古典ライブラリー

平家物語 灌頂巻

女院御出家の事

壇の浦から都に戻された建礼門院は、東山の麓、吉田のあたりにある荒れはてた僧坊に身を寄せた。文治元年五月一日、長楽寺の印誓上人を戒師として出家し、布施には形見として持ち帰った安徳天皇の御直衣を差し出した。かつては后として栄華をきわめた女院も、二十九歳で尼となったが、海に沈んだ人々の面影は身から離れず、眠れぬ夜を過ごした。軒近くの花橘に時鳥が鳴いて過ぎると、古歌を思い出して硯の蓋に書きつけた。生き残った女房たちも捕らえられて故郷に帰ったが、住まいは焼けて跡ばかりとなり、訪ねる人もなかった。

  1. 1建けん建けんけん禮れい禮れいれい門もん門もんもん院ゐん院ゐんいんははは東ひがし東ひがしひがし山やま山やまやまののの麓ふもと麓ふもとふもと、、、吉よし吉よしよし田だ田だだののの邊へん邊へんへんなるなるなる所ところ所ところところにににぞぞぞ立たち立たちたち入い入いいらららせせせ給たま給たまたまひひいけるけるける。。。中ちう中ちうちゅう納な納なな言ごん言ごんごんののの法ほふ法ほふほう印いん印いんいん慶きやう慶きやうきょう惠ゑ惠ゑえととと申まう申まうもうすすす奈な奈なな良ら良らら法ほふ法ほふほう師し師ししののの坊ばう坊ばうぼうなりなりなりけりけりけり。。。住す住すすみみみ荒あ荒ああらしらしらしててて年とし年としとし久ひさ久ひさひさしうしうしゅうなりなりなりけれけれければばば、、、庭には庭にはにはにににははは草くさ草くさくさ深ふか深ふかふかくくく、、、軒のき軒のきのきにににはははしのぶしのぶしのぶ茂しげ茂しげしげれれれりりり。。。簾すだれ簾すだれすだれ斷た斷たたえええ閨ねや閨ねやねやあらはあらはあらわにににててて、、、雨あめ雨あめあめ風かぜ風かぜかぜたまるたまるたまるべうべうびょうもももなしなしなし。。。花はな花はなはなはははいろ〳〵いろ〳〵いろいろにほへにほへにおえどもどもども、、、主ある主あるある人じ人じじととと賴たの賴たのたのむむむ人ひと人ひとひともももなくなくなく、、、月つき月つきつきははは夜よ夜よよな〳〵な〳〵なよなさしさしさし入い入いいれれれどもどもども、、、ながめながめながめてててあかすあかすあかす主ぬし主ぬしぬしもももなしなしなし。。。昔むかし昔むかしむかしははは玉たま玉たまたまののの臺うてな臺うてなうてなをををみがきみがきみがき、、、錦にしき錦にしきにしきののの帳ちやう帳ちやうちょうにににまとはまとはまとわれれれててて、、、あかしあかしあかし暮く暮くくらさらさらさせせせ給たま給たまたまひひいしししががが、、、今いま今いまいまはははありありありとととしししあるあるある人ひと人ひとひとにににももも、、、みなみなみな別わか別わかわかれれれはてはてはてててて、、、あさましげあさましげあさましげなるなるなる朽くち朽くちくち房ばう房ばうぼうににに入い入いいらららせせせ給たま給たまたまひひいけんけんけん御おん御おんおん心こゝろ心こゝろこころののの中うち中うちうち、、、推お推おおししし量はか量はかはかららられれれてててあはれあはれあわれなりなりなり。。。魚うを魚うをうおののの陸くが陸くがくがににに上あが上あがあがれれれるるるががが如ごと如ごとごとくくく、、、鳥とり鳥とりとりののの巢す巢すすををを離はな離はなはなれれれたるたるたるががが如ごと如ごとごとししし。。。さるさるさるまゝまゝままにににはははうかりうかりうかりししし波なみ波なみなみののの上うへ上うへうえ、、、船ふね船ふねふねののの中うち中うちうちののの御おん御おんおん住すま住すますま居ひ居ひいももも、、、今いま今いまいまはははこひしうこひしうこいしゅうぞぞぞ思おぼし思おぼしおぼし召め召めめささされれれけるけるける。。。蒼さう蒼さうそう波は波はは路みち路みちみち遠とほ遠とほとおししし、、、思おも思おもおもひひいををを西さい西さいさい海かい海かいかい千せん千せんせん里り里りりののの雲くも雲くもくもににに寄よ寄よよすすす。。。白はく白はくはく屋をく屋をくおく苔こけ苔こけこけ深ふか深ふかふかくくくしししててて、、、涙なみだ涙なみだなみだ東とう東とうとう山ざん山ざんざん一いつ一いついっ庭てい庭ていていののの月つき月つきつきににに落お落おおつつつ。。。かなしかなしかなしととともももいふいふいうばかりばかりばかりなしなしなし。。。
  2. 2かくかくかくててて女によう女にようにょう院ゐん院ゐんいんははは文ぶん文ぶんぶん治ぢ治ぢじ元ぐわん元ぐわんがん年ねん年ねんねん五ご五ごご月ぐわつ月ぐわつがつ一ひと一ひとひと日ひ日ひひののの日ひ日ひひ、、、御おん御おんおん髪ぐし髪ぐしぐしおろさおろさおろさせせせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。御おん御おんおん戒かい戒かいかいののの師し師ししにににははは長ちやう長ちやうちょう樂らく樂らくらく寺じ寺じじののの阿あ阿ああ證しよう證しようしょう坊ばう坊ばうぼうののの上しやう上しやうしょう人にん人にんにん印いん印いんいん誓せい誓せいせいとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。御おん御おんおん布ふ布ふふ施せ施せせにににははは先せん先せんせん帝てい帝ていていののの御おん御おんおん直なほ直なほなお衣し衣ししなりなりなり。。。既すで既すですでににに今いま今いまいまはははののの時とき時ときときまでまでまでももも召め召めめささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、そのそのその御おん御おんおんうつりうつりうつり香が香ががももも未いま未いまいまだだだ失う失ううせせせずずず、、、御おん御おんおんかたみかたみかたみににに御ご御ごご覽らん覽らんらんぜぜぜんんんとととててて、、、西さい西さいさい國こく國こくこくよりよりよりはる〴〵はる〴〵はるばるととと都みやこ都みやこみやこまでまでまで持も持ももたたたせせせ給たま給たまたまひひいたりたりたりしかしかしかばばば、、、いかならいかならいかならんんん世よ世よよまでまでまでももも、、、御おん御おんおん身み身みみををを放はな放はなはなたたたじじじとととこそこそこそ思おぼし思おぼしおぼし召め召めめささされれれけれけれけれどもどもども、、、御おん御おんおん布ふ布ふふ施せ施せせににになりなりなりぬぬぬべきべきべき物もの物ものもののののなきなきなき上うへ上うへうえ、、、かつうかつうかつうはははかのかのかの御ご御ごご菩ぼ菩ぼぼ提だい提だいだいののの爲ため爲ためためにににもももとととててて、、、泣な泣ななく〳〵く〳〵くなく取と取ととりりり出いだ出いだいださささせせせおはしますおはしますおわします。。。上しやう上しやうしょう人にん人にんにんこれこれこれををを賜たま賜たまたまはつはつわっててて、、、何なに何なになにととと奏そう奏そうそうすすすべきべきべき旨むね旨むねむねもももなくなくなくしししててて、、、墨すみ墨すみすみ染ぞめ染ぞめぞめののの袖そで袖そでそでををを顏かほ顏かほかおにににおしおしおし當あ當ああてててててて泣な泣ななく〳〵く〳〵くなく御ご御ごご所しよ所しよしょをををぞぞぞまかりまかりまかり出い出いいでででられられられけるけるける。。。件くだん件くだんくだんののの御ぎよ御ぎよぎょ衣い衣いいをををばばば旗はた旗はたはたににに縫ぬ縫ぬぬうううててて、、、長ちやう長ちやうちょう樂らく樂らくらく寺じ寺じじののの佛ぶつ佛ぶつぶつ前ぜん前ぜんぜんにににかけかけかけられられられけるけるけるとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。
  3. 3女によう女にようにょう院ゐん院ゐんいんははは十じふ十じふじゅう五ご五ごごにににててて女によう女にようにょう御ご御ごごののの宣せん宣せんせん旨じ旨じじををを蒙かうぶ蒙かうぶこうぶりりり、、、十じふ十じふじゅう六ろく六ろくろくにににててて后こう后こうこう妃ひ妃ひひののの位くらゐ位くらゐくらいににに備そな備そなそなはりはりわり、、、君くん君くんくん王わう王わうおうののの側かたはら側かたはらかたわらににに候さぶら候さぶらさぶらははわせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、朝あした朝あしたあしたにににははは朝あさ朝あさあさ政まつりごと政まつりごとまつりごとををを勸すゝ勸すゝすすめめめ、、、夜よる夜よるよるははは夜よ夜よよををを專もつぱ專もつぱもっぱらららにににししし給たま給たまたまへへえりりり。。。二に二にに十じふ十じふじゅう二に二にににににててて皇わう皇わうおう子じ子じじ御ご御ごご誕たん誕たんたん生じやう生じやうじょうあつあつあっててて、、、皇くわう皇くわうこう太たい太たいたい子し子ししににに立た立たたちちち、、、位くらゐ位くらゐくらいににに即つ即つつかかかせせせ給たま給たまたまひひいしかしかしかばばば、、、院ゐん院ゐんいん號がう號がうごう蒙かうぶ蒙かうぶこうぶらららせせせ給たま給たまたまひひいててて建けん建けんけん禮れい禮れいれい門もん門もんもん院ゐん院ゐんいんとととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくののの御おん御おんおん女むすめ女むすめむすめなるなるなる上うへ上うへうえ、、、天てん天てんてん下か下かかののの國こく國こくこく母も母ももにににてててましませましませましませばばば、、、世よ世よよののの重おも重おもおもうううししし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる事こと事ことことなのめなのめなのめならならならずずず。。。今年ことし今年ことしことしははは二に二にに十じふ十じふじゅう九く九くくにににぞぞぞならならならせせせまし〳〵まし〳〵ましましけるけるける。。。桃たう桃たうとう李り李りりののの御おん御おんおんよそほひよそほひよそおい猶なほ猶なほなおこまやかこまやかこまやかににに、、、芙ふ芙ふふ蓉よう蓉ようようののの御おん御おんおんかたちかたちかたちももも未いま未いまいまだだだ衰おとろ衰おとろおとろへへえさせさせさせ給たま給たまたまははわねねねどもどもども、、、翡ひ翡ひひ翠すゐ翠すゐすいののの御おん御おんおん簪かんざし簪かんざしかんざしつけつけつけてててももも何なに何なになににににかかかはははせせせさせさせさせ給たま給たまたまふふうべきべきべきなれなれなればばば、、、遂つひ遂つひついににに御おん御おんおんさまさまさまをををかへかへかへさせさせさせ給たま給たまたまひひいてててけりけりけり。。。憂う憂ううききき世よ世よよをををいとひいとひいとい、、、まことまことまことののの道みち道みちみちににに入い入いいらららせせせ給たま給たまたまへへえどもどもども、、、御おん御おんおんなげきなげきなげきははは更さら更さらさらにににつきつきつきせせせずずず。。。人ひと人ひとひと々びと々びとびと今いま今いまいまはははかうかうこうとととててて海うみ海うみうみににに沉しづ沉しづしずみみみしししありさまありさまありさま、、、先せん先せんせん帝てい帝ていてい、、、二に二にに位ゐ位ゐい殿どの殿どのどのののの御おん御おんおん面おも面おもおも影かげ影かげかげ、、、ひしひしひしととと御おん御おんおん身み身みみににに添そ添そそひひいててて、、、いかならいかならいかならんんん世よ世よよににに忘わす忘わすわするるるべしべしべしとととももも思おぼし思おぼしおぼし召め召めめさささねねねばばば、、、露つゆ露つゆつゆののの御おん御おんおん命いのち命いのちいのちののの、、、何なに何なになにしししににに今いま今いまいままでまでまでながらへながらへながらへててて、、、斯か斯かかかるかるかるうきうきうき目め目めめををを見み見みみるるるらんらんらんとととててて、、、御おん御おんおん涙なみだ涙なみだなみだせきせきせきあへあへあえさせさせさせ給たま給たまたまははわずずず。。。
  4. 4五さ五ささ月つき月つきつきのののみじかみじかみじか夜よ夜よよなれなれなれどもどもども、、、あかしあかしあかしかねかねかねさせさせさせ給たま給たまたまひひいつゝつゝつつ、、、おのづからおのづからおのずからうちうちうちまどろままどろままどろませせせ給たま給たまたまははわねねねばばば、、、昔むかし昔むかしむかしののの事こと事ことことをををばばば夢ゆめ夢ゆめゆめにににだにだにだに御ご御ごご覽らん覽らんらんぜぜぜずずず。。。壁かべ壁かべかべににに背そむ背そむそむけけけるるる殘のこ殘のこのこんんんののの燈ともしび燈ともしびともしびののの影かげ影かげかげかすかかすかかすかににに、、、夜よ夜よよもすがらもすがらもすがら窗まど窗まどまど打う打ううつつつ暗くら暗くらくらききき雨あめ雨あめあめののの音おと音おとおとぞぞぞ寂さび寂さびさびしかりしかりしかりけるけるける。。。上しやう上しやうしょう陽やう陽やうよう人じん人じんじんががが上しやう上しやうしょう陽やう陽やうよう宮きう宮きうきゅうににに閉と閉ととぢぢじられられられたりたりたりけんけんけん悲かな悲かなかなしみしみしみももも、、、これこれこれにににははは過す過すすぎぎぎじじじとととぞぞぞ見み見みみえええししし。。。昔むかし昔むかしむかしををを忍しの忍しのしのぶぶぶつまつまつまとととなれなれなれとととてててややや、、、もともともとののの主ある主あるある人じ人じじののの移うつ移うつうつししし植う植ううゑゑえ置お置おおきききたりたりたりけんけんけん、、、花はな花はなはな橘たちばな橘たちばなたちばなののの風かぜ風かぜかぜなつかしくなつかしくなつかしく、、、軒のき軒のきのき近ちか近ちかちかくくくかをりかをりかおりけるけるけるににに、、、山やま山やまやま時ほとゝ時ほとゝほとと鳥ぎす鳥ぎすぎすののの二ふた二ふたふた聲こゑ聲こゑこえ三み三みみ聲こゑ聲こゑこえおとづれおとづれおとずれててて通とほ通とほとおりりりけれけれければばば、、、女によう女にようにょう院ゐん院ゐんいんふるきふるきふるきことことことなれなれなれどもどもども、、、思おぼし思おぼしおぼし召め召めめししし出い出いいでででててて、、、御おん御おんおん硯すゞり硯すゞりすずりののの蓋ふた蓋ふたふたにににかうかうこうぞぞぞあそばさあそばさあそばされれれけるけるける。。。
  5. 5ほとゝぎすほとゝぎすほととぎす花はな花はなはな橘たちばな橘たちばなたちばなののの香か香かかをををとめとめとめててて啼な啼ななくくくはははむかしむかしむかしののの人ひと人ひとひとぞぞぞこひしきこひしきこいしき
  6. 6女によう女にようにょう房ばう房ばうぼうたちたちたちははは二に二にに位ゐ位ゐい殿どの殿どのどの、、、越ゑち越ゑちえち前ぜん前ぜんぜんののの三さん三さんさん位み位みみののの上うへ上うへうえののの樣やう樣やうようににに、、、さささのみのみのみ猛たけ猛たけたきょううう、、、水みづ水みづみずののの底そこ底そこそこにににももも沉しづ沉しづしずみみみ給たま給たまたまははわねねねばばば、、、武ぶ武ぶぶ士し士ししのののあらけなきあらけなきあらけなきににに捕とら捕とらとらははわれれれててて、、、舊きう舊きうきゅう里り里りりににに歸かへ歸かへかえりりり、、、老お老おおいいいたるたるたるももも若わか若わかわかきききももも或あるい或あるいあるいはははさまさまさまをををかへかへかへ、、、或あるい或あるいあるいはははかたちかたちかたちをををやつしやつしやつし、、、あるあるあるにににもももあらあらあらぬぬぬ有あり有ありあり樣さま樣さまさまどもどもどもにににててて、、、思おも思おもおもひひいもももかけかけかけぬぬぬ谷たに谷たにたにののの底そこ底そこそこ、、、岩いは岩いはいわののの閒はざま閒はざまはざまにににてててぞぞぞあかしあかしあかし暮くら暮くらくらさささせせせ給たま給たまたまひひいけるけるける。。。住すま住すますまひひいししし宿やど宿やどやどはははみなみなみな煙けぶり煙けぶりけぶりととと立た立たたちちち上のぼ上のぼのぼりりりにににしかしかしかばばば、、、空むな空むなむなしきしきしき跡あと跡あとあとのみのみのみ殘のこ殘のこのこつつっててて、、、しげきしげきしげき野の野ののべべべとととなりなりなりつゝつゝつつ、、、見み見みみなれなれなれししし人ひと人ひとひとののの訪と訪ととひひい來く來くくるるるもももなしなしなし。。。仙せん仙せんせん家か家かかよりよりより歸かへ歸かへかえつつっててて七しち七しちしち世せい世せいせいののの孫そん孫そんそんににに逢あ逢ああひひいけんけんけんももも、、、かくかくかくやややととと覺おぼ覺おぼおぼえええてててあはれあはれあわれなりなりなり

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

建礼門院は東山の麓、吉田のあたりにある所にお入りになった。中納言の法印慶恵と申す奈良法師の僧坊であった。住み荒らして年久しくなっていたので、庭には草が深く、軒にはしのぶ草が茂っていた。簾は切れ、寝所はむき出しで、雨風も防ぎようがない。花はとりどりに咲き匂うけれども、主人と頼む人もなく、月は夜ごとに差し込むけれども、眺めて夜を明かす主もいない。昔は玉の御殿を磨きたて、錦の帳に囲まれて日々を過ごしていらしたのに、今は親しい人々ともみな別れ果てて、見る影もない朽ちた僧坊にお入りになった御心の中は、推し量られて哀れである。魚が陸に上がったようで、鳥が巣を離れたようである。そうなると、つらかった波の上、船の中のお住まいも、今は恋しく思われた。青い波の路は遠く、思いを西海千里の雲に寄せる。粗末な家に苔は深く、涙は東山の庭に差す月に落ちる。悲しいとも言いようがなかった。

こうして女院は文治元年五月一日に御髪をおろされた。御戒の師は長楽寺の阿証坊の上人印誓ということであった。御布施には先帝の御直衣を差し出された。最期のときまでお召しになっていたので、その移り香もまだ消えず、形見に見ようと西国からはるばる都まで持っておいでになったので、どんな世になっても身から離すまいと思われていたが、布施になりそうな物がないうえ、一つには先帝のご菩提のためにもと、泣く泣く取り出された。上人はこれをいただいて、何と申し上げる言葉もなく、墨染の袖を顔に押し当てて、泣く泣く御所を退出された。その御衣は幡に縫って、長楽寺の仏前に掛けられたということである。

女院は十五歳で女御の宣旨を受け、十六歳で后の位にお就きになり、帝のおそばにお仕えして、朝には政務をお勧めし、夜は寵愛を一身に受けておられた。二十二歳で皇子がお生まれになり、皇太子に立ち、やがて位にお就きになったので、院号を賜って建礼門院と申し上げた。入道相国の御娘であるうえ、天下の国母でいらしたので、世の人々の重んじ申すことはひととおりではなかった。今年は二十九歳におなりであった。桃や李のような美しさはなお細やかで、芙蓉のようなお顔立ちもまだ衰えていらっしゃらなかったが、翡翠の髪飾りをつけても何になろうかと、ついに尼姿になられたのであった。憂き世をいとい、仏の道にお入りになったけれども、お嘆きはいっこうに尽きない。人々がもはやこれまでと海に沈んだありさま、先帝と二位殿の面影がひしと身に添って、いつの世にも忘れられるとは思えないので、露のようにはかない命が、どうして今まで長らえて、このようなつらい目を見るのだろうと、涙をおさえきれなかった。

五月の短い夜ではあるが、明かしかねていらして、自然とまどろむこともおできにならないので、昔のことを夢にさえご覧にならない。壁に背を向けた燃え残りの灯火の影はかすかで、夜通し窓を打つ暗い雨の音がもの寂しかった。上陽人が上陽宮に閉じこめられたという悲しみも、これにはまさるまいと見えた。昔をしのぶよすがとなれというのか、もとの主人が移し植えておいたのであろう、花橘の香りが風になつかしく、軒近く匂っているところへ、山時鳥が二声三声鳴いて通り過ぎたので、女院は古い歌であるけれども思い出されて、御硯の蓋にこのようにお書きになった。

時鳥よ、花橘の香を求めてやって来て鳴くのは、おまえも昔の人が恋しいからなのか。

女房たちは、二位殿や越前三位の北の方のように気丈に海の底に沈むこともなさらなかったので、荒々しい武士に捕らえられて故郷に帰り、老いた者も若い者も、あるいは尼になり、あるいは姿をやつして、生きているともいえないありさまで、思いもかけない谷の底や岩のはざまで日々を過ごしておられた。住んでいた家はみな煙となって立ちのぼってしまったので、むなしい跡ばかりが残って草深い野辺となり、見慣れた人の訪れてくることもない。仙境から帰って七代後の孫に会ったという話も、このようであったかと思われて哀れである。

意訳

灌頂巻は、壇の浦で生き残った建礼門院の後半生を語る巻で、流布本では巻第十二のあとに置かれる。冒頭の荒れた僧坊の描写は、かつての后の御殿との落差によって、女院の境遇の激変を印象づける。

形見の御直衣を布施として差し出す場面には、わが子安徳天皇への思いを断ち切って仏道に入ろうとする女院の決意と、なお断ち切れない悲しみとが重ねられている。花橘と時鳥の古歌は、「昔の人」を恋う女院の心をそのまま映し出している。

語釈・文法注

文法

「簾斷え閨あらはにて」
簾は切れ、寝所はむき出しになって。
「玉の臺」
玉で飾ったような美しい御殿。
「蒼波路遠し、思ひを西海千里の雲に寄す。白屋苔深くして、涙東山一庭の月に落つ」
漢詩風の対句。西海に沈んだ人々を思い、東山の粗末な住まいで涙を落とす。
「御直衣」
安徳天皇の着ていた直衣。
「旗に縫うて」
仏前に掛ける幡(ばん)に縫い直して。
「夜は夜を專らにし給へり」
夜は帝の寵愛を一身に受けておられた。「長恨歌」の句による。
「桃李の御よそほひ」
桃や李の花のような美しいお姿。
「翡翠の御簪」
かわせみの羽のように美しい髪飾り。
「壁に背ける殘んの燈」
壁に背けて置いた燃え残りの灯火。「上陽白髪人」の詩句による。
「上陽人が上陽宮に閉ぢられたりけん悲しみ」
唐の玄宗の時代、楊貴妃に疎まれて上陽宮に閉じこめられ、空しく老いた宮女の悲しみ。白居易「上陽白髪人」による。
「昔を忍ぶつま」
昔をしのぶよすが。
「仙家より歸つて七世の孫に逢ひけん」
仙境から帰ると七代後の孫の世になっていたという故事。
「かくやと覺えてあはれなり」
底本は末尾に句点を刷らない。

和歌

ほとゝぎす花橘の香をとめて啼くはむかしの人ぞこひしき

詠者
建礼門院(古歌)
状況
軒近くの花橘に時鳥が鳴いて過ぎたとき、女院が古い歌を思い出して硯の蓋に書きつけた。

修辞

花橘の香
『古今集』の「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」以来、昔の人をしのばせるもの。
むかしの人
ここでは安徳天皇や海に沈んだ平家一門の人々。

解説

建礼門院(平徳子、1155–1213)は平清盛の娘で、高倉天皇の中宮となり安徳天皇を生んだ。壇の浦で入水したが源氏に引き上げられ、文治元年(1185)五月に出家した。戒師の印誓は東山の長楽寺の僧で、長楽寺には今も女院ゆかりの品が伝わる。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、853–855頁(コマ455–456)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日