古典ライブラリー

平家物語 巻第八

太宰府落ちの事

平家は小松殿の家人であった緒方惟義を資盛に説かせたが、惟義は従わず、院の命により平家を九州から追い出すと申し送った。時忠は帝の正統を説いて惟義を責めたが、惟義は三万余騎で大宰府に迫り、平家は雨の中を裸足で箱崎の津へ逃れ、山賀の城、豊前の柳が浦へと漂う。重盛の三男清経は月夜に笛を吹き、念仏して入水した。平家は知盛の知行国長門から船を得て四国へ渡り、讃岐の屋島に仮の内裏を造らせ、波の上で心細い日々を送った。

  1. 1さるさるさる程ほど程ほどほどににに平へい平へいへい家け家けけははは筑つく筑つくつく紫し紫ししににに都みやこ都みやこみやこををを定さだ定さださだめめめ、、、内だい内だいだい裏り裏りり造つく造つくつくらららるるるべしべしべしととと、、、公く公くく卿ぎやう卿ぎやうぎょう僉せん僉せんせん議ぎ議ぎぎありありありしかしかしかどもどもども、、、惟これ惟これこれ義よし義よしよしががが謀む謀むむ叛ほん叛ほんほんににに依よ依よよつつってててそれそれそれもももかなはかなはかなわずずず。。。新しん新しんしん中ちう中ちうちゅう納な納なな言ごん言ごんごん知とも知ともとも盛もり盛もりもり卿きやう卿きやうきょうののの意い意いい見けん見けんけんににに申まう申まうもうささされれれけるけるけるははは、、、「「「かのかのかの緒を緒をお方がた方がたがたののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろうははは小こ小ここ松まつ松まつまつ殿どの殿どのどのののの御ご御ごご家け家けけ人にん人にんにんなりなりなり。。。然しか然しかしかれれればばば君きん君きんきん達だち達だちだち御ご御ごご一いつ一いついっ所しよ所しよしょ向むか向むかむかははわせせせたまひたまひたまいててて、、、こしらへこしらへこしらえててて御ご御ごご覽らん覽らんらんぜぜぜらるらるらるべうべうびょうもももややや候さふらふ候さふらふそうろうらんらんらん。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれけれけれければばば、、、このこのこの儀ぎ儀ぎぎ最もつと最もつともっとももも然しか然しかしかるるるべしべしべしとてとてとて、、、新しん新しんしん三さん三さんさん位み位みみののの中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょう資すけ資すけすけ盛もり盛もりもり、、、そのそのその勢せい勢せいせい五ご五ごご百ひやく百ひやくひゃく餘よ餘よよ騎き騎きき、、、豐ぶん豐ぶんぶん後ご後ごごののの國くに國くにくににににうちうちうち越こ越ここえええ、、、やう〳〵やう〳〵ようようにににこしらへこしらへこしらえ宣のたま宣のたまのたまへへえどもどもども、、、惟これ惟これこれ義よし義よしよし從したが從したがしたがひひい奉たてまつ奉たてまつたてまつらららずずず。。。あまつさへあまつさへあまつさえ、、、「「「君きん君きんきん達だち達だちだちをををもももこれこれこれにてにてにて取と取ととりりりこめこめこめ參まゐ參まゐまいらすらすらすべうべうびょう候さふら候さふらそうらへへえどもどもども、、、大だい大だいだい事じ事じじののの中なか中なかなかののの小せう小せうしょう事じ事じじなしなしなしとてとてとて、、、取と取ととりりりこめこめこめ參まゐ參まゐまいらせらせらせずずずばばば、、、何なに何なになに程ほど程ほどほどのののことことことかかか候さふらふ候さふらふそうろうべきべきべき。。。たゞたゞただ太だ太だだ宰ざい宰ざいざい府ふ府ふふへへへ歸かへ歸かへかえらららせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、御ご御ごご一いつ一いついっ所しよ所しよしょでででいかにいかにいかにもももならならならせせせ給たま給たまたまへへえ。。。」」」とてとてとて、、、おつおつおっ返かへ返かへかへししし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。
  2. 2そのそのその後のち後のちのち、、、惟これ惟これこれ義よし義よしよしががが次じ次じじ男なん男なんなん野の野のの尻じり尻じりじり次じ次じじ郎らう郎らうろう惟これ惟これこれ村むら村むらむらををを使し使しし者しや者しやしゃにてにてにて、、、太だ太だだ宰ざい宰ざいざい府ふ府ふふへへへ申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「平へい平へいへい家け家けけこそこそこそ重ぢゆう重ぢゆうじゅう恩おん恩おんおんののの君きみ君きみきみにてにてにてまし〳〵まし〳〵ましまし候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、兜かぶと兜かぶとかぶとをををぬぎぬぎぬぎ、、、弓ゆみ弓ゆみゆみののの弦つる弦つるつるをををはづいはづいはずいててて、、、降かう降かうこう人にん人にんにんににに參まゐ參まゐまいるるるべくべくべく候さふら候さふらそうらへへえどもどもども、、、一いち一いちいち院ゐん院ゐんいんののの仰おほ仰おほおおせせせにににははは、、、速すみや速すみやすみやかかかににに九く九くく國こく國こくこくののの中うち中うちうちををを追お追おおひひい出いだ出いだいだししし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるべきべきべき由よし由よしよし候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」ととと申まう申まうもうししし送おく送おくおくりりりたりたりたりけれけれければばば、、、平へい平へいへい大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん時とき時ときとき忠たゞ忠たゞただののの卿きやう卿きやうきょう緋ひ緋ひひ緒を緒をおくゝりくゝりくくりののの袴はかま袴はかまはかま、、、絲いと絲いといと葛くず葛くずくずののの直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれ、、、立たて立たてたて烏え烏ええ帽ぼ帽ぼぼ子し子ししにてにてにて、、、惟これ惟これこれ村むら村むらむらににに出い出いいででで向むか向むかむかひひいててて宣のたま宣のたまのたまひひいけるけるけるははは、、、「「「それそれそれわがわがわが君きみ君きみきみははは天てん天てんてん孫そん孫そんそん四し四しし十じふ十じふじゅう九く九くく世せい世せいせいののの正しやう正しやうしょう統とう統とうとう、、、神じん神じんじん武む武むむ天てん天てんてん皇わう皇わうおうよりよりより人にん人にんにん皇わう皇わうのう八はち八はちはち十じふ十じふじゅう一いち一いちいち代だい代だいだいににに當あた當あたあたらららせせせ給たま給たまたまふふう。。。さればさればされば天てん天てんてん照せう照せうしょう大だい大だいだい神じん神じんじん、、、正しやう正しやうしょう八はち八はちはち幡まん幡まんまん宮ぐう宮ぐうぐうももも、、、わがわがわが君きみ君きみきみをををこそこそこそ守まも守まもまもりりり參まゐ參まゐまいらららさせさせさせ給たま給たまたまふふうらめらめらめ。。。なかんづくなかんづくなかんずく當たう當たうとう家け家けけははは、、、保ほう保ほうほう元げん元げんげん、、、平へい平へいへい治ぢ治ぢじよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、度ど度どど々ど々どどののの逆げき逆げきげき亂らん亂らんらんををを鎭しづ鎭しづしずめめめててて、、、九きう九きうきゅう州しう州しうしゅうののの者もの者ものものどもどもどもをををばばば、、、みなみなみな内うち内うちうちざまざまざまへへへこそこそこそ召め召めめささされれれしかしかしか。。。然しか然しかしかるるるにににそのそのその恩おん恩おんおんををを忘わす忘わすわすれれれててて、、、東とう東とうとう國ごく國ごくごく、、、北ほつ北ほつほっ國こく國こくこくののの兇きよう兇きようきょう徒と徒とと等ら等らら、、、賴より賴よりより朝とも朝ともとも、、、義よし義よしよし仲なか仲なかなか等ら等ららににに語かた語かたかたらららはははれれれててて、、、しししおほせおほせおおせたらたらたらばばば國くに國くにくにををを預あづ預あづあずけけけんんん、、、莊しやう莊しやうしょうをををたばたばたばんんんととと申まう申まうもうすすすををを、、、まことまことまことととと思おも思おもおもひひいててて、、、そのそのその鼻はな鼻はなはな豐ぶん豐ぶんぶん後ご後ごごががが下げ下げげ知ぢ知ぢじににに從したが從したがしたがふふうらんらんらん事こと事ことことこそこそこそ然しか然しかしかるるるべからべからべからねねね。。。」」」とととぞぞぞ宣のたま宣のたまのたまひひいけるけるける。。。豐ぶん豐ぶんぶん後ご後ごごののの國こく國こくこく司し司しし刑ぎやう刑ぎやうぎょう部ぶ部ぶぶ卿きやう卿きやうきょう三さん三さんさん位み位みみ賴より賴よりより資すけ資すけすけ卿きやう卿きやうきょうははは極きは極きはきわめめめててて鼻はな鼻はなはなののの大おほ大おほおおきききなりなりなりけれけれければばば、、、かやうかやうかようにににははは宣のたま宣のたまのたまひひいけるけるけるなれなれなれ。。。
  3. 3惟これ惟これこれ村むら村むらむら歸かへ歸かへかえつつっててて、、、父ちゝ父ちゝちちにににこのこのこの由よし由よしよしををを告つ告つつげげげたりたりたりけれけれければばば、、、「「「こここはははいかにいかにいかに、、、昔むかし昔むかしむかしははは昔むかし昔むかしむかし、、、今いま今いまいまははは今いま今いまいま、、、そのそのその儀ぎ儀ぎぎならならならばばば九く九くく國こく國こくこくののの中うち中うちうちををを追お追おおひひい出いだ出いだいだししし奉たてまつ奉たてまつたてまつれれれややや。。。」」」とてとてとて、、、勢せい勢せいせい揃そろ揃そろそろふるふるうるととと聞きこ聞きこきこえええしかしかしかばばば、、、源げん源げんげん大たい大たいたい夫ふ夫ふふののの判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん季すゑ季すゑすえ貞さだ貞さださだ、、、攝つ攝つつ津の津ののののの判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん守もり守もりもり澄ずみ澄ずみずみ、、、「「「向きやう向きやうきょう後ご後ごご傍はう傍はうほう輩ばい輩ばいばいのののためためため奇き奇きき怪くわい怪くわいかいににに候さふらふ候さふらふそうろう。。。召めし召めしめし捕と捕ととりりり候さふら候さふらそうらははわんんん。。。」」」とてとてとて、、、そのそのその勢せい勢せいせい三さん三さんさん千ぜん千ぜんぜん餘よ餘よよ騎き騎ききででで筑ちく筑ちくちく後ご後ごごののの國くに國くにくににににうちうちうち越こ越ここえええ、、、高たか高たかたか野の野ののののの本ほん本ほんほん莊じやう莊じやうじょうににに發はつ發はつはっ向かう向かうこうしてしてして、、、一いち一いちいち日にち日にちにち一いち一いちいち夜や夜やや攻せ攻せせめめめ戰たゝか戰たゝかたたかふふう。。。されどもされどもされども惟これ惟これこれ義よし義よしよしががが方かた方かたかたののの勢せい勢せいせい、、、雲うん雲うんうん霞か霞かかののの如ごと如ごとごとくくくににに重かさ重かさかさなれなれなればばば、、、力ちから力ちからちから及およ及およおよばばばででで引ひき引ひきひき退しりぞ退しりぞしりぞくくく。。。
  4. 4平へい平へいへい家け家けけははは緒を緒をお方がた方がたがたののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう惟これ惟これこれ義よし義よしよしががが三さん三さんさん萬まん萬まんまん餘よ餘よよ騎き騎ききののの勢せい勢せいせいにてにてにて、、、既すで既すですでににに寄よ寄よよすすすととと聞きこ聞きこきこえええしかしかしかばばば、、、取と取ととるるる物もの物ものものももも取と取ととりりりあへあへあえずずず、、、太だ太だだ宰ざい宰ざいざい府ふ府ふふをををこそこそこそ落お落おおちちち給たま給たまたまへへえ。。。さしもさしもさしもたのもしかりたのもしかりたのもしかりつるつるつる天てん天てんてん滿まん滿まんまん天てん天てんてん神じん神じんじんののの注し注しし連め連めめのののあたりあたりあたりををを、、、心こゝろ心こゝろこころ細ぼそ細ぼそぼそくくくももも立た立たたちちちわかれわかれわかれ、、、駕が駕がが輿よ輿よよ丁ちやう丁ちやうちょうもももなけれなけれなければばば、、、葱そう葱そうそう花くわ花くわか鳳ほう鳳ほうほう輦れん輦れんれんはははたゞたゞただ名な名ななをををのみのみのみ聞きこ聞きこきこえええててて、、、主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょう腰えう腰えうよう輿よ輿よよににに召め召めめささされれれけりけりけり。。。國こく國こくこく母も母ももををを始はじ始はじはじめめめ參まゐ參まゐまいらせらせらせててて、、、やんごとなきやんごとなきやんごとなき女によう女にようにょう房ばう房ばうぼうたちたちたちははは袴はかま袴はかまはかまののの裾すそ裾すそすそををを高たか高たかたかくくく取と取ととりりり、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの以い以いい下げ下げげののの卿けい卿けいけい相しやう相しやうしょう雲うん雲うんうん客かく客かくかくははは指さし指さしさし貫ぬき貫ぬきぬきののの側そば側そばそばををを高たか高たかたかくくく挾はさ挾はさはさみみみ、、、徒かち徒かちかち跣はだ跣はだはだ足し足ししででで水みづ水みづみず城き城ききののの戸と戸ととををを出い出いいでででててて、、、わわわれれれ先さき先さきさきに〳〵に〳〵にわれさきにととと、、、箱はこ箱はこはこ崎ざき崎ざきざきののの津つ津つつへへへこそこそこそ落お落おおちちち給たま給たまたまへへえ。。。折をり折をりおりふしふしふし下くだ下くだくだるるる雨あめ雨あめあめ車しや車しやしゃ軸ぢく軸ぢくじくののの如ごと如ごとごとししし。。。吹ふ吹ふふくくく風かぜ風かぜかぜ砂いさご砂いさごいさごををを揚あ揚ああぐぐぐとととかやかやかや。。。落お落おおつるつるつる涙なみだ涙なみだなみだ、、、ふるふるふる雨あめ雨あめあめ、、、わきわきわきててていづれいづれいずれももも見み見みみえええざりざりざりけりけりけり。。。住すみ住すみすみ吉よし吉よしよし、、、箱はこ箱はこはこ崎ざき崎ざきざき、、、香か香かか椎しひ椎しひしい、、、宗むな宗むなむな像かた像かたかた伏ふ伏ふふししし拜をが拜をがおがみみみ、、、主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょうたゞたゞただ舊きう舊きうきゅう都と都ととののの還くわん還くわんかん幸かう幸かうこうとととのみのみのみぞぞぞ祈いの祈いのいのららられれれけるけるける。。。垂たる垂たるたる水み水みみ山やま山やまやま、、、鶉うづら鶉うづらうずら濱はま濱はまはまなどなどなどいふいふいうさかしきさかしきさかしき險けん險けんけん難なん難なんなんををを凌しの凌しのしのがががせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、渺べう渺べうびょう々べう々べうびょうたるたるたる平へい平へいへい砂さ砂ささへへへぞぞぞ赴おもむ赴おもむおもむかかかれれれけるけるける。。。いついついつならはしならはしならわしののの御おん御おんおん事こと事ことことなれなれなればばば、、、御おん御おんおん足あし足あしあしよりよりより出い出いいづるづるずる血ち血ちちははは砂いさご砂いさごいさごををを染そ染そそめめめ、、、紅くれなゐ紅くれなゐくれないののの袴はかま袴はかまはかまははは色いろ色いろいろをををましましまし、、、白しろ白しろしろききき袴はかま袴はかまはかまははは裾すそ裾すそすそ紅くれなゐ紅くれなゐくれないにににぞぞぞなりなりなりにににけるけるける。。。
  5. 5かのかのかの玄げん玄げんげん弉ざう弉ざうぞう三さん三さんさん藏ざう藏ざうぞうののの流りう流りうりゅう沙さ沙ささ葱そう葱そうそう嶺れい嶺れいれいををを凌しの凌しのしのがががれれれたりたりたりけんけんけん悲かな悲かなかなしみしみしみももも、、、これこれこれにににははは爭いか爭いかいかでででかかかまさるまさるまさるべきべきべき。。。それそれそれははは求ぐ求ぐぐ法ほふ法ほふほうのののためためためなれなれなればばば、、、自じ自じじ他た他たたののの利り利りり益やく益やくやくもももありありありけんけんけん、、、これこれこれははは鬪とう鬪とうとう戰せん戰せんせんののの道みち道みちみちなれなれなればばば、、、來らい來らいらい世せ世せせののの苦くる苦くるくるしみしみしみ、、、かつかつかつ思おも思おもおもふふうこそこそこそ悲かな悲かなかなしけれしけれしけれ。。。原はら原はらはら田だ田だだののの大たい大たいたい夫ふ夫ふふ種たね種たねたね直なほ直なほなおははは二に二にに千せん千せんせん餘よ餘よよ騎き騎ききででで、、、京きやう京きやうきょうよりよりより平へい平へいへい家け家けけののの御おん御おんおん供とも供ともともににに參まゐ參まゐまいるるる。。。山やま山やまやま賀が賀ががののの兵ひやう兵ひやうひょう藤どう藤どうどう次じ次じじ秀ひで秀ひでひで遠とほ遠とほとお數す數すす千せん千せんせん騎ぎ騎ぎぎででで、、、平へい平へいへい家け家けけののの御おん御おんおん迎むか迎むかむかへへえににに參まゐ參まゐまいりりりけるけるけるががが、、、種たね種たねたね直なほ直なほなお、、、秀ひで秀ひでひで遠とほ遠とほとお以もつ以もつもってててののの外ほか外ほかほかににに不ふ不ふふ和わ和わわなりなりなりけれけれければばば、、、種たね種たねたね直なほ直なほなおははは惡あ惡ああしかりしかりしかりなんなんなんとてとてとて、、、路みち路みちみちよりよりより引ひき引ひきひき返かへ返かへかえすすす。。。それそれそれよりよりより蘆あし蘆あしあし屋や屋ややののの津つ津つつととといふいふいう所ところ所ところところををを過す過すすぎぎぎさせさせさせたまふたまふたまうにににももも、、、これこれこれははは都みやこ都みやこみやこよりよりよりわれわれわれらららががが福ふく福ふくふく原はら原はらはらへへへ通かよ通かよかよひひいししし時とき時ときとき、、、朝あさ朝あさあさ夕ゆふ夕ゆふゆう見み見みみなれなれなれししし里さと里さとさとののの名な名なななれなれなればばばとてとてとて、、、いづれいづれいずれののの里さと里さとさとよりよりよりもももなつかしくなつかしくなつかしく、、、今いま今いまいま更さら更さらさらあはれあはれあわれをををぞぞぞ催もよほ催もよほもよおささされれれけるけるける。。。新しん新しんしん羅ら羅らら、、、百はく百はくはく濟さい濟さいさい、、、高かう高かうこう麗らい麗らいらい、、、契けい契けいけい丹たん丹たんたん、、、雲くも雲くもくものののはてはてはて、、、海うみ海うみうみのののはてはてはてまでまでまでももも、、、落お落おおちちち行ゆ行ゆゆかかかばやばやばやとととももも思おも思おもおもははわれれれけれけれけれどもどもども、、、波なみ波なみなみ風かぜ風かぜかぜ向むか向むかむこうううててて叶かな叶かなかなははわねねねばばば力ちから力ちからちから及およ及およおよばばばずずず、、、兵ひやう兵ひやうひょう藤どう藤どうどう次じ次じじ秀ひで秀ひでひで遠とほ遠とほとおににに具ぐ具ぐぐせせせられられられててて、、、山やま山やまやま賀が賀ががののの城じやう城じやうじょうにににぞぞぞ籠こも籠こもこもりりり給たま給たまたまふふう。。。
  6. 6山やま山やまやま賀が賀ががへへへもももまたまたまた敵かたき敵かたきかたき寄よ寄よよすすすととと聞きこ聞きこきこえええしかしかしかばばば、、、取と取ととるるる物もの物ものものももも取と取ととりりりあへあへあえずずず、、、平へい平へいへい家け家けけ小こ小ここ船ぶね船ぶねぶねどもどもどもににに取と取ととりりり乘の乘ののつつっててて、、、夜よ夜よよもすがらもすがらもすがら豐ぶ豐ぶぶ前ぜん前ぜんぜんののの國くに國くにくに柳やなぎ柳やなぎやなぎががが浦うら浦うらうらへへへぞぞぞ渡わた渡わたわたららられれれけるけるける。。。こゝこゝここににに都みやこ都みやこみやこををを定さだ定さださだめめめててて内だい内だいだい裏り裏りり造つく造つくつくらららるるるべしべしべしととと、、、公く公くく卿ぎやう卿ぎやうぎょう僉せん僉せんせん議ぎ議ぎぎありありありしかしかしかどもどもども、、、分ぶん分ぶんぶん限げん限げんげんなけれなけれなければばばそれそれそれもももかなはかなはかなわずずず。。。またまたまた長なが長ながなが門と門ととよりよりより源げん源げんげん氏じ氏じじ寄よ寄よよすすすととと聞きこ聞きこきこえええしかしかしかばばば、、、取と取ととるるる物もの物ものものももも取と取ととりりりあへあへあえずずず、、、あまあまあま小を小をお船ぶね船ぶねぶねににに召め召めめしししててて海うみ海うみうみにににぞぞぞ泛うか泛うかうかびびび給たま給たまたまひひいけるけるける。。。十かん十かんかん月なづき月なづきなづきのののころほひころほひころおい小こ小ここ松まつ松まつまつ殿どの殿どのどのののの三さん三さんさん男なん男なんなん左ひだり左ひだりひだりののの中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょう淸きよ淸きよきよ經つね經つねつねははは、、、何なに何なになに事ごと事ごとごとももも深ふか深ふかふこううう思おも思おもおもひひい入い入いいりりり給たま給たまたまへへえるるる人ひと人ひとひとにてにてにておはしおはしおわしけるけるけるががが、、、あるあるある月つき月つきつきののの夜よ夜よよ、、、船ふな船ふなふな端ばた端ばたばたににに立た立たたちちち出い出いいでででててて、、、横やう横やうよう笛でう笛でうじょう音ね音ねね取とり取とりとり、、、朗らう朗らうろう詠えい詠えいえいしてしてしてあそばあそばあそばれれれけるけるけるががが、、、「「「都みやこ都みやこみやこをををばばば源げん源げんげん氏じ氏じじののの爲ため爲ためためににに攻せ攻せせめめめ落おと落おとおとささされれれ、、、鎭ちん鎭ちんちん西ぜい西ぜいぜいをををばばば惟これ惟これこれ義よし義よしよしががが爲ため爲ためためににに追お追おおひひい出いだ出いだいだささされれれ、、、綱つな綱つなつなにににかゝれかゝれかかれるるる魚うを魚うをうおののの如ごと如ごとごとししし。。。いづちいづちいずちへへへ行ゆ行ゆゆかかかばばば遁のが遁のがのがるるるべきべきべきかはかはかは。。。ながらへながらへながらえはつはつはつべきべきべき身み身みみにににもももあらあらあらずずず。。。」」」とてとてとて、、、靜しづ靜しづしずかかかににに經きやう經きやうきょう讀よ讀よよみみみ念ねん念ねんねん佛ぶつ佛ぶつぶつしてしてして、、、海うみ海うみうみにににぞぞぞ沉しづ沉しづしずみみみ給たま給たまたまひひいけるけるける。。。男なん男なんなん女によ女によにょ泣な泣ななききき悲かな悲かなかなしめしめしめどもどもどもかひかひかいぞぞぞなきなきなき。。。
  7. 7長なが長ながなが門と門ととののの國くに國くにくにははは新しん新しんしん中ちう中ちうちゅう納な納なな言ごん言ごんごん知とも知ともとも盛もり盛もりもり卿きやう卿きやうきょうののの國くに國くにくになりなりなりけりけりけり。。。目もく目もくもく代だい代だいだいははは紀き紀きき伊い伊いいののの刑ぎやう刑ぎやうぎょう部ぶ部ぶぶののの大たい大たいたい夫ふ夫ふふ通みち通みちみち資すけ資すけすけととといふいふいう者もの者ものものなりなりなり。。。平へい平へいへい家け家けけあまあまあま小を小をお船ぶね船ぶねぶねににに召め召めめしししたるたるたる由よし由よしよし承うけたまは承うけたまはうけたまわつつっててて、、、大おほ大おほおお船ぶね船ぶねぶね百ひやく百ひやくひゃく餘よ餘よよ艘さう艘さうそう點てん點てんてんじじじててて參まゐ參まゐまいらせらせらせたりたりたりけれけれければばば、、、平へい平へいへい家け家けけこれこれこれににに乘の乘ののりりり移うつ移うつうつりりり、、、四し四しし國こく國こくこくへへへぞぞぞ渡わた渡わたわたららられれれけるけるける。。。阿あ阿ああ波は波はわののの民みん民みんみん部ぶ部ぶぶ重しげ重しげしげ能よし能よしよしががが沙さ沙ささ汰た汰たたとととしてしてして、、、讚さぬ讚さぬさぬ岐き岐ききののの國くに國くにくに八や八やや島しま島しましまののの磯いそ磯いそいそににに、、、かたかたかたのののやうやうようなるなるなる板いた板いたいた屋や屋ややののの内だい内だいだい裏り裏りりややや御ご御ごご所しよ所しよしょをををぞぞぞ造つく造つくつくらららせせせけるけるける。。。そのそのその程ほど程ほどほどはははあやしあやしあやしののの民みん民みんみん屋をく屋をくおくををを皇くわう皇くわうこう居きよ居きよきょとととするするするににに及およ及およおよばばばねねねばばば、、、船ふね船ふねふねををを御ご御ごご所しよ所しよしょとととぞぞぞ定さだ定さださだめめめけるけるける。。。
  8. 8大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの以い以いい下げ下げげののの卿けい卿けいけい相しやう相しやうしょう雲うん雲うんうん客かく客かくかくははは海あ海ああ士ま士ままののの苫とま苫とまとま屋や屋ややににに日ひ日ひひををを暮くら暮くらくらししし、、、船ふね船ふねふねののの中うち中うちうちにてにてにて夜よ夜よよをををあかすあかすあかす。。。龍りう龍りうりゅう頭とう頭とうとう鷁げき鷁げきげき首しゆ首しゆしゅををを海かい海かいかい中ちう中ちうちゅうににに泛うか泛うかうかべべべ、、、波なみ波なみなみののの上うへ上うへうえののの行かう行かうこう宮きう宮きうきゅうははは靜しづ靜しづしずかかかなるなるなる時とき時ときときなしなしなし。。。月つき月つきつきをををひたせひたせひたせるるる潮うしほ潮うしほうしおののの深ふか深ふかふかききき愁うれ愁うれうれへへえににに沉しづ沉しづしずみみみ、、、霜しも霜しもしもををを覆おほ覆おほおおへへえるるる蘆あし蘆あしあしののの葉は葉ははのののもろきもろきもろき命いのち命いのちいのちををを危あやぶ危あやぶあやぶむむむ。。。洲す洲すす崎さき崎さきさきににに噪さわ噪さわさわぐぐぐ千ち千ちち鳥どり鳥どりどりののの聲こゑ聲こゑこえははは、、、曉あかつき曉あかつきあかつきののの恨うら恨うらうらみみみをををましましまし、、、磯いそ磯いそいそ間ま間ままにににかゝるかゝるかかる楫かぢ楫かぢかじののの音おと音おとおとははは、、、夜よ夜よよ半は半ははににに心こゝろ心こゝろこころををを傷いた傷いたいたましむましむましむ。。。白はく白はくはく鷺ろ鷺ろろののの遠ゑん遠ゑんえん松しよう松しようしょうにににむれむれむれ居ゐ居ゐいるるるををを見み見みみてててははは、、、源げん源げんげん氏じ氏じじののの旗はた旗はたはたををを揚あ揚ああぐるぐるぐるかかかととと疑うたが疑うたがうたがははわるるる。。。野や野やや鴈がん鴈がんがんののの遼れう遼れうりょう海かい海かいかいににに鳴な鳴ななくくくををを聞き聞きききききてててははは、、、兵つはもの兵つはものつわものどもどもどもののの夜よ夜よよもすがらもすがらもすがら船ふね船ふねふねををを漕こ漕ここぐぐぐかかかととと驚おどろ驚おどろおどろかかかるるる。。。晴せい晴せいせい嵐らん嵐らんらん膚はだへ膚はだへはだえををを侵をか侵をかおかしししてててははは、、、翠すゐ翠すゐすい黛たい黛たいたい紅こう紅こうこう顏がん顏がんがんののの色いろ色いろいろやう〳〵やう〳〵ようよう衰おとろ衰おとろおとろへへえ、、、蒼さう蒼さうそう波は波はは眼まなこ眼まなこまなこををを穿うが穿うがうがちちちててて、、、外ぐわい外ぐわいがい土ど土どど望ばう望ばうぼう郷きやう郷きやうきょうののの涙なみだ涙なみだなみだおさへおさへおさえ難がた難がたがたししし。。。翠すゐ翠すゐすい帳ちやう帳ちやうちょう紅こう紅こうこう閨けい閨けいけいにににかはれかはれかわれるるるははは、、、埴はに埴はにはに生ふ生ふうののの小こ小ここ屋や屋ややののの葦あし葦あしあしすだれすだれすだれ、、、薰くん薰くんくん爐ろ爐ろろののの煙けぶり煙けぶりけぶりににに異こと異ことことなるなるなる、、、海あ海ああ士ま士ままののの藻も藻もも鹽しほ鹽しほしお火び火びびたくたくたく賤いや賤いやいやしきしきしきにににつけつけつけてててももも、、、女によう女にようにょう房ばう房ばうぼうたちたちたちははは盡つ盡つつきききせせせぬぬぬものものものおもひおもひおもいににに、、、紅くれなゐ紅くれなゐくれないののの涙なみだ涙なみだなみだせきせきせきあへあへあえ給たま給たまたまははわねねねばばば、、、綠みどり綠みどりみどりののの黛まゆずみ黛まゆずみまゆずみ亂みだ亂みだみだれれれつゝつゝつつ、、、そのそのその人ひと人ひとひととととももも見み見みみえええ給たま給たまたまははわずずず。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

そうしているうちに、平家は筑紫に都を定め、内裏を造ろうと公卿の会議があったが、惟義の謀反によってそれもかなわない。新中納言知盛卿が意見として申されるには、「あの緒方三郎は小松殿(重盛)の御家人です。それなら公達のお一人が向かわれて、なだめてごらんになるのがよいのではないでしょうか」と申されたので、それがもっともだということで、新三位中将資盛がその勢五百余騎で豊後国へ越え、いろいろとなだめてお話しになったが、惟義は従い申さない。そればかりか、「公達をもここでお捕らえ申すべきところですが、大事の前の小事だといって、お捕らえ申さなくても、何ほどのことがありましょう。ただ大宰府へお帰りになって、皆さまご一緒にどうなりともなさいませ」といって、追い返し申した。

その後、惟義は次男の野尻次郎惟村を使者にして、大宰府へ申したのは、「平家は重恩の君でいらっしゃいますので、兜を脱ぎ弓の弦をはずして降参に参るべきですが、一院(後白河法皇)の仰せには、速やかに九国の内から追い出し申せということでございます」と申し送ったので、平大納言時忠卿は、緋の緒でくくった袴に糸葛の直垂、立烏帽子の姿で惟村に出て向かっておっしゃるには、「そもそもわが君は天孫四十九世の正統、神武天皇から人皇八十一代に当たられる。だから天照大神も正八幡宮も、わが君をこそお守りになっているであろう。とりわけ当家は、保元・平治の乱以来、たびたびの逆乱を鎮めて、九州の者どもをみな朝廷の近くへ召されたではないか。それなのにその恩を忘れて、東国・北国の凶徒どもの頼朝・義仲らに語らわれ、うまくやりおおせたら国を預けよう、荘園を与えようと言うのを本当と思って、あの鼻豊後の命令に従うとは、けしからぬことだ」とおっしゃった。豊後の国司刑部卿三位頼資卿はとても鼻が大きかったので、このようにおっしゃったのである。

惟村が帰って父にこのことを告げると、「これはどうしたことだ。昔は昔、今は今だ。そういうことなら九国の内から追い出し申せ」といって軍勢をそろえていると聞こえたので、源大夫判官季貞と摂津判官守澄が、「今後の仲間のためにもけしからぬことです。召し捕りましょう」といって、その勢三千余騎で筑後国へ越え、高野の本荘に向かって一日一夜攻め戦った。けれども惟義の方の軍勢は雲霞のように重なっていたので、力及ばず引き退いた。

平家は、緒方三郎惟義が三万余騎の軍勢ですでに寄せてくると聞こえたので、取るものも取りあえず大宰府を落ちられた。あれほど頼もしく思っていた天満天神の注連縄のあたりを、心細くも立ち別れ、輿をかつぐ駕輿丁もいないので、葱花の鳳輦はただ名ばかりで、天皇は腰輿にお乗りになった。国母(建礼門院)をはじめとして、高貴な女房たちは袴の裾を高く取り、大臣殿以下の公卿・殿上人は指貫の側を高く挟み、裸足で水城の門を出て、われ先にと箱崎の津へ落ちて行かれた。折しも降る雨は車軸を流すようで、吹く風は砂を巻き上げるという。落ちる涙と降る雨とは、区別がつかなかった。住吉・箱崎・香椎・宗像の神々を伏し拝み、天皇はただ旧都への還幸だけを祈られた。垂水山・鶉浜などという険しい難所を越えられて、果てしない砂浜へと向かわれた。いつ慣れたことでもないので、御足から出る血は砂を染め、紅の袴はいっそう色を増し、白い袴は裾が紅になってしまった。

あの玄奘三蔵が流沙や葱嶺を越えられたという苦しみも、これにどうしてまさろうか。それは仏法を求めるためであったから、自分にも人にも利益があったろう。これは戦いの道であるから、来世の苦しみまでも思うと悲しい。原田大夫種直は二千余騎で、京から平家のお供をしていた。山賀の兵藤次秀遠が数千騎で平家のお迎えに参ったが、種直と秀遠はひどく仲が悪かったので、種直はまずいことになろうといって、途中から引き返した。そこから芦屋の津という所をお通りになるにつけても、ここは都から自分たちが福原へ通ったときに朝夕見慣れた里の名であるからといって、どの里よりもなつかしく、今さらながら哀れを催された。新羅・百済・高麗・契丹、雲の果て海の果てまでも落ちて行きたいと思われたが、波風が向かい風でかなわないので力及ばず、兵藤次秀遠に連れられて、山賀の城にこもられた。

山賀へもまた敵が寄せてくると聞こえたので、取るものも取りあえず、平家は小船に乗り移って、夜通し豊前国の柳が浦へ渡られた。ここに都を定めて内裏を造ろうと公卿の会議があったが、財力がないのでそれもかなわない。また長門から源氏が寄せてくると聞こえたので、取るものも取りあえず、漁師の小船に乗って海に浮かばれた。十月のころ、小松殿の三男の左中将清経は、何事も深く思いつめる人でいらしたが、ある月の夜、船端に立ち出て横笛を吹き、朗詠してお遊びになっていたが、「都は源氏のために攻め落とされ、九州は惟義のために追い出され、網にかかった魚のようだ。どこへ行けば逃れられようか。生きながらえることのできる身でもない」といって、静かに経を読み念仏して、海に沈まれた。男も女も泣き悲しんだが、どうにもならない。

長門国は新中納言知盛卿の知行国であった。目代は紀伊刑部大夫通資という者である。平家が漁師の小船に乗っておられると承って、大船百余艘を徴発して差し出したので、平家はこれに乗り移り、四国へ渡られた。阿波民部重能の取りはからいで、讃岐国の屋島の磯に、形ばかりの板屋の内裏や御所を造らせた。それまでは粗末な民家を皇居とするわけにもいかないので、船を御所と定めた。

大臣殿以下の公卿・殿上人は、漁師の苫屋で日を暮らし、船の中で夜を明かす。龍頭鷁首の船を海に浮かべ、波の上の行宮は静まる時がない。月を映す潮のような深い愁いに沈み、霜をかぶった芦の葉のようなもろい命を危ぶむ。洲崎で騒ぐ千鳥の声は明け方の恨みを増し、磯辺にかかる楫の音は夜半に心を痛ませる。白鷺が遠くの松に群がっているのを見ては、源氏が旗を揚げたのかと疑われ、雁が遠い海で鳴くのを聞いては、敵の兵が夜通し船を漕いでくるのかと驚かれる。晴れた日の山風が肌を刺しては、美しい女房たちの容色もしだいに衰え、青い波に目を凝らしては、遠い異郷で故郷をしのぶ涙がこらえきれない。翠の帳、紅の寝所に代わったのは、土の小屋の葦すだれ、香炉の煙とは異なる、漁師の藻塩を焼く賤しい火であるにつけても、女房たちは尽きることのない物思いに、紅の涙をこらえきれず、緑の眉墨も乱れて、もとの人とも見えなかった。

意訳

最後の頼みであった九州からも追われ、平家がさすらいの身となる章段である。帝の血統の正しさを説く時忠の言葉は、九州の武士にもはや通じない。雨の中を裸足で逃れる女房たちの姿は、かつての栄華との落差をあらわに示している。

清経の入水は、平家一門で最初に自ら命を絶った者として語られ、のちの能「清経」の題材ともなった。屋島の仮の内裏での暮らしを描く結びは、対句を重ねた美文で、都の華やかさとの対比のなかに一門の衰えを映し出している。

語釈・文法注

文法

「大事の中の小事なし」
大事を前にして小事にかかずらわない。公達を捕らえるような小事はしない、の意。
「緋緒くゝりの袴」
緋色の緒を裾にくくりつけた袴。
「その鼻豐後」
豊後の国司頼資の鼻が大きいので、あだ名で呼んだもの。
「葱花鳳輦」
葱花輦(屋根に葱の花の形の飾りのある輿)と鳳輦(鳳凰の飾りのある輿)。天皇の乗り物。
「水城」
大宰府の北西に築かれた土塁と堀の防衛施設。
「いつならはしの御事なれば」
いつ慣れたことでもないので。「いつ」は反語。
「横笛音取」
横笛で音取(曲の前に調子を整えるために吹く短い曲)を吹く。
「鷁首」
鷁(水鳥の名)の首を船首に飾った船。龍頭と対にして貴人の遊覧船をいう。

解説

寿永二年(1183)十月、平家は緒方惟義に攻められて大宰府を捨てた。その後、讃岐の屋島(香川県高松市)に拠点を移し、ここを本拠として勢力を盛り返していく。屋島は当時、陸から離れた島で、海上に拠る平家にとって守りやすい地であった。

平清経は重盛の三男で、豊前国柳が浦(福岡県北九州市門司区)で入水したと伝えられる。妻とのかかわりは巻第八には描かれないが、世阿弥の能「清経」では、形見の髪を返された妻のもとに清経の霊が現れ、入水の様子を語る。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、612–616頁(コマ335–337)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日