古典ライブラリー

平家物語 巻第十

請文の事

重衡の母二位殿は、重衡の手紙を見て宗盛に三種の神器を返すよう泣いて頼んだが、宗盛は重衡一人と国の宝を引き換えにはできないと拒み、知盛の意見で、その旨を請文(返書)に書いて送ることになった。時忠は院の使い花方の顔に「波方」という焼き印を押して帰し、法皇はそれを笑った。宗盛の請文は、一の谷で一門が多く討たれたのに重衡一人の赦免を喜ぶわけにはいかないと述べ、平家累代の忠節と頼朝の恩知らずを説いて、帝の還幸を許さなければ神器は異国の宝となろうと結んでいた。

  1. 1大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの、、、平へい平へいへい大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんののの許もと許もともとへへへ院ゐん院ゐんいん宣ぜん宣ぜんぜんののの趣おもむき趣おもむきおもむきををを申まう申まうもうささされれれけりけりけり。。。二に二にに位ゐ位ゐい殿どの殿どのどの、、、中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょうののの文ふみ文ふみふみをををあけあけあけててて見み見みみ給たま給たまたまふふうににに、、、「「「重しげ重しげしげ衡ひら衡ひらひらををを今こん今こんこん生じやう生じやうじょうででで今いま今いまいま一いち一いちいち度ど度どど御ご御ごご覽らん覽らんらんぜぜぜんんんととと思おぼし思おぼしおぼし召め召めめささされれれ候さふら候さふらそうらははわばばば、、、三さん三さんさん種しゆ種しゆしゅののの神じん神じんじん器ぎ器ぎぎののの御おん御おんおん事こと事ことことををを、、、よきよきよきやうやうようににに申まう申まうもうさささせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、都みやこ都みやこみやこへへへ返かへ返かへかえししし入い入いいれれれさせさせさせ給たま給たまたまへへえ。。。さらさらさらずずずばばば御おん御おんおん目め目めめにににかゝるかゝるかかるべしべしべしとととももも存ぞん存ぞんぞんじじじ候さふら候さふらそうらははわずずず。。。」」」とととぞぞぞ書か書かかかかかれれれたるたるたる。。。二に二にに位ゐ位ゐい殿どの殿どのどのこのこのこの文ふみ文ふみふみををを顏かほ顏かほかおにににおしおしおし當あ當ああてててててて、、、人ひと人ひとひと々びと々びとびとのののおはしおはしおわしけるけるける後うしろ後うしろうしろののの障しやう障しやうしょう子じ子じじををを引ひ引ひひきききあけあけあけててて、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのののの御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんににに仆たふ仆たふたおれれれ伏ふ伏ふふししし、、、しばししばししばしはははものものものをををももも宣のたま宣のたまのたまははわずずず。。。
  2. 2やゝやゝややあつあつあっててて起お起おおきききあがりあがりあがり、、、涙なみだ涙なみだなみだをををおさへおさへおさえてててのたまひのたまひのたまいけるけるけるははは、、、「「「これこれこれ見み見みみ給たま給たまたまへへえ宗むね宗むねむね盛もり盛もりもり、、、京きやう京きやうきょうよりよりより中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょうがががいひいひいいおこしおこしおこしつるつるつる事こと事ことことののの無む無むむ慙ざん慙ざんざんさささよよよ。。。げにげにげにももも心こゝろ心こゝろこころののの中うち中うちうちににに、、、いかいかいかばかりばかりばかりののの事こと事ことことをををかかか思おも思おもおもふふうらんらんらん。。。たゞたゞただわれわれわれににに思おも思おもおもひひい許ゆる許ゆるゆるしししててて、、、三さん三さんさん種しゆ種しゆしゅののの神じん神じんじん器ぎ器ぎぎののの御おん御おんおん事こと事ことことをををよきよきよきやうやうようににに申まう申まうもうしししててて、、、都みやこ都みやこみやこへへへ返かへ返かへかえししし入い入いいれれれ奉たてまつ奉たてまつたてまつらららせせせ給たま給たまたまへへえ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの申まう申まうもうさささせせせ給たま給たまたまひひいけるけるけるははは、、、「「「宗むね宗むねむね盛もり盛もりもりもももさささこそこそこそははは存ぞん存ぞんぞんじじじ候さふら候さふらそうらへへえどもどもども、、、さしもさしもさしもにににわがわがわが朝てう朝てうちょうののの重ちよう重ちようちょう寶ほう寶ほうほう三さん三さんさん種しゆ種しゆしゅののの神じん神じんじん器ぎ器ぎぎををを、、、重しげ重しげしげ衡ひら衡ひらひら一いち一いちいち人にん人にんにんにににかへかへかへ參まゐ參まゐまいらせらせらせんんん事こと事ことこと、、、かつうかつうかつうははは世よ世よよのののためためため然しか然しかしかるるるべからべからべからずずず。。。かつうかつうかつうははは賴より賴よりより朝とも朝ともともがががかへりかへりかえり聞き聞ききかかかんんんずるずるずる所ところ所ところところももも、、、いひいひいいがひがひがいなうなうのう候さふらふ候さふらふそうろう。。。そのそのその上うへ上うへうえ、、、帝てい帝ていてい王わう王わうおうののの御み御みみ世よ世よよををを保たも保たもたもたたたせせせ給たま給たまたまふふう御おん御おんおん事こと事ことことももも、、、ひとへひとへひとえにににこのこのこの内ない内ないない侍し侍しし所どころ所どころどころののの渡わた渡わたわたらららせせせ給たま給たまたまふふう御おん御おんおん故ゆゑ故ゆゑゆえなりなりなり。。。さてさてさて餘よ餘よよののの子こ子ここどもどもども、、、親した親したしたしきしきしき人ひと人ひとひと々びと々びとびとをををばばば、、、中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょう一いち一いちいち人にん人にんにんにににおぼしめしおぼしめしおぼしめしかへかへかえさせさせさせ給たま給たまたまふふうべきべきべきかかか。。。子こ子ここのののかなしいかなしいかなしいととといふいふいう事こと事ことことももも、、、事こと事ことことにににこそこそこそよりよりより候さふら候さふらそうらへへえ。。。ゆめ〳〵ゆめ〳〵ゆめゆめ叶かな叶かなかなひひい候さふらふ候さふらふそうろうまじまじまじ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、二に二にに位ゐ位ゐい殿どの殿どのどの世よ世よよにににももも本ほ本ほほ意い意いいなげなげなげにてにてにて、、、かさねかさねかさねてててのたまひのたまひのたまいけるけるけるははは、、、「「「われわれわれ故こ故ここ入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくににに後おく後おくおくれれれててて後のち後のちのちははは、、、一いち一いちいち日にち日にちにち片へん片へんへん時じ時じじももも、、、命いのち命いのちいのち生い生いいきききててて世よ世よよにににあるあるあるべしべしべしととと思おも思おもおもははわざりざりざりしかしかしかどもどもども、、、主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょうのののいついついつとととなくなくなく、、、西さい西さいさい海かい海かいかいののの波なみ波なみなみののの上うへ上うへうえににに漂たゞよ漂たゞよただよははわせせせ給たま給たまたまふふう御おん御おんおん心こゝろ心こゝろこころ苦ぐる苦ぐるぐるしさしさしさににに、、、再ふたゝ再ふたゝふたたびびび代よ代よよにににあらせあらせあらせ奉たてまつ奉たてまつたてまつらららんんんがががためためためにににこそこそこそ、、、うきうきうきながらながらながら今日けふ今日けふきょうまでまでまでもももながらへながらへながらへたれたれたれ。。。中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょう一いち一いちいちののの谷たに谷たにたににてにてにて生いけ生いけいけ捕どり捕どりどりにににせせせられられられぬぬぬととと聞き聞きききききししし後のち後のちのちははは、、、いとゞいとゞいとど胸むね胸むねむねせきせきせきててて、、、湯ゆ湯ゆゆ水みづ水みづみずももも喉のど喉のどのどへへへ入い入いいれれれられられられずずず。。。中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょうこのこのこの世よ世よよににになきなきなきものものものととと聞き聞ききかかかばばば、、、われわれわれもももおなじおなじおなじ道みち道みちみちににに赴おもむ赴おもむおもむかかかんんんととと思おも思おもおもふふうなりなりなり。。。再ふたゝ再ふたゝふたたびびびものものものををを思おも思おもおもははわせせせぬぬぬ先さき先さきさきににに、、、たゞたゞただわれわれわれををを失うしな失うしなうしなへへえややや。。。」」」とてとてとて、、、をめきをめきおめき叫さけ叫さけさけびびび給たま給たまたまへへえばばば、、、まことまことまことにににさささこそこそこそはははととといたはしくいたはしくいたわしくててて、、、みなみなみな伏ふ伏ふふししし目め目めめにににぞぞぞならならなられれれけるけるける。。。
  3. 3新しん新しんしん中ちう中ちうちゅう納な納なな言ごん言ごんごん知とも知ともとも盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょうののの意い意いい見けん見けんけんににに申まう申まうもうささされれれけるけるけるははは、、、「「「さしもさしもさしもにににわがわがわが朝てう朝てうちょうののの重ちよう重ちようちょう寶ほう寶ほうほう、、、三さん三さんさん種しゆ種しゆしゅののの神じん神じんじん器ぎ器ぎぎををを都みやこ都みやこみやこへへへ返かへ返かへかえししし入い入いいれれれ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつったりたりたりとととももも、、、重しげ重しげしげ衡ひら衡ひらひら返かへ返かへかえししし賜たま賜たまたまははわらららんんん事こと事ことことありありありがたしがたしがたし。。。たゞたゞただそのそのそのやうやうようををを、、、恐おそ恐おそおそれれれなくなくなく御おん御おんおん請うけ請うけうけ文ぶみ文ぶみぶみににに申まう申まうもうさささせせせ給たま給たまたまふふうべうべうびょうもももややや候さふらふ候さふらふそうろうらんらんらん。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれけれけれければばば、、、このこのこの儀ぎ儀ぎぎ最もつと最もつともっとももも然しか然しかしかるるるべしべしべしとてとてとて、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの御おん御おんおん請うけ請うけうけ文ぶみ文ぶみぶみををを申まう申まうもうさささるるる。。。二に二にに位ゐ位ゐい殿どの殿どのどのははは涙なみだ涙なみだなみだにににくれくれくれててて、、、筆ふで筆ふでふでのののたちたちたちどもどもども覺おぼ覺おぼおぼえええ給たま給たまたまははわねねねどもどもども、、、志こゝろざし志こゝろざしこころざしをををしるべしるべしるべににに、、、泣な泣ななく〳〵く〳〵くなく御おん御おんおん返へん返へんへん事じ事じじ書か書かかきききたまへたまへたまえりりり。。。北きた北きたきたののの方かた方かたかた大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんののの佐すけ佐すけすけ殿どの殿どのどのははは、、、とかうとかうとこうののの事こと事ことことをををももものたまはのたまはのたまわずずず、、、引ひ引ひひきききかづいかづいかずいてててぞぞぞ伏ふ伏ふふししし給たま給たまたまふふう。。。そのそのその後のち後のちのち平へい平へいへい大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん時とき時ときとき忠たゞ忠たゞただののの卿きやう卿きやうきょう、、、院ゐん院ゐんいん宣ぜん宣ぜんぜんののの御おん御おんおん使つかひ使つかひつかい御お御おお坪つぼ坪つぼつぼののの召めし召めしめし次つぎ次つぎつぎ花はな花はなはな方かた方かたかたををを召め召めめしししててて、、、「「「汝なんぢ汝なんぢなんじ、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうののの御おん御おんおん使つかひ使つかひつかいとととしてしてして、、、多おほ多おほおおくくくののの波なみ波なみなみ路ぢ路ぢじををを凌しの凌しのしのいいいででで、、、はる〴〵はる〴〵はるばるとととこれこれこれまでまでまで下くだ下くだくだりりりたるたるたるしるししるししるしににに、、、汝なんぢ汝なんぢなんじ一いち一いちいち期ご期ごごががが間あひだ間あひだあいだのののおもひおもひおもいででで一ひと一ひとひとつつつあるあるあるべしべしべし。。。」」」とてとてとて、、、花はな花はなはな方かた方かたかたががが面つら面つらつらににに波なみ波なみなみ方かた方かたかたととといふいふいう燒やい燒やいやい印じるし印じるしじるしをををぞぞぞせせせられられられけるけるける。。。都みやこ都みやこみやこへへへ歸かへ歸かへかえりりり上のぼ上のぼのぼつつったりたりたりけれけれければばば、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおう叡えい叡えいえい覽らん覽らんらんあつあつあっててて、、、「「「汝なんぢ汝なんぢなんじははは花はな花はなはな方かた方かたかたかかか。。。」」」「「「さんさんさん候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」「「「よし〳〵よし〳〵よしよし、、、さらばさらばさらば波なみ波なみなみ方かた方かたかたとととももも召め召めめせせせかしかしかし。。。」」」とてとてとて、、、笑わら笑わらわらははわせせせおはしますおはしますおわします。。。そのそのその後のち後のちのち請うけ請うけうけ文ぶみ文ぶみぶみをををぞぞぞ開ひら開ひらひらかかかれれれけるけるける。。。
  4. 4「「「今こん今こんこん月げつ月げつげつ十じふ十じふじゅう四よつ四よつよっ日か日かかののの院ゐん院ゐんいん宣ぜん宣ぜんぜん、、、同おな同おなおなじきじきじき二に二にに十じふ十じふじゅう八はち八はちはち日にち日にちにち讚さぬ讚さぬさぬ岐き岐ききののの國くに國くにくに八や八やや島しま島しましまののの磯いそ磯いそいそににに到たう到たうとう來らい來らいらい、、、謹つゝし謹つゝしつつしんんんででで以もつ以もつもっててて承うけたまは承うけたまはうけたまわるるる所ところ所ところところ件くだん件くだんくだんののの如ごと如ごとごとししし。。。但たゞ但たゞただしししこれこれこれににについついついてててかれかれかれををを案あん案あんあんずるずるずるににに、、、通みち通みちみち盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょう以い以いい下げ下げげ、、、當たう當たうとう家け家けけ數すう數すうすう輩はい輩はいはい、、、攝せつ攝せつせつ州しう州しうしゅう一いち一いちいちののの谷たに谷たにたににてにてにて既すで既すですでににに誅ちう誅ちうちゅうせせせられられられをはんをはんおわんぬぬぬ。。。何なん何なんなんぞぞぞ重しげ重しげしげ衡ひら衡ひらひら一いち一いちいち人にん人にんにんががが寛くわん寛くわんかん宥いう宥いうゆうををを喜よろこ喜よろこよろこぶぶぶべきべきべきややや。。。それそれそれわがわがわが君きみ君きみきみははは、、、故こ故ここ高たか高たかたか倉くら倉くらくら院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおん讓ゆづ讓ゆづゆずりりりををを受う受ううけけけさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて、、、御ご御ごご在ざい在ざいざい位ゐ位ゐい既すで既すですでににに四し四しし箇か箇かか年ねん年ねんねん、、、政まつりごと政まつりごとまつりごと堯げう堯げうぎょう舜しゆん舜しゆんしゅんののの古こ古ここ風ふう風ふうふうをををとぶらふとぶらふとぶらう所ところ所ところところににに、、、東とう東とうとう夷い夷いい北ほく北ほくほく狄てき狄てきてき黨たう黨たうとうををを結むす結むすむすびびび羣ぐん羣ぐんぐんをををなしなしなしててて入じゆ入じゆじゅ洛らく洛らくらくののの間あひだ間あひだあいだ、、、且かつ且かつかつははは幼えう幼えうよう帝てい帝ていてい、、、母ぼ母ぼぼ后こう后こうこうののの御おん御おんおん歎なげ歎なげなげききき最もつと最もつともっとももも深ふか深ふかふかくくく、、、且かつ且かつかつははは外ぐわい外ぐわいがい戚せき戚せきせき近きん近きんきん臣しん臣しんしんののの憤いきどほ憤いきどほいきどおりりり淺あさ淺あさあさからからからざるざるざるににに依よ依よよつつっててて、、、しばらくしばらくしばらく九きう九きうきゅう國こく國こくこくににに幸かう幸かうこうすすす。。。還くわん還くわんかん幸かう幸かうこうなからなからなからんんんにににおいおいおいてててははは、、、三さん三さんさん種しゆ種しゆしゅののの神じん神じんじん器ぎ器ぎぎいかでいかでいかでかかか玉ぎよく玉ぎよくぎょく體たい體たいたいををを離はな離はなはなししし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるべきべきべきややや。。。それそれそれ臣しん臣しんしんははは君きみ君きみきみををを以もつ以もつもっててて心こゝろ心こゝろこころとととすすす。。。君きみ君きみきみははは臣しん臣しんしんををを以もつ以もつもっててて體たい體たいたいとととすすす。。。君きみ君きみきみやすけれやすけれやすければばばすなはちすなはちすなわち臣しん臣しんしんやすくやすくやすく、、、臣しん臣しんしんやすけれやすけれやすければばばすなはちすなはちすなわち國くに國くにくにやすしやすしやすし。。。君きみ君きみきみ上かみ上かみかみににに憂うれ憂うれうれふれふれうればばば臣しん臣しんしん下か下かかににに樂たの樂たのたのしましましまずずず。。。心しん心しんしん中ちう中ちうちゅうににに憂うれ憂うれうれへへえあれあれあればばば、、、體たい體たいたい外ぐわい外ぐわいがいににに悅よろこ悅よろこよろこびびびなしなしなし。。。曩なう曩なうのう祖そ祖そそ平へい平へいへい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐん貞さだ貞さださだ盛もり盛もりもり、、、相さう相さうそう馬ま馬ままののの小こ小ここ次じ次じじ郎らう郎らうろう將まさ將まさまさ門かど門かどかどををを追つゐ追つゐつい討たう討たうとうせせせしししよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、東とう東とうとう八はつ八はつはっ箇か箇かか國こく國こくこくををを鎭しづ鎭しづしずめめめててて、、、子し子しし々し々しし孫そん孫そんそん々そん々そんそんににに傳つた傳つたつたへへえててて、、、朝てう朝てうちょう敵てき敵てきてきののの暴ぼう暴ぼうぼう臣しん臣しんしんををを誅ちう誅ちうちゅう罰ばつ罰ばつばつしてしてして、、、代だい代だいだい々だい々だいだい世せ世せせ々せ々せせににに至いた至いたいたるるるまでまでまで、、、朝てう朝てうちょう家か家かかののの聖せい聖せいせい運うん運うんうんををを守まも守まもまもりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。然しか然しかしかれれればばばすなはちすなはちすなわち故こ故ここ亡ばう亡ばうぼう父ぷ父ぷぷ太だい太だいだい政じやう政じやうじょう大だい大だいだい臣じん臣じんじん、、、保ほう保ほうほう元げん元げんげん、、、平へい平へいへい治ぢ治ぢじ兩りやう兩りやうりょう度ど度どどののの逆げき逆げきげき亂らん亂らんらんののの時とき時ときとき、、、敕ちよく敕ちよくちょく命めい命めいめいををを重おも重おもおもんんんじじじててて私わたくし私わたくしわたくしののの命いのち命いのちいのちををを輕かろ輕かろかろんんんずずず。。。これこれこれひとへひとへひとえににに君きみ君きみきみののの爲ため爲ためためにににしてしてして、、、全まつた全まつたまったくくく身み身みみののの爲ため爲ためためにににせせせずずず。。。就なか就なかなか中んづく中んづくんずく、、、かのかのかの賴より賴よりより朝とも朝ともともははは去い去いいんんんぬるぬるぬる平へい平へいへい治ぢ治ぢじ元ぐわん元ぐわんがん年ねん年ねんねん十じふ十じふじゅう二に二にに月ぐわつ月ぐわつがつ、、、父ちゝ父ちゝちち左さ左ささ馬ま馬ままののの頭かみ頭かみかみ義よし義よしよし朝とも朝ともともががが謀む謀むむ叛ほん叛ほんほんににに依よ依よよつつっててて、、、既すで既すですでににに誅ちう誅ちうちゅう罰ばつ罰ばつばつせせせらるらるらるべきべきべき由よし由よしよし頻しき頻しきしきりりりににに仰おほ仰おほおおせせせ下くだ下くだくださささるゝるゝるるととといへいへいえどもどもども、、、故こ故ここ入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこく慈じ慈じじ悲ひ悲ひひのののあまりあまりあまり、、、申まう申まうもうししし宥なだ宥なだなだめめめられられられししし所ところ所ところところなりなりなり。。。然しか然しかしかるるるににに昔むかし昔むかしむかしののの洪こう洪こうこう恩おん恩おんおんををを忘わす忘わすわすれれれててて、、、芳はう芳はうほう意い意いいををを存ぞん存ぞんぞんぜぜぜずずず、、、忽たちま忽たちまたちまちちちににに狼らう狼らうろう羸るゐ羸るゐるいののの身み身みみををを以もつ以もつもっててて、、、妄みだ妄みだみだりりりににに蜂ほう蜂ほうほう起き起ききののの亂らん亂らんらんをををなすなすなす。。。至し至しし愚ぐ愚ぐぐののの甚はなはだ甚はなはだはなはだしきしきしき事こと事ことこと、、、申まう申まうもうすすすににに餘あま餘あまあまりりりありありあり。。。早はや早はやはやくくく神しん神しんしん明めい明めいめいののの天てん天てんてん罰ばつ罰ばつばつををを招まね招まねまねききき、、、ひそかひそかひそかににに敗はい敗はいはい績せき績せきせきののの損そん損そんそん滅めつ滅めつめつををを期ご期ごごするするするものものものかかか。。。それそれそれ日じつ日じつじつ月げつ月げつげつははは一いち一いちいち物もつ物もつもつののの爲ため爲ためためにににそのそのその明あき明あきあきらからからかなるなるなる事こと事ことことををを暗くら暗くらくろうううせせせずずず。。。明めい明めいめい王わう王わうおうははは一いち一いちいち人にん人にんにんががが爲ため爲ためためにににそのそのその法はふ法はふほうををを枉ま枉ままげげげずずず。。。一いち一いちいち惡あく惡あくあくををを以もつ以もつもってててそのそのその善ぜん善ぜんぜんををを棄す棄すすてててずずず、、、少せう少せうしょう瑕か瑕かかををを以もつ以もつもってててそのそのその功こう功こうこうををを蔽おほ蔽おほおおふふう事こと事ことことなかれなかれなかれ。。。且かつ且かつかつははは當たう當たうとう家け家けけ數すう數すうすう代だい代だいだいののの奉ほう奉ほうほう公こう公こうこう、、、且かつ且かつかつははは亡ばう亡ばうぼう父ぷ父ぷぷ數すう數すうすう度ど度どどののの忠ちう忠ちうちゅう節せつ節せつせつおぼしめしおぼしめしおぼしめし忘わす忘わすわすれれれずずずばばば、、、君きみ君きみきみ忝かたじけな忝かたじけなかたじけなくくくももも四し四しし國こく國こくこくののの御ご御ごご幸かう幸かうこうあるあるあるべきべきべきかかか。。。時とき時ときときににに臣しん臣しんしん等ら等らら院ゐん院ゐんいん宣ぜん宣ぜんぜんををを承うけたまは承うけたまはうけたまわつつっててて、、、復ふたゝ復ふたゝふたたびびび舊きう舊きうきゅう都と都ととににに還かへ還かへかえつつっててて會くわい會くわいかい稽けい稽けいけいののの恥はぢ恥はぢはじをををきよめきよめきよめんんん。。。もしもしもし然しか然しかしからららずずずばばば鬼き鬼きき界かい界かいかい、、、高かう高かうこう麗らい麗らいらい、、、天てん天てんてん竺ぢく竺ぢくじく、、、震しん震しんしん旦たん旦たんたんににに至いた至いたいたるるるべしべしべし。。。悲かな悲かなかなしきしきしきかなかなかな人にん人にんにん皇わう皇わうのう八はち八はちはち十じふ十じふじゅう一いち一いちいち代だい代だいだいののの御ぎよ御ぎよぎょ宇う宇ううににに當あた當あたあたつつっててて、、、わがわがわが朝てう朝てうちょう神じん神じんじん代だい代だいだいののの靈れい靈れいれい寶ほう寶ほうほう、、、遂つひ遂つひついににに空むな空むなむなしくしくしく異い異いい國こく國こくこくののの寶たから寶たからたからとととなさなさなさんんんかかか。。。宜よろ宜よろよろしくしくしくこれこれこれらららののの趣おもむき趣おもむきおもむきををを以もつ以もつもっててて、、、然しか然しかしかるるるべきべきべきやうやうようにににもらしもらしもらし奏そう奏そうそう聞もん聞もんもんせせせしめしめしめ給たま給たまたまへへえ。。。宗むね宗むねむね盛もり盛もりもり頓とん頓とんとん首しゆ首しゆしゅ、、、謹つゝし謹つゝしつつしんんんででで申まう申まうもうすすす。。。壽じゆ壽じゆじゅ永えい永えいえい三さん三さんさん年ねん年ねんねん二に二にに月ぐわつ月ぐわつがつ二に二にに十じふ十じふじゅう八はち八はちはち日にち日にちにち、、、從じゆ從じゆじゅ一いち一いちいち位ゐ位ゐい前さきの前さきのさきの内ない内ないない大だい大だいだい臣じん臣じんじん平たひら平たひらたいらののの朝あ朝ああ臣そん臣そんそん宗むね宗むねむね盛もり盛もりもりががが請うけ請うけうけ文ぶみ文ぶみぶみ。。。」」」とととこそこそこそ書か書かかかかかれれれたれたれたれ。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

大臣殿と平大納言のもとへ院宣の趣旨を申された。二位殿が中将(重衡)の手紙を開けてご覧になると、「重衡をこの世でもう一度ご覧になりたいとお思いでしたら、三種の神器のことをよいように申されて、都へお返し入れください。そうでなければ、お目にかかれるとも思いません」と書かれていた。二位殿はこの手紙を顔に押し当てて、人々のおられる後ろの障子を引き開けて、大臣殿の御前に倒れ伏し、しばらくは物もおっしゃらなかった。

しばらくして起き上がり、涙をおさえておっしゃるには、「これをご覧なさい、宗盛。京から中将が言ってよこしたことのいたわしさよ。本当に心の中ではどれほどのことを思っているだろう。ただ私に免じて、三種の神器のことをよいように申して、都へお返し入れ申してください」とおっしゃると、大臣殿が申されるには、「宗盛もそうは思いますが、あれほどのわが国の宝である三種の神器を重衡一人と引き換えにすることは、一つには世のためによくありません。一つには頼朝が伝え聞くことを考えても、ふがいないことです。そのうえ帝王が御世を保たれるのも、ひとえにこの内侍所(神鏡)がおありになるからです。それにほかの子どもや親しい人々を、中将一人と引き換えにお考えになるのですか。子がいとしいというのも時と場合によります。決してかなうことではありません」とおっしゃったので、二位殿はまことに残念そうで、重ねておっしゃるには、「私は故入道相国に先立たれてからは、一日片時も生きてこの世にいようとは思わなかったが、帝がいつ果てるともなく西海の波の上に漂っておられるお気の毒さに、もう一度世にお戻し申すためにこそ、つらいながら今日まで生きながらえてきた。中将が一の谷で生け捕りにされたと聞いてからは、いっそう胸がふさがって、湯水も喉に通らない。中将がこの世にいないと聞いたら、私も同じ道へ行こうと思う。再び物思いをさせないうちに、いっそ私を殺してください」といって、わめき叫ばれたので、まことにもっともだとお気の毒で、皆うつむいてしまわれた。

新中納言知盛卿が意見として申されるには、「あれほどのわが国の宝である三種の神器を都へお返し申しても、重衡が返していただけることはありますまい。ただそのことを、恐れずに御請文に申されるのがよいでしょう」と申されたので、それがもっともだということで、大臣殿は御請文を書かれた。二位殿は涙にくれて、筆の運びも分からないほどであったが、心をしるべにして泣く泣くお返事を書かれた。北の方の大納言佐殿は何もおっしゃらず、衣を引きかぶって伏してしまわれた。その後、平大納言時忠卿は、院宣の御使いの御坪の召次花方を呼んで、「おまえは法皇の御使いとして、多くの波路を越えて、はるばるここまで下ってきたしるしに、一生の思い出を一つ作ってやろう」といって、花方の顔に「波方」という焼き印を押された。都へ帰り上ると、法皇がご覧になって、「おまえは花方か」「さようでございます」「よしよし、それなら波方とでも呼べ」といってお笑いになった。その後、請文を開かれた。

「今月十四日の院宣は、同月二十八日に讃岐国屋島の磯に届き、謹んでその旨を承りました。ただしこれについて考えますと、通盛卿以下、当家の者数人が摂津の一の谷ですでに討たれました。どうして重衡一人の赦免を喜べましょうか。そもそもわが君は、故高倉院のご譲位を受けられて、在位すでに四年、政治は堯舜の古風にならっておられたところに、東国・北国の夷どもが徒党を組み群れをなして都に乱入したので、一つには幼い帝と母后のお嘆きがまことに深く、一つには外戚・近臣の憤りが浅くないので、しばらく九州に行幸されたのです。還幸がないかぎり、三種の神器がどうして帝の御身を離れることがありましょうか。そもそも臣は君を心とし、君は臣を体とします。君が安らかであれば臣も安らかであり、臣が安らかであれば国も安らかです。君が上で憂えれば、臣は下で楽しむことがありません。心の中に憂いがあれば、身の外に喜びはありません。先祖の平将軍貞盛が相馬の小次郎将門を追討して以来、東八か国を鎮めて子々孫々に伝え、朝敵の暴臣を誅罰して、代々朝廷の聖運をお守りしてきました。それゆえ故亡父太政大臣(清盛)は、保元・平治の二度の逆乱のとき、勅命を重んじて自分の命を軽んじました。これはひとえに君のためであって、まったく自分のためではありません。とりわけあの頼朝は、去る平治元年十二月、父左馬頭義朝の謀反によって、すでに誅罰すべきだとしきりに仰せ下されたのに、故入道相国が慈悲のあまり申しなだめて助けた者です。それなのに昔の大恩を忘れ、好意をわきまえず、たちまち狼のような弱い身で、みだりに蜂起の乱を起こしました。愚かさの甚だしいことは申すまでもありません。早く神明の天罰を招き、ひそかに敗れ滅びることでしょう。そもそも日月は一つの物のためにその明るさを暗くすることはなく、明王は一人のためにその法を曲げることはありません。一つの悪のためにその善を捨てず、小さな傷のためにその功をおおうことのないようにしてください。一つには当家数代の奉公、一つには亡父の度々の忠節をお忘れでなければ、君はかたじけなくも四国に御幸くださるべきでしょう。そのとき臣らは院宣を承って、再び旧都に帰り、会稽の恥をすすぎましょう。もしそうでなければ、鬼界・高麗・天竺・震旦にまで行くことになるでしょう。悲しいことに、人皇八十一代の御代にあたって、わが国の神代の霊宝が、ついにむなしく異国の宝となるのでしょうか。どうかこれらの趣旨を、しかるべく取り次いで奏上してください。宗盛、頓首して謹んで申し上げます。寿永三年二月二十八日、従一位前内大臣平朝臣宗盛の請文」と書かれていた。

意訳

三種の神器と重衡との交換を、平家が拒む章段である。わが子を思って泣き叫ぶ二位殿と、国の宝と一人の子とは引き換えにできないと説く宗盛・知盛との対立は、一門の運命を背負う者たちの苦しい選択を示している。院の使いの顔に焼き印を押す時忠のふるまいは、平家の意地と荒々しさを表している。

宗盛の請文は、平家累代の忠節を述べ、頼朝の恩知らずを責め、帝の還幸を条件として神器の返還を拒むものである。「臣は君を以て心とす」以下の対句を重ねた文体は、和漢混交文の公文書の典型であり、追いつめられた平家の自負と危うさとをよく伝えている。

語釈・文法注

文法

「われに思ひ許して」
私に免じて。
「かつうは」
「且つは」の音便。一つには。
「波方といふ燒印」
「花方」を「波方」と変えて、波路を越えてきたしるしとしたもの。
「東夷北狄」
東国・北国の野蛮な者たち。頼朝・義仲の軍勢をさす。
「狼羸の身」
頭注に一本「狼戾」とある。狼のように荒々しい身、の意か。
「會稽の恥をきよめん」
敗戦の恥をすすごう。越王勾践の故事による。

解説

宗盛の請文は『吾妻鏡』寿永三年二月二十九日条にも載せられている。平家は三種の神器の返還を拒み、こののち屋島・壇の浦で戦いを続けた。重衡は鎌倉へ送られることになる(「海道くだり」)。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、717–721頁(コマ387–389)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日