古典ライブラリー

百人一首 第24首

此たびは

菅家(菅原道真)(かんけ(すがわらのみちざね))

今度の旅は急なことで、神に捧げる幣(ぬさ)も用意できなかった。手向山の美しい紅葉を幣の代わりにお受けください、神の御心のままに。

上皇の御幸の供をする道中、紅葉に彩られた手向山の峠で神前に立ち、紅葉の枝を捧げる菅原道真(AI生成)
上皇の御幸の供をする道中、紅葉に彩られた手向山の峠で神前に立ち、紅葉の枝を捧げる菅原道真
  1. 1ははは初句
  2. 2もももとりとりとりあへあへあえ二句
  3. 3三句
  4. 4紅葉もみぢ紅葉もみぢもみじののの四句
  5. 5神かみ神かみかみののの結句

引用の仕方

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現代語訳

今度の旅は急なことで、神に捧げる幣を用意することもできなかった。手向山の錦のように美しい紅葉を、幣の代わりに捧げますので、どうか神の御心のままにお受け取りください。

意訳

宇多上皇の旅のお供をして、峠の神に旅の安全を祈る場面の歌である。本来なら色とりどりの布や紙で作った幣を捧げるところだが、急な旅で用意ができなかった。そこで、目の前に広がる錦のような紅葉そのものを、神への捧げ物にしようというのである。

人の手で作った幣よりも、自然が織りなした紅葉の錦のほうがはるかに美しい。神もきっと喜んでくださるだろう。謙遜しながらも、山の紅葉の見事さを大胆にたたえた、学者らしい機知と風格のある歌である。のちに大宰府へ流され、天神として祀られることになる道真の、栄光の時代の一首でもある。

語釈・文法注

此たび
「この度(今回)」と「この旅」の掛詞。
ぬさ
「幣」。旅の途中、道の神(道祖神)に安全を祈って捧げる品。布や紙を細かく切ったもの。
とりあへず
用意することができない。急なことで準備が間に合わない。
手向山
神に幣を手向ける(捧げる)山。特定の地名とする説(奈良の手向山八幡宮のあたり)と、峠一般を指すとする説がある。
紅葉のにしき
色とりどりの紅葉を、美しい模様の絹織物「錦」にたとえた表現。
まにまに
「〜のままに」「〜の御心に任せて」。

文法

掛詞(此たび)
「この度」と「この旅」を掛ける。
見立て
紅葉を錦に、そして幣に見立てる。
体言止め(神のまにまに)
「まにまに」で言いさして結び、「お受けください」の意を余韻として残す。

和歌

詠者
菅家(菅原道真)(845–903)
平安時代前期の学者・政治家・漢詩人。宇多天皇に重用されて右大臣に至ったが、藤原時平の讒言によって大宰府に左遷され、その地で没した。死後、天満天神として祀られ、学問の神として信仰されている。「菅家」は菅原家の主人を敬って呼ぶ名。
出典
『古今和歌集』巻九・羇旅・420(国歌大観番号)
状況
詞書に「朱雀院の奈良におはしましける時に、手向山にてよみける」とある。898年、宇多上皇(朱雀院)が奈良・吉野方面へ御幸したときに供をして詠んだ。

修辞

掛詞
「此たび(この度・この旅)」。
見立て
紅葉を錦・幣に見立てる。

解説

『百人一首一夕話』は、朱雀院(宇多上皇)が奈良におでかけになったときの御供で、手向山で詠まれた歌であることを記している。

道真は学者の家に生まれ、文章博士を経て宇多天皇の信任を得、異例の出世を遂げた。894年には遣唐使の停止を進言している。宇多天皇の譲位後、醍醐天皇のもとで右大臣となったが、901年、左大臣藤原時平らにより大宰権帥に左遷され、二年後に大宰府で没した。

道真の死後、都では落雷や疫病が相次ぎ、道真の怨霊のしわざとして恐れられた。そのため北野天満宮が建てられ、天神として祀られるようになった。やがて怨霊としてではなく、学問・詩歌の神として信仰されるようになった。

関連

出典

底本
尾崎雅嘉『百人一首一夕話』 天保4年(1833)刊、巻3。国立国会図書館デジタルコレクション
校合
古谷知新編『日本歴史図会』第12輯(百人一首一夕話) 国民図書、大正9–10年。国立国会図書館デジタルコレクション
松下大三郎・渡辺文雄編『国歌大観』歌集部 明治34–36年
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日