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今鏡 第一「すべらぎの上」 第3章

子の日

万寿三年、上東門院(彰子)が出家する。翌年には道長が亡くなり、威子の産んだ二人の姫宮は、のちに二代の帝の后となる。倫子の七十の賀が催されたのち、長元九年、後一条天皇は二十九歳で崩御する。御代は二十年、男皇子に恵まれなかった。

  1. 1三み三みみとせのとせのとせの正月しやうぐわつ正月しやうぐわつしょうがつ十九日じふくにち十九日じふくにちじゅうくにち、、、太皇太后宮たいくわうたいこうぐう太皇太后宮たいくわうたいこうぐうたいこうたいこうぐう御おん御おんおん。。。后きさき后きさききさきののの御名みな御名みなみなももも止とゞ止とゞとどめさせめさせめさせ給たま給たまたまひてひていて、、、上東門院じやうとうもんゐん上東門院じやうとうもんゐんじょうとうもんいんととと申まう申まうもうしきしきしき。。。よそぢにだにまだよそぢにだにまだよそじにだにまだ滿み滿みみたせたまはぬにたせたまはぬにたせたまわぬに、、、いといといと心こころ心こころこころかしこくかしこくかしこく世よ世よよをををのがれさせのがれさせのがれさせ給たま給たまたまふふう。。。
  2. 2めでたくもあはれにもめでたくもあはれにもめでたくもあわれにも、、、きこえさせきこえさせきこえさせ給たま給たまたまひきひきいき。。。大齋院だいさいゐん大齋院だいさいゐんだいさいいんととと申まう申まうもうしゝしゝししははは、、、內親王ないしんわう內親王ないしんわうないしんのうときこえさせときこえさせときこえさせ給たま給たまたまひしひしいし、、、このこのこの御事おほんこと御事おほんことおおんことををを聞き聞ききかせかせかせ給たま給たまたまひてひていて、、、よみてたてまつらせよみてたてまつらせよみてたてまつらせ給たま給たまたまへるへるえる御おん御おんおんうたうたうた、、、
  3. 3君きみ君きみきみはははしもまことのしもまことのしもまことの道みち道みちみちににに入い入いいりぬなりりぬなりりぬなりひとりやひとりやひとりや永なが永ながながきやみにきやみにきやみに惑まど惑まどまどはむはむわむ
  4. 4此こ此ここののの齋院さいゐん齋院さいゐんさいいんははは、、、村上むらかみ村上むらかみむらかみののの皇后宮くわうごうぐう皇后宮くわうごうぐうこうごうぐうののの生う生ううみおきたてまつらせみおきたてまつらせみおきたてまつらせ給たま給たまたまへりしぞかしへりしぞかしえりしぞかし。。。ののの御おん御おんおんいもいもいもうとなればうとなればうとなれば、、、このこのこの入道にふだう入道にふだうにゅうどう殿どの殿どのどのにににははは、、、御おん御おんおんをばをばをばにあたらせにあたらせにあたらせ給たま給たまたまふぞかしふぞかしうぞかし。。。
  5. 5長月ながつき長月ながつきながつきにににははは中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐう御產ごさん御產ごさんごさんときこえさせときこえさせときこえさせ給たま給たまたまひてひていて、、、うみたてまつらせたまふうみたてまつらせたまふうみたてまつらせたまう。。。左衞門さゑもん左衞門さゑもんさえもんノノノ督かみ督かみかみときこえときこえときこえ給たま給たまたまひしがひしがいしが家いへ家いへいえをぞをぞをぞ、、、うぶやにうぶやにうぶやにはせさせはせさせはせさせ給たま給たまたまへりしへりしえりし。。。
  6. 6男をとこ男をとこおとこ宮みや宮みやみやにおはしまさぬにおはしまさぬにおわしまさぬははは、、、くちをしけれどくちをしけれどくちおしけれど、、、御おん御おんおんうぶやしなひなどうぶやしなひなどうぶやしないなど、、、心こころ心こころこころことにいとめでたくことにいとめでたくことにいとめでたく、、、ことわりとことわりとことわりと申まう申まうもうしながらしながらしながら聞きこ聞きこきこえええ侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。このこのこの姫宮ひめみや姫宮ひめみやひめみやははは後冷泉院ごれいぜいゐん後冷泉院ごれいぜいゐんごれいぜいいんのきさきのきさきのきさき、、、二條にでう二條にでうにじょうノノノ院ゐん院ゐんいんととと申まう申まうもうしゝしゝしし御事おほんこと御事おほんことおおんことなりなりなり。。。
  7. 7東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうににに始はじ始はじはじめてまゐらせめてまゐらせめてまいらせ給たま給たまたまひけるころひけるころいけるころ、、、ののの辨べん辨べんべん見み見みみたてまつりてたてまつりてたてまつりて、、、
  8. 8春每はるごと春每はるごとはるごとのののののの日ひ日ひひはははおほくおほくおおく過す過すすぎぬれどかゝるぎぬれどかゝるぎぬれどかかるののの松まつ松まつまつはははみざりきみざりきみざりき
  9. 9とぞよめりけるとぞよめりけるとぞよめりける。。。同おな同おなおなじじじ四年よねん四年よねんよねん正月しやうぐわつ正月しやうぐわつしょうがつにににははは、、、上東門院じやうとうもんゐん上東門院じやうとうもんゐんじょうとうもんいんににに年とし年としとしののの初はじめ初はじめはじめのみゆきありてのみゆきありてのみゆきありて朝覲てうきん朝覲てうきんちょうきんののの御拜ごはい御拜ごはいごはいせさせたまひきせさせたまひきせさせたまいき。。。常つね常つねつねののの所ところ所ところところよりもよりもよりも御おん御おんおんすまひすまひすまい有樣ありさま有樣ありさまありさま、、、いといといとはははえばえしくえばえしくえばえしく、、、唐繪からゑ唐繪からゑからえなどのやうになどのやうになどのように、、、山やま山やまやまののの色いろ色いろいろ水みづ水みづみずのみどりのみどりのみどり、、、木こ木ここだちたてだちたてだちたて石いし石いしいしなどいとおもしろきになどいとおもしろきになどいとおもしろきに、、、位くらゐ位くらゐくらいにしたがへるにしたがへるにしたがえる色々いろいろ色々いろいろいろいろののの衣ころも衣ころもころもののの袖そで袖そでそで、、、近衞司こんゑづかさ近衞司こんゑづかさこんえづかさののの、、、などなどなど、、、めもあやなるにめもあやなるにめもあやなるに、、、きぬのきぬのきぬの色いろ色いろいろまじはれるうちよりまじはれるうちよりまじわれるうちより、、、唐から唐からからのまひのまひのまい、、、こまのこまのこまの舞人まひびと舞人まひびとまいびと、、、左右さいう左右さいうさゆうかた〴〵にかた〴〵にかたがたに袖そで袖そでそでふるふるふるほどなどほどなどほどなど、、、所ところ所ところところにににはははえておもしろしなどもえておもしろしなどもえておもしろしなども、、、言葉ことば言葉ことばことばももも及およ及およおよばずなむばずなむばずなむ侍はべ侍はべはべりけるりけるりける。。。
  10. 10霜月しもつき霜月しもつきしもつきにににははは入道にふだう入道にふだうにゅうどうおほきおとゞおほきおとゞおおきおとど御病おほんやまひ御病おほんやまひおおんやまいひひひ重おも重おもおもらせたまひてらせたまひてらせたまいて、、、千人せんにん千人せんにんせんにんのののとかやいひてとかやいひてとかやいいて、、、法師ほふし法師ほふしほうしになるべきになるべきになるべき人ひと人ひとひとののの數かず數かずかずののの、、、ふみたまはらせふみたまはらせふみたまわらせ給たま給たまたまふときこえふときこえうときこえ侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。
  11. 11法成寺ほふじやうじ法成寺ほふじやうじほうじょうじにおはしませにおはしませにおわしませははは、、、そのそのその御寺みてら御寺みてらみてらににに行幸ぎやうかう行幸ぎやうかうぎょうこうありてありてありて、、、とぶらひたてまつらせとぶらひたてまつらせとぶらいたてまつらせ給たま給たまたまふふう。。。御誦經みずきやう御誦經みずきやうみずきょう御布施おほんふせ御布施おほんふせおおんふせなどなどなど、、、さま〴〵きこえさま〴〵きこえさまざまきこえはべりきはべりきはべりき。。。東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうにもにもにも行啓ぎやうけい行啓ぎやうけいぎょうけいせさせせさせせさせ給たま給たまたまふふう。。。
  12. 12御おん御おんおんうまごうまごうまご內うち內うちうち東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうにおはしませばにおはしませばにおわしませば、、、御病おほんやまひ御病おほんやまひおおんやまいひのひのひの折節をりふし折節をりふしおりふしにつけてもにつけてもにつけても、、、御榮おほんさか御榮おほんさかおおんさかえのめでたさえのめでたさえのめでたさ、、、昔むかし昔むかしむかしもかゝるもかゝるもかかる類たぐ類たぐたぐひやひやひやははは侍はべ侍はべはべりけむりけむりけむ。。。しはすのしはすのしわすの四日よか四日よかよかににに入道にふだう入道にふだうにゅうどう殿どの殿どのどのかくれさせかくれさせかくれさせ給たま給たまたまひぬればひぬればいぬれば、、、年とし年としとしもかはりてもかはりてもかわりて、、、春はる春はるはるのののはじめのはじめのはじめの節會せちゑ節會せちゑせちえなどもとゞまりてなどもとゞまりてなどもとどまりて、、、位くらゐ位くらゐくらいなどたまはするなどたまはするなどたまわする事こと事ことことももも、、、程ほど程ほどほどすぎてぞすぎてぞすぎてぞ侍はべ侍はべはべりけるりけるりける。。。
  13. 13長元ちやうげん長元ちやうげんちょうげん二年にねん二年にねんにねんきさらぎのきさらぎのきさらぎの二日ふつか二日ふつかふつか、、、中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐう又また又またまた宮みや宮みやみやうみたてまつらせうみたてまつらせうみたてまつらせ給たま給たまたまへりへりえり。。。このこのこの姫宮ひめみや姫宮ひめみやひめみやははは後三條院ごさんでうゐん後三條院ごさんでうゐんごさんじょういんのきさきにおはしますのきさきにおはしますのきさきにおわします。。。二人ふたり二人ふたりふたりののの姫宮ひめみや姫宮ひめみやひめみやたちたちたち、、、二代にだい二代にだいにだいののの帝みかど帝みかどみかどののの后きさき后きさききさきにおはしますにおはしますにおわします、、、いといといとかひ〴〵しきかひ〴〵しきかいがいしき御有樣おほんありさま御有樣おほんありさまおおんありさまなりなりなり。。。
  14. 14六年ろくねん六年ろくねんろくねん霜月しもつき霜月しもつきしもつきににに、、、たかつかさたかつかさたかつかさ殿どの殿どのどののののののの御賀おほんが御賀おほんがおおんがせさせせさせせさせ給たま給たまたまふとてふとてうとて、、、女院にようゐん女院にようゐんにょういん中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐう關白殿くわんぱくどの關白殿くわんぱくどのかんぱくどの內うち內うちうちのおのおのおほいどのほいどのほいどの、、、かた〴〵かた〴〵かたがた營いとな營いとないとなませませませ給たま給たまたまひきひきいき。。。童舞わらはまひ童舞わらはまひわらわまいなどいとなどいとなどいとうつくしくてうつくしくてうつくしくて、、、まだいまだいまだいはははけなきけなきけなき御齡おほんよはひ御齡おほんよはひおおんよわいどもにどもにどもに、、、からからから人ひと人ひとひとののの袖そで袖そでそでふりふりふり給たま給たまたまふふう有樣ありさま有樣ありさまありさま、、、いとらうありていとらうありていとろうありて、、、いかばかりかいかばかりかいかばかりか侍はべ侍はべはべりけむりけむりけむ。。。
  15. 15又また又またまたののの日ひ日ひひ內うち內うちうちににに召め召めめしてしてして、、、きのきのきのふのまひどもふのまひどもふのまいども御ご御ごごらんぜさせらんぜさせらんぜさせ給たま給たまたまへりへりえり。。。まひまひまい人ひと人ひとひと雲くも雲くもくものののうへゆるさるゝうへゆるさるゝうえゆるさるる人々ひとびと人々ひとびとひとびとときこえときこえときこえ侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。舞まひ舞まひまいののの師し師ししもつかさもつかさもつかさ給たま給たまたまはははりてりてりて、、、近衞こんゑ近衞こんゑこんえのまつりごとのまつりごとのまつりごと人ひと人ひとひとなどなどなど、、、加くは加くはくわへさせへさせえさせ給たま給たまたまひけりとなむひけりとなむいけりとなむ。。。
  16. 16かのかのかの御賀おほんが御賀おほんがおおんがののの屛風びやうぶ屛風びやうぶびょうぶににに、、、のところのところのところををを、、、衞門ゑもん衞門ゑもんえもんがよめるがよめるがよめる、、、
  17. 17紫むらさき紫むらさきむらさきののの袖そで袖そでそでをををつらねてきたるかなつらねてきたるかなつらねてきたるかな春はる春はるはるたつことたつことたつことはははこれぞこれぞこれぞうれしきうれしきうれしき
  18. 18又また又またまた子こ子ここののの日ひ日ひひかきたるかきたるかきたる所ところ所ところところよめるよめるよめる歌うた歌うたうたももも、、、いうにきこえいうにきこえいうにきこえ侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。
  19. 19萬代よろづよ萬代よろづよよろずよのののはじめにはじめにはじめに君きみ君きみきみががが引ひ引ひひかるればかるればかるれば子こ子ここののの日ひ日ひひののの松まつ松まつまつもももうらやみやせむうらやみやせむうらやみやせむ
  20. 20おなじきおなじきおなじき九年くねん九年くねんくねんやよひのやよひのやよいの十日とをか十日とをかとおかあまりのあまりのあまりの程ほど程ほどほどよりよりより、、、うへのうへのうえの御惱おほんなや御惱おほんなやおおんなやみときこえさせみときこえさせみときこえさせ給たま給たまたまひてひていて、、、神々かみがみ神々かみがみかみがみにみてぐらにみてぐらにみてぐら奉たてまつ奉たてまつたてまつらせらせらせ給たま給たまたまへるへるえる、、、さま〴〵のさま〴〵のさまざまの御祈おほんいの御祈おほんいのおおんいのりきこえりきこえりきこえ侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。
  21. 21殿上人てんじやうびと殿上人てんじやうびとてんじょうびと御使おほんつかひ御使おほんつかひおおんつかいにてにてにて、、、左右さいう左右さいうさゆうののの御馬みま御馬みまみまなどなどなど引ひ引ひひかれかれかれ侍はべ侍はべはべりけりりけりりけり。。。御年おほんとし御年おほんとしおおんとしみそぢにだにみそぢにだにみそじにだに、、、いまいまいま一ひと一ひとひとつたらせつたらせつたらせ給たま給たまたまはぬはぬわぬ、、、いとあたらしいとあたらしいとあたらし。。。されどされどされど廿年にじふねん廿年にじふねんにじゅうねんたもたせたもたせたもたせ給たま給たまたまふふう、、、すゑのすゑのすえの世よ世よよにありがたくにありがたくにありがたく聞き聞ききこえさせたまひきこえさせたまひきこえさせたまいき。。。
  22. 22まだおはしますまだおはしますまだおわします有樣ありさま有樣ありさまありさまにてにてにて、、、御おん御おんおんおとうとのおとうとのおとうとの東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうににに、、、位くらゐ位くらゐくらい讓ゆづ讓ゆづゆずりりり申まう申まうもうさせさせさせ給たま給たまたまふさまなりけりふさまなりけりうさまなりけり。。。後のち後のちのちののの御事おほんこと御事おほんことおおんことののの、、、よそほしかるべきによりてよそほしかるべきによりてよそおしかるべきによりて、、、位くらゐ位くらゐくらいおりさせたまふおりさせたまふおりさせたまう心こころ心こころこころなるへしなるへしなるべし。。。
  23. 23をのこをのこおのこ御子みこ御子みこみこのおはしまさぬぞくちをしきのおはしまさぬぞくちをしきのおわしまさぬぞくちおしき。。。いづれのいづれのいずれの秋あき秋あきあきにかにかにか侍はべ侍はべはべりけむりけむりけむ。。。菊きく菊きくきくののの花はな花はなはな星ほし星ほしほしににに似に似ににたりといふたりといふたりという題だい題だいだいののの御製ぎよせい御製ぎよせいぎょせい、、、からのからのからの御言みこと御言みことみことのののははは聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。
  24. 24司天記取葩稀色してんにはしるしとるはなのまれなるいろ司天記取葩稀色してんにはしるしとるはなのまれなるいろしてんにはしるしとるはなのまれなるいろ、、、分野望看露冷光ぶんやにはのぞみみるつゆのすさまじきひかり分野望看露冷光ぶんやにはのぞみみるつゆのすさまじきひかりぶんやにはのぞみみるつゆのすさまじきひかり
  25. 25とかとかとか人ひと人ひとひとのかたりのかたりのかたり侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。御才おほんざえ御才おほんざえおおんざえもかしこくおはしけるにやもかしこくおはしけるにやもかしこくおわしけるにや。。。ににに、、、此こ此ここのみかどののみかどののみかどの御影みえい御影みえいみえいおはしましけるおはしましけるおわしましけるををを、、、出羽いでは出羽いではいでわののの辨べん辨べんべんがよめりけるがよめりけるがよめりける。。。
  26. 26いかにしていかにしていかにしてうつしとめけむうつしとめけむうつしとめけむ雲居くもゐ雲居くもゐくもいにてあかずかくれしにてあかずかくれしにてあかずかくれし月つき月つきつきののの光ひかり光ひかりひかりををを
  27. 27かのかのかの菩提樹院ぼだいじゆゐん菩提樹院ぼだいじゆゐんぼだいじゅいんははは、、、二條院にでうゐん二條院にでうゐんにじょういんののの御堂みだう御堂みだうみどうなればなればなれば、、、御志おほんこころざし御志おほんこころざしおおんこころざしのあまりにのあまりにのあまりに、、、父ちゝ父ちゝちちのみかどののみかどののみかどの御おん御おんおんすがたすがたすがたをををかきとゞめてかきとゞめてかきとどめて、、、置お置おおききき奉たてまつ奉たてまつたてまつらせたまひけるなるべしらせたまひけるなるべしらせたまいけるなるべし。。。おもひやりおもひやりおもいやり參まゐ參まゐまいらするもらするもらするも、、、いとあはれにいとあはれにいとあわれに悲かな悲かなかなしくこそしくこそしくこそはべれはべれはべれ。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

万寿三年正月十九日、太皇太后宮(彰子)が出家なさいました。后の御名もおやめになって、上東門院と申し上げました。四十歳にもまだならないのに、たいそう賢明に世をお捨てになりました。めでたいことにも、しみじみとしたことにも、世間ではお噂申し上げました。大斎院と申し上げた選子内親王が、このことをお聞きになって、詠んで差し上げたお歌、

君はしもまことの道に入りぬなりひとりや永きやみに惑はむ

この斎院は、村上天皇の皇后宮(安子)がお産みになった方なのです。東三条殿(兼家)の御妹ですので、この入道殿(道長)には叔母にあたられるのです。九月には中宮(威子)の御出産があって、姫宮をお産みになります。左衛門督兼隆と申し上げた方の家を、御産所になさいました。男宮でいらっしゃらないのは残念でしたが、御産屋の儀式などは格別に、まことにめでたく、当然のことながら世に聞こえておりました。この姫宮は後冷泉院の后、二条院と申し上げた方のことです。東宮に初めて入内なさったころ、出羽弁がお見かけして、

春每の子の日はおほく過ぎぬれどかゝる二葉の松はみざりき

と詠みました。同じ四年正月には、上東門院に年の初めの行幸があって、朝覲の拝礼をなさいました。ふつうの所よりも御住まいの様子がたいそう晴れやかで、唐絵などのように、山の色、水の緑、木立や立てた石などがたいそう趣深いところに、位に応じた色とりどりの衣の袖、近衛府の平胡籙や平緒などが目もまばゆいほどで、衣の色が入りまじる中から、唐楽の舞、高麗楽の舞人が左右それぞれに袖をひるがえす様子など、場所に映えて見事なことも、言葉では言い尽くせないほどでした。

十一月には入道太政大臣(道長)の御病気が重くなられて、千人の度者とかいって、法師になってよい人の数を許す文書をお与えになったと聞いております。法成寺にいらしたので、その御寺に行幸があって、お見舞い申し上げなさいます。御誦経や御布施など、さまざまに聞こえました。東宮も行啓なさいます。御孫が帝と東宮でいらっしゃるので、御病気の折につけても、そのお栄えのめでたさは、昔もこのような例があったでしょうか。十二月四日に入道殿がお亡くなりになったので、年が改まっても、春の初めの節会なども中止になり、位をお与えになることも、時期が過ぎてから行われました。長元二年二月二日、中宮がまた姫宮をお産みになりました。この姫宮は後三条院の后でいらっしゃいます。お二人の姫宮が、二代の帝の后でいらっしゃるとは、まことに甲斐のあるご様子です。六年十一月に、鷹司殿(倫子)の七十の御賀をなさるということで、女院・中宮・関白殿・内大臣殿が、それぞれご準備なさいました。童舞などもたいそうかわいらしく、まだ幼いお年ごろで唐の舞の袖をひるがえされる様子は、たいそう巧みで、どれほどのものでありましたでしょう。翌日、宮中に召して、昨日の舞をご覧になりました。舞人は昇殿を許された人々だったと聞いております。舞の師も官職を賜って、近衛府の将監などに加えられたということです。その御賀の屏風に、臨時客の場面を、赤染衛門が詠んだ歌、

紫の袖をつらねてきたるかな春たつことはこれぞうれしき

また、子の日の様子を描いた所を詠んだ歌も、優雅だと評判になりました。

萬代のはじめに君が引かるれば子の日の松もうらやみやせむ

同じ九年三月の十日過ぎのころから、帝の御病気ということで、神々に幣帛を奉られ、さまざまな御祈祷が行われたと聞いております。殿上人が御使となって、左右の御馬なども引かれました。御年は三十にもまだ一つ足りないのが、まことに惜しいことです。けれども二十年も世をお治めになったのは、末世にはめったにないことと評判になりました。まだご存命のうちに、御弟の東宮に位をお譲りになった形になさいました。御葬儀などが格式あるものでなければならないので、位をお下りになったということにされたのでしょう。男の御子がいらっしゃらなかったのが残念です。いつの秋のことでしたか、「菊の花星に似たり」という題の御製の漢詩が聞こえてまいりました。

司天記取葩稀色、分野望看露冷光(天文の役人は、菊の花のまれな色を星として記録し、星の区分を見る者は、露のすさまじい光をながめる)

と人が語っておりました。御学才もすぐれていらっしゃったのでしょうか。菩提樹院に、この帝の御影(肖像)が置かれていたのを、出羽弁が詠んだ歌、

いかにしてうつしとめけむ雲居にてあかずかくれし月の光を

その菩提樹院は二条院(章子内親王)の御堂ですので、ご孝心のあまりに、父帝のお姿を描きとどめて、お置き申し上げなさったのでしょう。思いやり申し上げるにつけても、まことにしみじみと悲しいことでございます。

意訳

彰子は三十九歳で出家し、女院号を受けて上東門院となる。天皇の母が女院となった例は、一条天皇の母詮子(東三条院)に次ぐもので、出家後も女院として宮廷に重きをなした。叔母にあたる大斎院選子は、仏の道に入った彰子を祝しつつ、斎院として仏事を避けねばならない自分は長い闇に迷うのかと嘆く歌を贈る。

威子の産んだ章子内親王・馨子内親王は、それぞれ後冷泉天皇・後三条天皇の后となった。語り手は男皇子がないことを惜しみながらも、二人の姫宮が二代の后となったことを「かひがひしき御有樣」とたたえる。出羽弁の歌は、幼い章子を「二葉の松」にたとえ、長い将来を祝っている。

道長の死、倫子の七十の賀、そして後一条天皇の崩御と、一つの時代の終わりが語られる。天皇は在位のまま亡くなったが、葬送の礼を整えるために、生前に譲位した形がとられた。章の終わりは、娘の章子が菩提樹院に父帝の御影を安置したことを、出羽弁の歌とともにしみじみと語る。

語釈・文法注

御さまかへさせたまひき
出家なさった。彰子は万寿三年(1026)、三十九歳で出家し、上東門院の院号を受けた。
選子內親王
選子内親王(964〜1035)。村上天皇の皇女。五代の天皇にわたり五十七年間賀茂の斎院を勤め、大斎院と呼ばれた。
東三條殿
藤原兼家(929〜990)。道長の父。選子の母安子は兼家の姉。
兼隆
藤原兼隆(985〜1053)。道兼の子。
うぶや
産屋。出産のための建物・部屋。また誕生後の祝いの儀式。
姫宮
章子内親王(1026〜1105)。後冷泉天皇の中宮。のちに二条院の院号を受けた。
出羽の辨
出羽弁。出羽守平季信の娘で、彰子・威子・章子に仕えた女房歌人。
二葉の松
芽生えたばかりの松。幼い人の長い将来を祝っていう。
平胡籙
矢を入れて背負う武具の一種。儀式のときに近衛の官人が用いた。
平緒
束帯で太刀を帯びるときに用いる平たい組紐の帯。
度者
出家して僧になることを許された者。病気平癒を祈って多くの度者を出した。
ひめ宮
馨子内親王(1029〜1093)。後三条天皇の中宮。
七十の御賀
倫子の七十歳の祝い。長元六年(1033)に行われた。
臨時客
正月二日ごろ、摂関家などが公卿・殿上人を招いて催す宴。
あかぞめの衞門
赤染衛門。倫子・彰子に仕えた女房歌人。大江匡衡の妻。『栄花物語』正編の作者ともいわれる。
子の日
正月の最初の子の日に、野に出て小松を引き若菜を摘み、長寿を祈る行事。
菩提樹院
章子内親王が建てた寺。後一条天皇の御影を安置した。

文法

君はしも
「しも」は強意の副助詞。あなたこそは、の意。
おはしませは
底本は「おはしませは」と濁点を付けないが、「おはしませば」(已然形+ば)の意。
心なるへし
底本は濁点を付けないが、「心なるべし」。

和歌

君はしもまことの道に入りぬなりひとりや永きやみに惑はむ

詠者
選子内親王(大斎院)
状況
彰子の出家を聞いて贈った歌。斎院は神に仕える身として仏事を避けねばならず、仏道に入れない自分を嘆いている。

修辞

対比
「まことの道に入りぬ」彰子と、「ひとりや永きやみに惑はむ」自分とを対比する。
永きやみ
仏の救いのない長い迷いの闇(長夜の闇)。

春每の子の日はおほく過ぎぬれどかゝる二葉の松はみざりき

詠者
出羽弁
状況
章子内親王が東宮(後冷泉)に入内したころ、その幼い姿を見て詠んだ歌。

修辞

見立て
幼い章子を、子の日に引く「二葉の松」にたとえ、長寿と繁栄を祝う。

紫の袖をつらねてきたるかな春たつことはこれぞうれしき

詠者
赤染衛門
状況
倫子の七十の賀の屏風の、臨時客の場面に添えた歌。

修辞

紫の袖
四位以上の公卿の着る紫の袍の袖。高官たちが列をなして年賀に来るさまをいう。

萬代のはじめに君が引かるれば子の日の松もうらやみやせむ

詠者
赤染衛門
状況
同じ屏風の、子の日の小松引きの場面に添えた歌。

修辞

擬人法
万代の長寿の始まりに君(倫子)が引かれるので、千年を生きる子の日の松さえうらやむだろうと、倫子の長寿を祝う。

いかにしてうつしとめけむ雲居にてあかずかくれし月の光を

詠者
出羽弁
状況
菩提樹院に安置された後一条天皇の御影を見て詠んだ歌。

修辞

見立て
若くして崩御した天皇を、雲の上で名残惜しくも隠れた月の光にたとえる。
掛詞
「うつし」は、絵に写す意と、月の光を映す意をかける。

解説

章題の「子の日」は、倫子の七十の賀の屏風の、子の日の小松引きを詠んだ歌による。章の前半には彰子の出家、後半には道長の死と後一条天皇の崩御が語られ、道長の栄華の時代が終わりを迎えていく。

後一条天皇は在位のまま崩御したが、喪を秘して譲位の儀を行い、上皇として葬送された。これは「如在の儀」と呼ばれ、天皇の葬送を上皇の礼で整えるための便法である。今鏡が「位讓り申させ給ふさまなりけり」と語るのは、この事情をさしている。

今鏡には、天皇や宮廷の人々の和歌が多く引かれる。この章でも選子内親王・出羽弁・赤染衛門の歌がそれぞれの場面を彩り、出来事の記録に情感を添えている。

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出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、14〜18頁(コマ22–24)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日