今鏡 第二「すべらぎの中」 第10章
たむけ
巻二「すべらぎの中」の始まり。後三条天皇は世を治め、石清水放生会や円宗寺の法会、日吉行幸を始めた。贅沢を戒めて物見車の金物を抜かせ、大極殿を再建する。在位四年で白河天皇に譲位し、住吉に詣でて歌を詠んだが、翌年崩御した。
- 1此此こののの帝帝みかど、、、世世よをををしらせしらせしらせ給給たまひてひていて後後のち、、、世世よののの中中なかみなみなみな治治おさまりてまりてまりて、、、今今いまににに至至いたるまでるまでるまで、、、其其そのなごりになむのなごりになむのなごりになむ侍侍はべるるる。。。たけきたけきたけき御心御心みこころにおはしましながらにおはしましながらにおわしましながら、、、又又またなさけなさけなさけ多多おおくぞおはしましけるくぞおはしましけるくぞおわしましける。。。
- 2石淸水石淸水いわしみずのののににに、、、のすけなどたてさせのすけなどたてさせのすけなどたてさせ給給たまふふう事事ことももも、、、このこのこの御時御時おおんときよりよりより始始はじまりまりまり、、、佛佛ほとけののの道道みちもももさま〴〵それよりぞまことしきさま〴〵それよりぞまことしきさまざまそれよりぞまことしき道道みちははは、、、おこれるおこれるおこれる事事こと多多おおくくくはははべるなるべるなるべるなる。。。
- 3ののの二會二會にえののの講師講師こうじおかせおかせおかせ給給たまひてひていて、、、三井寺三井寺みいでらざえざえざえ高高たかききき僧僧そうなどなどなど、、、位位くらいたかくのぼりたかくのぼりたかくのぼり、、、深深ふかききき道道みちもももひろまりひろまりひろまり侍侍はべるなりるなりるなり。。。またまたまたののの行幸行幸ぎょうこうはははじめてせさせじめてせさせじめてせさせ給給たまひてひていて、、、法華經法華經ほけきょうおもくあがめさせおもくあがめさせおもくあがめさせ給給たまふふう。。。
- 4かのかのかの道道みちひろまるひろまるひろまる所所ところををを、、、おもくせさせおもくせさせおもくせさせ給給たまふふう事事ことははは、、、誠誠まことににに御法御法みのりをもをもをもてなさせてなさせてなさせ給給たまふにこそふにこそうにこそはべるなれはべるなれはべるなれ。。。比叡比叡ひえののの明神明神みょうじんははは法華經法華經ほけきょうををを守守まもりりり給給たまふふう神神かみにおはしますにおはしますにおわします。。。
- 5深深ふかききき御法御法みのりををを守守まもりりり給給たまふふう神神かみにおはすればにおはすればにおわすれば、、、動動うごきなくきなくきなく守守まもりりり給給たまはんはんわん爲爲ためににに、、、世世よののの中中なかののの人人ひとをもをもをも廣廣ひろくくく惠惠めぐみみみ、、、しるししるししるしをもをもをも極極きわめめめ施施ほどこしたまふなるべししたまふなるべししたまうなるべし。。。石淸水石淸水いわしみずののの行幸行幸ぎょうこう、、、始始はじめてせさせめてせさせめてせさせ給給たまひけるにひけるにいけるに、、、どものどものどもの、、、物物ものうちたるうちたるうちたるををを御覽御覽ごらんじてじてじて、、、御輿御輿みこしとゞめさせとゞめさせとどめさせ給給たまひてひていて、、、ぬかせぬかせぬかせ給給たまひけるひけるいける、、、めのとのめのとのめのとの車車くるまよりよりより、、、「「「いかでかいかでかいかでか我我わががが君君きみのみゆきにのみゆきにのみゆきに、、、此此こののの車車くるまばかりばかりばかりはははゆるされゆるされゆるされ侍侍はべらざらむらざらむらざらむ」」」。。。
- 6ととと聞聞きこえければこえければこえければ、、、此此こののの由由よしをやをやをや奏奏そうしけむしけむしけむ。。。そればかりぞそればかりぞそればかりぞ、、、ぬかれぬかれぬかれ侍侍はべらざりけるとかやらざりけるとかやらざりけるとかや。。。賀茂賀茂かものみゆきにのみゆきにのみゆきにははは、、、金物金物かなものぬきたるあとあるぬきたるあとあるぬきたるあとある車車くるまどもぞどもぞどもぞ、、、立立たちならびてちならびてちならびて侍侍はべりけるりけるりける。。。
- 7大極殿大極殿だいごくでんさきのさきのさきの帝帝みかどののの御時御時おおんとき、、、火事火事かじ侍侍はべりしのちりしのちりしのち、、、十年過十年過じゅうねんすぐるまでぐるまでぐるまで侍侍はべりしにりしにりしに、、、位位くらいにつかせにつかせにつかせ給給たまひてひていて、、、いつしかいつしかいつしか造造つくりりりはじめさせはじめさせはじめさせ給給たまひてひていて、、、よとせといふによとせといふによとせというに、、、造造つくりりり建建たてさせてさせてさせ給給たまひにしかばひにしかばいにしかば、、、渡渡わたらせらせらせ給給たまひてひていて、、、慶慶よろこびのびのびの詩詩しなどなどなど作作つくられられられ侍侍はべりけりりけりりけり。。。
- 8よろづのよろづのよろずの事昔事昔ことむかしにもにもにも耻耻はぢずぢずじず行行おこなはせはせわせ給給たまひてひていて、、、山山やまののの嵐嵐あらし、、、枝枝えだもならさぬもならさぬもならさぬ御世御世みよなればなればなれば、、、雲居雲居くもいにてにてにて千歲千歲ちとせをもをもをも過過すぐさせぐさせぐさせ給給たまふべかりしふべかりしうべかりしををを、、、世世よののの中中なか定定さだまりてまりてまりて、、、心安心安こころやすくやおぼしめしけんくやおぼしめしけんくやおぼしめしけん。。。
- 9又又また高高たかききき雲雲くもののの上上うえにてにてにて、、、世世よののの事事こともおぼつかなくもおぼつかなくもおぼつかなく、、、深深ふかききき宮宮みやののの中中なかははは、、、世世よををを治治おさめさせめさせめさせ給給たまふもふもうも、、、わづらひわづらひわずらい多多おおくくく、、、今今いますこしすこしすこし、、、帝帝みかどとてとてとて、、、御心御心みこころのまゝにとやおぼしめしけむのまゝにとやおぼしめしけむのままにとやおぼしめしけむ。。。
- 10位位くらいにおはしますにおはしますにおわします事事こと四年四年よねんありてありてありて、、、白河白河しらかわのみかどのみかどのみかど、、、東宮東宮とうぐうにおはしましゝににおはしましゝににおわしまししに、、、讓讓ゆずりりり申申もうさせさせさせ給給たまひきひきいき。。。御母御母おおんはは女院女院にょういん、、、御御おんむすめのむすめのむすめのののの宮宮みやなどなどなど、、、具具ぐしたてまつらせしたてまつらせしたてまつらせ給給たまひてひていて、、、のえにまうでさせのえにまうでさせのえにもうでさせ給給たまふとてふとてうとて、、、
- 11住住すみよしのよしのよしの神神かみもももうれしとうれしとうれしと思思おも船船ふねをををさしてきたればさしてきたればさしてきたれば
- 12とよませとよませとよませ給給たまへるへるえる、、、帝帝みかどののの御歌御歌おおんうたとおぼえてとおぼえてとおぼえて、、、いといといと面白面白おもしろくもくもくも聞聞きこえこえこえ侍侍はべるるる御製御製ぎょせいなるべしなるべしなるべし。。。おりゐのおりゐのおりいの帝帝みかどにてにてにて、、、久久ひさしくもおはしまさばしくもおはしまさばしくもおわしまさば、、、いかばかりめでたくもいかばかりめでたくもいかばかりめでたくも侍侍はべるべかりしにるべかりしにるべかりしに、、、次次つぎののの年年としかくれさせかくれさせかくれさせ給給たまひにしひにしいにし、、、世世よにくちをしきとにくちをしきとにくちおしきとははは申申もうせどもせどもせども、、、くらゐのくらゐのくらいの御時御時おおんときよろづしたゝめおかせよろづしたゝめおかせよろずしたためおかせ給給たまひてひていて、、、東宮東宮とうぐうににに位位くらい讓讓ゆずりりり申申もうさせさせさせ給給たまひてひていて、、、かくれさせかくれさせかくれさせ給給たまひぬればひぬればいぬれば、、、今今いまはははかくてとかくてとかくてと、、、おぼしけるなるべしおぼしけるなるべしおぼしけるなるべし。。。
- 13あるあるある人人ひとののの夢夢ゆめににに、、、ことことこと國國くにのそこなはれたるのそこなはれたるのそこなわれたるををを直直なおさんとてさんとてさんとて、、、此此こののの國國くにをばをばをば去去さらせらせらせ給給たまふとふとうと、、、見見みたるたるたる事事ことももも侍侍はべりけりりけりりけり。。。又又また嵯峨嵯峨さがににに世世よをををのがれてのがれてのがれて籠籠こもりりり居居いたるたるたる人人ひとののの夢夢ゆめににに、、、樂樂がくののの聲聲こえそらにそらにそらに聞聞きこえてこえてこえて、、、紫紫むらさきののの雲雲くもたなびきたりけるにたなびきたりけるにたなびきたりけるに、、、院院いんかくれさせかくれさせかくれさせ給給たまひぬとひぬといぬと世世よののの中中なかににに聞聞きこえけるにぞこえけるにぞこえけるにぞ、、、まさしきまさしきまさしき夢夢ゆめととと、、、たのみたのみたのみはべりけるとなむはべりけるとなむはべりけるとなむ。。。
現代語訳
この帝(後三条)が世をお治めになってから、世の中はすっかり治まって、今に至るまで、その名残があるのです。勇ましいお心でいらっしゃりながら、また情け深くもいらっしゃいました。石清水の放生会に、上卿・宰相・諸衛府の次官などを立てさせなさることも、この御時から始まり、仏の道もさまざまに、それから本格的な道が興ったことが多いのです。円宗寺の二会の講師をお置きになって、比叡山・三井寺の学才の高い僧などが高い位にのぼり、深い教えも広まったのです。また日吉の行幸を初めてなさって、法華経を重んじあがめなさいます。その教えの広まる所を重んじなさるのは、まことに仏法を大切になさることなのです。比叡の明神は法華経を守りなさる神でいらっしゃいます。深い仏法を守りなさる神でいらっしゃるので、揺るぎなく守りなさるために、世の中の人をも広く恵み、霊験をも尽くして施しなさるのでしょう。石清水の行幸を初めてなさった時に、見物の車が金物を打ちつけているのをご覧になって、御輿をとめさせて、その金物を抜かせなさいましたが、御乳母の車から、「どうして我が君の行幸に、この車だけはお許しいただけないことがありましょう」と申し上げたので、そのことを奏上したのでしょうか。その車だけは抜かれなかったとか。賀茂の行幸には、金物を抜いた跡のある車どもが立ち並んでいました。大極殿が先帝(後冷泉)の御時に火事にあった後、十年過ぎるまでそのままになっていましたのを、位におつきになって、さっそく造り始めさせなさって、四年目に造り上げさせなさったので、お移りになって、お祝いの詩などが作られました。
何事も昔に恥じないように行われて、山の嵐も枝を鳴らさない(世が平穏な)御代なので、宮中で千年をもお過ごしになるはずでしたのに、世の中が定まって、安心だとお思いになったのでしょうか。また高い雲の上(宮中)にいては世のことも気がかりで、深い宮の中で世をお治めになるのも面倒が多く、もう少し退位した帝として、お心のままにとお思いになったのでしょうか。位にいらっしゃること四年で、白河天皇が東宮でいらしたのに、お譲りになりました。御母の女院(陽明門院)や御娘の一品宮などをお連れ申し上げて、住吉に参詣なさるということで、
住よしの神もうれしと思ふらんむなしき船をさしてきたれば
とお詠みになったのは、帝の御歌らしく思われて、たいそう趣深く聞こえる御製でありましょう。退位した帝として長く生きていらっしゃったなら、どれほどすばらしいことでありましたでしょうに、翌年お亡くなりになったのは、世に残念なことだと申しますが、位にいらした時に万事をきちんとしておかれて、東宮に位をお譲りになって、お亡くなりになったので、今はこれでよいとお思いになったのでしょう。ある人の夢に、異国の乱れているのを直そうとして、この国をお去りになると見たこともありました。また嵯峨に世を捨てて籠もっていた人の夢に、楽の音が空に聞こえて、紫の雲がたなびいていたところ、院がお亡くなりになったと世の中に聞こえたので、正夢だと頼みにしたということです。
意訳
後三条天皇の治世を総括する章。石清水放生会への公卿の参向、円宗寺の法会、日吉社への行幸など、天皇が始めた制度や行事が列挙される。今鏡は、後三条の治世の名残が今(嘉応年間)まで続いていると、その政治を高く評価している。
物見車の金物を抜かせた話は、後三条の倹約と厳しさを示す逸話だが、乳母の車だけは許されたというくだりに、情の深さものぞかせている。
後三条天皇は在位四年で白河天皇に譲位した。院政を始めるためだったという説もあるが、今鏡は「おりゐの帝とて御心のままに」と推し量っている。譲位後、母陽明門院・娘聡子内親王らと住吉に詣でた時の歌は、「むなしき船」(退位した天皇)を自らになぞらえる。章題の「たむけ」は、神への手向け(参詣)による。
語釈・文法注
- 放生會
- 捕らえた生き物を放ち、殺生を戒める法会。石清水八幡宮では八月十五日に行われた。
- 上卿宰相諸衞のすけ
- 放生会に勅使として参向する公卿・参議と、近衛・衛門などの次官。
- 圓宗寺
- 後三条天皇の御願寺。仁和寺の南にあった。その法華会・最勝会を「二会」という。
- 山三井寺
- 比叡山延暦寺と園城寺(三井寺)。
- 日吉
- 日吉社。比叡山の麓にあり、延暦寺の守護神。後三条天皇が初めて行幸した。
- 物見車
- 祭りや行列を見物するための車。
- かな物
- 車の飾りに打ちつけた金具。
- 御めのと
- 天皇の乳母。
- おりゐの帝
- 譲位した天皇。上皇。
- 一品の宮
- 聡子内親王(1050〜1131)。後三条天皇の第一皇女。
- 住のえ
- 住吉。摂津国の住吉大社。航海と和歌の神。
- むなしき船
- 退位した天皇のたとえ。「虚舟(きょしゅう)」の訓読で、主のいない船。
文法
- ゆるされ侍らざらむ
- 反語。どうしてお許しいただけないことがあろうか。
- 枝もならさぬ御世
- 「吹く風枝を鳴らさず」は、太平の世のたとえ。
- 過ぐさせ給ふべかりしを
- 「べかりし」は当然・推量の「べし」の連用形+過去の「き」の連体形。過ごされるはずであったのに。
和歌
住よしの神もうれしと思ふらんむなしき船をさしてきたれば
- 詠者
- 後三条院
- 状況
- 譲位後、母陽明門院・娘聡子内親王らを伴って住吉社に詣でた時の歌。
修辞
- 掛詞
- 「むなしき船」に、空の船と、位を退いた天皇(虚舟)をかける。
- 縁語
- 「船」「さして(棹さして)」は縁語。
解説
後三条天皇の住吉参詣は延久五年(1073)二月のこと。天皇は同年五月に四十歳で崩御した。在位は四年余りだったが、延久の荘園整理令や記録所の設置、宣旨枡の制定など、その後の政治に大きな影響を残した。
「こと国のそこなはれたるを直さんとて、この国を去らせ給ふ」という夢の話は、すぐれた天皇は死後も他の国の救済に向かう、という考え方を示している。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、47〜50頁(コマ38–40)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日