古典ライブラリー

平家物語 巻第八

法住寺合戦の事

義仲は、都を守る者が馬を飼い、兵糧に困って略奪するのは当然だと言い放ち、法皇の御所法住寺殿へ攻め寄せた。鼓判官朝泰が築地の上で鉾と金剛鈴を振って罵ったが、今井兼平の火矢で御所は炎に包まれ、院方二万余人は総崩れとなる。天台座主明雲や円慶法親王まで討たれ、法皇は五条内裏に押しこめられた。義仲は院の御厩別当となって公卿四十九人の官職を止め、松殿基房の子師家を摂政とする。鎌倉の頼朝は範頼・義経に六万余騎をつけて上らせ、都は平家・頼朝・義仲の三者に分かれたまま寿永三年を迎えた。

  1. 1「「「たとへばたとへばたとえば都みやこ都みやこみやこののの守しゆ守しゆしゅ護ご護ごごしてしてしてあらあらあらんんんずるずるずる者もの者ものものががが、、、馬むま馬むまうま一いつ一いついっ匹ぴき匹ぴきぴきづゝづゝずつ飼か飼かこうううててて乘の乘ののらららざるざるざるべきべきべきかかか。。。いくらいくらいくらもももあるあるある田た田たたどもどもども刈か刈かからららぜぜぜててて秣まぐさ秣まぐさまぐさにににせせせんんんををを、、、あながちあながちあながちににに法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうののの咎とが咎とがとがめめめ給たま給たまたまふふうべきべきべきやうやうようやややあるあるある。。。兵ひやう兵ひやうひょう糧らう糧らうろう米まい米まいまい盡つ盡つつきききぬれぬれぬればばば、、、冠くわん冠くわんかん者じや者じやじゃばらばらばらどもどもどもががが西にし西にしにし山やま山やまやま、、、東ひがし東ひがしひがし山やま山やまやまののの片かた片かたかたほとりほとりほとりににについついついててて、、、時とき時ときとき々どき々どきどき入い入いいりりり取ど取どどりりりせせせんんんははは、、、なじかなじかなじかははは苦くる苦くるくるしかるしかるしかるべきべきべき。。。大だい大だいだい臣じん臣じんじん以い以いい下げ下げげ、、、宮みや宮みやみや々みや々みやみやののの御ご御ごご所しよ所しよしょへへへももも參まゐ參まゐまいらららばばばこそこそこそひがひがひがことことことならならならめめめ。。。いかさまいかさまいかさまこれこれこれははは鼓つゞみ鼓つゞみつづみ判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんががが凶きよう凶きようきょう害がい害がいがいととと覺おぼ覺おぼおぼゆるゆるゆるぞぞぞ。。。そのそのその鼓つゞみ鼓つゞみつづみめめめうちうちうち破やぶ破やぶやぶつつっててて捨す捨すすてててよよよ。。。今こん今こんこん度ど度どどははは義よし義よしよし仲なか仲なかなかががが最さい最さいさい後ご後ごごののの軍いくさ軍いくさいくさにてにてにてあらあらあらんんんずるずるずるぞぞぞ。。。且かつ且かつかつははは兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ賴より賴よりより朝とも朝ともともがががかへりかへりかえり聞き聞ききかかかんんんずるずるずる所ところ所ところところもももありありあり、、、軍いくさ軍いくさいくさようようようせせせよよよ者もの者ものものどもどもども。。。」」」とてとてとてうちうちうち出い出いいでででけりけりけり。。。北ほつ北ほつほっ國こく國こくこくののの者もの者ものものどもどもども始はじ始はじはじめめめははは五ご五ごご萬まん萬まんまん餘よ餘よよ騎き騎ききととと聞きこ聞きこきこえええしがしがしが、、、皆みな皆みなみな落お落おおちちち下くだ下くだくだつつっててて纔わづ纔わづわずかかか六ろく六ろくろく七しち七しちしち千せん千せんせん騎ぎ騎ぎぎぞぞぞありありありけるけるける。。。義よし義よしよし仲なか仲なかなかががが軍いくさ軍いくさいくさののの吉きち吉きちきち例れい例れいれいなれなれなればばばとてとてとて七なゝ七なゝなな手て手ててににに分わか分わかわかちちち、、、まづまづまず樋ひ樋ひひ口ぐち口ぐちぐちののの次じ次じじ郎らう郎らうろう兼かね兼かねかね光みつ光みつみつ、、、二に二にに千せん千せんせん餘よ餘よよ騎き騎ききででで新いま新いまいま熊くま熊くまくま野の野ののののの方かた方かたかたよりよりより搦から搦からから手め手めめにににさしさしさし遣つか遣つかつかははわすすす。。。殘のこ殘のこのこるるる六む六むむ手て手ててははは各おの〳〵各おの〳〵おのおのがががゐゐいたらたらたらんんんずるずるずる條でう條でうじょう里り里りり、、、小こう小こうこう路ぢ路ぢじよりよりより皆みな皆みなみなうちうちうち立た立たたつつっててて、、、六ろく六ろくろく條でう條でうじょう河かは河かはがわ原ら原ららででで一ひと一ひとひとつつつににになれなれなれととと、、、合あひ合あひあい圖づ圖づずををを定さだ定さださだめめめてててうちうちうち立た立たたちちちけりけりけり。。。御み御みみ方かた方かたかたののの笠かさ笠かさかさ印じるし印じるしじるしにににははは松まつ松まつまつののの葉は葉ははをををぞぞぞつけつけつけたりたりたりけるけるける。。。
  2. 2軍いくさ軍いくさいくさははは一いち一いちいち月ぐわつ月ぐわつがつ十じふ十じふじゅう九く九くく日にち日にちにちののの朝あした朝あしたあしたなりなりなり。。。院ゐん院ゐんいんののの御ご御ごご所しよ所しよしょ法ほふ法ほふほう住ぢゆう住ぢゆうじゅう寺じ寺じじ殿どの殿どのどのにににももも、、、軍ぐん軍ぐんぐん兵びやう兵びやうびょう二に二にに萬まん萬まんまん餘よ餘よよ人にん人にんにん參まゐ參まゐまいりりり籠こも籠こもこもりりりたるたるたる由よし由よしよし聞きこ聞きこきこえええけりけりけり。。。木き木きき曾そ曾そそ、、、法ほふ法ほふほう住ぢゆう住ぢゆうじゅう寺じ寺じじ殿どの殿どのどのののの西にし西にしにしののの門もん門もんもんへへへおしおしおし寄よ寄よよせせせててて見み見みみけれけれければばば、、、鼓つゞみ鼓つゞみつづみ判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん朝とも朝ともとも泰やす泰やすやすははは軍いくさ軍いくさいくさののの行ぎやう行ぎやうぎょう事じ事じじ承うけたまは承うけたまはうけたまわつつっててて、、、御ご御ごご所しよ所しよしょののの西にし西にしにしののの築つい築ついつい墻がき墻がきがきののの上うへ上うへうえへへへ昇あが昇あがあがりりり上あが上あがあがつつっててて立た立たたつつったりたりたりけるけるけるががが、、、赤あか赤あかあか地ぢ地ぢじののの錦にしき錦にしきにしきののの直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれににに兜かぶと兜かぶとかぶとばかりばかりばかりぞぞぞ著き著ききたりたりたりけるけるける。。。兜かぶと兜かぶとかぶとにににははは四し四しし天てん天てんてんををを書か書かかいいいてててぞぞぞおしおしおしたりたりたりけるけるける。。。片かた片かたかた手て手ててにににははは鉾ほこ鉾ほこほこををを持も持ももちちち、、、片かた片かたかた手て手ててにににははは金こん金こんこん剛がう剛がうごう鈴れい鈴れいれいををを持も持ももつつっててて、、、うちうちうちふりふりふりうちうちうちふりふりふり、、、時とき時ときとき々どき々どきどきははは舞ま舞ままふふう折をり折をりおりもももありありありけりけりけり。。。公く公くく卿ぎやう卿ぎやうぎょう、、、殿てん殿てんてん上じやう上じやうじょう人びと人びとびとははは、、、風ふ風ふふ情ぜい情ぜいぜいなしなしなし、、、朝とも朝ともとも泰やす泰やすやすにににははは天てん天てんてん狗ぐ狗ぐぐついついついたりたりたりとととぞぞぞ笑わら笑わらわらははわれれれけるけるける。。。朝とも朝ともとも泰やす泰やすやす大だい大だいだい音おん音おんおん聲じやう聲じやうじょうをををあげあげあげててて、、、「「「昔むかし昔むかしむかしははは宣せん宣せんせん旨じ旨じじををを向むか向むかむかつつっててて讀よ讀よよみみみけれけれければばば、、、枯か枯かかれれれたるたるたる草くさ草くさくさ木き木ききももも忽たちま忽たちまたちまちちちににに花はな花はなはな咲さ咲ささききき、、、實み實みみなりなりなり、、、飛と飛ととぶぶぶ鳥とり鳥とりとりももも地ち地ちちににに落お落おおちちち、、、惡あく惡あくあく鬼き鬼きき惡あく惡あくあく神じん神じんじんももも從したが從したがしたがひひいききき。。。末まつ末まつまつ代だい代だいだい澆げう澆げうぎょう季き季ききなれなれなればばばとてとてとて、、、いかでいかでいかで十じふ十じふじゅう善ぜん善ぜんぜんののの君きみ君きみきみににに向むか向むかむかひひい參まゐ參まゐまいらせらせらせててて、、、弓ゆみ弓ゆみゆみをををひきひきひき、、、矢や矢ややをををばばば放はな放はなはなつつつべきべきべき。。。放はな放はなはなたたたんんん矢や矢ややははは、、、卻かへ卻かへかえつつっててて汝なんぢ汝なんぢなんじ等ら等ららががが身み身みみににに立た立たたつつつべしべしべし。。。拔ぬ拔ぬぬかかかんんん太た太たた刀ち刀ちちははは、、、卻かへ卻かへかえつつっててて身み身みみををを切き切ききるるるべしべしべし。。。」」」などなどなど罵のゝし罵のゝしののしつつったりたりたりけれけれければばば、、、木き木きき曾そ曾そそ、、、「「「さささななないはいはいわせせせそそそ。。。」」」とてとてとて、、、鬨とき鬨ときときをををどつどつどっとととつくりつくりつくりけるけるける。。。
  3. 3さるさるさる程ほど程ほどほどににに樋ひ樋ひひ口ぐち口ぐちぐちののの次じ次じじ郎らう郎らうろう兼かね兼かねかね光みつ光みつみつ二に二にに千せん千せんせん餘よ餘よよ騎き騎きき、、、新いま新いまいま熊くま熊くまくま野の野ののののの方かた方かたかたよりよりより、、、同おな同おなおなじうじうじゅう鬨とき鬨ときときののの聲こゑ聲こゑこえをををぞぞぞあはせあはせあわせけるけるける。。。今いま今いまいま井ゐ井ゐいののの四し四しし郎らう郎らうろう兼かね兼かねかね平ひら平ひらひら、、、鏑かぶら鏑かぶらかぶらののの中なか中なかなかににに火ひ火ひひををを入い入いいれれれててて、、、法ほふ法ほふほう住ぢゆう住ぢゆうじゅう寺じ寺じじ殿どの殿どのどのののの御ご御ごご所しよ所しよしょののの棟むね棟むねむねににに射い射いい立た立たたてててたりたりたりけれけれければばば、、、折をり折をりおりふしふしふし風かぜ風かぜかぜははは烈はげ烈はげはげしししししし、、、猛みやう猛みやうみょう火くわ火くわかははは天てん天てんてんににに燃も燃ももえええ上あが上あがあがつつっててて、、、焰ほのほ焰ほのほほのおははは虛こ虛ここ空くう空くうくうににに充み充みみちちち滿み滿みみてててりりり。。。黑くろ黑くろくろ煙けぶり煙けぶりけぶりおしおしおしかゝりかゝりかかりけれけれければばば、、、軍いくさ軍いくさいくさののの行ぎやう行ぎやうぎょう事じ事じじ朝とも朝ともとも泰やす泰やすやすははは人ひと人ひとひとよりよりより先さき先さきさきににに落お落おおちちちにににけりけりけり。。。行ぎやう行ぎやうぎょう事じ事じじががが落お落おおつるつるつる上うへ上うへうえはははとてとてとて、、、二に二にに萬まん萬まんまん餘よ餘よよ人にん人にんにんののの兵つはもの兵つはものつわものどもどもども、、、われわれわれ先さき先さきさきにににとととぞぞぞ落お落おおちちち行ゆ行ゆゆきききけるけるける。。。あまりあまりあまりにににあわてあわてあわて騒さわ騒さわさわいいいででで、、、弓ゆみ弓ゆみゆみ取と取ととるるる者もの者ものものははは矢や矢ややををを知し知ししらららずずず、、、矢や矢やや取と取ととるるる者もの者ものものははは弓ゆみ弓ゆみゆみををを知し知ししらららずずず。。。或あるい或あるいあるいははは長なぎ長なぎなぎ刀なた刀なたなたさかさまさかさまさかさまににについついついててて、、、わがわがわが足あし足あしあしつきつきつき貫つらぬ貫つらぬつらぬくくくものものものもももありありあり、、、或あるい或あるいあるいははは弓ゆみ弓ゆみゆみののの弭はず弭はずはずものものものににに懸か懸かかけけけててて、、、えええはづさはづさはずさででで、、、捨す捨すすてててててて逃に逃ににぐるぐるぐる者もの者ものものもももありありあり。。。
  4. 4七しち七しちしち條でう條でうじょうががが末すゑ末すゑすえをををばばば、、、攝つ攝つつ津の津ののののの國くに國くにくにののの源げん源げんげん氏じ氏じじののの固かた固かたかためめめたりたりたりけるけるけるががが、、、院ゐん院ゐんいんののの御ご御ごご所しよ所しよしょよりよりより、、、落おち落おちおち人うど人うどうどあらあらあらばばば、、、用よう用ようよう意い意いいしてしてして皆みな皆みなみな打うち打うちうち殺ころ殺ころころせせせととと、、、下げ下げげ知ぢ知ぢじせせせられられられたりたりたりけれけれければばば、、、在ざい在ざいざい地ぢ地ぢちのののものものものどもどもども、、、屋や屋やや根ね根ねねににに楯たて楯たてたてをををつきつきつきならべならべならべ、、、襲おそひ襲おそひおそいののの石いし石いしいしををを取と取ととりりり集あつ集あつあつめめめててて待ま待ままちちちゐゐいたるたるたる所ところ所ところところににに、、、攝つ攝つつ津の津ののののの國くに國くにくにののの源げん源げんげん氏じ氏じじののの落お落おおちちちけるけるけるををを、、、あはやあはやあわや落おち落おちおち人うど人うどうどとてとてとて、、、石いし石いしいしををを拾ひろ拾ひろひろひひいかけかけかけ、、、さん〴〵さん〴〵さんざんににに打う打ううちちちけれけれければばば、、、「「「院ゐん院ゐんいん方がた方がたがたにてにてにてあるあるあるぞぞぞ、、、過あやま過あやまあやまちちちすすすななな。。。」」」ととといひいひいいけれけれけれどもどもども、、、「「「さささななないはいはいわせせせそそそ、、、院ゐん院ゐんいん宣ぜん宣ぜんぜんででであるあるあるにににたゞたゞただうちうちうち殺ころ殺ころころせ〳〵せ〳〵せうちころせ。。。」」」とてとてとて打う打ううつつつ程ほど程ほどほどににに、、、或あるい或あるいあるいははは頭かしら頭かしらかしらうちうちうち破やぶ破やぶやぶららられれれ、、、或あるい或あるいあるいははは腰こし腰こしこしうちうちうち折を折をおららられれれててて、、、馬むま馬むまうまよりよりより落お落おおちちち、、、はふ〳〵はふ〳〵ほうほう逃に逃ににぐるぐるぐる者もの者ものものもももありありあり、、、或あるい或あるいあるいははは打うち打うちうち殺ころ殺ころころさささるゝるゝるる者もの者ものものももも多おほ多おほおおかりかりかりけりけりけり。。。八はち八はちはち條でう條でうじょうががが末すゑ末すゑすえをををばばば山さん山さんさん僧そう僧そうそう共ども共どもどもののの固かた固かたかためめめたりたりたりけるけるけるががが、、、恥はぢ恥はぢはじあるあるある者もの者ものものははは討うち討うちうち死じに死じにじにししし、、、つれなきつれなきつれなき者もの者ものものははは落お落おおちちちててて行ゆ行ゆゆくくく。。。
  5. 5こゝこゝここににに主もん主もんもん水ど水どどののの正かみ正かみかみ親ちか親ちかちか業なり業なりなりははは薄うす薄うすうす靑あを靑あをあおののの狩かり狩かりかり衣ぎぬ衣ぎぬぎぬののの下した下したしたににに、、、萌もえ萌もえもえ黄ぎ黄ぎぎ縅をどし縅をどしおどしののの腹はら腹はらはら巻まき巻まきまきををを著き著きき、、、白しろ白しろしろ月つき月つきつき毛げ毛げげなるなるなる馬むま馬むまうまににに乘の乘ののつつっててて、、、河かは河かはかわ原ら原ららををを上のぼ上のぼのぼりりりににに落お落おおちちちけるけるけるををを、、、今いま今いまいま井ゐ井ゐいののの四し四しし郎らう郎らうろう兼かね兼かねかね平ひら平ひらひらおつおつおっかゝりかゝりかかり、、、よつよつよっぴいぴいぴいててて、、、しやしやしゃ首くび首くびくびののの骨ほね骨ほねほねをををひようつぱひようつぱひょうっぱととと射い射いいててて、、、馬むま馬むまうまよりよりよりさかさまさかさまさかさまににに射い射いい落おと落おとおとすすす。。。淸せい淸せいせい大だい大だいだい外げ外げげ記き記きき賴より賴よりより業なり業なりなりががが子こ子ここなりなりなりけりけりけり。。。明みやう明みやうみょう經ぎやう經ぎやうぎょう道だう道だうどうののの博はか博はかはか士せ士せせ甲かつ甲かつかっ冑ちう冑ちうちゅうををを鎧よろ鎧よろよろふふう事こと事ことこと、、、これこれこれ始はじ始はじはじめめめとととぞぞぞ承うけたまは承うけたまはうけたまわるるる。。。近あふ近あふおう江み江みみののの中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょう爲ため爲ためため淸きよ淸きよきよ、、、越ゑち越ゑちえち前ぜん前ぜんぜんののの少せう少せうしょう將しやう將しやうしょう信のぶ信のぶのぶ行ゆき行ゆきゆき、、、伯はう伯はうほう耆き耆ききののの守かみ守かみかみ光みつ光みつみつ綱つな綱つなつな、、、子し子しし息そく息そくそく伯はう伯はうほう耆き耆ききののの判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん光みつ光みつみつ經つね經つねつねももも射い射いい落おと落おとおとささされれれててて、、、首くび首くびくび取と取ととららられれれぬぬぬ。。。またまたまた木き木きき曾そ曾そそををを背そむ背そむそむいいいててて、、、院ゐん院ゐんいんへへへ參まゐ參まゐまいりりりたるたるたる信しな信しなしな濃の濃のの源げん源げんげん氏じ氏じじ村むら村むらむら上かみ上かみかみののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん代だい代だいだいももも討う討ううたたたれれれぬぬぬ。。。按あ按ああ察ぜ察ぜぜ使ち使ちちののの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん資すけ資すけすけ方かた方かたかたののの卿きやう卿きやうきょうののの孫まご孫まごまご、、、右う右うう少せう少せうしょう將しやう將しやうしょう雅まさ雅まさまさ賢かた賢かたかたももも鎧よろひ鎧よろひよろい、、、立たて立たてたて烏え烏ええ帽ぼ帽ぼぼ子し子ししででで軍いくさ軍いくさいくさののの陣ぢん陣ぢんじんへへへ出い出いいでででられられられたりたりたりけるけるけるががが、、、樋ひ樋ひひ口ぐち口ぐちぐちののの次じ次じじ郎らう郎らうろう兼かね兼かねかね光みつ光みつみつががが手て手ててにににかゝつかゝつかかっててて、、、生いけ生いけいけ捕どり捕どりどりにににこそこそこそせせせられられられけれけれけれ。。。天てん天てんてん台だい台だいだい座ざ座ざざ主す主すす明めい明めいめい雲うん雲うんうん大だい大だいだい僧そう僧そうそう正じやう正じやうじょう、、、寺てら寺てらてらののの長ちやう長ちやうちょう吏り吏りり圓ゑん圓ゑんえん慶けい慶けいけい法ほふ法ほふほっ親しん親しんしん王わう王わうのうももも御ご御ごご所しよ所しよしょににに參まゐ參まゐまいりりり籠こも籠こもこもらららせせせ給たま給たまたまひひいたりたりたりけるけるけるががが、、、黑くろ黑くろくろ煙けぶり煙けぶりけぶり既すで既すですでにににおしおしおしかゝりかゝりかかりけれけれければばば、、、御おん御おんおん馬むま馬むまうまににに召め召めめしししててて、、、急いそ急いそいそぎぎぎ出い出いいでででさせさせさせ給たま給たまたまひひいけるけるけるををを、、、武ぶ武ぶぶ士し士ししどもどもどもさん〴〵さん〴〵さんざんににに射い射いい奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。明めい明めいめい雲うん雲うんうん大だい大だいだい僧そう僧そうそう正じやう正じやうじょう、、、圓ゑん圓ゑんえん慶けい慶けいけい法ほふ法ほふほっ親しん親しんしん王わう王わうのうももも御おん御おんおん馬むま馬むまうまよりよりより射い射いい落おと落おとおとささされれれててて、、、御おん御おんおん首くび首くびくび取と取ととららられれれさせさせさせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。
  6. 6法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうははは御おん御おんおん輿こし輿こしこしににに召め召めめしししててて、、、他た他たた所しよ所しよしょへへへ御ご御ごご幸かう幸かうこうなるなるなる。。。武ぶ武ぶぶ士し士ししどもどもどもさん〴〵さん〴〵さんざんににに射い射いい奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。豐ぶん豐ぶんぶん後ご後ごごののの少せう少せうしょう將しやう將しやうしょう宗むね宗むねむね長なが長ながなが、、、木もく木もくもく蘭らん蘭らんらん地ぢ地ぢじののの直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれににに折をり折をりおり烏え烏ええ帽ぼ帽ぼぼ子し子ししででで供ぐ供ぐぐ奉ぶ奉ぶぶせせせられられられたりたりたりけるけるけるががが、、、「「「これこれこれははは院ゐん院ゐんいんにてにてにてわたらわたらわたらせせせ給たま給たまたまふふうぞぞぞ、、、あやまちあやまちあやまち仕つかまつ仕つかまつつかまつるるるななな。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、武ぶ武ぶぶ士し士しし共ども共どもども皆みな皆みなみな馬むま馬むまうまよりよりより下お下おおりりりててて畏かしこ畏かしこかしこまるまるまる。。。「「「何なに何なになに者もの者ものものぞぞぞ。。。」」」ととと御おん御おんおん尋たづ尋たづたずねねねありありありけれけれければばば、、、「「「信しな信しなしな濃の濃ののののの國くに國くにくにののの住ぢゆう住ぢゆうじゅう人にん人にんにん矢や矢やや島しま島しましまののの四し四しし郎らう郎らうろう行ゆき行ゆきゆき重しげ重しげしげ。。。」」」ととと名な名ななのりのりのり申まう申まうもうすすす。。。軈やが軈やがやがててて御おん御おんおん輿こし輿こしこしににに手て手ててをををかけかけかけ參まゐ參まゐまいらせらせらせててて、、、五ご五ごご條でう條でうじょう内だい内だいだい裏り裏りりへへへ入い入いいれれれ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、きびしうきびしうきびしゅう守しゆ守しゆしゅ護ご護ごごししし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。
  7. 7豐ぶん豐ぶんぶん後ご後ごごののの國こく國こくこく司し司しし刑ぎやう刑ぎやうぎょう部ぶ部ぶぶ卿きやう卿きやうきょう三さん三さんさん位み位みみ賴より賴よりより資すけ資すけすけののの卿きやう卿きやうきょうももも御ご御ごご所しよ所しよしょににに參まゐ參まゐまいりりり籠こも籠こもこもららられれれたりたりたりけるけるけるががが、、、黑くろ黑くろくろ煙けぶり煙けぶりけぶり既すで既すですでにににおしおしおしかゝりかゝりかかりけれけれければばば、、、急いそ急いそいそぎぎぎ河かは河かはかわ原ら原ららへへへ逃に逃ににげげげ出い出いいでででられられられけるけるけるががが、、、武ぶ武ぶぶ士し士ししののの下しも下しもしも部べ部べべどもどもどもににに衣い衣いい裳しやう裳しやうしょうみなみなみな剝は剝ははぎぎぎ取と取ととららられれれててて、、、まつまつまっぱだかぱだかぱだかにてにてにて立た立たたたたたれれれたりたりたり。。。頃ころ頃ころころははは十じふ十じふじゅう一いち一いちいち月ぐわつ月ぐわつがつ十じふ十じふじゅう九く九くく日にち日にちにちののの朝あした朝あしたあしたなれなれなればばば、、、河かは河かはかわ原ら原ららののの風かぜ風かぜかぜさこそさこそさこそははは烈はげ烈はげはげしかりしかりしかりけめけめけめ。。。三さん三さんさん位み位みみののの兄せうと兄せうとしょうと越ゑち越ゑちえち前ぜん前ぜんぜんののの法ほふ法ほふほっ橋けう橋けうきょう性しやう性しやうしょう意い意いいががが中ちう中ちうちゅう間げん間げんげん法ほふ法ほふほう師し師ししのののありありありけるけるけるががが、、、軍いくさ軍いくさいくさ見み見みみんんんとてとてとて出い出いいでででたりたりたりけるけるけるががが、、、三さん三さんさん位み位みみののの裸はだか裸はだかはだかにてにてにて立た立たたたたたれれれたるたるたるををを見み見みみつけつけつけててて、、、「「「あなあなあな淺あさ淺あさあさましましまし。。。」」」とてとてとて、、、いそぎいそぎいそぎ走はし走はしはしりりり寄よ寄よよるるる。。。このこのこの法ほふ法ほふほう師し師ししははは白しろ白しろしろききき小こ小ここ袖そで袖そでそで二ふた二ふたふたつつつににに、、、衣ころも衣ころもころもをををぞぞぞ著き著ききたりたりたりけるけるける。。。さらばさらばさらば小こ小ここ袖そで袖そでそでをををもももぬいぬいぬいででで著き著ききせせせ奉たてまつ奉たてまつたてまつれれれかしかしかし。。。衣ころも衣ころもころもをををぬいぬいぬいででで投な投ななげげげかけかけかけたりたりたり。。。短みじか短みじかみじかききき衣ころも衣ころもころもうつぼうつぼうつぼにににかぶつかぶつかぶっててて帶おび帶おびおびをををもももせせせずずず、、、後うしろ後うしろうしろののの體てい體ていていさこそさこそさこそははは見み見みみ苦ぐる苦ぐるぐるしかりしかりしかりけめけめけめ。。。さらばさらばさらば急いそ急いそいそぎぎぎももも歩あゆ歩あゆあゆみみみ給たま給たまたまははわででで、、、白びやく白びやくびゃく衣え衣ええなるなるなる法ほふ法ほふほう師し師ししををを供とも供ともともににに具ぐ具ぐぐしししててておはしおはしおわしけるけるけるががが、、、あそあそあそこゝこゝここににに立た立たたちちちやすらひやすらひやすらい、、、「「「あれあれあれなるなるなるははは誰た誰たたががが家いへ家いへいえぞぞぞ、、、こゝこゝここなるなるなるははは何なに何なになに者もの者ものものののの宿しゆく宿しゆくしゅく所しよ所しよしょ。。。」」」なんどなんどなんど問と問ととひひい給たま給たまたまへへえばばば、、、見み見みみるるる人ひと人ひとひと、、、手て手ててををを叩たゝ叩たゝたたいいいててて笑わら笑わらわらひひいあへあへあえりりりけりけりけり。。。
  8. 8主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょうははは御み御みみ船ふね船ふねふねににに召め召めめしししててて、、、池いけ池いけいけににに浮うか浮うかうかばばばせせせ給たま給たまたまひひいたりたりたりけるけるけるににに、、、武ぶ武ぶぶ士し士ししどもどもども頻しき頻しきしきりりりににに矢や矢やや參まゐ參まゐまいらせらせらせけれけれければばば、、、七しち七しちしち條でう條でうじょうののの侍じ侍じじ從じゆう從じゆうじゅう信のぶ信のぶのぶ淸きよ淸きよきよ、、、紀き紀きき伊い伊いいののの守かみ守かみかみ範のり範のりのり光みつ光みつみつ、、、御み御みみ船ふね船ふねふねににに候さぶら候さぶらさぶらははわれれれけるけるけるががが、、、「「「これこれこれははは内うち内うちうちにてにてにてわたらわたらわたらせせせ給たま給たまたまふふうぞぞぞややや。。。過あやま過あやまあやまちちち仕つかまつ仕つかまつつかまつるるるななな。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれけれけれければばば、、、武ぶ武ぶぶ士し士ししどもどもどもみなみなみな馬むま馬むまうまよりよりより下お下おおりりりててて畏かしこ畏かしこかしこまるまるまる。。。やがてやがてやがて閑かん閑かんかん院ゐん院ゐんいん殿どの殿どのどのへへへ行ぎやう行ぎやうぎょう幸かう幸かうこうなしなしなし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。行ぎやう行ぎやうぎょう幸かう幸かうこうののの儀ぎ儀ぎぎのののあさましさあさましさあさましさ、、、申まう申まうもうすすすもももなか〳〵なか〳〵なかなかおろかおろかおろかなりなりなり。。。
  9. 9源げん源げんげんののの藏くら藏くらくら人んど人んどんど仲なか仲なかなか兼かね兼かねかねはははそのそのその勢せい勢せいせい五ご五ごご十じつ十じつじっ騎き騎ききばかりばかりばかりででで、、、法ほふ法ほふほう住ぢゆう住ぢゆうじゅう寺じ寺じじ殿どの殿どのどのののの西にし西にしにしののの門もん門もんもんををを固かた固かたかためめめててて防ふせ防ふせふせぐぐぐ所ところ所ところところににに、、、近あふ近あふおう江み江みみ源げん源げんげん氏じ氏じじ山やま山やまやま本もと本もともとののの冠くわん冠くわんかん者じや者じやじゃ義よし義よしよし高たか高たかたか、、、鞭むち鞭むちむち鐙あぶみ鐙あぶみあぶみををを合あ合ああははわせせせててて馳は馳ははせせせ來きた來きたきたりりり、、、「「「いかにいかにいかに各おの〳〵各おの〳〵おのおのははは誰たれ誰たれたれをををかばはかばはかばはんんんとてとてとて、、、軍いくさ軍いくさいくさをををばばばししし給たま給たまたまふふうぞぞぞ。。。御ご御ごご幸かう幸かうこうももも行ぎやう行ぎやうぎょう幸かう幸かうこうももも他た他たた所しよ所しよしょへへへなりなりなりぬぬぬとととこそこそこそ承うけたまは承うけたまはうけたまわれれれ。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、さらばさらばさらばとてとてとて大おほ大おほおお勢ぜい勢ぜいぜいののの中なか中なかなかににに驅か驅かかけけけ入い入いいりりり、、、さん〴〵さん〴〵さんざんににに戰たゝか戰たゝかたたかへへえばばば、、、主しゆ主しゆしゅ從じゆう從じゆうじゅう八はち八はちはち騎き騎ききににに討う討ううちちちなさなさなさるるる。。。八はち八はちはち騎き騎ききががが中なか中なかなかににに、、、河かう河かうこう内ち内ちちののの日くさ日くさくさ下か下かか黨たう黨たうとうににに加か加かか賀が賀がが房ばう房ばうぼうととといふいふいう法ほふ法ほふほう師し師しし武む武むむ者しや者しやしゃありありあり。。。月つき月つきつき毛げ毛げげなるなるなる馬むま馬むまうまののの、、、口くち口くちくちののの強つよ強つよつよきききにににぞぞぞ乘の乘ののつつったりたりたりけるけるける。。。「「「このこのこの馬むま馬むまうまはははあまりあまりあまりににに口くち口くちくちががが強つよ強つよつようううててて、、、乘の乘ののりりりたまるたまるたまるべしべしべしとととももも存ぞん存ぞんぞんじじじ候さふら候さふらそうらははわずずず。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、源げん源げんげんののの藏くら藏くらくら人んど人んどんど、、、「「「さらばさらばさらばこのこのこの馬むま馬むまうまににに乘の乘ののりりりかへかへかえよよよ。。。」」」とてとてとて栗くり栗くりくり毛げ毛げげなるなるなる馬むま馬むまうまののの下した下したした尾を尾をお白じろ白じろじろいいいににに乘の乘ののりりりかへかへかえててて、、、根ね根ねねののの井ゐ井ゐいののの小こ小ここ彌や彌やや太た太たたががが二に二にに百ひやく百ひやくひゃく騎き騎ききばかりばかりばかりででで控ひか控ひかひかへへえたるたるたる、、、河かは河かはかわ原ら原らら坂ざか坂ざかざかののの勢せい勢せいせいののの中なか中なかなかへへへ驅か驅かかけけけ入い入いいりりり、、、さん〴〵さん〴〵さんざんににに戰たゝか戰たゝかたたかひひい、、、そこそこそこにてにてにて八はち八はちはち騎き騎ききががが五ご五ごご騎き騎きき討う討ううたたたれれれぬぬぬ。。。加か加かか賀が賀がが房ばう房ばうぼうはははわがわがわが馬むま馬むまうまのののひあいひあいひあいなりなりなりとてとてとて、、、主しゆ主しゆしゅののの馬むま馬むまうまににに乘の乘ののりりりかへかへかえたりたりたりけれけれけれどもどもども、、、運うん運うんうんややや盡つ盡つつきききにににけんけんけん、、、そこそこそこにてにてにて遂つひ遂つひついににに討う討ううたたたれれれにににけりけりけり。。。
  10. 10こゝこゝここににに源げん源げんげんののの藏くら藏くらくら人んど人んどんどののの家いへ家いへいえののの子こ子ここににに、、、次じ次じじ郎らう郎らうろう藏くら藏くらくら人んど人んどんど仲なか仲なかなか賴より賴よりよりととといふいふいう者もの者ものものありありあり。。。栗くり栗くりくり毛げ毛げげなるなるなる馬むま馬むまうまののの下した下したした尾を尾をお白じろ白じろじろいいいががが驅か驅かかけけけ出い出いいでででたるたるたるををを見み見みみつけつけつけててて、、、下げ下げげ人にん人にんにんををを呼よ呼よよびびび、、、「「「こゝこゝここなるなるなる馬むま馬むまうまははは源げん源げんげんののの藏くら藏くらくら人んど人んどんどののの馬むま馬むまうまととと見み見みみるるるはははひがひがひがことことことかかか。。。」」」「「「さんさんさん候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」ととと申まう申まうもうすすす。。。「「「さてさてさてどのどのどの陣ぢん陣ぢんじんへへへややや驅か驅かかけけけ入い入いいつつったるたるたるととと見み見みみつるつるつる。。。」」」「「「河かは河かはかわ原ら原らら坂ざか坂ざかざかののの勢せい勢せいせいののの中なか中なかなかへへへこそこそこそ入い入いいらららせせせ給たま給たまたまひひいつるつるつるなれなれなれ。。。御おん御おんおん馬むま馬むまうまもももやがてやがてやがてあのあのあの勢せい勢せいせいののの中なか中なかなかよりよりより出い出いいででで來き來ききててて候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、次じ次じじ郎らう郎らうろう藏くら藏くらくら人んど人んどんど涙なみだ涙なみだなみだをををはら〳〵はら〳〵はらはらととと流なが流ながながいいいててて、、、「「「あなあなあな無む無むむ慙ざん慙ざんざんややや、、、はやはやはや討う討ううたたたれれれ給たま給たまたまひひいたりたりたり。。。幼えう幼えうよう少せう少せうしょう竹ちく竹ちくちく馬ば馬ばばののの昔むかし昔むかしむかしよりよりより、、、死し死ししなななばばば一いつ一いついっ所しよ所しよしょででで死し死ししなななんんんとととこそこそこそ契ちぎ契ちぎちぎりりりしにしにしに、、、今いま今いまいまははは所ところ所ところところ々どころ々どころどころににに伏ふ伏ふふさささんんん事こと事ことことこそこそこそ悲かな悲かなかなしけれしけれしけれ。。。」」」とてとてとて、、、妻さい妻さいさい子し子ししのののもともともとへへへ最さい最さいさい後ご後ごごのののありありありさまさまさまいひいひいい遣つか遣つかつかははわししし、、、たゞたゞただ一いつ一いついっ騎き騎きき、、、河かは河かはかわ原ら原らら坂ざか坂ざかざかののの勢せい勢せいせいののの中なか中なかなかへへへ驅か驅かかけけけ入い入いいりりり、、、鐙あぶみ鐙あぶみあぶみふんばりふんばりふんばり立たち立たちたち上あが上あがあがりりり、、、大だい大だいだい音おん音おんおん聲じやう聲じやうじょうをををあげあげあげててて、、、「「「敦あつ敦あつあつ躬み躬みみののの親しん親しんしん王わう王わうのうににに八はち八はちはち代だい代だいだいののの後こう後こうこう胤いん胤いんいん、、、信しな信しなしな濃の濃ののののの守かみ守かみかみ仲なか仲なかなか重しげ重しげしげががが子こ子ここににに次じ次じじ郎らう郎らうろう藏くら藏くらくら人んど人んどんど仲なか仲なかなか賴より賴よりよりとてとてとて、、、生しやう生しやうしょう年ねん年ねんねん二に二にに十じふ十じふじゅう七しち七しちしちににに罷まか罷まかまかりりりなるなるなる。。。われわれわれととと思おも思おもおもははわんんん人ひと人ひとひと々びと々びとびとははは寄よ寄よよりりりあへあへあえややや、、、見げん見げんげん參ざん參ざんざんせせせんんん。。。」」」とてとてとて、、、豎たて豎たてたてざまざまざま、、、横よこ横よこよこざまざまざま、、、蜘く蜘くく蛛も蛛もも手で手でで、、、十じふ十じふじゅう文もん文もんもん字じ字じじににに驅か驅かかけけけ破やぶ破やぶやぶりりり、、、驅か驅かかけけけまはりまはりまわり戰たゝか戰たゝかたたかひひいけるけるけるががが、、、敵かたき敵かたきかたきあまたあまたあまた討う討ううちちち取と取ととつつっててて、、、遂つひ遂つひついににに討うち討うちうち死じに死じにじにしてしてしてけりけりけり。。。
  11. 11源げん源げんげんののの藏くら藏くらくら人んど人んどんどこれこれこれをををばばば知し知ししりりり給たま給たまたまははわずずず、、、兄あに兄あにあにののの河かう河かうこう内ち内ちちののの守かみ守かみかみ仲なか仲なかなか信のぶ信のぶのぶうちうちうち具ぐ具ぐぐしししててて、、、主しゆ主しゆしゅ從じゆう從じゆうじゅう三さん三さんさん騎き騎きき南みなみ南みなみみなみをををさしさしさしててて落お落おおちちち行ゆ行ゆゆきききけるけるけるががが、、、攝せつ攝せつせつ政しやう政しやうしょう殿どの殿どのどのののの都みやこ都みやこみやこをををばばば軍いくさ軍いくさいくさににに恐おそ恐おそおそれれれさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて、、、宇う宇うう治ぢ治ぢじへへへ御ぎよ御ぎよぎょ出しゆつ出しゆつしゅつありありありけるけるけるににに、、、木こ木ここ幡はた幡はたはた山やま山やまやまにてにてにて追お追おおつつつつきつきっつき奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、馬むま馬むまうまよりよりより下お下おおりりりててて畏かしこ畏かしこかしこまるまるまる。。。「「「何なに何なになに者もの者ものものぞぞぞ。。。」」」ととと御おん御おんおん尋たづ尋たづたずねねねありありありけれけれければばば、、、「「「仲なか仲なかなか信のぶ信のぶのぶ、、、仲なか仲なかなか兼かね兼かねかね。。。」」」ととと名な名なな乘の乘ののりりり申まう申まうもうすすす。。。東とう東とうとう國ごく國ごくごく、、、北ほつ北ほつほっ國こく國こくこくののの兇きよう兇きようきょう徒と徒とと等ら等ららかかかなんどなんどなんど思おぼし思おぼしおぼし召め召めめしししたれたれたればばばとてとてとて御ぎよ御ぎよぎょ感かん感かんかんありありあり。。。「「「軈やが軈やがやがててて汝なんぢ汝なんぢなんじ等ら等ららももも御おん御おんおん供とも供ともともににに候さふら候さふらそうらへへえ。。。」」」ととと仰おほ仰おほおおせせせけれけれければばば、、、承うけたまは承うけたまはうけたまわつつっててて宇う宇うう治ぢ治ぢじののの富ふ富ふふ家け家けけ殿どの殿どのどのまでまでまで送おく送おくおくりりり參まゐ參まゐまいらせらせらせててて、、、それそれそれよりよりよりこのこのこの人ひと人ひとひと々びと々びとびとははは河かう河かうこう内ち内ちちののの國くに國くにくにへへへぞぞぞ落お落おおちちち行ゆ行ゆゆきききけるけるける。。。
  12. 12あくるあくるあくる二に二にに十じふ十じふじゅう日にち日にちにちののの日ひ日ひひ、、、木き木きき曾そ曾そそののの左さ左ささ馬まの馬まのまの頭かみ頭かみかみ義よし義よしよし仲なか仲なかなか六ろく六ろくろく條でう條でうじょう河かは河かはかわ原ら原ららにににうちうちうち立た立たたつつっててて、、、昨日きのふ昨日きのふきのう斬き斬ききるるる所ところ所ところところののの首くび首くびくびどもどもども、、、みなみなみなかけかけかけならべならべならべててて記しる記しるしるいいいたれたれたればばば、、、六ろつ六ろつろっ百ぴやく百ぴやくぴゃく三さん三さんさん十じふ十じふじゅう餘よ餘よよ人にん人にんにんなりなりなり。。。そのそのその中なか中なかなかににに天てん天てんてん台だい台だいだい座ざ座ざざ主す主すす明めい明めいめい雲うん雲うんうん大だい大だいだい僧そう僧そうそう正じやう正じやうじょう、、、寺てら寺てらてらののの長ちやう長ちやうちょう吏り吏りり圓ゑん圓ゑんえん慶けい慶けいけい法ほふ法ほふほっ親しん親しんしん王わう王わうのうののの御おん御おんおん首くび首くびくびもももかゝらかゝらかからせせせ給たま給たまたまひひいたりたりたり。。。これこれこれををを見み見みみるるる人ひと人ひとひと、、、涙なみだ涙なみだなみだををを流なが流ながながさささずずずととといふいふいう事こと事ことことなしなしなし。。。木き木きき曾そ曾そそののの左さ左ささ馬ま馬ままののの頭かみ頭かみかみ、、、都つ都つつ合がふ合がふごうそのそのその勢せい勢せいせい七しち七しちしち千せん千せんせん餘よ餘よよ騎き騎きき、、、馬むま馬むまうまののの頭かしら頭かしらかしら一いち一いちいち面めん面めんめんににに東ひがし東ひがしひがし向む向むむけけけててて、、、天てん天てんてんももも響ひゞ響ひゞひびききき大だい大だいだい地ぢ地ぢちももも搖ゆる搖ゆるゆるぐぐぐばかりばかりばかりににに、、、鬨とき鬨ときときをををぞぞぞ三さん三さんさん箇か箇かか度ど度どどつくりつくりつくりけるけるける。。。京きやう京きやうきょう中ぢう中ぢうじゅうまたまたまた騒さわ騒さわさわぎぎぎあへあへあえりりり。。。但たゞ但たゞただしししこれこれこれはははよろこびよろこびよろこびののの鬨とき鬨ときときとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。
  13. 13さるさるさる程ほど程ほどほどににに故こ故ここ少せう少せうしょう納な納なな言ごん言ごんごん入にふ入にふにゅう道だう道だうどう信しん信しんしん西ぜい西ぜいぜいののの子し子しし息そく息そくそく宰さい宰さいさい相しやう相しやうしょう長なが長ながなが教のり教のりのり、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうのののわたらわたらわたらせせせ給たま給たまたまふふう五ご五ごご條でう條でうじょう内だい内だいだい裏り裏りりへへへ參まゐ參まゐまいつつっててて、、、門もん門もんもんよりよりより入い入いいらららんんんとととすれすれすればばば、、、守しゆ守しゆしゅ護ご護ごごののの武ぶ武ぶぶ士し士ししどもどもども許ゆる許ゆるゆるさささずずず。。。案あん案あんあん内ない内ないないははは知し知ししつつったりたりたり、、、あるあるある小こ小ここ家いへ家いへいえににに立た立たたちちち入い入いいりりり、、、俄にはか俄にはかにはかににに髪かみ髪かみかみ剃そ剃そそりりりおろしおろしおろし、、、墨すみ墨すみすみ染ぞめ染ぞめぞめののの衣ころも衣ころもころも袴はかま袴はかまはかま著き著ききててて、、、「「「このこのこの上うへ上うへうえははは何なに何なになにかかか苦くる苦くるくるしかるしかるしかるべきべきべき、、、あけあけあけててて入い入いいれれれよよよ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、そのそのその時とき時ときとき許ゆる許ゆるゆるししし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。泣な泣ななく〳〵く〳〵くなく御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんへへへ參まゐ參まゐまいつつっててて、、、今こん今こんこん度ど度どど討う討ううたたたれれれ給たま給たまたまふふう人ひと人ひとひと々びと々びとびとののの事こと事ことこと、、、一いち一いちいち々いち々いちいちににに申まう申まうもうしししたりたりたりけれけれければばば、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおう、、、「「「明めい明めいめい雲うん雲うんうんははは非ひ非ひひ業ごふ業ごふごうののの死し死ししにににすすすべきべきべき者もの者ものものととと、、、つゆつゆつゆももも思おぼし思おぼしおぼし召め召めめしししよらよらよらざりざりざりしししものものものををを、、、今こん今こんこん度ど度どどはははたゞたゞただ、、、わがわがわがいかにいかにいかにもももなるなるなるべかりべかりべかりつるつるつる御おん御おんおん命いのち命いのちいのちににに代かは代かはかわりりりたるたるたるにににこそこそこそ。。。」」」とてとてとて、、、御おん御おんおん涙なみだ涙なみだなみだせきせきせきあへあへあえさせさせさせ給たま給たまたまははわずずず。。。
  14. 14同おな同おなおなじきじきじき二に二にに十じふ十じふじゅう三さん三さんさん日にち日にちにち、、、三さん三さんさん條でう條でうじょうののの中ちう中ちうちゅう納な納なな言ごん言ごんごん朝とも朝ともとも方かた方かたかたののの卿きやう卿きやうきょう以い以いい下げ下げげ四し四しし十じふ十じふじゅう九く九くく人にん人にんにんががが官くわん官くわんかん職しよく職しよくしょくををを停とゞ停とゞとどめめめててて、、、追お追おおひひいこめこめこめ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。平へい平へいへい家け家けけののの時とき時ときときははは四し四しし十じふ十じふじゅう三さん三さんさん人にん人にんにんをををこそこそこそ停とゞ停とゞとどめめめられられられしかしかしか、、、これこれこれははは既すで既すですでににに四し四しし十じふ十じふじゅう九く九くく人にん人にんにんなれなれなればばば、、、平へい平へいへい家け家けけののの惡あく惡あくあく行ぎやう行ぎやうぎょうにににははは猶なほ猶なほなお超てう超てうちょう過くわ過くわかせせせりりり。。。松まつ松まつまつ殿どの殿どのどのののの姫ひめ姫ひめひめ君ぎみ君ぎみぎみ取と取ととりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、關くわん關くわんかん白ぱく白ぱくぱく殿どの殿どのどのののの聟むこ聟むこむこにににおしおしおしなるなるなる。。。
  15. 15そのそのその日ひ日ひひ又また又またまた木き木きき曾そ曾そそののの左さ左ささ馬ま馬ままののの頭かみ頭かみかみ、、、家いへ家いへいえののの子こ子ここ郎らう郎らうろう等どう等どうどうどもどもども召め召めめししし集あつ集あつあつめめめててて評ひやう評ひやうひょう定ぢやう定ぢやうじょうすすす。。。「「「そも〳〵そも〳〵そもそも義よし義よしよし仲なか仲なかなか一いつ一いついっ天てん天てんてんののの君きみ君きみきみににに向むか向むかむかひひい參まゐ參まゐまいらせらせらせててて、、、軍いくさ軍いくさいくさにににはははうちうちうち勝か勝かかちちちぬぬぬ。。。主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょうにににやややならならならましましまし、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうにににやややなるなるなるべきべきべき。。。法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうにににならならならうううととと思おも思おもおもへへえどもどもども、、、法ほふ法ほふほう師し師ししにににならならならんんんもももをかしかるをかしかるおかしかるべしべしべし。。。主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょうにににならならならうううととと思おも思おもおもへへえどもどもども、、、童わらは童わらはわらわにににならならならんんんももも然しか然しかしかるるるべからべからべからずずず。。。よし〳〵よし〳〵よしよしさらばさらばさらば關くわん關くわんかん白ぱく白ぱくぱくにににならならならううう。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、手て手てて書かき書かきかきににに具ぐ具ぐぐせせせられられられたりたりたりけるけるける大たい大たいたい夫ふ夫ふふ房ばう房ばうぼう覺かく覺かくかく明めい明めいめい進すゝ進すゝすすみみみ出い出いいでででててて、、、「「「關くわん關くわんかん白ぱく白ぱくぱくにににははは大たい大たいたい織しよく織しよくしょく冠くわん冠くわんかんののの御おん御おんおん末すゑ末すゑすえ、、、執しつ執しつしっ柄ぺい柄ぺいぺい家か家かかののの公きん公きんきん達だち達だちだちこそこそこそならならならせせせ給たま給たまたまへへえ。。。殿との殿とのとのははは源げん源げんげん氏じ氏じじにてにてにてわたらわたらわたらせせせ給たま給たまたまへへえばばば、、、それそれそれこそこそこそかなひかなひかない候さふらふ候さふらふそうろうまじまじまじ。。。」」」とととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。さらばさらばさらばとてとてとて院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおん廐うまや廐うまやうまやののの別べつ別べつべつ當たう當たうとうにににおしおしおしなつなつなっててて、、、丹たん丹たんたん波ば波ばばののの國くに國くにくにをををぞぞぞ知ち知ちち行ぎやう行ぎやうぎょうしししけるけるける。。。院ゐん院ゐんいんののの御ご御ごご出しゆつ出しゆつしゅっ家け家けけあれあれあればばば法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうととと申まう申まうもうししし、、、主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょうののの未いま未いまいまだだだ御ご御ごご元げん元げんげん服ぶく服ぶくぶくなきなきなき程ほど程ほどほどははは御ご御ごご童どう童どうどう形ぎやう形ぎやうぎょうにてにてにてまし〳〵まし〳〵ましましけるけるけるををを、、、知し知ししらららざりざりざりけるけるけるこそこそこそうたてうたてうたてけれけれけれ。。。
  16. 16さるさるさる程ほど程ほどほどににに鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくらののの前さき前さきさきののの右う右うう兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ賴より賴よりより朝とも朝ともとも、、、木き木きき曾そ曾そそががが狼らう狼らうろう藉ぜき藉ぜきぜきしづめしづめしずめんんんとてとてとて、、、範のり範のりのり賴より賴よりより、、、義よし義よしよし經つね經つねつねににに六ろく六ろくろく萬まん萬まんまん餘よ餘よよ騎き騎ききををを相あひ相あひあい添そ添そそへへえてててさしさしさし上のぼ上のぼのぼせせせられられられけるけるけるががが、、、都みやこ都みやこみやこにににははは軍いくさ軍いくさいくさ出い出いいででで來き來ききててて、、、御ご御ごご所しよ所しよしょ、、、内だい内だいだい裏り裏りりみなみなみな燒や燒ややききき拂はら拂はらはらひひい、、、天てん天てんてん下か下かか暗くら暗くらくら闇やみ闇やみやみとととなりなりなりたるたるたるよしよしよし聞きこ聞きこきこえええしかしかしかばばば、、、さうなうさうなうそうのう上のぼ上のぼのぼつつっててて軍いくさ軍いくさいくさすすすべきべきべきやうやうようもももなしなしなしとてとてとて、、、尾を尾をお張はり張はりはりののの國くに國くにくに熱あつ熱あつあつ田た田たたののの邊へん邊へんへんなるなるなる所ところ所ところところにににぞぞぞまし〳〵まし〳〵ましましけるけるける。。。北ほく北ほくほく面めん面めんめんににに候さぶら候さぶらさぶらひひいけるけるける宮く宮くく内ない内ないない判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん公きん公きんきん朝とも朝ともとも、、、藤とう藤とうとう内ない内ないない判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん時とき時ときとき成なり成なりなり、、、このこのこの事こと事ことこと訴うつた訴うつたうつたへへえんんんとてとてとて、、、尾を尾をお張はり張はりはりののの國くに國くにくにへへへ馳は馳ははせせせ下くだ下くだくだりりり、、、このこのこの由よし由よしよしかくかくかくととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、範のり範のりのり賴より賴よりより、、、義よし義よしよし經つね經つねつね、、、「「「これこれこれははは公きん公きんきん朝とも朝ともともののの關くわん關くわんかん東とう東とうとうへへへ下くだ下くだくだらららるるるべきべきべきででで候さふらふ候さふらふそうろうぞぞぞ。。。そのそのその故ゆゑ故ゆゑゆえははは仔し仔しし細さい細さいさいををを存ぞん存ぞんぞんぜぜぜぬぬぬ使つかひ使つかひつかいははは、、、返かへ返かへかへしししててて問と問ととはははるゝるゝるる時とき時ときとき不ふ不ふふ審しん審しんしんののの殘のこ殘のこのこるるるににに。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。
  17. 17今こん今こんこん度ど度どどののの軍いくさ軍いくさいくさににに所しよ所しよしょ從じゆう從じゆうじゅうみなみなみな落お落おおちちちうせうせうせ、、、討う討ううたたたれれれにににしかしかしかばばば、、、子し子しし息そく息そくそく宮く宮くく内ない内ないない所どころ所どころどころ公きん公きんきん茂もち茂もちもちとてとてとて生しやう生しやうしょう年ねん年ねんねん十じふ十じふじゅう五ご五ごご歳さい歳さいさいににになるなるなるををを、、、相あひ相あひあい具ぐ具ぐぐしししてててぞぞぞ下くだ下くだくだりりりけるけるける。。。夜よ夜よよををを日ひ日ひひににについついついででで鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくらへへへ馳は馳ははせせせ下くだ下くだくだりりり、、、このこのこの由よし由よしよし訴うつた訴うつたうつたへへえ申まう申まうもうささされれれけれけれければばば、、、鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくら殿どの殿どのどの、、、「「「これこれこれははは鼓つゞみ鼓つゞみつづみ判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんががが不ふ不ふふ思し思しし議ぎ議ぎぎののの事こと事ことこと申まう申まうもうししし出い出いいでででててて、、、君きみ君きみきみをををももも惱なや惱なやなやましましまし奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、多おほ多おほおおくくくののの高かう高かうこう僧そう僧そうそう、、、貴き貴きき僧そう僧そうそうをををももも失うしな失うしなうしなひひいけるけるける事こと事ことことこそこそこそ、、、かへす〴〵かへす〴〵かえすがえすももも奇き奇きき怪くわい怪くわいかいなれなれなれ。。。是これ是これこれ等ら等ららををを召め召めめしししつかはつかはつかわせせせ給たま給たまたまははわばばば、、、このこのこの後のち後のちのちももも天てん天てんてん下か下かかののの騒さう騒さうそう動どう動どうどう絶た絶たたゆゆゆまじうまじうまじゅう候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれけれけれければばば、、、朝とも朝ともとも泰やす泰やすやすこのこのこの由よし由よしよし陳ちん陳ちんちんぜぜぜんんんとてとてとて、、、夜よ夜よよををを日ひ日ひひににについついついででで鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくらへへへ馳は馳ははせせせ下くだ下くだくだりりり、、、梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはら平へい平へいへい三ざう三ざうぞう景かげ景かげかげ時とき時ときときににについついついててて、、、さま〴〵さま〴〵さまざま陳ちん陳ちんちんじじじ申まう申まうもうしししけれけれけれどもどもども、、、鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくら殿どの殿どのどの、、、「「「しやつしやつしゃつににに目め目めめなななかけかけかけそそそ、、、あひあひあいしらひしらひしらいなななせせせそそそ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、日ひ日ひひ毎ごと毎ごとごとににに兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけののの館たち館たちたちへへへ向むか向むかむかふふう。。。遂つひ遂つひついににに面めん面めんめん目ぼく目ぼくぼくなくなくなくしてしてして、、、またまたまた都みやこ都みやこみやこへへへ返かへ返かへかえりりり上のぼ上のぼのぼりりり、、、からきからきからき命いのち命いのちいのち生い生いいきききつゝつゝつつ、、、稻いな稻いないな荷り荷りりののの邊へん邊へんへんなるなるなる所ところ所ところところににに、、、かすかかすかかすかなるなるなる體てい體ていていにてにてにて住すま住すますまひひいけるけるけるとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。
  18. 18木き木きき曾そ曾そそ西さい西さいさい國こく國こくこくへへへ使し使しし者しや者しやしゃををを立た立たたてててててて、、、急いそ急いそいそぎぎぎ上のぼ上のぼのぼらららせせせたまへたまへたまえ、、、一ひと一ひとひとつつつににになつなつなっててて關くわん關くわんかん東とう東とうとうへへへ馳は馳ははせせせ下くだ下くだくだりりり、、、兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ討う討ううつつつべきべきべき由よし由よしよし、、、いひいひいい遣つか遣つかつかははわしししたりたりたりけれけれければばば、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのををを始はじ始はじはじめめめ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、一いち一いちいち門もん門もんもんののの人ひと人ひとひと々びと々びとびとははは皆みな皆みなみな喜よろこ喜よろこよろこばばばれれれけれけれけれどもどもども、、、新しん新しんしん中ちう中ちうちゅう納な納なな言ごん言ごんごん知とも知ともとも盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょうののの意い意いい見けん見けんけんににに申まう申まうもうささされれれけるけるけるははは、、、「「「たとひたとひたとい世よ世よよ末すゑ末すゑすえににになつなつなっててて候さふら候さふらそうらへへえばばばとてとてとて、、、木き木きき曾そ曾そそなんどなんどなんどににに語かた語かたかたらららはははれれれててて、、、いかでいかでいかでかかか都みやこ都みやこみやこへへへ上のぼ上のぼのぼらららせせせ給たま給たまたまふふうべきべきべき。。。十じふ十じふじゅう善ぜん善ぜんぜんののの帝てい帝ていてい王わう王わうおう、、、三さん三さんさん種しゆ種しゆしゅののの神じん神じんじん器ぎ器ぎぎををを帶たい帶たいたいしししててて渡わた渡わたわたらららせせせ給たま給たまたまへへえばばば、、、兜かぶと兜かぶとかぶとをををぬぎぬぎぬぎ、、、弓ゆみ弓ゆみゆみののの弦つる弦つるつるをををはづいはづいはずいててて、、、これこれこれへへへ降かう降かうこう人にん人にんにんににに參まゐ參まゐまいれれれととと申まう申まうもうさささせせせ給たま給たまたまふふうべうべうびょうもももややや候さふらふ候さふらふそうろうらんらんらん。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれけれけれければばば、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのそのそのそのやうやうようををを御おん御おんおん返へん返へんへん事じ事じじありありありしかしかしかどもどもども、、、木き木きき曾そ曾そそ用もち用もちもちゐゐい奉たてまつ奉たてまつたてまつらららずずず。。。
  19. 19入にふ入にふにゅう道だう道だうどうののの松まつ松まつまつ殿どの殿どのどの殿でん殿でんでん下か下かか、、、木き木きき曾そ曾そそををを召め召めめしししててて、、、淸きよ淸きよきよ盛もり盛もりもり公こう公こうこう惡あく惡あくあく行ぎやう行ぎやうぎょう人にん人にんにんたりたりたりしかしかしかどもどもども、、、希き希きき代たい代たいたいののの善ぜん善ぜんぜん根ごん根ごんごんををを置お置おおきききたれたれたればばばにににややや、、、世よ世よよをををばばばおだしうおだしうおだしゅう、、、二に二にに十じふ十じふじゅう餘よ餘よよ年ねん年ねんねんまでまでまで保たも保たもたもちちちたんたんたんなりなりなり。。。惡あく惡あくあく行ぎやう行ぎやうぎょうばかりばかりばかりにてにてにて世よ世よよををを治をさ治をさおさむるむるむる事こと事ことことはははなきなきなきものものものををを、、、させるさせるさせる故ゆゑ故ゆゑゆえなうなうのうててておしおしおし籠こ籠ここめめめ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつったるたるたる人ひと人ひとひと々びと々びとびとののの官くわん官くわんかん途と途ととどもどもども、、、みなみなみな赦ゆる赦ゆるゆるすすすべきべきべき由よし由よしよし仰おほ仰おほおおせせせけれけれければばば、、、ひたすらひたすらひたすら荒あら荒あらあら夷えびす夷えびすえびすのののやうやうようなれなれなれどもどもども、、、隨したが隨したがしたがひひい奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、おしおしおし籠こ籠ここめめめ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつったるたるたる人ひと人ひとひと々びと々びとびとののの官くわん官くわんかん途と途ととどもどもども、、、みなみなみな赦ゆる赦ゆるゆるししし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。
  20. 20松まつ松まつまつ殿どの殿どのどのののの御おん御おんおん子こ子ここ師もろ師もろもろ家いへ家いへいえ公こう公こうこう、、、そのそのその時とき時ときときははは未いま未いまいまだだだ從じゆ從じゆじゅ二に二にに位ゐ位ゐいののの中ちう中ちうちゅう納な納なな言ごん言ごんごんにてにてにてまし〳〵まし〳〵ましましけるけるけるををを、、、木き木きき曾そ曾そそがががはからひはからひはからいにてにてにて大だい大だいだい臣じん臣じんじん攝せつ攝せつせつ政しやう政しやうしょうににになしなしなし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。折をり折をりおりふしふしふし大だい大だいだい臣じん臣じんじんあかあかあかざりざりざりけれけれければばば、、、德とく德とくとく大だい大だいだい寺じ寺じじ殿どの殿どのどの、、、そのそのその頃ころ頃ころころははは内ない内ないない大だい大だいだい臣じん臣じんじんののの左さ左ささ大だい大だいだい將しやう將しやうしょうにてにてにてまし〳〵まし〳〵ましましけるけるけるををを借か借かかりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、大だい大だいだい臣じん臣じんじん攝せつ攝せつせつ政しやう政しやうしょうににになしなしなし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。いつしかいつしかいつしか人ひと人ひとひとののの口くち口くちくちなれなれなればばば、、、新しん新しんしん攝せつ攝せつせつ政しやう政しやうしょう殿どの殿どのどのをををばばば借かる借かるかる大だい大だいだい臣じん臣じんじんとととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。同おな同おなおなじきじきじき十じふ十じふじゅう二に二にに月ぐわつ月ぐわつがつ十とを十とをとお日か日かかののの日ひ日ひひ、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうをををばばば五ご五ごご條でう條でうじょう内だい内だいだい裏り裏りりををを出いだ出いだいだししし奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、大だい大だいだい膳ぜん膳ぜんぜんののの大だい大だいだい夫ぶ夫ぶぶ成なり成なりなり忠たゞ忠たゞただががが宿しゆく宿しゆくしゅく所しよ所しよしょ、、、六ろく六ろくろく條でう條でうじょう西にし西にしにしののの洞たう洞たうとう院ゐん院ゐんいんへへへ御ご御ごご幸かう幸かうこうなしなしなし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。同おな同おなおなじきじきじき十じふ十じふじゅう三さん三さんさん日にち日にちにち、、、歳さい歳さいさい末まつ末まつまつののの御み御みみ修しほ修しほしお法ほふ法ほふほう始はじ始はじはじめめめらるらるらる。。。そのそのその日ひ日ひひ除ぢ除ぢじ目もく目もくもく行おこな行おこなおこなははわれれれててて、、、木き木きき曾そ曾そそがががはからひはからひはからいにてにてにて、、、人ひと人ひとひと々びと々びとびとののの官くわん官くわんかん加か加かか階かい階かいかい、、、思おも思おもおもふふうやうやうようににになしなしなしててておきおきおきてててけりけりけり。。。
  21. 21平へい平へいへい家け家けけははは西さい西さいさい國こく國こくこくににに、、、兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけははは東とう東とうとう國ごく國ごくごくににに、、、木き木きき曾そ曾そそははは都みやこ都みやこみやこににに張は張ははりりり行おこな行おこなおこなふふう。。。前ぜん前ぜんぜん漢かん漢かんかん後ご後ごご漢かん漢かんかんののの間あひだ間あひだあいだ、、、王わう王わうおう莽まう莽まうもうががが世よ世よよをををうちうちうち取と取ととつつっててて、、、十じふ十じふじゅう八はち八はちはち年ねん年ねんねん治をさ治をさおさめめめたりたりたりしししががが如ごと如ごとごとししし。。。四し四しし方はう方はうほうののの關せき關せきせき々ぜき々ぜきぜきみなみなみな閉と閉ととぢぢじたれたれたればばば、、、公おほやけ公おほやけおおやけののの御み御みみ貢つぎ貢つぎつぎ物もの物ものものをををももも奉たてまつ奉たてまつたてまつらららずずず、、、私わたくし私わたくしわたくしののの年ねん年ねんねん貢ぐ貢ぐぐももも上のぼ上のぼのぼらららねねねばばば、、、京きやう京きやうきょう中ぢう中ぢうじゅうののの上じやう上じやうじょう下げ下げげ、、、たゞたゞただ少せう少せうしょう水すゐ水すゐすいののの魚うを魚うをうおににに異こと異ことことならならならずずず。。。あぶなあぶなあぶなながらながらながらににに年とし年としとし暮く暮くくれれれててて、、、壽じゆ壽じゆじゅ永えい永えいえいももも三さん三さんさん年ねん年ねんねんににになりなりなりにににけりけりけり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

「たとえば都を守護しようという者が、馬一頭ずつ飼って乗らずにいられようか。いくらでもある田を刈らせて飼い葉にするのを、法皇がむやみにおとがめになるいわれがあろうか。兵糧米が尽きたので、若い者どもが西山・東山のはずれに出かけて、ときどき略奪するのは、どうしていけないことがあろう。大臣以下の方々や宮々の御所へ押し入るのならともかく。きっとこれは鼓判官の讒言と思われるぞ。その鼓めを打ち破って捨ててしまえ。今度は義仲の最後の戦いになるだろう。一つには兵衛佐頼朝が伝え聞くこともある。よく戦え、者ども」といって出陣した。北国の者たちは、初めは五万余騎と聞こえたが、みな落ちて国へ下ってしまい、わずか六、七千騎になっていた。義仲の戦いの吉例だからといって軍勢を七手に分け、まず樋口次郎兼光に二千余騎をつけて、新熊野の方から搦手に差し向けた。残る六手は、それぞれがいる条里や小路から皆出発して、六条河原で一つになれと合図を決めて出発した。味方の笠印には松の葉をつけた。

戦いは十一月十九日の朝である。院の御所法住寺殿にも、軍兵二万余人が参りこもっていると聞こえた。木曾が法住寺殿の西の門へ押し寄せて見ると、鼓判官朝泰は戦いの指揮役を承って、御所の西の築地の上へ登って立っていたが、赤地の錦の直垂に兜だけを着けていた。兜には四天王の絵が描いて貼ってある。片手には鉾を持ち、片手には金剛鈴を持って、振り振りして、ときどきは舞うこともあった。公卿・殿上人は、みっともない、朝泰には天狗がついたと笑われた。朝泰は大音声をあげて、「昔は宣旨に向かって読み上げると、枯れた草木もたちまち花が咲き実がなり、飛ぶ鳥も地に落ち、悪鬼悪神も従った。末の世だからといって、どうして十善の君に向かい申して、弓を引き矢を放つことができよう。放った矢は、かえっておまえたちの身に立つだろう。抜いた太刀は、かえって自分の身を切るだろう」などと罵ったので、木曾は「そんなことを言わせるな」といって、鬨の声をどっとあげた。

そうするうちに、樋口次郎兼光の二千余騎も新熊野の方から同じく鬨の声を合わせた。今井四郎兼平が鏑矢の中に火を入れて、法住寺殿の御所の棟に射立てたところ、折しも風は激しく、猛火は天に燃え上がって、炎は空に満ちあふれた。黒煙が押しかかってきたので、戦いの指揮役の朝泰は人より先に逃げてしまった。指揮役が逃げたからにはといって、二万余人の兵たちも、われ先にと逃げて行った。あまりにあわて騒いで、弓を取る者は矢を忘れ、矢を取る者は弓を忘れた。長刀を逆さまに突いて自分の足を突き通す者もあり、弓の弭を物にひっかけて外せず、捨てて逃げる者もあった。

七条の末は摂津国の源氏が固めていたが、院の御所から、落ちてくる者があれば用意して皆打ち殺せと命じられていたので、その土地の者たちは屋根に楯を並べ、投げつける石を集めて待っていたところに、摂津国の源氏が逃げてきたのを、それ落人だといって石を拾っては投げつけ、さんざんに打ったので、「院方の者だぞ、まちがえるな」と言ったけれども、「そんなことを言わせるな。院宣であるから、ただ打ち殺せ打ち殺せ」といって打つうちに、頭を打ち割られる者、腰を打ち折られて馬から落ち、這う這う逃げる者もあり、打ち殺される者も多かった。八条の末は山の僧たちが固めていたが、恥を知る者は討ち死にし、恥知らずの者は逃げて行った。

ここに主水正親業は、薄青の狩衣の下に萌黄縅の腹巻を着け、白月毛の馬に乗って河原を上流の方へ逃げて行くところを、今井四郎兼平が追いかかり、弓をよく引きしぼって、首の骨をひょうっと射て、馬から真っ逆さまに射落とした。清大外記頼業の子であった。明経道の博士が甲冑を着るのは、これが初めてと承る。近江中将為清、越前少将信行、伯耆守光綱、その子の伯耆判官光経も射落とされて首を取られた。また木曾に背いて院へ参った信濃源氏の村上三郎判官代も討たれた。按察使大納言資方卿の孫の右少将雅賢も、鎧に立烏帽子で戦いの陣に出ておられたが、樋口次郎兼光の手にかかって生け捕りにされた。天台座主明雲大僧正と寺の長吏円慶法親王も御所に参りこもっておられたが、黒煙がもう押しかかってきたので、御馬に乗って急いでお出になったところを、武士どもがさんざんに射申した。明雲大僧正も円慶法親王も御馬から射落とされて、御首を取られなさった。

法皇は御輿に乗って、よそへ御幸なさる。武士どもがさんざんに射申した。豊後少将宗長が木蘭地の直垂に折烏帽子でお供していたが、「これは院でいらっしゃるぞ。まちがえて射るな」と申されたので、武士たちはみな馬から降りてかしこまった。「何者か」とお尋ねになると、「信濃国の住人矢島四郎行重」と名のり申した。すぐに御輿に手をかけ申して、五条内裏へお入れ申し、厳しくお守りした。

豊後の国司刑部卿三位頼資卿も御所に参りこもっておられたが、黒煙がもう押しかかってきたので、急いで河原へ逃げ出られたところ、武士の下部たちに衣装をみな剝ぎ取られて、真っ裸で立っておられた。ころは十一月十九日の朝だったので、河原の風はさぞ激しかったであろう。三位の兄の越前法橋性意の召し使う中間法師がいたが、戦いを見ようと出てきていて、三位が裸で立っておられるのを見つけて、「なんとひどい」といって急いで走り寄る。この法師は白い小袖二枚に衣を着ていた。それなら小袖を脱いで着せ申せばよいものを、衣を脱いで投げかけた。短い衣を頭からすっぽりかぶって帯もせず、後ろ姿はさぞ見苦しかったであろう。それなのに急いで歩きもなさらずに、白衣の法師を供に連れておられたが、あちこちに立ち止まっては、「あれは誰の家か、ここは何者の宿所か」などとお尋ねになるので、見る人は手を叩いて笑い合った。

天皇(後鳥羽天皇)は御船にお乗りになって、池に浮かんでおられたが、武士どもがしきりに矢を射かけ申したので、七条侍従信清と紀伊守範光が御船に控えておられて、「これは帝でいらっしゃるぞ。まちがえて射るな」と申されたので、武士たちはみな馬から降りてかしこまった。すぐに閑院殿へ行幸おさせ申した。行幸のありさまのみじめさは、言葉ではとても言い尽くせない。

源蔵人仲兼はその勢五十騎ほどで法住寺殿の西の門を固めて防いでいたところに、近江源氏の山本冠者義高が鞭と鐙を合わせて馳せ来て、「いったい皆さんは誰をかばおうとして戦っておられるのか。御幸も行幸も他所へお移りになったと承りましたぞ」と言ったので、それならといって大勢の中に駆け入り、さんざんに戦ううちに、主従八騎にまで討ちへらされた。八騎のうちに河内の日下党の加賀房という法師武者がいた。月毛の馬で口の強いのに乗っていた。「この馬はあまりに口が強くて、乗りこなせるとも思えません」と言ったので、源蔵人は「それならこの馬に乗り替えよ」といって、栗毛で尾の下の白い馬に乗り替えさせ、根井小弥太が二百騎ほどで控えていた河原坂の勢の中へ駆け入り、さんざんに戦い、そこで八騎のうち五騎が討たれた。加賀房は自分の馬が扱いにくいといって主人の馬に乗り替えたけれども、運が尽きたのであろうか、そこでとうとう討たれてしまった。

ここに源蔵人の家の子で、次郎蔵人仲頼という者がいた。栗毛で尾の下の白い馬が駆け出てきたのを見つけて、下人を呼んで、「ここにいる馬は源蔵人の馬と見たのはまちがいか」「さようでございます」と申す。「それでどの陣へ駆け入ったと見たか」「河原坂の勢の中へお入りになりました。御馬もすぐにあの勢の中から出てまいりました」と申したので、次郎蔵人は涙をはらはらと流して、「ああ、いたわしい。もう討たれてしまわれた。幼い竹馬の昔から、死ぬなら一緒に死のうと約束したのに、今は別々の所に倒れることが悲しい」といって、妻子のもとへ最後のありさまを言い送り、ただ一騎で河原坂の勢の中へ駆け入り、鐙を踏んばって立ち上がり、大音声をあげて、「敦実親王から八代の子孫、信濃守仲重の子の次郎蔵人仲頼といって、生年二十七になる。われと思わん人々は寄ってこい、お目にかかろう」といって、縦横無尽、四方八方に駆け破り駆けめぐって戦ったが、敵を大勢討ち取って、ついに討ち死にした。

源蔵人はこのことを知らずに、兄の河内守仲信を連れて、主従三騎で南をさして落ちて行ったが、摂政殿(基通)が都の戦いを恐れられて宇治へお出かけになったところに、木幡山で追いつき申し、馬から降りてかしこまった。「何者か」とお尋ねになると、「仲信、仲兼」と名のり申した。東国・北国の凶徒どもかなどとお思いになっていたところだったので、たいそう喜ばれた。「すぐにおまえたちもお供をせよ」と仰せになったので、承って宇治の富家殿(忠実の旧邸)までお送り申し、そこからこの人々は河内国へ落ちて行った。

あくる二十日、木曾左馬頭義仲は六条河原に陣を構えて、昨日斬った首をみな掛け並べて書き記したところ、六百三十余人であった。その中には天台座主明雲大僧正と寺の長吏円慶法親王の御首も掛けられていた。これを見る人で涙を流さない者はなかった。木曾左馬頭は合わせてその勢七千余騎、馬の頭を一面に東へ向けて、天も響き大地も揺らぐほどに、鬨の声を三度あげた。京中はまた騒ぎ合った。ただしこれは勝ち戦の喜びの鬨と聞こえた。

そうするうちに、故少納言入道信西の子の宰相長教が、法皇のおられる五条内裏へ参って、門から入ろうとすると、守護の武士たちが許さない。勝手はよく知っていたので、ある小家に立ち入り、急に髪を剃り落として墨染の衣と袴を着て、「これならもう構うまい。開けて入れよ」とおっしゃると、そのときは許し申した。泣く泣く御前へ参って、今度討たれた人々のことを一人一人申し上げると、法皇は「明雲が非業の死を遂げる者とは、少しも思わなかったのに。今度はただ、わしがどうにかなるはずだった命の身代わりになったのだ」といって、涙をこらえきれなかった。

同月二十三日、三条中納言朝方卿以下四十九人の官職を止めて、閉じこめ申した。平家のときは四十三人を止められたが、これは四十九人であるから、平家の悪行よりもさらにひどい。松殿(基房)の姫君をめとって、関白殿の婿になりおおせた。

その日また木曾左馬頭は、家の子・郎等を召し集めて評定した。「そもそも義仲は一天の君に向かい申して、戦いには勝った。帝になろうか、法皇になろうか。法皇になろうと思っても、法師になるのもおかしいだろう。帝になろうと思っても、子どもの姿になるのもよくない。よしよし、それなら関白になろう」と言ったので、書記として連れていた大夫房覚明が進み出て、「関白には大織冠(藤原鎌足)の子孫、摂関家の公達こそおなりになるものです。殿は源氏でいらっしゃるので、それはかないますまい」と申した。それならといって院の御厩の別当になりおおせて、丹波国を知行した。院がご出家なさったので法皇と申し、帝がまだご元服なさらないうちは童形でいらっしゃるのを知らなかったとは、情けないことである。

そうするうちに鎌倉の前右兵衛佐頼朝は、木曾の狼藉を鎮めようとして、範頼と義経に六万余騎をつけて上らせたが、都では戦いが起こって、御所も内裏もみな焼き払われ、天下は真っ暗になったと聞こえたので、うかつに上って戦うわけにもいかないといって、尾張国熱田のあたりに控えていた。北面に仕えていた宮内判官公朝と藤内判官時成が、このことを訴えようとして尾張国へ馳せ下り、このことを申したので、範頼と義経は、「これは公朝が関東へ下られるべきです。そのわけは、事情を知らない使いでは、聞き返されたときに不審が残るからです」とおっしゃった。

公朝は今度の戦いで従者がみな逃げたり討たれたりしてしまったので、子の宮内所公茂といって十五歳になる者を連れて下った。夜を日についで鎌倉へ馳せ下り、このことを訴え申したので、鎌倉殿は「これは鼓判官がとんでもないことを申し出して、君をもお悩ませ申し、多くの高僧・貴僧をも死なせたことこそ、かえすがえすもけしからぬ。このような者を召し使われるなら、この後も天下の騒動は絶えないでしょう」と申されたので、朝泰は申し開きをしようとして、夜を日についで鎌倉へ馳せ下り、梶原平三景時を頼って、いろいろと弁明したが、鎌倉殿は「あいつに目をかけるな。相手にするな」とおっしゃったので、毎日兵衛佐の館へ通ったが、ついに面目を失って、また都へ帰り上り、つらい命を生きながらえて、稲荷のあたりに、ひっそりと住んでいたと聞こえた。

木曾は西国へ使者を立てて、急いで上ってこられよ、一つになって関東へ馳せ下り、兵衛佐を討とうと言い送ったので、大臣殿をはじめとして一門の人々は皆喜ばれたが、新中納言知盛卿が意見として申されるには、「たとえ世が末になっているからといって、木曾などに誘われて、どうして都へお上りになれましょうか。十善の帝王が三種の神器を帯びておられるのですから、兜を脱ぎ弓の弦をはずして、こちらへ降参して参れと申されるのがよいでしょう」と申されたので、大臣殿はそのように御返事をされたが、木曾は承知しなかった。

入道松殿殿下(基房)が木曾を召して、清盛公は悪行の人ではあったが、まれに見る善根を積んでいたからであろうか、世を穏やかに二十余年も保ったのである。悪行ばかりで世を治めることはできないのだから、これといった理由もなく閉じこめた人々の官職は、みな許すべきだと仰せになったので、まったくの荒くれ者であったが、従い申して、閉じこめた人々の官職をみな許し申した。

松殿の子の師家公は、そのときまだ従二位の中納言でいらっしゃったのを、木曾のはからいで大臣・摂政にし申した。折しも大臣の空きがなかったので、徳大寺殿(実定)がそのころ内大臣で左大将であられたのを借り申して、大臣・摂政にし申した。いつの間にか人の口に上って、新摂政殿を「かるの大臣(借りた大臣)」と呼んだ。同年十二月十日、法皇を五条内裏からお出し申して、大膳大夫成忠の宿所である六条西洞院へ御幸させ申した。同月十三日、歳末の御修法が始められた。その日除目が行われて、木曾のはからいで、人々の官位を思いどおりにしておいた。

平家は西国に、兵衛佐は東国に、木曾は都に勢力を張った。前漢と後漢の間に王莽が世を奪い取って十八年治めたようなものである。四方の関所がみな閉じられているので、朝廷への貢物も届かず、私の年貢も上ってこないので、京中の上下の人々は、ただ少ない水の中の魚のようであった。危うい状態のまま年が暮れて、寿永も三年になった。

意訳

義仲が後白河法皇の御所を攻め、法皇を押しこめた法住寺合戦を語る、巻第八の結びの章段である。築地の上で鉾と鈴を振って罵る鼓判官の姿や、裸で河原に立つ三位頼資の姿は滑稽に描かれるが、天台座主明雲や円慶法親王までが討たれ、六百三十余の首が六条河原に並ぶ結果は、都の人々に深い衝撃を与えた。

関白になろうとして覚明にたしなめられ、院の御厩別当におさまる義仲の無知は笑いを誘うが、その一方で、鎌倉の頼朝は範頼・義経を差し向けてじっと時を待つ。平家・頼朝・義仲の三者が並び立つ「少水の魚」のような都のありさまで巻第八は閉じられ、義仲の最期を描く巻第九へと続いていく。

語釈・文法注

文法

「刈らぜて」
底本は「刈らぜて」と濁点を付けて刷る。「刈らせて」の意。
「軍は一月十九日の朝なり」
底本は「一月」と刷るが、後に「頃は十一月十九日の朝」とあるように、「十一月」の脱字と見られる。
「兜には四天を書いてぞおしたりける」
四天王の絵を描いた紙を兜に貼っていた。
「金剛鈴」
密教の修法で用いる、柄に金剛杵の形をつけた鈴。
「末代澆季」
末の世で、人情の薄くなった時代。
「襲の石」
攻め寄せる敵に投げつけるための石。
「明經道の博士甲冑を鎧ふ事、これ始め」
儒学を家業とする明経道の博士が鎧を着て戦いに出たのは、これが初めてであった。
「うつぼにかぶつて」
衣を袖を通さずに頭からすっぽりかぶって。
「ひあいなり」
馬が扱いにくい、乗りにくい。
「敦躬の親王」
宇多天皇の皇子敦実親王。底本は「敦躬」と刷る。
「借大臣」
大臣の空きがないので徳大寺実定から一時借りた大臣。「かる(借る)の大臣」と揶揄した。
「少水の魚」
『往生要集』などに見える、水の少なくなった所の魚のように、命の危ういこと。

解説

法住寺合戦は寿永二年(1183)十一月十九日、義仲が後白河法皇の御所法住寺殿(京都市東山区)を攻めた戦いである。天台座主明雲と後白河法皇の皇子円恵法親王(『平家物語』では円慶)が討たれ、法皇は五条東洞院の摂政基通邸に移されて幽閉された。

義仲はこの後、藤原基房と結び、その子師家を摂政に立てた。翌寿永三年正月、義仲は征夷大将軍に任じられたが、まもなく範頼・義経の軍に攻められて近江国粟津で討ち死にする(巻第九「木曾の最後の事」)。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、631–641頁(コマ344–349)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日