平家物語 巻第九
小宰相の事
通盛の侍見田滝口時員は、主が湊川の下で討たれたことを北の方小宰相に告げた。小宰相は泣き伏して起き上がらず、屋島へ渡る船の中で、乳母に、合戦の前夜に通盛と最後に会ったこと、身ごもっていることを打ち明けたときの通盛の喜びを語り、入水の決意を漏らす。乳母は思いとどまるよう諫めたが、乳母がまどろんだ隙に、小宰相は船端に出て西に向かい念仏を唱え、海に身を投げた。引き上げたときにはもう息がなかった。小宰相は上西門院に仕えた禁中一の美人で、通盛が三年文を送り続けても応じなかったが、女院の取りなしで結ばれたのであった。
- 1越越えち前前ぜんののの三三さん位位み通通みち盛盛もり卿卿きょうののの侍侍さぶらいににに見見けん田田だ瀧瀧たき口口ぐち時時とき員員かずととといふいふいう者者ものありありあり。。。いそぎいそぎいそぎ北北きたののの方方かたののの御御おん船船ふねににに參參まいつつっててて申申もうしししけるけるけるははは、、、「「「君君きみははは今今け朝朝さ湊湊みなと河河がわののの下下しもにてにてにて、、、敵敵かたき七七しち騎騎きががが中中なかににに取取とりりりこめこめこめ參參まいらせらせらせててて、、、遂遂ついににに討討うたたたれれれさせさせさせ給給たまひひいててて候候そうらひひいぬぬぬ。。。中中なかにににももも殊殊ことににに手手てををを下下おろいいいててて討討うちちち奉奉たてまつつつったりたりたりしししははは、、、近近おう江江みののの國國くにののの住住じゅう人人にん佐佐さ々々さ木木きののの木木き村村むらののの三三さぶ郎郎ろう成成なり綱綱つな、、、武武む藏藏さしののの國國くにののの住住じゅう人人にん玉玉たま井井いののの四四し郎郎ろう助助すけ景景かげとととこそこそこそ、、、名名な乘乘のりりりまゐらせまゐらせまいらせててて候候そうらひひいつれつれつれ。。。時時とき員員かずももも一一いっ所所しょででで討討うち死死じに仕仕つかまつりりり、、、最最さい後後ごののの御御おん供供とも仕仕つかまつるるるべうべうびょう候候そうらひひいつれつれつれどもどもども、、、かねかねかねてててよりよりより仰仰おおせせせ候候そうらひひいしししははは、、、通通みち盛盛もりいかにいかにいかになるなるなるとととももも、、、汝汝なんじははは命命いのちををを捨捨すつつつべからべからべからずずず。。。いかにいかにいかにもももしてしてして存存ながへへえててて、、、御御おんゆくへゆくへゆくえをををももも尋尋たずねねね參參まいらせらせらせよよよととと、、、仰仰おおせせせ候候そうらひひいししし程程ほどににに、、、かひかひかいなきなきなき命命いのち許許ばかりりり生生いきききててて、、、つれなうつれなうつれのうこそこそこそこれこれこれまでまでまで參參まいつつっててて候候そうらへへえ。。。」」」ととと申申もうしししけれけれければばば、、、北北きたののの方方かた、、、とかくとかくとかくののの返返へん事事じにににももも及及およびびび給給たまははわずずず、、、ひきひきひき被被かずいいいてててぞぞぞ臥臥ふししし給給たまふふう。。。一一いち定定じょう討討うたたたれれれ給給たまひひいぬぬぬとととははは聞聞きききき給給たまへへえどもどもども、、、もしもしもしひがひがひがことことことにてにてにてもももやややあるあるあるらんらんらん、、、生生いきききててて歸歸かえらららるゝるゝるる事事こともももやややととと、、、二二に三三さん日日にちはははあからさまあからさまあからさまににに出出いでででたるたるたる人人ひとををを待待まつつつ心心ここちちちしてしてしておはしおはしおわしけるけるけるががが、、、四四し五五ご日日にちももも過過すぎぎぎしかしかしかばばば、、、もしやもしやもしやのののたのみたのみたのみももも弱弱よわりりりはてはてはてててて、、、いとゞいとゞいとど心心こころ細細ぼそくくくぞぞぞならならなられれれけるけるける。。。たゞたゞただ一一いち人人にんつきつきつき奉奉たてまつりりりたりたりたりけるけるける乳乳めの母母とののの女女にょう房房ぼうももも、、、同同おなじじじ枕枕まくらににに伏伏ふししし沉沉しずみみみにににけりけりけり。。。
- 2かくかくかくととと聞聞きききき給給たまひひいししし七七なぬ日日かののの日日ひののの暮暮くれほどほどほどよりよりより、、、十十じゅう三三さん日日にちののの夜夜よまでまでまでははは、、、起起おきききももも上上あがりりり給給たまははわずずず。。。あくれあくれあくればばば十十じゅう四四よっ日日か、、、八八や島島しまへへへおしおしおし渡渡わたるるる。。。宵宵よいうちうちうち過過すぐるぐるぐるまでまでまでははは臥臥ふししし給給たまひひいたりたりたりけるけるけるががが、、、更更ふけけけゆくゆくゆくまゝまゝままににに船船ふねののの中中うちしづまりしづまりしずまりけれけれければばば、、、乳乳めの母母とののの女女にょう房房ぼうにににのたまひのたまひのたまいけるけるけるははは、、、「「「今今け朝朝さまでまでまでははは、、、三三さん位位み討討うたたたれれれにににしししとととははは聞聞ききききしかしかしかどもどもども、、、まことまことまこととととももも思思おもははわでででありありありつるつるつるががが、、、このこのこの暮暮くれほどほどほどよりよりより、、、げにげにげにさもさもさもあるあるあるらんらんらんととと思思おもひひい定定さだめめめてててあるあるあるぞぞぞとととよよよ。。。そのそのその故故ゆえははは、、、みなみなみな人人ひとごとごとごとににに、、、湊湊みなと河河がわとととやらんやらんやらんにてにてにて三三さん位位み討討うたたたれれれにににしししとととはははいひいひいいしかしかしかどもどもども、、、そのそのその後後のち生生いきききてててあうあうおうたりたりたりととといふいふいう者者もの一一いち人人にんもももなしなしなし。。。明日明日あすうちうちうち出出いでででんんんとてとてとてののの夜夜よ、、、あからさまあからさまあからさまなるなるなる所所ところにてにてにて行行ゆきききあひあひあいたりたりたりしかしかしかばばば、、、いついついつよりよりよりももも心心こころぼそぼそぼそげげげにににうちうちうち歎歎なげきききててて、、、『『『明日明日あすののの軍軍いくさにににははは必必かならずずず討討うたたたれれれんんんととと覺覺おぼゆるゆるゆるはははとととよよよ。。。われわれわれいかにいかにいかにもももなりなりなりなんなんなん後後のち、、、人人ひとはははいかゞいかゞいかがはははししし給給たまふふうべきべきべき。。。』』』などなどなどいひいひいいしかしかしかどもどもども、、、軍軍いくさはははいついついつもももののの事事ことなれなれなればばば、、、一一いち定定じょうさるさるさるべしべしべしとととももも思思おもははわでででありありありつるつるつる事事ことこそこそこそ悲悲かなしけれしけれしけれ。。。それそれそれををを限限かぎりりりとととだにだにだに思思おもははわましかましかましかばばば、、、などなどなど後後のちののの世世よととと契契ちぎらららざりざりざりけんけんけんととと、、、思思おもふふうさへさへさへこそこそこそ悲悲かなしけれしけれしけれ。。。たゞたゞただならならならずずずなりなりなりたるたるたる事事ことをををももも、、、日日ひ頃頃ごろはははかくしかくしかくしててていはいはいわざりざりざりしかしかしかどもどもども、、、あまりあまりあまりににに心心こころ深深ぶこううう思思おもははわれれれじじじとてとてとて、、、いひいひいい出出いだしししたりたりたりしかしかしかばばば、、、なのめなのめなのめならならならずずずうれしげうれしげうれしげにてにてにて、、、『『『通通みち盛盛もり三三さん十十じゅうににになるなるなるまでまでまで、、、子子こととといふいふいう者者ものももも無無なかりかりかりつるつるつるににに、、、あはれあはれあわれ同同おなじうじうじゅうははは男男なん子子しにてにてにてもももあれあれあれかしかしかし。。。うきうきうき世世よののの忘忘わすれれれがたみがたみがたみにににもももととと、、、思思おもひひい置置おくくくばかりばかりばかりなりなりなり。。。さてさてさて幾幾いく月月つきにににかかかなるなるなるらんらんらん、、、心心ここちちちははは如如い何何かあるあるあるらんらんらん。。。いついついつとととなきなきなき波波なみののの上上うえ、、、船船ふねののの中中うちののの住住すま居居いなれなれなればばば、、、靜靜しずかかかににに身身み々々みとととならならならんんん時時とき、、、いかゞいかゞいかがはははししし給給たまふふうべきべきべき。。。』』』などなどなどいひいひいいしししははは、、、はかなかりはかなかりはかなかりけるけるけるかねかねかね言言ごとかなかなかな。。。まことまことまことやらんやらんやらん、、、女女おんなはははさやうさやうさようののの時時とき、、、十十とおににに九九ここのははは必必かならずずず死死しぬるぬるぬるなれなれなればばば、、、恥恥はじがましうがましうがましゅう、、、うたてきうたてきうたてき目目めををを見見みててて、、、むなしうむなしうむなしゅうならならならんんんももも心心こころ憂憂うししし。。。しづかしづかしずかににに身身み々々みとととなつなつなっててて後後のち、、、稚稚おさなききき者者ものををを育育そだてててててて、、、なきなきなき人人ひとのののかたみかたみかたみにににももも見見みばやばやばやとととははは思思おもへへえどもどもども、、、それそれそれををを見見みんんん度度たびごとごとごとにににははは、、、昔昔むかしののの人人ひとのみのみのみ戀戀こいしくしくしくててて、、、思思おもひひいののの數數かずはははまさるまさるまさるとととももも、、、慰慰なぐさむむむ事事ことはははよもよもよもあらあらあらじじじ。。。遂遂ついにににははは遁遁のがれれれまじきまじきまじき道道みちなりなりなり。。。もしもしもし不不ふ思思し議議ぎににに此此こののの世世よををを忍忍しのびびび過過すごすすすとととももも、、、心心こころににに任任まかせせせぬぬぬ世世よののの習習ならひひいははは、、、思思おもははわぬぬぬ外外ほかののの不不ふ思思し議議ぎもももあるあるあるぞぞぞとととよよよ。。。それそれそれももも思思おもへへえばばば心心こころ憂憂うししし。。。まどろめまどろめまどろめばばば夢夢ゆめににに見見みえええ、、、さむれさむれさむればばば面面おも影影かげににに立立たつつつぞぞぞとととよよよ。。。生生いきききてててゐゐいててて、、、とにかくとにかくとにかくににに人人ひとををを戀戀こいしししととと思思おもははわんんんよりよりより、、、水水みずののの底底そこへへへももも入入いらららばやばやばやととと、、、思思おもひひい定定さだめめめてててあるあるあるぞぞぞとととよよよ。。。そこそこそこににに一一ひと人人り止止とどまつまつまっててて、、、歎歎なげかかかんんんずるずるずる事事ことこそこそこそ心心こころ苦苦ぐるしけれしけれしけれどもどもども、、、妾妾わらわががが裝裝しょう束束ぞくのののあるあるあるをををばばば取取とつつっててて、、、いかならいかならいかならんんん僧僧そうにににももも奉奉たてまつりりり、、、なきなきなき人人ひとののの御御ご菩菩ぼ提提だいをををももも弔弔とぶらひひい參參まいらせらせらせ、、、妾妾わらわががが後後ご生生しょうをををももも助助たすけけけ給給たまへへえ。。。書書かききき置置おきききたるたるたる文文ふみをををばばば都都みやこへへへ傳傳つたへへえてててたべたべたべ。。。」」」などなどなど、、、こま〴〵こま〴〵こまごまとととのたまへのたまへのたまえばばば、、、乳乳めの母母とののの女女にょう房房ぼう、、、涙涙なみだををを抑抑おさへへえててて、、、「「「いとけなきいとけなきいとけなき子子こをををもももふりふりふり棄棄すてててててて、、、老老おいいいたるたるたる親親おやをををももも止止とどめめめ置置おききき、、、はる〴〵はる〴〵はるばるとととこれこれこれまでまでまで附附つききき參參まいらせらせらせててて候候そうろう志志こころざしをををばばば、、、いかいかいかばかりばかりばかりとととかかか思思おぼし召召めささされれれ候候そうろうらんらんらん。。。今今こん度度ど一一いちののの谷谷たににてにてにて討討うたたたれれれさせさせさせたまふたまふたまう御御ご一一いっ家家けののの、、、公公きん達達だちたちたちたちののの北北きたののの方方かたののの御御おんなげきなげきなげき、、、いづれいづれいずれかかかおろかおろかおろかににに思思おぼし召召めささされれれ候候そうろうべきべきべき。。。必必かならずずず一一ひとつつつ蓮蓮はちすへへへととと思思おぼし召召めささされれれ候候そうろうとととももも、、、生生うまれれれかはらかはらかわらせせせたまひたまひたまいなんなんなん後後のち、、、六六ろく道道どう四四し生生しょうののの間間あいだにてにてにて、、、いづくいづくいずくののの道道みちへへへかかか赴赴おもむかかかせせせ給給たまははわんんんずらんずらんずらん。。。行行ゆきききあはせあはせあわせたまはたまはたまわんんん事事ことももも不不ふ定定じょうなれなれなればばば、、、御御おん身身みををを投投なげげげてててもももよしなきよしなきよしなき御御おん事事ことなりなりなり。。。しづかしづかしずかににに身身み々々みとととならならならせせせ給給たまひひいててて、、、いかならいかならいかならんんん岩岩いわ木木きののの間間はざまにてにてにてももも、、、稚稚おさなききき人人ひとををを育育そだててて參參まいらせらせらせ、、、御御おん樣樣さまをををかへかへかへ、、、佛佛ほとけののの御御み名名なををを唱唱となへへえててて、、、なきなきなき人人ひとののの御御ご菩菩ぼ提提だいををを弔弔とぶらひひい參參まいらせらせらせ給給たまへへえかしかしかし。。。そのそのその上上うえ都都みやこのののことことことをををばばば、、、誰誰たれ見見みつぎつぎつぎまゐらせまゐらせまいらせよよよとてとてとて、、、かやうかやうかようにににははは仰仰おおせせせられられられ候候そうろうやらんやらんやらん。。。恨恨うらめしうめしうめしゅうももも承承うけたまわりりり候候そうろうものものものかなかなかな。。。」」」とてとてとて、、、さめ〴〵さめ〴〵さめざめとととかきかきかきくどきくどきくどきけれけれければばば、、、北北きたののの方方かた、、、このこのこの事事ことあしうあしうあしゅうももも知知しらせらせらせなんなんなんとととややや思思おもははわれれれけんけんけん、、、「「「これこれこれははは心心こころににに代代かわつつってててももも、、、推推おししし量量はかりりり給給たまふふうべしべしべし。。。大大おお方方かたののの世世よののの恨恨うらめしさめしさめしさ、、、人人ひとののの別別わかれれれののの悲悲かなしさしさしさにににももも、、、身身みををを投投なげげげんんんなどなどなどいふいふいうははは常常つねののの習習ならひひいなりなりなり。。。されどもされどもされどもさやうさやうさようののの事事ことははは、、、ありありあり難難がたききき例例ためしぞぞぞかしかしかし。。。實實まことににに思思おもひひい立立たつつつ事事ことあらあらあらばばば、、、そこそこそこににに知知しらせらせらせずずずしてしてしてはははあるあるあるまじきまじきまじきぞぞぞ。。。今今いまははは夜夜よももも更更ふけけけぬぬぬ。。。いざやいざやいざや寢寢ねんんん。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、乳乳めの母母とののの女女にょう房房ぼう、、、このこのこの四四し五五ご日日にちははは湯湯ゆ水水みずをををだにだにだに、、、はか〴〵しうはか〴〵しうはかばかしゅう御御ご覽覽らんじじじ入入いれれれさせさせさせ給給たまははわぬぬぬ人人ひとののの、、、かやうかやうかようにににこま〴〵こま〴〵こまごまととと仰仰おおせせせらるゝらるゝらるるははは、、、まことまことまことににに思思おぼし召召めししし立立たつつつことことこともももやややととと悲悲かなしうしうしゅうててて、、、「「「およそおよそおよそははは都都みやこののの御御おん事事こともももさるさるさる御御おん事事ことにてにてにて候候そうらへへえどもどもども、、、げにげにげにおぼしおぼしおぼし立立たつつつ事事ことならならならばばば、、、妾妾わらわをををももも千千ち尋尋ひろののの底底そこまでまでまでももも、、、引引ひきききこそこそこそ具具ぐせせせさせさせさせ給給たまははわめめめ。。。後後おくれれれ參參まいらせらせらせなんなんなん後後のち、、、更更さらににに片片かた時時ときながらふながらふながらうべしべしべしとととももも覺覺おぼえええぬぬぬものものものかなかなかな。。。」」」ととと申申もうしししててて、、、御御おん側側そばにににありありありながらながらながら、、、ちとちとちとうちうちうちまどろみまどろみまどろみたりたりたりけるけるける隙隙ひまににに、、、北北きたののの方方かたやはらやはらやわら船船ふなばたばたばたへへへ起起おききき出出いででで給給たまひひいててて、、、漫漫まん々々まんたるたるたる海海かい上上じょうなれなれなればばば、、、いづちいづちいずちををを西西にしとととははは知知しらららねねねどもどもども、、、月月つきののの入入いるるるさささののの山山やまののの端端はををを、、、そなたそなたそなたののの空空そらとととやややおぼしおぼしおぼしけんけんけん、、、靜靜しずかかかににに念念ねん佛佛ぶつししし給給たまへへえばばば、、、沖沖おきののの白白しら洲洲すににに鳴鳴なくくく千千ち鳥鳥どり、、、天天あまのののとととわたるわたるわたる楫楫かじののの音音おと、、、折折おりからからから哀哀あわれれれやややまさりまさりまさりけんけんけん、、、しのびしのびしのび音音ねににに念念ねん佛佛ぶつ百百ひゃく遍遍ぺんばかりばかりばかり唱唱となへへえさせさせさせ給給たまひひいつゝつゝつつ、、、「「「南南な無無む西西さい方方ほう極極ごく樂樂らく世世せ界界かいののの教教きょう主主しゅ彌彌み陀陀だ如如にょ來來らい、、、本本ほん願願がんあやまたあやまたあやまたずずず、、、あかあかあかででで別別わかれれれしししいもいもいもせせせのののなからひなからひなからい、、、必必かならずずず一一ひとつつつ蓮蓮はちすににに。。。」」」ととと、、、泣泣なく〳〵く〳〵くなく遙遙はるかかかにににかきかきかきくどきくどきくどき、、、南南な無無むととと唱唱となふるふるうる聲聲こえととと共共ともににに、、、海海うみにににぞぞぞ沉沉しずみみみ給給たまひひいけるけるける。。。一一いちののの谷谷たによりよりより八八や島島しまへへへおしおしおし渡渡わたらららんんんとてとてとてののの、、、夜夜よ半半はばかりばかりばかりののの事事ことなりなりなりけれけれければばば、、、船船ふねののの中中うちしづまつしづまつしずまっててて、、、人人ひとこれこれこれををを知知しらららざりざりざりけりけりけり。。。
- 3そのそのその中中なかににに楫楫かん取取どりののの一一いち人人にん寢寢ねざりざりざりけるけるけるががが、、、このこのこの由由よしををを見見み奉奉たてまつりりりててて、、、「「「あれあれあれはははいかにいかにいかに、、、あのあのあの御御おん船船ふねよりよりより女女にょう房房ぼうののの海海うみへへへ入入いらららせせせたまひたまひたまいぬるぬるぬるははは。。。」」」ととと呼呼よばはばはばわつつったりたりたりけれけれければばば、、、乳乳めの母母とののの女女にょう房房ぼううちうちうち驚驚おどろききき、、、側側そばををを探探さぐれれれどもどもどもおはせおはせおわせざりざりざりけれけれければばば、、、たゞたゞただあれよ〳〵あれよ〳〵あれよあれよとととぞぞぞあきれあきれあきれけるけるける。。。人人ひとあまたあまたあまた下下おりりりててて、、、取取とり上上あげげげ奉奉たてまつらららんんんとととしししけれけれけれどもどもども、、、さらさらさらぬぬぬだにだにだに春春はるののの夜夜よははは、、、ならひならひならいにににかすむかすむかすむものものものなれなれなればばば、、、四四よ方方もののの叢叢むら雲雲くもうかれうかれうかれ來來きててて、、、かづけかづけかずけども〳〵ども〳〵どもかずけども、、、月月つきおぼろおぼろおぼろにてにてにて見見みえええ給給たまははわずずず。。。遙遙はるかかかににに程程ほど經經へててて後後のち、、、取取とり上上あげげげ奉奉たてまつりりりたりたりたりけれけれけれどもどもども、、、はやはやはやこのこのこの世世よににになきなきなき人人ひととととなりなりなり給給たまひひいぬぬぬ。。。白白しろききき袴袴はかまににに練練ねり緯緯ぬきののの二二ふたつつつ衣衣ぎぬををを著著き給給たまへへえりりり。。。髪髪かみももも袴袴はかまもももしほたれしほたれしおたれててて取取とりりりあげあげあげけれけれけれどもどもどもかひかひかいぞぞぞなきなきなき。。。
- 4乳乳めの母母とののの女女にょう房房ぼう、、、手手てににに手手てををを取取とり組組くみみみ、、、顏顏かおににに顏顏かおをををおしおしおし當當あてててててて、、、「「「などなどなどやややこれこれこれ程程ほどにににおぼしめしおぼしめしおぼしめし立立たつつつ事事ことならならならばばば、、、わらはわらはわらわをををももも千千ち尋尋ひろののの底底そこまでまでまでももも、、、引引ひきききこそこそこそ具具ぐせせせさせさせさせ給給たまふふうべけれべけれべけれ。。。恨恨うらめしうめしうめしゅうもももたゞたゞただ一一ひと人人り止止とどめめめさせさせさせ給給たまふふうものものものかなかなかな。。。さるさるさるにににてててももも今今いま一一いち度度どものものもの仰仰おおせせせられられられててて、、、妾妾わらわににに聞聞きかかかせせせさせさせさせたまへたまへたまえ。。。」」」とてとてとて悶悶もだえええこがれこがれこがれけれけれけれどもどもども、、、はやはやはやこのこのこの世世よににになきなきなき人人ひととととなりなりなり給給たまひひいぬるぬるぬる上上うえははは、、、一一いち言言ごんののの返返へん事事じにににももも及及およびびび給給たまははわずずず。。。僅僅わずかににに通通かよひひいつるつるつる息息いきもももはやはやはや絶絶たえええはてはてはてぬぬぬ。。。
- 5さるさるさる程程ほどににに春春はるののの夜夜よののの月月つきももも雲雲くも居居いににに傾傾かたぶききき、、、霞霞かすめるめるめる空空そらもももあけあけあけ行行ゆけけけばばば、、、名名な殘殘ごりははは盡盡つきききせせせずずず思思おもへへえどもどもども、、、さてさてさてしもしもしもあるあるあるべきべきべき事事ことならならならねねねばばば、、、浮浮うきききもももやややあがりあがりあがり給給たまふふうととと、、、故故こ三三さん位位み殿殿どののののきせながきせながきせながののの一一いち領領りょう殘殘のこつつったるたるたるををを、、、引引ひきききまとひまとひまとい奉奉たてまつりりり、、、遂遂ついににに海海うみにににぞぞぞ沉沉しずめめめけるけるける。。。乳乳めの母母とののの女女にょう房房ぼう、、、今今こん度度どははは後後おくれれれ奉奉たてまつらららじじじととと、、、つゞいつゞいつづいててて海海うみににに入入いらららんんんとととしししけるけるけるををを、、、人人ひと々々びと取取とり止止とどめめめけれけれければばば力力ちから及及およばばばずずず。。。せめてせめてせめてののの心心こころのののあらあらあられれれずずずさささにににややや、、、手手てづからづからずから髪髪かみをををはさみはさみはさみ下下おろししし、、、故故こ三三さん位位み殿殿どのののの御御おん弟弟おとと中中ちゅう納納な言言ごんののの律律りっ師師し忠忠ちゅう快快かいににに剃剃そらららせせせ奉奉たてまつりりり、、、泣泣なく〳〵く〳〵くなく戒戒かいををを保保たもつつっててて、、、主主しゅののの後後ご世世せをををぞぞぞ弔弔とぶらひひいけるけるける。。。
- 6昔昔むかしよりよりより男男おとこにににおくるゝおくるゝおくるる類類たぐい多多おおしししととといへいへいえどもどもども、、、樣樣さまをををかふるかふるかうるははは常常つねのののならひならひならい、、、身身みををを投投なぐるぐるぐるまでまでまではははありありあり難難がたききき例例ためしなりなりなり。。。さればさればされば忠忠ちゅう臣臣しんははは二二じ君君くんににに仕仕つかへへえずずず、、、貞貞てい女女じょははは二二じ夫夫ふににに見見まみえええずずずとととももも、、、かやうかやうかようののの事事ことをををややや申申もうすすすべきべきべき。。。このこのこの女女にょう房房ぼうととと申申もうすすすははは、、、頭頭とうののの刑刑ぎょう部部ぶ卿卿きょう範範のり方方かたののの女女むすめ、、、禁禁きん中中ちゅう一一いちののの美美び人人じん、、、名名なをををばばば小小こ宰宰さい相相しょう殿殿どのとととぞぞぞ申申もうしししけるけるける。。。上上じょう西西さい門門もん院院いんののの女女にょう房房ぼうなりなりなり。。。このこのこの女女にょう房房ぼう十十じゅう六六ろくととと申申もうししし安安あん元元げんののの春春はるののの頃頃ころ、、、女女にょ院院いん法法ほっ勝勝しょう寺寺じへへへ花花はな見見みののの御御ご幸幸こうのののありありありしししににに、、、通通みち盛盛もりののの卿卿きょうそのそのその頃頃ころははは、、、未未いまだだだ中中ちゅう宮宮ぐうののの亮亮すけにてにてにて供供ぐ奉奉ぶせせせられられられたりたりたりけるけるけるががが、、、見見みそめそめそめたりたりたりししし女女にょう房房ぼうなりなりなり。。。始始はじめめめははは歌歌うたををを詠詠よみみみ、、、文文ふみをををつくさつくさつくされれれけれけれけれどもどもども、、、玉玉たま章章づさののの數數かずのみのみのみ積積つもつつっててて、、、取取とり入入いれれれ給給たまふふう事事こともももなしなしなし。。。
- 7既既すでににに三三み年年とせににになりなりなりしかしかしかばばば、、、通通みち盛盛もりののの卿卿きょう今今いまををを限限かぎりりりののの文文ふみををを書書かいいいててて、、、小小こ宰宰さい相相しょう殿殿どのののの許許もとへへへ遣遣つかははわすすす。。。あまつさへあまつさへあまつさえ取取とり傳傳つたへへえけるけるける女女にょう房房ぼうにににだにだにだにあはあはあわずずずしてしてして、、、使使つかい空空むなしうしうしゅう歸歸かえりりりけるけるける道道みちにてにてにて、、、折折おりふしふしふし小小こ宰宰さい相相しょう殿殿どのははは、、、里里さとよりよりより御御ご所所しょへへへぞぞぞ參參まいららられれれけるけるける。。。使使つかい空空むなしうしうしゅう歸歸かえりりり參參まいらららんんん事事ことののの本本ほ意意いなさなさなさににに、、、側側そばをををつつつととと走走はしりりり通通とおるるるやうやうようにてにてにて、、、小小こ宰宰さい相相しょう殿殿どのののの乘乘のりりり給給たまへへえるるる車車くるまののの簾簾すだれののの中中うちへへへ、、、通通みち盛盛もりののの卿卿きょうののの文文ふみをををぞぞぞ投投なげげげ入入いれれれたるたるたる。。。供供ともののの者者ものどもどもどもににに問問とひひい給給たまへへえばばば、、、知知しらららずずずととと申申もうすすす。。。さてさてさてかのかのかの文文ふみをををあけあけあけててて見見み給給たまへへえばばば、、、通通みち盛盛もりののの卿卿きょうののの文文ふみなりなりなりけりけりけり。。。車車くるまににに置置おくくくべきべきべきやうやうようもももなしなしなし。。。大大おお路路じににに棄棄すてててんんんもももさすがさすがさすがにてにてにて、、、袴袴はかまののの腰腰こしににに挾挾はさみみみつゝつゝつつ、、、御御ご所所しょへへへぞぞぞ參參まいりりり給給たまひひいけるけるける。。。
- 8さてさてさて宮宮みやづかへづかへづかえ給給たまひひいししし程程ほどににに、、、所所ところしもしもしもこそこそこそ多多おおけれけれけれ、、、御御ご前前ぜんににに文文ふみををを落落おとささされれれたりたりたり。。。女女にょ院院いんこれこれこれををを取取とらららせせせおはしましおはしましおわしまし、、、いそぎいそぎいそぎ御御ぎょ衣衣いののの袂袂たもとににに引引ひき隱隱かくさせさせさせ給給たまひひいててて、、、「「「珍珍めずらしきらしきらしきものものものをををこそこそこそ求求もとめめめたれたれたれ。。。このこのこの主主ぬしははは誰誰たれなるなるなるらんらんらん。。。」」」ととと仰仰おおせせせけれけれければばば、、、御御ご所所しょ中中じゅうののの女女にょう房房ぼうたちたちたち、、、よろづよろづよろずののの神神しん佛佛ぶつにににかけかけかけててて、、、知知しらららずずずとととのみのみのみぞぞぞ申申もうしししけるけるける。。。そのそのその中中なかににに小小こ宰宰さい相相しょう殿殿どのばかりばかりばかり顏顏かおうちうちうち赤赤あかめめめててて、、、つや〳〵つや〳〵つやつやものものものももも申申もうささされれれずずず。。。女女にょ院院いんももも内内ない々々ない、、、通通みち盛盛もりののの卿卿きょうののの申申もうすすすとととはははしろししろししろし召召めささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、さてさてさてこのこのこの文文ふみをををあけあけあけててて御御ご覽覽らんずれずれずればばば、、、綺綺き爐爐ろののの煙煙けぶりのののにほひにほひにおい殊殊ことににに深深ふかきききににに、、、筆筆ふでのののたちたちたちどもどもども世世よののの常常つねならならならずずず。。。「「「あまりあまりあまりににに人人ひとののの心心こころ強強ずよきききももも、、、今今いまはははなかなかなかなかなかなか嬉嬉うれしくしくしくててて。。。」」」などなどなど、、、こま〴〵こま〴〵こまごまととと書書かいいいててて、、、奧奧おくにににははは一一いっ首首しゅののの歌歌うたぞぞぞありありありけるけるける。。。
- 9わがわがわが戀戀こいははは細細ほそ谷谷たに川川がわののの丸丸まろ木木き橋橋ばし、、、ふみふみふみ返返かえささされれれてててぬるゝぬるゝぬるる袖袖そでかなかなかな
- 10女女にょ院院いん、、、「「「これこれこれははは逢逢あははわぬぬぬををを恨恨うらみみみたるたるたる文文ふみなりなりなり。。。あまりあまりあまりににに人人ひとののの心心こころ強強ずよきききももも、、、なか〳〵なか〳〵なかなか今今いまははは怨怨あだとととなるなるなるものものものををを。。。中中なかごろごろごろ小小を野野のののの小小こ町町まちとてとてとて、、、みめみめみめかたちかたちかたち美美うつくしうしうしゅう、、、なさけなさけなさけののの道道みちありありあり難難がたかりかりかりしかしかしかばばば、、、見見みるるる人人ひと、、、聞聞きくくくものものもの、、、肝肝きも魂魂だましいをををいたましめいたましめいたましめずずずととといふいふいう事事ことなしなしなし。。。されどもされどもされども心心こころ強強ずよききき名名なをををややや取取とりりりたりたりたりけんけんけん、、、はてはてはてにににははは、、、人人ひとののの思思おもひひいのののつもりつもりつもりとてとてとて、、、風風かぜををを防防ふせぐぐぐたよりたよりたよりもももなくなくなく、、、雨雨あめををを漏漏もらさらさらさぬぬぬわざわざわざもももなしなしなし。。。宿宿やどににに曇曇くもらららぬぬぬ月月つき星星ほしははは涙涙なみだににに浮浮うかびびび、、、野野のべべべののの若若わか菜菜な、、、澤澤さわののの根根ね芹芹ぜりをををつみつみつみてててこそこそこそ、、、露露つゆののの命命いのちをををばばば過過すごしししけれけれけれ。。。」」」女女にょ院院いん、、、「「「これこれこれはははいかにいかにいかにももも返返へん事事じあるあるあるべきべきべき事事ことぞぞぞ。。。」」」とてとてとて、、、御御おん硯硯すずりををを召召めしししよせよせよせててて、、、忝忝かたじけなくくくもももみづからみづからみずから御御おん返返へん事事じあそばさあそばさあそばされれれけりけりけり。。。
- 11たゞたゞただたのめたのめたのめ細細ほそ谷谷たに川川がわののの丸丸まろ木木き橋橋ばしふみふみふみ返返かえしししてててははは落落おちちちざらざらざらめめめやはやはやは
- 12胸胸むねののの中中うちののの思思おもひひいははは富富ふ士士じののの煙煙けぶりにににあらはれあらはれあらわれ、、、袖袖そでののの上上うえののの涙涙なみだははは淸淸きよ見見みががが關關せきののの波波なみなれなれなれややや、、、みめみめみめははは幸幸さいわひひいののの花花はななれなれなればばば、、、三三さん位位みこのこのこの女女にょう房房ぼうををを賜賜たまははわつつっててて、、、互互たがいののの志志こころざし淺淺あさからからからずずず。。。さればさればされば西西さい海海かいののの波波なみののの上上うえ、、、船船ふねののの中中うちまでまでまでももも引引ひき具具ぐしししててて、、、遂遂ついににに同同おなじじじ道道みちへへへぞぞぞ赴赴おもむかかかれれれけるけるける。。。
- 13門門かど脇脇わきののの中中ちゅう納納な言言ごんははは、、、嫡嫡ちゃく子子し越越えち前前ぜんののの三三さん位位みののの末末ばつ子子し業業なり盛盛もりにににもももおくれおくれおくれ給給たまひひいぬぬぬ。。。今今いまたのみたのみたのみ給給たまへへえるるる人人ひととととてててははは、、、能能の登登とののの守守かみ教教のり經經つね、、、僧僧そうにににははは中中ちゅう納納な言言ごんののの律律りっ師師し忠忠ちゅう快快かいばかりばかりばかりなりなりなり。。。故故こ三三さん位位み殿殿どののののかたみかたみかたみとととももも、、、このこのこの女女にょう房房ぼうをををこそこそこそ見見み給給たまふふうべきべきべきににに、、、それそれそれさへさへさへかやうかやうかようににになりなりなり給給たまへへえばばば、、、いとゞいとゞいとど心心こころ細細ぼそうううぞぞぞならならなられれれけるけるける。。。
現代語訳
越前三位通盛卿の侍に、見田滝口時員という者がいた。急いで北の方の御船に参って申すには、「殿は今朝、湊川の下流で、敵七騎の中に取りこめられて、ついに討たれなさいました。なかでもとりわけ手を下して討ち申したのは、近江国の住人佐々木の木村三郎成綱と武蔵国の住人玉井四郎助景と名のっておりました。時員も同じ所で討ち死にして最後のお供をすべきでしたが、かねてから殿が、通盛がどうなろうとも、おまえは命を捨ててはならない。なんとしても生きながらえて、北の方の行方を尋ね申せと仰せでしたので、かいのない命だけ生きて、おめおめとここまで参りました」と申したので、北の方は何の返事もなさらず、衣を引きかぶって伏してしまわれた。きっと討たれなさったとはお聞きになったが、もしや間違いではないか、生きて帰ってこられることもあろうかと、二、三日はちょっと出かけた人を待つような心地でおられたが、四、五日も過ぎたので、もしやの頼みも弱り果てて、いっそう心細くなられた。ただ一人お付きしていた乳母の女房も、同じ枕に伏して泣き沈んだ。
そうと聞かれた七日の日暮れから十三日の夜までは、起き上がりもなさらない。明けて十四日、屋島へ渡った。宵を過ぎるまでは伏しておられたが、夜が更けるにつれて船の中が静まったので、乳母の女房におっしゃるには、「今朝までは、三位が討たれたとは聞いたけれども、本当とも思わずにいたが、この夕暮れから、やはりそうなのだろうと思い定めたのですよ。そのわけは、皆が口々に湊川とかいう所で三位は討たれたと言ったけれども、その後生きて会ったという者は一人もいない。合戦に出ようという前の夜、ちょっとした所で会ったところ、いつもより心細そうに嘆いて、『明日の戦では必ず討たれると思われるのだ。わしがどうにかなった後、そなたはどうなさるだろう』などと言ったけれども、戦はいつものことなので、きっとそうなるとも思わずにいたのが悲しい。それが最後と思っていたら、どうして来世でまたと約束しなかったのだろうと、思うだけでも悲しい。身ごもったことも、日ごろは隠して言わなかったけれども、あまり心がけのない者と思われまいと思って打ち明けたところ、たいそううれしそうにして、『通盛は三十になるまで子というものもなかったのに、ああ、同じことなら男の子であってほしい。この世の忘れ形見にと思うばかりだ。それで何か月になるのか、気分はどうなのか。いつとも知れない波の上、船の中の住まいなので、静かに産むときにはどうなさるのだろう』などと言ったのは、はかない約束の言葉であったことよ。本当だろうか、女はそういうとき十人に九人は必ず死ぬそうなので、恥ずかしく嫌な目を見て死ぬのもつらい。無事に産んだ後、幼い者を育てて、亡き人の形見に見たいとは思うけれども、その子を見るたびに昔の人ばかり恋しくて、思いの数は増えても、慰められることはまさかあるまい。ついには逃れられない道である。もし思いがけなくこの世を忍び過ごしても、思うにまかせない世の習いで、思いもよらない不思議なこともあるものですよ。それも思えばつらい。まどろめば夢に見え、目覚めれば面影に立つのですよ。生きていて、あれこれと人を恋しいと思うよりは、水の底へも入ってしまいたいと思い定めたのですよ。そなたが一人残って嘆くことこそ心苦しいけれども、私の装束があるのを取って、どんな僧にでも差し上げ、亡き人の菩提を弔い申し、私の後世も助けてください。書き置いた手紙は都へ届けてください」などと、こまごまとおっしゃったので、乳母の女房は涙をおさえて、「幼い子も振り捨て、年老いた親も残して、はるばるここまでお供してまいった私の心をどれほどとお思いでしょうか。今度一の谷で討たれなさったご一門の公達の北の方のお嘆きは、どれもおろそかなものではございますまい。必ず同じ蓮の上にとお思いになっても、生まれ変わられた後、六道四生の間で、どの道へ行かれることでしょう。行き会われることもわかりませんから、御身を投げても甲斐のないことです。静かにお産みになって、どんな岩や木の間ででも幼い人を育て申し、御姿を変えて仏の御名を唱え、亡き人の菩提を弔ってさしあげてください。そのうえ都のことは、誰にお世話申せと思って、こんなことをおっしゃるのでしょうか。恨めしいことを承りました」といって、さめざめと訴えたので、北の方は、このことを打ち明けたのはまずかったと思われたのであろうか、「これは自分の身に代えても察してください。世の中の恨めしさや人の別れの悲しさに、身を投げようなどと言うのはよくあることです。けれども実際にそうすることは、めったにない例ですよ。本当に思い立つことがあったら、そなたに知らせずにはおきません。もう夜も更けました。さあ寝ましょう」とおっしゃると、乳母の女房は、この四、五日は湯水さえろくに口になさらない人が、このようにこまごまとおっしゃるのは、本当に思い立たれたのではないかと悲しくて、「だいたい都のことももっともなことですが、本当に思い立たれるのでしたら、私も千尋の海の底までも連れて行ってください。後に残されては、少しの間も生きながらえられるとは思われません」と申して、おそばにいながら、ちょっとまどろんだ隙に、北の方はそっと船端へ起き出られて、果てしない海の上なので、どちらが西とも分からないけれども、月の沈む山の端を西方の空と思われたのであろうか、静かに念仏なさると、沖の白洲に鳴く千鳥、天の川を渡るような楫の音、折からの哀れもまさったのであろうか、忍び声で念仏を百遍ほど唱えられて、「南無西方極楽世界の教主阿弥陀如来、本願をたがえず、飽かずに別れた夫婦の仲を、必ず同じ蓮の上に」と、泣く泣くはるかに訴え、南無と唱える声とともに、海に沈まれた。一の谷から屋島へ渡ろうという夜半のことだったので、船の中は静まって、誰もこれに気づかなかった。
その中で楫取りが一人寝ずにいて、このありさまを見申して、「あれはどうしたことか。あの御船から女房が海へお入りになったぞ」と叫んだので、乳母の女房ははっと目を覚まし、そばを探ったがおられなかったので、ただ「あれよあれよ」とあきれるばかりであった。人々が大勢海に降りて引き上げ申そうとしたが、そうでなくても春の夜はかすむのが習いなので、四方の群雲が漂ってきて、潜っても潜っても、月がおぼろで見つけられない。ずいぶん時がたってから引き上げ申したが、もうこの世の人ではなくなっておられた。白い袴に練緯の二つ衣を着ておられた。髪も袴も潮に濡れて、引き上げたけれども甲斐がない。
乳母の女房は、手に手を取り組み、顔に顔を押し当てて、「どうしてこれほど思い立たれたのなら、私も千尋の底までも連れて行ってくださらなかったのですか。恨めしくも私一人を残されたものですね。それにしても、もう一度何かおっしゃって私に聞かせてください」といって身もだえして泣き焦がれたが、もうこの世の人ではなくなられたうえは、一言の返事もなさらない。わずかに通っていた息も、もう絶え果ててしまった。
そうするうちに、春の夜の月も空に傾き、霞んだ空も明けてきたので、名残は尽きないけれども、そうしてばかりもいられないので、浮かび上がることもあろうかと、故三位殿の着背長(鎧)が一領残っていたのを巻きつけ申して、とうとう海に沈めた。乳母の女房は、今度は後れまいと、続いて海に入ろうとしたのを、人々が取り止めたので、どうしようもない。せめてもの心のやり場のなさからであろうか、自分の手で髪を切り落とし、故三位殿の弟の中納言律師忠快に剃らせ申して、泣く泣く戒を受け、主の後世を弔った。
昔から夫に先立たれる例は多いけれども、尼になるのは世の常で、身を投げるまでのことはめったにない例である。だから忠臣は二君に仕えず、貞女は二夫にまみえずというのも、このようなことをいうのであろうか。この女房というのは、頭の刑部卿範方の娘で、宮中第一の美人であり、名を小宰相殿と申した。上西門院の女房である。この女房が十六歳であった安元の春のころ、女院が法勝寺へ花見の御幸をされたとき、通盛卿はそのころまだ中宮亮としてお供していたが、そのときに見初めた女房である。初めは歌を詠み手紙を送り続けられたが、手紙の数ばかり積もって、受け取ってもらえることもなかった。
もう三年になったので、通盛卿はこれが最後という手紙を書いて、小宰相殿のもとへ遣わした。そのうえ取り次ぎの女房にさえ会えずに、使いがむなしく帰ってくる道で、折しも小宰相殿が里から御所へ参られるところに出会った。使いはむなしく帰るのが残念で、そばをさっと走り通るふりをして、小宰相殿の乗っておられる車の簾の中へ、通盛卿の手紙を投げ入れた。供の者たちにお尋ねになると、知らないと申す。そこでその手紙を開けてご覧になると、通盛卿の手紙であった。車に置いておくわけにもいかない。大路に捨てるのもさすがにためらわれて、袴の腰に挟んだまま御所へ参られた。
さて宮仕えをなさっているうちに、所はほかにもいくらもあるのに、女院の御前にその手紙を落としてしまわれた。女院はこれを拾い上げさせなさって、急いで御衣の袂にお隠しになり、「珍しいものを見つけたよ。この持ち主は誰だろう」と仰せになったので、御所中の女房たちは、あらゆる神仏にかけて知らないとばかり申した。その中で小宰相殿だけが顔を赤らめて、まったく何も申し上げない。女院も内々に、通盛卿が言い寄っていることはご存じだったので、そこでこの手紙を開けてご覧になると、香炉の煙の匂いがことに深くしみこみ、筆の運びも並々でない。「あまりにあなたが冷たいのも、今はかえってうれしくて」などとこまごまと書いて、奥には一首の歌があった。
(私の恋は細谷川の丸木橋のようなものだ。踏み返されて(文を返されて)、涙に濡れる袖であることよ)
女院は「これは会ってくれないのを恨んだ手紙だ。あまりに冷たいのも、かえって今は仇となるものを。中ごろ小野小町といって、顔かたちが美しく、情けの道にもすぐれていたので、見る人も聞く人も心を痛めない者はなかった。けれども冷たい女という評判をとったのであろうか、最後には人の思いが積もった報いとして、風を防ぐ頼りもなく、雨を漏らさぬ家もない。宿に曇らず映る月や星は涙に浮かび、野辺の若菜や沢の根芹を摘んで露の命をつないだという」。女院は「これはぜひとも返事をすべきですよ」といって、御硯を召し寄せて、もったいなくも自ら御返事をお書きになった。
(ただ頼みにしなさい。細谷川の丸木橋も、踏み返したならば、落ちずにいられようか。何度も文を返していても、いつかはあなたになびくでしょう)
胸の中の思いは富士の煙のように表れ、袖の上の涙は清見が関の波のようであったが、美しい容貌は幸いを招く花であったので、三位はこの女房を賜って、互いの愛情は浅くなかった。だから西海の波の上、船の中までも連れて行き、ついに同じ死出の道へ赴かれたのである。
門脇中納言(教盛)は、嫡子の越前三位(通盛)にも末子の業盛にも先立たれてしまわれた。今頼みにされる人としては、能登守教経と、僧では中納言律師忠快だけである。故三位殿の形見として、この女房を大事に見守るはずであったのに、それさえこのようになられたので、いっそう心細くなられた。
意訳
巻第九を結ぶ章段で、一の谷で討たれた通盛の北の方小宰相の入水を語る。夫の死を信じきれずに待ち続け、やがて死を確信して身ごもった子とともに海に身を投げるまでの心の動きが、乳母との長い対話によって丁寧に描かれている。
戦場の外にいる女性の悲劇として、合戦の連なる巻第九の中に置かれたこの章段は、一の谷の敗北が一門の人々にもたらした悲しみを深く刻んでいる。後半に語られる通盛との恋の始まりは、華やかな宮廷の記憶として、海に沈んだ小宰相の最期とあわれな対照をなしている。
語釈・文法注
文法
- 「ひき被いて」
- 衣を頭からかぶって。
- 「身々とならん時」
- 出産して身二つになるとき。
- 「かね言」
- 前もって言っておく約束の言葉。
- 「六道四生」
- 衆生が生死を繰り返す六つの世界(六道)と、四つの生まれ方(四生)。
- 「月の入るさの山の端を、そなたの空とや」
- 月の沈む西の山の端を、西方極楽浄土の方角と思って。
- 「天のとわたる楫の音」
- 天の門(と)を渡るような楫の音。『古今集』の歌語を踏まえる。
- 「いもせのなからひ」
- 夫婦の仲。
- 「忠臣は二君に仕へず、貞女は二夫に見えず」
- 『史記』の句。
- 「玉章」
- 手紙。
- 「綺爐の煙」
- 美しい香炉で焚いた香の煙。
- 「今はなかなか嬉しくて」
- 底本は行末で切れたくの字点を「なか/なか」と字で書く。
- 「中ごろ小野の小町とて」
- 小野小町が多くの求愛を拒んだ報いで、晩年は零落したという伝説による。
- 「淸見が關」
- 駿河国の関。波の歌枕。
和歌
わが戀は細谷川の丸木橋、ふみ返されてぬるゝ袖かな
- 詠者
- 平通盛
- 状況
- 三年間文を送り続けても応じない小宰相に、最後と思って送った手紙に書かれていた歌。
修辞
- ふみ返されて
- 丸木橋を「踏み返す」と、手紙(文)を「返す」とを掛ける。
- ぬるゝ袖
- 橋から落ちて濡れる袖と、涙に濡れる袖とを重ねる。
たゞたのめ細谷川の丸木橋ふみ返しては落ちざらめやは
- 詠者
- 上西門院(小宰相に代わって)
- 状況
- 通盛の手紙を見た上西門院が、小宰相に代わって詠んだ返歌。
修辞
- ふみ返しては落ちざらめやは
- 何度も文を返していても、いつかはなびく(橋から落ちる)でしょう、の意。
解説
小宰相は藤原憲方(『平家物語』では範方)の娘で、上西門院(後白河天皇の姉統子内親王)に仕えた。寿永三年(1184)二月、一の谷の合戦の後、屋島へ向かう船から入水したと伝えられる。神戸市の鵯越墓園には、通盛と小宰相の供養塔とされるものがある。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、699–706頁(コマ378–382)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日