方丈記 第7章
仮の庵の暮らし
住み始めて五年、庵は古びたが、都の火事や貴人の死を伝え聞くにつけ、仮の庵だけは心配がない。やどかりやみさごのように身の程を知り、人のためでなく自分のために庵を結んだ作者は、友や召使いを持たず、自分の手足を使い、自分の体をいたわって暮らすことの気楽さを説く。

- 1大大おおかたかたかた此此この所所ところににに住住すみみみそめそめそめししし時時ときははは、、、とととおもひおもひおもいしかしかしかどどど、、、今今いままでまでまでににに五五いつとせとせとせををを經經へたりたりたり。。。假假かりののの庵庵いおりもももやゝやゝややふるふるふる屋屋やとととなりなりなりててて、、、軒軒のきにににはははくちくちくちばばばふかくふかくふかく、、、土土つち居居いににに苔苔こけむせむせむせりりり。。。
- 2おのづからおのづからおのずから事事ことのののたよりたよりたよりににに都都みやこををを聞聞きけけけばばば、、、このこのこの山山やまにににこもりこもりこもり居居いててて後後のち、、、やごとなきやごとなきやごとなき人人ひとののの、、、かくれかくれかくれ給給たまへへえるるるもももあまたあまたあまた聞聞きこゆゆゆ。。。ましてましてましてそのそのその數數かずならならならぬぬぬたぐひたぐひたぐい、、、つくしつくしつくしてててこれこれこれををを知知しるるるべからべからべからずずず。。。たびたびたびたびたびたびののの炎炎えん上上しょうにににほろびほろびほろびたるたるたる家家いえ、、、またまたまたいくそばくいくそばくいくそばくぞぞぞ。。。
- 3たゞたゞただかりかりかりののの庵庵いおりのみのみのみ、、、のどけくのどけくのどけくしてしてしておそれおそれおそれなしなしなし。。。ほどほどほどせばしせばしせばしととといへいへいえどもどもども、、、夜夜よる臥臥ふすすす床床とこありありあり、、、ひるひるひる居居いるるる座座ざありありあり。。。一一いつ身身しんをををやどすやどすやどすににに不不ふ足足そくなしなしなし。。。
- 4はははちひさきちひさきちいさき貝貝かいをををこのむこのむこのむ、、、これこれこれよくよくよく身身みをををしるしるしるににによりよりよりてててなりなりなり。。。ははは荒荒あら磯磯いそににに居居いるるる、、、則則すなわちちち人人ひとをををおそるゝおそるゝおそるるががが故故ゆえなりなりなり。。。我我われまたまたまたかくかくかくのののごとしごとしごとし。。。身身みををを知知しりりり世世よををを知知しれれれらららばばば、、、願願ねがははわずずずまじらはまじらはまじらわずずず、、、たゞたゞただしづかしづかしずかなるなるなるをををのぞみのぞみのぞみとととししし、、、うれへうれへうれえなきなきなきをををたのしみたのしみたのしみとととすすす。。。
- 5すべてすべてすべて世世よののの人人ひとののの、、、すみかすみかすみかををを作作つくるるるならひならひならい、、、かならずしもかならずしもかならずしも身身みのののためためためにににはははせせせずずず。。。或或あるいははは妻妻さい子子し眷眷けん屬屬ぞくのののためためためににに作作つくりりり、、、或或あるいははは親親しん昵昵じつ朋朋ほう友友ゆうのののためためためににに作作つくるるる。。。或或あるいははは主主しゅ君君くん、、、師師し匠匠しょうおよびおよびおよび財財ざい寶寶ほう馬馬うま牛牛うしのののためためためにににさへさへさへこれこれこれをををつくるつくるつくる。。。
- 6我我われ今今いま、、、身身みのののためためためにににむすべむすべむすべりりり、、、人人ひとのののためためためににに作作つくらららずずず。。。ゆゑゆゑゆえいかんいかんいかんとととなれなれなればばば、、、今今いまののの世世よのののならひならひならい、、、このこのこの身身みのののありさまありさまありさま、、、ともなふともなふともなうべきべきべき人人ひともももなくなくなく、、、たのむたのむたのむべきべきべきやつこやつこやつこもももなしなしなし。。。たとひたとひたとい廣廣ひろくくく作作つくれれれりりりともともとも、、、誰誰たれをををかかかやどしやどしやどし、、、誰誰たれをををかかかすゑすゑすえむむん。。。
- 7それそれそれ人人ひとののの友友ともたるたるたるものものものははは富富とめめめるるるをををたふとみたふとみとうとみ、、、ねんごろねんごろねんごろなるなるなるををを先先さきとととすすす。。。かならずしもかならずしもかならずしも情情なさけあるあるあるととと、、、すぐすぐすぐなるなるなるとととをををばばば愛愛あいせせせずずず、、、たゞたゞただ絲絲し竹竹ちく花花かををを友友ともとととせせせむむんにににはははしかしかしかじじじ。。。
- 8人人ひとのののやつこやつこやつこたるたるたるものものものははは賞賞しょう罰罰ばつのののはなはだしきはなはだしきはなわだしきををを顧顧かえりみみみ、、、恩恩おんののの厚厚あつさささををを重重おもくくくすすす。。。更更さらにににはごくみはごくみはごくみあはれぶあはれぶあわれぶととといへいへいえどもどもども、、、やすくやすくやすく閑閑しずかなるなるなるをををばばばねがはねがはねがわずずず、、、たゞたゞただ我我わががが身身みををを奴奴ぬ婢婢ひとととするするするにににはははしかしかしかずずず。。。
- 9もしもしもしなすなすなすべきべきべきことことことあれあれあればばば、、、すなはちすなはちすなわちおのづからおのづからおのずから身身みをををつかふつかふつかう。。。たゆからたゆからたゆからずずずしもしもしもあらあらあらねねねどどど、、、人人ひとをををしたがへしたがへしたがえ、、、人人ひとをををかへりみるかへりみるかえりみるよりよりよりはははやすしやすしやすし。。。もしもしもしありくありくありくべきべきべきことことことあれあれあればばば、、、みづからみづからみずから步步あゆむむむ。。。くるしくるしくるしととといへいへいえどもどもども、、、馬馬うま鞍鞍くら牛牛ぎっ車車しゃととと心心こころをををなやますなやますなやますにににはははしかしかしかずずず。。。
- 10今今いまひとひとひと身身みをををわかちわかちわかちててて。。。二二ふたつつつののの用用ようをををなすなすなす。。。手手てのののやつこやつこやつこ、、、足足あしののののりのりのり物物もの、、、よくよくよくわがわがわが心心こころにににかなへかなへかなえりりり。。。心心こころまたまたまた身身みのののくるしみくるしみくるしみををを知知しれれれゝゝればばば、、、くるしむくるしむくるしむ時時ときはははやすめやすめやすめつつつ、、、まめまめまめなるなるなる時時ときはははつかふつかふつかう。。。つかふつかふつかうとてとてとてもももたびたびたびたびたびたび過過すぐさささずずず、、、ものものものうしうしうしとてとてとてももも心心こころをををうごかすうごかすうごかすことことことなしなしなし。。。
- 11いかにいかにいかにいはむやいはむやいわんや、、、常常つねにににありきありきありき、、、常常つねににに働働はたらくくくははは、、、これこれこれ養養よう生生じょうなるなるなるべしべしべし。。。なんぞなんぞなんぞいたづらいたづらいたずらにににやすみやすみやすみ居居おらららむむん。。。人人ひとををを苦苦くるしめしめしめ人人ひとををを惱惱なやますますますはははまたまたまた罪罪ざい業業ごうなりなりなり。。。いかゞいかゞいかが他他たののの力力ちからをををかるかるかるべきべきべき。。。
現代語訳
だいたいこの場所に住み始めたときは、ほんのしばらくのつもりだったが、今までにもう五年がたった。仮の庵もだんだん古い家になって、軒には朽ちた落ち葉が深く積もり、土台には苔がはえている。
たまたま何かのついでに都のことを聞くと、私がこの山にこもってから後、身分の高い方がお亡くなりになったことも、たくさん耳に入る。ましてそれほどでもない身分の人々は、とても数え尽くすことはできない。たび重なる火事で焼けた家も、またどれほどあることか。
ただ仮の庵だけは、のんびりとしていて心配がない。広さは狭いといっても、夜寝る床があり、昼に座る場所がある。この身一つを置くのに不足はない。
やどかりは小さい貝を好む。これは自分の身の程をよく知っているからである。みさごは荒磯に住む。それは人を恐れるからである。私もまたこのようなものである。自分の身の程を知り、世の中のことを知っているので、(富や名声を)願わず、(人と)交わらず、ただ静かであることを望みとし、心配のないことを楽しみとしている。
だいたい世の人が住まいを作るならわしは、必ずしも自分のためにするのではない。あるいは妻子や一族のために作り、あるいは親しい人や友のために作る。あるいは主君や師匠、さらには財宝や馬・牛のためにまで住まいを作る。
私は今、自分のために庵を結んだのであり、人のために作ったのではない。そのわけはなぜかといえば、今の世の中のありさまと、私の身の上では、連れ添うはずの人もなく、頼りにする召使いもいない。たとえ広く作ったとしても、誰を泊め、誰を住まわせようか。
そもそも人の友というものは、富んでいる人を尊び、親しく付き合ってくれる人を第一とする。必ずしも情けのある人や、まっすぐな人を愛するわけではない。それならただ音楽と自然の風物を友とするにこしたことはない。
人の召使いというものは、褒美や罰の厚いことを気にかけ、恩恵の多いことを重んじる。どんなに大事にしてかわいがってやっても、平穏でのんびりしていることなど望まない。それならただ自分の身を召使いとするにこしたことはない。
もしするべきことがあれば、すぐに自分の体を使う。疲れないわけではないが、人を従わせ、人の世話を気づかうよりは気楽である。もし出歩かなければならないことがあれば、自分の足で歩く。苦しいといっても、馬や鞍、牛車のことで心を悩ますのには及ばない。
今、自分の一つの体を分けて、二つの用をさせている。手という召使いと足という乗り物は、よく私の心にかなっている。心もまた体の苦しさを知っているので、苦しいときは休ませ、元気なときは使う。使うといってもたびたび度を越さず、気が進まないからといって心を動かすことはない。
まして、いつも歩き、いつも働くことは、そのまま健康のためになるだろう。どうしてむだに休んでいられようか。人を苦しめ、人を悩ますのはまた罪業である。どうして他人の力を借りてよいものか。
意訳
庵に住んで五年。仮のつもりの庵も古びたが、そのあいだに都では身分の高い人が次々に亡くなり、火事で多くの家が焼けた。立派な屋敷に住む人ほど失うものが多く、何も持たない仮の庵だけが「のどけくしておそれなし」。前半で語った災厄の都と、後半の山の庵が、ここで対比される。
やどかり(がうな)は身の丈に合った小さな貝に住み、みさごは人を恐れて荒磯に住む。作者は自分もそれと同じで、身の程と世の中を知っているから、望まず、交わらず、静かであることだけを楽しみにしていると言う。人は家を家族や友や主君や、果ては財宝や牛馬のためにまで作るが、自分は自分一人のために作った――この割り切りが、方丈の庵の思想の核である。
友は金持ちを尊び、召使いは褒美の多い主人を選ぶ。それなら音楽と自然を友とし、自分の手足を召使いとするほうがよい。疲れたら休み、元気なら働き、それがそのまま養生になる。人の世話を焼き、人に気をつかうことから解放された暮らしの気楽さが、軽やかな対句でつづられている。
語釈・文法注
- あからさま
- ほんのしばらく。かりそめ。
- がうな
- やどかり。
- みさご
- 鶚。海岸や湖に住む鷹の仲間の鳥で、魚をとって食べる。
- 絲竹花月
- 「絲竹」は弦楽器と管楽器、つまり音楽。「花月」は花と月、自然の風物。
文法
- 「身を知り世を知れらば」
- 「知れ」は「知る」の已然形(命令形とも)に、存続の助動詞「り」の未然形「ら」が付き、「ば」で仮定条件を示す形。ここは、知っているので、と確定の意に解するのが一般的である。
- 「誰をかやどし、誰をかすゑむ」
- 「か」は反語の係助詞で、結びは推量の助動詞「む」の連体形。誰を泊め、誰を住まわせようか、そんな人はいない。
- 「たゞ絲竹花月を友とせむにはしかじ」
- 「しかじ」は動詞「如く(しく)」の未然形+打消推量の助動詞「じ」。…に及ぶものはあるまい、…するのがいちばんだ。
- 「今ひと身をわかちて。二つの用をなす」
- 底本は「わかちて」のあとに句点を置く。意味の上では一続きに読む。
- 「いかゞ他の力をかるべき」
- 「いかゞ」は反語。どうして他人の力を借りてよいだろうか、いや借りるべきではない。
解説
「がうなはちひさき貝をこのむ」以下のやどかりとみさごのたとえは、身の丈に合った住まいを選ぶことの象徴として、よく知られている。このあたりの文章には、平安中期の慶滋保胤が書いた『池亭記』の影響が指摘されている。『池亭記』も、京の住宅事情を論じたあと、自分の小さな家での閑居の楽しみを述べた漢文の随筆である。
作者の言う「人のために作らず」は、単なる人間嫌いではない。家を持てば家族や召使いを養い、友や主君との付き合いのために見栄を張らねばならない。そうした人間関係のしがらみが、前半で語った災厄と同じように、人の心を悩ませるのだという主張である。
自分の手を召使い、足を乗り物とするという発想や、体をこまめに動かすことが養生になるという考えは、現代の「ミニマリスト」的な生き方にも通じるとして、近年あらためて注目されている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(方丈記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、551–553頁(コマ287–288)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日