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今鏡 第一「すべらぎの上」 第5章

星合

中宮嫄子は二人の皇女を産んだのち、二十四歳で亡くなる。後朱雀天皇の深い嘆きは、翌年の七夕に頼通へ贈った歌に表れている。天皇は詩文にもすぐれ、文章生の試験も行われたが、寛徳二年、病のため位を譲って出家し、まもなく崩御した。

  1. 1中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうこぞよりこぞよりこぞより、、、いつしかいつしかいつしかならずならずならず成な成なならせらせらせ給たま給たまたまひてひていて、、、霜月しもつき霜月しもつきしもつきののの十三日じふさんにち十三日じふさんにちじゅうさんにちににに、、、左ひだり左ひだりひだりのおとゞののおとゞののおとどの殿どの殿どのどのににに出い出いいでさせでさせでさせ給たま給たまたまへりしがへりしがえりしが、、、次つぎ次つぎつぎののの年とし年としとし四月一日しぐわつついたち四月一日しぐわつついたちしがつついたち、、、みこみこみこ生う生ううみたてまつらせみたてまつらせみたてまつらせ給たま給たまたまひてひていて、、、またうちつゞきまたうちつゞきまとうちつづき、、、またのまたのまたの年とし年としとしももも同おな同おなおなじやうにまかりじやうにまかりじょうにまかり出い出いいでさせでさせでさせ給たま給たまたまひてひていて、、、丹後守たんごのかみ丹後守たんごのかみたんごのかみ行任ゆきたふ行任ゆきたふゆきとうのぬしののぬしののぬしの家いへ家いへいえにてにてにて、、、長曆ちやうりやく長曆ちやうりやくちょうりゃく三年さんねん三年さんねんさんねん八月はちぐわつ八月はちぐわつはちがつ十九日じふくにち十九日じふくにちじゅうくにちににに、、、なほなほなおうみたてまつりうみたてまつりうみたてまつり給たま給たまたまひてひていて、、、おなじきおなじきおなじき廿八日にじふはちにち廿八日にじふはちにちにじゅうはちにちにににうせうせうせ給たま給たまたまひにきひにきいにき。。。
  2. 2御おん御おんおんとしとしとし廿にじふ廿にじふにじゅう四し四しし、、、あさましくあはれなるあさましくあはれなるあさましくあわれなる事こと事ことことかぎりなしかぎりなしかぎりなし。。。いとゞいとゞいとど秋あき秋あきあきのあはれそひてのあはれそひてのあわれそいて、、、有明ありあけ有明ありあけありあけののの月つき月つきつきののの影かげ影かげかげももも、、、心こころ心こころこころをををいたましむるいたましむるいたましむる色いろ色いろいろ、、、ゆふべのゆふべのゆうべの露つゆ露つゆつゆのしげきものしげきものしげきも、、、涙なみだ涙なみだなみだをもをもをもよほすつまなるべしよほすつまなるべしよおすつまなるべし。。。
  3. 3かくてかくてかくて九月九日くぐわつここのか九月九日くぐわつここのかくがつここのかにににうちよりうちよりうちより故こ故ここ中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうののの御おん御おんおんためにためにために、、、七寺しちじ七寺しちじしちじににに御誦經みずきやう御誦經みずきやうみずきょうせさせせさせせさせ給たま給たまたまふふう。。。みかどみかどみかど御服おほんぶく御服おほんぶくおおんぶくたてまつりてたてまつりてたてまつりて、、、とてとてとて淸涼殿せいりやうでん淸涼殿せいりやうでんせいりょうでんののの御簾みす御簾みすみすおろしこめられおろしこめられおろしこめられ、、、日ひ日ひひのおもののおもののおもの參まゐ參まゐまいるもるもるも、、、聲こゑ聲こゑこえたてゝたてゝたてて奏そう奏そうそうしなどすることもせずしなどすることもせずしなどすることもせず。。。
  4. 4よろづしめりたるまゝによろづしめりたるまゝによろずしめりたるままにははは、、、ゆふべのゆふべのゆうべの螢ほたる螢ほたるほたるをもをもをもあはれとながめさせあはれとながめさせあわれとながめさせ給たま給たまたまふふう。。。秋あき秋あきあきのともしのともしのともし火ひ火ひひかゞけつくさせたまひつゝぞかゞけつくさせたまひつゝぞかがけつくさせたまいつつぞ、、、心こころ心こころこころぐるしきぐるしきぐるしき折をり折をりおりふしなりけるにふしなりけるにふしなりけるに、、、廿日はつか廿日はつかはつかぞぞぞとかいひてとかいひてとかいいて、、、よろづよろづよろず例れい例れいれいざまにてざまにてざまにて、、、御殿おほとの御殿おほとのおおとのののの御簾みす御簾みすみすなどもなどもなども卷ま卷ままきあげられきあげられきあげられ、、、すこしすこしすこし晴は晴ははるゝるゝるる景色けしき景色けしきけしきなりけれどなりけれどなりけれど、、、なほなほなお御おん御おんおんけしきけしきけしきははは盡つ盡つつきせずぞきせずぞきせずぞ見み見みみえさせえさせえさせ給たま給たまたまひけるひけるいける。。。
  5. 5神無月かみなづき神無月かみなづきかみなずきももも過す過すすぎぬればぎぬればぎぬれば、、、御忌おほんいみ御忌おほんいみおおんいみすゑになりてすゑになりてすえになりて、、、かのかのかの失う失ううせせせ給たま給たまたまひにしひにしいにし宮みや宮みやみやにてにてにて、、、御佛事おほんぶつじ御佛事おほんぶつじおおんぶつじありありあり。。。こずゑのこずゑのこずえの色いろ色いろいろももも風かぜ風かぜかぜのけしきものけしきものけしきも、、、思おも思おもおもひしりひしりいしりがほがほがおなるさまなりなるさまなりなるさまなり。。。
  6. 6くれなゐくれなゐくれない拂はら拂はらはらはぬはぬわぬ昔むかし昔むかしむかしのあとものあとものあとも、、、法のり法のりのりのにのにのにはははとてとてとて、、、殊こと殊ことことににに淸きよ淸きよきよめらるゝにつけてもめらるゝにつけてもめらるるにつけても、、、折をり折をりおりにににふれてふれてふれて、、、あはれつきせざりけりあはれつきせざりけりあわれつきせざりけり。。。
  7. 7霜月しもつき霜月しもつきしもつきののの七日なぬか七日なぬかなぬかぞぞぞ、、、內うち內うちうちにににははは始はじ始はじはじめてめてめて、、、まつりごとせさせまつりごとせさせまつりごとせさせ給たま給たまたまふふう。。。南殿なでん南殿なでんなでんににに出い出いいでゐさせでゐさせでいさせ給たま給たまたまひてひていて、、、などあるべしなどあるべしなどあるべし。。。後一條ごいちでう後一條ごいちでうごいちじょうノノノ院ゐん院ゐんいんののの中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうににに侍はべ侍はべはべりけるりけるりける、、、ののの御おん御おんおんといふがといふがというが、、、このこのこの宮みや宮みやみやににに侍はべ侍はべはべりしりしりし伊賀いが伊賀いがいがノノノ少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうがもとにがもとにがもとに、、、
  8. 8いかばかりいかばかりいかばかり君きみ君きみきみなげくらむかずならぬなげくらむかずならぬなげくらむかずならぬ身み身みみだにしぐれしだにしぐれしだにしぐれし秋あき秋あきあきののの哀あはれ哀あはれあわれををを
  9. 9とよめりけりとよめりけりとよめりけり。。。秋あき秋あきあきののの宮みや宮みやみやうちつゞきうちつゞきうちつづき、、、秋あき秋あきあきうせさせうせさせうせさせ給たま給たまたまへるにへるにえるに、、、いとらうありていとらうありていとろうありて、、、思おも思おもおもひよられけるもあはれにこそひよられけるもあはれにこそいよられけるもあわれにこそ聞き聞ききこえこえこえはべりしかはべりしかはべりしか。。。またのまたのまたの年とし年としとしののの七月七日しちぐわつなぬか七月七日しちぐわつなぬかしちがつなのか、、、關白殿くわんぱくどの關白殿くわんぱくどのかんぱくどのににに、、、內うち內うちうちよりよりより御消息おほんせうそこ御消息おほんせうそこおおんしょうそこありてありてありて、、、
  10. 10こぞのこぞのこぞのけふけふきょう別わか別わかわかれしれしれし星ほし星ほしほしもあひぬなりなどたぐひなきもあひぬなりなどたぐひなきもあいぬなりなどたぐいなき我わ我わわががが身み身みみなるらむなるらむなるらむ
  11. 11とよませとよませとよませ給たま給たまたまひてひていて侍はべ侍はべはべりけむこそりけむこそりけむこそ、、、いとかたじけなくいとかたじけなくいとかたじけなく、、、なさけなさけなさけ多おほ多おほおおくおはしましけるくおはしましけるくおわしましける御事おほんこと御事おほんことおおんことかなとかなとかなと、、、うけたまはりしかうけたまはりしかうけたまわりしか。。。楊貴妃やうきひ楊貴妃やうきひようきひのちぎりものちぎりものちぎりも思おも思おもおもひひい出い出いいでられてでられてでられて、、、星合ほしあひ星合ほしあひほしあいののの空そら空そらそら、、、いかにながめいかにながめいかにながめ明あ明ああかさせかさせかさせ給たま給たまたまひけんといとあはれにひけんといとあはれにいけんといとあわれに、、、ねゆくまぼろしもがなねゆくまぼろしもがなねゆくまぼろしもがな。。。
  12. 12などやなどやなどや、、、おぼしけんとおぼしけんとおぼしけんと推お推おおしししはははかられてこそかられてこそかられてこそ、、、傳つた傳つたつたへきゝへきゝえきき侍はべ侍はべはべりしかりしかりしか。。。詩し詩ししなどなどなどをもをもをも、、、をかしくをかしくおかしく作つく作つくつくらせらせらせ給たま給たまたまひけるとこそひけるとこそいけるとこそ聞きこ聞きこきこえええ侍はべ侍はべはべりしかりしかりしか。。。「「「秋あき秋あきあきのかげいづちかへらんとすのかげいづちかへらんとすのかげいずちかえらんとす」」」。。。などいふことになどいふことになどいうことに、、、
  13. 13路非山水誰堪趁みちはさんすいにあらずたれかおふにたへむ路非山水誰堪趁みちはさんすいにあらずたれかおふにたへむみちはさんすいにあらずたれかおうにたえむ、、、跡任乾坤豈得尋あとはけんこんにまかすあにたづぬることをえむ跡任乾坤豈得尋あとはけんこんにまかすあにたづぬることをえむあとはけんこんにまかすあにたずぬることをえむ、、、
  14. 14などなどなど作つく作つくつくらせらせらせ給たま給たまたまひけるとこそひけるとこそいけるとこそ、、、うけたまはりしかうけたまはりしかうけたまわりしか。。。といふといふというはははあめつちといふことにぞあめつちといふことにぞあめつちということにぞ侍はべ侍はべはべりけるりけるりける。。。
  15. 15長久ちやうきう長久ちやうきうちょうきゅう二年にねん二年にねんにねん三月さんぐわつ三月さんぐわつさんがつ四日よか四日よかよか、、、花はな花はなはなののの宴えん宴えんえんせさせせさせせさせ給たま給たまたまひてひていて、、、歌うた歌うたうたののの舌した舌したしたははは鶯うぐひす鶯うぐひすうぐいすにしかずにしかずにしかず。。。といふといふという題だい題だいだいたまひてたまひてたまいて、、、桂かつら桂かつらかつらををを折を折をおるるる試こころ試こころこころみありとみありとみありと聞きこ聞きこきこえええ侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。つぎのつぎのつぎの年とし年としとしのやよひののやよひののやよいの頃ころ頃ころころ、、、右大臣うだいじん右大臣うだいじんうだいじん、、、そのそのその時とき時ときとき東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうノノノ大夫だいぶ大夫だいぶだいぶととと申まう申まうもうしゝにしゝにししに、、、女御にようご女御にようごにょうごたてまつりたてまつりたてまつり給たま給たまたまひきひきいき。。。
  16. 16帥そつ帥そつそつののの內うち內うちうちのおとゞのむすめののおとゞのむすめののおとどのむすめの御おん御おんおんはははらなりらなりらなり。。。おとゞたちにもおとゞたちにもおとどたちにも劣おと劣おとおとりたまはずりたまはずりたまわず、、、いとめでたくいとめでたくいとめでたく侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。神無月かんなづき神無月かんなづきかんなずきののの比ごろ比ごろごろ、、、おほおほおお殿內とのぬち殿內とのぬちとのぬち大臣おとど大臣おとどおとどときこえときこえときこえ給たま給たまたまひしひしいし、、、二に二ににののの君きみ君きみきみ內侍ないし內侍ないしないしのかみになりてまゐりたまひてのかみになりてまゐりたまひてのかみになりてまいりたまいて、、、かた〴〵かた〴〵かたがた花はな花はなはなやかにおはしきやかにおはしきやかにおわしき。。。
  17. 17十一月じふいちぐわつ十一月じふいちぐわつじゅういちがつにににははは二に二ににノノノ宮みや宮みやみやとてとてとて、、、式部しきぶ式部しきぶしきぶ大輔たいふ大輔たいふたいふときこえしときこえしときこえし博士はかせ博士はかせはかせ、、、御注孝經ごちゆうかうきやう御注孝經ごちゆうかうきやうごちゅうこうきょうといふといふという書ふみ書ふみふみ、、、をしへたてまつりきをしへたてまつりきおしえたてまつりき。。。藏人くらうど藏人くらうどくろうど實政さねまさ實政さねまささねまさ、、、とてとてとて、、、それもそれもそれも御おん御おんおん師し師ししなるべしなるべしなるべし。。。
  18. 18同おな同おなおなじきじきじき四年よねん四年よねんよねんののの三月さんぐわつ三月さんぐわつさんがつにもにもにも、、、佐國孝言時綱國綱すけくにたかときときつなくにつな佐國孝言時綱國綱すけくにたかときときつなくにつなすけくにたかときときつなくにつななどいふなどいふなどいう者もの者ものものどもどもども、、、試こころ試こころこころみさせみさせみさせ給たま給たまたまひきひきいき。。。にてぞにてぞにてぞ、、、作つく作つくつくりてたてまつりりてたてまつりりてたてまつり給たま給たまたまひけるひけるいける。。。もともともと桂かつら桂かつらかつらををを折を折をおりたるりたるりたるははは、、、博士はかせ博士はかせはかせをををのぞみのぞみのぞみ、、、まだまだまだ折を折をおらぬらぬらぬ者もの者ものものははは、、、望のぞ望のぞのぞみなむありけるみなむありけるみなむありける。。。
  19. 19句每くごと句每くごとくごとにもろこしのにもろこしのにもろこしの博士はかせ博士はかせはかせののの名な名なななどおきければなどおきければなどおきければ、、、つゞりかなふるつゞりかなふるつづりかなうる人ひと人ひとひとかたくなむありけるかたくなむありけるかたくなむありける。。。寬德くわんとく寬德くわんとくかんとく元年ぐわんねん元年ぐわんねんがんねん八月はちぐわつ八月はちぐわつはちがつににに、、、大隅守長國おほすみのかみながくに大隅守長國おほすみのかみながくにおおすみのかみながくに但馬介たぢまのすけ但馬介たぢまのすけたじまのすけになりになりになり、、、民部みんぶ民部みんぶみんぶノノノ丞じよう丞じようじょう生行なりゆき生行なりゆきなりゆきおなじおなじおなじ國くに國くにくにののの掾じよう掾じようじょうになしたまひてになしたまひてになしたまいて、、、、、、彼か彼かかののの國くに國くにくにににに着つ着つつきたるきたるきたる、、、とぶらはせとぶらはせとぶらわせ給たま給たまたまひきひきいき。。。
  20. 20御おん御おんおんなやみとてなやみとてなやみとて、、、明あ明ああくるくるくる年とし年としとし正月しやうぐわつ正月しやうぐわつしょうがつ十六日じふろくにち十六日じふろくにちじゅうろくにちににに、、、位くらゐ位くらゐくらいさらせさらせさらせ給たま給たまたまひひい、、、御おん御おんおんぐしおろさせぐしおろさせぐしおろさせ給たま給たまたまふふう。。。御年おほんとし御年おほんとしおおんとし卅さんじふ卅さんじふさんじゅう七しち七しちしちになんおはしまししになんおはしまししになんおわしましし。。。世よ世よよをををたもたせたまふたもたせたまふたもたせたまう事こと事ことこと九年くねん九年くねんくねんなりきなりきなりき。。。
  21. 21まだまだまだ若わか若わかわかくおはしますさまくおはしますさまくおわしますさまををを、、、惜を惜をおしみしみしみ奉たてまつ奉たてまつたてまつらずといふらずといふらずという人ひと人ひとひとなしなしなし。。。先帝せんだい先帝せんだいせんだい廿にじふ廿にじふにじゅう九く九くくにておはしましきにておはしましきにておわしましき。。。これこれこれはははされどされどされど、、、みそぢみそぢみそじ餘あま餘あまあまりのりのりの春秋はるあき春秋はるあきはるあきすぎさせすぎさせすぎさせ給たま給たまたまへりへりえり。。。
  22. 22母はは母ははははきさきのきさきのきさきの、、、餘あま餘あまあまりりり永なが永ながながくおはしますにくおはしますにくおわしますに、、、かくのみおはしませばかくのみおはしませばかくのみおわしませば、、、御幸おほんさいは御幸おほんさいはおおんさいわひのひのひの中なか中なかなかにもにもにも、、、御歎おほんなげ御歎おほんなげおおんなげきにきにきに堪た堪たたへざるべしへざるべしえざるべし。。。なほなほなお御おん御おんおんうまごのうまごのうまごの一いち一いちいちののの御子みこ御子みこみこはははみかどみかどみかど、、、二に二ににのみこのみこのみこははは東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうにおはしませばにおはしませばにおわしませば、、、いとやんごとなきいとやんごとなきいとやんごとなき御有樣おほんありさま御有樣おほんありさまおおんありさまなるへしなるへしなるべし。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

中宮(嫄子)は去年から早くも身ごもられて、十一月十三日に左大臣(頼通)の高倉殿に退出なさっていましたが、翌年の四月一日に皇女をお産みになり、また続いて、その翌年も同じように退出なさって、丹後守行任の家で、長暦三年八月十九日に、また皇女をお産みになって、同じ月の二十八日にお亡くなりになりました。御年二十四で、あきれるほど痛ましいことこの上もありません。いっそう秋の哀れが加わって、有明の月の光も心を痛ませる色であり、夕べの露がしげく置くのも、涙を誘うきっかけとなったことでしょう。こうして九月九日に内裏から故中宮のために、七つの寺で御誦経をおさせになります。帝は喪服をお召しになり、廃朝ということで清涼殿の御簾はすべて下ろされ、御膳を差し上げるときも声を立てて奏上することもしません。何もかもひっそりと沈んでいるなかで、夕べの蛍をもしみじみと眺めておいでになります。秋の灯火をかき立てかき立てして夜を明かされるような、おいたわしい折でしたが、二十日に解陣とかいって、何事も平常どおりになり、御殿の御簾なども巻き上げられて、少し晴れやかな様子になったけれども、やはり帝のお嘆きは尽きないようにお見えになりました。十月も過ぎたので、御忌も末になって、あの亡くなられた宮で、御仏事があります。梢の色も風の様子も、事情を知っているかのような様子です。紅葉を払わない昔のままの跡も、仏事の庭として格別に清められるにつけても、折にふれて、哀れは尽きませんでした。

十一月七日に、帝は初めて政務をおとりになります。南殿にお出ましになって、官奏などがあったのでしょう。後一条院の中宮(威子)にお仕えしていた出雲の御という女房が、この宮(嫄子)にお仕えしていた伊賀少将のもとに、

いかばかり君なげくらむかずならぬ身だにしぐれし秋の哀を

と詠みました。秋に中宮が続けて、秋にお亡くなりになったのに、たいそう巧みに思いついたのも、しみじみと聞こえました。翌年の七月七日、関白殿に、帝からお手紙があって、

とお詠みになったというのは、まことに恐れ多く、情け深くいらした方だと、うかがいました。楊貴妃との契りも思い出されて、星合の空をどれほど眺め明かされたことかと、たいそうしみじみとして、「尋ねゆくまぼろしもがな(魂のありかを尋ねてゆく幻術士がいてほしい)」などとお思いになったのではないかと推し量られて、伝え聞いたことでございます。漢詩などもみごとにお作りになったと聞いております。「秋のかげいづちかへらんとす(秋の光はどこへ帰ろうとするのか)」などという題に、

路非山水誰堪趁、跡任乾坤豈得尋(その道は山や川にあるのではないから、誰が追っていけようか。その跡は天地にまかせているから、どうして尋ねることができようか)

などとお作りになったと、うかがいました。乾坤というのは天地ということでございます。

長久二年三月四日、花の宴をなさって、「歌の舌は鶯にしかず(人の歌う声も鶯には及ばない)」という題を出されて、桂を折る試み(文章生の試験)があったと聞きました。翌年の三月ごろ、堀河右大臣(頼宗)が、その時は東宮大夫と申し上げていましたが、女御を入内させなさいました。帥の内大臣(伊周)の娘を母とする方です。大臣たちの娘にも劣らず、まことにめでたいことでした。十月ごろ、大二条殿で内大臣と申し上げていた方(教通)の次女が尚侍になって入内なさって、それぞれ華やかでいらっしゃいました。十一月には二宮(尊仁親王、後三条)の御読書始ということで、式部大輔と申し上げた博士が、御注孝経という書をお教え申し上げました。蔵人実政が尚復ということで、これも御師でありましょう。同じ四年の三月にも、佐国・孝言・時綱・国綱などという者どもに、試験をおさせになりました。弓場殿で詩を作って差し上げました。もともと桂を折った者(及第者)は博士を望み、まだ折らない者は灯火の料(学問料)を望んだのです。句ごとに唐の博士の名などを詠みこんだので、うまく綴れる人はなかなかいませんでした。寛徳元年八月に、大隅守長国を但馬介とし、民部丞生行を同じ国の掾に任じなさって、異国の人がその国に着いたのを、取り調べさせなさいました。御病気ということで、翌年正月十六日に、位をお退きになり、出家なさいます。御年三十七でいらっしゃいました。世を治められたのは九年でした。まだお若くていらっしゃったのを、惜しみ申し上げない人はありません。先帝は二十九歳でいらっしゃいました。こちらは、それでも三十の春秋を過ぎていらっしゃいました。母后(上東門院)が長生きでいらっしゃるのに、このようなことばかり続くので、お幸せの中にも、お嘆きに堪えられないことでしょう。それでも御孫の第一皇子は帝、第二皇子は東宮でいらっしゃるので、まことに尊いご様子でありましょう。

意訳

中宮嫄子は、祐子内親王・禖子内親王を産んだのち、産後まもなく二十四歳で亡くなった。語り手は、秋の景物(有明の月・夕べの露・蛍・秋の灯火)を重ねて、天皇の悲しみを描く。「夕べの蛍」「秋の灯火かかげつくす」は、白居易「長恨歌」の玄宗の嘆きをふまえた表現である。

翌年の七夕、天皇が頼通に贈った歌は、一年に一度は会える牽牛・織女と、二度と会えない自分とを比べる。語り手はここでも玄宗と楊貴妃の故事を思い起こし、「尋ねゆくまぼろしもがな」(源氏物語桐壺巻の歌の句)を引いて、亡き人の魂を求める天皇の思いを推し量っている。

後半は、花の宴や文章生の試験、皇子の御読書始など、学問を重んじた後朱雀朝の文化的な行事を記す。天皇は在位九年、三十七歳で譲位・出家し、まもなく崩御した。語り手は、二人の息子に先立たれた上東門院の嘆きに思いを寄せつつ、孫が帝と東宮であることに慰めを見いだしている。

語釈・文法注

唯ならず
妊娠して。
高倉殿
頼通の邸宅の一つ。
女みこ
祐子内親王(1038〜1105)。
女宮
禖子内親王(1039〜1096)。六条斎院。歌合を多く催した。
廢朝
天皇が政務を執らず朝廷の儀を停止すること。近親の死などの際に行う。
解陣
固関・警固などの陣を解くこと。ここでは喪に服した特別な態勢を解いて平常に戻ること。
官奏
太政官から天皇に諸国の申し文などを奏上する儀式。
出雲の御
後一条天皇の中宮威子に仕えた女房。
尋ねゆくまぼろしもがな
『源氏物語』桐壺巻で、更衣を失った帝が詠む「尋ねゆくまぼろしもがなつてにても魂のありかをそこと知るべく」の句。「まぼろし」は幻術士。
乾坤
天と地。
堀川右大臣
藤原頼宗(993〜1065)。道長の次男。母は源明子。
おほ二條殿
藤原教通(996〜1075)。道長の三男で頼通の同母弟。大二条殿と呼ばれた。
御書始
皇子が初めて漢籍の講読を受ける儀式。
尙複
読書始で、師の読んだ所を繰り返して読む役。
弓場殿
内裏の校書殿の東にある建物。天皇が弓を射るのを見る所。
ともしびの望み
学問料(灯燭料)の支給を望むこと。
こまうど
高麗人。ここでは外国人の意で、実際には宋の商人が但馬に漂着した。

文法

唯ならず成らせ給ひて
「ただならず」は普通でない、の意で、妊娠をいう婉曲表現。
かゞけつくさせたまひつゝぞ
「かかげつくす」は灯火の芯をかき立てて燃やし尽くす。眠れずに夜を明かすことをいう。
なるへし
底本は濁点を付けないが「なるべし」。

和歌

いかばかり君なげくらむかずならぬ身だにしぐれし秋の哀を

詠者
出雲の御
状況
中宮威子・中宮嫄子と、秋に后が続けて亡くなったことを悲しみ、嫄子に仕えた伊賀少将に贈った歌。

修辞

掛詞
「しぐれし」は時雨が降る意と、涙にくれる意をかける。
対比
「かずならぬ身」の自分と、主を失った「君」とを比べ、相手の悲しみを思いやる。

解説

章題の「星合」は、後朱雀天皇の七夕の歌による。今鏡には、このように后の死を悲しむ天皇の姿が繰り返し描かれ、政治の記録よりも人の心の動きに重きを置く作品の性格がよく表れている。

後朱雀天皇は寛徳二年(1045)正月十六日に譲位し、十八日に崩御した。在位中は頼通が関白として政治をとり、天皇の外戚としての道長一家の権勢が続いたが、天皇自身は学問を好み、漢詩文にすぐれていたと伝えられる。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、23〜28頁(コマ26–29)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日