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平家物語 巻第十

八島院宣の事

院宣の使い花方は二月二十八日に屋島に着き、宗盛以下の公卿・殿上人の前で院宣を開いた。院宣は、天皇が都を出て三種の神器が南海に埋もれていることを朝廷の嘆きとし、東大寺を焼いた逆臣重衡は頼朝の求めどおり死罪にすべきところだが、三種の神器を都へ返すならば重衡を許すと伝えるものであった。

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引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

日数がたって、院宣の御使いである御坪の召次花方は、同月二十八日に讃岐国屋島の磯に下り着いて、院宣を取り出して差し上げた。大臣殿以下の公卿・殿上人が寄り集まって、この院宣を開かれた。「天皇が宮中を出て諸国へ行幸され、三種の神器は南海の四国に埋もれて数年を経た。これはまことに朝廷の嘆きであり、国を滅ぼす基である。そもそもあの重衡卿は東大寺を焼いた逆臣である。当然、頼朝朝臣の申し出どおりに死罪に処すべきであるが、ひとり親族から離れて、すでに生け捕りとなっている。籠の鳥が雲を恋う思いは、はるか千里の南海に浮かび、帰る雁が友を失った心は、きっと宮中への途上に通じているであろう。それゆえ三種の神器を都へお返し申すならば、あの卿を許すであろう。以上が院宣の趣旨であり、よってこのとおり伝える。寿永三年二月十四日、大膳大夫成忠が承って。謹上、前平大納言殿へ」と書かれていた。

意訳

後白河法皇が、生け捕りの重衡と三種の神器との交換を平家に持ちかけた院宣である。「籠鳥の雲を恋ふる思ひ」「帰雁友を失ふ心」という対句で、捕らわれの重衡と一門の思いを推し量りながら、神器の返還を迫っている。

語釈・文法注

文法

「一人聖體、北闕の九禁を出でて」
天皇(一人)が宮中(北闕・九禁)を出て。
「籠鳥の雲を戀ふる思ひ、歸鴈友を失ふ心」
捕らわれた重衡と、一門から離れた身の嘆きを、籠の鳥と群れを離れた雁にたとえた対句。
「ていれば」
「と言へれば」のつまった形。以上のとおりであるから。文書の結びの決まり文句。
「執達件の如し」
命令を伝えることは以上のとおりである。

解説

後白河法皇は寿永三年(1184)二月、重衡を介して平家に三種の神器の返還を求めた。この院宣と、次章段の宗盛の請文(返書)は、『吾妻鏡』にも同じ趣旨のものが見える。

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出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、717頁(コマ387)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日