古典ライブラリー

今鏡 第一「すべらぎの上」 第6章

望月

後一条・後朱雀両天皇の母、上東門院彰子の生涯。紫式部が皇子誕生を祝った歌、一条院をしのぶ歌、出家と剃髪、源顕基との歌の贈答、東北院の念仏、そして「上東門院」の院号が門の名に由来することなどが語られる。女院は八十七歳まで生きた。

  1. 1世繼よつぎ世繼よつぎよつぎももも帝みかど帝みかどみかどののの御おん御おんおんついでについでについでに、、、國母こくも國母こくもこくもののの御事おほんこと御事おほんことおおんこと申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべればればれば、、、このこのこの帝みかど帝みかどみかどののの御母おほんはは御母おほんははおおんははきさきのきさきのきさきの御事おほんこと御事おほんことおおんこと、、、このついでにこのついでにこのついでに申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべるべしるべしるべし。。。御年おほんとし御年おほんとしおおんとし廿三にじふさん廿三にじふさんにじゅうさんにおはしましゝにおはしましゝにおわしましし時とき時ときとき、、、後一條院ごいちでうゐん後一條院ごいちでうゐんごいちじょういん、、、後朱雀院ごすざくゐん後朱雀院ごすざくゐんごすざくいんうちつゞきうちつゞきうちつづき生う生ううみみみ奉たてまつ奉たてまつたてまつらせらせらせ給たま給たまたまへりへりえり。。。
  2. 2にてにてにて、、、後一條院ごいちでうゐん後一條院ごいちでうゐんごいちじょういんうみうみうみ奉たてまつ奉たてまつたてまつらせらせらせ給たま給たまたまへりしへりしえりしののの御遊おほんあそび御遊おほんあそびおおんあそびびにびにびに、、、御簾みす御簾みすみすのののうちよりうちよりうちより、、、出い出いいだされだされだされ侍はべ侍はべはべりけるさかづきにりけるさかづきにりけるさかずきに、、、添そ添そそへられへられえられ侍はべ侍はべはべりしりしりし歌うた歌うたうたははわ、、、、、、
  3. 3めづらしきめづらしきめずらしき光ひかり光ひかりひかりさしそふさかつきさしそふさかつきさしそうさかつきはもはもはもちながらこそちながらこそちながらこそ千世ちよ千世ちよちよははは廻めぐ廻めぐめぐらめらめらめ
  4. 4とぞおぼえとぞおぼえとぞおぼえ侍はべ侍はべはべるるる。。。そのそのその女院にようゐん女院にようゐんにょういんははは十三じふさん十三じふさんじゅうさんよりよりより后きさき后きさききさきにおはしましきにおはしましきにおわしましき。。。一條院いちでうゐん一條院いちでうゐんいちじょういんかくれさせかくれさせかくれさせ給たま給たまたまひてひていて後一條ごいちでう後一條ごいちでうごいちじょうのみかどのみかどのみかど、、、をさなくおはしましけるにをさなくおはしましけるにおさなくおわしましけるに、、、なでしこのなでしこのなでしこの花はな花はなはなをををとらせとらせとらせ給たま給たまたまひければひければいければ、、、御母おほんはは御母おほんははおおんははぎさきぎさきぎさき、、、
  5. 5見み見みみるまゝにるまゝにるままに露つゆ露つゆつゆぞこぼるゝおくれにしぞこぼるゝおくれにしぞこぼるるおくれにし心こころ心こころこころををを知し知ししらぬなでしこのらぬなでしこのらぬなでしこの花はな花はなはな
  6. 6のころのころのころ、、、昔むかし昔むかしむかしををを思おも思おもおもひいでてひいでていいでて、、、殿上人てんじやうびと殿上人てんじやうびとてんじょうびと參まゐ參まゐまいりてりてりて侍はべ侍はべはべりけるにりけるにりけるに、、、ノノノ大輔たいふ大輔たいふたいふ
  7. 7はやくみしはやくみしはやくみし井ゐ井ゐいののの水みづ水みづみずのののうすうすうす氷ごほり氷ごほりごおりうちとけざまうちとけざまうちとけざまはははかはらざりけりかはらざりけりかわらざりけり
  8. 8とぞよみとぞよみとぞよみ出い出いいだしだしだし侍はべ侍はべはべりけるりけるりける。。。寬弘くわんこう寬弘くわんこうかんこう九年くねん九年くねんくねん二月きさらぎ二月きさらぎきさらぎににに皇太后宮くわうたいこうぐう皇太后宮くわうたいこうぐうこうたいこうぐうにあがらせにあがらせにあがらせ給たま給たまたまふふう。。。御年おほんとし御年おほんとしおおんとし廿五にじふご廿五にじふごにじゅうごととと聞き聞ききこえさせこえさせこえさせ給たま給たまたまひきひきいき。。。後一條ごいちでう後一條ごいちでうごいちじょうのみかどのみかどのみかど位くらゐ位くらゐくらいににに卽つ卽つつかせかせかせ給たま給たまたまひてひていて、、、寬仁くわんにん寬仁くわんにんかんにん二年にねん二年にねんにねん正月しやうぐわつ正月しやうぐわつしょうがつににに太皇太后宮たいくわうたいこうぐう太皇太后宮たいくわうたいこうぐうたいこうたいこうぐうにならせたまひきにならせたまひきにならせたまいき。。。
  9. 9萬壽まんじゆ萬壽まんじゆまんじゅ三年さんねん三年さんねんさんねん正月しやうぐわつ正月しやうぐわつしょうがつ十九日じふくにち十九日じふくにちじゅうくにちににに、、、御おん御おんおんさまかへさせさまかへさせさまかえさせ給たま給たまたまふふう。。。御おん御おんおんとしとしとし卅さんじふ卅さんじふさんじゅう九く九くく、、、御名みな御名みなみなはははととと申まう申まうもうしけりしけりしけり。。。きさきのきさきのきさきの御名みな御名みなみなとゞめさせとゞめさせとどめさせ給たま給たまたまひてひていて女院にようゐん女院にようゐんにょういんときこえさせときこえさせときこえさせ給たま給たまたまふふう。。。
  10. 10年毎としごと年毎としごととしごとのつかさのつかさのつかさ位くらゐ位くらゐくらいたまはらせたまはらせたまわらせ給たま給たまたまふふう事こと事ことことははは、、、同おな同おなおなじやうにかはりじやうにかはりじょうにかわり侍はべ侍はべはべらざりけりらざりけりらざりけり。。。長曆ちやうりやく長曆ちやうりやくちょうりゃく三年さんねん三年さんねんさんねん五月さつき五月さつきさつき七日なぬか七日なぬかなぬか御おん御おんおんぐしおろさせぐしおろさせぐしおろさせ給たま給たまたまふふう。。。ののの入道にふだう入道にふだうにゅうどう中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごん、、、
  11. 11世よ世よよをををすてゝすてゝすてて宿やど宿やどやどををを出い出いいでにしでにしでにし身み身みみなれどもなれどもなれども猶なほ猶なほなお戀こひ戀こひこいしきしきしきははは昔むかし昔むかしむかしなりけりなりけりなりけり
  12. 12とよみてとよみてとよみて、、、このこのこの女院にようゐん女院にようゐんにょういんへたてまつりへたてまつりへたてまつり給たま給たまたまへるへるえる御返事おほんかへりごと御返事おほんかへりごとおおんかえりごとににに、、、
  13. 13つかのまもつかのまもつかのまも戀こひ戀こひこいしきしきしき事こと事ことことののの慰なぐさ慰なぐさなぐさまばまばまば二ふた二ふたふたたびたびたび世よ世よよをもをもをもそむかざらましそむかざらましそむかざらまし
  14. 14とよませとよませとよませ給たま給たまたまへるへるえる、、、はじめはじめはじめははは御おん御おんおん給たま給たまたまひてひていて、、、後のち後のちのちににに皆みな皆みなみなおろさせおろさせおろさせ給たま給たまたまふふう心こころ心こころこころなるべしなるべしなるべし。。。かのかのかの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんははは後一條院ごいちでうゐん後一條院ごいちでうゐんごいちじょういんののの御おん御おんおんおぼえのおぼえのおぼえの人ひと人ひとひとにおはしけるににおはしけるににおわしけるに、、、御忌おほんいみ御忌おほんいみおおんいみにおはしてにおはしてにおわして、、、宮みや宮みやみやのののうちにうちにうちに御おん御おんおんとなぶらもたてまつらずとなぶらもたてまつらずとなぶらもたてまつらず侍はべ侍はべはべりければりければりければ、、、いかにといかにといかにと尋たづ尋たづたずねねね給たま給たまたまひけるにひけるにいけるに、、、女官によくわん女官によくわんにょかんどもどもども今いま今いまいまののの內うち內うちうちににに參まゐ參まゐまいりてりてりて、、、かきともしするかきともしするかきともしする人ひと人ひとひともなしもなしもなし。。。
  15. 15などきゝなどきゝなどきき給たま給たまたまふにふにうに、、、いとゞいとゞいとど悲かな悲かなかなしくてしくてしくて、、、帝みかど帝みかどみかどのかくれさせのかくれさせのかくれさせ給たま給たまたまひてひていて、、、六日むゆか六日むゆかむゆかといふにといふにというに、、、かしらおろしてかしらおろしてかしらおろして、、、山やま山やまやまふかくこもりたまへりけりふかくこもりたまへりけりふかくこもりたまえりけり。。。年とし年としとし卅さんじふ卅さんじふさんじゅう七しち七しちしちになんおはしけるになんおはしけるになんおわしける。。。
  16. 16聞き聞ききくくく人ひと人ひとひと涙なみだ涙なみだなみだををを流なが流ながながさずといふさずといふさずという事こと事ことことなくなむなくなむなくなむ侍はべ侍はべはべりけるりけるりける。。。ののの僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょうののの、、、深草ふかくさ深草ふかくさふかくさのみかどののみかどののみかどの御おん御おんおんいみにいみにいみに、、、御おん御おんおんぐしおろしぐしおろしぐしおろし給たま給たまたまひけんにもひけんにもいけんにも、、、おくれぬおくれぬおくれぬ御心みこころ御心みこころみこころなるべしなるべしなるべし。。。
  17. 17猶なほ猶なほなおつきせずおもほしけるにこそとかなしくつきせずおもほしけるにこそとかなしくつきせずおもおしけるにこそとかなしく、、、御返おほんかへし御返おほんかへしおおんかえししもいとあはれにしもいとあはれにしもいとあわれに、、、御母おほんはは御母おほんははおおんはは后きさき后きさききさきさこそさこそさこそはははおもほしけめとおぼえておもほしけめとおぼえておもおしけめとおぼえて」」」。。。
  18. 18かのかのかのはははこのこのこの院ゐん院ゐんいんののの御願ごぐわん御願ごぐわんごがんにてにてにて、、、ちゝおとゞのちゝおとゞのちちおとどの御堂みだう御堂みだうみどう、、、法成寺ほふじやうじ法成寺ほふじやうじほうじょうじのかたはらにのかたはらにのかたわらに作つく作つくつくらせらせらせ給たま給たまたまへりへりえり。。。山やま山やまやまのかたちのかたちのかたち池いけ池いけいけのすがたもなべてならずのすがたもなべてならずのすがたもなべてならず。。。松まつ松まつまつのかげのかげのかげ花はな花はなはなのこずゑものこずゑものこずえも外ほか外ほかほかにににはすぐれてなむはすぐれてなむはすぐれてなむ見み見みみえええ侍はべ侍はべはべりけるりけるりける。。。
  19. 19九月十三夜ながつきじふさんや九月十三夜ながつきじふさんやながつきじゅうさんやよりよりより望月もちづき望月もちづきもちずきののの影かげ影かげかげまでまでまで、、、佛ほとけ佛ほとけほとけのみかほものみかほものみかおも光ひか光ひかひかりそへられたまへりりそへられたまへりりそえられたまえり。。。御おん御おんおん念佛ねんぶつ念佛ねんぶつねんぶつはははじまりけるじまりけるじまりける程ほど程ほどほどににに、、、上達部かんだちめ上達部かんだちめかんだちめ殿上人てんじやうびと殿上人てんじやうびとてんじょうびと參まゐ參まゐまいりりり集あつ集あつあつまりまりまり給たま給たまたまへるにへるにえるに、、、宇治うぢ宇治うぢうじのおほきおとゞののおほきおとゞののおおきおとどの、、、朗詠らうえい朗詠らうえいろうえい侍はべ侍はべはべりなんとりなんとりなんと勸すゝ勸すゝすすめさせめさせめさせ給たま給たまたまひければひければいければ、、、ののの民部卿みんぶきやう民部卿みんぶきやうみんぶきょう、、、年とし年としとしたけたるたけたるたけたる上達部かんだちめ上達部かんだちめかんだちめにてにてにて「「「極樂ごくらく極樂ごくらくごくらくののの尊ぞん尊ぞんぞんををを念ねん念ねんねんじたてまつるじたてまつるじたてまつる事こと事ことこと一夜ひとよ一夜ひとよひとよ」」」とととうちうちうち出い出いいだしだしだし給たま給たまたまひけんひけんいけん、、、折節をりふし折節をりふしおりふしいかにめでたくいかにめでたくいかにめでたく侍はべ侍はべはべりけんりけんりけん。。。
  20. 20といふといふという博士はかせ博士はかせはかせのつくりたるがのつくりたるがのつくりたるが、、、生い生いいけるよにけるよにけるよに、、、いかにいみじくいかにいみじくいかにいみじく侍はべ侍はべはべりけんりけんりけん。。。此こ此ここののの世よ世よよならばならばならば、、、今いま今いまいまののの人ひと人ひとひとののの作つく作つくつくりたることよもりたることよもりたることよも出い出いいだしだしだし給たま給たまたまはざらましはざらましわざらまし。。。
  21. 21殿上人てんじやうびと殿上人てんじやうびとてんじょうびとをををににに色いろ色いろいろののの指貫さしぬき指貫さしぬきさしぬき、、、このこのこの御おん御おんおん念佛ねんぶつ念佛ねんぶつねんぶつよりこそよりこそよりこそ着き着きき始はじ始はじはじめめめ給たま給たまたまひしかひしかいしか。。。此こ此ここののの堂だう堂だうどう土御門つちみかど土御門つちみかどつちみかどののの末すゑ末すゑすえにあたればにあたればにあたれば、、、上東門院じやうとうもんゐん上東門院じやうとうもんゐんじょうとうもんいんととと申まう申まうもうすなりすなりすなり。。。このこのこの後のち後のちのち代々よよ代々よよよよののの女院にようゐん女院にようゐんにょういんののの院號ゐんがう院號ゐんがういんごう、、、かどのかどのかどの名な名ななきこえきこえきこえはべるめりはべるめりはべるめり。。。
  22. 22陽明門やうめいもん陽明門やうめいもんようめいもんももも、、、近衞こんゑ近衞こんゑこんえにあたりたればにあたりたればにあたりたれば、、、此こ此ここののの例れい例れいれいによりてによりてによりて附つ附つつかせかせかせ給たま給たまたまへりへりえり。。。などなどなどははは、、、大炊御門おほひのみかど大炊御門おほひのみかどおおいのみかど、、、中なか中なかなかのみかどにのみかどにのみかどに御所ごしよ御所ごしよごしょおはしまさねどおはしまさねどおわしまさねど、、、なぞらへてなぞらへてなぞらえて附つ附つつかせたまへるとぞかせたまへるとぞかせたまえるとぞ聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべるるる。。。
  23. 23待賢門院たいけんもんゐん待賢門院たいけんもんゐんたいけんもんいんののの院號ゐんがう院號ゐんがういんごうのさだめのさだめのさだめ侍はべ侍はべはべりけるにりけるにりけるに、、、「「「なぞらへてなぞらへてなぞらえて付つけ付つけつけかせたまふならばかせたまふならばかせたまうならば、、、などさしこえてなどさしこえてなどさしこえて、、、郁芳門院いくはうもんゐん郁芳門院いくはうもんゐんいくほうもんいんとととははは付つ付つつけたてまつりけるにかけたてまつりけるにかけたてまつりけるにか」」」。。。
  24. 24などなどなど聞き聞ききこえければこえければこえければ、、、ののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんといひしといひしといいし人ひと人ひとひとののの、、、「「「此こ此ここののの御料れう御料れうりょうににに遺のこ遺のこのこしておかれけるにこそしておかれけるにこそしておかれけるにこそ侍はべ侍はべはべるめれるめれるめれ」」」。。。ととと申まう申まうもうされけるとかやされけるとかやされけるとかや。。。さてぞさてぞさてぞ付つけ付つけつけかせかせかせ給たま給たまたまひにけるとなんひにけるとなんいにけるとなん。。。
  25. 25みかどのみかどのみかどの御前おまへ御前おまへおまえなどにてなどにてなどにてははは、、、土御門つちみかど土御門つちみかどつちみかど近衞こんゑ近衞こんゑこんえなどなどなどははは申まう申まうもうさでさでさで、、、上東門じやうとうもん上東門じやうとうもんじょうとうもんののの大路おほぢ大路おほぢおおじよりよりよりはははいづかたいづかたいずかた、、、陽明門やうめいもん陽明門やうめいもんようめいもんのおほぢよりのおほぢよりのおおじよりはははかなたなどぞかなたなどぞかなたなどぞ奏そう奏そうそうすなるすなるすなる。。。さればさればされば一條いちでう一條いちでういちじょう二條にでう二條にでうにじょうなどなどなど申まう申まうもうすにもおなじすにもおなじすにもおなじ心こころ心こころこころなるべしなるべしなるべし。。。このこのこの上東門院じやうとうもんゐん上東門院じやうとうもんゐんじょうとうもんいんののの御年おほんとし御年おほんとしおおんとしははは、、、八十七はちじふしち八十七はちじふしちはちじゅうしちまでおはしましきまでおはしましきまでおわしましき。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

世継も天皇のお話のついでに国母のことを申しておりますので、この帝の御母后のことを、このついでに申し上げましょう。御年二十三でいらっしゃった時、後一条院・後朱雀院を続けてお産みになりました。土御門殿で後一条院をお産みになった七夜のお祝いの宴で、御簾の内から差し出された盃に添えられた歌は、昔のお局(紫式部)がお詠みになった、

めづらしき光さしそふさかつきはもちながらこそ千世は廻らめ

であったと覚えております。その女院は十三歳から后でいらっしゃいました。一条院がお亡くなりになって、後一条天皇がまだ幼くていらしたころ、なでしこの花をお取りになったので、御母后は、

見るまゝに露ぞこぼるゝおくれにし心を知らぬなでしこの花

五節のころ、昔を思い出して、殿上人が参上していた折に、伊勢大輔が、

はやくみし山井の水のうす氷うちとけざまはかはらざりけり

と詠み出しました。寛弘九年二月に皇太后宮にお上りになります。御年二十五と申しました。後一条天皇が位におつきになって、寛仁二年正月に太皇太后宮におなりになりました。

万寿三年正月十九日に出家なさいます。御年三十九、法名は清浄覚と申しました。后の御名をおやめになって女院と申し上げます。毎年の官位の推挙の権利をお受けになることは、后であった時と変わりませんでした。長暦三年五月七日に御髪をすべてお下ろしになります。顕基の入道中納言が、

世をすてゝ宿を出でにし身なれども猶戀しきは昔なりけり

と詠んで、この女院に差し上げたお返事に、

つかのまも戀しき事の慰まば二たび世をもそむかざらまし

とお詠みになったのは、初めは髪を短く切りそろえるだけで出家なさって、後にすべてお下ろしになった、そのお気持ちでありましょう。その中納言は後一条院のご寵愛を受けた人でいらしたが、御忌の間に参上して、宮の中に灯火もともしていなかったので、どうしたのかとお尋ねになると、女官たちは新帝の内裏に参ってしまって、灯をかき立てる人もいない、などとお聞きになって、いっそう悲しくなって、帝がお亡くなりになって六日目に、髪を下ろして山深くこもってしまわれました。年は三十七でいらっしゃいました。聞く人で涙を流さない者はありませんでした。花山僧正(遍昭)が深草の帝(仁明天皇)の御忌に出家なさったのにも劣らないお心でありましょう。やはり尽きることなくお慕いしていたのだと悲しく、女院のお返しもたいそうしみじみとして、御母后としてさぞそうお思いになったのだろうと思われて。

あの東北院はこの女院の御願で、父大臣(道長)の御堂である法成寺のかたわらにお造らせになりました。山の形も池の姿も並々ではありません。松の陰や花の梢も、よそよりすぐれて見えました。九月十三夜から十五夜の満月の光まで、仏のお顔も光り輝いていらっしゃいました。御念仏が始まったころ、公卿や殿上人が参り集まりなさったところ、宇治の太政大臣(頼通)が、朗詠をしなさいとお勧めになったので、斉信の民部卿が、年配の公卿として「極楽の尊を念じたてまつる事一夜」と吟じ出されたのは、折にかなってどれほどすばらしかったことでしょう。斉名という博士が作った句ですが、作者が生きていたなら、どれほどうれしく思ったことでしょう。今の世であれば、今の人の作った句などは、まさか吟じ出されはしなかったでしょう。殿上人が紫苑色の指貫を着るのは、この御念仏から始まったのです。この堂は土御門大路の末にあたるので、上東門院と申すのです。この後、代々の女院の院号に、門の名が用いられるようになったようです。陽明門院も、近衛大路にあたっているので、この例によってお付けになりました。郁芳門・待賢門などは、大炊御門大路や中御門大路に御所がおありになったわけではないけれども、それになぞらえてお付けになったと聞いております。待賢門院の院号を定めました折に、「なぞらえて付けるのなら、どうして(待賢門を)飛び越えて、郁芳門院とお付けしたのか」などと言われたので、顕隆の中納言といった人が、「この方のために残しておかれたのでございましょう」と申されたとか。それでお付けになったということです。帝の御前などでは、土御門・近衛などとは申さずに、上東門の大路からはどちら、陽明門の大路からはあちらなどと奏上するようです。ですから一条・二条などと申すのも同じ意味なのでしょう。この上東門院の御年は、八十七まで長生きなさいました。

意訳

後一条天皇の代のついでに、その母后上東門院(彰子)の生涯がまとめて語られる。冒頭の歌は紫式部が敦成親王(後一条)誕生の祝宴で詠んだもので、『紫式部日記』にも見える。「もち」に「望月」と「持ち」をかけ、盃を持ったまま千年もめぐり続けるだろうと皇子の長寿を祝う。章題の「望月」はこの歌と、東北院の十五夜の念仏による。

一条院の死後、幼い後一条がなでしこを手に取るのを見て、彰子は父の死を知らない子をなでしこにたとえて涙する。続いて伊勢大輔が、五節の夜に昔を思い出して詠んだ歌、出家した彰子と源顕基の贈答が並べられ、女院の周辺に集う人々の哀感が描かれる。

源顕基は後一条天皇に寵愛された近臣で、天皇の死後、宮中の灯火さえ絶えているのを見て無常を感じ、三十七歳で出家した。語り手はこれを、仁明天皇の死を悲しんで出家した遍昭になぞらえる。

後半は、彰子が法成寺の傍らに建てた東北院の念仏会と、院号の由来の話。彰子以後、女院の院号には宮城の門の名がつけられるようになった。待賢門院の院号をめぐる藤原顕隆の機知に富んだ答えは、宮廷の会話のおもしろさを伝える逸話である。

語釈・文法注

土御門殿
道長の邸宅。上東門院とも呼ばれた。彰子はここで敦成親王(後一条)を出産した。
七夜
誕生後七日目の夜の祝い。産養(うぶやしない)の一つ。
みつぼね
お局。宮仕えの女房の尊称。ここでは紫式部をさす。
伊勢ノ大輔
伊勢大輔。大中臣輔親の娘で、彰子に仕えた女房歌人。「いにしへの奈良の都の八重桜」の歌で知られる。
五節
十一月の新嘗祭・大嘗祭のときに行われる、舞姫の舞を中心とする行事。
山井の水
山の泉の水。五節の舞姫などの着る小忌衣(おみごろも)の山藍に掛けていう。
淸淨覺
彰子の法名。
顯基の入道中納言
源顕基(1000〜1047)。俊賢の子。後一条天皇の崩御を機に出家した。
御ぐしそがせ
髪を肩のあたりで切りそろえる。尼削ぎ。在家のまま略式に出家すること。
花山の僧正
遍昭(816〜890)。仁明天皇の崩御を悲しんで出家した。六歌仙の一人。
東北院
彰子が法成寺の東北に建てた御堂。長元三年(1030)供養。
齊信の民部卿
藤原斉信(967〜1035)。一条朝の四納言の一人。
齊名
紀斉名(957〜999)。文章博士で詩人。「極楽の尊を念じたてまつる事一夜」は『和漢朗詠集』に採られた斉名の詩句。
しをに色
紫苑色。薄紫色。
郁芳門待賢門
大内裏の東面の門。北から上東門・陽明門・待賢門・郁芳門の順に並ぶ。それぞれ土御門・近衛・中御門・大炊御門の大路に面した。
顯隆の中納言
藤原顕隆(1072〜1129)。白河院の近臣。

文法

もちながらこそ千世は廻らめ
「もち」は「望月(満月)」と「持ち」の掛詞。「こそ…め」の係り結びで、きっと千年もめぐり続けるだろう。
そむかざらまし
反実仮想の「まし」。慰められるならば二度も出家はしないだろうに(実際には慰められないので重ねて出家した)。
おぼえて」。
底本はここに閉じ括弧を置くが、対応する開き括弧はない。底本どおりに翻刻した。

和歌

めづらしき光さしそふさかつきはもちながらこそ千世は廻らめ

詠者
紫式部
状況
敦成親王(後一条天皇)誕生の七夜の祝宴で、盃に添えて詠んだ歌。『紫式部日記』にも見える。

修辞

掛詞
「もち」に「望月」と「持ち」をかける。
見立て
皇子の誕生を、盃にさしそう「めづらしき光」にたとえる。

見るまゝに露ぞこぼるゝおくれにし心を知らぬなでしこの花

詠者
上東門院彰子
状況
一条院の崩御後、幼い後一条天皇がなでしこの花を手に取ったのを見て詠んだ歌。

修辞

掛詞
「なでしこ」に花の名と「撫でし子(かわいがった子)」をかける。
見立て
「露」に涙をかさねる。

はやくみし山井の水のうす氷うちとけざまはかはらざりけり

詠者
伊勢大輔
状況
五節のころ、昔を思い出して殿上人が参上したときに詠んだ歌。

修辞

掛詞
「うちとけ」に氷が解ける意と、打ち解ける意をかける。
縁語
「山井」「水」「氷」「とけ」。

世をすてゝ宿を出でにし身なれども猶戀しきは昔なりけり

詠者
源顕基
状況
後一条天皇の崩御後に出家した顕基が、上東門院に贈った歌。

つかのまも戀しき事の慰まば二たび世をもそむかざらまし

詠者
上東門院彰子
状況
顕基の歌への返し。尼削ぎで出家した後、改めて剃髪したときの心境を詠む。

修辞

反実仮想
「〜ば〜まし」。少しでも慰められるなら二度も世を背かないだろうに。

解説

上東門院彰子は、十二歳で一条天皇に入内し、二人の天皇の母、二人の天皇の祖母として、承保元年(1074)に八十七歳で亡くなるまで、およそ七十年にわたって宮廷に重きをなした。今鏡が天皇の代の途中で彼女の伝をまとめて語るのは、その存在の大きさを示している。

女院の院号は、上東門院のほかは、陽明門院・郁芳門院・待賢門院のように、宮城の門の名によるものが多い。今鏡は、そのはじまりが上東門院の御所の位置にあったことを説き、宮中では大路の名を門の名で呼ぶ習わしにまで話を広げている。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、29〜33頁(コマ29–31)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日