今鏡 第一「すべらぎの上」 第3章
子の日
万寿三年、上東門院(彰子)が出家する。翌年には道長が亡くなり、威子の産んだ二人の姫宮は、のちに二代の帝の后となる。倫子の七十の賀が催されたのち、長元九年、後一条天皇は二十九歳で崩御する。御代は二十年、男皇子に恵まれなかった。
- 1三三みとせのとせのとせの正月正月しょうがつ十九日十九日じゅうくにち、、、太皇太后宮太皇太后宮たいこうたいこうぐう御御おん。。。后后きさきののの御名御名みなももも止止とどめさせめさせめさせ給給たまひてひていて、、、上東門院上東門院じょうとうもんいんととと申申もうしきしきしき。。。よそぢにだにまだよそぢにだにまだよそじにだにまだ滿滿みたせたまはぬにたせたまはぬにたせたまわぬに、、、いといといと心心こころかしこくかしこくかしこく世世よをををのがれさせのがれさせのがれさせ給給たまふふう。。。
- 2めでたくもあはれにもめでたくもあはれにもめでたくもあわれにも、、、きこえさせきこえさせきこえさせ給給たまひきひきいき。。。大齋院大齋院だいさいいんととと申申もうしゝしゝししははは、、、內親王內親王ないしんのうときこえさせときこえさせときこえさせ給給たまひしひしいし、、、このこのこの御事御事おおんことををを聞聞きかせかせかせ給給たまひてひていて、、、よみてたてまつらせよみてたてまつらせよみてたてまつらせ給給たまへるへるえる御御おんうたうたうた、、、
- 3君君きみはははしもまことのしもまことのしもまことの道道みちににに入入いりぬなりりぬなりりぬなりひとりやひとりやひとりや永永ながきやみにきやみにきやみに惑惑まどはむはむわむ
- 4此此こののの齋院齋院さいいんははは、、、村上村上むらかみののの皇后宮皇后宮こうごうぐうののの生生うみおきたてまつらせみおきたてまつらせみおきたてまつらせ給給たまへりしぞかしへりしぞかしえりしぞかし。。。ののの御御おんいもいもいもうとなればうとなればうとなれば、、、このこのこの入道入道にゅうどう殿殿どのにににははは、、、御御おんをばをばをばにあたらせにあたらせにあたらせ給給たまふぞかしふぞかしうぞかし。。。
- 5長月長月ながつきにににははは中宮中宮ちゅうぐう御產御產ごさんときこえさせときこえさせときこえさせ給給たまひてひていて、、、うみたてまつらせたまふうみたてまつらせたまふうみたてまつらせたまう。。。左衞門左衞門さえもんノノノ督督かみときこえときこえときこえ給給たまひしがひしがいしが家家いえをぞをぞをぞ、、、うぶやにうぶやにうぶやにはせさせはせさせはせさせ給給たまへりしへりしえりし。。。
- 6男男おとこ宮宮みやにおはしまさぬにおはしまさぬにおわしまさぬははは、、、くちをしけれどくちをしけれどくちおしけれど、、、御御おんうぶやしなひなどうぶやしなひなどうぶやしないなど、、、心心こころことにいとめでたくことにいとめでたくことにいとめでたく、、、ことわりとことわりとことわりと申申もうしながらしながらしながら聞聞きこえええ侍侍はべりきりきりき。。。このこのこの姫宮姫宮ひめみやははは後冷泉院後冷泉院ごれいぜいいんのきさきのきさきのきさき、、、二條二條にじょうノノノ院院いんととと申申もうしゝしゝしし御事御事おおんことなりなりなり。。。
- 7東宮東宮とうぐうににに始始はじめてまゐらせめてまゐらせめてまいらせ給給たまひけるころひけるころいけるころ、、、ののの辨辨べん見見みたてまつりてたてまつりてたてまつりて、、、
- 8春每春每はるごとのののののの日日ひはははおほくおほくおおく過過すぎぬれどかゝるぎぬれどかゝるぎぬれどかかるののの松松まつはははみざりきみざりきみざりき
- 9とぞよめりけるとぞよめりけるとぞよめりける。。。同同おなじじじ四年四年よねん正月正月しょうがつにににははは、、、上東門院上東門院じょうとうもんいんににに年年としののの初初はじめのみゆきありてのみゆきありてのみゆきありて朝覲朝覲ちょうきんののの御拜御拜ごはいせさせたまひきせさせたまひきせさせたまいき。。。常常つねののの所所ところよりもよりもよりも御御おんすまひすまひすまい有樣有樣ありさま、、、いといといとはははえばえしくえばえしくえばえしく、、、唐繪唐繪からえなどのやうになどのやうになどのように、、、山山やまののの色色いろ水水みずのみどりのみどりのみどり、、、木木こだちたてだちたてだちたて石石いしなどいとおもしろきになどいとおもしろきになどいとおもしろきに、、、位位くらいにしたがへるにしたがへるにしたがえる色々色々いろいろののの衣衣ころもののの袖袖そで、、、近衞司近衞司こんえづかさののの、、、などなどなど、、、めもあやなるにめもあやなるにめもあやなるに、、、きぬのきぬのきぬの色色いろまじはれるうちよりまじはれるうちよりまじわれるうちより、、、唐唐からのまひのまひのまい、、、こまのこまのこまの舞人舞人まいびと、、、左右左右さゆうかた〴〵にかた〴〵にかたがたに袖袖そでふるふるふるほどなどほどなどほどなど、、、所所ところにににはははえておもしろしなどもえておもしろしなどもえておもしろしなども、、、言葉言葉ことばももも及及およばずなむばずなむばずなむ侍侍はべりけるりけるりける。。。
- 10霜月霜月しもつきにににははは入道入道にゅうどうおほきおとゞおほきおとゞおおきおとど御病御病おおんやまいひひひ重重おもらせたまひてらせたまひてらせたまいて、、、千人千人せんにんのののとかやいひてとかやいひてとかやいいて、、、法師法師ほうしになるべきになるべきになるべき人人ひとののの數數かずののの、、、ふみたまはらせふみたまはらせふみたまわらせ給給たまふときこえふときこえうときこえ侍侍はべりきりきりき。。。
- 11法成寺法成寺ほうじょうじにおはしませにおはしませにおわしませははは、、、そのそのその御寺御寺みてらににに行幸行幸ぎょうこうありてありてありて、、、とぶらひたてまつらせとぶらひたてまつらせとぶらいたてまつらせ給給たまふふう。。。御誦經御誦經みずきょう御布施御布施おおんふせなどなどなど、、、さま〴〵きこえさま〴〵きこえさまざまきこえはべりきはべりきはべりき。。。東宮東宮とうぐうにもにもにも行啓行啓ぎょうけいせさせせさせせさせ給給たまふふう。。。
- 12御御おんうまごうまごうまご內內うち東宮東宮とうぐうにおはしませばにおはしませばにおわしませば、、、御病御病おおんやまいひのひのひの折節折節おりふしにつけてもにつけてもにつけても、、、御榮御榮おおんさかえのめでたさえのめでたさえのめでたさ、、、昔昔むかしもかゝるもかゝるもかかる類類たぐひやひやひやははは侍侍はべりけむりけむりけむ。。。しはすのしはすのしわすの四日四日よかににに入道入道にゅうどう殿殿どのかくれさせかくれさせかくれさせ給給たまひぬればひぬればいぬれば、、、年年としもかはりてもかはりてもかわりて、、、春春はるのののはじめのはじめのはじめの節會節會せちえなどもとゞまりてなどもとゞまりてなどもとどまりて、、、位位くらいなどたまはするなどたまはするなどたまわする事事ことももも、、、程程ほどすぎてぞすぎてぞすぎてぞ侍侍はべりけるりけるりける。。。
- 13長元長元ちょうげん二年二年にねんきさらぎのきさらぎのきさらぎの二日二日ふつか、、、中宮中宮ちゅうぐう又又また宮宮みやうみたてまつらせうみたてまつらせうみたてまつらせ給給たまへりへりえり。。。このこのこの姫宮姫宮ひめみやははは後三條院後三條院ごさんじょういんのきさきにおはしますのきさきにおはしますのきさきにおわします。。。二人二人ふたりののの姫宮姫宮ひめみやたちたちたち、、、二代二代にだいののの帝帝みかどののの后后きさきにおはしますにおはしますにおわします、、、いといといとかひ〴〵しきかひ〴〵しきかいがいしき御有樣御有樣おおんありさまなりなりなり。。。
- 14六年六年ろくねん霜月霜月しもつきににに、、、たかつかさたかつかさたかつかさ殿殿どののののののの御賀御賀おおんがせさせせさせせさせ給給たまふとてふとてうとて、、、女院女院にょういん中宮中宮ちゅうぐう關白殿關白殿かんぱくどの內內うちのおのおのおほいどのほいどのほいどの、、、かた〴〵かた〴〵かたがた營營いとなませませませ給給たまひきひきいき。。。童舞童舞わらわまいなどいとなどいとなどいとうつくしくてうつくしくてうつくしくて、、、まだいまだいまだいはははけなきけなきけなき御齡御齡おおんよわいどもにどもにどもに、、、からからから人人ひとののの袖袖そでふりふりふり給給たまふふう有樣有樣ありさま、、、いとらうありていとらうありていとろうありて、、、いかばかりかいかばかりかいかばかりか侍侍はべりけむりけむりけむ。。。
- 15又又またののの日日ひ內內うちににに召召めしてしてして、、、きのきのきのふのまひどもふのまひどもふのまいども御御ごらんぜさせらんぜさせらんぜさせ給給たまへりへりえり。。。まひまひまい人人ひと雲雲くものののうへゆるさるゝうへゆるさるゝうえゆるさるる人々人々ひとびとときこえときこえときこえ侍侍はべりきりきりき。。。舞舞まいののの師師しもつかさもつかさもつかさ給給たまはははりてりてりて、、、近衞近衞こんえのまつりごとのまつりごとのまつりごと人人ひとなどなどなど、、、加加くわへさせへさせえさせ給給たまひけりとなむひけりとなむいけりとなむ。。。
- 16かのかのかの御賀御賀おおんがののの屛風屛風びょうぶににに、、、のところのところのところををを、、、衞門衞門えもんがよめるがよめるがよめる、、、
- 17紫紫むらさきののの袖袖そでをををつらねてきたるかなつらねてきたるかなつらねてきたるかな春春はるたつことたつことたつことはははこれぞこれぞこれぞうれしきうれしきうれしき
- 18又又また子子こののの日日ひかきたるかきたるかきたる所所ところよめるよめるよめる歌歌うたももも、、、いうにきこえいうにきこえいうにきこえ侍侍はべりきりきりき。。。
- 19萬代萬代よろずよのののはじめにはじめにはじめに君君きみががが引引ひかるればかるればかるれば子子こののの日日ひののの松松まつもももうらやみやせむうらやみやせむうらやみやせむ
- 20おなじきおなじきおなじき九年九年くねんやよひのやよひのやよいの十日十日とおかあまりのあまりのあまりの程程ほどよりよりより、、、うへのうへのうえの御惱御惱おおんなやみときこえさせみときこえさせみときこえさせ給給たまひてひていて、、、神々神々かみがみにみてぐらにみてぐらにみてぐら奉奉たてまつらせらせらせ給給たまへるへるえる、、、さま〴〵のさま〴〵のさまざまの御祈御祈おおんいのりきこえりきこえりきこえ侍侍はべりきりきりき。。。
- 21殿上人殿上人てんじょうびと御使御使おおんつかいにてにてにて、、、左右左右さゆうののの御馬御馬みまなどなどなど引引ひかれかれかれ侍侍はべりけりりけりりけり。。。御年御年おおんとしみそぢにだにみそぢにだにみそじにだに、、、いまいまいま一一ひとつたらせつたらせつたらせ給給たまはぬはぬわぬ、、、いとあたらしいとあたらしいとあたらし。。。されどされどされど廿年廿年にじゅうねんたもたせたもたせたもたせ給給たまふふう、、、すゑのすゑのすえの世世よにありがたくにありがたくにありがたく聞聞きこえさせたまひきこえさせたまひきこえさせたまいき。。。
- 22まだおはしますまだおはしますまだおわします有樣有樣ありさまにてにてにて、、、御御おんおとうとのおとうとのおとうとの東宮東宮とうぐうににに、、、位位くらい讓讓ゆずりりり申申もうさせさせさせ給給たまふさまなりけりふさまなりけりうさまなりけり。。。後後のちののの御事御事おおんことののの、、、よそほしかるべきによりてよそほしかるべきによりてよそおしかるべきによりて、、、位位くらいおりさせたまふおりさせたまふおりさせたまう心心こころなるへしなるへしなるべし。。。
- 23をのこをのこおのこ御子御子みこのおはしまさぬぞくちをしきのおはしまさぬぞくちをしきのおわしまさぬぞくちおしき。。。いづれのいづれのいずれの秋秋あきにかにかにか侍侍はべりけむりけむりけむ。。。菊菊きくののの花花はな星星ほしににに似似にたりといふたりといふたりという題題だいののの御製御製ぎょせい、、、からのからのからの御言御言みことのののははは聞聞きこえこえこえ侍侍はべりきりきりき。。。
- 24司天記取葩稀色司天記取葩稀色してんにはしるしとるはなのまれなるいろ、、、分野望看露冷光分野望看露冷光ぶんやにはのぞみみるつゆのすさまじきひかり
- 25とかとかとか人人ひとのかたりのかたりのかたり侍侍はべりしりしりし。。。御才御才おおんざえもかしこくおはしけるにやもかしこくおはしけるにやもかしこくおわしけるにや。。。ににに、、、此此このみかどののみかどののみかどの御影御影みえいおはしましけるおはしましけるおわしましけるををを、、、出羽出羽いでわののの辨辨べんがよめりけるがよめりけるがよめりける。。。
- 26いかにしていかにしていかにしてうつしとめけむうつしとめけむうつしとめけむ雲居雲居くもいにてあかずかくれしにてあかずかくれしにてあかずかくれし月月つきののの光光ひかりををを
- 27かのかのかの菩提樹院菩提樹院ぼだいじゅいんははは、、、二條院二條院にじょういんののの御堂御堂みどうなればなればなれば、、、御志御志おおんこころざしのあまりにのあまりにのあまりに、、、父父ちちのみかどののみかどののみかどの御御おんすがたすがたすがたをををかきとゞめてかきとゞめてかきとどめて、、、置置おききき奉奉たてまつらせたまひけるなるべしらせたまひけるなるべしらせたまいけるなるべし。。。おもひやりおもひやりおもいやり參參まいらするもらするもらするも、、、いとあはれにいとあはれにいとあわれに悲悲かなしくこそしくこそしくこそはべれはべれはべれ。。。
現代語訳
万寿三年正月十九日、太皇太后宮(彰子)が出家なさいました。后の御名もおやめになって、上東門院と申し上げました。四十歳にもまだならないのに、たいそう賢明に世をお捨てになりました。めでたいことにも、しみじみとしたことにも、世間ではお噂申し上げました。大斎院と申し上げた選子内親王が、このことをお聞きになって、詠んで差し上げたお歌、
君はしもまことの道に入りぬなりひとりや永きやみに惑はむ
この斎院は、村上天皇の皇后宮(安子)がお産みになった方なのです。東三条殿(兼家)の御妹ですので、この入道殿(道長)には叔母にあたられるのです。九月には中宮(威子)の御出産があって、姫宮をお産みになります。左衛門督兼隆と申し上げた方の家を、御産所になさいました。男宮でいらっしゃらないのは残念でしたが、御産屋の儀式などは格別に、まことにめでたく、当然のことながら世に聞こえておりました。この姫宮は後冷泉院の后、二条院と申し上げた方のことです。東宮に初めて入内なさったころ、出羽弁がお見かけして、
春每の子の日はおほく過ぎぬれどかゝる二葉の松はみざりき
と詠みました。同じ四年正月には、上東門院に年の初めの行幸があって、朝覲の拝礼をなさいました。ふつうの所よりも御住まいの様子がたいそう晴れやかで、唐絵などのように、山の色、水の緑、木立や立てた石などがたいそう趣深いところに、位に応じた色とりどりの衣の袖、近衛府の平胡籙や平緒などが目もまばゆいほどで、衣の色が入りまじる中から、唐楽の舞、高麗楽の舞人が左右それぞれに袖をひるがえす様子など、場所に映えて見事なことも、言葉では言い尽くせないほどでした。
十一月には入道太政大臣(道長)の御病気が重くなられて、千人の度者とかいって、法師になってよい人の数を許す文書をお与えになったと聞いております。法成寺にいらしたので、その御寺に行幸があって、お見舞い申し上げなさいます。御誦経や御布施など、さまざまに聞こえました。東宮も行啓なさいます。御孫が帝と東宮でいらっしゃるので、御病気の折につけても、そのお栄えのめでたさは、昔もこのような例があったでしょうか。十二月四日に入道殿がお亡くなりになったので、年が改まっても、春の初めの節会なども中止になり、位をお与えになることも、時期が過ぎてから行われました。長元二年二月二日、中宮がまた姫宮をお産みになりました。この姫宮は後三条院の后でいらっしゃいます。お二人の姫宮が、二代の帝の后でいらっしゃるとは、まことに甲斐のあるご様子です。六年十一月に、鷹司殿(倫子)の七十の御賀をなさるということで、女院・中宮・関白殿・内大臣殿が、それぞれご準備なさいました。童舞などもたいそうかわいらしく、まだ幼いお年ごろで唐の舞の袖をひるがえされる様子は、たいそう巧みで、どれほどのものでありましたでしょう。翌日、宮中に召して、昨日の舞をご覧になりました。舞人は昇殿を許された人々だったと聞いております。舞の師も官職を賜って、近衛府の将監などに加えられたということです。その御賀の屏風に、臨時客の場面を、赤染衛門が詠んだ歌、
紫の袖をつらねてきたるかな春たつことはこれぞうれしき
また、子の日の様子を描いた所を詠んだ歌も、優雅だと評判になりました。
萬代のはじめに君が引かるれば子の日の松もうらやみやせむ
同じ九年三月の十日過ぎのころから、帝の御病気ということで、神々に幣帛を奉られ、さまざまな御祈祷が行われたと聞いております。殿上人が御使となって、左右の御馬なども引かれました。御年は三十にもまだ一つ足りないのが、まことに惜しいことです。けれども二十年も世をお治めになったのは、末世にはめったにないことと評判になりました。まだご存命のうちに、御弟の東宮に位をお譲りになった形になさいました。御葬儀などが格式あるものでなければならないので、位をお下りになったということにされたのでしょう。男の御子がいらっしゃらなかったのが残念です。いつの秋のことでしたか、「菊の花星に似たり」という題の御製の漢詩が聞こえてまいりました。
司天記取葩稀色、分野望看露冷光(天文の役人は、菊の花のまれな色を星として記録し、星の区分を見る者は、露のすさまじい光をながめる)
と人が語っておりました。御学才もすぐれていらっしゃったのでしょうか。菩提樹院に、この帝の御影(肖像)が置かれていたのを、出羽弁が詠んだ歌、
いかにしてうつしとめけむ雲居にてあかずかくれし月の光を
その菩提樹院は二条院(章子内親王)の御堂ですので、ご孝心のあまりに、父帝のお姿を描きとどめて、お置き申し上げなさったのでしょう。思いやり申し上げるにつけても、まことにしみじみと悲しいことでございます。
意訳
彰子は三十九歳で出家し、女院号を受けて上東門院となる。天皇の母が女院となった例は、一条天皇の母詮子(東三条院)に次ぐもので、出家後も女院として宮廷に重きをなした。叔母にあたる大斎院選子は、仏の道に入った彰子を祝しつつ、斎院として仏事を避けねばならない自分は長い闇に迷うのかと嘆く歌を贈る。
威子の産んだ章子内親王・馨子内親王は、それぞれ後冷泉天皇・後三条天皇の后となった。語り手は男皇子がないことを惜しみながらも、二人の姫宮が二代の后となったことを「かひがひしき御有樣」とたたえる。出羽弁の歌は、幼い章子を「二葉の松」にたとえ、長い将来を祝っている。
道長の死、倫子の七十の賀、そして後一条天皇の崩御と、一つの時代の終わりが語られる。天皇は在位のまま亡くなったが、葬送の礼を整えるために、生前に譲位した形がとられた。章の終わりは、娘の章子が菩提樹院に父帝の御影を安置したことを、出羽弁の歌とともにしみじみと語る。
語釈・文法注
- 御さまかへさせたまひき
- 出家なさった。彰子は万寿三年(1026)、三十九歳で出家し、上東門院の院号を受けた。
- 選子內親王
- 選子内親王(964〜1035)。村上天皇の皇女。五代の天皇にわたり五十七年間賀茂の斎院を勤め、大斎院と呼ばれた。
- 東三條殿
- 藤原兼家(929〜990)。道長の父。選子の母安子は兼家の姉。
- 兼隆
- 藤原兼隆(985〜1053)。道兼の子。
- うぶや
- 産屋。出産のための建物・部屋。また誕生後の祝いの儀式。
- 姫宮
- 章子内親王(1026〜1105)。後冷泉天皇の中宮。のちに二条院の院号を受けた。
- 出羽の辨
- 出羽弁。出羽守平季信の娘で、彰子・威子・章子に仕えた女房歌人。
- 二葉の松
- 芽生えたばかりの松。幼い人の長い将来を祝っていう。
- 平胡籙
- 矢を入れて背負う武具の一種。儀式のときに近衛の官人が用いた。
- 平緒
- 束帯で太刀を帯びるときに用いる平たい組紐の帯。
- 度者
- 出家して僧になることを許された者。病気平癒を祈って多くの度者を出した。
- ひめ宮
- 馨子内親王(1029〜1093)。後三条天皇の中宮。
- 七十の御賀
- 倫子の七十歳の祝い。長元六年(1033)に行われた。
- 臨時客
- 正月二日ごろ、摂関家などが公卿・殿上人を招いて催す宴。
- あかぞめの衞門
- 赤染衛門。倫子・彰子に仕えた女房歌人。大江匡衡の妻。『栄花物語』正編の作者ともいわれる。
- 子の日
- 正月の最初の子の日に、野に出て小松を引き若菜を摘み、長寿を祈る行事。
- 菩提樹院
- 章子内親王が建てた寺。後一条天皇の御影を安置した。
文法
- 君はしも
- 「しも」は強意の副助詞。あなたこそは、の意。
- おはしませは
- 底本は「おはしませは」と濁点を付けないが、「おはしませば」(已然形+ば)の意。
- 心なるへし
- 底本は濁点を付けないが、「心なるべし」。
和歌
君はしもまことの道に入りぬなりひとりや永きやみに惑はむ
- 詠者
- 選子内親王(大斎院)
- 状況
- 彰子の出家を聞いて贈った歌。斎院は神に仕える身として仏事を避けねばならず、仏道に入れない自分を嘆いている。
修辞
- 対比
- 「まことの道に入りぬ」彰子と、「ひとりや永きやみに惑はむ」自分とを対比する。
- 永きやみ
- 仏の救いのない長い迷いの闇(長夜の闇)。
春每の子の日はおほく過ぎぬれどかゝる二葉の松はみざりき
- 詠者
- 出羽弁
- 状況
- 章子内親王が東宮(後冷泉)に入内したころ、その幼い姿を見て詠んだ歌。
修辞
- 見立て
- 幼い章子を、子の日に引く「二葉の松」にたとえ、長寿と繁栄を祝う。
紫の袖をつらねてきたるかな春たつことはこれぞうれしき
- 詠者
- 赤染衛門
- 状況
- 倫子の七十の賀の屏風の、臨時客の場面に添えた歌。
修辞
- 紫の袖
- 四位以上の公卿の着る紫の袍の袖。高官たちが列をなして年賀に来るさまをいう。
萬代のはじめに君が引かるれば子の日の松もうらやみやせむ
- 詠者
- 赤染衛門
- 状況
- 同じ屏風の、子の日の小松引きの場面に添えた歌。
修辞
- 擬人法
- 万代の長寿の始まりに君(倫子)が引かれるので、千年を生きる子の日の松さえうらやむだろうと、倫子の長寿を祝う。
いかにしてうつしとめけむ雲居にてあかずかくれし月の光を
- 詠者
- 出羽弁
- 状況
- 菩提樹院に安置された後一条天皇の御影を見て詠んだ歌。
修辞
- 見立て
- 若くして崩御した天皇を、雲の上で名残惜しくも隠れた月の光にたとえる。
- 掛詞
- 「うつし」は、絵に写す意と、月の光を映す意をかける。
解説
章題の「子の日」は、倫子の七十の賀の屏風の、子の日の小松引きを詠んだ歌による。章の前半には彰子の出家、後半には道長の死と後一条天皇の崩御が語られ、道長の栄華の時代が終わりを迎えていく。
後一条天皇は在位のまま崩御したが、喪を秘して譲位の儀を行い、上皇として葬送された。これは「如在の儀」と呼ばれ、天皇の葬送を上皇の礼で整えるための便法である。今鏡が「位讓り申させ給ふさまなりけり」と語るのは、この事情をさしている。
今鏡には、天皇や宮廷の人々の和歌が多く引かれる。この章でも選子内親王・出羽弁・赤染衛門の歌がそれぞれの場面を彩り、出来事の記録に情感を添えている。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、14〜18頁(コマ22–24)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日