古典ライブラリー

平家物語 巻第九

二度のかけの事

大手の生田の森では、武蔵国の河原太郎高直・次郎盛直の兄弟が、大名と違い自ら手柄を立てねばならないと、徒歩で逆茂木を越えて城中に入り、先陣を名のった。二人は真名辺五郎に射られて討たれ、知盛は惜しい剛の者よと嘆いた。これをきっかけに梶原景時は五百余騎で攻め入るが、引き返すと嫡子源太景季の姿がない。景時は名のりをあげて再び敵中に駆け入り、徒歩で五人の敵に囲まれていた源太を救い出した。これが梶原の二度の駆けである。

  1. 1さるさるさる程ほど程ほどほどににに成なり成なりなり田た田たた五ご五ごご郎らう郎らうろうももも出い出いいででで來く來くくるるる。。。土と土とと肥ひ肥ひひののの次じ次じじ郎らう郎らうろう實さね實さねさね平ひら平ひらひら七しち七しちしち千せん千せんせん餘よ餘よよ騎き騎きき、、、色いろ色いろいろ々いろ々いろいろののの旗はた旗はたはたさしさしさしあげあげあげ、、、喚をめ喚をめおめききき叫さけ叫さけさけんんんででで攻せ攻せせめめめ戰たゝか戰たゝかたたかふふう。。。大おほ大おほおお手て手てて生いく生いくいく田た田たたののの森もり森もりもりをををばばば、、、源げん源げんげん氏じ氏じじ五ご五ごご萬まん萬まんまん餘よ餘よよ騎き騎ききででで固かた固かたかためめめたりたりたりけるけるけるががが、、、そのそのその勢せい勢せいせいののの中なか中なかなかににに武む武むむ藏さし藏さしさしののの國くに國くにくにののの住ぢゆう住ぢゆうじゅう人にん人にんにん河かは河かはかわ原ら原らら太た太たた郎らう郎らうろう、、、河かは河かはかわ原ら原らら次じ次じじ郎らう郎らうろうとてとてとて兄おと兄おとおと弟とひ弟とひといありありあり。。。河かは河かはかわ原ら原らら太た太たた郎らう郎らうろう、、、弟おとうと弟おとうとおとうとののの次じ次じじ郎らう郎らうろうををを呼よ呼よよううようでででいひいひいいけるけるけるははは、、、「「「大だい大だいだい名みやう名みやうみょうはははわれわれわれととと手て手ててををを下くだ下くだくださささねねねどもどもども、、、家け家けけ人にん人にんにんののの高かう高かうこう名みやう名みやうみょうををを以もつ以もつもっててて名めい名めいめい譽よ譽よよすすす。。。われわれわれらららははは自みづ自みづみずからからから手て手ててををを下くだ下くだくださささででではははかなひかなひかない難がた難がたがたししし。。。敵かたき敵かたきかたきををを前まへ前まへまえににに置お置おおきききながらながらながら、、、矢や矢やや一ひと一ひとひとつつつをををだにだにだに射い射いいずずずしてしてして待ま待ままちちちゐゐいたれたれたればばば、、、餘あま餘あまあまりりりににに心こゝろ心こゝろこころもともともとなきなきなきににに、、、高たか高たかたか直なほ直なほなおははは城じやう城じやうじょうののの中なか中なかなかへへへまぎれまぎれまぎれ入い入いいつつっててて、、、一ひと一ひとひと矢や矢やや射い射いいんんんととと思おも思おもおもふふうなりなりなり。。。さればさればされば千せん千せんせん萬まん萬まんまんががが一ひと一ひとひとつつつももも、、、生い生いいきききててて歸かへ歸かへかえらららんんん事こと事ことことありありあり難がた難がたがたししし。。。汝なんぢ汝なんぢなんじははは殘のこ殘のこのこりりり止とゞ止とゞとどまつまつまっててて後のち後のちのちののの證しよう證しようしょう人にん人にんにんににに立た立たたててて。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、弟おとうと弟おとうとおとうとののの次じ次じじ郎らう郎らうろう、、、涙なみだ涙なみだなみだをををはら〳〵はら〳〵はらはらととと流なが流ながながいいいててて、、、「「「たゞたゞただ兄きやう兄きやうきょう弟だい弟だいだい二ふた二ふたふた人り人りりあるあるある者もの者ものものががが、、、兄あに兄あにあにををを討う討ううたたたせせせててて弟おとうと弟おとうとおとうとがががあとあとあとににに殘のこ殘のこのこりりり留とゞ留とゞとどまつまつまったれたれたればばばとてとてとて、、、いくいくいくほどほどほどののの榮えい榮えいえい華ぐわ華ぐわがをををかかか保たも保たもたもつつつべきべきべき。。。所ところ所ところところ々どころ々どころどころででで討う討ううたたたれれれんんんよりよりより、、、一いつ一いついっ所しよ所しよしょでででこそこそこそ討うち討うちうち死じに死じにじにをををもももせせせめめめ。。。」」」とてとてとて、、、下げ下げげ人にん人にんにんどもどもども呼よ呼よよびびび寄よ寄よよせせせ、、、妻さい妻さいさい子し子ししののの許もと許もともとへへへ最さい最さいさい後ご後ごごのののありありありさまさまさまいひいひいい遣つか遣つかつかははわししし、、、馬むま馬むまうまにににははは乘の乘ののらららででで芥下けけ芥下けけけけをををはきはきはき、、、弓ゆん弓ゆんゆん杖づゑ杖づゑづえをををついついついててて、、、生いく生いくいく田た田たたののの森もり森もりもりののの逆さか逆さかさか木もぎ木もぎもぎををを上のぼ上のぼのぼりりり越こ越ここえええててて、、、城じやう城じやうじょうののの中なか中なかなかへへへぞぞぞ入い入いいつつったりたりたりけるけるける。。。星ほし星ほしほし明あか明あかあかりりりににに鎧よろひ鎧よろひよろいののの毛け毛けけさだかさだかさだかならならならずずず。。。河かは河かはかわ原ら原らら太た太たた郎らう郎らうろう大だい大だいだい音おん音おんおん聲じやう聲じやうじょうをををあげあげあげててて、、、「「「武む武むむ藏さし藏さしさしののの國くに國くにくにののの住ぢゆう住ぢゆうじゅう人にん人にんにん河かは河かはかわ原ら原らら太た太たた郎らう郎らうろう私きさいち私きさいちきさいちののの高たか高たかたか直なほ直なほなお、、、同おな同おなおなじきじきじき次じ次じじ郎らう郎らうろう盛もり盛もりもり直なほ直なほなお、、、生いく生いくいく田た田たたののの森もり森もりもりののの先せん先せんせん陣ぢん陣ぢんじんぞぞぞややや。。。」」」とととぞぞぞ名な名なな乘の乘ののつつったるたるたる。。。
  2. 2城じやう城じやうじょうののの内うち内うちうちにににはははこれこれこれををを聞き聞ききいいいててて、、、「「「あつぱれあつぱれあっぱれ東とう東とうとう國ごく國ごくごくののの武ぶ武ぶぶ士し士ししほどほどほど、、、おそろしかりおそろしかりおそろしかりけるけるける者もの者ものものはははなしなしなし。。。このこのこの大おほ大おほおお勢ぜい勢ぜいぜいののの中なか中なかなかへへへ、、、たゞたゞただ兄きやう兄きやうきょう弟だい弟だいだい二ふた二ふたふた人り人りりかけかけかけ入い入いいつつったらたらたらばばば、、、何なに何なになにほどほどほどののの事こと事ことことをををかかかししし出いだ出いだいだすすすべきべきべき。。。たゞたゞただ置お置おおいいいててて愛あい愛あいあいせせせよよよややや。。。」」」とてとてとて、、、討う討ううたたたんんんととといふいふいう者もの者ものものこそこそこそなかりなかりなかりけれけれけれ。。。河かは河かはかわ原ら原らら兄きやう兄きやうきょう弟だい弟だいだい、、、究くつ究くつくっ竟きやう竟きやうきょうののの弓ゆみ弓ゆみゆみののの上じやう上じやうじょう手ず手ずずなりなりなりけれけれければばば、、、さしさしさしつめつめつめ引ひ引ひひきききつめつめつめ、、、さん〴〵さん〴〵さんざんににに射い射いいるるる。。。城じやう城じやうじょうののの内うち内うちうちにににはははこれこれこれををを見み見みみててて、、、「「「今いま今いまいまはははこのこのこの者もの者ものもの愛あい愛あいあいしししにくしにくしにくし。。。討う討ううてててややや。。。」」」ととといふいふいう程ほど程ほどほどこそこそこそありありありけめけめけめ、、、西さい西さいさい國こく國こくこくににに聞きこ聞きこきこえええたるたるたる強つよ強つよつよ弓ゆみ弓ゆみゆみ、、、精せい精せいせい兵びやう兵びやうびょう、、、備びつ備びつびっ中ちう中ちうちゅうののの國くに國くにくにののの住ぢゆう住ぢゆうじゅう人にん人にんにん眞ま眞まま名な名なな邊べ邊べべののの四し四しし郎らう郎らうろう、、、眞ま眞まま名な名なな邊べ邊べべののの五ご五ごご郎らう郎らうろうとてとてとて兄おと兄おとおと弟とひ弟とひといありありあり。。。兄あに兄あにあにののの四し四しし郎らう郎らうろうをををばばば一いち一いちいちののの谷たに谷たにたにににに置お置おおかかかれれれたりたりたり。。。弟おとうと弟おとうとおとうとののの五ご五ごご郎らう郎らうろうははは生いく生いくいく田た田たたののの森もり森もりもりにににありありありけるけるけるががが、、、これこれこれををを見み見みみててて、、、よつよつよっぴきぴきぴき、、、しばししばししばし保たも保たもたもつつってててひようとひようとひょうと射い射いいるるる。。。河かは河かはかわ原ら原らら太た太たた郎らう郎らうろうががが鎧よろひ鎧よろひよろいののの胸むな胸むなむな板いた板いたいたををを、、、後うしろ後うしろうしろへへへつつつととと射い射いいぬかぬかぬかれれれててて、、、弓ゆん弓ゆんゆん杖づゑ杖づゑづえににに縋すが縋すがすがりりりすくむすくむすくむ所ところ所ところところををを、、、弟おとうと弟おとうとおとうとののの次じ次じじ郎らう郎らうろう走はし走はしはしりりり寄よ寄よよりりり、、、兄あに兄あにあにををを肩かた肩かたかたにににひつひつひっかけかけかけててて、、、生いく生いくいく田た田たたののの森もり森もりもりののの逆さか逆さかさか木もぎ木もぎもぎ上のぼ上のぼのぼりりり越こ越ここえええんんんとととするするする所ところ所ところところををを、、、眞ま眞まま名な名なな邊べ邊べべががが二に二ににののの矢や矢ややににに弟おとうと弟おとうとおとうとののの次じ次じじ郎らう郎らうろうががが鎧よろひ鎧よろひよろいののの草くさ草くさくさ摺ずり摺ずりずりのののはづれはづれはずれををを射い射いいさせさせさせててて、、、同おな同おなおなじじじ枕まくら枕まくらまくらににに伏ふ伏ふふしししにににけりけりけり。。。眞ま眞まま名な名なな邊べ邊べべががが下げ下げげ人にん人にんにん落お落おおちちちあはせあはせあわせててて、、、河かは河かはかわ原ら原らら兄きやう兄きやうきょう弟だい弟だいだいががが首くび首くびくびををを取と取ととるるる。。。大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐん新しん新しんしん中ちう中ちうちゅう納な納なな言ごん言ごんごん知とも知ともとも盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょうののの御ご御ごご見げん見げんげん參ざん參ざんざんににに入い入いいれれれたりたりたりけれけれければばば、、、「「「あつぱれあつぱれあっぱれ剛かう剛かうこうののの者もの者ものものややや、、、これこれこれらららをををこそこそこそ一いち一いちいち人にん人にんにん當たう當たうとう千ぜん千ぜんぜんのののよきよきよき兵つはもの兵つはものつわものどもどもどもととともももいふいふいうべけれべけれべけれ。。。あつたらあつたらあったら者もの者ものものどもどもどもががが、、、命いのち命いのちいのちをををばばば助たす助たすたすけけけててて見み見みみててて。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。
  3. 3そのそのその後のち後のちのち、、、河かは河かはかわ原ら原ららががが下げ下げげ人にん人にんにん走はし走はしはしりりり散ち散ちちつつっててて、、、「「「河かは河かはかわ原ら原らら殿どの殿どのどの兄きやう兄きやうきょう弟だい弟だいだいこそこそこそたゞたゞただ今いま今いまいま城じやう城じやうじょうののの中なか中なかなかへへへ、、、まつまつまっ先さき先さきさきかけかけかけててて討う討ううたたたれれれさせさせさせ給たま給たまたまひひいぬるぬるぬるははは。。。」」」ととと呼よば呼よばよばははわつつったりたりたりけれけれければばば、、、梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはら平へい平へいへい三ざう三ざうぞうこれこれこれををを聞き聞ききいいいててて、、、「「「これこれこれははは私し私ししののの黨たう黨たうとうののの殿との殿とのとの原ばら原ばらばらののの不ふ不ふふ覺かく覺かくかくでででこそこそこそ、、、河かは河かはかわ原ら原らら兄きやう兄きやうきょう弟だい弟だいだいをををばばば討う討ううたたたせせせたれたれたれ。。。時とき時ときときよくよくよくなりなりなりぬるぬるぬるぞぞぞ、、、寄よ寄よよせせせよよよややや。。。」」」とてとてとて、、、梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはら五ご五ごご百ひやく百ひやくひゃく餘よ餘よよ騎き騎きき生いく生いくいく田た田たたののの森もり森もりもりののの逆さか逆さかさか木もぎ木もぎもぎををを取と取ととりりりのけのけのけさせさせさせててて、、、城じやう城じやうじょうののの内うち内うちうちへへへをめいをめいおめいてててかくかくかく。。。次じ次じじ男なん男なんなん平へい平へいへい次じ次じじ、、、あまりあまりあまりににに先さき先さきさきをををかけかけかけうううととと進すゝ進すゝすすむむむ間あひだ間あひだあいだ、、、父ちゝ父ちゝちち平へい平へいへい三ざう三ざうぞう使し使しし者しや者しやしゃををを立た立たたてててててて、、、「「「後ご後ごご陣ぢん陣ぢんじんののの勢せい勢せいせいのののつゞかつゞかつづかざらざらざらんんんににに、、、先さき先さきさきかけかけかけたらたらたらんんん者もの者ものものにににははは、、、勸けん勸けんけん賞じやう賞じやうじょうあるあるあるまじきまじきまじきよしよしよし大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんよりよりよりののの仰おほ仰おほおおせせせぞぞぞ。。。」」」ととといひいひいい送おく送おくおくつつったりたりたりけれけれければばば、、、平へい平へいへい次じ次じじしばらくしばらくしばらく控ひか控ひかひかへへえててて、、、
  4. 4もののふもののふもののうののの取と取ととりりりつたへつたへつたえたるたるたる梓あづさ梓あづさあずさ弓ゆみ弓ゆみゆみ引ひ引ひひいいいてててははは人ひと人ひとひとのののかへすかへすかえすものものものかはかはかは
  5. 5ととと申まう申まうもうさささせせせ給たま給たまたまへへえやややとてとてとて、、、をめいをめいおめいてててかくかくかく。。。梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはらこれこれこれををを見み見みみててて、、、「「「平へい平へいへい次じ次じじ討う討ううたたたすすすななな者もの者ものものどもどもども、、、景かげ景かげかげ高たか高たかたか討う討ううたたたすすすななな續つゞ續つゞつづけけけややや。。。」」」とてとてとて、、、父ちゝ父ちゝちちののの平へい平へいへい三ざう三ざうぞう、、、兄あに兄あにあにののの源げん源げんげん太た太たた、、、同おな同おなおなじきじきじき三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろうつゞいつゞいつづいたりたりたり。。。梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはら五ご五ごご百ひやく百ひやくひゃく餘よ餘よよ騎き騎きき、、、大おほ大おほおお勢ぜい勢ぜいぜいののの中なか中なかなかへへへかけかけかけ入い入いいりりり、、、縱たて縱たてたてざまざまざま、、、横よこ横よこよこざまざまざま、、、蜘く蜘くく蛛も蛛もも手で手でで、、、十じふ十じふじゅう文もん文もんもん字じ字じじにににかけかけかけわつわつわっててて、、、さつさつさっととと引ひ引ひひいいいててて出い出いいでででたれたれたればばば、、、嫡ちやく嫡ちやくちゃく子し子ししののの源げん源げんげん太た太たたははは見み見みみえええざりざりざりけりけりけり。。。梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはら、、、郎らう郎らうろう等どう等どうどうどもどもどもににに、、、「「「源げん源げんげん太た太たたはははいかにいかにいかに。。。」」」ととと問と問ととひひいけれけれければばば、、、「「「あまりあまりあまりににに深ふか深ふかふか入い入いいりりりしてしてして、、、討う討ううたたたれれれさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて候さふらふ候さふらふそうろうやらんやらんやらん。。。遙はる遙はるはるかかかににに見み見みみえええさせさせさせ給たま給たまたまひひい候さふら候さふらそうらははわずずず。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはら、、、涙なみだ涙なみだなみだをををはら〳〵はら〳〵はらはらととと流なが流ながながいいいててて、、、「「「軍いくさ軍いくさいくさののの先さき先さきさきをををかけかけかけうううととと思おも思おもおもふふうももも子こ子ここどもどもどもがががためためため、、、源げん源げんげん太た太たた討う討ううたたたせせせててて、、、景かげ景かげかげ時とき時ときとき命いのち命いのちいのち生い生いいきききててて何なに何なになににににかかかはははせせせんんんなれなれなればばば、、、かへせかへせかえせややや。。。」」」とてとてとて、、、またまたまた取と取ととつつってててかへすかへすかえす。。。
  6. 6梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはら鐙あぶみ鐙あぶみあぶみふんばりふんばりふんばり立た立たたちちちあがりあがりあがり、、、大だい大だいだい音おん音おんおん聲じやう聲じやうじょうをををあげあげあげててて、、、「「「昔むかし昔むかしむかし八はち八はちはち幡まん幡まんまん殿どの殿どのどのののの後ご後ごご三さん三さんさん年ねん年ねんねんののの御おん御おんおん戰たゝかひ戰たゝかひたたかいににに、、、出で出でで羽は羽はわののの國くに國くにくに千せん千せんせん福ぶく福ぶくぶく金かね金かねかね澤ざは澤ざはざわののの城じやう城じやうじょうををを攻せ攻せせめめめ給たま給たまたまひひいししし時とき時ときとき、、、生しやう生しやうしょう年ねん年ねんねん十じふ十じふじゅう六ろく六ろくろく歳さい歳さいさいととと名な名なな乘の乘ののつつってててまつまつまっ先さき先さきさきかけかけかけ、、、弓ゆん弓ゆんゆん手で手ででののの眼まなこ眼まなこまなこををを兜かぶと兜かぶとかぶとののの鉢はち鉢はちはちつけつけつけののの板いた板いたいたににに射い射いいつけつけつけられられられながらながらながら、、、そのそのその矢や矢ややををを拔ぬ拔ぬぬかかかででで、、、當たう當たうとうののの矢や矢ややををを射い射いいかへしかへしかえし、、、敵かたき敵かたきかたき射い射いい落おと落おとおとししし、、、勸けん勸けんけん賞じやう賞じやうじょう蒙かうむ蒙かうむこうむりりり、、、名な名ななををを後こう後こうこう代だい代だいだいににに揚あ揚ああげげげたりたりたりししし鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくらののの權ごん權ごんごん五ご五ごご郎らう郎らうろう景かげ景かげかげ政まさ政まさまさににに五ご五ごご代だい代だいだいののの末ばつ末ばつばつ葉えふ葉えふよう、、、梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはら平へい平へいへい三ざう三ざうぞう景かげ景かげかげ時とき時ときときとてとてとて、、、東とう東とうとう國ごく國ごくごくににに聞きこ聞きこきこえええたるたるたる一いち一いちいち人にん人にんにん當たう當たうとう千ぜん千ぜんぜんののの兵つはもの兵つはものつわものぞぞぞややや。。。われわれわれととと思おも思おもおもははわんんん人ひと人ひとひと々びと々びとびとははは寄よ寄よよりりりあへあへあえややや、、、見げん見げんげん參ざん參ざんざんせせせんんん。。。」」」とてとてとて、、、をめいをめいおめいてててかくかくかく。。。城じやう城じやうじょうののの内うち内うちうちにににはははこれこれこれををを聞き聞ききいいいててて、、、「「「たゞたゞただ今いま今いまいま名な名なな乘の乘ののるるるははは東とう東とうとう國ごく國ごくごくににに聞きこ聞きこきこえええたるたるたる兵つはもの兵つはものつわものぞぞぞややや。。。あますあますあますななな、、、もらすもらすもらすななな、、、討う討ううてててややや。。。」」」とてとてとて、、、梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはらををを中なか中なかなかににに取と取ととりりりこめこめこめててて、、、われわれわれ討う討ううちちち取と取ととらららんんんとととぞぞぞ進すゝ進すゝすすみみみけるけるける。。。
  7. 7梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはらまづまづまずわがわがわが身み身みみののの上うへ上うへうえをををばばば知し知ししらららずずずしてしてして、、、源げん源げんげん太た太たたはははいづくいづくいずくにににあるあるあるやらんやらんやらんととと、、、驅か驅かかけけけわりわりわり驅か驅かかけけけ廻まは廻まはまわりりり尋たづ尋たづたずぬるぬるぬる程ほど程ほどほどににに、、、案あん案あんあんののの如ごと如ごとごとくくく、、、源げん源げんげん太た太たたははは馬むま馬むまうまをををももも射い射いいさせさせさせ、、、徒かち徒かちかち歩だち歩だちだちににになりなりなり、、、兜かぶと兜かぶとかぶとをををももも打うち打うちうち落おと落おとおとささされれれ、、、大おほ大おほおお童わらは童わらはわらわににに戰たゝか戰たゝかたたかひひいなつなつなっててて、、、二に二にに丈ぢやう丈ぢやうじょうばかりばかりばかりありありありけるけるける岸きし岸きしきしををを後うしろ後うしろうしろににに當あ當ああててて、、、郎らう郎らうろう等どう等どうどう二ふた二ふたふた人り人りり左さ左ささ右いう右いうゆうににに立た立たたててて、、、打うち打うちうち物もの物ものもの拔ぬ拔ぬぬいいいててて、、、敵かたき敵かたきかたき五ご五ごご人にん人にんにんががが中なか中なかなかににに取と取ととりりりこめこめこめられられられててて、、、面おもて面おもておもてもももふらふらふらずずず、、、命いのち命いのちいのちももも惜を惜をおしましましまずずず、、、こゝこゝここををを最さい最さいさい後ご後ごごととと攻せ攻せせめめめ戰たゝか戰たゝかたたかふふう。。。梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはらこれこれこれををを見み見みみててて、、、源げん源げんげん太た太たたははは未いま未いまいまだだだ討う討ううたたたれれれざりざりざりけりけりけりととと、、、うれしううれしううれしゅう思おも思おもおもひひい、、、急いそ急いそいそぎぎぎ馬むま馬むまうまよりよりより飛と飛ととんんんででで下お下おおりりり、、、「「「いかにいかにいかに源げん源げんげん太た太たた、、、景かげ景かげかげ時とき時ときときこゝこゝここにににありありあり、、、同おな同おなおなじうじうじゅう死し死ししぬるぬるぬるとととももも、、、敵かたき敵かたきかたきににに後うしろ後うしろうしろををを見み見みみすすすななな。。。」」」とてとてとて、、、父おや父おやおや子こ子ここしてしてして五ご五ごご人にん人にんにんののの敵かたき敵かたきかたきををを三さん三さんさん人にん人にんにん討う討ううちちち取と取ととりりり、、、二ふた二ふたふた人り人りりににに手て手てて負お負おおははわせせせててて、、、「「「弓ゆみ弓ゆみゆみ矢や矢やや取とり取とりとりははは、、、かくるかくるかくるももも引ひ引ひひくくくももも折をり折をりおりにににこそこそこそよれよれよれ、、、いざいざいざうれうれうれ源げん源げんげん太た太たた。。。」」」とてとてとて、、、かいかいかい具ぐ具ぐぐしししてててぞぞぞ出い出いいでででたりたりたりけるけるける。。。梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはらががが二に二にに度ど度どどのののかけかけかけとととはははこれこれこれなりなりなり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

そうするうちに成田五郎も現れた。土肥次郎実平の七千余騎は、色とりどりの旗を差し上げ、わめき叫んで攻め戦った。大手の生田の森は源氏の五万余騎で固めていたが、その軍勢の中に武蔵国の住人河原太郎・河原次郎という兄弟がいた。河原太郎が弟の次郎を呼んで言うには、「大名は自分で手を下さなくても、家人の手柄によって名誉を得る。われらは自分で手を下さなくてはかなわない。敵を前にしながら矢一本も射ずに待っているのは、あまりにもどかしいので、高直は城の中へまぎれこんで一矢射ようと思う。だから万に一つも生きて帰ることはあるまい。おまえは残って後の証人に立て」と言ったので、弟の次郎は涙をはらはらと流して、「たった二人の兄弟が、兄を討たせて弟が後に残ったからといって、どれほどの栄華を保てましょう。別々の所で討たれるより、一緒に討ち死にしましょう」といって、下人たちを呼び寄せて妻子のもとへ最後のありさまを言い送り、馬には乗らずに草鞋をはき、弓を杖について、生田の森の逆茂木を越えて城の中へ入った。星明かりで鎧の縅の色もはっきりしない。河原太郎は大音声をあげて、「武蔵国の住人河原太郎私市高直、同じく次郎盛直、生田の森の先陣だぞ」と名のった。

城の中ではこれを聞いて、「ああ、東国の武士ほど恐ろしい者はない。この大勢の中へたった兄弟二人で駆け入って、何ほどのことができよう。ただ放っておいてかわいがってやれ」といって、討とうという者はいなかった。河原兄弟は屈強の弓の名手だったので、次々と矢をつがえて引きしぼり、さんざんに射る。城の中ではこれを見て、「もうこいつらはかわいがってはいられない。討て」と言うやいなや、西国に聞こえた強弓・精兵の、備中国の住人真名辺四郎・真名辺五郎という兄弟がいた。兄の四郎は一の谷に置かれていた。弟の五郎は生田の森にいたが、これを見て、弓をよく引きしぼってしばらく狙いを保ち、ひょうと射た。河原太郎は鎧の胸板を後ろへさっと射抜かれて、弓杖にすがってすくむところを、弟の次郎が走り寄って兄を肩にかつぎ、生田の森の逆茂木を越えようとするところを、真名辺の二の矢に、弟の次郎も鎧の草摺のはずれを射られて、同じ所に倒れ伏した。真名辺の下人が駆け寄って、河原兄弟の首を取った。大将軍の新中納言知盛卿のお目にかけると、「ああ剛の者よ。これらこそ一騎当千のよい武士というべきだ。惜しい者どもだ。命を助けておきたかったものを」とおっしゃった。

その後、河原の下人が走り回って、「河原殿のご兄弟がただ今、城の中へ真っ先に駆けて討たれなさったぞ」と叫んだので、梶原平三(景時)はこれを聞いて、「これはわが党の殿原の不覚で、河原兄弟を討たせてしまったのだ。今こそ時が来たぞ。寄せよ」といって、梶原の五百余騎は生田の森の逆茂木を取りのけさせて、城の中へわめいて駆け入った。次男の平次(景高)があまりに先駆けしようと進むので、父の平三が使者を立てて、「後陣の勢が続かないのに先駆けした者には恩賞を与えないと、大将軍からの仰せだぞ」と言い送ったところ、平次はしばらく馬を止めて、

(武士が先祖から伝えてきた梓弓は、いったん引いたら引き返すものだろうか。一度進んだら引き返せない)

と申し上げてくださいといって、わめいて駆けた。梶原はこれを見て、「平次を討たせるな者ども、景高を討たせるな。続け」といって、父の平三、兄の源太、同じく三郎が続いた。梶原の五百余騎は大勢の中へ駆け入り、縦横、四方八方に駆け割って、さっと引いて出てきたところ、嫡子の源太の姿が見えない。梶原が郎等たちに「源太はどうした」と問うと、「あまりに深入りして討たれなさったのでしょうか。遠くにもお姿が見えません」と申したので、梶原は涙をはらはらと流して、「戦の先駆けをしようと思うのも子どもたちのためだ。源太を討たせて、景時が生きていても何になろう。引き返せ」といって、また取って返した。

梶原は鐙を踏んばって立ち上がり、大音声をあげて、「昔、八幡殿(源義家)の後三年の御戦で、出羽国千福金沢の城を攻められたとき、生年十六歳と名のって真っ先に駆け、左の目を兜の鉢付けの板まで射通されながら、その矢を抜かずに射返して敵を射落とし、恩賞をこうむって名を後世にあげた鎌倉権五郎景政から五代の子孫、梶原平三景時といって、東国に聞こえた一騎当千の武士だぞ。われと思わん人々は寄って来い。お目にかかろう」といって、わめいて駆けた。城の中ではこれを聞いて、「ただ今名のるのは東国に聞こえた武士だぞ。討ち残すな、漏らすな、討て」といって、梶原を中に取りこめて、自分が討ち取ろうと進んだ。

梶原は、まず自分の身の上もかえりみず、源太はどこにいるのかと、駆け割り駆け回って探すうちに、案の定、源太は馬を射られて徒歩となり、兜も打ち落とされて髪を振り乱して戦い、二丈ほどの崖を背にして、郎等二人を左右に立て、太刀を抜いて、五人の敵に取り囲まれながら、わき目もふらず、命も惜しまず、ここを最後と攻め戦っていた。梶原はこれを見て、源太はまだ討たれていなかったとうれしく思い、急いで馬から飛び降り、「どうした源太。景時はここにいるぞ。同じく死ぬにしても、敵に後ろを見せるな」といって、父子で五人の敵のうち三人を討ち取り、二人に傷を負わせて、「弓矢取る身は、駆けるも引くも時によるものだ。さあ源太」といって、抱えるようにして連れ出した。梶原の二度の駆けとはこのことである。

意訳

生田の森の大手の戦いを語る章段である。前半の河原兄弟は、大名のように家人の手柄で名をあげることのできない小武士の悲哀を背負い、命と引きかえに先陣の名を得ようとする。敵将知盛までが「あつたら者ども」と惜しんだ二人の死は、東国武士の気概をよく伝えている。

後半は、嫡子源太を救うために再び敵中に駆け入る梶原景時の「二度のかけ」である。のちに義経と対立して讒言者として描かれる景時も、ここでは子を思う父として、また家の名誉を誇る東国武士として描かれている。平次の梓弓の歌も、退くことを恥とする若武者の心意気を示している。

語釈・文法注

文法

「愛せよや」
かわいがってやれ。取るに足りないものとして相手にしないこと。
「芥下」
「けけ」。わらで作った粗末な履物。
「私の高直」
「私」は「きさいち」と読み、武蔵の私市(きさいち)党の名字。
「同じ枕に伏しにけり」
兄と同じ所に倒れ伏した。
「私の黨の殿原」
わが党の人々。ここでは「し(私)」と読む。
「當の矢」
自分を射た相手に射返す矢。
「大童」
兜が脱げて髪がばらばらに乱れたさま。
「かい具して」
抱きかかえるようにして連れて。

和歌

もののふの取りつたへたる梓弓引いては人のかへすものかは

詠者
梶原景高
状況
一の谷の生田の森の戦いで、先駆けを止めようとした父景時の使者に返した歌。

修辞

梓弓引いては
「弓を引く」と「(戦いから)引く」を掛け、一度弓を引いたら(進んだら)引き返せないの意。
かへす
弓の「返す」と兵を「返す」を掛ける。

解説

生田の森(神戸市中央区の生田神社付近)は、一の谷合戦で平家が東の木戸口を構えた所で、大手の範頼軍と平家の知盛・重衡らがここで戦った。梶原景時が生田の森で箙に梅の枝を挿して戦ったという「箙の梅」の伝説も、景季にまつわるものとして伝えられている。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、680–683頁(コマ369–370)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日