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今鏡 第一「すべらぎの上」 第4章

初春

後一条天皇の弟、後朱雀天皇の御代。頼通は敦康親王の娘嫄子を養女として入内させ、中宮に立てる。もとの后禎子内親王(陽明門院)は皇后宮となる。語り手は、敦康親王が東宮になれなかった事情や、清少納言との思い出にも触れる。

  1. 1ととと申まう申まうもうすすす、、、さきのさきのさきの一條院いちでうゐん一條院いちでうゐんいちじょういんののの第三だいさん第三だいさんだいさんののの皇子みこ皇子みこみこ、、、御母おほんはは御母おほんははおおんはは上東門院じやうとうもんゐん上東門院じやうとうもんゐんじょうとうもんいん、、、同おな同おなおなじじじ御おん御おんおんはははらからにおはしますらからにおはしますらからにおわします。。。このみかどこのみかどこのみかど寬弘くわんこう寬弘くわんこうかんこう六年ろくねん六年ろくねんろくねんつちのとのつちのとのつちのとの酉とり酉とりとりととと申まう申まうもうしゝしゝしし年とし年としとしののの、、、霜月しもつき霜月しもつきしもつきののの廿五日にじふごにち廿五日にじふごにちにじゅうごにちににに生うま生うまうまれさせたまひけりれさせたまひけりれさせたまいけり。。。
  2. 2七年しちねん七年しちねんしちねん正月しやうぐわつ正月しやうぐわつしょうがつ十六日じふろくにち十六日じふろくにちじゅうろくにちににに、、、親王しんわう親王しんわうしんのうときこえさせときこえさせときこえさせ給たま給たまたまふふう。。。御年おほんとし御年おほんとしおおんとし九ここの九ここのここのつつつ寬仁くわんにん寬仁くわんにんかんにん元年ぐわんねん元年ぐわんねんがんねん八月はちぐわつ八月はちぐわつはちがつ九日ここのか九日ここのかここのか東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうにたゝせにたゝせにたたせ給たま給たまたまふふう、、、ときこえさせときこえさせときこえさせ給たま給たまたまひきひきいき。。。長元ちやうげん長元ちやうげんちょうげん九年くねん九年くねんくねん四月しぐわつ四月しぐわつしがつ十二日じふににち十二日じふににちじゅうににち位くらゐ位くらゐくらいににに卽つ卽つつかせたまふかせたまふかせたまう、、、御おん御おんおんとしとしとし二十八にじふはち二十八にじふはちにじゅうはち。。。
  3. 3其そ其そそののの年とし年としとし御おん御おんおん卽つ卽つつ位くらゐ位くらゐくらいなどなどなど過す過すすぎてぎてぎて、、、年とし年としとしもかはりぬればもかはりぬればもかわりぬれば、、、いつしかいつしかいつしか、、、むつきのむつきのむつきの七日なぬか七日なぬかなぬか、、、關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱく左ひだり左ひだりひだりのおとゞとてのおとゞとてのおとどとて宇治うぢ宇治うぢうじのおほきのおほきのおおきおはしましゝおはしましゝおわしましし、、、たてまつらせたてまつらせたてまつらせ給たま給たまたまふふう。。。
  4. 4帝みかど帝みかどみかどののの御兄おほんあに御兄おほんあにおおんあににおはしましゝにおはしましゝにおわしまししののの御子みこ御子みこみこののの女をんな女をんなおんなぎみのぎみのぎみの、、、村上むらかみ村上むらかみむらかみののの中務なかつかさ中務なかつかさなかつかさののの宮みや宮みやみやののの、、、御おん御おんおんむすめのむすめのむすめの御おん御おんおんはははらにおはせしらにおはせしらにおわせしををを、、、關白殿くわんぱくどの關白殿くわんぱくどのかんぱくどの御子みこ御子みこみこにしたてまつりにしたてまつりにしたてまつり給たま給たまたまひてひていて、、、女御にようご女御にようごにょうごにたてまつりにたてまつりにたてまつり給たま給たまたまへるなりへるなりえるなり。。。
  5. 5一條院いちでうゐん一條院いちでうゐんいちじょういんのののののの、、、生う生ううみたてまつりみたてまつりみたてまつり給たま給たまたまへりしへりしえりし一いち一いちいちののの御子みこ御子みこみこにおはしませばにおはしませばにおわしませば、、、東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうにもたちにもたちにもたち給たま給たまたまふべかりしふべかりしうべかりしををを、、、御後見おほんうしろみ御後見おほんうしろみおおんうしろみおはしまさずとておはしまさずとておわしまさずとて、、、二に二ににのみこにてのみこにてのみこにて先帝せんだい先帝せんだいせんだい、、、三さん三さんさんのみこにてのみこにてのみこにて、、、此こ此ここのみかどのみかどのみかどふたりふたりふたり、、、御堂みだう御堂みだうみどうのののうまごうまごうまご、、、關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくののの御おん御おんおん甥をひ甥をひおいにおはしませばにおはしませばにおわしませば、、、うちつゞきうちつゞきうちつづき卽つ卽つつかせたまへるなりかせたまへるなりかせたまえるなり。。。
  6. 6彼か彼かかののの一條院いちでうゐん一條院いちでうゐんいちじょういんののの皇后宮くわうごうぐう皇后宮くわうごうぐうこうごうぐうははは、、、御おん御おんおんせうとのせうとのしょうとの內うち內うちうちののの大臣おとど大臣おとどおとどののの、、、筑紫つくし筑紫つくしつくしにおはしましゝにおはしましゝにおわしましし事こと事ことことどもにどもにどもに、、、おもほしなげかせおもほしなげかせおもおしなげかせ給たま給たまたまひてひていて、、、御樣みさま御樣みさまみさまかへさせかへさせかえさせ給たま給たまたまへりしへりしえりし後のち後のちのちににに、、、式部卿しきぶきやう式部卿しきぶきやうしきぶきょうののの御子みこ御子みこみこををを生う生ううみたてまつらせみたてまつらせみたてまつらせ給たま給たまたまへるなりへるなりえるなり。。。
  7. 7からからから國くに國くにくにののの天皇てんわう天皇てんわうてんのうののの御おん御おんおんぐしおろさせぐしおろさせぐしおろさせ給たま給たまたまひてのちにひてのちにいてのちに、、、皇子みこ皇子みこみこ生う生ううみみみ給たま給たまたまひけんやうにこそおぼえひけんやうにこそおぼえいけんようにこそおぼえ侍はべ侍はべはべりしかりしかりしか。。。されどされどされど彼か彼かかれれれはははさきのみかどのさきのみかどのさきのみかどの女御にようご女御にようごにょうごにてにてにて、、、彼か彼かかののの帝みかど帝みかどみかどかくれさせかくれさせかくれさせ給たま給たまたまひにければひにければいにければ、、、世よ世よよをををそむきてそむきてそむきて、、、感業寺かんごふじ感業寺かんごふじかんごうじとかいふとかいふとかいう寺てら寺てらてらににに住す住すすみみみ給たま給たまたまひけるひけるいけるををを、、、先さき先さきさきのみかどののみかどののみかどの御子みこ御子みこみこ位くらゐ位くらゐくらいにつきにつきにつき給たま給たまたまひてひていて、、、かのかのかの寺てら寺てらてらにおはしてにおはしてにおわして見み見みみたまひけるにたまひけるにたまいけるに、、、御心みこころ御心みこころみこころやよりやよりやより給たま給たまたまひけむひけむいけむ。。。
  8. 8さらにさらにさらに后きさき后きさききさきににに立た立たたててて奉たてまつ奉たてまつたてまつりけるとりけるとりけると、、、これこれこれははは同おな同おなおなじじじ御代みよ御代みよみよののの元もと元もともとのきさきなればのきさきなればのきさきなれば、、、いたくかはりいたくかはりいたくかわり給たま給たまたまはぬさまにてはぬさまにてわぬさまにて、、、なのめなるやうにてなのめなるやうにてなのめなるようにて侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。かしこきかしこきかしこき御世みよ御世みよみよののの御事おほんこと御事おほんことおおんこと申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべるもかたじけなくるもかたじけなくるもかたじけなく。。。
  9. 9かのかのかの皇后宮くわうごうぐう皇后宮くわうごうぐうこうごうぐうののの女房にようばう女房にようばうにょうぼう、、、肥後ひご肥後ひごひご守かみ守かみかみ元輔もとすけ元輔もとすけもとすけととと申まう申まうもうすがむすめすがむすめすがむすめ、、、とてとてとて殊こと殊ことことになさけあるになさけあるになさけある人ひと人ひとひとににに侍はべ侍はべはべりしかばりしかばりしかば、、、常つね常つねつねにまかりかよひなどしてにまかりかよひなどしてにまかりかよいなどして、、、彼か彼かかののの宮みや宮みやみやのことものことものこともうけうけうけ給たま給たまたまはははりなれりなれりなれ侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。
  10. 10そのそのその式部卿しきぶきやう式部卿しきぶきやうしきぶきょうののの親王しんわう親王しんわうしんのうののの御おん御おんおんむすめにおはしませばむすめにおはしませばむすめにおわしませば、、、みかどにみかどにみかどにははは姪めひ姪めひめいににに當あた當あたあたらせらせらせ給たま給たまたまへりへりえり。。。かくてかくてかくて、、、彌生やよひ彌生やよひやよいのついたちにのついたちにのついたちに、、、きさきにきさきにきさきに立た立たたたせたせたせ給たま給たまたまひぬひぬいぬ。。。御おん御おんおんとしとしとし二十にじふ二十にじふにじゅう二に二にににぞおはしましゝにぞおはしましゝにぞおわしましし。。。
  11. 11もとのもとのもとの后きさき后きさききさきははは皇后宮くわうごうぐう皇后宮くわうごうぐうこうごうぐうにならせにならせにならせ給たま給たまたまひきひきいき。。。そのもとのそのもとのそのもとの后きさき后きさききさきははは、、、みかどみかどみかど東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうにおはしましゝにおはしましゝにおわしましし時とき時ときときよりよりより、、、參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまへりきへりきえりき。。。三條院さんでうゐん三條院さんでうゐんさんじょういんののの姫宮ひめみや姫宮ひめみやひめみやにおはしますにおはしますにおわします。。。
  12. 12それそれそれははは御おん御おんおんとしとしとし廿五にじふご廿五にじふごにじゅうごにならせたまへりきにならせたまへりきにならせたまえりき。。。陽明門院やうめいもんゐん陽明門院やうめいもんゐんようめいもんいんととと申まう申まうもうすすすはははこのこのこの御事おほんこと御事おほんことおおんことなりなりなり。。。御おん御おんおんぐしのぐしのぐしのうつくしさうつくしさうつくしさををを、、、見み見みみまゐらせぬまゐらせぬまいらせぬ、、、くちをしとてくちをしとてくちおしとて、、、さぐりさぐりさぐり申まう申まうもうさせさせさせ給たま給たまたまひけんもひけんもいけんも思おも思おもおもひやられてひやられていやられて。。。
  13. 13同おな同おなおなじきさきとじきさきとじきさきと申まう申まうもうせどもせどもせども、、、やんごとなくおはしますやんごとなくおはしますやんごとなくおわします。。。久ひさ久ひさひさしくしくしく內うち內うちうちへへへ參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまはざりけるころはざりけるころわざりけるころ、、、うちよりうちよりうちより、、、
  14. 14あやめあやめあやめ草ぐさ草ぐさぐさかれしかれしかれし袂たもと袂たもとたもとのねのねのねをををたえてさらにこひぢにまどふたえてさらにこひぢにまどふたえてさらにこいじにまどう頃ころ頃ころころかなかなかな
  15. 15ととと侍はべ侍はべはべりけんりけんりけん。。。御返事おほんかへりごと御返事おほんかへりごとおおんかえりごとははは忘わす忘わすわすれにけりれにけりれにけり。。。東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうにおはしましゝにおはしましゝにおわしましし時とき時ときときののの御息所みやすんどころ御息所みやすんどころみやすんどころなりなりなり。。。このこのこの后きさき后きさききさきににに、、、御堂みだう御堂みだうみどうののの六ろく六ろくろくののの君きみ君きみきみまゐりまゐりまいり給たま給たまたまひてひていて、、、內侍ないし內侍ないしないしのかみときこえたまひしのかみときこえたまひしのかみときこえたまいし、、、後冷泉院ごれいぜいゐん後冷泉院ごれいぜいゐんごれいぜいいんののの今いま今いまいまののの東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうにおはしましゝにおはしましゝにおわしましし、、、生う生ううみおきたてまつりてみおきたてまつりてみおきたてまつりて、、、うせうせうせ給たま給たまたまひしかばひしかばいしかば、、、このこのこの宮みや宮みやみやははは、、、そのそのその後のち後のちのち參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまへるなりへるなりえるなり。。。
  16. 16故こ故ここ內侍ないし內侍ないしないしのかみののかみののかみの御おん御おんおんもとにもとにもとに、、、「「「うちにおもふうちにおもふうちにおもう心こころ心こころこころをををととと、、、よませよませよませ給たま給たまたまひたるひたるいたる御歌みうた御歌みうたみゅうた、、、たまはりたまはりたまわり給たま給たまたまひけるとひけるといけると聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべりしものりしものりしものををを。。。
  17. 17長曆ちやうりやく長曆ちやうりやくちょうりゃく元年ぐわんねん元年ぐわんねんがんねん神無月かんなづき神無月かんなづきかんなずきののの廿三日にじふさんにち廿三日にじふさんにちにじゅうさんにち關白殿くわんぱくどの關白殿くわんぱくどのかんぱくどのののの高陽かや高陽かやかやノノノ院ゐん院ゐんいんににに、、、上東門院じやうとうもんゐん上東門院じやうとうもんゐんじょうとうもんいんわたらせわたらせわたらせ給たま給たまたまひてひていて行幸ぎやうかう行幸ぎやうかうぎょうこうありてありてありて、、、きんだちきんだちきんだち院司ゐんじ院司ゐんじいんじなどなどなど加階かかい加階かかいかかいどもしどもしどもし給たま給たまたまひきひきいき。。。かくてかくてかくて年とし年としとしもあけぬればもあけぬればもあけぬれば、、、又また又またまた正月しやうぐわつ正月しやうぐわつしょうがつ二日ふつか二日ふつかふつか上東門院じやうとうもんゐん上東門院じやうとうもんゐんじょうとうもんいんににに朝覲てうきん朝覲てうきんちょうきんののの行幸ぎやうかう行幸ぎやうかうぎょうこうありてありてありて、、、いづくといづくといずくと申まう申まうもうしながらしながらしながら、、、猶なほ猶なほなおこのこのこの院ゐん院ゐんいんのけしきのけしきのけしき有樣ありさま有樣ありさまありさま、、、山やま山やまやまののの嵐あらし嵐あらしあらし、、、よろづよろづよろず世よ世よよ呼よ呼よよばふばふばう聲こゑ聲こゑこえをををつたへつたへつたえ、、、池いけ池いけいけののの水みづ水みづみずももも、、、ちとせのちとせのちとせの影かげ影かげかげをををすましてすましてすまして、、、まちとりまちとりまちとり奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまひきひきいき。。。
  18. 18先帝せんだい先帝せんだいせんだいかくれさせかくれさせかくれさせ給たま給たまたまへれどもへれどもえれども、、、かくうちつゞきておはしますかくうちつゞきておはしますかくうちつづきておわします、、、二代にだい二代にだいにだいののの國母こくも國母こくもこくもととと申まう申まうもうすもやんごとなしすもやんごとなしすもやんごとなし。。。又また又またまた三日みか三日みかみかははは東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐう朝覲てうきん朝覲てうきんちょうきんののの行啓ぎやうけい行啓ぎやうけいぎょうけいとてとてとて、、、內うち內うちうちににに參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまふふう。。。
  19. 19帝みかど帝みかどみかどのみゆきよりものみゆきよりものみゆきよりも、、、事こと事ことことしげからぬものからしげからぬものからしげからぬものから、、、はなやかにめづらしくはなやかにめづらしくはなやかにめずらしく、、、一員いちゐん一員いちゐんいちいんなどなどなどひきつくろひたるけしきひきつくろひたるけしきひきつくろいたるけしき、、、心こころ心こころこころことなるべしことなるべしことなるべし。。。
  20. 20すべらきのすべらきのすべらきの御おん御おんおんよそひよそひよそい、、、みこのみこのみこの宮みや宮みやみやののの御衣みけし御衣みけしみけしののの色いろ色いろいろかはりてめづらしくかはりてめづらしくかわりてめずらしく、、、御拜ごはい御拜ごはいごはいののの有樣ありさま有樣ありさまありさまなどなどなど、、、袖そで袖そでそでふりふりふり給たま給たまたまふたちゐのふたちゐのうたちいの御おん御おんおんよそひよそひよそい、、、うつくしうてうつくしうてうつくしゅうて、、、喜よろこ喜よろこよろこびのびのびの涙なみだ涙なみだなみだもおさへがたくなんもおさへがたくなんもおさえがたくなん有あ有あありけるりけるりける。。。
  21. 21列つら列つらつらなれるなれるなれる紫むらさき紫むらさきむらさきののの袖そで袖そでそでももも、、、、、、花はな花はなはなやかなるやかなるやかなる御垣みかき御垣みかきみかきのののうちのうちのうちの春はる春はるはるなりけるとなんきこえなりけるとなんきこえなりけるとなんきこえ侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

後朱雀院と申し上げる方は、先の一条院の第三皇子で、御母は上東門院、先帝(後一条天皇)と同じ御兄弟でいらっしゃいます。この帝は寛弘六年己酉と申した年の十一月二十五日にお生まれになりました。七年正月十六日に親王の宣旨を受けられます。御年九歳、寛仁元年八月九日に東宮にお立ちになった、と申し上げました。長元九年四月十二日に位におつきになります。御年二十八。その年の御即位や大嘗会などが過ぎて、年も改まると、さっそく正月七日に、関白左大臣で宇治の太政大臣(頼通)でいらした方が、女御を入内させなさいます。帝の御兄でいらした式部卿(敦康親王)の御子の姫君で、村上天皇の皇子中務宮(具平親王)の御娘を母としてお生まれになった方を、関白殿が御養女になさって、女御として入内させなさったのです。一条院の皇后宮(定子)がお産みになった第一皇子でいらしたので、東宮にもお立ちになるはずでしたのに、御後見がいらっしゃらないということで、第二皇子として先帝、第三皇子としてこの帝のお二人が、御堂殿(道長)の孫、関白の甥でいらしたので、続けて即位なさったのです。あの一条院の皇后宮は、兄の内大臣(伊周)が筑紫に流されなさった事などをお嘆きになって、出家なさった後に、式部卿の御子をお産みになったのです。唐の則天皇后が出家なさった後に皇子をお産みになったという話のように思われました。けれども則天皇后は先の帝の女御で、その帝がお亡くなりになったので、世を捨てて感業寺とかいう寺に住んでいらしたのを、先帝の御子が位におつきになって、その寺に行ってご覧になったところ、お心を寄せられたのでしょうか、改めて后にお立てになったというのですが、こちらは同じ御代の元の后ですので、それほど違ったご様子ではなく、まあ普通のことでございました。尊い御代のことを申し上げるのも恐れ多いことです。その皇后宮の女房で、肥後守元輔と申す者の娘が、清少納言といって格別に情趣のある人でしたので、いつも通ったりして、あの宮のことも聞き慣れておりました。その式部卿の親王の御娘でいらっしゃいますので、帝には姪にあたられます。こうして三月一日に、后にお立ちになりました。御年二十二でいらっしゃいました。

もとの后は皇后宮におなりになりました。そのもとの后は、帝が東宮でいらした時から入内なさっていました。三条院の姫宮でいらっしゃいます。その方は御年二十五になっておられました。陽明門院と申し上げるのはこの方のことです。御髪の美しさを、故院(三条院)が目でご覧になれないのが残念だといって、手で探ってお確かめになったというのも思いやられます。同じ后と申しても、まことに尊くていらっしゃいます。長く内裏にお参りにならなかったころ、帝から、

あやめ草かれし袂のねをたえてさらにこひぢにまどふ頃かな

とお詠みになったそうです。お返事は忘れてしまいました。(禎子は)帝が東宮でいらした時の御息所です。この后より前に、御堂殿の六女が入内なさって、尚侍と申し上げた方が、後冷泉院、今の東宮でいらした方をお産みおきになって亡くなられたので、この宮は、その後に入内なさったのです。故尚侍のもとに、「かすみのうちにおもふ心を」とお詠みになった御歌を、お与えになったと聞いておりますのに。

長暦元年十月二十三日、関白殿の高陽院に上東門院がお移りになって行幸があり、公達や院司などが位を上げられました。こうして年も明けたので、また正月二日に上東門院に朝覲の行幸があって、どこでも同じとは申しながら、やはりこの院の様子は格別で、山の嵐は万歳を呼ぶ声を伝え、池の水も千年の影を澄ませて、お待ち受け申し上げなさいました。先帝はお亡くなりになったけれども、こうして続いていらっしゃる二代の国母と申すのも尊いことです。また三日には東宮の朝覲の行啓ということで、内裏に参られます。帝の行幸よりも事は簡素ながら、華やかで珍しく、靫負佐一人などが装いを整えている様子も格別でありましょう。天皇の御装束、東宮の御衣の色が違っていて珍しく、拝礼の様子など、袖をひるがえして立ったり座ったりなさるお姿がかわいらしくて、喜びの涙もおさえきれないほどでした。並んだ公卿の紫の袍の袖も、位に応じた緋や緑の袍も、華やかな宮中の春であったと聞いております。

意訳

後朱雀天皇の即位と、頼通が養女嫄子を入内させたことが語られる。嫄子の父敦康親王は一条天皇の第一皇子だったが、母定子の実家(中関白家)が没落し、有力な後見がいなかったため皇位につけなかった。語り手は、定子が出家後に敦康を産んだことを則天武后の例と比べつつ、同じ御代のことだから大きな違いはないと、やんわり弁護している。

語り手が清少納言のもとに通っていたというくだりは、今鏡の語り手が王朝文学の世界と地続きであることを示す、印象的な一節である。

禎子内親王(陽明門院)は三条天皇の皇女で、後朱雀の東宮時代からの妃。目の不自由だった父三条院が、娘の髪の美しさを手で探って確かめたという話が添えられる。後朱雀が里に下がったままの禎子に贈った「あやめ草」の歌は、「こひぢ(泥・恋路)」の掛詞に思いをこめている。

最後は、上東門院への朝覲の行幸と、翌日の東宮(後冷泉)の朝覲の行啓の華やかさで結ばれる。二代の天皇の母である上東門院の存在が、宮廷の中心にあることが印象づけられる。

語釈・文法注

後朱雀院
第六十九代後朱雀天皇(1009〜1045)。名は敦良。後一条天皇の同母弟。
せんだい
先帝。ここでは後一条天皇。
大嘗會
天皇が即位後に初めて行う新嘗祭。一代一度の大祭。
女御
藤原嫄子(1016〜1039)。敦康親王の娘で、頼通の養女として入内し、中宮となった。
式部卿
敦康親王(999〜1018)。一条天皇の第一皇子。母は定子。
一條院の皇后宮
藤原定子(977〜1000)。一条天皇の皇后。中関白道隆の娘。
內の大臣
藤原伊周(974〜1010)。定子の兄。長徳二年(996)に大宰権帥に左遷された(長徳の変)。
則天皇后
唐の則天武后。太宗の後宮にいたが、太宗の死後に感業寺で尼となり、のちに高宗に迎えられて皇后となった。
清少納言
清少納言。清原元輔の娘で、定子に仕えた。『枕草子』の作者。
もとの后
禎子内親王(1013〜1094)。三条天皇の皇女で、後朱雀天皇の皇后。後三条天皇の母。のちに陽明門院。
故院
三条院。晩年は眼病のため目がよく見えなかった。
かすみのうちにおもふ心を
後朱雀天皇が東宮時代、妃の嬉子に贈った歌の句。
ゆげひのすけ
靫負佐。衛門府の次官。
あけもみどりも
緋(五位)と緑(六位)の袍。位によって袍の色が決まっていた。

文法

あやめ草かれし袂の
「ね」は「根」と「音(泣く声)」、「こひぢ」は「泥(こひぢ)」と「恋路」をかける。
なのめなるやうにて
「なのめなり」は、ありふれている、格別でない。
すべらき
「すめらぎ」に同じ。天皇。

和歌

あやめ草かれし袂のねをたえてさらにこひぢにまどふ頃かな

詠者
後朱雀天皇
状況
皇后禎子内親王が長く里に下がって参内しなかったころ、天皇が贈った歌。

修辞

掛詞
「ね」に菖蒲の「根」と泣く「音」、「こひぢ」に「泥(こひぢ)」と「恋路」をかける。
縁語
「あやめ草」「ね(根)」「こひぢ(泥)」は縁語。

解説

章題の「初春」は、長暦二年正月の朝覲の行幸・行啓を、宮中の春の華やかさとして描く結びの部分による。

今鏡は、天皇の代ごとに、生年・親王宣旨・立太子・即位・后妃・皇子女を順に記す。これは史書の「本紀」にならった書き方で、その間に和歌や逸話をはさみこんで語りに変化をつけている。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、19〜23頁(コマ24–26)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日