平家物語 巻第八
宇佐行幸の事
四の宮の即位を伝え聞いた平家は、宮たちを連れて来なかったことを悔やみ、時忠は、義仲が担ぐ北陸の還俗の宮が帝に立つだろうと言う。大宰府の平家は都も定められず、安徳天皇は大蔵種直の宿所を仮の内裏とした。宇佐八幡に行幸して七日籠もった暁、宗盛は神から「神も救わない」という歌の告げを受けて落胆する。九月十三夜の月にも、忠度・経盛・経正は都をしのぶ歌を詠んだ。
- 1平平へい家家けははは筑筑つく紫紫しにてにてにてこのこのこの由由よしををを傳傳つたへへえ聞聞きききき給給たまひひいててて、、、「「「あはれあはれあわれ、、、三三さんののの宮宮みやをををももも四四しののの宮宮みやをををももも、、、具具ぐししし奉奉たてまつりりりててて落落おちちち下下くだるるるべきべきべきものものものををを。。。」」」ととと申申もうししし合合あははわれれれけれけれければばば、、、平平へい大大だい納納な言言ごん時時とき忠忠ただののの卿卿きょう、、、「「「さらさらさらんんんにににははは高高たか倉倉くらののの宮宮みやののの御御おん子子こののの宮宮みやををを、、、御御おん傅傅めのと讃讃さぬ岐岐きののの守守かみ重重しげ秀秀ひでががが御御ご出出しゅっ家家けせせせさせさせさせ奉奉たてまつりりり、、、具具ぐししし奉奉たてまつつつっててて北北ほっ國國こくへへへ落落おちちち下下くだりりりたりたりたりしししををを、、、木木き曾曾そ義義よし仲仲なか上上しょう洛洛らくののの時時とき、、、主主しゅにににししし參參まいらせらせらせんんんとてとてとて還還げん俗俗ぞくせせせさせさせさせ奉奉たてまつりりり、、、具具ぐししし奉奉たてまつりりりててて都都みやこへへへ上上のぼつつったるたるたるをををぞぞぞ、、、位位くらいにににははは即即つけけけ參參まいらせらせらせんんんずらんずらんずらん。。。」」」ととと宣宣のたまへへえばばば、、、「「「人人ひと々々びと爭爭いかでででかかか、、、還還げん俗俗ぞくののの宮宮みやをををばばば位位くらいににに即即つけけけ奉奉たてまつるるるべきべきべき。。。」」」ととと申申もうささされれれけれけれければばば、、、時時とき忠忠ただののの卿卿きょう、、、「「「さもさもさもさうずさうずそうず、、、還還げん俗俗ぞくののの國國こか王王うののの例例ためし、、、異異い國國こくにににはははそのそのその例例れいもももやややあるあるあるらんらんらん。。。わがわがわが朝朝ちょうにににははは、、、まづまづまず天天てん武武む天天てん皇皇おう、、、いまだいまだいまだ東東とう宮宮ぐうののの御御おん時時とき、、、大大おお友友ともの皇皇おう子子じににに襲襲おそははわれれれさせさせさせ給給たまひひいててて、、、鬢鬢びん髪髪ぱつををを剃剃そりりり、、、吉吉よし野野のののの奧奧おくへへへ逃逃にげげげ籠籠こもらららせせせ給給たまひひいたりたりたりしししががが、、、大大おお友友ともの皇皇おう子子じををを亡亡ほろぼしぼしぼしててて、、、遂遂ついににに位位くらいににに即即つかかかせせせ給給たまひひいききき。。。またまたまた孝孝こう謙謙けん天天てん皇皇おうととと申申もうせせせしししももも、、、大大だい菩菩ぼ提提だい心心しんををを起起おこさささせせせ給給たまひひいててて、、、御御おん飾飾かざりをををおろしおろしおろし、、、御御おん名名なををを法法ほう基基き尼尼にととと申申もうせせせしかしかしかどもどもども、、、二二ふた度度たび位位くらいににに即即つかかかせせせ給給たまひひいててて、、、稱稱しょう德德とく天天てん皇皇おうととと申申もうししししししぞぞぞかしかしかし。。。況況いわんんんややや木木き曾曾そががが主主しゅにににししし參參まいらせらせらせたるたるたる還還げん俗俗ぞくののの宮宮みやなれなれなればばば、、、仔仔し細細さいににに及及およぶぶぶべきべきべき。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。
- 2同同おなじきじきじき九九く月月がつ三三みっ日日かののの日日ひ、、、伊伊い勢勢せへへへ公公く卿卿ぎょうののの敕敕ちょく使使しををを立立たてててらるらるらる。。。敕敕ちょく使使しははは參參さん議議ぎ長長なが教教のりとととぞぞぞ聞聞きこえええししし。。。太太だい上上じょう法法ほう皇皇おう伊伊い勢勢せへへへ公公く卿卿ぎょうののの敕敕ちょく使使しををを立立たてててらるゝらるゝらるることことことははは、、、朱朱しゅ雀雀じゃく、、、白白しら河河かわ、、、鳥鳥と羽羽ば三三さん代代だいののの蹤蹤しょう跡跡せきありありありとととははは申申もうせせせどもどもども、、、これこれこれはははみなみなみな御御ご出出しゅっ家家け以以い前前ぜんなりなりなり。。。御御ご出出しゅっ家家け以以い後後ごののの例例れい、、、これこれこれ始始はじめめめとととぞぞぞ承承うけたまはるはるわる。。。
- 3平平へい家家けははは筑筑つく紫紫しににに都都みやこををを定定さだめめめ、、、内内だい裏裏り造造つくらららるるるべしべしべしととと、、、公公く卿卿ぎょう僉僉せん議議ぎありありありしかしかしかどもどもども、、、都都みやこもももいまだいまだいまだ定定さだまらまらまらずずず。。。主主しゅ上上しょうはははそのそのその頃頃ころ、、、岩岩いわ戸戸とののの諸諸しょ卿卿きょう大大おお藏藏くらののの種種たね直直なおががが宿宿しゅく所所しょにににぞぞぞまし〳〵まし〳〵ましましけるけるける。。。人人ひと々々びとののの家家いえ々々いえははは野野の中中なか、、、田田た中中なかなりなりなりけれけれければばば、、、麻麻あさののの衣衣ころもはははうたうたうたねねねどもどもども、、、十十と市市おちののの里里さとととともももいひいひいいつつつべしべしべし。。。内内だい裏裏りははは山山やまののの中中なかなれなれなればばば、、、かのかのかの木木きののの丸丸まる殿殿どのもももかくかくかくやややありありありけんけんけんととと、、、なか〳〵なか〳〵なかなか優優ゆうなるなるなる方方かたもももありありありけりけりけり。。。まづまづまず宇宇う佐佐さののの宮宮みやへへへ行行ぎょう幸幸こうなるなるなる。。。大大だい宮宮ぐう司司じ公公きん通通みちががが宿宿しゅく所所しょ皇皇こう居居きょににになるなるなる。。。社社しゃ頭頭とうははは月月げつ卿卿けい雲雲うん客客かくののの居居きょ所所しょににになるなるなる。。。廻廻かい廊廊ろうははは五五ご位位い、、、六六ろく位位いののの官官かん人人にん、、、庭庭てい上上しょうにににははは四四し國國こく、、、鎭鎭ちん西西ぜいののの兵兵つわものどもどもども甲甲かっ冑冑ちゅう弓弓きゅう箭箭せんををを帶帶たいしししててて、、、雲雲うん霞霞かののの如如ごとくくくなみなみなみゐゐいたりたりたり。。。ふりふりふりにににししし朱朱あけののの玉玉たま垣垣がき、、、復復ふたたびびび飾飾かざるるるとととぞぞぞ見見みえええししし。。。七七しち日日にち參參さん籠籠ろうののの曉曉あかつき、、、大臣殿大臣殿おおいどのののの御御おん爲爲ためににに夢夢む想想そうののの告告つげげげぞぞぞありありありけるけるける。。。御御ご寶寶ほう殿殿でんののの御御み戸戸とおしおしおし開開ひらききき、、、ゆゝしうゆゝしうゆゆしゅうけだかげけだかげけだかげなるなるなる御御おん聲聲こえにてにてにて、、、
- 4世世よののの中中なかのののうさうさうさにににははは神神かみもももなきなきなきものものものをををなになになに祈祈いのるるるらむらむらん心心こころづくしづくしづくしににに
- 5大臣殿大臣殿おおいどのうちうちうち驚驚おどろききき、、、胸胸むねうちうちうち騒騒さわぎぎぎ、、、あさましさあさましさあさましさににに、、、
- 6さりさりさりともともともととと思思おもふふう心心こころももも蟲蟲むしののの音音ねもももよわりよわりよわりはてはてはてぬるぬるぬる秋秋あきののの暮暮くれかなかなかな
- 7ととといふいふいう古古ふる歌歌うたををを、、、心心こころ細細ぼそげげげにににぞぞぞ口口くちずさみずさみずさみ給給たまひひいけるけるける。。。さてさてさて太太だ宰宰ざい府府ふへへへ還還かん幸幸こうなるなるなる。。。
- 8さるさるさる程程ほどににに九九く月月がつももも十十とお日日かあまりあまりあまりににになりなりなりぬぬぬ。。。荻荻おぎののの葉葉は向向むけののの夕夕ゆう嵐嵐あらし、、、ひとりひとりひとりまるまるまるねねねののの床床とこののの上上うえ、、、片片かた敷敷しくくく袖袖そでをををしぼりしぼりしぼりつゝつゝつつ、、、更更ふけけけゆくゆくゆく秋秋あきのののあはれさあはれさあわれさははは、、、いづくいづくいずくもももとととはははいひいひいいながらながらながら、、、旅旅たびののの空空そらこそこそこそ忍忍しのびびびがたけれがたけれがたけれ。。。九九く月月がつ十十じゅう三三さん夜夜やははは名名なををを得得えたるたるたる月月つきなれなれなれどもどもども、、、そのそのその夜夜よははは都都みやこををを思思おもひひいいづるいづるいずる涙涙なみだににに、、、われわれわれからからから曇曇くもりりりてててさやかさやかさやかならならならずずず。。。九九きゅう重重ちょうののの雲雲くもののの上上うえ、、、久久ひさ方方かたののの月月つきににに思思おもひひいをををのべのべのべししし夕夕ゆうべももも、、、今今いまのののやうやうようににに覺覺おぼえええててて、、、薩薩さっ摩摩まののの守守かみ忠忠ただ度度のり、、、
- 9月月つきををを見見みししし去去こ年年ぞのののこよひこよひこよいののの友友とものみのみのみややや都都みやこにににわれわれわれををを思思おもひひい出出いづづずらむらむらん
- 10修修しゅ理理りののの大大だい夫夫ぶ經經つね盛盛もり、、、
- 11戀戀こいしししとととよよよこぞこぞこぞににに今今こ宵宵よいののの夜夜よもすがらもすがらもすがらちぎりちぎりちぎりししし人人ひとのののおもひおもひおもい出出でられられられててて
- 12皇皇こう后后ごう宮宮ぐうののの亮亮すけ經經つね正正まさ、、、
- 13わけわけわけててて來來こししし野野のべべべののの露露つゆとととももも消消きえええずずずしてしてしておもはおもはおもわぬぬぬ里里さとののの月月つきををを見見みるるるかなかなかな
現代語訳
平家は筑紫でこのことを伝え聞かれて、「ああ、三の宮も四の宮もお連れして落ちてくるべきであった」と言い合われたので、平大納言時忠卿が、「それなら高倉宮(以仁王)の御子の宮を、御傅の讃岐守重秀が出家させ申して、お連れして北国へ落ちていったのを、木曾義仲が上洛のとき、主君にしようといって還俗させ申し、お連れして都へ上ったのを、位におつけするのであろう」とおっしゃると、人々が「どうして還俗の宮を位におつけできましょうか」と申されたので、時忠卿は、「そうとも限らない。還俗した国王の例は、異国にもあるであろう。わが国では、まず天武天皇が、まだ東宮であられたとき、大友皇子に襲われなさって、鬢髪を剃って吉野の奥へ逃げこもられたが、大友皇子を滅ぼして、ついに位におつきになった。また孝謙天皇と申した方も、大菩提心を起こされて髪をおろし、御名を法基尼と申したけれども、二度位におつきになって称徳天皇と申したではないか。まして木曾が主君とした還俗の宮であるからには、何の差しさわりがあろうか」とおっしゃった。
同年九月三日、伊勢へ公卿の勅使を立てられた。勅使は参議長教と聞こえた。太上法皇が伊勢へ公卿の勅使を立てられることは、朱雀・白河・鳥羽の三代に先例があるとは申すが、これはみなご出家以前のことである。ご出家以後の例はこれが初めてと承る。
平家は筑紫に都を定め、内裏を造ろうと公卿の会議があったが、都もまだ定まらない。天皇はそのころ、岩戸の少卿大蔵種直の宿所におられた。人々の家々は野の中、田の中にあったので、麻の衣を打つ音はしないけれども、十市の里ともいえそうである。内裏は山の中にあるので、あの木の丸殿もこのようであったろうかと、かえって風雅な趣もあった。まず宇佐八幡宮へ行幸される。大宮司公通の宿所が皇居となる。社殿は公卿・殿上人の居所となる。回廊には五位・六位の官人が、庭上には四国・九州の兵たちが甲冑を着け弓矢を帯びて、雲霞のように並んでいた。古びた朱の玉垣も、ふたたび飾られたように見えた。七日の参籠の明け方、大臣殿(宗盛)のために夢のお告げがあった。御宝殿の御扉を押し開いて、おごそかで気高いお声で、
(世の中のつらさには、神も救いようがないのに、何を祈るのであろうか、心を尽くして。筑紫まで来て)
大臣殿は目を覚まして、胸騒ぎがし、あまりのことに、
(それでもと頼みにする心も、虫の音も、すっかり弱り果ててしまった秋の暮れであることよ)
という古歌を、心細そうに口ずさまれた。そうして大宰府へお帰りになった。
そうするうちに九月も十日あまりになった。荻の葉を吹きなびかせる夕べの嵐、独り寝の床の上で、片袖を敷いて寝る袖の涙をしぼりながら、更けていく秋のあわれさは、どこでも同じとはいいながら、旅の空はことに耐えがたい。九月十三夜は名高い月であるが、その夜は都を思い出す涙に、自分から曇ってはっきりと見えない。宮中で、月に思いを述べた夕べのことも、今のことのように思われて、薩摩守忠度は、
(月を見た去年の今夜の友だけが、都で私のことを思い出していることだろうか)
修理大夫経盛は、
(恋しいことよ。去年の今夜、夜通し月見の約束を交わした人が思い出されて)
皇后宮亮経正は、
(分け入ってきた野辺の露とともに消えることもなく、思いもしなかった里で月を見ることよ)
意訳
都で新帝が立ったことを知った平家の動揺と、九州での落ちつかない日々を描く。時忠が北陸宮の擁立を予想したのは、義仲の思惑を言い当てたものだが、実際には法皇が四の宮を選んだ。
宇佐八幡の神託「世の中のうさには神もなきものを」は、「宇佐」と「憂さ」、「心づくし」と「筑紫」を掛け、神にさえ見放された平家の運命を告げる。宗盛が力なく口ずさんだ古歌と、十三夜の月を見上げる公達たちの歌が、都を離れた者の寂しさを秋の情景のなかに重ねている。
語釈・文法注
文法
- 「高倉の宮の御子の宮」
- 以仁王の遺児。北陸宮と呼ばれ、義仲に擁立された。
- 「さもさうず」
- 「さもさうらはず」のつまった形。そうとも限らない。
- 「岩戸の諸卿」
- 底本は「諸卿」と刷る。前の章段と同じく少卿(大宰少弐)の意。
- 「十市の里」
- 大和国の地名。「とをち」に「遠方」を掛けて、都から遠い田舎の意を表す歌語。
- 「木の丸殿」
- 斉明天皇が筑前の朝倉に営んだ、丸木造りの仮の宮。
- 「荻の葉向の夕嵐」
- 荻の葉をなびかせて吹く夕べの風。
- 「われから曇りて」
- 月が曇るのではなく、自分の涙で曇って見える。
和歌
世の中のうさには神もなきものをなに祈るらむ心づくしに
- 詠者
- 宇佐八幡の神託
- 状況
- 平家が宇佐八幡に七日参籠した暁、宗盛の夢に、宝殿の扉が開いて聞こえた歌。
修辞
- うさ
- 「憂さ」に「宇佐」を掛ける。
- 心づくし
- 「心尽くし」に「筑紫」を掛ける。
さりともと思ふ心も蟲の音もよわりはてぬる秋の暮かな
- 詠者
- 平宗盛(古歌を口ずさむ)
- 状況
- 神託に落胆した宗盛が、心細げに口ずさんだ古歌。『千載和歌集』に藤原俊成の歌として載る。
月を見し去年のこよひの友のみや都にわれを思ひ出づらむ
- 詠者
- 平忠度
- 状況
- 大宰府で九月十三夜の月を見て、都で月を見た去年を思い出して詠んだ歌。
戀しとよこぞに今宵の夜もすがらちぎりし人のおもひ出られて
- 詠者
- 平経盛
- 状況
- 同じく十三夜に詠んだ歌。
わけて來し野べの露とも消えずしておもはぬ里の月を見るかな
- 詠者
- 平経正
- 状況
- 同じく十三夜に詠んだ歌。
修辞
- 露とも消えず
- 露のようにはかなく死ぬこともなく、生きながらえて。
解説
宇佐八幡宮(大分県宇佐市)は皇室の崇敬が篤く、伊勢に次ぐ宗廟とされた。平家の宇佐参詣は寿永二年(1183)八月のことと伝えられる。神にも見放されたことを告げる神託は、この後の大宰府落ちへの伏線となる。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、608–610頁(コマ333–334)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日