平家物語 巻第九
一二のかけの事
搦手にいた熊谷直実は、子の小次郎直家とともに一の谷の先陣を果たそうと、ひそかに陣を抜けて土肥実平の西の手へ向かった。平山季重も同じ思いで先に出立していた。夜明け前、熊谷父子は西の木戸口で名のりをあげ、遅れて着いた平山も、成田五郎を出し抜いて駆けつけた。夜が明けると、熊谷と平山は入れ替わり立ち替わり平家の陣に攻めかかり、熊谷父子は傷を負いながらも越中次郎兵衛らに組め組めと挑む。熊谷は先に寄せたが木戸が開かず、平山は後に寄せたが木戸が開いたので駆け入り、二人は一の谷の一番駆けと二番駆けを争った。
- 1六六むい日日かののの夜夜や半半はん許許ばかりりりまでまでまでははは、、、熊熊くま谷谷がえ、、、平平ひら山山やま、、、搦搦から手手めにににぞぞぞ候候さぶらひひいけるけるける。。。熊熊くま谷谷がえ、、、子子し息息そくののの小小こ次次じ郎郎ろうををを呼呼よううようでででいひいひいいけるけるけるははは、、、「「「このこのこの手手てははは惡惡あく所所しょででであんあんあんなれなれなればばば、、、誰誰たれ先先さきととといふいふいう事事こともももあるあるあるまじきまじきまじきぞぞぞ。。。いざいざいざうれうれうれ、、、土土と肥肥ひががが承承うけたまわつつっててて向向むこううこうたるたるたる西西にしののの手手てへへへ寄寄よせせせててて、、、一一いちののの谷谷たにのののまつまつまっ先先さき懸懸かけけけううう。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、小小こ次次じ郎郎ろう、、、「「「このこのこの儀儀ぎ最最もっとももも然然しかるるるべうべうびょう候候そうろう。。。誰誰たれもももかくかくかくこそこそこそ申申もうしししたうたうとう候候そうらひひいつれつれつれ。。。さらばさらばさらばとうとうとう寄寄よせせせさせさせさせ給給たまへへえ。。。」」」ととと申申もうすすす。。。熊熊くま谷谷がえ、、、「「「まことまことまことややや、、、平平ひら山山やまもももこのこのこの手手てにににあるあるあるぞぞぞかしかしかし。。。打打うちちちこみこみこみののの軍軍いくさ好好このまままぬぬぬ者者ものなれなれなればばば、、、平平ひら山山やまがががやうやうよう見見みててて參參まいれれれ。。。」」」とてとてとて、、、下下げ人人にんををを見見みせせせにににつかはすつかはすつかわす。。。
- 2案案あんののの如如ごとくくく平平ひら山山やまははは、、、熊熊くま谷谷がえよりよりよりさきさきさきににに出出いででで立立たつつっててて、、、「「「人人ひとをををばばば知知しるるるべからべからべからずずず、、、季季すえ重重しげにににおいおいおいてててははは一一ひと引引ひきききももも引引ひくくくまじいまじいまじいものものものををを、、、引引ひくくくまじいまじいまじいものものものををを。。。」」」ととと、、、ひとりひとりひとり言言ごとをををぞぞぞしししゐゐいたるたるたる。。。下下げ人人にんががが馬馬うまををを飼飼かふふうとてとてとて、、、「「「憎憎につつっくいくいくい馬馬うまののの長長なが食食ぐらひひいかなかなかな。。。」」」とてとてとて打打うちちちけれけれければばば、、、平平ひら山山やま、、、「「「さうさうそうなななせせせそそそ。。。そのそのその馬馬うまののの名名な殘殘ごりももも今今こ夜夜よいばかりばかりばかりぞぞぞ。。。」」」とてとてとて打打うち立立たちちちけりけりけり。。。下下げ人人にん走走はしりりり歸歸かえつつっててて、、、主主しゅにににこのこのこの由由よし告告つげげげけれけれければばば、、、さればこそさればこそさればこそとてとてとて、、、これこれこれもももやがてやがてやがて打打うち立立たちちちけりけりけり。。。
- 3熊熊くま谷谷がえがががそのそのその夜夜よののの裝裝しょう束束ぞくにににははは、、、褐褐かちののの直直ひた垂垂たれににに赤赤あか革革がわ縅縅おどしののの鎧鎧よろい著著きててて、、、紅紅くれないののの母母ほ衣衣ろをををかけかけかけ、、、權權ごん太太だ栗栗くり毛毛げととといふいふいう聞聞きこゆるゆるゆる名名めい馬馬ばにににぞぞぞ乘乘のつつったりたりたりけるけるける。。。子子し息息そくののの小小こ次次じ郎郎ろう直直なお家家いえははは澤澤おも瀉瀉だかをををひとしほひとしほひとしお摺摺すつつったるたるたる直直ひた垂垂たれににに、、、伏伏ふし繩繩なわ目目めののの鎧鎧よろい著著きててて、、、西西せい樓樓ろうととといふいふいう白白しろ月月つき毛毛げなるなるなる馬馬うまにににぞぞぞ乘乘のつつったりたりたりけるけるける。。。旗旗はた差差さしははは黄黄き塵塵じんののの直直ひた垂垂たれににに小小こ櫻櫻ざくらををを黄黄きににに返返かへしししたるたるたる鎧鎧よろい著著きててて、、、黄黄き土土かわ器器らけ毛毛げなるなるなる馬馬うまにににぞぞぞ乘乘のつつったりたりたりけるけるける。。。主主しゅ從從じゅう三三さん騎騎きうちうちうちつれつれつれ、、、落落おとさささんんんずるずるずる谷谷たにをををばばば弓弓ゆん手手でににになしなしなし、、、馬馬め手手てへへへ歩歩あゆままませせせ行行ゆくくく程程ほどににに、、、年年とし頃頃ごろ人人ひとももも通通かよははわぬぬぬ田田た井井いののの畑畑はたととといふいふいう古古ふる道道みちををを經經へててて、、、一一いちののの谷谷たにののの波波なみうちうちうちぎはぎはぎわへへへぞぞぞ打打うち出出いでででけるけるける。。。
- 4一一いちののの谷谷たに近近ちこううう鹽鹽しお谷谷やととといふいふいう所所ところありありあり。。。未未いまだだだ夜夜よ深深ぶかかりかりかりけれけれければばば、、、土土と肥肥ひののの次次じ郎郎ろう實實さね平平ひら七七しち千千せん餘餘よ騎騎きででで控控ひかへへえたりたりたり。。。熊熊くま谷谷がえ夜夜よにににまぎれまぎれまぎれててて、、、波波なみうちうちうちぎはぎはぎわよりよりより、、、そこそこそこをををばばばつつつととと馳馳はせせせ通通とおりりり、、、一一いちののの谷谷たにののの西西にしののの木木き戸戸ど口口ぐちにににぞぞぞおしおしおし寄寄よせせせたるたるたる。。。そのそのその時時ときももも未未いまだだだ夜夜よ深深ぶかかりかりかりけれけれければばば、、、城城じょうののの内内うちにににはははしづまりしづまりしずまり返返かえつつっててて音音おともももせせせずずず。。。熊熊くま谷谷がえ、、、子子し息息そく小小こ次次じ郎郎ろうにににいひいひいいけるけるけるははは、、、「「「このこのこの手手てははは惡惡あく所所しょででであんあんあんなれなれなればばば、、、われわれわれも〳〵も〳〵もわれもととと先先さきににに心心こころをををかけかけかけたるたるたる者者もの共共ども多多おおかるかるかるらんらんらん。。。既既すでににに寄寄よせせせたれたれたれどもどもども、、、夜夜よのののあくるあくるあくるををを相相あい待待まつつっててて、、、このこのこの邊邊へんにににももも控控ひかへへえたるたるたるらんらんらんぞぞぞ。。。心心こころ狹狹せぼううう直直なお實實ざね一一いち人人にんととと思思おもふふうべからべからべからずずず。。。いざいざいざ名名な乘乘のらららんんん。。。」」」とてとてとて、、、搔搔かい楯楯だてのののきはきはきわににに歩歩あゆままませせせ寄寄よりりり、、、鐙鐙あぶみふんばりふんばりふんばり立立たち上上あがりりり、、、大大だい音音おん聲聲じょうをををあげあげあげててて、、、「「「武武む藏藏さしののの國國くにののの住住じゅう人人にん熊熊くま谷谷がえののの次次じ郎郎ろう直直なお實實ざね、、、子子し息息そくののの小小こ次次じ郎郎ろう直直なお家家いえ、、、一一いちののの谷谷たにののの先先せん陣陣じんぞぞぞややや。。。」」」とととぞぞぞ名名な乘乘のつつったるたるたる。。。
- 5城城じょうののの内内うちにににはははこれこれこれををを聞聞きいいいててて、、、「「「よし〳〵よし〳〵よしよし音音おとなななせせせそそそ、、、敵敵かたきののの馬馬うまののの足足あし疲疲つからかさらかさらかさせせせよよよ。。。矢矢や種種だねををを射射いつくさつくさつくさせせせよよよ。。。」」」とてとてとてあひあひあいしらふしらふしらう者者ものこそこそこそなかりなかりなかりけれけれけれ。。。やゝやゝややあつあつあっててて後後うしろよりよりより武武む者者しゃこそこそこそ二二に騎騎き續續つづいいいたれたれたれ。。。「「「誰誰たそそそ。。。」」」ととと問問とへへへばばば、、、「「「季季すえ重重しげ。。。」」」とととこたふこたふこたう。。。「「「問問とふふうははは誰誰たそそそ。。。」」」「「「直直なお實實ざねぞぞぞかしかしかし。。。」」」「「「いかにいかにいかに熊熊くま谷谷がえ殿殿どのはははいついついつよりよりよりぞぞぞ。。。」」」「「「宵宵よいよりよりより。。。」」」とととこそこそこそ答答こたへへえけれけれけれ。。。「「「季季すえ重重しげもももやがてやがてやがてつゞいつゞいつづいててて寄寄よすすすべかりべかりべかりつるつるつるををを、、、成成なり田田たののの五五ご郎郎ろうにににたばからたばからたばかられれれててて、、、今今いままでまでまでははは遲遲ち々々ちしししたりたりたりつるつるつるなりなりなり。。。成成なり田田たががが死死しなななばばば一一いっ所所しょででで死死しなななんんんととと契契ちぎりりりししし間間あいだ、、、うちうちうちつれつれつれててて寄寄よせせせつれつれつればばば、、、『『『いたういたういとう平平ひら山山やま殿殿どのさきさきさきがけがけがけ早早はやりりりなしなしなし給給たまひひいそそそ。。。軍軍いくさののの先先さきをををかくるかくるかくるととといふいふいうははは、、、御御み方方かたののの勢勢せいををを後後うしろににに置置おいいいててて、、、先先さきをををかけかけかけたれたれたればばばこそこそこそ、、、高高こう名名みょう不不ふ覺覺かくをををももも人人ひとににに知知しらららるれるれるれ。。。あのあのあの大大おお勢勢ぜいののの中中なかへへへ、、、たゞたゞただ一一いっ騎騎きかけかけかけ入入いつつっててて討討うたたたれれれたらたらたらんんんにににははは、、、何何なんののの詮詮せんにににかかかあふあふあうべきべきべき。。。』』』ととといふいふいう間間あいだ、、、げにげにげにもももととと思思おもひひい、、、小小こ坂坂さかのののありありありつるつるつるををを打打うち上上あせせせ、、、下下くだりりりざまざまざまににに馬馬うまののの頭頭かしらををを引引ひき立立たてててててて、、、御御み方方かたののの勢勢せいををを待待まつつつところところところににに、、、成成なり田田たもももつゞいつゞいつづいててて出出いででで來來きたりりり、、、うちうちうち竝竝ならべべべててて、、、軍軍いくさのののやうやうようをををもももいひいひいい合合あははわせせせんんんずるずるずるかかかととと思思おもひひいたれたれたればばば、、、さささはははなくなくなくしてしてして、、、季季すえ重重しげががが方方かたをををばばばすげなげすげなげすげなげににに見見みなしなしなしつゝつゝつつ、、、傍傍そばをををつつつととと馳馳はせせせ通通とおるるる間間あいだ、、、あつぱれあつぱれあっぱれこのこのこの者者もの季季すえ重重しげたばかつたばかつたばかっててて、、、先先さきかくるかくるかくるよよよととと思思おもひひい、、、五五ご六六ろく段段たんばかりばかりばかり進進すすんんんだるだるだるををを、、、あれあれあれががが馬馬うまはははわがわがわが馬馬うまよりよりより弱弱よわげげげなるなるなるものものものをををととと目目めをををかけかけかけ、、、一一ひと鞭鞭むちうつうつうっててて追追おつつっ著著つききき、、、『『『いかにいかにいかに成成なり田田た殿殿どのははは、、、まさなうまさなうまさのうももも季季すえ重重しげほどほどほどののの者者ものををを、、、たばかりたばかりたばかり給給たまふふうものものものかなかなかな。。。』』』ととといひいひいいかけかけかけ、、、うちうちうち捨捨すてててててて寄寄よせせせつれつれつればばば、、、今今いまははは遙遙はるかかかににに下下さがりりりぬぬぬらんらんらん。。。よもよもよも後後うしろ影影かげをををばばば見見みたらたらたらじじじ。。。」」」とととこそこそこそ語語かたりりりけれけれけれ。。。
- 6さるさるさる程程ほどにににしのゝめしのゝめしののめやう〳〵やう〳〵ようよう明明あけけけ行行ゆけけけばばば、、、熊熊くま谷谷がえ、、、平平ひら山山やま、、、かれかれかれこれこれこれ五五ご騎騎きでででぞぞぞ控控ひかへへえたるたるたる。。。熊熊くま谷谷がえはははさきさきさきににに名名な乘乘のつつったりたりたりけれけれけれどもどもども、、、平平ひら山山やまががが聞聞きくくく前前まえにてにてにて、、、またまたまた名名な乘乘のらららんんんとととややや思思おもひひいけんけんけん、、、搔搔かい楯楯だてのののきはきはきわへへへ歩歩あゆままませせせ寄寄よりりり、、、鐙鐙あぶみふんばりふんばりふんばり立立たち上上あがりりり、、、大大だい音音おん聲聲じょうをををあげあげあげててて、、、「「「そも〳〵そも〳〵そもそも以以い前前ぜん名名な乘乘のつつったるたるたる武武む藏藏さしののの國國くにののの住住じゅう人人にん熊熊くま谷谷がえののの次次じ郎郎ろう直直なお實實ざね、、、子子し息息そくののの小小こ次次じ郎郎ろう直直なお家家いえ、、、一一いちののの谷谷たにののの先先せん陣陣じんぞぞぞややや。。。」」」とととぞぞぞ名名な乘乘のつつったるたるたる。。。城城じょうののの内内うちにににはははこれこれこれををを聞聞きいいいててて、、、いざいざいざ夜夜よもすがらもすがらもすがら名名な乘乘のるるる熊熊くま谷谷がえ親親おや子子こををを提提ひっさげげげててて來來こんんんとてとてとて、、、進進すすむむむ平平へい家家けののの侍侍さぶらい誰誰たれ々々たれぞぞぞ。。。越越えっ中中ちゅうののの次次じ郎郎ろう兵兵びょう衞衞え盛盛もり續續つぎ、、、上總上總かずさののの五五ご郎郎ろう兵兵びょう衞衞え忠忠ただ光光みつ、、、惡惡あく七七しち兵兵びょう衞衞え景景かげ淸淸きよ、、、後後ご藤藤とう内内ない定定さだ經經つねををを先先さきとととしてしてして、、、宗宗むね徒徒とののの兵兵つわもの二二に十十じゅう餘餘よ騎騎き、、、木木き戸戸どををを開開ひらいいいてててかけかけかけ出出いでででたりたりたり。。。
- 7こゝこゝここににに平平ひら山山やまははは滋滋しげ目目め結結ゆいののの直直ひた垂垂たれににに緋緋ひ縅縅おどしののの鎧鎧よろい著著きててて、、、二二ふたつつつ引引びき兩兩りょうののの母母ほ衣衣ろをををかけかけかけ、、、目目め糟糟かす毛毛げととといふいふいう、、、聞聞きこゆるゆるゆる名名めい馬馬ばにににぞぞぞ乘乘のつつったりたりたりけるけるける。。。旗旗はた差差さしははは黑黑くろ革革がわ縅縅おどしののの鎧鎧よろいににに、、、兜兜かぶと猪猪い頸頸くびににに著著きなしなしなしつゝつゝつつ、、、宿宿きび月月つき毛毛げなるなるなる馬馬うまにににぞぞぞ乘乘のつつったりたりたりけるけるける。。。「「「保保ほう元元げん、、、平平へい治治じ二二に箇箇か度度どののの軍軍いくさににに先先さきがけがけがけててて高高こう名名みょうしししたるたるたる、、、武武む藏藏さしののの國國くにののの住住じゅう人人にん平平ひら山山やまののの武武む者者しゃ所所どころ季季すえ重重しげ。。。」」」ととと名名な乘乘のつつっててて喚喚おめいいいてててかくかくかく。。。熊熊くま谷谷がえかくれかくれかくればばば平平ひら山山やまつゞきつゞきつづき、、、平平ひら山山やまかくれかくれかくればばば熊熊くま谷谷がえつゞきつゞきつづき、、、互互たがいにににわれわれわれ劣劣おとらららじじじととと、、、入入いれれれかへ〳〵かへ〳〵えいれかえ、、、名名な乘乘のりりりかへ〳〵かへ〳〵えなのりかえ、、、もみもみもみにににもうもうもうででで、、、火火ひ出出いづるづるずる程程ほどにににぞぞぞ攻攻せめめめたりたりたりけるけるける。。。平平へい家家けののの侍侍さぶらいどもどもども、、、熊熊くま谷谷がえ、、、平平ひら山山やまにににあまりあまりあまりににに手手ていたういたういとう攻攻せめめめられられられててて、、、かなはかなはかなわじじじとととややや思思おもひひいけんけんけん、、、城城じょうののの内内うちへへへさつさつさっととと引引ひいいいててて、、、敵敵かたきををを外外と樣樣ざまににになしなしなしてててぞぞぞ禦禦ふせぎぎぎけるけるける。。。
- 8熊熊くま谷谷がえははは馬馬うまののの太太ふと腹腹はら射射いさせさせさせ、、、はぬれはぬれはぬればばば、、、弓弓ゆん杖杖づえ突突ついいいててて下下おりりり立立たつつったりたりたり。。。子子し息息そくののの小小こ次次じ郎郎ろう直直なお家家いえももも、、、生生しょう年年ねん十十じゅう六六ろく歳歳さいととと名名な乘乘のつつっててて、、、まつまつまっ先先さきかけかけかけててて戰戰たたかひひいけるけるけるががが、、、弓弓ゆん手手でののの肘肘かいなををを射射いさせさせさせ、、、これこれこれももも馬馬うまよりよりより下下おりりり、、、父父ちちととと竝竝ならんんんでででぞぞぞ立立たつつったりたりたりけるけるける。。。熊熊くま谷谷がえ、、、「「「いかにいかにいかに小小こ次次じ郎郎ろうははは手手て負負おううおうたるたるたるかかか。。。」」」「「「さんさんさん候候そうろう。。。」」」「「「鎧鎧よろいづきづきづきををを常常つねにににせせせよよよ、、、裏裏うらかかかかかかすすすななな。。。錏錏しころををを傾傾かたぶけけけよよよ、、、内内うち兜兜かぶと射射いさすさすさすななな。。。」」」とととこそこそこそ教教をしへへへけれけれけれ。。。熊熊くま谷谷がえははは鎧鎧よろいににに立立たつつったるたるたる矢矢やどもどもどもかなぐりかなぐりかなぐり捨捨すててて、、、城城じょうののの内内うちををを睨睨にらまへまへまえ、、、大大だい音音おん聲聲じょうをををあげあげあげててて、、、「「「去去こ年年ぞののの冬冬ふゆ、、、鎌鎌かま倉倉くらををを立立たちちちしししよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、命命いのちをををばばば兵兵ひょう衞衞えののの佐佐すけ殿殿どのににに奉奉たてまつりりり、、、骸骸かばねををを一一いちののの谷谷たにののの汀汀みぎわにににさらささらささらさんんんととと、、、思思おもひひい切切きつつったるたるたる直直なお實實ざねぞぞぞかしかしかし。。。去去いんんんぬるぬるぬる室室むろ山山やま、、、水水みず島島しま二二に箇箇か度度どののの軍軍いくさにににうちうちうち勝勝かつつっててて、、、高高こう名名みょうしししたりたりたりととと名名な乘乘のるるるなるなるなる越越えっ中中ちゅうののの次次じ郎郎ろう兵兵びょう衞衞え、、、上總上總かずさののの五五ご郎郎ろう兵兵びょう衞衞え、、、惡惡あく七七しち兵兵びょう衞衞えはははないないないかかか。。。能能の登登と殿殿どのはははおはせおはせおわせぬぬぬかかか。。。高高こう名名みょう不不ふ覺覺かくももも敵敵かたきににに依依よつつってててこそこそこそすれすれすれ。。。人人ひとごとごとごとにににはははえええせせせじじじものものものををを、、、たゞたゞただ熊熊くま谷谷がえ父父ふ子子しににに落落おちちちあへあへあえややや、、、組組くめめめややや組組くめめめ。。。」」」とととのゝしつのゝしつののしったるたるたる。。。
- 9城城じょうののの内内うちにににはははこれこれこれををを聞聞きいいいててて、、、越越えっ中中ちゅうののの次次じ郎郎ろう兵兵びょう衞衞え盛盛もり續續つぎ、、、好好このむむむ裝裝しょう束束ぞくなれなれなればばば、、、小小こ村村むら濃濃ごののの直直ひた垂垂たれににに赤赤あか縅縅おどしののの鎧鎧よろい著著きててて、、、鍬鍬くわ形形がたうつうつうったるたるたる兜兜かぶとののの緒緒ををををしめしめしめ、、、金金こがねづくりづくりづくりののの太太た刀刀ちををを佩佩はききき、、、二二に十十じゅう四四しさいさいさいたるたるたる切切きり斑斑ふののの矢矢や負負おひひい、、、滋滋しげ籐籐どうののの弓弓ゆみ脇脇わきににに挾挾はさみみみ、、、連連れん錢錢ぜん葦葦あし毛毛げなるなるなる馬馬うまににに、、、金金きん覆覆ぷく輪輪りんののの鞍鞍くらををを置置おいいいててて乘乘のつつったりたりたりけるけるけるががが、、、熊熊くま谷谷がえ父父ふ子子しををを目目めにににかけかけかけててて歩歩あゆままませせせ寄寄よるるる。。。熊熊くま谷谷がえ父父ふ子子しももも中中なかをををわらわらわられれれじじじととと、、、間間まもももすかさすかさすかさずずず立立たち竝竝ならびびび、、、太太た刀刀ちををを拔拔ぬいいいててて額額ひたいにににあてあてあて、、、後後うしろへへへははは一一ひと引引ひきききももも引引ひかかかずずず、、、いよ〳〵いよ〳〵いよいよ前前まえへへへぞぞぞ進進すすんんんだるだるだる。。。越越えっ中中ちゅうののの次次じ郎郎ろう兵兵びょう衞衞えこれこれこれををを見見みててて、、、敵敵かなははわじじじとととややや思思おもひひいけんけんけん、、、取取とつつってててかへすかへすかえす。。。熊熊くま谷谷がえ、、、「「「あれあれあれはははいかにいかにいかに、、、越越えっ中中ちゅうののの次次じ郎郎ろう兵兵びょう衞衞えとととこそこそこそ見見みれれれ。。。敵敵かたきにににはははどこどこどこををを嫌嫌きらふふうぞぞぞ、、、おしおしおし竝竝ならべべべててて組組くめめめややや組組くめめめ。。。」」」ととといひいひいいけれけれけれどもどもども、、、次次じ郎郎ろう兵兵びょう衞衞え、、、さもさもさもさうずさうずそうずとてとてとて引引ひき返返かえすすす。。。上總上總かずさののの惡惡あく七七しち兵兵びょう衞衞えこれこれこれををを見見みててて、、、「「「きたなききたなききたなき殿殿とのばらばらばらのののふるまひふるまひふるまいかなかなかな。。。しやしやしゃ組組くまままんんんずるずるずるものものものををを、、、落落おちちちあはあはあわぬぬぬことことことはははよもよもよもあらあらあらじじじ。。。」」」とてとてとて、、、既既すでにににかけかけかけ出出いででで組組くまままんんんとととしししけれけれければばば、、、次次じ郎郎ろう兵兵びょう衞衞え、、、惡惡あく七七しち兵兵びょう衞衞えががが鎧鎧よろいののの袖袖そでをををひかへひかへひかえててて、、、「「「君君きみののの御御おん大大だい事事じこれこれこれににに限限かぎるるるべからべからべからずずず。。。あるあるあるべうべうびょうもももなしなしなし。。。」」」ととと制制せいせせせられられられててて、、、力力ちから及及およばばばででで組組くまままざりざりざりけりけりけり。。。
- 10そのそのその後後のち熊熊くま谷谷がえははは乘乘のり替替かえににに乘乘のつつっててて、、、をめいをめいおめいてててかくかくかく。。。平平ひら山山やまももも熊熊くま谷谷がえ父父ふ子子しががが戰戰たたかふふう間間あいだににに馬馬うまののの息息いきやすめやすめやすめ、、、これこれこれももも同同おなじうじうじゅうつゞいつゞいつづいたりたりたり。。。平平へい家家けののの方方かたにににはははこれこれこれををを見見みててて、、、たゞたゞただ射射い取取とれれれややや射射い取取とれれれとてとてとて、、、さしさしさしつめつめつめ引引ひきききつめつめつめ、、、さん〴〵さん〴〵さんざんににに射射いけれけれけれどもどもども、、、敵敵かたきははは小小こ勢勢ぜいなりなりなり、、、御御み方方かたははは大大おお勢勢ぜいなりなりなりけれけれければばば、、、勢勢せいにににまぎれまぎれまぎれててて矢矢やにににももも當當あたらららずずず。。。たゞたゞただおしおしおし竝竝ならべべべててて組組くめめめややや組組くめめめととと下下げ知知じしししけれけれけれどもどもども、、、平平へい家家けののの方方かたののの馬馬うまははは飼飼かふふうははは稀稀まれなりなりなり、、、乘乘のりりりしげししげししげし。。。船船ふねににに久久ひさしうしうしゅうたてたてたてたりたりたりけれけれければばば、、、みなみなみな彫彫えりりりきつきつきったるたるたるやうやうようなりなりなりけりけりけり。。。熊熊くま谷谷がえ、、、平平ひら山山やまががが乘乘のつつったるたるたる馬馬うまははは、、、飼飼かひひいににに飼飼こううこうたるたるたる大大だいののの馬馬うまどもどもどもなりなりなり。。。ひとひとひとあてあてあて當當あてててばばば、、、みなみなみな蹴蹴け倒倒たおささされれれぬぬぬべきべきべき間間あいだ、、、さすがさすがさすがおしおしおし竝竝ならべべべててて組組くむむむ武武む者者しゃ、、、一一いっ騎騎きもももなかりなかりなかりけりけりけり。。。
- 11こゝこゝここににに平平ひら山山やまははは、、、身身みにににかへかへかへててて思思おもひひいけるけるける旗旗はた差差さしををを討討うたたたせせせててて、、、やすからやすからやすからずずずややや思思おもひひいけんけんけん、、、城城じょうののの中中なかへへへかけかけかけ入入いりりり、、、やがてやがてやがてそのそのその敵敵かたきののの首首くび取取とつつってててぞぞぞ出出いでででたりたりたりけるけるける。。。熊熊くま谷谷がえ父父ふ子子しももも分分ぶん捕捕どりあまたあまたあまたしてしてしてけりけりけり。。。熊熊くま谷谷がえはははさきさきさきににに寄寄よせせせたれたれたれどもどもども、、、木木き戸戸どををを開開ひらかかかねねねばばば驅驅かけけけ入入いらららずずず。。。平平ひら山山やまははは後後のちににに寄寄よせせせたれたれたれどもどもども、、、木木き戸戸どををを開開あけけけたれたれたればばば驅驅かけけけ入入いりりりぬぬぬ。。。さてさてさてこそこそこそ熊熊くま谷谷がえ、、、平平ひら山山やまががが、、、一一いち二二にのののかけかけかけをををばばば爭爭あらそひひいけれけれけれ。。。
現代語訳
六日の夜半ごろまでは、熊谷と平山は搦手にいた。熊谷が子の小次郎を呼んで言うには、「この手は難所だから、誰が先駆けということもあるまい。さあ、土肥が承って向かった西の手へ寄せて、一の谷の真っ先を駆けよう」と言ったので、小次郎は「それがいちばんよいでしょう。私もそう申したいと思っておりました。それでは早く寄せてください」と申した。熊谷は「そういえば、平山もこの手にいるのだった。乱戦を好まない者だから、平山の様子を見て来い」といって、下人を見に行かせた。
案の定、平山は熊谷より先に出立して、「人のことは知らない。季重だけは一歩も引くまいものを、引くまいものを」と独り言を言っていた。下人が馬に飼い葉をやろうとして、「憎らしい馬の長食いだな」といって打つと、平山は「そんなことをするな。その馬の名残も今夜だけだぞ」といって出立した。下人が走って帰って主人にこのことを告げると、やはりそうかといって、熊谷もすぐに出立した。
熊谷のその夜の装束は、褐色の直垂に赤革縅の鎧を着て、紅の母衣をかけ、権太栗毛という名高い名馬に乗っていた。子の小次郎直家は、沢瀉の模様をひと色濃く摺った直垂に伏縄目の鎧を着て、西楼という白月毛の馬に乗っていた。旗差は黄塵色の直垂に、小桜を黄色に染め返した鎧を着て、黄瓦毛の馬に乗っていた。主従三騎は連れ立って、駆け下りようとする谷を左手に見て右手へ進んで行くうちに、長年人も通わない田井の畑という古道を通って、一の谷の波打ち際へ出た。
一の谷の近くに塩屋という所がある。まだ夜が深かったので、土肥次郎実平が七千余騎で控えていた。熊谷は夜にまぎれて、波打ち際からそこをさっと駆け抜け、一の谷の西の木戸口に押し寄せた。そのときもまだ夜が深かったので、城の中は静まりかえって物音もしない。熊谷が子の小次郎に言うには、「この手は難所だから、われもわれもと先駆けを心がけている者も多いだろう。もう寄せて来ていても、夜が明けるのを待って、このあたりに控えているかもしれないぞ。心狭く直実一人と思ってはならない。さあ名のろう」といって、楯のきわに馬を進め寄せ、鐙を踏んばって立ち上がり、大音声をあげて、「武蔵国の住人熊谷次郎直実、子の小次郎直家、一の谷の先陣だぞ」と名のった。
城の中ではこれを聞いて、「よしよし、物音を立てるな。敵の馬の足を疲れさせよ。矢を射尽くさせよ」といって、相手をする者はいなかった。しばらくして後ろから武者が二騎続いて来た。「誰だ」と問うと「季重」と答える。「問うのは誰だ」「直実だ」「どうした熊谷殿、いつから来ていたのか」「宵からだ」と答えた。「季重もすぐに続いて寄せるはずだったのを、成田五郎にだまされて、今まで手間取ったのだ。成田とは死ぬなら一緒に死のうと約束していたので、連れ立って寄せて来たところ、『平山殿、あまり先駆けをはやりなさるな。戦の先駆けというのは、味方の軍勢を後ろに置いて先を駆けてこそ、手柄も失敗も人に知られるのだ。あの大勢の中へたった一騎駆け入って討たれたのでは、何の甲斐もあるまい』と言うので、もっともだと思って、小さな坂のあったのを駆け上がらせ、馬の頭を下り坂に向けて味方の軍勢を待っていたところ、成田も続いて現れたので、馬を並べて戦の相談でもするのかと思ったら、そうではなくて、季重の方をそっけなく見ながら、そばをさっと駆け抜けて行ったので、さてはこいつは季重をだまして先駆けするのだなと思い、五、六段ほど先に進んだのを、あいつの馬はわしの馬より弱そうだと目をつけて、一鞭打って追いつき、『どうした成田殿、みっともなくも季重ほどの者をおだましになるものよ』と言い捨てて寄せてきたので、今ははるかに後ろに下がっていよう。とても後ろ姿も見えまい」と語った。
そうするうちに東の空がしだいに明けてくると、熊谷と平山は、あわせて五騎で控えていた。熊谷は先に名のっていたが、平山が聞いている前でまた名のろうと思ったのであろうか、楯のきわへ馬を進め寄せ、鐙を踏んばって立ち上がり、大音声をあげて、「先ほど名のった武蔵国の住人熊谷次郎直実、子の小次郎直家、一の谷の先陣だぞ」と名のった。城の中ではこれを聞いて、さあ夜通し名のっている熊谷親子を引っさげて来ようといって、進み出た平家の侍は誰々か。越中次郎兵衛盛続、上総五郎兵衛忠光、悪七兵衛景清、後藤内定経を先頭に、主だった兵二十余騎が木戸を開いて駆け出してきた。
ここに平山は、滋目結の直垂に緋縅の鎧を着て、二つ引両の母衣をかけ、目糟毛という名高い名馬に乗っていた。旗差は黒革縅の鎧に、兜を後ろへ傾けてかぶり、黄瓦月毛の馬に乗っていた。「保元・平治の二度の戦で先駆けして手柄を立てた、武蔵国の住人平山武者所季重」と名のってわめいて駆けた。熊谷が駆ければ平山が続き、平山が駆ければ熊谷が続き、互いに負けまいと入れ替わり入れ替わり、名のり替え名のり替え、激しく攻めて、火が出るほどに攻めたてた。平家の侍たちは、熊谷と平山にあまりに激しく攻められて、かなわないと思ったのであろうか、城の中へさっと引いて、敵を外に置いて防いだ。
熊谷は馬の太腹を射られ、馬がはねたので、弓を杖について降り立った。子の小次郎直家も、生年十六歳と名のって真っ先に駆けて戦ったが、左腕を射られて、これも馬から降り、父と並んで立った。熊谷が「どうした小次郎、傷を負ったか」「はい」「鎧を常に揺すり上げて隙間を作るな、矢を裏まで通すな。錏を傾けて内兜を射させるな」と教えた。熊谷は鎧に立った矢をかなぐり捨て、城の中をにらみつけ、大音声をあげて、「去年の冬、鎌倉を発ってから、命を兵衛佐殿に差し上げ、屍を一の谷の水際にさらそうと覚悟を決めた直実だぞ。去る室山・水島の二度の戦に勝って手柄を立てたと名のっている越中次郎兵衛、上総五郎兵衛、悪七兵衛はいないか。能登殿はおられないか。手柄も失敗も相手しだいだ。誰とでもというわけにはいかない。ただ熊谷父子に寄って来い。組め組め」とののしった。
城の中ではこれを聞いて、越中次郎兵衛盛続が、好みの装束なので、小村濃の直垂に赤縅の鎧を着て、鍬形を打った兜の緒をしめ、黄金づくりの太刀を佩き、二十四本差した切斑の矢を負い、滋籐の弓を脇に挟み、連銭葦毛の馬に金覆輪の鞍を置いて乗っていたが、熊谷父子をめがけて馬を進めて来た。熊谷父子も間を割られまいと、すきまなく並び立ち、太刀を抜いて額にかざし、後ろへは一歩も引かず、いよいよ前へ進んだ。越中次郎兵衛はこれを見て、かなわないと思ったのであろうか、引き返した。熊谷は「どうした、越中次郎兵衛と見たぞ。敵としてどこが嫌なのだ。馬を並べて組め組め」と言ったが、次郎兵衛はそうはいかないといって引き返す。上総の悪七兵衛がこれを見て、「卑怯な殿ばらの振る舞いよ。あいつと組んでやるものを。組み合えないことはまさかあるまい」といって、今にも駆け出して組もうとしたので、次郎兵衛は悪七兵衛の鎧の袖をつかんで、「君の大事はこれだけではない。あってはならないことだ」と止められて、どうしようもなく組まなかった。
その後熊谷は替え馬に乗って、わめいて駆けた。平山も熊谷父子が戦う間に馬を休め、これも同じく続いた。平家の方ではこれを見て、ただ射取れ射取れといって、次々と矢をつがえて引きしぼり、さんざんに射たが、敵は小勢、味方は大勢なので、味方の勢にまぎれて矢も当たらない。ただ馬を並べて組め組めと命じたが、平家の方の馬は飼い葉をやることもまれで、乗ることは多い。船に長く立たせておいたので、みな痩せ細って彫ったようであった。熊谷と平山の乗った馬は、よく飼いこんだ大きな馬である。一当たり当たれば、みな蹴倒されてしまいそうなので、さすがに馬を並べて組む武者は一騎もいなかった。
ここで平山は、自分の身に代えても大事に思っていた旗差を討たれて、腹立たしく思ったのであろうか、城の中へ駆け入り、すぐにその敵の首を取って出てきた。熊谷父子も分捕りを多くした。熊谷は先に寄せたが、木戸が開かなかったので駆け入れなかった。平山は後に寄せたが、木戸が開いたので駆け入った。こうして熊谷と平山は、一番駆けと二番駆けを争ったのである。
意訳
一の谷の先陣を争う熊谷直実と平山季重を描いた章段である。ひそかに陣を抜け出し、夜の波打ち際を駆け抜けて名のりをあげる熊谷父子、成田五郎を出し抜いて駆けつけた平山の自慢話は、手柄を求める東国武士の気負いを生き生きと伝えている。
傷を負った子に「鎧づきを常にせよ」と戦い方を教える熊谷の姿は、次の「敦盛最後」で、同じ年ごろの若武者を討つ熊谷の苦悩へとつながっていく。先に寄せた熊谷と、先に駆け入った平山のどちらが先陣かという争いは、のちまで語り草となった。
語釈・文法注
文法
- 「いざうれ」
- さあ、おまえ。人を誘うときの言葉。
- 「懸けう」
- 「懸けむ」の音便。駆けよう。
- 「打ちこみの軍」
- 敵味方が入り乱れる乱戦。
- 「長食ひ」
- いつまでも食べていること。
- 「褐」
- 濃い紺色。
- 「澤瀉をひとしほ摺つたる」
- 沢瀉(おもだか)の模様をひと色濃く摺り染めにした。
- 「盛續」
- 前の章段まで「盛嗣」とあった越中次郎兵衛を、底本はここで「盛續」と刷る。
- 「兜猪頸に著なしつゝ」
- 兜を後ろに傾けて、首の後ろを守るようにかぶって。
- 「もみにもうで」
- 激しく攻め立てて。
- 「鎧づきを常にせよ」
- 鎧を絶えず揺すり上げて、隙間ができないようにせよ。
- 「さもさうず」
- そうはいかない。
- 「しや組まんずるものを」
- 「しや」は相手をののしる言葉。あいつと組んでやるものを。
- 「みな彫りきつたるやうなり」
- 痩せて骨が浮き出て、彫り刻んだようである。
解説
熊谷直実と平山季重の一の谷の先陣争いは、寿永三年(1184)二月七日の明け方のこととされる。『吾妻鏡』にも、熊谷父子と平山が西の木戸口で先陣を争ったことが記されている。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、674–680頁(コマ366–369)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日