古典ライブラリー

平家物語 巻第八

瀬尾最後の事

北陸で生け捕られた平家方の瀬尾太郎兼康は、義仲に命を助けられ、倉光三郎成氏に預けられて仕えながら、ひそかに旧主のもとへ戻る機会をうかがっていた。義仲の備中下向の案内に立った兼康は、途中で倉光らを酒に酔わせて討ち、平家方の老兵を集めて福隆寺縄手に城を構える。今井四郎兼平に攻め破られて落ちのびる途中、追ってきた倉光次郎成澄を川の中で討ったが、太って走れない嫡子小太郎を見捨てきれずに引き返し、子を斬って敵中に駆け入り、討ち死にした。

  1. 1木き木きき曾そ曾そそののの左さ左ささ馬ま馬ままののの頭かみ頭かみかみこのこのこの由よし由よしよしををを聞き聞きききききててて、、、やすからやすからやすからぬぬぬ事こと事ことことなりなりなりとてとてとて、、、そのそのその勢せい勢せいせい一いち一いちいち萬まん萬まんまん餘よ餘よよ騎き騎ききででで備びつ備びつびっ中ちう中ちうちゅうののの國くに國くにくにへへへ馳は馳ははせせせ下くだ下くだくだるるる。。。こゝこゝここににに平へい平へいへい家け家けけののの御み御みみ方かた方かたかたににに候さぶら候さぶらさぶらひひいけるけるける、、、備びつ備びつびっ中ちう中ちうちゅうののの國くに國くにくにののの住ぢゆう住ぢゆうじゅう人にん人にんにん瀨せの瀨せのせの尾を尾をおののの太た太たた郎らう郎らうろう兼かね兼かねかね康やす康やすやすははは、、、聞きこ聞きこきこゆるゆるゆる兵つはもの兵つはものつわものにてにてにてありありありけれけれけれどもどもども、、、去い去いいんんんぬるぬるぬる五ご五ごご月ぐわつ月ぐわつがつ北ほつ北ほつほっ國こく國こくこくののの戰たゝか戰たゝかたたかひひいののの時とき時ときとき、、、運うん運うんうんややや盡つ盡つつきききにににけんけんけん、、、加か加かか賀が賀ががののの國くに國くにくにののの住ぢゆう住ぢゆうじゅう人にん人にんにん倉くら倉くらくら光みつ光みつみつののの次じ次じじ郎らう郎らうろう成なり成なりなり澄ずみ澄ずみずみががが手て手ててにににかゝつかゝつかかっててて、、、生いけ生いけいけ捕どり捕どりどりにににこそこそこそせせせられられられけれけれけれ、、、そのそのその時とき時ときとき既すで既すですでににに斬き斬ききらららるるるべかりべかりべかりしししををを、、、木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどの、、、あつたらあつたらあったら男をとこ男をとこおとこをををさうなうさうなうそうのう斬き斬ききるるるべきべきべきにににあらあらあらずずずとてとてとて、、、弟おとうと弟おとうとおとうと三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう成なり成なりなり氏うぢ氏うぢうじににに預あづ預あづあずけけけられられられてててぞぞぞ候さぶら候さぶらさぶらひひいけるけるける。。。人ひと人ひとひとあひあひあい心こゝろ心こゝろこころざまざまざま、、、まことまことまことににに優いう優いうゆうなりなりなりけれけれければばば、、、倉くら倉くらくら光みつ光みつみつももも懇ねんごろ懇ねんごろねんごろにににもてなしもてなしもてなしけりけりけり。。。蘇そ蘇そそ子し子しし卿けい卿けいけいががが胡こ胡ここ國こく國こくこくににに囚とら囚とらとらははわれれれ、、、李り李りり少せう少せうしょう卿けい卿けいけいががが漢かん漢かんかん朝てう朝てうちょうへへへ歸かへ歸かへかえらららざりざりざりしししががが如ごと如ごとごとししし。。。遠とほ遠とほとおくくく異い異いい國こく國こくこくにににつけつけつけるるる事こと事ことことももも、、、昔むかし昔むかしむかしののの人ひと人ひとひとののの悲かな悲かなかなしめしめしめりりりしししががが所ところ所ところところなりなりなりととといへいへいえりりり。。。韋をしかは韋をしかはおしかわののの鞴たゝき鞴たゝきたたき、、、毳かも毳かもかもののの幕はく幕はくはく、、、以もつ以もつもっててて風ふう風ふうふう雨う雨ううををを防ふせ防ふせふせぎぎぎ、、、羶なまぐさ羶なまぐさなまぐさききき肉しゝ肉しゝしし、、、酪らく酪らくらくののの漿つくりみづ漿つくりみづつくりみず、、、以もつ以もつもっててて饑き饑きき渴かつ渴かつかつににに充あ充ああつつつ。。。夜よる夜よるよるははは寢い寢いいぬるぬるぬる事こと事ことことなくなくなく、、、晝ひる晝ひるひるはははひねもすひねもすひねもすににに仕つか仕つかつかへへえててて、、、木き木ききををを伐き伐ききりりり、、、草くさ草くさくさををを刈か刈かからららずずずととといふいふいう許ばか許ばかばかりりりににに從したが從したがしたがひひいつゝつゝつつ、、、いかにいかにいかにもももしてしてして敵かたき敵かたきかたきををを窺うかゞ窺うかゞうかがひひい討う討ううつつっててて、、、今いま今いまいま一いち一いちいち度ど度どど舊きう舊きうきゅう主しゆ主しゆしゅををを見み見みみばやばやばやととと思おも思おもおもひひい立た立たたちちちけるけるける、、、兼かね兼かねかね康やす康やすやすががが心こゝろ心こゝろこころののの中うち中うちうちこそこそこそ恐おそ恐おそおそろしけれろしけれろしけれ。。。
  2. 2あるあるある時とき時ときとき瀨せの瀨せのせの尾を尾をおののの太た太たた郎らう郎らうろう、、、倉くら倉くらくら光みつ光みつみつののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろうにににいひいひいいけるけるけるははは、、、「「「去い去いいんんんぬるぬるぬる五ご五ごご月ぐわつ月ぐわつがつよりよりよりかひかひかいなきなきなき命いのち命いのちいのちををを助たす助たすたすけけけられられられ參まゐ參まゐまいらせらせらせててて候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、誰たれ誰たれたれををを誰たれ誰たれたれとととかかか思おも思おもおもひひいまゐらせまゐらせまいらせ候さふらふ候さふらふそうろうべきべきべき。。。今こん今こんこん度ど度どど御おん御おんおん合かつ合かつかっ戰せん戰せんせん候さふら候さふらそうらははわばばば、、、命いのち命いのちいのちをををばばばまづまづまず木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどのににに奉たてまつ奉たてまつたてまつらららんんん。。。それそれそれにににつきつきつき候さふら候さふらそうらひひいてててははは、、、先せん先せんせん年ねん年ねんねん兼かね兼かねかね康やす康やすやすががが知ち知ちち行ぎやう行ぎやうぎょうししし候さふら候さふらそうらひひいししし備びつ備びつびっ中ちう中ちうちゅうののの瀨せの瀨せのせの尾を尾をおととといふいふいう所ところ所ところところははは、、、馬むま馬むまうまののの草くさ草くさくさ飼かひ飼かひかいよきよきよき所ところ所ところところにてにてにて候さふらふ候さふらふそうろう。。。御ご御ごご邊へん邊へんへん申まう申まうもうしししててて賜たま賜たまたまははわらららせせせ候さふら候さふらそうらへへえ、、、案あん案あんあん内ない内ないない者しや者しやしゃせせせんんん。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、倉くら倉くらくら光みつ光みつみつののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう、、、木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどのにににこのこのこの由よし由よしよしををを申まう申まうもうすすす。。。木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどの、、、「「「さてさてさてははは不ふ不ふふ便びん便びんびんののの事こと事ことことをををももも申まう申まうもうすすす。。。ござんなれござんなれござんなれ、、、まことまことまことにににははは汝なんぢ汝なんぢなんじ下くだ下くだくだつつっててて、、、馬むま馬むまうまののの草くさ草くさくさなどなどなどをををももも構かま構かまかまへへえさせさせさせよよよ。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。
  3. 3倉くら倉くらくら光みつ光みつみつののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう畏かしこ畏かしこかしこまりまりまり承うけたまは承うけたまはうけたまわつつっててて、、、手て手てて勢ぜい勢ぜいぜい三さん三さんさん十じつ十じつじっ騎き騎きき許ばか許ばかばかりりり、、、瀨せの瀨せのせの尾を尾をおののの太た太たた郎らう郎らうろうををを相あひ相あひあい具ぐ具ぐぐしししててて、、、備びつ備びつびっ中ちう中ちうちゅうののの國くに國くにくにへへへ馳は馳ははせせせ下くだ下くだくだるるる。。。瀨せの瀨せのせの尾を尾をおががが嫡ちやく嫡ちやくちゃく子し子しし小こ小ここ太た太たた郎らう郎らうろう宗むね宗むねむね康やす康やすやすははは平へい平へいへい家け家けけののの御み御みみ方かた方かたかたににに候さぶら候さぶらさぶらひひいけるけるけるががが、、、父ちゝ父ちゝちちががが木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどのよりよりより暇いとま暇いとまいとま賜たま賜たまたまははわつつっててて下くだ下くだくだるるるととと聞き聞ききいいいててて、、、年とし年としとし頃ごろ頃ごろごろののの郎らう郎らうろう等どう等どうどうどもどもども催もよほ催もよほもよおししし集あつ集あつあつめめめててて、、、そのそのその勢せい勢せいせい百ひやく百ひやくひゃく騎き騎きき許ばか許ばかばかりりりででで、、、父ちゝ父ちゝちちががが迎むか迎むかむかひひいににに上のぼ上のぼのぼりりりけるけるけるががが、、、播はり播はりはり磨ま磨ままののの國こ國ここ府ふ府ふうででで行ゆ行ゆゆききき逢あ逢あおうううたりたりたり。。。それそれそれよりよりよりうちうちうちつれつれつれててて下くだ下くだくだるるる程ほど程ほどほどににに、、、備び備びび前ぜん前ぜんぜんののの國くに國くにくに三みつ三みつみつ石いし石いしいしののの宿しゆく宿しゆくしゅくににに止と止ととまつまつまったりたりたりけるけるける夜よ夜よよ、、、瀨せの瀨せのせの尾を尾をおががが相あひ相あひあい知し知ししつつったるたるたる者もの者ものもの共ども共どもども、、、酒さけ酒さけさけををを持も持ももたたたせせせ來きた來きたきたりりり集あつ集あつあつまりまりまり、、、夜よ夜よよもすがらもすがらもすがら酒さか酒さかさかもりもりもりしししけるけるけるががが、、、倉くら倉くらくら光みつ光みつみつががが勢せい勢せいせい三さん三さんさん十じつ十じつじっ騎き騎きき許ばか許ばかばかりりりををを強し強ししひひい臥ふ臥ふふせせせててて、、、起おこ起おこおこしししももも立た立たたてててずずず、、、倉くら倉くらくら光みつ光みつみつののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろうををを始はじ始はじはじめめめとととしてしてして、、、一いち一いちいち々いち々いちいちみなみなみな刺さ刺ささししし殺ころ殺ころころしししてててけるけるける。。。備び備びび前ぜん前ぜんぜんののの國くに國くにくにははは十じふ十じふじゅう郎らう郎らうろう藏くら藏くらくら人んど人んどんどののの國くに國くにくになりなりなりけりけりけり。。。そのそのその代だい代だいだい官くわん官くわんかんののの國こ國ここ府ふ府ふうにににありありありけるけるけるをををももも、、、やがてやがてやがておしおしおし寄よ寄よよせせせててて討う討ううつつってててけりけりけり。。。
  4. 4瀨せの瀨せのせの尾を尾をおののの太た太たた郎らう郎らうろう申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「兼かね兼かねかね康やす康やすやすこそこそこそ木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどのよりよりより暇いとま暇いとまいとま賜たま賜たまたまははわつつっててて、、、これこれこれまでまでまでまかりまかりまかり下くだ下くだくだつつったれたれたれ。。。平へい平へいへい家け家けけににに御おん御おんおん志こゝろざし志こゝろざしこころざし思おも思おもおもひひい參まゐ參まゐまいらせらせらせんんん人ひと人ひとひと々びと々びとびとははは、、、今こん今こんこん度ど度どど木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどのののの下くだ下くだくだりりり給たま給たまたまふふうににに、、、矢や矢やや一ひと一ひとひとつつつ射い射いいかけかけかけ奉たてまつ奉たてまつたてまつれれれややや。。。」」」ととと披ひ披ひひ露ろう露ろうろうしししたりたりたりけれけれければばば、、、備び備びび前ぜん前ぜんぜん、、、備びつ備びつびっ中ちう中ちうちゅう、、、備びん備びんびん後ご後ごご、、、三さん三さんさん箇か箇かか國こく國こくこくののの兵つはもの兵つはものつわものどもどもども、、、然しか然しかしかかるかるかるべきべきべき馬むま馬むまうま、、、物もの物ものもの具のぐ具のぐのぐ、、、所しよ所しよしょ從じゆう從じゆうじゅうなどなどなどをををばばば平へい平へいへい家け家けけののの御み御みみ方かた方かたかたへへへ參まゐ參まゐまいらせらせらせててて、、、休やす休やすやすみみみゐゐいたりたりたりけるけるける老らう老らうろう者しや者しやしゃどもどもども、、、瀨せの瀨せのせの尾を尾をおににに催もよほ催もよほもよおささされれれててて、、、或あるい或あるいあるいははは柿かき柿かきかきののの直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれにににつめつめつめ紐ひも紐ひもひもししし、、、或あるい或あるいあるいははは布ぬの布ぬのぬのののの小こ小ここ袖そで袖そでそでににに東あづま東あづまあずま折をり折をりおりししし、、、破やぶ破やぶやぶれれれ腹はら腹はらはら巻まき巻まきまき綴つゞ綴つゞつづりりり著き著きき、、、山やま山やまやま靱うつぼ靱うつぼうつぼ、、、竹たけ竹たけたけ箙えびら箙えびらえびらににに矢や矢やや少せう少せうしょう々せう々せうしょうさしさしさし、、、かきかきかき負お負おおひ〳〵ひ〳〵いかきおい、、、都つ都つつ合がふ合がふごうそのそのその勢せい勢せいせい二に二にに千せん千せんせん餘よ餘よよ人にん人にんにん、、、瀨せの瀨せのせの尾を尾をおががが館たち館たちたちへへへ馳は馳ははせせせ集あつ集あつあつまるまるまる。。。備び備びび前ぜん前ぜんぜんののの國くに國くにくに福ふく福ふくふく隆りう隆りうりゅう寺じ寺じじ繩なは繩なはなわ手て手てて、、、笹さゝ笹さゝささのののせまりせまりせまりををを城じやう城じやうじょう郭くわく郭くわくかくににに構かま構かまかまへへえててて口くち口くちくち二に二にに丈ぢやう丈ぢやうじょう、、、深ふか深ふかふかさささ二に二にに丈ぢやう丈ぢやうじょうににに堀ほり堀ほりほりををを掘ほ掘ほほりりり、、、搔かい搔かいかい楯だて楯だてだてかきかきかき、、、高たか高たかたか櫓やぐら櫓やぐらやぐらししし、、、逆さか逆さかさか木もぎ木もぎもぎ引ひ引ひひきききててて待ま待ままちちちかけかけかけたりたりたり。。。
  5. 5十じふ十じふじゅう郎らう郎らうろう藏くら藏くらくら人んど人んどんどののの代だい代だいだい官くわん官くわんかん、、、瀨せの瀨せのせの尾を尾をおににに討う討ううたたたれれれててて、、、そのそのその下げ下げげ人にん人にんにんののの逃に逃ににげげげててて京きやう京きやうきょうへへへ上のぼ上のぼのぼるるるががが、、、播はり播はりはり磨ま磨ままととと備び備びび前ぜん前ぜんぜんののの境さかひ境さかひさかいなるなるなる船ふな船ふなふな坂さか坂さかさか山やま山やまやまにてにてにて、、、木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどのににに行ゆ行ゆゆきききあひあひあい奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、このこのこの由よし由よしよしかくかくかくととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどの、、、「「「にくからにくからにくからんんん瀨せの瀨せのせの尾を尾をおめめめををを斬き斬ききつつっててて捨す捨すすつつつべかりべかりべかりつるつるつるものものものををを、、、手て手てて延のび延のびのびにににしてしてしてたばからたばからたばかられれれぬるぬるぬる事こと事ことことこそこそこそやすからやすからやすからねねね。。。」」」ととと後こう後こうこう悔くわい悔くわいかいせせせられられられけれけれければばば、、、今いま今いまいま井ゐ井ゐいののの四し四しし郎らう郎らうろうががが申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「きやつきやつきゃつががが面つら面つらつら魂だましひ魂だましひだましい、、、たゞたゞただ者もの者ものものとととははは見み見みみえええ候さふら候さふらそうらははわずずず。。。千ち千ちち度たび度たびたび斬き斬ききらららんんんととと申まう申まうもうししし候さふら候さふらそうらひひいしししももも、、、こゝこゝここ候さふらふ候さふらふそうろうぞぞぞかしかしかし。。。さりさりさりながらながらながら何なに何なになに程ほど程ほどほどののの事こと事ことことかかか候さふらふ候さふらふそうろうべきべきべき。。。兼かね兼かねかね平ひら平ひらひらまづまづまずまかりまかりまかり向むか向むかむかつつっててて見み見みみ候さふら候さふらそうらははわんんん。。。」」」とてとてとて、、、そのそのその勢せい勢せいせい三さん三さんさん千ぜん千ぜんぜん餘よ餘よよ騎き騎ききででで備び備びび前ぜん前ぜんぜんののの國くに國くにくにへへへ馳は馳ははせせせ下くだ下くだくだるるる。。。
  6. 6備び備びび前ぜん前ぜんぜんののの國くに國くにくに福ふく福ふくふく隆りう隆りうりゅう寺じ寺じじ繩なは繩なはなわ手て手ててははは、、、はたばりはたばりはたばり弓ゆん弓ゆんゆん杖づゑ杖づゑづえ一ひと一ひとひと杖つゑ杖つゑつえばかりばかりばかりにてにてにて、、、遠とほ遠とほとおさささははは西さい西さいさい國こく國こくこく道みち道みちみちののの一いち一いちいち里り里りりなりなりなり。。。左さ左ささ右いう右いうゆうははは深ふか深ふかふか田た田たたにてにてにて馬むま馬むまうまののの足あし足あしあしももも及およ及およおよばばばねねねばばば、、、三さん三さんさん千ぜん千ぜんぜん餘よ餘よよ騎き騎ききががが心こゝろ心こゝろこころははは前まへ前まへまえににに進すゝ進すゝすすめめめどもどもども、、、力ちから力ちからちから及およ及およおよばばばずずず、、、馬むま馬むまうま次し次しし第だい第だいだいにににぞぞぞ歩あゆ歩あゆあゆままませせせけるけるける。。。今いま今いまいま井ゐ井ゐいののの四し四しし郎らう郎らうろう押おし押おしおし寄よ寄よよせせせててて見み見みみけれけれければばば、、、瀨せの瀨せのせの尾を尾をおののの太た太たた郎らう郎らうろうははは急いそ急いそいそぎぎぎ高たか高たかたか櫓やぐら櫓やぐらやぐらににに走はし走はしはしりりり上あが上あがあがりりり、、、大だい大だいだい音おん音おんおん聲じやう聲じやうじょうをををあげあげあげててて、、、「「「去い去いいんんんぬるぬるぬる五ご五ごご月ぐわつ月ぐわつがつよりよりより、、、かひかひかいなきなきなき命いのち命いのちいのちををを助たす助たすたすけけけられられられ參まゐ參まゐまいらせらせらせててて候さふらふ候さふらふそうろう、、、各おの〳〵各おの〳〵おのおのののの芳はう芳はうほう志し志ししにににははは、、、これこれこれをををこそこそこそ用よう用ようよう意い意いい仕つかまつ仕つかまつつかまつつつっててて候さふら候さふらそうらへへえ。。。」」」とてとてとて、、、二に二にに十じふ十じふじゅう四し四ししさいさいさいたるたるたる矢や矢ややををを、、、さしさしさしつめつめつめひきひきひきつめつめつめ、、、さん〴〵さん〴〵さんざんににに射い射いいるるる。。。今いま今いまいま井ゐ井ゐいののの四し四しし郎らう郎らうろう、、、宮みや宮みやみや崎ざき崎ざきざき三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう、、、海うん海うんうん野の野のの、、、望もち望もちもち月づき月づきづき、、、諏す諏すす訪は訪はわ、、、藤ふぢ藤ふぢふじ澤さは澤さはさわなどなどなどいふいふいう一いち一いちいち人にん人にんにん當たう當たうとう千ぜん千ぜんぜんののの兵つはもの兵つはものつわものどもどもども、、、これこれこれををを事こと事ことことととともももせせせずずず、、、兜かぶと兜かぶとかぶとののの錏しころ錏しころしころををを傾かたぶ傾かたぶかたぶけけけ、、、射い射いい殺ころ殺ころころさささるゝるゝるる人にん人にんにん馬ば馬ばばをををばばば、、、取とり取とりとり入い入いいれれれ引ひき引ひきひき入い入いいれれれ、、、堀ほり堀ほりほりををを埋うづ埋うづうずめめめ、、、或あるい或あるいあるいははは左さ左さそ右う右ううののの深ふか深ふかふか田た田たたにににうちうちうち入い入いいれれれててて、、、馬むま馬むまうまののの草くさ草くさくさわきわきわき鞅むながい鞅むながいむながいつくしつくしつくし、、、太ふと太ふとふと腹はら腹はらはらににに立た立たたつつつ所ところ所ところところをををももも事こと事ことことととともももせせせずずず、、、簇むら簇むらむらめめめかいかいかいててておしおしおし寄よ寄よよせせせ、、、或あるい或あるいあるいははは谷たに谷たにたにふけふけふけをををももも嫌きら嫌きらきらははわずずず、、、驅か驅かかけけけ入い入いいり〳〵り〳〵りかけいり、、、をめきをめきおめき叫さけ叫さけさけんんんででで攻せ攻せせめめめ入い入いいりりりけれけれければばば、、、瀨せの瀨せのせの尾を尾をおががが方かた方かたかたののの兵つはもの兵つはものつわものどもどもども、、、助たす助たすたすかるかるかる者もの者ものものははは少すく少すくすくなくなくなく、、、討う討ううたたたるゝるゝるる者もの者ものものぞぞぞ多おほ多おほおおかりかりかりけるけるける。。。
  7. 7夜よ夜よよににに入い入いいつつっててて、、、瀨せの瀨せのせの尾を尾をおががが賴たの賴たのたのみみみきつきつきったるたるたる笹さゝ笹さゝささのののせまりせまりせまりののの城じやう城じやうじょう郭くわく郭くわくかくををを破やぶ破やぶやぶららられれれててて、、、叶かな叶かなかなははわじじじとととややや思おも思おもおもひひいけんけんけん、、、引ひき引ひきひき退しりぞ退しりぞしりぞくくく。。。備びつ備びつびっ中ちう中ちうちゅうののの國くに國くにくに板いた板いたいた倉くら倉くらくら川がは川がはがわののの端はた端はたはたににに、、、搔かい搔かいかい楯だて楯だてだてかいかいかいててて待ま待ままちちちかけかけかけたりたりたり。。。今いま今いまいま井ゐ井ゐい四し四しし郎らう郎らうろうやがてやがてやがてつゞいつゞいつづいててて攻せ攻せせめめめけれけれければばば、、、瀨せの瀨せのせの尾を尾をおががが方かた方かたかたののの兵つはもの兵つはものつわものどもどもども、、、山やま山やまやま靱うつぼ靱うつぼうつぼ、、、竹たけ竹たけたけ箙えびら箙えびらえびらににに矢や矢やや種だね種だねだねのののあるあるあるほどほどほどこそこそこそ防ふせ防ふせふせぎぎぎけれけれけれ、、、矢や矢やや種だね種だねだねみなみなみな盡つ盡つつきききけれけれければばば、、、力ちから力ちからちから及およ及およおよばばばずずず、、、われわれわれ先さき先さきさきにににとととぞぞぞ落お落おおちちち行ゆ行ゆゆきききけるけるける。。。瀨せの瀨せのせの尾を尾をおののの太た太たた郎らう郎らうろうたゞたゞただ主しゆ主しゆしゅ從じゆう從じゆうじゅう三さん三さんさん騎き騎ききにににうちうちうちなさなさなされれれ、、、板いた板いたいた倉くら倉くらくら川がは川がはがわののの端はた端はたはたににに著つ著つついいいててて、、、綠みどり綠みどりみどり山やま山やまやまののの方かた方かたかたへへへ落お落おおちちちぞぞぞゆくゆくゆく。。。
  8. 8去い去いいんんんぬるぬるぬる五ご五ごご月ぐわつ月ぐわつがつ、、、北ほつ北ほつほっ國こく國こくこくにてにてにて瀨せの瀨せのせの尾を尾をおををを生いけ生いけいけ捕どり捕どりどりにににしししたりたりたりけるけるける倉くら倉くらくら光みつ光みつみつののの次じ次じじ郎らう郎らうろう成なり成なりなり澄ずみ澄ずみずみははは、、、弟おとうと弟おとうとおとうとののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう成なり成なりなり氏うぢ氏うぢうじををを討う討ううたたたせせせててて、、、やすからやすからやすからずずずややや思おも思おもおもひひいけんけんけん、、、今こん今こんこん度ど度どどもももまたまたまた瀨せの瀨せのせの尾を尾をおめめめにににおいおいおいてててははは生いけ生いけいけ捕どり捕どりどりにににせせせんんんとてとてとて、、、たゞたゞただ一いつ一いついっ騎き騎きき羣ぐん羣ぐんぐんににに拔ぬ拔ぬぬけけけててて追お追おおつつっててて行ゆ行ゆゆくくく。。。あはひあはひあわい一いつ一いついっ町ちやう町ちやうちょうばかりばかりばかりににに追お追おおつつつつきつきっつき、、、「「「あれあれあれはははいかにいかにいかに瀨せの瀨せのせの尾を尾をおとととこそこそこそ見み見みみれれれ。。。まさなうまさなうまさのうももも敵かたき敵かたきかたきににに後うしろ後うしろうしろををを見み見みみするするするものものものかなかなかな。。。返かへ返かへかえせせせややや返かへ返かへかえせせせ。。。」」」ととと詞ことば詞ことばことばをををかけかけかけけれけれければばば、、、瀨せの瀨せのせの尾を尾をおののの太た太たた郎らう郎らうろうははは板いた板いたいた倉くら倉くらくら川がは川がはがわををを西にし西にしにしへへへ渡わた渡わたわたすすすががが、、、川かは川かはかわ中なか中なかなかににに控ひか控ひかひかへへえててて待ま待ままちちちかけかけかけたりたりたり。。。倉くら倉くらくら光みつ光みつみつののの次じ次じじ郎らう郎らうろう、、、鞭むち鞭むちむち鐙あぶみ鐙あぶみあぶみをををあはせあはせあわせててて追お追おおつつつつきつきっつき、、、おしおしおしならべならべならべてててむずむずむずととと組く組くくんんんででで、、、どうどうどうととと落お落おおつつつ。。。互たがひ互たがひたがいににに劣おと劣おとおとらららぬぬぬ大だい大だいだい力ぢから力ぢからぢからででではははありありあり、、、上うへ上うへうえににになりなりなり、、、下した下したしたににになりなりなり、、、轉ころ轉ころころびびびあひあひあいけるけるけるががが、、、河かは河かはかわ岸ぎし岸ぎしぎしににに淵ふち淵ふちふちのののありありありけるけるけるににに轉ころ轉ころころびびび入い入いいりりりぬぬぬ。。。倉くら倉くらくら光みつ光みつみつははは無ぶ無ぶぶ水すゐ水すゐすい練れん練れんれん、、、瀨せの瀨せのせの尾を尾をおははは屈くつ屈くつくっ竟きやう竟きやうきょうののの水すゐ水すゐすい練れん練れんれんにてにてにてありありありけれけれければばば、、、水みづ水みづみずののの底そこ底そこそこにてにてにて倉くら倉くらくら光みつ光みつみつががが腰こし腰こしこしののの刀かたな刀かたなかたなをををぬきぬきぬき、、、鎧よろひ鎧よろひよろいののの草くさ草くさくさ摺ずり摺ずりずり引ひき引ひきひき上あ上ああげげげててて、、、柄つか柄つかつかももも拳こぶし拳こぶしこぶしももも通とほ通とほとおれ〳〵れ〳〵れとおれととと、、、三み三みみ刀たち刀たちたちさいさいさいててて首くび首くびくびををを取と取ととるるる。。。
  9. 9瀨せの瀨せのせの尾を尾をおののの太た太たた郎らう郎らうろうわがわがわが馬むま馬むまうまをををばばば乘の乘ののりりり損そん損そんそんじじじたりたりたりけれけれければばば、、、倉くら倉くらくら光みつ光みつみつががが馬むま馬むまうまにににうちうちうち乘の乘ののつつっててて落お落おおちちちててて行ゆ行ゆゆくくく。。。嫡ちやく嫡ちやくちゃく子し子しし小こ小ここ太た太たた郎らう郎らうろう宗むね宗むねむね康やす康やすやすははは年とし年としとしははは二十はたち二十はたちはたちににになりなりなりけれけれけれどもどもども、、、あまりあまりあまりににに太ふと太ふとふとつつっててて、、、一いつ一いついっ町ちやう町ちやうちょうととともももえええ走はし走はしはしらららずずず、、、これこれこれををを見み見みみ捨す捨すすてててててて、、、瀨せの瀨せのせの尾を尾をおははは二に二にに十じふ十じふじゅう餘よ餘よよ町ちやう町ちやうちょうぞぞぞ延の延ののびびびたりたりたりけるけるける。。。瀨せの瀨せのせの尾を尾をおののの太た太たた郎らう郎らうろう郎らう郎らうろう黨だう黨だうどうにににいひいひいいけるけるけるははは、、、「「「日ひ日ひひ頃ごろ頃ごろごろははは千せん千せんせん萬まん萬まんまんののの敵かたき敵かたきかたきににに逢あ逢あおうううててて軍いくさ軍いくさいくさするするするにににははは、、、四し四しし方はう方はうほう晴は晴ははれれれててて覺おぼ覺おぼおぼゆるゆるゆるががが、、、今日けふ今日けふきょうははは小こ小ここ太た太たた郎らう郎らうろう宗むね宗むねむね康やす康やすやすををを棄す棄すすてててててて行ゆ行ゆゆけけけばばばにににやややあらあらあらんんん、、、一いつ一いついっ向かう向かうこう先さき先さきさきががが闇くら闇くらくろうううててて見み見みみえええぬぬぬなりなりなり。。。今こん今こんこん度ど度どどののの軍いくさ軍いくさいくさににに命いのち命いのちいのち生い生いいきききててて、、、二ふた二ふたふた度たび度たびたび平へい平へいへい家け家けけののの御み御みみ方かた方かたかたへへへ參まゐ參まゐまいりりりたりたりたりとととももも、、、兼かね兼かねかね康やす康やすやすははは六ろく六ろくろく十じふ十じふじゅうにににあまつあまつあまっててて、、、いくいくいくほどほどほど生い生いいかかかうううととと思おも思おもおもうううててて、、、たゞたゞただ一ひと一ひとひと人り人りりあるあるある子こ子ここををを棄す棄すすてててててて、、、これこれこれまでまでまで遁のが遁のがのがれれれ參まゐ參まゐまいりりりたるたるたるらんらんらんなどなどなど、、、同どう同どうどう隷れい隷れいれいどもどもどもにににいはいはいわれれれんんん事こと事ことことこそこそこそ口くち口くちくち惜を惜をおしけれしけれしけれ。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、郎らう郎らうろう黨だう黨だうどう、、、「「「さささ候さふら候さふらそうらへへえばばばこそこそこそ、、、たゞたゞただ御ご御ごご一いつ一いついっ所しよ所しよしょででで、、、いかにいかにいかにもももならならならせせせ給たま給たまたまへへえととと申まう申まうもうしししつるつるつるははは、、、こゝこゝここ候さふらふ候さふらふそうろうぞぞぞかしかしかし。。。返かへ返かへかえさささせせせたまへたまへたまえ。。。」」」とてとてとて、、、またまたまた取と取ととつつっててて返かへ返かへかえすすす。。。
  10. 10案あん案あんあんののの如ごと如ごとごとくくくににに小こ小ここ太た太たた郎らう郎らうろう宗むね宗むねむね康やす康やすやすははは、、、足あし足あしあしかんかんかんばかりばかりばかりににに腫は腫ははれれれててて、、、伏ふ伏ふふせせせりりりたるたるたる所ところ所ところところへへへ、、、瀨せの瀨せのせの尾を尾をおののの太た太たた郎らう郎らうろう取と取ととつつっててて返かへ返かへかへししし、、、急いそ急いそいそぎぎぎ馬むま馬むまうまよりよりより飛と飛ととんんんででで下お下おおりりり、、、小こ小ここ太た太たた郎らう郎らうろうががが手て手ててををを取と取ととつつっててて、、、「「「汝なんぢ汝なんぢなんじととと一いつ一いついっ所しよ所しよしょでででいかにいかにいかにもももならならならんんんととと思おも思おもおもふふう爲ため爲ためためににに、、、これこれこれまでまでまで歸かへ歸かへかえりりりたるたるたるはははいかにいかにいかに。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、小こ小ここ太た太たた郎らう郎らうろう涙なみだ涙なみだなみだをををはら〳〵はら〳〵はらはらととと流なが流ながながいいいててて、、、「「「たとひたとひたといこのこのこの身み身みみこそこそこそ不ぶ不ぶぶ器き器きき量りやう量りやうりょうににに候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、こゝこゝここにてにてにて自じ自じじ害がい害がいがいををを仕つかまつ仕つかまつつかまつりりり候さふらふ候さふらふそうろうとととももも、、、われわれわれ故ゆゑ故ゆゑゆえ御おん御おんおん命いのち命いのちいのちをををさへさへさへ失うしな失うしなうしなひひいまゐらせまゐらせまいらせんんん事こと事ことこと、、、五ご五ごご逆ぎやく逆ぎやくぎゃく罪ざい罪ざいざいにににややや候さふら候さふらそうらははわんんんずらんずらんずらん。。。たゞたゞただとう〳〵とう〳〵とうとう延の延ののびびびさせさせさせ給たま給たまたまへへえ。。。」」」ととといひいひいいけれけれけれどもどもども、、、思おも思おもおもひひい切き切ききつつってててんんん上うへ上うへうえはははとてとてとて、、、休やす休やすやすみみみゐゐいたりたりたりけるけるける所ところ所ところところににに、、、またまたまた新あら新あらあら手て手ててののの源げん源げんげん氏じ氏じじ五ご五ごご十じつ十じつじっ騎き騎きき許ばか許ばかばかりりりででで出い出いいででで來く來くくるるる。。。瀨せの瀨せのせの尾を尾をおののの太た太たた郎らう郎らうろう、、、射い射いい殘のこ殘のこのこしししたるたるたる八や八やや筋すぢ筋すぢすじののの矢や矢ややををを、、、さしさしさしつめつめつめ引ひ引ひひきききつめつめつめ、、、さん〴〵さん〴〵さんざんににに射い射いいるるる。。。生しやう生しやうしょう死じ死じじははは知し知ししらららずずず、、、矢や矢やや庭には庭にはにわににに敵かたき敵かたきかたき八はち八はちはち騎き騎きき射い射いい落おと落おとおとししし、、、そのそのその後のち後のちのち太た太たた刀ち刀ちちををを拔ぬ拔ぬぬいいいててて、、、まづまづまず小こ小ここ太た太たた郎らう郎らうろうががが首くび首くびくびふつふつふつととと打うち打うちうち落おと落おとおとししし、、、敵かたき敵かたきかたきののの中なか中なかなかへへへかけかけかけ入い入いいりりり、、、豎たて豎たてたてざまざまざま横よこ横よこよこざまざまざま、、、蜘く蜘くく蛛も蛛もも手で手でで、、、十じふ十じふじゅう文もん文もんもん字じ字じじににに驅か驅かかけけけまはりまはりまわり、、、さん〴〵さん〴〵さんざんににに戰たゝか戰たゝかたたかひひい、、、敵かたき敵かたきかたきあまたあまたあまた討う討ううちちち取と取ととつつっててて、、、そこそこそこにてにてにて討うち討うちうち死じに死じにじにしてしてしてけりけりけり。。。郎らう郎らうろう等どう等どうどうももも主しゆ主しゆしゅにににちつちつちっとととももも劣おと劣おとおとらららずずず戰たゝか戰たゝかたたかひひいけるけるけるががが、、、痛いた痛いたいた手で手でで負お負おおうううててて生いけ生いけいけ捕どり捕どりどりにににこそこそこそせせせられられられけれけれけれ。。。中なか中なかなか一いち一いちいち日にち日にちにちあつあつあってててやがてやがてやがて死し死ししににににににけりけりけり。。。かれかれかれららら主しゆ主しゆしゅ從じゆう從じゆうじゅう三さん三さんさん人にん人にんにんががが首くび首くびくびをををばばば、、、備びつ備びつびっ中ちう中ちうちゅうののの國くに國くにくに鷺さぎ鷺さぎさぎががが森もり森もりもりにににぞぞぞかけかけかけたりたりたりけるけるける。。。木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどの、、、「「「あはれあはれあわれ剛かう剛かうこうののの者もの者ものものややや、、、これこれこれらららががが命いのち命いのちいのちををを助たす助たすたすけけけててて見み見みみててて。。。」」」とととぞぞぞ宣のたま宣のたまのたまひひいけるけるける。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

木曾左馬頭はこのことを聞いて、けしからぬことだといって、その勢一万余騎で備中国へ馳せ下った。ここに平家の味方をしていた備中国の住人瀬尾太郎兼康は、名高い武士であったが、去る五月の北国の戦いのとき、運が尽きたのであろうか、加賀国の住人倉光次郎成澄の手にかかって生け捕りにされていた。そのときすぐに斬られるはずであったのを、木曾殿が、惜しい男をむざむざと斬るべきではないといって、成澄の弟の三郎成氏に預けておかれていた。人当たりも心ばえもまことに立派だったので、倉光もねんごろにもてなした。蘇子卿(蘇武)が胡国に捕らわれ、李少卿(李陵)が漢の朝廷へ帰らなかったようなものである。遠く異国に身を置くことも、昔の人が悲しんだところであるという。なめし革の小屋、毛織りの幕で風雨を防ぎ、なまぐさい肉や乳の汁で飢えと渇きを満たした。兼康も夜は寝ることなく、昼は一日中仕えて、木を切り草を刈らないばかりに従いながら、なんとかして敵の隙をうかがって討ち、もう一度旧主に会いたいと思い立っていた、その心の中こそ恐ろしい。

あるとき瀬尾太郎が倉光三郎に言うには、「去る五月から、取るに足らない命を助けられておりますので、あなたがたのほかに誰を主と思いましょうか。今度合戦がありましたら、命はまず木曾殿に差し上げましょう。それにつけましても、先年兼康が知行しておりました備中の瀬尾という所は、馬の飼い葉のよい所でございます。あなたから申し上げていただいてくださいませ。案内をいたしましょう」と言ったので、倉光三郎は木曾殿にこのことを申した。木曾殿は「それは感心なことを申すものだ。そういうことなら、本当におまえが先に下って、馬の飼い葉なども用意させよ」とおっしゃった。

倉光三郎はかしこまって承り、手勢三十騎ほどで瀬尾太郎を連れて、備中国へ馳せ下った。瀬尾の嫡子小太郎宗康は平家の味方をしていたが、父が木曾殿から暇をもらって下ってくると聞いて、長年の郎等たちを呼び集め、その勢百騎ほどで父を迎えに上っていったところ、播磨の国府で行き会った。そこから連れ立って下るうちに、備前国三石の宿に泊まった夜、瀬尾の知り合いの者たちが酒を持たせてやって来て集まり、夜通し酒盛りをしたが、倉光の勢三十騎ほどに無理に酒を勧めて酔いつぶし、起き上がらせもせずに、倉光三郎をはじめとして一人残らず刺し殺してしまった。備前国は十郎蔵人の知行国であった。その代官が国府にいたのも、すぐに押し寄せて討ってしまった。

瀬尾太郎が言いふらすには、「兼康は木曾殿から暇をもらって、ここまで下ってきたのだ。平家に心を寄せ申す人々は、今度木曾殿が下って来られるときに、矢を一本でも射かけ申せ」と触れ回ったので、備前・備中・備後三か国の武士たちのうち、しかるべき馬や武具や従者などは平家の味方に差し出して、家で休んでいた老人たちが、瀬尾に誘われて、柿色の直垂にくくり紐をしめた者もあり、布の小袖を東国風に短く折った者もあり、破れた腹巻をつづり合わせて着て、山靱や竹箙に矢を少しばかり差して背負い背負いして、合わせてその勢二千余人が瀬尾の館へ馳せ集まった。備前国の福隆寺縄手の、笹の生い茂った狭い所を城郭に構えて、口幅二丈、深さ二丈に堀を掘り、楯を並べ、高櫓を組み、逆茂木を引いて待ちかまえた。

十郎蔵人の代官が瀬尾に討たれて、その下人が逃げて京へ上る途中、播磨と備前の境の船坂山で木曾殿に行き会い、このことを申したので、木曾殿は「憎い瀬尾めを斬って捨てるべきだったのに、ぐずぐずしてだまされたのが腹立たしい」と後悔されたので、今井四郎が申すには、「あいつの面構えは、ただ者とは見えませんでした。何度も斬ろうと申しましたのも、そのためでございます。けれども何ほどのことがありましょう。兼平がまず向かってみましょう」といって、その勢三千余騎で備前国へ馳せ下った。

備前国の福隆寺縄手は、道幅が弓一張りほどしかなく、長さは西国道の一里ほどである。左右は深田で馬の足も立たないので、三千余騎の心は前へはやっても、どうにもならず、馬にまかせて歩ませた。今井四郎が押し寄せて見ると、瀬尾太郎は急いで高櫓に駆け上り、大音声をあげて、「去る五月から取るに足らない命を助けていただきましたが、おのおののご厚意には、これをこそ用意しております」といって、二十四本差した矢を次々とつがえて引きしぼり、さんざんに射た。今井四郎・宮崎三郎・海野・望月・諏訪・藤沢などという一騎当千の武士たちは、これをものともせず、兜の錏を傾けて、射殺される人や馬を取り入れ引き入れして堀を埋め、あるいは左右の深田に乗り入れて、馬の胸がいまで沈み、太腹まで浸かるのもものともせず、一団となって押し寄せ、谷間の湿地をも嫌わず駆け入り駆け入り、わめき叫んで攻め入ったので、瀬尾方の兵たちは、助かる者は少なく、討たれる者が多かった。

夜になって、瀬尾が頼みきっていた笹の狭間の城郭を破られて、もうかなわないと思ったのであろうか、引き退いた。備中国板倉川の岸に楯を並べて待ちかまえた。今井四郎がすぐに続いて攻めると、瀬尾方の兵たちは、山靱や竹箙に矢のある間は防いだが、矢がみな尽きてしまうと、力及ばず、われ先にと逃げて行った。瀬尾太郎はただ主従三騎にまで討ちへらされ、板倉川の岸に着いて、緑山の方へ落ちていった。

去る五月、北国で瀬尾を生け捕りにした倉光次郎成澄は、弟の三郎成氏を討たれて、腹立たしく思ったのであろうか、今度もまた瀬尾めは生け捕りにしようといって、ただ一騎群れを抜けて追っていった。一町ほどの間に追いつき、「そこにいるのは瀬尾と見たぞ。みっともなくも敵に後ろを見せるものよ。返せ返せ」と声をかけたので、瀬尾太郎は板倉川を西へ渡りかけたが、川の中で馬を止めて待ちかまえた。倉光次郎は鞭と鐙を合わせて追いつき、馬を並べてむんずと組んで、どうと落ちた。互いに劣らぬ大力ではあり、上になり下になり転がり合ううちに、川岸の淵に転がりこんだ。倉光は泳げず、瀬尾は屈強の泳ぎ手であったので、水の底で倉光の腰の刀を抜き、鎧の草摺を引き上げて、柄も拳も通れとばかりに三刀刺して首を取った。

瀬尾太郎は自分の馬を乗りつぶしていたので、倉光の馬に乗って落ちていった。嫡子の小太郎宗康は二十歳になっていたが、あまりに太っていて一町も走れず、これを見捨てて瀬尾は二十余町も逃げのびた。瀬尾太郎が郎党に言うには、「ふだんは千万の敵と向かい合って戦うときも、あたりが晴れ晴れと見えるのに、今日は小太郎宗康を捨てて行くからであろうか、まったく行く先が暗くて見えない。今度の戦いで命が助かって、また平家の味方に参ったとしても、兼康は六十を過ぎて、あとどれほど生きようと思って、ただ一人の子を捨ててここまで逃げてきたのかなどと、朋輩たちに言われるのは無念だ」と言ったので、郎党は「そうでございますからこそ、ただご一緒にどうなりともなさいませと申したのは、そのためでございます。お引き返しください」といって、また取って返した。

案の定、小太郎宗康は足がひどく腫れて伏していたところへ、瀬尾太郎が取って返し、急いで馬から飛び降りて小太郎の手を取り、「おまえと一緒にどうなりともなろうと思って、ここまで帰ってきたのはどうだ」と言うと、小太郎は涙をはらはらと流して、「たとえこの身が無能でございますので、ここで自害いたしましょうとも、私のために父上のお命まで失わせ申すことは、五逆罪にあたりましょう。どうか早く早く逃げのびてください」と言ったが、思い切った以上はといって、休んでいたところに、また新手の源氏が五十騎ほどで現れた。瀬尾太郎は射残した八本の矢を次々とつがえて引きしぼり、さんざんに射る。生死はわからないが、たちどころに敵八騎を射落とし、その後太刀を抜いて、まず小太郎の首をふっと打ち落とし、敵の中へ駆け入り、縦横、四方八方に駆けめぐり、さんざんに戦い、敵を大勢討ち取って、そこで討ち死にした。郎等も主人に少しも劣らず戦ったが、深手を負って生け捕りにされた。一日おいて、まもなく死んだ。彼ら主従三人の首は、備中国鷺が森にかけられた。木曾殿は「ああ、剛の者よ。これらの命を助けておきたかったものを」とおっしゃった。

意訳

敵に命を助けられながら、ひそかに旧主のもとへ戻る機会を待ち続けた老武者瀬尾兼康の最期を語る章段である。蘇武や李陵の故事を引いて語られる兼康の忍従と、倉光の兄弟を謀って討つ執念は、恩と忠のはざまに生きる武士の恐ろしさを示している。

一度は逃げのびながら、太って走れない息子を見捨てられずに引き返し、自らの手で子の首を打って敵中に駆け入る兼康の姿は、父子の情の深さを強く印象づける。敵の義仲までが「あはれ剛の者や」と惜しんだ結びには、敵味方を超えて武勇と情をたたえる語り手のまなざしがある。

語釈・文法注

文法

「蘇子卿が胡國に囚はれ、李少卿が漢朝へ歸らざりしが如し」
前漢の蘇武は匈奴に捕らわれて十九年節を守り、李陵は匈奴に降って漢に帰らなかった。
「韋の鞴、毳の幕」
「韋」はなめし革、「鞴」は革の囲い、「毳」は鳥獣の細い毛で織った布。胡地の暮らしをいう、漢詩文の句。
「誰を誰とか思ひまゐらせ候べき」
あなた方のほかに誰を主と思いましょうか。
「ござんなれ」
「にこそあるなれ」のつまった形。それならば、の意。
「東折し」
小袖の裾を東国風に短く折って着ること。
「はたばり弓杖一杖」
道幅が弓一張りの長さほどしかない。
「鞅つくし」
馬の胸にかける鞅の位置まで泥に沈むこと。
「谷ふけ」
谷間の湿地。
「無水練」
泳ぎができないこと。
「五逆罪」
父母を殺すなどの五つの重罪。父を自分のために死なせることをいう。
「思ひ切つてん上は」
覚悟を決めてしまった以上は。

解説

瀬尾太郎兼康は備中国瀬尾(岡山市)の武士で、平家の家人として知られた。寿永二年(1183)十月、義仲の西国下向を前に備前で兵を挙げ、福隆寺縄手(岡山市北区)に城を構えたが、今井兼平に攻められて討ち死にした。

兼康の最期は、能「瀬尾」の題材ともなった。「瀬尾最後」は、平家方の地方武士の忠義と親子の情を描いた章段として、とくに人々の心を打ってきた。

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出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、623–628頁(コマ340–343)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日