鬼王大鬼王だいきおうののの命長命長いのちながきにてきにてきにて、、、行行おこなひひい此此こののの定定じょうにしつゝにしつゝにしつつ侍侍はべらむとぞらむとぞらむとぞ願願ねがひひい侍侍はべるるる」」」。。。
- 6とぞとぞとぞ申申もうしけるしけるしける。。。須彌山須彌山しゅみせんのののほとりにほとりにほとりに、、、しかあるしかあるしかある鬼鬼おにののの、、、行行おこなひなどするありとひなどするありといなどするありと見見みゆるゆるゆる經經きょうののの侍侍はべるとぞるとぞるとぞ、、、後後のちににに誰誰たれとかやれとかやれとかや申申もうされされされ侍侍はべりけるりけるりける。。。鬼鬼おにはははのものなればのものなればのものなれば、、、生生うまれてまれてまれて程程ほどなくなくなく行行おこなひなどしつきてひなどしつきていなどしつきて、、、怠怠おこたるまじきるまじきるまじき心心こころににに申申もうしけるとぞしけるとぞしけるとぞ。。。
- 7さてさてさて又又また仰仰おおせられけるせられけるせられけるははは、、、「「「御祈御祈おおんいのりなどりなどりなど、、、取取とりたてゝせんりたてゝせんりたててせん事事ことかなひかなひかない難難がたければければければ、、、さしたることもさしたることもさしたることも仰仰おおせられつけずせられつけずせられつけず。。。たゞたゞただ心心こころにかけてにかけてにかけて、、、行行おこなひのついでにひのついでにいのついでに祈祈いのりてりてりて、、、穩穩おんかにかにかに保保たもたんたんたん事事ことををを、、、心心こころににに掛掛かくべきなりくべきなりくべきなり」」」とぞとぞとぞ、、、ののの給給たまはせけるはせけるわせける。。。
- 8位位くらいにつかせにつかせにつかせ給給たまひてひていて、、、たづねさせたづねさせたずねさせ給給たまひければひければいければ、、、藥智藥智やくちははは身身みまかりにけりまかりにけりまかりにけり。。。弟子弟子でしなりけるなりけるなりける法師法師ほうしをぞをぞをぞ僧綱僧綱そうごうになさせになさせになさせ給給たまひけるひけるいける。。。おほうへのおほうへのおおうえのとかとかとか云云いひけるとなむひけるとなむいけるとなむ。。。
- 9東宮東宮とうぐうにおはしましけるにおはしましけるにおわしましける時時とき、、、世世よのののへだてへだてへだて多多おおくおはしましければくおはしましければくおわしましければ、、、危危あやうくおぼしけるにくおぼしけるにくおぼしけるに、、、檢非違使檢非違使けびいしののの別當別當べっとうにてにてにて、、、といひしといひしといいし人人ひと、、、直衣直衣のうしににににてにてにて、、、やなぐひやなぐひやなぐい負負おひてひていて中門中門ちゅうもんののの廊廊ろうににに居居いたりけるたりけるたりける日日ひははは、、、いかなるいかなるいかなる事事ことののの出出いできぬるぞとてできぬるぞとてできぬるぞとて、、、宮宮みやのののうちのうちのうちの女房女房にょうぼうよりよりよりはじめてはじめてはじめて、、、隱隱かくれれれ騷騷さわぎけるとかやぎけるとかやぎけるとかや。。。
- 10おはしましけるおはしましけるおわしましける所所ところははは、、、二條二條にじょう東東とうノノノ洞院洞院とういんなりければなりければなりければ、、、そのわたりそのわたりそのわたりををを、、、いくさのいくさのいくさの打打うちちち廻廻めぐりてりてりて、、、つゝみたりければつゝみたりければつつみたりければ、、、「「「かゝるかゝるかかる事事ことこそこそこそ侍侍はべれれれ」」」。。。などなどなど申申もうしあへりけるしあへりけるしあえりける程程ほどににに、、、別當別當べっとうののの參參まいりたりければりたりければりたりければ、、、東宮東宮とうぐうももも御直衣御直衣おおんのうしたてまつりなどしてたてまつりなどしてたてまつりなどして、、、御用意御用意ごよういありけるにありけるにありけるに、、、別當別當べっとう檢非違使檢非違使けびいしめしてめしてめして、、、「「「をかしのをかしのおかしの者者ものははは召召めししし捕捕とりたりやりたりやりたりや」」」。。。
- 11ととと、、、問問とはれければはれければわれければ、、、「「「旣旣すでにめしてにめしてにめして侍侍はべりりり」」」ととと、、、いひければこそいひければこそいいければこそ、、、ともかくもともかくもともかくも申申もうさでさでさで、、、罷罷まかりりり出出いでられけれでられけれでられけれ。。。重重おもくあやまちけるくあやまちけるくあやまちける者者もの、、、おはしますおはしますおわします近近ちかきあたりにきあたりにきあたりに籠籠こもりゐたりければりゐたりければりいたりければ、、、うちつゝみたりけるにうちつゝみたりけるにうちつつみたりけるに、、、もしもしもし東宮東宮とうぐうににに逃逃にげげげ入入いるるる事事こともやもやもや。。。
- 12とてとてとて參參まいりたるなりけりりたるなりけりりたるなりけり。。。かやうにのみあやぶまれかやうにのみあやぶまれかようにのみあやぶまれ給給たまひてひていて、、、東宮東宮とうぐうをもをもをも捨捨すてられやせさせてられやせさせてられやせさせ給給たまはんずらんとはんずらんとわんずらんと思思おもほしけるにほしけるにおしけるに、、、殿上人殿上人てんじょうびとにてにてにて衞門衞門えもんノノノ權權けんノノノ佐佐すけととと聞聞きこえしこえしこえし人人ひとののの、、、相相そうよくするおぼえありてよくするおぼえありてよくするおぼえありて、、、いかにもいかにもいかにも天天あめののの下知下知したしろしめすべきろしめすべきろしめすべき由由よし申申もうしけるかひありてしけるかひありてしけるかいありて、、、かくかくかく雙雙ならびなくぞおはしましゝびなくぞおはしましゝびなくぞおわしましし。。。
- 13このみかどのこのみかどのこのみかどの御母御母おおんはは陽明門院陽明門院ようめいもんいんととと申申もうすすすははは、、、三條三條さんじょうノノノ院院いんののの御御おんむすめなりむすめなりむすめなり。。。後朱雀院後朱雀院ごすざくいん、、、東宮東宮とうぐうののの御時御時おおんときよりよりより御息所御息所みやすんどころにおはしましてにおはしましてにおわしまして、、、このみかどこのみかどこのみかどをばをばをば、、、廿二廿二にじゅうににてにてにて生生うみたてまつらせみたてまつらせみたてまつらせ給給たまへりへりえり。。。
- 14長元長元ちょうげん十年十年じゅうねん二月二月にがつ三日三日みか、、、皇后宮皇后宮こうごうぐうにたちにたちにたち給給たまふふう。。。御御おんとしとしとし廿五廿五にじゅうご、、、其其そののの時時ときノノノ侍從侍從じじゅうたゝせたゝせたたせ給給たまひきときゝてひきときゝていきとききて、、、
- 15紫紫むらさきののの雲雲くものよそなるのよそなるのよそなる身身みなれどもたつとなれどもたつとなれどもたつと聞聞きくこそくこそくこそうれしかりけれうれしかりけれうれしかりけれ
- 16となむよめりけるとなむよめりけるとなむよめりける。。。寬德寬德かんとく二年二年にねん七月七月しちがつ廿一日廿一日にじゅういちにち、、、御御おんぐしおろさせぐしおろさせぐしおろさせ給給たまふふう。。。治治じ曆曆りやく二年二年にねん二月二月にがつ、、、陽明門院陽明門院ようめいもんいんととと聞聞きこえさせこえさせこえさせ給給たまふふう。。。御歌御歌おおんうたなどこそなどこそなどこそ、、、いとやさしくいとやさしくいとやさしく見見みえええ侍侍はべるめれるめれるめれ。。。後朱雀院後朱雀院ごすざくいんにたてまつらせにたてまつらせにたてまつらせ給給たまふふう、、、
- 17いまいまいまはははたゞたゞただ雲居雲居くもいののの月月つきをををながめつゝめぐりながめつゝめぐりながめつつめぐり逢逢あふべきふべきうべき程程ほどももも知知しられずられずられず
- 18などよませなどよませなどよませ給給たまへるへるえる。。。むかしにむかしにむかしに耻耻はぢぬぢぬじぬ御歌御歌みゅうたにこそにこそにこそ侍侍はべるめれるめれるめれ。。。このこのこの女院女院にょういんののの御母御母おおんはは、、、皇太后宮皇太后宮こうたいこうぐうととと申申もうすすすははは、、、御堂御堂みどうののの入道入道にゅうどう殿殿どのののの第二第二だいにののの御御おんむすめなりむすめなりむすめなり。。。
現代語訳
昔、皇子の宮でいらした時から、仏法の道も深くご存じでした。勝範座主という人が参上なさった時に、「真言と止観をともに学んだ僧で、俗の書物も心得ている者を一人よこしてくれ。しかるべき僧で、こちらで頼みにしている者が自然とないので」とおっしゃったので、「顕教と密教をともに学んだ者は普通のことでたくさんおります。漢籍の意味を知っている者こそめったにおりません。それでも、探してご報告いたしましょう」と言って帰って、薬智という僧をよこされたのですが、わざと身なりを整えて車なども貸されなかったのでしょうか、狩袴姿で馬に乗った僧が、座主のもとから来たと言って参上したので、召し寄せて、御簾越しに対面なさった時に、蒔絵の御硯箱の蓋に止観の第一巻を置いて差し出されて、読ませて質問なさったところ、明快に説き聞かせ申し上げました。真言のことは、書物はなしにただ質問なさったところ、その事柄の様子をまた申し述べなどしました。その後、俗の書物のことをおっしゃると、注釈に照らし合わせながら、それにもきちんとお答え申しました。終わりのほうに、「極楽と兜率天と、どちらを願うか」とおっしゃったので、「どちらも望んではおりません。ただ毎日法華経一部と両界の行法などを行っておりますのを、怠らずに弥勒の世までし続けたいと存じまして、大鬼王の長い寿命を得て、このとおり修行を続けたいと願っております」と申し上げました。須弥山のほとりに、そのような鬼で修行などをする者があると見える経があるそうだと、後に誰とかが申されました。鬼は化生のものなので、生まれてまもなく修行などに慣れて、怠らないようにという心で申し上げたのだということです。さてまたおっしゃったことには、「御祈祷など、取り立ててするのは難しいので、これといったことも申しつけない。ただ心にかけて、修行のついでに祈って、穏やかに位を保てるよう心がけてくれ」とおっしゃいました。位におつきになって、お尋ねになったところ、薬智は亡くなっていました。弟子であった法師を僧綱になさいました。大上の法橋顕耀とかいったそうです。
東宮でいらした時、(関白頼通との)隔てが多くていらしたので、危ういとお思いになっていたところ、検非違使の別当であった経成という人が、直衣に柏夾をして、胡籙を背負って中門の廊に座っていた日には、どんな事が起こったのかと、宮の中の女房をはじめとして、隠れ騒いだとか。お住まいの所は二条東洞院であったので、そのあたりを軍兵が取り囲んでいたので、「こんな事が起きております」などと言い合っていたところに、別当が参ったので、東宮も直衣をお召しになったりして、心構えをなさっていたところ、別当が検非違使を呼んで、「罪人は捕らえたか」と尋ねられたので、「もう捕らえました」と言ったので、何も申さずに退出されたのでした。重い罪を犯した者が、お住まいの近くに籠もっていたので取り囲んだのですが、もしや東宮の御所に逃げ込むこともあろうかと思って参上したのでした。このように危ぶまれてばかりいらして、東宮の位をも捨てられることになるのではないかとお思いになっていたところ、殿上人で衛門権佐行親と申した人が、人相をよく見るという評判があって、きっと天下をお治めになるはずだと申し上げた甲斐があって、このように並びない方におなりになりました。この帝の御母、陽明門院と申し上げるのは、三条院の御娘です。後朱雀院が東宮でいらした時から御息所でいらして、この帝を二十二歳でお産みになりました。長元十年二月三日、皇后宮にお立ちになります。御年二十五で、その時、江侍従が、お立ちになったと聞いて、
紫の雲のよそなる身なれどもたつと聞くこそうれしかりけれ
と詠みました。寛徳二年七月二十一日に出家なさいます。治暦二年二月、陽明門院と申し上げるようになります。御歌などは、たいそう優美に見えるようです。後朱雀院に差し上げなさった、
いまはたゞ雲居の月をながめつゝめぐり逢ふべき程も知られず
などとお詠みになったのは、昔の歌に恥じない御歌であるようです。この女院の御母、皇太后宮妍子と申し上げるのは、御堂の入道殿(道長)の第二の御娘です。
意訳
後三条天皇の学問好きは仏法にも及んだ。天台の止観、真言の密教、さらに漢籍にも通じた僧を求め、薬智が招かれる。極楽往生も兜率天への上生も望まず、弥勒の世まで修行を続けたいので長命の鬼王に生まれたいと答える薬智の言葉は、型にはまらない求道者の姿を伝えている。天皇が求めたのも、取り立てた祈祷ではなく、修行のついでの穏やかな祈りであった。
東宮時代の後三条は、摂関家と血縁がないため頼通に冷遇され、廃太子の不安を抱えていた。検非違使別当藤原経成が武装して東宮御所に現れ、女房たちが逃げ隠れたという話は、その緊張をよく伝えている。人相見の行親が即位を予言したという話も添えられる。
最後は母陽明門院(禎子内親王)の略伝。皇后となった時の江侍従の祝いの歌、後朱雀院に贈った歌が引かれる。章題の「御法の師」は、薬智の話による。
語釈・文法注
- 眞言・止觀
- 真言密教と、天台宗の止観(『摩訶止観』に説かれる瞑想の修行)。
- 顯密
- 顕教(経典の教えによる仏教)と密教。
- 藥智
- 比叡山の僧。伝未詳。
- 狩袴
- 狩衣の下にはく袴。略式の服装。
- 兜率
- 兜率天。弥勒菩薩が住む天。極楽浄土と並ぶ往生の目標とされた。
- 兩界
- 金剛界と胎蔵界。密教の二つの体系で、その行法をいう。
- 彌勒の世
- 釈迦の入滅から五十六億七千万年後に、弥勒菩薩が現れて衆生を救うとされる世。
- 化生
- 母胎や卵によらず、忽然と生まれること。鬼神や天人の生まれ方。
- 顯耀
- 薬智の弟子。法橋は僧綱の位の一つ。
- 經成
- 源経成(1009〜1066)。検非違使別当。
- 柏夾
- 冠の纓(えい)を巻いて挟むこと。武官が非常の際にする。
- 衞門ノ權ノ佐行親
- 平行親。人相見に長じていたという。
- 江ノ侍從
- 江侍従。大江匡衡と赤染衛門の娘で、彰子・禎子に仕えた女房歌人。
- 妍子
- 藤原妍子(994〜1027)。道長の次女。三条天皇の中宮。
文法
- たのみたるがなきに
- 頼みにしている者がないので。「が」は格助詞で、下に「者」などを補う。
- しはべらばや
- 「ばや」は自己の願望を表す終助詞。〜したい。
- 取りたてゝせん事かなひ難ければ
- (東宮の身で)取り立てて祈祷をするのは、はばかりがあって難しいので。
和歌
紫の雲のよそなる身なれどもたつと聞くこそうれしかりけれ
- 詠者
- 江侍従
- 状況
- 禎子内親王が皇后に立ったと聞いて詠んだ祝いの歌。
修辞
- 掛詞
- 「たつ」に、紫の雲が立つ意と、后に立つ意をかける。
- 紫の雲
- 吉祥の雲。后の位をたとえる。
いまはたゞ雲居の月をながめつゝめぐり逢ふべき程も知られず
- 詠者
- 陽明門院(禎子内親王)
- 状況
- 後朱雀天皇に贈った歌。里に下がって天皇に逢えない思いを詠む。
修辞
- 掛詞
- 「雲居」に空と宮中、「めぐり逢ふ」に月がめぐる意と再び逢う意をかける。
解説
後三条天皇は二十三年間も東宮の地位にあり、その間、頼通・教通は自分の娘の産んだ皇子を東宮に立てようとして、たびたび廃太子の危機があった。今鏡は、そうした緊張を検非違使別当の参上という一場面で鮮やかに描き出している。
陽明門院禎子内親王は八十二歳まで生き、後三条天皇の母、白河天皇の祖母として宮廷に重んじられた。摂関家を外戚としない後三条の即位を支えた存在でもある。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、50〜54頁(コマ40–42)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日