平家物語 巻第十一
遠矢の事
源平が鬨の声をあげると、知盛は「運命が尽きれば力及ばないが、名こそ惜しい。東国の者に弱気を見せるな」と下知し、景清や盛継も意気込んだ。知盛は阿波民部重能の心変わりを見抜いて斬ろうとしたが、宗盛は許さなかった。平家は千余艘を三手に分け、山鹿秀遠の精兵が一斉に矢を放って源氏を押し返した。源氏の和田義盛が三町先まで射た遠矢を、平家の仁井親清が射返して三浦の石左近太郎に当て、続いて親清が義経の船に射た遠矢を、甲斐源氏の浅利与一義成が四町余り射返して親清を射落とした。やがて白旗が一流空から源氏の船に舞い下り、義経は八幡大菩薩の示現と喜んだ。沖から海豚の群れが平家の船の下を通り過ぎ、平家の敗北が占われた。
- 1さるさるさる程程ほどににに源源げん平平ぺい兩兩りょう方方ほう陣陣じんをををあはせあはせあわせててて、、、鬨鬨ときをををつくるつくるつくる。。。上上かみははは梵梵ぼん天天てんまでまでまでももも聞聞きこえええ、、、下下しもははは堅堅けん牢牢ろう地地じ神神じんももも驚驚おどろききき給給たまふふうらんらんらんとととぞぞぞ覺覺おぼえええたるたるたる。。。鬨鬨ときののの聲聲こえももも靜靜しずまりまりまりしかしかしかばばば、、、新新しん中中ちゅう納納な言言ごん知知とも盛盛もりののの卿卿きょう、、、船船ふねののの屋屋や形形かたににに進進すすみみみ出出いででで、、、大大だい音音おん聲聲じょうをををあげあげあげててて、、、「「「天天てん竺竺じく、、、震震しん旦旦たんにににももも、、、日日に本本ほんわがわがわが朝朝ちょうにににももも、、、雙雙ならびびびなきなきなき名名めい將將しょう勇勇ゆう士士しととといへいへいえどもどもども、、、運運うん命命めい盡盡つきききぬれぬれぬればばば力力ちから及及およばばばずずず。。。されどもされどもされども名名なこそこそこそ惜惜おしけれしけれしけれ。。。東東とう國國ごくののの者者ものどもどもどもににに弱弱よわ氣氣げ見見みすすすななな。。。何何なにののの爲爲ためにににかかか命命いのちをををばばば惜惜おしむしむしむべきべきべき。。。軍軍いくさようせようせようせよよよ者者もの共共ども、、、唯唯ただこれこれこれのみのみのみぞぞぞ思思おもふふう事事ことよよよ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、飛飛ひ驒驒だののの三三さぶ郎郎ろう左左ざ衞衞え門門もん景景かげ經經つね御御おん前前まえににに候候さぶらひひいけるけるけるががが、、、「「「これこれこれ承承うけたまわれれれ侍侍さぶらい共共ども。。。」」」とととぞぞぞ下下げ知知じしししけるけるける。。。上上かず總總さののの惡惡あく七七しち兵兵びょう衞衞え進進すすみみみ出出いでででててて、、、「「「それそれそれ坂坂ばん東東どう武武む者者しゃははは馬馬むまののの上上うえにににてててこそこそこそ口口くちはははきききききき候候そうらへへえどもどもども、、、船船ふな軍軍いくさをををばばばいついついつ調調ちょう練練れんししし候候そうろうべきべきべき。。。たとへたとへたとえばばば魚魚うおののの木木きににに上上のぼつつったるたるたるでででこそこそこそ候候そうらははわんんんずずずらめらめらめ。。。一一いち々々いちににに取取とつつっててて海海うみににに漬漬つけけけなんなんなんものものものををを。。。」」」とととぞぞぞ申申もうしししけるけるける。。。越越えっ中中ちゅうののの次次じ郎郎ろう兵兵びょう衞衞え進進すすみみみ出出いでででててて、、、「「「同同おなじうじうじゅうははは大大たい將將しょうののの源源げん九九く郎郎ろうととと組組くみみみあひあひあい給給たまへへえ。。。九九く郎郎ろうはははせいせいせいののの小小ちいさきさきさき男男おとこののの、、、色色いろののの白白しろかんかんかんなるなるなるががが、、、向向むか齒齒ばののの少少すこしししさしさしさし出出いでででててて、、、殊殊ことにににしるかんしるかんしるかんなるなるなるぞぞぞ。。。但但ただししし鎧鎧よろい直直ひた垂垂たれををを常常つねににに著著きかふかふかうなれなれなればばば、、、きつきつきっととと見見み分分わけけけがたかりがたかりがたかりなんなんなん。。。」」」とととぞぞぞ申申もうしししけるけるける。。。惡惡あく七七しち兵兵びょう衞衞えかさねかさねかさねててて、、、「「「なんでふなんでふなんじょうそのそのその小小こ冠冠かん者者じゃめめめ、、、たとひたとひたとい心心こころこそこそこそ猛猛たけくくくともともとも、、、何何なに程程ほどののの事事ことかかかあるあるあるべきべきべき。。。しやしやしや片片かた脇脇わきににに挾挾はさんんんででで海海うみににに入入いれれれなんなんなんものものものををを。。。」」」とととぞぞぞ申申もうしししけるけるける。。。
- 2新新しん中中ちゅう納納な言言ごん知知とも盛盛もりののの卿卿きょうはははかやうかやうかようににに下下げ知知じししし給給たまひひいててて後後のち、、、小小こ船船ぶねににに乘乘のりりり大臣殿大臣殿おおいどのののの御御おん前前まえにににおはしおはしおわしててて申申もうささされれれけるけるけるははは、、、「「「御御み方方かたののの兵兵つわものどもどもども今日今日きょうはははよくよくよく見見みえええ候候そうろう。。。但但ただししし阿阿あ波波わののの民民みん部部ぶ重重しげ能能よしばかりばかりばかりこそこそこそ心心こころがはりがはりがわりしししたるたるたるととと覺覺おぼえええ候候そうらへへえ。。。頭頭こうべををを刎刎はねねね候候そうらははわばやばやばや。。。」」」ととと申申もうささされれれけれけれければばば、、、大臣殿大臣殿おおいどの、、、「「「さしもさしもさしも奉奉ほう公公こうののの者者ものででであるあるあるににに、、、見見みえええたるたるたる事事こともももなくなくなくしししててて、、、いかでいかでいかでかかか頭頭こうべをををばばば刎刎はねねねらるらるらるべきべきべき。。。重重しげ能能よし召召めせせせ。。。」」」とととててて召召めささされれれけりけりけり。。。重重しげ能能よしそのそのその日日ひののの裝裝しょう束束ぞくにににははは、、、木木む蘭蘭らん地地じののの直直ひた垂垂たれににに洗洗あらい革革かわののの鎧鎧よろい著著きててて、、、御御おん前前まえににに畏畏かしこまつまつまってててぞぞぞ候候さぶらひひいけるけるける。。。大臣殿大臣殿おおいどの、、、「「「いかにいかにいかに重重しげ能能よしははは心心こころがはりがはりがわりしししたるたるたるかかか、、、今日今日きょうはははあしうあしうあしゅう見見みゆるゆるゆるぞぞぞ。。。四四し國國こくののの者者ものどもどもどもににに軍軍いくさようせようせようせよよよととと下下げ知知じせせせよよよ、、、臆臆おくしししたんたんたんななな。。。」」」ととと宣宣のたまへへえばばば、、、「「「なんでふなんでふなんじょう臆臆おくししし候候そうろうべきべきべき。。。」」」とととててて、、、御御おん前前まえをををまかりまかりまかり立立たつつつ。。。新新しん中中ちゅう納納な言言ごんははは太太た刀刀ちののの柄柄つか碎碎くだけけけよよよととと握握にぎるるるまゝまゝままににに、、、あつぱれあつぱれあっぱれ重重しげ能能よしめめめががが首首くび打打うち落落おとさささばやばやばやととと、、、大臣殿大臣殿おおいどのののの御御おん方方かたををを頻頻しきりりりににに見見み參參まいらららさせさせさせ給給たまへへえどもどもども、、、御御おん許許ゆるささされれれなけれなけれなければばば力力ちから及及およびびび給給たまははわずずず。。。
- 3さるさるさる程程ほどににに平平へい家家けははは千千せん餘餘よ艘艘そうををを三三み手手てにににつくるつくるつくる。。。まづまづまず山山やま鹿鹿がののの兵兵ひょう藤藤とう次次じ秀秀ひで遠遠とお、、、五五ご百百ひゃく餘餘よ艘艘そうででで先先せん陣陣じんににに漕漕こぎぎぎ向向むかふふう。。。松松まつ浦浦ら黨黨とう三三さん百百びゃく餘餘よ艘艘そうででで二二に陣陣じんにににつゞくつゞくつづく。。。平平へい家家けののの君君きん達達だちたちたちたち、、、二二に百百ひゃく餘餘よ艘艘そうででで三三さん陣陣じんににに續續つづききき給給たまへへえりりり。。。中中なかにににももも山山やま鹿鹿がののの兵兵ひょう藤藤とう次次じ秀秀ひで遠遠とおははは九九く國國こく一一いちののの強強つよ弓弓ゆみ精精せい兵兵びょうなりなりなりけれけれければばば、、、われわれわれ程程ほどこそこそこそなけれなけれなけれどもどもども、、、普普ふ通通つう樣樣ざまののの精精せい兵兵びょう五五ご百百ひゃく人人にんすぐつすぐつすぐっててて、、、船船ふね々々ぶねののの艫艫とも舳舳へににに立立たててて、、、肩肩かたををを一一いち面面めんににに竝竝ならべべべててて、、、五五ご百百ひゃくののの矢矢やををを一一いち度度どににに放放はなつつつ。。。源源げん氏氏じののの方方かたにににももも三三さん千千ぜん餘餘よ艘艘そうののの船船ふねなりなりなりけれけれければばば、、、勢勢せいののの數數かずさこそさこそさこそははは多多おおかりかりかりけめけめけめどもどもども、、、あそこあそこあそここゝこゝここよりよりより射射いけるけるける程程ほどににに、、、いづくいづくいずくににに精精せい兵兵びょうありありありとととももも見見みえええざりざりざりけりけりけり。。。中中なかにににももも大大たい將將しょう軍軍ぐん源源げん九九く郎郎ろう義義よし經經つねははは、、、まつまつまつ先先さきににに進進すすんんんででで戰戰たたかひひいけるけるけるががが、、、楯楯たてももも鎧鎧よろいもももこらへこらへこらえずずずしししててて、、、さん〴〵さん〴〵さんざんににに射射いしらまさしらまさしらまさるるる。。。平平へい家家け、、、御御み方方かた勝勝かちちちぬぬぬとととててて頻頻しきりりりににに攻攻せめ鼓鼓づつみををを打打うつつっててて、、、をめきをめきおめき叫叫さけんんんででで攻攻せめめめ戰戰たたかふふう。。。
- 4源源げん氏氏じののの方方かたにににははは和和わ田田だののの小小こ太太た郎郎ろう義義よし盛盛もり、、、船船ふねにににははは乘乘のらららずずず、、、馬馬むまににに打打うち乘乘のりりり、、、鐙鐙あぶみののの鼻鼻はな蹈蹈ふみみみ反反そらししし、、、平平へい家家けののの勢勢せいののの中中なかをををさしさしさしつめつめつめ引引ひきききつめつめつめ、、、さん〴〵さん〴〵さんざんににに射射いるるる。。。もともともとよりよりより精精せい兵兵びょうののの手手てきゝきゝききにににてててありありありけれけれければばば、、、三三さん町町ちょうががが内内うちののの者者ものをををばばば、、、はづさはづさはずさずずず強強つよううう射射いけりけりけり。。。中中なかにににももも殊殊ことににに遠遠とおううう射射いたるたるたるととと思思おぼしきしきしき矢矢やををを、、、そのそのその矢矢や賜賜たまはらはらわらんんんとととぞぞぞ招招まねきききけるけるける。。。新新しん中中ちゅう納納な言言ごん知知とも盛盛もりののの卿卿きょう、、、このこのこの矢矢やををを拔拔ぬかかかせせせててて見見み給給たまへへえばばば、、、白白しら箟箟のににに鶴鶴つるののの本本もと白白じろ、、、鴻鴻こうののの羽羽はわりわりわりあはせあはせあわせてててはいはいはいだるだるだる矢矢やののの十十じゅう三三さん束束ぞく三三み伏伏ぶせありありありけるけるけるににに、、、沓沓くつ巻巻まきよりよりより一一いっ束束そく許許ばかりりりおいおいおいててて、、、和和わ田田だののの小小こ太太た郎郎ろうののの義義よし盛盛もりととと、、、漆漆うるしにににてててぞぞぞ書書かきききつけつけつけたるたるたる。。。平平へい家家けののの方方かたにににももも精精せい兵兵びょう多多おおしししととといへいへいえどもどもども、、、さすがさすがさすが遠遠とお矢矢や射射いるるる仁仁じんやややなかりなかりなかりけんけんけん。。。やゝやゝややあつあつあっててて伊伊い豫豫よののの國國くにののの住住じゅう人人にん仁仁に井井いののの紀紀き四四し郎郎ろう親親ちか淸淸きよ、、、このこのこの矢矢やををを賜賜たまはつはつわっててて射射い返返かえすすす。。。これこれこれももも三三さん町町ちょう餘餘よをををつとつとつと射射い渡渡わたいいいててて、、、和和わ田田だががが後後うしろ一一いっ段段たん許許ばかりりりににに控控ひかへへえたるたるたる、、、三三み浦浦うらののの石石いし左左さ近近こんののの太太た郎郎ろうががが弓弓ゆん手手でののの肘肘かいなににに、、、したゝかしたゝかしたたかにににこそこそこそ立立たつつったりたりたりけれけれけれ。。。三三み浦浦うらののの人人ひとどもどもども寄寄よりりりあひあひあいててて、、、「「「あなあなあなにくにくにくややや、、、和和わ田田だののの小小こ太太た郎郎ろうががが、、、われわれわれ程程ほどののの精精せい兵兵びょうなしなしなしととと心心こころ得得えててて、、、恥恥はじかきかきかきぬるぬるぬるをををかしかしかしさささよよよ。。。」」」ととと笑笑わらひひいけれけれければばば、、、義義よし盛盛もりやすからやすからやすからぬぬぬ事事ことなりなりなりとととててて、、、今今こん度度どははは小小こ船船ぶねににに乘乘のつつっててて漕漕こぎぎぎ出出いだししし、、、平平へい家家けののの勢勢せいののの中中なかををを、、、さしさしさしつめつめつめ引引ひきききつめつめつめ、、、さん〴〵さん〴〵さんざんににに射射いけれけれければばば、、、者者ものどもどもども多多おおくくく手手て負負おひひい射射い殺殺ころさささるるる。。。
- 5やゝやゝややあつあつあっててて沖沖おきののの方方かたよりよりより、、、判判ほう官官がんののの乘乘のりりり給給たまひひいたるたるたる船船ふねににに、、、白白しら箟箟のののの大大おお矢矢やををを一一ひとつつつ射射い立立たててて、、、これこれこれももも和和わ田田だがががやうやうようににに、、、そのそのその矢矢や賜賜たまはらはらわらんんんととと招招まねきききけりけりけり。。。判判ほう官官がんこのこのこの矢矢やををを拔拔ぬかかかせせせててて見見み給給たまへへえばばば、、、白白しら箟箟のににに山山やま鳥鳥どりののの尾尾をををを以以もってててはいはいはいだるだるだる矢矢やののの、、、十十じゅう四四し束束そく三三み伏伏ぶせありありありけるけるけるににに、、、沓沓くつ巻巻まきよりよりより一一いっ束束そくばかりばかりばかりおいおいおいててて、、、伊伊い豫豫よののの國國くにののの住住じゅう人人にん仁仁に井井いののの紀紀き四四し郎郎ろう親親ちか淸淸きよととと、、、漆漆うるしにににてててぞぞぞ書書かきききつけつけつけたるたるたる。。。判判ほう官官がん後後ご藤藤とう兵兵びょう衞衞え實實さね基基もとををを召召めしししててて、、、「「「御御み方方かたにににこのこのこの矢矢や射射いつつつべきべきべき仁仁じんははは誰誰たれかかかあるあるある。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、「「「甲甲か斐斐いののの源源げん氏氏じににに淺淺あさ利利りののの與與よ一一いち殿殿どのこそこそこそ、、、精精せい兵兵びょうののの手手てききききききにににててて候候そうらへへえ。。。」」」ととと申申もうしししけれけれければばば、、、判判ほう官官がん、、、「「「さらばさらばさらば與與よ一一いちよべよべよべ。。。」」」とととててて召召めささされれれけりけりけり。。。淺淺あさ利利りののの與與よ一一いち出出いででで來來きたりたりたり。。。判判ほう官官がん、、、「「「いかにいかにいかに與與よ一一いち、、、このこのこの矢矢や只只ただ今今いま沖沖おきよりよりより射射いててて候候そうろうががが、、、そのそのその矢矢や賜賜たまはらはらわらんんんととと招招まねききき候候そうろう。。。御御ご邊邊へん射射いられられられ候候そうらひひいなんなんなんややや。。。」」」ととと宣宣のたまへへえばばば、、、「「「賜賜たまはつはつわっててて見見み候候そうらははわんんん。。。」」」とととててて、、、取取とつつっててて爪爪つまよつよつよっててて、、、「「「これこれこれははは箟箟のががが弱弱よわくくく候候そうろう。。。矢矢や束束づかももも少少すこししし短短みじこううう候候そうらへへえばばば、、、同同おなじうじうじゅうははは義義よし成成なりががが具具ぐ足足そくにににててて仕仕つかまつりりり候候そうらははわんんん。。。」」」とととててて、、、塗塗ぬり箟箟のににに黑黑くろ母母ほ呂呂ろはいはいはいだるだるだる大大だいののの矢矢やののの、、、わがわがわが大大おお手手てにににおしおしおし握握にぎつつっててて十十じゅう五五ご束束そく三三み伏伏ぶせありありありけるけるけるををを、、、塗塗ぬり籠籠ごめ籐籐どうののの弓弓ゆみののの九九く尺尺しゃくばかりばかりばかりありありありけるけるけるににに取取とつつってててつがひつがひつがい、、、よつよつよっぴいぴいぴいてててひようひようひょうととと放放はなつつつ。。。これこれこれももも四四し町町ちょう餘餘よをををつとつとつと射射い渡渡わたいいいててて、、、大大おお船船ぶねののの艫艫ともににに立立たつつったるたるたる仁仁に井井いののの紀紀き四四し郎郎ろう親親ちか淸淸きよがががまつまつまつたゞたゞただ中中なかををを、、、ひようつばひようつばひょうつばととと射射いててて、、、船船ふな底底ぞこへへへまつまつまつさかさまさかさまさかさまににに射射い落落おとすすす。。。もともともとよりよりよりこのこのこの淺淺あさ利利りののの與與よ一一いちははは精精せい兵兵びょうののの手手てきゝきゝききにににててて、、、二二に町町ちょうががが中中なかををを走走はしるるる鹿鹿ししをををばばば、、、はづさはづさはずさずずず強強つよううう射射いけるけるけるとととぞぞぞ聞聞きこえええししし。。。
- 6そのそのその後後のちははは源源げん平平ぺいののの兵兵つわもの共共ども、、、互互たがいににに面面おもてもももふらふらふらずずず、、、命命いのちももも惜惜おしましましまずずず攻攻せめめめ戰戰たたかふふう。。。されどもされどもされども平平へい家家けののの御御おん方方かたにににははは十十じゅう善善ぜん帝帝てい王王おう、、、三三さん種種しゅののの神神じん器器ぎををを帶帶たいしししてててわたらわたらわたらせせせ給給たまへへえばばば、、、源源げん氏氏じいかゞいかゞいかがあらあらあらんんんずずずらんらんらんととと、、、危危あよううう思思おもふふう所所ところににに、、、しば〳〵しば〳〵しばしば白白しら雲雲くもかかかとととおぼしくおぼしくおぼしくててて、、、虛虛こ空空くうににに漂漂ただよひひいけるけるけるががが、、、雲雲くもにににてててはははなかりなかりなかりけりけりけり。。。主主ぬしもももなきなきなき白白しら旗旗はた一一ひと旒旒ながれ舞舞まひひい下下さがりりりててて、、、源源げん氏氏じののの船船ふねののの舳舳へににに、、、棹棹さお付付つけののの緒緒をのののさはるさはるさわる程程ほどにににぞぞぞ見見みえええたりたりたりけるけるける。。。
- 7判判ほう官官がんこれこれこれははは八八はち幡幡まん大大だい菩菩ぼ薩薩さつののの現現げんじじじ給給たまへへえるるるにににこそこそこそととと悅悅よろこびびびててて、、、兜兜かぶとをををぬぎぬぎぬぎ、、、手手ちょう水水ず嗽嗽がいしししててて、、、これこれこれををを拜拜はいししし奉奉たてまつりりり給給たまふふう。。。兵兵つわものどもどもどもももも皆皆みなかくかくかくののの如如ごとししし。。。またまたまた沖沖おきよりよりより鯆鯆いるかととといふいふいう魚魚うお一一いっ二二に千千せん這這ほうううててて、、、平平へい家家けののの船船ふねののの方方かたへへへぞぞぞ向向むかひひいけるけるける。。。大臣殿大臣殿おおいどの小小こ博博はか士士せ晴晴はる信信のぶををを召召めしししててて、、、「「「鯆鯆いるかははは常常つねににに多多おおけれけれけれどもどもども、、、未未いまだだだかやうかやうかようののの事事ことなしなしなし。。。きつきつきっととと勘勘かんがへへえ申申もうせせせ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、「「「このこのこの鯆鯆いるかはははみかへりみかへりみかえり候候そうらははわばばば、、、源源げん氏氏じ亡亡ほろびびび候候そうらひひいなんずなんずなんず。。。はみはみはみ通通とおりりり候候そうらははわばばば、、、御御み方方かたののの御御おん軍軍いくさ危危あよううう覺覺おぼえええ候候そうろう。。。」」」ととと申申もうしししもももはてはてはてぬぬぬににに、、、平平へい家家けののの船船ふねののの下下したをををすぐすぐすぐ這這ほうううてててぞぞぞ通通とおりりりけるけるける。。。世世よののの中中なかははは今今いまはははかうかうこうとととぞぞぞ見見みえええししし。。。
現代語訳
やがて源平両方が陣を向かい合わせて鬨の声をあげた。上は梵天までも聞こえ、下は堅牢地神も驚かれるだろうと思われた。鬨の声も静まると、新中納言知盛卿が船の屋形に進み出て、大音声をあげて、「天竺・震旦でも日本わが国でも、並ぶもののない名将勇士でも、運命が尽きてしまえば力は及ばない。けれども名こそ惜しい。東国の者どもに弱気を見せるな。何のために命を惜しむことがあろう。よく戦え、者ども。ただこのことだけを思え」とおっしゃると、飛騨三郎左衛門景経が御前に控えていたが、「これを承れ、侍ども」と下知した。上総の悪七兵衛が進み出て、「坂東武者は馬の上でこそ大口をたたきますが、船戦はいつ稽古したことがありましょう。たとえば魚が木に登ったようなものでございましょう。一人ずつ捕らえて海に漬けてやりましょう」と申した。越中次郎兵衛が進み出て、「同じことなら大将の源九郎と組みなさい。九郎は背の低い色白の男で、前歯が少し出ていて、とりわけ目立つそうだ。ただし鎧直垂をいつも着替えるそうだから、きっと見分けにくいだろう」と申した。悪七兵衛は重ねて、「何のその小冠者め、たとえ心が猛くても、何ほどのことがあろう。片脇に挟んで海に投げ入れてやろう」と申した。
新中納言知盛卿はこのように下知されてから、小舟に乗って大臣殿の御前に行かれて申されるには、「味方の兵どもは今日はよく見えます。ただし阿波民部重能だけは心変わりしたように思われます。首を刎ねたいものです」と申されたので、大臣殿は、「あれほど奉公してきた者を、はっきりした証拠もないのに、どうして首を刎ねられよう。重能を呼べ」といってお呼びになった。重能はその日の装束に、木蘭地の直垂に洗革の鎧を着て、御前にかしこまって控えた。大臣殿は「どうだ重能、心変わりしたのか。今日はようすが悪く見えるぞ。四国の者どもによく戦えと下知せよ。臆したのか」とおっしゃると、「どうして臆しましょう」といって、御前を退いた。新中納言は太刀の柄も砕けよと握りしめて、ああ重能めの首を打ち落としたいと、大臣殿の方をしきりにご覧になったが、お許しがないので、どうしようもなかった。
やがて平家は千余艘を三手に分けた。まず山鹿兵藤次秀遠が五百余艘で先陣として漕ぎ向かう。松浦党が三百余艘で二陣に続く。平家の公達は二百余艘で三陣に続かれた。中でも山鹿兵藤次秀遠は九州一の強弓の精兵だったので、自分ほどではないが並みの精兵を五百人選りすぐって、船々の艫と舳に立て、肩を一列に並べて、五百の矢を一度に放った。源氏の方も三千余艘の船だったので、勢の数こそ多かったろうが、あちこちから射るので、どこに精兵がいるとも見えなかった。中でも大将軍源九郎義経は、まっ先に進んで戦ったが、楯も鎧も持ちこたえられず、さんざんに射すくめられた。平家は味方が勝ったといって、しきりに攻め鼓を打って、わめき叫んで攻め戦った。
源氏方では和田小太郎義盛が、船には乗らず馬に乗って、鐙の鼻を踏んばり、平家の勢の中を矢継ぎ早にさんざんに射た。もとより精兵の名手だったので、三町以内の者ははずさず強く射た。中でもことに遠く射たと思われる矢を、その矢を返してくれと招いた。新中納言知盛卿がこの矢を抜かせてご覧になると、白箟に鶴の本白、鴻の羽を割り合わせて矧いだ十三束三伏の矢に、沓巻から一束ほど離して、「和田小太郎義盛」と漆で書きつけてあった。平家方にも精兵は多かったが、さすがに遠矢を射る者はいなかったのだろうか。しばらくして伊予国の住人仁井紀四郎親清がこの矢をいただいて射返した。これも三町余りをさっと射渡して、和田の後ろ一段ほどに控えていた三浦の石左近太郎の左の肘に、したたかに突き立った。三浦の人々は寄り集まって、「ああ憎らしい。和田小太郎が自分ほどの精兵はいないと思いこんで恥をかいたのはおかしいことよ」と笑ったので、義盛は腹の立つことだといって、今度は小舟に乗って漕ぎ出し、平家の勢の中を矢継ぎ早にさんざんに射たので、多くの者が手負い、射殺された。
しばらくして沖の方から、判官の乗っておられる船に白箟の大矢を一本射立てて、これも和田のように、その矢を返してくれと招いた。判官がこの矢を抜かせてご覧になると、白箟に山鳥の尾で矧いだ十四束三伏の矢に、沓巻から一束ほど離して、「伊予国の住人仁井紀四郎親清」と漆で書きつけてあった。判官が後藤兵衛実基を呼んで「味方にこの矢を射返せる者は誰がいるか」とおっしゃると、「甲斐源氏の浅利与一殿こそ精兵の名手でございます」と申したので、判官は「それでは与一を呼べ」といってお呼びになった。浅利与一が参上した。判官が「どうだ与一、この矢を今沖から射てきて、返してくれと招いている。あなたは射られるか」とおっしゃると、「拝見しましょう」といって、取って爪で矢柄をしごいてみて、「これは箟が弱うございます。矢束も少し短うございますので、同じことなら義成の道具でいたしましょう」といって、塗箟に黒母衣の羽を矧いだ大きな矢で、自分の大きな手で握って十五束三伏あるのを、九尺ほどもある塗籠籐の弓に取ってつがえ、引きしぼってひょうと放った。これも四町余りをさっと射渡して、大船の艫に立っていた仁井紀四郎親清の真ん中をひょうふっと射て、船底へまっさかさまに射落とした。もとよりこの浅利与一は精兵の名手で、二町先を走る鹿もはずさず強く射たと聞こえた。
その後は源平の兵たちが互いにわき目もふらず、命も惜しまず攻め戦った。けれども平家の御方には十善の帝王が三種の神器を帯しておいでになるので、源氏はどうなるだろうかと危ぶむところに、しばしば白雲かと見えるものが虚空に漂っていたが、雲ではなかった。持ち主もない白旗が一流舞い下りて、源氏の船の舳に、竿付の緒が触れるほどに見えた。
判官は、これは八幡大菩薩が現れなさったのだと喜んで、兜を脱ぎ、手を洗い口をすすいで、これを拝み申された。兵たちもみな同じようにした。また沖から海豚という魚が一、二千匹這うように泳いで、平家の船の方へ向かってきた。大臣殿は小博士晴信を呼んで、「海豚はいつも多いが、まだこのようなことはない。しっかり占って申せ」とおっしゃると、「この海豚が引き返したなら、源氏が滅びましょう。くぐり通ったなら、味方の御戦は危うく思われます」と申し終わらないうちに、平家の船の下をまっすぐ這うように通っていった。世の中はもはやこれまでと見えた。
意訳
壇の浦の合戦の中盤である。知盛の「名こそ惜しけれ」という下知は、運命を悟りながらも武士の名誉に殉じようとする平家の覚悟を代表する言葉である。重能の心変わりを見抜きながら斬れなかったことは、のちに重能が源氏に寝返る伏線となり、宗盛の判断の甘さを印象づける。
遠矢の応酬は、源平の弓の名手たちの技を競う華やかな見せ場であり、矢に名を書いて射返しを求めるところに当時の戦の作法がうかがえる。白旗の飛来と海豚の通過という二つの瑞兆・凶兆によって、戦の流れが源氏に傾いたことが示される。
語釈・文法注
文法
- 「堅牢地神」
- 大地を守る神。
- 「弱氣見すな」
- 弱気を見せるな。
- 「しるかんなるぞ」
- 目立つということだ。「しるし」は著しい。
- 「著かふなれば」
- 着替えるそうだから。
- 「しや片脇に」
- 「しや」は相手をいやしめる接頭語的な語。あいつを片脇に。
- 「臆したんな」
- 臆したのだな。
- 「射しらまさる」
- 射られてひるまされる。
- 「十三束三伏」
- 矢の長さ。こぶし十三個分と指三本分。
- 「爪よつて」
- 爪で矢柄をしごいて、矢の具合を確かめて。
- 「十善帝王」
- 前世で十善を修めた果報として帝位についた天皇。安徳天皇。
- 「棹付の緒」
- 旗を竿に結びつける緒。
- 「小博士」
- 陰陽寮の下級の博士。
- 「はみ通り候はば」
- くぐって通り抜けたならば。
解説
浅利与一義成は甲斐源氏の武田一族で、壇の浦の遠矢で名を上げた。『吾妻鏡』には、のちに頼朝が義成の弓の腕を賞したことが見える。知盛の「名こそ惜しけれ」の言葉は、平家の武将の誇りを示すものとして、後世の軍記物語や芸能にも受け継がれた。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、786–790頁(コマ422–424)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日